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京都地方裁判所 昭和34年(む)3号 判決 1959年12月07日

申立人 能勢克男 外五名

決  定

(申立人氏名略)

被告人松本彦也、同波多野康一、同玉村文郎に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件につき申立人は当裁判所に所属する裁判官石原武夫、同新月寛、同池田良兼を忌避する旨適法な申立をしたので、当裁判所はこれにつき審理し、次の通り決定する。

主文

本件忌避申立は、これを却下する。

理由

(本件忌避申立の理由)

本件忌避申立の理由は、別紙添付の忌避理由申立書記載のとおりである。

(当裁判所の判断)

一、よつて審按するに、本件本案記録を調査すると、起訴状に、公訴事実として、「被告人松本彦也、被告人波多野康一、被告人玉村文郎は、いずれも昭和三四年六月一五日京都府教育委員会より懲戒免職の処分を受けるまで京都府立山城高等学校定時制教諭であつたのであるが、(以下略)」という記載の存することは明瞭であるから、以下この点に基く本件忌避申立に指摘される諸点につき判断する。

(一)  まず、刑事訴訟法第二五六第二項、第三項によれば、起訴状に記載すべき公訴事実は、訴因を明示して記載しなければならないものとせられ、ここに訴因とは特定の犯罪の構成要件に該当する具体的事実であると説明せられているのであるけれども、それは、同条第六項の裁判官に予断をいだかしめない限度で、事件を明確にするため、かような具体的事実と密接な関連性を有する事項の記載を絶対的に禁ずるものではないとすべきところ、本件は、その起訴状の記載内容から明らかなように、被告人らが山城高等学校定時制教諭であるがために京都府立高等学校教職員組合に所属し、それの山城定時制分会の分会員として同分会の拡大闘争委員会及び同分会々議において同校に転勤となつた中村清兄教諭の受入拒否に関する協議決定事項を通告して脅迫したとする事件であつて、かかる事件に関する公訴事実については、厳格に犯罪の構成要件に該当する具体的事実のみでなく、これと密接な関連性のある被告人らの経歴、身分等をも、ある程度記載することは許されるものであると解するのが相当である。

そこで、本件起訴状のうち前掲部分の文言についてであるが、被告人らが山城高校教諭である身分を有していたことが本件犯罪事実と密接な関連性を有するものと認められることは前述のとおりであつて、本件においては、この事実をその終期を示して具体的に記載したものと認められるが、このような身分の終期を示すには通常日時だけをもつて示せば足りると考えられるから、これを特に「懲戒免職の処分をうけるまで」と記載したことが被告人らの身分を具体的に明らかにするため必要な限度をこえないものであるとは俄かに首肯し難いゆえ、そこまで記載したことの当否については疑問がある。

(二)  しかし、それが、刑事訴訟法第二五六条第二項、第三項の規定によつて要求され又は許容される範囲をこえたものであつても、同条第六項に規定する「裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある」場合を除き(予断事項を起訴状に記載したときは、これによつて生じた違法性は、その性質上、も早や治癒することができないものと解されることは、昭和二七年三月五日の最高裁判所大法廷判決が示すとおりである。)、裁判所は、訴訟追行に関する訴訟指揮権に基いて、これを削除させるか否かを決した上、訴訟を進行させるべきであると解するのが相当である。

そこで、問題の記載事項が刑事訴訟法第二五六条第六項に規定する「裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある」場合に該当するか否かについて検討するに、本件起訴状によると、右の部分は、単に「いずれも昭和三四年六月一五日京都府教育委員会より懲戒免職の処分を受け」と記載されているにとどまり、被告人らが如何なる事実に基いて懲戒免職の処分をうけたかについてはふれるところがないし、その記載の個所ないし文脈からするも裁判官に対して、本件公訴事実につき、先入的心証をいだかせる虞があるものとは考えられないから、この記載が右条項に違反する程度のものでないことは明らかである。

そうすると、裁判所が、検察官に対し、本件起訴状中、前掲の「懲戒処分を受けた」旨の記載部分の削除を命ずべきか否かについては、申立人らも指摘するように、本件では、検察官は裁判所の指示があれば削除する旨述べているところから、或はこれが無用の記載として削除を命ずることがより妥当な処置であつたとも考えられないのではないが、畢竟、これは一つに刑事訴訟法第二五六条の解釈と、その事件への適用の問題であつて、性質上、申立人らと検察官及び裁判官の間で必ずしも意見が一致するとは限らないばかりか前述のように、訴訟の促進を図り裁判の公平適正を期するためになされる裁判所の訴訟指揮権の範囲に属するものであるから、これが削除を命じなければならない程の事項に該らないとした裁判所の措置が、たまたま申立人らの意に副わないところであつたからといつて、このことのみもつて、右裁判所を構成する本件忌避にかかる三裁判官が不公平な裁判をする虞があるということはできないこと当然である。

二、次に、本件記録を精査しても、原裁判所が、前叙判断を示すに際し、申立人らのいうとおり、審理に慎重を欠いたとは、認められない。すなわち、起訴状に記載されている事項の一部を削除すべきか否かの問題が生じた場合においては、早急にこの点を解決して、更に、訴訟の促進をはかるべきことは、裁判所の訴訟指揮上重要なことがらであるところ、本件につき、裁判所が検察官と申立人らとの間において意見の対立をみた起訴状中の前掲記載部分の削除の要否の点につき、判断を下した時期は相当であつて、これをもつて裁判所が審理に慎重さを欠いたとは認められない。

又、裁判官がある事項につき法的判断を示す場合において、従来の裁判例等を検討すべき必要のあることは、その性質上当然であるが、それだからといつて、裁判官に対し、当該裁判例の年月日、登載文献等を一々記憶するよう要求することは不可能を強いるものであること明白であつて、指摘のように、裁判長である石原裁判官が申立人らに対して、その指摘の裁判例の年月日及び登載判例集を問いただしたからといつて、前叙訴訟指揮をなすに当つて、裁判所がその裁判例の趣旨を顧慮しなかつたとはなし得ないし、これをもつて、前掲三裁判官に不公平な裁判をする虞れがあるとなし得ないことは当然である。

三、以上の理由によつて、申立人らの主張は、いずれも理由がなく、その他、前掲各裁判官に不公平な裁判をする虞があると認めるに足る資料はないから刑事訴訟法第二三条第一項により結局申立人らの本件忌避申立は失当として、却下すべきである。

よつて主文の通り決定する。

(裁判官 石山豊太郎 松本正一 三代英昭)

(忌避申立理由)

一、前記各裁判官は刑事裁判においては、裁判所が白紙の態度で審理に臨むという所謂起訴状一本主義の要請が憲法に規定された「公正な裁判」を確保する上に極めて重要なものであることを理解せず、不公平な裁判をする虞がある。即ち右被告事件の起訴状に記載された公訴事実には構成要件に該当する具体的事実に附加して所謂余事記載が甚しく多く、その中には裁判所に対して予断をいだかせる事実も多々含まれておるので、弁護人においてその部分を指摘し、削除を申立てたところが右申立てが未だ充分に尽されていないのに石原裁判長は「公訴事実」の冒頭部分にある「(被告人らは――弁護人註)いずれも昭和三十四年六月十五日京都府教育委員会より懲戒免職の処分を受け……」と記載されている点につきその当否を合議のうえ判断したがと述べ弁護人は止むなく之を了承した。ところが前記各裁判官らは約二〇分にわたる合議を経た末右の「公訴事実」記載部分については刑訴二五六条の余事記載に該当せず予断を生じる虞もないと判示したのである。而してその理由は大略次の二点であつた。即ち

(イ) 只に懲戒免職の処分とあつて本件公訴事実について懲戒免職になつたと記載されていないこと。

(ロ) 公訴事実として歴史的事実を記載したにとどまる。

というにあつた。

然しながら(イ)の点は能勢弁護人が指摘したとおり本件につき合理的な判断ではない。本件起訴状によれば被告人らが昭和三四年四月八日に中村教諭に分会決議を告知したことをもつて公訴事実としておりまた本件公訴は六月二七日に提起されているのであるから起訴状記載自体より右懲戒免職が本件の起訴事実に起因するものである事は何人にも明瞭であるところである、従つて右懲戒免職の記載が本件公訴事実を理由とするとの明示の記載がない事を理由に予断を生じないとするのは字句の末節にこだわつて大網を見ないものであると謂わなければならない。(ロ)については公訴事実は訴因を明示してなすを要し(刑訴二五六条二、三項)訴因とは特定の犯罪の構成要件に該当する具体的事実をいうのであるから起訴状記載事実が抽象的な構成要件でなく歴史的な事実であることは当然である。しかしながら右歴史的事実はあくまで訴因に拘束され「構成要件に該当する」具体的事実でなければならない。単に歴史的事実であればよいとするならば刑事訴訟法の訴因制度余事記載禁止起訴状一本主義は全く空文と化するのである。

本件についてこれを見るに公訴事実を歴史的に特定するには被告人等が本件犯行当時山城高等学校教諭であり同分会員であつたことを記載するを以つて足り、犯行日時より二ヵ月も経過した六月十五日に懲戒免職を受けたことまで表示する必要は毫も存在しないのである。

(一) 「懲戒免職」の記載は裁判官に予断を生じさせる虞がある。

(1) 右懲戒免職が歴史的に本件公訴事実を理由としてなされたものであることは合理的に判断して起訴状自体から明白であることは先に述べたとおりであるが仮に右懲戒免職が本件公訴事実に関係ないとしても(関係ないとすれば少くとも余事記載であることは明瞭である)一般に公務員が懲戒免職を受けるのは何らかの違法行為のあつた時であり、その記載自体被告人の性格経歴についての悪性表示として裁判官に予断を生じさせる虞あると言わなければならない、公務員の懲戒免職事実は右の如き意味では被告人の前科記載と同一視さるべきものである。

(2) 而して判例によれば

イ 暴行恐喝の起訴状に犯罪事実でない前科を記載した時は起訴状は無効である(昭和二五年三月七日仙台高刑三判高裁刑特報一三号一七八頁、同趣旨昭和二五年五月三〇日仙台高刑三判高裁刑特報一一号一五二頁)

ロ 詐欺罪の起訴状に詐欺の前科を記載したときその起訴状は無効である(最高昭和二五年(あ)一〇八九号同二七年三月五日大法廷判決刑集六巻三号三五一頁)

とされており右最高裁判所の判示を引用すれば

「刑訴二五六条が起訴状に記載すべき要件を定めるとともにその六項に「起訴状には裁判官につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない」と定めているのは裁判官があらかじめ事件についてなんらの先入的心証を抱くことなく白紙の状態において第一回の公判期日に臨みその後の審理の進行に従い証拠によつて事案の真相を明らかにしもつて公正な判決に到達するという手続の段階を示したものであつて直接審理主義及び公判中心主義の精神を実現するとともに裁判官の公正を訴訟手続上より確保し、よつて公平な裁判官の性格を客観的にも保障しようとする重要な目的をもつているのである。すなわち公訴犯罪事実について裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項は起訴状に記載することは許されないのであつてかかる事項を起訴状に記載したときはこれによつてすでに生じた違法性はその性質上もはや治癒することができないものと解するを相当とする、本件起訴状によれば詐欺罪の公訴事実についてその冒頭に「被告人は詐欺罪により既に二度処罰を受けたものであるが」と記載しているのであるが、このように詐欺の公訴について詐欺の前科を記載することは両者の関係からいつて公訴犯罪事実につき裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項にあたると解しなければならない」。

と判断しているのである。本件に於ては被告人等の前科でないにしても公務員として懲戒免職をうけたことを記載してしかも本件公訴事実と同一の歴史的事実を理由とすることを充分に推認させる方法でしたことは本件公訴事実に照らし正に右判例にいう「両者の関係からいつて公訴犯罪事実につき裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項」を記載したと言わなければならぬ。

尤も右判例は続いて

「被告人の前科であつても之れが公訴犯罪事実の構成要件となつている場合(例えば常習犯窃盗)又は公訴犯罪事実の内容となつている場合(例えば前科の事実を手段方法としての恐喝)等は公訴犯罪事実を示すのに必要であつてこれを一般の前科と同様に解することはできないからこれを記載することはもとより適法である」

と判示しているけれども本件の「懲戒免職」の記載が右除外例のいずれにも該当しないことは明白である。

(3) 然らば本件各裁判官は弁護人の申立があれば当然右「懲戒免職云々」の部分の削除を検察官に命じ又は排除決定をすべき訴訟法上の義務があるにも不拘漫然本申立書冒頭(イ)(ロ)記載の如き理由でこれを為さなかつたのは明らかに刑訴法第二五六条の起訴状一本主義に反し延いては憲法第三七条の「公平な裁判所」の立場を自ら放棄したものと言わざるを得ないのである。

特に本件については検察官ですら弁護人の申立に対しその非を認め「裁判所の指示があれば削除に同意する」と事前に協調的態度を示しているにも不拘敢て右違法の態度に出でたことは公平なるべき裁判所として正に言語道断であると言わなければならない。

(二) 右「懲戒免職云々」の記載は少くとも余事記載である。

前記各裁判官は右記載につき歴史的事実として妥当であると判示し検察官も又何時まで山城高校教諭であつたかを歴史的に特定するためで他意はないと強弁したけれども犯罪日時より二ヵ月以上も後の懲戒免職を起訴状に記載する必要は全くないことは先にのべたとおりである。

右記載は通常の日本語に言い変えると「被告人らは……同日(四月八日)午後六時頃……申し向けもつて団体の威力を示し中村教諭の自由及び名誉に害を加うべきことをもつて脅迫したものである。よつて被告人らはいずれも昭和三四年六月十五日京都府教育委員会により懲戒免職の処分を受けたものである」と記載した趣旨は同一であり右傍点部分が余事記載であることは右の如く文脈を整理すれば一読明瞭である。

かかる明白な余事記載しかも著るしく裁判官に予断を抱かせるものに対し敢て刑訴法第二五六条に違反しないとする本件各裁判官の措置は前述のとおり全く最高裁判所の判例に違反し公平な裁判所たるの義務を自ら放棄したものと弁護人等は思料するのであつて止むなく刑事訴訟法の精神を守り裁判の公正を期するため本件忌避申立に及んだ次第である。

二、さらに前記裁判官等が前記のような判断をくだすに至つた経過等をかえりみるとき重要な問題について審理をつくす態度にきわめて著るしく慎重を欠き遺憾な点を発見するのである。かかる状態では到底公平な裁判がおこなわれることは期待できないのであつてこの点においても忌避の理があるといわなければならない。

(一) すなわち起訴状に余事記載があり或いは予断をいだかせる事項の記載があつて無効とすべき場合にも個々の字句について判断するのみでは不十分でありとくに本件については前述のとおり他にも余事ないしは予断事項と目される記載が多々存するので全体として判断する必要があることは勿論であるが前記裁判官らは性急に前記記載部分のみについて合議する旨を主張し弁護人が「すべての主張を尽したのちにまとめて判断してほしい」旨を要請したにもかかわらずこれを容れなかつた。

(二) 加えて弁護人らが前記記載部分が裁判官に予断をいだかせるものであるとの主張の一つの論拠として仙台高裁、最高裁等に類似判例のあることを述べているにもかかわらず合議にあたつてこれらの判例を検討せず軽卒にも前述のような判断をくだしたのち弁護人らが更に右判例の内容を引用してその判断の不当性を指摘するとあらためて右判例がいつのものであり、いかなる判例集に登載されているかを弁護人に問いただして教えを乞うような有様である。

(三) 要するに起訴状に予断をいだかせる事項の記載がある場合には起訴状自体が無効であつて裁判所は判決をもつて、訴を棄却しなければならないほど重大な問題であるにもかかわらず之に対して弁護人の意見を充分聞かず軽卒にも違法な判断をくだし、その後で再び弁護人にその主張判例を釈明するがごとき態度は著るしく裁判所の権威を失墜させるものであるとともに審理を進めるにあたつてその慎重さを欠きその態度は裁判する能力を疑わしめるものであつていづれも全く公平な裁判を期することが出来ないものである。

依つて敢えて忌避申立に及ぶ次第である。

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