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京都地方裁判所 平成8年(ワ)522号 判決 1998年3月20日

主文

一  本件原告の本訴請求及び反訴原告らの反訴請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、これを二分し、その一を本訴原告・反訴被告の負担とし、その余を本訴被告、反訴原告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

以下、本訴原告・反訴被告を「原告」と、本訴被告・反訴原告乙山太郎を「被告乙山」と、本訴被告・反訴原告丙川寺を「被告丙川寺」と略称する。

第一  請求

一  本訴請求

被告らは、原告に対し、連帯してー〇〇万円及びこれに対する平成八年三月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴請求

1 原告は、被告らに対し、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞及び産経新聞の各朝刊(全国版)の下段広告欄に、京都新聞の朝刊(京都・滋賀版)の下段広告欄に、それぞれ二殺抜きで別紙記載の謝罪広告(見出し、宛て名及び原告の氏名は四号活字、その他は五号活字)を各一回掲載せよ。

2 原告は、被告丙川寺に対しー〇〇〇万円、被告乙山に対し三〇〇万円及びこれらに対する平成八年三月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本訴請求は、被告丙川寺に勤務していた原告が被告丙川寺の代表役員である被告乙山から性的な身体的接触を受けるなど原告の人格権を侵害されたことを理由として、原告が、被告乙山に対し不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告丙川寺に対し不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、損害賠償金の支払を請求している事案である。

反訴請求は、原告の主張する不法行為は存在しないにもかかわらず原告が訴えを提起するなどして被告らの名誉を毀損したことを理由として、被告らが、原告に対し、謝罪広告の掲載と損害賠償金の支払を請求している事案である。

一  争いのない事実

l 原告(昭和四年七月二五日生)は、昭和五五年五月から被告丙川寺に勤務し、仕事は主として清掃、職員の昼食の準備を担当していたが、平成八年二月二九日、被告丙川寺を退職した。

2 被告丙川寺は、真言宗の教義を広め、儀式、行事を行い、信者を教化育成すること等を目的とする宗教法人であり、一般的に「丙川寺」と呼ばれている。 被告乙山は、被告丙川寺の代表役員である。なお、被告丙川寺の規則において、代表役員は「事務長」と呼ばれている。

3 原告は、原告が被告乙山から様々な性的な嫌がらせを受けたことを理由として、平成八年三月一日、本訴請求の訴えを提起し、訴訟代理人弁護士を通じて記者会見をした。翌二日の各新聞紙上に次のとおりの見出しで、訴え提起の記事が掲載された。

読売新聞「被告丙川寺 セクハラ騒動元女性職員が提訴」

朝日新聞「セクハラ被害 被告丙川寺など訴え 元女性職員が提訴」

毎日新聞「セクハラで被告丙川寺を訴え寺と寺事務長に慰謝料百万円を請求」 産経新聞「職務中にセクハラ 主婦が賠償を訴え 京都の被告丙川寺」

京都新聞「事務長がセクハラ 被告丙川寺元職員の女性提訴」

中日スポーツ「被告丙川寺を提訴 僧侶がセクハラ」

二  当事者の主張

1 原告の主張(本訴請求について)

(一) 被告乙山は、原告に対し、次のとおりの行為をした。

(1) 被告乙山は、平成五年三月ころ、原告に対し、被告丙川寺内の台所において、勤務中に、「これな」と言って、「おそそするほど/仕事をすれば/さおが立つほど/倉が建つ」という句が記載された書面を手渡した。なお、右の句は、男女が夜の営みをするほど熱心に仕事をすれば、男性器が立つように倉も立って生活が豊かになる、という意味である。(以下「第一の不法行為」という。)

(2) 平成五年九月ころ、原告が被告乙山に昼食用のおにぎりを持って事務長室に入って行ったが、被告乙山が不在のため机上におにぎりを置いて引き返そうとしたところ、被告乙山は、突然背後から原告に抱きついた。(以下「第二の不法行為」という。)

(3) 平成六年一月ころ、原告が被告丙川寺の職員である丁原松子(以下「丁原」という。)とともに、被告丙川寺内の茶所で椅子に座って休憩していると、被告乙山は、突然入ってきて、原告らが座っている足元にひざまずくようにして座り、原告の太もも部分を、「ああ、ええなあ」と言いながら撫ぜるようにして触った。(以下「第三の不法行為」という。)

(4) 被告乙山は、原告を始め女性職員に対し、「お加持やで」などと言いながら肩などを触ったり、「遊んでえな」と声を掛けたりしていたほか、「筆おろし」と言いながら毛筆の筆先で原告ら女性職員の腕をなでたりするなどの行為を日常的に行っていた。(以下「その他の不法行為」という。)

(二)(1) 被告乙山のこうした行為は、原告の意に反して、性的な身体的接触をし、卑猥な文言を記した書面を手渡すなど、原告の人格権を侵害するものであり、不法行為に該当する。

(2) 被告丙川寺は、被用者との関係において社会通念上伴う義務として、労務遂行に関連して被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由が発生することを防止し、またはこれに適切に対処して、職場が被用者にとって働きやすい環境を保つよう配慮する注意義務があるのに、右義務を怠り、よって、被告乙山の右不法行為を惹起せしめたのであり、民法四一五条又は七〇九条により損害賠償責任を負う。また、被告乙山は、被告丙川寺の代表役員であるとともに、被告丙川寺の被用者であると考えられるから、被告丙川寺は、民法四四条又は七一五条により損害賠償責任を負う。

(三) 原告は、被告らのこうした不法行為に苦しみ、被告丙川寺を退職する一因ともなったのであり、その慰謝料額はー〇〇万円を下回ることはない。

(四) よって、原告は、被告らに対し、損害賠償請求権に基づき、連帯してー〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年三月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 被告らの主張

(一) 第一ないし第三の各不法行為は、いずれも否認する。

なお、第一の不法行為について、原告が被告乙山の筆に係る句を記載した書面を所持していることは認めるが、右書面が原告の手に渡ったのは、次の事情による。すなわち、被告丙川寺では、平成三年五月に天皇皇后両陛下の御幸があり、寺院内の貼り紙をすべて撤去したので、その後、書道家である被告乙山が新たに貼り紙を書き直したが、その際、被告乙山において職務に精励するようにとの気持ちで甲一号証の句を書いて数名の職員に見せたところ、原告がこれをもらい受け、大切に保存していたものである。

(二) 原告は、被告らによる不法行為は存在しないのに存在するものとして、損害賠償の訴え(本訴請求)を提起し、かつ、記者会見をしたものであり、被告らの社会的名誉を著しく毀損した。

被告らは、これにより、回復しがたい損害を被ったのであり、原告に対し前記反訴請求1項記載の謝罪広告を命じるとともに、被告丙川寺に対しー〇〇〇万円、被告乙山に対し三〇〇万円の各支払をもって慰謝するのが相当である。

(三) よって、被告らは、原告に対し、前記反訴請求1項記載の謝罪広告の掲載を求めるとともに、被告丙川寺に対しー〇〇〇万円、被告乙山に対し三〇〇万円とこれらに対する平成八年三月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

3 原告の主張(反訴請求について)

被告らの不法行為は、真実であって、原告による訴訟提起は被害者が損害回復を求める当然の権利行使である。また、原告が訴訟代理人を通じて記者会見をしたことと被告らの主張する損害との間には因果関係がない。

第三  当裁判所の判断

一  まず、前提となる事実関係をみるに、前記争いのない事実に《証拠略》を総合すると、次の各事実が認められる。

1 原告は、昭和四年七月二五日生まれであり、昭和五五年五月から被告丙川寺で勤務していた。勤務内容は、寺院内の清掃と昼食の準備であり、通常、午前八時三〇分ころに出勤し、お茶の用意をしたり朝礼に出席した後、寺院内の清掃をし、午後〇時ころから午後二時三〇分ないし三時ころまで、三五人分程度の昼食の準備と片付けをし、午後三時ころから四時ころまで、主として茶所で休憩をしたり、衣の修理や雑用等をし、午後四時ころ帰宅するというものであった。なお、茶所は、六畳程度の広さの板の間であり、入口は下半分が木で、上半分がナイロン製の障子紙でできた障子であって、鍵はかからない。

原告とほぼ同様の仕事をしていたのは、平成五年又は平成六年当時、丁原(昭和八年二月二六日生)、戊田竹子(昭和三年六月三日生。以下「戊田」という。)、甲田梅子(大正八年六月一日生)及び乙野春子であり、食事の準備の責任者は戊田であった。なお、乙野春子は、平成六年一月二〇日に退職した。

2 被告丙川寺では満六五歳をもって定年と定めており、原告は、平成六年七月二五日に満六五歳となったが、そのまま継続して職員として雇用されることを希望した。しかし、被告丙川寺は、それを拒み、結局、原告は、被告丙川寺との間で、同月二六日から平成七年一月一五日までの期間につきアルバイト契約を締結し、右アルバイト契約は、以後更新され、平成八年七月二五日まで継続となったが、原告は、同年二月二九日、被告丙川寺を退職した。

なお、原告は、アルバイト契約は月に一六日以内しか勤務できないなど以前と比べ勤務条件が劣っていたため、平成六年一一月一六日、京都府地方労働委員会に対し、同年七月二六日以降も被告丙川寺との間にアルバイト契約ではなく嘱託契約が存在すること等を求めて不当労働行為の救済の申立てをしたが、同委員会は、平成八年三月二二日、不当労働行為に該当するとはいえないとして、申立てを棄却する旨の命令を下した。

3 被告乙山は、大正一四年五月一七日生まれであり、昭和二一年に住職資格を取得し、昭和三二年に被告丙川寺に入寺し、平成四年三月八日に被告丙川寺の代表役員(事務長)となった。被告乙山は、日本書道協会の九段の免状を取得しており、日本書家連盟の顧問等をしている。

4 被告丙川寺の職員数は、平成五年又は平成六年当時、僧侶を含めて約四五人、うち女性は約一五人であった。

二  次に、本件各不法行為に関する関係者の各供述を検討する。

1 原告は、本人尋問で次のように供述している。

(一) 第一の不法行為に関し

「平成五年三月ころ、台所で仕事をしているときに、被告乙山が二つ折りにした紙を『後からね』と言って私(原告)のエプロンのポケットに入れた。帰る時に、それを見ると、見たとたんに身体が震え、事務長さんともあろうお方がこんなものをなんで私に書かれたかなと思って、びっくりして声も出ない状態で、それをロッカーに突っ込んでいた。後日、ロッカーの中を掃除していたら、それが出てきたが、だれにも言えなかった。」

(二) 第二の不法行為に関し

「平成五年九月ころ、普段被告乙山は昼食をとらないが、体に悪いということで、被告乙山の奥さんから被告乙山にお昼を作ってほしいとの依頼が被告丙川寺の事務を担当していた丙山夏子にあり、丙山夏子から私達にその依頼があった。それで、小さなおにぎりを作って、私が事務長室に持って行ったが、被告乙山がいなかったので、テーブルの上に置いて引き返して出ようとしたところ、後ろから突然被告乙山に抱きつかれた。びっくりして、『止めてください』と言って、飛んで出て、台所にいた戊田や丁原に大きな声で怒った。翌日は、丁原がおにぎりを被告乙山に持って行ったが、丁原から、被告乙山におにぎりを乗せたお盆を渡そうとしたところ被告乙山が丁原の手を握って離さなかったとの話を聞き、台所の責任者である戊田が『明日からおにぎりを持っていくのを止めよう』と言った。」

(三) 第三の不法行為に関し

「平成六年の一月ころの午後四時ころ、丁原と二人で茶所で椅子に座って休憩していたところ、突然、被告乙山が入って来て、ぺたんと私の前に座り、私の太ももあたりからふくらはぎのあたりまで『ああええなあ』と言いながらさすった。びっくりして、『止めてください』と言って立ち上がった。丁原も後から直ぐに立ち上がった。そして、私は、部屋の障子をがらっと開けたところ、被告乙山はすっと出て行った。」

(四) その他の不法行為に関し

「被告乙山は、よく習字をするので、台所に筆を洗いに来るが、その際、女性職員に対し、『筆おろしや』と言いながら、筆先で女性職員の肘から手首までの素肌を触っていた。私も何度か触られたことがある。また、暇なときに『遊んでえな』とか言っていた。さらに、『お加持やで』と言いながら私の肩を触ったことが一回か二回あった。」

(五) 本件各不法行為後の状況に関し

「特に太ももを触られるという第三の不法行為があってから、被告乙山のそばになるべく行かないようにし、避けていた。寺院内で会うことはあったが、私の方から言葉をかけることはなく、会釈くらいしかしないことにした。こうした状況が退職まで続いた。」

2 丁原は、証人尋問で次のように供述している。

(一) 第二の不法行為に関し

「原告は、被告乙山におにぎりを持って行って台所に帰って来ると、顔色を変えて、『後ろから抱きつかれた。もう絶対行かへんから。明日は丁原さん持って行ってな』と言っていた。翌日、私(丁原)がおにぎりを事務長室に運び、被告乙山がいたので、おにぎりを乗せたお盆を被告乙山に渡そうとしたところ、被告乙山は下から私の手を握りしばらく離さないので『ええ加減に取ってください』と言って、おにぎりを渡してきた。台所に戻り、戊田に説明したら、戊田は『もう明日から止めときましょう』と言っていた。」

(二) 第三の不法行為に関し

「平成六年一月下旬ころ、原告と二人で茶所で椅子に座って休憩していたところ、突然、被告乙山が入ってきて、原告の前に座り、『ええなあ』と言いながら原告の太ももあたりを触った。原告は驚いて立ち上がると、被告乙山は、今度は私の方を向いて、私の太ももを触ったので、私もびっくりして立ち上がった。原告が障子のところに行き、障子を開けたところ、被告乙山は何も言わずに出て行った。

3 被告乙山は、本人尋問で次のように供述する。

(一) 第一の不法行為に関し

「平成三年五月二八日に天皇陛下が被告丙川寺に来られたので、それに先立ち被告丙川寺内に貼ってあった貼り紙を全部取り外した。天皇陛下が来られた後に、再び貼り紙をすることになり、私が検乙六号証に写っているような『火の用心』等の文字を紙に書いた。その際、男子トイレの貼り紙用に『小水を西や東にたれかけな。みな見に来る人が汚がる』というような東西南北の字を入れた戯れ歌を書いたが、ふと福島県の磐城地方の古い戯れ歌として知っていた甲一号証の句を思い出したので、甲一号証を書いて、他の貼り紙と一緒に台所に持って行き、原告や丁原、乙野らに見せた。甲一号証は、貼り紙用ではなく、皆を笑わせるために書いたものであり、それを見て、皆は笑っていた。その後、原告らは貼り紙を各場所に貼っていたが、原告が甲一号証を所持していることからすると、その日、原告がそれを持ち帰り保管していたと考えられる。甲一号証を原告個人に渡したことはない。」

(二) 第二の不法行為に関し

「時期ははっきりしないが、原告が一度昼食におにぎりを持って来てくれたことがあった。お礼は言ったと思うが、それ以外にはどのようなやりとりをしたかは記憶にない。丁原がおにぎりを持ってきたことは記憶にない。原告に抱きついたり丁原の手を握ったことはない。」

(三) 第三の不法行為に関し

「平成五年か六年の被告丙川寺の行事である御修法が終わった翌日である一月一五日に、茶所に原告と丁原がいたところに入って行って座り、衣を広げて、衣の紐が外れかかっていたのでその修理を頼んだことは、記憶している。原告や丁原の身体を触ったことは、全くない。それ以外に原告と丁原がいる茶所に入って座ったことはない。」

(四) その他の不法行為に関し

「『お加持やで』と言って女性職員の肩を触ったことはあるが、原告や丁原の肩を触ったことはない。なお、お加持とは、手を当てるとお陰があるという宗教上の言葉である。また、『筆おろしやで』と言って、筆先で原告ら女性職員の肘から手首あたりを触ったことはあるが、それは、筆を洗い場で洗っているときに、女性職員が大きな筆を珍しがって寄ってくるので、筆に使っている毛にはいろんな種類があるということを説明しながら、筆先は柔らかくて気持ちいいよという趣旨でしたものであり、女性職員が嫌がっていたことはない。」

4 戊田は、第二の不法行為に関し、次のように証人尋問で供述している。

「被告丙川寺には、平成二年一〇月から調理関係の仕事の担当として勤務しており、現在アルバイトの身分である。時期は覚えていないが、原告や丁原が被告乙山に昼食を運んだことはあったが、どちらからも被告乙山から抱きつかれたり手を握られたりしたという話は聞いていない。また、私が被告乙山に昼食を運ぶのを止めようと言ったこともない。」

三  以下、各不法行為の成否について検討するが、本件においては、第一の不法行為に関し被告乙山が作成したことに争いのない甲一号証が証拠として提出されている以外には、客観的な証拠はなく、関係者の各供述の信用性が争点である。

1 第一の不法行為について

(一) 被告乙山の筆に係る甲一号証を原告が所持しているところ、被告乙山は「平成三年五月ころ、原告らに冗談で見せたところ原告がそれを持ち帰って保管していた」旨を供述し、原告は「平成五年三月ころ、台所で仕事をしているときにポケットに入れられたものであり、帰る時にそれを見ると、びっくりして声も出ない状態で、ロッカーに突っ込んでおいた」旨を供述している。

(二) 原告が供述するように甲一号証を見て驚き憤慨したのであれば、原告としては、直ちにそれを証拠として被告丙川寺のしかるべき人物に申告するか、あるいは逆に、それを捨てるのが通常ではないかと思われるが、いずれでもないのに甲一号証を保管していたことについて、やや不自然な感は否めない。原告は、甲一号証を捨てないで持っていた理由について、「自分でもわからないんですが、ほかそうと思ったことはあるんですけれども、なんでか知らんロッカーに入れてしまって、帰りますので、ギュッと突っ込んで、帰ったわけです」とあいまいな供述をし、捨てないで持っていた理由が明らかではない。

2 第二の不法行為について

(一) 原告は、「平成五年九月ころ、おにぎりを被告乙山に持って行ったところ、被告乙山に背後から抱きつかれ、翌日は丁原が被告乙山から手を握られた。このため、戊田が『明日からおにぎりを持っていくのを止めよう』と言った」旨を供述し、丁原も同旨の供述をしている。

(二) しかし、戊田は、「原告や丁原から抱きつかれたり手を握られたとの話は聞いたことがなく、おにぎりを持っていくのを止める話はしたことがない」旨を明確に供述する。戊田は、現在もアルバイト職員として被告丙川寺に勤務し、被告丙川寺に不利な供述はしにくいということは一般的には考えられるが、戊田は、被告乙山が「筆下ろし」と言って遊んでいたことについて注意をしたことは明確に述べるなど、ことさら被告丙川寺に迎合して供述しているとは解されない。

3 第三の不法行為について

(一) 原告は、「平成六年の一月ころ、丁原と二人で茶所で座って休憩して いたときに、突然入って来た被告乙山から太ももあたりを触られた」旨を供述し、丁原も同旨の供述をしている。

(二) しかし、仮に、右のような出来事があり、原告と丁原が憤慨したのであれば、二人で、被告丙川寺のしかるべき人物に申告するかそうしないまでも今後どのような対策を取るかなどについて、相談するのが通常であると考えられるところ、丁原は、以後、原告とはその出来事について全く話をしたことはない旨を供述するところであり、太ももを触られるという重大な出来事があったわりに淡々としているのは、不自然である。

4 本件各不法行為後の状況について

(一) 原告は、本件各不法行為後の状況として、「特に太ももを触られるという第三の不法行為があってから、被告乙山のそばになるべく行かないようにし、避けていた。寺院内で会うことはあったが、私の方から言葉をかけることはなく、会釈くらいしかしなかったし、こうした状況が退職まで続いた」旨を供述する。

(二) 確かに、本件各不法行為が存在したとすれば、原告が供述するように被告乙山との接触を避けることは当然であると思われるが、次の各事実が認められるところであり、原告が被告乙山との接触を避けていたとはとうてい考えられない。

(1) まず、《証拠略》によると、第一の不法行為があった翌月である平成五年四月、被告乙山が、原告と丁原にラピスの数珠を見せたところ、原告と丁原がラピスのネックレスをほしいと希望したため、被告乙山が販売業者に注文し、代金を原告と丁原から預かって、販売業者からラピスのネックレスを買い受けて、原告と丁原に渡したことが認められる(原告も、時期はわからないが、丁原や乙野と一緒に被告乙山を通じてネックレスを買ったことは認めている。)

(2) 《証拠略》によると、第二の不法行為があった翌月である平成五年一〇月ころ、原告は、被告乙山から絵画を見せられた際、その絵画を希望してもらい、お礼にスリッパを被告乙山に渡していること、そして、スリッパを被告乙山に渡すにあたり、「先日はすてきな絵画を有難とう御座いました。スリッパがだいぶいたんでますのでこれにかえて下さいませ。甲野花子」と記載したメモを添えていることが認められる(原告も、第二の不法行為の後に右の事実があったことは認めている。)

(3) 《証拠略》によると、第三の不法行為があった翌月である平成六年二月一四日のバレンタインデーに、原告と丁原が被告乙山に贈り物をしたことが認められる。

この点につき、原告は「みんながほとんどしていたから」と供述し、丁原は「被告乙山から三〇個もプレゼントをもらったなど催促されるようなことを言われたので、やむなく贈り物をした」旨を供述するが、《証拠略》によると、戊田は、たまに他の人と一緒に被告乙山にバレンタインデーの贈り物をしたことはあるが、例年被告乙山に贈り物はしていないこと、被告乙山は、被告丙川寺のすべての女性職員からバレンタインデーの贈り物をもらっていたわけではないことが認められるのであって、原告がやむなく被告乙山にバレンタインデーの贈り物をしたとは認めがたい。

(4) 検乙二及び五号証は、平成六年四月七日に撮影された写真であるが、前者は丁原が被告乙山の肩に手をかけて二人で写っている写真(撮影者・原告)、後者は被告乙山が原告の肩に手をかけて二人で写っている写真(撮影者・丁原)であり、写真からは、いずれも親しげな様子が窺える。

この点、丁原は、検乙五号証が提出される前の証人尋問において、「検乙二号証の写真は、被告乙山から写真を撮ろうといわれ、断れずにやむなく撮ったものである。私(丁原)が被告乙山の肩に手をかけているのは、後ろが細い欄干であり欄干に寄り掛かったときにふらついたところ、被告乙山が肩に手をかけてという合図をしたので、手をかけたにすぎない。原告は、被告乙山と一緒に写真を撮るのはいややと言って断っていた」旨を供述し、特に原告が同じ日に被告乙山の誘いを断り被告乙山とは一緒に写真を撮らなかった点については、主尋問、反対尋問のいずれにおいても供述しているが、その後の口頭弁論期日に被告らから検乙五号証が提出され、その場で原告も被告乙山と一緒に写真を撮っていたことが明らかとなった。

(三) 以上の事実からすると、第三の不法行為の後においても、原告と被告乙山との関係は、険悪なものではなかったことは明らかであり、原告が供述するように原告が被告乙山を避けていたという関係は認められない。

もちろん、被告乙山は、被告丙川寺の代表役員であり原告の上司であることからすると、原告としては、被告乙山の申出や誘いは断りにくいという面があることは否定できないが、例えば、前記絵画の件にしても、原告が被告乙山に積極的に絵画を譲ってほしい旨の申入れをし、お礼にスリッパを被告乙山に渡しているのであって、被告乙山の申出にやむなく応じたというものではない。したがって、原告と被告乙山との関係は、上司・部下という関係を十分考慮に入れても、険悪なものではなかったことは明らかである。

5(一) このようにみてくると、第一ないし第三の各不法行為については、原告や丁原の供述には疑問点があるうえ、本件各不法行為後の状況からすると、原告や丁原の供述は、全体としても信用性に乏しい。

(二) 他方、被告乙山の供述は、被告乙山が筆で原告ら女性職員の手を触ったことは認めるなど、自己に不利益な事実も認めており、供述に矛盾した点は見い出しがたく、全体として信用することができる。

(三) よって、第一ないし第三の各不法行為は認定できない。

四  その他の不法行為について、検討する。

1 《証拠略》によると、被告乙山は、冗談で甲一号証の書面を作成し、貼り紙用に書いた他の書面とともに、原告や丁原、乙野ら台所関係の仕事をしている女性職員に見せたこと、被告乙山は、筆を洗い場で洗っている時に、近くにいた原告ら女性職員に対し、「筆下ろし」などと言いながら、筆先で肘から手首あたりを触ったりしたことが数回程度あり、戊田から「先生やめとき」と一度注意されたことがあること、被告乙山は、原告の肩を一回か二回程度、「お加持やで」(触るとお陰があるという意味)と言いながら触ったりしたことについては、認めることができる(被告乙山も、これらの事実は概ね認める旨の供述をしている。)。

2 しかし、こうした行為は、その行為がされた状況や行為態様等からすると、社会的にみて許容される範囲を逸脱しているということはできないのであって、違法な行為とはいえない。そして、本件全証拠によっても、他に不法行為に該当する事実は認定できない。

五  そこで、被告の反訴請求について検討する。

1 被告らは、原告において、被告らの不法行為が存在しないのに、損害賠償の訴えを提起し、かつ、記者会見をしたことが、被告らの社会的名誉を著しく毀損した旨を主張する。

2 訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当であるところ(最高裁昭和六三年一月二六日判決・民集四二巻一号一頁参照)、本件では、被告乙山の不法行為が認定できないことは既に述べたとおりであるが、被告乙山において、社会的にみて許容される範囲を逸脱しているものではないとはいえ、筆先で原告ら女性職員の肘から手首あたりを触ったりするなどしたことは、前記認定のとおりであり、本訴請求の訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとは認められない。

また、記者会見の点についても、《証拠略》によると、本訴請求について訴えを提起したという内容の記者会見をしたというものであり、訴えの提起が違法とはいえない以上、記者会見をしたことが違法となるものではない。

3 よって、被告らの反訴請求は、いずれも理由がない。

六  以上からすると、原告の本訴請求及び被告らの反訴請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(口頭弁論の終結の日 平成一〇年一月二〇日)

(裁判官 大島真一)

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