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京都地方裁判所 昭和51年(ワ)222号 判決 1978年12月19日

昭和五一年(ワ)第二二二号事件原告 木倉誠

右訴訟代理人弁護士 染谷壽宏

右同 海老原照男

右訴訟復代理人弁護士 前島良彦

昭和五一年(ワ)第七七〇号事件原告 信和商事株式会社

右代表者代表取締役 保坂勲三

右訴訟代理人弁護士 桜井英司

右同 鶴田啓三

昭和五一年(ワ)第二二二号、同七七〇号事件被告 笠岡花

右同 笠岡忠利

右両名訴訟代理人弁護士 前堀克彦

右同 前堀政幸

主文

一  被告らは各自、原告木倉誠に対し、金二九七万七〇〇六円及びこれに対する昭和五〇年一月一七日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは各自、原告信和商事株式会社に対し、金三一〇〇万円及びうち金三〇〇〇万円に対する昭和五一年四月一三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を各棄却する。

四  訴訟費用中、原告信和商事株式会社と被告らとの間に生じたものは被告らの各自負担とし、原告木倉誠と被告らとの間に生じたものはこれを六分し、その五を原告木倉誠の負担とし、その余を被告らの各自負担とする。

五  この判決中原告ら勝訴の部分は原告信和商事株式会社に於て被告らに対し金五〇〇万円づつ、原告木倉誠に於て被告らに対し金五〇万円づつの担保を供するときは原告らに於て仮りに執行できる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一(昭和五一年(ワ)第二二二号事件)の請求の趣旨

1  被告らは各自原告木倉誠(以下原告木倉という)に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年一月一七日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二(昭和五一年(ワ)第七七〇号事件)の請求の趣旨

1  被告らは各自原告信和商事株式会社(以下原告信和商事という)に対し、金三一五〇万円及び内金三〇〇〇万円に対しては昭和五一年四月一三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

三 請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの各請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

(昭和五一年(ワ)第二二二号事件)

一  請求原因

1  被告らの営業

被告笠岡花(以下被告花という)は肩書地においてフグ料理店「政」を経営するものであり、被告笠岡忠利(以下被告忠利という)は同店の調理師としてフグ料理等の調理及び提供等の職務に従事していたものである。

2  亡守田俊郎(以下亡俊郎という)の死亡とその原因

亡俊郎は昭和五〇年一月一五日午後八時四〇分ころ前記「政」において飲食中、被告忠利の調理したフグの肝等の内臓物を提供され、これを食したところフグ中毒に罹り翌一六日午前四時四〇分ころ死亡した。

3  被告らの責任

(一) 被告忠利の責任

(1) フグ料理においては、フグの内臓にテトロドトキシン等の青酸カリの二〇〇倍もの毒物が含有されているところから、その調理方法は極めて慎重を要し、調理師たる被告忠利は、卵巣・肝臓等に毒性のある種類のフグについては客に内臓物を食べさせてはいけない注意義務を負っていた。

(2) しかるに、被告忠利は右注意義務に違反し有毒な内臓物を亡俊郎に提供し、もって同人を死亡せしめた。

よって被告忠利は民法七〇九条により損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告花の責任

被告花は、前記のごとくフグ料理店「政」を経営し被告忠利を調理師として使用しているものであり、被告忠利の前記行為は同店の職務執行としてなされた。よって被告花は民法七一五条一項により損害を賠償すべき義務がある。

4  訴外守田たね子(以下訴外たね子という)の権利の承継

訴外たね子は死亡した俊郎の妻であり、同人の唯一の相続人であるから亡俊郎の権利を全部相続した。

5  損害 金一億四二八六万五六三〇円

(一) 亡俊郎の逸失利益 ―― 一億三二八六万五六三〇円

亡俊郎は死亡当時満六八歳(明治三九年一〇月一九日生れ)で、歌舞伎俳優として稼働中であり、年間二八二九万九七三五円の収入を得ていたものであるところ、同人の就労可能年数は死亡時から五・一年、生活費は年間二四〇万円と考えられるから、ホフマン方式(ホフマン係数五・一三四)によって算出すると、逸失利益は一億三二八六万五六三〇円((28,299,735-2,400,000)×5.134=132,865,630)である。

(二) 亡俊郎の慰藉料――一〇〇〇万円

亡俊郎は、芸名を八代目坂東三津五郎と称し長年歌舞伎俳優の生活を送ってきたものであり、梨園の重鎮として人間国宝にも指定されていた人物であり、その社会的地位、名声からすればその慰藉料は金一〇〇〇万円が相当である。

(三) 総損害額

よって訴外たね子が、亡俊郎の死亡により被告らに請求できる損害額は、前記逸失利益に慰藉料を加えた一億四二八六万五六三〇円である。

6  債権譲渡

訴外たね子は、被告らに対し前記一億四二八六万五六三〇円の損害賠償請求債権を有するところ、昭和五三年九月二二日原告木倉に対し、右債権のうち一億一二八六万五六三〇円を譲渡した上、おそくとも同年一〇月一〇日被告ら両名に到達した内容証明郵便をもってその旨を通知した。

7  結論

よって原告木倉は被告両名に対し各自前記譲受損害金債権の一部である金二〇〇〇万円およびこれに対する本件事故発生後である昭和五〇年一月一七日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項の事実のうち、亡俊郎の死因が料理店「政」で食したフグの中毒であるとの点は否認し、その余の事実は、すべて認める。

3  同3項の事実は、すべて争う。なお被告忠利には過失はなく、本件事故はむしろ亡俊郎の過失に帰因するものである。それは次の事情から明らかである。

(一) 被告忠利がなしたフグの肝等の調理には何ら不十分な点はなかった。

(二) 亡俊郎はフグ料理に精通しており、且つフグ料理品特に肝の料理品はフグ毒の中毒を起すことを熟知しておりながら被告らに対し、右肝等の内臓物を注文したこと、被告忠利は右注文に応じその嗜好にあうようフグの肝等を調理したが、亡俊郎に対しそれがフグの肝等の料理品であることを明示して提供したこと、そして亡俊郎はそれがフグの肝等の料理品であることを承知の上で食したのである。

4  同4項の事実は認める。

5  同5項の事実のうち(一)の点は否認し、(二)の点は慰藉料額は争うが、その余は認める。

なお亡俊郎の逸失利益は生じない。即ち、同人は浪費家で派手な生活を送っていたため自らの収入のみでは生計を維持することができず、死亡時約五億円の借金を有していたのであるから同人の生活費が実収入を上廻っていたことは明白であって同人にいわゆる逸失利益が有りうるとは認められない。

6  同6項の事実のうち訴外たね子が被告らに債権譲渡をなしその旨の通知をなした点は認めるが、訴外たね子が被告らに対し損害賠償請求権を有するとの点は争う。

7  同7項は争う。

三  抗弁

(過失相殺)

仮に被告らに過失があるとしても、

1 請求原因に対する認否3項の(二)の事実と同旨の主張をする。

2 現代医学によれば、フグ中毒に罹った者に対し早期に医療を施せば死亡という結果は回避できるのであるから、亡俊郎がフグ中毒に罹ったことを知った訴外たね子は、病気の看護義務者として直ちに医療を受けさせる注意義務を負っているところ、同女はこれを怠り亡俊郎を死亡させるに至らしめた。

3 前記1、2のように本件の死亡事故発生については亡俊郎及び同たね子にも過失があり、且つその過失は大きいので損害賠償の算定にあたって斟酌すべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて争う。

(昭和五一年(ワ)第七七〇号事件)

一  請求原因

1  被告らの営業、亡俊郎の死亡とその原因、訴外たね子の権利の承継についてはそれぞれ昭和五一年(ワ)第二二二号事件の請求原因1、2、4項と同旨。

2  被告らの責任

(一) 被告忠利の責任

(1) 被告忠利はフグ調理の免許を受けた調理師であるがフグは毒性が強いのであるから調理に際しては、特に毒性を帯びないように注意すべき義務がある。

(2) しかるに、被告忠利は右注意義務に違反し、有毒なフグ料理を亡俊郎に提供し、もって同人を死亡せしめた。

よって被告忠利は民法七〇九条により損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告花の責任

昭和五一年(ワ)第二二二号事件の請求原因3項の(二)の事実と同旨。

3  損害 金一億四五一五万四八三七円

(一) 亡俊郎の逸失利益 ―― 一億三四九〇万四八三七円

亡俊郎は死亡当時満六八歳(明治三九年一〇月一九日生れ)で、歌舞伎俳優として稼働中であり年間二八二九万九七三五円の収入を得ていたものであるところ、同人の就労可能年数は死亡時から一〇年、生活費を四〇パーセントとしてホフマン方式(ホフマン係数七・九四五)によって算出すると逸失利益は一億三四九〇万四八三七円となる。

28,299,735×60/100×7.945=134,904,837

(二) 葬儀費用 ― 二五万円

(三) 慰藉料 一〇〇〇万円

昭和五一年(ワ)第二二二号事件の請求原因5項の(二)の事実に同旨。

(四) 総損害額

よって訴外たね子が亡俊郎の死亡により被告らに請求できる損害額は前記逸失利益に葬儀費用及び慰藉料を加えた一億四五一五万四八三七円である。

4  債権譲渡

訴外たね子は、被告らに対し前記一億四五一五万四八三七円の損害賠償債権を有するところ、昭和五一年一月三〇日原告信和商事に対し、右債権のうち金三〇〇〇万円の債権を譲渡した上、同年二月三日被告ら両名に到達した内容証明郵便をもってその旨通知した。

5  弁護士費用

原告信和商事は、弁護士桜井英司に依頼して本訴を提起したが第一審判決日に報酬として金一五〇万円を支払うことを約した。

6  結論

よって、原告信和商事は被告両名に各自前記譲受損害金債権金三〇〇〇万円及び弁護士費用金一五〇万円の合計三一五〇万円並びにうち金三〇〇〇万円については本件事故発生後である本訴状送達の日の翌日である昭和五一年四月一三日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  亡俊郎の死因について、次の事項を追加する。亡俊郎は相客五名と共に被告忠利の調理した同じフグ料理品をほぼ同量食したのであるが、他の相客五名には全くフグ中毒症状が現れていないこと、亡俊郎が死亡したのは同人が被告忠利の調理したフグ料理品を食してから約八時間を経過した後であることからして、亡俊郎の死因は被告忠利の調理したフグ料理による中毒でないことは明らかである。

2  損害について、葬儀費用及び弁護士費用の額はこれを争い、債権譲渡とその通知の事実は認める。

3  右1、2以外についての認否は、いずれも昭和五一年(ワ)第二二二号事件における請求原因に対する認否と同旨である。

三  抗弁及び抗弁に対する認否

いずれも昭和五一年(ワ)第二二二号事件における抗弁及び抗弁に対する認否と同旨である。

第三証拠《省略》

理由

一  身分関係について

亡俊郎が芸名を坂東三津五郎と称し歌舞伎俳優の生活を送り斯界の重鎮として昭和四八年三月には人間国宝に指定された人物であったこと、同五〇年一月一五日当時は公演のため京都にきていたこと、訴外たね子は亡俊郎の妻であり、唯一の相続人となったこと、被告花は肩書地においてフグ料理店「政」を経営するものであり、被告忠利は同店の調理師としてフグ料理等の調理及び提供等の職務に従事していたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  亡俊郎の死亡とその原因について

亡俊郎が昭和五〇年一月一五日午後八時四〇分ころ前記「政」において飲食中、被告忠利の調理にかかるフグの肝等の内臓物を提供されこれを食したこと及び同人が翌一六日午前四時四〇分ころ死亡したことは当事者に争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、(一)、急報により一月一六日午前三時二四分頃亡俊郎が宿泊していたロイヤルホテルに馳けつけ最初に同人を診察、治療した泉谷守医師は、それまでにフグ中毒患者一二名あまりを診察した経験の持主であるところ、同医師の観察によれば亡俊郎は当時結膜充血、眼球突出著明、顔面紅潮、よだれ、舌露出、平衡不能、両下肢脱力等フグ中毒特有の教料書的症状を呈していたこと、(二)、亡俊郎の身体の解剖にあたった京都府立医科大学法医学教室教授の山沢吉平医師は、亡俊郎の十二指腸及び小腸の上部並びに嘔吐物からフグ毒であるテトロドトキシンを検出したこと、全体として窒息の所見がみられたこと、他に死因とみられるような変化がなかったこと等から考え、亡俊郎の死因をフグ毒による死亡と判断したこと、フグ中毒というのはフグのもっている毒が血中に入り筋肉と血管を麻痺させ呼吸を出来なくするものであるが、亡俊郎の症状はこれに合致していたことが認められ、この認定を覆すに足る証拠はないので、亡俊郎は前記「政」で被告忠利の調理したフグの肝等の内臓物を提供され、これを食したところフグ中毒に罹り、呼吸筋麻痺により窒息死したことは明らかであるといわなければならない。

被告らは、亡俊郎は相客五名と共に被告忠利の調理した同じフグ料理を食したのであるが、他の相客五名には全くフグ中毒の症状が現れていないこと、亡俊郎が死亡したのは同人が被告忠利の調理したフグ料理品を食してから約八時間を経過した後であることを理由に、亡俊郎の死因は被告忠利の調理したフグ料理による中毒死でない旨主張するところ、《証拠省略》によれば、当時俊郎と同席していた福本勝子を除く相客四名も量の多少はあるが亡俊郎と共にフグの肝を食している(訴外守屋俊章は亡俊郎とほぼ同量の三ないし五きれ、訴外原田義子は二、三きれ、同森下純子は一きれ、高橋笑子は二きれ)こと、亡俊郎はフグの肝を食してから約八時間後に死亡したことは認められるが、《証拠省略》によれば、(一)、フグは俗に鉄砲(打っても当る人と当らぬ人がある)と呼称されているように同一の機会に同一のフグの肝を数人で食した場合でもそのうちの一人だけが中毒にかかる例は珍しいことではなく、その原因は、食した量の多寡、調理方法が不完全なため毒処理が十分にできた部分とできない部分ができる可能性のあること及び同じ肝でも毒性の強い部分と弱い部分があるとさえいわれていることから亡俊郎のみが中毒しても不思議でないこと、また、(二)、フグを食してから死亡するまでの時間は、フグ毒の量、体質、年齢、排泄の有無、疲労等により千差万別であり、フグを食してから八時間後に死亡しても不思議でないことが、それぞれ認定できるので、被告らの主張は理由がなく、採用できない。《証拠省略》によればフグ中毒による死亡例は食後六時間位が多いことが認められるが、前記のように個人差があるからこの判断に抵触するものではない。

三  被告らの過失について

1  《証拠省略》によると、フグの肝臓(単に肝とも呼称されている)・卵単等の内臓物は有毒で、一般にその程度はともかくとしても人の生命・身体(健康)に危険であると考えられているところ、フグ毒に関する研究の結果、フグの肝臓・卵巣等にはテトロドトキシンという猛毒(青酸カリの二〇〇〇倍の毒性があるという)が含まれており、俗にいわれていた「フグ毒はフグの血中に含まれているから、フグ一匹に水一石を用いて十分に水洗いをして血を洗いおとせばフグ毒は除かれる」との考えは間違いで、フグ毒は血の中に含まれているわけでなく、水洗いによっては十分除毒することができず、結局フグ毒を有効に解毒する方法は今のところないことが認められるのと、京都府では食品衛生法第四条二号の「人の健康を害う虞れがない場合として厚生大臣が定める場合を除いて有毒な、又は有毒な物質が含まれ又は附着しているものを販売し又は販売の用に供するために製造等をしてはならない」旨の規定の精神を敷衍して昭和二五年九月に京都府条例二八号でフグ取扱条例を制定し、同条例七条で「フグの卵巣・肝臓・胃腸並びにその他毒性のある部分は、これを調理・加工・陳列・保存・貯蔵若しくは授与してはならない」とし同一三条は「右に違反したものは二年以下の懲役又は禁錮もしくは五万円以下の罰金に処する」(なお右条例は本件事件後である昭和五一年七月二三日改正され罰則が二年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処すると加重された)旨規定して、フグの調理・提供を業とする者に対し安全な料理をお客に提供させるべく規制を行なっている。その結果、《証拠省略》によれば、京都府下では当然のこととして、フグ料理に肝を調理して出すような慣行がある事実は認められない。

従って、京都府下において、フグの調理・提供を業とする者は右条例の規定を遵守しフグの肝等の内臓物を客に提供することによりその生命、身体(健康)に危害を与えてはならないという注意義務を負っていると解すべきである。

2  ところが、《証拠省略》によれば次の事実を認定することができる。

(一)  被告忠利は昭和三五年一二月にフグ処理士試験に合格し、京都府知事からフグ処理士の免許を受けており、同三八年頃から本件事故発生日である同五〇年一月一五日まで前記「政」で年間一〇〇匹位のフグを調理・提供してきた。

(二)  被告忠利は、京都府のフグ取扱条例の存在及びその内容を知っていたことはもとより、フグの卵巣・肝臓にはテトロドトキシンという猛毒が含まれていること、フグ毒には前記の毒性があるにもかかわらずその解毒の方法がなく結局水で毒を洗い流すよりほかに毒を除去する有効な方法はないこと(フグ毒は比較的水にとけやすいといわれている)を十分に知っていた。

(三)  しかし、被告忠利は自己流の調理方法―肝を真水で約一時間程洗い、その後塩をかけてもみ、これを米糠を入れた湯で一時間以上ゆがき、さらに真水で二、三〇分位ゆがき、また真水で洗う―によってこれまで事故がなかったこと、及び、事故当日の午後二時ころいつものように一きれの肝を毒味したが異常がなかったことから、肝を提供しても人の生命・身体(健康)に危害を加える虞れがないと軽信して訴外俊郎らにフグの肝を提供し本件事故となった。

以上のごとく被告忠利はフグの肝の危険を知りかつ京都府条例の禁止を知りながらフグの肝を亡俊郎に提供したものであるから同人には過失があったといわなければならない。

3  なお被告らは、(一)、被告忠利がなした肝等の調理に不十分な点はなかった、(二)、亡俊郎はフグ料理に精通しており、且つ、フグ料理品特に肝の料理品はフグ毒の中毒を起すことを熟知しておりながら被告らに対し、右肝等の内臓物を注文したこと、被告忠利は右注文に応じその嗜好にあうようフグの肝等を調理し、亡俊郎に対しそれがフグの肝等の料理品であることを明示して提供したこと、そして亡俊郎はそれがフグの肝等の料理品であることを承知の上で食したのであるから被告らには過失がない旨主張する。

しかし右被告らの(一)の主張は、前記認定のごとくフグ毒の除毒方法につき現状では有効な方法がないところ、被告忠利の調理方法は前記認定のごとく相当丁寧ではあるがあくまでも水洗いといういわば原始的・非科学的調理方法であって、しかも結果として亡俊郎が死亡したことをみても、被告忠利の調理方法が十分であったとはとうてい言えないことは論をまたない。よって被告らの右(一)の主張は採用しない。

また被告らの右(二)の主張について判断するに、《証拠省略》によれば、当夜同席していた森下純子が亡俊郎に対し「肝はこわいものどすやろ」と言ったところ、亡俊郎は「そんなん大丈夫ですよ」と言ってフグを食べることをすすめていたこと、亡俊郎は食通といわれていたことが認められ当時亡俊郎はフグの肝であることを十分承知し、しかも或る程度肝についての知識を持って食べていることがうかがえるが、他方、亡俊郎は相客らに対しフグの調理方法などにつき「フグを料理するときは水をよく使うからフグ屋さんは水がたくさんいる。フグは血がこわいからそれを洗うことが必要だ」と説明していることが認められていることから見ても、亡俊郎が食通といわれていたとしてもあくまで素人的な知識しかもっていなかったことがうかがえ、客としては京都において現に長年フグ料理を商売としている被告忠利の調理の腕を信頼し、提供された肝を食するのは当然の成り行きであったからこの故を以て被告忠利に過失なしということはできない。被告花は《証拠省略》の中で亡俊郎が肝を特に強く希望したと述べているが、《証拠省略》によれば、被告忠利は「政」の常連客には注文がなくとも肝を提供していたこと、当夜の招待者でフグ料理を注文した訴外守屋俊章は「政」の常連客であったこと、亡俊郎は守屋が招待した客であったことが認められるので、本件は亡俊郎の特別の希望によって提供されたものとはいえず、単に亡俊郎がフグの肝をフグの肝と承知して食したことの一事をもって被告忠利の過失を否定することはできない。よって被告らの右(二)の主張も理由がない。

四  従って被告忠利はフグの肝を提供した者として民法七〇九条により、被告花は被用者たる被告忠利がその職務の執行としてフグの肝を提供したのであるから同法七一五条一項により、各自以下に認定する損害を賠償する責任があるといわなければならない。

五  過失相殺

前記三の3で認定したごとく亡俊郎は当時フグの肝に毒が含有されていることを承知でこれを食していること、及び《証拠省略》によれば、肝は一人二きれ位の割合で提供されているのに亡俊郎は他の相客より多量の三ないし六きれを食したことが認定できることを斟酌すると、本件事故発生には亡俊郎にも過失があったものというべく、その過失割合は被告らに七、亡俊郎に三と評価するのが相当である。従って過失相殺として損害金の三割を減じるのが相当である。

なお被告らは、訴外たね子は看護義務者としてフグ中毒に罹った亡俊郎に直ちに医療の機会を与えるべきであるのに、これを怠った点をも過失相殺の一事情として考慮すべきである旨主張するが、《証拠省略》によれば、(一)、当日同室で寝ていた妻のたね子は午前三時五分前頃俊郎より身体の異常を訴えられたので直ちに被告花とホテルフロントに電話連絡をなしたところ部屋にただちにかけつけたホテルのナイトマネージャーの訴外吉田勝也に対し、亡俊郎は「救急車はちょっと勘弁して貰いたい、救急車よりも町の医者にしてくれんか」といったが吉田勝也はすぐ泉谷守医師に来てもらったこと、フグ中毒の症状のあらわれる時間は個人により相異があること、亡俊郎の十二指腸から小腸の上部にかけて粘膜に出血があったことが認められ、これは強い嘔吐によってけいれんを来たした結果と思われることから既にそこまで行っていたフグを吐いたとすれば午前三時ころ吐いたという点も時間的に必ずしもおかしくないこと、胃中の出血は約三〇分ないし一時間位でたまる量であることがそれぞれ認定できるので、亡俊郎が身体の異常を訴えた午前三時前ころにフグ中毒症状があらわれ、たね子は直ちにホテルのフロントに電話で連絡し、すぐに医者の手配をしたのであるから、このことを以てたね子に過失があったということもできない。なお《証拠省略》の中で泉谷守医師は亡俊郎は午前一時から二時の間に苦しんでいたはずであると述べている部分があるが、もしその通りならたね子は当然知っていたであろうし、たとえ泉谷守医師の供述どおりであったとしても亡俊郎は医師ですら「近くの医師でよい」という位大騒ぎするのを好まなかったため、異常があっても初めの間は深夜にたね子を起すのを躊躇し午前三時頃になってはじめてたね子を起したものと推認されるので、たね子を責めることはできず、過失については俊郎自身の過失を考慮すれば足り、この点に関する被告らの主張は採用できない。

六  損害について

1  亡俊郎の逸失利益 金二五七二万七〇〇六円

(一)  被告らは、亡俊郎は浪費家で派手な生活を送っていたため自らの収入のみでは生計を維持できず、死亡時約五億円の借金を有していたのであるから、同人の生活費が実収入を上廻っていたことは明白で、同人にいわゆる逸失利益が生じる余地はない旨主張するので検討する。

《証拠省略》によれば、亡俊郎は二億円を下らない額の借財を残して死亡したことが認められるので、生前亡俊郎の支出額が現実には可成り多大であったことをうかがうことができるが、被告らの主張は「現実に費消し支出する額」を生活費として把握し、これを収入金額から控除することを前提としている。しかし逸失利益の算定のうえで「生活費」名義で控除すべきものの実質はその逸失収入をあげるのに必要な経費(労働力再生費)と考えるのが相当であるから、本件における「生活費」は被告らの主張するような「現実の支出額」である必要はなく、亡俊郎が歌舞伎界での地位、名声を維持し、得べかりし収入を獲得するに必要な経費と考えるのが相当と考えられるので被告らのこの点の主張は理由がない。而して《証拠省略》によれば、多額の収入があったにも拘らず亡俊郎に借財が残ったのは、昭和四七年に建てた家屋の新築代金の支払い、脱税金の支払い、妻たね子の子(亡俊郎の子ではない)である塚田進の債務の保証をしたためであること、又本人の身だしなみを整えるため年間、洋服代に約六〇万円、和服代に約二四〇万円ないし三六〇万円を支出し、芸術院会員となるために少なからぬ運動費を使用していたことが認められるのと、その他歌舞伎界での名声を維持し高収入を獲得するためには、それに見合うだけの交際費等の支出が必要であったと推認されるので、原告ら主張のように月額二〇万円とか四〇%を控除すればよいとは考えられないので、亡俊郎の生活費等の必要経費の控除率は収入の七割を以て相当と認める。

(二)  そこで損害額について考えるに、《証拠省略》によれば、亡俊郎は死亡当時満六八歳(明治三九年一〇月九日生れ)で歌舞伎俳優として活躍中であり、生前の過去一年間(昭和四九年度分)の収入は少なくとも二八二九万九七三五円であったことが認められるのでこの収入が続くものと推定しそれより前記のごとく亡俊郎の生活費等として収入額の七割を控除する。またその就労可能年数を考えるに、昭和五〇年の簡易生命表によれば満六八歳の平均余命は一一・七七年であり、通常はその二分の一を就労可能年数とするが、同人が高収入者であったこと、及び舞台での仕事が激務であることは経験的に明らかであることを勘案して端数はこれを切り捨て就労可能年数を五年とするのが相当である。そこでライプニッツ式計算による係数四・三二九を乗じて算出された額にさらに前記認定の過失相殺の割合三割を減じると結局亡俊郎の得べかりし利益の喪失による損害は金二五七二万七〇〇六円となる。

28,299,735×(1-0.7)×4.329×(1-0.3)=25,727,006

2  亡俊郎に対する慰藉料 金七〇〇万円

一で認定したとおり、亡俊郎の歌舞伎界での地位及び社会的地位、名声からすれば、その慰藉料は一〇〇〇万円が相当であるところ、前記認定の如く過失相殺による三割を減じ、結局慰藉料は七〇〇万円が相当である。

3  葬儀費用 金二五万円

葬儀費用としては前記認定の過失相殺を考慮しても金二五万円を相当とする。

4  以上1ないし3の合計 金三二九七万七〇〇六円

5  弁護士費用について 金一〇〇万円

原告信和商事が、本件訴訟(昭和五一年(ワ)第七七〇号事件)の遂行を本訴の代理人弁護士桜井英司らに依頼したことは本件記録により明らかなところ、この費用としては一〇〇万円が相当である。尚この弁護士費用は原告信和商事が被害者である不法行為により発生したものでないが譲受債権が不法行為によるものであるからそれに準じ加害者の負担とみて差支えないものと解する。

七  訴外たね子の権利承継及び債権譲渡

1  前記一で認定したごとく訴外たね子は亡俊郎の妻であり同人の唯一の相続人であるから前記六の1、2で認定した亡俊郎の逸失利益、慰藉料を相続したことになり、又自ら出捐した同六の3の葬儀費用を加えると、訴外たね子の被告らに請求しうる損害賠償債権額は金三二九七万七〇〇六円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五〇年一月一六日以降完済までの民法所定の年五分の割合による遅延損害金となる。

2  以上のごとく訴外たね子は被告らに対し三二九七万七〇〇六円等の損害賠償債権を有するところ、当事者間において次の事実については争いがない。すなわち訴外たね子は昭和五一年一月三〇日原告信和商事に対し、右債権のうち金三〇〇〇万円の債権を譲渡した上、同年二月三日被告ら両名に到達した内容証明郵便をもってその旨通知したこと、また同五三年九月二二日原告木倉に対し、原告信和商事に譲渡されている三〇〇〇万円の部分を除いた残額を譲渡した上、昭和五三年一〇月一〇日被告ら両名に到達した内容証明郵便をもってその旨通知した。

従って原告らが債権者として被告らに請求することは理由があるが、たね子は先づ原告信和商事に、ついで原告木倉に本債権を譲渡しているので、被告らは原告信和商事に三〇〇〇万円を、原告木倉に残りの二九七万七〇〇六円を支払うべきこととなる。尚不法行為による損害賠償請求権の譲渡性については多少疑問があるが金銭債権であって譲渡性を否定する理由はない。亡俊郎に生じた慰藉料請求権もたね子が相続して譲渡するに支障はない。

八  結論

よって原告らの本訴請求は原告信和商事については被告両名に対し各自譲受損害金債権三〇〇〇万円及び弁護士費用一〇〇万円の合計三一〇〇万円並びにうち三〇〇〇万円については本件事故発生後で本訴状送達の日の翌日であること記録によって明らかな昭和五一年四月一三日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払いを命ずる限度で理由があり、原告木倉については被告両名に対し各自譲受損害金債権二九七万七〇〇六円及びこれに対する本件事故発生後である昭和五〇年一月一七日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを命ずる限度で理由があるからこの限度でそれぞれ認容し、右限度を超える部分は何れも失当であるからこれを棄却する。不法行為発生後債権譲渡迄の遅延損害金は明示的には譲渡債権の中に入っていないが譲渡者の意思解釈からこれを含んでいるものと解する。又訴訟費用の負担については、昭和五一年(ワ)第二二二号事件につき民訴法八九条、九二条本文を、昭和五一年(ワ)第七七〇号事件につき同法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。仮執行免脱宣言はその必要なしと認めこれを付さない。

(裁判官 菊地博)

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