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京都地方裁判所 昭和26年(ワ)590号 判決 1956年12月03日

原告 小谷末次郎

被告 西山ナヲ 外三名

主文

原告の被告谷口良吉、同大谷幸一郎に対する訴は却下する。

原告の被告西山ナヲ、同渡辺進成に対する請求はいづれもこれを棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は昭和二十四年五月八日訴外亡小谷松之助がなした別紙目録記載の特別方式による遺言の無効なることを確認する。被告西山ナヲは別紙<省略>目録記載の不動産につき京都地方法務局昭和二十五年二月二十四日受付第二三五二号を以て自己名義になした所有権移転登記の抹消手続をなさねばならない。訴訟費用は被告等の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、原告は訴外亡小谷松之助(昭和二十四年六月二十七日死亡)の四男であるが亡松之助は昭和二十四年五月八日被告渡辺、同谷口、同大谷の三名を立会人として別紙記載の如き内容の遺言をなしたと称し、同年五月十二日附を以て被告西山より京都家庭裁判所に対し遺言確認の申請をなし(昭和二四年家第一〇二号)同月二十六日附で同裁判所の確認を得て被告西山は自分が遺贈を受けたとして昭和二十五年二月二十四日別紙目録記載の不動産につき自己名義に所有権移転登記手続を了した。しかしながら訴外亡小谷松之助は特別方式の遺言をなしたといわるる昭和二十四年五月八日は死亡の危急に迫つた状態ではなかつた。同人は同年四月初頃被告渡辺が代筆した遺言書なるものに自署したのであるがこの遺言状は裁判所に通らぬという理由で被告渡辺、同西山によつて改めて作成せしめられたのが本件の特別方式による遺言書である。当時松之助を診察した各医師の診断の結果並びに周囲の者の供述によるも松之助は何時死亡するかわからぬ状態でなかつたことを推知し得るのであるから被告渡辺進成等周囲の者は亡松之助をして緊急の状態においてのみ許される特別方式の遺言をなさしむべきではなく普通方式の遺言をなさしむべきであつた。

しかして亡松之助は自分の氏名のみより読み書きができなかつたのであるから普通方式の遺言中公正証書による遺言の方式を選ばしむべきであつた民法第九百七十六条の遺言は遺言者本人が自分で死期を感じた場合にも有効であるとの説があるが民法が特に特別方式の遺言を認めた趣旨からいつても単に遺言者が死期を感じたのみでは足らず或る程度客観的にも死亡の危急にある状態でなければこの特別方式の遺言をなし得ないと解すべきである。

仮に遺言者が主観的に死期を感じた場合にも特別方式の遺言をなし得るとの説を正当であるとしても本件遺言書は松之助が死期を感じて作成したものでないことが証拠上明かであるからいづれにしても特別方式により得べき場合でないに拘らず特別方式によつてなされた本件遺言の無効なことについては疑を挟むの余地がない。従つて本件遺言によつて有効に遺贈を受けたものとして被告西山が別紙目録記載の不動産につき自己名義になした所有権移転登記も無効であり抹消せらるべきものであるからここに原告は被告等四名に対し遺言の無効確認と被告西山に対し所有権移転登記の抹消を求めるため本訴に及んだ旨陳述し、

予備的請求原因として本件遺言は後の生前処分その他法律行為により取消されていることを主張する、即ち昭和二十四年六月中旬頃の夜亡松之助の枕頭に小谷ゆき、小谷うた、戸津とよ、小谷やす、橋本はる、被告西山ナヲが集つているとき亡松之助は遺言書に記載ある木造瓦葺平家建建坪二十三坪二合三勺の家屋を小谷ユキとその子供に、木造藁葺平家建本家建坪二十四坪の家屋を小谷うたに贈与する旨の意思表示をした、元来松之助とその実子や嫁等との間は余り円満でなかつたがそれは後妻である被告西山の存在が原因となつていたのであつて松之助も病気になつて実子や嫁から看病を受けて始めて実子や嫁等の自分に対する温かい愛情を感ずるようになり前の遺言を取消し夫々各別に贈与するような心境になつたのである遺言書にも『西山ナヲは自己を扶養し呉れるか、常に小谷家祖先の祭祀を執り行い呉れるもの又は日常親子として道義に厚きものに適当なる機会に適宜分与すべきものとす』とあるとおり亡松之助も当初より被告西山に終局的に遺贈する心境ではなくいわば一旦被告西山に預け後日同人をして適宜分与せしめるという心境にあつたのであるから親子の愛情が疏通し亡松之助が実子や嫁を信頼するようなつたときは本件遺言を取消し生前に自分の口から直接夫々に贈与したいという心境になることも親の情として当然である、尚遺言が取消されても被告西山は既に亡松之助より遺言前に遺言書記載の建物と同地番に建設せらている一番値打のある鉄筋コンクリート家屋を贈与されているから被告西山も松之助の財産から見ると十分のことをして貰つていることが判るのである。従つて本件遺言は仮に有効であるとしても民法第千二十三条第二項の規定により取消されたものとみなされると述べた。<立証省略>

被告西山、渡辺、谷口三名訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告が訴外亡小谷松之助の四男であること、松之助が昭和二十四年六月二十七日死亡したこと、亡松之助が昭和二十四年五月八日被告渡辺、同谷口、同大谷の三名を立会人として別紙記載の如き内容の特別方式の遺言をなし、同年五月十二日附を以て被告西山より京都家庭裁判所に対し遺言確認の申請をなし同月二十六日附で同裁判所の確認を得て被告西山は自分が遺贈を受けたとして昭和二十五年二月二十四日別紙目録記載の不動産につき自己名義に所有権移転登記手続を了したことはいづれもこれを認めるがその余の原告主張事実は全部否認する、松之助は本件遺言書作成の際死亡の危急に迫つており本人においてもそのことを自覚して遺言したものであるから本件特別方式によつた遺言は有効である。松之助が本件遺言書作成後原告主張の如き生前処分をしたというが如きは全く無根の事実で原告の本訴請求はすべて失当であると述べた。<立証省略>

理由

先づ職権を以て原告の被告谷口、同大谷に対する本件訴の適否を審査するに原告の主張によると同被告等は単に本件遺言書作成の立会証人であるに過ぎず受贈者でも、遺言執行者でもないこと明かであるから同被告等は本件遺言に何等法律的な利害関係を有しないものであるといわなければならない。そうすると右被告両名は本件遺言無効確認の訴につき正当な当事者としての適格を有しないものであるから同被告等に対する原告の訴は不適法として却下を免れない。そこで原告の被告西山、同渡辺に対する請求の当否について判断する。

原告が訴外亡小谷松之助(昭和二十四年六月二十七日死亡)の四男であること、右松之助が昭和二十四年五月八日被告渡辺、同谷口、同大谷の三名を証人として立会わせ別紙記載の如き内容の特別方式の遺言をなしたこと、同年五月十二日附を以て被告西山より京都家庭裁判所に対し右遺言確認の申請をなし、同月二十六日附で同裁判所の確認を得たこと並びに被告西山が右遺贈を原因として昭和二十五年二月二十四日別紙目録記載の不動産につき自己名義に所有権移転登記手続をしたことは当事者間に争がない。ところで原告は右遺言当時右松之助は死亡の危急に迫つた状態ではなかつたから右遺言は特別方式による遺言の要件を欠き無効であると主張するので案ずるに、成立に争のない甲第一号証の一によると亡松之助は明治七年五月七日生れで右遺言当時七十五歳の高齢であつたこと明かであり証人岡本政一(医師)の証言によると同医師は右松之助を昭和二十三年九月八日から同年十月八日まで診察し病名を胃潰瘍と認めたがその時は回復しその後昭和二十四年三月三十日から同年四月十七日まで再び診察しその時の病名も胃潰瘍と認めたこと、昭和二十四年三月三十日同医師が往診した際の右松之助の症状は腹痛を訴え、吐血し、心臓が衰弱し非常に重態と認められたのでリンゲル、萄葡糖ビタミンBC、強心剤、止血剤を注射し、その後同月三十一日、四月一日、二日までリンゲル注射を続けて射ち四月三日からは少し良くなつたので同日及び四日は葡萄糖の注射を行い、同月五日からは流動食が食べられるようになつたので、その後は同月六日、八日、十日、十二日、十四日、十五日、十七日と往診しその後は家族の者より断わられたので診察していないが右四月十七日最終診察のときは状態は少しく良くなつていたが心臓はまだ悪るく、肝臓が二横指腫れ胃は固くなり、絶対安静を必要とする状態で当初より少しく良くなつてはいたが尚癒るか癒らないか分らない状態であつたことを認めることができ、成立に争のない乙第二号証及び証人加藤静応(医師)の証言によると同医師は前記松之助を昭和二十四年四月三十日に初診しその後同年五月五日、八日、十四日、二十三日と往診し病名を肝臓硬変症と診断したこと、同年五月八日同医師が松之助を診察したときの症状は熱は三十六度四分、脈膊六八、呼吸速進、肝臓二横指腫れ、腹まわり八二、腹膜は十三即ち水が非常に多くたまつており、足背にはフシ二十二即ちフシが相当あり栄養低下し肝臓が肥大していたので肝臓硬変症と認めたが一般状態は重態不治で絶対安静を必要としたこと、但し意識、指南力は明瞭であつたことを認めることができ、証人百瀬洽平(医師)の証言によると同医師は昭和二十四年五月十日頃前記松之助を往診したがその際の同人の症状は顔面貧血、羸痩し、腹部に水がたまり、胃部に圧通を感じ肝臓は二横指半腫脹していたので既往症(昭和二十三年九月頃コーヒー色の嘔吐をなし胃痛がありこれが昭和二十四年三月に再発したとの患者の訴えによると)考え合せ胃潰瘍か胃癌、寧ろ胃癌と診断したが相当な重態で胃癌とすると寿命は一ケ月、長く持つてもせいぜい半年位と考えたことを認めることができ真正に成立したものと認める乙第四号証、(医師新妻良輔作成の死亡診断書)によると松之助は昭和二十四年六月二十七日午前二時二十五分死亡したが同医師は松之助の死亡の直接原因は胃癌と判断したことを認めることができる。

叙上認定の事実を綜合すると松之助は本件遺言書作成当時危篤の状態ではなかつたけれども既に高齢且つ重態で何時死亡するかも分らないような状態にあつたものであることを推知するに難くなく。被告渡辺進成の供述(第一回)によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証、証人谷口よし子(第一、三回)の証言並びに被告西山ナヲ(第一、二、三回)、被告渡辺進成(第一、二回)、被告谷口良吉、被告大谷幸一郎(第一回)各本人尋問の結果を綜合すると松之助は昭和二十四年三月三十日前示岡本医師診断の如き症状を呈して死期の迫れるを自覚したので予て懇意の被告渡辺進成を招き今夜にもどうなるか分らないから遺言書を書いて呉れと懇願したので同日午後九時四十分頃被告渡辺は被告谷口、同大谷を証人として立会わせた上本件遺言書と略々同一内容の特別方式による遺言(乙第一号証)を作成してやつたが翌八日訴外上田司法書士より遺言者の署名捺印を要する旨聞いたので同日早速松之助の枕頭に行き無理に筆を持たせ漸く署名捺印をさせ、裁判所に確認の申請手続をとつたが遺言者の署名捺印があるため特別方式の遺言として不備なる旨指摘せられたので右申請を取下げたこと、その後松之助は稍々小康を保つたのでその儘打過ぎていたところ同年五月八日再び悪化し前示加藤医師診断の如き重症状を呈し同夜見舞に行つた被告渡辺に対し苦しい苦しいと訴え、この前作成した遺言書をもう一度作つて呉れと哀願し同夜中にも命が危いのではないかと思われる状態だつたので被告渡辺は同日午後九時頃前回同様被告谷口、同大谷を証人として立会わせ松之助の枕頭において本件遺言書を作成してやつたものであることを認めることができるから松之助は自ら死期の切迫を感じて本件遺言をなしたものと認められる証人小谷やす(第一乃至第四回)同小谷ユキ(第一、二回)、同戸津とよの各証言及び被告大谷幸一郎の本人尋問における供述(第一、二回)中叙上の認定に反する部分はたやすく措信し難く、松之助がその後小康を保ち結局同年六月二十七日まで生命を保つた事実は未だ以て叙上の認定を左右し難く他に叙上の認定を覆し原告の主張を肯認するに足る証拠は存しない。

しかして民法第九百七十六条の特別方式による遺言は必らずしも遺言者が危篤の状態になくても自ら死亡の急迫な危険を感じた場合にもこれをなし得るものと解するのを相当とするから本件遺言は叙上認定の事実より見て正にこの要件を具備しているものというべく有効であると認めなければならない。よつて本件遺言を無効であるとなす原告の第一次の主張を理由なしとして排斥し、次に原告の予備的主張について判断する原告は亡松之助が昭和二十四年六月中頃その主張のような本件遺言と牴触する生前処分をなしたと主張し証人小谷やす(第三、四回)、同小谷ユキ(第二回)、同小谷うた、被告大谷幸一郎(第二、三回)も亦右原告の主張に副うような供述をするけれども証人谷口よし子(第二、三回)の証言、被告渡辺進成(第二回)、被告西山ナヲ(第二、三回)本人尋問の結果に照したやすく措信し難く他に松之助がその生前原告主張のような贈与をなしたと認めるに足る証拠はないから右原告の主張も亦これを採用することができない。

そうすると本件遺言による遺贈を原因として受遺者西山ナヲが別紙目録記載の不動産につき自己名義になした所有権移転登記の有効なことも勿論であるから原告の被告渡辺、同西山に対する本訴請求を全部失当として棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡恒久男)

遺言書筆記

遺言者京都市左京区一乗寺下リ松町五番地当時同区一乗寺小谷町七番地寄留小谷松之助は昭和廿四年五月八日午後九時左記証人参名を病床に集め疾病のため自書する能はざるに付各証人に遺言し之を証人の一人たる自己(渡辺進成)に口授したるを以て之を筆記す

一、遺言者小谷松之助は自己所有の不動産左京区一乗寺小谷町七番地宅地六畝拾参歩上に建設しある

木造瓦葺平家建

建坪 弐拾参坪弐合参勺

木造藁葺平家建 本家

建坪 弐拾四坪

外に附属建物木造藁葺平家建小屋建坪拾坪、木造瓦葺平家建便所建坪弐合五勺等同番地上所有に属する一切の建物

二、遺言者は右建物敷地の地上権並に動産の一切(什器家具身廻品等)を併せ妻西山ナヲに遺贈す西山ナヲは自己を扶養し呉れるが常に小谷家祖先の祭祀を執り行なひ呉れるもの又は日常親子として遺義に厚きものに適当なる機会に適宜分与すべきものとす

此の遺言の執行者渡辺進成と定む

此の遺言書の保管者を西山ナヲと定む

以上

右遺言を遺言者小谷松之助及証人谷口良吉、同大谷幸一郎に読み聞かせたるに何れも筆記の正確なることを承認したり

昭和廿四年五月八日

京都市中京区壬生土居内町六番地

証人(筆記者) 渡辺進成

右遺言の筆記の正確なることを承認す

昭和廿四年五月八日

左京区高野玉岡町十六番地

谷口良吉

左京区一乗寺小谷町六番地

大谷幸一郎

以上

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