京都地方裁判所 昭和31年(わ)175号 判決 1958年2月10日
被告人 山口こと 山本真喜子
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、被告人は昭和三十一年一月十四日午前九時過頃被告人の自宅奥六畳の間に於て就寝中の長女勢津子(満二年五ヶ月)及び次女喜代子(生後一ヶ月)に対し、始め喜代子の頸部に被告人の腰紐を巻きつけ、これを両手で引き絞めて殺害し、次で右勢津子の頸部に日本手拭を巻きつけ両手でこれを引き絞めて殺害したというのであつて、右の事実は、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、検察官田口公明作成の検視調書二通、医師黒岩武次作成の鑑定書二通、司法警察員奥田好太郎作成の検証調書並びに押収にかかる日本手拭及び布製細紐各一本の存在を綜合してこれを認めることができる。
しかしながら、鑑定人大橋博司及び同東昂作成の各鑑定書並びに証人大橋博司の証言によれば、被告人は右殺害行為の当時鬱病の状態にあつて理非善悪の弁別、並びにこれに基いて行為する能力に欠けていたというのである。そこでこの点について更に証拠を検討するに、被告人の当公廷における供述、司法警察員及び検察官に対する各供述調書、並びに山口弘の検察官に対する供述調書を綜合すれば、被告人は昭和二十七年十月二十七日京都市消防局消防課に消防司令補として勤務している山口弘と結婚し、昭和二十八年八月三日には長女勢津子をもうけ、精神的、経済的に何不自由なく円満な生活を送つていたところ、昭和三十年十二月十二日次女喜代子を分娩した後九日目頃から身体の調子が悪くなり、頭が呆然としてくるとともに、何の原因もないのに拘らず自己に対する自信を失い、妻として母として全く至らぬものであるとの考えが日毎に深まり遂に自殺を決意するとともに、あとに残る二児の将来を不憫に思い本件を犯すに至つたものであつて、自殺について通常人に了解可能な合理的な動機が何もなかつた。殺害行為の前日朝、夫の出勤の際その時計が止つたこと、同日の夕方自分のつけた火鉢の炭火が立ち消えとなつたこと、またその夜にかぎり便所の電燈がつかなかつたこと等を自分の生命の停止或は消滅と何か関連あるものと考えた。更に殺害行為の後京阪電鉄京津線に跳び込み自殺をはかつたが未遂に終つたことが認められ、これらの事実を前記鑑定書及び証言に併せ考えると本件殺害行為当時被告人には是非善悪を弁別する能力及びこの弁識に従つて行為する能力を欠く状態にあつたものであつて刑事責任を負担させるに適しないものというべきである。もつとも、前掲各証拠によれば、(一)被告人は本件殺害行為の前夜ガス自殺をしようとしたが、この方法は近所に迷惑をかけると考えて思い止つたこと及び (二)本件殺害行為の動機が、あとに残る二児の将来を不憫に思つた点にあることが認められ、これらの事実によれば被告人には本件殺害行為当時なお是非善悪を弁別し、この弁識に基いて行為する能力が幾分残つていたのではないかとの疑問の余地がないではないと思われるのでこの点について考えるに、証人大橋博司の証言によれば、鬱病患者の場合は、殺害或は自殺の手段の善悪を判断する能力はあつても殺害乃至自殺をすべきではないという点の判断能力に欠けていること、及び或程度の理性による反省も結局は病的感情乃至衝動の主流のために押し流されてしまうのであつて、幼児を殺害した方がよいと考えること自体が鬱病の作用によるものであることが認められるから右のようなことがあつたとしても以て被告人に責任能力を認めるべき合理的根拠にはならない。
以上述べたように被告人の本件各殺害行為はいずれも責任能力を欠く心神喪失者の行為として罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に対し無罪の判決を言渡すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡田退一 中村捷三 佐古田英郎)