京都地方裁判所 昭和43年(わ)217号 判決 1973年8月21日
本籍と住居
京都市南区八条通大宮西入八条町四三八番地
洋品履物雑貨等小売業
鈴木勇四郎
昭和七年五月二日生
本籍と住居
京都市南区西九条比永城町八番地
洋品雑貨小売業
鈴木光政
昭和一〇年九月一七日生
右両名に対する公務執行妨害被告事件について、当裁判所は、検察官堀江信之出席のうえ審理して、次のとおり判決する。
主文
被告人両名は無罪
理由
一、本件公訴事実は、「被告人鈴木勇四郎、同鈴木光政は、昭和四二年六月二七日午前一〇時ごろ、京都市南区八条大宮西入る八条町四二八番地所在の被告人両名の実父にして洋品履物雑貨等小売販売業を営む鈴木勇次郎方において、下京税務署所得税第二課勤務大蔵事務官角田則彦が、右勇次郎の昭和四〇年度及び同四一年分所得税等に関して調査するため、同店の経営を担当している被告人勇四郎に対して、右勇次郎方の商品仕入先について質問を行なうや、右商品仕入先に関する調査方法について言いがかりをつけて難詰し、同調査を免れようと企て、被告人両名は共謀のうえ、同事務官に対して、被告人光政において、「何をいうとるのか、やつたろうか」と怒号しながら拳を振り上げて殴りかかり、被告人勇四郎において「殺してやる。庖丁を持つてこい」と怒号し、その場にあつた鼻緒をすげるのに用いる鋏及び錐各一丁を両手に握りしめて身構え、更に被告人等の態度に畏怖してその場より逃れようとする同事務官を同店表入口まで追いかけ、同事務官の生命身体に危害を加えるような態度を示し、もつて数人共同して脅迫し、よつて同事務官をして右勇次郎方に対する所得調査を不能ならしめ、その職務の執行を妨害したものである」というのである。
二、被告人両名の当公判廷における供述、証人鈴木フミ、同田中治雄の当公判廷における供述、第五、六、八回公判調書中の証人角田則彦、第一〇回公判調書中の証人塩見勝郎、第一一回、一二回公判調書中の証人小林光男、第一五回公判調書中の鈴木栄子、第一六、一七回公判調書の証人鈴木常一の各供述記載、検察官作成の検証調書を総合すると次の事実が認められる。
(一) 被告人鈴木勇四郎は京都市南区八条通大宮西入る八条町四三八番地で洋品履物雑貨等の小売業をしている鈴木勇次郎の長男で実質的にその営業全般を掌理しているもの、被告人鈴木光政は右勇次郎の次男で立命館大学を卒業後しばらく右勇次郎の営業を手伝い、昭和三九年一〇月ころから独立して同市同区比永城町八番地で洋品雑貨等の小売業をしているものである。
(二) 下京税務署は、昭和四二年五月下旬ころ、同税務署所得税第二課員大蔵事務官角田則彦担当のもとに右勇次郎方の昭和四〇年度および同四一年度の所得調査をすることになり、右角田事務官は、同月二六日ころ右勇次郎方を訪れ、同人と会つたが、同人から被告人勇四郎がいないと事情が解らないから同被告人の在宅しているときに来てもらいたいということであつたので、そのまま帰り、同月二九日ころ、右勇次郎方を訪問し被告人勇四郎に会つて所得調査をしようとしたところ、同被告人が同所に居合わせた下京民主商工会事務局員の助言もあつて別の日に来て調査してもらいたい旨求めたので同年六月一二日に調査することを約して辞去し、その後右約束の日に右勇次郎方において一応所得調査を実施した。
(三) ところで、右角田事務官は更に右勇次郎方の所得調査を進める必要があつたため同月二六日午前中同人方を訪問したが、同人および被告人勇四郎が在宅しなかつたので、右勇次郎の営業と被告人光政の営業の関係(税務署として被告人光政の営業を右勇四郎の店の支店ではないかという疑を持つていた)を調査するため引き続き被告人光政方へ行き、その場で同被告人に対し必要な質問調査をしたのであるが、その際、右角田事務官は被告人光政に対し、右勇次郎の店と同被告人の店とが共同して商品を仕入れこれを分けている旨の発言をしたので、同被告人はその根拠を質したところ、右角田事務官は八条の店(なおこの点につき八条の家といつたか八条の方といつたか判然としない)で聞いた旨答えた。そこで被告人光政は右角田事務官の言葉を信じて兄の被告人勇四郎が勇次郎の店と被告人光政の店とで共同仕入れをしている事実がないのに税務署員に対しそのように告げたものと考えてこれに立腹し、右角田事務官が帰つてから所用を済せた後の午後四時ころ、被告人勇四郎に電話して共同仕入れをしていないのにどうして税務署員に対してそのようなことを言つたのかを詰問し、被告人勇四郎が「そのようなことを言つたことがない」と否定するのに対し執拗に被告人勇四郎をなじつた。
(四) そのようなことがあつたので、被告人勇四郎は従前より下京民主商工会に加入していたことから、同商工会事務局員に助言を得ようと考えて同商工会事務所へ行き、そこに居合わせた事務局員小林三男にことのいきさつを話した結果、右小林が被告人勇四郎に代つて同被告人名で下京税務署に電話をかけて右角田事務官を呼び出し、同事務官に対し、今日弟の店へ行つて八条の店と共同仕入れをしてもらつて持つて帰つて分けているととうことを八条の店で聞いてきたといつたかどうか尋ねたところ、同事務官がこれを否定したので、とにかく兄弟でもめて困つているので明日勇次郎方まで来てもらいたい旨申入れ、右角田事務官もこれを承諾して翌二七日午前一〇時ころ右勇次郎方に出向くことを約した。(なお右角田事務官は二六日午前中右勇次郎方へ所得調査のため訪れた際同人および被告人勇四郎が不在であつたのでその際家人に二八日午前一〇時ころ調査に来る旨伝えて帰つた事実も窮われる)。そこで被告人勇四郎は、右小林に翌朝の角田事務官との話し合いに立会つてもらうよう頼んで家に帰り、被告人光政に対し電話で「明日税務署の人がきてくれるので、それではつきりするから朝来るように」と連絡した。
(五) 一方右角田事務官は被告人勇四郎から電話があつた後、所得税二課課長補佐田中治雄に対し、電話の具体的内容を話さず二七日午前一〇時ころから右勇次郎方の所得調査をする旨申し出て、補佐をして同課員塩見勝郎事務官を同道することになつた。
(六) 翌二七日午前九時ころ、被告人光政は妊娠中の妻栄子を伴つて勇次郎方を訪れ、被告人勇四郎と反目しながら右角田事務官の来訪を待つていたところ、午前一〇時すぎころ同事務官および塩見事務官が、その直後ころ、右小林事務局員が表入口からはいつてきた。
角田事務官らは店舗の奥に席を占め、先ず被告人勇四郎が応対し、間もなく被告人光政もこれに加わり、続いて勇次郎、被告人等の母フミ、弟常一がその場に出て来た。そこで主として被告人光政と角田事務官との間で、前日被告人光政方で角田事務官が「勇次郎の店と被告人光政が共同仕入れをしていると八条の店で聞いた」と言つた言わないという水掛論を繰返した。この間に被告人光政は妻栄子を呼んで同人に対し全員の前で角田事務官が被告人光政方で右発言をしたことを確かめるということもあつた。
三、概略以上の事実が認められる。
(一) ところで、角田事務官および塩見事務官の供述(第五、六、八回公判調書中の証人角田則彦、第一〇回公判調書証人塩見勝郎の各供述記載)によると右のような論議をしている際、角田事務官に対し被告人光政が拳を振りあげて殴りかかつたが勇次郎に止められ、これに呼応するかのように被告人勇四郎が「殺してやる庖丁を持つて来い」と言つてその場にあつた鋏と錐をそれぞれの手に持つて身構え、角田事務官を脅迫したというのである。
よつて、角田および塩見事務官の供述が信頼できるものかどうかについて考えてみると、前記のとおり被告人両名が被告人光政方における二六日の角田事務官の発言をめぐつて互に反目し、右角田事務官に対してその発言の有無を糺しているとき、角田事務官は被告人らの行為を単に民主商工会の税務調査に対する妨害行為としてのみ受けとめてこれに反論していた(この事実は第五、六、八回公判調書中の証人角田則彦の各供述記載によつて認められる)ものであり、角田事務官の態度は被告人両名の噴りを買うようなものであつたことが窺われないではなく、被告人両名が右角田および塩見事務官が供述しているような行為に出る状況があつたとも見られること、通常、人を罪におとし入れるため事実を虚構して告発し、法定においてその証言をすることは特別な事情がない限りあり得ないこと等を考え併せると右両名の供述はかなり信頼度が高いものといえる。
(二) 一方、被告人両名およびこれを見聞していた小林三男、鈴木勇次郎、鈴木フミ、鈴木常一の各供述(被告人両名の当公判廷における各供述、第一一、一二回公判調書中の証人小林三男、第一六、一七回公判調書中の証人鈴木勇次郎、第一八、一九回公判調書中の証人鈴木常一の各供述記載)によると被告人両名は右角田事務官の前記「共同仕入云々」の言辞をめぐつて兄弟喧嘩になつたことがあるにすぎず、被告人両名において角田事務官を脅迫した事実が全くないというのである。
そこで被告人両名および右各証人らの供述の信用性について検討するに、前記認定のとおり被告人両名は角田事務官の「共同仕入云々」の言辞に起因して互に反目し、前日来被告人光政が同勇四郎をしつこくなじつていたのであるから、被告人勇四郎として角田事務官の前記「共同仕入云々」の言辞の発言を否定する返答を聞いて、被告人光政に対し立腹し、脅迫的な発言をしたり(被告人勇四郎が「庖丁を持つて来い」といつたことは証拠上明らかである)その場にあつた鋏や錐を手にしたということも十分考えられることであり、単に兄弟喧嘩があつたにすぎないという一貫した被告人両名および右証人らの供述はその供述中に検察官調書の作成過程などそのまま信用できない部分があるにしても、被告人本人の供述であるとか、被告人の近親者又は特別な関係にある証人の供述であるとかの理由で全く信用できないものとして無視してしまうことのできないものも含まれている。(もつとも角田および塩見事務官は被告人両名の間に諍のあつた事実を全く否定しているのであるが、塩見事務官の供述によると角田事務官が逃げてしまつた後、被告人から「この始末をどうつけてくれるんだ」と迫られたというのであるが、この始末というのは被告人両名間のもめごととしか受取れない)。
(三) そこで再度角田および塩見事務官の各供述の信用性について考えてみる。
田中課長補佐、角田および塩見事務官の各供述によると、角田事務官が六月二六日小林事務局員を介して被告人勇四郎から電話を受け、被告人光政方での言辞が問題となつて兄弟がいがみ合つていることを知らされたのであるから、翌朝勇次郎方に行けばその点が論議の的になることが明らかであるのに田中課長補佐及び同行した塩見事務官に対して全く話していないことが認められ、この事実や、角田事務官の翌二七日の勇次郎方における被告人両名らに対する応対態度、証人としての供述内容等をみると角田事務官には自己に都合の悪いことはかくすとか合理化しようとする態度が見受けられるので、被告人両名、小林三男、鈴木勇次郎、鈴木フミ、鈴木常一の各供述に照してみると、被告人両名の諍いの中で起つた脅迫的言動を角田事務官に対する行為に置きかえて勇次郎方の所得調査が円滑に実施できなかつた原因として上司に報告され、それがそのまま本件公訴につながつていないと断定できない点があり、従つて角田事務官の供述は合理的な疑をさしはさむ余地がない程度に信用できるものとはいえず、また、塩見事務官の供述については、塩見事務官は本件が発生したとされる当日勇次郎方の所得調査について角田事務官の補佐を命じられて同行していたものであり且つ、現在税理士業務を営むものであつて、角田事務官に同調した供述をしていないものとは限らないのであり、右供述についても角田事務官の供述と同様合理的な疑をさしはさむ余地がない程信頼性の高いものとはいえない。
四、そうすると本件は被告人両名が角田事務官に対して脅迫的行為に出た疑いが非常に強いけれども、なお右行為を敢行したと認定し得るに足る証拠がないことになり、結局本件については犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法第三三六条を適用して無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 長谷喜仁)