京都地方裁判所 昭和42年(わ)1817号 判決 1982年12月10日
本店所在地
京都市中京区木屋町通三条下る材木町一八四番地
商号
株式会社マンモスクラブメトロ
代表者
代表取締役 太田孝
右の者に対する法人税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察清水治、弁護人大槻龍馬、同前堀政幸、同前堀克彦出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告会社株式会社マンモスクラブメトロを罰金六〇〇万円に処する。
訴訟費用は、昭和四八年一〇月一七日証人守上正孝に支給した分を除くその余の分全部を被告会社の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告会社株式会社マンモスクラブメトロは、京都市中京区木屋町通三条下る材木町一八四番地に本店を置き、同所においてマンモスクラブ「メトロ」名義でキャバレーを経営する株式会社であるが、被告会社の当時の代表取締役として同会社の業務全般を統括していた太田清(昭和五二年六月八日死亡)において、被告会社の業務に関し法人税を免れようと企て、売上金の一部を架空名義の預金に入金する等の不正の方法によりその所得を秘匿したうえ、
第一 昭和三八年一一月一日から同三九年一〇月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一四七八万三七八一円で、これに対する法人税額は五四六万七五〇〇円であるにもかかわらず、所轄の京都市中京区柳馬場通二条下る等持町一五番地所在中京税務署長に対し、法定の申告期限である昭和三九年一二月三一日までに右事業年度の法人税確定申告書を提出せず、もって不正の行為により右法人税額を免れ
第二 昭和三九年一一月一日から同四〇年一〇月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一七〇八万七二〇九円で、これに対する法人税額は六一四万二一〇〇円であるにもかかわらず、前記中京税務署長に対し、法定の申告期限である昭和四〇年一二月三一日までに右事業年度の法人税確定申告書を提出せず、もって不正の行為により右法人税額を免れ
第三 昭和四〇年一一月一日から同四一年一〇月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が九五三万二四四四円で、これに対する法人税額は三二三万六五〇〇円であるにもかかわらず、昭和四一年一二月三〇日前記中京税務署長に対し、右事業年度における所得金額は零円(欠損金額二五〇七万〇七五五円)で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により右法人税額を免れ
たものである(なお、右各所得の内容は別紙(一)ないし(三)の各損益計算書のとおりである)。
(証拠の標目)(末尾括孤内は請求証拠番号である)
一 太田清の検察官に対する供述調書八通(検甲93ないし100)
一 太田清に対する大蔵事務官の質問てん末書三通(検甲90ないし92)
一 太田孝の当公判廷における供述及び第四九回、第五〇回各公判調書中の同人の供述部分
一 証人杉崎和一の当公判廷における供述及び第三六回ないし第四〇回、第四五回、第四六回各公判調書中の同証人の供述部分
一 付合議決定前第九回ないし第一一回各公判調書中の証人守上正孝の供述部分
一 第一四回ないし第一六回各公判調書中の証人山本章雄の供述部分
一 第二一回公判調書中の証人岩田敏彦の供述部分
一 第三二回公判調書中の証人藤原清敬の供述部分
一 登記官作成の登記簿謄本(検甲1)
一 中京税務署長作成の証明書(検甲5)
一 大蔵事務官作成の調査事績集計表(検甲14。但し第一丁ないし第四丁を除く)
一 杉崎和一(検甲42、43)、藤原満敬(同57)、花岡健治(同63)、森迫盛之(同69)及び小幡広子(同72)の検察官に対する各供述調書
一 杉崎和一(検甲41)、谷猶一(同49)、藤原満敬(同55、56)及び花岡健治(同62)に対する大蔵事務官の各質問てん末書
一 大蔵事務官作成の調査てん末書五通(検甲15ないし17、20、37。但し37は抄本)
一 東浦貞則(検甲30)、竹長源一郎(同31)、多賀仁男(同32)及び岡村修知(同35)各作成の確認書
一 吉田公三作成の「クラブメトロ勘定」と題する書面(検甲36)
一 太田清作成の上申書二通及び請願書(弁甲1ないし3)
一 仮処分決定写、和解調書及び写真一四葉(弁甲4ないし6)
一 京都府中京府税事務所長作成の法人事業税更正通知書写二通(弁甲8、9)
一 押収してある小口払支出内訳書一級(昭和四四年押第一七三号の一、検乙1)、銀行勘定帳三冊(同号の四八、四九、五八、同2、3、14)、料飲等消費税輸係ノート一冊(同号の二、同4)、仕入経費集計表一級(同号の四六、同5)、金銭出納帳三冊(同号の五一ないし五三、同7ないし9)、大学ノート一冊(同号の五四、同10)、売上集計ノート一冊(同号の四七、同15)、前貸金控除額内訳書一級(同号の三、同16)、証書貸付元帳三枚(同号の四、五、同17、18)、売掛帳四冊(同号の二八ないし三一、同41の1ないし4)、損益計算書及び経費内訳明細表各一枚(同号の四一、同50)、仕入帳一冊(同号の六〇、同55)、ペンチャーズ関係請求書付ノート一冊(同号の六四、同57)、柾木屋関係仕入帳一冊(同号の六二、弁乙1)及び売上伝票九級(同号の六三、同2)
(争点に対する判断)
本件各事業年度における所得金額の確定にあたり、売上高等収入面については争いがないけれども、支出面については、これを直接に証明する帳簿書類が一部脱落しまたは存在しないためその部分についていかなる方法により把握計上するかをめぐり検察官、弁護人間に争いがある。このうち主要な争点である(一)簿外経費の合理性及び正確性、(二)簿外人件費、営業妨害対策費等の簿外支出、(三)小口関係経費の計上洩れ、の三点について以下に当裁判所の判断を示し、その他の問題点に関する認定の理由については別紙(四)において各勘定科目ごとに説明を加えることとする(なお前示「罪となるべき事実」第一ないし第三記載の各事業年度を「第一期」「第二期」「第三期」とする)。
一 簿外経費について
被告会社においては本件各事業年度当時、帳簿書類が完全に整備されておらず、更に被告会社の業態の特質上相当多数の帳簿外取引があったことは明らかである。このような場合、被告会社の全取引を解明するため、取引銀行の調査及び内部記録の検討から期中の現金預金の変動を把握し、売上現金のうちの使途不明金、預金関係の原因不明入金及び使途不明出金を摘出し、差引不明出金分を経費として計上することは合理的処理方法であると言うべく、又このようにしても被告会社に何らの不利益を蒙らせることはないのである。
本件において検察官が用いた算出方法は、(一)現金売上額及び売掛入金額から指名料等現払・小払充当、表勘定入金、裏勘定入金、報酬給料直払分等を控除した金額(ただし第一期についてはビール基準法による推計売上高と銀行預金高調査法による推計売上高との差額)、(二)売上以外入金のうちの支出先不明分、(三)預金関係の差引不明出金、を加算し、ここから会社経費とは異なる使途判明分を減算し、その結果の使途不明金をもって簿外経費とするというものであり、これにより第一期において三五八〇万四〇二〇円、第二期において二一八二万二九一〇円、第三期において一一八五万三八八五円を各計上している。
これについて検討するに、まず右算出方法及びその結果を経費とみなす処理それ自体は既に述べたところにより相当なものとして許容すべきである。問題は右算出の際の根拠資料となる預金関係調査結果の正確性、すなわち現金・預金の変動が十分正確に把握解明されているか否かである。多数の架空名義口座等から成る裏預金関係については、銀行関係者及び太田清の供述並びに各調査てん末書等により、それらが被告会社のために開設された口座であることの特定が十分になされていると認められる。しかしながら、元帳の個々の入出金記載から査察官が摘出して集計した根拠については担当した守上査察官によっても明らかになっていない部分があり、もとより弁護人が指摘する全項目について資料に基づく回答を要求するのは右資料の散逸等により困難を強いる面があるとしても、なお判定の過誤ないし把握洩れが存するとの疑いを払拭できない。また預金間振替について、例えば表勘定入金中で裏勘定からの入金と判定され銀行勘定帳上にその旨記入された分の一部しか差引処理されていないなど、その根拠が不明確なものが見受けられる。更に、太田清は昭和四一年四月からクラブ「フラミンゴ」を経営していたものであるが、木村良太郎、岩田敏彦の公判廷における各供述等によれば被告会社と「フラミンゴ」の経理が一部混同していた事実が認められるところ、「フラミンゴ過剰入金」「フラミンゴ仮払金」計上による補正についてはその基礎資料の正確性に疑問をはさむ余地が多分にあり、その他太田清の個人資産の持ち込みの可能性も否定し難いと言うべきである。なお、第一期につき、売上に関する現金の使途不明金の推定が前記のとおり極めて概括的なものであって、しかも銀行預金高調査法による推計売上高のうちには太田清の質問てん末書における供述に基づく大雑把な売掛金残高が含まれているなどの問題がある。以上により、検察官の主張する本件簿外経費科目については、その算出資料の把握の正確性に多くの問題点があるので採用することができない。なお、検察官の主張する社長支払経費科目についても、その性質は使途不明金としての簿外経費であり、右に述べたところと同断である。
二 簿外人件費、営業妨害対策費等について
検察官の主張するとおりの簿外経費各科目を採用することができないとしても、被告会社において各期相当多額の帳簿外支出があったことは検察官、弁護人いずれも認めており、関係各証拠により明らかである。これに関し弁護人は、(一)裏給与、ホステスに対する引抜料、支度金及び引止め料等簿外の人件費支出があり、帳簿上に記載されている報酬給料及び指名料と右簿外人件費を合わせた全体の人件費は、本件当時売上高の最低五〇パーセントを占めていたことは業界の常識である旨、(二)被告会社が貸借し営業していた店舗については、昭和三六年一〇月に明渡等請求訴訟を提起されるなど紛争が絶えず、昭和三八年五月三〇日には右店舗の一部及び機械類を破壊される等の事件が発生し同年六月一九日には妨害排除の仮処分の決定を得たが、その後も営業妨害を受け、被告会社は右一連の紛争に対応して多額の営業妨害対策費、機密費、訴訟費用を支出したが、これらは全て太田清が簿外で支払っていた旨、それぞれ主張する。
(一) 太田孝、杉崎和一及び岩田敏彦の公判廷における各供述によれば、太田清は売上金の一部を留保し、このうちから帳簿外で、ホステスに対する引抜料(支度金)、成績優秀又は引き抜いてきたホステスに対する一時金ないし現物支給等の裏給与、引き抜きの際の飲食代やスカウト料などを支出していたことが認められ、これについて領収証等の物的資料は存しないけれども、右経費の性質上、経営者である太田清が帳簿に記載せずかつ領収証等を受け取らず支出したとしても何ら不自然でなく、かつ右状況は十分推認し得るから、他の証拠に照らし合理的な範囲内で数額を認定すべきことになる。そして、前記「フラミンゴ」の昭和四一年開店当初の人件費率、被告会社の昭和四六年一一月以降の公表決算における人件費率、その間の人件費上昇傾向の割合等関係各証拠を総合検討した結果、本件各事業年度当時の被告会社における売上高に対する人件費率は四五パーセント程度であったと認めるのが相当である。よって、右比率から各期における報酬給料及び指名料合計の対売上比率を差し引いた数値をもってそれぞれの期における簿外人件費の対売上比率とし、これを売上高の額に乗じて計上する。
(二) 太田孝、杉崎和一の公判廷における各供述及び仮処分決定、和解調書の各写、上申書等によれば、営業妨害対策費等の支出を必要とした理由として弁護人が主張する事実関係、並びに太田清が簿外で従業員、警備員に対する特別手当、訴訟費用、弁護士報酬等の全額を支出していたことが認められる。そして支出額についての太田孝の右供述は具体性に乏しい面がないわけではないけれども右金額を下回るとの証明もない以上、弁護人の主張どおり認定せざるをえないと言うべきである。
三 小口関係経費について
弁護人は、第一期における小口関係経費(別紙(一)損益計算書の番号8ないし17の科目)につき仕入経費集計表(乙5)には不備又は計上洩れがあるので、福利厚生費、交通費、交際接待費、備品消耗品費、広告宣伝費、芸能費については第二期ないし第三期におけるそれぞれの対売上比率に準じて推計すべきであると主張する。よって検討するに、仕入経費集計表は被告会社の当時の経理課長が同社の経費を把握するため帳簿類に基づき作成していたものであって信用するに値し、また右各経費が売上高と比例する関係にあるとは必ずしも認められないから、弁護人の主張は合理性がない。ところで、仕入経費集計表によれば、福利厚生費、交通費、交際接待費、公租公課、賃借料(都会館への支払分)の各科目は昭和四〇年一月から設定され、逆に小口経費の科目は昭和三九年一二月まで記載されており、これと右各科目の数値を考え併せれば、右福利厚生費等の科目は昭和三九年一二月までは右小口経費の科目にまとめて計上されていたものと認められる。次に、仕入、通信費、修繕費、備品消耗品費、水道光熱費、広告宣伝費、雑費、芸能費の各科目は昭和三九年一月から設定されているため、昭和三八年一一月分及び一二月分につき補正計上を要するところ、検察官の主張する「表勘定支払」の科目によっては右科目の全部(とくに芸能費)についてまかなえないことが銀行勘定帳(乙2)の該当部分の摘要欄記載によって明らかであるので、右科目の他の数額に見合う額を計上する方法によることとし、「仕入経費集計表補正」科目として別紙(一)番号18のとおり認容した。
(法令の適用)
被告会社の判示第一の所為は、昭和四〇年法律第三四号による改正前の法人税法五一条一項、四八条一項に、判示第二及び第三の各所為は、いずれも昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項、一五九条一項にそれぞれ該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により合算した金額の範囲内で被告会社を罰金六〇〇万円に処することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文のとおり被告会社に負担させることとする。
よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 伊藤正髙 裁判官 米山正明)
別紙(一)
損益計算書
自 昭和38年11月1日
至 昭和39年10月31日
<省略>
別紙(二)
損益計算書
自 昭和39年11月1日
至 昭和40年10月31日
<省略>
別紙(三)
損益計算書
自 昭和40年11月1日
至 昭和41年10月31日
<省略>
別紙(四)
補足説明
<省略>
<省略>
<省略>