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京都地方裁判所 昭和27年(行)3号 判決 1953年4月03日

原告 日本食糧倉庫株式会社

被告 京都府地方労働委員会

主文

被告が京労委昭和二十七年(不)第一号事件について昭和二十七年三月十三日附でなした命令は、これを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として、

第一、訴外新林安雄はもと原告会社の従業員であつたが原告会社は昭和二十七年一月五日同人を解雇した。ところが同人は原告会社京都支店を被申立人として被告委員会に対し、右解雇は労働組合法第七条違反の不当労働行為であると救済申立をなし、被告委員会は昭和二十七年三月十三日附で右申立に基いて左記のような救済命令を発し、同命令書写は同月十七日被申立人に交付された。

(一)  原告は新林を昭和二十七年一月五日に遡り解雇当日と同一の労働条件を以て即時原職に復帰させなければならない。

(二)  原告は新林に対し昭和二十七年一月五日以降原職復帰に至るまで一日につき金六百七十三円四十一銭の割合による金員を即時支払わなければならない。

(三)  原告は今後労働組合の結成並びにその運営を支配し又は介入してはならない。

第二、しかし乍ら右命令は次の如き諸点において違法たるを免れない、よつて原告は被告に対し右命令の取消を求めるため本訴に及んだ。

一、命令は当事者を誤つた違法がある。

命令書は被申立人を原告会社京都支店としているが、原告会社京都支店は独立せる法人格の主体ではなく不当労働行為救済事件の被申立人たり得ないものである。即ち労働組合法第七条第二十七条の規定がその対象としているのは「使用者」であるところ、新林安雄の使用者は、原告会社であつて原告会社京都支店でもなければ、京都支店長西川一雄でもない。従つて新林の被告委員会に対する救済申立の相手方は原告会社であり、その主たる事務所は東京都中央区日本橋蠣殼町一丁目十九番地、その代表者は代表取締役三須武男である。中労委規則第三十二条二項によれば、救済申立書には使用者の名称及び住所(使用者が法人その他使用者の団体である場合にはその代表者の氏名及びその主たる事務所の所在地)を記載しなければならない。然るに新林の申立書は被申立人を原告会社京都支店とし、その事務所を京都市中京区壬生天池町一番地とし、支店長西川一雄と掲げているのであつてその不適法なることは明かである。さればこの点が、補正されない以上被告委員会は中労委規則第三十四条により右申立を却下すべきであつた。にも拘らずこれを却下せず右申立を容れてなした命令は前記法条に照し違法たるを免れない。

仮りに原告会社京都支店を被申立人と表示してなされた右命令がその本来の使用者たる原告会社に対してなされたものと解し得るものとすれば、被告委員会はその審査手続において誤を犯したものと言わざるを得ない。即ち救済申立後の被告委員会の手続はすべて正当な当事者(本来の使用者)でない者を相手に行われたのである。中労委規則第三十七条の調査手続、第三十九条の審問開始決定書の送付、第四十条の手続等は何れも適法に行われていない。

そのため原告会社は審査手続において攻撃防禦の方法をなし、証人に反対尋問する機会を全く与えられなかつた。労働組合法第二十七条によれば、審問手続においては使用者及び申立人に対し、証拠を提出し証人に反対尋問をする充分な機会が与えられなければならない旨が規定されているのであるから被告委員会の審問手続は違法である。

二、命令は不当労働行為ならざるものを不当労働行為なりと認定した違法がある。

命令は原告会社が新林等の労働組合結成運動を阻止するため同人を解雇したと判断しているが、当時原告会社は勿論のこと直接解雇の衝に当つた京都支店長西川一雄においても新林等が労組結成準備中である事実は全く知らなかつたのである。原告会社が新林を解雇したのは同人が性質狂暴にして融和性を欠き、同僚との折合が悪く且つ上司の指揮命令に従わず、屡々職場の秩序を乱したからである。而して原告会社は昭和二十六年十月初旬には既に新林を解雇すべく決意しており新林も又これを承諾していた。たゞ退職金を三十万円欲しいという新林の要求が余りに不当のものであつたためこれに応ずることが出来ず一時留保となつていたに過ぎない。ところが新林は原告会社の作業員としての寿命も長くないと悟つたものかその不当な退職金の獲得を期するため、万一の場合は不当労働行為として提訴し原告会社と抗争せんと企てた。そしてそのときの資料とするため、遠縁にあたる北村大典と計つて労組結成に着手したもののように装い、同年十月十八日事情を知らない作業員五名に呼びかけ「労組加入致し度く右御願い致します」と記した書面に署名を入手しておいたのである。而して昭和二十七年一月五日解雇の通告を受けるや予定のとおり被告委員会に対し右一札を添えて不当労働行為救済命令の申立をなしたというのが事の真相であつて、新林の行為は全く労働組合法の濫用であり悪用であるといわなければならない。然るに被告委員会は申立書の記載を盲信して中労委規則第三十七条所定の調査手続を等閑にし、予断と偏見を抱いて尋問にあたり、証人の尋問において申立人に有利なように誘導尋問を繰返したのみならず原告会社就業規則の効力を誤解し法律不遡及の原則を曲解し原告会社に存する協力会の性格を誤認し、これと新林の解雇との間に因果関係ありと確信した結果新林の解雇が労働組合法第七条に違反すると判断したのは違法たるを免れない。

三、命令書主文第二項は「原告会社は新林に対し昭和二十七年一月五日以降原職復帰まで一日金六百七十三円四十一銭の割合による金員を即時支払わなければならない。」といつているが、これには次のような瑕疵がある。

(一)  命令書主文第二項は中労委規則第四十三条に違反している。

中労委規則第四十三条第二項第三号によれば、命令主文には請求にかゝる救済の全部若くは一部を認容する旨及びその履行方法の具体的内容を示さなければならない。労働委員会の命令が確定したときは、これに違反する使用者は多額の過料に科せられ、更に命令が裁判所の確定判決によつて支持された場合違反者は禁錮又は罰金に処せられるという制裁があるから、労働委員会の命令はその実質において実に刑罰法規設定にも等しいものである。ところで罪刑法定主義は憲法第三十一条に宣言せられているとおり憲法上の要請であり、労働委員会の命令に具体性を要求する右中労委規則もその精神のあらわれに外ならない船員労働委員会規則第四十五条第二項第一号がこの点を更に明確にし「請求にかゝる救済の全部若くは一部を認定する旨及びその履行方法の具体的内容、但し作為又は不作為を命ずるときにはその作為又は不作為をなすべきもの及びその履行方法を明示しなければならない」と規定しているが、中労委規則第四十三条第二項第三号も右と全く同趣旨であると解すべきである。命令主文第二項のように単に即時というのでは何時支払つてよいのか義務者は迷わざるを得ない。又支払方法も何等具体的に明示されていない。更に支払金額が新林の手取をいうのか税金その他の法定負担を含んだ額をいうのかそれも不明である。このように履行に困惑するような、刑罰を受ける可能性のある命令を発したことはまさに前掲中労委規則に違反するのみならず、憲法第三十一条違反というべきである。

(二)  主文第二項は賃金の二重払を命じた違法がある。

原告会社が新林を解雇したのは昭和二十七年一月五日であるが同日新林は就労し就業時間が終ると同時に解雇されたのであつて同日の賃金は新林に提供したのである。然るに命令主文第二項は昭和二十七年一月五日以降賃金相当額の支払を命じている。そのため原告会社は一月五日分として二重に賃金の支払をしなければならなくなつた。この点において主文第二項は違法たるを免れない。

(三)  主文第二項の支払金額は事実を無視し法規の解釈を誤つている。

命令はこの点につき理由末尾において「申立人の解雇通告を受けた当時における平均賃金が一日につき金六百七十三円四十一銭であることは当事者間に争がない」と判示しているが、かゝる事実はないのである。尤も昭和二十七年七月十九日の準備手続期日に閲覧した京労委昭和二十七年(不)第一号事件記録の第四回審問調書には「申立人新林安雄の平均賃金は別紙平均賃金算出表のとおり一日につき金六百七十三円四十一銭也と述べ、被申立人はこれを認めた。」と記載されているけれども、同年六月二十三日原告会社代理人松沢龍雄と京都支店長西川一雄が被告委員会において閲覧を求めた際には「申立人新林安雄の平均賃金は二万二千三百五十九円と述べ、申立人はこれを認めた。」と記載してあつたものである。従つて右調書は六月二十三日より七月十九日までの間に書改められたものなることは疑う余地がない。(被告はこれによつて主文第二項の金額が生れたような形式を整えたつもりでいる。)従つて主文第二項はこの点を勝手に当事者間に争のない如く確定した違法がある。何となれば一ケ月の賃金が二万二千三百五十九円であることにつき争がないとしてもこれから一日の平均賃金が六百七十三円四十一銭であるという結論は全然出て来ないからである。新林の解雇当時における平均賃金を労働基準法第十二条所定の方法により労働基準局長通達に従つて計算すると六百八十五円十六銭となる。従つて主文第二項はその平均賃金相当額の算出にあたり右法条に違反している。この点は命令の金額がたとえ原告会社にとり有利な計算になつていても結論を異にしない。

四、命令主文第三項は「原告会社は今後労働組合の結成並びにその運営を支配し又は介入してはならない。」といつているがこれは次のような点で違法である。

(一)  右は命令の客体を明示していないから全労働者に対して原告会社が右行為をなすことを禁止したものと解せられるが、申立人以外の者に対しかゝる救済命令を発することは許されない。

(二)  主文第三項は中労委規則第四十三条第二項第三号に違反している。

即ち何人に対して組合を結成し運営するのを支配し介入してはならないのか不明であるのみならず、支配介入というのは労働組合法第七条第三号の規定そのまゝの字句であつて命令はこれを具体化しなければならないのにこれを怠つている。

(三)  主文第三項は労働委員会の権限を超えるものである。

命令は第三項を命じた理由として「被申立人が労働組合の結成を阻止せんとする意図の下に新林を解雇したものとの認定の下に将来も同様のおそれなしとしない。よつてこれを厳に戒める必要あるものと認めた。」と判示しているが、労働委員会は不当労働行為があつた場合に過去の行為に対して救済命令を出す権限はあつても将来にわたり具体的に規定し得ないようなかゝる命令を出し、恰も原告会社の将来の行為に対して刑罰法規を設定するに等しいような結果を生じ得る可能性ある処分をなす権限は有しないのである。

五、命令は擬律錯誤、理由不備の違法がある。

命令は理由末尾において「申立人新林安雄に対し労働組合法第七条第一項第三項…………を適用して主文のとおり決定する。」と述べているが、右は「被申立人に対し第七条第一号第三号」が正当であつて命令は理由不備であり、擬律においても誤を犯している。

六、命令には後日命令書原本に手を加え審問調書を書改めた違法がある。

原告会社京都支店に交付された命令書写によればその理由三、当委員会の判断第一、解雇理由の当否について(1)中には「草案の完成を見たのは同年十二月十五日である。」と記載されているのであるが、昭和二十七年六月二十一日の準備手続期日において被告代表者より右の部分は原本が十二月二十二日となつているのを間違えて謄写交付したから訂正したい旨申出があつた。そこで原告において原本を閲覧したところ、原本は十二月十五日と謄写版刷りになつているのを二十二日と訂正して欄外に訂正印が押捺してあるのを発見した。若し最初より書違えてあつたものを命令書原本作成の際訂正しておいたものとすれば原告会社京都支店に交付された写も二十二日に訂正してある筈である。原告としては被告委員会が本件訴状送達後において争点に重大な関係のある右の点につき命令書原本に手を加えたものと考えざるを得ない。右命令書原本の場合といひ、先に三の(三)で述べた第四回審問調書の場合といい、訴訟において原告より瑕疵を指摘されるや直ちに審問調書を書改め或は命令書原本に手を加えてそれを糊塗せんとする被告委員会の態度は行政庁にあるまじき不公正なものというべく、それのみを以て本命令を違法ならしめるに充分である。と述べ、

被告の本案前の抗弁に対する答弁として、被告は訴却下の裁判を求めているが原告は労働組合法第二十七条第四項所定の出訴期間内に適法に訴を提起している。訴状が裁判所によつて受理せられたときに訴の提起があつたものとみなされるのであり、本件訴状には最初右代表者会長田辺哲崖の表示がされていたのであるから、本件訴の提起は適法であり被告の見解は採るに足りないと述べ、

立証として甲第一乃至六号証、七号証の一乃至五、八乃至十二号証、十四号証、十三、十五、十六号証の各一乃至三、十七乃至二十号証、二十一号証の一乃至五、二十二乃至二十六号証、二十七号証の一乃至十三、二十八乃至三十四号証を提出し、甲第十六号証の一は花谷政一が昭和二十七年三月下旬頃第四回審問調書を謄写したものであると述べ、証人西川一雄、若林真次郎、尾崎悦三、中村新三、上羽光三郎、大塚藤太郎、小林繁、松山久作、糸井邦治、秦光三郎、山口清朔、花谷政一、山口小文の各証言を援用し、乙第一、二号証、三号証の一、二八号証は不知、第六号証の一は成立を否認する、その余の乙号各証は何れも成立を認めると述べた。

被告代表者は「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めその事由として、訴状訂正申立書により訂正された訴状によれば原告は被告を京都府地方労働委員会と表示しているのみでその代表者を表示していない。しかし乍らこれは誤である。訴状には当事者及び法定代理人(法人その他の場合は代表者)を記載することは絶対的条件であつて委員会を被告とする場合亦同様である。代表者の表示を欠く訴状は不適法たるを免れない。ところが原告は昭和二十七年八月二十三日附書面において被告の表示に「右代表者会長田辺哲崖」を加え訴状の再訂正をした。被告としては訴状陳述後その不適法なる表示を訂正し得ないものと解するが仮りに訂正が許されるとしても、適法なる訴が裁判所に繋属した時期は原告が訴状を再訂正したときとみるべきであるから、既に労働組合法第二十七条第四項の出訴期間を過ぎており本訴は却下さるべきであると述べ、

本案につき「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として原告主張の事実中第一の事実は全部認める。その余は以下において認める部分を除き全部争う。

第二の一に対し、原告は命令が被申立人を誤つた違法があると論難するが当らない。蓋し労働組合法第七条第二十七条にいう「使用者」たるには必ずしも法人格を有することを要せず、不当労働行為能力があり有効に救済命令の内容を実現する能力さえあれば、右法条にいう「使用者」たるに必要にして充分である。而して本件についてみれば訴外新林安雄は原告会社京都支店限り雇傭されていたものであつて、同支店を代表して支店長が雇入解雇の権限を有していたのであるから前記法条にいう「使用者」たる適格を具えていたものといわなければならない。

二に対し、原告は新林が性粗暴にして融和性を欠き同僚との折合悪く且つ上司の指揮命令に従わないから、就業規則第三十四条第一項三号によつて解雇したと主張するが、被告委員会はその解雇理由は単に表面上のものであつて真の理由でないか、尠くとも解雇の決定的理由でないと認定したものである。若し新林の性行が原告主張のような状態であるとしたならば同人を解雇する機会は何回でもあつた筈であり、殊に昭和二十六年十月六日の出来事の如きは絶好の機会であつたに拘らず同人は解雇されなかつたのである。又解雇理由として示すところは就業規則第三十四条第一項三号であるが、原告主張の如き新林の性行を以ては直ちに「やむを得ない業務上の都合によるとき」とは断じ難い。新林の労働組合結成運動の具体化が著しく原告会社京都支店当局者を刺戟し、遂に解雇を決意せしめたものであることを被告委員会は審問の過程において各証拠により確信したものである。

三の(二)に対し、原告は命令が昭和二十七年一月五日以降賃金相当額の支払を命じた点を違法と主張しているが、この点は被告委員会における審査手続において申立人の右趣旨の申立に対し被申立人において何等争のなかつたところである。争のない事実に立脚して判定した被告委員会の措置を違法というのは誤である。

三の(三)に対し、原告は新林の平均賃金の支払につき縷々述べているが、被告委員会としては新林の申立てた平均賃金が六百七十三円四十一銭でありこの限度においては原告も争わないので、(原告の計算はこれより高くなるのであるが)被告は争のない金額を採用したのであるから、かゝる措置を違法というのは当らない。

四の(三)に対し、原告は主文第三項が労働委員会の権限を超えるものであるといつているがこれ亦失当である。原告会社に存在する協力会は極めて排他的な御用労働組合であり、その規約を厳守する限り労働組合法に基く労働組合を結成することは不可能に属する。而も協力会が会社首脳部の発意に基くところ多いように推察されるところよりみれば、西川支店長は協力会の存続を熱望するものであり、再び事を構えて不当労働行為の行われるであらうことは火をみるより明かである。その危険の存する以上前掲不作為の禁止命令を発することは必要である。

六に対し、原告は被告が命令書の一部に手を加えたといつているが、これも原告の恣意に基く臆測から出た独断であつて採るに足りない。と述べ、

立証として乙第一、二号証、三号証の一、二、四号証の一乃至四、五、六号証の各一乃至三、七、八号証を提出し、証人北村大典、広瀬唯和、新林安雄の各証言を援用し、甲第一、二、四号証、七号証の一乃至五、十六号証の一、三、十七乃至十九号証、二十四、二十五号証、二十八乃至三十二号証、三十四号証は何れも成立を認める。その余の甲号各証は全部不知と述べた。

理由

第一、訴外新林安雄は原告会社の従業員であつたが、原告会社は昭和二十七年一月五日同人を解雇したところ、同人は原告会社京都支店を被申立人として被告委員会に対し、右解雇は労働組合法第七条違反の不当労働行為であるとして救済申立を為し、被告委員会は右申立に基き、同年三月十三日附で、一、原告会社は右訴外人を解雇の日に遡り解雇当日と同一の条件を以て即時原職に復帰させ、二、原告会社は右訴外人に対し同日以降原職復帰に至る迄一日金六百七十三円四十一銭の割合による金員を即時支払い、三、原告会社は今後労働組合の結成並びにその運営を支配し介入してはならない旨の救済命令を発し、この命令書写は同月十七日被申立人に交附された事実は当事者間に争いはない。そこで、

第二、被告の本案前の抗弁につき判断するに、記録によると本訴は同年四月十五日に提起せられたことが明かであるから、本訴は労働組合法第二十七条第四項所定の期間内に提起されたものということができる。尤も同年四月二十四日受付の訴状訂正申立書によれば、訴状の当事者表示中右代表者会長田辺哲崖を削除しているけれども、更に同年八月二十三日受付の書面により右代表社会長田辺哲崖を加えたのであるから右の欠缺は補正されたものと云うべく被告の本案前の抗弁は採用するをえない。(法定代理人の表示は、当事者の表示と異り訴訟の同一性とは無関係であるから後でこれを補充変更しうる)次に、

第三、原告は被告のなした前記命令は不当労働行為でないものを不当労働行為であると誤認した違法がある旨主張するのでこの点につき判断する。

一、証人尾崎悦三、同上羽光三郎、同秦光三郎、同糸井邦治の各証言に依れば、訴外新林安雄はその性質や原告会社京都支店での作業振りは極めて粗暴であつて、就中昭和二十六年八月頃その作業が乱暴で荷物を落した為め、馬方の足に治療一週間の傷を負わせ、その頃同僚なる松山作業員の担出した米の搗が間違つているといつて同人に対し乱暴を働き其の他時期は明確ではないが、その仕事の上でアンマと称し米俵を無茶に馬方の背に担わせて馬方が腰を挫き、原告会社京都支店応接間で支店長と作業員の会合の席上同席していた山田恒苗が笑つたからとて新林は顔面蒼白となり「半殺しにしてやる」と申向けた等の諸事実を認めることができる。次に、

二、証人松山久作、同小林繁、同大塚藤太郎の各証言と真正に成立したものと認められる甲第二十三号証甲第二十六号証に依れば、新林の同僚であつた作業員中小田清一、光田富雄、長谷川勇は何れも昭和二十六年中にその職を去つているのであるが、その中小田は新林と意見が合わず一緒に仕事をするのが不愉快であつたことが退職の理由になつており、他の二名も新林と共に作業することには不満の意を漏らしていた事実、並に新林解雇の直後総評京都支部副議長岡本甲子郎が原告会社京都支店に来て、新林復職につき懇談した際も倉手及び作業員中復職斡旋方を申出たものがなく、却て小林繁以下四名の倉手及び上羽光三郎以下四名の作業員は新林が職場に復帰すればその勝手気儘な行動により到底円満に作業ができない事を理由にその復帰しないことを強く要望している事実が認められ、之等事実に徴し新林は著しく同僚との融和性を欠きその折合が悪かつたものと認めるを相当とする。更に、

三、証人西川一雄、同若林真次郎、同中村新三、同小林繁、同秦光三郎、同大塚藤太郎の各証言に依れば、原告京都支店では支店長の下に倉庫長があり、倉手は倉庫長の指揮に従い作業員を指図して作業させる仕組となつていたものであるが、新林はかつて自分も倉手を勤めた経験があり且倉手の多くが新林の養父栄二郎の世話になつたものであることを笠に着て、倉手の指揮に従わず、昭和二十六年中は倉手と衝突すること月に数回を数え、就中昭和二十五年一月頃倉庫長が新林に倉手の指揮に従つて作業するよう説諭すると新林は之に憤慨して数日に及んで無断欠勤をなし、昭和二十六年八月頃原告会社京都支店三十八番倉庫の醤油積出作業中、新林は倉手の命に叛いて作業半ばで六番倉庫え赴き米の倉出しを始め、小林倉手より注意されるや之に反抗し、同年九月末頃には倉手六名全員より若林倉庫長に対し新林が倉手の指図に従つて作業するよう訓戒方を申入れ同時に新林の邪推を妨ぐ為め休憩場所を別にするとか間仕切りの新設方を申入れ、同年十月五日には再び倉手全員より若林倉庫長に新林が倉手の指揮に従つて作業し且作業後に倉庫を掃除するよう説諭方申入れた事実を認めることができる。以上の事実からすれば新林は原告会社京都支店に於ける作業のしきたりを無視し倉手との間に屡々紛議を醸したものと認めるのが相当である。又、

四、証人西川一雄、同若林真次郎、同小林繁、同松山久作、同糸井邦治、同新林安雄、同北村大典の各証言によれば同年十月五日倉手六名より再度新林の説諭方申入があつたので、若林倉庫長から新林に説諭したところ、新林は之に応ぜず退職の話が出たが、退職金の額につき折合がつかない中、同月十二日、十六日の二回新林とその代弁者北村が西川支店長と会見した結果新林は従来の態度を改めると云うことで退職問題は一応保留せられることとなつたが、その後に於ても新林はその非行を改めるところなく、同年十一月十六日には倉手小林繁が前記三十八番倉庫の出庫を終り残数調査の上次の作業にかかるから暫く待つように命じたに拘らず新林は勝手に九号倉庫え行き、格納してあつた新潟産玄米を担ぎ出し日通の自動車に積込んだので、小林は「このようなことをされては倉手として到底責任が持てないから新林がやめるか自分がやめるかどちらかの処置をとつて貰い度い」と若林に申入れたまま作業時間中に帰宅してしまい、止むなく若林が同日夕刻小林の自宅を訪れ慰留に努め辞意を飜させた事実及び同年十二月二十三日原告会社創立三週年記念式が同会社支店で挙行せられ、会食終了直後事務室で作業員松山久作が新林のことにつき中村業務課長に苦情を述べていたが之を聞きつけた新林は突然別室から入つて来て矢庭に手拳で同人の顔面を殴打し、なおも側にあつた椅子を振上げ重ねて松山を殴ろうとしたのを遮ぎられ事なきをえたのであるが、翌二十四日には松山から新林と一緒に作業するには堪えられぬからと退職を申出た外作業員上羽倉手小林繁から同様の申入があり、倉手及び作業員からの新林解雇要求の声はいよいよ大きくなり、遂に昭和二十七年一月五日の本件解雇辞令の発令を見るに至つた事実を認めることができる。

証人新林安雄、広瀬唯和の各証言、成立に争のない乙第四号証の三、乙第五号証の二、乙第六号証の二の各記載内容中右認定と牴触する部分はたやすく信用できない。被告の提出援用に係る他の証拠を以てしては未だ右認定を覆すことはできない。そうすると以上諸認定事実即ち訴外新林の粗暴なる性質、その乱暴な作業振り、同僚乃至共同作業者たる倉手及び作業員との不和、原告会社京都支店に於ける作業系統を無視した非行の数々、之等の諸事由は被告会社として最早や新林をそのまま作業員として置いては事業の円満なる遂行を著しく阻害し到底業績を挙げることが困難であることを感ぜしめるに十分であるから、これ等の事由が本件解雇の動機をなしたものであると認めるのが相当である。尤も、

一、成立に争のない甲第四号証、同第七号証の一乃至五、乙第四号証の四、同第六号証の三を綜合すれば、原告会社には昭和二十五年一月に結成された協力会なるものがあり、これは労働組合法に基く労働組合に代わるものであつて、会員の生活の安定向上共同福利の増進を図ると共に、会員の総意に基いて会社の健全なる発達に寄与することを目的とする団体であり、その構成は常勤の役職員及び作業員の全部を当然に会員とするものであり、会員はこの会の事業目的とする同種なる団体を別に結成し、これに加盟し又は存続せしめてはならないのであつて、規約に違反した会員は除名せられ且協力会は其の会員の解職を会社に要求すると云う条項さえ掲げられているのみならず、協力会の結成は会社首脳部の発意に基くものであつて、その代議員と称するものも第一回は幹部の指命により定められた事実を認めうべく之等の点から考えると右協力会なるものは労資協調的な精神の下に立ち労働組合法上の労働組合とは全くその性質を異にするものであり、従つて原告会社の幹部は右の如き労働組合が原告会社本支店の職場に結成されることは著しく之を嫌忌していたものと推認するのが相当である。真正に成立したものと認められる甲第十号証には昭和二十五年二月二十八日の協力会臨時総会で、協力会副会長小山田光一の意見として今後会社に入る者等が労働組合を作ることは差支えない旨述べた旨の記載があるが、これは労働組合法との関連上当然のことを渋々認めたに過ぎないもので、右認定を妨げるものではなく、又証人花谷政一、同山口小文、同山口清朔、同若林真次郎の各証言中右認定に反し、協力会の結成が会社首脳部の発意に出たものではなく寧ろ却て会社従業員の中から自発的に盛上つたものである旨の証言部分はいづれもたやすく信用し難い。次に、

二、証人北村大典、同広瀬唯和、同新林安雄、同松山久作、同上羽光三郎の各証言及び真正に成立したものと認める乙第一号証、同第八号証、成立に争のない甲第三十四号証によると、新林は前認定の通り昭和二十六年十月六日頃退職の話があつた際、かような場合会社と交渉するには労働組合があれば好都合なることを知り同年十月中作業員に対し労働組合結成の話を持ちかけたのみならず、その後再三北村より労組についての知識を注入せられて啓蒙されるに及び益々その必要を感じ同年十月十八日には原告会社京都支店作業員寄場で他の作業員に対し労組結成を提案し、松山、床尾、長谷川、広瀬(当時八木)上羽等の作業員が労組加入願(乙第一号証)に署名捺印しているのみならず、倉手に対してもその頃労組結成への参加を働きかけ、同年十二月末頃には電産組合規約を模して組合規約案プリント(乙第八号証)数十部を北村に依頼して準備せしめ、組合のことに詳しい北村及び総評からも人を招いて組合規約の説明を兼ね結成式を開こうと考えていたが、北村が年末闘争の為め多忙で翌年始めに延期している中昭和二十七年一月五日には新林が解雇せられたので労組結成は中心人物を失い挫折した事実を認めることができる。証人大塚藤太郎、同小林繁の各証言中新林より組合のことにつき何も聞いていない旨の証言はたやすく信用し難い。而して、

三、成立に争のない乙第四号証の二、乙第六号証の二、証人新林安雄、同広瀬唯和、同北村大典の各証言に依れば前記昭和二十六年十月十二日新林辞職の問題に関して北村と新林が西川支店長と面接した際、北村より同支店長に作業の円滑を期する為には労働組合があつた方が良いのではないかと申入れ、之に対し支店長よりは当会社には協力会と云うものがあり京都支店だけ労働組合を作つて貰つては自分の立場上困ると答弁した事実、同年十二月頃には西川支店長や若林倉庫長が事務所に職員を集めた際新林等の労組結成につき言及し之を気にかけていたことを事務所職員西村より新林や広瀬に話したことのある事実、同月下旬若林倉庫長が作業員床尾、長谷川を訪ねて新林等の組合結成に参加しないことを勧告した旨を右両名より広瀬に於て聞知したことある事実、及び同月二十七日新林が給与のことに関して西川支店長と面接した際新林は協力会規約の府労政課に対する届出の有無を尋ね、之が未届けなることを確めるや支店長にそれでは組合を作りますと告げた事実を各認めることが出来る。以上の事実に依れば前段認定の如き原告会社京都支店に於て作業員間に北村を顧問とし作業員新林、広瀬を中心として労組結成機運を生じその胎動が始まりつつあつたことを原告会社京都支店幹部に於て或程度察知していた事実を窺知するに十分である。証人西川一雄、同若林真次郎、同中村新三の各証言、成立に争のない甲第十六号証の三中西川、若林両名の陳述要旨同第二十二号証、同第二十七号証の三、五の記載内容中右認定に反する部分はたすく信用し難い。

右認定の如く原告会社には労組法上の労組とはその精神に於て到底両立し得ない協力会なる組織があつて原告会社幹部は原告会社従業員間に労組が結成されることを極端に嫌忌していたものであるところ、原告会社京都支店作業員新林と広瀬が北村を顧問として労組結成に取かゝり、而も京都支店幹部は右の如き労組結成の胎動を或程度察知していたのであるからこれら諸点よりすれば新林が右の如き組合結成運動をしたことが本件新林解雇の動機の一を成している事実はこれ又否定せざることをえないように思われる。

そこで本件新林解雇の真の決定的な理由が右述の新林が粗暴で融和性を欠き職場の作業系統を紊る行為をした事に依るものであるか、又は新林が労働組合結成運動をしたが故であるかを考うるに、前に認定した通り新林は度重なる会社側の訓戒にも拘らずその非行を改めなかつたものであつて、倉手や作業員からの解雇の要望切なるものあり、会社側でもこれを解雇しなければ企業の円滑なる遂行を期待し難くこの面から解雇の必要を痛感したであろうことはたやすく看取しうるところなるに反し、証人新林安雄、広瀬唯和の各証言及び前記乙第八号証甲第三十四号証により認められる如く新林等の組合結成運動は未だ極めて幼稚且初歩の段階にあり、組合加入予定者も極めて小数であり新林自身組合運動についての理解も十分でなく又乙第八号証組合規約案と称するものも殆ど甲第三十四号証電産組合規約を引写したにすぎず原告会社京都支店従業者に適用するに付検討を遂げた事跡の認められないもので又その運動も之が全貌を会社側で察知していたのでもなく只その片鱗を捉えていたにすぎないのみならず、新林と共にこの運動に従事した広瀬唯和は何等の処分をも受けていないし新林自身組合結成運動の故に解雇せられたと自覚していない点をも併せ考えると、新林が右組合運動をしたことが本件解雇の決定的理由であると断ずることは早計に失するものである。要するに本件に於ては原告会社幹部は予ねてより労働組合が原告会社職場に結成せられることを嫌忌しており原告会社京都支店で労組結成運動をなした新林が使用者たる京都支店長の忌諱に触れた事実は之を認めうるが、新林には他に解雇に値する十分なる事由があり解雇の妥当性が認められるのであるから、本件解雇は労組法第七条等一号に該当しないものであるに拘らず之が違反ありとして為した被告委員会の本件救済命令第一、二項は違法なるものと断ずるの外はない。

第四、次に命令主文第三項につき考えるに、同項には原告会社は今後労働組合の結成並びにその運営を支配し又は介入してはならない旨を命じているが、これは労働組合法第七条第三号の規定そのまゝの字句である。労働委員会の命令が確定したときこれに違反する使用者は過料の制裁を受け、更に命令が確定判決によつて支持されたときは禁錮若くは罰金に処せられ又はこれを併科されるのである。それを考えると前記の如く将来に亘つて具体的に規定することのできない命令を発することは、結局制裁の裏付をもつた法規を設定することに等しいというべきである。しかるところ労働委員会の職務は申立により不当労働行為の有無を判定し、この認定に基いてその是正と原状回復を命ずることでなければならない。そうすると主文第三項の如き命令を発することは労働委員会の権限を超えるものであり、主文第三項はこの点において違法である。

第五、よつて本件命令の取消を求める原告の請求は爾余の争点につき判断する迄もなく正当であるからこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 宮崎福二 中島一郎)

〔参考資料〕

命令書

京都府南桑田郡千代川村字今津二五番地

申立人 新林安雄

京都市中京区壬生天ケ池町一番地

被申立人 日本食糧倉庫株式会社京都支店

右代表者支店長 西川一雄

右当事者間の京労委昭和二十七年(不)第一号事件について当委員会は審査の結果次の通り決定する。

主文

一、被申立人は申立人を昭和二十七年一月五日に遡り、解雇当日と同一の労働条件を以て即時原職に復帰させなければならない。

二、被申立人は申立人に対し昭和二十七年一月五日以降原職復帰に至るまで壱日につき金六百七拾参円四拾壱銭の割合による金員を即時支払わなければならない。

三、被申立人は今後労働組合の結成ならびにその運営を支配し又は介入してはならない。

理由

一、申立人の主張要旨

(1) 本件申立人新林安雄は日本食糧倉庫株式会社京都支店(以下会社という)の現場作業員であり、会社創立と同時に班長として作業に従事してきたのであるが、被申立人会社は昭和二十七年一月五日突然「会社の都合に依り」という理由のみで解雇を通告し解雇辞令を手交した。

之に対し申立人は解雇理由を質したが、一向要領を得ないので解雇を承認するに至らず、解雇予告手当及び退職金も受領しなかつた。

(2) 被申立人会社は、之より先昭和二十六年十月六日申立人が倉手との間の作業面に円滑を欠き、倉手の指示に従わなかつたと云うことから休職の形式をとつて解雇しようとした事実があり、之を不服として申立人は再三交渉したが、訥弁のため充分にその意を述べることが出来なかつたので支店長の諒解を得て、知人である電産宇治分会書記長北村大典を申立人の介添役として、同年十月十二日支店長及び倉庫長若林真次郎と話合つたところ申立人の復職については支店長は諒承し、(一)今後作業面の円滑を計るため支店長は作業員と協議すること、(二)作業員の就業規則を早急に作成すること、(三)作業員六名を本店に入籍さすこと、等について一応の諒解を得た。更に十月十六日には之等を協定書に作成して支店長の捺印を求めたところ、一従業員との間にかかる協定を締結することは面目上出来難い、且つ前記の事項以外に新たに「現場従業員の組長制を尊重すること」を協定の内容として来たので、これについては不満であるとの理由で捺印することを拒否した。

(3) 上述の十月十二日及び同十六日の交渉に於いて申立人並びに介添役である北村大典は共に今後此の種問題解決のために労働組合が必要であると説いたが、支店長は当会社には協力会と云うものがあるから労働組合を作つて貰つては困る、そのときは従業員の意見を聞きたいと発言した。

(4) その後申立人は会社の封建性、職場の不明朗を一掃するため並に協力会では労働者が有利にその労働条件の改善を計ることが困難であり、且つ作業員等の地位を確保するため労働組合結成の必要性を痛感し、同僚八木唯和と共に労働組合結成に着手し又、作業員全員この趣旨に賛同し、十月十八日一同署名捺印をなし、連日休憩時間を利用して組合結成について種々協議した。

十一月中頃前記北村大典に規約草案の作成を依頼、十二月十日その規約草案が出来たので更にプリントすることを依頼し、十二月二十七日には四十部程の規約草案が出来上つたので、年内に総評京都地評の副議長である岡本甲子郎、規約草案作成者である北村大典の出席のもとで組合結成大会を開催しようとしたが、所謂年末闘争で多忙のため、前記両氏の出席が不可能となり已むなく翌年一月十五日に延期することになつた。

(5) 然るに一月五日突如被申立人会社は申立人の解雇を通告したため組合の結成は一頓挫を来したのである。

以上の事実より被申立人会社が申立人を解雇することによつて、組合結成を不当に妨害しようとしたことは明かであり、労組法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為であるから、同命令主文と同様の命令並びに今後被申立人会社は労働組合結成について干渉しないこととの命令を求める。

立証として甲第一、第二、第三、第四、第五ノ(一)並びに(二)号証を提出し、証人北村大典、八木唯和、岡本甲子郎、佐川寅治の尋問を求め、被申立人より提出した乙第一、第二ノ(一)(二)並びに第三号証についてはいづれも成立を認めた。

二、被申立人主張の要旨

申立人主張の事実中

(1) 昭和二十七年一月五日、申立人新林安雄に対し解雇通告をなしたこと。

(2) 右解雇による解雇予告手当及び退職金は申立人は受領しなかつたこと。

(3) 昭和二十七年十月六日の件に関し申立人が北村大典を介添役として交渉したいとの希望を入れたこと。

(4) なお右の件について十月十二日、十六日申立人並びに北村大典と話合い申立人の復職を諒承したこと。

以上の事実はいずれもこれを認めるが、その余については争う。

即ち申立人の主張に対し次の通り抗弁する。

(1) 申立人解雇の理由としては当会社の業務員に対する就業規則第三十四条第一項第三号に依るものである。即ち昭和二十六年七月以来申立人の作業振りはあまり芳しくなく、倉手との間に屡々口論、暴行がたえず、且つ所定の労働時間一杯の就業を屡々拒否、これがため円滑なる現場作業が阻碍された。

(2) 又申立人一個人の独断専横から倉手と作業員の間がうまくいかず、屡々若林倉庫長に対し苦情の申入れがありそのため若林倉庫長は昭和二十六年十月六日申立人に対して説諭したところ、申立人は説諭を聞き入れずかえつて法外な退職金を要求した。しかしこの件については同年十月十二日及び同十六日の申立人並びに北村大典との交渉において一応納得するものがあつたから、申立人の解雇は見送つたところ、同年十二月二十三日の会社創立三周年記念の酒席で作業員松山久作に対し暴行を働いたことにより、愈々解雇するの已むなきに至り、年末及び正月三ケ日を避けて昭和二十七年一月五日解雇を通告したものである。

(3) 次に申立人の主張する組合結成については被申立人会社は毫もその動きすら知らなかつたもので、昭和二十六年十月十二日及び同十六日にも就業規則並びに協力会のことに関しては話合いはあつたが、労組結成については一言も聞いていない、従つてかかる組合結成については何等本件解雇と関係のないことである。

(4) よつて本件解雇は正当であり、申立人新林安雄の救済申立はその理由がないものとして棄却せられることを求める。

立証として乙第一、第二の(一)並びに(二)第三号証を提出、証人花谷政一、小林繁、上羽光三郎、若林真次郎、松山久作の尋問を求め、申立人より提出した甲第一号証は認めるが他はいずれも不知と述べた。

三、当委員会の判断

(1) 被申立人会社は昭和二十四年二月二十三日閉鎖機関中央食糧営団京都倉庫事務所(以下閉鎖機関という)を改組し、日本食糧倉庫株式会社、京都支店(以下会社という)として発足した。

(2) 申立人新林安雄は右閉鎖機関当時倉手として一時仕事に従事し、会社設立後は現場作業員の班長として、昭和二十七年一月五日解雇されるまで作業に従事していた。

(3) 被申立人会社は申立人に対し昭和二十七年一月五日限り解雇する旨通告した。

(4) 右解雇に対し申立人は本件解雇を不満として承認せず、解雇予告手当並びに退職金を受領しなかつた。

以上の事実については、当事者間に争いのない所である。よつて当委員会はまず解雇理由の当否を吟味し、ついで不当労働行為の有無について検討を加えることとする。

第一、解雇理由の当否について

(1) 被申立人会社の主張によれば、申立人新林安雄の解雇は業務員就業規則(乙第一号証)に基ずくとのことであるが、右の業務員就業規則は、昭和二十六年十月十二日以降、申立人の執拗なる再三の要望によつて始めて会社側が起草に着手したものであり、草案の完成を見たのは、同年十二月十五日である。然るに当日はたまたま申立人が欠勤したため、これを披見するに由なく、且つ自己の希望を開陳する機会は全然与えられなかつた。かくて草案は他の作業員にのみ提示されたのであるが、作業員の大多数のものは種々の箇所に不満を見出し、これが修正方を申入れたにも拘らず、会社側は譲歩の余地なしとして一蹴し、協力会の幹事である庶務係花谷政一の同意を添えて、同年十二月十七日慌だしくも労働基準監督署に届出を行つたのである。かかる成立の過程を顧みるならば、問題の業務員就業規則の作成には、申立人その他の作業員の意向が全然無視されたばかりでなく、社員であり、従つて業務員就業規則の適用外にある(社員については、別に社員就業規則がある)前記花谷政一をもつて、全作業員の利益代業者であるかのように偽装した事実は不問に附し難く、被申立人の誠意のほどを疑わしめるものがあるのみならず、該就業規則の効力さえ左右するに足るものと考えられる。

(2) 仮りに百歩を譲つて右業務員就業規則が有効適法なものとするも、被申立人の主張する本件解雇理由は、業務員就業規則第三十四条第一項第三号に該当するものであり、(イ)申立人が会社の業務上の指令を屡々無視し、円滑なる現場作業を阻害したこと、(ロ)所定の労働時間一杯の就業を屡々拒否したこと、(ハ)倉手および他の作業員との間に屡々紛争を惹起し作業能率を著しく低下せしめたこと、(ニ)昭和二十六年十二月二十三日会社創立三周年記念祝賀会の席上、作業員松山久作を殴打したこと等にある。従つて論点は、申立人の言動が果して右の如く解雇に価する程度にまで甚だしく常軌を逸したものであるかどうかに集中するわけであるが、これについては多大の疑問なきをえない。

いま審問の結果を綜合して判断するに、業務執行に関する会社側の指揮命令の系統がやや脈絡を欠き、責任の分野に不明確を生じた嫌いあること、また作業員の就業規則が作成されぬまま放置され、いつしか午後四時半をもつて作業打切の慣行を生じたこと、同時間後の就業を拒否したことが一、二回あつたことは認められるが、時間外手当の要求を正当と考えられる理由があつたこと等の事実に鑑み、むしろ会社側の手落ちとみるべきもの多く、作業現場における紛議をあげて申立人のみの責任に帰するが如きは、条理を無視し、申立人に対しあまり過酷に失するといわなければならない。申立人の性格が幾分融和性に乏しく、上長ならびに同僚との間にまま衝突を惹起したという事実も窺えないではないが、証人佐川寅治、八木唯和の各証言に徴すれば、申立人のかかる挙措はむしろ業務上の熱心に出るものであり、殊に作業員の労働条件の向上のためのものと判断さるべきであり、然らずとするも、荷役という作業そのものが高度の重労働であり、作業員一般の気風が粗野なのが普通であるとすれば、多少の摩擦や軋轢があつたとしても、これを極端に重大視するには当らないであろう。松山久作に対する暴行は申立人も自認する所であるが、これは作業中の出来事ではなく、酒席の終了後に発生した当事者同志の全く個人的な紛争にすぎない。もともと申立人を作業員の班長に抜擢したのは被申立人会社の支店長西川一雄であり、だいたいにおいて昭和二十六年七月頃まで大過なく推移しきつたというべく、特に同年十月六日の退職問題の発生以後、目立つて事端を滋くしたものと解せられるが、労働条件の明確化並に待遇の改善について会社側に申入れを行うが如きは、労務者としてむしろ至当の要求であり、また概ね作業員の総意を代表したものと見ることが出来る。従つて被申立人が業務員就業規則の作成後、僅か半月で急遽解雇の措置に出たことには首肯し難いものがある。加之前敍解雇事由として被申立人の掲げる(イ)乃至(ハ)の事項は就業規則制定前の行為であり、法不遡及の原則に照し業務員就業規則を適用するに由なく、(ニ)の事項は先に述べた如く私的の行為であつて該就業規則の適用外のものと云わねばならない。

果して然らば被申立人主張の解雇理由はいずれもその基礎を失い不当の譏を免れない。

第二、不当労働行為の有無について

(1) この問題に接近するためには、まず日本食糧倉庫株式会社協力会なる特異の団体に一顧を払う必要がある。元来、日本食糧倉庫は旧中央食糧営団の従業員が株主となつて発足したものであり、普通の株式会社とは些か性格を異にする。而して前記協力会の設立は昭和二十五年一月のことであるが、その目的とする所は、『会員の生活の安定、向上、共同福利の増進を図るとともに、会員の総意に基いて会社の健全なる発達に寄与する』点にある。(規約第二条)この協力会なるものはすでに成立の当初よりして会社首脳部の発意に基くところ多いように推察される節があるのみならず、『労働組合法に基く労働組合に代へ』て結成されたものであることは、決議の中に高唱されている通りである。協力会は会員として常勤の役職員及び現場作業員の全部を包容し有資格者は悉く当然にこの会に加入しなければならぬ(規約第六条)。からまさしく一種の強制組織であつて、脱退の自由すら認められぬものの如くである(規約第七条)。それは如何なる意味においても自由な民主的な団体ではありえない。規約に違反した会員は除名されるのみならず、会長はその解職を会社に要求するという条項さえ掲げられている(規約第八条)。更に規約第四十八条によれば、『会員はこの会の事業目的と同種なる団体を別に結成し、これに加盟し、又は存続せしめてはならない。』これを要するに協力会なるものは極めて排他的な御用労働組合であると同時に、規約を厳守する限り、労働組合法に基ずく労働組合を結成することは、全く不可能に属するといつてよい。これは取りも直さず会社側が、自由な民主的な労働組合を嫌忌することを語るものであり、また純正なる労働組合の結成を末然に防止せんとする意図の端的な表現にほかならぬと解せられる。

(2) 一方、申立人は昭和二十六年十月六日の退職問題の発生を契機として、労働条件の改善と会社内に於ける地位の確立の必要を痛感し、他の作業員と屡々協議を重ね、労働組合結成の準備に努めつつあつたことは明かであり、結成大会が昭和二十七年一月十日前後に予定されていたことも確かであつて、甲第二号証並びに甲第三号証の外証人北村大典、同八木唯和等の陳述に徴して判然看取することができる。ともあれ労働組合結成の機運が擡頭してきたことは、被申立人の否認にも拘らず、おそらく会社側の察知する所となり、又憂慮の種となつたに相違なく、このことは若林倉庫長の証言によつて或る程度まで裏付けられる。以上これを要するに、かねて会社側の不評を買つていた申立人新林が新たに労働組合結成運動の急先鋒となつたという事実は、いたく会社側を刺戟し、狼狽せしめ、労働組合結成大会の開催の寸前において急遽解雇の措置に出でしめたものと推断すべき充分の理由が認められる。

第三、救済の内容について

被申立人の申立人に対する解雇が不当労働行為であることは前段認定の通りである。よつてこれが救済の内容について判断するに、申立人が解雇の通告をうけた当時の原職に同一の労働条件を以つて即時に復帰せしめるべきは言を俟たぬところであり、更に解雇通告をうけた昭和二十七年一月五日以降、右原職復帰に至るまでの間申立人は尠くとも労働基準法上の平均賃金相当額が与えらるべきものと考える。而して、申立人の解雇通告をうけた当時における労働基準法第十二条に基く平均賃金が壱日につき金六百七拾参円四拾壱銭であることは当事者間に争いがない。

なお、被申立人が、労働組合の結成を阻止せんとする意図の下に申立人を解雇したものとの前掲認定の下に、将来も同様のおそれなしとしない。よつてこれを厳に戒しめる必要あるものと認めた。

右により当委員会は申立人新林安雄に対し、労働組合法第七条第一項、第三項同第二十七条および中央労働委員会規則第四十三条第一項の規定を適用して主文の通り決定する。

昭和二十七年三月十三日

京都府地方労働委員会

会長 田辺哲崖

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