京都地方裁判所 昭和54年(ワ)44号 判決 1984年6月29日
原告
遠藤栄一
外一一名
右原告ら訴訟代理人
前田進
桑嶋一
市木重夫
置田文夫
被告
国
右代表者法務大臣
住栄作
右指定代理人
一志泰滋
外一一名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一<証拠>によると、原告らはいずれも京都の西陣織工業組合に加入し、西陣において生糸を原料として絹ネクタイ生地を生産している織物業者であることが認められる。
二そして、原告ら主張の2の事実<編注・繭糸価格安定法の改正行為>は当事者間に争いがない。
三国会の立法行為に関し国が国賠法一条一項に基づいて損害賠償責任を負うか否かについては判例学説の分かれているところであるが、当裁判所としては、右の点をおいて、本件立法行為の違法性に関する検討からはじめることとする。
1原告らは、まず、本件条項が憲法二二条一項所定の営業の自由と同法二九条所定の財産権行使の自由を侵害するので、本件立法行為は違法であると主張する。
憲法二二条一項は、「何人も……職業選択の自由を有する。」と規定するとともに、同法二九条一項は、「財産権は、これを侵してはならない。」と規定して、職業選択の自由及び財産権行使の自由を保障しており、何人も、原則として、自由な市場で形成された価格で、各自の欲する場所から、その欲する量の原料を購入して生産活動を営むことができる自由が右保障の範囲に包含されるものと解すべきである(昭和四三年(行ツ)第一二〇号、同五〇年四月三〇日大法廷判決、民集二九巻四号五七二頁参照)。しかしながら、個人の職業及び財産権は、他人の職業、財産権などの基本的人権と密接な社会的関連性を有するものであるから、それらとの関係で当然規制を受けることを内在しており、そのことを職業選択の自由について憲法二二条一項は、「公共の福祉に反しない限り」と規定し、又、財産権について、同法二九条二項は、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」と規定している。しかも、同法二五条は、国民が個人として尊重され、生命、自由及び幸福追及の権利を実質的に確保されるために、福祉国家的理想のもとに、いわゆる生存権を保障して、国の責務として、社会的、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策をとることを要請している。そこで、国が、積極的に、右保護政策として、立法により、個人の経済活動の自由に対し一定の規制措置を講ずることも、それが右保護政策の目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるものと解すべきである。
ところで、社会経済の分野において、右の法的規制措置を講ずることの必要性の有無及びどのような内容、程度の法的規制措置を講ずるかの選択に関する判断は、社会経済の実態についての正確な基礎資料を必要とし、かつ具体的な法的規制措置の効果や利害得失、並びに社会経済政策全体との調和など、諸般の事情についての広範、かつ適切な判断を必要とすると同時に、政党活動などの多様性に応じた創造的判断に委ねるべきであるから、それはまさに立法府の使命に属する事項である。それ故、このように福祉国家的理想のもとにおける社会経済政策実施のための積極的な法的規制措置をする場合は、社会公共の安全と秩序維持の見地よりする消極的な警察的規制措置と異なつて、裁判所は、立法府の裁量的判断を尊重することを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることが明白であるときに限り、これを違憲とすることができるものと解するのが相当である(昭和四五年(あ)第二三号昭和四七年一一月二二日大法廷判決、刑集二六巻九号五八六頁参照)。
右の見地に立つて本件をみるに、<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) わが国において養蚕業は古くから農家の現金収入源として農業経営上重要な地位を占め、これと関連する蚕種業、桑苗業、製糸業、絹業などと一体となり、国民経済の発展に寄与してきた。
(二) 繭生産は、農産物としての性質上、本来的に需給調整が困難であるうえに、わが国では養蚕業者も製糸業者もともにほとんどが零細、もしくは中小企業であるため、繭、生糸の生産が需要動向に機敏に対応できず、それ故繭、生糸の価格は暴騰、暴落し易く、これまで蚕糸業者の経営を不安定にする一方、生糸の輸出を阻害したり、又絹業者の経営をも不安定にしてきた。
(三) 養蚕業は、他に適当な転作作物を見出し難く、かつ雇用の機会に乏しい農山村地域において零細な農家により営まれることが多い。
(四) わが国における収繭量と養蚕農家の戸数は、それぞれ昭和四五年が一一万二〇〇〇トン、三九万九〇〇〇戸、同五二年が七万九〇〇〇トン、二〇万三〇〇〇戸、同五六年が六万五〇〇〇トン、一五万戸であり、養蚕業の従事者は減少傾向にあるとはいえ、かなりの人数を占めている。
(五) 国は、昭和二六年一二月繭糸価格安定法を制定し、第一次改正(昭和三〇年八月)、第二次改正(同三三年三月)、第三次改正(同四一年三月)、第四次改正(昭和四四年四月)、第五次改正(同四七年一月)に続いて、本件条項を含む第六次改正(同五一年四月)をし、その後も第七次改正(昭和五七年八月)などを行つてきたが、それらは、養蚕業者を保護するためには、主として市場価格の調整をし易い生糸の価格の安定を通じて繭の価格の安定を図り、もつて養蚕業者の所得を確保するという基本的構造をもつており、そのための施策の中心は、生糸価格の異常変動防止措置(法二条、生糸価格が安定下位価格まで低落したときに、事業団は誰からでも申し込みに応じて安定下位価格で生糸を買入れ、これを保管し、糸価が安定上位価格を越えて騰貴し、又はそのおそれがあるときは、保管していた生糸を原則として一般競争入札により売渡すことにより生糸価格の異常変動を防止する制度)と中間安定措置(法一二条の四、糸価を標準中間売渡価格と基準糸価の間に安定させるため、事業団が中間買入価格でその出資者である製糸業者から国産生糸を買入れ、その後六か月以内であればその相手方の請求に応じて売戻し、なお、生糸価格が標準中間売渡価格を越えて騰貴し、又はそのおそれがあるときは、その生糸を売渡すことにより生糸価格の中間安定を図ろうとする制度)であつた。ところが右のような異常変動防止措置と中間安定措置という売買操作のみでは、安価な外国産生糸がわが国へ無秩序に流入してくれば、事業団の生糸の買入枠をいくらふやしても、国内において生糸は供給過剰となり、国産生糸の価格が必然的に低迷し、その結果右の国産生糸の売買操作自体が全く無意味なものとなるのは、経済原則上明白である。前記第六次改正前のわが国の状況をみると、経済が高度成長時代から安定成長時代へと大きく変化し、これに伴いわが国の生糸需要量も従来の大幅な伸びから安定的伸びへと変化してきたが、中国、韓国、ブラジルなどは、農業及び貿易政策の面から繭の生産を増強するとともに、繭、生糸などの輸出振興を積極的に進め、わが国に対し輸入許容量を相当上まわる大量の絹糸や絹織物を輸出する事態になつた。国会はこれに対処するために、前記第五次改正を行つて、法一二条の一〇の二第二項として、事業団の中間安定措置としての国産生糸の買入れによつても、国内糸価が中間買入価格を下回ることを防止することが困難であると認められるときには、事業団及び事業団から委託を受けた者以外の者は、政令で定める期間内は生糸を輸入してはならない旨の一元輸入措置を規定し、昭和四九年に入り大幅な需要の減退と中国の輸出価格の引下げによる糸価の大下落に伴い、繭糸価格安定法施行令の一部を改正して、同年八月一日から同五〇年八月三一日まで右一元輸入措置を発動し、その実施期間を同五一年五月三一日まで延長してきたが、今後も、当分の間、右の事態が好転することが望めない状況にあるところから、前記第六次改正を行つて、本件条項を立法化した。
(六) 本件一元輸入措置及び価格安定制度実施後の国内における生糸価格(横浜現物標準値)、生糸生産費、標準中間売渡価格、基準糸価などの各数値の推移は別表(四)の1、2のとおりであつて、これによれば国内における生糸価格は大体標準中間売渡価格と基準糸価との間におさまつている。ただし、それは基準糸価に近い数値で低迷する時期もかなりあつて、勢い生糸生産費を割ることにもなつて、蚕糸業者にとつて余裕のある状況とはいえない。
(七) 本件条項の立法化が絹業に及ぼす影響
国内における生糸価格(国産生糸の価格及び輸入生糸の日本国内における価格の双方を含む。)と海外で取引されている生糸の価格(その一例としてリヨンにおける生糸の取引価格を対象とする。)とを、本件一元輸入措置実施の前と後で比較すると、昭和四六年、同五〇年、同五六年当時の国産生糸の横浜現物相場、リヨンにおける現物価格、中国から輸入される生糸の日本における販売価格(輸入価格に関税、諸掛りを算入した価格)、韓国から輸入される生糸の右同様の販売価格は、それぞれ別表(六)の(A)、(B)、(C)、(D)の各欄に記載した数値のとおりである(乙第七六号証)。それによれば国内における生糸価格とリヨンにおける生糸の取引価格との格差は、昭和四六年当時に比べ昭和五〇年、同五五年、同五六年においては次第に広がつており、わが国における生糸価格はリヨンにおける生糸の取引価格よりかなり高値で、特に国産生糸の価格は昭和五〇年から同五六年にかけて、リヨンにおける生糸の取引価格の約1.5倍から約2倍になつている。ただし、リヨンの生糸をわが国へ輸入しようとすれば、その現物価格のうえに関税や諸掛りが加算され前記金額よりも若干高くなることが当然予想されるうえ、仮に本件条項が立法化されないで、世界で最大の絹消費国であるわが国の業者がリヨンにおいて自由に生糸を購入することができたとした場合に、その購入する生糸の数量によつては果して前記のようなリヨンの生糸価格がそのまま維持されるかどうか大いに疑問であつて、右価格がどのような数値に落着くかを具体的に確定することは不可能に近いといわなければならない。そのことはともかくとして、右のように現実に生糸価格の格差が生じている以上、それがわが国の絹業者に対し影響を及ぼすことは当然の成行きであろう。その場合に同じ絹業者であつても付加価値の高い商品があれば、その反対の商品もあつて、右影響の度合いも異なつており、一様に論ずることはできないであろうが、原告らの主張、立証の関係で、絹ネクタイ生地製造業にしぼると、以下のとおりである。
輸入絹ネクタイ生地の国内における販売価格の具体例として、昭和五二年にイタリアのセリカロンバルディア社から輸入された絹ネクタイ生地の国内における購入価格のネクタイ一本分の平均値が金847.65円であり、これに対し、西陣の田島織物株式会社々長田島恒三の計算によると、セリカロンバルディア社製の右絹ネクタイ生地と同じものを、国産生糸を用いて製造したと仮定した場合、同年二月現在におけるネクタイ一本分の製造原価(原料費と加工費の合計)は金822.30円、総原価(製造原価と一般管理販売営業費の合計)は金970.31円、適正販売価格(総原価と総原価に対する八パーセントの生産者マージンの合計)は金1047.93円であり、その格差は金200.28円である(この格差こそが原告らの主張する最重要点である。)。
他方、統計資料からみると、昭和四七年、同五〇年及び同五三年における西陣織ネクタイ生地の総出荷金額、そのうちの正絹ネクタイ生地の総出荷金額、西陣織ネクタイ生地の総生産出荷数量、そのうちの正絹ネクタイ生地の総生産出荷数量はそれぞれ別表(七)のA、A'、B、B'欄記載のとおりである。したがつて、右正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の平均出荷(販売)価格(以下単に正絹ネクタイ生地単価ともいう。)は同表のC'欄記載のとおり昭和四七年が金604.3円、同五〇年が金811.8円、同五三年が金921.5円である。なお、昭和五一年、同五二年における西陣織ネクタイ生地の総出荷金額及び総出荷数量はそれぞれ同表のA、B欄記載のとおりである。ただし、昭和五二年における西陣織ネクタイ生地のうちの正絹ネクタイ生地単価を直接に裏付ける統計資料がない。そこで、昭和四七年、同五〇年、同五三年における各西陣織ネクタイ生地の総出荷金額(A)に占める正絹ネクタイ生地の総出荷金額(A')の割合をみるに、同割合は昭和四七年が96.9パーセント、同五〇年が94.7パーセント、同五三年が97.0パーセントであり、その数値は最大で2.3パーセントの差があるに過ぎず、ほぼ一定しているところ、昭和五二年に特段の事情も認められないから、その年における同割合の数値も昭和四七年、同五〇年、同五三年の各割合の平均値である96.2パーセントに近いものとして、昭和五二年における西陣織ネクタイ生地の総出荷金額七四億四九八一万五〇〇〇円に右の96.2パーセントを乗じて得られる七一億六六七二万二〇〇〇円が同年における正絹ネクタイ生地の総出荷金額と推認できる。次に、昭和五二年における西陣織ネクタイ生地のうちの正絹ネクタイ生地の総生産出荷数量(以下、単に正絹ネクタイ生地生産出荷数量という。)もまたこれを直接に裏付ける統計資料がない。そこで、昭和四七年、同五〇年、同五三年における各西陣織ネクタイ生地の総生産出荷数量(B)に占める正絹ネクタイ生地生産出荷数量(B')の割合をみるに、同割合は昭和四七年が93.7パーセント、同五〇年が92.7パーセント、同五三年が94.9パーセントであり、その数値も最大で2.2パーセントの差があるに過ぎず、ほぼ一定しているので、昭和五二年における同割合の数値も昭和四七年、同五〇年、同五三年の各割合の平均値である93.8パーセントに近いものとして、昭和五二年における西陣織ネクタイ生地の総生産出荷数量(一一六二万八九三四本)に右の93.8パーセントを乗じて得られる一〇九〇万七九四〇本が同年における正絹ネクタイ生地の総生産出荷数量と推認できる。そして右の昭和五二年における正絹ネクタイ生地の総出荷金額(七一億六六七二万二〇〇〇円)を総出荷数量(一〇九〇万七九四〇本)で除した数値である657.0円が同年における西陣織ネクタイ生地のうちの正絹ネクタイ生地単価ということになる。右と同じ手法を用いて昭和五一年における右正絹ネクタイ生地単価を算定すると668.2円の数値を求めることができる。この数値は、正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の平均出荷価格であり、厳密にいえばその生産価格ではないが、利潤を追求する私企業の業界全体が、短期的にはともかく、長期間にわたり、利潤を得ずにその企業を継続していくことはありえないという経験則に照らせば、本件の場合にも、西陣織絹ネクタイ生地製造業界全体として算出される年間を通しての正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の平均出荷価格はその年の正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の平均生産価格を下ることはなく、それと生産者利潤を含むものと推認するのが相当である。そうだとすると、前示の田島恒三の計算した数値である総原価970.31円、適正販売価額1047.93円は、前記のとおり統計資料により推認した昭和五二年における正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の平均出荷価格(657.0円)よりも、前者において313.31円、後者において390.93円も高額となつて、数値的に余りにも大きく食い違うので、それらをもつて直ちに国産生糸を用いた絹ネクタイ生地の販売価額と輸入絹ネクタイ生地の国内における販売価額との間の平均的な格差とすることには疑問がある。
次にE・C加盟諸国からわが国に輸入される絹ネクタイ(製品)の国内における販売価格(輸入価格に関税、その他諸掛りを含むネクタイ一本の価格)をみるに、わが国に輸入される絹ネクタイ(製品)の一本当りの平均価格は別表(八)記載のとおりである。昭和五二年における輸入絹ネクタイ(製品)の一本当りの平均価格は、E・C加盟諸国からのものが二一五六円であり、比較的安価なイタリアからのものが一七六一円であるが、これが問屋や百貨店などに引渡される際には、更に商社のマージンなどが加算されることは明らかである。そこで昭和五二年における西陣織の正絹ネクタイ生地のネクタイ一本当りの平均生産価格に、ネクタイ生地をネクタイ(製品)とするために必要とされるネクタイ一本当りの平均的加工費用を加えた金額が、輸入ネクタイ一本当りの前記価格と比較し、前者が安価であるとすれば、そのネクタイ生地は、輸入ネクタイに対し、価格面で競争力があると考えられる。前記のとおり昭和五二年における西陣織の正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の平均生産価格は統計資料によると657.0円以下であり、これが正しいものだとすると、右生地をネクタイ(製品)に仕上げるためのネクタイ一本当りの平均的加工費用が一〇〇〇円を越えない限り、前記のE・C加盟諸国からの輸入ネクタイ(製品)に対してはもちろんのこと、最も安価なイタリアからの輸入ネクタイに対しても、価格面で競争力があるということになるところ、右加工費用が一〇〇〇円を越えることを証明する資料はない。
以上のとおりであつて、西陣織の絹ネクタイ生地が、価格面で、輸入絹ネクタイ及び同生地と比較して競争力がないものと断定すべき具体的資料に乏しい。そうだからといつて、反対に、前記の統計資料によつて一応推認した西陣織の絹ネクタイ生地の出荷(販売)価格、もしくは生産価格が絶対的に正確なものであつて、価格面で、輸入絹ネクタイ及び同生地と比較して、西陣織の絹ネクタイ生地が十分な競争力を有するという確信もない。もし、充分な競争力を有するものであれば、後記のような絹業者に対する代償措置などの必要性がなかつたということにならざるを得ないことに照らしても右の確信は生じてこない。
そこで、なお、西陣織の絹ネクタイ生地製造業界における、正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の価格中に占める原料費の割合傾向を、前記の統計資料に基づいて、本件一元輸入措置がとられた前後において一応比較検討してみる。右の比較をするためには、本来なら、原料費としては、絹ネクタイ生地製造業者が使用する撚糸の価格を基礎にすべきであるが、撚糸は生糸をあわせて撚りをかけたものでありその価格は生糸価格より右加工賃だけ高額とはなるが、生糸価格に連動すると認められるので、生糸価格そのものによることにし、しかも、その価格はその年における国産生糸の平均価格を利用し、実需者売渡など輸入糸を利用しないものとして算定してみると、正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分に使われる生糸の重さは大体37.5グラムで、国産生糸価格は別表(二)のわが国における年平均の生糸価格欄記載のとおりであるから、西陣織の正絹ネクタイ生地のネクタイ一本分の価格に占める原料(生糸)費は別表(九)記載のとおりになつて、本件一元輸入措置の発動された昭和四九年より前である昭和四七年のネクタイ一本分に使用される生糸の価格は335.3円であり、これを同年における正絹ネクタイ生地の平均出荷価格(ネクタイ一本分)と比較するとその差額は二六九円であり、後者に対する前者の占める割合は55.5パーセントである。本件一元輸入措置の発動された昭和四九年より後である昭和五二年のネクタイ一本分に使用される生糸の価格は504.5円であり、これを同年における正絹ネクタイ生地の平均出荷価格(ネクタイ一本分)と比較するとその差額は152.5円であり、後者に対する前者の占める割合は76.8パーセントである。したがつて、西陣織の絹ネクタイ生地製造業界において本件一元輸入措置がとられた後においては、それ以前に比べて出荷価格に占める原料費の割合が大幅に増大し、経費の節減や関係業者の利潤の低下などにより、その経営が深刻になつていることがうかがえる(もつとも、前記のとおり原告ら絹ネクタイ製造業者の絹ネクタイ生地の販売価格が製造原価を下回り、出血販売であるとは認められない。原告らの本訴請求も出血販売で販売自体が不可能であることを前提とするものではなく、販売を前提として利益の減少分について損害賠償を求めるものである。)。
(八) 絹業に対する代償措置
a 国は、本件条項の立法と同時に、繭、生糸、絹製品全体の秩序ある輸入を図るために法一二条の一三の九を新たに設け、政府は絹業などの健全な発展を図るため、所定の場合に、絹製品などの輸入に関し必要な措置を講じなければならない旨規定した。そして、政府は、右規定に基づいて、同年以降、中国及び韓国との間で二国間協定を結び、絹糸、絹織物についても輸入量の調整をしてきた。
b 国は、昭和五〇年九月以降、絹糸、絹織物について輸入貿易管理令に基づく通産大臣の事前許可もしくは事前確認制度を適用し、又輸出入取引法に基づく通産大臣の承認制度を適用して、輸入貿易上の調整措置を講じてきた。
c 国は、本件条項の立法化に当り、絹織物の輸出競争力を付与するため、輸出絹織物などを製造するために使用する生糸の輸入には本件一元輸入措置の例外として、農林水産大臣の認定があれば、事業団を通さないで直接輸入することができるうえ、その生糸については輸入関税を賦課しない保税加工用輸入制度を設けた。他方、国は海外からわが国に輸入される絹ネクタイ及び同生地についてそれぞれ16.8パーセント及び一〇パーセントの関税を賦課している。
d 国は、昭和五一年八月一九日に絹業安定緊急対策を立て、①実需者売渡制度の実施、②過剰絹業設備の廃棄事業の促進及び絹業から他産業への転換を促進するための構造改善策の活用、③政府関係金融機関による絹業者への優先融資などを実施することを決定した。
その後、国は、被告主張のとおり右施策の再確認及び改善を行つてきた。
右のうち、実需者売渡制度は、国内における生糸の糸価及び需給の動向に悪影響を与えない範囲で、原告らを含む実需者に対して生糸を円滑に供給することを目的として輸入及び売渡を行う制度であるが、実需者売渡制度に基づく輸入生糸の売渡状況は別表(三)記載のとおりであり、かつ、その売渡価格と輸入生糸の一般売渡価格との関係は別表(五)記載のとおりであつて、数量的に限定されるものではあるが、実需者売渡制度に基づく輸入生糸の売渡価格はリヨンにおける取引価格より高いものの、国内における生糸の平均的相場よりも安くなっている。なお、売渡時期についても、本件条項立法後、改善が行われている。
e 国は、昭和五四年に法律を改正して(現行の蚕糸砂糖類価格安定事業団法三六条)、利益の八割を蚕糸業振興資金として積み立てこれを計画的に助成事業に使用できるようにしたが、それ以前から事業団は生糸需要増進助成費として、昭和五一年は約二〇〇万円、同五二年は約四二〇〇万円、同五三年に約六六〇〇万円、同五四年に約二億四三〇〇万円、同五五年に約三億五九〇〇万円、同五六年に約四億〇二〇〇万円、同五七年に約四億二八〇〇万円を支出し、そのうちから昭和五四年より同五七年にかけて原告らの所属する西陣工業組合に対し合計一億二三〇〇万円が交付された。
以上の認定事実によると、原告らは、本件条項による一元輸入措置及び価格安定制度の実施により経済的活動の自由を制約され、わが国の内外における生糸価格の格差のために深刻な影響をうけているものであることが明らかである。しかしながら、繭糸価格安定法は昭和二六年に生糸の輸出の増進及び蚕糸業の経営の安定に資するため繭及び生糸の価格の安定を図ることを目的として制定され、本件条項もまた右目的を達成するための措置の一環として立法化されたものであつて、本件条項は外国製絹製品などの輸入圧力に対処するために、福祉国家的理想のもとに、養蚕業及び製糸業、とりわけ自然的、経済的に悪環境下にあつて、自助努力のみでは解決し得ない養蚕農家のための保護政策としての法的規制措置であつたというべきである。そして、本件条項による一元輸入措置及び価格安定制度の内容、程度、及びその影響に対する代償措置、特に本件条項立法後その運用面において絹業者にとつて有利な改善が行われており、今後もなおその改善が行われる余地があること、しかも、わが国の絹織物生産が輸入絹織物などの無秩序な圧迫により重大な損害を受け又、受けるおそれがある場合には、実際上はなかなかの困難を伴うであろうが、法的にはガット一九条による緊急措置として、関税の引上げや輸入の制限、停止などができることになつていることなどの諸般の事情を総合的に考慮すると、本件一元輸入措置及び価格安定制度に関する本件立法は原告ら絹織物生地製造業者の経済的活動の自由を規制するものではあるが、右保護政策の目的達成のために必要かつ合理的な範囲を逸脱したものということができない。少くとも、それは、国会がその裁量権を逸脱し、法的規制措置が著しく不合理であることが明白である場合にあたると解することはできない。
なお、本件条項の立法当時、わが国の生糸輸出は皆無であり、その事情が好転するとみるべき資料はないので、本件条項による一元輸入措置及び価格安定制度が、繭糸価格安定法一条の掲げる「生糸の輸出の増進」に資する役割をになうものと考えることは実際的でないであろうが、それは本件条項のもつ保護政策的な目的までを奪うものではない。又、絹製品がぜいたく品であつて、生活必需品に属しないことは一応肯定することができるので、この点、米などの生活必需品とは保護政策上取扱いを異にするであろうことは容易に想像されるが、養蚕農家や製糸業者の所得を保護すること自体が公共性を有することは明らかというべきである。
したがつて、原告らの前記主張は理由がない。
2原告らは、本件条項が憲法二五条一項所定の自由権としての生存権を侵害するので、本件立法行為は違法であると主張する。
憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定し、いわゆる生存権を保障している。本件条項はまさに憲法二五条一項に基づく福祉国家的理想のもとにおける保護政策として立法化されたものであることは既に述べたとおりである。ところで、原告らの主張するところの、自由権としての生存権という概念を認めるべきかどうかが、そもそも問題であるが、それを認めるとしても、原告らは、本件において、西陣織の絹ネクタイ生地の販売上の逸失利益を主張、立証するだけであつて、生存権侵害の具体的事実を主張、立証したものとみることはできない。
したがつて、原告らの前記主張は理由がない。
3原告らは、更に、本件条項がガット一七条に違反するので、本件立法行為は違法であると主張する。
ガット一七条一項(a)において、各締約国は、国家貿易企業が、民間業者が行う貿易の場合と同様に、商品の価格、品質、入手の可能性などの純商業的考慮のみに従つて無差別に貿易を行うようにさせることを約束する旨規定し、同二条四項において、国家貿易の対象となつている物品がガットで関税譲許の約束がされている場合には、輸入価格プラス関税の額以上の価格で国内で販売して輸入差益を生ぜしめるようなことはしてはならないなどと規定している。
ところで、事業団は、右の国家貿易企業にあたることが明らかであるところ、事業団の行う本件一元輸入措置及び価格安定制度は国家の養蚕農家などの保護のために自由市場に介入して価格を人為的に操作するものであり、輸入生糸を国内で売るときの価格次第では輸入差益が実質的に関税の引上げに等しいとの問題が生ずるので、本件条項は前記のガット条項に違反するのではないかとの疑問が出てくる。しかしながら、本件一元輸入措置及び価格安定制度は、昭和五一年法律第一五号による改正前の法一二条の一〇の二第二項に基づき、繭糸価格安定法施行令の一部改正をして、期間を限定したうえ実施してきた一元輸入措置を、本件条項を立法化することにより、当分の間、維持して本件価格安定制度と相まつて、輸入圧力から蚕糸業の経営を保護しようと図つたものであつて、それは、ガット一九条によつて締約国に許された緊急措置に該当する実質をもつものと解される。もつとも右の緊急措置はその性格上存続期間に制限があるのが当然であろうが、それは絶対的なものではなく、輸入圧力の持続期間との関係で相対的に決められるべきであるから、法一二条の一三の二が当分の間本件一元輸入措置を実施する旨定めたことをもつて不当とすることはできない。
しかも、原告ら指摘のガット条項の違反は、違反した締約国が関係締約国から協議の申入や対抗措置を受けるなどの不利益を課せられることによつて当該違反の是正をさせようとするものであつて、それ以上の法的効力を有すものとは解されない。
したがつて、本件条項がガット条項に違反し無効であつて、本件立法行為を違法ならしめるものとまでは解することができない。
四よつて、原告らの請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(高山健三 永井ユタカ 原啓)
別表(七)