京都地方裁判所 昭和31年(わ)1083号 判決 1958年1月25日
被告人 川嶋昭二
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実は、「被告人は市電運転者であるが昭和三十一年二月十三日午前七時三十五分頃市電第一〇二三号を運転し時速約五粁にて京都市中京区西大路通り丸太通交叉点を東より南に左折するに際し前方注意義務を怠つた過失により同市電の進行方向前方の西大路通りを東より西に横断中の森岡徳治(当七十一才)を発見し得ず同市電前部左側角附近を同人に接触させ同人を路上に転倒させて引きづり因つて同人に対し右第二乃至第五肋軟骨及び第五肋骨乳嘴線外側骨折右肺上葉下部裂傷左右大腿骨々折等の傷害を与え同日午后零時五十五分頃同市上京区釜座通り丸太町上る京都第二赤十字病院に於て死亡するに至らせたものである」と言うのである。
そこで証拠を検討すると、司法警察員大野四郎作成の昭和三十一年三月七日付実況見分調書、増田秀吉の検察官に対する供述調書、証人服部仁三郎、同岡本貞三郎、同谷口和男、同錫谷徹、同成行弘、同森岡キヨ(第一、二回)、同戎喜一郎、同多気久次郎、同森幸一の当公廷における各供述、医師錫谷徹作成の死体検案書及び解剖報告書、領置に係る乗馬ズボン一着(昭和三十一年領置第五七七号の一)、成行弘作成の鑑定書、領置に係る操車表十枚(昭和三十一年領置第五七七号の二)の内No2の一枚、系統変更報告書二枚(前同号の三、四)を綜合すると、被告人は昭和三十一年二月十三日午前七時三十五分頃京都市電一〇二三号(運転系統二号甲系統)を運転し京都市中京区西大路通り丸太町(円町)交叉点を東より南に左折するに際し偶々同交叉点の西大路通を西方に軌道を横断しようとした森岡徳治(当時七十一才)に同電車の前部左側角附近を接触させ同人を路上に転倒させて引きづり因つて同人に対し右第二乃至第五肋軟骨及び第五肋骨乳嘴線外側骨折、右肺上葉下部裂傷、左右大腿骨骨折等の傷害を負わせ同日午后零時五十五分頃同市上京区釜座通丸太町上る京都第二赤十字病院に於て死亡するに至らせた事実を認めることが出来る。尤も証人森岡キヨの当公廷に於ける供述(第一、二回)によれば、右森岡徳治が前記病院に於て死亡直前に同人に接触した市電が十二号系統であつたと言つたもののようであり、又証人森幸一、同上坂国造の当公廷における各供述によれば、本件事故発生の直後被害者森岡の転倒位置附近に群がつていた人の内に十二号だとわめいている者があつたようであるが、前掲各証拠を綜合するときは右森岡を転倒させた市電が十二号系統であり従つて被告人の運転する電車ではなかつたと解する余地は全くないと言わねばならない。尚証人筒井増太郎、同小野文治、同海堀順平の当公廷における各供述を綜合すれば、本件事故の目撃者である前記服部仁三郎及び岡本貞三郎の両名が、昭和三十一年二月十七日に事故現場に於て司法警察員の実況見分に立会した際、被害者森岡と接触した電車の車型につき、偶々同交叉点を南から東に向い進行中の六百型の電車(車輛番号六百台の数字を車体に記してあるもの)を指示してそれと同型のものであると言つたもののようであつて、しかも被告人の運転した市電は車輛番号一〇二三号であり、いわゆる千型の車型に属し六百型の電車とはその形状を異にすることは領置に係る京都市電写真説明書二枚(昭和三十一年領置第五七七号の六)及び証人小野文治の当公廷における供述により明らかであるが、前掲各証拠に徴すれば、右森岡に接触した電車の車型についての右服部、岡本両名の認識又は記憶が不正確であつたと解するのが相当であつて、右被害者に接触したのが被告人の運転していた電車であるとの前記認定を左右するに足らないものと言うべきである。
そこで更らに進んで右被害者に被告人がその運転する電車を接触させたことにつき、市街地の路面に敷設された軌道を運行する市電の運転手として業務上の過失を帰せしめ得るか否かを検討しなければならない。被告人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書及び被告人並びに証人木立繁の当公廷における各供述によれば、被告人は前記円町交叉点の東側に在る丸太町通南側の安全地帯西端から発車して同交叉点を南折し西大路通を南下する間終始右被害者の姿を発見せず同人と電車との接触及び同人の転倒をも全く覚知しなかつたことが認め得るところ、右被害者と電車との接触前后の状況につき、証人服部仁三郎は当公廷に於て「私が森岡の姿に気が付いた時は同人は同交叉点を東から西に急ぎ足にレールの際を電車に沿つて歩いて居た、電車が進むにつれてその方向に電車と並んで歩いていたので危ないなあと思つて見ていた、よけると思つて居たのに次に私がハツト見た時に二足三足パッと出て行つて電車の前の左側の角に当つて倒れた、半分仰向けにゴロンと横に倒れた、頭は西向より一寸南寄りに足はちぢめて居たがちぢめた足がそのまま電車の下に入りゴロンゴロンと三度ころがつた、電車はそのままゆつくり行つてしまつた、私が最初森岡の姿を見たときは森岡は電車の箱の真中より一寸前の方を歩いていたが、電車はゆつくり走つて居たので森岡の足の方が早くだんだん電車の前の方へ出て来たのでその辺でよけると思つていたのによけなかつた、結局電車を追越して出合頭に衝突した、はじめて私が見たときは電車にそうひつついていなかつたが電車が曲るにつれてすれすれまでひつついて来ていた」という趣旨の供述を為し、証人岡本貞三郎は当公廷に於て「証人が初めて森岡の居ることに気が付いた時同人は電車の前に居た、それは電車の前横の方でほんの一寸で当るなあと思う位のところであり、電車に行先の番号札をつけてある箇所の一尺位前で、電車の横の袖板の延長より内側だつたと思う、車体の進行方向に向つて左側の極く少し内側であつた、証人の見た途端に電車の左側の前の角辺に当つた、電車は止まらずにそのまま行つた、恐らく乗客も気が付かなかつたと思うし私もははん何も知らずに行つてしまつたなあと思つた、倒れた森岡の身体の恰好は仰向けに足を曲げて上にあげ丁度えびのような恰好であつた、頭の向きは南向であつたが身体は電車にもたれていた様である、倒れた時は乗降口の横の辺にもたれていたが車体の下の機械が私から見える所まで電車が進行して来た時そこへ足が捲き込まれたようになつた、証人が最初森岡を見掛けた時同人は普通の調子で歩いていたが、森岡が電車にはねられたのは証人が森岡の居るのに気が付いて直ぐであつて同人が電車の前に居ると証人が思つた瞬間である、証人が見た時森岡は安定所の方を向いて電車に後を向けていた、森岡が安定所の方へ歩きかけたところへ後から電車がやつて来てはねたのだとまでははつきり判らない」という趣旨の供述を為し、右服部証人の検察官に対する供述調書中には、「私が東側に渡り歩道に上る前ふと左手を見たところ知合の森岡さんが頭からずきんをかぶつて下向に東の方から電車道の南側を電車道に沿つて歩いて来ていました、電車道との間隔は電車が通つても一尺位は間がある位のものでした、その時私が東の方を見たところ電車がゆつくり森岡さんの後から進んで来ましたので私は危ないと思い立ち止つて森岡さんの方を見ました、電車と森岡さんの距離は一尺位しかありませんでした、森岡さんは電車の方に気がつかない様子で、あつという間に電車のすぐ前を西に渡ろうと一歩か二歩進んだ時電車がカーブをゆつくり曲つて来て電車の前の左側の角が森岡さんの腕か胸あたりに衝突し森岡さんは頭を南東に向けて横向きに倒れ足の方が電車の前のドアの下にはさまれたのか電車が進むに従つて南に三回か四回ごろごろところがり三間位引きづられて離れました、電車は全然気がつかなかつたのかそのまま行つてしまいました」旨の供述記載があり、前記岡本証人の検察官に対する供述調書中には「私が西大路通を西から東に横断するためこの図の<ロ>の地点まで歩いて来た時ふと左斜前方を見たところ電車がゆつくりカーブを左に曲りかけて居りそのすぐ前一間位の処をほつかぶりをして下を向いているような恰好でこの図の<1>の地点を西に渡ろうとしている五尺一寸位の人を見ました、私が危ないと思つていたとたんその人は線路の方に進み電車はそのまま進んで来てしまい<1>の地点で電車の前部左角あたりが横断しようとしていた後の背中あたりにぶつかりその人は頭を南東の方に向けて仰向けのような恰好で倒れ足をちぢめて電車の前のドアの下あたりに足をあてたような恰好でいましたので私はぶつかつただけでひかれなかつたと思いました、そして電車がそのまま止めずに行つてしまつた後で見たところ<2>の地点にその男は仰向けに倒れていました」旨の供述記載があるのであつて、被害者森岡が被告人の電車の前部左側角附近に接触したとの点については服部、岡本両名共検察官の面前及び当公廷において何れも一致した供述を為して居り右供述のこの点についての信憑性は証人錫谷徹の当公廷における供述によつても補強せられて居るのであるが、前記安全地帯西端を発進後被害者との接触直前に至る間に於ける右電車の進行と他方被害者の歩行とによつて推移する両者の関係位置については右記の如く服部、岡本両名の当公廷における各供述とそれより前に為された検察官の面前に於ける各供述とは実質的な相異があるところ、右前後の各供述のみを対比すればその内容につき前の供述がより信用すべきものと解せられる余地が無くもないが、一方被告人が右交叉点通過の際被害者森岡の存在に全く気付かず且つ被告人の電車の乗客もまた電車と被害者との接触に気付かなかつたこと、及び右服部、岡本の両名が事故発生後間もない昭和三十一年二月十七日の司法警察員の事故現場に於ける実況見分の際居合せた市電従業員に対し、本件被害者と接触した電車の形状につき被告人の電車とは車型を異にするいわゆる六百型の電車と同一であるとしてこれを指示した如き右両名の認識又は記憶の不正確さを窺わしめるような形跡が看取されること、並びに検察官の面前に於ける右両名の供述は何れを本件事故発生の日である昭和三十一年二月十三日から約八ヶ月半も経過した同年十月二十九日に為されたものであり、しかも右両名は何れも老齢(事故の当時服部は七十二、三才、岡本は六十九才)であつて右供述をした際の事故当時に関する記憶の正確さ又は事故現認の際の認識の正確さ等につき必ずしも全幅の信頼を置き難いこと等を考え合せると、右供述はその後僅かに約三ヶ月後である昭和三十二年一月二十八日の本件第二回公判期日の当公廷に於ける同人等の供述に比し、より信用すべき特別の情況があるとは断定し難く、接触直前に至る間に於ける電車と被害者との関係位置につき明確な心証を形成すること困難であつて、被告人の前方注意義務の懈怠を認定するに躊躇せざるを得ないのである。而して京都市の如き市街地の路面に敷設された軌道上を運行する市電の運転者としては路面の通行人がその姿勢態度その他の状況により電車の進行に気付かずして軌道を横断し又は軌道上に踏入ろうとする危険があることを発見したときは通行人に過失あると否とを問わず衝突を避けるためその動静如何により適宜電車の進行を停止し又はその速力を減じ若しくは警音を発して通行人を避譲させる等の措置を採るべき義務を負うものであるが、本件に於ては右述のように電車と被害者との関係位置並びに電車の進行中に於ける被害者の動静が必ずしも明白でなく従つて被告人が何時いかなる位置に在る被害者の動静との関連に於ていかなる措置を採るべきであつたかを審らかにすることが出来ないのであつて、結局本件危害の発生につき被告人に注意義務の懈怠があつたものと断定し難いから、公訴事実については犯罪の証明がないと言うの外なく、刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡を為すべきものとする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 木本繁)