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京都地方裁判所 昭和37年(わ)1484号 判決 1967年2月23日

主文

被告人清田祐一郎を懲役八月に、被告人松元辰呂を懲役六月に、被告人室井元雄を懲役六月に、被告人高瀬泰司を懲役拾月および罰金弐万円に、被告人中島鎮夫を懲役参月に処する。

被告人高瀬泰司において、右罰金を完納することができないときは、金五百円を壱日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。それぞれこの判決が確定した日から、被告人清田祐一郎、同松元辰呂、同室井元雄に対しては各弐年間、被告人高瀬泰司に対しては参年間、被告人中島鎮夫に対しては壱年間右各懲役刑の執行を猶予する。

被告人清田祐一郎、同室井元雄、同高瀬泰司は、昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反(ただし被告人高瀬泰司については別紙訴因一覧表記載の(五)の(2)(3)(六)の(4)を除く)はいずれも無罪。

理由

罪となるべき事実

被告人清田は、京都大学法学部に在学し、同大学の同学部代議員および京都府学生自治会連合(以下単に府学連という)の執行委員長などをしていたもの、被告人松元は、京都大学理学部に在学し、同学部自治会役員などをしていたもの、被告人室井は、京都大学農学部に在学し、同学部自治会委員などをしていたもの、被告人高瀬は、京都大学理学部に在学していたもの、被告人中島は、同志社大学文学部に在学していたものであつて、それぞれの学園で勉学のかたわら、思想的に共通した学生運動を展開していたものであるが、

第一  府学連は、その主催のもとに、昭和三七年一一月一日大学管理法案紛砕を標榜する集団行進および集団示威運動を行うべく、同年一〇月二九日、当時府学連の委員長であつた被告人清田を代表者として、京都県公安委員会に対し、京都市東山区の円山公園音楽堂を出発点として、祗園石段下から四条通を西進し、更に四条河原町より河原町通を北上し、河原町御池を経て京都市役所前に至り流れ解散する集団行進および集団示威運動の許可申請をなしたが、同公安委員会は右許可申請順路の一部を変更して、四条木屋町から木屋町通を北進し、木屋町御池を経て京都市役所前に至る順路とすることなどの条件を付して、同月三一日前記申請を許可した。同公安委員会が右許可をなすに際し、右のように順路変更を条件としたのは、そのころ、四条河原町交差点附近では、阪急電鉄地下鉄工事が行われており、同月三一日からは同交差点東方約六〇メートルの四条通南側車道上に、同工事の資材搬入構(東西一二メートル、南北四・四メートル、高さ二メートル)が設置され、したがつて、同地点における四条通の南側車道は、市電軌道敷との間に僅か一・二メートルを余すばかりで、四条通を西行する諸車の通行は不能となり、軌道敷内への誘導によつて交通を確保せざるをえない状態となるから、かような道路状況の地点を、集団行進許可申請書記載の参加予定人員約七、〇〇〇名が北側車道を通行することになれば、同地点附近は市電・諸車によつて著しく輻輳し、集団行進参加者の身体に直接危険が及ぶことは明白であり、のみならず、通行車輛などの接触・追突などの事故により、一般通行者に対しても、その身体・財産に直接危険を及ぼす事態に立ち至ることは明らかであるとの理由によるものであつた。

そして、翌一一月一日午後二時三〇分ごろより、円山公園音楽堂において、府学連主催のもとに、傘下の京都大学、同志社大学、立命館大学などの学生合計約二、〇〇〇名が参加して、大学管理法案粉砕の集会が開かれたのであるが、その際、被告人清田は、右学生らに対し、マイクで大学管理法案に反対する所以などを述べたのち、前記申請にかかる集団行進の順路が変更して許可されたいきさつにつき報告し、安保反対デモ以来われわれが勝ちとつてきた、河原町通を通る申請どおりのコースでデモを行なおうと訴え、多数学生の拍手賛同を得た。これに引続き、右集会に参加した学生約二、〇〇〇名は各大学別に集団を編成し、同日午後四時四〇分ごろ円山音楽堂附近を出発し、京都大学第一集団(約四五〇名)、同第二集団(約三五〇名)、同第三集団(約四五〇名)、同志社大学集団(約四五〇名)および各学校の学生から成る混成集団(約四五〇名)の各順に、祇園石段下から四条通を西進して集団行進および集団示威運動に移つた。

他方、京都府警本部では、事前における諸般の状況から、右デモ隊が公安委員会の許可条件に違反し順路を逸脱することが察せられたので、これを所定の順路で進行させるようにするなど予防の措置を講じ、もし、右許可条件に違反するような事態が発生した場合には、適宜警告、制止、その他違反行為の是正などの措置をとるべく、京都府警察本部長の命により、同護察本部機動隊長指揮のもとに、機動隊員ら約五〇〇ないし六〇〇名の警察官が四条木屋町周辺に出動待機した。そして、前記デモ隊の先頭集団である京都大学第一集団が四条大橋西詰附近にさしかかつたころ、待機中の警官隊は、デモ隊の四条木屋町西進を阻止するため、四条木屋町交差点西北端と西南端を結ぶ一直線上を隊列の最前列として、同交差点の西詰に、北から本部機動隊(中隊長森口終六以下約一一五名)、第二機動隊第一中隊(中隊長佐藤一二三以下約一二七名)、第二機動隊第二中隊(中隊長石橋重雄以下約一二〇名)の順に警備配置につき、なお、デモ隊の木屋町通南下を阻止するため、右交差点南詰にも二個中隊(約二〇〇名)の警察官が配置についた。

(一)  被告人清田は、同日午後五時ごろ、前記デモ隊を先導する宣伝車荷台上に乗車して四条木屋町交差点に至り、同所より僅か北上したところから、マイクで附近の通行人らに対し、河原町通を通さないのは警察の弾圧であるなどと訴えていた際、被告人松元、同室井の両名が先頭列外にあつて誘導する京都大学第一集団が、四条通南側車道を右交差点附近まで西進し、同交差点の西詰に張られた警官隊の阻止線の手前二〇メートルの位置で右集団の行進を暫時停止させ、先頭列員は竹竿を横に構え、約一〇列の縦隊にスクラムを組み、警官隊へ突入する態勢を整え、また、京都大学第二集団の先頭列外にあつてこれを指導していた被告人高瀬は、同集団を右第一集団の北側に誘導しながら西進してきたが、ここに被告人清田、同松元、同室井、同高瀬は、京都大学第一ないし第三集団の学生と互いに意思相通じ共謀のうえ、右交差点西詰を警備していた機動隊の隊列を突破しようと企て、被告人松元、同室井の両名は、右第一集団の先頭列員が横に構える竹竿の両端を握り、被告人高瀬は、右第二集団の先頭列外に立ち、更にその後から右第三集団もこれに加わり、それぞれ自己の誘導する集団の学生とともに一団となつて、相次いで前記機動隊の隊列に烈しく突き当り、押すなどの暴行を加え、もつて右機動隊所属の警察官らの前記職務の執行を妨害し、その際、右暴行により、別紙負傷者一覧表記載のとおり、第二機動隊第二中隊所属の酒見功行ほか九名の警察官に対し、加療約三日ないし一〇日を要する打撲症等の傷害を負わせ、

(二)  被告人中島は、同志社大学の学生により編成された集団を指導し、京都大学集団の後に続いて四条通を西進したが、同日午後五時五分ごろ、四条木屋町交差点に至り、前記(一)で認定したように、既に京都大学集団が同交差点西詰の機動隊に突入し押し合つていたので、ここに被告人清田および同志社大学集団の学生らと互いに意思相通じ共謀のうえ、右交差点西詰の機動隊の阻止線を突破しようと企て、自ら先頭に立つて、同志社大学集団の学生らとともに一団となつて右機動隊の隊列に烈しく突き当り押すなどの暴行を加え、もつて、右機動隊所属の警察官らの前記職務の執行を妨害し、

第二  被告人高瀬は、府学連常任執行委員会の執行委員長代理をしていたものであるが、

(一)  昭和三八年五月二三日、府学連主催のもとに、ポポロ劇団事件の最高裁判所判決に対する抗議の意思を表明するため、集団行進および集団示威運動をなすべく、府学連傘下の京都大学、同志社大学、立命館大学の学生がそれぞれ各大学を出発し、同日午後三時過ごろ、京都市上京区河原町今出川で京都大学と同志社大学の集団が合流し、更に同日午後三時三〇分ごろ、同区河原町広小路附近で立命館大学の集団がこれに合流し、合計約六〇〇名の学生が参加して、河原町丸太町を経て丸太町通を西進し、京都地方裁判所前、烏丸丸太町、京都府庁前を経て京都府警察本部前に至る間に道路上で、前記のような主張を標榜する集団行進および集団示威運動をなした際、

(1)  同日午後三時四八分ごろ、同市中京区丸太町通富小路東入る昆布屋町附近において、前記行進集団に対し、笛を吹き、両腕を横に広げて右集団の行進を停止させ、腕を上下に振りながら「すわれ、すわれ」と指示してすわり込むようにそそのかし、よつて、右集団の先頭列員から約四〇〇名の学生を、その場の車道上に約一〇分間しやがみすわり込ませ、もつて、人をして道路において、交通の妨害となるような方法ですわりしやがむことを教唆し、

(2)  同日午後四時ごろ同区桝屋町桑原町柳四丁目菊屋町合一番地の京都地方裁判所附近において、前記(1)の行進集団に対し、両手を上下に振り、あるいは「全員すわり込んで抗議しよう」などと呼びかけ、後方で立ち止つている学生には、重ねて「すわれ、すわれ」と指示してすわり込むようにそそのかし、よつて、右集団のうち約四〇〇名の学生を、同裁判所前の丸太町通北側車道から市電軌道南端部にわたる道路上に約十数分間しやがみすわり込ませ、もつて、人をして道路において、交通の妨害となるような方法ですわりしやがむことを教唆し、

(二)  昭和三八年五月二三日、京都地方裁判所周辺には、同裁判所長の要請に応じて、前記第二の(一)記載のデモ隊が、集団で同裁判所構内に立ち入ろうとする場合にはこれを阻止すべく、京都府警察本部機動隊長松本敏夫指揮下の警察官約六一六名が警備配置についていたところ、右デモ隊は、前記昆布屋町附近で一旦立ち止まり、そのうち約四〇〇名の学生集団は、先頭列員において竹竿を横に構え、約一五列の縦隊となつて丸太町通の南側車道を西進し、同日午後三時五四分ごろ右裁判所前附近に至るや、被告人高瀬は右デモ隊を一旦北側車道へ迂回させたのち、進路を南向きにかえ、同裁判所東側入口歩道附近に阻止態勢をしていた前記機動隊の橋爪中隊(橋爪弥之助指揮下の警察官約一二〇名)に真正面から対峙する隊形をとり、ここに右約四〇〇名の学生と互いに意思相通じ共謀のうえ、右機動隊の阻止線を突破しようと企て、右デモ隊の先頭列外から手信号により、あるいは先頭列員の竹竿を引つ張るなどして警官隊への突入を誘導し、更に「突つ込め」と叫んで右約四〇〇名の学生とともに、橋爪中隊の隊列に突き当り、押すなどの暴行を加え、もつて、右警察官らの前記職務の執行を妨害し、

(三)  昭和三八年五月三一日、円山公園音楽堂において、府学連主催のもとに学生約二、〇〇〇名が参加して「ポポロ劇団最高裁判決抗議」「アメリカ原子力潜水艦寄港反対」の集会を開いたのち、同日午後五時過ごろから、円山公園音楽堂を出発点として、四条河原町、河原町丸太町を経て丸太町通を西進し、京都地方裁判所前、烏丸丸太町、下立売新町、京都府警察本部前に至る間の道路上で、前記目的を標榜する集団行進および集団示威運動をなした際、同日午後六時一〇分ごろ、京都地方裁判所前附近において、右デモ隊に対し、両腕を振り「すわれ、すわれ」と叫んでその場にすわり込むようにそそのかし、よつて、右デモ隊のうち約二〇〇名の学生を、同裁判所前の丸太町通北側車道に約十数分間しやがみすわり込ませ、もつて、人をして道路において、交通の妨害となるような方法ですわりしやがむことを教唆したものである。

証拠の標目≪略≫

確定裁判の存在

被告人高瀬泰司は、昭和三九年六月四日広島地方裁判所で、昭和三六年広島県条例第一三号集団示威運動、集団行進及び集会に関する条例違反の罪により懲役四月(三年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同四〇年六月一八日確定したものであつて、この事実は同被告人の当公判廷における供述および前科調書によつて認める。

法令の適用

被告人清田、同松元、同室井、同高瀬の判示第一の(一)の各所為のうち、公務執行妨害の点は刑法第六〇条、第九五条第一項に、傷害の点は同法第六〇条、第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人中島の判示第一の(二)の所為は刑法第六〇条、第九五条第一項に、被告人高瀬の判示第二の(一)の(1)(2)(三)の各所為は同法第六一条第一項、道路交通法第一二〇条第一項第九号、第七六条第四項第二号に、(二)の所為は刑法第六〇条、第九五条第一項に該当するところ、判示第一の(一)の公務執行妨害と各傷害とは、それぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項前段、第一〇条により、結局犯情の最も重い酒見功行に対する傷害罪につき定めた懲役刑に従い、判示第一の(二)、第二の(二)の各罪の所定刑中懲役刑を選択し、被告人高瀬には前示確定裁判があつて、その罪と前記各罪とは同法第四五条後段の併合罪であるから、同法第五〇条により未だ裁判を経ない前記各罪について更に処断することとし、同被告人の以上の各罪は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条、第四八条により、重い傷害罪の刑に法定の加重をし、および各罰金額を合算したうえ、各その刑期、刑額の範囲内において、被告人らを主文第一項掲記のとおり量刑処断し、被告人高瀬において、右罰金を完納することができないときは、同法第一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置し、なお被告人らはいずれも犯情憫諒すべきものがあるので、同法第二五条第一項により、それぞれこの判決が確定した日から被告人清田、同松元、同室井に対しては各二年間、被告人高瀬に対しては三年間、被告人中島に対しては一年間右各懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して全部被告人らに負担させない。

市条例の違憲性と公務執行妨害罪の成否について

判示第一の(一)(二)、第二の(二)認定の各公務執行妨害罪における警察官らの職務行為は、いずれも昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に市条例という)第二条、第六条第一項、第八条に基くのであるから、市条例の右規定が、後記のように違憲である以上、警察官らの各職務行為は適法でなく、したがつて、これに対する暴行はもはや公務執行妨害罪を構成しないとの疑問を生ずるので、この点についてつぎのように付言する。

(一)  市条例第八条は、公安委員会が警察本部長に、無許可又は許可条件に違反して集団的行動が行われ、又は行われようとする場合に、その主催者、指導者もしくは参加者に対し警告を発し、その行動を制止し、その他違反行為を是正又は防止するにつき必要な限度において所要の措置をとらせることができる旨を規定している。そして、同条は市条例第二条(集団的行動の許可制)、第六条第一項(許可基準および許可条件)の有効であることを前提とするが、これらの規定が憲法に違反し無効である以上、市条例第八条もまた憲法第二一条に違反し効力を有しないものといわなければならない。

しかしながら、警察官らの右職務執行当時において、既に最高裁判所は、市条例とほぼ同一の内容を有する各地のいわゆる公安条例について、これらを合憲と判示し(その代表的な判決として新潟県条例につき昭和二九年一一月二四日大法廷、東京都条例につき昭和三五年七月二〇日大法廷)、また、改正前の昭和二五年京都市条例第六二号についてではあるが、昭和三五年九月二九日最高裁判所第一小法廷はこれを合憲と判示していたのである。このように、市条例は単に法規範として存在するというのみでなく、これとほぼ同一内容を有する各地のいわゆる公安条例について、最高裁判所が一貫して合憲と判示してきた状況並びにその状況下において、判示認定のような具体的事実その他諸般の情勢のもとで、警察官らがとつたその程度の警備措置は、市条例第八条の趣旨に照らして相当であつたというべく、かような諸状況のなかでは、警察官らが、その職務行為を適法と信じ、且つそのように信ずることもまことにやむをえないと思料される客観的状況にあつたものと認められるので、裁判所が、事後的立場から、警察官の職務行為の基礎となつた市条例を違憲と判断したからといつて、これをもつて、直ちに当該警察官の職務行為が適法でなかつたと解することはできない。

(二)  殊に、判示第二の(二)の公務執行妨害罪についてみるに、右の場合における警察官の職務は、市条例第八条に基く任務のみではなく、兼ねて、京都地方裁判所長の警察官派出の要請に応じ、デモ隊が集団で同裁判所構内に立ち入る場合には、これを阻止すべき任務をも合わせ帯びていたことが認められる。してみれば、判示認定の具体的状況のもとでは、同裁判所の警備に関して警察官らのとつた措置は相当であり、その要請に基く職務行為の適法であることは明らかである。なお、弁護人は、被告人高瀬はポポロ劇団件最高裁判所判決について、京都地方裁判所長に対して請願をなすため、同裁判所構内へ立ち入ろうとしたところを警察官に妨げられたのであるが、何人も請願のため、裁判所構内へ立ち入ることは当然許されるべきであるのに、これを阻止しようとした警察官らの職務行為は違法であり、これに対し暴行を加えても公務執行妨害罪は成立しないと主張する。しかし、被告人高瀬および同被告人が指導したデモ隊の行動をつぶさに検討するも、被告人高瀬らが同地方裁判所長に対し、平穏に請願しようとした気配は全く認められず、したがつて、請願権の行使が警察官らによつて妨害されたものとはいい難く、その職務行為の適法性について何ら疑問をさしはさむ余地がない。

以上説示によつて明らかなように、右警察官らの職務はいずれも適法なものというべきであるから、その職務の執行にあたり、これに暴行を加えた被告人らの所為は、公務執行妨害罪を構成するものといわなければならない。

本件公訴事実中、無罪の理由について

本件公訴事実中、被告人清田、同室井、高瀬に対する前記有罪と認めた以外の部分の要旨は、別紙訴因一覧表記載のとおりである。そして、右各公訴事実は、前掲有罪認定の各証拠並びに本件公判で取調べた各証拠を綜合してこれを認定することができる。そこで、同被告人らの右各所為が、昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に市条例という)によつて処罰されるべきであるかどうかについて順次検討する。

(一)  表現の自由と規制

(1)  表現の自由と集団的行動の本質

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、憲法が国民に保障する基本的人権で、侵すことのできない永久の権利である(憲法第二一条、第一一条)と同時に、表現の自由は、人権保障の構造体系の中でも優れて重要な地位を占めるものである。けだし、近代民主制国家においては、国民は、通常その主権を選挙を通じて行使するが、選挙には政治的、思想的意見の存在を前提とする。表現の自由は、この政治的、思想的意見の醸成をうながし、選挙の本来の目的を発揮させる必須の条件であり、したがつて、表現の自由は民主制社会の基礎とされ、憲法の保障するすべての自由の母体であるとさえいわれている。このように、民主制社会は、民衆の話す自由のみならず、民衆の聴く自由、知る自由、反対する自由が完全に保障されることによつてはじめて成立するのである。ところが現代社会において、大部分の民衆にとつては、印刷(新聞、雑誌等)、電波(テレビ、ラジオ等)など大規模且つ最も有効な思想伝達の手段であるマスコミニユケーシヨンは、実際上ほとんどこれを駆使することができず、したがつて、これらの者にとつては、自らの思想を主体的に表明する手段として、集会、集団行進、集団示威運動(以下これらを集団的行動という)は極めて重要な役割を果すものであり、また、代議政治のもとでは、その正常な運営上、選挙権を補う参政権的要素を有する。しかして、これら集団的行動は、正に憲法第二一条の保障する表現の自由の一形態なのである。

しかし、表現の自由といえども絶対無制限のものではなく、その自由権それ自体のうちに制約が存することは明らかであり、更に、表現の自由は内心の自由とちがい、本質的に社会的なものであり、他人の自由に関連するところが多く、各人の基本的人権相互の衝突の可能性を調整する原理としての公共の福祉の見地からする制約を免れないが、特に集団的行動については、一般人による道路、公園等の利用という社会生活上不可欠の自由との衝突が必然的に予測され、また集会等の重複、競合による混乱の可能性を含むものであるから、これを言論、出版の自由と異なる規制に服せしめる必要性も認められるのである。だが、前記のように、表現の自由は民主主義社会の根幹をなし、憲法の保障する基本的人権のうちでも最も重要なものであるから、これを制約するにしても、表現の自由に対する必要にしてやむをえない最小限度にとどまらなければならない。そこで、どの程度の措置が必要且つ最小限度のものとして是認されるのであろうか。これを判断するには、まず集団的行動の本質を、どのように認識し把握するかが、その前提的要素として大切であるといわなければならない。

おもうに、およそ集団的行動は、学生、生徒らの遠足、修学旅行等および冠婚葬祭等の行事を除いては、通常、一般大衆に訴えんとする政治、経済、労働、世界観などに関する何らかの思想、主張、感情等の表現を内包するものであつて、かような集団的行動が、ときによつて暴力に発展することは、これを否定することができない。けれども、集団的行動が暴力に発展する経過をみると、集団自体の性格の中にそのような傾向をそなえる場合があり、ある場合には、集団的行動の最中に挑発的行為など何らかの事由によつて平静な集団的行動が暴力化することもあり、更に稀には、憲法の保障する基本的人権が法の支配によつて保護されず、民衆の意思が、国政に正当に反映されていないと認められる顕著な社会情勢の存するときなど各種の原因が考えられるのであるから、これらの複雑な諸原因を捨象して、集団的行動の本質をもつて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり、潜在する一種の物理的力によつて支持されるものと特徴づけ、容易に暴力に発展する可能性のある危険なものと認識し、いわば、その病理的現象のみを強調するの余り、集団的行動が、前述のように、現代社会において果す重要な意義や機能を軽視するようなことがあつてはならないのである。

(2)  集団的行動の規制と当裁判所の原則的態度

そこで、当裁判所は、集団的行動を規制する原則については、昭和二九年一一月二四日最高裁判所大法廷が、昭和二四年新潟県条例第四号違反被告事件について判示したように「行列行進又は公衆の集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする。しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない。けだしかかる条例の規定は、なんらこれらの行動を一般に制限するのでなく、前示の観点から単に特定の場所又は方法について制限する場合があることを認めるに過ぎないからである。さらにまた、これらの行動について公共の安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限することにはならない」との見解によることが最も妥当なものと信ずる。

(二)  表現の自由と市条例

前述の原則に立つて市条例を検するに、第二項は、文理上いわゆる許可制をとつているのであるが、その定められた規制的措置は、果して上述の、必要にしてやむをえない最少限度にとどまるものとして憲法上許されるであろうか。

つぎにこれを考究する。

(1)  規制対象の特定性について

市条例第二条は「道路その他屋外の公共の場所で集会(以下屋外集会という)、もしくは集団行進を行なおうとするとき又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行なおうとするときは公安委員会の許可を受けなければならない。但し、次の各号のいずれかに該当する場合はこの限りでない。(1)学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育競技(2)通常の冠婚、葬祭等慣例による行事(3)前各号に掲げるものの外公安委員会が指示するもの(市条例施行規則第二条によれば、公衆の生命、身体、自由又は財産に対して直接の危険を及ぼさないと明らかに認められるもので、(1)官公庁が直接行なう諸行事等(2)許可の申請について公安委員会がその都度指示して除外したものがこれに該当する)」と定めている。

そこで、まず規制の対象となる集団的行動が行なわれる場所に関してみるに、市条例は屋外集会、集団行進については「道路その他屋外の公共の場所」、集団示威運動については「場所のいかんを問わず」と定めている。しかし、およそ思想等の表現を目的とする集団行進にありては、そのほとんどすべてが道路その他屋外の公共の場所で行なわれるものであることに鑑みると、「道路その他屋外の公共の場所」という限定規定に、場所の特定という意義を認めることは甚だ困難である。そのうえ、右のような集団行進の大部分は示威的要素を含み、実集上、集団行進と集団示威運動とは、同一の目的と機会における統一的行動として行なわれることが経験上一般的な事例であるから、集団示威運動につき「場所のいかんを問わず」とする以上、集団示威運動そのものについては勿論、集団行進についてもまた結局場所的特定がないのに等しいものといわなければならない。

次に規制の対象とする集団的行動の方法に関してみるに、市条例は、第二条但書(1)ないし(3)号に該当する前記諸行事を除き、すべての展外集会、集団示威運動を規制の対象としている。ところで、右の各除外例に該当するものは、外形上集団的行動と類似するけれども、これらは、いずれも一定の思想などを表現する行動とは全く、あるいはほとんど無関係なものであつて、これらを除外したからといつて、集団的行動の方法を特定したとはとうてい認めることができない。そのほか、参加人員、手段等集団的行動の方法について、これを特定する格別の定めが存しない市条例は、これら行動の方法を特定して規制しているとはいえず、むしろ、一般的に制限する規制方式をとつているものというほかはない。

(2)  許可基準の明確性について

市条例第六条第一項は、集団行動の実施が、公衆の生命、身体、自由又は財産に対して直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合のほかは、これを許可しなければならないとの原則をとつている。その規定の内容は、集団的行動の自由を制約する抽象的原理としてはまことに妥当なものといえる。しかし、このような抽象的な許可基準は、それが事後における司法的察査の基準としてならともかく、一行政機関である公安委員会が、集団的行動をその事前において規制すべき基準としては、具体性に乏しく不明確である。これを更に詳述すれば、同じ集団的行動の外形をそなえるとみられうる行動に関しても、単に道路交通や公の営造物管理については、それぞれ別個に特別の取締法規が規定されている(例えば道路交通法第七六条、第七七条など)。また、市条例はそれ自体、前述のように第二条但書において、いわゆる教科課程や冠婚葬祭、その他これに類似する慣例的行事をその規制の対象から除外する旨定めている。これらの行事行動のなかには、道路交通の秩序維持、静穏の保持、集団的行動相互の衡突による混乱の防止という見地から、実質上市条例による規制を必要とするものがあるにもかかわらず、法は前述のように、あるいはこれを別個の特別法規にゆだね、あるいはこれを市条例の規制対象から除外しているのである。そして、右のそれらの行動は、その性質上、思想等の表現を目的とすることとは全く、あるいはほとんど無関係なものとみられうる点、並びに、市条例およびこれらのいわゆる公安条例にみられた前文の趣旨等による制定の経過を合わせ考えると、市条例は、集団的行動のうち、思想等の表現を目的とした性質を帯びるものを、その規制対象としていることは優にこれを窺い知ることができる。そしてまた集団的行動が、その潜在的物理力によつて支持されるものとして、ある程度危険視されていることを否定し去るわけにはいかない。かようにみると、集団的行動に対する前記許可基準による許否の決定は、道路交通の取締や、公の営造物管理などの必要もさることながら、主として、治安維持の見地からなされるであろうことは、必須という敢えて過言ではないとおもう。そして、右のような治安上の見地から明白且つ現在する危険の存否が、集団的行動の事前において、一行政機関である公安委員会の裁量的判断によつて決せられるのであるから、右の許可基準が厳格に解釈されるという保障がない限り、制度上の問題として、公安委員会が権限を濫用して、集団行動の自由を左右するに至るという憂うべき現実の事態が起りうることも想定され、したがって、市条例第六条第一項の定める許可基準は、公安委員会が、集団的行動をその事前において規制すべき基準としては、未だ具体性に乏しく不明確であるといわざるをえないのである。しかも、市条例には、右の保障的措置を講じ、権限の濫用についてこれを防止すべき最大限の老慮が払われているとみられるべきものが存しない。なお、公安委員会に権限濫用の余地のある事実を、その実際上の運用の如何に帰せしめることは、法の規範性にもとり、当裁判所のとらないところである。

市条例第六条第一項に定められた許可基準に明確性がないことは。上述のとおりである。しかし、一般公衆の権利との調和を目的として、集団的行動の参加人員、場所、方法等の具体的諸条件をできる限り明確に規定したうえで、市条例第六条第一項のような抽象的基準を掲げるのであれば、集団的行動に対する事前規制の基準として許される場合もありうるであろうが、市条例には右のような具体的基準を欠き、むしろ、これに近い事項のいくつかが、集団的行動の許否の決定基準としてではなく、許可に際して付しうる条件として掲記されているに過ぎない。更にまた、市条例第六条第四項は「公安委員会は第一項の規定により不許可にしようとするときは、原則として二四時間前までに主催者の出頭を求め予め意見を聞くものとする」と定めているが、これとて同条第一項の許可決定基準の不明確さを補い、権限の濫用を防止する措置としては十分でない。そのほか市条例は「この条例の各規定は、第二条、第三条に定めた屋外集会及び屋内集会、集団行進又は集団示威運動以外に集会等を行なう権利を禁止もしくは制限し。又は集会、政治運動を監督しもしくはプラカード、出版物、その他の文書。図書を検閲する権限を公安委員会、警察職員又はその他の市職員に与えるものと解釈してはならない(第一〇条)」と定め、また「この条例の各規定は、公務員の選挙に関する法律に矛盾し、又は選挙運動中における政治集会もしくは演説の事前の届出を必要ならしめるものと解釈してはならない(第一一条)」と定めているが、これらはいずれも当然の事理を規定したに過ぎず、その規定の存することは前記判断に何らの影響を及ぼすものではない。

(3)  救済手続の不備について

市条例では、集団的行動の許可申請があつた場合に、許可、不許可をすみやかに決定し、不許可処分をしたときには主催者らに対する通知義務がある旨の規定を設けている。即ち、市条例第六条第二項は、公安委員会は、集団的行動の許可申請に対し許可をしたときは、申請書の一通にその旨を記入し、特別の事由のない限りこれら行動を行なう日時の二四時間前までに、主催者又は連絡責任者に交付しなければならないと定め、市条例施行規則第五条では、公安委員会は右の許可申請書を受理したときは、市条例第六条第一項の規定により、すみやかに許可、不許可を決定し、申請書に許可又は不許可の旨と、許可の場合であつて条件をつけたときはその条件を合わせて記載し、その一通を警察本部長を通じ、申請書の進達を行なつた警察署長を経て主催者又は連絡責任者に交付しなければならないと定める。しかし、公安委員会が何らかの理由により許可申請に対し行動実施日時まで許否を決定せずに放置し、又は不許可処分の主催者らに対する通知義務を怠つたような場合、申請者とその集団は、集団的行動を行なつて差支えないという明文の規定がない以上、その主催者、指導者らは、許可処分を受けない限りこれらの行動をあきらめるか、仮りに強行するとしても、無許可の集団的行動として、少くとも警察の取締あるいは処罰の対象となることを容認しなければならない。なお右のような事態に対しては、行政不服審査法その他の法令に基く不服申立の途が開かれてはいるが、これらの手続によることは、集団的行動の性質上、多くの場合時宜を失し有効な救済手段とはなりえない。事前抑制に伴うこのような取り返しのつかない弊害の危険性を防止するためには、少くとも昭和二四年新湾県条例第四号の第四条のように「許可申請書を受理した公安委員会が、当該行列行進集団示威運動開始日時の二四時間前までに条件を付し又は許可を与えない旨の意思表示をしない時は、許可のあつたものとして行動することができる」という趣旨の規定を、当該条例中に設けることが是非とも必要なのであるが、市条例にはかような趣旨の規定は存しない。そして、右のような救済手続に関する規定の不備は、単に立法技術の巧拙の問題として看過すべきでなく、市条例第二条、第六条第一項の「許可」が、集団行動の一般的禁止を前提とする規制方式であると解される一つの要因でもあるといわなければならない。

(4)  許可制の本質について

市条例第六条第一項は、屋外集会、集団行進、集団示威運動につき原則的に許可を義務づけ、不許可の場合を厳格に制限しているから、市条例はその規定の文面では許可制を採用しているが、この許可制は、その実質において届出制と異なるところがないとみうる余地もないわけではない。

しかし。市条例第二条、第六条第一項の「許可」という用語を敢えて「届出」と解するためには、不許可の裁量権が合理的で明確且つ具体的な法規によつて厳格に制限され、裁量について濫用の余地がないように、当該条例中に十分な配慮がなされていなければならない。ところが、市条例第六条第一項の定める許可基準は、前述のように、その明確性を欠くのみならず、これに関する規定の内容自体に濫用を防止すべき最大限の考慮が払われているとみられるべきものがない。更に市条例は、第三条で「屋内の公共の場所で集会(以下屋内集会という)を行なおうとするときは公安委員会に届け出なければならない」と規定し、第二条、第六条第一項の前記「許可」とは明確に二つの用語を区別して使用し。また法律効果の点においても、両者は明白に異なつて取扱われている。即ち、公安委員会は右の届出があつたときは、市条例第五条に定める届出の手続的要件を具備しないと認められる場合のほかは、届出を受理しなければならないのであつて(第七条第一項)、市条例第六条第一項の「許可」の場合のように、公安委員会による許否の裁量の余地を残していない。

要するに、市条例第二項における規定対象の無限定性および第六条第一項の許可基準が明確でないうえ、権限濫用を防止する的確な条項がないこと、また市条例は「許可」と「届出」を通常の用法に従い明確に区別して使用していること、更に救済手続が不備であることなど市条例の各規定を有機的な一体として考察すると、市条例の許可制をもつて、単なる確認、受理のための規制としての届出とはとうてい解しえず、一般的禁止を前提する規制と認めざるをえないのである。

(5)  結び

以上説示したところを総合すると、市条例第二条、第六条第一項等の規定は屋外集会、集団行進、集団示威運動について、これらの行動をほとんど一般的に禁止し、その実施を、抽象的で不明確な基準に従う公安委員会の許可にかからせ、且つ、公安委員会の恣意的な怠慢の危険性に対し、これが実施を可能ならしめるための有効な救済手段が市条例に欠如していることが明らかであるから、かような規制方法は、憲法上特に重要視されるべき表現の自由に対するものとしては、必要にしてやむをえない最少限度を超えたものと解すべきである。したがつて、市条例が第九条第一項において、第二条の規定による公安委員会の許可なくして行なわれた屋外集会、集団行進又は集団示威運動の主催者、指導者又は煽動者を処罰する旨を規定したことは、その限りにおいて、憲法第二一条に違反し無効というべく、また、市条例第九条第二項は、第六条第一項但書による許可条件に違反して行なわれた集団的行動の主催者らを処罰する旨規定するが、右許可条件違反は、その基本となるべき市条例第二条、第六条第一項の許可制が有効であることを前提とするところ、前記のように市条例第二条、第六条第一項の許可制が憲法第二一条に違反して無効であるから、右許可条件に違反して行なわれ屋外集会、集団行進又は集団示威運動の主催者、指導者又は煽動者を処罰する市条例第九条第二項もまた前同様憲法二一条に違反し無効というべきである。

結局、右の理由により、別紙訴因一覧表に記載する市条例違反の各公訴事実はいずれも罪とならず、そのうち、被告人高瀬泰司に対する(五)の(2)、(3)および(六)の(4)の各訴因は、いずれも判示認定の道路交通法違反教唆の各所為と、それぞれ観念的競合の関係にあるものとして起訴されたものと認められるから、この点につき主文において特に無罪の言渡をしないが、その余の各公訴事実については、刑事訴訟法第三三六条前段により被告人らに対し無罪の言渡をなすべきものである。よつて主文のとおり判決する。(橋本  盛三郎 阿蘇成人 西川賢二)

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