京都地方裁判所 昭和32年(モ)653号 判決 1957年8月23日
申請人 宝酒造株式会社
被申請人 宝商事株式会社
主文
当裁判所が申請人、被申請人間の昭和三十二年(ヨ)第二五八号仮処分命令申請事件につき昭和三十二年五月二十八日、同昭和三十二年(ヨ)第三〇七号仮処分命令申請事件につき同年六月二十二日夫々なした仮処分決定は被申請人が金五拾万円の保証を立てることを条件として何れもこれを取消す。
訴訟費用はこれを二分してその一を申請人の、その一を被申請人の負担とする。
この判決は第一項の部分に限り仮りに執行することができる。
事実
第一、債権者の主張
一、申請の趣旨
主文第一項掲記の仮処分決定はこれを認可する。訴訟費用は被申請人の負担とするとの判決を求める。
二、申請の理由
(一) 申請人は宝印の酒類、清涼飲料水及び宝の英訳であるトレージヤ(Treasure)印の洋酒類の製造販売を営業目的とし、大正十四年九月六日に設立され資本金三十九億二千七百万円を擁する株式会社、被申請人は飲料水等の製造販売を営業目的とし昭和二十七年四月三日に設立され資本金二百万円を擁する株式会社である。
(二) 申請人は昭和二十八年十一月一日より引続きTAKARA POM Juiceなる表示でオレンジ・ジユースを製造販売しこのオレンジ・ジユースの属する第四〇類(氷及び清涼飲料類)につき現在
(1) 昭和二十五年八月五日出願(願書同年第一八二六五号)昭和二十六年八月二日登録にかかゝる番号第四〇一四五三号の「タカラ」「宝」「TAKARA」なる商標(以下本件第一号商標と称する)権
(2) 昭和三十年五月三十日出願(願書同年第一四五五九号)昭和三十一年四月十一日登録にかゝる番号第四七九一八九号の「TREASURE」なる商標(以下本件第二号商標と称する)権
を夫々有する。
(三) 被申請人は日本国内において広く認識せられている申請人の商号を自己製造の清涼飲料水に使用しようと企て昭和三十年夏頃よりTreasure TAKARAJUICEなる表示のオレンジ・ジユースを製造販売し始めたのであるが、右商品は申請人の製造販売の商品と同一のものであり、その容器たる瓶にも申請人の商品と全く同様の右のような表示と宝商事なる商号を焼付けてこれを使用していたので申請人は早速被申請人に対しこれを取止めるよう要求したが被申請人はこれに応じなかつた。
(四) 被申請人の前記処為は申請人の前記商標権を侵害し、且不正競争防止法第一条第一号に該当するものである。
(五) 必要性について
申請人は被申請人に対し本件製造販売行為を差止めるため提訴準備中であるが被申請人は年々その製造販売量を著しく増加して申請人の権利を無視し一般需要者をして申請人の製品若しくはその二級品と誤解させその結果申請人の製造販売するジユースのみならず最近製造販売を開始したタカラビールの販売にまで影響を及ぼし、又、近く製造販売を予定しているタカラサイダーとの混同を大きくしているのでこのような著しい損害及び急迫なる強暴を防ぐため申請人は仮処分申請をなし昭和三十二年五月二十八日申請の趣旨第一項掲記の「被申請人は『宝』『タカラ』『TAKARA』及び『TREASURE』なる商標をその製造するオレンジ・ジユースに使用し又はこれを使用したるオレンジ・ジユースを販売してはならない」との任意の履行を求める仮処分(本件第一次仮処分と称す)決定を得、右決定は同年六月八日被申請人に送達されたのであるが被申請人はその後も右決定を無視し依然として前記ジユースを製造しこれを申請外株式会社前田豊三郎商店に納入して同商店より一手販売させているので右侵害行為による著しい損害及び急迫なる強暴を防ぐため更に仮処分申請をなし、同年六月二十二日申請の趣旨第一項掲記の「被申請人の占有する『TREASURE』並に『TAKARA』なる商標を使用した被申請人製造にかゝるオレンジ・ジユース『TREASURE』若しくは『TAKARA』なる商標を使用したオレンジ・ジユース瓶、王冠、その他包装材料に対する被申請人の占有を解き申請人の委任する京都地方裁判所執行吏に保管を命ずる。執行吏は被申請人が右オレンジ・ジユース瓶より内容物たるオレンジ・ジユース液の抽出を申出たときはこれを許し、右オレンジ・ジユース液のみ保管を解かねばならない。執行吏は第一項の趣旨を適当な方法で公示しなければならない」との仮処分(本件第二次仮処分と称す)決定を得て同月二十六日これを執行したが被申請人はその後においてもTREASURE乃至TAKARAの空瓶を回収しこれにオレンジ・ジユースを抽入して販売している状態である。
第二、被申請人の答弁
一、主文第一項掲記の仮処分決定はこれを取消す。本件仮処分申請はこれを却下する。訴訟費用は申請人の負損とする。との判決を求める。
二、申請人主張事実中、(一)並に(二)の事実と(五)の中申請人主張日時に主張のような仮処分決定並に執行があつた事実のみこれを認めその余の点は何れもこれを争う。
(一) 本件第一号商標について
申請人主張の第一号商標はもと申請外越後屋産業株式会社(以下越後屋産業と称す)が申請人主張日時に登録を受けたものであるが同申請外会社はソース類の製造販売を業とする会社であつて同商標の指定商品である第四〇類(氷及清涼飲料類)の製造販売の営業を全然しておらず申請人は右商標を昭和三十二年五月一日附で前権利者申請外大宮庫吉を経て譲受け同月七日これが移転登録を受けたものであるが前記のように同商標は当初からその指定商品につき営業が存在せず従つてその移転に当つても営業が伴わなかつたのみならず申請人は現在においても後に(三)で述べるとおり同商標を使用していないのであるから商標法第一条、第十二条、第十四条に徴し同商標は無効である。
(二) 本件第二号商標について
被申請人は昭和二十七年四月設立以来今日に至るまでその製造にかゝるラムネ、コーヒ、ジユース等(商標法上所謂指定商品第四〇類)の出所表示のため被申請人の商号タカラ並に英訳TREASUREを商標として使用して来た結果右商標は業界はもとより一般需要層にも被申請人の出所表示として広く認識せられ所謂周知標章となつたものであるが申請人は右の事情を知り乍ら本件第二号商標を登録出願してこれが登録を得たのであつて、右商標登録は商標法第二条第一項第八号に反するものであつて被申請人は同法第十六条に基き申請人に対し特許庁に右登録無効審判を請求し、現に審理係属中である。
仮に申請人の本件第二号商標の登録が有効であるとしても被申請人は申請人の右商標登録出願前より善意で右周知標章を使用していたのであるから申請人に対して商標法第九条に基く先使用権を有するものである。
(三) 必要性について
申請人が清涼飲料水の製造販売を開始したのは被申請人のそれより一年半後の昭和二十八年暮頃からであつて、その商標は「ポン」を要旨とした「タカラポン」であり「TAKARA POM(タカラポン)」について昭和二十八年十一月一日出願(願書二八九一二号)昭和二十九年十一月十一日登録にかゝる番号第四五六五五九号の商標権及び同商標に対する連合商標として別紙目録記載のような商標について昭和二十九年十二月二十四日出願(願書三一三四八号)昭和三十年九月二十七日登録にかゝる番号第四七一二二一号の商標権を夫々有し現に後者の商標を使用してその製品は「ポンジユース」として世人に周知されており被申請人会社のトレジヤータカラジユースとは彼我区別されて今日まで取引されているのであるから申請人に本件仮処分の保全の必要性は欠如しているものと言うべきである。
(四) 特別事情について(異議事由として)
(1) 申請人はその主張のような資本金を擁して、主張のような営業目的を有する会社であつて内本件清涼飲料水の製造販売の如きは昭和二十八年十一月以降附帯的な事業として行われ全営業部門中百七十分の一を占めるに過ぎないのに反し被申請人はその資本金二百万円の所謂中小企業体であつて清涼飲料水の製造販売は全営業部分の九〇%中トレジヤー商標の使用にかゝる部分はその八〇%を占めており前記のとおり昭和二十七年四月創業以来トレジヤージユース、タカラトレジヤージユース等の商標名で営業して来たものでありその最需要期を控え被申請人は全資力を挙げて原材料、瓶、王冠、箱、包装材料等一切を仕入れ受註分の納入準備中に本件仮処分の執行を受けた結果被申請人の営業は全く封鎖潰滅に陥りこれに伴いその信用を失墜し受註先に対する納品不能によつて売掛金の回収は不可能に近く納入先から損害補填を求められ、金融機関よりの融資の途もとざされて原材料、容器、包装材料等の仕入先に対する支払に窮するに至つた。
(2) 被申請人の従業員三十数名又失職の危険にさらされている。
(3) 本件仮処分の被保全権利は金銭的補償により終局の目的を達し得るものである上、本件仮処分のため被申請人の被る苦痛と損害が申請人の仮処分取消による損害に比し著しく多大である。申請人は前記(三)のとおり現に本件商標を使用していないから本件仮処分取消による損害は考えられない。
第三、債権者の答弁
被申請人主張事実中、(一)の中、第一号商標について越後屋産業株式会社がその主張日時に登録を受け申請人が大宮庫吉よりその主張日時に何れも営業を伴わないでこれを譲受けてその移転登録を受けたこと。(二)の中、被申請人がその製造するジユースにTREASURE TAKARA JUICEなる表示を使用してきたこと。(三)の中、申請人がタカラポンジユースを製造販売していること及びタカラポンについて被申請人主張のような二箇の商標登録を受けていることのみ認めその余の点は争う。
(一) 本件第一号商標権について
第一号商標の登録に際し仮に越後屋産業株式会社に第四〇類に関する営業が存在しなかつたとしても、商標法は商標の登録に際し出願人が指定商品について現に営業をなしていることを要件とせず将来営業をなす意思を有すれば足りると解すべきであつて、本件第一号商標の登録出願自体が営業なす意思の一つの表現であるから第一号商標の登録を無効と言うことはできない。又、商標法第十四条は商標権者が一定期間現実の営業をしない場合に該商標登録の取消を認めているが同条項は商標使用を督促しその専用権を現実ならしめる趣旨に外ならないのであるから右期間経過後であつても原商標権者であろうと又はその譲受人であろうと現実に該商標を使用する事実あるときには最早取消の請求を許すべきものでないと解すべきである。
次に越後屋産業株式会社より大宮庫吉に、大宮より申請人に何れも営業を伴わないで本件第一号商標につき移転登録がなされたのであるが商標権移転に伴うべき営業(商標法第十二条)とは観念的な営業または営業者たる地位乃至権利者の指定商品についての営業に関する内心の意思と解すべきである。越後屋産業乃至大宮が指定商品に関し現実の営業を構成していなかつたとしても第一号商標に関し登録若しくは移転を受けた以上指定商品について営業をなそうとする内心の意思を有するものと言うべく商標権者の地位の更替のみを以て営業の譲渡があつたものとして商標権を適法に譲渡することができる。
以上の次第であるから本件第一号商標権及びその取得に関する被申請人の主張は失当である。
(二) 本件第二号商標権について
申請人は本件第二号商標の出願に先立ち昭和二十九年八月十日第三九類(第三八類に属せざる各種の酒類及びその模造品)について同様の商標TREASUREを出願していたが第三九類について先に宝の商標権が申請人に属していたので前記出願を連合商標に切りかえた。当時既に申請人製造のオレンジ・ジユースは一般に販売されていたので第四〇類についてもTREASUREの商標登録を申請しようとしていたが前記のように越後屋産業が宝の商標を登録していたので申請人の右商標登録申請手続を保留中昭和三十年三、四月頃から申請人のオレンジ・ジユースの表示をまねた製品が販売され始めたので同年五月三十日本件第二号商標を出願したがその後同年夏頃申請人は被申請人がTREASUREなる標章を附したオレンジ・ジユースの製造販売をなしていることを発見した。
仮に被申請人が右出願当時本件第二号商標を使用していたとしても被申請人が申請人本店所在地の京都市と隣接する亀岡市において設立された当時申請人がジユースの製造に乗り出そうということは業界において公知の事実となつていたこと、申請人が昭和二十八年十一月一日より製造し始めたジユースはTakara POM Juiceであり、前記のように昭和二十九年八月十日第三九類について登録申請した商標がTREASUREであること等から申請人がジユースの表示をやがてTakara Treasure Juiceと改めるであろうことは業者として当然予想し得たところであるから被申請人のTREASUREの使用は善意と考えられない。
仮に被申請人の使用が善意であつたとしても申請人の前記商標出願当時TREASUREが被申請人の製品に対する標章であると取引者間又は需要者間において広く認識せられていた事実は存しない。
(三) 必要性について
申請人が被申請人主張のような商標を使用しているのは被申請人の本件商標権侵害が継続しているため混同されることを虞れているからであつて、被申請人が右侵害を止めるならば本件商標を使用する積りである。
(四) 特別事情に対する主張について
(1) 被申請人の目的は飲料水、食酢、ソース、漬物、菓子及びめん類の製造販売で現に飲料水のほかに食酢、ソースの製造と酒類の販売を行つている上、飲料水もジユースの外にラムネ、サイダー等があり、又、ジユースの製造販売にしても本件商標を使用しない限り、何等禁止されていないのであるから被申請人の営業にさしたる支障を生じないのみならず仮に本件仮処分によつて何等かの損害乃至苦痛が生じたとしてもそれは被申請人が本件第一次仮処分決定を約一ケ月間に亘り無視したゝめ自ら招いたところである。
(2) 却つて本件仮処分決定を取消されることにより本件商標権の侵害により、申請人の蒙る損害は金銭的に算定困難であるのみならず全製品に対する名声、信用、技術に対する重大な脅威となりこの点において金銭を以ては右損害を償い難いものである。
第四、疏明
申請人は疏甲第一、二号証(何れもその一、二)、第三乃至第十号証、第十一号証の一乃至三、第十二号証の一乃至三、第十三号証、第十四号証、第十五号証の一、二、第十六乃至第十九号証を提出し、証人竹長源一郎(第一、二回)、長谷川進、四方直男の尋問を求め、疏乙第一号証の一、二、第三乃至第五号証、第九号証、第十号証、第十八号証(内添附写真A、Cは被申請人方製品の写真であること、写真Bはその展示会の写真であること)、第十九乃至第二十六号証、第三十一号証中官署作成部分、第三十四号証、第三十九号証の一、二、第四十号証の一、二、第四十一号証、第四十二号証の成立のみ認めその余の成立は不知と述べ、
被申請人は疏乙第一号証の一、二、第二乃至第十二号証、第十三号証の一、二、第十四乃至第三十八号証、第三十九号証の一、二、第四十号証の一、二、第四十一号証、第四十二号証を提出し、証人谷口兼松、谷内理一郎、森川光大、井上源一並に被申請人代表者本人の尋問を求め、疏甲第三号証、第十四号証、第十七乃至第十九号証の成立を不知、その余の成立(内第五乃至第十号証並に第十六号証は何れも新聞記事であること)第十一号証の一乃至三は被申請人方製品の写真であること、第十二号証の一乃至三は申請人方製品の写真であること)を認めると述べた。
理由
一、被保全権利の存否
申請人並に被申請人が夫々申請人主張のような営業目的、資本金を有して主張日時に設立された会社であること、本件第一号商標権はもと申請外越後屋産業が所有していたものであるところ、申請人が昭和三十二年五月一日附で前権利者申請外大宮庫吉を経てこれを譲受け同月七日これが移転登録を受けて現に所有していること、申請人が本件第二号商標権を所有していること、被申請人が現にその製造販売する清涼飲料水に「Treasure TAKARA」なる標章を使用していること、被申請人が本件第一次、第二次仮処分決定並にその執行を受けたことは何れも当事者間に争のないところである。
(一) 本件第一号商標権について
被申請人は最初の権利者であつた越後屋産業はソース類の製造販売を業とする会社であつて同商標の指定商品の営業をしていなかつた。従つて申請人は大宮から右営業を伴わないでこれを譲受けたのみならず現在においても同商標を使用していないから同商標権は無数であると主張するのでこの点について考えてみる。
証人竹長源一郎の証言(第二回)によれば越後屋産業は本件第一号商標出願当時からその後これを他に譲渡するまで遂にその指定商品である第四十類の製造販売業をなさなかつたことが疎明され、越後屋産業から大宮を経て申請人へ同商標権が移転するに際し指定商品の営業を伴わなかつたことは当事者間に争のないところであり、且、申請人が現に本件第一号商標を使用していないことは弁論の全趣旨に徴して明らかである。
商標はその営業にかゝる商品に使用されるものであるから現実にその商標を使用している事情したがつてその営業が存在することは商標法の理想である。しかし商標法はこのような事情の完成を認めながらも商標の登録に際し出願人が現に営業をなしていることを要件とせず将来自ら営業をなす意思を有すれば足りるとしているのであるから、将来その対象である商標を使用するであろう営業の存在を予定してその予測が可能な限りにおいて登録を認めているのである。このような条件の下で登録された商標の権利の移転において営業の随伴を要求することは極めて抽象的であつて、この場合の営業とは権利者の指定商品についての営業に関する内心の意思と言うべきであり、営業の随伴とはかゝる意思の承継と解する外ない。これを本件についてみるに証人竹長源一郎の証言(第二回)及び同証言によつて成立の認められる疎甲第十八号証によれば本件第一号商標の前権利者であつた越後屋産業は同商標権登録出願前清涼飲料水の製造販売を営んでいたところ、戦時中にこれを止めて現在はソースの製造販売を営んでいるものであるが、右出願当時清涼飲料水の製造販売を復活しようとしていたものであることが疎明され、右商標権を譲受けた申請人が現に清涼飲料水の営業をなしているものであることは前記のとおりであつて、唯申請人が現に自己の販売する清涼飲料水に本件商標を使用しないで、他の登録商標を使用していることも前記のとおりであるが、右は後記二、の必要性の項で判断するような事情で本件商標を未だ使用する段階に至つていないのであつてかえつてこれが使用の意思を有していることが認められるのである。従つて本件第一号商標権の効力は未だ否定されるべきでなく他にその効力を否定すべきと認めるに足る事実の疎明のない本件にあつてはこの点に関する被申請人の主張は採用の限りではない。
(二) 本件第二号商標権について
被申請人は昭和二十七年四月設立以来今日に至るまでその製造にかゝるラムネ、コーヒー、ジユース等(商標法上所謂指定商品第四〇類)にタカラ並に英訳TREASUREなる標章を使用して来た結果、右標章は所謂周知標章となつたものであるから申請人の本件第二号商標登録は商標法第二条第一項第八号に反するものであり、被申請人において商標法第九条に基く先使用権を有するものであると主張するのでこの点について考えてみる。
商標法は一定の標章に関しこれを世人に周知ならしめたときはその後に他人がこれと同一又は類似の商品に関しこれと同一又は類似の商標を出願した場合にはこれが登録を阻止する効力(同法第二条第一項第八号)と他人の登録出願前より同一又は類似商品につき同一又は類似商標を善意にて使用した者にその他人が登録を受けることがあつてもなお先使用者としてその使用を継続することができる効力(同法第九条)を規定しているのであるがその周知の程度はその当時の取引の事情等によつて各標章について具体的に判断するを相当とし、商品の種類、性質、取引者又は需要者の数、当該標章が同一又は類似商標出願までに使用された分量又は期間、その他当該標章の内容等が考慮されなければならないのであつてこれを本件についてみるに、証人谷内理一郎の証言及び同証言によつて成立の疎明される疎乙第二号証、証人谷口兼松、同井上源一の各証言並に被申請人代表者本人尋問(第一回)の結果の一部に被申請人が昭和二十七年四月会社設立以来その製造販売する清涼飲料水に「Treasure TAKARA」の標章を使用して以来関西一円に広く認識せられている旨の記載並に供述部分があるが、尚、その実情を検討するに成立に争のない疎乙第一号証の一、二、第九号証、証人森川光大の証言によつて成立の認められる乙第三十三号証、被申請人代表者本人尋問の結果(第二回)によつて成立の認められる乙第七号証、同第三十五号証、証人谷内理一郎、同谷口兼松、同井上源一、同森川光大の各証言並に被申請人代表者本人尋問の結果(第一、二回)によれば被申請人は昭和二十七年四月会社設立当時はその営業目的の内食酢の製造販売に重点を置いていたがそれだけでは経営が困難であつたので清涼飲料水の製造販売に重点を切替え差当つてラムネ、コーヒーの製造販売を始めこれに「Treasure TAKARA」の標章を附けるようになり、同年暮頃から当時一般に着目されるようになつたオレンジ・ジユースの製造の研究に着手し昭和二十八年に至つて凡そ二万本許りのオレンジ・ジユースの見本品を製造してこれにも「Treasure TAKARA」の標章を附し、京都市内百貨店にも納品することに成功したので昭和二十九年には約二十万本のオレンジ・ジユースを製造販売すると共に、宝塚市宝塚劇場には別にポリエチレン袋入のオレンジ・ジユースに同様標章を附して納入し、本件第二号商標が登録出願された昭和三十年には約八十万本の瓶詰製品を製造既に新聞広告等にて宣伝も始め鉄道共済会に納品するようになつて京都府下を始め大津市、福井県方面にも販売されるようになつたことが疎明される。しかしながら成立に争のない疎乙第十九乃至第二十一号証、証人竹長源一郎の証言(第一、二回)によつて成立の認められる疎甲第十七号証、同証言並に被申請人代表者本人尋問の結果(第二回)によれば申請人も亦昭和二十八年十一月頃から「ポンジユース」の商標を附してオレンジ・ジユースの販売を始め、その量も当初百五十万本から昭和二十九年、昭和三十年と何れも六百万本を超えるに至つたのであるが而も隣接地の亀岡市において被申請人がオレンジ・ジユースの製造販売をなしていることを知つたのは昭和三十年夏頃であつたこと、被申請人の製造販売が知られている範囲においてその清涼飲料水に何れも「Treasure TAKARA」の標章を附していたにも拘らず一般には「タカラ」の呼び名で以て呼ばれていること、近時において小規模の清涼飲料水の製造業者が増えて来たことが疎明される。以上認定事実によれば被申請人は昭和二十七年頃からその製造販売にかゝるラムネ、コーヒーに「Treasure TAKARA」の標章を使用しその後オレンジ・ジユースに主力を置いてこれに同標章を使用するようになつたのであるが、右オレンジ・ジユースの製造販売は昭和三十年に至つて軌道に乗つたものと見受けられ同年五月に既に申請人において本件第二号商標権を登録出願していることが明らかでありその頃には、他にも小規模の同種製造業者が多く生れてきて、被申請人の右標章はむしろ「タカラ」の呼び名で、呼ばれている事実を考え併せるならば同標章が本件第二号商標登録出願当時、関西一円に広く認識せられていた旨の前記疎明資料は容易に措信できないものと言わねばならない。他にこの点に関する被申請人の主張を認めるに足る疎明資料は存しないから右主張を採用することはできない。
二、必要性
申請人が本件第一、第二号商標を何れも現に使用していないことは前記のとおりであるのみならず申請人は別に昭和二十九年十一月十一日登録にかゝる番号第四五六五五九号の「TAKARA POM(タカラポン)」なる商標権及び昭和三十年九月二十七日登録にかゝる第四七一二二一号の別紙目録記載の商標権を夫々有してこれを現に使用していることは当事者間に争のないところであるから或いは申請人が本件商標権について仮処分を申請する必要性がないのではないかとも考えられるのであるが、成立に争のない疎甲第十五号証の一、二、証人竹長源一郎の証言(第一回)並に弁論の全趣旨によれば申請人は従前製造販売してきた焼酎、洋酒類に「タカラ」の商標を使用して来たが、更に指定商品三十九類(三十八類に属しない酒類その模造品)について右「タカラ」の連合商標として昭和三十年八月六日「TREASURE」の登録を受けたが、清涼飲料水の販売を始めるに当りその所属の第四十類についても「タカラ」の商標登録を受けようとしたところ、同指定商品について同商標権を既に越後屋産業が所有していたので一先ず自己販売のオレンジ・ジユースには「ポンジユース」と商標を附して売出すと共に「TREASURE」については別箇に登録出願をなし「タカラ」については越後屋産業からこれが譲受けを交渉した結果前記のように本件商標権を有するに至つたがその頃には既に被申請人において「Treasure TAKARA」の商標を附したオレンジ・ジユースを製造販売していたため、申請人としては、本件商標を使用することにより被申請人の製品と混同されることを避けるため、止むを得ず本件商標の使用をなさず現に別紙目録記載の商標を使用していることが疎明されるのであつて、他に右認定事実に反する疎明資料は存しない。右事実によれば申請人としては自己の製品全部にその商号にならつて「タカラ」及びその英訳である「TREASURE」の商標を使用せんとしているが、内清涼飲料水については被申請人が「TAKARA Treasure」の標章を使用していることから一先ずこれを排斥した上で本件商標の使用を企図しているものと推認されるから被申請人の右標章使用の続く限り申請人は本件商標権の使用を実質的に制限されるという不利益を継続的に受けるものと言わねばならない。したがつて申請人が被申請人に対し、本件第一次仮処分を申請したのはその理由あるものと言うべく、証人竹長源一郎の証言(第一回)によれば被申請人が右第一次仮処分決定を受けて後も尚従前どおり標章の使用を継続していたことが疎明されるから本件第二次仮処分の申請も又その理由あるものと言わねばならない。
三、特別事情
被申請人は被申請人が本件仮処分の結果その営業は全く潰滅状態に陥り、信用を失墜し、その従業員も失職の危険にさらされているところであつて、本件仮処分の被保全権利は金銭的補償により終局的の目的を達し得るものであると主張するのでこの点について考えてみるに前記疎乙第十九乃至第二十一号証、同第三十五号証、成立に争のない疎乙第二十二乃至第二十五号証、同第三十四号証、署名又は捺印により成立の疎明される疎乙第十三号証の一、二、同第十五号証、同第十六号証、同第三十六号証、被申請人代表者本人尋問の結果(第一回)によつて成立の疎明される疎乙第三十七号証、同第三十八号証、前記証人谷内理一郎、同谷口兼松、同井上源一の各証言並に被申請人代表者本人尋問の結果(第一回)によれば被申請人は前記のように昭和二十七年四月に設立され飲料水等の製造販売を目的とする資本金二百万円の会社であるが昭和二十七年度(同年四月以降昭和二十八年三月まで)においては売上総計金参百五拾万円余の中、清涼飲料水の占める割合はその七割七分に相当する金弐百七拾万円余であつたがその後右割合並に絶対値も年々上昇して昭和三十一年度(同年一月以降十二月まで)においては売上総計金千五百五拾万円余の中、清涼飲料水の占める割合はその九割五分に相当する金千四百七拾万円余となり、右清涼飲料水中約八割が「Treasure TAKARA」の標章を使用したオレンジ・ジユースの製品であつて、被申請人はこの製品の製造販売に資産の大部分を傾注した結果同標章を電気焼付したジユース瓶並に容器が被申請人の資産構成中大部分を占めるようになつていたところ本件仮処分決定の執行の結果、これから瓶、容器の占有が解除され、又、被申請人が取引先に対して引続いてオレンジ・ジユースの納品をなし得なくなつたゝめ、従前の売掛代金の回収にも困難を来し、加えてその頃京都信用保証協会に対し申込んでいた金弐百万円の融資の件も当分保留されることになり資金にも窮するようになつたので被申請人の経営活動は殆ど停止されるに至り、延いては被申請人方従業員も失職の危険にさらされているにひきかえ、申請人は前記のように大正十四年に設立され資本金三十九億二千七百万円を擁して焼酎を初めとして日本酒、洋酒の製造販売を目的とする会社であつて、昭和二十八年頃よりオレンジ・ジユースの販売をも開始したが、昭和三十一年四月一日以降昭和三十二年三月三十一日の間における売上総額百四十億八千三百八十万円余の中、清涼飲料水の占める割合はその百分の一にも遥に及ばない金八千五百七十万円余であることが疎明され、証人竹長源一郎の証言(第二回)によつて成立の認められる疎甲第十四号証及び同証人の証言(第一、二回)によるも右認定を左右するに足らず他に右認定に反する疎明資料はない。被申請人が本件仮処分の結果或る程度の操業停止及びこれに伴う経済上の不利益を受けることは通常免れないところと解せられるが本件にあつては被申請人は更に進んで右認定事実のように企業全部が殆ど潰滅に近い状態に立至つているに反し申請人が本件仮処分決定を取消されることにより蒙る損害はその企業の規模に比して遥に少いものと言うことができる被申請人に右のような事情が認められる限り本件仮処分の被保全権利が金銭的補償により終局の目的を達し得るものであるか否かを探索するまでもなく被申請人に保証を供託させて本件仮処分決定を取消すことが相当であると解される。
而して右の見解は申請人の本件仮処分申請中、不正競争防止法第一条第一号に基く差止請求権を被保全権利とする部分にあつても異るところはない。
以上のとおり本件仮処分はこれを取消すべき特別事情があるから被申請人が金五拾万円の担保を供するときはこれを取消すべきものとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の点につき同法第七百五十六条の二、第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 中村捷三)
目録
図<省略>