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京都地方裁判所 昭和28年(ワ)219号 判決 1957年10月17日

原告 グイネス・ローラ・ホーレイ

被告 フランク・ホーレイ

主文

被告は原告に対し金四百十二万七千五百二十三円三十八銭及び之に対する昭和二十八年三月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

此の判決は、原告において金百万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

但し被告において金百五十万円の担保を供するときは前項の仮執行を免れることができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告はカナダ人、被告はイギリス人であるところ、原告と被告は昭和二十三年(一九四八年)三月六日横浜市英国総領事館において正式に婚姻をし、被告はロンドン・タイムス社特派員として東京に在勤し、原告との間に長男(一九四九年五月出生)長女(一九五一年八月出生)の両児をもうけた。

二、被告は昭和二十四年(一九四九年)夏頃、朝日新聞社、タイムス社等に対し多額の負債を生じ、その返済を迫られて漸く社会的地位を脅かされるに至つたところ、同年十二月三十一日訴外香港上海銀行(以下単に訴外銀行と略称する)から、四ケ月期限で金四百二十五万円を極度額とする当座貸越を認められ、右銀行からの融資によつて、その危機を切り抜けたのであるが、その際原告は被告がその所有の蔵書を売却して返済するからとの被告の言を信じ、原告が実父の遺産として相続し、原告のみの名義で登録し、カナダ国トロント市所在のロイヤル・トラスト・カンパニーに信託していた株式を、被告の委任により、被告の訴外銀行に対する借受金債務の担保として提供した。なお被告と訴外銀行との間の右当座貸越契約及び被告の原告に対する右委任契約はいずれも日本法に準拠する意思でなされたものである。

三、訴外銀行東京支店は昭和二十七年(一九五二年)十一月二十六日原告が担保に供した右株式を処分し、被告の訴外銀行に対する債務金四百十二万七千五百二十三円三十八銭の弁済としてこれを充当した。

よつて、原告は被告に対しこれが求償として、金四百十二万七千五百二十三円三十八銭及び之に対する訴状送達の翌日たる昭和二十八年三月六日以降完済に至るまで法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだ。なお法例第十五条によれば、夫婦財産制は、婚姻の当時における夫の本国法によるべきことを定めているが、本件において被告たる夫の本国法である英国法では、一八八三年「妻財産法」制定以来、妻は特有財産を所有し、これを処分する権限を有し、夫に対し独立の地位を認められているものであり、妻は夫との間に他人と同様に契約し、婚姻継統中になした契約につき、相互に訴を提起し得るものである。仮に日本法によるべきであるとしても、このことは同一の結論に達するのであると述べ、被告の主張事実中、訴外銀行に対する借受金債務が被告の名義であること、及び原告が昭和二十七年(一九五二年)九月四日アンバサダー・ホテルヘ別居した際、被告主張の別表第一の物件の内別表第二の物件を持出したことはこれを認めるが、被告が昭和二十三年(一九四八年)三月から訴外銀行との間に被告名義の当座勘定を有しており、その取引関係に基き、被告名義の訴外銀行に対する借受金総額が昭和二十七年(一九五二年)十一月二十六日において元利合計金七百六十八万千九百四十三円三十八銭となつていたこと、及び、被告が昭和二十六年(一九五一年)二月から昭和二十七年(一九五二年)三月三十一日までの間に合計金三百五十五万四千四百二十円を右当座勘定に払い込んで債務の弁済をしたことは知らない。原告がアンバサダー・ホテルヘ持出した物品の価格及び毛布の数量はこれを争う。物品の価格は別表第二のとおりである。その余の事実はすべてこれを否認する。被告が訴外銀行から払戻し及び貸付を受けた金員のうち金七百万円以上が書店の支払い、約六百万円以上が事務所の費用等明らかに生活費として計上し得ないものの支払いに充てられ、共同の生活費用として目すべきものは総借受、払い戻し金額の約三パーセントにすぎない。仮に、被告主張の如くその借受金のすべてが、原告被告の共同の目的(婚姻生活費)のために費消されたものであるとしても、それは被告の原告に対する扶養義務の履行にすぎないから、原告と被告がその能力に応じて分担すべきであるとする被告の抗弁は理由がない。仮にそうでないとしても、原告は他に婚姻生活費として、自己の資産から金一万五千弗以上を支払つているばかりでなく、主要な家事労働及び被告のタイムス記者としての仕事に対する援助についても原告自らこれに当つていたのであるから、本件借受金債務は被告が全額を負担すべきであると述べ、立証として甲第一号証の一、二、同第二号証の一乃至十一、同第三乃至第十三号証、同十四号証の一乃至二百三十九、二百四十一、二百四十二、同第十五号証を提出し、証人テイ・エス・ライトの証言並びに原告本人訊問の結果を援用し、乙第二号証の一、二同第四号証の成立を認め、その余の乙号各証の成立は知らないと述べた。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決並びに担保を条件とする仮執行免除の宣言を求め答弁として、原告の請求の原因一の事実はこれを認める。二の事実中、被告名義で訴外銀行より当座貸越を受けたこと、原告がカナダ国トロント市所在のロイヤル・トラスト・カンパニーに信託中の原告所有の株式を右被告名義の訴外銀行に対する借受金債務の担保として提供したこと、及び被告の原告に対する委任契約が日本法に準拠する意思でなされたことはこれを認めるが、右株式が原告のみの名義で登録されていたことは知らない。その余の事実(但し、被告と訴外銀行との間の本件当座貸越契約が日本法に準拠する意思でなされたものであるとの点を除く)はこれを否認する。三の事実はこれを認める。被告は訴外銀行東京支店との間に昭和二十三年(一九四八年)三月から被告名義の当座勘定を有しており、昭和二十四年(一九四九年)十月十二日から貸付を受けはじめたものであつて、その取引関係に基く、被告名義の同銀行からの借受金総額は昭和二十七年(一九五二年)十一月二十六日までに元利合計金七百六十八万千九百四十三円三十八銭となり、その内金四百十二万七千五百二十三円三十八銭は、原告主張のとおり原告所有の株式の処分によつて得た代金が、右被告名義の当座勘定に払い込まれて、その弁済として充当されたのであるが、一方、被告は既に昭和二十六年(一九五一年)二月から昭和二十七年(一九五二年)三月三十一日までの間に四回に亘り合計金三百五十五万四千四百二十円を右当座勘定に払い込み、債務の弁済をしているので、訴外銀行に対する債務はなくなつたのである。而して、訴外銀行に対する右元利合計金七百六十八万千九百四十三円三十八銭はすべて原告と被告の婚姻生活費に充当する目的で借受けたものであり、またその借受金は被告の別途収入とともに現実に婚姻生活費として消費せられたものである。

ところで、民法第七百六十条によれば、婚姻より生じた費用は、その能力、資力に応じて、夫婦が分担すべきであるところ、原告はその能力、資力に応じて分担する意思を以て物上保証(担保の提供)したものである、そうでなくとも原告の担保物(株式)の処分による弁済は原告の分担すべき婚姻生活費を分担したこととなるから今更被告に求償するのは失当である。なお原告が婚姻生活費として他に金一万五千弗以上を支出しているとの原告の主張はこれを争う。仮に右は理由がないとしても、本件借受金は被告と訴外銀行との間の金四百二十五万円を限度とする当座貸越契約に基くものではなく実質は原告及び被告と訴外銀行との間の信用取引に基くものであつて、原告及び被告の信用に基く借受金が金四百万円に達したときに訴外銀行の要求によつて、原告と被告とが協議のうえ、原告主張の株券を担保として提供したものである。すなわち、原告と被告はその婚姻生活費に充当する目的で共同で貸付を受けたものであつて、その後も原告及び被告は終始訴外銀行に同行して両名が共同で借受方を申し入れて信用借を続けたのであるから、訴外銀行との間の形式上の契約名義人は被告になつていたとしても、実質上は原告と被告の共同の債務であつて、原告と被告の内部関係においても当然平等に負担すべきである。仮にそうでないとしても、原告と被告の間において本件借受金を平等に負担するという黙示の契約があつたものである。したがつて、原告と被告との間においては、債務総額の半額たる金三百八十四万九百七十一円六十九銭を各自負担すべきであり、原告は原告が支払つた金額金四百十二万七千五百二十三円三十八銭と右負担分との差額金二十八万六千五百五十一円六十九銭についてのみ被告に請求し得るにすぎない。更に原告は昭和二十七年(一九五二年)九月四日被告に無断で東京都内アンバサダー・ホテルヘ別居した際、原告被告共有にかかる別表第一の物件(価格金二百万円相当)を不法に持出し、よつて被告にその半額に当る金百万円の損害を与えたから、被告は原告に対するこれが損害賠償請求権と原告の被告に対する求償権とを対等額において相殺する。よつて原告の請求には応じ難い。なお法例第十五条によれば、夫婦財産制は婚姻の当時における夫の本国法によることとなつているが、夫たる被告の本国法である英国の国際私法によれば、夫婦財産契約の存在しない場合の法定財産制については、不動産に関しては所在地法を準拠法とし、動産に関しては、夫の住所地法を準拠法とすることとなつている。したがつて本件においては夫たる被告の住所地である我国の法律によるべきところ、我が法例第二十九条は反致の原則を認めているのであるから、我が民法第七百六十条乃至第七百六十二条の規定によるべきであつて、原告主張の如く、一八八三年制定の英国の「妻財産法」によるべきでないと述べ、立証として、乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三乃至第八号証、同第九号証の一乃至四、同第十乃至第十九号証を提出し、証人島袋久、同佐々木万次郎、同シー・ベルの各証言並びに原告被告各本人訊問の結果を援用し、甲第五、第六号証、同第八乃至第十一号証、同第十四号証の一乃至八、十乃至九十九、百一乃至二百三十四、二百四十一、二百四十二の成立を認め、その余の甲号各証の成立は知らない。甲第五第六号証を利益に援用すると述べた。

理由

原告はカナダ人であり、被告はイギリス人であるところ、原告と被告は昭和二十三年(一九四八年)三月六日横浜市英国総領事館において正式に婚姻をし、現在も夫婦であること、被告名義で訴外銀行から当座貸越を受け、原告がカナダ国トロント市所在のロイヤルトラスト・カンパニーに信託中の原告所有の株式を右被告名義の訴外銀行に対する借受金債務の担保として提供したところ、訴外銀行東京支店は昭和二十七年(一九五二年)十一月二十六日原告が担保に供した右株式を処分し、被告名義の訴外銀行に対する債務金四百十二万七千五百二十三円三十八銭の弁済としてこれを充当したことは当事者間に争いがない。

証人テイ・エス・ライト・同シー・ベルの各証言、原告、被告(後記信用しない部分を除く)各本人訊問の結果及び右各証言により真正に成立したものと認める甲第七、第八、第十三号証、乙第三号証、原告本人訊問の結果により真正に成立したものと認める甲第十二号証を綜合すれば、被告は昭和二十三年(一九四八年)三月より訴外銀行との間に当座勘定を有していたが、原告は被告の委任により、昭和二十四年(一九四九年)十月頃訴外銀行に対し、同銀行の要請があれば、いつでも被告の右当座勘定から生ずる借受金債務の担保として原告所有の前記株式を提供することを口約したので、訴外銀行は被告名義の右当座勘定において当座貸越を認め、同年十月十二日から貸付をはじめたこと、原告は同年十二月三十一日訴外銀行に対し、正式に書面を以て、右株式を債権極度額金四百二十五万円の担保として提供したこと、右株式は原告が自由に処分し得るものであつたこと、昭和二十四年(一九四九年)十月十二日以降昭和二十七年(一九五二年)十一月二十六日に至るまでの右当座勘定における借受金総額は、元利合計金七百六十三万二十三円三十八銭であつたこと、及び被告は昭和二十四年(一九四九年)十月十二日以降昭和二十七年(一九五二)十一月二十六日に至るまでの間に三回に亘り合計金三百五十万二千五百円を右当座勘定に払い込んで弁済したことが認められ、右認定に反する乙第十一号証記載の供述内容及び被告本人の供述部分は信用することができず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

そこで夫婦財産制の準拠法について考えるに、原告と被告との間に夫婦財産契約がなかつたことは弁論の全趣旨によつて明らかである。而して、法例第十五条によれば、夫婦財産制は婚姻の当時における夫の本国法によるべきところ、夫たる被告の本国法である英国法によれば、夫婦財産契約のない場合( No marriage contract or settlement )は不動産( immovables )に関しては所在地法に従い、動産( movables )に関しては婚姻当時の夫の住所地法に従い、婚姻後住所が変つたときは新しい住所地法に従うことになつている。ところで、英国法においては、株式は動産であつて、弁論の全趣旨によれば、原告と被告は婚姻当時より引き続き日本国内に住所を有することが認められるから、本件において株式についての夫婦財産制は日本法に従うことになる。而して我が法例第二十九条は反致の原則を認め、当事者の本国法によるべき場合において、その国の法律に従い日本の法律によるべきときは、日本の法律によるとしているので、本件の場合における株式についての夫婦財産制は日本民法第七百六十条以下の規定に従うべきであるといわなければならない。ところで民法第七百六十二条は夫婦別産制を宣明し、夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産としているから、その所有者は自由に使用収益、処分ができるのであつて、妻がその特有財産を夫の債務の担保として差入れ、担保権の実行によつてその所有権を失つたときは、原則として、妻は夫に対し求償権を有することになる。

然らば物上保証人たる原告の主たる債務者たる被告に対する求償権に関する準拠法について考えるに、動産、不動産その他登記すべき権利に関する物権は法例第十条によつてその所在地法によるのであるが、物上保証人と主たる債務者との関係は物論物上保証契約によるものではなく、物上保証が主たる債務者の委任による場合には委任契約の準拠法、委任のない場合は事務管理の準拠法によるべきものと解する。本件の場合は、原告の物上保証が被告の委任に基くものであることは前段認定のとおりであるから、原告から被告に対する求償権の有無及び範囲については、原告と被告との間の物上保証に関する委任契約の準拠法によるべく、委任契約は債権契約であるから、法例第七条により、先づ当事者の意思に従い何れの国の法律によるべきかを定めることになるところ、被告と原告との間の委任契約が日本法に準拠する意思でなされたことは当事者間に争いがない。従つて本件において原告の被告に対する求償権の有無及び範囲については日本法に従うべきである。而して日本法によれば委任による物上保証人の主たる債務者に対する求償権の有無及び範囲は民法第三百五十一条、第四百五十九条によつて定まる。

そこで進んで被告の抗弁について判断する。

被告は、被告名義の訴外銀行からの本件借受金はすべて原告と被告との婚姻生活費に充当する目的で借受けたものであり、またその借受金はすべて現実に婚姻生活費に消費せられたのである。民法第七百六十条によつて、原告と被告とがそれぞれその能力、資力に応じて分担すべきであるところ、原告はその能力資力に応じて分担する意思を以て物上保証(担保の提供)したものである、そうでなくとも原告の担保物(株式)の処分による弁済は原告の分担すべき婚姻生活費を分担したこととなると主張する。

そこで、この点について考えるに、本件において動産に関する夫婦財産制についての準拠法が日本法であることは既に述べたとおりである。而して、民法第七百六十条によれば、夫婦はその資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担することとなつていることは明らかなところである。先づ原告が本件借受金を以て婚姻生活費のためのものであるとしその一部を分担する意思を以て物上保証したか否かについて検討する。原告と被告とが夫婦であることは既に明らかなところであり、成立に争いのない乙第四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第五乃至第八号証、同第九号証の一乃至四、同第十号証、被告本人訊問の結果により真正に成立したものと認める乙第十一、第十四、第十五号証、証人テイ・エス・ライトの証言により真正に成立したものと認める甲第七、第十三号証、証人シー・ベル、同島袋久の各証言及び原告、被告各本人訊問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すれば、被告は円貨、ドル貨若くはポンド貨による相当多額の収入があり、その一部を本件借受金の一少部分とともに家計費等婚姻生活費に消費したこと、原告は当時被告の経済的、社会的苦境の打開に積極的関心を有していたこと、及び被告が原告に対し、被告が朝日新聞社から約金百七十万円借越しになつている旨を告げたところ、原告は被告の社会的地位を憂慮して被告に対し、訴外銀行から金員を借受けて直ちにこれが返済をなすべきことを慫慂し、被告と同行して、訴外銀行に赴き、原告被告等が金員を必要としている旨、及び要請されたときにはいつでも担保に供すべき株式を所有していることを申し述べたので、訴外銀行は被告名義の当座勘定において当座貸越を認め、昭和二十四年(一九四九年)十月十二日から無担保のまま貸付をはじめ、原告が正式に書面でその所有の本件株式を担保として提供した同年十二月三十一日までの間に既に約金四百万円が貸越され、その後も継続して貸付けられ、担保債権極度額金四百二十五万を約金三百万円超過するまで貸出されたことが認められ、更に成立に争いのない甲第十四号証の百四十五の現金借受伝票には原告の署名があり、成立に争いのない甲第十四号証の一、六乃至八、四十六の各小切手の裏面にはF.G.Hawleyなる署名があることが認められる。これらの事実からすれば、原告が当時被告との婚姻生活の向上発展に積極的関心を有し、そのため被告との協力を惜しまなかつたものというべきである。

だからといつて、これだけでは、原告が夫婦の婚姻生活費を分担する意思を以て物上保証(担保の提供)したものであると断ずることは出来ない。この点に関する被告本人の供述は信用し難く、他に被告の主張を認めるに足る証拠はない。却つて前掲甲第十二号証、成立に争いのない甲第十四号証の一乃至八、十乃至九十九、百一乃至二百三十四、二百四十一、二百四十二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第十五号証、証人島袋久の証言、原告被告(後記信用しない部分を除く)各本人訊問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すれば、被告は昭和二十四年(一九四九年)十月頃までに朝日新聞社から金百八十五万二千二百六十七円を借受けたが、その頃同新聞社は被告に対し貸金を停止するとともに、右貸金の返済を求めた。なお当時被告はタイムス社の勘定を決済する必要があつた。そこで被告は原告に対し、右二つの目的のために借金する必要があるといつたところ、原告は被告の社会的地位を憂慮し、進んで本件株式を担保に供したこと、当時被告は原告に対し、被告の蔵書を処分すれば借受金債務を返済することができるといつていたこと、当時被告は相当な収入があつたのに対し、原告は全く収入がなかつたこと、及び被告は本件貸越を受ける前後を通じて、訴外銀行からの払戻金又は借受金の最大の部分を被告の書籍代に消費し、次いでタイムス記者としての費用、交際費等に消費し、明らかに家計費等婚姻生活費として消費された金額は比較的小さい部分であつたことが認められる。従つてまた朝日新聞社から借受けた金百八十五万円余も特段の事情の認められない限り、そのうち家計費等婚姻から生じた費用に消費された金額は比較的少かつたとみるのが相当である。以上の事実を綜合すると原告が本件借受金をもつて婚姻生活費のためのものであるとし、その一部を分担する意思を以て物上保証(担保の提供)したのではないということが出来る。以上の認定に反する被告本人の供述部分は信用することができず他にこれを覆えすに足る証拠はない。もつとも被告本人訊問の結果には、書籍代等は被告が日本に関する学者になるための費用であり、被告が将来よりよい地位を得ることができるためのものである。また将来値段が高くなることを見越して投資の意味で買つた書籍もあるから、広い意味で家計の授けになる費用であり、婚姻生活費である旨の供述があり、弁論の全趣旨によれば、被告が著名な日本に関する学者であり、原告も妻としてその大成を望んでいたことは窺い得るところではあるが、夫婦の各自の職業の費用、或は主にその個人的な要求の満足を目的とする費用は、仮に家族がその結果間接的に利益を得ることがあり、夫婦がともにその利益を期待していたとしても、婚姻生活費ということはできないから右書籍代等は婚姻生活費ということはできないし、また原告、被告が共にその間接的利益を期待していたとしても、そのことから直ちに、原告が書籍代等の費用まで、終極的に負担する意思を有していたと推認することはできないから、これとて前記認定を左右するものではない。

次で担保物(株式)の処分による弁済が原告の分担すべき婚姻生活費を分担したことになつたか否かの点について検討する、なるほど原告の提供した株式の処分による本件借受金債務の一部弁済が原告においてその資産収入等に応じ婚姻生活費を分担した結果となるかどうかはまた別に考えてみる必要があらう、ところで裁判所法第三十一条の三第一項は、家庭裁判所が家事審判法で定める家庭に関する事件の審判及び調停をなす権限を有する旨を規定し、家事審判法は家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを目的とし家庭裁判所が同法第九条に掲げる事項について審判を行い、同法第十七条に定める事件について調停を行う旨を定めている。而して民法第七百六十条の規定による婚姻から生ずる費用の分担に関する処分は、家事審判法第九条第一項乙類第三号によつて審判事項として定められており、これについては地方裁判所において裁判をなし得ることを定めた法律上の規定がない。以上の理由によつて、民法第七百六十条の規定による婚姻から生ずる費用の分担を決定する事件は、専ら家庭裁判所において家事審判法の規定に従つて審判すべきものであると解する。従つて、被告が抗弁として前記の如く主張した場合においても、地方裁判所においては、婚姻より生じた費用の分担の方法について判断し得ないものと考える。そうだとすると仮に本件借受金の一部が原告と被告の婚姻生活費に消費されたとしても当裁判所においてその分担を定めることが出来ない以上前記株式の処分による弁済を以て原告が婚姻生活費の分担をしたこととなつてしまつたかどうかはこれを判断する余地がないわけである。よつて婚姻生活費の分担に関する被告の主張は採用できない。

次に、被告は、本件借受金債務は、名義は被告になつているが、実際は原告と被告とが共同の婚姻生活費に充当する目的で共同で貸付を受けたものであつて、原告と被告の共同債務であるから、原告と被告との内部関係においても平等に負担すべきであると主張するにつき考えるに、本件借受金債務が被告の単独名義になつていることは、被告の自認するところであり、なお、前掲甲第七号証、成立に争いのない甲第九号証及び証人テイ・エス・ライト、同シー・ベルの各証言を綜合すれば、原告及び訴外銀行ともに、本件当座貸越を被告のみに対するものとして取扱つて来たことが認められ、これらの事実に前段説示の各事実関係を綜合すれば、原告は、被告と共同で訴外銀行から当座貸越を受けたものではなく、被告単独の借受金債務を物上保証したにすぎないものと認めるべきである

右認定に反する被告本人の供述部分は信用することができず、他にこれを覆えすに足る証拠はない。よつてこの点に関する被告の抗弁もその余の点につき判断するまでもなく採用できない。よつて、被告は原告の物上保証により自己の訴外銀行に対する借受金債務の内金四百十二万七千五百二十三円三十八銭の弁済を免れたものといわなければならない。

次に被告は、訴外銀行からの借受金債務は、原告と被告の間においては、これを平等に負担するという契約があつたものであると主張するけれども、その主張の如き明示の契約があつたことは何等の立証もなく、前段認定の各事実を綜合しても、その主張の如き黙示の契約があつたことはこれを認めることができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

次に、被告は、原告は昭和二十七年(一九五二年)九月四日被告に無断で東京都内アンバサダー・ホテルヘ別居した際、原告被告共有にかかる別表第一の物件(価格合計金二百万円相当)を不法に持出し、よつて被告に金百万円の損害を与えたから被告は原告に対する損害賠償請求権と原告の被告に対する求償権とを対等額において相殺する、と主張するにつき考えるに、原告が被告主張の日時にアンバサダー・ホテルヘ別居した際、別表第二の物件を持出したことは原告の認めるところである。その余の被告主張の物件を持出したことについては、証人島袋久の証言及び被告本人訊問の結果に、右に副う供述があるけれども、これらの供述はにわかに措信し難いところであり、他に右の事実を認めるに足る証拠はない。そして、別表第二の物件が、原告、被告等の所有に属すること(単独か共有かは別として)は、弁論の全趣旨により明かであるがそのいずれに属するかについては、これを判断すべき資料がないから、その共有に属するものと推定すべきである。

そこで、原告の右持出行為が、不法行為になるか否について考えるに、前掲甲第四号証、成立に争いのない甲第十、第十一号証、及び証人島袋久の証言及び弁論の全趣旨を綜合すれば、被告は昭和二十四年(一九四九年)六月以来長男ジヨンの看護婦として雇傭してきた島袋久と不倫な関係を結び、かねて同人と二人で外出することも多かつたところ、昭和二十七年(一九五二年)九月初頃島袋久は原告に無断でジヨンを連れて日光へ行き、次いで被告もまたその跡を追つて日光へ行つたので、原告はその留守中遂に意を決し、長女フエリシテイを伴つてアンバサダー・ホテルヘ別居するに至つた、その際日頃原告が身辺において管理し使用していた別表第二の如き室内調度、台所用品及び子供用品等家庭生活及び子供の養育に必要な品物を携行したものであること、及びその後被告は島袋久及び長男ジヨンとともに京都市の現住所に転居し現在に至つていることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。従つて原告をして被告の家を去るの己むなきに至らしめたのはそれは被告の責に解すべき事由によるものであつてその際日頃、原告が身辺において管理し使用しておつて家庭生活や子供の養育に必要な品物を携行したとしてもこれまたまことに已むを得ない事情にあつたものというべきで法律上違法性を欠くものというほかない。従つて、被告に何らかの損害があつたとしても、原告にはこれが賠償をなすべき義務なきものといわなければならない。よつて、その余の判断をなすまでもなく、被告の相殺の抗弁は理由がない。

そうすると被告は原告に対し、金四百十二万七千五百二十三円三十八銭の償還をなすべき義務があるところ、遅延損害金の準拠法については、本来の求償債務の準拠法に従うと解すべきであるから、本件の場合は、日本法によるべきである。

よつて被告に対し、金四百十二万七千五百二十三円三十八銭及び之に対する訴状送達の翌日であること本件記録によつて明らかな昭和二十八年三月六日以降完済に至るまで民事法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める原告の請求は正当としてこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行並にその免除の宣言につき同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石崎甚八 石川恭 佐古田英郎)

別表第一、別表第二<省略>

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