京都地方裁判所 昭和52年(ワ)1331号 判決 1981年3月27日
原告
神戸正雄
原告
神戸光代
右両名訴訟代理人
板持吉雄
同
小山田貫爾
被告
社団法人信和会
右代表者
足立道五郎
被告
日根野吉彦
被告
落合勝彦
右三名訴訟代理人
金井塚修
同
奥村文輔
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
第一事実経過<省略>
第二知見<省略>
第三被告らの責任
一原告らは、被告日根野医師が志郎に対してストマイ、パス、ヒドラジッドによる結核化学療法を実施するに当つて血小板数等の検査義務があり又、志郎の臨床症状からは血小板減少症が窺われたのであるから直ちに右同検査を実施する義務があつたのにこれを怠り、昭和四九年一二月一〇日以前に進行し始めていた血小板減少症に対する治療や不適切な投薬の中止等の措置をとらず、これにより志郎の同年一二月一〇日の血小板減少性紫斑病を発生させた旨主張し、又、右検査を怠つたことが同年一二月一一日以後の検査を正しく評価しえなかつたことにつながつている旨主張するので検討する。
1(結核化学療法に伴う血小板数、出血時間、凝固時間の検査義務について)
前記認定の事実及び前記乙第六号証によれば、被告日根野医師は志郎の肺結核症の治療薬としてストマイ、パス、ヒドラジッドの三者を併用し、安井病院入院後右治療開始前の昭和四九年六月一四日から同月一八日にかけて胸部エックス線検査、血沈、結核菌検査、心電図、血液検査(赤血球数、白血球数、白血球分類、ヘモグロビン、ヘマトクリット)、化学検査(肝等機能検査)、血清蛋白分画検査、血清検査(CRP、RA、ASLO、梅毒反応)、尿・糞便検査等を実施し、その後人院期間中及び退院後から同年一一月一八日までの通院期間中も定期的又は随時右諸検査を実施していたが、この間血小板数、出血時間、凝固時間等の検査をしていないこと、ストマイ、パス、ヒドラジッドには血小板減少性紫斑病を誘発する可能性があること、昭和三八年六月七日保発第一二号各都道府県知事宛厚生省保険局長通知(昭和四一年一二月一六日保発第三六号同局長通知により一部改正、乙第六号証)は「結核の治療指針」としてそのⅡA(5)において「結核の化学療法は長期にわたることを建前とするから副作用の問題はとくに重要である。化学療法剤にはそれぞれ固有の副作用発現の可能性がある。かつまた、副作用の発現には個人差が極めて著明である。難聴、肝障害、造血器障害など重篤な不可逆性の変化をひきおこすおそれのある薬剤の使用に際しては特別に細心の注意を払わなければならない。定期的にオージオメーター等による聴力検査、諸種の肝機能検査、血液検査などを励行しなくてはならない。これらは化学療法開始時も必ず施行することが必要で、さもなければ副作用の経過観察に際し支障を来たすから注意を要する。」と指摘していることが認められ、この通知は各都道府県知事を通じて各医師にも周知徹底されていたものと認められる。しかしながら、右乙第六号証及び前記鑑定の結果によれば、右通知は血液検査の細目についての具体的な指摘まではしておらず、抗結核剤の主な副作用としてサルファ剤やチオセミカルバゾンについては造血器障害を指摘しているもののストマイについては第八脳神経障害、パスについては胃腸障害、ヒドラジッドについては末梢神経障害のみを指摘していること、血小板数の検査についてはこれがルーチン血液検査として普及するに至つたのは血小板数をも含めた一般血液検査が自動血球計数装置で測定できるようになつた昭和五一、五二年頃からであつて昭和四九年当時一般病院でルーチン血液検査に血小板数を入れているのは少ない状況であつたし、昭和四九年頃ストマイ、パス、ヒドラジッドの副作用として血小板減少や血液障害をきたす可能性を指摘する文献もあつたが実際にそうした症例は極めて稀に属するものであつたため、従来抗結核剤を頻用する結核専門医でも血小板数の測定を定期的に実施する者は少なかつたこと、出血時間や凝固時間は一般に出血症状が発現した時点で検査するものでありかつそれで十分であることが認められ、これらの事実に照らすと、被告日根野医師がストマイ、パス、ヒドラジッドの三者併用による結核化学療法を開始し継続するに当つて血小板数等の検査義務があつたとはいうことはできない。
2(志郎の臨床症状と血小板数、出血時間、凝固時間等の検査義務)
前記第一認定の事実によれば、志郎はストマイ筋注を昭和四九年六月二〇日、二四日、二七日、七月四日、二二日、二五日、二八日、八月五日、八日、一二日、一五日、二〇日、二三日、二七日の一四回受けており、ストマイ筋注後六月二〇日には顔特に下顎の筋肉に軽度の攣縮が、同月二四日には極く軽度の顔面筋の攣縮様症状が七月二二日には顔面頸部筋肉緊張感が、同月二九日には熱感が、八月二七日には全身倦怠感と耳(鼓膜)の圧迫感がそれぞれあつたこと、同年六月二七日午後六時頃から二九日にかけて発熱・頭痛・全身倦怠感・眼球痛・咽頭発赤・肩筋痛・口唇爪床のチアノーゼ等の症状があつたこと、同年七月七日夕方から翌八日にかけて胸苦・頭部不快感・発熱・両眼充血・両上肢掻痒感・肩関節痛・嘔吐・吐気等の症状があつたこと、同月二八日夕方から左手第三、四、五指に鈍いしびれ感があり夜間鼻出血が少量あつたことが認められる。又、原告神戸光代本人尋問の結果によれば、志郎は同年七月以後の入院期間申には注射後血が止まりにくく肌着に血がついていたことが度々あり、退院後の同年八月一七日以後同年一二月一〇日までの間には注射後容易に血が止まらなかつたり、鼻出血が二、三回あり、ひげそりの際に切り傷ができると血が止まりにくかつたり、歯みがきの際に歯肉出血があつたことが認められる。
しかしながら、前記認定事実及び前記第二掲記の各証拠によれば、ストマイ筋注の一四回中九回には異常がなく右反応のほとんどが注射後間もなく生じ数時間で消失する第五脳神経症状であり、昭和四九年六月二七日午後六時頃から同月二九日にかけての症状は上気道炎とパス過敏症によるものと推察され、同年七月七日夕方から翌八日にかけての症状はパス過敏症と推察されるが、これらの各症状はいずれも血小板減少症等の何らかの出血傾向に基づくものでもなくそれらに直接関連するものでもない一時的症状であること、注射後の止血時間は一般に出血時間と相関関係を持つと推測されるが出血時間の測定と異なり雑多な要因により左右されるもので、鼻出血、ひげそり負け、歯肉出血などは日常経験するありふれた原因で起こりうるものであつて、血小板減少があれば鼻出血や歯肉出血に先行しかつ高頻度に紫斑が顕われるのが通例であり、又、鼻出血については志郎の血小板減少性紫斑病発症後にはみられていないことが認められ、これらの事実に照らすと、右諸症状が血小板減少症に基づくものであるとは認められないし、又、右症状中鼻出血、歯肉出血などは患者の訴えがなければ医師が覚知し難いものであるところ全証拠によるも志郎がその症状を被告日根野医師に訴えたことが認められないことも考慮すると、同医師が昭和四九年一二月一〇日以前に志郎の臨床症状から血小板減少症などの出血傾向を疑うべきであつたとはいえないし、血小板数等の検査義務を負つていたともいうことはできない。
3(投薬と昭和四九年一二月一〇日の血小板減少性紫斑病との関係について)
前記第一認定の事実によれば、志郎に対し被告日根野医師は昭和四九年六月二〇日から同年八月二七日にかけて一四回に亘りストマイ一グラムの筋注をし、同年六月一八日から同月二八日にかけて及び同年七月七日夕方にパス一日当り一〇グラムの内服薬投与をし、同年六月一八日から同年一二月一〇日(但し、同年七月八日を除く)にかけてヒドラジッド一日0.6ゲラムの内服薬投与をし、同医師らは同年六月二七日から同月二九日にかけてリンコシン三回、スルピリン(メチロン)三回、オベロン一回の各筋注とビクシリン、ソフタム、オパイリンの各四日分の内服薬投与をし、同年七月七日から翌八日にかけてスルピリン二回、リンコシン二回、オベロン一回の各筋注をしたこと、志郎は同年一二月一〇日に血小板減少性紫斑病の発症をみていることが認められ、前記第二認定の事実によれば、これらの各薬剤には副作用としてまれではあるが血液障害や血小板減少性紫斑病のあることが認められる。
そこで、まずこれら薬剤の投与が不適切であつたか否かを検討する。
前記認定の事実及び前記第二掲記の各証拠によれば、被告日根野医師の採用したストマイ、パス、ヒドラジッドは抗結核剤としての歴史も古く初回治療に最も広く用いられている薬剤であること、同医師はこれらの薬剤の使用に伴い血液検査、肝機能検査等を定期的に又は随時実施して重篤な副作用の監視体制をとつており、又、これらの薬剤の主な副作用に対応するためビタミンB複合製剤、消化酵素剤、アミノ酸製剤の内服薬投与もしていること、ストマイ、パス、ヒドラジッドの各投与量は適正であり、ストマイについては志郎の第五脳神経症状を主とする副作用や肺結核の症状、通学の都合などを考慮して昭和四九年八月二七日を最終回とし、パスについては同年六月二九日にパス過敏症の疑いを持つて一時休薬させ同年七月八日にはパス過敏症の疑いを強めて以後投薬することを止め、ヒドラジッドについては格別副作用も認められなかつたので同年一二月一〇日まで投与を継続していること、同年六月二七日から同月二九日及び同年七月七日から翌八日にかけて被告日根野医師らが志郎に投与したリンコシン、スルピリン、オベロン、ビクシリン、ソフタム、オパイリンは抗生物質、解熱鎮痛剤、感冒剤、消炎剤であるが、同年六月二七日から同月二九日にかけての志郎の臨床症状は上気道炎を強く疑わせるものであり、同年七月七日から翌八日にかけての志郎の臨床症状は結果的にはパス過敏症と推察されるもののその初期臨床症状からは上気道炎が疑われるものであつたこと、リンコシン等を投与した時期において志郎に血液疾患や出血傾向を疑わせるに足る臨床所見・検査所見は見受けられていなかつたし、その投与量も不相当に多量ではなかつたこと、そして、これら抗結核剤やリンコシン等の薬剤による副作用としての血液障害や血小板減少性紫斑病はまれであることが認められ、以上の事実に照らすと、被告日根野医師らによる右各薬剤の投与が不適切であつたとはいえない。
次に、これらの薬剤の投与と志郎の昭和四九年一二月一〇日の血小板減少性紫斑病との関係について検討する。
右認定のように一般にこれらの薬剤には副作用としてまれに血液障害又は血小板減少性紫斑病があることが認められているが、前記認定の事実及び鑑定の結果によれば、ストマイ、パスなどここにあげられた薬剤によつて惹起される血小板減少のほとんどは免疫学的機序によるものであつて薬剤投与を中止してからかなりの期間を経て発症することはありえないし、薬剤を中止すれば間もなく正常に回復し、ヒドラジッド(イソニアジド)のように中毒性に血小板産生を抑制するものでは骨髄の造血機能を抑えるために赤血球や白血球にも減少がみられるのが通例であるところ、ストマイ、パス、リンコシン、スルピリン、オベロン、ビクシリン、ソフタム、オパイリンはいずれも昭和四九年八月二七日までに投与されており、同年六月一四日、同月二八日、七月一九日、八月二日、一二月一一日の各血液検査の結果によればこの間赤血球や白血球にも有意の減少があるとは認められず、昭和四九年六月一四日から同年一二月一〇日までの間に血小板減少症に基づく出血傾向があつたとは認められないことも勘案すると、右薬剤の投与が原因となつて志郎の同年一二月一〇日の紫斑が発生したものと認めることはできない。
二原告らは、昭和四九年一二月一〇日志郎に紫斑が顕われ同月一一日の検査により血小板数が一三万/mm3などの結果が判明したのであるから、被告日根野医師は骨髄検査を行つて志郎の病名及び病因を確定したうえでステロイド剤投与等の血小板減少性紫斑病に対する根本的治療を行うべきところ、これらを怠りトランサミン等の投与という表面的で誤つた治療をしたことにより、志郎の病状を悪化させ、結局志郎を昭和五〇年一月八日の死へと追いやつた旨主張する。
1(志郎の臨床症状・検査結果と病因)
そこでまず、当時の志郎の臨床症状と病因について検討する。
前記認定の事実及び鑑定の結果によれば、志郎の臨床症状は昭和四九年一二月一〇日下腿部に0.5mm以下の小さな点状出血(紫斑)と歯齦出血が急に顕われ、同月一一日にも同じ状態で、同月一二日には咽頭出血があつたが翌一三日には咽頭出血は軽快し又下肢出血斑も軽減し、同月一九日には咽頭発赤、咽頭からの出血が少量あり、倦怠感と胃症状を訴え、同月二六日には膝関節痛を訴えたが、この間の出血症状は比較的小康状態にあり全身状態も比較的良好であつたと認められ、志郎の右紫斑等の出血傾向は同月一一日の血液及び止血・凝固系の検査により血小板数が一三万/mm3で、出血時間が九分三〇秒と延長し、凝固時間・プロトロンビン時間に異常がなく、貧血や白血球減少が認められなかつたこと、血小板数が一三万/mm3程度の場合通常紫斑や歯齦出血の発症をみないが、現実には右の様な出血症状を呈しており出血時間も延長していることや血小板数の算定が赤血球数や白血球数の算定に比べて採血その他の条件によつて変動をきたしやすいことをも考慮すると実際には血小板数は一三万/mm3より低値であつたのではないかと推測されること、前記第三、一、3説示の様に薬剤により続発的に発症したとは考えられず他の原因疾患も見当らないことからすると特発性血小板減少性紫斑病(ITP)によるものと認められる。
2(骨髄検査について)
次に、右臨床症状・検査結果と病因を前提に、被告日根野医師が骨髄検査をしなかつたことが不適切であつたか否かを検討する。前記のように被告日根野医師はこの間骨髄検査をしていないが、前記認定の事実、前記甲第六号証及び鑑定の結果によれば、被告日根野医師は昭和四九年一二月一一日の段階で志郎の出血傾向が血小板減少による可能性があると判断して血液及び止血・凝固系の検査(赤血球数、白血球数、ヘモグロビン、ヘマトクリット、血小板数、プロトロンビン時間、出血時間、凝固時間)をし、同月一三日にはその検査結果から血小板数の減少及び出血時間の延長を認め他に異常を認めなかつたことから血小板減少による出血傾向(紫斑病)と診断していること、血小板減少性紫斑病の診断における骨髄検査の意義は血小板減少が「骨髄の低形成によるもの」か「骨髄における血小板産生は正常であるが破壊の亢進に基因するもの」かを鑑別することにあるが、骨髄の低形成の場合には一般に赤血球、白血球の減少がみられるからそのような検査所見の得られなかつた志郎の場合においては骨髄の低形成を除外しても臨床上余り問題がないし、又骨髄検査ではITPと薬物アレルギー性STPの鑑別はできないこと、骨髄検査は外来通院中でも可能であるが患者にとつてはある程度の負担である一方、急性ITPの自然寛解率は高く志郎の臨床症状・検査結果に照らして治療上骨髄検査が早急に必要であつたとはいえないことが認められ、この事実に照らすと、被告日根野医師が昭和四九年一二月一一日から同月二六日までの間に骨髄検査をしなかつたことが不適切であるとはいえない。
3(治療について)
更に、被告日根野医師の治療とりわけステロイド剤投与をしなかつたこと及び止血剤としてトランサミンを投与したことが不適切であつたか否かを検討する。
前記認定のように被告日根野医師は昭和四九年一二月一一日から同月二六日にかけて止血効果を目的としてアドナデポー(血管強化剤)、ヌトラーゼ(ビタミンB1製剤)、ビタミンC、トランサミン(抗プラスミン剤)、レプチラーゼS(止血剤、蛇毒酵素)などを注射し、アドナ(血管強化剤)、トランサミン(抗プラスミン剤)、シナール(ビタミンC製剤)などの内服薬を投与したもののステロイド剤を投与しなかつたが、前記認定の事実及び鑑定の結果によれば、ITPの治療方法としてステロイド剤、摘脾、血小板輸血、トランサミン等の止血剤などが挙げられステロイド剤はITPに対して最も広く用いられているが、本剤には糖尿、消化性潰瘍、感染症増悪等の副作用があつてその使用に際しては慎重さが望まれていること、急性ITPの場合症例の大多数は予後良好であつてステロイド剤の使用群と非使用群の間に特に差異を認めなかつたとする報告もあり、一般には出血症状の程度に応じて適宜使用が勧められていること、摘脾はステロイド剤などの治療が無効な場合などに行われ、又、血小板輸血は緊急やむをえない場合にのみ採用されるものであること、トランサミンは臨床上一次線溶亢進のみを対象として使用されるのではなく、トランサミン等の止血剤の使用はその止血効果を余り期待できないとの見解もあるが有効であつたとの報告例もあり他の止血剤と適宜併用して総合的な止血効果を期待するのは差支えないこと、そして、志郎は肺結核のため昭和四九年六月からその治療を受け同年一二月頃には一応落着いた状態になつていたが、抗結核剤としてパスは過敏症のため使えずストマイも同年八月二七日を最後として使用しておらずヒドラジッドも同年一二月一一日以後は念のため中止していたこと、同年一二月一一日から同月二六日にかけて志郎の出血症状は比較的小康状態にあり全身状態も比較的良好であつたことが認められ、この事実に照らすと、被告日根野医師が同年一二月一一日から同月二六日にかけてステロイド剤の使用を見合わせトランサミン等の止血剤による治療方法を選択したことが不適切であつたとは認められない。
また、前記認定の事実及び<証拠>並びに前記鑑定の結果によれば、被告日根野医師のトランサミン投与量は昭和四九年一二月一一日の静注分一gと昭和四九年一二月一一日から二七日分の内服薬一日当り1.5gであるが、一日当り二二五〇mgのトランサミンを約一年二か月間又は約五か月間使用したことによりITPの治療をしえたとの報告もあり、又、ITPに対するトランサミン等の止血剤投与により特に出血傾向を増悪させたという報告はみられないことからすると、被告日根野医師の志郎に対する右トランサミンの投与と志郎の症状増悪や死の結果との間には因果関係を認めることはできない。
三原告らは、昭和五〇年一月三日夕方から同月六日にかけて志郎の出血傾向が強く重篤な状態であつたから、被告落合医師及び同日根野医師は志郎を入院させたうえステロイド剤投与又は摘脾などの治療をすべきところ、これらを怠りしかも血小板減少性紫斑病に悪影響を及ぼす不適切な投薬により志郎の病状を悪化させ結局志郎を同月八日の死へと追いやつた旨主張する。
1(志郎の臨床症状・検査結果と病因)
まず、この間とその前後の志郎の臨床症状と病因について検討する。
前記認定の事実及び鑑定の結果によれば、志郎の臨床症状は昭和五〇年一月一日首や頬の部分にも点状紫斑が生じ首から下には点状紫斑の外に直径一cm位の斑状紫斑が生じており、同月三日タ方から発熱、頭痛があり、同月四日朝体温37.8度程で頭痛、歯齦出血、腰・膝の関節痛があり午前八時三〇分頃黄褐色で新鮮血が細かい粒状に混つた唾液様物を洗面器に吐き、午前一一時三〇分頃の被告落合医師の臨床所見では、発熱、顔面紅潮があり、全身の関節痛と倦怠感を訴えるも関節腔内出血の徴候はなく、肝・脾を触知せず、四肢・胸壁・顔面口唇周囲に点状出血斑とその離合したものが散在性にあつて、歯齦部からのにじみ出るような出血が少量あり、口腔両顎部の粘膜に点状出血斑があり、咽頭周囲が稍発赤し、頸部リンパ線の腫脹が認められるというもので、午後一時頃には体温は多少下がつたもののなお頭痛があり、同月五日も右同様の症状が続き、同月六日午後三時一三分頃の被告落合医師の臨床所見では左股関節部に筋張る痛みとだるさを訴えたほか、皮下出血斑が少し増加の傾向を示しており、同月七日午前七時頃用便を済まして茶の間の椅子に腰掛けた際吐気がして失神し午前一〇時三〇分頃安井病院に入院したが全身状態も悪く症状は増悪の一途をたどり、翌八日午前五時五分頃死亡したこと、志郎の同月三日夕方から同月六日にかけての症状は、右臨床症状や同月四日の血液検査により貧血、血小板減少(10.4万/mm3)、白血球増加、好中球増加、核の左方移動、CRP3(+)という結果がえられていることなどからするとITPの増悪と上気道感染症の合併によるもので、同月七日午前七時頃の失神はその臨床経過や同月七日の各種検査結果から脳内出血によるものであること、志郎の最終的病像は上気道感染症の併発によるITPの急性激症型と考えられ、又、上気道感染症から敗血症の状態となり細菌の菌毒素により播種性血管内凝固症候群(DIC)をきたしたことも否定できないことが認められる。なお、同月四日午前八時三〇分頃に志郎が洗面器に吐いた物は、その性状や志郎に胃腸症状がみられなかつたこと、血小板数が昭和四九年一二月一一日と比較して激減していないこと、原告光代がそれをみて直ちに入院措置をとらず往診依頼をし、被告落合医師も即入院措置をとつていないことなどからすると消化管出血によるものではなく口腔内粘膜出血によるものであると認めるのが相当である。
2(治療等の措置について)
次に、右臨床症状・検査結果と病因を前提に、被告落合医師及び同日根野医師らの治療等の措置について検討する。
前記認定のように、被告落合医師及び同日根野医師は昭和五〇年一月三日夕方以後の志郎の症状が血小板減少性紫斑病に上気道炎が合併したことにより出血傾向が増強していると考え、同月四日から同月六日にかけて上気道感染症に対する治療を主として行い、同月四日にはリンコシン(抗生物質)、オベロン(感冒剤)の筋注をし、エリスロマイシン(抗生物質)、オパイリン(非ステロイド系抗炎症剤)、グリチロン(抗アレルギー剤)の内服薬三日分を投与し、同月六日には関節痛等に対する治療としてカシワドール(リウマチ・神経痛治療剤)の静注をしたうえ、翌七日午前中の入院を決定している。
ところで、前記認定の事実及び鑑定の結果によれば、昭和五〇年一月四日が志郎を入院させたうえステロイド剤、抗生物質、止血剤、輸液、新鮮血、濃厚血小板などの投与を行い、場合によつては緊急措置として摘脾を行うべき適期であつたとも考えられないでもないが、他方、ITPに感染症の合併がある場合においてその感染症がITPの病態を増悪させている可能性が高いから感染症の増悪の副作用を有するステロイド剤を直ちに投与せずまず感染症の治療を行うという治療方針の下に抗生物質、解熱鎮痛剤の投与を行うことも考慮に値するものであること、昭和五〇年一月四日の時点で血小板数が一応10.4万/mm3あつてそれが実際の値よりもより高い値を示していたとしても昭和四九年一二月一一日の値から激減しておらず全身状態も比較的良好であつたことが認められるから、被告落合医師及び同日根野医師が昭和五〇年一月四日から同月六日午後三時頃にかけて志郎の上気道感染症に対する治療として抗生物質、解熱鎮痛剤などを投与したに止まりステロイド剤投与に踏み切らず入院を同月七日と決定したことは責められるべき不適切な措置とはいえず、またこのような急性ITPの激症例やDIC症例における奔流のような進行性出血傾向に対してこれを阻止することは至難の技であつて、前記摘脾等の措置により救命しうる蓋然性が高いとは認められないから、被告落合医師及び同日根野医師のとつた措置と志郎の死の結果との間には相当因果関係を認めることができない。
四結論
以上のとおり、被告日根野医師及び同落合医師の診療行為には志郎の死の結果との間に相当因果関係を認めるべき不適切な事由の存在を認定することができないから、同医師らに不法行為責任を被告社団法人信和会に使用者責任又は債務不履行責任を負わせることはできない。
<以下、省略>
(吉田秀文 村田長生 橋本昇二)
別紙<省略>