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京都地方裁判所 昭和23年(ワ)729号 判決

原告 竹ノ内光枝 外二十八名

被告 京都府

一、主  文

被告は別紙(一)掲記の氏名の各原告に対し夫々其の氏名上欄掲記の金員を支拂え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は原告等勝訴の部分に限り仮りにこれを執行することができる。

二、請求の趣旨

原告等訴訟代理人は別紙(三)掲記氏名の各原告に対し夫々其の上欄記載の金員を支拂えとの判決を求めた。

三、事  実

原告等訴訟代理人は請求原因として、

(一)  原告等はいずれも京都市立翔鸞小学校に勤務する教諭であるが、同時に日本教職員組合(以下日教組と略称する)に加盟する京都府教職員組合(以下京教組と略称する)の組合員であつて、日教組が文部大臣との間に締結した労働協約に基き使用者である被告に対し一週四十二時間(一日七時間)の教育労働に從事し、被告より毎月別紙(二)の一記載の賃金を受領していた労働者である。

(二)  然るところ、労働基準法(以下労基法と略称する)上使用者と看做すべき同校々長井上宗次郎は原告等に対し、昭和二十二年七月初めから昭和二十三年三月末日までの間において、重要不可缺の教育事務につき、別紙(二)の一記載の日時事由に基いて同表記載の時間それぞれ超過勤務を命じ原告等はこれに服して労働した。從つて被告は労基法三十七條に基き原告等に対し割増賃金すなわち、いわゆる超過勤務手当金を支給せねばならぬのであつて、別紙(二)の一記載の各超過勤務手当中各月に生じた部分につき遅くともその翌月末日までに支拂うべき義務がある。

(三)  よつて原告等は被告に対し、各未拂金の外労基法第百十四條に基くこれと同一額の附加金を加えた別紙(三)記載の金員の支拂を求める。

(四)  仮りに被告において労基法上、右金員の支拂義務なしとするも、被告は法律上正当の原因なくして、原告等の超過勤務により、別紙(二)記載の金額に相当する利益を受け、これがために原告等にこれと同一額の損失を及ぼしているわけであるから、原告等は被告に対し別紙(三)記載の金額に相当する不当利得金の返還を求める、

と述べ、被告の主張に対し

第一、教員は労基法にいわゆる労働者に該当する。

労基法で労働者とは、職業の種類を問わず、同法第八條の事業又は事務所(以下事業という)に使用されるもので、賃金を支拂われる者をいう(労基法第九條)のであつて右第八條はその第十二号において「教育、研究又は調査の事業」を掲げているから、教員も教育の事業に使用されるもので賃金を支拂われる者という意味において労基法にいわゆる労働者に該当する。

第二、教員の労働にも延長時間外勤務の観念を認め得る。

教員に延長時間外勤務の観念を認めることは何等その労働の本質に反しないのみならず法文の解釈上も一般官公吏と何等異る取扱を受けていない。蓋し法律は一方において例えば超過勤務手当を支給しない裁判官について特に「労働基準法の施行等に伴う政府職員に係る給與の應急措置に関する法律(昭和二十二年法律第百六十七号)による超過勤務手当は、これを支給しない」(昭和二十三年法律第七十五号裁判官の報酬等に関する法律第九條但書)と断るのを怠らなかつたのにも拘らず、前記昭和二十二年法律第百六十七号は教員について一般官公吏と異る取扱を命ずる規定を設けていないからである。又政府が給與ベースを二千五百円に切替えた際、教職員について特に十七割増に増俸したのは、次のような政治的理由に基くのである。すなわち教職員は從來他の官公吏に比し、給與水準が遙かに低く、しかも現在日本再建の基礎である教育の立て直しという重大な職責にあるという日教組の主張を認めたことによるもので、それ以外に何等被告主張の如き法律的意義を有したものではない。

第三、小学校長は、所属職員に超過勤務を命ずる権限がある。学校教育法第二十八條によれば「小学校には、校長、教諭、養護教諭及び事務職員を置かなければならない」(同條第一項本文)のであるが、同條第三項によれば「校長は校務を掌り、所属職員を監督する」とあるから、校長は同項に基き所属職員に超過勤務を命じ得るものといわなければならない。もつとも本件において該命令は労基法第三十三條第三十六條に違反するものではあつたが、從來被告が所轄学校の運営に関してこれを全面的に当該学校長に委せきりであつたこと及び学校教職員が教育事務を完全に果すために居残りを余儀なくされていたことはいづれも公知の事実であるから、該違反行爲の責任は学校長にあるのではなく一に所轄官廳である被告にあることは勿論である。しかし原告等は本訴において被告に対し、この違反行爲の刑事責任を追及しようとしているのでなく、労基法上の割増賃金を求めているのであるから、該命令が違反であるか、無効であるかとかの問題と、原告等が該命令に服して現実になした超過勤務に対し、被告に労基法上割増賃金の支拂義務ありや否は別個の問題である。

第四、使用者は超過勤務命令の違法を理由に割増賃金支拂義務を免れることはできない。

本件において、原告等がなした超過勤務は労基法第三十三條に基く労働時間の延長でもなく、第三十六條によるそれでもない。被告は日教組との団体交渉において同法第三十六條による就業規則の作成を確約しながら、未だこれが履行をなさず今日に至つているのであるが、労基法は專ら労働者の地位の向上と封建的遺制の一掃を立法目的とする法律であるから、労働者が労基法第三十三條又は第三十六條の規定に違反して時間外勤務を命ぜられ、これに服して現実に超過労働をした場合、使用者は自らの違法行爲をたてにとつて、その負担すべき割増賃金の支拂義務を免れることはできない。

なお被告は本件において原告等に超過勤務の観念を認めるとしても、何時如何なる方法でこれに從事したか判定する方法すなわち管理の手段がないと主張するけれども、労基法の一部の規定は昭和二十二年九月一日から、その他の規定は同年十一月一日から、施行せられた結果、同年十二月十二日法律第百六十七号「労基法の施行に伴う政府職員に係る給與の應急措置に関する法律」が公布施行せられ、官吏その他政府職員については労基法第三十七條の規定による時間外休日及び深夜の増割賃金に相当する給與については労基法施行前である昭和二十二年七月一日に遡つて適用されることになつた際、京都労働基準局長から京教組及び市内校長会に指示があり、この指示に基き校長会は研究班を作り研究の結果右基準局長の承認を得て一定の様式による超過勤務命令簿の作成を管下各学校長に指示したので、原告等が奉職する翔鸞小学校長井上宗次郎もこの指示に從つて所属教員である原告清水博章に命じて超過勤務命令簿を担任せしめているのである。原告等が主張する本件超過勤務の年月日、時間数及びその事由は、昭和二十二年七月から右指示に至るまでは学校日誌及び各担任教員の記録を基準とし右指示以後は命令簿によつたもので管理の手段は完全に採られていたと述べた。(証拠省略)

被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として原告主張事実中原告等が京都市立翔鸞小学校教員であり、同時に日教組に加盟する府教組の組合員であること、日教組が文部大臣との間に締結した労働協約に基き一週四十二時間(一日七時間)の教育労働に從事し、その賃金の一ケ月分の金額が別紙(二)の一記載のとおりであること、被告が原告等に対しその主張の如き超過勤務手当を支給していないことはこれを認めるが、その他の事実はすべてこれを爭う。

もつとも原告等が当時その担当の教育事務を完全に果すためにはいわゆる居残りを余儀なくされる実情にあつたことは認めるが、原告等のなした居残りは校長から時間外労働を命ぜられてなしたものではなく却つて原告等自身の愛国愛兒の眞情より出た任意自発の奉仕行爲であつて、全く反対給付の伴わない性質のものである。被告においてもこれに対し衷心より敬意を表するに吝なるものではないが、それは反対給付の要求を伴わない故に尊しとするのである。然るに原告等がこれに対し、割増賃金を訴求する如きは自ら自己の崇高な聖職を放棄して市井一介の労働者に伍せんとするもので被告の甚だ遺憾とするところである。

仮りにそうでないとしても

第一、教員は労基法にいわゆる労働者ではない。

教員は労基法第八條第十二号所定の事業に從事する労働者に該当しない。蓋し労基法は一日八時間一週四十八時間制を骨子とするものであるが、教職員の勤務は、教育労働の特殊性から、その成果を時間的に算定することは不能でないにしても頗る困難である。例えば他の労働においては時間外勤務があれば直ちにこれに相当する生産量の増加、その他現実的効果が顕現するに反し、教職員のそれについては労働の成果を時間的に測定することはできない。すなわち肉体労働と精神労働とを同列の範疇において議論することが根本的に誤りであつて換言すれば理論的にも実際的にも教員の労務報酬を計算するに時間を基準とすることが元來不能である。從つて教員は労基法に親まないもので、この意味で同法にいう労働者ではない。

第二、教員の労働には延長時間外勤務の観念を認め得ない。

仮りに教員が労基法にいう労働者であるとしても、その労働の性質上又法文の解釈上教員には労基法第三十三條第一項にいう臨時必要の場合における時間外勤務以外に他の公務員の場合の如き延長時間外勤務の観念を認めることはできない。蓋し教員の労働は先きに述べたとおり精神労働の範疇に属し、その労働の成果を時間的に算定することは困難であるから、延長時間外勤務の観念を認め、これに対する割増賃金を認めることは妥当ではないのみならず、もしこれを認めるときは、教員については勤務時間を標準としてその実態を把握することが困難である関係から、教員の怠慢を助長するの結果となり、延いては国家教育の大本を破るに至る惧れがある。從つて以上の如き不都合な結果を招來するような法律解釈の許されないことは自明の理である。更に教員に延長時間外勤務の観念を認め、該手当の請求権ありとする如き解釈は教員に対する現行給與ベース成立の経緯に鑑み許されない。というのは昭和二十二年一月從來の給與ベースを二千五百円ベースに切換え、他の官公吏に対しては從來の俸給の十五割増に増給した際教員に対してはその特殊性を勘案して特に十七割増に増給したのであるが、教員について他の官公吏に比し二割余計に増給した根拠は実は教員の勤務に対する報酬を時間的に算定することの困難とその困難あるに拘らず教員にも勤務時間以外の労作あることを考慮に入れて実質上の時間外勤務手当金を包含せしめた増給にほかならないからである。

第三、小学校長は教員に労基法上の超過勤務を命ずる権限はない。

学校教育法第二十八條第一項は校長は校務を掌り、所属職員を監督すると規定しているが、学校内における仕事はその一切が、校務の範囲に属するものということはできない。殊に超過勤務を命ずるというような国又は地方公共団体の予算関係から見て、重要な事項が一介の校長の自由裁量によつて決定し得る校務の範囲に属するものとは考えられないのである。蓋し超過勤務を命ずることの適否当不当によつては経費の面から、時に或る小学校の設置経営を放棄せねばならないというような事態に陷らないとも限らない。このような重大な事項が校長の独断專行に任されるものでないことは何等疑問の余地はない筈である。同法第五條には、学校の設置者はその設置する学校を管理し云々とあるが、小学校において教員に超過勤務を命ずるや否や又如何なる範囲でこれを命ずるかというような学校それ自体の存亡にも関する事項は、正に設置者の権限であり、管理の問題であり、国又は地方公共団体自身の決定し得るものであると考えられる。超過勤務は国又は地方公共団体における予算面に重大な事項であるため国は昭和二十二年十二月十二日法律第百六十七号(労働基準法等の施行に伴う政府職員に係る給與の應急措置に関する法律)を公布した直後その支給準則を定めて昭和二十三年一月二十五日内事局長官名をもつて都道府縣知事警視総監中央地方警察学校宛にその準則の運用に当つて特にその注意を喚起しているのであるが、その第五項(乙第五号証の一)に今後職員に対して超過勤務を命ずるに当つてはその超過勤務に対する手当の所要額をも勘案して予算の範囲内において命令を発するよう十分留意すること。その第六項に手当の予算額を決定するに当つては、直ちに必要止むを得ない限度に止めることを指摘してきたので被告府においては内訓第六号をもつて昭和二十二年法律第百六十七号による府職員に係る給與支給規程を制定し、又その運用については国の上記指示に準じてその方針を明かにしているのである(乙第六号証の四第九項)。すなわち超過勤務なるものが予算との関係において如何に重要なものであるかということを知るに足るのである。從つて超過勤務の命令は国又は地方公共団体の予算の大綱に通じない又教員とその利害共通である学校長に一任し得るものでない。すなわち学校長はその部下に対する超過勤務の命令権はこれを持たないのであると断じなければならない。内訓第六号昭和二十二年法律第百六十七号による府職員に係る給與支給規程(乙第六号証の一)も被告府がその所轄小学校に宛て直接に発したものではなく教育事務の担当者である府教育部に指令しているのも右の如き意味から出たものである。原告等は從來被告が所轄学校の運営に関しては、これを全面的に当該学校長に委せきりであつたと主張するけれども、超過勤務についてはすでに上敍のとおり政府の指達を受けるや直に直接責任者である教育部に指令しているのであり、しかも超過勤務という観念は労基法に始めて生れたものであるので、この点に関する限り從來委せきりであつたという問題は起り得ない筈である。これを要するに校長の教育法上の権限は飽くまでも教育自治の許される範囲内における私法上の権限に外ならないのであつて、かかる権限に基いて校長が超過勤務を命じ得ると考えるのは、労基法が公法的性格を有する法律であることを知らない愚論である。

第四、労基法に違反する超過勤務命令は無効であつて、かような命令で超過勤務をしても割増賃金請求権はない。

仮りに小学校の校長に超過勤務の命令権があるとし、訴外井上宗次郎が原告等に超過勤務を命じたと仮定すると、法律的には命令すなわち校長の超過勤務の申込に対し相手方である原告等がこれに從う意思表示すなわち承諾をして超過勤務の契約が成立したわけであるが、本件において同訴外人の超過勤務命令は労基法第三十三條第三十六條に違反するものであるから、右の労働契約は労基法第十三條によつて無効のものである。從つて法律が保護しない契約すなわち無効の契約に基いて提供した労務に対しては原告等がその報酬請求権がないことは明かである。原告等は小学校長が労基法上の使用者であることを前提とし、本訴請求が労基法第三十三條に基く労働時間の延長でもなく又第三十六條によるそれでもないのに拘らず被告に同法第三十七條に基く割増賃金支拂の義務があるとし、その根拠を労基法が專ら労働者の地位の向上と封建的遺制の一掃を立法目的とする法律であることに求めているがそれは理由がない。成程労基法は原告も指摘するような目的もあつて、欧米各国の労働法制に做つて一日八時間一週四十八時間労働制を確立したのであるが、然しながら、労働者の保護のみが同法の目的の全部ではない。わが国産業の民主化を図り、併せて経済の興隆作興と国運の再建に資するためこの時間労働を骨子とした労働体系を定め、資本家労働者の双方に向つて、その遵守を命じているのであり、これが例外はただ僅かに同法第三十三條第三十六條に限定し、それが違反の場合には罰則をもつてこれに臨むという嚴重な態度に出ているのである。然るにもし、原告が主張するように第三十三條第三十六條違反の場合であつても、罰則に触れることの有無は別論として、民事上におけるその法律効果には何等の影響を及ぼすものではないという主張を肯定するならば労働者の自覚未だ全しといえないわが国の現状では資本家と労働者との間における労働時間の闇取引は滔々として行われ、法の目的とする八時間労働制は根本的に覆されることになり、国家の期待は裏切られる結果を招來するであろう。かような解釈の許されないことは明白である。労基法のような全体公益強行法規殊にその労働時間に関する例外規定である第三十三條第三十六條はその文字の示すとおりに嚴格にこれを解釈しなければならないのは法律解釈の鉄則である。この意味で違法な超過勤務命令に服して時間外労働を行つた場合に使用者に増割賃金を支拂わせるのは労基法の労働時間制限の趣旨にそわないものである。

以上の主張がすべてその理由がないとしても本件において原告等が何時如何なる方法で時間外労働に從事したかこれを判定する方法すなわちその管理の手段がないから原告等の請求は失当であると述べた。(証拠省略)

四、理  由

(一)  仍て先ず職権を以て原告等の本件の如き割増賃金請求訴訟に付き被告京都府が当事者適格を有するや否やの点に付き判断する。

原告に於て本件割増賃金支拂請求権を生じたりと主張する昭和二十二年七月以降昭和二十三年三月迄の準拠法令たる昭和二十二年政令第二十八号に依れば市町村立小中学校の教諭の俸給、特別加俸、死亡賜金、旅費、臨時家族手当、臨時勤務地手当は都道府縣の負担であり又昭和二十二年法律第百六十七号による給與支拂準則(乙第五号証の二)によると超過勤務手当は之を時間外手当、深夜手当、日直手当、宿直手当に分けている。更に昭和二十三年法律第百三十五号市町村立職員給與負担法は俸給、特別加俸、死亡賜金、旅費、扶養手当、勤務地手当、退官又は退職手当、日直手当、宿直手当のみを都道府縣の負担としている。之等に鑑みると時間外手当に相当するものと認められる本件割増賃金は都道府縣の負担の外にある如き観がないでもない。(現に証人内藤譽三郎は此の趣旨の証言を爲し又乙第二号証の二に示された文部当局の見解も同様である。)而し乍ら本來右準則に云うところの時間外手当及深夜手当は日直手当、宿直手当と其の性質を異にし後者は守衞、小使の如き日直宿直を本務と爲す者は別とし一労働者にとつては本務の延長たる性質を有しないものであるから之に対する手当は人頭別に之を区別せず地域別に一律に決定されているに反し前者は全く之と異り人頭別に賃金を基準とし一定時間外は其の十二割五分を支給することとしている点よりすれば之が本務の延長なること疑を容れる余地がない。即ち右準則に云う時間外手当、深夜手当は之全く賃金其のものに外ならぬのであつて前記法令に云う俸給中に当然包含されているが故に特に之を右法律百三十五号中に列挙する必要がないが爲に列挙しなかつたに過ぎないと解すべきであるから当然本件割増賃金の負担者は都道府縣なりとせねばならぬ。

次に本件割増賃金の負担者は京都府なりとしても尚問題がある。それは本件小学校は市立小学校であるから学校教育法第五條によると之が管理を爲す者は京都市である。そこで原告等は訴訟の一般原則上営造物管理者たる京都市に対し訴求すべきではないかとの疑問がある。嘗て府縣は費用負担者として其の道路に関する費用額を管理者たる府縣知事に対し支出する義務あるに過ぎないから道路に関する費用として第三者に対し支拂うべき金額は府縣知事其の支拂義務あるものと解釈されていた如く(昭和一〇、五、三一大判)であるが斯る解釈は国家賠償法施行前より其の当否を疑われていたものであるところ同法は右判例と異り同法上の賠償義務を負うものは国又は公共団体たることを原則とし営造物の費用負担者の異る場合は其のものも亦賠償義務を負うものと規定した。之費用負担者が同法に基く請求に対し被告適格を有することを規定したものであつて誠に機宜を得た立法であり此の立法趣旨は本件の如き請求にも類推して適用するを相当とすると考えるから本件小学校管理者たる京都市に於て本件訴訟に付き被告適格を有するや否やの点は暫く措き被告京都府は費用負担者たる資格に於て被告適格を有すること明かである。

(二)  次に本案の請求に付き判断する。

原告等がいずれも自昭和二十二年七月至昭和二十三年三月の期間京都市立翔鸞小学校に勤務する教諭であるが、同時に日教組に加盟する京教組の組合員であつて、日教組が文部大臣との間に締結した労働協約に基き一日七時間一週四十二時間の教育労働に從事していたこと、原告等が被告より毎月別紙(二)の一記載の賃金を受領していたことは当事者間に爭がない。

又原告等がその頃その担当の教育事務を完全に果すためには、いわゆる居残り勤務換言すれば時間外労働を余儀なくされる実情にあつたことは被告の爭わないところであつて、証人井上宗次郎、同市川教一の各証言と原告清水博章本人訊問の結果によると、原告等の仕事の内容は授業が主であるが、それ以外に生徒の作業作品の後始末、学習指導の反省、授業の準備、授業に関する書類の整理調査、統計の作成等の負担があり、なお府或は市の公報に登載される事項で調査報告を要するものがあればその調査報告をなすべき義務があり原告等の奉職する翔鸞小学校において校長の井上宗次郎は平素から部下教員たる原告等に対し仕事が残つて授業に支障を來す如きことなきよう指導していたこと、その結果として原告等は時間外労働に服していたこと、右時間外労働については校長が直接命じたこともあるが、多くは教務主任俗にいう教頭である原告清水博章が校長の名においてこれを命じたこと、時間外労働に対しては校長においても、超過勤務手当金が法に定められてある以上、やがては予算措置があつた場合にはその報酬が貰えるであろうと思つていたのであり、原告清水博章においても超過勤務命令簿作成後はこれに記入しておけば後日何らかの名目で手当が貰えると思つていたことを認めることができる。以上の事実を綜合すると、原告等は校長の命によつて時間外労働に服したもので、右時間外労働と雖も勤務時間中における労働と本質的に異るものでないと解するを相当とし、被告の全立証によるも特にそれのみが勤務時間中における労働と異る任意自発無報酬の奉仕行爲と解すべき十分な根拠がない。一体賃金によつて自己と家族の生活を維持する者にとつて賃金は生命の保障である。自己の労働に対し賃金の支拂を期待するのは特段の事情のない限りむしろ当然のことであつて、何等いやしいことではなく、又その請求の手段と方法を誤らなければ教育者としての品位を傷けるものではない。教員の経済的な要求を崇高な聖職という名の下に一概に抑圧せんとする如き態度には到底賛し得ない。そこで進んで判断するに、

第一、教員は労基法にいう労働者に該当するか。

労基法にいう労働者とは第九條に定義されている如く「作業の種類を問わず、前條の事業又は事務所(以下事業という)に使用される者で賃金を支拂われる者」をいゝ、前條すなわち第八條はその第十二号において、「教育、研究又は調査の事業」を挙示しているから、教員も第八條第十二号第九條によつて同法にいう労働者に該当すると解すべきである。成立に爭がない甲第三号証の二(昭和二十三年六月十日付京都労働基準局長発京都府知事宛通達)によればこの点に関する京都労働基準局の見解も判示と同趣旨であることが認められる。もとより教員の勤務は教育労働の特殊性からその成果を時間的に算定することは少くとも頗る困難であつて他のある種の労働の如く、例えば時間外勤務があれば、直ちにそれに應ずる生産量の増加、その他現実の効果が顕現するということはない。しかしながらこのことから直ちに被告代理人の主張するように、教員が労基法にいう労働者ではないと断ずべき何等の合理的理由を発見することはできない。蓋し労基法は俗に労働憲章といわれる如く、かつての工場法がただ職工のみを保護の対象としていたのとは異り、ひろく近代社会における労働者の人権保障としての意義を担つているのであつて他の法律においてその適用を排除しない限り(例えば国家公務員法新附則第三條船員法等)ただ僅かな例外として「同居の親族のみを使用する事業」と「家事使用人」のみを適用の外においているに過ぎず、苟くも、労働の從属性ないし從属的労働と呼ばれる近代社会に特有な労働関係の存する限りそれが直接に物質的生産に結付いた生産労働であると、その他の不生産労働であるとを問わず、常に適用あるものと解すべきである。小学校教員といえども、その労働の特殊性を除けば、彼の全生活は経済的社会的生活條件の実質において、自己及びその家族の生活に必要な生活資料を得るためには、その労働力に頼るの外はないという意味においては、正に近代社会における典型的な労働者であり、しかも彼が教員として就職するため労働契約を取結ぶ場合には自己の意思によつて自由に労働條件を決定するわけではなく、彼がその意思によつて直接に取得するものは当該学校内における教員としての身分、地位に過ぎず、この地位に関連する労働の諸條件はすでに契約以前に定められ、彼はただそれを受取り、所與としてその勤務秩序の規律統制に服せざるを得ないのであつて、その勤務、労働関係に、程度の差こそあれ労働時間においても、作業態容においても、使用者意思えの從属性が存する意味において小学校教員も從属的労働者であつて独立経営者の如く、労働時間や作業態容を自ら決定し得ざる関係上、労基法によつて労働時間を制限したり、休日を規定したりせねばならぬ立場に置かれているのであつて、資本と労働との対立がないという点は別として労基法を適用すべき必要性においては他の工場労働者と異るところはないからである。

第二、教員にはその労働の性質上又は法文の解釈上、延長時間外勤務の観念を認め得ないか。

小学校教員の勤務に労基法の認める延長時間外勤務の観念を認めることは、その労働の性質と相容れないものではない。小学校教員と雖も正規の勤務時間の定められている以上それを超えて労働した時間に対し労基法に從う割増賃金を支拂うことは何等妥当性を欠くことではない。この場合被告の主張するような教員の労働が精神労働の範囲に属するとか、労働の成果を時間的に算定することが困難であるとかいうことは超実定法的な立法論としてならば格別、然らざる限り直接の関係はない。又被告は教員に延長時間外勤務の観念を認め得ない根拠の一として、仮りにこれに対する割増賃金請求権を認容せんか教員の怠慢を助長し、終には国家教育の大本を破るに至ると主張するけれども、これも一の立法論であるのみならず、労働能率を窮極において決定するものは労働の自発性の問題であり、労働の自発性は労働者に「人たるに値する生活」を保障することを目的とする労基法の完全実施を前提とする。更に法令上も例えば昭和二十三年一月二十五日付「昭和二十二年法律第百六十七号による超過勤務手当の支給について」なる内事局長官の都道府縣知事宛通牒(乙第五号証の一、二)によるも教職員に対する超過勤務手当の支給について他の一般公務員と異る取扱を命じた趣旨を認めることはできない。(この点につき昭和二十三年法律第七十五号裁判官の報酬等に関する法律第九條但書、同年法律第七十六号檢察官の俸給等に関する法律第一條但書を参照すれば右の結論は更に明白である)。成立に爭がない甲第一号証(昭和二十三年三月二十七日付京都府知事より京都府教職員組合執行委員長に対する回答書)によれば被告は昭和二十三年三月二十二日付府教組の要求に対し、「超過勤務手当は明年度に於ては一人月額七十円の予算化ができているが、今年度は財源の都合もあつて予算十分でないので教員関係人件費の所要見通しをつけてから、その運用において年度末に幾分でもこれに相当するものの概算拂をいたしたいと考えている次第である」と回答していることが認められるから、当時被告においても教員に対する超過勤務手当の支拂義務を認め、むしろ財源の関係からその全額支拂を拒んでいたものと解せられる。

第三、小学校長は超過勤務を命ずる権限はないか。

この問題は小学校長が労基法にいう使用者に該当するかどうかに係つている。労基法第十條によれば「この法律で使用者とは事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について事業主のために行爲をするすべての者をいう」のであるから、苟くも事業主のため、労働者の人事給與はもとより、その他労務管理事業を行う者、別言すれば、制度として労働條件に関する指示をなす者は、その限りにおいてすべて労基法上の使用者たる地位を有するものというべく、この場合当該使用者が生活諸條件の実質において指示を受ける労働者と利害を共通にする部分があることは彼が使用者たることを妨げない。而して学校教育法第二十八條によれば小学校長は「校務を掌り、所属職員を監督する」とあるから、その監督権の範囲において校長は所属職員に対し労務管理事務を行うものというべく、その限りにおいて労基法上の使用者たる地位を有するものと解しなければならない。証人二宮竜二の証言によれば、同証人はこの点について「小学校長は基準法上九條の労働者であり権限の範囲内で、その権限の行爲をしたことにつき十條の使用者となる時があります。即ち右十條の使用者は九條の労働者であつても、制度上労働條件に関する指示をなし得るときは、その範囲で使用者となり得る意味であつて、例えば労働者同志であつても、前任者と後任者との交替の場合における事務引継に関し、後任者に指示を與える場合においては、前任者は後任者に対し、使用者となることがあるのであります。そこで小学校の校長は從來の慣例上相当右の如き地位に立つ場合が多いと考えます」との見解を明かにしている。被告は超過勤務命令は必然的に予算を伴う行爲であつて、国又は地方公共団体における予算面で重大事項であるから、かような予算の大綱に通じない校長には、超過勤務命令権はないと主張するけれども、先づ小学校長に超過勤務命令権を與えることの当不当という立法論と、校長が実定法上現実に該命令権を有していたと認むべきかどうかの解釈問題とは一應区別しなければならない。而して超過勤務命令を爲すのは其の性質上具体的個々の場合に即應するものであつて抽象的一般的な基準より之を爲し得べき性質のものでなく又証人井上宗次郎の証言に依れば本件小学校に於ても他の諸学校に於けると同じく学校内部の教育に関する事項は特別の指示ある場合の外は一切校長に委されて居り校長を通ぜずに教員に対し直接指示等を爲すが如きことの皆無であつたことは永年の慣行上確立されたところなる事実を認め得られ、斯る事実に濫み平素現実に校務に触れていない教育上の監督機関に於て超過勤務命令権を持つと云うが如き迂遠なる解釈をとる余地はない。尤も監督機関は監督の権を発動して超過勤務に付き校長に対し其の制限を命ずることを得ることは可能であるが昭和二十三年四月に至る迄斯る制限が爲されなかつたことは前記証人の証言により明かでありそれ迄府当局は原則的には超過勤務手当の支拂義務を認めていたこと前敍の通りである。しかも校長が予算の大綱に通じないとして、それから生ずるであろう被告主張の如き不都合は必ずしも除去し得ない不都合ではない。例えば証人市川教一の証言により成立を認める甲第十一号証によれば、京都市教育局長は昭和二十三年四月二十六日管下の各学校長幼稚園長に対し「教職員(市費支弁の教職員に限る。以下同じ)にして爾後止むを得ない事由で学校長の命により超過勤務(日宿直を除く)をする場合は左記様式(一)により予定表を当日所定勤務終業時限までに(休日出勤の場合は前日中)市役所教育局庶務課まで提出されたい」旨通達していることが認められるが、このような方法によつても学校長による超過勤務の命令と該予算との調整は十分可能である。以上の理由より超過勤務命令を爲すことは学校教育法第二十八條による校長の校務管掌権限乃至所属職員の監督権限の範囲内にあつたものと断ずるを相当とする。尤も監督機関に於て此の権限に適当の制限を加え得ることは因より当然であるが、昭和二十二年四月七日労基法が裁可公布され、超過勤務及びこれに対する割増賃金請求権の観念が明確となり、しかも当時小学校教員が一般に居残り勤務を余儀なくされている実情にあつたという公知の事実に拘らず前記井上証人の証言より認められる府の公報による超過勤務制限の明示(昭和二十三年四月)又は成立に爭がない甲第四号証によつて認め得る被告と京教組との間に於ける自今労基法第三十六條にいう時間外勤務を命じない旨の覚書を取交(昭和二十三年六月二十五日)まで小学校々長に対し何等これに関する監督上又は予算上の指示が與えられなかつたのであるから、その間の超過勤務から生ずる監督上又は予算上の不都合は差当つて所轄当局の責任に帰すべき問題であることから逆に小学校長が予算の大綱に通じないことを理由に超過勤務命令権を拒否するのは本末を顛倒した議論である。又被告代理人は校長と教員とはその利害を共通にすると主張するけれども、仮令両者が経済的社会的生活條件の実質において利害を共通にするとしてもそのことは校長が労基法にいう使用者であるかどうかの解釈とは先きにも言及した如く何の関係もない。

第四、違法な超過勤務命令に服した場合には割増賃金請求権はないか。

先づ教員が校長の明示又は默示の命令によつて正規の勤務時間後に残つて仕事をした場合、その居残りの関係は法律的には当該労働契約上の労務の超過給付がなされたものと解するを相当とする。この場合被告の主張する如く命令すなわち校長の超過勤務の申込に対し、相手方である教員が承諾すなわちこれに從う意志を表示して超過勤務の契約が成立したのであるとか、又当事者に当該居残り勤務に対する代償について正確な認識がなかつたことを捉えて、右の居残りが任意自発無報酬の何等の代償を伴わない奉仕であると解するのはいづれも正当でない。蓋し右契約説は抽象的な法的人格者を設定し、その抽象的自由意思を媒介として社会関係を規律せんとする市民法的原理に捉われたもので明かに事実に反する。又右の奉仕説は、現在の労使関係が、労働者は雇主が賃金をくれるから働く、雇主は労働者が労働力を提供するから賃金を拂うというあいたいの双務的交換関係にあることを忘れた議論である。

思うに労働契約は法律形式としては確かに民法上の契約の一種であるが、元來平等の関係に立つ両当事者が、お互に提供し合うもの即ち労務と代償の内容を具体的に知つて行う民法第二章第八節の規定する雇傭契約とは著しく趣を異にする。それは労働者と雇主との支配、從属の社会関係から生れてくるのであつて、特にその直接の目的が、その企業における労働者たる地位の取得にあつて、單純な債権的契約ではなく、一身の身分法的契約であることが労働契約の特色である。一種の身分取得の契約であるから、労働者は契約内容の細かいことを一々知る必要もなく、又就職後において使用者や同僚との間に生ずる種々の関係を言わば社会的所與として受取ることになるのである。本件において原告がなした超過勤務は正にかような從属的関係において労基法上の使用者たる校長の示した学校内における勤務秩序の規律統制に服してなされた労務の提供にほかならない。そして労基法第三十七條は後述の如く事実上超勤をさせた場合の基準を設定する意味をもつからかつて教員の超勤は無償であつたとしても右労基法の基準にまで高められ有償なものとなつたというべきである。

次に労基法第三十三條第三十六條第三十七條第八條第十二号第十六号によると使用者が教員に対し超過勤務を命ずることは災害その他避けることのできない事由により超過勤務の必要があり、且つ行政官廳の許可がある場合か、又は使用者と労働組合又はこれに準ずる者との間において書面による協定を遂げ、これを行政官廳に届出た場合に限るのであるから公務による臨時の必要というようなことでは超過勤務は認められない。從つてかような労基法の制限に反する超過勤務命令は違法であること勿論であるが、しかし超過勤務命令の違法は、当該命令によつて現実になされた労務に対する割増賃金請求権をも拒否することになるであろうか。

思うに労基法八條第十二号十六号三十三條三十六條三十七條によると割増賃金を支拂う場合は労基法上適法な超過勤務に限り不適法な超勤に対しては一見使用者に於て之を支拂うべき義務なき如くである。而して教員については三十三條一項の場合又は三十六條の場合のみが適法な超勤であつて三十三條三項の場合は適法なものと言うを得ないところ本件超勤は右三項の場合であり、從て不適法なものなることは原告の自認しているところである。そうすると本件の場合被告の割増賃金支拂義務は果して否定さるべきものであろうか。

(一) 右法三十七條の規定は規定の立前上適法な場合を基準として割増賃金を支拂うべきことを規定したに止り不適法な場合に適法な場合と同様割増賃金支拂義務ありや否やは必ずしも同條のみを以て解釈の基準と爲すを得ないのであつて要は労基法の精神その他一般法規に基いて決すべきことである。

(二) 労基法は労働保護の規定即ち国家が使用者に対し労働者を保護すべき公法上の義務を賦課する多くの規定を持つ同法第三章以下第八章中の多くの規定が之に属する。例えば使用者は十五才に満たない兒童を使用してはならないし(五十六條)又は未成年者や女子に深夜業や抗内労働をさせてはならない(第六十二條第六十四條)。そして之等の規定は罰則により強行される。而し之等労働保護の規定は国家と使用者との間に於て使用者の国家に対する公法上の義務を規定し之を強行する爲め罰則を設けているに過ぎないものであつて之等の法規に違反して爲された労働契約又は契約上の義務の履行たる給付を無効又は給付たるの効果なきものとし、從て労働者は対價を請求し得ない結果となるかどうかは之等の法禁行爲が罰則を以て強行されていると言うこと自体のみからは結論し得ないことである。

(三) 「之等違法な行爲に対し之を有効なものとすることは法が之を禁ずる趣旨に反する。法が之を禁ずるのは單に刑罰を課するを以て足るものではなく之等規定に違反した場合には其の給付に対する報酬の請求をも爲し得ないとの徹底した解釈をとらねば法の所期する違法行爲の断絶を期し得ない。斯様な解釈をとり労働者の自覚を促すにあらずんば労使の闇行爲としての違法労働は容易に其の跡を絶たぬであろう」と解するのも根拠のないことではない。

(四) 而し乍ら凡そ労使関係に於ては法律的形式的には労使対等なりとは言え経済的実質的には常に使用者が有利な立場に在り法規にも通じているに反し労働者は弱い立場にあつて法規にも暗く斯る場合労働者としては当該行爲が法禁行爲たるか否かを探索する暇もなく其の能力もなく仮に法禁行爲だと知つてもそれを拒否するゆとりもなく、只使用者の命ずる儘に從う外なき場合に偶それが国家が使用者に対し禁じた行爲であつたが故に対價たる報酬を得られないとするは如何にも不当であつて到底之を是認し得ない。斯る解釈は労働保護の規定の精神を忘れたものと言はねばならぬ。而も労基法の前記各條項は教職員を他の一般公務員よりも厚く保護する趣旨なること明かであるから之を沒却するような解釈をとるべきではない。

(五) 使用者は通常自ら法禁行爲なることを知り乍ら之を犯したものであり労働者は通常之を知らず而も斯る禁止は労働者に対するものでなくして使用者のみに対するものであるから労働者としては禁止を犯したことにもならぬ。然るに使用者側が自らの犯罪行爲を自らの利益に援用するが如きは禁反言、クリーンハンドの法理を借る迄もなく吾人の正義感に反し到底容認し難い。労働者は何等法禁を犯したものでないのにかゝわらず其の労働の成果たる報酬の請求を爲し得ざる如き結果は到底之を默止し難い。

(六) 要するに労働保護の規定は国家が使用者に対し或行爲を禁じたに止り労働者に対しては何等の禁止をも爲したものでない。即ち使用者が法禁に反して労働者をして或行爲を爲さしめた場合違法は一方(使用者)のみに存し他方(労働者)には存しない。斯る場合の一例たる民法第七百八條但書の精神は本件の如き場合にも採用さるべきである。

(七) 公務の爲の臨時の必要(労基法第三十三條第三項)と云うが如き程度のことでは教育職員に対し超過勤務を命じ得ず之を命じたのが違法行爲であり処罰の対象たることは労基法上明であるが、此の禁止も十五才未満者の労働禁止や未成年者、女子の深夜業禁止と同じく国家が使用者に対し超勤を命ずることを禁じたに止り、労働者に対し何等の禁止を爲したものでなく労働者は超勤に付き正当なる対價を請求し得べく其の基準は之を前記法第三十七條に求むるの外なきものと解すべきものである。蓋し同條は使用者が事実上超過勤務をさせた場合の最低基準を設定する意味を持つものであるから違法な超過勤務もその対價を伴う限りその額は此の基準に從う外はない。

以上の理由により違法の超過勤務と雖も適法なるものと同じく之に対し割増賃金を支拂う義務を生ずるものなることが明になつたと思うが、要するに超勤に服して労務の提供をなした労働者にその代償たる割増賃金を支拂うことを要するのは双務的等價交換の原則から当然である。本來資本家にとつて賃金は生産費の一部であり、その額は直ちに利潤の額に影響するものであるから最小の生産費で最大の利潤を求める資本家が可能な限りの低賃金を望むのは当然で、もし右の場合超過勤務命令が違法な故をもつて現実になされた超過労働に対する割増賃金支拂義務をも否定するならば違法な超過労働による二重の利潤は、却つて多くの資本家にとつて法規違反の耐え難い誘惑となり、而も経済的弱者の地位にある労働者は資本家の斯る不正を糺彈し得べき立場にあるとは限らず寧ろ却て之を忍ぶの外なしとせば斯る不正を助長する結果を惹起する虞ある解釈は之を避けるを可とし、この理は資本と労働との直接の対立のない本件においても之を類推することができる。ただ本件において日教組と文部省との労働協約によれば教員は一週四十二時間(一日七時間)の労働に服しているわけで労基法による超過勤務とは一週四十八時間(一日八時間)の労働時間制限に超過する部分を指称するのであるから、之の間の一時間の労働に対しては労基法による二割五分の割増賃金請求権はない。しかしながら双務的等價交換の原則から、之に対しては労働契約において特別の定めがない限り(本件においてそのような特別の定めがあつたことの主張立証はない)通常賃金を支拂うことを要すると解すべきである。もとより上記の結論に対しては被告の主張するような疑問が存することは否めない。蓋し労働者の自覚が十分でない場合には右のような結論をとると労働者の側に時間延長を迎える気風ができて協定などしないで割増賃金を当てにして事実上時間外労働をやる弊があり時間外労働が漫性的に行われる危險があるということも一概には否定し得ない。又そもそも無自覚な行動主体性のない行動を保護することは永久にその主体性の発展を阻害する結果となるといゝ得るかも知れない。しかしながら労働法をその指導原理によつて自律的労働法(例えば労働組合法労働関係調整法)と他律的労働法に分つことは既に一般に承認されるところであつて、他律的労働法とは国家が一定の労働條件を確保するために設定した諸法規を指称し、労働関係の当事者以外の第三者たる国家が労資の関係に外から干渉する意味において他律的労働法と呼ばれる労基法が他律的労働法に属することはいうまでもないことで自律的労働法の面に於て労働者の自覚其の主体性を問題にすることは極めて妥当であるが、労基法の有する右の如き他律的労働法としての性格を考えると寧ろ労働者が無自覚なるが故に之を他律的に保護する要があるのであつて時間外労働、休日労働、深夜業労働を違法に行つた場合にも処罰を受けることとは別にし割増賃金に付ては適法なる場合と何等異ることなく之を支拂うことを要すると解することは敍上縷述したところからして結局妥当であると思う。

本件に現われた資料より見ても成立に爭がない甲第三号証の三(昭和二十三年七月十三日付労働省労働基準局長より京都労働基準局長に対する「違法の超過勤務に対する手当の支給方について」と題する回答書)によれば、労働省労働基準局長は昭和二十三年六月二十八日付をもつて京都労働基準局長のなした照会に対し「法第三十三條並に法第三十六條の何れの規定にもよらない時間外労働は法第三十二條違反であると共に法第三十七條の規定は法第三十二條又は法第四十條に定める労働時間を超えて労働させた場合には割増賃金を支拂わねばならぬ法意であるから時間外労働に対する割増賃金は支拂わねばならない」と回答していることが認められるから、この点についての労働省の行政的解釈も判示と同一の結論をとるもののようである。昭和二十三年七月から昭和二十四年八月まで京都労働基準局給與課長の地位にあつた証人二宮竜二の証言によれば同証人もこの点に関しては、もとより前示労働省の行政的解釈に服するわけであるが、なお右の結論をとる理由として「この見解の根拠は労基法は元來労働者の保護が主要目的で使用者が手続をとらずに労働者を働かした場合、ただ働きさせるのは法の趣旨に副わないわけで労働者を保護するという法の精神から割増賃金を支拂わねばなりません」との見解を明らかにしている。

そこで進んで原告等のなした時間外労働に対する割増賃金の額について判断するに先づ証人井上宗次郎の証言によつて成立を認める甲第六乃至九号証を綜合すれば原告等のなした原告主張期間に於ける時間外労働の時間数は別紙(二)の一記載のとおりであることを認め得べく右時間数と当事者間に爭がない原告等の賃金を基礎として労基法第三十七條、同法施行規則第十九条第一項第四号に規定する計算方法に從つて(但し前記のとおり一日八時間一週四十八時間の労基法による労働時間制限に達するまでの一時間は日教組と文部省の労働協約にこの点に関する特別の定めのあつたことの主張立証なき本件において通常の労働時間の賃金による。前示証人二宮竜二のこの点に関する証言も同趣旨である。)算出すると原告等の請求に係る割増賃金は別紙(一)記載の範囲内において相当であることを認めることができる。(別紙(二)の一の超過勤務事由中日直を基準法三十七條の場合に含めてよいがどうかは多少問題であるが乙第五号証の二及乙第六号証の二によると休日日直は特に基準法三十七條とは別個の扱を爲しているに拘らず平日日直に付ては此の様な扱をしていない点から見て後者は時間外手当と同一の取扱即ち基準法による取扱をする趣旨なりと解する其の他の事由は総て本務たる教育と密接なる関係あり基準法三十七條の場合に含めてよいと思う)(原告は毎月二十五日労働するものとして計算している此の計算は労基法施行規則第十九條第一項第四号による計算よりも原告等に不利なる計算なること明であるから原告等の計算方法に基く其の請求は正当に請求し得べき額の範囲内なりと言うべきである)よつて被告は原告等に対し別紙(一)記載の各割増賃金を労基法第二十四條に則り各月に生じた部分につき遅くともその翌月末日までに支拂うべき義務がある。なお原告等は被告に対し労基法第百十四條により、前記未拂金の外これと同一額の附加金の支拂を求めるけれども右附加金は違反行爲に対する民事的制裁たる性質を有するものと解すべきところ、本件において労基法施行間もないこととて関係諸法令やその取扱のさだかでなかつた当時の事情を考えると被告に対し殊更右制裁を課す必要を認めないので原告等の本訴請求中被告に対し割増賃金の支拂を求める部分を別紙(一)掲記の範囲内で正当として認容し、その余の請求を失当として棄却し、訴訟費用は民事訴訟法第八十九條第九十二條但書に則り全部被告の負担としなお原告等勝訴の部分に限り仮執行の宣言を附するを相当と認め主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 前田治一郎 宮崎福二)

別紙目録<省略>

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