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京都地方裁判所 昭和54年(わ)1278号 判決 1982年6月02日

主文

被告人を禁錮一〇月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五三年八月一三日午後三時二五分ころ、普通乗用自動車を運転し、三重県阿山郡阿山町大字玉滝地内路上(同町阿山中学校北方約二キロメートルの地点)を時速約五〇キロメートルで東進し、右に急カーブする曲り角付近にさしかかったが、このような場合自動車運転者としては、前方左右を注視し、適切なハンドル・ブレーキ操作ができるように減速して進路の安全を確認しつつ進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同僚の運転する後続車両を確認しようとして車内ミラーに視線を向けたまま前記速度で進行した過失により、自車が道路左側の側溝に逸脱しようとしているのに気付き、あわてて右に急転把したうえ、さらに左に急転把し自車を左斜前方に暴走させて路外左側の空地に横転させ、よって自車に同乗中の寺田光三(当時五六年)に対し頭部外傷Ⅲ型等の傷害を負わせ、同五四年四月二七日午前一一時一五分、大阪府茨木市高田町一一番一八号所在の藍野病院において、同人を頭部外傷(Ⅲ型)後遺症により死亡させたほか、同じく自車同乗中の武政多加恵(当時二〇年)に対し加療約一週間を要する頭部打撲等の傷害を、同寺尾利一(当時二二年)に対し加療約五日間を要する胸部・右大腿打撲切創の傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、寺田光三の死亡と本件交通事故との間には因果関係がない旨主張するので、以下この点につき検討する。

《証拠省略》によれば、(1)寺田光三(以下被害者という)は、大正一〇年一一月二二日生で事故当時五七歳、昭和四一、二年ころ塵肺に結核を併発して約半年入院、昭和四六年管理四の塵肺(珪肺)の認定を受け以後自宅療養をなし、昭和四七年四月から事故当時まで自宅近くの横井内科に通院して塵肺等の治療を受け、その症状は、結核検査で陰性を示しているものの、珪肺は進行して肺の収縮がみられ、それとともに息切れがひどくなり、約二年前から喘息様発作がそれぞれみられるようになったが、その他に余病はなく、精神状態も正常で、右塵肺も日常生活に特別の支障はなく、一人で家事を行なっていたこと、(2)受傷当時の被害者の状態は、出血多量の頭部打撲裂創で、意識不明、瞳孔散大、時々無呼吸、脈搏も悪く、無意識の激しい体動がみられる重篤状態であり(岡波病院においては当初頭蓋底骨折と診断される。)岡波病院の北野病院への紹介状によれば、約二週間後に意識回復(昭和五三年八月一七日意識が回復したが、同年同月二八日には傾眠状態がみられる。)、その後も意識の混濁があり、失見当識、興奮状態が続き了解不可能な言動が多く、体動はいぜん顕著で、すぐに泣き出すなどの情緒不安定がみられ、脳実質損傷と頭蓋内出血、血腫が推定されており、同年九月末ころ転院可能な一般状態となったことから、前記横井医院の紹介により同年一〇月六日北野病院に転院したこと、(3)北野病院に入院当初の被害者の状態は、失見当識、右側上下肢の麻痺、右側のバビンスキー反射と歩行障害のある脳圧迫症状が見られ、C・T検査の結果、両側前頭部の広範囲を占め、右側に大きな硬膜下血腫が認められ、同年一〇月一六日右血腫除去手術を行ない(手術後の検査結果によると脳のずれもいくぶん回復した。)、その後失見当識、右側麻痺もしだいに回復し、同年一一月に入ると意識障害もほとんど消失し、また一人で歩けるまでに回復して一般状態も好転してきたことから同月八日同病院を退院したが、同病院の看護記録によると、退院直前まで泣き出す等の情緒不安定及び独語等の精神症状が認められ、また頭部手術後も家族だけに頭痛を訴えることがあったこと、(4)同病院入院中の同年一〇月下旬喘息発作があったが間もなく消失、レントゲン検査による塵肺の症状に悪化はなかったこと、(5)被害者は元来おとなしい性格であったが、北野病院退院後怒りっぽくなって辻褄のあわないことをいっては、退院の翌日から暴れ出し、意識は茫然として家族との意思の疎通を欠き、歩行、服の脱ぎ着も家族の者が手伝わないとできない状態であり、北野病院からの紹介状(病名はコルサコフ精神病、症状は一日中しゃべりずめで、健忘、記銘力低下、失見当識、不眠、被害関係念慮というもの。)をもらい、同年一一月一八日藍野病院に入院したこと、(6)藍野病院入院当初の被害者の症状は、ほぼ右紹介状記載のとおりであり、入院当初から全身状態は悪く、また同病院の看護記録によれば、入院当初歩行は不安定で、情緒不安定、不可解な言動が多く、病室内の徘徊時として奇声を発し、上肢の体動、さらに時々痴呆性甚しく看護は困難となり、幻聴、幻覚、嘔吐やめまい、傾眠状態がみられるようになったこと、(7)藍野病院におけるC・T検査の結果によると両側前頭部に軽微とはいえない程度の表在性の萎縮が認められ、前記症状を、脳萎縮を伴う慢性硬膜下血腫による脳実質圧迫による脳圧迫症状群として、精神症状を外因反応型精神病と判断し、右治療を行なって来たが、昭和五四年に入り、血圧があまり上らず、脈搏も悪く、うっ血状態が肺に時々あらわれ、喘息、呼吸困難をともなうようになり、全身衰弱が悪化したため、同年一月二六日内科に移し、右衰弱の防止をはかってきたが、しだいに心機能、呼吸機能が低下し、同年四月二七日死亡したこと、(8)被害者には藍野病院入院当初から時々喘息発作がみられたが、右は意識障害とは無関係に発生し、同病院での結核検査、癌細胞検査の結果はいずれも陰性であり、またレントゲン検査によれば入院中塵肺の悪化はみとめられず、同病院内科医である長谷川光医師の見解によると本件塵肺が死の直接の原因とはいえないこと、(9)被害者は、本件交通事故以外に硬膜下血腫を来たすような事故等に遭遇していないこと等の各事実が認められる。

弁護人は、北野病院における硬膜下血腫の除去により被害者の脳のずれは回復し、脳実質の圧迫が解消した結果、意識及び精神障害が回復したこと、被害者は管理四の重篤な塵肺患者であり、本件事故後同人が入院した病院においては右塵肺の治療を受けた形跡はなく、右塵肺こそ死亡原因である旨主張するところ、前記認定のごとく、藍野病院におけるC・T検査の結果からは、血腫の存在した部位の脳の萎縮が認められるものであって、右血腫除去により脳圧迫、萎縮が回復したとは認められず、また被害者の意識及び精神障害が北野病院退院時ある程度回復したとはいえ完治といえるものではなく、また被害者の右障害は良否が一定せず、日によって異なる性質を有し、再発が同病院退院直後であり、その間同種症状を呈するような事故はなく、さらに、同人の意識及び精神障害は本件交通事故後死亡まで多少の消長はあるものの同質性を有するものであって脳圧迫症状群に属するものであり、変動する意識障害は慢性硬膜下血腫の症状として特異なものではなくむしろ一般的症状といえること等からすると、硬膜下血腫の除去により脳圧迫が解消したとは認められない。《証拠省略》によれば、被害者は重篤な塵肺(珪肺)患者であったことが認められるが、本件事故後入院した岡波病院、北野病院及び藍野病院においては、いずれも早期に塵肺を認識しており喘息に対する治療等がなされていることからすると右各病院において塵肺の治療がなされてないとは認められず、いずれにせよ、被害者には事故後死亡するまで塵肺の悪化は認められず、右塵肺の程度は死を惹起するようなものではなく、右塵肺が被害者の衰弱に寄与したことは否定できないものの右塵肺が被告人死亡の直接的原因とは認められず、弁護人の主張はいずれも理由がないものといわざるを得ない。事故直後の被害者の状態、慢性化した血腫の期間及びその範囲、程度、血腫除去後の脳萎縮の程度、被害者の精神障害は本件事故による脳損傷が原因であること、意識及び精神障害の内容が本件事故後死亡まで同質性を有するものであること等からすると、被害者の死亡原因は慢性硬膜下血腫と脳萎縮による脳実質(脳幹部)圧迫(頭部外傷後遺症)であると認められ、前記罪となるべき事実記載の事実を認定した次第である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は被害者ごとに刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するが、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い寺田光三に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一〇月に処し、情状により、同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 横山秀憲)

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