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京都地方裁判所 平成6年(ワ)3517号 判決 1997年7月16日

原告

小松基純

舩越邦宏

右原告両名訴訟代理人弁護士

久保哲夫

稲村五男

渡辺馨

川中宏

村山晃

森川明

村井豊明

飯田昭

荒川英幸

浅野則明

岩橋多恵

藤浦龍治

被告

株式会社岩倉自動車教習所

右代表者代表取締役

駒垣芳久

右訴訟代理人弁護士

村田敏行

福井啓介

竹内寛

田中茂

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告らが被告に対し、いずれも労働契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は、原告小松基純に対し、平成六年四月一六日以降、同年五月二七日を初回として毎月二七日に金三五万九六一二円を支払え。

三  被告は、原告舩越邦宏に対し、平成六年四月一六日以降、同年五月二七日を初回として毎月二七日に金四六万三四四三円を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告が経営する自動車教習所において技能指導員として勤務していた原告らが、被告から平成六年四月一六日以降の勤務及び賃金の支払いを拒否されたため、被告との間には依然として労働契約が存在するとして、被告に対し、その地位の確認と賃金の支払いを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、肩書住所地に本店を有し、自動車運転実施及び学科知識を修得せしめ、これによる報酬を得ること並びに自動車その他車両類の売買、修理、整備、運転免許所持者の実習指導等を業とする株式会社である。

2  原告小松基純(以下「原告小松」という。)は、昭和四四年一二月、被告に午後四時間勤務のパートタイム勤務の指導員(以下「パート指導員」という。)として採用され、昭和四五年六月、技能指導員の資格を取得し、肩書住所地にある岩倉自動車教習所(以下「本件教習所」という。)において技能指導員として勤務してきたが、昭和六〇年三月以降は午前一〇時一〇分から、昭和六一年三月以降は午前九時ないし午前九時一〇分からそれぞれ午後五時五〇分までの勤務となっている。

3  原告舩越邦宏(以下「原告舩越」という。)は、昭和四四年一月、被告に午前中四時間勤務のパート指導員として採用され、同年三月、技能指導員の資格を取得し、昭和四六年ころ約一年間休職した期間を除き、本件教習所において技能指導員として勤務してきたが、昭和五九年以降は午前九時一〇分から午後七時五〇分までのフルタイム勤務となっている。

4  原告らは被告に対し、毎年三月二一日付で、契約期間を同日から翌年三月二〇日までの一年間とする契約書を提出し、労働契約を更新してきた。

5(一)  被告は、従来から、本件教習所の業務の閑散期には、一部のパート指導員に対し、一定期間の出勤停止等の担当時間を減らす措置(以下「作業量調整」という。)をとっていたが、平成三年からはパート指導員全員を対象として作業量調整を行うようになっていた。作業量調整については、平成四年、パート指導員から被告に対し、「閑散期における何の保障もない時間カットである。」旨の疑問が提起されたこともあるが、原告らを含むパート指導員は被告の指示する作業量調整に応じてきた。

(二)  被告は、平成六年二月二二日、原告らパート指導員に対し、同年三月の契約更新時において、業務の閑散期における作業量調整については被告の指示に従う旨の条項を付加した契約書の提出を求めた。

(三)  原告両名を除くパート指導員は、同年三月一九日、この申出に応じて右条項の入った契約書を作成、提出して契約更新を行ったが、原告らは、同日、被告に対して右条項の入らない契約書による契約更新をしたいと申し入れ、同日以降同年四月七日まで原告らと被告間で話し合いが行われた。

(四)  被告は、平成六年四月一六日、原告らとの間の労働契約(以下「本件労働契約」という。)はいずれも同年三月二〇日をもって期間満了により終了しているとして、原告らのタイムカードの備付けをやめ、同日以降の就労及び賃金の支払いを拒否している(以下、被告による右更新拒絶を「本件雇止め」という。)。

6  原告らは、同年四月当時、毎月一五日締め二七日払いで、一か月当たり原告小松が平均三五万九六一二円の、原告舩越が平均四六万三四四三円の各賃金の支払いを受けていた。

二  主たる争点

本件労働契約はいずれも本件雇止めにより終了したか。

1  原告らの主張

(一) 本件労働契約は、次のとおり、期間の定めのない契約である。仮に形式上は期間の定めのある契約であったとしても、これが長期間反復継続されたことにより期間の定めのないものに転化したか、あるいは、実質上期間の定めのない契約と同視すべきものとなった。

(1) 原告らは、被告の「常勤・パート指導員募集」との新聞広告を見て応募したものであるが、採用時の面接において、被告は、原告らに対してパート指導員の地位や作業量調整があることなどについて説明せず、常勤の正社員とパートタイム勤務の職員(以下「パート職員」という。)とで差異を設けることなく採用し、その時点での被告の必要、労働者本人の意向等を考え、常勤としたりパート職員としていた。

そして、被告は、原告らパート職員に対して、正社員と全く異なる処遇をしているとか、契約期間が限定されているとかの説明はしていない。

(2) 原告らは、被告の正社員になることを希望したことはないが、そうかといって格別期間の定めのある労働契約を希望するわけでもなく、他の常勤の指導員と全く同様の勤務時間、勤務内容の仕事に従事してきた。

(3) 原告らは、二五年間もの長期間、契約を反復継続してきたが、原告ら以外のパート職員についても、学生や大学院生のような者を除き、多くの者について長期間にわたって更新が繰り返され、一年の期間の満了のみを理由として退職した者は一人もいない。

(4) 被告も、契約書の期限の切れた後の毎年五、六月ころ、原告らに対し、「形だけのものやから変に難しく考えんでもいい。こっちで書いておくさかい。」などと言いながら、賃金の項目が変わるだけでその他の項目はほぼ同一内容の契約書に署名、押印を求めるにすぎなかった。

(5) このように、原告らパート指導員の採用時の状況、労働実態、更新の実態、会社の説明状況などからすると、原告らパート指導員は、労働契約が更新されることを当然に期待する状況にあり、他方、被告も、安い賃金で指導員を雇用する点にパート指導員を採用した理由があると考え、その雇用期間にではなく勤務時間、時間給の額に関心を置いていたのであり、本件労働契約は、期間の定めのない契約であるか、仮に期間の定めのある契約であるとしても、期間の定めのないものに転化したか、あるいは、実質上期間の定めのない契約と同視すべきものとなっている。

(二) 右のとおり、本件労働契約は、単に一年間の期間の満了を理由として終了するものではないから、被告が平成六年四月一六日以降原告らを従業員として取り扱わず、その就労を拒否しているのは、被告が原告らを解雇し、あるいは雇い止めたことになる。

しかし、被告の右解雇又は雇止めは、以下のとおり権利の濫用であって、無効であるか許されないものであり、原告らは依然として被告の従業員である。

(1) 平成六年当時、被告において、パート指導員の作業量調整に関する約定を明文化する必要はなかった。すなわち、出生率の低下による免許取得人口の減少は、以前から判明していたことであり、また、京都市は学生の街であって特に本件教習所のある市北部は大学が集中し、多くの大学生を入所者として迎え入れることが可能であった。そして、平成六年五月一〇日施行の道路交通法の改正後は、免許取得に必要な教習時限数が増えた結果、入所者一人あたりの教習料も増えることとなるから、入所者数が若干減少しても、本件教習所の収入自体が減少することにはならず、現に被告の在籍者数は、平成四年から平成七年にかけて増加し、一指導員当たりの在籍者数は京都府下の自動車教習所の中でも上位にあった。

(2) しかるに、被告は、パート指導員を個別に呼びつけ、作業量調整だけが明文化され、時間給も決まっていない契約書による契約更新を強要してきた。これまでにも、被告は、結成された労働組合をたちどころに潰し、その後は労働組合を作らせずに親睦会で乗り切り、被告に対してものをよく言う指導員をいじめたりしてきたのであり、原告らが、作業量調整を明文化するについて、このことにより被告が今後より強気に出ると不安感を抱き、被告とそのことの是非を議論し、明文化されないよう頑張ったのは至極当然である。しかし、原告らは、これまで被告の指示する作業量調整には応じてきたし、被告提案の条項が契約書に入れば、作業量調整を拒否するとか、契約書に絶対署名しないとの考えや態度をとったことは一度もない。原告らは、ぎりぎりまで交渉をし被告がどうしても譲らないということであれば、作業量調整の明文の入った契約書に署名するつもりであった。

(3) 被告は、作業量調整に関する条項を契約書上明文化することに強く固執し、原告らが、働く者の立場から必要性のない条項について意見を述べていたのを言うことを聞かない抵抗者の如く思い、これを嫌悪し、話し合いを継続しようとしている原告らに対し、形式的に有期の契約期間が徒過したことを奇貨として解雇又は雇止めを断行したもので、本件雇止めは権利の濫用に当たる。

2  被告の主張

(一) 被告におけるパート職員と被告との労働契約は、次のとおり一年間の期間の定めのある契約であることは明らかであり、原告らを含めパート職員は、パート職員と正社員間の契約期間及び労働条件の相異や、パート職員には正社員のような将来的保証がないことを熟知しており、契約が更新されることを当然に期待しうるものではない。そして、原告らは、いずれもできるだけ自由な勤務でいたいとの自己の都合により、正社員より身分が不安定で、賃金差等の不利益があることを承知の上で、期間の定めのあるパート職員としての労働契約を希望し、毎年これを書面で契約し勤務を継続してきたのであって、本件労働契約が期間の定めのあるものであることは明らかである。

(1) 被告は、パート職員の地位と「常勤」と呼ばれる期間の定めのない雇用である正社員の地位とを、契約の形態、就労日、就労時間、宿日直勤務、賃金形態、賞与、退職金といった労働条件において明確に区別している。特に、パート職員とは、一年の期間を明示した契約書によって契約を締結している。

(2) また、原告らを含めたパート職員は、このことを熟知している。すなわち、

ア 被告は、パート職員と正社員とでは契約期間及び労働条件に相異があることやパート職員には正社員のような将来的保証がないことについて、個々のパート職員に対して、最初の契約時に口頭で説明して契約期間の明示された契約書を交わし、その後も契約期間の明示された契約書を毎年交わして契約を更新しており、被告の職員により構成され原告らも加入している親睦会に対しても、昭和四九年三月と平成四年三月には文書で、昭和五〇年、昭和五五年ないし昭和五七年、昭和六一年の各三月と、平成三年一一月には口頭でそれぞれ説明している。

イ 被告は、多年にわたってパート指導員に対し、入所者数減少に対する対応策として一定期間の休業を求め、作業量調整を実施しており、原告らについても、平成三年ないし五年に毎年一か月以上の期間、一日の就業時間を午前又は午後のみに限定する作業量調整を行っているが、常勤の指導員の間では、もっとパート指導員の担当時間を減らし常勤の指導員に入所者を回すべきであるとの声が近年特に強く、原告らパート指導員としても、不況時には作業量調整の対象となる不安定な身分であることは十分自覚していたはずである。

(3) 原告小松は、もともと中央卸売市場の鮮魚仲買商に勤務する一方、旅館を自営しており、早朝からの市場の仕事を終え夜の自営業までの間アルバイトをしたいとの希望であった。したがって、被告が正社員に採用する余地はなく、午後一時五〇分から午後四時四〇分までとの勤務時間も全くの本人の希望で、原告小松自身、賃金、賞与などが正社員より劣ること、期間の定めのある雇用で将来的な保証もないことを承知したうえ、被告と契約したものである。

その後、原告小松は、一五年以上を経過した昭和六〇年三月の契約時に、何らかの都合で市場の仕事を辞めたとのことで、午前中からの就労を希望してきたため、午前一〇時一〇分からの勤務となり、さらに昭和六一年三月からは、午前九時からの勤務となった。ただし、原告小松は、午後五時五〇分には退勤しており、正社員とは全く異なる勤務形態であった。これは当時四八歳となっていた原告小松が、他の職場で正社員としての職を得るよりも勤務時間を延長してもらうことが好都合であると判断したためであり、被告の都合によるものではない。

(4) 原告舩越は、四年制大学卒業後一旦電子工業会社に勤務していたが、あえてギタリストの道を歩むためこれを退職し、多数の生徒にレッスンをし、かつ、自分の演奏活動をするために自由な勤務を希望し、午前中のみのアルバイトを希望してきた。したがって、原告舩越は、賃金等が正社員より劣り、将来の保証のない一年契約の期間の定めのある雇用契約であることは十分承知の上で、被告と契約したものである。

その後、原告舩越は、昭和五九年三月からギターのレッスンでは生活費が不足するとのことで、午後の仕事も希望し、午後七時五〇分までの契約となった。これは当時四二歳となっていた原告舩越が、再就職してもさほど収入が得られる筈もなく、アルバイトの時間を増やした方がよいとの判断したことによるものである。

(5) 被告は、過去何回にもわたりパート職員の中から希望者を正社員に採用しており、原告らが就労した後も、六名がパート職員から正社員に採用された。しかし、原告らは、これらの事実を知りながら一度として正社員への採用を希望したことはない。

(二) 右のとおり、本件労働契約は一年間の期間の定めのある契約であり、原告らと被告は平成六年三月二一日以降の労働契約の締結に至らなかったのであるから、本件労働契約は期間の満了により終了している。

仮に、本件労働契約の終了について、解雇の法理が類推適用されるとしても、本件雇止めが権利濫用となるものではない。すなわち、

(1) 前記のような原告らパート指導員の地位からして、常勤の指導員とは異なり、作業量の減少に伴って雇用が影響を受けることはやむを得ないところであり、被告は、従前からパート指導員に対して作業量調整を行ってきた。

(2) 自動車教習所業界は、既に一八歳以上の免許取得希望者はほぼ取得を終えた状況にあるうえ、新たな免許取得人口である一八歳に達する者が年々減少して、生徒数が減少するという慢性的不況状況に置かれていたところ、平成六年五月一〇日施行の道路交通法の改正により教習時間の増加が定められたため、平成五年秋ころから改正前のいわゆる駆け込み入所が続き、その反動で平成六年五月以降は極度の生徒数減少が予測され、その対策として平成六年には特に例年以上の作業量調整をする必要が見込まれた。そこで、被告は、減少する作業量を一部のパート指導員の雇止めではなく、全パート指導員に対する作業量調整によって切り抜けようと考えたところ、パート指導員に対する作業量調整については疑問が示されたりしており、業務の閑散期には作業量調整に応諾する旨を契約書上明記して疑問を解消しておく必要があった。

このようなことから、被告は、平成六年二月二二日、原告らパート指導員に対し、「今年度のパート指導員の契約をしたいが、今後の業界は生徒数の減少が予測され、岩倉自動車教習所でも教習時間が減少することが予測されるので、作業量が減った場合には、パート指導員には平成四年、五年のように半日勤務といったことになる。それでよろしければ契約したい。」と説明し、作業量調整に応諾することを明文化した契約書による契約更新を申し入れたのである。

(3) これに対し、原告らを除くパート指導員は、右契約更新に応じ、原告らも当初は異議を述べなかったが、実際に契約書への押印を求められた平成六年三月一九日、はじめて「課長に相談したい。」と話し合いを求めてきた。被告は、契約期間の満了直前であったため、やむなく一定期間就業を継続させ、話し合いに応じることとし、原告らに対し、今までも閑散期に作業量の調整をしてきており、そのことを契約書上明確にするため、「閑散期における就業時間、作業量の調整については貴社の指示に従います。」との条項を入れたと説明したが、原告らは、作業量調整に今後も不満を言わずに従うことは全く前提とせずに、具体的に作業量調整の必要が発生した都度、その時点で改めて話し合って作業量調整に応ずるかどうか決めればよいとして納得せず、「できる限り今まで程度の作業量は確保するよう努力する。」との被告の説明に対しても、文章化するなら押印できないと拒否し続けたのである。

そこで、被告は、同年四月七日、最後の話し合いとして原告らを再度説得したものの、原告らは契約書に前記の条項が入る限り契約できないとの態度を明確にしたため、被告は、賃金計算期間である同月一五日までに契約書作成に応じない場合には、期間満了の扱いをすると通告し、原告らがこれに応じなかったため、契約更新に至らず、本件労働契約が期間満了により終了したものである。

(4) このように被告としては、積極的に原告らを選んで雇止めにしようとしたのではなく、他のパート指導員と全く同一に扱おうとしたにもかかわらず、原告ら二名のみが被告の申出を拒否し、被告が、約一か月間に及ぶ話し合いを行って、契約書の文言を明確にしただけで条件は従前と何ら変わらないことを説明し、仕事量もできる限り確保する努力をすることを約して契約締結の努力をしたが、結局、契約更新に至らなかったのであるから、本件雇止めが権利濫用となるものではない。

第三当裁判所の判断

一  本件労働契約の性質

1  前記第二の一の争いがない事実に、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる(各項末尾の括弧内に掲記した証拠は当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

(一)(1) 原告小松(昭和一二年三月生)は、高等学校卒業後、昭和三七年二月から京都中央卸売市場(以下「中央市場」という。)鮮魚部の浅沢商店に勤務していたが、昭和四四年一二月七日付京都新聞に掲載された常勤の指導員(月収四・五万から六・五万円)、パート指導員(時給二五〇円)等を募集する被告の求人広告を見て、中央市場の勤務時間が午前五時ころから午前一〇時ころまでのため、自分で自由にできる時間を確保しても午後三時間程度であれば技能指導員として勤務できると考え、被告の求人に応募することにした。

そして、原告小松は、同日、面接を受けたうえ、四、五名の志望者とともに採用試験を受け、同月中にパート指導員として採用された。なお、原告小松と一緒に採用テストを受けた者のうち、吉田節子(夜間三時間勤務)及び金子泰(午前四時間勤務)が昭和四五年二月二六日付で、北尾博(午後四時間勤務)が同年三月一日付で、それぞれパート指導員として採用された(ただし、北尾は昭和四六年三月に正社員として採用された。)。

(<証拠・人証略>)

(2) 原告小松は、昭和四五年六月一日、公安委員会の技能指導員資格を取得し、本件教習所で技能指導員として勤務するようになり、昭和四六年以降、毎年三月二一日付で契約期間を同月から翌年三月二〇日までの一年間とする「時間勤務者・臨時職員労働契約書」を被告に提出し、契約更新を重ねていたところ、昭和五九年一二月末には、職場での折り合いが悪くなったとして中央市場の仕事を辞め、昭和六〇年一月に被告代表者に午前中も働きたい旨申し出て、その了解を得た。そして、原告小松は、同年三月二一日付の契約更新時には、午前九時から働くのは自信がないとして、午前一〇時一〇分から午後五時五〇分までの勤務の契約をしたが、翌昭和六一年三月二一日付の契約更新時以降、午前九時(その後午前九時一〇分)から午後五時五〇分までの勤務とし、被告から支給される賃金のみで生計を立てるようになった。

(<証拠・人証略>)

(3) 原告小松は、被告に対し、平成五年三月二一日付で次の内容の「時間勤務者労働契約書」を作成提出し、契約更新をした。

ア 契約期間 平成五年三月二一日から平成六年三月二〇日まで一年間

イ 勤務時間 午前九時一〇分から午後五時五〇分まで

ウ 休憩時間 午後一時から午後一時五〇分まで

エ 休日 毎週日曜日

オ 賃金 一時間(限)について一七二〇円

カ 賃金の支払期日、支払方法、その他就業に関する事項については就業規則に定めるとおりとする。

契約期間中は私事を理由として解約することを希望することなく勤務する。

(<証拠略>)

(4) 原告小松は、被告の正社員となった場合、午後五時五〇分以降の勤務が毎日あることになるので、それでは自分が自由にできる時間が足りなくなると考え、被告に正社員として採用してもらいたいと申し出たことはなく、パート指導員のまま定年(六〇歳)まで勤務するつもりであり、また、そのように勤務できると期待していた。(<人証略>)

(二)(1) 原告舩越(昭和一七年一月生)は、立命館大学理工学部を卒業後、日響電子工業株式会社に就職したが、昭和四三年六月、自己都合により退職し、同年一一月からギターの指導をしながら音楽の道を志すことにした。しかし、ギターの指導だけでは十分な生活費を得ることができなかったことから、収入確保のためのアルバイトを捜していたところ、昭和四四年一月七日、新聞に掲載された被告の求人広告をみてこれに応募することとし、同日、採用面接を受けたが、その際、常勤の指導員とパート指導員のいずれを希望するかを問われ、午前中四時間勤務のパート指導員を希望すると答えた。原告舩越は、その二、三日後に行われた書面試験と技能試験を受けてパート指導員として採用となった。

原告舩越は、同年一月中頃から勤務し始め、同年三月七日、公安委員会の審査に合格して技能指導員となった。なお、原告舩越と同時期に六、七名が入社したが、そのうちの横井恵は正社員として、その余の者は二時間ないし四時間勤務のパート指導員として採用された(ただし、そのうちの井上力は昭和五七年三月に正社員となった。)。

(<証拠・人証略>)

(2) 原告舩越は、ギターのレッスンを大阪で受けるため、昭和四六年に契約更新をせず、合計一〇か月間就労しなかったことがあるが、昭和四七年には、同年三月二一日付で契約期間を一年とする「時間勤務者・臨時職員労働契約書」を被告と交わし、その後、毎年三月二一日付で同内容の契約更新を重ねた。そして、原告舩越は、昭和五五年ころから、時間に空きがあれば午後も勤務するようになっていたが、長時間勤務の契約にするように被告が申し出たのに対して、午後にギターのレッスンがない日だけ残業したいとして勤務時間の変更には応じなかった。

しかし、原告舩越は、昭和五九年三月二一日付の契約更新からは、勤務時間を午前九時(平成二年と平成四年以降は午前九時一〇分)から午後七時五〇分まで(うち休憩時間が午後一時から午後一時五〇分まで)の一〇時間勤務をするようになり、被告から支給される賃金のみで生計を立てるようになった。

(<証拠・人証略>)

(3) 原告舩越は、被告に対し、平成五年三月二一日付で次の内容の「時間勤務者労働契約書」を作成提出し、契約更新をした。

ア 契約期間 平成五年三月二一日から平成六年三月二〇日まで一年間

イ 勤務時間 九時一〇分から一九時五〇分まで一〇時間〇〇分

ウ 休憩時間 一三時から一三時五〇分まで五〇分

エ 休日 毎週日曜日

オ 賃金 一時間(限)について一七二〇円

カ 賃金の支払期日、支払方法、その他就業に関する事項については就業規則に定めるとおりとする。

契約期間中は私事を理由として解約することを希望することなく勤務する。

(<証拠略>)

(4) 原告舩越は、パート指導員から常勤の指導員となった場合は、一時的に給料が下がることなどから、被告に正社員として採用してもらいたいと申し出たことはなく、パート指導員のまま定年(六〇歳)まで勤務するつもりであり、また、そのように勤務できると期待していた。

(<人証略>)

(三)(1) 被告は、本件教習所の教習の作業量が季節、時間帯等によって異なるため、常勤の正社員の仕事を安定的に確保しつつ、流動的な部分をパート職員で消化して経営の安定を図るため、昭和四三年からパート職員の採用を始め、同年に一名、昭和四四年に原告らを含めて一〇名、昭和四五年に四名、昭和四六年に五名、昭和四七年に四名、昭和四八年及び昭和四九年に各一名、昭和五一年に二名、昭和五二年及び平成元年に各一名のパート指導員を採用したが、いずれも採用時には、学生であるか、他に職業を有する者であった(なお、被告は、平成五年にパート指導員一名を採用しているが、右は定年になった正社員を再雇用したものである。)。右パート指導員として採用された者のうち、七名が後に正社員として採用され、八名が三年以内に退職し、原告らを含め九名が一〇年以上在職した。

平成六年四月当時の被告の従業員は、常勤役員四名、正社員(常勤職員)三五名(うち指導員三三名)、パート職員一六名(うち指導員五名。原告両名を除く。)及び嘱託二名の合計五七名であった。

(<証拠・人証略>)

(2) 正社員とパート職員とでは、<1>正社員の契約は期間の定めのないものであるのに対し、パート職員は契約書上契約期間が一年とされていること、<2>正社員は月給制であるのに対し、パート職員は時間給制であること、<3>正社員には退職金が支給されるのに対し、パート職員には退職金は支給されず、賞与にも相当程度の差があること、<4>正社員には隔週の週休二日制の適用があること、<5>正社員には宿日直・残業の義務があるのに対し、パート職員にはその義務がないことなどの身分及び処遇上の相違があるが、技能指導員の場合、正社員の指導員とパート指導員とで教習業務内容に違いはなく、適用される就業規則も原則として同一とされていた。

(<証拠・人証略>)

(3) 被告とパート職員らは、契約期間を一年間とする労働契約書を交わし、昭和四六年以降は、パート職員全員が毎年三月二一日付で契約を更新してきた。右更新に際しては、被告担当者が、毎年、契約期間満了日(三月二〇日)の約一か月前に各パート職員に対して口頭で契約を更新する意思があるかの確認を求め、その後、各パート職員が契約期間一年の契約書に署名押印する形で契約更新が行われるところ、賃金額が春闘の妥結によって決まることなどから、契約書は、毎年三月二一日を過ぎた四月ないしそれ以降に作成されることが多かったが、契約書の日付は、毎年三月二一日とされていた。(<証拠・人証略>)

(4) 被告らの職員で組織され、原告らも加入している親睦会は、昭和四九年三月の賃上げ交渉に際し、被告に対し、パート職員は時間の長短を問わず会社に貢献し、定着した専従の指導員は常勤者と違い何らの保障も確保することなく働いてきたとして、時間給の引き上げを要求した。これに対し、被告は、「パート勤務職員は、短時間、一年契約で時間給でもって勤務していただくことを原則としております。つまり常勤者と比して極めて会社の拘束力が弱いことを意味し、具体的には何日、何時間働くかは本人の希望によるところが大きく、出退欠勤について、俗な表現をすれば気楽な勤め方ができるわけです。これはパート勤務職員は本業を他に有し、セカンドビジネスを前提としているから、そうであらねばならない訳で、就業規則で他に職をもつことを禁止している常勤者とは異なります。保障は拘束、支配に対して行うものです。従ってこの点で常勤者と異なることは、いたしかたありません。」と親睦会に対し文書で回答し、昭和五〇年三月、昭和五五年ないし昭和五七年の各三月にも、パート職員の地位・処遇について前記と同様の説明を口頭で行った。(<証拠・人証略>)

(四)(1) 被告は、昭和六一年一月四日から、パート指導員の吉川浩(夜間二時間勤務)、金子泰(午前四時間勤務)及び平井敏彦(同)に対し、各三一日間全日の作業量調整を行い、同年三月、再度、パート職員の地位・処遇に関して前記と同内容の説明を口頭で行った後、前記金子に対し同年七月二三日から三二日間全日及び同年九月八日から三六日間全日の、前記平井に対し同月九日から三五日間全日の、前記吉川に対し同月一〇日から三七日間全日の各作業量調整を行った。

被告は、昭和六二年以降も、前記吉川らを対象に次のとおり作業量調整を行った(なお、前記金子は平成元年三月一日付で退職した。)。

ア 昭和六二年

前記吉川、金子及び平井に対し八月二四日から各五九日間全日

イ 昭和六三年

前記金子に対し七月二五日から六〇日間全日

ウ 平成二年

<1> 前記平井に対し九月八日から四七日間全日、一二月五日から六四日間全日

<2> 前記吉川に対し九月六日から四九日間全日、一二月四日から六五日間全日

エ 平成三年

<1> 前記吉川に対し六月二七日から一三七日間全日

<2> 前記平井に対し七月八日から九四日間全日、一二月一三日から五三日間全日

(<証拠・人証略>)

(2) 前記吉川、金子及び平井が右のような作業量調整の対象とされたのは、同人らがそれぞれ私立大学の職員、夜間高校の教諭、運送会社勤務といった本業を有し、作業量調整の対象とされても経済的打撃が比較的少ないと考えられたからであり、特に、金子は、水泳のコーチをして夏に忙しいためであった。

しかし、平成三年における本件教習所の作業量の減少は著しく、前記吉川らのみを対象とした作業量調整では十分に対応できなくなったため、被告は、同年九月からパート指導員全員を対象して作業量調整を行うこととし、同年八月下旬、パート指導員全員を会議室に集め、被告代表者、丹波利博所長及び藤井巖教務課長兼総務課長(以下「藤井課長」という。)が、作業量調整の必要性について説明して協力を求め、パート指導員の了解を得たうえ、原告舩越に対し同年九月二日から四四日間半日の、原告小松外四名に対し同日から四六日間半日の各作業量調整を実施した。なお、被告は、同年一一月、再度、パート職員の地位・処遇について前記と同内容の説明を口頭で行っている。

(<証拠・人証略>)

(3) こうしたパート指導員に対する作業量調整の増加に伴い、親睦会は、平成四年の春闘の際、被告に対し、「我々は常勤者と同様、日々研鑚努力して教習業務に励んでおります。当然会社への貢献も大だと信じております。しかし、我々は、常勤者と比べて年間総収入での大きな格差、閑散期での何の保障もない時間カット等々、常々疑問を抱いております。」という原告舩越作成の「長時間パート勤務者の疑問」と題する書面を添えたうえ、「会社は長時間のパート勤務者に対して何を期待され、又如何なる考え方をもって雇用されているのか、納得のいく説明回答を得たい。」というパート職員からの質問書を提出した。

これに対し、被告は、「パート勤務職員の処遇に関する要望については昭和四九年三月の回答書において詳しくお答えし、その後昭和五〇年三月、昭和五五年三月、昭和五六年三月、昭和五七年三月、昭和六一年三月、平成三年一一月にも同様に説明お答えしていることでもありますが、今年も同趣旨の要望と『長時間パート勤務者の疑問』という一文をいただいておりますので、この疑問に対するお答えとして簡単に説明をいたします。ご案内のように近年、パートタイマー雇用が増加してきましたのは、家庭の主婦や就業者などの余剰時間を有する人の時間を企業の必要とする労働力として流動的に対応して確保しようとするところにあると思われます。つまり、パートタイマーとなる人にとっては余暇を社会的意義のある仕事をして、より経済的にもゆとりが得られ、企業にとって流動的な労働力が確保できると同時に、所定時間を定年まで働く雇用契約を結んでいるいわゆる常勤職員のように将来的な保証や補償のための特別賃金の必要がないことから人件費の節約ができるというところに双方の利点があるわけです。常勤職員に就業時間や勤続年数に選択の余地はありませんが、パートタイマー個人が自主任意に勤務時間や勤務期間(法定一年まで)を企業と契約するものですし、契約更新や打ち切りも自由です。職員としての身分や職務に関する責任義務に両者の相異は全くありませんが、雇用契約が基本的にこのように違っていますから、パートタイマーは拘束・支配されずに気ままに働くことができる反面、拘束・支配に対する見返りとしての保証や補償はありません。退職金、年金、賞与、ベースアップがないのが通常です。ただ物価上昇が常態の中では年々時間給を上げないことには応募者がありませんから、実際はベースアップをすることになるのであって、常勤者の場合とは意味合いが異なります。以上が関係法令や雇用契約からみたパートタイマーと常勤者の一般的な相異です。さて、当社の場合もパートタイマー制を導入した意図はこの一般的事例の利点のためであって、基本的に何ら変わるところはありません。」などと文書で回答した。

親睦会会長の佐々木亀三郎は右回答書を親睦会の総会で読み上げた後、原告舩越にその写しを交付し、同原告はさらにその写しをパート職員全員に配布した。

(<証拠・人証略>)

(4) 被告は、前記吉川に対し、平成四年五月一一日から二七五日間全日の作業量調整を行い、さらにパート指導員全員に対して同年九月七日から二三日間半日の作業量調整を行ったが(なお、前記平井は平成四年二月二八日に退職している。)、同年の作業量調整を行うに当たっては、前年に説明済みであるとして、実施の約三日前の朝礼の際に短時間説明したに止まった。

また、被告は、平成五年において、正社員を定年退職後パート指導員として採用された森田芳夫に対し、同年五月一三日から八〇日間全日の作業量調整を行うとともに、パート指導員全員に対して同日から二九日間にわたって各半日の作業量調整を行ったが、このときも、前々年に説明済みであるとして、実施の約三日前の朝礼の際に短時間説明したに止まった。

(<証拠・人証略>)

2  以上認定の事実、特に、原告らが毎年三月二一日付で契約期間を一年間とする契約書を交わしてきていること、正社員とパート職員とでは、勤務時間、休日、宿日直の義務、作業量調整の有無、賞与、退職金といった点で地位・処遇に差異があること、被告も正社員とパート職員とではその地位・処遇は異なる旨職員らに常々説明し、職員もこれを了知していたことに照らすと、本件労働契約は、いずれも一年間の期間の定めのある契約というべきであり、それが長期間反復継続されたからといって、そのことの故に期間の定めのない契約に転化したと認めることはできない。

しかしながら、本件労働契約が一年間の期間の定めのあるものであるとしても、期間の満了により当然に労働契約が終了すると解するのは相当でなく、期間の定めのある労働契約が反復更新されて期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態となった場合には、雇止めは、実質的には解雇と同一と見るべきであるから、解雇に関する法理が類推され、期間満了によって本件労働契約を終了させるためには、余剰人員の発生等従来の取扱いを変更して雇用契約を終了させてもやむを得ないと認められる特段の事情が存することを要すると解するのが相当である。本件においては、原告らはいずれも昭和四四年に被告に入社し、原告舩越は昭和五九年三月二一日から一日一〇時間、原告小松は昭和六〇年三月二一日から一日七時間、昭和六一年三月二一日から一日八時間それぞれ勤務するようになり、被告からの給料で生計を立て、定年まで勤務するつもりであったこと、毎年の契約更新は、期間満了前に被告から更新の意思の有無について口頭で確認されるものの、契約書の作成は、四月ないしはそれ以降にずれ込むことが多かったこと、パート指導員の中には一〇年以上勤務している者が少なくないこと、正社員の指導員とパート指導員の教習業務の内容は同一で、就業規則も同じように適用されることなどに照らすと、本件労働契約は、実質的に期間の定めのない契約と同視すべきものになっていると解するのが相当であり、原告らのような長期間のパート指導員を期間満了により雇止めをするには、契約更新に対する期待との関係で余剰人員の発生等従来の取扱いを変更して雇用契約を終了させてもやむを得ないと認められる特段の事情が存することを要するというべきである。

もっとも、本件においては、前記のとおり、被告は、正社員の仕事を安定的に確保しつつ、流動的な部分をパート指導員で消化して経営の安定を図ることを経営方針とし、パート職員を含む全職員に対して、パート職員は将来の保証はなく不安定な地位である旨幾度となく説明し、職員はこれを了知していたのであり、他方、原告らは、自らの判断で正社員になることは希望せずパート指導員に留まったというのであるから、本件雇止めの効力を判断すべき基準は、原告らが昭和四四年以降勤務を継続してきたとしても、いわゆる終身雇用の期待の下に期間の定めのない労働契約をしている正社員を解雇する場合とでは、自ずから合理的な差異があるというべきである。

二  本件雇止めの効力

そこで、本件雇止めの効力について検討する。

1  証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる(各項末尾の括弧内に掲記した証拠は当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

(一)(1) 被告の属する京都府の自動車教習所業界においては、既に一八歳に達している自動車免許の取得希望者はほぼ取得を終えた状況にあるうえ、京都府における昭和四九年以降の出生数は減少傾向にあり、平成四年以降の一八歳人口の減少が確実で、自動車運転免許の取得希望者が減少することは明らかな事態となっていた。特に昭和六〇年ころの京都市内における運転免許取得希望者は、同志社大学の南部移転に伴う学生の減少が大きく影響し、本件教習所をはじめとする宝池、光悦といった京都市北部にある自動車教習所では、年間二〇〇ないし四〇〇人の需要減少となると見込まれた。こうしたことから、各自動車教習所の経営者が自粛して規模の拡大を図らず、お互いに労働時間の短縮を図るなどのバランスをとるならば、平成五年までは確実に需要を確保できるが、年間二七〇〇時間から二九〇〇時間に及ぶ長時間労働が行われている校所は早急に改善される必要があるとされており、既設の各自動車教習所の経営者のみならず労働組合も京都府下に指定自動車教習所が新設されることに反対していた。そして、被告において実施した教習時限総数は、平成元年が八万六二四七時間であったのが、平成二年には前年比〇・九パーセント減の八万五五一四時間、平成三年には前年比七・一パーセント減の七万九五二七時間、平成四年には前年比七・一パーセント減の七万三八八三時間、平成五年には前年比一・一パーセント増の七万四七三七時間であり、減少傾向にあった。

(<証拠・人証略>)

(2) また、自動車教習所においては、一般的に季節により入所者数に変動があり、高校生の卒業が決まった二月及び三月と、大学が夏休みに入る七月に入所者が集中し、大学の新学期が始まった一〇月にも入所者が増える傾向があるが、本件教習所においても同様であった。これを受けて、本件教習所における作業量は、二月ないし四月と一一月及び一二月に多くなる傾向があり、パート指導員が担当した教習時限数は、平成三年において、最少月(一月)が四八一時間、最多月(四月)が一五四一時間、平成四年において、最少月(一月)が七一九時間、最多月(三月)が一四八七時間、平成五年において、最少月(六月)が八〇四時間、最多月(四月)が一五五二時間であり、月によって大幅な変動があった。

(<証拠・人証略>)

(3) そして、平成六年五月一〇日施行の道路交通法改正により、教習時間が技能で七時間、学科で四時間それぞれ増やされ(ただし、教習期限は六か月から一年に延長された。)、教習料の値上がりが見込まれたことから、平成五年秋以降、右改正前の入所(いわゆる「駆け込み入所」)が増加し、その反動から平成六年五月以降は極度に入所者数が減少すると予想された。

(<証拠・人証略>)

(二)(1) このように、被告は、平成六年には特に例年以上の作業量調整をする必要が見込まれると考え、減少する作業量を一部のパート指導員に対する雇止め(契約更新の拒絶)ではなく、全パート指導員の作業量調整で切り抜けようとしたが、前記のとおり、パート指導員から作業量調整について疑問が示されるなどしていたため、作業量調整に応諾する旨の文言をパート指導員の労働契約書に明記し疑問を解消した上で、作業量の減少に対処しようと考えた。

(<証拠・人証略>)

(2) そこで、被告代表者及び藤井課長は、平成六年二月二二日、原告らパート指導員の指導員を個別に呼び出し、各人に対し、「今年度のパート指導員の契約をしたいが、今後の業界は生徒数の減少が予測され、岩倉自動車教習所でも教習時間が減少することが予測されるので、作業量が減った場合には、パート指導員は平成四年、五年のように半日勤務といったことになる。契約書に作業量調整については会社の指示に従うとの条項を入れるが、それでよろしければ契約したい。」と申し入れた。

そして、藤井課長が、同年三月一九日の朝礼の際、契約期間、勤務時間、休憩時間等は従前と同内容であるが、これに「ただし、閑散期における就業時間、作業量の調整については貴社の指示に従います。」という但書が付加された契約書に署名押印するよう求めたところ、原告らを除くパート指導員は、これに応じて同年度の契約更新を終了した。

(<証拠・人証略>)

(3) 他方、原告らは、同年二月二二日には、被告の考えを理解した旨返答していたが、同年三月一九日に右但書の入った契約書に署名押印を求められた際に、右契約書に基づく契約更新を不満として、その話し合いを求めた。

そこで、被告は、右申入れが契約期間満了の直前であったため、協議が整うまでは無契約のまま就労を継続させるつもりで協議に応ずることとし、被告代表者及び藤井課長と原告らは、同日の昼休みに応接室で話し合いをしたが、原告らが「従来どおりの契約でお願いしたい。」と申し入れたのに対し、被告側は、「それはできない。契約をするのかしないのか。会社の将来を考えると、これからは今までのように君達に仕事を入れられるかわからない。例年のように半日休んでもらったり、もっとひどければ一定期間休んでもらうことも起こるかもしれない。免許取得人口の減少等を考え、そのときの対策も考えてもらえるよう君達に迷惑をかけまいとしてこのようにした。パートはもともと会社の経営安定のためのクッションであり、パートのほうに仕事が入って常勤者に仕事が入らないと常勤者から苦情が出る。パートは契約が切れたらそれで終わりだ。できるだけ例年並みにするが、常勤者が遊んでいるのにパートに仕事を入れる訳にはいかない。」などと答えて、話しはまとまらなかった。

(<証拠・人証略>)

(4) 原告らと被告は、同年の契約更新時である同月二一日に、同月二三日に改めて話し合いをすることを約し、同日午後、会議室で約二時間にわたって話し合いをした。その際、原告らが、「契約内容を会社側の一方的に都合のいい内容にし、一人ずつ呼び出すやり方について明確かつ納得できる説明がない。例年、四月後半か五月、六月に契約書が来て、形式的に契約更新がなされ、定年まで行けると考えていたのに、どうして今回は早い時期から異常な方法で賃金欄に金額も入っていない契約書にサインを迫るのか信じられない。今までの会社のやり方からは、一度サインすれば何かの時にその文章が生きてきて、私たちの生活がもしかの時にどうなるか不安である。例年どおりの契約内容でお願いしたい。例年どおりの仕事の落ち込みなら、例年どおりの契約でもよいはずである。例年どおりの契約で仕事の落ち込みの激しい時には、その時点で話し合っていけばよいのではないか。現在在籍生徒数が大変多く、急激に入所生が激減するとは思えない。」などと述べた。これに対し、被告側は、「何時間勤務でもパートはパートである。君達の言うことを聞いていたらパートを使っている意味がない。常勤になるチャンスはあったはずである。これからも君達パートの仕事も急激に落ち込むとは考えられない。君達が心配するような何か月も仕事が入らないということはないだろう。昨年、一昨年並みの状態で仕事ができるよう口頭で約束しても駄目か。条項の明文化は決まったことだから変えられない。賃金欄は親睦会との協議が整えば記入する。時間給の減額はない。」などと答え、平行線をたどったままであった。

なお、原告らは、親睦会にこの問題を持ち出し、親睦会も総会を開くなどして検討したが、最終的には、同年四月五日、この問題に関与しないこととなった。

(<証拠・人証略>)

(5) 原告らと被告代表者及び藤井課長は、同年四月七日、一〇分ないし一五分間話し合い、原告らが、「従来どおりの契約を再度お願いする。口頭で約束するというなら、わざわざ条項を入れなくてもよいのではないか。」などと従前と同様の要求をしたのに対し、被告側は、「あの条項は取れないが、会社の言うとおり契約してくれたら、閑散期でも例年どおり仕事が入るようにすると口頭で約束するからこのままサインしたらいい。何度話し合っても駄目だから、いつまでもこのようなことは続けられない。」などと回答したうえ、賃金計算期間が一五日締めであるから、それまでに契約更新をしなければ契約を打ち切るという趣旨で、「一五日が締めだから、一五日で切る。よく考えておくように。」と述べた。そして、原告小松が「切るとはどういうことか。」と尋ねたのに対し、藤井課長は「仕事を入れない。生徒を外す。」と答え、原告舩越が「もう少し話し合いの時間をとってほしい。」と申し入れて、この日の話し合いは終わった。(<証拠・人証略>)

(6) その後、原告らと被告側の話し合いは持たれなかったところ、被告は、同月一六日朝、原告らのタイムカードを取り外し、原告らを配車から外す措置に出た。当日出社した原告らは、被告側に説明を求め、被告代表者及び藤井課長と会議室で話し合いをしたが、原告らが「今までどおりの条件でお願いしたい。今度の契約ではこれからの生活に不安がある。常勤より年間所得が低いのに更に条件が悪くなるのでは契約をすることはできない。但書を取ってほしい。長年継続してきたのに今の段階でそう見通しも悪くないのに、この時期で切られるのがよく理解できない。」などと述べたのに対し、被告側は「何度話しをしても、契約書どおりでないと駄目だ。今までどおりできるだけ仕事ができるようにするからと言ったが、それでも駄目というなら仕方ない。契約書のままのんでくれたらいい。これが最後だ。何かあった時に但書を取ったことを問題とするつもりではないか。君らはそういうつもりはないというが、こちらにはそう聞こえる。社長・課長が、但書が入っているが迷惑かけることはしないと言っているのだから、会社を信用すればいい。常勤が遊んでいるのに何でパートに仕事を入れるかという突き上げがある。」などと述べて折り合いがつかず、結局、藤井課長が「縁がなかったということだ。追って公安委員会にも解任の届けを出す。」と述べて、話を打ち切ろうとした。そして、原告舩越が「ということは解雇ですね。」と尋ねたのに対し、藤井課長は「解雇と契約不成立とは大きな違いだ。誤解しないように。」と答え、被告代表者も再度「但書を取る方向で考え直すことはできない。」と述べて、この日の話し合いは終わった。

(<証拠・人証略>)

(7) その後、原告らは、被告側に対し、同月一八日から同月二〇日にかけて連日話し合いを求めたが、被告側は、原告らが契約を拒否したのであるから仕方ないとして取り合わず、さらに同月二一日以降は、原告らが加入した全国一般労働組合京都地方本部京都自動車教習所労働組合の委員長等も加わって交渉を重ねたものの、話はまとまらず、本訴提起に至った。

(<証拠・人証略>)

(三)(1) 全国の自動車教習所の入所者数は、平成五年から平成六年にかけて約一〇ないし二〇パーセント減少し、京都府下の自動車教習所の普通免許取得希望の入所者数は、平成五年が五万九四二九人であったのが、平成六年には五万〇八四七人の一四・四パーセント減となり、卒業者数は、平成五年が五万四二〇〇人であったのが、平成六年には四万九七四八人と八・二パーセント減となった。

本件教習所においても、生徒募集の努力を怠ったような事情が格別見受けられなかったにもかかわらず、入所者数は、平成五年の二六七一人から平成六年の二二一七人と一七パーセント減となり、平成七年にはほぼ横ばいの二二八五人であったが、平成八年には再度減少して二一五二人となっている。(<証拠・人証略>)

(2) また、被告の平成六年の入所者数は、一月から四月までが、二二五人ないし二四三人であったのが、五月には一六〇人、六月には一二九人となり、七月には一九三人となったが、八月には九九人となった。

そして、被告の平成六年の教習実施総時限数は、前年比で五・九パーセント減、四三八八時間減の七万三四九時間であり、被告のパート指導員の教習実施時限数は、六月が六五八時間(前年同月は八〇四時間、以下同じ)、七月が四七六時間(一二六七時間)、八月が四七九時間(一一九七時間)、九月が五三九時間(一四六九時間)、一〇月が四三一時間(一〇八〇時間)と前年から大幅に減少した。

(<証拠・人証略>)

(3) 被告は、平成六年において次のとおり作業量調整を行った。

ア 前記吉川に対し平成六年五月一〇日から一六二日間全日

イ 前記森田に対し同月三〇日から一二四日間全日

ウ パート指導員の大石正和、武田恒一郎及び斉藤勝彦に対し

<1> 同年六月二八日から三〇日間半日

<2> 同年九月一三日から二八日間半日

エ 正社員の北尾博に対し

<1> 同年七月一九日から一三日間各二時間

<2> 同年九月一九日から一八日間各二時間

なお、被告は、平成六年、機械警備システムの導入に伴い、嘱託の宿直員二名を退職させて代わりに警備係のパート職員一名を雇い、また、嘱託の送迎係員一名の退職といった人員削減を図ったほか、平成七年においても、退職した正社員の事務員二名、パート職員の夜間受付係、事務員及び警備係各一名の後任の補充をせず、人員削減を行っている。

(<証拠・人証略>)

2(一)  以上認定の事実、特に、(1)自動車教習所においては、一般的に季節により入所者数の増減があり、本件教習所においても作業量が月によって大幅に異なることから、被告はこれを主としてパート指導員が担当する作業量を増減させることで対処することとし、従前から作業量の減少が著しい時にはパート指導員の出勤停止等による作業量調整を実施してきたこと、(2)平成六年三月当時、一八歳人口の減少による入所者数の減少が確実視され、被告が実施した作業量も平成元年以降減少傾向にあったところ、さらに平成六年五月一〇日施行の道路交通法改正による影響で同年五月以降の入所者数が極度に減少すると見込まれたため、被告は、平成六年には例年以上の作業量調整をする必要を予想し、減少する作業量を一部のパート指導員の雇止めではなく全パート指導員に対する作業量調整で切り抜けようとしたこと、(3)しかし、パート指導員から作業量調整について疑問が示されたりしていたため、作業量調整に応諾する旨の文言をパート指導員の労働契約書に明記して疑問を解消し、作業量調整を円滑に行おうとしたことなどに照らすと、被告が平成六年の契約更新に当たり契約書に作業量調整については被告の指示に従う旨の条項を付加しようとした措置には十分な必要性があったものと認められ(なお、被告の予測したとおり、平成六年には、本件教習所における六月以降のパート指導員の作業量は、前年同期に比べ大幅に減少し、原告らが就労していないにもかかわらず、被告はパート指導員はもちろん正社員の指導員に対しても作業量調整を実施した。)、原告らパート指導員にとっても、作業量調整は従前から行われ、原告らも異議なく応じてきたものであり、このことが労働契約書上明文化されたとしても明文化自体殊更に不利益を課すものではなかったものということができる。

(二)  しかし、このような被告の方針に対して、原告らは、「従来どおりの契約でお願いしたい。」「但書をとってほしい。」などとして応諾しようとせず、さらに、「今までの会社のやり方からは、一度サインすれば何かの時にその文章が生きてきて、私たちの生活がもしかの時にどうなるか不安である。」「例年どおりの契約で仕事の落ち込みの激しい時には、その時点で話し合っていけばよい。」「口頭で約束するというならわざわざ条項を入れなくてもよい。」「今度の契約ではこれからの生活に不安がある。常勤より年間所得が低いのに更に条件が悪くなるのでは契約をすることはできない。」などとして、被告にしてみれば今後は作業量調整に応じることに抵抗するかのような発言を繰り返し、本来の契約期間満了日から二五日経った平成六年四月一六日に至っても、その態度を変えようとしなかったものであるから、被告が、原告らは被告の申し出た条件による契約更新に応ずる意思がないと判断し、原告らからの作業量調整に関する条項のない契約書による本件労働契約の更新申入れに応じることはできないとしたのもやむを得なかったというべきである。

3(一)  この点に関し、原告らは、出生率の低下による免許取得人口の減少は以前から判明していたことであるうえ、京都市は学生の街であって特に本件教習所のある市北部には大学が集中し、多くの大学生を入所者として迎え入れることが可能であり、前記の道路交通法改正後は、免許取得に必要な教習時限数が増えた結果、入所者一人あたりの教習料も増えることとなるから、入所者数が若干減少しても教習所の収入自体が減少することにはならず、現に本件教習所の在籍者数は、平成四年から平成七年にかけて増加し、一指導員当たりの在籍者数は京都府下の自動車教習所の中でも上位にあり、大幅な利益を計上しているなどとして、平成六年当時に被告のいうような作業量調整の必要はなかったと主張する。

しかしながら、出生率の低下による免許取得人口の減少は以前から判明していたことであったとしても、自動車教習所業界全体にかかる構造的な問題で被告がこれを回避することは不可能であったうえ、前記認定のとおり、被告が生徒募集の努力を格別怠ったような事情は見受けられないのに、実際に平成六年以降の被告の入所者数は減少しており、多くの大学生を入所者として迎え入れることが可能であったということはできない。

また、仮に入所者一人当たりの必要教習時間や在籍者数が増えているとしても、自動車教習所の作業量は、各入所者が卒業するまでにいかなる間隔、頻度で教習を受講するかによって決まる問題であり、入所者が卒業までに長期間を要して滞留するのであれば、一日当たりの作業量は増えず、教習料金も全体としては増収になるものではないといえる。前記認定のとおり、道路交通法の改正により教習期限が六か月から一年に延長され、在籍者数はどの自動車教習所でも増加しているが、これは、必要最低教習時限が増加したことよりも、入所者の在籍期限が延長されたことにより、入所者がいつまでも在籍していることによるものであり(<人証略>)、現に本件教習所における平成六年五月以降の作業量は減少し、原告らが就労していないにもかかわらずパート指導員に対する作業量調整が行われたことに照らすと、例年以上の作業量調整の必要があったものというべきである(なお、原告らが被告が十分利益を上げている根拠とする<証拠略>は、その信憑性に疑問があり採用できない。)。

以上からすれば、原告らの右主張はいずれも根拠がなく採用できない。

(二)  次に、原告らは、従前から被告の指示する作業量調整には応じてきたし、被告提案の条項が契約書に入れば、作業量調整を拒否するとか、契約書に絶対署名しないとの考えや態度をとったことは一度もなく、ぎりぎりまで交渉し被告がどうしても譲らないということであれば、作業量調整の明文の入った契約書に署名するつもりであったのに、被告は話し合いの継続中に一方的に本件雇止めに及んだと主張し、原告らも、本人尋問において、平成六年四月一六日には話し合いは継続中であり、タイムカードが取り外されても、被告が原告らに対していじめを始めただけで、職を奪われるとは思ってもいなかった旨供述している。

確かに、原告らは、従前被告の指示する作業量調整に応じており、被告提案の条項が契約書に入れば作業量調整を拒否すると明言した事実は認められないが、前記の本件雇止めに至った経緯に鑑みると、「従前どおりの契約で」というのは、被告提案の条項を外すこと以外に意味があるとは考えられないし、原告らの前記発言を総合すれば、原告らは被告にしてみれば今後は作業量調整に応じることに抵抗するかのような発言を繰り返していたもので、こうしたことから被告側が、同年四月七日の時点で、被告の要求する契約書による契約更新に応じない限り同月一六日以降は「仕事を入れない。生徒を外す。」と通告し、さらに、現実にも仕事を外された同月一六日には、「これが最後だ。」「追って公安委員会にも解任の届けを出す。」と通告している以上、同日の話し合いが物別れに終わった時点において、被告の契約更新拒絶(本件雇止め)の意思は明らかであったのであり、被告側が話し合いの最中に一方的にこれを打ち切り本件雇止めに及んだものということはできず、また、被告が、原告らは作業量調整に従う旨の明文の入った契約書への署名を拒んでおり、被告が要求する条件による契約更新を行う意思がないと判断したことが不相当であったということもできない。

(三)  さらに、原告らは、被告の作業量調整についての説明が次第に粗略になっていたところに、平成六年はパート指導員を個別に呼びつけ、作業量調整だけが明文化され時間給も決まっていない契約書による契約を被告が強要してきたもので、被告がこれまでに結成された労働組合をたちどころに潰し、労働組合を作らせずに親睦会で乗り切り、被告に対してものをよく言う指導員をいじめてきた経緯からすると、原告らが、作業量調整を明文化するについて、このことにより被告が今後より強気に出ると不安感を抱き、被告とそのことの是非を議論し、明文化されないよう頑張ったのは至極当然である、被告は、原告らを言うことを聞かない抵抗者の如く嫌悪し、話し合いを継続しようとしている原告らに対し、形式的に有期期間が徒過したことを奇貨として雇止めを断行したと主張する。

しかしながら、前記のとおり、被告は、平成三年のパート指導員全員に対する作業量調整を始めるに当たり、パート指導員全員を集めて作業量調整の必要性を説明し、その協力を求めたのであって、その後の説明が簡略となったとしても、それを必ずしも不適切な対応ということはできない。また、被告が平成六年二月二二日にパート指導員を個別に呼んだのは、パート指導員の家庭事情等を個別に聴く必要があったためであり(<人証略>)、契約書に記載すべき時間給が決まっていなかったのは、春闘まだが(ママ)妥結していなかったからにすぎず、これらをもって被告の対応が不適切であったということはできない。そして、本件雇止めに至った経緯によれば、前記のとおり、被告が作業量調整に関する条項を契約書に明記しようとしたことには合理的な理由があり、原告らの態度からして被告が話し合いを打ち切ったことはやむを得ないというべきで、被告が原告らをことさら嫌悪して形式的に有期期間が徒過したことを奇貨として雇止めを断行したということもできない。

(四)  その他、本件全証拠によるも、本件雇止めが権利の濫用に当たると認めるに足りる事情は認められない。

4  以上のとおり、被告が原告らに対し、本件雇止めにより平成六年三月二一日以降の契約更新を拒絶するに至った過程に解雇権濫用等の無効とすべき事情は認められないから、本件労働契約はいずれも平成六年三月二〇日の期間満了によって終了したものと認められる。

三  結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官 二本松利忠 裁判官 大澤晃 裁判官 増永謙一郎)

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