大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和43年(わ)1168号 判決 1973年2月21日

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実の要旨

(一)  本位的訴因

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年二月二六日午後八時ころ、軽四輪貨物自動車(六京ぬ五〇九号)を運転し、京都府宇治市小倉町老の木一五番地付近路上を時速約四〇キロメートルで北進中、運転中絶えず前方および左右を注視し進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、進路前方および左右に対する注視警戒をおろそかにして進行を継続したため、折柄道路を右から左へ横断中の永野政彦(当九年)を見落とし、同児の直前に近接するまで気付かなかつた過失により、自車右前部で同児をはねとばし路上に転倒させ、よつて同児に対し回復不能の頭蓋骨々折、脳挫傷および左鎖骨々折の傷害を負わせたものである。(前方注視義務違反)

(二)  予備的訴因

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、前記日時ころ、前記自動車を運転し、前記路上を前記速度で北進中、対向車の前照灯の眩光に眩惑されて視力を奪われ、一時前方注視が困難な状態となつたが、かかる場合、自動車運転者たるものは、直ちに一時停止または最徐行し、視力が回復した後運転を継続するなどして、事故発生の危険を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然従前の速度で進行を継続した過失により、折柄同所の道路を右から左へ横断中の永野政彦(当九年)を看過し、自車右前部で同児をはねとばし路上に転倒させ、よつて同児に対し前記傷害を負わせたものである。(停止または徐行義務違反)

二、当裁判所の判断

関係証拠によれば、被告人は、公訴事実記載の日時ころ、同記載の軽四輪貨物自動車を運転し、国道二四号線を奈良方面から京都方面に向けて時速約四〇キロメートルで北進し、京都府宇治市小倉町老ノ木一五番地先路上(幅員8.8メートル、制限時速五〇キロメートル)に差しかかつた際、前方約三〇メートルの地点を対向車がやつて来るのを認めたが、そのままの速度で約9.9メートル進行したところ、前方約3.4メートルの道路中央線付近に、折柄右道路を右(東)から左(西)へ横断中の永野政彦(昭和三四年四月二三日生)の姿を発見し、ブレーキを踏もうとしたが及ばず、そのままの速度で自車右前部を同児に激突させ、よつて同児に対し公訴事実記載の傷害を負わせたことが認められる。

なお、右の事故現場における衝突地点等の各地点の位置関係は司法警察員作成の昭和四三年二月二六日付実況見分調書添付の第二図に記載されているところが最も真実に近いものと思われる。けだし、右の実況見分は、本件事故発生の直後に被告人の立会の下に行なわれたものであり、当時現場には被害者の血痕や被告人車のものと思われるスリップ跡など客観的資料の存在も認められ、それらの資料等に照らして、被告人の右図面における指示説明が合理性を有していると認められるからである。

そこで、前記認定事実および右の図面(以下単に第二図面という)に記載されているところを前提に考察を進めることにする。

(一)  本位的訴因(前方注視義務違反)について

前記のとおり、被告人は、被害児童の姿を前方約3.4メートルという至近距離に迫つて、道路中央付近にはじめて発見したというのであつて、それ以前の同児の動向については何ら目撃した形跡がないから、特段の事情のない限り、被告人が前方注視を怠つたとの疑いは濃厚である(弁護人は、被害児童が対向車の後から突如とび出してきた旨主張するけれども、被告人車および対向車と衝突地点との位置関係等に照らせば、右の主張は採用できない)。

しかしながら、被告人の前方注視義務違反の過失によつて本件事故が発生したとしてその責任を問うためには、被告人が右の義務を尽くしていたならば本件事故は回避できた筈であるということができなければならず、そのためには、当時の状況下において、被告人が少くとも自車の制動距離(広義)の範囲外に被害者を発見することが可能であり、しかも、右の時点において、被害者が道路の横断を開始しているなど、被告人において急制動等何らかの措置を要求されるような状況にあつたことが立証される必要があるところ、関係証拠を総合するも、本件において、右の点が合理的疑いを差しはさむ余地がない程度に立証されたということはできない。

すなわち、時速四〇キロメートル(秒速11.1メートル)で走行していた場合の空走距離を含めたいわゆる広義の制動距離は、当時の路面の摩擦係数を0.7とすると約17.7メートルと推算できるから、被告人が遅くとも第二図面の点(衝突地点)の17.7メートル手前(南方)の地点(以下これを回避可能地点という)において急停止の措置をとつていたならば、本件事故は確実に回避された筈であるということができるわけであり、したがつて、遅くとも被告人車が右回避可能地点を通過する時点において、右のような措置を必要とするような状況にあつたか否かを解明する必要があり、そのためには、本件事故直前の被害者の動向、極言すれば、被告人車が右回避可能地点にあつた時点で、被害者がどの地点でどのような状態にあつたかということを検討しなければならない。なお、被告人は時速四〇キロメートル(秒速11.1メートル)のままの速度で衝突地点に差しかかつたというのであつて、右回避可能地点から衝突地点までの17.7メートルを走行するのに要した時間は約1.6秒と算出できるから、右を換言すれば、衝突の1.6秒前における被害者の動向如何ということになる。

(1)  右の点について、本件事故の唯一の目撃者である証人永野博章は、その証言(単独裁判官の審理にかかる第二回公判調書中の同証人の供述部分)中において、「被害者政彦は、歩いて道路の横断を開始し、中央線付近に立ち止つて左右に首を振つているときに衝突した」旨供述しており、これによると、被告人車が回避可能地点にあつたとき、少くとも被害者はすでに道路の横断を開始していたものと容易に推認できそうであるけれども、第二図面から明らかなように、被告人車は中央線を越えていないのであり、衝突地点は中央線から0.7メートル西寄りであるから、被害児童がもし右の供述のように注意深く横断していたとすれば、何故右のような地点で衝突したのか説明がつかないことになるのであつて、これに右証人が同児の実父であることなどの事情をも合わせ考えると、同証人の右供述部分はたやすく信用できない。

(2)  そうすると、被害児童の動向は、事故当時の諸般の状況からこれを推認するほかないところ、鈴木勇作成の鑑定書がその糸口を提供している。すなわち、本件事故現場付近の国道の幅員は前記のとおり8.8メートルであるが、第二図面および当裁判所の検証調書によれば、右のうち中央の約6.5メートルの部分が舗装されていて自動車等の通行の用に供されており、両側には幅各一メートルくらいの非舗装部分が残されていて歩行者の通行の用に供されていたこと、および東側非舗装部分と舗装部分との境目から衝突地点までの距離は最短距離にして約4.0メートルであることが認められ、これに右鑑定書を参酌すると、被害児童(本件事故当時八年一〇月)が東側非舗装路上から点に向けて走り出たとすれば、その速度は平均すると、疾走最高速度のおよそ半分の秒速約三メートルであるから、点に達するまでに約1.3秒を要することになるが、本件被害者のような児童は身体反応時間として1ないし1.2秒を要するというのである。

右によれば、被害児童が東側非舗装路上で横断を決意してから点に達するまで少くとも2.3秒ないし2.5秒を要するということになり、換言すれば、点で衝突するためには、被告人車が前記回避可能地点にあつた時点(衝突の1.6秒前)において、同児は少くとも横断の決意を終えて舗装路上に踏み出す直前(0.3秒前)の状態にあつたということができるかのようであるが、右は同児が東側非舗装路上で停止した状態から横断を開始したとの前提に立つものであつて、後記(3)に詳述するところに照らすと、右の前提自体が果して合理的な疑いを差しはさむ余地がないものかどうか疑問があるのみならず、仮りにこれを是認するとしても、右の身体反応時間中にある者が常に道路横断というつぎの動作を第三者に推知させるような外形的挙動を示すことの確証はないから、被告人が右回避可能地点で非舗装路上に被害児童を発見していたとしても、直ちに急停止等の措置を講ずる必要のある状況であつたというには足りない。

(3)  他方、関係証拠によれば、本件事故現場の東側には、国道と直角に幅員約3.7メートルの通路があり、当時、右通路を東に入つたところの国道寄りから三軒目に被害児童の母永野千代の実弟に当る森下克己の住宅があつたこと、本件事故発生の前、右千代は同児を連れて右森下方を訪れていたこと、同児の父永野博章は事故発生の直前ころ、自己の自動車に右森下を同乗させて国道二四号線を北進し、同人を右同人宅に立ち寄らせるべく、右国道の西端前記通路の向かい側(第二図面(甲)点)に自車を停車させ、同所で同人を下車させたこと、同人が右国道を西から東に横断して右通路を経て同人方に入つて間もなく本件事故が発生したこと、被告人車の右前照灯が被害児童の肩の部分に、右前照灯上部のボンネット部が同児の頭部に衝突したものとみられるところ、右の肩および頭の位置は、同児が普通に立つている場合の位置に比して約二〇ないし三〇センチメートル低いことが認められ、これらの事実に右通路および永野博章の自動車の停車位置と衝突地点との位置関係、被害児童の年令、性格等をも合わせ考えれば、被害児童は、国道の向かい側に父親の自動車が停車しているのに気付くや、そのもとに行くべく、とつさに右の通路を駆け出し、思わず危険を忘れて、何ら安全の確認をすることなく、あるいは北側の安全を確認しただけで、そのままの勢いで前かがみに国道上に走り出て点に至り、被告人車と激突したのではなかろうかとの疑問を抱かざるを得ないのであつて、右の疑問は他の全証拠を検討するもなお払拭し去るわけにはいかない。そして、仮りに右が事実だとすると、被告人車が前記回避可能地点にあつた地点で、被害児童は右通路上の国道端から数メートル東の地点を走つていたということになり(走る速度を八歳児の疾走最高速度である秒速5.6メートルとすると、右の時点における被害児童の位置は、点の東方約九メートル、国道端から約四メートルの地点ということになる)、右のような状況の下では、未だ被告人に急停止等の措置を要求することはできない。

以上のとおりであつて、他に特段の事情の認められない本件においては、被告人が前方注視義務を怠つたことにより本件事故が発生したとの事実は、未だ合理的な疑いを差しはさむ余地がない程度に立証されたということはできない。

(二)  予備的訴因(停止または減速義務違反)について

被告人が対向車の前照灯の光に眩惑されて視力を奪われ前方注視が困難になつたとの事実については、被告人は警察の捜査段階で右事実を自供していたけれども、検察官による取調べの段階で右自供をひるがえし、以後一貫してこれを否認し、右の自供は、本件事故直後に被害児童の父親永野博章に殴打される等の暴行を受け、頭が混乱している際に述べたもので真実ではないと弁解している。そして、右永野博章の証言によれば、右の暴行があつた事実が認められるのであつて、このことから直ちに右被告人の自供が虚偽であると断言することはできないにしても、本件のような大事故直後の被告人の心理状態等をも考慮すると、右自供のみをもつて前記事実を認めるには足りないものといわざるを得ない。のみならず、仮りに右の自供が真実であるとしても、被告人の述べているところによれば、被告人が最初に対向車の前照灯の光によつて眩惑された地点は第二図面の①点であつて、同地点から衝突地点までの距離は約12.8メートルであり、右はすでに前記回避可能地点を通過した後の位置にあるから、仮りに被告人が右①点において直ちに急停止の措置をとつていたとしても、確実に本件事故を回避しえたものとは認められない。

したがつて、他に特段の事情の認められない本件においては、被告人の停止または減速義務違反の過失によつて本件事故が発生したものと認めることはできない。

三、結論

よつて、本件公訴事実は、本位的訴因および予備的訴因とも犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。

(森山淳哉 長谷川邦夫 鳥越健治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例