京都地方裁判所 昭和44年(ワ)480号 判決 1973年7月27日
原告 甲野一郎
被告 株式会社鞍馬口ガレージ
右代表者代表取締役 日比野秋夫
<ほか二名>
右被告ら訴訟代理人弁護士 平田武義
主文
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告三名は連帯して原告に対し、金二五〇万円及びこれに対する昭和四四年四月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
(被告ら)
主文と同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
1 原告は京都弁護士会所属の弁護士であるが、昭和四二年三月九日被告らより、訴外日本電建株式会社(以下訴外会社という)に対する概略左記事件について、京都地方裁判所へ請求異議訴訟を提起すべく委任を受けた。
(1) 京都地方法務局所属公証人本多芳郎が昭和四二年一月一二日作成の第六六八号抵当権設定準消費貸借契約公正証書(以下A公正証書という)には以下の記述がある。
(イ) 債務金額 金九、八〇八万七、七〇〇円
右は訴外久保田一郎が訴外会社に対して負担する昭和四一年六月三〇日附パーキングホテル白馬の建物給付契約に基く残代金三、八四四万八、〇〇〇円及び昭和四二年一月一二日右当事者双方において承認した債務承認額金五九六三万九、七〇〇円の合計金額であって、右当事者は右債務を昭和四二年一月一一日同額の準消費貸借の目的となし、訴外久保田一郎は右債務を履行すること
(ロ) 被告日比野秋夫、訴外吉田典男、同西村フク、同赤堀幹夫、同久保田シゲ子が本債務を連帯保証すること
(ハ) 債務者及び保証人は債務不履行のときは全財産に対し直ちに強制執行を受けても異議がないこと
(2) 京都地方法務局所属公証人中田慎一が昭和四二年二月二一日作成の第六四四六五号債務引受並びに担保追加等に関する契約公正証書(以下B公正証書という)には以下の記述がある。
(イ) 債務金額 金九八〇八万七七〇〇円
右はA公正証書に基づき訴外久保田一郎が訴外会社に対して負担する債務を被告株式会社鞍馬口ガレージ(代表取締役被告日比野秋夫、以下被告A会社という)が昭和四二年二月三日附をもって引受け債務者となったものである。
(ロ) 元金は昭和四二年二月から同四六年二月まで毎月末日限り金二〇〇万円(但し最終回は金二〇八万七七〇〇円)月賦弁済のこと
(ハ) 被告日比野秋夫、日比野織物株式会社(以下被告B会社という)、及び訴外久保田一郎が連帯保証すること
(ニ) 債務者及び保証人は債務不履行のときは全財産に対して直ちに強制執行を受けても異議がないこと
(3) 京都地方法務局所属公証人中田慎一が昭和四二年二月二一日作成の第六四四六六号債務引受並びに担保追加等に関する契約公正証書(以下C公正証書という)には以下の記述がある。
(イ) 債務金額 金三八四万三〇〇〇円
右は訴外久保田一郎が訴外会社に対し、昭和四一年五月二八日附公証人本多芳郎作成第三〇六三号債務弁済に関する契約公正証書に基き負担する債務の昭和四二年二月三日現在における残債務を、被告A会社が債務引受したものである。
(ロ) 元金は昭和四二年二月から同年六月まで毎月金三一万五〇〇〇円、同年七月から四三年六月まで毎月金一八万九〇〇〇円宛分割払いをすること
(ハ) その他の記述はB公正証書(ハ)(ニ)と同じ
然しA公正証書は被告日比野秋夫が全く知らないうちに作成され、連帯保証人にされているのであり、民法一条二項、三項及九〇条により無効であり、さらにB及C公正証書は訴外会社の社員が被告日比野秋夫を詐言をまじえつつ強迫し、同人を錯誤および畏怖させて作成されたものであり、民法一条二項、三項、九〇条、九五条により無効であり、また同法九六条一項により取消しうべきものであることが判明した。
そこで原告は、訴外会社の被告らに対するA・B・C公正証書に基づく強制執行を免れるため、昭和四二年三月一八日京都地方裁判所に請求異議の訴を提起し同裁判所昭和四二年(ワ)第二七〇号事件として係属した。
2 右事件の委任を受けるにあたって、原告と被告らとは左記の報酬契約を締結した。
(1) 着手金は金一五〇万円とし、被告A会社が原告に支払い、被告B会社及び被告日比野が連帯保証をすること、但訴状貼用印紙は、金五〇万円については被告らが支払い、残余は原告が負担すること
(2) 右印紙代以外の出張旅費、日当、証人鑑定人検証等の諸費用は原告より請求次第に即時被告A会社が原告に支払うこと
(3) 謝金は、減額の一割と定め、減額あり次第即時に被告A会社が原告に支払い、被告B会社及び被告日比野が連帯保証をすること
右契約に従い、原告は被告A会社から着手金一五〇万円より源泉所得税額金一五万円を控除した金一三五万円を受領し、そのうちから、訴状貼用印紙代の一部として約金五〇万円を支出し、残額五〇万円は被告A会社にかわり、被告B会社から受領した。
3 京都弁護士会報酬規程のうち、本件に関係ある部分は次の通りである。
第一条、会員の受ける報酬及び費用は本規程の定めるところによる
第三条、着手金または手数料は事件の依頼を受けるとき、謝金は裁判、仲裁、和解、調停、示談その他によって本人の利益に解決したときまたはこれに準ずるとき、鑑定料は鑑定のとき、顧問料は依頼者との協定によって定められたときその支払を受ける
第五条、報酬の額は左の標準による
一、民事、商事、人事、非訟、行政等事件(訴訟、仲裁、破産、和議、会社更生、整理、和解、調停、示談、仮差押・仮処分、強制執行、競売、特許、税務、労働等)についての着手金及び謝金は目的物の価格(又は経済的利益以下同じ)を基準として
イ、着手金は受任当時の価格の五分以上一割五分以下但二万円を下らない。
ロ、謝金は事件解決当時の価格の三割以下但し一割を下らない
第九条、依頼者が会員の責に帰することのできない事由で解任し、若しくは会員に無断で訴の取下、請求の放棄、認諾、和解その他の行為をすることによって事件を終了させ、または故意若しくは重大な過失によって受任事務を処理することができないようにさせたときは、会員は着手金の返還を要せざるのは勿論、謝金の全額を請求することができる。
4 原告は前記訴訟提起後も、事態を有利に導くための活動として、
(1) B及びC公正証書によって、被告A会社が訴外会社に対して負っていた被告ら所有の土地・建物に抵当権設定登記、停止条件附所有権移転仮登記及び停止条件附賃貸権設定仮登記手続を履践するのに必要な同被告の委任状八通印鑑証明書三通が司法書士訴外吉田宏に交付されていたので、同人に右登記手続をさせないため、昭和四二年三月一九日前記書類を使用しないこと、また前記書類を訴外会社に交付しないことを確約させた。
(2) A公正証書の作成の際提出すべき被告昆野秋夫の印鑑証明書は、昭和四一年五月一〇日京都市上京区長の作成にかかるもので、これは昭和二四年五月三〇日民事甲一二八二号各司法事務局長宛公証人法等の一部改正に伴い所属公証人に対して周知徹底を図られたいとの民事局長通達において、印鑑証明書は作成後六ヶ月以内のものでなければならないと規定されていることに違反しており、またA公正証書は被告日比野秋夫が公証人役場に出頭せず、訴外会社の大阪支店整理係主任訴外竹越孝がその代理人となって、作成されたものであるから、同人は同被告の雇人又は同居人でないことが明瞭であったにもかかわらず、A公正証書作成の公証人は公証人法施行規則第一三条の二の規定に違反して同条所定の事項を同被告に通知しなかったことを明らかにさせた。
(3) A公正証書の基礎となった債務のうち、訴外久保田一郎が負担していた金五九六三万九七〇〇円について、被告日比野秋夫は全然保証していないことを証明する訴外会社本店営業部外渉課課長訴外篠宮壽自筆の原稿を、訴外久保田一郎から入手した。
(4) 訴外久保田一郎と訴外会社間の債権債務関係調査のため訴外久保田一郎の帳簿の調査をし、同訴外人より真相を聞きだすための準備を着々進めていた。
(5) 被告日比野秋夫を強迫したと考えられる訴外会社の社員篠宮壽、同竹越孝の両名を、A公正証書について刑法一五七条一五八条、BC公正証書について同法二四六条二四九条で告訴する準備をしていた。
(6) 昭和四二年三月二四日原告事務所へ訴外会社社員竹越孝、同尾寄勝也が来所し、訴訟について尋ねたので、原告は裁判で決着をつける旨述べておいた。
(7) 原告は被告日比野秋夫に対し、訴外会社と一切直接交渉しないこと、裁判は順調にいっているから心配しないように述べた。
5 然るに被告らは、原告の右のような努力を省りみず、原告に無断で昭和四二年四月二五日訴外会社との間で、左記のような条項を骨子とする和解をなした。
(1) B及びC公正証書の債務合計額は金一〇一、九三〇、七〇〇円であるが、そのうち被告らは既に金一四〇〇万円を支払っており、残額は金八七九三万〇七〇〇円となるが、その内金二七〇〇万円は請求しないことにする。
(2) 被告A会社は、右債務金六〇九三万〇七〇〇円を無利息にて、昭和四二年八月から同四八年三月まで毎月末日限り金九〇万円宛(但最終回は金六三万〇七〇〇円)月賦弁済のこと
(3) 被告B会社、同日比野秋夫は右債務を連帯保証すること
(4) 被告らは債務不履行のときは全財産に対して直ちに強制執行を受けても異議がないこと
(5) 被告らは京都地方裁判所昭和四二年(ワ)第二七〇号請求異議事件の訴訟を取下げること
而して被告らは訴外会社との右和解に基づき原告に無断で、昭和四二年四月二六日前記請求異議事件につき訴の取下をした。
6 斯くて、被告らは訴外会社に対する債務金額において金二七〇〇万円の減額を受け、弁済期限も二年延長されたので割賦金も半額以下となり、さらにB及びC公正証書によれば被告A会社の車庫及び事務所が抵当目的物となっていたのが、右和解によれば、右物件は抵当目的物とはなっておらず、被告らは金融を受け易くなった。以上の如く被告らは右和解によって、財産上莫大な利益を受け、さらに精神上受けた利益はそれに劣らないものがあり、それらは原告の努力に基因するものであり、また仮りに、被告らが原告に無断で右和解をしなければ、原告は訴外会社の右事件に関する不正を調査の結果探知していたので、右和解より相当有利に解決できたものと確信する。
7 以上によれば、右事件の謝金は最低四〇〇万円以上を請求すべきところ、被告らの立場を考慮して、金二五〇万円を請求しようと考え、昭和四二年五月二日附書留郵便で右金額を請求したが、被告らはこれに応じないので、原告は金二五〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による損害金の請求をするものである。
二、請求原因に対する認否
1 請求原因第1項の事実のうち「請求異議事件を提起するのを委任」とある点および同項(1)の部分をのぞき他は認める。被告らは原告に「裁判をすること」を委任しただけである。
2 請求原因第2項第3項の事実は認める。
3 請求原因第4項の事実は争う。
4 請求原因第5項の事実は認める。
5 請求原因第6項の事実のうち「金二七〇〇万円の減額を受け」とある点をのぞき、その余は認める。
6 請求原因第7項の事実のうち、昭和四二年五月二日附で書留郵便を受領したことは認めその余は争う。
三、抗弁
1 被告らが原告に無断で訴外会社と和解をしたのは、原告が被告日比野秋夫に対して「執行停止の保証金として金三〇〇〇万円を用意せよ」と述べたからである。即ち、原告は被告らから事件の委任を受ける際、執行停止の保証金のことを全く説明せず後になって突如保証金三〇〇〇万円のことを持ち出してきたので、被告日比野はかねて訴外会社が金三、〇〇〇万円出せばA公正証書に基づく被告日比野秋夫の保証債務を免除する旨述べていたことを考慮し、執行停止の保証金として金三、〇〇〇万円を支払うのでは、訴訟をする意味がなくなってしまうと考えた結果前記の和解に及んだもので、そのことについては被告らに責はなく、却って保証金の必要性を前もって被告らに連絡、指示しておかなかった原告の方に責に帰すべき事由がある。よって被告らは報酬を支払う必要はない。
2 被告らは訴訟の費用として当初原告に支払った金一五〇万円が全てであると考え、原告に訴訟を委任したのであるから、被告らの委任契約は錯誤により無効である。それ故右委任契約と一体をなす報酬契約もまた無効である。
四、抗弁に対する認否
抗弁事実は全て否認する。
第三、証拠≪省略≫
理由
一、原告主張のB及びC公正証書が存在すること、原告が京都弁護士会所属弁護士であること、昭和四二年三月九日原告は被告らから、訴外会社に対するその主張のような訴訟の委任を受けたこと、その際原告と被告らとの間で請求原因第2項記載どおりの報酬契約が締結され、着手金として金一五〇万円の支払がなされたこと、原告が昭和四二年三月一八日京都地方裁判所へ本件の被告らを原告、訴外会社を被告とする請求異議の訴訟を提起したこと、被告らは昭和四二年四月二五日原告に無断で訴外会社と和解をしたこと、同月二六日被告らは前記請求異議事件につき訴の取下をなしたこと、昭和四二年五月二日附書留郵便で原告が右報酬金請求の意思を表示したが被告らがこれに応じなかったことはいずれも当事者間に争いがない。
二、そこでまず被告らが訴外会社と和解することにより債務の減額ないしは財産上の利益を得たか否かについて按ずるに、≪証拠省略≫によれば、B公正証書による被告A会社の債務について訴外会社が内金七〇〇万円の支払を免除したこと、及び訴外久保田一郎、同服部英雄がそれぞれ金一、〇〇〇万円の支払を引受けて、被告A会社は以後金二、〇〇〇万円についての債権債務関係から脱退したこと、弁済期限が二年延長されたこと、被告A会社の車庫及び事務所が抵当目的物からはずされたことが認められ、右認定に抵触する≪証拠省略≫は採用しがたいから、右和解により主債務者たる被告A会社及び連帯保証人たる被告B会社、同じく被告日比野は債務の減額及び財産上の利益を得たものといわなければならない。
三、ところで≪証拠省略≫により、当事者が報酬契約を締結したとき準拠したと認められる、成立に争いのない甲第四号証(報酬規程)の第九条は「依頼者が会員の責に帰すことのできない事由で解任し、若くは会員に無断で訴の取下……和解……をすることによって事件を終了させたときは、会員は着手金の返還を要せざるは勿論、謝金の全額を請求することができる」旨を定めるので、右規定によれば弁護士に無断で依頼者が訴の取下又は和解をした場合は時期及び事情の如何にかかわらず直ちに謝金の請求をなし得るが如くである。しかしながらひるがえって考えるに、右規定は、弁護士の行為によって事態が依頼者に有利に展開し、勝訴又は有利な和解をする見込みが高くなった場合に依頼者が勝手に解任あるいは和解訴の取下をしたため受任者たる弁護士が謝金の全部またはその一部を受けることができなくなったのでは結局において右弁護士の行為が同人にとっては無為のものとなり同人にとって酷な結果となることが明らかであるので、右のような結果の生ずることを慮かり、これを避けるために依頼者が和解または訴の取下をしたときでも謝金の請求ができるとしたものであって右のような事情にない場合、即ち未だ弁護士の活動が十分でないうちに依頼者が単独で和解又は訴の取下をしたような場合は和解または取下がなされるにいたった事情をも考慮し、必らずしも当然に謝金の請求が出来るものではないと解するのが相当である。そこで今本件についてこれをみるに、≪証拠省略≫を綜合すると原告は前記訴訟委任を受けてから専心訴状作成のための事情調査をなし、昭和四二年三月一八日前記訴提起後も、事件の早期かつ有利な解決をはかるため、その主張するような請求原因第4項記載の如き活動をなしたことが認められる。しかしながらその期間は、昭和四二年三月九日の事件受任後、同年四月二六日までの約一ヶ月半であること前認定のところから明らかであるばかりでなく、被告らのなした和解における相手方の譲歩が訴の提起と無関係であるとはいえないまでも(この事実は≪証拠省略≫によって認める)、原告の右の期間における右の如き訴訟活動と直接的に影響あるものと認めるに足りる資料はなく、却って≪証拠省略≫によれば、和解の話は既に被告らが原告に訴訟委任をする以前からある程度具体的に持出されていたことが認められるほか、≪証拠省略≫によれば、被告らは原告に訴訟委任した直後、執行停止の保証金として三、〇〇〇万円を用意するようにいわれたため、その調達に苦慮し、原告にはじめて相談したときには明確に右の三、〇〇〇万円が必らずいると教えられなかったとの不満もあって(≪証拠判断省略≫)、保証金として三、〇〇〇万円を用意するぐらいであるならば、むしろ相手方と和解するにしくはないと考えた末、被告らの方から、むしろ積極的に、和解の話を再燃させたことが認められ、また≪証拠省略≫によれば、右和解の相手方である日本電建株式会社は、被告らからする右和解の話し合いに応じたが、前記訴の提起があったために和解による解決をいそいだのではないことが認められるから、右のような諸事情を総合勘案すると、本件においては前記報酬規程第九条の存在にもかかわらず、報酬請求権は発生しないものといわなければならない。しかして原告が前記事件の受任後になした前認定の期間における訴訟活動は事件の依頼を受けた弁護士の当然の職務行為に属するもので、それらは、被告らが原告に支払った前認定の着手金によりまかなわれるものというべきであるから、右のような訴訟活動をなした対価として謝金を請求しうるものと認めることもできない。
四、そうするとその余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 右田堯雄)