京都地方裁判所 昭和44年(む)2031号 命令 1969年7月08日
主文
本件各請求はいずれもこれを却下する。
理由
一、司法警察員の本件各請求の趣旨、理由は、いずれも、「被疑者両名において別紙被疑事実(以下本件被疑事実という)を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ目下無職、住居不定で本件の発覚に伴い逃走ならびに罪証隠滅のおそれが認められるので逮捕の必要性もあるから、被疑者両名についての通常逮捕状の発布を請求する」というのである。
二、ところで、一件記録ならびに当裁判官が司法警察職員、被疑者両名から事情を聴取した結果によると、
被疑者両名は、昭和四四年七月八日午前四時ごろ、京都市伏見区深草下横繩町二六番地金沢徳治郎方前路上において、当時附近の忍込窃盗事件の警戒ならびに犯人検挙の活動に従事中であつた京都府伏見警察署の警察官三名から挙動不審者として職務質問を受け、その氏名、住居、年令などを聞かれていたところ、やがてパトロール・カーにて他三、四名の警察官もやつてきて伏見警察署まで出頭を求められたこと、そこで被疑者両名は同日午前五時ごろ、いずれも警察官ら三名ないし四名の同乗する別個のパトロール・カーに分乗のうえ同署まで出頭し、直ちに同署新館二階の被疑者取調室(個室)において司法警察職員から取調を受けたこと、その結果、まず被疑者西尾信憲においては、被疑者樋口勇他一名との共謀に基づき同日未明本件被疑事実を犯したことならびにその賍品は前記の如く職務質問を受けた際被疑者樋口勇が乗つていた乗用車内に置いてある旨自供するに至り、次いで、警察官に求められるまま、被害付のため、同日午前七時ごろから、警察官三名と同警察署の乗用車に同乗のうえ滋賀県大津市膳所の犯行現場まで赴いたこと、その後右警察官らにおいて同所附近の警察官派出所にて本件賍品の被害届の出ている旨をつきとめ、所轄の大津警察署から該被害届の出ている事件の引継ぎを受けるなどし、やがて同日午後二時すぎごろ、前同様、右警察官、被疑者西尾信憲が前記乗用車に同乗のまま伏見警察署に帰つてきたこと、被疑者西尾信憲においては、その後直ちに同署から差し出された昼食をとつた後(朝食はとつていない)、同署新館二階刑事課の室で司法警察員の取調を受け調書を作成されたこと、同日朝から同日午後七時ごろの当裁判官の事情聴取までの間何回か用便にいつたことがあるもその都度警察官が用便の場所にまで同行したこと、同署内の室で休憩中も常に一名ないし数名の警察官がそばに付添つていたこと、一方、被疑者樋口勇においても、同署に出頭後直ちに前記の如き司法警察職員の取調を受け、当初は言を左右にしていたものの、同日午前八時ごろ、取調官から被疑者西尾信憲が本件被疑事実を自供した旨を告げられるに至り、本件被疑事実に関する供述をし調書を作成され、賍品の任意提出をなし同領置の手続をとられるに至つたこと、その間、同署から差し出された朝食、昼食をとり、同署内の室で休憩したりしたが常時一名ないし数名の警察官がそばに付添つていたこと、当日は午後七時ごろの当裁判官の事情聴取までの間四、五回用便に行つたがその都度警察官が便所まで同行したこと、同日朝同署に出頭後当裁判官の右事情聴取までの間一度も同署の外へ出たことはなかつたこと、なお司法警察員から当裁判官に対して本件各請求がなされたのは、被疑者両名の供述調書作成後である同日午後三時五〇分であること、等の事実を認めることができる。
三、右認定の事実によれば、被疑者両名が当初伏見警察署まで出頭した点については、一応同人達自らの自由意思に基づくものであつたと認めることができるのではあるが、被疑者両名が同署への出頭後に受けた取扱いの状況は、なるほど、警察官において、被疑者両名に対し手錠を使用するとか留置場に入れるなどといつた身体の自由に対する直接的な拘束手段をとつたわけではなく、また被疑者両名から「任意出頭」を拒絶して帰宅したいとの積極的な申し入れを受けたわけでもなく、従つて帰宅を積極的に制止したというような事情があつたわけでもないけれども、とくに被疑者西尾信憲を伴つて大津市内まで被害付に赴いたこと、その際の「同行」方法、伏見警察署内における被疑者両名に対する取調の状況(場所、継続時間)、監視状況、食事等の処遇状況、このほか、被疑者両名の供述が確保され、賍品の存在が確認された段階では(仮にそうでないとしても、遅くとも大津市内で被害付ができた段階では)、司法警察員として被疑者両名の「任意出頭」という形式を継続する必要もなく、直ちに緊急逮捕の手続をとりうる状態にあつたこと、などの諸事情を総合的に考えあわせて実質的にこれを判断してみるときは、被疑者両名においては、いずれも、「任意出頭」というものの警察官の取調、監視その他の処遇を拒絶できず、すでに実質的には「逮捕」と同視しうべきような強制を加えられた状況下に置かれていたものと認めるのが相当である。
四、ところで、被疑者が現行犯人でもないのに令状なしに「逮捕」され、その後に至つて裁判官が逮捕状を発布するということは、緊急逮捕状の発布請求があつた場合以外にはありえないことというべきところ、本件各請求はいずれも通常逮捕状の発布請求であるから、これに基づき裁判官が緊急逮捕状を発布する(仮に緊急逮捕の要件が備わつているとして)ということは許されないといわなければならない。(我現行刑事訴訟規則一三九条一項によれば、令状請求の方式として書面によるべきことが要求されているのであるから、この法意からしても、通常逮捕状の発布請求を緊急逮捕状の発布請求として取扱うことは到底許されないというべきである)。
五、結局、本件各請求は、いずれも、現行犯人でもない被疑者両名を、緊急逮捕の手続をとることもなく、令状なしに「逮捕」するという違法行為を開始し、その違法行為をなお継続中である司法警察員の側からなされた通常逮捕状の発布請求であるというべきところ、本件各請求を受けた裁判官としては、被疑者の逮捕その他の身柄拘束に対して司法的抑制を加え、もつて被疑者に与えられた基本的人権(日本国憲法三三条)の享有を確保していくべき立場にあるのであるから、その司法的抑制の実効性確保ということを怠るべきではないという意味においても、右のような司法警察員の側の処置の違法なることを明確にしなければならないというべく、そのためには(仮に爾後被疑者両名に対する再逮捕の許可されることがありうるとしても)、この時点において、その余の点につき判断するまでもなく、本件各請求を却下するのほかなきものと考えられる。
よつて主文のとおり命令する。(栗原宏武)