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京都地方裁判所 昭和54年(ワ)1276号 判決 1981年11月18日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 宮永基明

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 村田敏行

同 水野武夫

主文

被告は原告に対し金一〇〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五四年九月二五日から、内金五〇〇万円に対する昭和五五年五月一日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを六分し、その五を被告の、その一を原告の負担とする。

この判決第一項は仮に執行することができる。被告が金七〇〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告は原告に対し一二〇〇万円及び内五八〇万円に対する昭和五四年九月二五日から、内五〇〇万円に対する昭和五五年五月一日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

敗訴の場合の仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は京都市下京区《番地省略》アサヒ五号館ビル地下で「キンコンカン」の店名でスナック営業を営んでいる者であり、被告は昭和四七年頃以降右店舗に来るようになった馴染客である。

2  昭和五四年七月二三日原告被告間で、被告が同年二月二四日原告店舗で原告に与えた損害について次のとおりの示談が成立した。

(一) 被告は原告に対し損害賠償その他一切を含む費用として一〇〇〇万円を支払う。

(二) 右のうち五〇〇万円は昭和五四年八月末日までに、残額五〇〇万円は昭和五五年四月末日までにそれぞれ支払う。

3  右示談額は、事件の経緯と治療費、通院費、休業損のほか原告の年令、職業、性別等考慮した精神的、肉体的苦痛等原告の被った損害からみて相当であるが、被告はこれの支払をしないため余儀なくその訴訟処理を弁護士に委ね、着手費用八〇万円を支払い、訴訟終結のうえ一二〇万円の報酬を支払うことを約した。

4  よって、原告は被告に対し、右示談金と弁護士費用との合計一二〇〇万円及び示談金のうち五〇〇万円と支払済み弁護士費用八〇万円との合計額五八〇万円に対する本件訴状送達日の翌日である昭和五四年九月二五日から、示談金の残額五〇〇万円に対する弁済期の翌日である昭和五五年五月一日から各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁及び主張

1  請求原因1の事実を認める。同2の事実を否認する。但し、被告が原告主張の内容を記載した書面に署名したことはある。同3の事実のうち、弁護士依頼の事情は不知、その余は否認する。同4は争う。

2(一)  被告は、原告に対し一〇〇〇万円の賠償金を支払うべき損害を与えたことはなく、原告の代理人母甲野ハナとの間で昭和五四年三月八日頃甲野ハナが責任をもって解決するということで同人の要求するままに三〇〇万円を支払って示談し、原告はこれを受領して追認した。

(二) 当時、被告は角川映画が社運を賭けていた映画「復活の日」の監督に選任され、脚本の仕上げ、海外ロケーションの準備等に忙殺されていて極度に疲労しており、原告は被告の行為をスキャンダルとして週刊誌等のマスコミに発表すると述べ、時間、場所を問わずに執拗に繰り返えして金銭の支払をするよう要求してきたので、それ自体苦痛であったうえ右大作映画の成功に賭けていたので真実に反するにせよ週刊誌等にとり上げられ映画に有形、無形のダメージを与えることは回避したい気持であったため止むなく被告の要求に屈服し示談書に署名した。従って、右示談契約は原告の強迫による意思表示に基づくものであり本訴においてこれを取消す。

三  被告の主張に対する原告の答弁

被告の主張事実二項2(一)のうち、甲野ハナが三〇〇万円を受領した事実を認め、その余は否認する。同(二)の強迫の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、この事実と《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和一六年七月二日生れの女性であり、昭和三八年一〇月頃滋賀県立膳所高等学校を中退して後主として京都のナイトクラブでステージ歌手として働き、昭和四六年四月以降前記アサヒ五号館ビル地下で従業員五人を使ってディスコスナック「キンコンカン」を経営していた。被告は、昭和五年七月三日生れの男性で昭和二八年三月日本大学芸術学部を卒業後東映撮影所に入社し、助監督を経て昭和三六年二月以降監督として映画作成にたずさわってきた者であって、原告の前記店舗の馴染み客であった。被告は、昭和五四年二月二三日仕事の都合で京都に赴き仕事を終えて夕食を摂って後知人と酒場二軒を飲み歩き同月二四日午前三時過ぎ頃右原告店舗に一人で立ち寄った。同店でブランデーを飲むうち、同日午前四時頃になって相客も帰り店内には原告と被告だけとなり二人で雑談していた。当夜の原告の服装は、上に袖なしのポンチョを着、下にベルトなしの黒のチャック付き皮ズボンとブーツを履き、ガードル、パンストの下着をつけたメキシカンスタイルであった。また、かねてから隆鼻術を受けていて二日前の同月二〇日には京都市中京区御池通柳馬場黒田形成外科医院(院長黒田正名)で鼻変形の修正及び両内眼角形成術(まぶたのたるんでくる皮膚を取る手術)の施行を受けており同月二七日抜糸の予定で手術跡を隠すため眼鏡を掛けていた。被告は、原告の鼻柱に石膏様のギブスで蓋をかぶせるように止めてあるのを目撃しており、それを原告との話題にもしていた。同日午前五時三〇分頃になって被告は酔余他に人のいないこともあって原告の唇を求めまた膚に触れようとしたことから揉み合いとなり、その際原告のズボンがずり落ちようとするなど服装が乱れ、眼鏡の中央支え部辺りで鼻骨を圧迫し、さらに備え付けの椅子類に当って膝、手首、胸部等を打撲した(本事件という。)。同月二六日前記黒田外科で診察を受けたところでは、鼻背一面の内出血、左右鼻前庭縫合部裂損、隆鼻材料の一部露出、両内眼角縫合部創開の損傷を負っているとの診断であった。その後、同年八月二〇日の通院を最後に鼻背の扁平化、右鼻前庭の瘢痕、内眼角部の瘢痕を残して治癒している。また、原告は本事件のあった日以降約一か月間前記スナック店を休み、その後も営業意欲を失い営業利益が減少している。

その間原告は被告に対し主として電話で頻繁に本事件の善後策を考えるよう迫っていたが、昭和五四年三月八日原告の母甲野ハナが原告の了解を得ることなく原告の代理人名義で小高正己立会のもとに念書を交し、今後訴訟、損害賠償請求、公表等一切の手段に訴えないことを約束して和解金名下に三〇〇万円を受領した。

原告は、母ハナに対し右三〇〇万円の受領を了承せず被告に一旦返しておくように求めていたが、右受領の約一週間後原告において一応乙山春子名義で銀行に預金し将来返還する目的で保管する形をとった。

その後も原告は被告に対し解決策を求め、これに対して被告は原告に眼鏡を贈ったり手紙を書くなどして慰め謝罪していた。

昭和五四年七月二三日午後五時頃被告は京都市内藤田ホテルのロビーで原告及び原告側の女性立会人らと会い、同日午後八時頃まで話合ったが結論がでないまま原告と同人宅に移り同日午後一〇時頃原告被告間で、「被告は原告に対し一〇〇〇万円を損害賠償その他一切を含む費用として支払う。但し、内五〇〇万円は昭和五四年八月末日まで、残五〇〇万円は昭和五五年四月末日までに支払う。」旨の示談書を作成して同内容の合意をした(本件示談という。)。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によると、被告は原告との間で和解契約を結び同人に対し本事件の損害賠償金等として一〇〇〇万円の支払約束をして示談したことが認められるから右合意に従って示談金を支払う義務があるものというべきである。

二  ところで、被告は、原告の代理人甲野ハナとの間で示談済みである旨主張するけれども、前記のとおり原告の母甲野ハナは原告の了解を得ることなく被告と示談し三〇〇万円を受領したものであって、その後原告において母から右受領金の交付を受けているけれども被告に返還すべく保管しているにすぎず、右示談を追認したことを認めるべき証拠もない。なお、本件示談では右保管中の三〇〇万円の処理は未解決のままとなっており如何にこれを処置するかについての合意はされておらず、この合意の存在を認めるに足りる証拠はない。

三  次に、被告は、右示談は強迫による意思表示により成立したものである旨主張するので検討する。《証拠省略》を総合すると、被告は昭和五三年二月頃角川春樹製作映画(角川春樹事務所・TBS提携作品、東宝株式会社配給)が製作しようとしていた映画「復活の日」の監督に選任され、本件示談の前後頃その脚本の仕上げ、海外ロケーションの準備等に忙殺されていたこと、右映画は昭和五四年二月初頃で製作費に一五億から二〇億円が見込まれ昭和五五年五月頃に完成して最終的には二五億円を要したこれまでになかった大作であり被告は原告から本事件を雑誌報道関係者に吹聴されることによって誇大に公表され世間に知れ渡り右作品のイメージダウンとなって封切後の興業成績に影響し収入減に連がることのあること、を恐れていたこと、本件示談前頃原告は頻繁に被告の所在地や留守宅に電話し本事件が未解決であり誠意をもって善処するよう求めていたこと、被告は示談当日早朝からの仕事後に興奮気味の原告と長時間接渉を重ね幾分疲労していたことが認められる。

しかしながら、前記認定事実によると、昭和五四年二月二四日発生の本事件の態様、原告の被った負傷の部位程度、通院期間、後遺症の程度等(これらの損傷、治療には鼻変形術等に基因する部分も含まれるが、本事件に基づくものをも含むことを否定することはできない。)から推測される治療費、通院費、原告経営の店舗の規模、休業期間、その後の経営意欲等から推定される平均的逸失利益、右のほか原告の年令、性別等一切の事情を考慮し原告が被ったとみられる精神的苦痛に対する慰藉料相当額等の本事件による損害合計額を考えるとこれが一〇〇〇万円に至らないとしても同額が著しく高額に過ぎ不相当であるということはできない。また、被告が前記事情の下で示談に応じたとしても、原告の前記示談金の限度での要求は不正な利益を得ようとするものとはいえず、頻繁に電話で善処するように求め示談当日も興奮気味に接渉を重ねたことも原告被告それぞれの年令、性別、交渉経過等からみて直ちに不当な手段によったとすることはできない。さらに、真実に反して誇大に被告の名誉を損う内容の報道が新聞雑誌に掲載されることがあったとしてもそれが原告の言動に基づくものでない限り原告の責に帰せしめることはできず、このような誇大な公表手段に及ぶ旨告げて被告をして示談に応じさせたと認めるべき証拠もないのであって、被告において原告の誇大宣伝によって前記映画のイメージダウンをきたすことのあるのを恐れたとしてもそれは被告の臆測に基づくものというほかなく、いずれにしても被告が強迫により示談するに至ったとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

四  次に、原告は、弁護士費用を損害としてその支払を求めるので検討するに、一般に債務不履行を原因とする損害賠償請求の場合は債務者が故意又は過失により債権者の請求に対し違法に争ったと認められない限り債権者は債務者に対して債務不履行を原因とする損害賠償の請求をするのに要した弁護士費用の賠償を請求することができないものと解するのが相当であり、前記認定の事実関係及び証拠によっても右の場合に該当するとは認められないから、原告の本訴請求のために要する弁護士費用の賠償を求める請求は失当である。

五  よって、原告の本訴請求のうち、被告に対し示談金一〇〇〇万円とうち五〇〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録によって明らかな昭和五四年九月二五日から、うち五〇〇万円に対する弁済期の翌日である昭和五五年五月一日から各完済に至るまで民法所定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行並びに仮執行免脱宣言につき同法一九六条一項三項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田秀文)

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