京都地方裁判所 昭和33年(ワ)671号 判決 1959年6月16日
原告 木村広造 外三名
被告 三嶌ツ子
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は「被告は原告木村みのに対し金五二、七〇〇円、原告木村広造、同木村キミ、同山口美和子に対し各金三五、一三三円及びこれらに対する昭和三十一年七月一日より完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、
一、原告等は酒類販売商であつた訴外木村喜三郎の相続人で、原告みのはその妻、同キミ、同美和子はその子、同広造はキミの婿養子であるが、右喜三郎は昭和三十一年九月七日死亡して原告らにおいてその相続をしたものである。
二、然るところ訴外木村喜三郎は、旅館業を営んでいた訴外三嶌ヨネに対して酒類その他飲料水を売渡し、同人に対し昭和三十一年六月十九日現在において金一五八、一〇〇円の売掛代金残債権を有していたが、同日右ヨネは右喜三郎に対し自己の右債務金が右同額存することを承認し、これを同月末日限り弁済する旨約した。
三、然るに右訴外三嶌ヨネは右債務金を支払わないまま昭和三十一年七月五日死亡した。そして被告は右ヨネの妹であり、且つ同人の養子となつていたものであるが、養子たる被告及びその他の直系卑属たるヨネの相続人はいずれも相続の放棄をし、ヨネには直系尊属たる相続人がなかつたので被告はヨネの妹としてその単独相続をした。
四、よつて原告らは各自の相続分(原告みのは三分の一、その他の原告は各九分の二)に応じ被告に対して右売掛残代金一五八、一〇〇円及びこれに対し、昭和三十一年七月一日より右完済に至るまで商事法定利率による年六分の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及んだものである、
と述べ、被告主張の抗弁に対し、
(一) 被告が訴外三嶌ヨネの妹たる資格においても相続を放棄した点は否認する。
(二) かりに被告の意思が、全面放棄にあつたとしても相続の放棄は要式行為であるから、妹として相続の放棄するためには、妹としての明示の放棄申述が必要である。然るに本件において被告のなしたヨネの相続の放棄申述書には養子たる資格を明示するのみで、その妹としての相続の放棄の申述がなされていないから、妹としての放棄は無効といわねばならない。
(三) なおかりに被告が妹としての相続の放棄をもしたものとしても元来相続の放棄は自己のために相続の開始ありたることを知つた後、単純無条件でなされるべきものであるから、被告が養子たる身分に基いて相続の放棄をする際同時に妹としての相続の放棄をもなしたと主張することは出来ないものといわねばならない。けだし、たとえ養子としての放棄と妹としての放棄を同時にしたとするも、被告の妹としての相続人たる地位は養子としての相続の放棄が受理されない限り、未だ確定的に生じないのであるから、養子としての放棄と同時に妹としての放棄をなすことは妹としての相続の放棄の面よりみれば相続開始前の放棄であるか又は全部の先順位の相続人の放棄が受理されることを条件とする条件附の放棄として無効である。と述べ、
立証として甲第一号証、第二号証の一、二、第三号証の一、二を提出し乙号各証の成立を認めた。
被告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求め、原告等主張の事実中請求原因第一、二項は不知、同第三項中被告がヨネの妹としてヨネの単独相続をしたという点は否認するが、その余の事実はすべて認める、と述べ、
抗弁として、被告は訴外三嶌ヨネの養子で且つ妹であるが、同訴外人死亡後、法定の期間内に大津家庭裁判所に対して右相続を放棄する旨の申述をなし昭和三十一年九月二十日これを受理された。而して右放棄は養子たる資格のみならず妹たる資格においてもなしたものであるから、被告は妹としても相続の放棄をしたものである。よつて被告がヨネの妹としてその相続をしたことを前提とする本訴は理由がない、と述べ、
立証として乙第一号証の一、二、第二号証を提出し、甲第一号証、第二号証の二、第三号証の一、二の成立を認め、第二号証の一の成立は不知、但し三嶌ヨネ名下の印影が印鑑証明(甲第二号証の二)の三嶌ヨネ名下の印影と同一であることは認める、と述べた。
理由
訴外三嶌ヨネが昭和三十一年七月五日死亡したこと、同訴外人には被告外数名の第一順位の相続人があつたが、いずれもその相続の放棄をしたこと、右死亡当時同訴外人には直系尊属もなかつたこと、被告が同訴外人の妹であり且つ養子であることは、いずれも当事者間に争がない。
原告らは被告が右ヨネの妹として同人の相続をしたと主張し、被告はヨネの妹としても全面的に相続の放棄をしたと主張抗争するので先ずこの点について判断する。
一、先づ本件のように順位を異にする二つの相続人たる地位を兼有する者が先順位たる資格において相続の放棄をした場合その効力は全面的に生じ更に後順位の資格に因り相続をする余地がないのか(積極説、同旨大分地裁判決大審院民集一九巻一六三三頁参照)、それとも相続順位は夫々各別に観察すべく、同一人が先順位の相続人たる資格において相続の放棄をした場合でも当然には後順位の資格による相続放棄の効力を生じないと解すべきか(消極説、同旨昭和一五年九月一八日大判、民集一九巻一六二四頁参照)については説分れる。もしこの点について前説が是認されるとすれば、被告が被相続人ヨネの妹であり且つ養子であり、被告が養子として相続の放棄をしたことについて当事者間に争がない本件においては被告が原告主張のようにヨネの相続をする余地は全然ないのであるから爾余の点について判断するまでもなく原告らの請求は理由ないことになる。このようにこの前提問題の解決は本件について重大な岐路となるのでこの際この点を再検討する。前説は当該放棄者について「先順位たる資格において相続の開始があつた以上その者の相続人たる地位は一あつて二なきものであり且つ相続の放棄とはその者の相続人たる地位を遡及的に消滅せしめる意思表示であるから同一人が他の同一順位の相続人全員と共に先順位たる資格において取得した相続の放棄をした以上後順位の資格においても(全面的、全人格的に)、相続の放棄の効力を生じる」というのであるが、中間順位の相続人がいる場合や、そうでなくとも順位を異にするに因り共同相続人の員数を異にする場合の存することを考えてみるとたとえ同一人が二つの資格を兼有する場合でも相続の放棄はやはり相続順位(資格)に応じ各別に観察するを相当とするとの見解が正しいといわねばならず、またこれを区別する実益がある。けだし同一の被相続人と同一の相続人間の相続についても放棄の対象たる相続の内容は順位を異にするにより別異のものとみられるからである。
二、よつて更に進んで被告が妹としての相続をも放棄したかどうかについて考えてみる。各成立に争のない甲第一号証、乙第一号証の一、二、同第二号証に弁論の全趣旨を綜合すると、ヨネの第一順位の相続人としてはヨネの妹でありその養子である被告の外に五名の者がいたが、それらの者はいずれもヨネの弟であり、且つヨネの養子である亡三嶌常孝の子であつてその代襲相続人であること、従つてこれら五名の者は被告と同様ヨネの弟の代襲相続人として第三順位の相続人たる地位を兼ね有していたこと、ヨネ死亡当時同人には配偶者も直系尊属もなくその相続人たるべき者は被告と右五名の者に限られていたこと、被告はヨネ死亡後養子並に妹として全面的にヨネの相続を放棄する意思をもつて、右外五名の者と共に法定の期間内に所管大津家庭裁判所に相続放棄の申述受理申立をなし、同裁判所は被告らを、審尋の上右全面放棄の趣旨を以て昭和三一年九月二〇日これが受理の審判をなしたこと、かくてヨネの相続人がないものとしてその相続財産について管理人(北川正夫)が選任されたことを各認めることができ、右認定を左右する証拠はない。してみれば被告は右放棄に際し、単に養子としてだけでなく妹としても相続の放棄をしたものと認めざるを得ない。
三、原告らは被告がたとえ妹としての相続放棄をもしたとしても、その放棄申述書には単にヨネの養子たる身分を明示するだけで妹たる身分を明示していないから、それは相続放棄の要式性に反し無効であるという。けれども、相続放棄が要式行為であるということはそれが家庭裁判所に対する申述書によつてなさねばならぬことを指称するのであつて、また家事審判規則一一四条二項は「申述者の氏名及び住所」と「被相続人の氏名及び最後の住所」を申述書の記載事項としているが、申述者と被相続人との続柄は別段これを右記載事項としていない。これらの点から考えてたとえ右申述書に妹たる身分の記載をしていなかつたとしてもそれだけで無効というわけにはゆかない。原告らの右主張は理由がない。
四、次に原告らは右の如く被告が同時に全面的放棄をなしうるとすれば被告の妹としての相続放棄は相続の開始前の放棄又は条件附相続の放棄ということになつて無効であるという。けれども右放棄がヨネの死亡後になされたものである以上相続の開始前の放棄とはいえないし、また本件妹としての放棄は前認定の如く先順位(第一順位)の共同相続人全員と共になされたものであり、他にヨネの配偶者又は中間順位の相続人(直系尊属)も存しないのであるから、被告の右第一順位の相続人としての相続放棄と同時に被告の第三順位の相続人たる地位は確定的に生じているものというべく(しかも本件においては第一順位の相続人全員は同時に第三順位の相続人となる資格を兼有し、これらの者がいずれの地位において相続するも、共同相続人の員数、また従つて被告の相続分には何ら変りがない)、何ら不確定な事実にその効力の発生消滅をかからしめるものではない。すなわち、被告の妹としての放棄は先順位者が全員相続の放棄をしたならばという条件にかからしめたものではないから、原告らの右主張も採用できない。
原告らはもし同時に両資格による相続の放棄をなしたものとしても、後順位の資格による放棄の申立については先順位の相続の放棄について受理の審判があることが条件になつているから無効である旨をも主張するけれども、相続の放棄の申述は家庭裁判所に対し形式的裁判を求めるものでなく、また確認的裁判を求めるものでなく、私法上の権利(相続放棄という形成権)を相手方なき意思表示により、しかも裁判所に対する申述なる方式により行使するにすぎないもので、裁判所はただ「受理」の審判をするにすぎない。その受理は公証的性質をもつに止り裁判的色彩はきわめてうすい。「受理」によつて放棄の有効なことが確認されるものでもない。従つて放棄の申述が実体上当然無効な場合(例えば偽造申述書により替玉がなした相続の放棄)はたとえ「受理」されたとしても別訴でその効力を争うことができるものといわねばならぬ。裁判所は右申述が形式的要件を具備しているかどうか放棄書が本人の真意に出たものかどうかを取調べ、間違いないと思えばこれを受理せざるを得ないのである(却下の審判に対しては即時抗告ができるが、受理の審判に対しては即時抗告も出来ない(家事審判法七条・一四条、昭和二九年五月七日東高民四決定、家裁月報六巻七号七八頁参照)。そして相続の放棄についてはその「受理」が要件とされることはいうまでもないが受理の性質は右のようなものであるから、その「受理」について他に無効原因を主張するはともかく、前認定の事実関係の下における被告の全面的相続放棄中妹としての相続放棄を養子としての相続放棄の受理を条件とするものとしてその無効を主張することは出来ない(本件においてはその「受理」も先順位の者の全員の「受理」と同時に無条件になされているとみられる)。原告らのこの点に関する主張も採用できない。
以上いずれの角度より検討するも被告はヨネの妹としても相続を放棄したものであるから、被告がヨネの妹として同人の相続をしたことを前提とする本訴請求は爾余の争点の判断をまつまでもなく失当として棄却を免れない。よつて民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 増田幸次郎)