京都地方裁判所 昭和52年(ワ)1605号 判決 1983年10月14日
原告
東前次一
右訴訟代理人
崎間昌一郎
海藤寿夫
三浦正毅
長沢正範
被告
日本陶料株式会社
右代表者
山中鍈一
右訴訟代理人
鬼追明夫
太田稔
安木健
出水順
吉田訓康
石田法子
辛島宏
木村清志
主文
一 被告は原告に対し金二一九六万四〇四八円と内金二〇七六万四〇四八円に対する昭和五二年一二月三日から、内金一二〇万円に対する昭和五八年一〇月一五日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し二一九六万四〇四八円とこれに対する昭和五二年一二月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 雇傭関係
被告(明治四四年一一月一五日設立)は陶磁器その他窯業原料の製造販売等の事業を行う会社であり、原告は昭和三七年七月一四日被告会社に入社し現在に至つている。
2 陶磁器原料製造工程
被告会社の陶磁器原料の製造工程の大要は、(1)原料石破砕工程(長石、けい石等の原料石を粉末に破砕する工程で全工程中粉じんの発生が最も多い。)、(2)ボール・ミル工程(破砕した粉末原料を各種混合する。)、(3)プレス工程(混合した原料をプレスする。)、(4)乾燥工程(プレスした原料を乾燥器で乾燥させこれを再び粉末に破砕する工程でその後破砕した粉末を袋詰して出荷する。)の四つであるが、更に(1)原料石破砕工程は、①原料石の水洗い工程(原料石に付着している土砂を取除く目的で水洗いをする。)、②ジョー・クラッシャー工程(ジョー・クラッシャーに原料石を入れて荒砕きする。)、③フレット又はロール・クラッシャー工程(フレット又はロールクラッシャーに荒砕きした原料を入れて細かい粉末にする。)、④貯蔵工程(粉末にした原料をタンクに送込む。)の四つに細別される。
3 原告の作業工程とじん肺の罹患
原告は昭和三七年七月一四日以後昭和五一年一〇月四日までの間主に右原料石破砕工程に従事し、とりわけその工程中のジョー・クラッシャー工程及びフレット工程に従事していたが、右工程は全工程中粉じんの最も多い工程であつた。
このため、原告はじん肺に罹患し(昭和五一年七月九日発症)、昭和五一年一〇月四日京都労働基準局長より管理区分四の決定を受けその療養のため同年一〇月八日以降休職中である。
4 被告の責任
(一) 被告会社は原告をして粉じん発生の多い前記工程に従事させたのであるから、粉じんによる生命・身体への害を防ぐため粉じん防止装置を設置し作業時間を短縮し十分な安全教育をする等の安全配慮義務があつたにもかかわらず、右義務を尽さずこれにより原告をじん肺に罹患させた。従つて被告会社は右安全配慮義務の不履行により左記損害を賠償すべき義務がある。
(二) 旧工場時代被告会社の施した粉じんの発生・拡散の防止設備は甚しく不十分で、機械の一時的運転停止は粉末原料をボール・ミル工程に運搬する作業のためになされていたもので粉じん発生を考慮したものではなかつたし、防じんマスクは規格外のものでその防じん能力は極めて低くまた被告会社は防じんマスクの着用を指示しなかつた。
又、新工場に移転して被告会社主張の粉じん発生・拡散防止措置が講じられたことにより原料石破砕措置が講じられたことにより原料石破砕工程から他の工程への粉じん拡散防止をある程度達成しえたが、原料石破砕工程で作業する従業員自体を粉じん暴露から蹠断するには不十分であつたから被告会社は原告を粉じん発生の少い他の工程へ配置転換し又は労働時間を更に短縮し、精密検査の必要性を原告に説明して安全教育の徹底を図るなどきめ細かな対策を講ずるべきであつた。
5 損害 会計二二一四万六〇八〇円
(一) 休業損害 四六二万六三二九円
原告は、前記のとおり昭和五一年一〇月八日から被告会社を休職中であり昭和五二年一月一日から昭和五六年一二月末日までの休業損害は別紙(一)計算書記載のとおり四六二万六三二九円となる(但し、同計算書①賃金、一時金見込額欄の各金額は右期間中毎年四月に被告会社で実施された昇給による賃金上昇推定額及び夏・冬期一時金推定額により計算したものであり、昭和五一年一〇月五日から同年一二月末日までの賃金及び冬期一時金は労災保険及び被告会社から既に支払いを受けた。)。
(二) 将来の逸失利益 三七七万三〇二〇円
原告(昭和四年一二月二三日生)は、じん肺の罹患(管理区分四)により心肺機能に著しい障害を残し終身労務に服することができなくなつたが右じん肺に罹患しなければ昭和五七年一月一日現在年収三六三万八四〇〇円(別紙(一)計算書①昭和五六年度年収見込額欄参照)、稼働年数一五年、そのライプニッツ係数10.37により計算すると三七七三万〇二〇八円となる。原告は本訴においてその一割三七七万三〇二〇円を請求する。
(三) 慰藉料 一一七五万円
原告はじん肺罹患後昭和五三年四月三〇日「胸部等の機能に著しい障害を有し常に労務に服することができない。」もの(傷病補償年金廃失等級号第三級第二号参照)と認定されその後症状は悪化しながら現在に至つており、今後加齢と共に進行が予想されるのでこれを慰藉するには右金額が相当である。
(四) 弁護士費用 一九九万六七三一円
原告は本件について労働組合を通じて被告会社と交渉したが、被告会社の拒否によつて解決できなかつたため本訴の提起を弁護士に委任し、弁護士報酬として右金額を支払う旨約束した。
6 結論
よつて、原告は被告会社に対し債務不履行に基づく損害賠償として前記損害合計額二二一四万六〇八〇円の内金二一九六万四〇四八円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五二年一二月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否<以下、省略>
理由
一原告のじん肺罹患の経緯
請求原因1ないし3の事実は水洗い工程の作業目的を除き当事者間に争いがなく、この事実と<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。
1 被告(明治四四年一一月一五日設立)は京都の伝統産業である清水焼等の陶磁器その他窯業原料の製造販売等の事業を行うことを目的とする会社であり、原告(昭和四年一二月二三日生)は昭和三七年七月一四日被告会社に入社し主として陶磁器原料製造工程における原料石破砕工程のうちのフレット及びクラッシャー工程の作業に従事してきた。
被告会社は、昭和四四年一二月頃京都市下京区川端六番地にあつた旧工場を廃して同市山科区川田清水焼団地に新工場を建設し現在に至つている。
2 被告会社での製造工程の大要は、原料石破砕工程(長石、けい石等の原料石を粉末に破砕する。)、ボール・ミル工程(破砕した原料を各種混合する。)、プレス工程(混合した原料をプレスする。)、乾燥工程、再破砕・出荷工程に分かれるが、いずれの工程も粉じんの発生、拡散があり、さらに原料石破砕工程は、原料石の水洗い工程、ジョー・クラッシャー工程(ジョー・クラッシャーに原料石を入れて荒砕きする。)、フレット工程又はロール・クラッシャー工程(旧工場時代においてはフレットで新工場時代においてはロール・クラッシャーで荒砕きした原料を入れて細かい粉末にする。)、貯蔵工程(粉末にした原料をタンクに送りこむ。)に細別されるが、フレット工程又はロール・クラッシャー工程では他の工程に比して特に粉じんの発生・拡散が甚だしい。殊に旧工場時代には新工場と比較して粉じんの発生・拡散が多くみられた。
3 原告は昭和四六年六月一二日に実施された健康診断では胸部エックス線写真に異常が認められず他にじん肺を窺せる自覚的・他覚的所見も認められなかつた。その後昭和四九年一一月二六日の健康診断で胸部エックス線写真に二型の粒状影が認められかくたんの自覚症状がありじん肺に罹患していることが認められ、昭和五一年七月九日の健康診断では胸部エックス線写真に四型の粒状影が認められ心肺機能に軽度の障害があつて活動性結核もあると判定された。同年一〇月四日原告は京都労働基準局長より管理区分四の決定がなされ療養を要することになり同年一〇月八日以隆被告会社を休職しており昭和五三年四月三〇日「胸腹部臓器の機能に著しい障害を有し常に労務に服することができない」状態にある(傷病補償年金廃失等級号第三級第二号参照)と認定され、昭和五七年六月三日呼吸機能障害のため身体障害者手帖四級の交付を受けた。現在じん肺症管理区分四で昭和五一年七月九日当時と比較して右下肺野ならびに左中肺野の陰影が軽度増強し療養のため肉体労働に就くことができないと診断され毎月二回程度通院を継続して加療を受けている。
4 じん肺とは、主に鉱物性粉じんを通常長期間に亘つて吸入することによつて起きる肺の線維増殖性変化を主体とし気管支炎・肺気腫・血管変化をも伴う職業性疾患であり、胸部エックス線写真の粒状影・線状影によりその罹患を確認しうるが、線維化した部分や肺気腫・血管変化は治療不可能で気管支変化のみが初期に治療可能で、結核などの合併症があるほか肺及び心臓の機能低下と一般的な抵抗力の減弱をもたらすものである。じん肺の起因物質として無機物(けい酸、アルミニウム、鉄、ベリリウム、炭素等)及び有機物(糸、線香原料、穀粉、コルク、紙等)がありその罹患職場も金属鉱山、炭鉱、陶磁器関連職場など多種に及んでいるが、金属鉱山、陶磁器関連職場のじん肺罹患率は昭和四九年度の労働者調査でいずれも管理区分一が約二〇パーセント、同区分二ないし四が約一〇パーセントと極めて高率となつており古くからこれらの職場でじん肺(けい肺)罹患者がみられた。
以上のように、陶磁器製造業に従事する者のじん肺罹患は長期間の粉じんの吸入により肺に結節等が生じ胸部エックス写真上粒影が確認されるものであり原告入社時の昭和三七年七月一四日以後昭和四四年一二月まで原告が稼働した旧工場時代及び昭和四四年一二月以来昭和五一年一〇月八日までの新工場時代を通じて粉じんの発生・拡散が認められるから、原告のじん肺発症は昭和三七年七月一四日以降新旧両工場時代を通じて長期間の粉じん吸入によるものと認めるのが相当である。
二被告会社の責任
1(一) 雇傭契約の下においては通常の場合労働者は使用者の指定した労務供給場所に配置された使用者の提供した設備、機械、器具等を用いて労務供給を行うものであるから、雇傭契約に含まれる使用者の義務は報酬支払に尽きるものではなく信義則上右諸施設から生ずる危険が労働者に及ばないよう労働者の安全に配慮する義務も含まれるものと解するのが相当である。
(二) <証拠>によると次のとおり認められる。
昭和五年、同一二年及び同二五年じん肺に関するILO主催の国際会議が開催されており、国内的には昭和二三年頃から国及び労働組合などがその対策をすすめ、昭和三〇年には「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」(同年法律第九一号)が制定されたが同法はけい肺の定義を定めけい肺の症度を四段階に区分し、けい肺の生ずるおそれのある粉じん作業(この一として陶磁器を製造する工程における作業が挙げられている。)を掲げたうえ、使用者にけい肺健康診断を実施することを義務づけるなどの諸規定を定めていた。昭和三三年には「けい肺及び外傷性せき髄障害者の療養等に関する臨時措置法」(同年法律第一四三号)が制定されて社会保障面での手当をし、昭和三五年には「じん肺法」(同年法律第三〇号、昭和三七年、同四二年、同四三年、同四七年、同五二年に順次改正)が制定された。同法は前記特別保護法及び臨時措置法の精神を受け継ぎながら、その対象をけい肺のみならず広く鉱物性じん肺に広げかつその第五条において「使用者及び粉じん作業に従事する労働者は、じん肺の予防に関し、労働安全衛生法及び鉱山保安法(昭和二四年法律第七〇号)の規定によるほか、粉じんの発散の防止及び抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるように努めなければならない。」と規定し、その第六条において「使用者は、労働安全衛生法及び鉱山保安法の規定によるほか、常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行なわなければならない。」と規定するなどしてじん肺の予防と健康管理の措置の充実を図つている。
(三) 被告会社代表者尋問の結果によると、被告会社代表者山中鍈一は昭和三二年頃以降同会社において安全管理対策を担当していたがその頃から同業種の会社従業員の健康を維持するためには粉じんの発生・拡散を防止し従業員に対し安全教育を行うなど徹底したじん肺対策の必要性を感じていた。
(四) 以上によれば、使用者である被告会社は遅くとも原告が入社した昭和三七年七月一四日頃当時同人を原料石破砕工程とりわけフレット工程に就業させるに際して、当時の技術水準に照らし右作業場について可能な限りの粉じん発生・拡散防止と吸入防止の措置を講ずるほか、同人に対し定期的な健康診断を実施しじん肺の予防及び健康管理のためにじん肺の発症可能性・病態・治療困難性をふまえた安全教育及び安全指導をすべき義務があつたと認めるのが相当である。
2 そこで、被告会社の実施したじん肺対策について検討するに、<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。
被告会社の旧工場は市街地に所在していたが同地区は昭和二三年頃商業地域に指定され工場建物の増改築及び機械・動力の増設につき既存施設の二割を越えることができないなど種々の制限が加えられていた。被告会社はその許容範囲内で昭和三四、五年頃換気装置フレット一台を増設しキルク板で囲い、昭和三五年頃フレット工場に水洗式集じん器を取付け、昭和三八年頃集じん器付自動粉砕器を設置して乾燥工程を一部自動化し、昭和四一年頃ロール・クラッシャーを他社に先がけ開発して設置するなど設備の拡充を図つた。しかしこれらの諸設備は旧工場が周囲に密集している人家を控えていて近隣からの苦情により粉じんが外部に漏れないよう既存の窓を閉鎖しなければならない状態であつた事情も手伝い改善を重ねてきたものであつたが、およそ工場内で作業する従業員の防じん対策としては不十分なもので従業員らは内部の見通しがきかない程粉じんの立ち込めた工場内で大部分を人力に頼つて作業しなければならない状態であつた。被告会社はそのため昭和三二年頃から従業員各自に防じんマスクを交付し、常時工場内に予備用マスクを備え付け作業時には必ず着用するよう指導し、実労働時間を一日七時間半と定めたうえ年前一〇時と午後三時に休憩時間を設け、年二回通常健康診断の他昭和三五年から三年に一回じん肺健康診断を実施し、また自主的に衛生管理者の制度を受けて従業員の健康管理を徹底させることとし、昭和三五年今出浅夫、昭和三七年中村正義医師をそれぞれ衛生管理者に、同年玉川昭道を主任衛生管理者に選任してその任に当らせてきた。
被告会社は、旧工場所在地では今後の事業の発展も従業員の安全管理対策も望めなかつたので、昭和三六年七月頃陶磁器原材料製造業者や陶磁器製造業者などの同業者と同志会を結成し京都市山科区内に清水焼団地を造成して工場を移転することを決定した。被告会社代表者山中鍈一は昭和四二年頃から新工場新築に際して参考とするため国内の各種工場を見学し従業員の意見を聴取した。昭和四四年一二月新工場が完成し被告会社は旧工場を廃してここに移転したが、その際工場の機械化と粉じん発生・拡散防止を目的として次のような措置を講じた。即ち、原料石破砕工程では粉じんの発生しやすいクラッシャー棟を屋外に設計して他の工程と隔離し、ジョー・クラッシャー、ロール・クラッシャー各一基を屋外の地表とほぼ同じ高さに設置し、またクラッシャー棟内に水道管を設置して破砕直前に原料石に注水がしやすいようにし、粉砕された原料石を収納する原料タンクを密閉化するなどし、他の工程についても種々機械化と粉じん防止措置を講じた。昭和四九年頃ホッパーを設置しクラッシャー棟を改築し、昭和五二、三年頃クラッシャー棟に自動注水設備を、昭和五三年スケール車と投入ホッパーをそれぞれ設置するなど順次機械化を進めた。このようにして旧工場時代と比較すると作業現場の環境は著しく改善されたが昭和五一年一〇月当時工場内で働く従業員の防じん対策としてはなお不完全であつて時として隣接工場から苦情がでる程粉じんが立ち込めることもあり、昭和五〇年頃までは粉じん発生が激しいクラッシャー工程で原石をクラッシャーに投入するのに人力に頼るなど機械化がかなり遅れていた。そこで、被告会社は防じんを目的として従業員に対し破砕直前の原料石に注水するよう指示していたが徹底せずまた当時自動注水設備は今だ設置されていなかつたので従業員がホースで給水をしなければならない状態であつた。その他被告会社は新工場移転後実労働時間を七時間に短縮し、昭和四六年頃からは「粉じん作業の心得」を表示したポスターを社員食堂に貼付するなどして従業員のじん肺に対する関心を高めるよう努力した。防じんマスクについては旧工場時代から順次改良品やJIS規格品などを備え付けその着用をくり返し指示してきたが従業員らは防じん能力が高いものほど呼吸困難となつて作業能率が低下すると苦情を述べて規格品の使用を渋つたし、規格外品でもある程度の防じん作用を有することは明白であつたにもかかわらず原告など一部の従業員はマスクをほとんど着用していなかつた。このような状況のもとで原告は昭和三七年七月一四日入社以来昭和五一年一〇月八日までほとんど配置転換されることもなく一貫してフレット工として稼働してきた。
以上の事実が認められ、原告本人、被告会社代表者各尋問の結果中右認定に反する部分は前記各証拠に照し採用することができず他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によると、被告会社は原告を雇用した後旧工場において十分な防じん設備をせず著しく劣悪な環境のもとで継続して同人を移働せしめ、新工場に移転後は相当改善されたもののなお不十分な設備の下において同人を配置転換することもなく終始粉じんの激しいフレット又はクラッシャー工程作業に従事させていたのであり、被告会社は従業員である原告に対し作業環境が健康に害を与えることがないよう良好な状況の下で就労させ健康を害したとみられたときはその悪化を防ぐため直ちに他工程に配置転換するなどして労働者の健康保持に注意すべき義務があつたのにかかわらずこれを怠りその結果原告を治療不能な重度のじん肺に罹患させたものといえるから、右義務の懈怠により生じた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三損害
前記認定事実と<証拠>を総合すると本件事故と相当因果関係ある損害を次のとおり認めることができる。
1 逸失利益
原告(昭和四年一二月二三日生)はじん肺管理区分四と認定され昭和五一年七月九日頃症状固定した。当時原告は被告会社でフレット工として稼働し年収一八三万〇八四〇円と夏期・冬期一時金六七万八五四〇円の合計二五〇万九三八〇円(但し、昭和五一年一月一日から同年一二月三一日までの推定賃金及び一時金)を得ていた。被告会社では別紙(三)計算書①欄記載のとおり昭和五二年から同五六年まで毎年昇給が行なわれ、また昭和五二年四月一五日から約三か月間組合員全員(原告も組合員である。)によるストライキが行なわれて賃金カットがなされた。原告の前記症状による労働能力喪失率を九〇パーセントとするのが相当であり、その逸失利益合計額は別紙(四)計算書合計欄末尾記載のとおり三七三四万六二九四円(但し、被告会社での就労限度年令五五才以降に当る⑦欄の基礎となる賃金・一時金合計は昭和五五年賃金センサス第一巻第一表全労働者産業計、企業規模計の年令級別五五才の平均給与額によつたものであり原告の就労可能年数を六七才として計算する。)となる。
原告は、昭和五二年一月一日から同五六年一二月末日までの間の逸失利益を休業損害として請求するけれども、右のとおり右期間の損失は症状固定後のもので将来の逸失利益として算定するのが相当である。
2 慰藉料
前記認定のとおりの原告の症状程度及び治療経過、回復の可能性、合併症として発症した結核症状の程度とこれの完治に至るまでになお期間を要すること、原告が労災保険及び厚生年金により所定の補償を受けており今後も継続して受給しうること、その他本件に現われた諸般の事情を総合考慮すると、原告の請求しうべき慰藉料の額は六〇〇万円をもつて相当とする。
3 過失相殺
前記のとおり、被告会社には労働者の安全を配慮すべき義務が課せられており、じん肺法が労働者の安全衛生を確保するためじん肺対策に万全の措置をとるよう使用者に要求しているとはいえ健康管理の最大の責任者は原告自身であつて原告自らも平素から健康の保持に関心を持ち少くとも作業現場に設置されていた防じん器具を積極的に使用するのは勿論積極的に受診加療休養に務めるべきであつたのに原告はこれを怠り被告会社の指示にもかかわらず防じんマスクをほとんど使用せず漫然と就労を継続し自らの健康管理を怠つた過失があるというべきであり、従つて原告の損害額の算定にあたつてはこのことと前記被告会社の過失の程度その他本件に現われた諸般の事情を総合考慮し原告の過失割合を一割として斟酌し過失相殺するのが相当である。そうすると、前記1、2の合計額四三三四万六二九四円を右割合で按分すると原告の請求しうべき額は三九〇一万一六六四円となる。
4 損益相殺
原告が右損害に関して休業補償給付、傷病補償年金及び障害年金を受領していることは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、特別支給金を除く原告の既受領額は別紙(三)計算書②③総計欄合計一一七二万六六〇四円であることが認められるから前記三九〇一万一六六四円よりこれを控除すると残額は二七二八万五〇六〇円となる。
5 原告の本件損害賠償請求は債務不履行に基づくものであるところその履行期について特別の主張がないから期限の定めのない債務というべく原告は昭和五二年一二月二日被告会社に送達された本訴状により履行を求めていることは記録上明らかであるから被告会社はその翌日の昭和五二年一二月三日から遅滞の責を負うべきこととなる。
6 弁護士費用
使用者が労働契約に付随して信義則上労働者に対して負う保護義務に違背し損害を与えた場合において被害者が自己の権利擁護のために訴の提起を余儀なくされ訴訟遂行を弁護士に委任したときはその弁護士費用のうち事案の難易、認容された額等諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものにかぎり右債務不履行と相当因果関係のある損害としてその賠償請求をなしうると解するのを相当とするところ、本訴にあらわれた諸般の事情に照らすと原告が負担する弁護士費用のうち一二〇万円をもつて被告に請求しうべき損害額とし、右損害額に対する遅延損害金の起算日は本判決言渡の日の翌日である昭和五八年一〇月一五日とするのが相当である。
四よつて、原告の本訴請求のうち、被告に対し二一九六万四〇四八円と弁護士費用を除く二〇七六万四〇四八円に対する昭和五二年一二月三日から、内金一二〇万円に対する昭和五八年一〇月一五日から、各支払済みに至るまで民法所定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(吉田秀文 小山邦和 土居三千代)
別紙(一)〜(四)<省略>