京都地方裁判所 昭和33年(わ)525号 判決 1959年7月01日
被告人 塚本敬介
昭六・二・二三生 無職
主文
被告人を無期懲役に処する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は昭和十九年小学校を卒業し約一年間家事の手伝をした後、日新電機の工員に雇われ終戦後は工具店や製パン店の店員等になつたがいずれも永続きせず、昭和二十七、八年頃独立で電気器具の外交販売を始めてみたが一ヶ月ばかりで失敗し、それより東京に出て紙問屋や化学接着剤製造会社或は横浜の商業新聞社など転々とわたり歩いたあげく京都の自宅に戻つて袋物商の店員などしたが永続きせず父英三が易を研究していた関係で易学の書物を読み運命鑑定を始めたものの小遣銭にもならないくらいで専ら父母の厄介になつていたが、金銭に窮しては兄陸奥彦に嘘をついて数千円を出させ、これを遊興費に使つたりして次第に勤労を厭い、真面目に働く兄弟を却つて軽蔑するような言を吐くようになつていつた。そして昭和三十二年三月頃当時二、三月勤めていた勤務先から七千円位の給料を受取り家人には無断で和歌ノ浦に遊んで使い果したためこのまま帰宅すれば両親から叱責されるものとおそれ、自殺の真似をして家人を騒がせ、親の叱責をそらそうと考え、帰宅途上睡眠薬を買入れて帰宅するなり服用し家人をして本当に自殺をはかつたものと驚かせ病院に入院させるなどして家人の追及を免れたこともあつた。その頃から被告人は勤労の意欲を全く失い、無為徒食のうちに歳月をおくつたのであるが、昭和三十三年二月頃京都市五番町の遊廓に足を踏み入れ「ミス大阪」という妓楼で小川八重子を知つてからは同女に夢中になり折から母照子が病気入院中であつたにも拘らず兄陸奥彦を欺して同人名義の宅地を担保にしてつくらせた三万円を手に入れて八重子の許に通い、同年三月中頃右遊廓が廃止になつて後は一層八重子に傾倒し結婚までも申し込み遂に同年六月一日から同女の間借先で同棲を始めるに至り、八重子をして右遊廓廃止後勤めていた飲食店をやめさせたのであつた。然し被告人は定職なきため収入の途なく八重子との同棲資金すらこと欠く有様であつたので習い覚えた易の道で何とか暮しをたてていこうと考え、それには易に使う机等の購入や事務所の設置資金或は当座の生活資金など最少限五万円は必要であると計算し、これが金策に苦慮したのであるが、父母兄弟からはこれまで幾度も相当額の金員を引出し厄介者扱いにされていたので最早借り得るわけもなく、同年六月二日自宅に戻つて母のタンスから無断で持出した七、八千円も困窮した生活資金にあててしまい、他に金策のあてとてなく一人気をもんであせり出したが遂にはその日の生活に追われるようになり、同月十四日、最後にもう一度父に頼み、もし拒絶されたときは自殺を真似て家人を驚かせそれによつて五万円の金を出させようと考え、八重子方を出て睡眠薬を買い父方に行つたが、金銭の無心を言い出せず、同月十六日再び八重子方より父方に赴き父英三に対し「五万円の借金を返さねば上海にいかねばならない、五万円貸して欲しい」と嘘を言つて頼んだが相手にされなかつたので、かねての計画どおり同夜睡眠薬を呑んで自殺をみせかけたが、家人に見抜かれて思惑ははずれてしまつたのであつた。かくして翌十七日は終日自宅で床に入つたまま金策につきいろいろ考えたが、その翌日の同月十八日朝ふと前年義理の伯母塚本かねから金千円を借りたことのあるのを思い出し、同人方は親戚の中でも一番裕福であつて頼めば或は五万円ぐらいの金は貸してくれるかも知れないとも思つてみたが、まずは借り得る公算は少く、断わられたときはむしろかねを殺害しても金員を強取しようと考え、兄陸奥彦から千円をもらつて自宅を出で京都市上京区千本通五辻上る附近の金物店で殺害用の出刃庖丁(昭和三十三年領置第二六六号の一)を買入れて義理の伯母方に向い、途中庖丁の包装紙をとりはずして裸にした上、上衣の内ポケツトにしのばせ、同日午前十一時三十分頃同市北区西賀茂山ノ前町四十二番地の右塚本かね(当時五十一年)方を訪れた。そして同家座敷南縁側の椅子に腰を掛け、かねと雑談中金員の借用を申し入れようとしたところ、かねが息子は弁当代も始末して研究している旨述べたので、自分が金銭の無心に来たことをかねが察知し機先を制してこれを断つたものと考え、ここに至つてはもはや同女を殺害して金員を強奪するの外なしと決意し、同女に対し「もう一杯お茶を下さい」と申し向け、同女が同家炊事場に赴くやその後を追つて右炊事場に至り、同所において同女の背後から左手を同女の左頸筋にかけ、用意の出刃庖丁(前同号)を取り出し右手に持つて同女の左背部を強く突き刺し、更に続いて力をこめて突き入れ、因つて同女をして間もなく同所附近において心蔵刺創による失血のため死亡せしめて殺害したが同家に同居中の開出くりのに発見されたため金員を強取することができなかつたものである。
(証拠の標目)(略)
(被告人及び弁護人の主張に対する判断)
被告人は本件犯行当時頭がぽうとして何もわからずに刺したと述べ、弁護人も被告人が正常な精神のもとに行つた犯行ではない旨主張するが、前掲各証拠によつて認められる如く被告人は本件犯行迄の経緯や動機、方法など検察官に詳細に供述し、また、山田貞子、木全武雄及び近藤隆紀の検察官に対する各供述調書をも綜合すると被告人は犯行後その発覚を防ぐため被害者方門前に倒れたかねを屋内に引き入れ血痕の上に籠をかぶせ開出くりのから急を聞いてかけつけた人々に対しては門を閉し「いや何でもないんです、もう病院に運びましたから」と告げて門内に立ち入らせず続いて到着した警察官に対しては自ら傷けた自分の胸部の傷について「わしとよく似た髪のぼさぼさした男にやられた」と虚言を弄して逃がれようとした事実が認められ、この事実に鑑定人岡本重一の鑑定書の「被告人は犯行時を通じてその大綱を記憶しており所謂健忘症等は認められない、のみならず被害者との応待或は犯行後の現場にかけつけた人々や警察官に対する突嗟の虚言をみても精神の統一的機能に支障が認められない、従つて犯行時を通じて同人に意識障碍があつたとは考えられない」という鑑定結果の記載をあわせれば被告人は本件犯行当時平常の人格支配下にあつたものと認められ、到底心神喪失乃至心神耗弱の状態にあつたとは認められない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第二百四十条後段に該当するところ、犯情について按ずるに被告人は勤労を厭い遊堕な生活をして金銭に窮し、恩義こそあれ何らの怨恨なき義理の伯母を金銭強取のため計画的に殺害したものであつて極めて残虐な犯行ではあるが、金品強取の目的は遂げておらず年令も比較的若く前科等もないこと、その他諸般の情状を酌量し、所定刑中無期懲役刑を選択して被告人を無期懲役に処し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に則りその全部を被告人に負担させない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 石原武夫 新月寛 安国種彦)