京都地方裁判所 昭和34年(行)6号 判決 1962年12月26日
原告 中岡寅治
被告 山城田辺税務署長
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の申立
原告訴訟代理人は、被告が原告に対し昭和三二年六月一五日なした原告の昭和三一年度分の所得金額を一七四、九〇〇円、所得税額を四、七〇〇円とする所得税更正処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。
第二当事者双方の主張
一、原告訴訟代理人は、請求の原因として、
(一) 原告は京都府相楽郡木津町大字相楽小字大里の住所地で農業を営み、昭和三一年には米作六反三畝一六歩麦作四反七畝歩を耕作したものであるが、昭和三二年三月一五日被告に対し所得税が零である如く記入してある昭和三一年度分の所得税確定申告書に捺印して申告したところ、原告は同年六月一五日原告の右確定申告(以下本件確定申告という)に対して所得税額四、七〇〇円との更正決定(以下本件更正決定という)をなし、原告は同月二一日右決定の通知を受領した。そこで原告は再調査請求をしたところ被告は同年九月二〇日付を以てこれを棄却し、原告は翌二一日右決定の通知を受領したので、更に同年一〇月一六日大阪国税局長に審査請求をしたが右請求は昭和三四年四月二二日棄却され、原告は同月二五日右決定の通知を受領した。
(二) しかしながら、本件更正決定は次に述べるような瑕疵がある確定申告に基いてなされた違法なものであるから、取消を求める。即ち、
(1) 原告のなした本件確定申告の内容は要素の錯誤に因るものであるから右確定申告は無効である。即ち、被告は原告の昭和三一年度分総所得金額についてはその確定申告どおり是認しているというが、右は確定申告の際相楽農業会に出張した税務署員(またはその指示による町吏員)が「税額は零である」旨言つたので原告はこの言を信じ、税額が零ならば所得額は何程でもよいと考えてその指図どおりの所得額(真実に反する額)で申告したものであり、若しこれに所得税が課せられることを知らされていたならばこのように真実に反する所得額について確定申告をするのではなかつたのである。
(2) 仮りに右が要素の錯誤に当らないとしても、右確定申告は被告のために確定申告に関する事務の補助をなしていた税務署員(またはその指示による町吏員)の「税額は零である」旨を告げた欺罔行為により錯誤に陥つてなしたものであるから、原告は本訴(昭和三六年一月二三日準備手続期日)においてこれを取消す。
(三) 本件確定申告に際し、原告はその母満すを第一順位、その妻志めを第二順位の扶養親族として扶養控除額を算出したのであるが、被告は本件更正処分において原告とは生計を別異にする所得者の扶養親族と通算して順位を定め、当然第一、第二順位として計算すべき右満すと志めに関する扶養控除額を第四第五順位として算出したのであつて、右更正処分はその点においても違法であるから取消を求める。
と述べ、被告の主張に対して、同第(一)項については原告がその昭和三〇年度分所得税更正処分につき取消訴訟をしていることは認めるがその余は争う。
同第(二)項(1)のうち、原告方には被告主張通りの家族七名が住民登録をして同一屋敷内に起居し、完全農家として原告名義で世帯員全員の保有米を得ていること、清子が原告の農業の手伝をしていること、茂之が株式会社丸物に勤務して給与所得を得ていることは認めるが、その余は知らない。
同第(二)項(2)(3)のうち、清子、好子、武司が茂之の第一乃至第三順位の扶養親族となつているとの点は知らない。その余はすべて争う、と述べた。
二、被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、請求原因第一項は認める。同第二項はすべて争う。同第三項については原告がその母満すを第一順位、同妻志めを第二順位の扶養親族として確定申告をし、これに対して被告が本件更正処分において右両名を順次第四、第五順位の扶養親族として扶養控除額の計算をしたことは認めるが、その余は争う。
と述べ、主張として
(一) 原告の昭和三一年度分総所得金額について、被告は原告の確定申告どおりに是認している。しかして原告の申告を手伝つたのは税理士法第五〇条の規定による許可を得た町吏員であり、原告のため税理士業務を行つたものであつて、税務署員の指示によつて原告に応対したものではない。また、原告は昭和三〇年度分所得税更正処分に対しても取消訴訟をしており、税務に関する知識、関心が深いから自己の昭和三一年度分確定申告書の内容を知らないで申告したとは考えられないし、原告は右申告について所得税法第二七条第六項による更正の請求もしていないのであつて被告のなした更正処分のうち、原告の総所得金額に関しては原告主張のような違法はない。
仮に、原告の本件確定申告がその主張するように、錯誤又は詐欺によるものであつたとしても、右確定申告は無効又は取消されうるものではないと解すべきである。
即ち、およそ、公法上の行為は、それが私人によつてなされるものであつても、その行為の効果は単にその当事間にのみせまることなく、一般に影響をおよぼすものであるから、意思主義に基き解釈することは妥当でない。
それに、所得税の確定申告のように申告書を提出して行うような公法行為については、なおさら、表示主義によりその文書の外見によつて行為の効果を決すべきであるから、意思主義の立場から私法行為者の真意を保護しようとしている民法第九五条或は第九六条の規定は公法上の行為就中、右申告行為にはその適用がないものといわねばならない。
従つて、仮に錯誤又は詐欺があつたとしても、原告の申告は無効ではなく、又更正請求の期間が経過しその申告が確定してしまつてから取消権を行使することは許されないから、原告の右主張は失当というほかない。
(二) 扶養控除について
(1) 昭和三一年当時原告方には原告を世帯主としてその母満す、同妻志めの他、同長男茂之、同人の妻清子、原告の二女好子、同三男武司の全員七名が京都府相楽郡木津町大字相楽小字大里七六番地所在の原告の住所に住民登録をして同一屋敷内に起居し、完全農家として原告名義で世帯員全員の保有米を得ており茂之は株式会社丸物に勤務して給与所得を得ているが、勤務先において従前から原告、志め、満す、清子を自分の扶養親族として申請、扶養家族手当を得ており、且つ昭和三一年五月三〇日付で給与所得者の扶養控除等異動申告書を提出して扶養親族を清子、好子、武司の三名に変更している。なお、清子は世帯の一員として原告の農業の手伝をしている。
(2) 以上、原告方家族七名は、有無相通じて日常生活の資を共通にしていたもので、原告と茂之は生計を一にするものである。
しかして原告と生計を一にする茂之が清子、好子、武司を扶養親族としてその所得から第一乃至第三順位で控除しているから、原告についてはその扶養親族とする満す、志めについて第四、第五順位で扶養控除をしなければならない。
(3) そうすると原告の扶養控除についての申告額六三、〇〇〇円を三〇、〇〇〇円と更正した被告の処分に違法はない。と述べた。
第三証拠<省略>
理由
一、請求原因第一項については、当事者間に争いがない。
二、ところで、原告は、昭和三二年三月一五日になした本件確定申告は要素に錯誤があつて無効である、仮に、然らずとするも、詐欺によるものであるから取消す、と主張する。しかしながら、所得税確定申告の如き私人の公法上の行為については民法第九五条、第九六条の規定の適用はないものと解するのを相当とする。蓋し納税関係の如き行政法上の分野においては、私人間の取引と異りその行為の効果は単に当事者間に止ることなく、広く一般に影響を及ぼすものであるから、所得税確定申告のような当事者の意思を基礎とするものであつても、私法の分野におけるように意思主義を徹底することができず、表示主義に則り、その外見によつて行為の効果を決すべきものであつて、意思主義の立場から表示者の真意の保護を目的とする民法第九五条、第九六条の規定は右申告行為にはその適用がないものというべきである(その結果生じる不当は別途に定められた救済手段―例えば所得税法第二七条第六項―による外はない)。
従つて、本件確定申告は確定的に有効なものであつて、これが瑕疵あることを前提とし本件更正決定の取消を求める原告の主張は爾余の点につき判断するまでもなく、理由がないものといわざるを得ない。
三、次に、原告は本件確定申告に際し、その母満すを第一順位、その妻志めを第二順位の扶養親族として扶養控除額を算出したところ被告は本件更正処分において、原告とは生計を異にする所得者の扶養親族と通算して順位を定め、当然第一、第二順位として計算すべき右満すと志めに関する扶養控除額を第四、第五順位として算出したのであつて、右更正処分は違法であると主張するので、検討するに、原告が本件確定申告においてその母満すを第一順位同妻志めを第二順位の扶養親族として扶養控除額の計算をなし、これに対して被告が右更正決定において、右両名を順次第四、第五順位の扶養親族として扶養控除額の計算をしたこと、原告の長男茂之が株式会社丸物に勤務し、給与所得を得ていることは当事者間に争いなく、成立に争いのない乙第六号証によれば、右茂之は昭和三一年五月三〇日提出の給与所得者の扶養控除等(異動)申告書において、自己から控除する扶養親族として、第一順位に同人の妻清子、第二順位に原告の二女好子、第三順位に原告の三男武司を申告していることが認められる。
ところで、被告は原告及びその扶養親族として申告された右二名と右茂之及びその扶養親族として申告された右三名は所得税法に所謂生計を一にするものであると主張し、原告はこれを否認するので判断するに、所得税法(昭和二二年法律第二七号、その後数次の改正があつたが、ここでは、昭和三一年法律第一六五号による改正以前のものを指す。)第八条第一項後段、第一一条の二に所謂「生計を一にする」とは有無相扶けて日常生活の資を共通にしていることをいうものと解すべきところ、昭和三一年当時原告方には原告を世帯主として、右満す、志め、茂之、清子、好子及び武司の七名が原告肩書住所に住民登録して同一屋敷内に起居し、完全農家として原告名義で右世帯員全員の保有米を得ていること、茂之の妻清子は原告の農業の手伝をしていることは当事者間に争いなく、成立に争いのない乙第五号証によれば、茂之は右勤務先において、昭和三一年一月一〇日現在、原告、志め、満す、清子の四名を自己の扶養親族として申請し、扶養家族手当を得ていることが認められる。以上の事実と弁論の全趣旨を総合すれば、昭和三一年当時右原告等七名は有無相通じて日常生活の資を共通にしていたものと認められ、前記所得税法に所謂「生計を一にする」ものといわねばならない。右認定に反する証人中岡茂之の証言は措信し難い。
してみれば、原告と生計を一にする茂之が、清子、好子、武司を扶養親族としてその所得から第一乃至第三順位で控除しているから、原告についてはその扶養親族とする満す、志めを第四、第五順位で扶養控除すべきことは、昭和三一年分の所得税につき適用される前記所得税法第一一条の七第二項第三項、同施行規則(昭和二二年勅令第一一〇号、その後数次の改正があつたが、ここでは昭和三一年政令第七五号による改正以前のものを指す)第一二条の一七により明らかである。従つて、被告の本件更正決定に何ら違法の点は見出されない。
以上の次第で、本件更正決定には何ら違法の点を見出すことができないから、原告の本訴請求は失当であつて棄却を免れない。
よつて、訴訟費用の点につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 増田幸治郎 乾達彦 片山欽司)