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京都地方裁判所 昭和28年(ワ)308号 判決 1957年11月13日

原告 株式会社東京信用交換所

被告 株式会社信用交換所京都本社

主文

被告は原告に対し別添目録第四記載の物件を引渡せ。

被告は原告に対し金二二〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三〇年三月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを七分しその一を被告その余を原告の各負担とする。

この判決中主文第二項に限り原告において金五〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人等は、(一)被告は商号及びその発行する繊維情報、調査依頼票(審回券)・調査回答用紙・速報・看板・その他被告の業務に関し「信用交換所」又は「交換所」及び「創業明治四一年」なる標章並に別添目録第一、第二、第三の型式を使用してはならない。(二)、被告は原告に対し別添目録第四記載の物件を引渡せ。若し右物件に対する強制執行不能のときは金八〇、〇〇〇万円を支払え。(三)、被告は原告のために京都中央電話局加入電話本局六四六四番の電話加入権につき、その加入名義を原告名義に変更登録手続をせよ。若し右手続の執行不能のときは原告に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払え。(四)、被告は原告に対し金一、四一〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三〇年三月八日以降右完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として、(一)、訴外東京信用交換所は明治四一年一〇月竹田達三、大隈重信等が発起し、西川浩世が初代所長となり、同人の死後中島勝二郎が二代所長となり、戦時中一時業務を中止したが、父が右西川の友人であり右交換所に戦前勤務したことのある、原告の代表取締役竹村卓が右中島と相談の結果、昭和二五年四月従前の右交換所の一切の権利を承継し三代目所長となり、自己の営業として東京都中央区日本橋堀留町二丁目五番地に本社、全国各地に支社、出張所を復活設置して業務を開始した。(訴外東京信用交換所は竹村卓の個人営業であるが、主たる営業所を本社、従たる営業所及びその長を支社、支社長と称していた。)而して東京信用交換所という商号は明治四〇年竹田達三、立川雲平等が友人の大隈重信に調査事業の計画を相談したところ大隈は既に所々に設立されている興信所は他動的で事業経営として至難であるから、須らく自動的に自他共に信用を交換し、共同調査の方法によつて公正を期する調査事業を経営すべきであるとし、自らそれまで日本の言葉になかつた信用交換所という商号を独創的に考案してくれたので、これに東京という文字を冠し明治四一年訴外交換所の創立に際し商号とされたものであるから、訴外交換所の正当な承継者のみが独占的に「信用交換所」という名称の使用権を有するものである。今日まで信用交換所という商号を冒用しているものが二、三あるがこれらは原告と不正競争関係にないので差止請求をしなかつただけで、これが存在のため信用交換所という商号が一般的名称となつているものということはできない。(二)、訴外東京信用交換所は繊維関係専門の調査機関で(1) 、会員に調査依頼票を有償配布し、調査回答をする。(2) 、東京信用交換所繊維経済通信を毎週二回発行し、購読者に有償配布する。(3) 、繊維界の変動を記事とする速報を会員に平均隔日有償配布する。(4) 、全国繊維商社の内容を掲載した日本繊維商社銘鑑を毎年一回発行して有償発売する。(5) 、その他繊維関係の出版物を発行することを営業の本体としていた。(三)、訴外東京信用交換所は京都市に支社を復活設立すべく計画していたが、社員椎野義重が、戦前京都支社調査主任であつた現在の被告会社代表取締役浜上敬治を推薦したので、同人には高齢で永く鳥取に疎開し繊維事情に遠ざかつた点など躊躇するところがあつたが、姻籍関係にあたる吉川和一宅の表一室を借り入れうるとの話もあり、事務所を借り入れることに便を有する人物であつたので、所長竹村卓は昭和二五年七月一〇日同人を月俸一五〇〇〇円で採用し、吉川和一宅に京都支社を設立し同人を同支社長に任命した。そして戦前同様の運営方法により、支社に対し業務上必要な調査券、領収書、業務案内、関係書類を送付し、支社は業務上の収入から、給料、事務所賃料、什器、備品購入費、電話料その他の経費を差引き、毎月一定限度の収入を確保する意味で余剰金中から一定額を本社に送金し、毎日の収支計算書、旬報、月報を本社に提出し、人員の採用、解雇、事業の相談を支社長から業務報告の意味で所長宛にださせてきた。なお、京都支社はその後京都市中京区室町通御池下る円福寺町三四九番地に移転した。(四)東京信用交換所長竹村卓は企業の合理化のため株式組織とすることを考え、昭和二六年末各地支社長にも知らせ研究中であつたところ、昭和二七年九月支社長を招集して検討したが、その後京都支社長浜上敬治は京都支社の乗取りを策し、擅に同年一〇月三日株式会社信用交換所京都本社を設立し代表取締役に浜上敬治、役員に村瀬義一、石川佶、吉川和一、吉田六郎、伊藤武生(以上東京信用交換所京都支社員)武田亀太郎(大阪支社員)椎野義重(元本社員)を以て組織し、その他の従前支社員も全部入社せしめ、東京信用交換所京都支社の業務一切を新会社に承継し、分離改組独立したと宣伝し、東京信用交換所京都支社の商号と、呼称、外観、観念において類似し、東京信用交換所独占の信用交換所という名称を使用した株式会社信用交換所京都本社という商号を選定した上、従来の京都支社の事務所をそのまゝ占拠使用し、看板も創業明治四一年とそのまゝ使用し、調査依頼票(審回券)、調査回答用紙、速報用紙も従来のものに社名だけゴム印を押し、その他従来使用のものと同型式のものを印刷使用し、東京信用交換所は消滅したと流布して自己設立の被告会社に東京信用交換所の会員、読者、顧客を奪取するとともに、京都支社備付の什器、電話調査資料差入れの敷金をすべて被告会社のものとなし、京都支社が本社に納入する金員の送付も停止した。(五)、前述の如く竹村卓は昭和二六年頃から自己の経営にかゝる東京信用交換所の事業を株式会社に組織変更することを企図し、その準備に着手し昭和二七年一〇月二八日原告会社を設立し、原告は即時竹村卓の所有であり経営であつた東京信用交換所本社並びに全国の各支社出張所の営業全部(商号を含む、以下同じ)を譲受け包括的に承継したものである。然しながら原告会社の定款には「設立後譲受けることを約した財産の定めがないので右承継を主張しえないとしても同年一一月二〇日原告会社臨時株主総会を開催し「設備其の他債権債務譲受に関する件」を付議し、竹村卓経営の東京信用交換所の営業全部を譲受け、その権利義務を原告会社に承継することを決議し、その営業用財産及び債権を合計金三、四〇九、〇八七円八〇銭で譲受け、同人の債務合計金一、二〇九、九〇〇円を引受けたものであり、その際京都支店勘定を金一七九、〇〇〇円と評価し原告会社が譲受けているがその内訳は什器、電話、敷金、調査資料その他である。更に仮に右承継が適法でないとしても原告会社は法律関係を明確にするため昭和三〇年九月二二日訴外竹村卓から従前東京信用交換所の営業全部を譲受け、京都支社関係においては後記主張の什器の所有権並びに電話、敷金、調査資料、京都支社からの送金に関する訴外竹村卓の被告会社に対する各債権を譲受けた。而して以上の営業譲受に関し昭和三〇年九月二三日訴外竹村卓から被告会社に対し右譲渡の旨を債権等譲渡通知書として内容証明郵便を以て通知し、該通知は同月二五日被告会社に到達したものである。よつて原告会社は訴外東京信用交換所の営業全部を譲受け、これを包括的に承継したものであるから、京都支社の営業も当然承継したものであつて、原告会社より被告会社が少し早く設立され京都支社の営業を承継したと称してみたところで、当時の経営者である竹村卓の承諾がない限り適法に承継される筈がなく、被告会社は竹村卓及びその承継者である原告会社に対し不法称者である。(六)、(1) 、前述の如く被告会社は東京信用交換所の事業が株式組織に改組されることを熟知しながら、右交換所の活動範囲である繊維業界並にその関係者間において同交換所が「信用交換所」又は「交換所」と略称され、これが通名となり、商号の主要構成部分をなしている点に着目し、これら業界の人々に営業主体を誤認混同せしめ、従来の東京信用交換所京都支社の得意先をそつくり奪取せんとする不正競争の意図の下に、竹村卓及びその承継人である原告会社と同様の言葉を営むことを目的として、商号は「信用交換所」という文字を使用して「株式会社信用交換所京都本社」とし、従前京都支社の全営業財産を擅に被告会社のものとなして設立されたものに外ならず、而して設立を終るや直ちに従前京都支社の従業員であつた被告会社の従業員をして、従来の東京信用交換所京都支社の得意先を歴訪させた上、被告会社は右京都支社を承継し実質上は同一のものであり同支社は消滅したと称し、得意先をして東京信用交換所及び原告会社と誤認混同せしめ、以てこれを奪いとつたものである。そして被告が東京信用交換所及び原告会社の商号と類似し、これらの商号中の主要構成部分であり、略称であり、通名である信用交換所という名称を含む株式会社信用交換所京都本社という商号の会社を設立し、且つその商号を継続使用している行為は不正競争防止法第一条第二号に該当し、被告会社の営業所に原告会社の前身である東京信用交換所の創業を僣称して創業明治四一年と記載した看板を掲げ、被告会社が繊維情報、調査依頼票(審回券)、調査回答用紙、速報、その他被告の業務に関し使用している別添目録第一、第二、第三の型式は、東京信用交換所及び原告会社がその業務に関して使用している型式と同一或は類似のものであり、且つこの型式中に右述の如き被告会社の商号を使用し、これらを前述の如き方法によつて頒布している行為は同法第一条第二号第六号の不正競争行為に該当するものであるから、原告はこれら不正競争行為の差止を請求するものである。(2) 、次に別添目録第四記載の物件(什器)は竹村卓の所有で、東京信用交換所京都支社に存在していたもので、前述の如く原告にその所有権が移つたものであるが、被告は不法にこれを占有しているからこれが引渡を求め、若し強制執行不能のときは時価に相当する金八〇、〇〇〇円の支払を求めるものである。(3) 、被告が現に使用している京都中央電話局加入電話本局六四六四番の電話加入権は東京信用交換所京都支社の加入名義で訴外竹村卓の権利に属するもので、原告は前述の如くこの権利を譲受けたものであるが、被告は昭和二七年一〇月一六日擅に被告に名義変更したものであつて被告は原告にその名義を変更する義務があるから、これが名義変更手続をなすことを求め、若し強制執行不能のときは時価に相当する金一〇〇、〇〇〇円の支払を求めるものである。(4) 、(イ)、東京信用交換所は京都支社の事務所を借り入れるにあたり、家主に敷金二〇、〇〇〇円を差入れていたが、同交換所京都支社長浜上敬治は代理権を濫用して不法にも被告のために敷金預り証名義を被告会社に書換え、訴外竹村卓の家主に対する敷金返還請求権を喪失せしめ、同人に敷金相当額の損害を与えた。而して前述の如く原告は訴外竹村卓から営業全部とともに右損害賠償請求権を譲受けたものであり、右浜上は京都支社長であるとともに、被告会社の代表取締役となつたもので被告会社は不法行為であることを知悉して敷金預り証名義の書換を受けたものであるから右損害を賠償する義務がある。(ロ)、東京信用交換所京都支社は他の営業所と同様調査委託をする会員には調査券一〇枚綴を金一〇、〇〇〇円有効期間を一年として販売し会員から提出された券によつて調査回答する仕組となつており、調査によつて得たその調査資料は手元に保管し、後日の調査依頼又は速報通信特報などの資料となる貴重なものである。右京都支社では調査員六名、一人の責任調査一月二〇件で月最低一二〇件の調査ができ、このうち一割が再調査を要し翌月廻しになるとみて、少くとも月一〇八件の資料ができることになり、昭和二五年七月京都支社再開後昭和二七年一〇月三日被告会社設立までの間に最低二七〇〇件を下らない資料が保管されたことになる。而してこの保管資料は業者の間では一件金三〇〇円の価値あるものとして評価されておるから、合計金八一〇、〇〇〇円に相当する資料であり、前述の如く被告はこの資料を被告会社設立と同時に不法にも奪取して盗用を重ねたものであり、原告は訴外竹村卓から前記の如く営業全部を譲受けた際この資料も譲受けたものである。然るに右資料は被告において保有し原告はこれを特定することができない状態におかれていて、原物返還を求めることは不可能であるから、これが損害の賠償として被告は右資料価値金額に相当する金員を支払う義務がある。(ハ)、昭和二五年七月東京信用交換所京都支社を再開するにあたり、その支店長に就任した浜上敬治と同支社の経営者竹村卓との契約により、京都支社の収益金から人件費その他の営業経費を差引いた残額の内から毎月二〇、〇〇〇円を東京本社に納入する定めとなつており、これは被告会社設立まで履行されている。従つて浜上敬治が被告会社を設立せず竹村卓及びその承継人である原告の支社として従前どおりの京都支社が継続しているかぎり昭和二七年一〇月分以降も月金二〇、〇〇〇円の割合によつて本社(竹村卓個人営業時代は同人に、原告会社が営業譲渡を受けた後は原告)に納付された筈である。それにもかゝわらず前述の如き被告会社の設立並びに活動により、従前の京都支社は不法にもその活動を停止せしめられ、昭和二七年一〇月分以降全く納入されなくなつてしまつたので竹村卓及び原告は毎月金二〇、〇〇〇円相当の損害をうけている。そして被告会社は昭和二七年一〇月三日設立されているが被告会社の行動により同年一〇月分は全然納入されなくなつたのであるから被告は同月分についても損害全額について責任を有するものである。また、前述の如く原告は竹村卓から営業全部を譲受けその際竹村の有したこの損害賠償請求権も譲受けたものである。よつて原告は本件損害中昭和二七年一〇月分以降昭和三〇年二月末日までの二九ケ月分金五八〇、〇〇〇円の損害の支払をここに求めるものであり、被告にはこれが支払義務がある。それゆえ右(イ)、(ロ)、(ハ)の合計金額金一、四一〇、〇〇〇円の支払を原告は被告に対して求めるものである。よつて本訴請求に及んだと陳述し、被告は訴変更不許の主張に対し、原告は本訴において、従前竹村卓の個人経営であつた東京信用交換所の営業全部(商号を含む。)(各地支社の営業を含む。)を前記の如く適法に原告が譲受けたという事実関係、並びにこの譲受けた営業の内京都支社の分につき、被告こそが東京信用交換所京都支社の営業全部を承継したものであると反対主張する事実関係に請求の基礎を置き、当初は被告使用の商号中「信用交換所」という文字、「創業明治四一年の表示並に別添目録第一乃至第三の型式は、適法に承継した原告の商号の主要部分であり、営業の歴史であり、又原告が営業上使用する文書型式と同一若くは類似し、原告の営業と誤認混向を生ぜしめるものであるからこれが差止を求めたのであるが、被告は更に請求の趣旨(二)、(三)、(四)請求原因(六)の(2) 、(3) 、(4) に示す如き物件の所有権、その他の権利も承継したものであると主張するので、これが紛争解決のため、これらの請求を拡張したのであり、この拡張部分も当初の請求と同じく、原告が竹村卓から営業全部の譲受をうけたこと、この営業のうち京都支社の分につき、被告が譲受けたものであると主張している事実関係に基き、直接又は間接に生じた私法上の権利又は法律関係を訴訟物とするものに外ならないから、両者はともに請求の基礎を同じくするものである。(大審院昭和七年(オ)第二〇一九号、昭和八年一一月一八日言渡判決、評論二三巻五号民訴一六〇頁参照。)又これが請求の追加により著しく訴訟手続を遅滞せしめるほどのことはないと述べ。立証として甲第一号証の一乃至七、第二号証の一乃至三、第三号証の一乃至三、第四号証の一乃至五、第五号証(第六号証は欠)第七乃至第九号証の各一、二第一〇号証の一乃至三、第一一、一二号証、第一三号証の一乃至三、第一四、一五号証、第一六号証の一乃至五、第一七号証、及び検甲第一号証を提出し、証人金野泉治、同春山幸作、同寺岡明秀、同相川豊、同西川けい、同竹内義信(第一、二回)の各証言、及び原告会社代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果並びに鑑定人中井市次郎鑑定の結果を援用し、乙第一号証の一、二、第二号証の一乃至五、第三号証、第六号証の成立を認め、爾余の乙号各証は不知と述べた。

被告訴訟代理人は第一次的に原告の訴中請求の趣旨(二)、(三)、(四)の請求を却下し、その余の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決、第二次的に原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告会社は昭和二七年一〇月二八日肩書商号を定めて成立し被告会社は同月三日商号を株式会社信用交換所京都本社として設立され、ともに信用調査事業を営んでおること訴外東京信用交換所は自然人商人の商号であること、被告会社が昭和二七年一〇月一六日以来京都中央電話局加入電話本局第六四六四番の加入名義を有し、又訴外阿部励吾に対し金二〇、〇〇〇円の敷金返還請求権を有すること昭和三〇年九月二五日原告主張の如き債権等譲渡通知書という内容証明郵便が到達したことは認めるが、その余の事実は否認する。(一)、昭和二五年営業を開始した東京信用交換所(以下新交換所と称す)は明治四一年西川浩世が所代所長となつて創設した同名の交換所(以下旧交換所と称す)を承継したものでなく、且つ竹村卓、浜上敬治、武田亀太郎が便宜上東京信用交換所という一個の商号の下に提携してそれぞれ別個独立の営業をしてきたものである。即ち原告主張の如き西川浩世が初代所長となつて明治四一年創立された旧東京信用交換所は、昭和一四年頃西川氏が死亡し、且つ繊維製品は統制下に入つたので已むなく事実上解散されてしまつた。その後昭和二五年頃に至り竹村卓は旧交換所の従業員であつた椎野義重からすすめられて東京において信用交換事業を開始し、自己も戦前西川浩世の下に働いていたことがあり、信用交換事業の戦前の事情を知つていたので、営業の方法として、擅に旧交換所の歴史を利用し且つ旧交換所を承継したごとく宣伝して新交換所の商号を使用しはじめたものである。然しながら信用交換事業は東京のみでなく国内において広く連繋する必要があるので、竹村卓は京都、大阪方面との提携を考え、昭和二五年七月頃旧交換所の従業員であつた京都の浜上敬治(被告会社代表取締役)及び大阪の武田亀太郎を誘ひ、ここに三者一堂に会して相談した結果、経営は各自別個独立の事業として行うのであるが、商号は歴史のある旧交換所の商号をそのまゝ借用し、且つ営業政策の便宜上いずれも同一の東京信用交換所を用い(東京は本社、京都は京都支社、大阪は大阪支社と称した。)また、相互業務上の連絡と情報の発行を同一にして提携運営するという約束が成立し、その頃から三者揃つての営業をはじめたものであり、得意先は各自それぞれの努力によつて開拓したものである。浜上敬治は竹村卓に対して名義料として金員を支払つていたが、これは営業上の広報等を東京で一括して印刷してもらつていた関係上その代金を支払つていたもので、京都支社が竹村の経営とか、浜上が竹村の使用人であるとかということはありえない。(二)、次に被告会社設立の経緯は、昭和二七年八月にそれまでの前述の三者の経営を合同して一個の株式組織にしようとの議がでたので浜上敬治、武田亀太郎も賛意を表したが、設立発起の段階において竹村卓は独断的に大阪、京都を無視した案を発表したので、京都の浜上、大阪の武田等は竹村卓との協力を止むなく見限り、それまでの連絡提携関係を断つて独自に営業を継続することとし、且つ各自の営業を株式会社に改組することにし、京都においては浜上の個人営業を承継して被告会社を昭和二七年一〇月三日設立したものである。(三)、次に原告会社は新交換所の正当なる承継者ではない。即ち交換所の経営者並に商号の使用者は前述の如くいずれも個人であり、原告は株式会社でその創立は被告会社の設立より約一ケ月も遅れた昭和二七年一〇月二八日であるが、株式会社が営業並びに商号の譲渡を受けるには商法所定の厳格な手続を経ることが必要である。然るに原告会社は全くこれらの手続を適法に履践していないから、原告会社の営業並に商号は個人経営の新交換所のそれとは関係なく、昭和二七年一〇月二八日の創立によつて始めて制定開始されたものといわなければならない。而して被告会社は原告会社の設立に先立つこと二五日の昭和二七年一〇月三日その商号を定めて設立し、直に営業を開始したものであるから、商号並びに営業上使用の文書型式の前後を争うならば被告会社の方が優先しているのであつて、原告会社こそ不正競争の挙にでている者であるといわれこそすれ、その商号並びに文書等に使用の諸型式において原告会社に被告に対する優先権を主張する資格はなく、個人経営の新交換所の営業並に商号の譲受けを前提とする原告の主張は失当である。(四)、仮に原告が個人経営の新交換所の営業並に商号を適法に譲受けたものであるとしても、原告の商号「株式会社東京信用交換所」と被告の商号「株式会社信用交換所京都本社」とは一見して類似の商号と云い難く、また、原告の強調する「信用交換所」又は「交換所」という名称は、その主張の如き独占性と特異性のあるものでなく、信用調査事業において普通一般に使用せられる名称である。即ち「信用交換所」という名称は「興信所」という通有性のある名称と同じく、現在の日本経済社会における信用調査事業において、誰でも自由に使用でき、特異性も独占性もない普通に慣用せられる名称、文字である。而して「信用交換所」という文字を使用する信用調査事業は明治時代から数ケ所あり、現に東京都には「株式会社東京信用交換所」と「株式会社繊維信用交換所」があり、大阪市には「大阪信用交換所」と「株式会社信用交換所大阪本社」が、名古屋市には「中央信用交換所」、京都市には「株式会社信用交換所京都本社」、一宮市には「株式会社信用交換所一宮本社」があつて、それぞれ独自に信用調査事業を行つており、これらの識別は「信用交換所」という文字の上、下に付けられた固有の名称によつて容易且明瞭に行われているものであるから「信用交換所」とは特定の商号ではなく、同種の営業に普通一般に使用せられている名称用語である。よつて原告には「信用交換所」の名称用語の独占権なく、これを除いては原被告間の商号には全く類似する部分がないから、原告の不正競争防止法第一条第二号、第六号の主張は失当である。

(五)、次に原告の請求中請求の趣旨(二)、(三)、(四)の請求並びにその請求原因(六)の(2) 、(3) 、(4) は、本件訴訟係属中請求の拡張として追加されたものであるが、(1) 、これは請求の基礎に変更のある請求であるから不適法で却下さるべきものである。本訴の保全訴訟である仮処分事件においては「被告はその発行する繊維情報、調査依頼票、看板その他被告の業務に関し信用交換所なる名称を使用してはならない」旨のみ決定されており、(本仮処分決定はその後特別事情により取消された。)また本訴の右請求追加前の請求は、原告主張の請求の趣旨(一)に限られ、その要点とするところは「信用交換所という名称を使用してはいけない。」という不正競争防止法第一条の差止請求であつたことは議論の余地がない。故に本訴において審理を受ける要点は、原告は「信用交換所」という商号及びその主張の如き標章並に型式の専用権を主張しうる者であるか否か、仮に専用権者であるとしても、原被告の商号及び標章並に営業上使用の型式が同一若くは類似のもので彼此混同を生ぜしめるものであるか否か、更に被告に不正の目的があるか否か等の点にあり、且つこれが範囲内に限られるべきものである。然るに請求の拡張として追加されたものは、什器の如き動産の引渡、電話加入権の移転及びこれらの代償請求、敷金、調査資料、送金停止分の填補賠償であつて、その根拠は所有権或いは被告がその営業に関し商号並びに別添目録第一乃至第三の如き型式を使用することと全く関係のないところに発生した不法行為に基くものである。それ故従前の請求と追加変更の請求は請求の基礎を異にする全く別個のものである。(2) 、仮に請求の基礎を同じくするとしても、右請求の拡張の追加がなされた時は、過去二年間審理を進行継続し、あますところ本人尋問のみという段階である。然るに右請求の拡張が許されるとすれば著しく訴訟を遅延すること必至であるから、この追加的変更は許されないものであるからやはり不適法である。(六)、仮に然らずとするも、前記請求拡張部分の法律関係は竹村卓、浜上敬治両個人間のことであり、原告は竹村の営業を承継したとしても浜上個人に対して訴求すべき性質のものである。被告会社は昭和二七年一〇月三日設立発足したばかりのものであり、浜上敬治との関係はあつても、竹村卓及び原告会社と何等の関係を有しないものであるからかゝる請求を受ける筋合のものではない。(七)、仮に然らずとするも、前述の如く東京信用交換所京都支社は個人北上敬治の独立経営であり、被告会社に於て原告主張の什器、調査資料は浜上所有のものを、電話加入権は同人名義で実質上も同人に属する権利をいづれも譲渡けたものである。なおこれらの物件及び権利の数量、価額については原告の主張を争う。仮に右物件及び権利が竹村卓のものであつたとしても被告はこれらを善意に取得したものである。次に敷金二〇、〇〇〇円は被告会社が新規に差入れたものであり、毎月金二〇、〇〇〇円の原告主張の趣旨における送金事実はこれを否認すると述べ、立証として乙第一号証の一、二、第二号証の一乃至五、第三乃至第六号証、第七号証の一乃至四を提出し、証人武田亀太郎(第一、二回)、同村瀬義一、同吉田六郎、同高原盛男(第一、二回)の各証言及び被告会社代表者浜上敬治尋問の結果を援用し、甲第四号証の一乃至五、第五号証、第七乃至第九号証の各一、二の成立を認め、甲第一五号証は郵便官署作成部分のみ成立を認め、その余の部分は不知、爾余の甲号各証の成立は不知と述べた。

理由

原告会社は昭和二七年一〇月二八日、被告会社は同月三日それぞれ設立され、ともに肩書の商号にて繊維関係の信用調査事業を行うことは当事者間に争がない。

第一、そこで先づ

一、原告会社が訴外竹村卓経営の訴外東京信用交換所(以下訴外交換所と略称する。)の営業全部を譲受けたか否かについて按ずる。昭和二七年九月二六日付東京信用交換所繊維経済通信紙であると認める甲第三号証の一、証人春山幸作、同竹内義信(第一、二回)の各証言、並びに原告代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果を綜合すれば、原告会社は訴外竹村卓の経営にかかる訴外交換所の全営業を基礎とし、経済的或は事実的にはこの個人営業を株式会社に改組したもので、原告会社の設立により訴外交換所の営業全部を譲受けたように見えるのであるが、これを法律的に検討すると、(1) 、原告会社はその設立とともに即時右営業を譲受けたと主張するが、それならばこれは設立事項の一として定款に記載あることを要するものと解せられるのに、原告会社の定款には「会社の成立後に譲受けることを約した財産」についての記載のないことは原告の自白するところであり、又会社設立後即時設立事項外として譲受けたものであるとの主張と解しても、原告会社代表者竹村卓(第二回)尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一四号証及び弁論の全趣旨によれば、訴外交換所の営業財産の譲受価格は原告会社の資本の二〇分の一以上にあたること明らかであるから、原告会社設立の日に商法所定の事後設立の手続を履践することを要するものと解せられるのに、これが手続を履践したことについての主張も立証もなく、その他全証拠によるも原告会社設立の日である昭和二七年一〇月二八日に訴外交換所の営業全部を適法有効に譲受けたことを認めるに足る証拠がない、(2) 次に同年一一月二〇日譲受けたとの主張について考える。右甲第一四号証、証人春山幸作、同竹内義信(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果並に弁論の全趣旨を綜合すれば、原告会社は同年一一月二〇日開催の臨時株主総会において、訴外交換所の設備其の他債権債務譲受に関する件を付議し、その全営業用財産及び債権を合計金三、四〇九、〇八七円八〇銭で譲受け、その全債務を合計金一、二〇九、九〇〇円で引受けることを全株主一致の決議にて可決し、ここに訴外竹村卓経営の訴外交換所の全営業を譲受けることに関しての事後設立手続を履践したことが認められ、訴外交換所経営者が原告会社代表者となつている関係その他右の如き同会社設立に至る経過に照し、同日右決議に基き竹村卓経営の訴外交換所の全営業を適法有効に譲受けたものと推認され、他にこれが認定を覆えすに足る証拠がない。而して原告会社設立の昭和二七年一〇月二八日から同年一一月二〇日までの右営業はこれまで挙示した証拠によれば、営業活動自体は廃止中絶されることなく存在したこと、原告会社は訴外交換所を改組したもので両者の営業は同一同範囲のものであることが認められるから、訴外竹村卓の営業と解せられ、これを覆えすに足る証拠はない。よつて爾余の判断をするまでもなく、原告会社は昭和二七年一一月二〇日訴外竹村卓の経営にかかる訴外交換所の営業全部を譲受けたものであると認められる。(但し訴外竹村卓の経営の範囲については後に認定する。)

二、次に原告会社が訴外竹村卓経営にかかる訴外交換所の商号を譲受けたか否かについて按ずる。(1) 、商法第一八条第一項によれば、会社でないものは会社たることを示すべき文字を商号中に用いることができず、同法第一七条によれば会社はその種類を示す文字を商号中に用いなければならない。而して商号は全一体として観察すべきもので、これを分割し且つ部分を譲渡するとか、或は他の商号を以て自己の商号の一部を構成して前後同一であるということは許されないものと考えられるから、会社は自然人や異種類の会社の、自然人は会社の商号を譲受けることができないものといわなければならない。尤も会社が自然人や異種類の会社の商号を買収しその主要部分に自己の会社の種類を示す文字を付加して使用することはありうるが、この場合は商号の譲渡ではなくして、他人をして商号の抛棄をなさしめる契約であるとみるべきであるから、原告会社が自然人の商号である訴外交換所の商号を譲受けることは不可能であるといわなければならない。(2) 、而して他人をして商号を抛棄せしめる契約は、それによつて自己の商号の使用につきその他人から使用の差止又は損害賠償の請求をされることを免れ、自己の商号につきその他人に対し完全な商号使用権を有するに至るけれども、商号を譲受けたものでない以上両商号間に同一性なく、商号権は商号自体について認められる権利であつて商号権の効力のみを分離することは考え得ないから、商号を譲受けるのでなく、単に他人をして商号を抛棄させたのみでは、その他人の商号使用権も商号専用権も自己に取得することはできないものといわなければならない。

三、然しながら原告は不正競争防止法に基き原告の営業活動と混同を生ぜしめる被告会社の商号、標章、型式の使用行為の差止請求をしているのであつて、単に商号権の効力に基いてのみ右請求をしているのではなく商号の保護よりも広く営業の保護のための請求をしていることが明らかであるから、更に訴外交換所の商号が商号としての立場でなく、その営業を認識せしめる一つの表示として原告会社に譲渡せられたか否かについて考えるに、商号は商人が営業関係において自己をあらわすために用いる名称で営業の名称ではないが、社会的経済的にみれば商号は営業そのものの同一性を表示する名称としての機能を持ち、営業活動が継続せられ広く社会に営業自体が認識されるに至ると益々この機能を大きくする。而して不正競争防止法第一条第二号の規定は広く他人の営業たることを示す一切の表示と同一又は類似のものを使用して他人の営業と混同を生ぜしめる行為を差止の対象として規定しているものであるから、たとえ商号としては廃止せられた後においてもその商号たりし表示によつてその営業が広く認識せられ現に他人がその商号たりし表示と同一又は類似のものを使用し両者の営業の混同を生ぜしめるときは、その商号たりし表示は同法同条同号の営業たることを示す表示としての効力を有するものと解すべく、少なくとも営業譲渡の場合において商号の譲渡が不可能で譲渡人の商号を放棄せしめ、譲受人が前者の商号の主要部分を自己の商号の主要部分としたような場合は、譲渡人の放棄せられた商号は、その商号によつて営業を表示していた部面において営業を示す表示として譲受人に承継せられるものというべきである。かく解することは不正競争防止法第一条第二号が広く他人の営業たることを示す表示と同一又は類似のものを使用して他人の営業上の施設又は活動と混同を生ぜしめる行為を禁圧せんとしている趣旨に合し、又歴史を誇る老舗が個人営業から株式会社組織に変更発足する場合不正者の跳梁を封じ、営業者の正当な利益が保護されるのである。されば前記一、二認定の如き本件においては原告はその譲受けた営業を示す表示として「東京信用交換所」なる表示を譲受けたものであると共に、若し個人営業時代にこの表示に対する不正競争防止法上の侵害行為により営業上の利益が害されたならば同法に基き個人竹村につき発生した同法上の一切の救済は前記認定にかかる営業譲渡により原告会社に承継せられたものである。

四、次に訴外竹村卓経営の訴外交換所は明治四一年創業の東京信用交換所(以下単に旧交換所と略称する)と商号並に営業において同一のものであるか否かについて按ずる。証人相川豊、同武田亀太郎(第一、二回)、同西川けい、同竹内義信(第一、二回)の各証言並びに原告会社代表者竹村卓(第一回)、被告会社代表者浜上敬治尋問の結果(但し以上の証拠中左記認定に反し措信しない部分を除く)並に弁論の全趣旨を綜合すれば、旧交換所は明治四一年頃創立された繊維界の専門信用調査機関で長く西川浩世の経営にあつたが、同人が昭和一三年頃死亡後訴外中島勝二郎が所長となり営業が続けられてきたが、支那事変に続く大東亜戦争下綿等の繊維及び紙類が統制となり、営業活動を続けることが難しくなつたので、遅くとも昭和一八年五月頃までにその営業を停止したものであるが、その後終戦となつても戦前の経営者において営業を復活する意思行動がなく、昭和二五年四月頃にいたり旧交換所に一時勤務したことがあるにすぎない訴外竹村卓が信用交換事業を営むことを考えて営業を開始したものであり、たとえ昭和二四年一〇月頃中島勝二郎等と協議し(西川浩世未亡人が協議に加わつた点は措信できない。)権利料を金一〇万円支払つたことがあるとしても、戦中戦後の特殊情勢下とはいえ七年に及ぶ営業の中絶、前認定の如き戦前経営者の戦後の態度、行動からみて、旧交換所の営業は昭和一八年五月頃廃止せられ、また未登記個人商号であるので営業の廃止とともにその商号も廃止せられたものと認定するのを相当とする。仮に然らずとするも商号については未登記商号にも商法第二一条、不正競争防止法第一条の保護があるから商法第三〇条の準用ありというべく、営業についての前述の戦前の経営者の態度行動に鑑み、二年を超える期間の不使用により旧交換所の商号は、昭和二五年四月訴外竹村卓が訴外交換所の営業を開始した当時は既に廃止されていたものとみなすべきである。されば事実上竹村卓が旧交換所の承継者として行動し、得意先において旧交換所の承継者として遇していたとしても、それを以て旧交換所と訴外交換所の商号及び営業は同一であるといいえず、右認定に反する証人金野泉治、同相川豊、同竹内義信の各証言部分、原告代表者竹村卓尋問の結果部分はにわかに措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。よつて訴外竹村卓の経営にかかる訴外交換所の商号及び営業は旧交換所のそれらを承継したものであるということはできない。

五、次に訴外交換所京都支社の営業が訴外竹村卓の経営であつたか否かについて按ずるに、成立に争ない甲第四号証の一乃至五、昭和二七年九月二六日付及び同年七月二二日付東京信用交換所繊維経済通信紙であると認める甲第三号証の一、二、原告代表者竹村卓(第一回)尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一一第一二号証、第一三号証の一乃至三、証人春山幸作、同相川豊、同竹内義信(第一、二回)、同武田亀太郎(第一、二回)、同高原盛男(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一回)、被告代表者浜上敬治各尋問の結果(但し以上の証拠中左記認定に反し措信しない部分を除く。)を綜合すれば、訴外竹村卓は昭和二五年四月頃東京都において訴外交換所の商号を用いて繊維界における信用調査事業を開始したが、まもなく事業の性質上関西に支社を設ける必要を感じ適当な人物を物色し、訴外武田亀太郎を紹介され同人と協議した結果その頃同人を支社長とする大阪支社を設け、更に京都支社の開設をも企図していたところ、当時の訴外交換所調査部長椎野義重が、戦前の東京都信用交換所京都支社に勤めていたことのある浜上敬治を採用して京都支社を開設することをすすめたので、訴外竹村卓は昭和二七年七月初頃訴外浜上敬治を大阪市天王寺附近の川竹旅館に招致し、同旅館において訴外竹村卓、同武田亀太郎、同高原盛男、同浜上敬治が一堂に会して訴外交換所京都支社開設の件について相談し、訴外浜上敬治は過去に経験を有しながら当時は鳥取県の田舍に疎開していた関係から京都支社長となることを希望し、同人は京都市内の甥吉川方に部屋を借受け事務所を直に開設できる便利を有したので、ここに同人を支社長とする訴外交換所京都支社を開設することに内定し、まもなく同人を支社長とする訴外交換所京都支社が発足した。而して同支社の営業開始にあたつては、業務上必要な調査依頼票、領収書、再開趣意書等の一件印刷物は本社から支社に送付し、これを持つて支社員が戦前の旧交換所の得意先を中心に京都市の繊維業界を廻り、調査依頼票を売りその収入を以て事務所貸借の経費、什器電話その他の設備を整えたものであり、最初の得意先歴訪に際しては訴外竹村卓が浜上支社長と同道して歩いたところもあり、同支社の営業面は引続き調査依頼票、調査回答用紙領収書其の他の用紙等営業上の印刷物及び繊維経済通信紙は本社から送付を受け、営業報告として支社から週報、月報を本社に送付し人事面及び給与面は浜上支社長が採用を予定して履歴書と給与予定額を本社に報告して承認を求め、又本社に従業員の給料表を作成送付して給与の改訂等の承認を求めるなどして本社、支社間の平均化を図り、又身元保証書を訴外竹村卓の下に提出し、次に経理面は支社の全経理を一括して収支計算し赤字の場合は本社が補填し、黒字の場合は本社に送金するを原則とする立前であつたが、後日繊維経済通信購読料は部数に応じ、それ以外の分は一定責任額を定め京都支社は最初は毎月金一〇、〇〇〇円、後には毎月金二〇、〇〇〇円を本社に送金し、公租公課については給与所得の源泉徴収以外は本社において一括して取扱うものであつたことが認められる。而して京都支社開設資金が直接訴外竹村卓から出されることなく、当初の事務所は訴外浜上敬治の関係で借受け可能となつたものであり、支社の本社に対する送金も利益の大小にかかわらず一定金額に定められていること、訴外浜上敬治の支社営業における権限が相当大きい点が認められるけれども、商号を一にし、公租公課を本社扱とし、調査依頼票の売却収入により支社を開設し、週報、月報を継続して詳細に本社に送付していない点などを綜合すれば、京都支社の独自性が濃厚であつたとはいえ訴外交換所京都支社は訴外竹村卓の経営の傘下にあつたものと認めざるを得ない。本社も京都支社に週報、月報を継続送付していたとか、その他右認定に反する証人武田亀太郎(第一、二回)同村瀬義一、同吉田六郎、同高原盛男(第一、二回)の各証言部分、被告代表者浜上敬治尋問の結果部分はたやすく措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。

六、次に被告会社設立の経緯についてみるに、証人武田亀太郎の証言により真正に成立したものと認める乙第四号証、証人村瀬義一、同吉田六郎、同高原盛男(第一、二回)、同春山幸作、同竹内義信(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一回)、被告代表者浜上敬治各尋問の結果(但し以上の証拠中左記認定に反し措信しない部分を除く。)に前記五認定の結果を綜合すれば、訴外竹村卓経営の訴外交換所を発展的に株式会社に改組しようとの議がおこり、昭和二七年正月頃熱海市において本社幹部及び支社長等会同の結果、具体的方法は本社に一任するが株式会社に改組することに意見が一致し、同年九月末頃東京都において本社幹部を発起人とした発起人会をひらき、その際発起人外ではあるが重要な地位にある各支社長をも併せ招集し、将来の株式会社設立に関し協議し同会社の役員も定め訴外交換所大阪支社長武田亀太郎、同京都支社長浜上敬治はいずれも新会社の常務取締役で、大阪、京都の各支社長の地位に就任することに内定したが、新会社の株式割当につき武田、浜上等に明確な答えが与えられなく、竹村卓を中心とする本社側就中竹村卓及びその一族に独占される気配を右発起人会の直後において察知し訴外交換所時代より立場が不利となると感じた武田亀太郎、浜上敬治等は竹村卓の方針に不満を抱き憤懣の末、直ちに京都市の法華倶楽部に武田亀太郎、浜上敬治、訴外交換所名古屋支社長春山幸作が会同し、この組織替の機会に各支社の営業を基礎として各独立の企業体を設立することを協議し、各支社の設備、財産はじめ営業は各支社長の営業にかかるもので、訴外交換所の東京本社との関係は商号はじめ営業万般すべて便宜上の連絡提携にすぎなく、毎月の本社宛の送金も商号使用の名義料であると称して、京都市においては訴外浜上敬治が中心になり、昭和二七年一〇月三日訴外交換所の事務所、什器、電話、資料、用紙其の他の設備、財産、訴外交換所京都支社の当時の全従業員を基磐として被告会社を設立し、大阪市においては訴外武田亀太郎が中心となつて昭和二七年一〇月一日同様に株式会社信用交換所大阪本社を設立し、被告会社は現実に訴外交換所京都支社の設備財産を使用し、同支社の得意先に対しては被告会社が訴外交換所京都支社を正当に承継したものと称して従前配布の同支社の調査依頼票を回収して被告会社の調査依頼票を交付し以て訴外交換所の得意先を奪い、又昭和二七年一〇月分から訴外交換所京都支社から本社に対する毎月の送金は途絶されてしまつたことが認められ、右認定に反する証人村瀬義一、同吉田六郎、同高原盛男(第一、二回)同武田亀太郎(第一、二回)の各証言部分、被告代表者浜上敬治尋問の際の供述部分はにわかに措信し難く他に右認定を覆えすに足る証拠がない。右事実は訴外浜上個人及び同人が代表する被告会社双方に付き故意による不法行為を構成すること勿論である。

七、そこで被告の株式会社信用交換所京都本社なる商号の使用が不正競争防止法第一条第二号に該当するか否かについて判断する。

(1)先づ「信用交換所」「交換所」なる表示が訴外交換所乃至原告の標章或いはその営業をしめす表示であり且つ不正競争防止法施行地域内において広く認識されているか否かについて按ずるに、成立に争ない乙第二号証の二、日刊新聞紙であると認める甲第一号証の一乃至七、日本信用交換所業務案内書であると認める乙第五号証、第三者の作成にかかり真正に成立したものと認める乙第七号証の二乃至四、証人高原盛男(第一回)、武田亀太郎(第二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一回)被告代表者浜上敬治各尋問の結果(但し以上の証拠中左記認定に反し措信しない部分を除く。)及び前記一乃至六認定の事実並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、訴外竹村卓経営の東京信用交換所は昭和二五年四月頃からその名称をもつて東京、大阪、京都、名古屋、一の宮、其の他において繊維界専門調査機関として信用交換の営業をなし、「東京信用交換所」という表示で広く繊維業界金融機関、一流新聞報道界等において認識されてきたことが認められるけれども、単に「信用交換所」又は「交換所」という略称で広く認識されてきたかどうかの点については、訴外竹村卓の訴外交換所は二年余の歴史を有したにすぎない点から考えても亦訴外交換所の営業開始前に既に信用交換所京都局、名古屋中央信用交換所、大阪信用交換所、が存し同種類の営業をなし又はなしたことが前掲各証拠から認められる点よりするも右略称でもつて被告会社の設立時まで既に広く認識されてきたものと認めることはできない。右認定に反する甲第二号証の一乃至三、証人竹内義信の証言部分、原告代表者竹村卓尋問の結果部分はにわかに措信し難く、他に右認定を左右する証拠がない。されば「東京信用交換所」という表示は広く認識されているが「信用交換所」「交換所」という表示は広く認識された表示といえないから、後者については爾余の判断をするまでもなく不正競争防止法第一条第二号該当の問題は生じないといわなければならない。

(2)右の如く「信用交換所」「交換所」は広く認識せられる原告会社の前身たる訴外交換所又は原告会社の表示ではないのであるから、被告会社の行為につき不正競争の有無を論ずるについても、かかる表示と被告の商号との類似、混同を考えるべきでなく、専ら被告の商号が訴外交換所乃至原告の営業たることを示す「東京信用交換所」なる表示と類似しその使用が訴外交換所乃至原告の営業上の活動と混同を生ぜしめるか否かについて考えるべきである。この見地からすれば、訴外交換所の営業開始前に既に信用交換所京都局、大阪信用交換所、名古屋中央信用交換所等が存した事実は前認定(七(1) 参照)の通りであり、従て「東京信用交換所」はその表示、称呼、外観等から観察して、「東京」なる点に識別の重点が置かれ「信用交換所」なる点には自他を弁別する重点を置き難いものと認められるから、被告の商号は「東京信用交換所」なる表示と類似するものと認め難く、従て又仮令原告会社と被告会社とを取引関係者において混同するの事例があつたとしても、被告会社の営業上の施設又は活動が不正競争防止法第一条第二号に該当するについては同号前段要件を欠如していることが明かであり、これに該当しないものというべきである。

八、次に原告は被告会社の営業所に原告会社の前身なる東京信用交換所の創業を僣称して創業明治四一年と記載した看板を掲げ訴外交換所及び原告会社がその業務に関して使用している別添目録第一、第二、第三の型式と同一又は類似の型式中に被告会社の商号を使用しこれら用紙を頒布している行為は同法第一条第二号第六号の不正競争に該当すると主張するけれども、被告会社がその商号を使用してこれら頒布をなしていることが訴外交換所及原告会社の表示たる「東京信用交換所」と類似の表示を用いてなしているものでないこと既に認定した(七(2) 参照)通りであるから、仮令被告会社が原告主張の看板を掲げ又は訴外交換所乃至原告会社が業務に関し使用しているものと同じ型式の用紙を用いて、被告会社がその営業をなしているとしても、かかる看板又は用紙の頒布自体は未だ以て訴外交換所又は原告会社を示す表示ということができないこと勿論であり、従て被告会社の右頒布行為が、同法同条同号に該当するについては同号前段要件を欠き、これに該当しないものというべきである。また別添目録第一乃至第三号中訴外交換所や原告会社の営業上の信用を害する虚偽事実の陳述や流布は到底これを認めることはできないからかかる用紙の頒布が同条第六号に該当しないこと勿論である。

第二、

一、次に原告の請求中本件訴訟係属中追加された請求の趣旨(二)、(三)、(四)並びに請求原因(六)の(2) 、(3) 、(4) に基く請求は、原告の不正競争防止法第一条に基く差止請求と請求の基礎を異にし訴の変更として許されないものであるか否かについて按ずる。原告の請求追加前の主張は法律関係としては被告の商号、別添目録第一乃至第三の型式、創業明治四一年という標章を被告の営業に関して使用してはならないという現在の被告の営業活動上の点に対しての不正競争防止法第一条の差止請求ではあつたが、その請求の基礎として主張された事実関係は、原告会社は訴外竹村卓の経営にかかる訴外交換所の営業全部を譲受けたものであるが、訴外交換所の京都支社長であつた被告会社の代表者浜上敬治は、訴外交換所の営業を株式会社に改組し原告会社に譲渡する準備中にこの機会を利用して訴外交換所京都支社の営業につき、その営業は以前より浜上敬治の経営であつたと称してその施設財産を奪取し以て被告会社を設立し、訴外交換所の得意先を対象として営業を開始したという利益紛争関係を基礎としており、不正競争関係を発生せしめた事実の基磐は被告会社が訴外交換所京都支社の営業を基礎として設立されたという事実であり、又被告会社も原告会社の訴変更前から訴外交換所京都支社の営業は訴外竹村卓の経営ではなく、訴外浜上敬治の経営で、この浜上敬治の経営の営業を基礎として被告会社を設立したものであるから原告会社に対する不正競争は成立しないと争つてきたものであるから既に訴の変更時までに訴訟手続内で竹村卓経営の京都支社を乗取り不正競争行為に入るとともに同支社の営業財産も乗取つたものであるという事実が明らかとなつていたものであるということができる。而して原告の主張中追加請求は被告会社が昭和二七年一〇月三日訴外交換所京都支社の営業を基礎として設立されたことによつて、同支社存在の什器、調査資料の占有を被告のもとに移し、電話加入権、敷金返還請求権を被告のものとし、同支社より本社に対する送金を途絶せしめたことに発生原因をおいているものであつて、請求追加前の請求と追加後の請求のよつて生じたる事実関係は、被告会社が訴外交換所、京都支社の営業を基礎として設立され、営業を開始したという基本的な事実を共通にするものであるから、原告の追加的変更の請求は追加前の請求とその請求の基礎を同じくするものであるといわなければならない。

二、そこで更にこの請求の追加により著しく訴訟手続を遅滞せさるか否かについて考えるに、一件記録によれば、請求追加当時は申出済の人証としては原告被両代表者の当事者尋問を残すのみではあつたが、裁判官の更迭後一回の期日、而も延期されたにすぎない期日を経過したのみの時であり、その後証人四名の再尋問が行われ、且つ原告の請求追加前の請求についてなお法律的に整理をなす必要が存しており、更に訴外交換所と原告会社間の営業並びに商号譲渡関係について法律的主張が欠缺していた状態であるから請求追加前の訴訟自体のみについても裁判をなすに熟したというためには、法律的主張の整理、釈明、及び証拠の再取調並びに新証拠調等となお相当の審理を必要とするものであつたといわなければならないし、追加請求は追加前の請求と審理の重要部分を共通にし、追加請求のみの立証のために多数の人証の取調を必要とする程のことはないから、前記請求の追加を以て著しく訴訟手続を遅滞せしめるものであるということは認められない。

第三、そこで先づ

一、原告の什器引渡の請求について按ずる。

(1) 原告代表者竹村卓尋問(第二回)の結果により真正に成立したものと認める甲第一四号証の四、五、証人相川豊、同竹内義信(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果に前記第一の一、四、五認定の結果を綜合すれば、昭和二七年一〇月三日被告会社設立当時被告会社の所在地であり訴外交換所京都支社の所在地であつた京都市中京区室町通御池下る円福寺町三四九番地の事務所には別添目録第四記載とおりの訴外竹村卓所有の什器が存在していたが、被告会社の設立に際し訴外交換所京都支社長として右什器を占有保管していた浜上敬治は爾後被告会社の代表取締役として被告会社のために占有使用しはじめ、ここに被告会社はこれが占有を取得したものであるが、浜上敬治は被告会社の代表者として不法にも訴外竹村卓所有の什器を同人の代理占有を排して被告会社に占有を取得させたもので、被告会社はその代表者の不法行為により占有を取得したものと認めるのが相当であるから被告会社においてこれを善意取得する筈がない。されば右什器の所有権は依然として訴外竹村卓に存するところ、同人は昭和二七年一一月二〇日は営業全部とともにこれら什器を原告会社に譲渡したもので原告はこれが所有権を取得したものであることが認められ、右認定に反する証拠(前記第一、六末尾にて排斥した証人等の証言及び本人の供述)はにわかに措信し難く他に右認定を覆えすに足る証拠がない。而して右什器のその後の減失等については被告の立証しないところであるから原告は被告に対し所有権に基いて別添目録第四記載の物件の返還を求めることができるものであるといわなければならない。(2) 次にこの什器の強制執行不能の場合における代償請求について考えるに、原告代表者竹村卓(第二回)尋問の結果、及び同結果により真正に成立したものと認める甲第一四号証によれば右什器の昭和二七年当時の帳簿価格は金八〇、〇〇〇円程度であつたことは認められるが、その後現在に至るまで約五ケ年の歳月を経過しているところ、物価の高騰を考えあわせても別添目録第四記載の物件の消耗償却を考慮すれば、現在なお金八〇、〇〇〇円の価格を有するものとは認めがたく、他に本件口頭弁論終結当時右物件の価格が金八〇、〇〇〇円であることを認めさせるに足る証拠がない。

二 次に原告の電話加入権の加入名義変更登録手続請求について按ずるに、被告会社が昭和二七年一〇月一六日以来京都中央電話局加入電話本局第六四六四番の加入名義を有することは当事者間に争なく、(1) 、昭和二七年九月二六日付東京信用交換所繊維経済通信紙であると認める甲第三号証の一、官署作成部分は成立に争なく、その余の部分は署名押印により真正に成立したものと推定する甲第一五号証原告代表者竹村卓(第二回)尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一六号証の四、証人相川豊、同竹内義信(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果(以上の証拠中左記認定に反し措信しない部分を除く)に前記第一の一、五、六認定の結果を綜合すれば、訴外竹村卓経営の訴外交換所京都支社には右電話の架設があり、この電話は電話帳には東京信用交換所京都支社の電話として掲載されていたが、電話加入原簿登録の加入名義は原簿の性質から考えても又証人竹内義信の第二回証言によるも訴外浜上敬治となつていたものと認められ、而して訴外浜上敬治と訴外交換所即ち訴外竹村卓の関係においては、訴外浜上敬治は訴外交換所京都支社長の資格において即ち訴外竹村卓の支配人として竹村卓の権利に属すべき電話加入権の名義を有するにすぎないものであつたが、名義を有することを奇貨として昭和二七年一〇月一六日自己が代表者である被告会社にその加入名義を移転し、一方訴外竹村卓は右電話の加入名義は同人経営の訴外交換所京都支社名義であるとして、昭和二七年一一月二〇日営業全部とともに原告会社に譲渡し、これが譲渡の通知としては昭和三〇年九月二三日付内容証明郵便を以て電信電話公社に対してではなく被告会社に対しこれをなしていることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠がない。而して右認定事実に基いて法律的に検討すれば、電話加入権は物権ではなく一種の債権であり、日本電信電話公社は電話加入権について債務者の立場にあり、この債権債務関係の帰属は電話加入原簿自体の記載を容観的に判断して決すべきものと解せられるから、本件電話の電話加入権利者は昭和二七年一〇月一六日以前は訴外浜上敬治であるというべきで、訴外浜上敬治と訴外竹村卓の関係においてはこの電話加入権が訴外竹村卓に譲渡せられており、訴外浜上敬治は訴外竹村卓に対しいつでも電話加入権譲渡承認請求書に連署すべき義務を負つていたものであるが、この関係は未だ公社の承認を得ていないから譲渡の効力は生じていなく、かかる状態の下において訴外浜上敬治から被告会社に譲渡がなされ、公社の承認をうけてしまつたものである。右の関係は、被告会社に、竹村の浜上に対する前記債権を侵害する不法行為の成立する余地あるは格別、電話加入権そのものは当初より竹村のものではなかつたのであるから、竹村が浜上に対する前記債権を有し且つ原告会社がこれを承継したからとて第三者たる被告会社に対し電話加入名義変更登録手続を請求しうべき理由がないものといわなければならない。(2) 次に電話加入権の代償請求については加入権の名義変更登録手続請求権が認められない以上その理由のないことは当然であるといわなければならない。

三、次に原告の敷金相当額の損害賠償請求について按ずるに、被告会社が訴外阿部勵吾に対して現在金二〇、〇〇〇円の敷金返還請求権を有することは当事者間に争がない。原告代表者竹村卓(第二回)尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一六号証の一乃至四、証人武田亀太郎(第二回)、証人竹内義信(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果(但し以上の証拠中左記認定に反し措信しない部分を除く。)に前記第一の一、五、六認定の結果を綜合すれば、京都市中京区室町通御池下る(姉小路上る)円福寺町三四九阿部勵吾方の元訴外交換所京都支社事務所で、現被告会社事務所である表六帖、次三帖、二階九帖の三間について昭和二六年五月一六日頃賃貸借契約がなされ且つ該契約に関して金二〇、〇〇〇円の敷金が差入れられ、賃貸借契約書上の借主及び敷金預り証書上の差入人は訴外浜上敬治と表示されている事実を認めることができる。而して契約の解釈にあたつては表示されたものを合理的に解釈して判断さるべきであるところ、右各書面には浜上敬治のみ表示せられて訴外竹村卓又は訴外交換所京都支社の表示全くなく、また契約及び差入に察して書面表示の当事者は浜上敬治であるが真実の当事者は竹村卓又は訴外交換所京都支社であるということが当事者間に表示せられたことがあるとか、或は貸主阿部勵吾が浜上敬治と竹村卓の間の事情、関係を知つていたことを認めるに足るものなく、却つて右賃貸借に際して借入に尽力した訴外交換所京都支社員相川豊が個人として個人浜上敬治の保証人となつていることからみても、右賃貸借の借主及び敷金差入人は個人浜上敬治であることが認められる。成程前掲証拠により訴外浜上敬治は訴外竹村卓経営の訴外交換所京都支社長として訴外竹村卓の訴外交換所の営業のために借受け、右京都支社会計の金員中から金二〇、〇〇〇円の敷金を差入れた事情が窺われるが、これを以て浜上敬治は右借入事務所を訴外交換所の営業のためにのみ使用すべきこと、敷金の返還請求権をいつでも訴外竹村卓に譲渡すべき関係にあつたということができても、これはあくまで浜上敬治と竹村卓の内部関係であり貸主阿部勵吾との間の法律関係を左右するものとはいえなく他に右認定を覆えすに足る証拠がない。されば昭和二六年五月一六日頃貸主阿部勵吾に差入れられた敷金二〇、〇〇〇円の返還請求権は浜上敬治の有するところであり、その後浜上敬治から訴外竹村卓にこれが譲渡のなされたことの主張立証のない本件においては、右金二〇、〇〇〇円の敷金の返還請求権を竹村卓が有し、これを原告会社が譲受けたことを前提とし、被告会社の行為により敷金相当額の損害を受けたという原告のこの点の請求は爾余の判断をするまでもなく失当でありその理由がないものといわなければならない。

四、次に原告の被告に不法にも占有を奪われた調査資料の返還に代る損害賠償請求について按ずるに、証人相川豊、同竹内義信(第一、二回)の各証言、原告代表者竹村卓(第一、二回)尋問の結果によるも、訴外交換所京都支社に被告会社設立当時同支社の営業活動の結果集積された相当数の調査資料が存在したことが窺われるに止りそれが数量は二七〇〇件以上であるということや調査員の数、各調査員の月間調査件数、既存資料利用により新らしく調査不要なるものの全調査件数に対する比率等はいずれも一個の推量にいです、又調査資料一件の価格についても、原告代表者竹村卓(第二回)尋問の結果により成立を認める甲第一四号証中にこの資料の資産評価がなされている形跡がないことからもたやすく一件金三〇〇円相当と認め難く、其の他全立証によるも調査資料の件数は二七〇〇件以上であり一件の価格は金三〇〇円相当であると認めるに足る証拠がない。されば原告のこの点に関する請求は爾余の判断をするまでもなくその理由がないものといわなければならない。

五、次に原告の訴外交換所京都支社の訴外竹村卓(本社と通称している。)に対する納金相当額の損害賠償請求について按ずるに、官署作成部分は成立に争なく、その余の部分は署名押印により真正に成立したものと推定する甲第一五号証、証人竹内義信(第二回)同相川豊の証言、原告代表者竹村卓(第一回)尋問の結果に前記第一の一、五、六認定の結果を綜合すれば、訴外交換所京都支社は東京の訴外竹村卓(本社)に対し昭和二七年当時毎月金二〇、〇〇〇円を営業上の利益中から送金し同年九月まで完全に履行されていたが、被告会社が昭和二七年一〇月三日設立され、訴外交換所京都支社の施設、財産が被告会社の営業下におかれてしまい、従業員も適法に訴外交換所との雇傭契約を解除しないまま全員被告会社に移り、被告会社の活動により殆んど得意先を奪われてしまつた。而して被告会社は同年一〇月三日の設立であるけれども同日までの利益を含めた訴外交換所京都支社(従前京都支社と略称する)の全営業を不法にも奪つたので同月以降の送金は全く杜絶え、訴外竹村卓及び同人の訴外交換所の営業全部を譲受けた原告会社は新らしく別個に訴外相川豊を支社長とする京都支社(新京都支社と略称する)を開設して防戦に努めたが昭和二七年中は殆んど信用調査の仕事なく、昭和二八年に入つても八月までは訴外浜上敬治が支社長をしていた従前の訴外交換所京都支社の昭和二七年当時の月平均約三三万円の半額にも及ばない収入しかあげえなかつたのであるが、昭和二八年九月以後は原告会社京都支社に訴外交換所の従前京都支社の得意先が殆んどかえり収入も従前同様となるに至つたこと、原告会社は昭和二七年一一月二〇日訴外竹村卓の訴外交換所の全営業を譲受け、その承継者となつたので、訴外竹村卓の被告会社に対する送金杜絶による損害賠償債権を当然譲受け、又営業を譲受けた日以後については、原告会社は訴外交換所の従前の京都支社の施設財産、従業員得意先を含む全営業を自己の営業とする計画にて設立され、且つ被告会社の設立にかかわらず訴外交換所の従前京都支社の全営業財産はこれを譲受けるものであるとして営業の譲渡を受けたものであることが認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。なお、右損害賠償債権譲渡通知が被告に到達した事実は当事者間に争はない(尤右通知は債権額において右認定額と開きがあるけれども当該債権の譲渡通知として有効と認められる)。然らば訴外竹村卓及び原告会社は被告会社の不法行為なかりせば従前京都支社を中心としてその得意先を対象にして営業を経続し毎月金二〇、〇〇〇円以上の利益をあげえたものであり一方新京都支社を中心として営業活動したけれども昭和二八年八月までは月間収入全くなく或は従前の三三万円程度の半分にも及ばなかつたのであるから送金額二〇、〇〇〇円の損害はなおあつたといえるが、昭和二八年九月からは得意先も殆んどかえり収入も従前に復しているし、利益をあげる源泉は得意先にあるのであるから、損害はなお幾分か存続していることは窺われるけれども、この様な状態となつてもなお前記送金額相当の損害があつたということはできない。それゆえ原告の請求中昭和二七年一〇月分から同二八年八月分に至る一一ケ月間金二二〇、〇〇〇円の損害請求は理由があるがその余にあたる同年九月分から同三〇年二月末日までの分は原告主張の損害額に達せず且つその損害額を特定するに足る立証がないのでその理由がないものといわなければならない。

第四、よつて以上判断した如く原告の被告に対する(1) 、商号及びその発行する繊維情報、調査依頼票、調査回答用紙、速報、看板、その他被告の業務に関し「信用交換所」又は「交換所」及び「創業明治四一年」なる商号、標章並びに別添目録第一乃至第三の型式を使用してはならないとの不正競争防止法第一条に基く差止請求はその理由がないから棄却すべく、(2) 別添目録第四記載の物件の引渡を求める請求は理由があるからこれを認容し、その代償請求はその理由がないから棄却し、(3) 電話加入権の加入名義変更登録手続請求並びにその代償請求は理由がないから棄却し、(4) 月額金二〇、〇〇〇円の営業利益額相当の不法行為による損害賠償請求中昭和二七年一〇月分から同二八年八月まで一一ケ月分金二二〇、〇〇〇円の請求並びにこれらに対する不法行為時後であること明らかな昭和三〇年三月八日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求はその理由があるからこれを認容し、金二〇、〇〇〇円の敷金相当額の不法行為による損害賠償請求調査資料二七〇〇件の返還不能による金八一〇、〇〇〇円の損害賠償請求及び月額金二〇、〇〇〇円の営業利益額相当の損害賠償請求中昭和二八年九月分から同三〇年二月末日分まで一八ケ月間金三六〇、〇〇〇円の請求並びにこれらに対する昭和三〇年三月八日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求はいずれもその理由がないから棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言については同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 坪倉一郎 吉田治正)

目録第一、目録第二、目録第三 表<省略>

目録第四

物件目録

一、看板(大一、小一) 二枚

一、卓子 五個

一、椅子 十脚

一、応接用セツト五点 一揃

一、戸棚 大棚 一

一、書類タンス 大一

一、書類タンス 小一

一、自転車 一台

一、大火鉢 二個

一、謄写器 二台

一、天窓取付柵廻 一式

一、瀬戸物火鉢 四個

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