大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成9年(ワ)2656号 判決 2000年1月20日

原告 医療法人 六合会診療所

右代表者理事長 中野勝輝

右訴訟代理人弁護士 井上二郎

同 中島光孝

被告 京都府国民健康保険団体連合会

右代表者理事長 江守光起

右訴訟代理人弁護士 中元視暉輔

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二万七七〇〇円及びこれに対する平成九年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、保険医療機関である原告が、国民健康保険の療養給付を担当する保険医療機関に支払うべき診療報酬の審査及び支払に関する事務を行う機関である被告に対し、診療報酬及び民法所定の遅延損害金(起算日は訴状送達の日の翌日)の支払を求めている事案である。

二  前提事実

以下の事実は、当事者間に争いがない事実及び文中掲記の証拠によって認定した争点判断の前提となる事実である。

1  国民健康保険法上の診療報酬支払手続の概要

(一) 保険関係の当事者

国民健康保険は、市町村(特別区を含む。以下同じ)又は国民健康保険組合(以下、両者を併せて「保険者」という。)を保険者とし、市町村の区域に住所を有する者を被保険者として、被保険者の疾病、負傷、出産等に関して保険給付を行うものであり(国民健康保険法(以下「国保法」という。)二、三、五条)、保険給付の中心は療養の給付であるところ、療養の給付は、診療、薬剤又は治療材料の支給、処置、手術その他の治療等であり(国保法三六条一項)、都道府県知事の指定を受けた病院若しくは診療所(以下「保険医療機関」という。)に被保険者証を提出して受けるものとされている(健康保険法(以下「健保法」という。)四三条三項一号、国保法三六条三項)。

(二) 保険医療機関の責務

国民健康保険事業は、その性質上、健全に運営されなければならず(国保法一条)、保険医療機関が療養の給付を担当する場合の準則については、健保法の規定による命令(健保法四三条の四第一項、四三条の六第一項)の例によるものとされているほか(国保法四〇条)、厚生大臣、都道府県知事の指導を受けることとなっている(国保法四条二項、四六条、健保法四三条の七)。右の準則(命令)の一つとして、「保険医療機関及び保険医療養担当規則〔昭和三二年四月三〇日厚生省令第一五号〕(以下「療養担当規則」という。)が定められている。

(三) 保険医療機関の診療報酬

保険者は、療養の給付に関する費用を保険医療機関に支払うものとされているが、保険医療機関が療養の給付に関し保険者に請求することができる費用の額は、療養の給付に要する費用の額から当該療養の給付に関し被保険者が当該保険医療機関に対して支払わなければならない一部負担金に相当する額を控除した額とされ(国保法四五条一項)、右額の算定については、厚生大臣の定める所による(同条二項、健保法四三条の九第二項)。

そして、保険者は、保険医療機関からの診療報酬請求に対し、前項の準則及び右算定方法等に照らして審査した上で支払うものとされている(国保法四五条四項)。

(四) 診療報酬支払等の委託

保険者は、診療報酬請求に対する審査及び支払に関する事務を都道府県の区域を区域とする国民健康保険団体連合会(以下「連合会」という。)に委託することができるものとされている(同条五項)。この場合、保険医療機関に対して支払われる診療報酬は、保険者から保険医療機関に直接支払われるのではなく、連合会を通じて支払われることになる。

なお、保険者から連合会が診療報酬の支払委託を受ける関係は、公法上の契約関係であり、かつ、連合会が右委託を受けたときは、保険医療機関に対し、その請求にかかる診療報酬につき、自ら審査したところに従い、自己の名において支払をする法律上の義務を負うと解される(最高裁昭和四八年一二月二〇日判決・民集二七巻一一号一五九四頁参照)。

(五) 連合会の審査委員会

診療報酬の支払等に関する事務を委託された連合会は、右委託に基づく診療報酬請求書の審査を行うために審査委員会を設けることとされている(国保法八七条)。

審査委員会は、都道府県知事が定めるそれぞれ同数の保険医及び保険薬剤師を代表する委員、保険者を代表する委員並びに公益を代表する委員をもって組織され(国保法八八条)、必要があると認めるときは、当該保険医療機関等に対して、報告、資料の提示、説明等を求めることができる(同法八九条一項)。

2  療養担当規則と抗生物質の使用基準

保険医療機関が療養の給付をするにあたって遵守すべき療養担当規則及び厚生省保険局長から各都道府県知事宛の抗生物質の使用基準(昭和三七年九月二四日保発四二)中、本件に関係する部分の概要は以下のとおりである。

(一) 療養担当規則

(1) 療養担当規則によれば、以下の一般的方針が規定されている。

① 二条二項(療養の給付の担当方針)

保険医療機関が担当する療養の給付は、被保険者(中略)の療養上妥当適切なものでなければならない。

② 一二条(診療の一般的方針)

保険医の診療は、一般に医師(中略)として診療の必要があると認められる疾病又は負傷に対して、適確な診断をもととし、患者の健康の保持増進上妥当適切に行わなければならない。

③ 一八条前段(特殊療法等の禁止)

保険医は、特殊な療法又は新しい療法等については、厚生大臣の定めるもののほか行ってはならない。

④ 一九条一項前段(使用医薬品)

保険医は、厚生大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し、又は処方してはならない。

(2) そして、保険医の診療の具体的方針として、同規則二〇条において、診察、投薬、処方せんの交付、注射並びに手術及び処置等について具体的方針を列挙し、同条八号において、その他の特定の疾病や特定薬剤(抗生物質製剤を含む。)による治療の方針、治療基準及び治療方法については、厚生大臣の定めるところによるほか、同条各号に定めるところによると規定しているところ、本件に関連する規定の内容は以下のとおりである。

二号 投薬

イ 投薬は、必要があると認められる場合に行う。

ロ 治療上一剤で足りる場合には一剤を投与し、必要があると認められる場合に二剤以上を投与する。

ハ 同一の投薬は、みだりに反覆せず、症状の経過に応じて投薬の内容を変更する等の考慮をしなければならない。

ニ 栄養、安静、運動、職場転換その他療養上の注意を行うことにより、治療の効果を挙げることができると認められる場合は、これらに関し指導を行い、みだりに投薬をしてはならない。

(二) 「抗生物質の使用基準」について

「抗生物質の使用基準」は、前記療養担当規則二〇条八号を受けて、厚生省保険局長から各都道府県知事宛に発出されたものであり、第一に「抗生物質の種類」を列挙し、第二に「治療方針」として、一般的方針を示し、第三に「各抗生物質の使用基準」として、各薬剤ごとの使用基準(適応症と標準的使用法及び用量)が規定されている。本件に関係する部分は以下のとおりである。

第一抗生物質の種類

1の2 合成セファロスポリンC系薬剤

第二治療方針

1  抗生物質療法を行なうにあたっては、まず対象となる疾病の診断を臨床的に確定するばかりでなく、診療上必要な場合には細菌学的診断を行なう。

4  抗生物質の使用に際しては、耐性菌の出現、抗生物質に対する過敏性の獲得を考慮し、その乱用をつつしみ、常に副作用の発現に注意し、アレルギー反応、特にアナフィラキシーショックに対しては適切な防止策を講ずるとともに、反応が起きた場合、ただちに適切な措置を講ずることができる準備をしておくことが必要である。

5  抗生物質の選択にあたっては、その疾病に最も有効な薬剤の使用を第一条件とする。副作用に十分留意するとともに、同一効果をもたらす薬剤間の選択にあたっては、経済的考慮を払う。

第三各抗生物質の使用基準

1の2 合成セファロスポリンC系薬剤

(1)  適応症(省略)

(2)  標準的使用法及び用量(以下「標準的使用法」という。)

成人は一日量一〇〇〇mg(力価)、小児は一日量二〇~四〇mg/kgを夫々二回に分割し、筋肉内或いは静脈内に注射する。髄腔内注入は成人一日量五〇~一〇〇mg(力価)とする。

3 セファメジン等の用法

(一)  右のとおり「抗生物質の使用基準」上、合成セファロスポリンC系薬剤の標準的使用法には洗浄に使用する用法は掲げられていないところ、同系薬剤の一種であるセファメジンの製造元作成の添付文書(乙三)にも、セファメジンは注射用と明記され、用法として静脈内注射と筋肉内注射のみが記載され、その特徴として、注射によって速やかに高い血清中濃度が得られ、体内ではほとんど代謝されることなく高濃度で尿中に排泄され、かつ胆汁中への移行も良好であるとされている。そして、適用上の注意は、静脈内投与時と筋肉内投与時についてのみ記載され、体内薬物動態についても、注射(静注、筋注)の場合の血清中濃度の変化等が分析され、臨床適用は、比較試験及び一般臨床試験(静注、点滴静注、筋注を含む。)で得られた一三一二例に基づいて臨床効果が分析され、副作用及び臨床検査値の変動も総症例八万四七九九例(静注、点滴静注、筋注)に基づく分析結果が記載されている。

(二)  これに対し、硫酸ポリミキシンBは、「抗生物質の使用基準」上も洗浄用としての使用が認められているところ、その製造元作成の添付文書(乙四)には、用法として、経口投与と局所投与が記載されており、局所投与の欄には、創傷・熱傷及び手術後の二次感染に使用する場合は生理食塩水等に溶解して患部に散布する用法、膀胱炎に使用する場合は同様に溶解して膀胱内に注入又は洗浄する用法、副鼻腔炎・中耳炎・骨髄炎・化膿性関節炎に使用する場合には同様の溶解して患部に注入、噴霧もしくは散布する用法等が示され、それぞれの溶解率や最高投与量の限界を示している。そして、使用上の注意にも局所投与時の注意事項の記載がある。

4 当事者

原告は、診療所を開設し、京都府知事から健保法四三条三項一号、同条の三第一項の保険医療機関の指定を受け、保険医療に従事しているものである。

被告は、国保法八三条により、保険者が国保法に基づいて行う療養給付の費用(同法四五条一項)につき、保険者の委託を受けて(同法四五条五項)、療養給付を担当する保険医療機関に支払うべき診療報酬の審査及び支払に関する事務を行い、診療報酬につき自ら審査したところに従い、自己の名において支払をすることを業務とする公的団体である。

5 原告のA野太郎に対する治療

訴外A野太郎(以下「本件患者」という。)は、昭和二九年腎臓結核のため右腎臓剔出、左尿管皮膚瘻の手術を受け、それ以来腎不全が徐々に進行し、数年前から透析をしている状況にあるところ、透析に伴い尿量が少なくなり、皮膚瘻に膿が出るので、感染防止のためにその部分の洗浄が必要となっている。

原告代表者である中野勝輝医師(以下「中野医師」という。)は、平成五年七月より本件患者の診療を担当し、標準的使用法と異なり、皮膚瘻の洗浄用に抗生剤であるセファメジン(合成セファロスポリンC系薬剤)を生理食塩水とともに使用してきた(以下、セファメジンのこのような使用方法を「本件診療行為」という。)。

6 本件診療行為についての診療報酬の支払状況

本件患者が社会保険の被保険者であったときは、本件診療行為につき、何のクレームや減点措置もなく診療報酬が支払われてきたが、本件患者が、平成六年一月に退職に伴い社会保険の被保険者から国民健康保険の被保険者に変わった後の平成六年六月分及び七月分の本件診療行為についての診療報酬につき、被告は減点措置をし、支払を拒否した。

しかし、その後は減点措置をしなくなっていたが、平成七年一一月分の本件診療行為についての診療報酬につき、再び減点措置がなされた。

平成七年一一月分の本件診療行為についての減点措置により支払が拒否された診療報酬は、次のとおりである(これが本訴請求にかかる被告の支払拒否部分である。)。

生理食塩水 一九五点×二=三九〇〇円

セファメジン 一一九〇点×二=二万三八〇〇円

合計 二万七七〇〇円

三 争点

本件の争点は、本件診療行為は、健保法、国保法及び療養担当規則等の関連法規に従った療養の給付、すなわち、診療報酬請求権が発生する療養の給付に該当するか否かにつきるが、より具体的には以下の点が検討されなければならない。

1 「抗生物質の使用基準」に記載された合成セファロスポリンC系薬剤の標準的使用法は、例示列挙か制限列挙か。

2 本件診療行為は、診療報酬請求権を認めるに足りる治療法としての妥当適切性を有するか。

四 争点に関する当事者の主張

1 争点1(「抗生物質の使用基準」に記載された合成セファロスポリンC系薬剤の標準的使用法は、例示列挙か制限列挙か。)について

(一)  原告の主張

(1) 療養担当規則の解釈について

国保法は、「社会保障及び国民保険の向上に寄与することを目的とする」ものであって(同法一条)、健保法等と相まって、医療における国民皆保険体制を実施するためのものであり、また、歴史的にみても、受給権者の拡大と給付内容の拡大、普遍化の経過をたどっている。このように拡大、普遍化した医療給付は、憲法二五条の生存権保障を具現化したものと捉えるべきものである。国保法三六条は、保険者の被保険者に対する療養義務を定めるが、これは、被保険者ら国民に対し、合理的理由なしに医療制限を受けることなく、医学常識に照らして妥当適切な医療給付を受けることができる権利を具体的に保障したものである。

療養担当規則は、右のように、憲法の生存権理念に裏打ちされた社会保障制度としての医療給付の準則であり、それは、医療行為が「患者の健康の保持増進上妥当適切」であること(療養担当規則一二条)を積極的に担保するためのものであって、決して医療行為を制限・消極化することを目的とするものではない。また、医療行為は、本質的に、患者の個体差、症状の具体的態様に応じて、極めて個別かつ多様、多義的なものであり、そこには担当医師の裁量に依拠すべき領域・範囲が不可避的に存在する。

したがって、療養担当規則は、医療行為の妥当適切性を判断する上での無視できない準則の一つではあるものの、ある治療行為にある薬剤を使用することが相当であるかどうかは、それが療養担当規則に記載されているかどうかの形式的判断によるべきではなく、「社会保障及び国民保健の向上に寄与する」(国保法一条)見地から、当該薬剤を当該治療に用いることが医学常識に照らして「妥当適切」かどうかを実質的に判断すべきものである。「診療の具体的方針」の一つとして「厚生大臣の定めるところ」の「抗生物質の使用基準」に記載されている抗生物質の使用方法も、これを制限的列挙ではなく、例示的列挙と解すべきである。

「抗生物質の使用基準」にはセファメジンもその一種である合成セファロスポリンC系薬剤の「標準的使用法」が定められ、筋肉内あるいは静脈内注射、髄腔内注入の方法が記載されているが、これらは文字どおり「標準的」使用法を例示したものであって、決して他の使用法を禁じたものではない。

(2) 被告の主張に対する反論

被告が、その墨守を主張する「抗生物質の使用基準」は、昭和四二年に作成、最終改正された三〇年以上も前のものであるが、この約三〇年間の医薬品や医療技術の発展・進化は文字通り日進月歩である。

医薬品の効能や副作用、使用上の注意などは頻繁に改正されているのに、医療や医療技術の進化、それに伴う現在のすう勢を全く無視して、三〇年以上も前の「抗生物質の使用基準」を制限的列挙と解する被告の主張は、医療現場を無視したもので、あまりにも非現実的かつ不合理であって、解釈としても妥当でなく、また社会的合意を得られず、当然に例示的列挙と解すべきものである。

被告は、当該医療行為が「妥当適切」かどうかと、それが診療報酬の対象となるかどうか、とは必ずしも一致せず、当該医療行為が妥当適切であっても、それが療養担当規則に合致しない場合は、自由診療とはなっても、保険診療とはならない旨主張している。

しかしながら、右主張は、給付内容の拡大・普遍化と国民皆保険を指向する社会保障法としての国保法の趣旨・理念に反するものである。「自由診療」は、患者の負担が大きく、また、「自由診療」がいくらかでも多いと、保険者側により、当該保険医療機関に対して、保険医療機関の指定を取り消すとの圧力が加えられ、指定が取り消されることもあり得るから、「自由診療」は、文字通り自由に行えるものでもない。

そして、保険医療機関の指定を取り消されると、医療機関としては事実上成り立たなくなるから、結局、自由診療はできず、妥当適切な診療行為を行っても、その費用は、当該医療機関が負担せざるを得ないことになる。このように、報酬請求を拒否されても、自由診療で行えばよいとの主張は、あまりにも非現実的で、医療機関に事実上、不可能を強いるものである。

以上のことは、保険者が診療報酬の「審査」及び支払を被告に委託し、被告が審査委員会を設置していることからも裏付けられる。仮に診療報酬を支払うべきかどうかの判断が療養担当規則の文言にあてはまるかどうかの形式的判断のみでなされるならば、保険者は「審査」を被告に委託する必要はないし、また、被告も審査委員会を設置する必要もないからである。

(二)  被告の主張

保険診療は、もともと保険医療機関の指定、すなわち、療養担当規則等の関連法規に従った療養の給付を委託する公法上の契約に基づき行われるものであるが、これは制度的に全国民の負担と給付の公平を図りつつ、健康の増進を図るという公共性を有するものであり、保険診療における療養給付については、国民の拠出による財源を用いて支払われるという側面を無視することはできない。

したがって、保険診療の報酬請求権が成立するためには、自由診療とは異なり、医学常識に照らして妥当適切かを判断すれば足りるものではなく、当該診療が当時の一般的な医療水準に適合しているほか、療養担当規則等に定める診療の必要性ないし薬剤等の使用基準等についての制約に従っているかどうかの見地において、療養担当規則等の関連法規に適合しているかどうかという判断がなされるべきものである。関連法規との適合性の判断と関係なく、「妥当適切」を判断することは保険診療では認められない。

「抗生物質の使用基準」における抗生物質の標準的使用法は、法規に基づいて定められた使用方法であって、制限的列挙であると解され、これと異なる使用法を用いた診療は、保険診療としての適合性を有しない。

2 争点2(本件診療行為は、診療報酬請求権を認めるに足りる治療法としての妥当適切性を有するか。)について

(一)  原告の主張

(1) 本件診療行為の妥当適切性

本件患者は、自尿がほとんど出ないために、尿管皮膚瘻からの感染症が致命的な結果をもたらす危険があるところ、患部の膿を取り出すために皮膚瘻を洗浄するには、生理食塩水とセファメジンを用いることが次のとおり必要不可欠であり、かつ、療養担当規則の趣旨に合致した妥当適切な治療法であるから、原告は被告に対し診療報酬を請求することができる。なお、本件患者が社会保険の被保険者であったときは、生理食塩水及びセファメジンの使用につき、何のクレームや減点措置もなく診療報酬が支払われてきたことも無視すべきではない。

① 中野医師が本件患者に対し、かつて生理食塩水だけで洗浄したときは、発熱及び出血が生じた。

② 感染防止のために抗生剤を使用するには、内服、注射、点滴といった投与方法も考えられるが、毎日、長期間にわたって抗生剤を使用しなければならない本件患者の場合、これらの方法は、肝臓、腎臓等に悪影響を及ぼし、体力を弱めてしまうので適切でない。投与方法については、患者の状態に応じた必要かつ適切なものが主治医によって選択されるべきである。

③ 本件患者の皮膚瘻の洗浄のためには、セファメジン以外の抗生剤を用いることも考えられる。

しかし、中野医師は、平成九年一月九日から同年四月三日まで、セファメジンにかえ、ポリミキシンを使用して本件患者の皮膚瘻の洗浄を行ったが、ヘマトクリット値(血液中にしめる血球部分の割合)の低下という重大な副作用が生じたため、同月四日からセファメジンに戻したところ、右副作用は解消した。

また、その他の抗生剤についても、本件患者に対する副作用の有無が判明していない。

これに対し、セファメジンについては、本件患者に対し特段副作用がないことが臨床的に実証されているのであって、セファメジンを用いることが最も妥当でかつ適切な治療方法である。

前記治療方針(前提事実2(二)(2))も、抗生物質の使用に際しては、副作用の発現に注意することを要求し、抗生物質の選択にあたっては、その疾病に最も有効な薬剤の使用を第一条件とするものとしている。

④ 製造発売元作成の添付文書に注射用と記載されているからといって、これを洗浄に用いることが禁忌とされているわけではない。

(2) 抗生剤の使用実態

中野医師は、京都大学医学部外科学教室及び平成一一年八月に行われた同学部外科夏期研修会に出席予定の各医師を対象に抗生剤の使用に関するアンケートを行ったが(甲一二、一四~三九。以下、両者を合わせて「本件アンケート」という。)、右アンケート結果により、京大病院を含め各地の医療機関でポリミキシン、ペニシリン系以外の抗生剤と生理食塩水による洗浄が広く行われていること、回答中、洗浄に生理食塩水の使用を否定するものは一例もないことが認められ、生理食塩水とセファメジンを用いての治療は、今日における医療水準、医療方法として一般化している。

もっとも、本件アンケートの回答には一部洗浄に抗生剤を使用しないとするものもあるが、それらは、質問が「洗浄」とのみ記載し、術後の急性期洗浄と本件のような慢性の場合とを区別していないために、「洗浄」という用語から外科医としては術後の急性期洗浄のみを念頭において回答したのではないかと考えられる。

(3) 被告の主張に対する反論

被告は、洗浄に用いる抗生剤として認められているのはポリミキシンBのみであると主張する。

しかし、療養担当規則に基づき定められた「抗生物質の使用基準」によれば、例えば、ペニシリン系薬剤の使用方法について、注射、経口投与ばかりでなく、髄腔内注入、経気道注入、胸腔内注入、関節腔内注入、病巣内注入等「注入」のための使用、外用法として感染予防のため「溶剤」としての使用、手術後の感染予防のための局所使用をも認めている。これら抗生剤を注入して排液するのは洗浄にほかならないし、また抗生剤を「溶剤」で用いるのは洗浄のためである。

現に、本件アンケートが示すように、医療現場においては、洗浄用に感染症防止のために、ポリミキシンB以外にも、合成セファロスポリンC系薬剤の抗生剤は、日常的に用いられている。

生理食塩水とセファメジンを用いての局所、患部洗浄、投与は国内にとどまらず、ドイツ、イタリアにおいても行われており、かかる療法は治療上極めて有効なものとして医療現場では実際に一般的に行われているのであるから、これをことさら保険の適用から除外すべき理由はない。

したがって、被告の右主張は、療養担当規則の解釈としても誤りである。

(二)  被告の主張

本件診療行為については、次の理由により、診療報酬を請求することができない。

(1) 療養担当規則二〇条は、抗生物質製剤による治療の治療方針、治療基準及び治療方法は、厚生大臣の定めるところによるとしているところ、「抗生物質の使用基準」は、セファメジンを含む合成セファロスポリンC系薬剤を洗浄用に使用することを認めていない。保険診療において、洗浄に用いる抗生剤として認められているのは、硫酸ポリミキシンBのみである。

(2) 国内で製造ないし販売される医薬品は、その効能効果、副作用等につき厚生省令で定める臨床試験成績等の資料に照らして審査を受け、厚生大臣の承認を受けなければならない(薬事法一四条、二三条)とされ、医薬品の添付文書には、厚生大臣による承認を受けた効能効果、すなわち、厳密な臨床試験により人体への有効性及び安全性が確認された疾患ないし症状が記載されている。

そして、一般に臨床医は、診療に際しては、添付文書の効能効果欄の記載に従って施用し、記載のない効果を期待して施用するものでないうえ、「保険医は、厚生大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し、又は処方してはならない」(療養担当規則一九条)から、医師の裁量により、厚生大臣が承認した効能効果、用法及び用量を無視した施用をしても、保険診療としては一般的な医療水準に即した妥当適切な診療とは認め難い。

本件では、セファメジンの添付文書(乙三)には、静注用・筋注用のみに使用する趣旨が記載されており、これを洗浄用に用いることは、療養担当規則に適合していないし、また、セファメジンと一体化して用いられた生理食塩水の使用も同様である。

(3) 本件アンケートの回答内訳によると、回答二七例中、洗浄に抗生剤を使わない、もしくは使わないのを原則とするものが一七例あり、ポリミキシン、ペニシリン以外の抗生剤を使用するとするものは二七例中九例にすぎない。

このように、セファメジンを用いた洗浄については、保険診療としての関連法規との適合性を前提とした「妥当適切」の判断以前に「一般的な医療水準」に適合しているか否かについても問題を残している。

第三当裁判所の判断

一  争点1(「抗生物質の使用基準」に記載された合成セファロスポリンC系薬剤の標準的使用法は、例示列挙か制限列挙か。)について

1  国民健康保険及び療養担当規則の趣旨・目的

国民健康保険は、前提事実1で示したように、被用者以外の一般住民を対象とし、その疾病、負傷、出産、死亡に関して療養の給付その他の保険給付を行うことを目的とする医療保険の一つであり、被保険者も一定の保険料を納付し、それが財源の一部となっているが、保険財源の多くが国庫負担となっており、社会保険的性格を有するといわれている。このような保険制度を健全に維持するためには、健康の保持・増進を基本としつつも、保険給付が適切かつ公平になされなければならないことはいうまでもない。

そこで、国保法は、健保法と同様に、保険医療機関等が行う療養の給付は準則(命令)の定めるところに依拠すべきものと定め、その準則として、療養担当規則において、保険医療機関等が療養の給付を担当する一般的方針を定めるとともに、具体的指針として「抗生物質の使用基準」が定められている。

2  診療報酬請求権発生の要件

そして、保険医療機関は、命令の定めに従って、病院若しくは診療所の開設者の申請に基づき、都道府県知事によって指定され(健保法四三条の三)、療養担当規則等の準則を遵守して診療等の療養給付をすべきものとされ、さらに厚生大臣、都道府県知事の指導を受けることとなっており、右指定は、被保険者に対する療養の給付の業務の委託を目的とした公法上の準委任契約と解される。

したがって、保険医療機関等は、これらの準則に従って療養の給付を行わなければならず、その場合において、委任の趣旨に従った事務処理をしたものとして診療報酬請求権が発生するものというべきであり、診療報酬の支払を委託された連合会は、保険医等の専門家を含む審査委員会において、保険医療機関等から提出された請求書及び請求明細書(必要な場合は報告・説明を徴求)によってその診療内容が療養担当規則等の定めに合致しているかどうか、その請求額が診療報酬点数表に合致するかどうかを検討して、適正妥当な療養の給付に対し、それに相応する診療報酬額を査定し、その支払を行うこととなるものである。

3  「抗生物質の使用基準」の解釈

(一) 本件で問題となる「抗生物質の使用基準」は、前提事実2のとおり、抗生物質の種類を特定し、基本的な治療方針を定めたうえ、各抗生物質毎に具体的な適応症、標準的使用法及び用量がそれぞれ詳細に規定されている。

これは、前提事実3に示したように、セファメジン等の薬剤は、用法及び用量を特定してその動態、効果、禁忌等が臨床試験等で確認されて承認を受けているものであり、「抗生物質の使用基準」が保険薬と指定した薬剤について、右のようにして承認された用法や用量に従って具体的に規定するのは、安全で適切な療養の給付を行うために当然のことといえる。とりわけ抗生物質は副作用の危険が常にあることからして、その用法や用量の規定は重要である。

加えて、「抗生物質の使用基準」が標準的使用法や用量を詳細に規定しているのは、一定の財源の下に維持される保険診療において、一般的な医療水準を勘案したうえで、使用しうる薬剤を特定し、その適応症や用法及び用量についての基準を明らかにし、保険給付を受けられる療養の給付の内容を明確化することにより、一般的な医療水準に適合し、かつ、公平な療養の給付を行わせ、診療報酬の審査を適正迅速ならしめることにもあると考えられる。

先に述べた国民健康保険及び療養担当規則の趣旨・目的、診療報酬請求権発生の要件に加え、「抗生物質の使用基準」が右のような趣旨のものであることからすれば、保険医療機関等は、原則として、これに従った療養の給付を行うことが義務づけられているというべきである。

したがって、抗生物質の使用については、単に「抗生物質の使用基準」に定められた種類であればよいとするものではなく、用法についても基準に合致していることが必要であることは明らかである。

(二) しかるところ、原告は、憲法の生存権保障や国保法一条の趣旨に加えて、医療行為の個別性等を根拠に、療養担当規則等は保険診療の妥当適切性を判断する一つの準則にすぎず、療養の給付の保険診療の可否は、医学常識に照らして「妥当適切」かどうかを実質的に判断すべきであるとして、「抗生物質の使用基準」の示す標準的使用法も一つの例示と解するべきであると主張する。また、原告は、標準的使用法を制限列挙と解釈すれば、日進月歩による医療技術の発展に対応しなくなること、規則の文言にあてはまるか否かの形式的判断のみで審査されるのであれば審査委員会は必要ではないこと、「抗生物質の使用基準」は昭和四二年に改訂された後三〇年以上も見直しもされていないこと、保険診療の対象にならない療法は、自由診療により行えばよいとの被告の主張に対しては、自由診療がいくらかでも多いと、保険者側が、当該保険医療機関に対して、保険医療機関の指定を取り消すこともあり得ることなどを主張している。

しかし、原告の主張するように標準的使用法を一つの例示にすぎず、診療行為の妥当適切性こそが審査されるべきであるとすると、療養の給付の安全性を損なう危険も生じかねないし、保険制度の下で行われる療養の給付の内容が不明確になり、保険財源との適合性を欠く事態も予想されるし、公平な給付を維持するための適正迅速な審査も困難になるなどの制度趣旨に反する問題を生じさせることになる。このような問題を回避することにより、現代医学の先端医療が保険診療として認められないこともないわけではないが、保険制度の内在的制約としてやむをえないというべきである。

また、自由診療の場合の指定の取り消しのおそれは、制度の運用の問題であり、しかも、原告の主張自体一般的抽象的なおそれをいうものに過ぎず、療養担当規則等の解釈に直ちに反映するものではない。

(三) もっとも、原告が主張するように保険医療機関等が遵守すべきものとされる準則等が一般の医療水準と乖離するような状況があれば、それは健康の保持・増進を目的とする国保法の精神に悖る結果を招来するものといわなければならない。その限りにおいて、「抗生物質の使用基準」の明文の規定に厳格には一致しない診療行為であっても、右基準の許容範囲として、保険診療と評価することが許される場合もあるというべきである。

具体的には、記載された用法と異なる用法で使用する場合には、療養担当規則等との適合性、すなわち、記載された用法と異なる用法が、必要不可欠であることの十分な根拠があり、予定された用法と同等の効果を持ち、副作用などの点において記載された用法と実質的に同一であることが一般的に明らかであることを厳密に立証する必要があると解するべきである。

原告と被告は、「抗生物質の使用基準」を例示列挙と解するか制限列挙と解するかで争っているが、右に判示したところからすれば、基本的に遵守しなければならない基準という意味からは制限的列挙というべきであるが、一定の要件の下では、文字通りの一致を要求されるわけではなく、許容範囲を観念しうるという意味では例示的であり、いずれと解するかは言葉の問題にすぎない。

二  争点2(本件診療行為は、診療報酬請求権を認めるに足りる治療法としての妥当適切性を有するか。)について

1  本件患者の治療経過

前提事実5・6及び《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件患者は、昭和二九年ころ、腎臓結核のため右腎臓剔出、左尿管皮膚瘻の手術を受け、以来腎不全が徐々に進行し、数年前から透析を行うようになっているが、尿量が少なくなり、自尿がほとんど出ない状態にあるため、尿管皮膚瘻からの感染症が致命的な結果をもたらす危険があり、感染症を防止するために、ほぼ毎日、尿管皮膚瘻部分(以下「患部」という。)の洗浄を行っている。

(二) 中野医師は、高雄病院に勤務していた昭和六三年ころから本件患者の主治医となり、六合会診療所を開設した後の平成五年七月からは、同診療所で本件患者の治療を担当してきている。

中野医師は、高雄病院時代には、本件患者の患部の洗浄に生理食塩水に加えてペニシリン系薬剤であるペントシリンを使用してきた。右用法は、療養担当規則及び「抗生物質の使用基準」により認められていたが、本件患者の場合、連用しなければならないため、耐性菌を生じる危険性が高いと考えてペントシリンの使用を中止し、代わりにセファメジンを使用することとした。

本件患者が社会保険の被保険者であった時代(平成六年一月まで)及び国民健康保険に代わった後も平成六年五月までは、セファメジンの右のような使用についての診療報酬請求が否定されたことはなかったが、平成六年六月と七月分の請求について否定される事態が生じ、中野医師の説明もあってその後は再び容認されていたが、平成七年一一月分以降について再び否定されるに至った。

平成七年九月ころには、本件患者は、自ら生理食塩水を購入してそれだけで洗浄することを試みたが、発熱し、出血が生じ、CRP(Cリアクティブプロテイン=細菌感染を示す血液検査項目)が上昇する状態となったために、中野医師はこれを中止させたことがあり、さらに中野医師は、平成九年一月九日から同年四月三日まで、「抗生物質の使用基準」により洗浄のための使用が認められている硫酸ポリミキシンBを使用することとしたところ、それまでは二六パーセントないし二八パーセント程度(成人男子の平均値は四〇ないし四八パーセントであるが、透析により低下している。)であった本件患者のヘマトクリット値が徐々に低下し、最低値で二一・八パーセントまで下がったため、その使用を中止するに至り、その後再びセファメジンに戻したところ、二六パーセント台に回復してきたことから、現在においてもセファメジンの使用を継続している。

(三) 中野医師は、本件患者の感染症を防止するには、生理食塩水にセファメジンを加えて患部を洗浄する本件診療行為が必要不可欠であると主張し、右のとおり現に実践しているのであるが、セファメジンを標準的使用法である注射の方法で使用することは、本件患者のように連用しなければいけない場合、注射により全身に抗生物質を投与すれば、肝臓障害等の副作用を生じさせる危険があり、局所療法で足りる以上避けるのが望ましく、本件患者については、本件診療行為が臨床的に見て適合しており、相当期間の使用によっても特段の不都合は生じていないから、他の治療法に変更することは考えていないという。

2  医学文献での報告例

(一) 『手術』第四八巻第一一号は、十二指腸潰瘍穿孔に対する手術時の腹腔内洗浄について、開腹後の腹腔内洗浄では、生理食塩液を一〇リットル以上用いて膿汁等を除去する方法(一七五一頁)、同手術での閉腹の際に腹腔内を温生理食塩水で十分洗浄する方法(一八〇六頁)、直腸内洗浄に際し生理食塩水を用いる方法(一八三七頁)を示している。

(二) 『図解ドレナージハンドブック』は、膿瘍ドレナージについて、抗菌薬入り生理食塩水をドレーン内に注入し水封する方法を紹介するとともに、ドレーン管理として、ドレナージの数日後から五〇倍前後に希釈したイソジンを用いた洗浄方法を紹介している(四六頁)。また同誌は、本件患者と同様の症状とされる後腹膜膿瘍の術後管理として、ドレナージにおける膿瘍腔の洗浄について、抗菌薬やイソジンを混じた生理食塩水で連日洗浄する用法を紹介している(八九頁)。

(三) 『臨床と研究』六一巻五号で姫路赤十字病院内科綱島武彦他は、「超音波映像下ドレナージにより治癒し得た肝膿瘍の一例」として、抗生剤の全身投与だけでは効果がみられなかったケースで、超音波下に肝膿部にPTCドレナージを行い、朝・夕に生理食塩水に溶したセファメジン一グラムを注入して洗浄し、セファメジン六グラムの点滴をしたことによって劇的に解熱し治癒に至った事例が報告されている。

(四) 『外科診療』九七三巻は、大阪市立大学医学部第一外科佐竹克介他の「Cef-azolinの腹腔内移行」において、手術時に開腹した患者一三名を対象とした実験により、セファメジンを生理食塩水で溶解して腹腔内に散布した場合、腹腔内のセファメジン濃度が比較的高く又長時間持続することが明らかになり、血中濃度においても、静脈内投与群と比べて一過性の高値は得られないものの、長時間高値を維持することができ、静脈内投与より腹腔内投与の方が腹膜炎治療の一手段として効果的であると報告されている。なお、同報告は、抗生物質の全身投与は、投与された抗生物質がどのくらい感染巣に移行するかが問題であり、血中の抗生物質濃度が十分高値でないかぎり、腹腔内液の抗生物質濃度は低く、治療効果を上げるには不十分であり、むしろその副作用等が問題であるとの指摘をしている。

3  本件アンケート結果

(一) 本件アンケート(総数二七件)は、設問が抽象的であるなど問題点がないわけではないが、その回答者は、甲一二については京大病院の医師であり、その他の回答者は京大外科夏期研修会の参加者である医師であって、各回答に回答者の所属する施設名、診療科、医師氏名と押印がなされていることから各回答の正確性、信用性はある程度評価してもよいと考えられるところ、その結果は、以下のように分類される。

(1) 原則的に洗浄には抗生剤を使用しないとするもの………………………一七件

(2) ポリミキシン以外の抗生剤も使用し、かつペニシリン系以外の抗生剤も洗浄に用いることがあるというもの………九件

(3) ポリミキシンのみ使用するというもの………………………………………一件

(二) なお、本件アンケート結果には、保険適用で認められる抗生剤が限られており、減点指導を受け、ポリミキシンしか使用しなくなったとするものもあるが、右(1)に分類した回答の中には、抗生物質+生理食塩水の洗浄では抗生剤が無駄になるとするもの、抗生剤を入れて洗浄した方がよいという客観的な証拠はないとするもの、局所投与は耐性菌を作りやすいとするもの、多量の生理食塩水で洗浄し、抗生剤は経静脈投与で問題ないとするもの、抗生剤の局所投与は膿瘍形成後は無意味とするものなど、洗浄に抗生物質を使用することに否定的な傾向が見られる。

また、抗生物質を使用するとの回答(右(2))にも、感染症の防止のための洗浄を行う上で最も大切なことは、使用する抗生剤の種類よりも洗浄する液体の量や洗浄の回数であり、イソジンなどの消毒薬による洗浄も抗生剤による洗浄と同様の意義とする意見、原則的にはイソジン加生理食塩水又は生理食塩水単独が多いとするもの、全身投与を基本としており、耐性菌の誘導という見地から創部の洗浄等の局所投与は不適当と考えており、抗生剤の併用はまれであるとするものなどがある。

4  検討

以上の認定事実を前提として、以下、争点1で判断した基準、すなわち、療養担当規則等に記載された用法と異なる用法が必要不可欠であるとの十分な根拠があり、予定された用法と同等の効果を持ち、副作用などの点において記載された用法と実質的に同一であることが一般的に明らかであると認められるか検討する。

(一) 中野医師の本件診療行為について

中野医師は、本件患者の症状に適合するのであれば、どのような抗生物質を使用しても差し支えはないとしながら、ペントシリン以外のペニシリン系薬剤について本件患者に対し感受性の検査をした形跡はないし、硫酸ポリミキシンBの使用によるヘマクリット値の低下についても臨床上の推定以上に医学的な因果関係は明らかにされておらず、生理食塩水のみによる洗浄で異常が見られたというのも本件患者が自身で使用した結果であって、衛生状態等も確認されていないし、それと並行して妥当な間隔でセファメジンを標準的使用法によって併用すれば回避できた可能性も否定できない。また、医学文献や本件アンケート結果でも指摘されているイソジン等の消毒薬の使用では効果がないのかどうかなどの点について検討した形跡もなく、本件診療行為を必要不可欠とする理由が十分に開示されているとはいいがたいし、このような用法が一般的に効果を有するものであるか否かについて、特に医学的な検討がされているわけでもない。

療養担当規則や「抗生物質の使用基準」に従っていない診療行為の場合、原告が主張するような本件患者については不都合がなかったという個別的事情のみでは、保険医療における報酬請求権の発生根拠となる療養の給付として適格であると判断することはできない。

なお、原告は、社会保険や国民健康保険でも本件診療行為について、診療報酬請求が認められていたことがあることを指摘しているところ、療養担当規則等の明文に規定された療養の給付ではない場合、それぞれの審査委員会によって見解を異にすることがあることは制度上やむをえないところであって、右事実をもって、本件請求を正当付けることができるものではない。

(二) 医学文献について

前記医学文献によれば、(一)は、生理食塩水による洗浄方法を紹介するだけであり、(二)は、抗菌薬と生理食塩水による洗浄に関するものではあるが、抗菌薬の対象は特定されておらず、セファメジンを用いる本件診療行為の相当性を示すものともいえない。(三)は、セファメジンによる洗浄の効果を示すものと見られなくもないが、超音波下でのドレナージとセファメジンの注入・洗浄と同剤の点滴投与の三点による効果を報告したものであって、洗浄的使用の効果のみを示すものではない。(四)は、唯一、本件診療行為と同様のセファメジンを生理食塩水で溶解して腹腔内に散布する用法の効果を実験的に分析したものであり、本件診療行為の有用性を示唆する貴重な文献というべきであるが、昭和五一年に発表された報告であるのに、これを追試した発表などは証拠上見出せず、かつ、本件アンケート結果の分析からみても、この発表が外科医に十分受け入れられたものかも明らかでなく、右方法が、医療水準として一般的なものとまでは直ちにはいえない。

また、原告は外国における報告においてセファメジンの腹腔内投与がされた事例を挙げるが、右事例報告がどの程度の一般性を有するものか必ずしも明らかではなく、本件アンケートの分析に照らしても、将来的にはともかくとして、現時点における日本の医療水準に結びつけるのは困難である。

(三) 本件アンケート結果について

本件アンケート結果によれば、現時点において、原則的に抗生剤を洗浄用に使用しないものが二七件中一七件(六三パーセント)あり、抗生剤を用いて洗浄を行うという用法自体が、果たして一般的な医療基準といえるか否か、疑問が生じる結果となっている。

この点につき、原告は、本件アンケートの回答には一部洗浄に抗生剤を使用しないとのものもあるが、これは質問が「洗浄」とのみ記載し、術後の急性期洗浄と本件のような慢性の場合とを区別していないために「洗浄」という用語から外科医としては術後の急性期洗浄のみを念頭において回答したのではないかと主張しているが、抗生剤を使用しないとする者は多数を占め「一部」などではないし、これらの者の回答を原告主張のように限定して解するべき理由は証拠上認められない。

(四) 総括

以上にみてきたところによれば、原告において、「抗生物質の使用基準」と異なる用法でセファメジンを使用する本件診療行為について、右基準に記載された用法と異なる用法でセファメジンを使用することが必要不可欠であることの十分な根拠を示しているとはいえないし、原告の提出した医学文献や本件アンケートの結果の分析によっても、本件診療行為がセファメジンの標準的使用法と同等の効果を持ち、副作用などの点において実質的同一性があることが十分に裏付けられているとはいいがたいし、原告の主張する本件診療行為が本件患者に適応していることはともかくとして、一般的な医療水準に達した用法であるとは到底認めがたいというほかはない。

したがって、本件診療行為は、療養担当規則等に適合した療養の給付とは認めがたいから、保険診療としての診療報酬請求権が生じていないことになる。

なお、被告は、セファメジンと生理食塩水を併用する本件診療行為を全体として否定するものであるところ、その理由として、生理食塩水を単独で患部の洗浄に用いることは保険診療として認められるが、洗浄に使用するセファメジンの溶剤用として生理食塩水を使用する場合は、セファメジンのみならず生理食塩水の使用も保険診療として認めることはできないと主張している(平成一〇年六月二五日被告準備書面)。これに対し、原告は、患部の洗浄のために生理食塩水とセファメジンを併用する必要があると主張しているものであって、前記文献や本件アンケートにおいても原告の主張するような併用例は多く紹介されているのであって、一般に生理食塩水を洗浄用に使用することは一般の医療水準にある用法といえ、セファメジンの併用によって生理食塩水の洗浄効果に問題が生じるとするような知見は見出せないことからしても、生理食塩水の使用を含めて一括して拒否することの妥当性については疑問があるといわざるをえない。しかしながら、本件において原告は、被告の前記主張(セファメジンの溶剤としての生理食塩水の使用)に対し具体的な反論をしておらず、生理食塩水の使用に限定した診療報酬を請求する意思を明確にしてもいないし、被告の主張するような使用方法ではなく、単なる併用使用であることを証明もしていないから、本件の現状においては、生理食塩水のみの診療報酬についても認容することはできない。

第三結論

以上の次第で、原告の請求は理由がないから、棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井垣敏生 裁判官 本吉弘行 鈴木紀子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例