大判例

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京都地方裁判所 昭和47年(人)1号 判決 1972年6月24日

請求者

大川花子

(仮名)

代理人

坪倉一郎

拘束者

小川年男

(仮名)

外二名

代理人

市井栄作

被拘束者

小川太郎

代理人

松浦正弘

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

請求者の拘束者小川年男に対する請求を棄却する。

本件手続費用は、拘束者小川年一、同小川さちの負担とする。

事実

一、請求者代理人は、「被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。本件手続費用は拘束者らの負担とする。」との判決を求め、その請求の理由として次のとおり述べた。

1  請求者と拘束者小川年男とはもと夫婦、被拘束者太郎は右両者間の長男(昭和四五年三月二八日生)、拘束者小川年一、同小川さちは右年男の父母である。

2  昭和四七年四月二二日京都家庭裁判所において、右年男と花子との間に左記条項の調停が成立した。

(一)  申立人(花子、以下同じ)と相手方(年男、以下同じ)は本日調停離婚する。

(二)  当事者間の長男太郎の親権者を父である相手方とし、その養育は申立人において行なう。

(三)  相手方は申立人に対し長男の監護養育の費用として昭和四七年四月から毎月末日金三万円を申立人方に送金して支払う。

3  請求者は右調停の趣旨に従い太郎をその手許で養育中、昭和四七年四月二五日拘束者小川さちが孫にあいたいと請求者方に来訪したが、同日右さちは太郎を連れ去つてしまつた。

4  さちの右所為は拘束者三名の共謀によつて敢行されたものと思われ、その後請求者において被拘束者の年男、祖父年一らに対し、太郎を返してくれるよう何回となく架電したり、出向いたりして折衝したが、いずれも言を左右にするのみで一向にらちがあかない。どうやら、さちは太郎を取戻されないように同児を連れて近隣のいずこかへ身を隠している模様である。

5  拘束者らの太郎に対する右拘束は正当な手続によらないで、監護権者である請求者の意思に反して太郎を実力で連れ出したものであり、違法である。

なお拘束者小川年一、同小川さちと、被拘束者小川太郎との間には養子縁組がなされているが、請求者の監護権は右の養子縁組がなされた今日でも生きており、そうでなければ、調停の意味がない。

6  被拘束者はようやく二才の幼児であり、実母である請求者によつて養育されるのが被拘束者にとつて最も幸福である。

請求者には婚約者があるが、右婚約者は、太郎の養育に非常に協力的であり、結婚後も心配はない。

逆に、拘束者年一は拘束者年男を事件本人として、京都家庭裁判所に準禁治産宣告を申立、現在係属中であり、かかる家庭で太郎を養育することは適当ではない。

二、拘束者らは、「請求者の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

1  請求の理由第1第2項は認める。

2  被拘束者を連れ出した日は昭和四七年四月二五日であり、以後一週間は大阪府枚方市S方において、その後は現在まで拘束者年一、同さちの住所において、右両名が養育している。

3  請求者大川花子は近く他の男と結婚する運びとなつているが、大川花子の両親方には男の子がいないので、将来は小川太郎を大川方の養子にしようとの下心があり、小川太郎に大川の姓を名乗らせ、祖父母である小林年一、ちよが孫可愛いさに大川方を訪れても、太郎に会うことを拒絶する状態であつた。しかし、太郎は大川花子をしたうより祖父母をしたつて居り、祖父母が迎えに行くと喜んで祖父母に従つて祖父母方に喜々として生活している状態である。

元来前記離婚調停が単なる幼児は母がこれを看護する方がよいとの一般概念に基くものであつて、個々の特別の事由を勘案しなかつたきらいがある。従つて本件は形式的には幼児小川太郎を祖父母である小林年一、さちが連れ帰り養育しているとしても、被拘束者小川太郎は寧ろその方を望み喜んでいるのであるから、拘束という言葉は適当ではない。

次に大川花子は近く他の男と結婚するのであるが、右結婚の結果子供が生れることも必然であり、斯る場合に右小川太郎に対する愛情が如何に推移するかを考えると、寧ろ祖父母の下に養育看護されることが、太郎にとつては幸福である。

また、小川年一、さちは、小川太郎と養子縁組をしており、年令もいまだ年一は五六才、さちは五一才で子供を養育しうる力が充分であり、前記事情も考慮すると、大川花子の監護権は祖父母であり養父母である小川年一、さち夫婦に委ねるべきである。

三、被拘束者代理人は、「特に意見はない。」と述べた。

四、疏明<略>

理由

第一、拘束の有無について

一、<証拠>によれば、

1  請求者大川花子は昭和四三年三月三〇日拘束者小川年男と結婚(同日届出)し、年男の両親である拘束者小川年一、同小川さちと同居し、昭和四五年三月二八日年男との間に長男被拘束者小川太郎を出産したが、その後家庭不和から、昭和四六年九月一八日太郎とともに別居し、京都家庭裁判所に離婚の調停を申立て、昭和四七年四月二二日次の条項の調停離婚が成立したこと、

(一) 申立人(花子、以下同じ)と相手方(年男、以下同じ)は本日調停離婚する。

(二) 当事者間の長男太郎の親権者を父である相手方とし、その養育は申立人において行なう。

(三) 相手方は申立人に対し長男の監護養育の費用として昭和四七年四月から毎月末日金三万円を申立人方に送金して支払う。

2  大川花子は右調停の趣旨に従い、その手許で太郎を養育していたが、昭和四七年四月二五日小川さちは、小川年一の父小川市太郎とともに太郎に会うため大川方を訪れ、たまたま花子が太郎を叱責しているのを見るや、そんな母親に預けておけないと、花子が止めようとしたのに、これを無視し、太郎を抱いてタクシーに乗つて小川年一方まで連れ帰つてしまつたこと、

3  花子は直ちに小川年男、年一らに対し太郎を返してくれるよう架電したり、出向いたりして折衝したが拘束者らは太郎の所在を告げることなく、連れ帰つてから一週間は大阪府枚方市S方において、それ以後は現在まで小川年一方において、小川年一、さちの両名で太郎を養育していること、

4  小川年男は、さちが太郎を連れ帰つてからその事実を知らされたものであり、太郎を連れ帰ることには関与していなかつたし、その後も花子から太郎の所在を聞かれたのに教えなかつたことはあるが、太郎の養育はもつぱら年一、さちらにおいて行ない、年男は関与していなかつたこと、

以上の事実が一応認められる。(右事実のうち、当事者の関係、花子と年男が前記条項のとおり調停離婚したこと、年一、さちが太郎を連れ帰り、現在まで養育していることは、当事者間に争いない。)

二、右の事実によれば被拘束者は現在二年三ケ月足らずの意思能力のない幼児であり、意思能力のない幼児を監護養育する行為は、当然に幼児の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、それ自体人身保護法および同規則にいう「拘束」にあたると解すべきである。従つて、拘束者小川年一、同小川さちは被拘束者小川太郎を拘束しているものといえる。

しかしながら拘束者小川年男については、右の事実によれば、被拘束者の連れ帰り、およびその後の養育のいずれにも関与していないのであるから、同人は被拘束者小川太郎を拘束しているものとはいえない。

第二、監護権の存否について

一、前認定のとおり、花子は離婚調停において、太郎の監護権者に指定されたのであるが、右疎甲第一号証、拘束者ら三名の各本人尋問の結果によると、その後、昭和四七年五月四日太郎と年一さち夫婦間で養子縁組がなされたこと、右養子縁組は太郎の親権者である年男が、監護権者である花子の同意を得ることなく代諾してなされたものであることが一応認められる。

二、ところで、父母が離婚し、一方が親権者、他方が監護権者と定められた場合においては、子の縁組についての代諾権者は法定代理人である親権者であるが、右縁組が監護権者の権限を消滅させること、縁組が子の利益に適うか否かを監護権者にも判断させるのが望ましいこと等を考えると、親権者が代諾をなすには監護権者の同意を要すると解すべきである。従つて、本件では年男のなした代諾は、監護権者である花子の同意を得ることなくなされているから、無効であり、その結果として、太郎と年一、さち夫婦間の養子縁組も適法な代諾を欠き無効のものというべきである。

三、そうだとすると、花子は依然として太郎の監護権者であり、年一、さちは監護権者の意思に反して、太郎を拘束していることになる。

第三、拘束の違法性について

一、幼児に対する拘束が、当該幼児の監護権者の意思に反して行なわれている場合には、監護権者の監護方法が甚しく不当である等のため、監護権者の下にいることが幼児の幸福に反することが明らかである事情が認められない限り、幼児に対する当該拘束は違法になされていることが顕著であるというべきである。

二、そこで、本件において右の事情が存在するか否かを検討する。

<証拠>によれば、

1  花子は、昭和四六年九月一八日に年男と別居してから、さちが連れて帰つた昭和四七年四月二五日まで、実家で太郎を養育しており、右養育には特に不都合な点はなかつたこと、

2  同女は現在、従兄のKの経営する中古車センターに勤め、朝九時から午後四時まで働いているが、右の勤めは、K方で現在募集中の人手が決まるまでということなので、後任が決まればやめられること、太郎を引きとつた場合は、後任の人が決まるまでは、太郎を連れて働らきに来てくれるようKから頼まれており、同人方には花子の祖母がおり、働いている間太郎の面倒を見ることが可能であり、親戚であるので勤め自体比較的自由なので、太郎を連れて働らきにいくことは可能であること、

3  花子は、従兄のYと結婚する予定であるが、Yは子供好きであり、太郎もなついていること、本件についても、太郎を引き取るために花子に積極的に協力していること、結婚の時期については、まだ具体的に決まつていないこと、

4  小川年一は、長男の年男に対し、昭和四七年一月末頃、京都家庭裁判所に準禁治産の申立をしたが、年一は年男が頼りないので、年男の長男である太郎を養子にして家をつがせたいと以前から考えていたこと、

5  年一は農業兼建築手伝をして月に七万から八万円の収入があり、田舎で野菜、米は自分のところでとれるので、生活には不自由がなく、年一は五六才、さちは五一才で昭和四六年末にいずれも病気で入院したことはあるが、現在はなおつており、太郎を養育する能力はあり、現在までの養育に特に不都合はないこと、

6  太郎は、出生後、花子が別居した昭和四六年九月までの一年六ケ月を、年一方で過ごしており、年一、さちにもなついていること、

以上の事実が一応認められる。

三、右の事実に基いて判断すると、小川年一、さちについては、太郎は同人らにもなついており、拘束開始後現在までの養育に別段の不都合はなく、また将来も養育しうる能力はあると認められるけれども、花子についても、本件拘束開始までの監護には別段不都合な点はなく、また現在太郎を手許に引き取つた場合にも十分監護養育していける事情にあると認められ、Yとの結婚についても、それによつて太郎の監護が不十分となるような事情が存するとは認められない。

そうだとすると、本件においては、太郎が花子の下で生活することが、同人の幸福に反することが明らかであるとはいえない。従つて、小川年一、さちの太郎に対する本件拘束は違法になされていることが顕著であるといわざるをえない。

第四、結論

よつて、拘束者小川年男との関係では、請求者の本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、拘束者小川年一、同小川さちとの関係では、本件請求は理由があるのでこれを認容し、被拘束者を釈放し、被拘束者が幼児である点にかんがみこれを請求者に引渡すこととし、手続費用につき、人身保護法第一七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(山田常雄 伊藤博 房村精一)

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