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京都地方裁判所 平成4年(ワ)2075号 判決 2001年8月23日

別紙(1)当事者目録記載のとおり

主文

一  原告らの「公式陳謝」請求に係る訴えを却下する。

二  被告は、別紙(1)当事者目録記載の番号三八ないし四〇、四二、四五、四六、六三ないし六七、六九、七〇、七二及び七七の各原告に対し、それぞれ金三〇〇万円を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、上記二記載の原告らに生じた費用の七分の一及び被告に生じた費用の六六分の一を被告の負担とし、同原告らに生じたその余の費用と被告に生じた費用の一四分の一を同原告らの負担とし、その余はその余の原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、別紙(1)当事者目録記載の番号一、二、四、六、八ないし一三、一五、一六、一八ないし二二、二四ないし二九、六二、七八、七九の各原告(以下、原告らを、例えば、原告朴栄一(同目録記載の番号一の原告)を「原告一」のように同目録の原告番号のみでいうことがある。)対し、それぞれ五〇〇〇万円を支払え。

二  被告は、別紙(1)当事者目録記載の番号三一ないし三五、三七ないし四三、四五ないし五〇、六三ないし七七、八〇ないし八二の各原告に対し、それぞれ二〇〇〇万円を支払え。

三  被告は、別紙(1)当事者目録記載の番号三、五、七、一四、一七、三〇、三六、五一ないし六一の各原告に対し、それぞれ五〇一〇万円を支払え。

四  被告は、浮島丸の沈没により、原告らを含む多数の朝鮮人に多大な犠牲を被らせたことを公式に陳謝せよ。

五  被告は、別紙(1)当事者目録記載の番号一四の原告に対し申順浩の遺骨を、同五一の原告に対し徐斗蜂の遺骨を、同番号五三の原告に対し安海龍の遺骨を、同五六の原告に対し高雙童の遺骨を、同五七の原告に対し朴鍾男の遺骨を、同五八の原告に対し蘆竒善の遺骨を、同五九の原告に対し趙泰元の遺骨をそれぞれ引き渡せ。

第二事案の概要

一  本件は、海軍の特設運送艦浮島丸が、昭和二〇年八月二四日、京都府舞鶴湾内で沈没し、多数の乗船者が死亡した件に関し、①浮島丸に乗船し、その沈没によって死亡した者の遺族(別紙(2)の2原告(被害者遺族)一覧表記載の者。なお、原告二四及び原告三六は浮島丸の乗船者でもあるが、本訴においては遺族としてのみ請求している。)、②浮島丸に乗船しており、その沈没に際しては生還したものの、その後死亡した者の遺族(別紙(2)の3原告(帰還後死亡者遺族)一覧表記載の者)又は③浮島丸に乗船し生還した者(別紙(2)の1原告(乗船者本人)一覧表記載の者。)と主張する原告らが、被告に対し、

(1)  不法行為(道義的国家たるべき義務違反=国家賠償法の類推適用、立法不作為)に基づく損害賠償及び「公式陳謝」

(2)  大日本帝国憲法(以下「明治憲法」ともいう。)二七条又は日本国憲法二九条(以下単に「憲法」という。)の類推適用に基づく損失保証

(3)  安全配慮義務違反に基づく損害賠償

(4)  別紙(1)当事者目録記載の番号一四、五一、五三、五六ないし五九の原告については所有権に基づく遺骨の返還

を請求する事件である。

そして、上記損害賠償又は損失補償について、①ないし③のいずれの原告も、自己の固有の損害の賠償又は損失の補償を求めており、その損害額又は損失額としては、①の原告は慰謝料五〇〇〇万円(そのうち遺骨の返還を請求していた原告三、五、七、一四、一七、三〇、三六、五一ないし六一は、供養料一〇万円を併せて五〇一〇万円)を主張し、②及び③の原告は慰謝料二〇〇〇万円を主張している。

なお、本判決においては、地理的名称としての朝鮮半島及びそれに附属する島しょを含む地域を「朝鮮」と、朝鮮出身者を「朝鮮人」と表示する。

二  基礎となる事実(争いのない事実及び弁論の全趣旨によって容易に認定することができる事実)

(1)  韓国併合と朝鮮人の徴用

ア 日本国政府は、明治八年の江華島事件、同二七年から同二八年の日清戦争、同三七年から同三八年の日露戦争を経た同三八年、大韓帝国(以下「韓国」という。)政府との間で第二次日韓協約を締結し、さらに、同四三年、韓国政府との間で、「韓國併合ニ關スル條約」を締結して、いわゆる日韓併合を行い、朝鮮を植民地とした。これによって韓国内の朝鮮人は我が国の国籍を取得した。

イ 日本国政府は、いわゆる皇民化政策の一環として、朝鮮民事令の第三次改正(昭和一四年一一月一〇日制令第一九号、同一五年二月一一日施行)を行い、朝鮮人に日本式の氏名を名乗らせた(いわゆる創氏改名)。

ウ 日本国政府は、昭和一三年に国家総動員法を公布し、同一四年七月には国民徴用令(勅令第四五一号)を施行し(ただし、朝鮮においては同令の施行は同一四年一〇月であった。)、人的資源の統制運用を図ろうとした。

朝鮮においては、昭和一四年九月から「朝鮮人労働者募集要綱」「朝鮮人労働者移住に関する事務取扱手続」に基づくいわゆる「募集」の方法により、昭和一七年二月からは、「朝鮮人内地移入斡旋要綱」に基づくいわゆる「官斡旋」の方法により、昭和一九年九月からは国民徴用令に基づく「徴用」により(ただし、軍用員関係については昭和一六年以降国民徴用令が適用された。)、多くの朝鮮人が日本にいわゆる強制連行され、軍需工場、炭坑、鉱山、土木作業場等の労務者として、あるいは陸海軍の軍属として、稼働させられた。

(2)  終戦と日本国政府による朝鮮支配の終了

被告は、昭和二〇年八月一五日、ポツダム宣言を受諾し、戦争は終結した。これとともに、日本による朝鮮支配は事実上終了したものの、日本本土、樺太、千島等には、前記(1)ウのとおり強制連行された多数の朝鮮人徴用工、軍属などが残留していた。

(3)  浮島丸の爆沈

ア 終戦当時、青森県大湊地区には、海軍の大湊警備府がおかれていた。大湊警備府は、津軽海峡以北(北海道、千島、南樺太等)の防衛任務を負わされていて、大湊地区には、大規模な防空壕、地下倉庫、飛行場、鉄道の建設等のために、数千名に及ぶ朝鮮人軍属、労務者(徴用工)などが居住していた。

イ 海軍の特設運送艦である浮島丸は、大湊地区及びその周辺の朝鮮人を朝鮮に帰還させるため、大湊を出航して、日本海を航行し、昭和二〇年八月二四日午後五時一五分ないし二〇分ころ、舞鶴港に入港しようとしたが、舞鶴湾内で、突然船体下部付近で爆発が起き、沈没した(以下「本件爆沈」ないし「本件爆沈事件」という)。

ウ 被告は、浮島丸に乗船していたのは、乗組員二五五名、朝鮮人三七三五名(徴用工二八三八名、民間人八九七名)、死亡者は、乗組員が二五名、乗客が五二四名、沈没の原因は、米軍の機雷との接触であるとしており、朝鮮人乗船者の死亡者について、五二四名の創氏名、本籍等が記載された「浮島丸死没者名簿」を作成している。

(4)  少なくとも、別紙(2)の2原告(被害者遺族)一覧表記載の原告番号一ないし一三、一五ないし二二、二五ないし三〇、三六、五二ないし五五、六〇ないし六二に対応する被害者欄記載の者は、浮島丸に乗船しており、本件爆沈によって死亡した。

(5)  飯野サルベージ株式会社は、昭和二五年三月から、浮島丸の引揚作業を行い、船体の後半部を引き揚げた(以下「第一次引揚作業」という)。その際、一〇三柱とされる遺骨が収容された。飯野重工業は、昭和二九年一月、浮島丸の前半分を引き揚げたが(以下「第二次引揚作業」という)、その際、多数の遺骨が収容された。

(6)  本件爆沈事件当時、海岸に打ち上げられた遺体は舞鶴海兵団の敷地に仮埋葬されたが、被告は、昭和二五年四月ころ、これを発掘して火葬に付した後、舞鶴地方復員局の霊安室に安置した。第一次引揚作業及び第二次引揚作業の際に収骨された遺骨も同様に舞鶴地方復員局に安置されていたが、これらの遺骨は、昭和三〇年一月、呉地方復員部に、次いで昭和三三年に厚生省引揚援護局に移され、昭和四六年に東京都目黒区所在の祐天寺に預けられた。昭和四六年一一月、昭和四九年一二月及び昭和五一年一〇月に遺骨の一部が外務省を通じて大韓民国に返還されたが、なお、二八〇柱とされる遺骨が祐天寺に残されている。

三  主な争点及び当事者の主張の骨子

本件における主な争点は、

(1)  道義的国家たるべき義務に基づき、被告が損害賠償責任を負う旨の原告らの主張の当否、

(2)  明治憲法二七条(ないし憲法二九条の類推適用)に基づき被告が損失補償責任を負う旨の原告らの主張の当否、

(3)  安全配慮義務違反に基づき被告が損害賠償責任を負う旨の原告らの主張の当否、

(4)  立法不作為に基づき被告が損害賠償責任の負う旨の原告らの主張の当否、

(5)  原告一四、五一、五三、五六ないし五九が返還請求をしている遺骨を被告が占有しているかどうかであり、

さらに、これらの争点に関連して、浮島丸の出航に至る経緯、本件爆沈の原因等の事実関係が問題となる。これらについての原告らの主張は、別紙(3)のとおりであり、被告の主張は別紙(4)のとおりであるが、上記争点についての主張の骨子は、次のとおりである。

(1)  道義的国家たるべき義務に基づく損害賠償責任

ア 原告らの主張の骨子

(ア) 日清戦争以来五〇年にわたる日本の侵略と他民族支配の歴史を否定的に総括したカイロ宣言及びその条項が遵守されるべきであるとしたポツダム宣言が憲法の授権規範、根本規範であって、憲法の解釈に当たっては、これらを解釈基準とするべきである。

(イ) 侵略と植民地支配への反省を世界に誓約した憲法は、九条で「戦争放棄、戦力の不保持」という不作為を命じただけでなく、前文において、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」すると述べて、「平和を愛する諸国民との信頼関係の構築」という作為を命じた。

(ウ) 「平和を愛する諸国民」とは、日本の植民地支配と侵略戦争の被害者にほかならない。そして、その作為の内容としては、少なくとも、侵略戦争と植民地支配に対する謝罪と賠償が含まれることは条理上明らかである。

(エ) この作為義務が「道義的国家たる義務」であり、その名宛人は日本の立法府、行政府のみならず司法府も含まれるから、司法府は、謝罪と賠償のための立法が欠けていても、類似法令の類推等を通じて司法救済を実現するべきであり、具体的には、国家賠償法を類推適用するべきである。

イ 被告の主張の骨子

(ア) カイロ宣言、ポツダム宣言の法的性質及び内容について

カイロ宣言は、戦後の日本の領土等の処理に係る原則を言明したものであり、ポツダム宣言は、終戦に伴う処理を規定するものにすぎず、具体的に我が国の根本規範である憲法の条項の内容を規定したものではない。

(イ) 憲法前文の法的性質について

憲法の前文は、具体的な法規範を定めるものではなく、裁判が準拠する規範となるものでもない。

仮に、原告らが主張するように、憲法が、平和主義に関して国に道義的義務を課するものであったとしても、道義的責任とは、飽くまで倫理的・道徳的責任であって、法的な責任とは区別されるべきものである。

(ウ) 我が国は、憲法制定までは、明治憲法秩序の下にあったところ、明治憲法下においては、国の権力的作用に伴う行為については、国家無答責の原則により、国は賠償責任を負わなかった。憲法は、昭和二一年一一月三日に公布され、昭和二二年五月三日から施行され、憲法一七条を受けて、国家賠償法が、同年一〇月二七日から施行され、これによって、国は、初めて権力的作用についても賠償責任を負うことになったが、同法附則六項は、同法の遡及適用を否定するのみならず、それまでに採用されていた国家無答責の法理という法制度がそのまま適用されることも明らかにしている。そして、浮島丸の沈没は、国家賠償法施行前において生じたものであるから、国家賠償法を類推適用する余地はない。

(2)  明治憲法二七条(ないし憲法二九条の類推適用)に基づく損失補償責任

ア 原告らの主張の骨子

(ア) 明治憲法二七条は、個人の財産権の保障を規定していたが、明文の補償規定はなかった。しかし、正義と公平の観点から補償が必要な場合は、同条に基づき、損失補償請求が認められる。憲法については、法令上補償規定がなくても、直接二九条三項に基づいて損失補償を請求できると解されているから、明治憲法についても、法令上補償規定がなくても、明治憲法二七条に基づいて損失補償ができると解するべきである。

(イ) 生命、身体に対して特別な犠牲が課せられた場合も、憲法二九条三項に基づいて損失補償を請求できると解するべきであり、その理は、明治憲法下においても同様である。

(ウ) 大湊警備府は、朝鮮人の暴動を恐れ、浮島丸による朝鮮人の送還を企画したのであって、これは、「朝鮮人暴動の予防」という「公共の用」のためであった。また、浮島丸に乗船していて被害にあった原告ら又はその親族(以下「本件被害者ら」という。)の大部分は軍属、徴用工であり、彼らを強制連行したのは、まさに「公共の用」のためであった。そして、本件被害者らは、浮島丸の沈没によって特別の犠牲を被ったから、原告らは、被告に対し、明治憲法二七条に基づき、あるいは憲法二九条三項を類推適用して、その被った損失の補償を請求することができる。

イ 被告の主張の骨子

(ア) 明治憲法下では、どのような場合にどの程度の損失補償を認めるかは立法政策の問題であって、損失補償は、これを認める法律が存在して初めて認められる制度であった(明治憲法下では、権力的作用に基づく違法行為による国の損害賠償責任さえも認められていなかったのであるから、まして適法行為による損失補償責任が明文の規定もないのに認められるはずがない。)。したがって、明治憲法二七条を根拠に直接補償請求権が発生するとする原告らの主張は失当である。

(イ) 生命・身体の被害に対する損失補償は、明治憲法二七条のみならず憲法二九条においても全く予定していない(生命身体はいかに補償を伴ってもこれを公共のために用いることはできないものであるから、許すべからざる生命身体に対する侵害が生じたことによる補償は、本来、憲法二九条三項とは無関係のものである。)。

(3)  安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任

ア 原告らの主張の骨子

(ア) 本件被害者らは、軍属、徴用工として被告の本土に強制連行され、又は被告の植民地支配により、韓国における生活基盤を破壊されて被告の本土に渡ったものであり、被告はそもそも本件被害者らが被告の本土に居住するきっかけを作ったものであった。そして、本件被害者らは、海軍の関係者の発言に基づいて、浮島丸が釜山等の朝鮮半島の港に向かうと信じてこれに乗船したものであって、本件被害者らには、現実には浮島丸に乗船するよりほかに方法はなかった。とすれば、被告と本件被害者らとの間には、運送契約類似の法律関係が成立し、被告は本件被害者らに対し、この法律関係に基づき、あるいは信義則上、浮島丸の運行に伴う安全配慮義務を負っていたものというべきである。そして、本件被害者らの被告の本土への移住が被告の占領政策という先行行為に起因するものであったことを考慮すると、この安全配慮義務の内容は一般の旅客運送契約におけるものよりも強度なものであるというべきである。

(イ) 本件被害者らの内、徴用工、軍属として徴用された者は、被告により、募集、斡旋、徴用の名目の下に強制連行され、労働を強制されたものであったから、被告との間に雇用契約が成立しており、被告はこれらの者に対して、雇用契約に付随する義務として、信義則上、公務遂行過程における安全配慮義務を負っていた。そして、被告と徴用工らとの間の雇用契約は、これらの徴用工らを朝鮮半島に帰還させるまで継続していたというべきである。

(ウ) 浮島丸の沈没は、日本人乗組員の陰謀による自爆であれば、故意による安全配慮義務違反となる。

本件爆沈が触雷によるものであったとしても、終戦当時の舞鶴湾には米軍が投下した相当数の機雷が掃海されずに残存していることを知り又は知り得べきであったから、浮島丸の乗組員としては、触雷を回避するために、浮島丸を大湊に戻らせるか新潟港に入港すべきであったのに、これらの義務に反して、舞鶴湾に入港しようとしたために、触雷した。

イ 被告の主張の骨子

(ア) 安全配慮義務違反を主張して損害賠償の請求をする者は、安全配慮義務違反の主張に当たっては、生命、健康等を侵害されたとされる者ごとに、その結果が発生した具体的状況を明らかにした上で、発生した結果との関係から、義務者がそのような結果を予見できたか(予見可能性)、どのような措置を講じていれば結果の発生を回避できたか(結果の回避可能性)、そして、義務者と被害者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし、義務者に対し、上記結果の発生の防止措置を採ることを義務づけるのが相当であるかといった点を判断するに足りる具体的な事実を主張する必要がある。しかるに、原告らは、具体的に義務の内容を特定しておらず、被告らが執るべき具体的な措置の内容が明確にされていない。そうすると、原告らの安全配慮義務違反の主張は、そもそも安全配慮義務違反を問うに当たり不可欠な要件事実の主張を欠くから、主張自体失当である。

(イ) 本件被害者らと被告との間には、安全配慮義務の前提となる「特別な社会的接触」が存在しない。すなわち、安全配慮義務は債務不履行を理由とする賠償責任であって、それも「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」が存在し、かつ、当事者間に「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」に限定されるところ、被告と本件被害者らとの間に、このような関係は存しない。

(ウ) 浮島丸は、昭和二〇年八月二四日午後六時以降の航行を禁ずる旨の連合国の指令に基づき最寄りの港に入港することを命令され、これにしたがって舞鶴港に入港しようとして、機雷に触れたものであるが、浮島丸の艦長としては、舞鶴港への入港以外に執るべき方法はなく、本件爆沈は不可抗力によるものである。

(4)  立法不作為による損害賠償責任

ア 原告らの主張の骨子

(ア) 上記(1)ないし(3)の根拠に基づく請求のいずれもが根拠がないとされるのであれば、憲法上救済されなければならない人権侵害について救済する法が欠けていることになる。

(イ) そして、①憲法前文、九条は、被告に対して道義的国家たるべき義務を課していると解されるが、立法府における上記義務とは、戦争被害者に対する補償・賠償立法を行うことにほかならないこと、②本件被害者らに対しては、日本国籍を有する者が受け得る援護の対象から除外されていることが憲法一四条に違反すること、③植民地から強制的に動員されて被害を受けたにもかかわらず、五五年にわたって謝罪、真相の究明、遺骨返還が怠られていることは、本件被害者らの人格を無視するものであって、憲法一三条に反すること、④憲法一七条、二九条三項は、かつて被告による侵略戦争で被害を受けた人々に対する補償を行う立法を当然に予定していること、⑤憲法四〇条は、刑事補償と同様に、強制連行され、事実上の監禁状態で強制労働を強いられた人々に対する補償立法を当然に予定していること、⑥憲法九八条二項から、既に確立した国際慣習法となっている戦後補償をすべき義務が導かれることから、被告は、遅くとも憲法制定時又はサンフランシスコ条約締結時に原告の損害の賠償のための立法をすべき義務があり、遅くとも昭和二八年には立法課題として認識可能であり、立法に要する期間を考慮しても、遅くとも昭和三一年には、合理的期間が経過し、この立法の不作為は違法であった。

イ 被告の主張の骨子

(ア) 国の立法行為(不作為を含む)が国家賠償法上違法と評価されるのは、当該立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、国会があえて当該立法を行った場合か、憲法解釈上争いがなく、憲法に違反することが一見して明白である場合に限定される。

(イ) 原告らのような立場にある者を救済するための援護法制定等の立法措置を国会議員に一義的ないしは一見明白に義務づけた憲法上の規定がないことはもちろん、憲法施行前の公権力の行使により生じた損害について救済のための立法措置をとるかどうかは、立法府の広範な裁量にゆだねられており、憲法上、あるいは憲法解釈上、このような補償立法義務はない。

(5)  遺骨返還請求

ア 原告らの主張

原告一四、五一、五三、五六ないし五九は、本件爆沈によって死亡した別紙(2)の2原告(被害者遺族)一覧表の各原告に対応する被害者欄に記載の者の遺族であって、各被害者の遺骨を所有しているところ、被告は、これらの遺骨を占有している。

イ 被告の主張

安海龍が本件爆沈によって死亡したことは認める。原告一四、五一、五三、五六ないし五九が、別紙(2)の2原告(被害者遺族)一覧表の各原告に対応する被害者欄に記載の者の遺族であること、これらの被害者欄記載の者(安海龍を除く。)が本件爆沈によって死亡したことは知らない。同原告らが別紙(2)の2原告(被害者遺族)一覧表の各原告に対応する被害者欄に記載の者の遺骨を所有していることも知らない。被告は、これらの遺骨をいずれも保管していない。

第三当裁判所の判断

一  「公式陳謝」請求に係る訴えについて

原告らは、本訴において、被告に対し、「浮島丸の沈没により、原告らを含む多数の朝鮮人に多大な犠牲を被らせたことを公式に陳謝」することを請求している。しかし、この「浮島丸の沈没により、原告らを含む多数の朝鮮人に多大な犠牲を被らせたことを公式に陳謝」することとの請求の趣旨は、抽象的であって、具体的に何人によるいかなる行為を求めているかは全く明らかではなく、給付訴訟における請求の趣旨としては特定を欠くといわざるを得ない。そして、本訴の提起以来弁論終結までの間にも、請求の趣旨が特定されることはなかった。そうすると、原告らの「公式陳謝」請求に係る訴えは、請求の趣旨の特定を欠くものとして不適法であり、却下を免れない。

二  安全配慮義務違反に基づく損害賠償について

(1)  別紙(2)の1原告(乗船者本人)一覧表記載の原告らの浮島丸乗船の事実の存否

《証拠省略》によれば、原告三八ないし四〇、四二、四五、四六、六三ないし六七、六九、七〇、七二及び七七は、別紙(2)の1原告(乗船者本人)一覧表記載の徴用年(月)欄記載の年月ころ徴用され、ポツダム宣言受諾当時、軍属(原告六九については多少疑問がある。)として大湊周辺(原告六九は函館)において労務についていた者であるが、浮島丸に乗船し、本件爆沈による被害に遭ったことが認められる。

別紙(2)の1原告(乗船者本人)一覧表記載の原告らのうちその余の者(原告三五、三七、四三、六八、七一)が浮島丸に乗船していたことを認めるに足りる証拠はないから、同原告らの損害賠償ないし損失補償の請求は、その余について判断するまでもなくすべて理由がない。

(2)  また、別紙(2)の2原告(被害者遺族)一覧表及び別紙(2)の3原告(帰還後死亡者遺族)一覧表記載の原告ら(以下「遺族原告ら」ともいうことがある。)は、浮島丸に乗船していた者の遺族として、浮島丸乗船者と被告との間の運送契約類似の法律関係の債務不履行(安全配慮義務違反)に基づき、遺族原告ら固有の損害(慰謝料。なお、「供養料」もその性質においては慰謝料と異なるものではないと解される。)の賠償を求めている。しかし、遺族原告らは、原告らの主張に係る運送契約類似の法律関係の当事者でないところ、ある法律関係の当事者でない者は、たとえその者が当事者の近親者であっても、その法律関係の債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく固有の慰謝料請求権を取得することはない(最高裁昭和五一年(オ)第一〇八九号同昭和五五年一二月一八日第一小法廷判決・民集三四巻七号八八八頁参照)。したがって、同原告らの、安全配慮義務違反に基づく請求もその余について判断するまでもなく理由がない。

(3)  本件爆沈事件の経過

《証拠省略》によると、次のアないしキの事実が認められる(以下、この項及び(4)項において年の記載のない事実は、すべて昭和二〇年中の事実である。)。

ア 浮島丸は、四三二一総トン、全長・一一四・八メートル、深さ・九・七メートル、喫水・七・〇メートルのディーゼルエンジンで航行し、最高速力・一七・四ノット、航海速力・一六ノットの貨客船で、昭和一二年三月に竣工した。大阪商船株式会社が所有し、南西諸島航路に用いていた(船客定員は合計八四五名、乗組員数は八九名)が、海軍に徴用され、特設砲艦として改装され、終戦直前には青函連絡船の代替船として青函航路に就航していた。青函航路に就航していたころには、旅客最大搭載人員数は一三〇〇名、乗組員数は一五〇名であり、青森函館間を五時間で運行するとされ、載貨一三〇〇トン、乗客二〇〇〇名で喫水平均六・二メートルで、函館港でも青森港でも着岸が可能とされていた。

イ 前記のように、大湊周辺には、数千人の朝鮮人が居住していた。その多くは、大湊海軍施設部の徴用工員(軍属)であり、その他に相当数の民間会社(日通大湊支店、鉄道工業、竹内組、地崎組、東邦工業、菅原組、宇佐美組、木田組、斉藤組、佐々木組、瀬崎組等)の徴用工がおり、一部に自らの意思で日本本土に移住してきた朝鮮人(以下「一般在住朝鮮人」という)及びその家族がいた(例えば、原告三六は、大正年間に日本に移り住み、終戦当時は東邦工業又は菅原組の下請をしていたと思われる張鐘植の子であって、日本で生まれ育っている。)。

ウ 敗戦直後の大湊は、警備府の一部の軍人が徹底抗戦を主張する檄文を飛行機からまいたり、軍事物資の放出を求めて市民が殺到する等混乱状態にあった。一方、朝鮮人らは、日本の敗戦と自らの解放を喜び、町では「マンセー」(万歳)という喚声も聞こえた。

エ 浮島丸は、八月一八日、大湊に帰港し、同月一九日ころ、海軍運輸本部の了承を得た大湊警備府から、朝鮮人徴用工等を乗船させて釜山まで運行することを命じられた。浮島丸の乗組員の間では、終戦によって復員できると考えていたところにこの命令を受け、航海には触雷の危険を伴うことや、燃料が十分でない、朝鮮にはソビエト連邦(以下「ソ連」という。)軍が攻め込み、捕虜になるかもしれない等のうわさも流れたことから、下士官らを中心に出航に反対する機運が高まった。また、浮島丸の艦長である鳥海金吾中佐(以下「鳥海艦長」という。)も、大湊警備府に対し、出航が無理である旨申し出たが、警備府の了承するところとならず、同月二一日ころには、大湊警備府の参謀が浮島丸に出かけ、乗組員を集合させ、威嚇、説得までした。

オ 八月一九日ころから、大湊周辺の朝鮮人民間徴用工には、雇用先から、浮島丸に乗船するよう指示がされたが、その中には、浮島丸で朝鮮に帰らなければ、今後は配給は受けられないとか、その後は帰国船は出ないなどと言われた者もいた。一般在住朝鮮人にも同様の話が伝えられ、朝鮮人徴用軍属に対しても浮島丸に乗船するよう指示がされた。同月二〇日ころから、乗船が開始され、いったん中断した後、同月二二日、乗船が再開され、浮島丸は、同日午後一〇時ころ出航した。

(なお、前記「輸送船浮島丸に関する資料」には、出航日について「八月二一日」との記載があるが、他方、大湊海軍施設部が作成した九月一日付の本件爆沈事件で死亡した軍属についての死亡認定書には、「八月二二日二二時ころ大湊を発した」旨の記載があることが認められ、双方の作成日時、作成者の立場等を比較すると、後者の信用性を高く評価するべきであるし、鳥海艦長自身も八月二二日の夜に出航した旨の発言をしていたことがあることも考慮すると、出航日時を上記のとおり認定するのが相当である。)

カ ところで、八月二〇日、マニラに派遣されていた日本政府使節団は、連合国最高司令部から、我が国に属し、又は支配下にある一切の艦船で日本の領海内にあるものは、現に航行中の航海以外に一切移動しないとの内容を含む要求事項を受け取っており、これを受けて、軍令部総長は、同月二一日、連合艦隊、各鎮守府等の司令長官に対し、同月二四日一八時以降、特に定めるもののほか、航行中以外の艦船の航行を禁止するなどの命令(大海令五二号)を発し、さらに、同月二二日、「八月二四日以降、現ニ航海中ノモノノ外、艦船ノ航行ヲ禁止ス」との指示をした(大海指五三三号)。また、海軍運輸本部長は、浮島丸等の艦長に対し、同月二二日午後七時二〇分、上記大海指五三三号と同内容を指示する至急電報を発し、さらに同日、八月二四日一八時までに目的港に到達するよう努力すること、到達の見込みのないものは最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じる緊急電報を発した(なお、後者の緊急電報は、同日午後一九時三五分に起案されたものであるが、前者の至急電報が同日午後一六時一五分に起案され同日午後七時二〇分に発信されているところ、後者はより緊急性の高い緊急電報であるから、遅くとも浮島丸の出航した同日午後一〇時前後には発信され、浮島丸においても受信されたものと推認することができる。)。これらの電報は、大湊警備府等にも通報されている。

キ 浮島丸は、出航後、本州の沿岸に沿って南西に進み、同月二四日午後五時ころ、舞鶴湾内に入り、同日午後五時二〇分ころ、下佐波賀沖に差し掛かったところ、突然船底付近で爆発が起こり、沈没した。

(4)  なお、大湊警備府がこの時点で、朝鮮人徴用工等を帰還させることを企図したのは、次のような事情を考慮すると、朝鮮人らが連合国軍の進駐やソ連軍の進軍と呼応して暴動等を起こすことを恐れ、急いでこれを帰還させようとしたものと推認することができる。

ア ポツダム宣言受諾後、日本本土に在住する朝鮮人の帰還は、次のように進められた。すなわち、海軍当局は、八月一五日、各鎮守府、警備府に対し「戦争状態終結ニ伴ウ緊急措置」として「作業庁ノ徴用者ハナルベク速ヤカニ解傭転業セシメル如ク措置スル」ことを指示し、さらに同月二〇日、部内一般、内地朝鮮関東州満州国所在各所属長官関係各所轄長に対し、官衙及び作業庁雇員傭人工鑛員の整理について「速ヤカニ徴用ヲ解除ス。半島人、本島人、中華人、工礦員ニツイテハ(省略)各所属長官所定ニヨリ帰郷セシム。」ことを指示した。また、同月二一日、次官会議において、強制移入朝鮮人等の徴用解除方針が決定された。九月一日、政府は、「朝鮮人集団移入労務者等ノ緊急措置ノ件」を全国地方長官に通知し(警保局保発第三号)、関釜連絡船が近く運行する予定であり、朝鮮人集団移入者から輸送をなすこと等を予告した。同月ころ、興安丸が山口県仙崎港を出港し、朝鮮人の帰還が本格的に始まった。

イ このように、大湊警備府は、政府の政策として朝鮮人の帰還を開始するよりも早い八月一八日までに、ポツダム宣言受諾直後の混乱状態の中で、浮島丸による朝鮮人の輸送を計画したのであるが、被告は、大湊警備府が浮島丸による朝鮮人の輸送を決断したのは、連合国軍の進駐を恐れた朝鮮人が帰郷を熱望したことにこたえるためであった旨主張し、第二復員局残務処理部が昭和二八年一二月に作成した「輸送船浮島丸に関する資料」中にも、大湊地区の朝鮮人らが、連合国軍の進駐を極度に恐れたためか、朝鮮に帰ることを熱望し、不穏の兆しを示したので、浮島丸による輸送を準備した旨の部分がある。しかし、朝鮮人にとって、連合国軍は、自分たちを解放してくれた軍隊であるから、これを恐れたとは考え難く、右部分は信用できない。さらに、《証拠省略》によると、①大湊警備府では、大陸に進駐した際の日本軍の行動を判断材料として、連合国軍も同様の行為に及ぶものと危ぐし、軍需物資を急きょ民間に放出したり、隠匿したり、進駐が予想される区域の住民を他所に避難させるなどの対策をとったこと、②終戦前後、内務省警保局保安課長は各県知事、警察部長に対し、ソ連の対日参戦、敗戦等を契機に、朝鮮人の間で不穏策動が起こることを警戒し、朝鮮人に対する指導取締を強化することを指示する通達を何度となく発していることの事実が認められ、これらの事実に、八月一五日に日本がポツダム宣言を受諾した後も、ソ連は戦闘をやめず、樺太等を南下進軍していた(公知の事実)から、大湊警備府にとってはこれが脅威であったと考えられること等の諸事情を総合勘案すると、上記のとおり推認するのが相当である。

(5)  本件爆沈の原因

ア 本件爆沈の原因として、原告らは乗組員による自爆である旨主張している。本件爆沈の原因を自爆とする見解は、従前から述べられていたものであって、その根拠としては、次のような点が挙げられている。

(ア) 大湊の住民の間では、浮島丸が出航する前から、浮島丸が自爆するとのうわさが流れていた。

(イ) 出航後、浮島丸船内の朝鮮人の間でも、同様のうわさが流れていた。

(ウ) 乗船者が爆発直前にボートが降ろされ、乗組員が下船しようとした。

(エ) 爆発音が一回ではなく、複数回であった。

(オ) 爆発時、水柱が上がらなかった。

(カ) 第二次引揚げによって引き揚げられた浮島丸の船底は、外側に向かって膨らんでいた。

イ しかし、上記(ア)及び(イ)の点は、《証拠省略》によるとこのようなうわさがあったことはうかがわれるが、しょせんうわさにすぎない(《証拠省略》によると、浮島丸の出航に反対する乗組員の中で、浮島丸の重要部分を破壊して航海できないようにするという話があったこともうかがわれ、その話が上記のようなうわさとなったことも考えられる。)。また、原告張永道、同金泰錫及び同金東天は、ボートが降ろされるのを目撃した旨供述する。しかし、爆発した時期については、ボートを降ろす途中、着水と同時、着水して出発しようとした瞬間などと供述しており、これらは幾分異なってはいるが、いずれにしても、このボートに乗ろうとした者にとっても予期しない時期に爆発したことがうかがえるから、(ウ)の点も自爆の根拠となるものとは考え難い。また、複数回の爆発音を聞いたという浮島丸の乗船者も多数いるものの、爆発は一回であったとする乗船者も多く、(エ)の事実を認定することはできない。さらに、原告張永道は(オ)の事実に沿う供述をし、《証拠省略》等にも乗船者による同様の話が記載されている。しかし、ここで述べられている「水柱」がどのようなものを想定しているのかは必ずしも明らかではなく、機雷が水中で爆発した場合であっても水深等の条件によっては、水面の上昇の程度は様々と思われ(《証拠省略》で紹介されている海軍舞鶴防備隊の掃海責任者だった佐藤吾七の談話参照)、上記で述べられているような「水柱」が上がったとは認識されないこともあり得るから、上記のような供述が直ちに船内爆発の根拠となるということもできない。また、(カ)の点は、係る事実があったとしても、その部位、曲がり方等が明らかではないから、直ちには船内爆発の根拠ということもできない。

ウ(ア) 他方、《証拠省略》によると、次の事実を認めることができる。すなわち、アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)軍は、昭和二〇年三月二七日から八月一五日まで、日本の主要港湾水道に対し連続的に機雷投下をし、舞鶴湾内へも同年六月三〇日から同年八月八日までの間に五回にわたって機雷を投下しており、その数は優に一〇〇個を超える。これらの機雷は、沈底式機雷であり(したがって、掃海艇が掃海索を引くという方法では掃海できない。)、多くの機雷に日限遅動装置(一定の日数後に作動させる装置)や回数調整起爆装置(一定の回数を経過した後の物理的変化に感応させる装置)が設置されていたこと、磁気と水圧の両方の物理的変化がないと感応しない機雷があったこと(磁気棒で海底をこするという方法でも、これに感応しない。)等から、掃海が極めて困難であり、短期間の掃海では到底航路の安全を確保できず、終戦後の昭和二〇年八月一七日から一一月三日までの間に、舞鶴湾において、本件爆沈事件を除いても、九件の触雷事故が起こっており、うち五隻の船舶が沈没している。

(イ) 上記(ア)の事実に、被告の本件爆沈は触雷によるものとの発表は鳥海艦長の報告に基づくものと推認できることを考慮すると、本件爆沈の原因を触雷と考えても不合理とはいえない。なお、舞鶴湾内において、浮島丸の前を二隻の海防船が航行していたことも指摘されているが、機雷が感応するのは、様々な条件があり、構造、大きさの異なる船が同一水路を航行しても、一方が触雷し、他方がしないことはあり得ることであるから、この海防艦の存在を考慮しても、前記のような諸点から本件爆沈の原因が自爆によるものとは認めることができない。

(ウ) もっとも、本件の証拠上は、本件爆沈の原因が触雷であることを積極的に認定し得るものもないが、原告らは、安全配慮義務違反の主張に関しては、触雷が原因である場合についても主張しており、その限度では触雷が原因であることについて当事者間に争いがないことになるので、本判決においては、触雷が原因であるものとして安全配慮義務違反の主張について判断する。

(6)  安全配慮義務違反の主張について

そこで、(1)ないし(5)認定の事実に基づき、上記原告三八ないし四〇、四二、四五、四六、六三ないし六七、六九、七〇、七二及び七七の安全配慮義務違反の主張について検討する。

ア 上記原告らは、前記認定のとおり海軍の軍属であるところ、海軍の徴用軍属については、昭和二〇年八月二〇日に海軍大臣から、徴用解除の指示が出されているから、事実上は大湊警備府の指示によって浮島丸に乗船したのだとしても、出航直前の同月二二日の時点では、既に徴用を解除された上で、朝鮮に帰還するために乗船していたというべきであって、乗船までには徴用に基づく関係は終了していたと解される(前記「輸送船浮島丸に関する資料」中に、「当時日本海軍としては、既に解員手続を完了した元工員に対して之を帰鮮せしめねばならぬという義務はなかったけれども」との一節があるが、これは、この点についての被告の認識を表現しているものと解する余地がある。なお、《証拠省略》によると、被告は、本件爆沈によって死亡したと認定した者のうち一三歳以下の者を除く者も死後軍属として扱っていることがうかがえるが、これは事後の処理の便宜を考慮したものと解することができ、同月二二日までに徴用に基づく関係が終了していた旨の前記認定に影響しない。)。そうすると、被告と上記原告らとの間では、昭和二〇年八月二二日の出航までの間に、私法上の旅客運送契約に類似した法律関係(以下「本件法律関係」という。)が成立したと解するのが相当である(なお、民間徴用工についても、徴用の結果生ずる使用関係は、被徴用者と事業主との間に発生していたものと解され(国民徴用令一七条、一八条一項)るから、浮島丸に乗船した民間徴用工と被告との間も、一般在住朝鮮人と被告との間でも、同様の法律関係が成立していたものと解される。したがって、原告六九が民間徴用工であったとしても、同原告と被告との間で本件法律関係が成立していたことに変わりはない。)。

イ そして、被告は、本件法律関係に基づき、浮島丸に乗船した上記原告らに対し、釜山港又はその近辺の朝鮮の港まで安全に運送する義務、朝鮮の港まで到達することが不可能な場合には、安全に最寄りの港まで運送し、又は出発港に還送すべき義務を負ったというべきである。この上記原告らを安全に運送する義務は、本件法律関係に基づく本来的な義務であって、付随的なものではないから、係る義務の違反を理由とする損害賠償を請求する者は、それ以上に具体的な義務の内容を主張立証する必要はなく、被告において義務を履行し得なかったこと(本件爆沈)が不可抗力によるものであることを主張立証しなければ損害賠償責任を免れることはできない。原告らが本訴において主張する運送契約類似の法律関係に基づく、浮島丸の運航に伴う「安全配慮義務」も、結局は、本件法律関係に基づく本来の義務である前記義務を主張するものと解される。

ウ なお、乗船朝鮮人らは、被告に対し、運送に対する対価を支払っていないが、上記原告らは、被告がいわば強制的に大湊周辺において就労させていたのであるから、上記原告らを安全に朝鮮まで送り届けるべきことは条理上当然の要請であること、また、前記のとおり、大湊警備府が朝鮮人の暴動等を恐れたことから、浮島丸を用いて上記原告ら朝鮮人を送還しようとしたこと、上記原告ら軍属としては、事実上浮島丸に乗船を拒むことは事実上困難であったと推認することができること等の事情を考慮すると、無償であることを理由として、運送に伴う被告の義務の内容、程度が軽減されると解することはできない。

エ(ア) 被告は、鳥海艦長が浮島丸を舞鶴港に入港させようとしたのは、大海令五二号に基づく指令にしたがったもので、鳥海艦長としては、他にとる方法がなく、触雷は不可抗力である旨主張する。

(イ) 《証拠省略》によると、昭和二〇年八月当時、アメリカ軍が本州及び九州の日本海沿岸並びに瀬戸内海沿岸の軍港及び主要港湾に多数の機雷を敷設しており、危険な状況にあったこと、一方、大湊港にはアメリカ軍の機雷は敷設されていなかったことが認められる。そして、鳥海艦長ないし大湊警備府司令長官、その他の大湊警備府の担当官(以下「司令長官等」という。)は、その役職等に照らすと、上記事実を知っていたものと推認することができる。

(ウ) ところで、前記認定のとおり、海軍運輸本部は、浮島丸の艦長に対しては、昭和二〇年八月二二日午後一〇時の出航前後に、二四日午後六時までに目的地に到達するよう務め、見込みがない場合には最寄り軍港又は港湾に入港することを命じている。ところで、浮島丸は、前記のとおり、竣工時には航海速力一六ノットとされていたものの、その後改装されており、青函連絡船の業務につく以前には通常一二ノットで航行していたこと、青函航路を運航していた際には、前記のとおり五時間で航海していたが、同航路は、航海速力四ノットないし五・五ノットの船舶で一〇時間ないし一三時間を要するとされていたことを考慮すると、一六ノットで航海できたとは思われず、航海速力はせいぜい一一ないし一二ノット(時速約二〇・三ないし二二・二キロメートル)程度ではなかったか推定される。そうすると、大湊港を八月二二日午後一〇時ころ出航した浮島丸が、同月二四日午後六時までに釜山に到達することは事実上不可能であった(大湊と釜山間は、最短でも一〇〇〇キロメートルを超えることは明らかである。)。そして、このことは、鳥海艦長や大湊警備府司令長官等も理解し得たことは容易に推認することができるところである。

(エ) そうすると、被告の履行補助者である鳥海艦長や大湊警備府司令長官等は日本海側の主要港が機雷の敷設によって危険であることを知っていたのであるから、乗船者の安全を第一とし、鳥海艦長においては、大湊からの出航を見合わせるか(前記緊急電報による命令が出航前に発せられていた場合)、機雷が敷設されておらず、浮島丸の乗組員も勝手を知った大湊に戻る(前記緊急電報による命令が出航後発せられた場合)という選択肢もあったのであり、また、前記緊急電報による命令を通報されている大湊警備府司令官等においては、鳥海艦長に、出航を見合わせるか、大湊に戻ることを命じることも可能であった(二四日午後六時までに目的地に到達するよう努力することを命じられている鳥海艦長としては、係る選択が困難であったとしても、大湊警備府司令官等が係る選択をすることを妨げる事情は見当たらない。)。ところが、鳥海艦長は、二四日午後六時までに釜山ないしその近辺の朝鮮の港に到達できる見込みもないのに、本州日本海沿岸を南下し続け、大湊警備府司令長官等も浮島丸が航海するにまかせた結果、舞鶴港に入港することになり、本件爆沈に至ったものであるから、本件爆沈が不可抗力によるものということはできない。

オ 以上の検討の結果によれば、被告は、浮島丸乗船者との間に成立していた本件法律関係に基づく前記安全に運送する義務に違反したものというべきであるから、浮島丸の乗船者である原告三八ないし四〇、四二、四五、四六、六三ないし六七、六九、七〇、七二及び七七に対し、本件法律関係に基づく義務の不履行(債務不履行)を理由として、同原告らがそれによって被った損害を賠償する責任がある。

(7)  損害について

ア 上記原告らは、被告に対し、本件爆沈事件によって同原告らが受けた身体(傷害、後遺症)、精神(本件爆沈事件の恐怖、本件爆沈事件がその後の精神状態に与えた影響)等の被害によって被った精神的苦痛に対する損害賠償(慰謝料)として一律に二〇〇〇万円を請求している。同じ海難事故の被害者であっても、爆発時の乗船位置、救助されるまでの経緯、受傷の有無・程度、後遺症の有無・程度、流出財産の有無等によって、精神的苦痛の程度が異なるが、本件のように、約五〇年もの長時間が経過し、被害者が多数で、国外に居住している等の事情から個別の損害立証が極めて困難である場合には、およそ本件爆沈事件に遭遇し、生還した者であればその全員が等しく被ったであろう恐怖、苦痛等、共通の損害に対する慰謝料額を定め、これをもって各人の慰謝料額と認定するのが相当である。そして、本件爆沈に至る経緯、爆沈の態様、その他本件に表れた一切の事情を考慮すると上記原告らの精神的苦痛を慰謝するためには各三〇〇万円をもって相当と認める。

イ なお、《証拠省略》には、本件爆沈事件によって、原告三八は腰に後遺症が残った旨、原告三九は右脚に裂傷を負い、その治療に約四、五か月を要した旨、原告六五は脚を痛め、関節に後遺症が残った旨、原告六六は腰と脚を痛め、腰と脚に後遺症が残った旨、原告六七は聴覚障害と「血液循環病」と称する病気にり患した旨、原告七〇は腰と眼に後遺症が残った旨の記載がある。しかし、これらを裏付ける資料はなく、例えば、同原告らのいう「後遺症」も具体的にいかなる症状をいうのか、どのような根拠からそれが本件爆沈事件による負傷等の後遺症であるというのかも明らかではないなど、これらの原告らが、前記認定の包括的な慰謝料によってはてん補されない損害を被ったことを認めるに足りる証拠としては不十分である。

三  道義的国家たるべき義務に基づく損害賠償責任について

(三ないし五は、遺族原告らに対する関係での判断である。)

(1)  原告らの道義的国家たるべき義務に基づく損害賠償責任の主張は、国家賠償法の類推適用という手法を用いつつも、結局は、憲法前文自体を直接の根拠とするものと解される。

(2)  しかしながら、憲法前文は、その体裁からも明らかなように、国民主権、平和主義などの憲法の基本原則、基本理念を表明したものであり、憲法本文の各条項の解釈の指針となり、各条項の内容を充填するものとみるべきであるが、それ自体を直接の根拠として、国家賠償法の類推適用という形をとるにせよ、謝罪や損害賠償といった具体的な法律上の請求ができると解することはできない。

カイロ宣言は、アメリカ合衆国、イギリス、中国の首脳が我が国の植民地を独立又は返還させる目的で、協調して我が国の降伏まで戦争を継続する旨を表明したものであり、ポツダム宣言は、上記三国に加えてソ連の首脳が、我が国に無条件降伏を求め、軍国主義の除去、終戦後の領土の限定、民主主義、自由権及び基本的人権の尊重等の降伏の条件を示したものである。憲法の制定は、ポツダム宣言を踏まえて制定されたものであるが、原告らが主張するカイロ宣言、ポツダム宣言の条項を考慮しても、憲法前文が、侵略戦争や植民地支配の被害者に対する損害賠償等の個別具体的な義務を被告に課していると解することはできない。

(3)  なお、国家賠償法附則六項は、「この法律の施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」としているから、憲法一七条(昭和二二年五月三日施行)を受けて、公務員が不法行為を行った場合の国などの損害賠償責任について定めた国家賠償法の施行(同年一〇月二七日)の前は、公務員の不法行為については、明治憲法下と同様の法秩序の下にあったと解される。そして、明治憲法下においてはいわゆる「国家無答責の原則」が採用されており、公務員の公権力の行使に伴って生じた損害については、私人は賠償請求ができないものと解されていた。そうすると、国家賠償法の施行前である本件爆沈事件に関し、公務員の不法行為があったとしても、原告らは、国家賠償法を類推適用して具体的な請求をすることはできない。

四  明治憲法二七条(ないし憲法二九条の類推適用)に基づく損失保証責任について

ア  明治憲法は、二七条一項で「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」と規定して私有財産権を保障していたが、同条二項において「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」と規定したものの、財産権を公共の用に用いた場合の損失補償に関する規定は置いていなかった。これは、損失の補償をするか否かも含め、「公益ノ為必要ナル処分」の内容、手続を法律に委ねたもので、損失を補償する旨の具体的な法律が存する場合に限って補償請求をすることができると解すべきであって、係る法律がない場合に、直接明治憲法二七条に基づいて損失補償請求ができると解することはできない。

イ  なお、法令に損失補償に関する規定がなくても、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではない(最高裁昭和三七年(あ)第二九二二号同四三年一一月二七日大法廷判決・刑集四三巻一一号二七頁参照)としても、明治憲法は、憲法二九条三項のような損失補償についての明文を持たない上、明治憲法と憲法では、その構造も、基本原理、基本的人権の保障の程度、内容も異なっているから、憲法二九条三項について前記のように解することができるからといって、明治憲法も同様に解釈すべきとはいえない。

ウ  また、憲法施行前の本件爆沈事件について、憲法二九条三項を類推適用できるとは解することはできない。

エ  よって、損失補償に関する遺族原告らの主張は理由がない。

五  立法不作為の主張について

議会制民主主義の下においては、国会議員がある法律を立法するかどうかは、各議員の政治的裁量にゆだねられ、最終的には、選挙を通じて国民がその当否を判断すべきものであって、国会議員の立法活動は原則として政治的責任を負うにとどまり、ある法律を立法しないことが、国家賠償法の適用上違法の評価を受けるのは、ある法律を立法しないことが憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、当該立法を行わないような例外的な場合に限られる(最高裁昭和五三年(オ)第一二四〇号同六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)。

これを本件に見るのに、前記のとおり、浮島丸に乗船し、被害にあった者は、本件法律関係に基づく安全に釜山又は近辺の港まで運送する義務の違反を理由として、その被った損害の賠償を求めることができ、乗船者の遺族であっても、その相続人は、前記の乗船者の損害賠償請求権を相続することができ、その範囲で、本件爆沈による被害に対する救済の道は開かれている。そして、憲法の前文及び原告らの援用するいずれの規定を見ても、上記の救済以上に乗船者の遺族(被害者原告らが、必ずしも乗船者の相続人ともいえないことは、別紙(2)の2、別紙(2)の3の各原告との関係欄からも明らかである。)の固有の精神的苦痛を賠償ないし補償する立法をしないことが、憲法の一義的な文言に違反するとはいえないことは、多言を要しない。したがって、遺族原告らの立法不作為の主張も失当である。

六  遺骨返還請求について

(1)  安海龍が本件爆沈によって死亡したことは争いがなく、《証拠省略》によると、申順浩、徐斗蜂、高雙童、蘆竒善及び趙泰元が浮島丸に乗船していたこと、本件爆沈事件後、その行方は不明であり、その家族らは、本件爆沈によって死亡したものと聞いていること、しかし、前記死没者名簿には安海龍を除く上記の者の氏名の記載はないこと(その創氏名が現在では明らかではないから、創氏名の記載があるのかどうかも定かではない。)、以上の事実を認めることができる。そうすると、申順浩、徐斗蜂、高雙童、蘆竒善及び趙泰元が本件爆沈によって死亡した蓋然性は高い。これに対し、朴鍾男が浮島丸に乗船していたことを認めるに足りる証拠はない。

(2)  そして、前記のとおり、本件爆沈によって死亡した朝鮮人の遺骨は、舞鶴地方復員局に安置されていたのが、呉地方復員部、厚生省引揚援護局を経て、祐天寺に移され、現在も二八〇柱とされる遺骨が祐天寺に安置されているが、それらの遺骨は、舞鶴地方復員局において、被告の発表した死没者五二四名分に分骨し、それぞれを合計五二四箱の未記名の遺骨箱に収納し、呉地方復員部において、それぞれの氏名を記載したものであって、ある遺骨箱内の遺骨が遺骨箱に書かれた被害者の遺骨であるという根拠はない。

(3)ア  ところで、前記のとおり、被告は、本件爆沈事件の死亡者数を、乗組員が二五名、乗客が五二四名と発表しており、その発表内容に沿う「浮島丸死没者名簿」が存在し、《証拠省略》によると、大湊海軍施設部長は、昭和二〇年九月一日付で海軍軍属四一〇名(海軍協力会供給人夫四八名を含む。)の死亡認定書を作成している。しかし、被告が、どのような調査をして、本件爆沈による死亡者を確定したのかは明らかではない(被告は、本訴においても、この点についての主張立証をしない。)。

イ また、前記「輸送船浮島丸に関する資料」は、事件直後から昭和二〇年九月二日までの捜索によって収容された一七五体の遺体と病院に収容された後死亡した七名の遺体のうち二九体が家族知人によって引き取られ、残り一五三体が舞鶴海兵団の敷地に仮埋葬され、第一次引揚作業において一〇三柱、第二次引揚作業において二四五柱を収容したものとしている。

ウ しかしながら、本件爆沈当時、被告が遺体の捜索を行ったのかどうか、行ったとしてもどのような方法でどの程度行ったかを明らかにする証拠はなく、第一次引揚作業及び第二次引揚作業の際にも、引き揚げた浮島丸船内の遺骨以外に遺骨の捜索を行ったことを認めるに足りる証拠もない。そして、前記のとおり、被告の発表した本件爆沈による死者数がどのような根拠に基づくものか明らかでなく(なお、上記のとおり、被告が、収容した遺体、遺骨は、被告の発表した本件爆沈による死者の数と一致する。しかし、引揚作業の際に収容した遺骨について、厳格に柱数を数えることができる状態であったのかどうか、またどの程度厳格に柱数を数えたのかどうかも不明であって、特に第二次引揚作業に際して収骨した遺骨数については、被告発表の死者数と一致するように二四五柱とした結果であると疑う余地もあるから、被告が収容したとする遺体、遺骨の数と被告発表の死者の数が一致したとしても、そのことから、死者数が正確であり、全遺体、遺骨が収容されたと認めることはできない。)、他にも本件爆沈による死者がいた蓋然性はあるというべきである。

(4)  そうすると、(2)記載の者が、本件爆沈によって死亡していたとしても、被告が祐天寺に預けている二八〇柱とされる遺骨の中にその遺骨が含まれているかどうかは明らかではなく、被告がその遺骨を占有していることを認めるに足りる証拠はない。

(5)  したがって、原告一四、五一、五三、五六ないし五九の遺骨引渡請求は、その余について判断するまでもなく、理由がない。

第四結論

以上の次第で、原告らの本件請求は、そのうち「公式陳謝」請求に係る訴えは不適法であるからこれを却下し、原告三八ないし四〇、四二、四五、四六、六三ないし六七、六九、七〇、七二及び七七の請求は各三〇〇万円の支払を求める限度で理由があるから、この限度でこれを認容し、「公式陳謝」請求以外のその余は失当であるからこれを棄却し、その余の原告らの「公式陳謝」以外の請求はすべて理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条、六五条に従い、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上敏 裁判官 井戸謙一 裁判官田邉実は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 水上敏)

<以下省略>

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