京都地方裁判所 昭和44年(わ)263号 判決 1969年8月30日
主文
被告人を懲役参月に処する。
この裁判が確定した日から弐年間右刑の執行を猶予する。
理由
第一、被告人の地位ならびに本件発生に至る経緯
(一) 被告人は昭和四四年三月に国立京都大学文学部西洋哲学科を卒業したものであるが、同年二月中旬ごろ、同大学文学部大学院への進学を希望する者によつて「大学院入試対策協議会」(以下院対協と略称する)が結成され、被告人もそのなかに加わつていた。
(二) 京都大学では、かねて、同大学熊野寮等の寮生を中心とする学生らが、同大学当局に対し右学生寮の完全自主管理等を要求していたが、同年一月一六日ころ大学当局との交渉が決裂し、右学生らが同大学学生部建物を封鎖したため、右封鎖が文学部に波及することを懸念した文学部教授会は、同月一九日緊急教授会を開いて協議した結果、「学生部建物の封鎖には反対する。教授会は問題解決に真剣に取り組んでいくので、学生も慎重に行動してほしい。」旨のいわゆる一・一九教授会見解を発表し学生の自重を促した。そして、大学側は同月二二日夜から翌二三日朝にかけて右学生部建物の封鎖解除を行なつた。
そこで、反日共系学生らを主軸とする同大学文学部自治会は、大学側の行なつた右封鎖解除は日共系学生らの支援によるものであり、それには前記教授会見解が大きな影響力を与えたものとして、文学部教授会に対し、右教授会見解の白紙撤回を要求し、いわゆる大衆団交を行なうよう強く迫つた。しかし、文学部教授会はこれらをいずれも拒否したところから、同年二月三日ころ、文学部自治会と大学院各科の闘争委員会の各代表をもつて構成する「京大文学部ストライキ実行委員会」(この組織は後に「文学部共闘会議」となつた)が結成され、文学部学生たちは同日からストライキに突入し、その後、同月一一日の学生大会を経て無期限ストライキに発展した。
(三) 院対協は、現行大学院制度ないし大学院入試制度等を討議し、大学側にその改革方を要求することをもつて主たる目的とした集団であり、前記文学部共闘会議(以下L共闘と略称する)の傘下に属する下部組織的な存在であつて、被告人のほか、池村六郎、中村生雄、浜田寿美男らもまた右院対協に加わつていた。
そして、院対協は、現行大学院制度の改革、就中、大学院における専攻制度(事実上の講座制)が教授、助教授、講師、助手、大学院生、学部生といつた縦て割の身分的階層を形成し、種々の弊害を派生させているものと断じ、この制度にかわるべき措置として、大学院に入学しても全く講座に所属することを要しない講座外入院、あるいはそれに至る過渡的形態としての一定期間講座に所属しなくてもよいとする分属保留の制度を認めることを要求し、被告人や池村六郎らが中心となつて、文学部教授らと交渉を重ねるとともに、右要求を貫徹するため、昭和四四年度大学院入学試験願書の提出を受験者全員の総意で決定しようと企図し、同年二月一一日ころから院対協による入学試験願書の自主管理を行ない、さらに、同月一八日ころ、右の要求が容れられなければ、自主管理にかかる入学試験願書を大学当局に提出しないようにして入学試験家施の阻止をはかるという態度を示した。そのため、大学当局は、やむなく同月二〇日、二一日の両日実施する予定の大学院入学試験を延期するに至つた。
(四) L共闘は、前記一・一九教授会見解に強く反対していたところから、文学部教授会に対してその自己批判等を要求し、同年二月二五日から同年三月一日早朝までの間、継続的に、井島文学部長をはじめ文学部の教授たちと昼夜を分たぬいわゆる大衆団交を強行し、諸要求を強調してやまなかつた。その結果、井島教授は同年三月五日に文学部長を辞任し、同月一〇日文学部教授長尾雅人がその後任として文学部長に就任したのであるが、同文学部長は、同月一一日学生に対し、「一・一九教授会見解に間違つたところはないが、これを誤解して利用されているのは遺憾である。大学改革については教授会としても真剣に取り組んでいるので、学生諸君も小異を捨てて大同について貰いたい。」旨の所信表明を行なつた。
そこで、被告人ら院対協や共闘の学生らは、長尾文学部長の右所信表明に不服を唱え、その撤回ならびに新文学部長就任の不承認等を掲げて、同月一二日から翌一三日までの間長尾文学部長らと大衆団交を行なつたが、同文学部長もまた、遂に「三月一一日付文学部長の所信表明は白紙撤回する。ストを激化させた責任をとつて部長を辞任することを教授会に申し出る。」旨の確認書に署名するのやむなきに至つた。しかし、同月一三日開かれた文学部教授会は、右確認書の全項目を全員一致で否決したので、これを契機として、文学部教授会自体もその態度を硬化すると同時に、L共闘側もまたその闘争を強化し、同日夜半から翌一四日朝までの間に文学部全館を封鎖するに至つた。
(五) 前記のような情勢のもとにおいて、従来文学部長および文学部教授会によつて管理運営されていた文学部大学院入学試験の実施は、その準備等をなすについて障害を招く恐れのあることが憂慮されたので、文学部教授会は、同年三月一八日臨時教授会を開いて、特に「文学部大学院入学試験委員会」を設置し、文学部教授会の入学試験実施に関する権限を同委員会に委任する旨を決議し、長尾文学部長が同委員会の委員長に、園原太郎教授が副委員長に、その他一一名の教授、助教授が委員になつて、試験日時、場所、方法の決定、試験問題の印刷、保管、会場の設営および試験室担当員の決定等入学試験施行準備段階における事務を分掌することなどを取り決めた。
その後、同月下旬ころ、大学側と院対協側との折衝が進展して、漸やく入学試験実施の見込みがたつようになつたので、同入学試験委員会は、大学院文学研究科修士課程の入学試験を同年四月九日、一〇日の両日、博士課程の入学試験を同月一三日、それぞれ京都市上京区鳥丸通今出川下る所在の学校法人近畿予備校において実施する旨を決定し、なお、同月九日の修士課程の筆記試験は午前九時から開始することとし、同予備校東館の一階事務室を入学試験実施本部に、同館二階の南側と北側の各教室を哲学系(受験予定者九八名)、史学系(受験予定者六一名)の試験場に、同館三階の講堂を文学系(受験予定者一一五名)の試験場にあてることと定めた。
なお、これにさき立つて、園原太郎、藤沢令夫ら文学部教授たちは、同年三月下旬ころ、被告人や池村六郎ら院対協の主だつた者と面接して、自主管理中の入学試験願書を大学当局に提出するよう説得を重ねた結果、院対協は、その改革方を要求していた大学院講座外入院の制度等についての、文学部教授たちの暫定的措置に関する回答を一応了承して、同月三一日ころ、その保管にかかる入学試験願書合計五八通を大学当局に提出し、右の入学試験実施につき協調的態度を示すようになつて、前記のように、入学試験実施の見込みが立つに至つた。
しかし、その後院対協は、大学院入学試験粉砕を目標とするL共闘の強硬派の線にそつて、同年四月五日ころから、再び大学院入学試験実施を断乎阻止するとの態度をとるようになつたのである。
第二、罪となるべき事実
被告人は、国立京都大学文学部長および同文学部教授会が、昭和四四年四月九日、一〇日の両日、京都市上京区烏丸通今出川下る所在の学校法人近畿予備校において、昭和四四年度京都大学大学院文学研究科修士課程の入学試験を実施するということを確知するや、院対協の学生らとともに右入学試験の実施を阻止しようと考え、同月八日午後一時ころ、同大学文学部西館内で開かれた院対協の会合に出席し、池村六郎、中村生雄ら約一〇数名の者とその阻止対策等について謀議をした結果、翌九日当日の朝、入学試験場に指定されている近畿予備校の東館内に多勢で入り込み、一階ロビーにおいて討論集会を開き、一般受験生にも集会への参加を呼びかけ、場合によつては、階段等に坐り込むなどして右入学試験の実施を阻止しようという計画を企てた。
そこで、被告人は、右の計画にもとずきそれぞれ犯意を継続して、
(一) 池村六郎、中村生雄、林屋慶彦ら院対協およびL共闘に所属する学生ら約三〇名の者と、前記入学試験の試験場に侵入すべく互いに犯意を通じ合いながら、同年四月九日午前八時過ぎころ、入学試験の実施責任者である京都大学文学部長長尾雅人の管理にかかる前記近畿予備校東館の南側通用出入口前に一団となつて押しかけ、右出入口前で受験票の点検をしたうえで受験生を一人ずつ入場させていた同大学教授辻村公一その他同大学の教員らが、「受験生は受験票を呈示して順序よく並んで下さい。」と繰り返し指示したにもかかわらず、こもごも「どうして入試を強行するのか。」「なぜこんな裏口から入れるのか、」「われわれは受験生だ、中に入れろ。」などと叫びながら、受験票を所持しているものはこれを振りかざすようにしただけで、右池村、林屋ら先頭の集団が同出入口から同館内に押し入り、次いで、被告人ら殊余の者も約一〇名を残して同出入口から同館内になだれ込み、その後、管理者の退去要求に応じて一旦同館内から退出したが、さらに同日午前九時三〇分ころ、右池村ら院対協およびL共闘に所属する学生ら約四〇名の者と、前同様互いに犯意を通じ合いながら、再び同館南側通用出入口前に押し寄せ、同所で受験票の点検をしていた同大学の教員らによる指示を無視し、右係員に点検する余裕を与えないような仕方で受験票を呈示したり、一般受験生を装つたり、係員の点検を逃れるようにして、右出入口から同館内に一団となつて押し入り、もつて、故なく人の看守する建造物に侵入し、
(二) 右池村、中村、林屋ら院対協および共闘に所属する学生ら約三〇名の者と、前記入学試験の実施を妨害すべく、互いに犯意を通じ合いながら、同月九日午前八時週ぎころ、前記(一)のように近畿予備校東館に押し入つたうえ、そのころから同八時五〇分ころまでの間、同東館の二階の両教室および三階の講堂内から、被告人らが合計約数一〇脚の木製鉄脚の長椅子を持ち出し、これらを同館二階、三階の各廊下および昇降口などに積み重ね、バリケードを築いて通路を閉塞し、さらに右池村ら院対協およびL共闘に所属する学生ら約四〇名の者と、前同様互いに犯意を通じ合いながら同日午前九時三〇分ごろ、前記(一)のように同東館に押し入つたうえ、そのころから同一〇時三〇分ころまでの間、被告人や右中村ら約二〇名の者が、同館二階から三階に通ずる階段や踊り場で、また右池村ら約二〇名の者が、一階から二階に通ずる階段や踊り場で、それぞれ立ち塞がり、坐り込むなどし、かつ、こもごも「試験実施の理由を説明せよ。」「大衆団交に応ぜよ。」「学部長に会わせろ。」などと叫び、喧噪に及ぶ行動に出るなどして気勢をあげ、一般受験生の試験場への入場はもとより、係員の試験問題の持ち込みその他一階の入学試験実施本部と二、三階の各試験場との連絡を著しく困難に陥らせて、同大学文学部長らの実施にかかる前記入学試験の開始を、同日午前九時の予定時刻より約二時間三〇分遷延させ、もつて、威力を用い人の業務を妨害し、
たものである。
第三、証拠の標目<略>
第四、法令の適用
被告人の判示第二の(一)の所為は、刑法第六〇条、第一三〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第二の(二)所為は、刑法第六〇条、第二三四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号にそれぞれ該当するところ、建造物侵入と威力業務妨害との間には手段結果の関係があるので、刑法第五四条第一項後段、第一〇条により、一罪として犯情の重い威力業務妨害の罪の刑をもつて処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役三月に処し、なお諸般の情状に照らして、刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項により、この裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
第五、公務について威力業務妨害罪の成立を認めた理由
(一) 判示第二の(二)の威力業務妨害罪の客体は、国立京都大学文学部長および同文学部教授ら教員の行なつた同大学大学院文学研究科修士課程入学試験実施に関する業務にほかならない。そして、右文学部長や教員が国家公務員としての身分を有することは、教育公務員特例法第三条の規定によつて明らかである。したがつて、右の業務は、刑法第九五条第一項にいわゆる「公務員の職務」すなわち「公務」に該当し、その業務が暴行、脅迫によつて妨害されたときは、同条項による保護の対象となることはいうまでもない。しかしながら、右入学試験実施業務に対する妨害が、暴行、脅迫の程度に至らない威力等による場合に、その妨害された公務が、刑法第二三三条、第二三四条にいう「業務」に含まれるものと解し、同条による保護を受けるものとなすべきか否かについては、未だその依るべき定説をみないところである。
さきに、最高裁判所昭和四一年一一月三〇日大法廷判決(なお昭和三五年一一月一八日第二小法廷判決)は、法律上、法令により公務に従事する者とみなされる国有鉄道職員の行なう非権力的現業業務について、右業務が、刑法第九五条第一項の公務とされるほか、同法第二三三条、第二三四条の業務にも含まれるものと解すべき旨判示したのであるが、右判決の示す論理を、直ちに他の一般公務の場合に引いて、前記のような入学試験実施業務を包含する公務中の、いわゆる非権力的業務につき、その妨害の手段、方法の如何によつて、前記各法条にいう公務執行妨害罪のほか業務妨害罪が成立するものと解し、これが保護の対象となすことができるか、なお一抹の疑念なきをえないものがある。
(二) おもうに、学校教育法の規定によれば、わが国における諸学校は、これを国立、公立および私立に区別して設置するものと定められている。そして国立(または公立)学校の教育に関する事業ないし業務は、公企業的性格を帯びており、かつ、本件のような国立学校における入学試験実施業務は、公的色彩をもつものではあるが、右業務の内容等に照らして勘案するに、その執行にあたつては、およそ受験者が、その意思にかかわらずに、執行者によつて自己の権利ないし自由を拘束されるようなことはないものと認めることができる。
しかして、およそ公務のうち、いわゆる権力的公務は、一般的にいつて、優越的な国家意思の移的な発動の表象であり、支配権にもとずき国民に服従を強いることをもつて特色とするのに反し、非権力的公務は、右のような国家意思の発動の表われとは認められず、国民に対する支配力を有しているものでもないと解すべきところ、入学試験実施業務は、それがたとえ国立学校における場合でも、その実態が、前記のように受験者の自由を拘束するものでないとされる以上、それは、決して権力的公務にみられるような国家の優越的意思の発動の表われであり国民に服従を強いるものであるとは認められないから、国立学校における入学試験実施業務は、まさに非権力的公務に属するものといわなければならない。右の意味において、前記入学試験実施業務の実態は、それがいわゆる現業業務とは称しえないにしても、公企業体としての国有鉄道の職員の非権力的現業業務のそれと殆ど異なるところがない。
ひるがえつて、これらの公務を前記各法条に即して考察するに、右にいわゆる権力的公務は、その執行に際し国民の側からの多少の抵抗がなされるであろうことは、その公務の本質上、必然の結果として当然に予測されるところであり、したがつて、右の抵抗が暴行、脅迫の程度に至らない威力等に止まる場合には、刑法は、敢えてこれを第二三三条、第二三四条によつて保護する必要性はないとされたものと解するのが相当である。だが、非権力的公務にあつては、その性質上これと趣きを異にし、右のような威力等による妨害についてもなお可罰的であつて、これに対し、刑罰による保護の必要性も十分認められるのである。
されば、本件入学試験実施業務は、前記のように非権力的業務に属するものとして、威力等による妨害から刑法上保護されるべき必要性があるにもかかわらず、右の業務が公務であるとの一事の故に、刑法第九五条第一項による保護の対象として遇すれば足るという理由により、これを同法第二三三条、第二三四条の適用外において顧みないとすれば、それは只に秩序の維持を目的とする法の理念に背馳するばかりでなく、これとその性質および態様において殆ど差異の認められない私立学校の教職員の行なう入学試験実施業務が、威力等によつて妨害された場合に、同法第二三三条、第二三四条による保護を受けることと対比して著しく権衡を失し不合理であるといわなければならない。
それに、前記最高裁判所判決の趣旨を忖度すれば、右は、国有鉄道職員の業務以外の非権力的公務一般についても、その公務が、現業業務であると否とを問わず、刑法第二三三条、第二三四条にいう「業務」に含まれているとの解釈を、あながち否定しているものとも思われない。
(三) 以上のような理由により、本件入学試験実施業務は、これを刑法第二三四条にいう「業務」に含まれるものと解するのが相当である。
なお、右のように解するときは、その性質および態様において殆ど差異の認められない入学試験実施業務が等しく妨害されながら、それが、国立(または公立)学校の教員の場合には、その妨害の手段、方法の如何によつて刑法第九五条第一項と、同法第二三三条、第二三四条による双方の保護を受けることができるのに比し、私立学校の教職員の場合には、単に同法第二三三条、第二三四条のみの保護を受けるにとどまり、その間に妨害に対する法律上の保護に差異を来たし、却つて不権衡であるとの批判を免れないであろう。しかし、国立学校の教育は、公共の福祉に特に重要な関係があるとの見地から、法律によりその設置を義務づけたものと認められるので、その公共性に鑑みると、国立学校の教員の行なう業務が、前記のように双方の保護を受けることはむしろ当然のことというべく、それが、憲法第一四条の規定の趣旨に反しないことも、また右のような理由から多言を用いずして明らかである。
被告人の判示所為について、威力業務妨害罪の成立を認めた所以である。
よつて主文のとおり判決する。(橋本盛三郎 石井恒 竹原俊一)