京都地方裁判所 昭和26年(ワ)1178号 判決
原告 岩手戸津子
被告 宮城晴男 外一名(いずれも仮名)
一、主 文
被告等は原告に対し各自金十万円及びこれに対する昭和二十六年十二月二十六日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担、その余を被告等の連帯負担とする。
この判決は原告において金四万円の担保を供するときは原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告等は原告に対し金五十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和二十六年十二月二十六日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、原告は昭和二十六年三月十八日以来青果商を営む被告晴男方二階四畳半一室を間借し居住していた、同年九月二十四日午後九時三十分頃、原告は同家階下台所の上り口に腰掛け食事をしていたところ停電したので自転車用電燈の光で食事を続けていた、当時は渇水のため日夜停電が頻発していた、ところが被告晴男、同まつ子の長男晴吉(昭和十年十一月三十日生、当時満十五年十月)が突然背後より食事中の原告に抱きついたので原告は驚いて振放し、足許に落ちた茶腕で足を怪我等しなかつたかと身体をかがめた時晴吉は再び背後から原告に抱きつき鋭利な安全剃刀の刃で原告の右頬部より右耳殻に至る長さ十センチ余の深い切創を負わせた。原告は直ちに京都市下京区七条新町上る福島病院に駈け込み応急手当を受け、以来同年十月十九日に至るまで同病院に通院し、漸く傷口は治癒したが右頬及び右耳殻には創傷の痕跡が残り、ために生来人並以上の美貌は不具同様の醜い容貌に変じ、精神上多大の損害を蒙つた。右晴吉は同二十五年中学校二年在学当時以来間脳症を患つている精神病者で発病後通学を止め家業の手伝していたが、遊戲中の友人を突然棒で殴り或は親戚方に赴いた際その家人を突然殴る等の発作的暴行を重ねており、本件傷害行為の際も自己の行為の責任を弁識し得ない心神喪失の状態にあつたものである。
被告晴男、同まつ子は右晴吉の実父母で、親権者として同人を監督すべき法定の義務を有するものであるから、被告等は右晴吉が本件傷害行為により原告に加えた精神的損害を賠償する義務がある。原告の蒙つた精神的損害は甚大で容易に金額をもつて表示し難いが、原告の実家は青果商を営み、原告は京都市堀川女学校併設商工専修学校第二学年を中退し、本件被害当時満二十三年の未婚女性であつたこと、被告等は青果商を営み相当の収益を挙げていること、その他前記諸事情を考慮すれば原告の蒙つた精神的損害は金百万円をもつて慰藉されるとするのが相当である、しかるに被告等は原告に対し本件負傷による通院中の治療費の他金一万円を支払つたのみで原告の請求に応じないので原告は被告等に対し右損害額より右一万円を控除した残額金九十九万円の内金として金五十万円及びこれに対する本件不法行為後である本件訴状送達の翌日の昭和二十六年十二月二十六日以降右完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだと述べ、
被告等の抗弁事実を否認した。<立証省略>
被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、
答弁として、原告主張事実中、原告主張事実中、原告が昭和二十六年三月十八日以来青果商を営む被告晴男方に間借人として居住していたこと、同年九月二十四日午後九時三十分頃、停電中に被告晴男、同まつ子の長男晴吉が安全剃刀の刃で原告の顔面に傷を負わせたこと、右晴吉は中学校二年在学当時間脳症に罹患し以来通学を止め家業の手伝をしていたこと、被告等が原告に対し右負傷による通院中の治療費を支払つたことは認めるが、右負傷の部位程度及び原告の蒙つた精神的損害額算定に関する主張事実は否認すると述べ、抗弁として昭和二十六年三月十八日頃原告より間借を懇請された際、被告等は同人に対し長男晴吉は精神病であるからと述べて間借を再三断つたが原告は、二、三日で宜しいから貸してくれといつたので、已むなく二階の一室を間貸することにしたのである。又被告等は晴吉発病後、病状につき京都府立医科大学精神科の診断を仰いだが、医師或は警察より同人を隔離せよとの注意を受けたこともなく、同人は日常家業の手伝をなし、刃物を持つて暴行するなどとは考えられない状態にあり、また本件傷害行為は停電中の出来事であつたため被告等はその発生を防止することができなかつたのである。従つて被告等は右晴吉に対する監督義務を怠つた事実がないのであるから原告の本件請求は理由がない。仮に被告等が右晴吉に対する監督義務を怠つた結果損害賠償義務があるとしても昭和二十六年十一月九日、原告と被告等の間に本件傷害行為にもとづく損害賠償請求に関し、被告等は原告に対し金一万五千円を支払い、原告は右金額以上の請求をしない旨の和解契約が成立しているから原告の本件請求は理由がないと述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が昭和二十六年三月十八日以来被告晴男方二階に間借人として居住していたこと、同年九月二十四日午後九時三十分頃、停電中に被告晴男、同まつ子の長男晴吉が安全剃刀の刃をもつて原告に切りつけ顔面に負傷させたこと、右晴吉は昭和二十五年中学校二年在学当時間脳症に罹患し以来通学を止め家業の手伝等に従事していたこと、被告等が原告に対し右負傷による通院中の治療費を支払つたことは当事者間争がない、また右晴吉は本件傷害行為の際満十五年十ケ月の未成年者であつたこと、被告等はその実父母で親権者として監督義務を負つていたことは被告等が明かに争わず弁論の全趣旨によつてもこれを争う意思が認められないから自白したものとみなす。次に成立に争のない検甲第一号証、第二号証の一、二、甲第一、第二、第四、第五号証証人中山林造の証言、鑑定人保田岩夫の鑑定、原告岩手戸津子本人訊問の各結果を綜合すれば、原告は右晴吉の傷害行為により右頬部より右耳朶に至る長さ約八センチの深い切創を受け、直ちに福島病院に走つて応急手当を受け、以来約一ケ月同病院に通院し傷口は治癒したが、今なお右頬部眼下二センチの部位より外方に横走する長さ八センチ幅二ミリの瘢痕及び右耳朶に長さ約一センチの同様な瘢痕を残し、化粧により或程度目立たぬよう粧うことはできるがたとえ整型手術を行つてもその痕跡を除去し得ず、女性として少からぬ精神的損害を蒙つたことが認められる。次に右晴吉の本件傷害行為の際における責任能力につき判断する、成立に争のない甲第九、第十号証、証人宮城矢作、中山林造、宮城矢作、和井内板道の各証言、被告宮城晴男本人訊問の結果、被告宮城まつ子本人訊問調書の記載を綜合すれば、右晴吉は昭和二十五年三月頃より時々てんかんによる失神の発作を起すようになり医師和井内板道の治療及び京都府立医科大学精神科の診断を受けたが病状は好転せず、学校中退後一時被告まつ子の郷里に静養に赴き、同二十六年一月被告晴男方に帰り家業の手伝をしていたが依然病状は回復に至らず、本件事故当時に至るまで一週間ないし十日に一回程の割合で発作を起す状態であつたこと、同人の日常の挙動も近隣の小児を相手に遊戲に興じ、家業の手伝といつても被告晴男の行商について行く程度以外殆ど役に立たず、しばしば母親の被告まつ子に対しまき割を振上げ、或は小遣をせがんでガラスを割る等の衝動的な挙動があつたこと、現在同人は大阪府茨木の精神病院に収容されていることが認められ、これらの事実と成立に争のない甲第六、第十一号証を併せ考えれば同人は本件事故当時精神病のため自己の行為の責任を弁識し得ない心神喪失の状態に在つたものと認められる、そこで次に被告等の右晴吉に対する監督義務懈怠の事実の有無について判断する、証人宮城矢作、宮城久吉の各証言、原告岩手戸津子、被告宮城晴男各本人訊問の結果、被告宮城まつ子本人訊問調書の記載によれば、前示認定の如く右晴吉は静養先より帰宅後も以然として病状は回復せず一週間ないし十日に一度という頻繁なてんかんの発作を起し、しかもしばしばまき割を振上げガラスを割る等の衝動的な挙動があつたのであるから、被告等はたとえ医師或は警察より同人を隔離するようにとの注意を受けなかつたとしても同人を自宅に置いて監護する以上、日常特にその挙動を監視し不慮の事故の発生を防止すべき義務があり、同人が家業の手伝に従い得る状態に在つたことは何等右義務を免れさせるものでないのに拘らず被告等は右晴吉の帰宅後その病状につき医師の診断を仰ぎその指示に従い適切な監護の処置をとることもなく漫然これを放置し、且原告に対し右晴吉の病状を告げ注意を促すこともせず、更に本件事故当時は停電が頻発していたが同人は暗所において発作を起し易い傾向があつたのに停電時に際し特に同人の監視に留意した形跡もみられないから被告等が右晴吉に対する監督義務を怠らなかつたとの事実は到底認められない、被告宮城晴男本人訊問の結果及び被告宮城まつ子本人訊問調書中右認定に反する部分は信用できない。また本件事故が停電中に発生したことは争がないが被告等は親権者として日常右晴吉に対する監督義務を怠つていた以上具体的に本件傷害行為の発生を防止する暇がなかつたとしてもその責任を免れることはできない。
よつて被告等の右抗弁は理由がない。次に被告等の本件事故にもとづく損害賠償に関する和解契約成立の抗弁について判断する。証人田山弘治の証言及び被告宮城まつ子本人訊問調書の記載により真正に成立したと認められる乙第一号証、証人田山弘治、宮城久吉の各証言、原告岩手戸津子、被告宮城晴男各本人訊問の結果、被告宮城まつ子本人訊問調書の記載を綜合すれば昭和二十六年十一月初頃、原告は訴外田山弘治を伴つて被告晴男方に赴き被告等及び被告晴男の弟訴外宮城久吉と本件事故の損害賠償につき交渉したが話し合が成立しなかつたこと、翌日訴外田山は再び被告晴男方に赴き原告の代理人と称して被告等との間に本件事故の損害賠償に関し、被告等は原告に対し本件負傷による瘢痕の整型手術のための治療費として金一万五千円を支払い原告は以後本件事故に関し右金額以上の請求をなさない旨の和解契約を締結し、被告等より金一万円を受領して乙第一号証を交付したことが認められるが、成立に争のない甲第八、第十三号証、原告岩手戸津子、被告宮城晴男各本人訊間の結果に照らすと、訴外田山が右和解契約締結につき原告より代理権を授与されていた旨の証人田山弘治、宮城久吉の各証言は信用できず他に右代理権の存在を証明するに足りる証拠は存しない。
よつて被告等の和解契約成立の抗弁は理由がない。そこで原告の蒙つた精神的損害につき判断する。証人山本イネ、宮城矢作の各証言、原告岩手戸津子本人訊問の結果によれば、原告は京都市立商工専修学校二年中退後一時横浜市の料理店で仲居をしていたが本妻のある訴外宮城矢作と内縁関係を結び同人の世話で被告晴男方に間借するに至つたもので、本件事故当時満二十三歳であつたこと、原告は昭和二十八年五月訴外岩手市郎と結婚し現在に至つていること、原告の実家は八百屋業を営んでいること、原告は訴外田山弘治を介し被告等より本件負傷による瘢痕の整型手術のための治療費として金一万円を受取つていること、被告晴男は昭和二十七年夏より家業の青果業を廃業し一時パチンコ遊戲場へ雇われ、現在洗張業の見習をしているが収入がないため右パチンコ遊戲場の廃業手当で生活しており、居住家屋以外に資産を有しないことが認められ、また被告等が原告に対し本件負傷による通院中の治療費を支払つたことは当事者間争がない。
右諸事情と前示認定にかかる原告の負傷程度を綜合判断すると原告の蒙つた精神的損害は金十万円をもつて慰藉されるとするのが相当である。よつて被告等は原告に対し右晴吉の法定監督業務者として各自金十万円及びこれに対する本件不法行為後である本件訴状送達の翌日の昭和二十六年十二月二十六日以降右完済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから原告の請求を右金員の支払を求める限度で認容し、その余の分は理由がないから棄却し、訴訟費用は民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用し、これを三分しその二を原告の負担、その余を被告等の連帯負担とし、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 山田常雄)