京都地方裁判所 昭和53年(ワ)410号 判決 1983年1月28日
原告
株式会社成文堂印刷所
右代表者
森本愛明
原告
森本愛明
原告
池田正男
原告
池田和男
右四名訴訟代理人
松田定周
小藤登起夫
被告
中野嘉子
被告
正木光江
右両名訴訟代理人
森川明
浜田加奈子
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
第一本件火災について
一被災建物の状況
<証拠>を総合すると、昭和五二年一〇月一九日午後一時四三分ころ発生した火災により、別紙被災建物焼毀状況一覧表記載のとおり、原告ら及び沢田各所有の建物が焼毀し、被告ら所有の別紙物件目録二記載の建物(ただし、本件火災当時の構造は、木造瓦葺二階建居宅延約一五六平方メートル)の一部及び同目録一記載の土地上に建てられていた木骨トタン葺片流れ平家建作業場一三平方メートルも焼毀したこと、右各建物の位置関係は概ね別紙図面表示のとおりであることが認められる。
二火元及び出火箇所
(一) <証拠>を総合すると次の事実が認められる。
1 原告池田和男所有建物は、三、四階を焼失したが、北側面部に比較して南側面部の焼毀が激しく、南端面の外壁スレート板がすべて南側へ焼け落ち、残存する鉄骨材も外面部、特に下部面の焼毀が著しく、その一部がわん曲していたこと。
2 原告池田正男所有建物のうち、作業場兼居宅の階下は、南側隣接面東寄り部分の天井と壁体上部面の一部が焼毀しただけで焼失率が極めて弱く、倉庫三階部分も南西面側の外壁や屋根材・収容物等が焼失していただけで、東及び北面側に移行するにつれて焼失率が弱くなつていたこと。
しかし、右作業場兼居宅の二階西側部分は、焼毀・炭火しているものの小屋組材や柱・壁体等及び床面上の収容物等が原形を維持して残存していたのに対し、東側部分は、屋根小屋組材や南面の壁体が完全に焼け崩れて床面上の収容物もすべて焼失し、残存する北及び東側の壁体も強度に焼毀し、かつ、北側部分の壁体、屋根裏、小屋梁等が原形あるいはそれに近い状態で残存していたのに対し、南側部分は東端部の通し柱と壁面を構成する間柱・梁材等の一部が焼け残つているだけで、すべて焼け崩れ、しかも右残存する南面の通し柱、間柱、梁等が屋内面に比較して屋外面側が強く焼毀・炭火していたこと。
3 沢田所有建物のうち、居宅は壁体や二階の床材等が焼け残つていて建物の輪郭を留めていたが、作業場は主要構造材がすべて焼け落ち、建物の構成輪郭を完全に失つていて、北側隣接境界部分の柱、梁等の主要構造材がすべて南側に向つて焼け倒れ、南側隣接境界面の通し柱、間柱、梁等が極度に焼け細り、南面の欠損が激しく、かつこの下部地表面のレンガ積み基礎台やブロック積みモルタル施工の流しの基礎台等も南面の焼毀度が著しく、極度に焼毀変色し、一部が剥離していたこと。
4 原告会社及び原告森本所有建物のうち、防火構造建物は、屋根材等がすべて焼け落ちて二階各室が強く焼毀していたが、階下は北端隣接面の一部が焼毀していただけであり、また二階は、西側植字場、東側居宅とも、北側部分に比較して南側部分の焼毀が弱く、かつ全般に北側上部面の焼毀が著しかつたこと。
また、木造瓦葺建物は、屋根小屋組材等がすべて焼け落ち、主要構造材のほとんどが焼け崩れていたが、そのうちでも南端戸、次いで中央戸、更に北端戸の順に二階床材等の焼失度が激しく、また西側道路面側には外壁や屋根軒先等が原状を留めて残存していたのに対し、東側隣接面側のそれはほとんどすべて焼け崩れ、かつ東端隣接地境界部分に設置されている物置やトタン塀等も北端側の焼毀が著しく、特に北端戸の東側隣接面のこれら付帯施設物等はすべて焼失し、外壁面のトタン板が被告作業場へ焼け倒れていたこと。
5 被告ら所有の建物のうち、居宅は、階下通り庭を含む北側六畳の間の北側半分と同居室上部の二階物置の北側半分を焼毀したに留まつたが、焼毀部分では西側部分の焼毀が強かつたこと。
しかし、被告作業場は、屋根・壁体・柱等がすべて焼け落ち、建物の原形を留めておらず、南面中央部分の柱が完全に焼失して屋根南端軒先に立てかけてあつた垂木等の建築資材がすべて北側に倒れて焼け細り、また隣接部分に残存する柱等も極度に焼け細つて各々屋内面に向つて焼け倒れていたほか、各隣接建物の外壁等も同方向に向つて倒壊あるいは炸裂剥離等していたこと。
6 被告中野の次男亘が、本件火災当日の午後一時四五分より少し前ころ本件火災の発生に気づいたとき、被告作業場に立て掛けてあつた材木の後部上方から火が出ていたこと、その直後に被告中野が見たとき右材木の地上約一メートル以上の部分が燃えていたこと、右時刻ころ佐々木乃扶子が被告中野方東隣にある古橋第一ビル三階から本件火災を発見したとき、被告作業場のトタン屋根の下の方から上へ燃えていて、西側及び北側の建物は燃えていなかつたこと、沢田が本件火災に気づいたとき、同人所有の作業場の南側板壁から火が出ていたこと。
以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。
(二) 右認定のような本件火災による被災建物のうち被告作業場の焼毀、倒壊度が激しく、ここから遠くなるほど右度合も弱いこと、被災各建物等の倒壊物体の倒壊方向、焼毀物体の焼毀面の状況、被告作業場付近が火災の最も初期に燃焼を始めていること等の事実を総合すると、本件火災の火元及び出火箇所は被告作業場であると認められる。
三出火点
(一) <証拠>によると次の事実が認められる。
1 焼失前の被告作業場内には大工道具や木骨作業台のほか、板切れ、角材等が収納され、また作業場屋外南面腰板張外壁沿い土面にはチップ状のかんな屑が多量に集積放置され、その上部屋根軒先部分には垂木や六つ割材等の材木が立て掛けてあつたこと。
2 右作業場の屋根、柱、壁体、収容物等はすべて焼け落ち、建物等の原形を留めていなかつたが、東、西、北各面には柱やトタン壁等が残存していてともに南側中央部分に向つて焼け倒れ、南面、特に中央部分は柱や腰板張の外壁等がほとんど跡形もなく焼毀し、屋外軒先部分に立て掛けてあつた垂木等の材木がすべて北側屋内面に焼け倒れ、軒先部分を基点にして上方に突出している先端部分が極度に焼け細り、欠損していたこと。
3 右作業場屋内西端部分に立て掛けてあつた板切れ、角材や、東端部分の畳、角材、工具類、北端に置かれていた建築資材等は、いずれも強く焼毀してはいるものの、原状あるいはこれに近い状態で焼け残つていたが、南端中央部分に設置されていた角材板張作業台は、各側面板や構成支持枠材がことごとく焼失して跡形を残さず、完全に焼け崩れ、内部に収納してある金属工具類等が焼純状態を呈するまでに極度に焼毀、変色し、また作業台北側屋内面側の各骨組角材は復原構成が可能な状態で残存していたものの、南端屋内面側の骨組構成角材はことごとく焼失し、下部土台面の角材が極度に焼け細つて残つていただけで、側面構成を完全になくしていて、残存する土台角材が中央部分で極端に焼け細つて一部欠損するなど焼失炭化度が深かつたこと。
4 右作業台の残存する各骨格構成材の炭化深度は、南北両側の角材とも南側面の炭化度が強く、かつ北側屋内面側の角材よりも南端屋外面の土台材の深度が激しく、中でも中央東寄部分に移行するにつれて炭化度が深くなつていて、測定できないまでに深く炭化欠損しているほか、上端面に比較して南面側の炭化度が著しかつたこと。
5 右土台材外壁に接してチップ状のかんな屑が多量に集積放置されていて、表面全体が焼毀していたが、土台材の外壁に接する部分が壁面に沿つて東西に溝を構成するかのように深く焼失し、中でも土台材の欠損している部分が極めて深く、東西両端側に移行するにつれてやや浅くなつており、表面部分から底部へと徐々に火熱が進行したくん焼痕跡を呈していたこと。
以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。
(二) 右認定事実を総合すると、被告作業場屋外南面腰板張外壁沿い土面に集積放置されていた多量のチップ状かんな屑が、無炎状火源によつてくん焼を続け、発炎出火したもので、結局右かんな屑が出火点であると認められる。
四出火原因
(一) <証拠>を総合すると次の事実が認められる。
1 本件火災当日は、一〇月九日以来晴天が続いていて、京都市内には午前八時三〇分異常乾燥注意報、同九時三〇分火災注意報が発令され、午後零時現在、快晴、北の風5.4メートル(午前九時現在5.2メートル)、気温摂氏23.4度、湿度二四パーセント、実効湿度六〇パーセントであつたこと。
2 出火点のかんな屑は乾燥していたこと。
3 被告中野の夫平三(以下「平三」という。)が、本件火災当日の午前八時前ころ、被告作業場軒先に立て掛けてあつた材木のうち二束を持つて出たこともあつて、右材木には隙間があり、飛散する火の粉等が右材木と作業場南面外壁との間に放置されていた前記かんな屑に容易に落入る状態になつていたこと。
4 被告中野は、本件火災当日の午前九時三〇分ころから、同一一時三〇分ころまで被告ら所有建物の裏庭の前記出火点から南方約5.4メートルの地点(かんな屑の南端から約4.4メートルの地点)において、ダンボール箱一箱の木屑や廃材(四、五センチメートル角で、長さ1.5メートル前後くらいまでのもの)を、焼却用の容器に入れたり、地面に穴を掘つたりすることなく、直接地面に積んでこれを燃やしたこと。
5 右焚火による灰が飛散し、被告作業場の北側に隣接する沢田所有建物二階の干場に干してあつた布に右灰が付着し、また前記古橋第一ビル四階四〇四号室の小窓からも右灰が入つてきたこと。
6 他方、被告作業場には発火源となるような設備、器具等はまつたくなく、自然発火や引火性油類等もなかつたこと。
7 被告中野の夫平三は、本件火災当日被告作業場付近でたばこを吸つていないし、作業場周辺の建物等からたばこ火等の投げ捨てがあつたことを疑うべき事情はまつたくないこと。
8 沢田所有建物の作業場(精練場)では、本件火災当日の午前七時三〇分ころから同九時三〇分ころまでの間、階下南側に設置してあつた灯油燃料のボイラーを使用したが、右精練場と被告作業場との境界は精練場の板壁だけであつたところ、被告作業場は南側から火熱を受け、右精練場の板壁のレンガ積み基礎台も南面の焼毀変色が著しく、かつバーナー部分の板壁に張つてあつたトタン板も南面の方が著しく変色していたこと。ボイラーのサービスタンクのコック及びバーナーの調整コックとも閉塞され、炉自体も原形を留めていて爆発を生じた形跡もなく、バーナー自体異常燃焼した形跡もなかつたこと、ボイラーの燃料は白灯油であつたため、煙突からの火の粉の飛散も考えられず、煙突内部に油煙や媒等も付着していなかつたこと。
以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。
(二) 右認定事実を総合すると、沢田方精練場のボイラー設備が発火源であるとは認められず、被告中野の焚火以外に他に出火原因を疑う事情も見い出せないところ、既に認定説示したように出火点となつた被告作業場南面外壁に接して集積放置されていた多量のチップ状かんな屑が無炎状火源によつてくん焼を続けたのち発炎したことをも考慮すると、結局被告中野の焚火による火の粉が風にあおられて飛散し、右かんな屑に着火したものと認めるのが相当である。
五被告中野の過失
既に認定したとおり、被告中野が焚火をした被告ら所有建物の裏庭は、周囲に建物が建つており、ことに北、西、南側はいずれも木造の建物であるうえ、右焚火の位置の北方四、五メートルの地点には乾燥した多量のチップ状かんな屑が集積放置され、被告作業場には材木が立て掛けられていただけでなく、連日晴天が続き、湿度も低く、異常乾燥注意報、火災注意報が発令され、風速五メートルを超える風が吹いていたのであるから、このような状況下で焚火をすれば、飛火によつて火災の発生する危険性が多分にあつたものというべきである。
したがつて、このような場合、右裏庭での焚火はこれを差控え、火災の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告中野はこれを怠り、これまでにも約一〇年来たびたび右場所で木屑や廃材を燃やしていた(右事実は、<証拠>によつて認められる。)ことから、右危険を認識せず、漫然と右場所で焚火をした重大な過失により本件火災を発生させるに至つたものというべきである。
六原告ら及び沢田の損害
<証拠>によると、請求原因(三)項の事実<注・Xら外一名の財産上の損害額合計約二億九一〇〇万円以上>を認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。
第二本件代物弁済契約の成否とその効力について
一<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
1 被告中野は、本件火災当日(一〇月一九日)の午後三時前後に火災現場から警察のパトロールカーに乗せられて堀川警察署に任意同行され、被疑者として約三時間取調べを受けた。
そして、翌二〇日午前九時三〇分ころから午後四時ころまで、警察と消防署による合同現場検証が行われたが、その際、被告中野や平三らも現場に立会い、係官から質問調査を受けるなどした。
2 被告中野、その夫平三、長男潔、次男亘、及び平三の兄笠井嘉一郎(以下「笠井」という。)は、右現場検証終了後の同日夕方、原告ら及び沢田並びに町内の各家庭にあいさつ回りをした。
その際、原告池田正男及び池田義雄(原告池田正男の子で、原告池田和男の弟)は、同原告方において、被告中野らに対し、大声で「全部出せ。わしらも裸になつたんやから、あんたらも裸になつてもらわんと困る」、「息子も学校に行かずに裸になれ」、「殺したろか」などと怒鳴り、更に原告森本方では、同原告が「三〇年来の財産をなくしてどうしてくれるか」、「裸になれ」などといつて責任を問い、また同原告から家を借りている笠井に対し、「一週間以内に出て行つてくれ」と要求した。
3 次いで、同日夜、池田義雄が原告池田両名の代理人として、原告会社の役員で原告森本の養子である森本道明が原告森本の代理人として、同会社役員の上治政作が同会社の代理人として、沢田とともに被告中野らの身寄先である笠井宅へ行き、火災によるショックで動転し、心身ともに疲労困憊していた被告中野や平三らに対して本件火災による損害の賠償を要求し、右池田、森本が「誠意を示せ」、「言葉だけではいかん。物を出せ。家の権利証とか貯金通帳とか保険証書とかを出せ。出さんかつたら孫子の代までつきまとつたる。北海道でもどこへでもついて行つてやる」などといつて迫つた。
このような状況の中で、被告中野は失神し、医師の往診治療を受けた。
しかし、なお右池田義雄らは平三らとの交渉を続け、別紙物件目録一記載の土地の時価を約五、〇〇〇万円と算定し、右土地の売却までの期間を三か月とみたうえ、その売却処分代金を原告らの本件火災による損害金に填補することを要求し、被告中野が原告ら及び沢田に対し右五、〇〇〇万円を支払い、被告正木がその連帯保証をするとの趣旨で、右池田義雄が「被告中野、同正木は、昭和五二年一〇月二一日午前九時に公証人役場において五、〇〇〇万円の金銭貸借の契約を行なう」旨の文案を作成し、平三がそのように記載したうえ、被告中野の代理人として平三が署名・指印し、被告正木も署名・指印し、池田義雄が、持参していた収入印紙を貼付し、同人及び森本道明、沢田もそれぞれ署名押印(あるいは指印)して右文書(甲一号証)を作成した。
4 平三は、翌二一日香山仙太郎弁護士を訪ねて善後策を相談したところ、同弁護士から「弁護士に任せたから、あとは弁護士と相談してもらうように言え」との指示を受けた。そこで、同日午後三時ころ帰宅したあと原告池田正男を訪ね、その旨告げたが聞き入れられず、同原告や池田義雄から「どこまで逃げても追いかける」、「裸になれ」などいつて迫られ、「現金、保険証書、預金通帳、権利証等をそろえて出しておけ」との要求を受け、結局これを承諾する旨の言葉を録音テープに収録されたうえ帰宅するに至つた。
5 そして、池田義雄、森本道明及び沢田は、同日夜笠井方へ赴き、被告中野から本件不動産の権利証、預金通帳四通、生命保険・簡易保険・火災保険証書等二三通、商品券(一万円)、清酒二四本、同引換券(二本分)のほか現金一四万円の交付を受けたうえ、更に翌日預金を現金化するよう要求した。
6 翌二二日、森本道明は、平三を同道して京都銀行及び近畿相互銀行へ行き、平三に預金を解約させて払戻金を受領させたうえ、同人から右各払戻金の交付を受けた。
更に、右森本、池田義雄、沢田は、同日夜も笠井方へ行き、右池田が被告中野らに対し、同被告らが日中転宅の準備をしていたことから「お前ら逃げる気か。移れる家があるなら笠井に移つてもらえ」などといい、また「まだあるだろう、全部出せ」とか、「どこかで金を借れ。火災保険証書を担保にして二、五〇〇万円は借りられるから」などといつて迫り、平三が差出した現金約一二万円入りの被告中野のさいふの中から数万円受領した。
そして、池田義雄が作成した「被告らが本件不動産を原告らに提供する」旨の本件誓約書の草稿を被告中野らに渡し、見ておくよう要求して帰宅した。
7 翌二三日朝、池田義雄、森本道明、沢田の妻が笠井方へ行き、多勢いた被告側関係者のうち被告中野、平三、被告正木以外の者を退席させたうえ、被告らに対し本件誓約書の作成を求めた。
これに対し、被告中野らは、既に本件不動産の権利証等を原告らに取り上げられているため何をいつても通じないと考え、右池田らに要求されるまま、右池田が前記草稿に基づいてその場で「昭和五二年一〇月一九日午後一時頃出火により貴殿らの家、工場等が滅失し損害が発生しましたので、一応出火の責任者として、火元が判明するまで、その損害の一端に充てるために末尾記載の不動産、現金、保険証書等を提供します。そして不動産について一応所有権移転の仮登記をして置き、後日本登記をします。但し万一出火の火元の責任者でなかつた場合は右提供した物件を御返還下さい。右後日のため本誓約し、なお公正証書とします」と記載した本件誓約書(甲二号証)に、被告中野及び平三がこれを読んだうえそれぞれ署名・押印し、更に右署名・押印に続いて右池田が「なお物件の登記名義は亡父中野卯三名義になつていますが相続登記するものとし、正木光江は本誓約書を実行するについて同意します」と記載し、被告正木が内容を読んだうえこれに署名・押印した。
そして、本件誓約書の名宛人として原告ら四名と沢田が記載されていたところ、被告中野夫婦は、本件火災の際の飛火によつて若干の被害を受けた伏木博についても、全財産を取り上げられているのに更に右伏木から損害賠償の要求をされては困るとして、右池田に対し名宛人として伏木を追加するよう求め、池田においてこれを追加記入した。
また、その際、右池田らは平三に対し、生命保険の解約手続をしておくよう要求した。
8 そこで、平三は、二四日から二五日にかけて数口の生命保険契約を解約して払戻金の支払を受け、また三和銀行の積立預金も解約して払戻金の支払を受けたうえ、これらを森本道明に交付した。
以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
二右認定事実を総合すると、被告中野は、昭和五二年一〇月二三日原告会社及び原告森本の代理人森本道明、原告池田両名の代理人池田義雄、及び沢田の代理人である同人の妻に対し、本件火災に基づく右原告らの損害賠償金の支払に代えて本件不動産の共有持分(二分の一)全部を譲渡する旨、また被告正木は被告中野の右損害賠償債務について連帯保証をし、その連帯保証債務金の支払に代えて本件不動産の共有持分(二分の一)全部を譲渡する旨、それぞれ約したものと認めるのが相当である。
三しかしながら、前記認定事実によれば、前記池田義雄らは、本件火災によるショックや被疑者としての警察による取調べ等により動転し、心身ともに疲労困憊していた被告中野らに対し、一〇月二〇日から二三日まで連日荒々しい言葉で執ように損害の賠償を迫り、本件不動産の権利証をはじめ、預金通帳、各種保険契約証書等のほか手持の現金まで提出させ、更に右預金や生命保険契約をも解約させてその払戻金を提供させるなどしたものであり、これらのことから被告らは精神的、経済的に窮迫状況に陥つていたものであるところ、本件代物弁済契約は、被告らの右のような状況下でこれに乗じて締結されたものとみるのが相当であつて、社会的妥当性を欠き、公序良俗に反するものとして無効であるというべきである。
第三結論
以上の次第で、結局原告らの本訴請求はその他の争点について判断するまでもなく理由がないことに帰するからいずれもこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九三条を適用して主文のとおり判決する。
(喜久本朝正)
損害概算表<省略>
被災建物焼毀状況一覧表<省略>
別紙図面<省略>
物件目録<省略>