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京都地方裁判所 平成4年(ワ)2918号 判決 2003年1月21日

甲・丙事件原告

X1

乙事件原告

X2

被告

同代表者法務大臣

森山眞弓

同指定代理人(全事件)

山上富蔵

樋上浩司

田邉澄子

上野勝明

森部正道

久埜彰

根本智博

清水眞

安原正則

美濃純一

小澤和之

松尾孝憲

北川文公

同指定代理人(甲・乙事件)

甲斐哲郎

大北和司

江口忠俊

米澤宏高

辻忠昭

高原良枝

同指定代理人(甲事件)

近藤備敬

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は,全事件を通じてこれを4分し,その3を原告X1の負担とし,その余を原告X2の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  原告X1(甲,丙事件)

(1)  被告は,原告X1のために,京都市左京区松ケ崎<以下省略>所在の京都簡易保険事務センター(以下「本件センター」という。)の庁舎内(別紙図面1<省略>記載の部分)を禁煙にせよ。

(2)  被告は,原告X1に対し,130万円及びうち金80万円に対する平成5年4月7日から,うち金50万円に対する平成8年5月31日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告X2(乙事件)

(1)  被告は,原告X2のために,本件センターの庁舎内(別紙図面2<省略>記載の部分)を禁煙にせよ。

(2)  被告は,原告X2に対し,100万円及びこれに対する平成9年1月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1(1)  甲事件及び乙事件

原告らは,いずれも郵政事業庁(国家行政組織法の一部を改正する法律(平成11年法律第90号),郵政事業庁設置法(平成11年法律第92号),同庁組織令(平成12年政令第247号)及び同庁組織規則(平成13年総務省令第2号)が平成13年1月6日に施行されるまでは,郵政省。以下同じ。)の職員であって,本件センターに勤務しているところ,本件センターの庁舎内における受動喫煙によって損害を被っているとして,被告に対し,主位的には安全配慮義務,予備的には人格権である嫌煙権(原告X1は,更に予備的に不法行為)に基づいて,本件センターの庁舎内部を禁煙とすることを求めるとともに,主位的には安全配慮義務違反,予備的には不法行為に基づく損害賠償請求として損害の賠償(原告X1は80万円,原告X2は100万円)及びこれに対する原告X1は平成5年4月5日付準備書面送達の日の翌日である同月7日から,原告X2は乙事件訴状の送達の日の翌日である平成9年1月11日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める事件である。

(2)  丙事件

原告X1は,本件センターの庁舎玄関前においてビラ配布を実施しようとしたところ,被告の管理職らによって,それを不当に妨害されたことにより精神的苦痛を被ったとして,被告に対し,不法行為に基づき,50万円及びこれに対する丙事件訴状送達日の翌日である平成8年5月31日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事件である。

2  基礎となる事実(争いのない事実)

(1)  当事者等

ア 被告は,郵政事業庁の地方支分部局として,本件センターを設置している。

イ 原告らは,いずれも郵政事業庁の職員として,原告X1は平成4年11月25日(甲事件の訴え提起時)より前から,原告X2は平成7年10月31日以降,本件センターに所属し,その庁舎内で勤務している。

(2)  本件センターの庁舎内における喫煙に関する規制

本件センター庁舎のうち,大型電子計算機の設置されている電子計算機室においては,従前から,終日禁煙となっていた。

平成2年8月ころから,勤務時間のうち午前8時30分から1時間及び午後1時15分から1時間を禁煙タイムとして,職場における喫煙を自粛するように呼びかる(ママ)措置が執られ,同年12月1日からは,食堂内に喫煙席が設置され,喫煙席以外の場所(以下「禁煙席」という。)での喫煙を自粛するように呼びかける措置が執られ,さらに,平成8年7月,各階事務室等に喫煙室が設置され,その後,職場内における喫煙は,喫煙室内で行うようにと呼びかける措置が執られた。

(3)  原告X1のビラ配布及び本件センター管理職らの対応

原告X1は,他2,3名とともに,平成7年5月31日,同年6月27日,同年7月13日,同年8月30日,同年9月25日又は26日,同年10月27日及び同年12月27日の,いずれも午前7時40分ころから午前8時25分ころまでの時間帯に,本件センターの敷地内,庁舎玄関前において,本件センター所長から事前に許可を受けないで,本件センター職員に対し,ビラを配布した。

本件センターの管理職らは,原告X1らに対し,その都度,本件センター所長から事前に許可を受けていないことを理由に,ビラ配布を中止するように求めた。

第3争点及び当事者の主張

1  禁煙請求についての請求の特定の有無

(1)  被告の主張

ア 本件センターの庁舎には,職員だけではなく,不特定の一般国民も出入りしているから,原告らが求める喫煙禁止の対象が明らかではない。

イ また,本件センターの庁舎内における喫煙を禁止するということが,本件センターの庁舎入口に単に強制力を伴わない「センター内禁煙」の標示をすることで足りるのか,それとも何らかの強制力を伴う方法を求めているのかも不明である。

仮に,原告らの主張を「庁舎管理権に基づき,庁舎内における喫煙を禁止し,庁舎内に禁煙である旨の標示を設けるなどの方法を通してこれを庁舎内に存する者に周知せしめ,これに違反して喫煙する者に対し,喫煙しないよう指導せよ。」との主張であると善解しても,結局,被告が執らなければならない手段,方法,人的対象等が何ら具体的かつ一義的に明らかになっていない。

ウ すなわち,原告らの「本件センターの庁舎内を禁煙にせよ」との請求に(ママ)では,被告に対し,いかなる作為を求めているのかが不明であり,請求が特定されているとはいえない。

したがって,このような特定しない請求に係る訴えはいずれも却下されるべきである。

(2)  原告らの主張

「本件センターの庁舎内を禁煙にせよ」との請求は,喫煙の禁止を求める本件センターの庁舎の範囲は明確であり,その請求内容も,以下のとおり,社会通念上も明らかであるから,特定しないものではない。

すなわち,「本件センターの庁舎内を禁煙にせよ」との請求は,「被告において,庁舎管理権に基づき,庁舎内における喫煙を禁止し,庁舎内に禁煙である旨の標示を設けるなどの方法を通してこれを庁舎内に存する者に周知せしめ,これに違反して喫煙する者に対し,喫煙しないよう指導せよ」との趣旨である。換言すれば,甲事件提訴時に実施され遵守されている電子計算機室での禁煙措置と同様の対応を求めているだけである。それゆえ,被告において,方法ないし手段が明らかでないために,その履行が困難であるとはいえない。

また,上記請求は,被告に対し,その庁舎管理権を行使して,その管理に係る本件センターの庁舎内における喫煙を禁止することを求めるものであり,庁舎管理権の主体である被告以外の第三者において,被告に代替して本件センター内の禁煙を実施することはできないのである。したがって,この請求を認容した判決の強制執行は,間接強制によるべきものであるところ,上記の請求は,執行裁判所が,当該作為義務が履行されているか否かを判断するのに何ら支障がない程度に特定されている。

2  受動喫煙による健康への影響の有無・程度

(1)  原告らの主張

ア 受動喫煙の定義

受動喫煙とは,自分の意思とは無関係にたばこ煙にさらされ,それを吸わされることをいう。

イ 受動喫煙による健康被害

(ア) 受動喫煙においては,喫煙者が吐き出した煙とたばこの点火部分から立ち上がる煙(副流煙)の2種類の煙を吸い込むことになるが,後者は前者に比べて刺激性が高く,また,発がん物質などの有害成分の含有量も多い。そして,受動喫煙は,ダイオキシン,自動車の排ガス,放射線,アスベスト等の環境汚染物質を規制する共通基準の5000倍も上回る危険因子である。

受動喫煙は,喫煙習慣のない者にとって,単に不快と感じられるだけでなく,以下のとおり,急性,慢性の様々な健康被害をもたらすことが指摘されており,その有害性は,医学上周知の事実である。

(イ) 受動喫煙の急性影響

受動喫煙の急性影響には,たばこ煙の粘膜への刺激によるものと,肺からの吸収によるものとがあるが,前者は,目のかゆみ,痛み,くしゃみ,鼻汁,せき等であり,後者は,ニコチンの作用による指先血管収縮(皮膚温低下),呼吸抑制,心拍増加等である。そして,これらの症状は,常習喫煙者より非喫煙者の方が強い。

(ウ) 受動喫煙の慢性影響としては,がん(肺がん,喉頭がん),呼吸機能障害(気管支喘息,慢性気管支炎),虚血性心疾患(狭心症,心筋こうそく)等が指摘されている。

このような受動喫煙による健康への影響は,以下のような研究,調査報告によって明らかにされており,その中には,肺がんについては,喫煙者の非喫煙の配偶者の肺がん死亡率が,非喫煙者の非喫煙の配偶者より明らかに高く,しかも配偶者の喫煙量とともに高くなるという報告も含まれる。

また,わが国の行政的認識も,次の(エ)のとおり,現在では受動喫煙の危険性を正面から認めている。

a 米国環境保護局(Environmental Protection Agency。以下「EPA」という。)は,平成5年,30の疫学調査の結果の分析に基づき,「環境中たばこ煙」(Environmental Tobacco Smoke。以下「ETS」という。)をアスベストやダイオキシンなどと同格の肺がんを起こす物質であると報告した(以下,この報告を「EPA報告」ともいう。)。

同報告は,受動喫煙が子供の気管支喘息の原因となること,既に喘息を持つ子供の病状を重くすること,乳幼児の気管支炎や肺炎を起こすこと,子供の肺の働きを損なうことが確実であるとしているほか,受動喫煙が乳幼児突然死症候群の危険因子となる可能性があるとしている。

b その他の研究成果

米国心臓協会は,平成4年に,ETSが心筋こうそく死の危険性を高めることが動物実験や疫学,生化学,病態生理学の諸研究により解明されたとして,受動喫煙をなくすことが心臓病予防に不可欠である旨の声明を出した。

世界保健機関(以下「WHO」という。)は,平成4年に,受動喫煙は,室内で働く事務労働者に特別の危険をもたらすとし,従業員を受動喫煙などの健康被害から守ることは雇用主の義務である旨を指摘している。

また,専門的医学雑誌の最高峰であるニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスンも,平成6年に,EPA報告など諸研究の成果をまとめた論文を掲載し,受動喫煙が心臓病,肺がんの原因になるなどの結論を導いている。

その後も,受動喫煙により健康に悪影響を及ぼすことを認める研究報告が続いている。

(エ) わが国における行政的認識

a たばこ事業等審議会は,平成元年,大蔵大臣(当時。以下同じ。)に対し,「喫煙と健康の問題に関連するたばこ事業のあり方について」答申したが,その答申の中では,受動喫煙と肺がんの間に関連があったとしても,その関連は極めて弱いものと考えられ,現状では十分な蓋然性をもって裏付けるには至ってないとして,受動喫煙による眼,鼻及び喉への急性刺激症状の予防あるいは火災予防などの観点から分煙を進める必要があるとするにとどまっていた。

b しかし,平成7年3月に発表された「たばこ行動計画検討会報告書」は,受動喫煙による非喫煙者への健康被害については急性影響を認めるとともに,慢性影響については,肺がん,呼吸器疾患等への危険性を示す疫学的研究があるとして,公衆衛生上の取組を求め,国においては,職場における分煙対策を支援するべきである旨の報告をしている。

また,労働省(当時,以下同じ。)は,平成8年2月,「職場における喫煙対策のためのガイドライン」(以下「ガイドライン」ともいう。)を発表したが,その中で,受動喫煙による非喫煙者の健康への影響が指摘されていることから,受動喫煙を防止するため職場の分煙を積極的に進めるべきことを勧告している。

c 喫煙と健康

厚生省(当時)が編集した「喫煙と健康~喫煙と健康問題に関する報告書」(第2版)においても,受動喫煙が肺がん等の原因になることが認められ,平成14年7月に発行された「喫煙と健康~喫煙と健康問題に関する報告書第3版」(厚生労働省編)では,最新の科学的知見に基づき受動喫煙と肺がんの因果関係などが明確に認められている。

(2)  被告の主張

ア たばこ煙には,喫煙者が吸入する主流煙とたばこの先端から立ち上がる副流煙とがある。ETSとは,喫煙者が吸入した主流煙の吐出煙とたばこの先端から立ち上る副流煙が環境大気中で混合,拡散,希釈され,かつ,その一部が酸化反応等により化学的変化を受けた化学物質群のことであり,いわゆる受動喫煙とは,このようなETSに暴露されることをいう。

イ 受動喫煙による健康への影響

(ア) 化学物質が人体に与える危険性の判定に当たっては,まず,問題とする化学物質が有害であるかどうかを確認し,次に,その物質への暴露量と健康障害との関係を定量的に解明し,そして,暴露の実態を十分に把握した上で,これらの諸結果を総合して危険性の判定を行うという一連のプロセスを経るべきである。

そして,次の(イ)ないし(エ)の有害性の確認,用量・反応評価,暴露評価の各評価を総合して,受動喫煙の人体に対する危険性について判定すると,現時点での科学的な評価としては,受動喫煙が人の健康に影響を及ぼすということはできない。

(イ) 受動喫煙の有害性

受動喫煙と肺がん,呼吸器疾患等との関係がないとする研究報告が多数ある上,動物実験においても,ETSへの暴露による腫瘍等の形成は認められておらず,受動喫煙の有害性が確認されているとはいえない。

a 受動喫煙と肺がんとの関係

WHOの附属研究機関である国際がん研究機関が実施し,平成10年に発表されたETSと肺がんとの関連性を検討した最新の大規模疫学研究によっても,ETS暴露と肺がんとの間には統計的に有意な関係がないとの研究結果が得られている。

なお,一部の疫学調査では,受動喫煙が肺がんと関係があるとする報告があるが,これらの報告を含む疫学調査一般には,誤分類による偏り及び交絡因子の介入の問題があることが指摘されている。

以上のように,受動喫煙と肺がんとの関係に関する疫学研究については,現状では十分な蓋然性をもって裏付けるには至っておらず,受動喫煙が原因で肺がんが発症するということは全く証明されていない。

b 受動喫煙と呼吸器疾患との関係

米国公衆衛生総監は,多数の調査にもかかわらず,成人におけるETSと呼吸器疾患の関連性を見いだしていない。また,国際がん研究機関のトレダニエル博士らは「入手可能なデータに基づくと,確定的な結論を引き出すことはできない。」としている。そしてETSの代用として高濃度の副流煙を人に吸入させた実験においても,肺機能の変動は臨床的に正常な範囲内だったのであり,受動喫煙と呼吸器疾患との関係については否定されている。

c 受動喫煙による急性影響

受動喫煙の急性影響として,眼,鼻及び喉の刺激やせきなどの症状があるが,肺活量,心拍数,血圧などに対する明らかな影響は認められていない。

(ウ) 用量・反応評価(化学物質への暴露量と特定の健康障害との関係を量的に評価するもの)

ETSの代用として高濃度の副流煙を実験動物に吸入させる方法が用いられるが,こういった条件の動物実験においてさえ,腫瘍の形成は認められない。また,人に対する同様の実験においても,肺機能の変動は臨床的に正常な範囲内であったことが報告されている。

したがって,受動喫煙の健康被害に関して,用量・反応評価が認められているとはいえない。

(エ) 暴露評価

室内に放出されたたばこ煙は,部屋の広さ,換気条件,時間,室内構造物への付着等の影響を大きく受けるため,これらの条件によって異なるものの,一般に相当程度(10万倍以上とする報告もある。)希釈されると考えられるので,ETSへの暴露は極めて低濃度のものであり,また,現時点ではETSの人への暴露量が正確に測定できておらず,ETSへの暴露量が正確に把握できる方法は確立されていない。

ウ 平成元年たばこ事業等審議会答申

原告の指摘するたばこ事業等審議会の答申は,現時点までのわが国における喫煙と健康の問題に関する医学的知見の到達点ともいうべきものであるが,その答申が,「仮に受動喫煙と肺がんとの間に関連があったとしても,その関連は極めて弱いものと考えられ,現状では十分な蓋然性をもって裏付けるには至っていない。また,たばこ煙による眼,鼻及び喉に対する刺激並びにせき等の症状が認められているが,呼吸機能測定値等の生理的指標についての明らかな結論は認められていない。受動喫煙の健康への影響については,現段階においては必ずしも明確にされておらず,今後の研究課題であるといえる」としていることも上記結論と合致する。

エ 生活環境中に存在する有害物質

なお,我々の生活環境中には,微量ではあるがおびただしい種類の化学物質が存在し,その中には,多くの発がん物質も含まれている。

大気中の発がん物質の代表的なものはベンゾ(a)ピレンなどの多環芳香族炭化水素やジニトロピレンなどのニトロアレンであるが,これらの発がん物質の発生源は様々である。

また,発がん物質は飲料水や食べ物にもあり,飲料水からはトリハロメタン,焼き魚からはヘテロサイクリックアミン,加工魚肉中からはニトロソアミンという発がん物質が見いだされている。

このように,我々は,日常生活のほとんどすべての場面で,発がん物質を含む有害な化学物質にさらされているということができ,このことは,受動喫煙による健康影響を論ずる場合に無関係であるとはいえない。

オ EPA報告等

(ア) なお,原告らが受動喫煙と肺がん等の因果関係が認められる根拠としてあげるEPA報告は,多くの専門家によって,重要な方法論上の欠陥があるなどの様々な問題点が指摘され,さらに,ノースカロライナ連邦地方裁判所によって,適用されるべき法的要件を遵守せず,不十分な統計的手法を基礎にしており無効であるとされており,受動喫煙の健康への影響について判断する資料となるものではない。

(イ) また,「たばこ行動計画検討会報告書」及びガイドラインは,国が公衆衛生的な観点から,喫煙者と非喫煙者の調和的な共存を図っていくという立場に基づき,分煙や禁煙タイムなどの諸施策に関してガイドライン(指針)ないし方向性を示したものであって,受動喫煙が肺がんや心筋こうそくなど多くの病気の原因になることを内容とするものではない。また,「喫煙と健康」(第2版)は,公衆衛生的・予防医学的な観点からの提言・報告であって,受動喫煙が肺がん等の原因であることを認めたという前提に立つものではない。実際,同書は,「受動喫煙の肺がん発生に関するリスクの有意性は,現在のところ世界的にみて全面的には受け入れられるに至っていない。受動喫煙と肺がんに関する疫学研究には,方法論上の問題もあり,今後更に優れた方法による研究を行う必要がある。肺がん以外のがん,成人の呼吸機能の障害,虚血性心疾患と受動喫煙との関係の有無について一致した結論は得られていない。」旨述べるにとどまっている。

カ したがって,現在の受動喫煙に関する科学的知見に照らせば,受動喫煙が原因で肺がん,心臓病,呼吸器疾患等の慢性疾患が発生するということは全く証明されていない。

3  安全配慮義務の内容として受動喫煙を防ぐ義務の存否,安全配慮義務を根拠として禁煙措置を求めることの可否

(1)  原告らの主張

ア(ア) 被告は,原告らの使用者であるから,原告らに対し,就労に際して,原告らの生命,身体,健康等を害することのないように,人的,物的設備を整備すべき安全配慮義務を負っている。

(イ) 前述(2(1))のように受動喫煙が健康を害することを考慮すると,被告は,原告らが本件センターにおいて勤務するについて,受動喫煙によって身体,健康等を害することのないように,人的,物的設備を整備すべき義務を負っている。

このことは,労働安全衛生法23条が「事業者は,労働者を就業させる建設物その他の作業場について,換気に必要な措置を講じなければならない」旨を定め,さらに,「事業者が講ずべき快適な職場環境形成のための措置に関する指針」(平成4年7月1日労働省告示第59号。以下「快適職場指針」という。)が,必要に応じ事業者に対して作業場内における喫煙対策をとるよう義務づけ,同指針に伴う労働省の通達「「事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針」について」(平成4年7月1日基発第392号)が,快適職場指針にいう上記の「必要に応じ」とは「たばこの煙又は臭いに不快を感じている労働者がいる場合をいう」との解釈を示して,一人の労働者もたばこ煙に悩まされることがないようにという当然な立場に立っていることからも明らかである。

なお,「職場における喫煙対策のガイドラインについて」(平成8年2月21日労働省基発第76号。同通達で示されたものがガイドラインである。)は,職場の分煙を積極的に進めるべきことを勧告している。

(ウ) 安全配慮義務の定義及び内容は,ドイツ民法618条のそれとほとんど同一であり,ドイツ民法上被用者は同条1項に基づき使用者に対して作為及び不作為を請求する権利を有するとされていること,安全配慮義務の履行を怠っている場合に就労拒否権を認めるだけでは十分な救済とならないことから,わが民法においても,債務者が安全配慮義務の履行を怠っている場合に被用者は使用者に対して差止請求又は作為請求をなし得ると解すべきである。

イ ところが,本件センターの建物は,鉄筋コンクリート造で窓も金属製の密閉性が極めて高い構造となっている。そして,このような密閉性の高い建物の中では,その有害物質の除去は,換気装置等によっても不可能である。

なお,被告は,本件センターの事務室内の空気の状態は,事務所衛生基準規則(昭和47年労働省令第43号)による基準をすべて満たしており,清浄である旨を主張する。しかし,事務所衛生基準規則は,受動喫煙に対する認識が全くなかった時代の法令であり,本件センターの事務室の空気が事務所衛生基準規則の基準を満たしていたとしても受動喫煙の害がないことにはならない。。

ウ また,本件センターの現状の分煙措置は,次のとおり不十分である。

(ア) 禁煙タイムないし食堂の禁煙席について

禁煙タイムが設定され,食堂には禁煙席が設けられているが,禁煙タイム中の禁煙や食堂の禁煙席での禁煙は,ほとんど遵守されておらず,違反者に対する注意,指導も一切行われていない。また,食堂の換気は不十分である。

(イ) 喫煙室の設置について

甲事件提訴後に本件センターの庁舎には喫煙室が設けられたが,喫煙室には仕切りの天井部分に透き間があるほか,また換気装置が貧弱であるため喫煙室内の煙が事務室内に漏れ出してくるなどの衛生工学上の欠陥がある。

また,設置当初は喫煙室外における喫煙は野放しにされていた。

なお,平成10年3月20日の裁判所による検証を境にして,喫煙室外での喫煙はほとんどみられなくなったが,現在においても喫煙室外における喫煙は禁止されていない。

エ したがって,被告は,安全配慮義務として,庁舎管理権者である同センターの所長などを通じて,被用者の健康被害につながる喫煙につき,庁舎内における喫煙を禁止し,同所に禁煙である旨の標示を設けるなどの方法を通して,これを同所内にいる者に周知させ,これに違反して喫煙する者に対し,喫煙しないように指導,監督することなどによって,被用者たる原告らが有害なたばこ煙を吸わなくてもよいようにすべき義務を負っている。

そして,原告らは,被告がこの義務を履行していないから,この安全配慮義務の履行を求めることができるほか,安全配慮義務を怠ったことを理由に損害賠償を請求することができる。

オ なお,受忍限度の範囲内かどうかで違法性の有無を判断することは,当該行為によって,受忍を強いられる側に直接ないし間接に何らかの利益が生じる場合に,その行為を正当化するための考え方である。喫煙は,受忍を強いられる側には一切利益をもたらさないから,受動喫煙による被害を正当化する論理として用いることはできない。

仮に,受忍限度論を採用するとしても,喫煙は,単なるし好にすぎず,社会的有用性や公益性は全くないこと,受動喫煙による発生の危険が認められるがんや虚血性心疾患等の疾患は重大な健康被害であること,受動喫煙の被害が広く社会に認知されていることに照らせば,原告らの被害は,受忍限度を超えるものである。

(2)  被告の主張

ア(ア)被告は,原告らを任用し,原告らが本件センター内で勤務していることに伴い,原告らの勤務に際して,原告らの生命,身体,健康等を害することのないように,人的,物的設備を整備すべき安全配慮義務を負っている。

(イ) しかし,安全配慮義務は損害賠償を導くための理論であって,安全配慮義務違反を理由として差止請求又は作為請求をすることはできないと解すべきである。したがって,原告らが安全配慮義務に基づき本件センターの庁舎内での喫煙の禁止を求める旨の主張はそれ自体失当である。

イ 本件センターの空気の状態が良好であること

本件センターの庁舎の付近には,風を遮るような高層建築物などは存在しないこと,窓の開閉により容易かつ有効に換気を行うことができること,各部屋を隔てる壁も少ないことに照らせば,本件センターの多くの室内は通気性の良い構造となっているといえる。

加えて,本件センターの庁舎は,中央管理方式の空気調和設備(以下「空調設備」という。)を完備しており,冷暖房実施時期には,窓が閉め切られていても,上記設備により,温度,湿度,気流,清浄度が適切に調整されている。

そして,本件センターの事務室内の空気の状態は,事務所衛生基準規則による基準をすべて満たしており,清浄である。

ウ 本件センターにおける喫煙問題への取組

(ア) 被告は,本件センターにおいて,安全衛生委員会で度重なる審議を重ね,更に実施に当たっては職員のコンセンサスを得ながら,禁煙タイムの設定,食堂の喫煙コーナーの設置,喫煙室の設置等時間的にも場所的にも部分的禁煙(分煙)の施策を実施してきた。

(イ) 実施当初はこれら施策が必ずしも守られていなかったが,管理職による注意指導及び安全衛生委員会による周知策を繰り返すなどした結果,現在では職員の理解協力のもと,各職場でこれらの施策がきちんと守られている。

エ 原告の主張に対する反論

原告は,快適職場指針やガイドラインを根拠に,職場に一人でもたばこ煙やにおいが嫌だという労働者がいれば,その労働者が,たばこ煙やにおいに悩まされることのないよう,事業者は喫煙対策を講じる義務がある旨主張している。

しかし,快適職場指針は,事業者が快適な職場環境を作ることの重要性を明らかにしたものにとどまり,事業者に指針どおりの環境を作成することまで義務づけるものではない。また,快適職場指針における喫煙対策としては,「喫煙室の設置や禁煙タイムの設定等があり,事業場の実態に応じて適切な対策」をとることとされているのであって,全面禁煙とすべきであるとされているわけではない。

また,ガイドラインは,快適職場指針に基づき,喫煙対策において事業者が講ずるべき基本的な事項等を示しているところ,社会通念として喫煙が個人のし好にかかわるものであることを認めているとともに,喫煙対策の推進に当たっては喫煙者の協力が不可欠であることを十分認識しつつ,喫煙対策の方法としては空間分煙を進めることが適切であると示されている。

したがって,快適職場指針やガイドラインがあるからといって,全面禁煙を求めることができることにはならない。

オ 上記のほか,前述(2(2))のとおり受動喫煙が原因で肺がん等の慢性疾患が発生することは全く証明されていないこと,原告らの受動喫煙による被害が後述のとおり受忍限度内にとどまることなども併せて考えれば,安全配慮義務に基づく本件センターの庁舎の全面禁煙を求める請求及び安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求はいずれも認められない。

なお,受動喫煙が健康に影響を及ぼすとまではいえず,原告らの主張する被害は後述(6(3))のとおりたばこ煙の臭気等の主観的な不快感や頭痛あるいはせき等の一過性の急性の影響にすぎないところ,本件センター内の空気環境が法令に定められた基準に適合していること,本件センターの喫煙対策の取組についても不合理なものではないこと,社会的にも本件センター内においても完全禁煙を求める総意が形成されているとはいえないこと,日常生活においては他に有害物質も存在すること,原告らの要求は結局のところ,喫煙者にはたばこを吸わせないとするものと同様であることなどを総合考慮すれば,原告らが受忍限度を超えて受動喫煙によって被害を被ったとまではいえない。

喫煙が現在の社会通念のもとでも是認されている行為であり,社会全般における喫煙規制の動きも,今なお国民の総意の形成を徐々に図りつつある段階であることを考慮すると,単に受動喫煙の害があること及びたばこがし好品であることをもって,直ちに受忍限度論が排斥されるとするのは相当ではない。

4  「嫌煙権」に基づく禁煙措置を求めることの可否等

(1)  原告らの主張

ア 「嫌煙権」

嫌煙権とは,たばこ煙に汚染された空気を吸うことを他人から強制されない権利であり,日本国憲法13条,27条に由来する人格権の一種であって,後述(イ)のとおり,社会一般に受け入れられ,新しい権利として定着している。

したがって,嫌煙権の侵害に対しては,損害賠償請求が認められるとともに,たばこ煙の被害の性質上,妨害排除や妨害予防のための差止請求が認められる。

すなわち,密閉された空間でたばこが吸われれば,その中の空気はたばこ煙の持つ有害物質で汚染され,その空間の中で社会生活を営む者は,その者がたばこ煙を吸いたくないと思っていても,その汚れた空気を吸うことを事実上強制される。

社会生活上,ある施設内において日常の業務ないし社会生活を営まねばならない場合に,その者の嫌煙権を実質に保障するためには,当該空間の施設管理者に対し,施設内における喫煙規制を要求することが認められる必要がある。このため,嫌煙権は,妨害排除又は妨害排除請求権の一形態として,第三者たる施設管理者に喫煙規制行為を要求することができる権利としてとらえられるべきである。

とりわけ,職場は,労働者が一日の大部分を過ごす空間であり,労働者は,働くことを放棄しない限り,職場を自由に出ていくことはできないし,職場の空気の浄化の努力としても,窓やドアを開けたりするぐらいの消極的な自衛手段しか選択の余地がない。このため,労働者には,職場における喫煙を制限する措置を要求する権利が認められるべきである。

イ 嫌煙権の概念の定着

WHOが,昭和45年に,「喫煙と健康」と題するレポートを発表して以来,喫煙のもたらす健康上の被害からたばこを吸わない人の健康を守ろうとする運動は,全世界的な発展を見せている。日本においても,最近,ようやく受動喫煙の被害の重要性,対策の必要性が認識されるようになり,禁煙車両の増加,駅ホーム及び航空機内の全面禁煙,公共施設や職場の禁煙などの措置が執られ始めている。これらの措置は社会から極めて好感をもって迎えられていることから分かるように,非喫煙者の健康保護の動きが社会的にも定着している。

WHOは,昭和50年に喫煙の健康への影響を報告し,昭和54年にはすべての加盟国に対して,「政府は,一定の職場においては,喫煙が極めて危険であることの認識を喫煙者に持たせるとともに,必要な場合には,立法措置を含む特別な対策を講ずるべきである」旨の勧告をしている。

また,被告も,平成4年5月28日の世界禁煙デーに際し,厚生大臣(当時)が「喫煙は,本人の健康に様々な悪影響を及ぼすだけでなく,周囲の人の健康にも影響を与えるといわれております。このようなことから,1日のうちの多くの時間を過ごす職場においては,たばこを吸う人は,同僚に対して,たばこの煙による迷惑や健康影響を与えないよう配慮する必要があるといえます。今年の世界禁煙デーを契機に,職場における喫煙問題についての議論が高まり,禁煙や分煙への取組が一層進むことを期待します。」と述べ,さらに,平成8年2月,ガイドラインを発表して,受動喫煙の防止のために積極的に取り組むように指示するに至っている。

(2)  被告の主張

ア 「嫌煙権」の内容は,原告らによる定義によっても不明確である。

そして,受動喫煙が人の健康に対して具体的にどのような影響を与えるのかいまだ明らかになっていないのが現状であることを考慮すると,原告らの主張する「嫌煙権」の内容は,結局のところ,抽象的な健康被害の危険性やたばこ煙に対する一般的,抽象的な不快感,嫌悪感にとどまるものであって,人の生命及び身体の安全そのものとは異なり,その性質上,不法行為法上の利益として必ずしも十分に強固ではないし,直接憲法13条等から導き出される実体的な権利とはいえない。

イ なお,原告らは,官公庁や公共交通機関などにおいて,職場などの喫煙に規制を加える動きが広まっており,「嫌煙権」は社会一般に受け入れられ,新しい人権として定着していると主張する。

しかし,喫煙問題についての日本社会の現状は,従来,喫煙のし好及び習慣が長年にわたり社会的承認を受けてきており,今もって相当数の喫煙者が存在することを無視することができない。

また,官公庁や公共交通機関における喫煙に対する規制措置は,各施設の管理者がそれぞれの営業政策や世論の動向などを考慮して,独自の判断によりその裁量で方法や範囲を定めているものであり,社会一般においてもまだ一部にとどまっている上,公共機関の管理者に喫煙を規制する措置を直接義務づけた法規なども存在していない。

このように,喫煙規制の動きが社会一般からみればまだ一部にとどまっていることからすると,現状は,喫煙に関する意識改革,将来的な社会的規制の進展に向けて,国民の総意の形成を徐々に図りつつある段階というほかない。

すなわち,「嫌煙権」は,社会一般に受け入れられているということはできず,非喫煙者が公共機関や職場に対し,直ちに受動喫煙の害を除去する措置を要求する権利を有するに至っているとまではいうことができない。

受動喫煙による原告らの主観的な不快感及び一時的な急性な影響は受忍限度の範囲内であることから,原告らの「嫌煙権」侵害を原因とする損害賠償請求も認められない。

5  不法行為に基づく禁煙請求の可否

(1)  原告X1の主張

前記2(1)のとおり,被告は,原告X1に対する安全配慮義務を怠っているところ,安全配慮義務違反は同時に不法行為の要件をも満たすから,原告X1は,被告に対し,不法行為に基づいても損害賠償を請求するとともに,本件センターの庁舎内を禁煙にすることを求める(民法709条は,差止請求については何も触れておらず,不法行為の効果として差止請求権を認めることも可能である。)。

(2)  被告の主張

争う。

6  受動喫煙による原告らの損害

(1)  原告X1の主張

ア 本件センターの庁舎が禁煙とならなかったため,原告X1は,人格権である嫌煙権を侵害され,肺がん等の病気にり患する危険性が増大したことにより精神的苦痛を被った。これら嫌煙権の侵害及び精神的苦痛を金銭的に評価すれば50万円を下らない。

イ 当初,原告X1は甲事件の訴訟追行を弁護士に委任し,弁護士が辞任するまでは,この弁護士が訴訟を追行していたのであるから,この甲事件の提訴及び訴訟追行に当たって要した弁護士費用30万円は,不法行為ないし債務不履行(安全配慮義務違反)と相当因果関係のある損害である。

(2)  原告X2の主張

原告X2は,本件センターにおける受動喫煙により化学物質過敏症にり患するなどの肉体的苦痛を被ったほか,肺がん等の病気にり患する危険性が増大したことなどにより精神的苦痛を被った。これらの肉体的苦痛及び精神的苦痛を金銭に評価すれば100万円を下らない。

(3)  被告の主張

ア 原告X1は,受動喫煙の際に,たばこ煙の臭気に対する主観的な不快感や嫌悪感を感じているにすぎず,損害は発生していない。

イ 原告X2は,受動喫煙により気管支喘息あるいは化学物質過敏症を被ったと主張しているが,受動喫煙とこれらの疾病との間の因果関係は認められない。

なお,原告X2が気管支喘息にり患していたとしても,気管支喘息は外因,内因等様々な要因が考えられるところ,職場で使う油性マジックや修正液などに対してもたばこ煙と同じような反応をしていることがうかがえることからすれば,原告X2の気管支喘息は職場の受動喫煙が原因で発症したとすることはできない。

また,原告X2が受けたとするたばこ煙抽出物負荷試験についても,たばこ煙抽出物の液体を直接原告X2の舌に浸すという方法であって,受動喫煙の暴露形態とは全く異なる方法である上,そもそも「たばこ煙抽出物」自体どのような物質であるかは不明であるのであって,同試験結果を過大に評価すべきではない。

仮に,原告X2が化学物質過敏症であったとしても,そもそも化学物質過敏症の原因物質や発症のメカニズムはいまだ明確にはされておらず,同疾患に特異的な症状は認められていない上に,室内空気中にはETS以外にも様々な発生源に由来する多くの化学物質が存在するのであるから,原告X2の化学物質過敏症の原因が受動喫煙であると断定することはできない。

結局,原告X2の受動喫煙による被害は,たばこ煙についての主観的な不快感や頭痛あるいはせき等の一過性の影響しか認められない。

ウ そして,これら原告らのたばこ煙についての主観的な不快感や頭痛あるいはせき等の一過性の影響は,受忍限度内にあるといえる。

7  原告X1による本件センターの庁舎玄関前でのビラ配布を本件センターの管理職らが制止したことは,原告X1に対する不法行為に当たるか。

(1)  原告X1の主張

ア 平成7年5月31日ないし同年12月27日までの合計7回にわたる原告X1ほかの本件センターの庁舎玄関前でのビラ配布に対して,本件センターの管理職らは口頭で注意を呼びかけるにとどまらず,原告X1らを威迫した上,前に立ちふさがったり,取り囲んだりしてビラ配布を執拗に妨害する行動をとったものであり,原告X1らの表現の自由を違法に侵害している。

イ 原告X1らは,上記のビラ配布前に本件センター所長の許可を得ていないが,本件センターの庁舎玄関前でのビラ配布には従前から何ら規制されていなかったし,原告X1の配布しようとしたビラは,受動喫煙の害を広く訴えるという極めて公益性を有するものであり,その配布の態様も職場規律を乱すものではなかった。したがって,ビラ配布について形式的に許可を得ていないとしても,ビラを配布する利益(表現の自由)が保護に値しないということにはならず,無許可であることのみをもって,繰り返し威迫を用いてこれを妨害するのは明らかに違法な行為である。

ウ 原告X1は,合計7回のビラ配布を本件センター管理職らに違法妨害されたことによって,重大な精神的苦痛を被った。この精神的苦痛を慰謝するには少なくとも50万円をもってするのを相当とする。

(2)  被告の主張

ア 本件センターの庁舎管理者は本件センター所長であり,所長が庁舎の秩序維持等に支障がないと判断した場合に限って職員のビラ配布が許可をすることができるものとされている。

イ 原告X1らの本件センターの庁舎玄関前でのビラ配布に対して,本件センターの管理職らがその中止を求めることは,職務に基づく適正な行為である。そして,その態様においても社会的相当性を有するものである。

第4当裁判所の判断

1  本件センターの庁舎内禁煙請求の請求の特定(争点1)について

原告らの,本件センターの庁舎(原告X1においては本館,原告X2においては庁舎全部)を禁煙にせよとの請求は,請求原因とも併せると,被告に対し,本件センターの庁舎管理権に基づき,本件センターの庁舎内において職員,外来者を問わず,すべて人による喫煙を禁止し,かつ,適宜の方法で,そのことを周知させ,これを遵守させるようにすることを求めるものであることは明らかである。そして,その内容は,社会通念上容易に理解することができ,被告に対し,困難ないし不可能な措置を求めるものでもない(被告は,その方法,手段が明らかではない旨主張するが,いかなる方法によって,庁舎内の禁煙を実現するかは,被告にゆだねられていることであるから,その手段方法までも特定しなければならないものとは解されない。)。

なお,このような請求が仮に認容された場合,その強制執行は,間接強制によるほかないが,執行裁判所において,債務の履行を確保するための金銭の支払を命ずるに際し,当該作為義務が履行されているか否かを判断することも可能である。

したがって,原告らの本件センターの庁舎内を禁煙にするよう求める請求は,いずれも特定されており,被告の本案前の主張は理由がない。

2  受動喫煙による一般的な健康被害の有無(争点2)について

(1)  受動喫煙とは,自己の意思とは関係なく,その環境にいる限りは不可避的に他人の喫煙によるたばこ煙を吸引させられることをいう。

今日では,喫煙によって,喫煙者自身が肺がんなどにり患する可能性が上昇するだけでなく,自らは喫煙をしない者であっても,受動喫煙によって,急性的には鼻及び喉が刺激されたり,せきなどの症状が生ずることが,広く認められている(当事者間に争いがない)。

(2)  そのうえ,関係証拠(各項の末尾記載)及び弁論の全趣旨によれば,次のような研究によって,受動喫煙による慢性的な健康被害の発生も知られるようになっている。

ア 平山研究(昭和56年)

受動喫煙の害に関する比較的初期の研究として,昭和56年に発表された平山雄によるもの(以下「平山研究」ともいう。)がある。

この研究は,日本の40歳以上の非喫煙者である妻9万1540人及び喫煙者である妻1万7366人及びその夫について,16年間にわたって追跡調査を実施し,その結果,夫の家庭内における喫煙によって,自らは喫煙していない妻にも肺がんにり患する危険を生じていることが統計的に有意と認められることを明らかにし,喫煙者の夫を持つ妻について,受動喫煙により,肺がんにり患する危険性が増加する旨を報告している(<証拠省略>)。

この研究に対しては,16年間の追跡調査の間に夫や妻の喫煙習慣が変化することが考慮されていない,喫煙者の女性が非喫煙者であると回答をする偏りがあるなどの批判がある(<証拠省略>)。

しかし,この研究において,多数の変数について層化解析を行ってもその関連が消えることがないこと,喫煙する妻を持つ非喫煙の夫にも同じ関連が観察されること,肺がん以外の喫煙関連疾患との関連もみられること,適当な数を持つ階層の解析により量反応関係の存在が証明されていること及びコホート研究(疾病発生に関与すると考えられる危険因子の暴露を受けている集団と受けていない集団を追跡し,調べようとする疾病のり患率を観察することによって,その因子の意義を明らかにしようとする研究)と患者対照研究の両方で同様の成績が得られていることなどを考慮すると,ETSが肺がんの危険性を増加させるという仮説は,決定的とまではいえないが,かなり確かなものと考えることができる(<証拠省略>)。

イ EPA報告(平成6年)

(ア) EPAは,平成6年,次のような報告(EPA報告)をした。

これは,喫煙が肺がんをもたらすことの生物学的妥当性及び動物実験及び遺伝毒性試験による証明を前提とした上で,非喫煙者の女性と夫の喫煙量との関係に着目した肺がんと受動喫煙に関する30件の疫学調査(平山研究を含む。)の検討結果に基づくものである。喫煙者の夫を持つ非喫煙女性の肺がんにり患する危険性の増大を示す研究が24件と多かったこと,さらに,うち調査デザイン,実施状況,解析方法の整った19の研究では17研究において危険性の増加が示されたこと,信頼区間90パーセントの片側検定において6研究で危険性の増加が統計的に有意と認められたこと,正の量反応関係が存在することを明らかにした研究が多いこと,偏りの補正後もその関連が有意に存在すること及びその関連が交絡因子では説明できないことなどを総合して,成人の非喫煙者について,ETSにさらされることにより,肺がんにり患する危険性が上昇することが認められるとした(<証拠省略>)。

また,喫煙者の子供には,その親からのETS暴露により,呼吸器刺激症状(せき,たん,喘鳴)が増加し,中耳に浸出液が溜まりやすくなり,小さいが無視できない呼吸機能の悪化がみられるとする。

(イ) この報告に対しては,受動喫煙が肺がんの危険性を増大させるという仮説が統計的に有意であるとは認めていない2論文(ブラウンソンらによるもの及びストックウェルらによるもの)をあえて検討対象から除外している,30件の疫学調査の信頼区間を95パーセントから90パーセントに低下させて統計学的有意性を判断している,統計学的に有意な研究5,6件で結論を導くことはできない,交絡因子を十分に排除しきれていないなどの批判がされている(<証拠省略>)。

しかし,上記2論文は,EPAが報告のための論文収集を締め切った後に発表された論文であり,データがし意的に使用されたわけではない(<証拠省略>)。また,能動喫煙が肺がんにり患する危険性を増大させるということ自体は,平成6年当時,既に是認されていたのであるから,信頼区間90パーセントによる片側検定を行ったことも誤りであるとまではいえない(もっとも,信頼区間を95パーセントとして統計的有意性を判定し,有意でないとしていた原研究について,信頼区間を90パーセントに変更して有意であると評価しなおしたことには疑問がある。)。そして,食習慣などのライフスタイルが異なる様々な国における調査結果が一致していたことは,交絡因子の介在を否定するものといえる(<証拠省略>)。

なお,ノースカロライナ連邦地方裁判所は,平成10年7月17日,EPA報告は,適用されるべき法的要件を遵守せず,不十分な統計的手法を基礎にしており無効である旨の判決(<証拠省略>)を言い渡しているが,このことから直ちに,この報告が科学的な根拠がなく信頼性の低いものと認められるわけではない。

ウ EPA報告後の諸研究

EPA報告の後も,受動喫煙が健康に与える影響について様々な研究が発表されている(<証拠省略>)。

カリフォルニア州環境保護局は,平成9年,受動喫煙により,成人の肺がん,心臓病,乳幼児突然死症候群,気管支喘息の発病の危険性が高くなり,呼吸器疾患,気管支炎,肺炎,浸出性気管支炎が増加し,気管支喘息の発作を悪化させる旨報告し,英国喫煙に関する科学委員会も,平成10年,受動喫煙により成人の肺がん,心臓病にり患する危険性が高くなり,呼吸器疾患が増加するとしている。

また,Heらは,平成11年,疫学調査18件をまとめた結果として,受動喫煙によって心筋こうそくにり患する危険性が高くなる旨を発表している。

さらに,Kreuzerらは,平成12年,職場での受動喫煙に高度に暴露されているグループは肺がんにり患する危険性が増大していることが統計学的に有意である(オッズ比1.93。95パーセント信頼区間は1.04―3.58)と報告している。

エ 以上によれば,受動喫煙によって肺がん,心筋こうそく,気管支喘息の発病の危険性が高くなり,脳血管疾患,胎児や乳幼児の発育障害などがもたらされる危険性も認めることができる。

オ なお,上記認定に関し,被告は,以下のとおり主張し,文献等を提出しているが,各箇所で説示するとおり,上記認定を左右するに足りるものではない。

(ア) 受動喫煙が肺がん,呼吸器疾患等の疾患と無関係であるとする諸報告について

被告は,受動喫煙が肺がん,呼吸器疾患など関係がないとする報告が多数あると主張し,これに沿う文献(乙16,乙39,乙40,乙42ないし乙44)を提出している。

しかし,このうち,乙16は,平成6年11月7日までに,乙40は,平成8年11月までに,乙42は,平成6年5月までに,乙43は,平成6年までに,乙44は,平成8年11月までに,それぞれ執筆された論文であって,最新の知見に基づいたものとは認め難い。

また,乙39は,WHOの附属研究機関である国際がん研究機関が,平成9年に報告したものである。これによると,同機関が調整した,ヨーロッパ7箇国12のセンターに登録された肺がん患者650例と対照1542例についての疫学的調査の結果として,肺がんの相対的危険度は,配偶者からのETS暴露群で1.16(95パーセント信頼区間は0.93―1.44),職場でのETS暴露群で1.17(0.94―1.45),配偶者及び職場双方でのETS暴露群で1.17(0.88―1.47)と統計的に有意な関係がなく,幼児期の肺がんとETSの暴露との間には関係がないとされている。

しかし,上記調査の結果は,平成10年,正式の医学論文として公表されたが,これによると,配偶者からのETS暴露及び職場でのETS暴露と肺がんの発生との間に弱いながらも量反応関係が存在する証拠を見いだしたとされており(<証拠省略>),乙39によって,ETS暴露と肺がんの発生との間に統計的に有意性があるという結論が左右されるわけではない。

(イ) 動物実験において腫瘍が増加しなかったとする報告について

被告は,高濃度の副流煙を実験動物に吸入させる方法による動物実験において,腫瘍の形成が認められないと主張し,これに沿う文献(乙45)を提出する。

しかし,副流煙濃縮物は,これを肺内に投与したり,皮膚に塗布する試験によって,発がん性が証明されており,主流煙及びETSの両方における遺伝毒性試験の結果も陽性であって,主流煙及びETSがともに発がん性を有することが証明されているほか,受動喫煙の発がん性を強く示唆する基礎的臨床的知見が存在することも認められている(甲259)。また,乙45は,平成5年までに執筆された論文である上,論文の執筆者は,R.J.レイノルズたばこ株式会社に属していることをも考慮すると,乙45及びこれに基づく被告の主張は採用することができない。

(ウ) 被告は,「受動喫煙と肺がんとの間に関連があったとしても,その関連は極めて低いものと考えられ,現状では十分な蓋然性をもって裏付けるに至っていない。」としたたばこ事業等審議会の答申「喫煙と健康の問題に関連するたばこ事業のあり方について」(乙10)を現時点までのわが国における喫煙と健康の問題に関する医学的知見の到達点と主張する。

しかし,上記答申は,平成元年5月30日に,たばこ事業等審議会が喫煙と健康問題総合検討部会における審議の結果に基づいて,大蔵大臣に答申したものであるが(乙10),それが,受動喫煙と健康との関係についてもその時点における医学的知見の到達点と認めるに足りる証拠がない上,受動喫煙と健康の関係については,この答申後,十数年を経過し,前記EPA報告を始め,重要な諸研究が数多く発表されているところであって,この答申が,現時点における医学的知見の到達点であるとは到底認めることができない。

3  喫煙に関する法的規制,社会的な意識等の変化

(1)  わが国においては,従前,喫煙に対して比較的寛容であったが,たばこ煙の健康に与える影響が明らかになるに従って,以下の例にみられるように,喫煙に対する意識,社会における取扱いも変化してきている。

ア 東海道新幹線においては,昭和55年4月当時,こだま号にのみ1両だけ禁煙車が設置されるにとどまっていたが,順次,禁煙車が増加され,平成8年4月には,種別を問わず,16両編成のうち10両が禁煙車とされている(<証拠省略>,弁論の全趣旨)。

また,公共施設,官公庁,企業等においても,喫煙室等を設置した上,執務室等における喫煙を禁止するなどして,空間分煙を行う事例が増加してきている(公知の事実)。

イ また,人事院職員局福祉課は,平成8年6月,一般職の職員の給与に関する法律の適用を受ける職員を対象に「喫煙についての意識調査」を実施した。

その結果は,喫煙が周囲の人々の健康に及ぼす影響について,「非常に悪い」と回答した者が43.1パーセント(喫煙者では26.1パーセント),「悪い」と回答した者が45.2パーセント(同53.7パーセント)であって,これらの合計は88.3パーセント(同79.8パーセント)であった(<証拠省略>)。これによると,平成8年には,喫煙者を含めて圧倒的多数の者が喫煙が周囲の人々の健康に悪い影響を及ぼすと考えていることになる。

(2)  喫煙に関する法的規制等の推移

喫煙に関しては,以前は,法的な規制はほとんど行われていなかったが,前記のような社会的意識ないし取扱いの変化に伴って,法令等においても受動喫煙を望まない人々への配慮が求められるようになってきた。

ア 快適職場指針

労働安全衛生法71条の2は,事業者は事業場における安全衛生の水準の向上を図るため,快適な職場環境の形成に努めなければならないとしており,これを具体化する指針として,平成4年7月,労働大臣告示として快適職場指針が公表された。

この指針は,事業者に対し,快適な職場環境の形成を図るため,屋内作業場において,必要に応じ,喫煙場所を指定するなどの喫煙対策を講ずることを求めている(同指針第2の1(1))。

もっとも,この指針は,各事業者に対し,喫煙対策を講ずることを法的に義務づけたものではない。

イ 職場における喫煙対策のためのガイドライン(<証拠省略>)

労働省は,平成8年2月,喫煙の影響が非喫煙者の健康に及ぶことを防ぎつつ,喫煙者と非喫煙者が良好な人間関係の下に就業できるよう,事業場において事業者が講ずべき原則的な措置を定めることにより,労働者の健康を確保するとともに,快適な職場環境の形成の促進を図ることを目的として,ガイドラインを作成し,通達によって公表した。

このガイドラインは,職場における喫煙対策を推進するに当たっては,喫煙者と非喫煙者が相互の立場を尊重することが重要であり,喫煙対策の方法として,喫煙者と非喫煙者の間で合意を得やすい空間分煙を進めることを基本とし,個々の事業場の実態を踏まえた喫煙対策計画を策定して推進すべきであるとしている。

もっとも,このガイドラインは,法令としての効力を有しておらず,各事業者に対し,喫煙対策を講ずることを法的に義務づけたものではない。

ウ 健康増進法

本件の口頭弁論終結後ではあるが,健康増進法(平成14年法律第103号)が平成14年8月2日に公布され,同法附則1条により,公布の日から起算して9月を超えない範囲内において政令で定める日から施行することとされているところ,同法25条は,学校,体育館,病院,劇場,観覧場,集会場,展示場,百貨店,事務所,官公庁施設,飲食店その他の多数の者が利用する施設の管理者に対し,施設の利用者について,受動喫煙の防止をするために必要な措置を講ずるように努めなければならない旨を規定している。

エ なお,公共機関等の管理者に直接喫煙を規制する措置を義務づけた法規などは,現時点においては存在していない。

4  本件センターにおける喫煙の規制の推移,本件センター庁舎の換気の状況等

当事者間に争いのない事実,各末尾の記載の関係証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実を認めることができる。

(1)  電子計算機室における喫煙の規制

本件センターでは,電子計算機室内の機械を正常に保持,管理するため,昭和52年6月以降,庁舎管理者及び所属長としての権限に基づき,同室内における喫煙は,終日,禁止されており(<証拠省略>),職員は,これを遵守している。

(2)  本件センターにおける一般的な喫煙の規制

ア 安全衛生委員会における喫煙対策の審議の開始

本件センターにおいては,通達により,労働安全衛生法17条から19条までの規定に基づいて安全衛生委員会が設置され,原則として毎月1回開催されている。安全衛生委員会は,職場における労働災害の防止及び保健衛生の維持向上に関する重要事項について本件センター所長に意見を述べることを任務とするものであるが,所長の諮問に基づいて調査審議するほか,委員会が必要と認めた事項についても調査審議することができることとされている。安全委員会の委員の半数は,本件センターの管理者等から選任し,その他の委員は,管理者等の以外の職員(本件センターの職員の過半数を占める労働組合があるときは,その推薦する者)の中から選任することとされている(<証拠省略>)。

安全衛生委員会は,平成2年5月18日,喫煙対策を初めて審議対象とし,同年6月15日及び同年7月20日に,具体的な検討を行った(<証拠省略>)。

イ 禁煙タイム及び食堂における喫煙コーナーの設置並びにその遵守状況

(ア) 安全衛生委員会は,平成2年7月31日,勤務時間のうち午前8時30分からの1時間及び午後1時15分からの1時間を禁煙タイムとして職場における喫煙を自粛することを議決した。本件センターにおいては,同年8月6日,全職員に対し,「職員の皆さまへご協力のお願い」と題する文書を配布し,「強制ではない」と前置きした上で,午前8時30分から1時間,午後1時15分から1時間を「禁煙タイム」とすること,各種会議でも禁煙に協力すること,窓を時々開け空気の入れ換えをすることを勧めた(<証拠省略>)。

(イ) 安全衛生委員会は,同年11月16日,本件センター講堂棟1階の食堂内の一角に「喫煙席」を設置することを議決し,月1回所内放送で「禁煙タイム」への協力要請を放送することを提言した。

本件センターにおいては,同年12月1日,上記議決に基づき食堂内に喫煙席を設けた上,その旨の文書を各係単位で配布し,協力を求めた(<証拠省略>)。

安全衛生委員会は,同年12月14日,毎月1回安全衛生委員会の開催日に,「禁煙タイム」への協力を求める所内放送を流す旨を議決し,食堂内の喫煙席に換気扇を設置することを提言した。この提言を受けて,平成3年2月24日に食堂内の喫煙席に換気扇が設置された(<証拠省略>)。

また,そのころから,上記の提言,議決に基づき,毎月1回,「禁煙タイム」への協力を求める所内放送が流された(<証拠省略>)。

(ウ) もっとも,本件センターでは,平成4年から平成7年ころまでの間,管理職,非管理職を問わず,相当数の職員が,「禁煙タイム」中に,自席でたばこを吸っていたし,食堂内の「喫煙席」以外での禁煙も,全職員が遵守しているわけではなかった(原告X1本人)。

ウ 図書室の禁煙

(ア) 安全衛生委員会は,平成4年10月20日,本件センター講堂棟2階の図書室を,同月26日から同年11月25日までの1か月間試行的に,終日禁煙とすることを議決した。本件センターにおいては,この議決に基づいて図書室の終日禁煙を試行することとし,同年10月26日,全職員に対して文書を配布して協力を求めた(<証拠省略>)。

(イ) 安全衛生委員会は,同年11月24日,図書室の終日禁煙を本格的に実施することを議決し,本件センターにおいては,この議決に基づき,同月26日,図書室の終日禁煙を実施し,全職員に対して文書を配布するとともに所内放送を行って協力を求めた(<証拠省略>)。

(ウ) 本件センターの職員は,図書室が禁煙とされてからは,その中で喫煙しなくなった。なお,本件センター講堂棟2階にある会議室は,図書室とはパーティションで区切られているだけであるが,禁煙とはされなかったため,会議室内での喫煙によるたばこ煙が図書室内に流れてくることがある(原告X1本人,<証拠省略>)。

エ 喫煙室の設置

(ア) 安全衛生委員会は,ガイドラインが示されたことから,平成8年4月5日,本件センターの全職員を対象に喫煙対策に関するアンケートを行った。

アンケートには,職員のうち559名(そのうち喫煙者は132名)が回答したが,事務室内に喫煙室を設け,その他を禁煙とする案について,賛成が268名(うち喫煙者50名),反対が176名(うち喫煙者67名),事務室内を禁煙とし,事務室外(廊下等)に喫煙場所を設ける案については,賛成が285名(うち喫煙者27名),反対が179名(うち喫煙者90名),本件センターの庁舎内を全面的に禁煙にする案については,賛成が114名(うち喫煙者2名),反対が273名(うち喫煙者118名)であった(<証拠省略>)。

本件センターにおいては,上記アンケートの結果を踏まえ,平成8年5月27日,センター1階の面会室を喫煙室とし,分煙対策として喫煙室を設置したことを知らせ,喫煙者の協力を求める旨の文書が全職員に配布された(<証拠省略>)。

(イ) また,本件センターにおいては,1階喫煙室の利用状況を踏まえ,同年7月1日,各階に喫煙室が設置され,その旨及び喫煙は喫煙室を利用するよう協力を求める文書が全職員に配布された(<証拠省略>)。

しかし,本件センターでは,喫煙室以外の事務室における喫煙を禁止していたわけではない(<証拠省略>)。

(ウ) 本件センターでは,平成9年4月当時,喫煙室でのみ喫煙するようにしている者も多かったが,管理職も含めて相変わらず事務室内の自席等で喫煙する者も十数名ほどいた(<証拠省略>)。

なお,禁煙タイムは,喫煙室設置後も存続されていたが,全逓信労働組合の京都簡易保険事務センター支部は,平成8年8月6日,喫煙室内での禁煙タイムの撤廃を求めており,禁煙タイム中の禁煙は,徐々に遵守されなくなっていた(<証拠省略>)。

(エ) 当裁判所は,平成10年3月20日,本件センターの庁舎を検証したが,そのころを境に,喫煙をする者の大多数が喫煙に際して喫煙室を利用するようになり,喫煙室以外の事務室等において喫煙する者はほとんどいなくなった(原告X1本人)。

(オ) なお,本件センターでは,平成9年7月30日から同年10月11日にかけて耐震工事が施工され,本館2階及び本館3階の喫煙室が移動された。また,平成10年7月27日,本館3階に喫煙室が増設された(<証拠省略>)。

(3)  本件センターにおける換気等の状態

ア 本件センターにおける換気の全般的な状況

(ア) 本件センターの建物の概要

本件センターは,主な建物として,地下1階地上5階建ての本館棟,地下1階地上2階建ての講堂棟,機械棟(1),機械棟(2)がある(<証拠省略>)。

本件センターの建物は,側面の大部分がガラス窓となっており,腰壁部分を除いて縦約180センチメートル横約98センチメートルのガラス窓で,いわゆるはめごろしの窓と可動窓が交互に並んでおり,可動窓は容易に開閉することができ,窓の開閉により換気を行うことができる(検証の結果)。

本件センターの庁舎付近には,風を遮るような高層建築物などは存在せず,また,本件センターの事務室は大部屋が多いため,各部屋を隔てる壁も少なく,多くの室内は通気性の良い構造となっている(<証拠省略>)。

(イ) 本件センターの換気方式

本件センター本館には,「本館南東」と「本館西北」の2系統からなる中央管理方式の空調設備が設置されている。屋上に設置された吸気口から取り込まれた空気は,空調機械室に設置された空気濾過器(エアフィルター)によって外気の粉じん等が取り除かれ,その後同室に設置された暖冷房機で適当な温度に調節された後,事務室等に吹き出されている。

事務室内等の空気は,空気吸込口から吸い込まれ,その約20パーセントは外部に排出され,残りの80パーセントは循環用ダクトを経て再びエアフィルターの入口に戻され,外部から取り込まれた新しい空気と混合して再び室内へと送られる(<証拠省略>)。

(ウ) 事務所衛生基準規則への適合性

事務所衛生基準規則は,中央管理方式による空調設備が設置されている場合,室に供給される空気が,浮遊粉じん量(1気圧,温度25度とした場合の空気1立方メートル中に含まれる浮遊粉じんの重量)が0.15ミリグラム以下であり,空気中に占める一酸化炭素及び炭酸ガスの含有率がそれぞれ100万分の10以下(外気が汚染されているために,一酸化炭素の含有率が100万分の10以下の空気を供給することが困難な場合は,100万分の20以下),100万分の1000以下となるように設備を調整しなければならない(同現則5条1項)としているところ,本件センターの各事務室に供給されている空気はこの基準を満たしている(<証拠省略>)。

もっとも,たばこ煙に含まれる化学物質は,4000種類以上存在するとされているところ(<証拠省略>),事務所衛生基準規則は,受動喫煙の害が問題とされる前に制定されたものであって,受動喫煙の観点からすると,この基準に適合しているからといって,本件センターの庁舎内の空気が清浄であるということにはならない(エアフィルターでは,ガス成分を除去することができず,また,小さな粒子を除去することも困難であることは推測し得る(<証拠省略>)が,本件センターの空調設備によって,どのような化学物質がどの程度,除去し得ないままであるのかは,不明である。)。しかし,この基準に定めがなく,かつ,測定が容易で喫煙対策の指標となるべきものに限っても,ETSに含まれる化学物質が,本件センターの事務室内に,存在するかどうか,存在するとしても,その濃度がどの程度であるのかについての主張立証はない。

イ 喫煙室の設置状況及び喫煙室の換気の状況

(ア) 本館2階ないし5階,機械棟1,2階の各事務室内に設置された喫煙室

a 喫煙室の状況(<証拠省略>)

本件センターの喫煙室は,窓際の約4平方メートルの範囲を36ミリの厚さのカラー鋼板のパーティションで区切った上,出入口として片開きのドアを設けたものである。ドアの下部には,吸気のための開口部1個があり(なお,一部の喫煙室には開口部がボール紙でふさがれているものもある。),各喫煙室の窓には,換気扇が設置されている。

喫煙室は,このように,既存の建物の一部をパーティションで区切って設けられたため,天井の蛍光灯設置箇所の付近などでは,上記パーティションに透き間が存在していることがある。

b ETSの漏出状況(<証拠省略>)

喫煙室では,ドアを完全に閉め,開口部をふさいだ上で換気扇を回すと,室内の気圧が低下し,外部に排出される空気が少量になる。このような状態で喫煙室のドアを開けば,室内のETSを含んだ空気が事務室に漏れ出すことになる。また,風向きなどによっては,喫煙室内のETSが開口部を通じて事務室に漏れ出てくることもあり得るし,蛍光灯設置箇所付近のパーティションに透き間がある喫煙室(前記a)の場合,室内のETSがこの透き間から漏れ出てくることもあり得る。

さらに,ETSは,いったんは屋外に排出されたとしても,その上階の窓から再び事務室内に入ってくることもあり得ないわけではない(原告X2本人尋問)。

c ただし,事務室内に漏れ出てくるETSの量や,その漏出の頻度は,明らかではない。また,このように事務室内に漏れ出てきたETSは,相当に拡散し又は希釈されていると考えられ,結局,ETSに含まれる化学物質が,どの程度,本件センターの事務室内に漏れ出てくるのかは不明である。

(イ) 本館1階に設置された喫煙室(<証拠省略>)

もと面会室として使用されていた部屋を喫煙室に変更したものである。窓には換気扇が設置されている。

ウ 食堂における喫煙席の状況

(ア) 食堂における喫煙席の設置状況等(<証拠省略>)

講堂棟1階にある食堂では,北側の窓際40席が喫煙席とされ,テーブルに灰皿が設置されている。禁煙席は,喫煙席の南側に位置している。喫煙席と禁煙席の仕切りなどは,設けられていない。

換気扇は,喫煙席から若干離れた北西側に1個設置されている。また,扇風機が喫煙席の西端から北側(換気扇のやや東)に設置されている。

なお,空調設備の空気吸込口が,食堂の南側にあるホールに設置されている。

(イ) 食堂における換気状況(<証拠省略>)

上記のように,空調設備の空気吸込口が食堂南側に設置されていることから,空気は,全体として,食堂の北側から南側に向かって流れている。また,扇風機が換気扇の東側に設置されているため,扇風機を稼働させると,ETSを含んだ空気が拡散されてしまうことになる。

このため,食堂では,ETSが禁煙席にまである程度流れてくることがある。ただし,その量や濃度は,不明である。

エ 以上のとおり,喫煙室から若干のETSが流れ出てくるものと推測されるが,事務室内ではそのETSが拡散,希釈されるとみられること,中央管理式の空調設備の空気濾過器でガス成分を取り除くことはできないものの,ETSにさらされる機会が少なく,その濃度も高くはないことは推認することができる。

5  受動喫煙による原告らの被害の有無及び程度

(1)  原告X1

ア 証拠(<省略>)によると次の事実を認めることができる。

(ア) 原告X1は,従来は,1日100本程度のたばこを吸っていたが,昭和63年4月に禁煙した。禁煙するとほぼ同時に,周囲の喫煙者から流れてくるたばこ煙,あるいはたばこ臭を感じると,気分が悪くなるようになった。

(イ) 原告X1は,本件センター内の喫煙室から流れ出してくるたばこ煙を吸うと胸がむかむかする,気持ちが悪くなるのを感じるという。

(ウ) また,原告X1は,現在,喫煙室から離れた第一支払部近畿支払課司計係において就労しており,自分の席にとどまっている限り,喫煙室から漏れ出てくるたばこ煙を直接吸うことはないが,所用等のためそこを離れれば,喫煙室から漏れ出てくるたばこ煙を吸うことがある。また,窓を開けると,下階の喫煙室から換気扇を通じて外に出されていたたばこ煙を吸うことがある。

イ しかし,原告X1が受動喫煙を原因とする疾病にり患したことを認めるに足りる証拠はない。

(2)  原告X2

ア 証拠(<省略>)によれば,次の事実を認めることができる。

(ア) 原告X2は,たばこ煙が流れてくる,あるいは,たばこのにおいを感じると,首筋の神経が痛くなり,激しい頭痛と悪心といった自覚症状を有する。

また,喫煙者が喫煙室等でたばこを吸って戻ってきたときに喫煙者の衣服や身体に残存しているたばこのにおいを感じたり,喫煙者に染みついているたばこのにおいを感じるだけでも,気分が悪くなるという。

(イ) 原告X2は,平成11年6月29日,北病院において気管支喘息との診断を受けた。

また,原告X2は,平成13年4月9日,北里研究所病院において,たばこ煙抽出物負荷検査を受け,たばこ煙抽出物による負荷を受けると脳循環血流量が低下し,末梢循環血流量が増加すること,情緒不安定,認識力低下,集中力低下,脱力感等の大脳辺縁系症状が強く出現することが認められた。同病院のA医師は,これらの検査結果に基づき,同年5月7日,原告X2の症状について,たばこ煙に含有する化学物質を要因とする化学物質過敏状態による中枢神経・自律神経機能障害と診断した。

さらに,原告X2は,平成14年5月2日,京都大学医学部附属病院において,化学物質過敏状態による中枢神経・自律神経機能障害が持続している旨の診断を受けている。

イ なお,被告は,たばこ煙抽出物負荷試験が「たばこ煙抽出物」を舌に浸すという方法で行われていることについて,受動喫煙の暴露形態と全く異なる方法である旨を指摘する。

しかし,ある物質がアレルギー源となっている(ママ)否かを調べる際,皮膚に当該物質を含む溶液等を塗布するパッチテスト等の方法は一般的に行われているところであって,負荷の方法が実際の受動喫煙の暴露形態と異なることの一事をもって,因果関係の可能性を否定することは相当ではない。

もっとも,上記たばこ煙抽出物負荷試験における「たばこ煙抽出物」がどのような化学物質であるか明らかでないほか,仮に,たばこ煙抽出物による化学物質過敏症が認定し得たとしても,原告X2の症状がたばこ煙以外の環境因子によって生じたものである可能性が排除されるわけではなく,原告X2の上記アのような症状が本件センター庁舎内の受動喫煙による化学物質過敏症によるものと認定するための十分な証拠があるとまではいえない。

6  原告らの禁煙請求及び損害賠償請求の当否(争点3ないし争点5)について

上記2ないし5認定の事実に基づき,原告らの禁煙請求及び損害賠償請求の当否について検討する。

(1)  禁煙請求の当否

ア 被告は,原告らを任用しているところ,国は,公務員に対し,国が公務遂行のために設置すべき場所,施設又は器具等の設置管理に当たって,公務員の生命,健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている(最高裁判所昭和48年(オ)第383号同50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁)。

この安全配慮義務は,もともとは,係る義務違反によって損害を受けた者の国に対する損害賠償請求の場面で認められてきたものではある。しかし,生命,健康等に対する現実的な危険が生じているにもかかわらず,国が公務員の生命,健康等を危険から保護するための措置を執らず,それが違法と評価される場合であっても,安全配慮義務を理由に危険を排除するための措置を執ることを求め得ないのであれば,公務員の生命,健康等の保護に十分ではないことを考慮すると,このような場合には,安全配慮義務を根拠に,上記の措置を執ることを求め得ると解する余地はある。

イ また,前記認定の受動喫煙の危険性を考慮すると,受動喫煙を拒む利益も法的保護に値するものとみることができ,「嫌煙権」という言葉の適否はともかく,その利益が違法に侵害された場合に損害賠償を求めるにとどまらず,人格権の一種として,受動喫煙を拒むことを求め得ると解する余地も否定することはできない。

ウ しかし,前記認定の受動喫煙による健康被害も,一般的,統計的な危険性であって,ETSに暴露される者に,暴露時間,暴露量等にかかわらず現実的な危険が生じるというものでもないこと,喫煙は単なるし好であるとしても,現時点においては,社会的には許容されている行為であって,職場以外でETSに暴露されることもあり得ること,快適職場指針やガイドラインにみられるように,職場における受動喫煙対策の主流は空間分煙であること等を考慮すると,被用者をETSに少しでも暴露される環境の下におくことが安全配慮義務に反するものであり,違法であるとはいうことができない。

エ そして,本件センターにおいては,前記認定のとおり各階に喫煙室が設けられ,平成10年3月ころを境に,喫煙者は,換気装置を設けた喫煙室(及び食堂の喫煙席)でのみ喫煙をするようになり,現時点では空間的な分煙は図られており,そのような状況は今後も継続することが期待できる。また,喫煙室から漏れ出すETSがいくらかは存在するにしても,その量及び濃度はわずかであって,原告X1の訴える被害も一時的な不快感にとどまる上,原告X1が日常執務する席は喫煙室からは遠く,そこから漏れ出してくるETSに暴露される程度は低いこと,原告X2についても,その化学物質過敏症による症状が本件センターにおける受動喫煙と因果関係があるとまでは認められないことを総合考慮すると,本件センター庁舎内の現状程度の分煙をもって,原告らに対する安全配慮義務に違反し,違法であるとまではいうことができない(なお,食堂については,原告らにおいて,その利用を余儀なくされていることを認めるに足りる証拠はないところ,食堂の利用を避けることによって,食堂における受動喫煙を避け得ることを考慮すると,食堂における空間的分煙が十分ではないことが,直ちに違法であるとはいえない。)。

オ 結局,現時点では,本件センターの庁舎内を全面的に禁煙としないことが,原告らに対する安全配慮義務に違反し,違法であるとまでいうことはできないから,原告らの禁煙請求は(不法行為に基づくものも含め)理由がない。

(2)  損害賠償請求について

ア 前記のとおり,喫煙者が喫煙室でのみ喫煙をするようになった平成10年3月ころ以降の本件センター庁舎内の状況は,安全配慮義務に違反し,違法なものであるとまではいえないから,そのころ以降の状況に基づく本件センターの庁舎を禁煙としなかったことを理由とする損害賠償請求は,すべて理由がない。

イ また,そのころ以前は,前記認定のとおり,全く分煙が図られていなかったときから,喫煙室が設けられたものの,なお執務室で喫煙する者が管理職を含めて存在した時期まで,原告らがある程度の受動喫煙を余儀なくされたことは否定することができない。

しかし,受動喫煙による健康被害は,昭和56年の平山研究はあるものの,平成6年のEPA報告及びその後の前記認定の各種の報告等を通じて一般的に認識されるようになったものであること,EPA報告等に対しては強い批判的な意見も表明されていたこと,本件センターにおいても,禁煙タイムの設定,食堂に喫煙席を設け,さらには,まず本館1階に喫煙室を設け,これを各階に増やすなど,次第に分煙の試みもされていったことを考慮すると,喫煙室を設けたにもかかわらず,これを利用せず執務室において喫煙をする者が管理職を含めて少なくない状態で推移するにまかせた点など不適切な点はうかがえるものの,本件センターの庁舎内を全面的に禁煙にしなかったことをもって違法であるとは評価することができない。

そうすると,平成10年3月ころ以前の状況に関しても,本件センターの庁舎を禁煙としなかったことを理由とする損害賠償の主張はすべて理由がない。

7  本件センターの庁舎玄関前におけるビラの配布を妨害されたことを理由とする原告X1の請求(争点7)について

(1)  前記第2の2(3)の事実に加えて,証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる。

ア 原告X1は,他2,3名とともに,平成7年5月31日,同年6月27日,同年7月13日,同年8月30日,同年9月25日又は26日,同年10月27日及び同年12月27日の,いずれも午前7時40分ころから午前8時25分ころまでの時間帯に,本件センターの敷地内,庁舎玄関前において,出勤してきた本件センターの職員に対し,「京都簡易保険事務センター・職場の分煙訴訟原告団」名義で,受動喫煙の害を訴え,本件センターの全面禁煙を求める旨のビラを配布した。

これに対し,本件センターの管理職らは,ビラの配布が本件センター所長による事前の許可を得ないままされたことを理由に,原告X1らの前に立つなどして,上記ビラの配布を妨げ,配布を中止するように促した。

原告X1は,管理職らに対し,ビラの配布について許可を得るにはどうすればよいのかと質したが,管理職らは,回答しなかった。

イ 本件センターの庁舎等は,その敷地を含めて,国有財産法3条2項4号に規定される行政財産であって,郵政大臣(当時。以下同じ。)が管理していた(同法5条)。

郵政大臣は,郵便局等の庁舎の適正な管理を行うため,郵政省庁舎管理規程(平成元年公達第17号,以下「庁舎管理規程」という。)に基づき,本件センターの所長に対し,その庁舎管理権を委任しており,本件センター所長は,本件センターを管理する権限を有していた(庁舎管理規程4条,別表第1)。

本件センターの職員は,本件センターの管理権を有している本件センターの所長から許可を得た場合を除いて,本件センターの庁舎を,その目的外に使用してはならず,また,演説やビラ配布等が禁止されている(同規程7条,9条)。

ウ なお,全逓信労働組合の京都簡易保険事務センター支部が,本件センターにおいて機関誌を配布する場合については,それが労働組合の運営上重要な手段であることに鑑み,勤務時間外において平穏な方法によってなされる限り,便宜上,包括的な庁舎管理規程による許可があったものとして取り扱われている(弁論の全趣旨)。

(2)  本件センターの管理職らが,原告X1に対し,ビラの配布を中止するように求めた行為は,前記のような庁舎管理の規定に基づいたものであるから,その態様自体が暴力を行使するなど,相当な範囲を逸脱したものでない限り,不法行為を構成するものではないというべきところ,上記7回のビラ配布の際,本件センターの管理職がビラ配布の中止を求めるについて,暴力を行使するなどの方法によったことを認めるに足りる証拠はない。

(3)  なお,原告X1は,最高裁判所平成3年(行ツ)第155号同6年12月20日第三小法廷判決・民集48巻8号1496頁を引用し,本件センターにおけるビラの配布が表現の自由として保護されるべき旨を主張している。

しかし,同判決は,私立学校における教職員が労働組合のビラを配布した事例において,無許可のビラ配布行為という理由のみによって懲戒することはできない旨を判断したものであって,本件とは,事案を異にしている。

また,本件センターの管理職らが,原告X1に対し,前記ビラの配布を中止するように求めた際に,本件センターの所長から許可を受ける方法を教示しなかったこと自体は,不法行為を構成するものではない。

(4)  以上によれば,本件センターの管理職が原告X1に対し,前記ビラの配布を中止するように求めたことが不法行為を構成するとは認められず,これと異なる前提に立った原告X1の請求は,その他の点を検討するまでもなく,理由がない。

8  原告X1による民事訴訟法249条3項に基づく証人尋問の申請について

(1)  当裁判所の合議体を構成する裁判官は,証人B,証人Cの尋問が実施された後,全員が交代していたところ,原告X1は,いずれも民事訴訟法249条3項に基づき,平成14年2月26日の本件第34回口頭弁論期日において,証人Bの再尋問を,同年4月23日の本件第35回口頭弁論期日において,証人Cの再尋問を,同年7月23日の本件第36回口頭弁論期日において,証人B及び同Cの再尋問を申し出た。

(2)  しかし,民事訴訟法249条3項は,合議体の裁判官の過半数が交代した場合であっても,再度の尋問の必要性がないことが明らかな場合や,直接尋問することによって証言の信用性を吟味する必要性がない場合などについてまで,再尋問を必ず行わねばならないとするものではないと解される。

ところで,証人Bの尋問は,本件第15回及び第16回の各口頭弁論期日において実施され,同証人は,受動喫煙の害について,文献ないし意見書等(甲40ないし甲44,甲48ないし甲54)の内容について証言した。その証言は,専門的知見を陳述したものであって,証人がその体験を証言した際の態度などによって,当該証言内容の信用性を吟味されるのとは異なり,本来,書面による陳述で足りる鑑定人の意見と類似しており,その信用性は,陳述された内容自体によって判断されるべきものであって,これを改めて直接尋問することによってその信用性を吟味すべきものではない(なお,同証人の専門的知見は,甲258及び甲259の両意見書により,重ねて提出されている。)。

また,証人Cの尋問は,本件第20回口頭弁論期日において実施されたが,その証言内容は,同証人が大阪市交通局における禁煙措置を求めて提訴した経緯及び大阪市交通局の職場における受動喫煙によって被った同人の被害などに尽きるのであって,原告らが本件センターにおける受動喫煙によって被ったという被害とは直接の関係がなく,もともと同人を証人として採用する必要性が存しなかったものである。

そうすると,前記の観点からは,いずれも再尋問の必要性はないというべきである。当裁判所は,このような事情を考慮して,これらの証人の再尋問の申出をいずれも却下したものである。

9  結論

以上によれば,原告らの請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について,民事訴訟法61条,65条に従い,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上敏 裁判官 亀井宏寿 裁判官 尾河吉久)

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