京都地方裁判所 平成4年(ワ)840号 判決 1994年8月30日
原告
石田多恵子
ほか一名
被告
川島實
ほか一名
主文
一 被告らは、各自、原告石田多恵子に対し、金一三五五万〇五三一円及び内金一二五五万〇五三一円に対する昭和六二年八月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告石田多恵子のその余の請求及び原告石田健の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を被告らの、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告らの請求
被告らは、各自、原告石田多恵子(以下「原告多恵子」という。)に対し、金二九七二万三〇〇八円及び内金二六九二万三〇〇八円に対する昭和六二年八月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
被告らは、各自、原告石田健(以下「原告健」という。)に対し、金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和六二年八月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、対向車に正面衝突されて傷害を負つた車両の同乗者とその子が、対向車の運転者及び所有者に対し、自賠法三条及び民法七〇九条に基づき、損害賠償を請求した事件である。
一 争いのない事実
1 交通事故の発生(以下「本件事故」という。)
(一) 日時 昭和六二年八月三日午前四時四五分ころ
(二) 場所 京都府宇治市木幡北山畑二番地先路上(府道京都宇治線、以下「本件道路」という。)
(三) 加害車両 被告川島實が所有し、被告川島清志が運転していた普通乗用自動車(京五九つ二三五四、以下「被告車」という。)
(四) 被害車両 訴外石田忍が運転し、原告らが同乗していた普通乗用自動車(京五九ち五三五六、以下「原告車」という。)
(五) 事故態様 本件道路を南進中の被告車が、対向車線に進出し、本件道路を北進してきた原告車に正面衝突した。
2 被告らの責任
本件事故は、被告川島清志の速度違反、ハンドル・ブレーキ操作の過失により生じたものであり、民法七〇九条により、同被告には原告らの損害を賠償する責任がある。
被告川島實は、被告車の保有者であり、自賠法三条により、原告らの損害を賠償する責任がある。
3 原告多恵子の傷害と治療経過
原告多恵子は、本件事故により、左上腕骨粉砕骨折等の傷害を負い、六地蔵総合病院において、昭和六二年八月三日から同月二八日まで、同年九月一六日から同年一二月二日まで及び平成二年五月一〇日から同年七月一一日まで(合計一六七日間)入院し、昭和六二年八月二九日から平成三年九月一〇日まで(前記入院期間を除く。)通院して(実日数合計三六八日間)、治療を受けた。
二 争点
1 原告多恵子の後遺障害の有無及び程度
2 損害額
原告多恵子は、自己の入院雑費や休養損害等を請求する他、原告健は脳性麻痺による肢体不自由児で母である原告多恵子の介護及び訓練を受けながら生活していたものであるが、本件事故による傷害及び後遺障害のため原告多恵子が原告健の介護等を行うことができなくなつたため、原告健が車椅子で生活できるようにするために家屋を改造したり、看護者を雇う費用がかかつたとして、これらの費用の賠償を請求している。
また、原告健は、原告多恵子による介護等を受けられなくなつたため、養護学校寄宿舎に入らざるを得なくなつて情緒不安定になり、また訓練不足により体が変形してきたとして、独自の慰謝料を請求している。
第三争点に対する判断
一 原告多恵子の後遺障害の有無及び程度
1 前示争いのない事実に加え、証拠(甲二二、三八、三九、乙二の1、原告多恵子本人)によると、以下の事実が認められる。
(一) 訴外石田忍が運転し、原告らが同乗していた原告車が、本件道路を南から北へ進行していたところ、時速約七〇キロメートルで本件道路を南進中の被告車が、被告川島清志のハンドル等操作の誤りにより対向車線に進出し、原告車に正面衝突した。
(二) 原告多恵子は、本件事故により、左上腕骨粉砕骨折等の傷害を負い、六地蔵総合病院において、昭和六二年八月三日から同月二八日まで、同年九月一六日から同年一二月二日まで及び平成二年五月一〇日から同年七月一一日まで(抜釘のため)入院し(合計一六七日間)、昭和六二年八月二九日から平成三年九月一〇日まで(前記入院期間を除く。)通院して(実日数合計三六八日間)、治療を受けた。
(三) 原告多恵子の症状は、同日固定したが、頑固な左上腕部痛等の後遺障害が残つた。すなわち、自覚症状として、頑固な左上腕部痛、左肘関節部痛及び運動制限、左前腕部痛、左手のしびれ感、筋力低下等の症状が認められ、また、他覚的所見として、X線写真にて左上腕骨遠位1/3部の変形治癒(化骨形成が悪く骨癒合はかろうじて得られている程度)が認められ、握力は右二〇kg、左一三・五kgに低下していることが認められる。
左上腕骨の骨折は治癒しているが、正常よりもかなりの骨欠損があり、正常の右上腕骨と比較して細くなつており、頑固な痛みにより満足に筋力訓練ができなかつたため筋力の回復が得られず筋力低下が残存し明らかにその強度は正常より劣つている。そして、原告多恵子は、体重が四三kgの重度身体障害者である原告健を繰り返し抱きかかえる等左上腕に大きな負担のかかる作業を行うことは医師から禁止されている。
2 右認定事実に基づいて原告多恵子の後遺障害の有無及び程度について検討するに、原告多恵子の左上腕部痛は、左上腕部粉砕骨折部の癒合不良によるものと認められ、右の症状は単に痛みのみならず、力が加わることにより再度骨折する危険性を有しているため、原告多恵子の労働能力を制限しているものと認められる。
したがつて、右後遺障害は、自賠法施行令別表第一二級第一二号に相当する後遺障害と認めるのが相当である。
3 被告らは、神戸労災病院医師裏辻雅章作成の意見書(乙九、一〇)を提出して、原告多恵子には他覚的な後遺障害は認められないと主張している。
しかしながら、右意見書は、左上腕部の症状に関して、平成元年一一月六日のカルテの記載では「子供の訓練はまあまあできている。」とあり、また平成二年三月一二日のカルテの記載では「主人の職場の手伝いで忙しい。」との記載があることを一つの根拠としているが、まず子供の訓練について原告多恵子本人が本件事故前と同様の訓練を実施しているとの記載ではなく、むしろ後示のとおり、この時期には原告多恵子の母の協力を得ながら、また月に二回訓練士の下へ赴いて訓練を行つていたものと認められるにすぎないものであり、また、主人の職場の手伝いとあるのも、具体的にどのような仕事を手伝つたかは記載されておらず、原告多恵子本人によると、専門学校の教員である夫の仕事のうち、採点や通知表の記入の手伝いを右手で行つたのみであることからすると、いずれのカルテの記載も、原告多恵子の日常生活に支障がないことを推測させるものとはいえない。
また、右意見書は、平成二年六月一一日に、外泊中転倒し左手をついて軽度の左手腫脹が生じたにもかかわらず骨折は生じなかつたことからすると十分な強度をもつて骨折部は回復していると判断しているが、腫脹は軽度であることや力のかかり方により幸いにして骨折が生じなかつたことも十分考えられるのであつて、右の事実かせ十分な強度をもつて骨折部が回復しているとはいえない。
また、被告らは、調査報告書(乙一)により、原告多恵子が多量の洗濯物の出し入れや自動車の運転をしていて、日常生活には支障を生じていないと主張しているが、右の事実だけで原告多恵子にいかなる後遺障害も残つていないということはできない。
4 以上のとおり、原告多恵子には、自賠法施行令別表第一二級相当の後遺障害が残つたものと認められる。
二 損害額
1 原告多恵子の損害
(一) 入院雑費(請求額二三万三八〇〇円) 二一万七一〇〇円
原告多恵子は、本件事故による傷害の治療のため合計一六七日間入院したことが認められ、入院雑費としては一日一三〇〇円と認めるのが相当であるから、右金額となる。
(二) 通院交通費(請求同額) 八万八三二〇円
原告多恵子は、本件事故による傷害の治療のため合計三六八日間通院したことが認められ、通院交通費としては一日二四〇円と認めるのが相当であるから、右金額となる。
(三) 装具代金(請求同額) 二万五三四〇円
証拠(甲三四)により認められる。
(四) 家屋改造費(請求額八七五万八〇〇〇円) 〇円
(1) 証拠(甲二六、三三、三五、三七、三八、検甲一、三二、乙三、四、原告多恵子本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
ア 原告多恵子は、昭和四六年三月に夫忍と結婚し、昭和四九年四月に長男保徳が、昭和五二年七月一四日に二男原告健が出生した。
原告健は、妊娠三一週目で生まれた未熟児で(出生時の体重は一九二〇g)、三か月検診で協調性障害児(脳性麻痺の危険児)と診断され、生後四か月から聖ヨゼフ整肢園でボイタ法による訓練を受けるようになつた。
イ 原告健は、二歳を過ぎても言葉が出なかつた。
原告健は、二歳九か月から週三回宇治福祉園に通い集団療育も受けるようなつた。
原告健は、三歳ころから、「はい」、「かあさん」、「とうさん」、「先生」等の言葉が出るようになつた。また、背筋、腹筋がつき、ウエストのくびれがとれ、食事もフオークで突いて食べることができるようになり、ずり這いと寝返りを組み合わせて部屋を移動することもできるようになつた。
昭和五八年四月(原告健五歳)からは、ひばり学園(昭和五七年四月から通つていたもの)と並行して地域の幼稚園にも通うようになつた。
ウ 昭和五九年四月から、原告健は、養護学校に通うようになつた。その後も、訓練は日に一、二回は行つていた。
一年生のころ、ずり這いは横へのふらつきがなくなり、寝返りと組み合わせて他の部屋への移動も行うようになり、肩と肘による支持もよくなつた。
二年生のころ、座位が安定し、手で支えなくても座れるようになつた。寝返りは、一学期には一〇分で二〇メートル、三学期には二五分で六〇メートル進むようになつた。指もえんどう豆をさやから取り出せるようになつた。テレビも頭を上げてよく見るようになつた。また、このころには車椅子の利用を始めていた。
三年生のころ、座位が安定し、一時間位は倒れることがなくなり、あぐら座り、とんび座りのどちらでも手遊びができるようになつた。寝返りは一分で一〇メートル進むようになつた。また、足の変形予防と開きの確保のために装具を付け始めた。食事は、フオークに加えスプーンでも一人で食べられるようになつた。テレビについても、野球やアニメがとても好きになり、一週間の番組を曜日ごとに覚えて楽しむようになり、ほとんど頭を上げて見るようになつた。
四年生の一学期には、テレビやビデオの操作が上手にでき、寝返りもゆがまずに上手にできるようになつた。
エ 本件事故により、原告多惠子が介護をできなくなつたため、原告健を原告多惠子の実家に預けた。しかし、原告多惠子の両親は高齢(父七三歳、母六五歳)であり世話が大変であるため、まもなく原告健を寄宿舎に預けた。原告多惠子が、昭和六二年一二月三日に退院した後、原告健は自宅に戻り、原告多惠子の両親の協力を得ながら原告健の介護を行つたが、原告多惠子は左腕が使えないため入浴には支障を生じた。
また、本件事故により、原告多惠子が訓練を行うことができなくなつたため、原告健は、寝返りの速度が遅くなつて体の痛みで夜中に何度も目を覚ますようになり、体全体が固くなり、運動不足のため体重が増加し、足首の内転や手首の変形が現われてきた。
平成元年二月ころから、原告多惠子の母の協力を得ながら原告健の訓練を再開したが、夜中に目を覚ます回数が減るなどの効果はあつたものの、約一年半の訓練中断中に後退した機能を回復するには不十分であつた。
原告多惠子は、平成二年五月から七月にかけて、抜釘手術のため再度入院し、その間訓練は中断した。
オ 原告多惠子の後遺障害や原告健の体重増加等の理由で自宅での介護が困難となつてきたため、平成三年四月から(中学二年)、原告健を再び寄宿舎に預けた。しかし、その後平成三年ころから寄宿舎よりこれ以上介護は難しいといわれるようになつた。
そのため、原告らは、平成四年夏ころ、自宅を改造し、同年七月に原告健は自宅に戻つた。
自宅改造の内容は、原告健が車椅子で生活できるように、玄関をスロープ状にし、室内の移動のためのリフトや一階から二階へ移動するためのエレベーターを設置し、トイレや風呂を一人の介護で利用できるように改造するなどしたものであつた。
カ その後の原告健の状態は、次のとおりである。すなわち、体重の増加や思春期の体の変化で体はますます固くなつた。車椅子で足首の保持ができなくなつたため足をステツプにベルトで固定するようになつた。寝返りは体を左右に動かして反動をつけないとできない。体が痛いため、しよつちゆう座るのと寝るのを繰り返している。
また、最近では、手首、足首、肩や肘の変形が進み、背骨の湾曲が進行している。
キ 原告らが行つていたボイタ法とは、脳性麻痺及びこれに発展する中枢性協調障害の子供に対し行う訓練法であり、仰臥位、側臥位等で一定の姿勢をとらせ、特定の部位にある誘発帯を決められた方向に向かつて刺激し、正常なパターン(筋肉の使い方の組み合わせ)を誘発するものである。通常、理学療法士の指導により、母親が家庭で一日四回行い、一回の訓練時間は一五~三〇分である。
ボイタ法の訓練によつて効果が特に現れるのは、早期の治療開始で、知恵遅れやけいれん等の合併症が少なく、運動障害の比較的軽度な者である。
もつとも、大人の場合や障害が重度である場合にも効果はある。すなわち、一歳半ころまでであれば、一歳までに四つ這い運動が起こせる場合脳性麻痺とは診断しがたいほどの状態にまで筋肉のみならず脳の機能障害を改善でき、七歳ころまでであれば、機能訓練を行うことで使いやすくなつた上下肢・体幹の筋群を日常生活の中で使いこなすことで脳の機能障害を改善させるため、骨格変形が出限していない限り、訓練を中断してもそれまでに獲得した機能を持続でき(ただし、歩行できるなら歩行し続けるなど獲得した運動機能をつかい続けることは必要である。)る。また、七歳以後であつても、機能訓練は筋の過緊張をゆるめ動かしやすい状態にすることができ、骨格変形を最小限に止めておける(訓練を休んだ日と行つた日で明らかな違いを出せるか、七歳以後に獲得した運動機能は訓練を中断すると保持しておくことが不可能である。)。重度の人の場合でも、訓練によつて、筋の過緊張が改善し、リラツクスできるために介助しやすく痛みを感じることもなくなるため良眠でき、呼吸機能の改善や摂取機能の改善が得られ、これらは関節変形の予防・悪化を少しでも食い止める役目をする。そして、訓練を中断した場合には、訓練を続けていれば得られる悪化・重度化の軽減が得られなくなり、脳性麻痺児は一〇~一三歳ころに十分な訓練が行われているかいないかで一五歳になつたときの側彎股関節脱臼の程度に違いができる。
(2) 以上の認定事実に基づいて検討するに、ボイタ法の訓練によつて効果が特に現れるのは、早期の治療開始で、知恵遅れやけいれん等の合併症が少なく、運動障害の比較的軽度な者であり、原告健のように満一〇歳で障害が重度である場合にも効果はあるものの、筋の過緊張を改善し、リラツクスできるために介助しやすく痛みを感じることもなくなるため良眠できるようにしたり、呼吸機能の改善や摂食機能の改善や関節変形を最小限に食い止める役目をするにとどまるものであること、原告健の場合、生後四か月ころから訓練を始め本件事故時まで約九年七か月間訓練を行い、それなりに効果は上がつていたものの、座位が安定し、寝返りは一分で一〇メートル進むようになり、フオークに加えスプーンでも一人で食べれるようになり、テレビをほとんど頭を上げて見るようになつたというにとどまり、他方車椅子の利用や足の変形予防と開きの確保のための装具の利用を始めていたこと、思春期の成長による体重の増加等も原告健の身体機能が悪化した一つの原因となつていることなどを考え併せると、本件事故がなく従前通りの訓練を続けていたとしても、将来車椅子での生活は避けられず、母親が抱きかかえることにより自宅で生活を行うことは無理になる可能性が高かつたといわざるを得ない。
(3) したがつて、本件事故の有無にかかわらず、原告健が自宅において車椅子により生活することができるようにするためには原告らが行つたような自宅の改造が必要であつた可能性が高いから、本件事故による傷害及び後遺障害のため原告多惠子が原告健の介護及び訓練を行うことができなくなつたことと、自宅改造との間には相当因果関係があると認めることはできない。
(五) 看護者費用(請求同額) 四四万二九〇〇円
証拠(甲二〇、三六)により認められる。
(六) 休業損害(請求同額) 三九二万三〇八九円
原告多惠子は、本件事故当時満三九歳の健康な主婦であり、本件事故による傷害の治療のため合計一六七日間の入院と、合計三六八日(実日数)の通院を余儀なくされ、その間主婦として稼働することができなかつたものであるから、昭和六二年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者旧中新高卒・満三五~三九歳の平均年収である二六七万六五〇〇円を基礎として、休業損害を算定すると、右金額となる(円未満切捨て)。
2,676,500÷865×(167+368)=3,923,089
(七) 逸失利益(請求額七九七万四八九九円) 四二五万三七八二円
前示のとおり、原告多惠子には、自賠法施行令別表第一二級相当の後遺障害が残つたものと認められ、原告多惠子は、症状固定時(満四三歳)から満六七歳まで二四年間、その労働能力の一四パーセントを喪失したものと認められるから、昭和六二年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者旧中新高卒・満三五~三九歳の平均年収である二六七万六五〇〇円を基礎として、休業損害を算定すると、右金額となる(円未満切捨て)。
2,676,500×0.14×(14.8981-3.5459)=4,253,782
(八) 慰謝料(請求額七一六万円) 五〇〇万円
原告多恵子の傷害の内容及び程度、治療期間、後遺障害の内容及び程度その他本件にあらわれた諸般の事情を総合して判断すると、原告多惠子が受けた精神的損害に対する慰謝料としては、金五〇〇万円が相当である(特に、前示(四)(1)のとおり、原告多惠子は、二男であり重度の肢体不自由児である原告健が生後四か月から約九年間以上にわたり同人の身体障害が進行するのを最小限に防ぎ、身体機能の発達を促すため、介護及び訓練に最大の努力を傾けてきていたにもかかわらず、本件事故のため、訓練はもとより十分な介護を行うこともできなくなつたこと、そのため、原告健の身体機能には後退がみられるようになつたこと等の事実に徴すると、この点に関し慰謝料として金一〇〇万円を加算するのが相当である。)。
(九) 以上を合計すると、一三九五万〇五三一円となる。
2 原告健の損害(慰謝料)
原告健は、原告多惠子による介護等を受けられなくなつたため、養護学校寄宿舎に入らざるを得なくなつて情緒不安定になり、また訓練不足により体が変形してきたとして、独自の慰謝料を請求している。
しかしながら、交通事故により身体を害された者の近親者が独自の慰謝料を請求することができるのは、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき又は右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときに限られると解されるところ、本件事故に至るまでの原告らの生活状況及び本件事故後の原告らの生活状況は前示1(四)(1)で認定したとおりであり、原告健は、原告多惠子による介護等を受けられなくなつたため、養護学校寄宿舎に入らざるを得なくなつたり、訓練不足により身体機能が後退し変形も進み、多大な精神的苦痛を受けたことは認められるものの、前示1(四)(2)で述べたように、原告健はもともと重度の脳性麻痺による肢体不自由児であり、本件事故前と同様の訓練を続けていたとしても、体の変形等を完全に防止できたわけではなく、将来的にはやはり車椅子での生活を余儀なくされた可能性が高いのであつて、これらの事情を総合して判断すると、いまだ原告健において原告多惠子が生命を害された場合にも比肩すべき又は右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものとは認め難く、これらの事情は原告多惠子の慰謝料の算定においては十分考慮するものの(前示1(八)のとおり)、原告健独自の慰謝料請求を認めることはできない。
三 損害の填補
原告多惠子が、被告川島實加入の自賠責保険等から、本件事故の損害賠償として、すでに合計一四〇万円を受領していることは、当事者間に争いがないから、これを控除すると、一二五五万〇五三一円となる。
四 弁護士費用
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、一〇〇万円と認めるのが相当である。
五 以上を合計すると、一三五五万〇五三一円となる。
よつて、原告多惠子の請求は、右の金額及びこれに対する遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、原告多惠子のその余及び原告健の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡健太郎)