大判例

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京都地方裁判所 昭和42年(ワ)494号 判決 1973年9月18日

原告

株式会社伏見運送店

みぎ代表者

奥村平右衛門

原告

田門フサエ

外二名

原告ら訴訟代理人

中村吉郎

被告

日本道路公団

みぎ代表者

前田光嘉

みぎ訴訟代理人

沢本一夫

みぎ指定代理人

岸本隆男

主文

被告は原告株式会社伏見運送店に対し金一四六万円とうち金一三六万円に対する昭和四四年四月一一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告田門フサエに対し金三〇万円、原告田門俊一、同田門富恵に対し各金一五万円と、これらに対する昭和四二年五月一三日から支払いずみまで同割合による金員を支払え、

原告株式会社伏見運送店のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができ、被告は原告株式会社伏見運送店に対し金一〇〇万円の担保を供して仮執行を免れることができる。

理由

一訴外亡田門俊男は、昭和四二年一月一二日、原告会社所有の大型貨物自動車を運転して、伏見から西宮に向つて、被告公団の設置管理する名神高速道路下り車線を進行中、茨木市下穂積の下穂積高架橋上(西宮を基点として22.8キロポストから東方約一〇〇メートル附近)で、いわゆる玉突衝突事故が発生し、同訴外人は即死したこと、本件事故のとき、降雪は止んでいたが、濃霧のため、本件事故現場附近の視界が二〇メートルであつたこと、以上のことは、当事者間に争いがない。

二本件事故発生の原因について

(一)  みぎ争いのない事実や、<証拠>を総合すると、次のことが認められ、<証拠判断省略>

(1)  本件事故現場は、名神高速道路の茨木インターチエンジと豊中インターチエンジの間で、下穂積高架橋(長さ約一四五メートル)上である。

下穂積橋高架橋は、それぞれ二車線(一車線の幅3.7メートル)からなる上り線下り線が中央分離帯(約三メートル)で区分され、両路肩の外側には、高さ約一メートルのコンクリート防護壁が設けられている(添付図面参照)。

なお、乗用車の最高速度が毎時一〇〇キロメートル、貨物自動車のそれが毎時八〇キロメートルに、最低速度が毎時五〇キロメートルにそれぞれ定められている。

(2)  訴外密岡達夫は、普通貨物自動車(三河4そ七一五九号)を運転して、豊橋市から大阪に向つて、名神高速道路下り走行車線を進行した。

同訴外人は、京都南インターチエンジをすぎて天王山トンネルの辺りまできたとき、霧のため視界が約三〇メートルになつたので、時速を四〇ないし五〇キロメートルに落して進行したが、茨木インターチエンジをすぎたとき、視界が二〇メートルになつた。そこで、密岡達夫は、スピードを約四五キロメートルに落して本件事故現場に差しかかつた。

密岡達夫は、本件事故現場附近で、後続車(タンクローリー車)を追い越させるため、車を走行車線の左側に寄せ、再び走行車線の右側に戻るべくハンドルを右に切つたが、路面が凍結していたためハンドルをとられ、三、四回ローリングしたのち、一回転して停車した。そこで、密岡達夫は、急いで車を元に戻し走行車線の左に寄せて停車した。

密岡達夫がこのように停車したのは、昭和四二年一月一二日午前六時五分ころである。

(3)  訴外大谷統一は、普通貨物自動車(多摩4ほ五七一〇号)を運転して、東京から和歌山に行くべく、同日午前二時ごろ小牧インターチエンジから名神高速道路下り線に入つた。この辺りから、名神高速道路には積雪があり、これが両側にかき分けられていた。京都を出たあたりで、霧がだんだん増え、見とおしが悪くなつた。そうして、道路のところどどころが凍結していたので、ハンドルをとられた。

大谷統一は、茨木インターチエンジをすぎてから、時速四〇ないし五〇キロメートルで西進を続け、本件事故現場に差しかかつたところ、前方に停車中の前記密岡達夫の運転する大型貨物自動車を発見し、急停車した。

大谷統一のこの普通貨物自動車の直近で、右後部を追越車線の方にふつてやつと停車した。

(4)  訴外野田良二は、大型貨物自動車(名古屋1う二六一八号)を運転して、同日午前五時ごろ大津インターチエンジから名神高速道路下り車線に入つたが、このとき、被告公団の職員は、「雪はないし、制限もない」と説明した。

天王山トンネルを越えたあたりから、霧が濃く流れて移動し、見とおしが二〇ないし三〇メートルしかなかつたので、野田良二は、時速を四〇キロメートルに落して西進を続けたが、本件事故現場附近では、特に見とおしが悪くなつた。そこで、野田良二は、前方に注意しながら進行して行くと、停車中の大谷統一の普通貨物自動車を発見した。そこで、大谷統一は、右にハンドルを切つたところ、路面凍結のためスリップし滑走しながら大谷車に追突してしまつた。大谷車は押し出されて密岡車に追突した。

(5)  訴外朝倉寛次は、同日午前六時ごろ、凍結防止用の薬液(塩化カルシユム)を撤布するため、被告公団の撤水車(京8せ三七号)を運転して被告公団茨木道路維持事務所を出発し、名神高速道路に入つたが、このとき、霧のため見とおしが悪く、視界は五〇メートルであつたので、時速四〇キロメートルで西進し、本件事故現場に差しかかつたがその手前二〇〇メートル位では、視界二〇メートルになつた。

朝倉寛次はそのままのスピードで運転を続け、前記野田車を発見して急ブレーキをかけたが間にあわず追突した。名神高速道路に入つた地点から衝突地点までは、1.8キロメートルである。

(6)  訴外阿部昌憲は、大型貨物自動車(香1い一七一五号)を運転して高松に行くべく、一宮インターチエンジから名神高速道路下り車線に入つたが、京都南インターチエンジをすぎたころから、霧のため見とおしが悪くなり、視界五〇メートルになつたので、スピードを五〇キロメートルに落して西進した。

茨木インターチエンジをすぎたとき、急に視界が二〇メートルになつたが、そのままのスピードで進行しているうちに、前記朝倉車を発見し、急ブレーキをかけたところ、路面が凍結していたのでスリップし、朝倉車に追突した。

(7)  訴外林田久雄は、大型貨物自動車(長崎1う一〇一〇号)を運転して佐世保に行くべく、大津インターチエンジから名神高速道路下り車線に入つた。

霧は、西に行くに従つて濃くなり、茨木インターチエンジを出たところでは、一段と濃くなり、見とおしが悪くなつたので、林田久雄は、時速五〇キロメートルにスピードを落して西進中、本件事故現場の手前一〇〇メートルの辺りで視界が二〇メートルになつたので、スピードを四〇キロメートルに落した。そうして林田久雄は、本件事故現場で、前記阿部車を発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、これに追突した。

(8)  田門俊男は、原告車を運転して、この林田車に追従し、林田車が阿部車に追突するのと同時に、林田車に追突した。

(9)  訴外塩崎寛幸は、大型貨物自動車(香1い二二六四号)を運転して原告車に追従し、原告車が林田車に追突するのと同時に、原告車に追突した。

(10)  本件玉突衝突事故のほか、同日午前六時四〇分ごろ、吹田市岸部上り車線一九キロポスト附近で、八台の車の玉突衝突事故が、同日午前六時四五分ごろ、茨木市中穂積下り車線23.2キロポスト附近で、八台の車の玉突衝突事故が発生した。これらの事故の原因は、本件事故と同様、濃霧と路面凍結である。

(11)  本件事故のあつた下穂積高架橋は、高架で吹きさらしのため、凍結の可能性が強く、霧も発生し易い場所である。

本件事故のあつたとき、下穂積高架橋の路面は一面に凍結し、茨木インターチエンジから下穂積高架橋までの路面(約1.8キロメートル)は、部分的に凍結していた。

(二)  以上認定の事実から、次のことが結論づけられる。

(1)  本件玉突衝突事故の原因は、下穂積高架橋の路面が一面に凍結し、事故車らが急停車の措置をとつたが、凍結のためハンドルをとられて滑走し、急停車できなかつたことと、濃霧のため、見とおしが悪く、近接してやつと、突進中の事故車らを発見し、それから急制動をかけても、間に合わなかつたことにある。

(2)  田門俊男の追突の原因も同様である。

(3)  田門俊男が、特別高速度で無謀な運転をしたことが認められる証拠がないのであるから、他にも多くの追突事故を惹起した運転手があることにかんがみ、田門俊男に運転上の過失があつたとするわけにはいかない。

三被告公団の名神高速道路管理について

(一)  <証拠>を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(1)  被告公団では、毎年一一月二〇日から翌年三月中頃までを雪氷対策期間とし、名神高速道路の雪氷に対処して、事故防止のため道路管理に留意し、特に高架橋梁の区間には、重点的に、薬剤、薬液の撤布をして、夜間の急冷による路面凍結防止に務める方針であつた。

(2)  昭和四二年一月一一日は、昼ごろから降雪があり、午後六時三〇分ごろから、茨木地方はみぞれになつたので、被告公団の名神高速道路雪氷策本部では、同日午後八時全線の速度を五〇キロメートルに制限したが、降雪がやんだので、翌一二日午前三時三〇分、この制限を全線にわたつて解除した。

(3)  他方、被告公団茨木道路維持事務所は、一一日退庁後、一〇名の職員に雪氷対策員として居残りを命じ、パトロールを強化した。

本件事故現場附近は、一一日午後八時二〇分ごろ、薬剤がまかれたが、その後本件事故までに薬剤、薬液の撤布はなく、茨木道路維持事務所は、茨木インターチエンジより東側でこれまで凍結の多かつた方に力を入れて薬剤や薬液の撒布をした。この撤布された薬剤や薬液は、路面の水などで薄められ、漸次効果がなくなつていくものである。

(4)  同事務所は、一一日午後一一時四〇分ごろ、受持区域(大津東インターチエンジから西宮インターチエンジまでの間)の薬剤、薬液の撤布を終え、一二日午前〇時ごろ、夕食をとり、再び、受持区域のパトロールを一回し、午前三時三〇分ごろ、電話番を残して仮眠した。

当時の同事務所の責任者であつた訴外大内正は、仮眠する際、気温が一度で降雪もなく、これで朝まで大丈夫であると判断した。

(5)  前記対策本部は、一二日午前六時ごろ、同事務所に、西宮インターチエンジの料金所前広場が凍結しそうなのですぐ出動するよう電話してきた。そこで、大内正は、朝倉寛次を起して、薬液撤布のため西宮インターチエンジに向わせた。この朝倉車が、本件玉突衝突事故に巻き込まれる結果になつた。

(6)  大内正は、前記本部からの電話連絡があるまで、受持区間の路面状況を把握していなかつたので、路面凍結や濃霧の発生がいつあつたのか全く判つていなかつた。従つて、同事務所から連絡がなかつたので、対策本部に、路面凍結や濃霧について、なんの情報も入つていなかつた。

なお、同事務所と本部とは、直通電話や無線で連絡することができ、対策本部は、名神高速道路の全情報を集めて指示することができる体制になつていた。

(二)  以上認定の事実から、次のことが結果づけられる。

(1)  茨木道路維持事務所は、一二日午前三時三〇分ごろで、雪氷対策を終え、一度撤布した薬剤、薬液の効果により、路面凍結が防止できると速断し、それ以後、なんらの路面凍結防止をしなかつた。

(2)  ところが、一二日の朝方から温度が下り、薬剤、薬液の効果がなく、本件事故現場をはじめとする高架橋梁の路面が一面に凍結してしまつた。

しかし、同事務所は、早朝のパトロールを怠つたため、この凍結を発見して適切な措置を講ずることができなかつた。

(3)  そのうえ、同事務所は、霧に対する事故防止については、全く念頭になく、濃霧に対する交通安全について、なんらの適切な措置がとられなかつた。

四責任原因

(一) 被告公団は、名神高速道路を設置管理しているが、高速道路は、国の重要幹線道路であり、通行車両も多く、しかも高速で通行するのであるから、通行車両の安全については、最重点的に配慮をしなければならない。従つて、高速道路が道路としての安全性に欠け、それが、道路管理上の手落ちにもとづくときには、被告公団の高速道路の管理に瑕疵があつたと解するのが相当である。そうして、この管理の内容は、高速道路であることから、高度のものが要求されるのは当然である。

本件では、下穂積高架橋の路面が一面に凍結していたもので、これが、被告公団の名神高速道路管理の手落ちであることは、多言を必要としない。路面が凍結しているということは、道路の通行の安全性が欠如しているということであり、しかも、凍結防止の方策がないわけではなかつた。すなわち、前記事務所が、一二日午前三時三〇分以後も薬剤、薬液撤布をしたり、パトロールを強化することによつて、凍結防止が可能であつた。

そのうえ、本件事故では、視界二〇メートルの濃霧があり、これが、路面凍結と相まつて、本件事故を大きくする原因になつた。しかし、被告公団では、本件事故当時、濃霧中に名神高速道路を通行する車両の安全を確保するため、なんらの方策もとられなかつた。濃霧に対処するためには、通行車両の速度を制限するが、場合によつては、名神高速道路を部分的に閉鎖する措置が必要となり(道路法四六条一項)、その閉鎖を完全にするためには、閉鎖区間にすでに進入した車両を直接誘導することも必要になつてくる。

本件でも、前記事務所が、気象状況に留意し、茨木インターチエンジから西方の濃霧を早く発見し、茨木インターチエンジを通行する西行車両に警告を発し、あるいは、同インターチエンジの下り車線を閉鎖していたなら、本件事故の発生は防ぎ得たわけである。

ここに特記すべきことは、本件事故と相前後して、他に二件の玉突衝突事故が発生し、その原因が、いずれも、路面凍結と濃霧であることである。このことから、本件事故当時、本件事故現場附近から西の名神高速道路は、まことに通行上危険な状態にあつたということができ、これは、被告公団の道路管理の杜撰さの証左である。

以上の次第で、被告公団の名神高速道路の管理に手落ちがあり、これは、道路管理の瑕疵であるとしなければならない。

従つて、被告公団は、国家賠償法二条一項により、原告らに生じた損害を賠償する義務があることに帰着する。

(二)  被告公団は、本件事故は不可抗力によると抗弁しているが、以上に説示したところから明らかなとおり、本件事故は、不可抗力によつて発生した事故ではない。

従つて、被告公団のこの抗弁は排斥する。

五損害額について

(一)  被告会社の損害

(1)  応急費 〇円

これが認められる的確な証拠がない。

(2)  社葬費 金一九万円

証人奥村真一の証言や原告会社代表者奥村平右衛門の本人尋問の結果によつて認める。

(3)  原告車の損害 金一一七万円

みぎ証言と同結果によつて認める。

(4)  運送事業一部中止による損害

〇円

これが認められる的確な証拠がない。

(5)  応訴費用 〇円

本件事故と相当因果関係にある損害とは認められない。

(6)  弁護士費用 金一〇万円

原告会社の損害は、以上の合計一三六万円になるが、原告会社は、本件原告訴訟代理人に訴訟委任をしたことは、当裁判所に顕著な事実であるから、弁護士費用中本件事故の損害として被告公団に負担が求められるのは、金一〇万円が相当である。

(二)  原告田門フサエらの損害

原告田門フサエが田門俊男の妻、原告田門俊一、同田門富恵が田門俊男の実子であることは、当事者間に争いがない。原告田門フサエらは、田門俊男の死亡によつて精神的損害を被つたことが明らかであるから、その精神的損害に対する慰籍料は、原告らの請求どおり次の額が相当である。

原告田門フサエ 金三〇万円

原告田門俊一 金一五万円

原告田門富恵 金一五万円

六むすび

被告公団は、原告会社に対し金一四六万円と、うち金一三六万円に対する本件事故の日の後である昭和四四年四月一一日から、支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告田門フサエに対し金三〇万円、原告田門俊一、同田門富恵に対し各金一五万円と、これに対する本件事故の日の後である昭和四二年五月一三日から各支払いずみまで同割合による遅延損害金をそれぞれ支払わなければならないから、原告らの請求をこの範囲で認容し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

(古崎慶長)

別紙、

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