京都地方裁判所 昭和35年(行)12号 判決 1962年5月02日
原告 小川佐助
被告 京都府地方労働委員会
主文
被告が、申立人日本中央競馬関西馬丁労働組合、被申立人原告間の京労委昭和三四年(不)第二二号救済申立事件につき、昭和三五年一一月一八日付でなした別紙第一の命令のうち第一項を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、双方の申立
原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、被告訴訟代理人らは「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、双方の主張
原告訴訟代理人は請求の原因として次のとおり述べた。
一、原告は日本中央競馬会京都競馬場に所属する調教師であつて、調教師とは馬主を勧誘して競走馬を購入せしめ、これを管理調教して生計を立てている者で、競馬会より厩舎を借受け、馬主よりの預託馬の頭数に応じて馬丁を雇用する事業主の立場にある者であるが、原告は昭和三四年秋頃日本中央競馬関西馬丁労働組合に属する馬丁の向井孝行、片野良光、小川徳三郎、武蔵勘次郎、田辺松男の五名のほか、同組合に加入していない馬丁四名騎手二名を使用していた。
二、(一) 前記組合(以下組合と略称する)は、昭和三四年一一月二九日ベースアツプその他の要求のため、午前六時から午後四時までの間ストライキを行い、原告厩舎の前記五名の組合員もこれに参加した。
(二) 原告は同年一二月一日、右向井孝行(以下向井と略称する)からその担当馬であつたガイダーネルをとりあげ、これを訴外菊地国夫馬丁に担当換し、また、同三五年一月一二、三日頃向井の他の担当馬であつたヒエイザンも馬主により他に売却され、同人の担当馬がなくなつたので、同月一六日同人に休職を命じた。
三、前記組合は、昭和三四年一二月二六日付で、原告の向井に対する前項の行為その他原告の右スト後の他の者に対してなした行為を不当労働行為であるとして、被救済者を前記向井孝行、片野良光、小川徳三郎の三名に指定し(小川については後日これを取下げた)、被告に対し救済命令を求めた。
四、被告は原告の向井に対する右処置について別紙第二のとおり事実認定をし、同第三記載のとおりの判断をして、右申立に対し別紙第一第一項の如き救済命令(主文)を発した。
五、しかし、右救済命令には次の如き違法がある。
(一) 被告は、向井がストライキ解除後の午後五時頃、原告厩舎へ行つたと認定しているが、向井は全然その日は厩舎に顔をみせていない。
(二) 右以外の別紙第二記載の被告の認定事実は原告においてこれを争わない。そして、被告は、右の如く、『原告が馬主楠本の激怒に対し、「今の時代にはこれは労働者に与えられた権利であるからしようがない」とか、「体裁が悪いので来ないのでせうが、午後八時の水と投草をやる時間には来るでせう」といつたりして楠本をなだめ、(第二の(三))、又原告が名刺に書いた文言をみてわざわざ楠本を訪れ、「向井にはよくいつてきかせるし、またガイダーネルは向井が持ちなれている馬だから、同人に持たす方が一番よいのでそのまま持たしてやつてくれ」と頼んでやつたりした事実(同(六))』を認定し、また別紙第三の判断中においても『スト解除直後のこの程度の不就労に対し、その持馬を取上げるほどの重大なる措置をもつて望むことは甚しく酷であつて、被申立人自身もそこまでの意図を有しなかつたことは、前記認定により明かである(別紙第三(一)の1前半)』としながら、結論において、『原告が「馬主の意を体して、向井よりガイダーネルを取上げたことは、馬主の意図に藉口して正当なる組合活動に対する報復をしたものと認められる。』と判断した(同1後半)。原告は右認定事実の下においてどうして右の如き判断が下されるのか不可解である。蓋し、被告認定の如く、原告は馬主楠本をなだめるのに再三の努力を重ねたが、馬主がガイダーネルを他に売却したり、他の厩舎に預けたりしたときは(これは馬主の自由である)、向井がガイダーネルを失うに至ることは同一であると考えて、馬主に対する説得をあきらめ、昭和三四年一二月一日向井からガイダーネルを取上げ、当時一頭持であつた菊地国夫に持替えさせたのであり、決して向井の組合活動を嫌忌しておつたため、馬主楠本の要求に便乗し、これに藉口して向井からガイダーネルを取上げたのではないからである。
よつて、原告が前記のように馬主楠本をなだめるのに努力を重ねていることを認定しておるにもかかわらず、なおかつ、原告の不当労働行為意思を認定した被告の判断は不当である。
(三) 向井よりのガイダーネル取上げにつき、原告に不当労働行為意思はなかつた。元来、不当労働行為が成立するためには不当労働行為意思が使用者に存在することを要することは勿論であるが、本件においては原告にその意思が存在しなかつたことは明白である。
而して本件は第三者の不当な要求があつて、使用者においてもこの要求に便乗して日頃から嫌悪する労働者に対し不当労働行為をする場合にもあたらない。馬主楠本が原告に対し申し向けた「スト参加者には自己の所有する馬を持たせない」ということそれ自体が、かりに反組合的なもので労働組合法の期待するものに背馳するとしても(同人は馬丁に対する使用者でないから同人に不当労働行為が成立しないことはいうまでもない)、原告は楠本に対し単にその飜意を促した程度でなく再三同人に面会し「今の時代にこれは労働者に与えられた権利であるからしようがない」、「向井によくいつてきかせるしまたガイダーネルは向井が持ちなれている馬だから同人に持たす方が一番よいのでそのまま持たせてやつてくれ」等楠本をなだめる努力を重ねてきているのである。このような事情からどうして原告の不当労働行為意思が認定できるのであろうか。この様な楠本の不法な要求に対し、原告は極力抵抗し、楠本をなだめ、楠本をして労働組合法の期待に背馳せしめぬ様に努力したものの、これ以上頑張れば、楠本が原告との間の預託契約を解除することは明らかで、そうすれば向井がガイダーネルを失うのみならず、調教師たる原告までガイダーネルを失い厩舎全体とすれば損失であると判断し、やむを得ないと考えて、向井からガイダーネルを取上げ、これを原告厩舎の馬丁菊地に持たせ、厩舎から馬の減少を防止したのである。原告がこのように万やむを得ないと判断して為したこの様な行為が、どうして正当防衛又は緊急避難に類する処置として、期待可能性なしとの理論から許されないのであろうか。
(四) 被告は、別紙第三(一)の2のとおり、原告が「向井の持馬を引上げた以後当時被申立人に雇用せられていた五名の組合員のうち二名は組合を脱退し、向井を含め三名が転厩した。その結果一名の組合員もいない事実を綜合すれば、被申立人が向井の持馬を取上げた行為は、被申立人厩舎における組合員壊滅の因をなした」と断じている。しかしこれら五名の者、即ち被告が組合脱退者とする武蔵勘次郎、田辺松男の二名同転厩者とする向井孝行、片野良光、小川徳三郎の三名の、組合脱退や転厩をした真の理由は次の如きものであつて、原告としては如何ともなし難いものであつたのである。すなわち、
(1) 武蔵勘次郎は被告の認定にかかわらず、組合を脱退していない。この事実は、昭和三五年度夏期手当支給や年末一時金支給のため、組合から調教師会に提出せられた組合員名簿の中に、同人の氏名が記載されていることから明かである。
(2) 田辺松男は騎手候補であり、組合加入の資格を有していないのであるが、同人は野球が上手であつたので、組合が野球部を編成する際、組合費はいらぬから組合に入つて野球部員になつてくれといわれて、昭和三四年一〇月に加入し三ケ月程組合費を納めた。しかし、年末になつて騎手候補には年末一時金が支給されないことが判つたので、組合を脱退した。要するに貰えもしない年末一時金を貰える様にいうて組合加入をすすめた組合幹部に対する不信が脱退の理由なのである。
(3) 向井孝行については被告認定のとおりである。
(4) 片野良光は昭和三四年二月頃から二頭持つていたが、同人は馬丁としての成績はわるく、馬の手入がよくなかつたので同年九月頃から一頭持にせられていた。同人の持馬として残つたチエハタは以前から足が少しはれていたが、ストの前日である同年一一月二八日行なわれた障害レースに出場して足の裏にひどい怪我をしたため、その治療回復に約一年かかる見込であつたので、馬主は同年一二月二四、五日頃チエハタを売却した。その結果同人は持馬がなくなり、翌二五年一月一日休職となり、その後五月一三日に中京競馬所属の柴田不二男調教師に馬丁として雇用されたので、同日付で正式に原告厩舎を退職した。
(5) 小川徳三郎は、持馬であつたコウエイを、昭和三四年一〇月二九日馬主が売却したので持馬がなくなり、同年一二月三一日付で休職になつた。
原告との間に新しい馬が入つたら復職させるとの約束があつたが、二ケ月たつても新らしい馬が入らなかつたので、翌三五年三月一日付で中京競馬場谷栄次郎調教師に雇用され、原告厩舎を同日付で退職するに至つたのである。
右の如く、武蔵勘次郎は組合を脱退しておらず、その他の四名については夫々組合脱退や転厩の首肯すべき理由があるのであつて、これらは何れも原告が向井からガイダーネルを取上げた行為と無関係な即ち因果関係のないものである。
而して、組合から不当労働行為であるとの理由で、その救済を最後まで申立てられたのは、片野良光、向井孝行の両名にすぎず、しかも、被告は原告がガイダーネルを向井から取上げた事実だけを取上げて「正当なる組合活動に対する報復をしたものと認められる」とし、ヒエイザンが売却せられたことによる向井の休職・退職を別に問題にしていないし、また、片野についても、持馬取上げを不当労働行為とする組合の申立を棄却しているのである。
然らば、被告の前記判断は不当であり、従つてまた、被告が「被申立人(原告)が向井の持馬を取上げた行為は、被申立人厩舎における組合員壊滅の因をなし、ひいては組合の運営に影響をおよぼしたこと明かであるから、被申立人の右行為は労働組合法第七条第三号に該当する支配介入であると断ぜざるを得ない」と判断したのは、明らかに論理の飛躍であつて、不当である。
六、前記のとおり、被告のなした救済命令にはその基礎たる事実認定及び法律判断に違法があるから、原告はその取消を求めるため本訴請求に及んだ。
被告訴訟代理人らは請求の原因に対する答弁として次のとおりのべた。
一、第一項中、原告の被使用者として、非組合員である馬丁四名騎手二名がいたこと及び田辺松男が馬丁であつたことを争い、他を認める。
二、第二ないし第四項をすべて認める。
三、第五項中、(一)を争う。
かりに原告主張の如く、向井がスト解除後当日全然厩舎に顔をみせなかつたとしても、本件不当労働行為の成否になんらの影響を及ぼすものではない。蓋し、当日のストは特に午前六時から午後四時までと予め時間を限定して行われたものではなく、組合の方針としてはその日は午前三時の飼付を実施した後は一日中就労しないということであつたこと及び、当時組合員であつた五名の馬丁は当日スト解除後飼付に来なかつたと原告自身被告委員会で証言しておりながら、向井を除く四名に対しては何らの問責をなしていないことからみて、スト解除後直ちに就労することが困難な事情が窺えるのみならず、原告は必ずしもかかる不就労を責め、これがために向井より馬を取上げたのではないことが認められる。
右のようなスト解除後の向井の不就労によりガイダーネルに何らかの明確なる支障を来たしたことも認められない以上、向井に対し、その持馬を取り上げるほどの重大な措置をもつて望むことは甚だしく酷であるといえる。然るに原告が右の措置に出たのは、究極的には向井がスト解除後も就労しなかつたからではなく、ストに参加しなかつた馬丁に馬を持ちかえさせるため、換言すれば、ストに参加した者から馬を取上げるためであつたというべきである。すなわち向井よりの馬の取上げは同人の組合活動をその原因とするものであつたといえる。
四、同(二)中被告が原告主張の如き認定判断をしたことは争わないが、その他の原告主張事実は争う。
被告が、原告に不当労働行為意思があると認めた所以は、原告が馬主楠本の不当労働行為意思をうけて、之を実行したことにある。
(一) まず、右楠本に不当労働行為意思のあつたことは、同人が原告に対し「ストライキをやるなんてけしからん、これからストライキに参加するような者には馬を持たされない」とか「ガイダーネルの馬丁として、ストライキに参加しない者を強く要望する」等申向けて、向井から原告がガイダーネルを取上げるよう要請していることにより認められる。
(二) 原告が右楠本の意思をうけて、向井の持馬をとりあげたということは、(1)組合が設立された当時(昭和三二年一二月頃)、原告は組合に対する支配介入を理由に、被告より不当労働行為を認定されており(京労委昭和三三年(不)第二号京都競馬事件)その当時の経験に徴し、原告は楠本の前記要望に従えば、必然的に不当労働行為になることを知悉していたと認められること(2)ガイダーネルが原告厩舎から引上げられても、原告の業務経営が崩壊するというような事態は全然存在していなかつたこと(3)楠本に対する原告の説得は、消極的なものであつて、決して向井のために純粋に好意的な弁護をしたものと認められないこと、を綜合して認められる。
五、同(三)を争う。
前記の如く、原告厩舎からガイダーネルが引上げられても、原告の業務経営が崩壊するということがなかつた以上、如何に楠本の要請があり、これに従わなければ、原告が不利な結果を招くことが明らかであつたにしても、原告としては、楠本の要請に従うべきではなく、これこそ労組法が使用者たる原告に期待するところである。
六、同(四)のうち、(2)は不知。(3)ないし(5)を認め、その余を争う。
かりに、原告主張の如く、向井からガイダーネルを取上げた行為と、他の組合員が組合を脱退したり、転厩したこととの間に、因果関係がないとしても、被告の別紙第三記載の判断を左右するものではない。蓋し、元来向井からガイダーネルを取り上げた行為は労組法第七条第一号に該当する不利益取扱であるが、これは同時に同法第七条第三号の支配介入にも該当するものであること及び、右支配介入の成立には、組合活動上の実害の発生、あるいは使用者の行為による影響ないし結果の発生が、必ずしも必要でないからである。
第三、当事者の立証<省略>
理由
第一、組合活動及び不利益処分の存否
訴外日本中央競馬関西馬丁労働組合が、昭和三四年一一月一九日の午前六時から午後四時までの間、ベースアツプその他の要求のため、ストライキ(以下単にストという)を行なつたこと、このストに原告の被使用者で、当時同組合に加入していた訴外向井孝行・同片野良光・同小川徳三郎・同武蔵勘次郎・同田辺松男の五名が参加したこと、同年一二月一日原告は向井からその担当馬であつたガイダーネルをとりあげこれを原告厩舎の訴外菊地国夫馬丁に担当させたことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙一号証の二六(一部)によると、馬丁の給料は昭和三四年二月まではその持馬の頭数にかかわらず同じであつたが、同年三月から組合の申入により持馬の頭数によつて本人給に差額を生ずるようになり、向井はガイダーネルを取上げられたことにより減収となり不利益を蒙つたことが認められる。
第二、
組合活動(右スト)と不利益な処分(向井からガイダーネルを取上げること)との間に因果関係があるかどうか。
そこで、向井がいかなる組合活動を行い、右処分がいかなる経過をたどつて行われたかを考察する。
一、成立に争のない甲第一号証、乙第一号証の一五(一部)・同号証の二一・同号証の二六・乙第二号証の四・証人向井孝行・同菊地末蔵・同田辺松雄・同田所秀雄の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると次の事実を認めることができる。
(一) 向井は、昭和三二年一〇月一一日原告に馬丁として雇われ、同三五年一月一六日休職になり、同年六月二〇日原告厩舎を退職したのであるが、スト当時における同人の担当馬はガイダーネルとヒエイザンの二頭であつた。
(二) 向井は同三四年四月組合に加入し、右退職のときまで、常に平組合員であり、特に目立つた組合活動もせず、右ストのときには拡声機係を担当していた。
(三) さきに説示したとおり、ストは当日午後四時に終了したのであるが、向井は、拡声機係として命令伝達施設を担当していたのであるから、スト解除の指令も、その発令直後にこれを了知していたものと推認せられるのである。ところでスト当時、小川厩舎では、飼付の時刻を、午前三時半、一一時、午後五時と定められており、なお午後八時には、水と投草を与えるという定めであつた。しかるに向井は、スト解除後も終日厩舎に戻らず、午後五時の飼付及び午後八時の水飼、投草を怠つた。
(四) スト当日の午後四時頃、原告厩舎を訪ねたガイダーネルの馬主楠本逸治(以下楠本と略称する)は向井がストに参加していることについて大変憤慨し、原告や訴外田所秀雄騎手に対し、ストに参加する馬丁には自分の馬を担当させられないという趣旨のことをのべたので、原告は「今の時代にはストライキに参加することは労働者の権利であるからやむを得ない」旨いうて楠本をなだめた。ところが、スト解除後夕飼の時刻になつても、原告厩舎の前記五名のスト参加者が飼付に来なかつたので、原告は組合に未加入の馬丁や騎手を指図して、右五名のものの各担当馬に飼付をした。これを目撃していた楠本は原告に対し「他の厩舎ではストが終ると厩舎に来て働いておるのに、原告厩舎では一人も来ない」旨いうて再び怒つたが、原告は「体裁が悪いから来ないのだろうが、午後八時には水と投草をやりに来るだろう」旨いうてなだめたので、楠本は再び気嫌をなおして帰宅した。
(五) 翌三〇日の原告不在中に、楠本は原告方を訪ね、女中から原告厩舎のストに参加した前記五名は、夜八時のいわゆる水飼のときにも厩舎に来なかつたと聞いて、憤慨し自己の名刺の裏に「ガイダーネルの馬丁が今回のストに参加したのは止むを得ないが飼付をしなかつた由、是れは生物を持つ馬主としては絶対容赦出来ない事であるから一刻も早く真面目な馬丁に持替させて呉れ、若し貴殿が其れを出来なければ他の厩舎へ移すか売却するか何れかの方法を取るから善処の上至急返事を御知らせ下さい、十一月三十日」と記載し、これを原告に交付するよう託した。
(六) その後帰宅して右名刺の記載をみた原告は、即刻楠本を訪ね、同人に翻意を促し、向井に従来通りガイダーネルを担当させることに同意するよう説得を試みたが、同人はあくまでも向井にガイダーネルの担当をやめさせるように要請し、もし原告がこの要請に応じなければ、ガイダーネルを他の厩舎に預託替えするか売却する旨いうて意思をまげなかつたので、遂に原告は、もし楠本の要請に従わねば、向井がガイダーネルを失うばかりか原告も将来楠本から馬を預託されなくなつて損失を蒙ること大なるものがあると考えて、楠本の右要請を容れ、同年一二月一日ガイダーネルを向井から非組合員の菊地国夫馬丁に担当替した。
右のとおり認めることができ、右認定に反する、前顕乙第一号証の一五及び証人向井孝行の証言の各一部は、措信しない。
二、してみると、楠本が原告をして、向井にガイダーネルの担当をやめさせるよう要請した理由は、向井がストに参加したこと自体にあつたのではなく、同人がストが終つたのにも拘らず生物であるガイダーネルに飼付、水飼、投草をしなかつたことにあるというべきであり、原告もまた、楠本の右要請を道理にかない、それ故にこそ抗し難いものと認めて向井にガイダーネルの担当をやめさせたものというべきである。もつとも、
(一) 前掲乙第一号証の二六(原告本人の被告委員会における陳述要旨)中には、原告が楠本の名刺を見て楠本に翻意を求めに行つた際にもなお、楠本が、ガイダーネルの担当馬丁は「ストに参加しなかつた馬丁ならよい」と言つた旨の記載が存するけれども、右記載が原告の陳述のとおりを録取したものであるかどうかについては原告本人尋問の結果に照して疑なきを得ないのみでなく、仮に右記載が原告の陳述のとおりを録取したものであるとしても、楠本の右発言は、小川厩舎のスト参加者が全員夕飼、水飼を怠つたこと及び楠本において当時既に右事実を了知していたことからすれば「夕飼、水飼を怠るような馬丁では困る」という発言と同義と解するのが相当であり、したがつて、楠本の右発言をもつて、同人が原告をして、スト参加の故に、向井のガイダーネル担当を解くことを要請し、原告もまた、これに応じてスト参加の故に、向井のガイダーネル担当を解いたと解すべきではない。向井に代つてガイダーネルを担当することを命ぜられた菊地国夫馬丁が非組合員であることも、組合員全員がスト終了後の夕飼、水飼を怠り、そのことを楠本が知つていたことからすれば、前認定の反証とはならない。
(二) また原告本人尋問の結果によると、原告は、従来馬丁が一回位飼付を怠つても、直ちにその馬丁から担当馬を取上げることはしなかつたことが認められるけれども、同時に、馬丁に対するさような態度は、馬主に飼付の懈怠を知られない場合にのみとり得る態度であることが窺われるのであるから、本件の場合のように飼付の懈怠を馬主に知られて強く責められた以上、その懈怠がスト終了後の職場復帰の遅怠によるものであれ、それ以外の原因によるものであれ、等しく、その馬丁から担当馬を取上げざるを得ないはめになるものと解せられるのであつて、平素一回位の飼付懈怠が担当馬取上げの原因とならないのに、本件の場合には取上げの原因となつたからといつて、そのことだけでスト参加と担当馬取上げとの間に因果関係があるとすることはできない。
(三) また、成立に争のない乙第二号証の四及び原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和三三年四月一一日付で、被告委員会から、日本中央競馬関西馬丁労働組合に対する支配介入をなしたとして文書の掲示を命ぜられたことがあることを肯認し得るけれども、このことをもつてしても前認定を覆えすに足りない。
三、してみると、原告が向井をしてガイダーネルの担当をやめさせた原因は、同人がストに参加して正当な組合活動をなしたことにあるとは認め難く、したがつて原告が向井をしてガイダーネルの担当を解いた行為は、不当労働行為にはならない。
よつて、右の点を看過して、原告の右行為を労働組合法第七条第三号の不当労働行為に該当するものと認めて、被告がなした別紙第一第一項の救済命令は、爾余の判断をなすまでもなく失当であるから、これを取消すこととし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 増田幸次郎 池田良兼 乾達彦)
(別紙)
別紙第一
主文
一、被申立人は、左記内容の文書をこの命令交付の日から七日以内に申立人に提出せよ。
記
昭和三四年一二月一日、組合員向井孝行より、その持馬であるガイダーネルを取上げた行為は、貴組合の団結権を侵害し、労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であることを認め、今後かかる行為を繰返えさないことを誓約する。
右京都府地方労働委員会の命令により表明する。
昭和 年 月 日
調教師 小川佐助
日本中央競馬関西馬丁労働組合殿
二、申立組合のその余の救済申立はこれを棄却する。
別紙第二(認定した事実)
向井孝行の持馬取上げならびに休職について
(一) 本件において救済を求めている向井孝行(以下向井という)は、昭和三二年一〇月一一日、被申立人に馬丁として雇われ昭和三五年一月一六日休職となり同年六月二〇日退職した。向井は昭和三四年四月申立組合に加入した。同人の馬丁としての腕は比較的良好でその作業成績は被申立人厩舎における馬丁の中位であつた。
(二) 前記ストライキ当時、向井の持馬は、ガイダーネルとヒエイザンの二頭であつた。
(三) 右ストライキ当日の午後四時頃、ガイダーネルの馬主である楠本逸治(以下楠本という)が被申立人厩舎を訪ずれたところ、同厩舎に向井がいなかつたため大変憤慨して被申立人や田所秀雄騎手に対し、「ストライキをやるなんてけしからん、これからはストライキに参加するような者には馬は持たせられない」という趣旨のことを述べた。しかし被申立人は「今の時代にはこれは労働者に与えられた権利であるからしようがない」といつて楠本をなだめた。ところがストライキが解除された後、馬に飼料を与える時間になつても向井ら五名は被申立人厩舎に来なかつたので、被申立人は組合に加入していない他の馬丁や騎手を指図して向井らの持馬に飼料を与えた。これを目撃していた楠本は「ほかの厩舎ではストライキが終ると厩舎に出て働いているのにここでは一人も出ない」といつて怒つた。そこで被申立人は「体裁が悪いので来ないのでしようが、午後八時の水と投草をやる時間には来るでしよう」といつてなだめたところ楠本は機嫌をなおしてその日は帰つていつた。
(四) 向井はストライキ解除後午後五時頃被申立人厩舎へ行つたところ、同人の持馬であるがガイダーネル、ヒエイザンの二頭とも他の馬丁が飼料を与えてしまつていたので、もうやる必要はないと思つて帰つた。なお同日午後八時の水飼いのときは片野良光の妻から「水は他の人がやつてくれた」ということをきいたので、向井は自分の持馬のところへ行かなかつた。
(五) 同月三〇日、被申立人の不在中、楠本は被申立人方を訪ずれ女中に対し、「向井は昨夜八時の水と投草をやりに厩舎へきたか」ときいたので同人は、「昨日ストライキに参加した者は全部来なかつたそうです」と答えたところ楠本は、自分の名刺に「ガイダーネルの馬丁が今回のストに参加したのはやむをえないが飼付をしなかつた由、これは生物を持つ馬主としては絶対容赦できないことであるから一刻も早く真面目な馬丁に持替えさせてくれ、もし貴殿がそれをできなければ他の厩舎へ移すか売却するかいずれかの方法をとるから善処の上、至急返事をお知らせ下さい」と記載してこれを女中に託した。
(六) 被申立人は前記の名刺をみて楠本を訪ずれ、「向井にはよくいつてきかせるし、またガイダーネルは向井が持ちなれている馬だから同人に持たす方が一番よいのでそのまま持たしてやつてくれ」と頼んだ。しかるに楠本は自分のいうとおりにしなければガイダーネルはほかの厩舎に持つて行くか売るかしなければならないといつて被申立人の依頼を受け入れなかつたので結局、被申立人はガイダーネルをストライキに参加しなかつた馬丁ならよいという楠本の条件を受け入れ、同年一二月一日ガイダーネルを向井から取上げ、当時、一頭持ちであつた菊地国夫馬丁に持替えさせた。
(七) 昭和三五年一月一二、三日頃ヒエイザンも他に売却されたので向井の持馬はなくなり、同月一六日休職を命ぜられた。同人は休職中調教師、騎手、調教助手および馬丁を対象とする共済団体である財団法人競馬共助会(以下共助会という)から所定の休務手当の支給を受けていたが、昭和三五年六月二〇日、京都競馬場所属の高橋直三調教師に馬丁として雇用されたので同日付で、日本中央競馬会理事長宛に退職届を提出し、被申立人厩舎を退職した。
なお同人は、右退職に際してなんらの留保も付せなかつた。
別紙第三(判断)
(一) 向井孝行の持馬取上げについて
1 向井がその持馬ガイダーネルを取上げられた事情は、前記認定のとおりであるところ、一般的にいつてストライキの終了は、即時正常勤務への復帰を意味するものではあるが、事情によつては、かかる復帰が多少の遅延をみることは避けがたい場合もあり、労使慣行のきわめて未熟な職場においては好ましからざることとはいえ、しばしばありうるところである。ことに向井は、スト当日その解除後の飼料などにつき、全然労務を放擲していたとは認めがたく、飼料、水飼いのため、担当厩舎に就労しようとしたことが認め得ることは、前記認定のとおりで、かつ同人の持馬に何らかの明確なる支障をきたしたことの認められない本件においては、スト解除直後のこの程度の不就労に対し、その持馬を取上げるほどの重大なる措置をもつて望むことは、甚だしく酷であつて、被申立人自身もそこまでの意図を有しなかつたことは、前記認定により明らかであるところ、馬主たる楠本が被申立人に対し、(1)当日向井のストライキ参加を非難し、かつ今後ストライキに参加する者には馬を持たせないと言明し、(2)ガイダーネルの馬丁として、ストライキに参加しない者を強く要望している等の事実を総合すれば、楠本が向井からガイダーネルを取上げようとした真の理由は、スト直後の向井の不就労にあつたのではなく、同人が、ストライキに参加したがためであるとみるのが相当である、(3)右のような事由で、組合員である馬丁から馬を取上げることを正当視するならば、組合は遂に壊滅に導かれることが当然予想せられることであり、被申立人もこのことを予想できた本件において、たとえ馬主の希望にそわんとしたものであつても、被申立人が、前記のごとき馬主の意を体して、向井よりガイダーネルを取上げたことは、馬主の意図に藉口して、正当なる組合活動に対する報復をしたものと認められる。
2 しかも被申立人が、向井の持馬を引上げた以後、当時被申立人に雇用せられていた五名の組合員のうち二名は組合を脱退し、向井を含め三名が転厩した、その結果、一名の組合員もいない事実を総合すれば、被申立人が向井の持馬を取上げた行為は、被申立人厩舎における組合員壊滅の因をなし、ひいては組合の運営に影響をおよぼしたことは明らかであるから、被申立人の右行為は、労働組合法第七条第三号に該当する支配介入であると断ぜざるを得ない。
組合は、誓約書掲示を請求しているが、右のごとき介入に対しては、主文掲記の文書を組合に提出することで充分と認める。