京都地方裁判所 昭和32年(行)4号 判決 1957年6月29日
原告 坂本義一 外一名
被告 国
訴訟代理人 朝山崇 外一名
主文
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は「京都府知事が昭和三十一年十月二十七日訴外室谷喜作に対してなした京都市中京区壬生松原町二十三番地、二十四番地の一において室谷湯の名称を以てする公衆浴場の営業許可処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、
京都府知事は公衆浴場法第二条による被告の委任事務として昭和三十一年十月二十七日訴外室谷喜作に対し請求趣旨記載の公衆浴場の営業許可を与えた。しかしながら右許可に係る室谷湯と原告坂本の経営する盛好湯との最短距離は二百八米余に過ぎず、原告岸本の経営する中央湯とは二百五十米以上の間隔はあるけれども右室谷湯の許可により右三者の利用圏内の人口数はそれぞれ二千人を下ることとなる。そして京都府においては公衆浴場法第二条第三項に基き公衆浴場法施行条例及びその附属法規たる公衆浴場新設に関する内規を定めているが、右条例第一条及び右内規一の(二)(三)(四)等によれば、前記のような場合においては営業許可を与えるに際し、既設浴場との距離、土地の状況並びに人口密度等の調査をするは勿論利害関係人等による打合せ会を開いてその意見を聴取すべき旨定められている。しかるに京都府知事は何ら右手続をふむことなく前記営業許可処分をしたから右処分は無効といわねばならない。よつてその無効確認を求めるため本訴に及んだと述べ、被告の本案前の答弁に対し被告は公衆浴場営業許可処分を旧憲法時代の警察許可の概念を以て説明せんとするのであるが、右警察許可なる法概念は一般的な禁止を特定の場合に解除してある行為をなすことを得せしめることを言うのである。しかしながら憲法第二十二条は基本的人権の一つとして国民に職業選択の自由を保障しているから公衆浴場営業も亦それが自由である限りにおいて一般的に禁止されたものでないこと明かである。被告は公衆浴場の経営は自由であるがこれを業とする場合には一般的に禁止されていると主張するが右主張は何ら憲法上の根拠を有しないものであり、仮りに憲法において与えた自由を公衆浴場法によつて一般的に禁止したとするならば、その不当なことは言うまでもない。果してそうだとすれば公衆浴場の営業許可はその名は「許可」であつても所謂警察許可の概念を以て説明すべきではないと考えられる。
公衆浴場の経営につき公共の福祉のためにその自由を制限されることは止むを得ないとしても右制限は原告等公衆浴場経営業者をも包含した国民のための制限であり、逆言的に言えば国民の一人である限り原告等のための制限であるとも言い得るものであり、原告等は公共の福祉の制限の下に本来自由なものとして憲法上保障された公衆浴場の経営をその営業許可を受けることにより業としてなす能力を与えられたのである。このことはあたかも未成年者が成年に達して行為能力を得たに等しいと謂わねばならない。果してそうだとすれば公衆浴場の営業許可は命令的行政行為ではなく形成的行政行為であると解すべきである。
右営業許可なる行政行為が形成的行為であつて命令的行為でないことは左の三点からして明白である。即ち
第一に形成的行為は命令的行為と異り行政権の一方的行為によつて成立するものではないところ、公衆浴場法による営業許可は常に出願することによつてなされ国家がその出願と異る許可を与えることは殆んどない。
第二に形成的行為は公義務を命じ又はこれを免除するためのものではないところ、右営業許可においてもこれが主目的でないことは明かである。換言すれば許可することによつて公衆衛生の維持向上を図らしめる公義務を課することにあるのではなく、むしろ許可の主眼は許可を受けたものに対し法的には競業禁止による利益を与え、経済的には独占的利益を収得せしめることにあると思料され、よつてもつて国家は公衆衛生の維持向上に寄与せしめんとするものであると考えられる。即ち公衆浴場法と称する法全体としては公衆衛生の維持向上を企図してはいるがそのためにこそ公衆浴場の濫立による無用の競争を防ぎ経営の合理化を図つてその目的を達しようとしていること明かである。このように見てくると同法のみとめる許可は私法的効果を主とするものであつて公義務はむしろ従属的とみなすべきである。
第三に右営業許可は出願した特定人に対してのみなされるものであつて、この点も亦命令的行為の如く不特定多数人に対してなされる一般的下命とは異るのである。
形成的行為と命令的行為とを区別する右三点について右の如く考察すると公衆浴場法による許可は形成的行為就中設権行為であり、原告等は右営業許可を得ることにより一定の権利を取得しているのであるから本件許可処分により右権利が侵害された以上その無効確認を求める利益を有すると言わねばならない。
なお国又は公共団体が国民の憲法上の権利特に自由権を侵害し又は侵害せんとする場合司法的救済の方法がなく、専ら違法な行政処分をした国又は公共団体の自発的な是正を待つより外に道がないとすればこれらのものに国民より優位の地位を認めたものとして著しく民主主義の原則に反するものと謂わねばならない。
以上のとおり被告が本案前の答弁として主張するところは失当であると述べた。
被告指定代理人は「本件訴を却下する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、本案前の答弁として、
公衆浴場の経営は本来何人も自由にこれをなし得るところであるがその事業経営の如何によつては公衆の衛生保持に有害な結果を生ずることが少くないため、法は特に業として公衆浴場を経営することを一般的に禁止し、公衆衛生上支障がないと認められる特定の場合にその禁止を解除し公衆浴場営業の自由を回復せしめることとしたのである。即ち公衆浴場法は、業として公衆浴場を経営しようとするものは所定の手数料を納めて都道府県知事の許可を受けなければならない(同法第二条第一項)と定め、同時に申請に対し、公衆浴場の設置の場所もしくはその構造設備が公衆衛生上不適当であると認めるとき又はその設置の場所が配置の適正を欠く等公衆衛生の維持、同上の見地から有害な事由あるときにはこれを許可しないことができることとしている(同法第二条第二項)。
従つて申請が所定の要件を充足するものである限りこれを許可しなければならないのであつて許可に際しては公衆衛生上有害な事由がない場合にこれを許可しないことは許されない。蓋し右許可処分は前述のとおり公衆浴場営業につき公衆衛生のための一般的な禁止を解除するにとどまるものであり、法定外の事由で禁止を解除しないときは国民の権利を侵害する結果を生ずるからである。このように公衆浴場法は公衆浴場についてその営業を許可することによつてこれに営業上の権利を与える趣旨ではなく、許可なくして営業することを禁止することにより既存の許可を得た公衆浴場経営者を保護する趣旨でもない。もつとも同法第二条においては施設の設置場所が配置の適正を欠くと認められるときをも不許可の要件としているがこれは専ら公衆衛生上の見地から見た配置の適否を考察すべきものと解すべきであつて、近傍の同業者の営業上の経済的利益の観点から決すべきものではない。浴場の設置場所が一地域に密集又は偏在する場合には公衆の衛生上幣害を生じ、他方浴場経営が不健全となる場合が少くなく、同法が営業者に要求している衛生及び風紀に必要な措置に欠ける虞があるため公衆衛生上配置の適正をはかる必要があるのである。同法制定の目的及び同法の太質から考えて前記条項が設置場所、構造設備に関する要件と目的を異にするものではあり得ない筈である。
以上のとおり同法は専ら公衆衛生の保持向上のために制定されているものであつて、既設公衆浴場の経営者に対してその営業上の経済的利益を保護するためではないから、同法によつて或は既存の業者は他の業者がその近傍に濫立することによつて蒙る不利益を免れる結果とはなるけれども、これは既設業者が右法令により何らかの権利乃至法律上の利益を取得しているがためではなく、ただ右法令による公衆衛生確保の目的遂行上反射的に事実上の利益を受けているに過ぎないと解すべきである。
そして元来裁判所に対して行政処分の無効確認を求め得るものは当該行政処分によつてそのものの権利叉は法律上の利益を侵害された場合に限られるものであるところ、前述の次第で、京都府知事が被告の受任機関としてなした本件営業許可処分による原告等の権利乃至は法律上の利益が侵害されるいわれはないから原告等は右処分の無効確認を求める資格を有しないものである。よつて本訴は不適法として却下さるべきものと考える、と述べた。
理由
京都府知事が被告の受任機関として昭和三十一年十月二十七日訴外室谷喜作に対し京都市中京区壬生松原町二十三翠地同二十四番地の一公衆浴場「室谷湯」について営業許可を与えたことは当事者間に争がなく、原告坂本が「盛好湯」、原告岸本が「中央湯」の各名称を以て右室谷湯の近傍において公衆浴場を営んでいることは被告において明かに争わないところである。
よつて被告の本案前の答弁について検討する。
憲法第二十二条によれば何人も公共の福祉に反しない限り職業選択の自由を有するのであつて、公衆浴場の経営も亦まさに右職業選択の自由の一場合として本来何人も自由にこれをなし得るところである。しかるに公衆浴場法第二条第一項は業として公衆浴場を経営しようとする者は、政令の定める手数料を納めて都道府県知事の許可を受けなければならないものとし、同条第二項は、都道府県知事は、公衆浴場の設置の場所が配置の適正を欠くと認めるときは前項の許可を与えないことができるものと定めている。思うに公衆浴場は国民の多数の日常生活に必要欠くべからざる厚生施設であつて、その事業の運営、殊にその設置場所又は構造設備の如何によつては公衆衛生の維持向上に有害な結果をもたらすことともなる。そこで公衆浴場法はかような弊害を未然に除去するため公共の福祉の見地から本来自由なるべき公衆浴場の経営について許可制をとり特定の場合にはその許可を与えないことができるものとしたのであつて、許可なくして営業することを禁止することにより既に許可を得た公衆浴場経営者の利益を保護する趣旨に出たものでないことは同法の諸規定に徴して明かである。もつとも同法第二条第二項本文後段は施設の設置場所が配置の適正を欠くと認められる場合をも不許可の要件としているが、これも亦主として前記公衆衛生上の観点から見た配置の適正を問題としているのであつて、これにより直接近傍の同業者の経済的利益を保護するの意図に出たものと解すべきではない。即ち公衆浴場の設立を業者の自由に放任してその偏在、濫立等を防止するための必要な措置を講じないときは一方においてその偏在により名数の国民が日常公衆浴場を利用する際に不便を来して公衆の衛生上幣害を生じ、他方においてその濫立により浴場経営に無用の競争を生じてその経営が不健全となる場合が少くなく、ひいては浴場の衛生並びに風紀保持の設備の低下を来す恐れがあるからである。
かくの如く公衆浴場法には公衆衛生の保持に有害な結果を防止するため換言すれば公共の福祉を維持するため浴場経営の自由に制限を加え、特に業として公衆浴場を経営することを一般的に禁止し特定の場合即ち前記目的に背反しない場合にその禁止を解除して公衆浴場営業の自由を回復せしめることとしているのである。従つて同法に言う許可とは被告主張のとおり不作為義務を解除する行政処分であつて、右許可を与えることによりその者に対し何らかの権利を与えるものではないと謂うべきである。
原告等は公衆浴場の経営は職業選択の自由の一場合として国民は本来これをなし得る権利をもつているのであるが、右許可はそれにより具体的にこれをなし得る能力を与えるものであるから形成的行政行為就中設権行為であると主張する。しかしながら講学上所謂許可即ち不作為義務を免除する行政行為は単に天賦の自由に対する制限を解除して人間の本来有する自然の自由を回復せしめるに止まり自然の自由に対して何ものも附加する所がないのに反し、講学上特許即ち設権行為は天賦の自由に含まれない新たな権利を付与する行政行為である点に両者の顕著な差異が存するものと解すべきところ前記の如く公衆浴場の営業許可はそれによつて国民が本来有している右営業をなすことの自由を回復せしめるものにすぎないからこれが設権行為に属しないこと明かである。
次に原告等は形成的行政行為と命令的行政行為との差異は前者が後者と異り行政権の単独の意思によつては成立しない点に求められるところ、前記常業許可は常に出願に基いて与えられ国家がその出願と異る許可を与えることは殆んどない旨主張する。なる程公衆浴場法第二条第一項によれば右営業許可は出願に基いて与えられるものであること明かであり、そして所謂許可は所謂特許と異り必ずしも出願をその前提要件としないこと所論のとおりである。しかしながら所謂許可にあつても不特定多数人に対してなされるときを除いては各個の場合にその行為に関する人的及び物的事情を勘案して行政目的を害する恐れありや否やを審査する必要上、出願に基きこれを与えるものと定めることは何らその性質に反しないのみならず、通常所謂許可と解せられている他の行政行為にあつても出願に基きこれを与える旨の規定を設けている場合が少なからず存在すること明かであるから、公衆浴場法が出願に基き許可を与えるものとしているからと言つてこれを形成的行政行為と解することはできない。
次に原告等は形成的行政行為は公義務を命じ又はこれを免除するためのものでない点に命令的行政行為との差異が存するところ、右営業許可においても公義務の賦課又は免除が主目的とされていない旨主張する。なる程右営業許可はそれによつて許可を受けた者に対し公衆衛生の維持向上をはからしめる義務を課することを主眼とするものでないこと明かであるけれども、前記の如く右許可は一般的な禁止即ち公法上の不作為義務を免除するためのものであつてまさしく原告等主張の公義務を免除する場合に該当するものと解せられる原告等は右許可はそれにより法的には競業禁止による利益を与え、経済的には独占的利益を収得せしめてよつて以て公衆衛生の維持向上に寄与せしめんとする点に主眼があり、しかもこの場合前者の私法的効果が主であり後者の公義務は従であると言うけれども前記の如く競業禁止による利益の保持は公衆衛生の維持向上という目的達成のための過程として必然的に認められる結果となるに過ぎず、しかも右目的は前記一般的な禁止によつて達成されるのであつてその解除の性質を有する許可処分によつて右目的達成のための義務を課しよつて公衆衛生の維持向上を計らんとするものではない。
又原告等は右営業許可は出願した特定人に対してのみ行われるのであつて、命令的行政行為の如く不特定多数人に対してなされる一般的下命とは異るものと主張するが命令的行為たる所謂許可にあつても特定人に対してのみなす場合があり、むしろこれを通常とするものと解せられるから原告等の右主張も叉採用し難い。
更に原告等は国叉は公共団体が憲法によつて保障された自由権を侵害し叉は侵害せんとする場合に司法的救済の道がないとすれば著しく民主主義の原則に反すると主張するけれども原告等は本件営業許可処分によつて何らその職業選択の自由換言すれば公衆浴場を経営することの自由を侵害され、叉は侵害されんとしているものでないこと明白である。
以上述べて来たところを要約すれば、公衆浴場制定の目的は専ら公衆衛生の維持向上をはかるにあつて既存公衆浴場についての営業権の保護を目的とするものではなく、従つて既設公衆浴場の経営者は同法の規制のため競争業者の濫立によつて蒙る不利益を免れる結果とはなるけれども、これは既存業者が同法による営業許可を受けたことにより何らかの権利を創設されているためではなく、ただ同法の前記目的遂行上反射的に事実上の利益を受けているに過ぎないと解するのが相当である。
ところで訴により行政処分の無効確認を求め得る者は当該行政処分により権利又は法律上の利益を侵害された者に限られるものと解すべきところ、原告等は右の如く本件営業許可処分により何らの権利叉は法律上の利益を侵害されていないから、右処分の無効確認を求める利益を有しないものと謂わねばならない。
よつて原告等の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡垣久晃 高根博正 大西勝也)