京都地方裁判所 昭和55年(ワ)1083号 判決 1987年7月17日
原告
迫田均
原告
迫田光代
原告ら訴訟代理人弁護士
河本光平
右同
塚本誠一
右同
長沢正範
被告
社団法人愛生会
右代表者理事
増田正典
被告
桑形真佐臣
被告ら訴訟代理人弁護士
金井塚修
主文
一 被告らは、各原告に対し、各自金五五〇万円及び内各金五〇〇万円に対する昭和五三年九月二七日から支払ずみまで、内各金五〇万円に対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで、いずれも年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告らが原告ら各自に対し金五五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各原告に対し、各自金一三七五万円及び内各金一二五〇万円に対する昭和五三年九月二七日から支払ずみまで、内各金一二五万円に対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで、いずれも年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 予備的仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
被告社団法人愛生会(以下「被告愛生会」という。)は、愛生会山科病院(以下「被告病院」という。)を開設しているものであり、被告桑形真佐臣(以下「被告桑形医師」という。)は、昭和五三年九月二五日当時、被告病院に勤務していた医師で、原告両名の子である亡迫田大介(以下「大介」という。)の診療に従事した。<以下、省略>
理由
一当事者
被告愛生会が被告病院を開設しており、被告桑形医師が昭和五三年九月二五日当時、被告病院に勤務していた医師で、原告両名の子である大介の診療に従事したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。
二大介の臨床経過と診療経過
大介が、原告両名の長男として昭和五三年八月七日に出生し、以後母乳で育てられていたこと、同年九月二五日、大介が原告ら主張の経過により被告病院に入院することになると共に、原告ら主張の血液の採取などをしたこと、そして、血液検査の結果が午後五時頃判明し、ヘモグロビン値が単位当り七・四グラムで強度の貧血所見が認められたこと、その後、採血部位からの外出血及び皮下出血が生じていることが発見されたこと(但し、発見された時刻は除く。)、右出血に対して大介の左大腿部付け根を包帯で固く縛る処置が施されたこと、同日午後七時五〇分に下肢腫脹、下肢冷感等の症状がみられたこと、翌二六日午前一時三〇分頃に被告桑形医師が診察に訪れ、大介の様子を一見するや輸血の必要性を認め、供血者である原告らと大介の血液の適合検査を行い、輸血の準備にとりかかつたが、その準備が完了する前に、大介は同二時に呼吸停止、同二時三〇分に心臓停止を来たし、同三時に死亡したこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、これらの争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
1 大介は、一か月検診の時にも異常なく順調に成育していたものであるが、同年九月二二日に三七度三分の体温があり、その以後臥床させると啼泣する不機嫌な状態が続いていたところ、同月二五日、体温は三六度四分であつたものの、当日二回に亘つて吐乳し、顔色も悪かつたため、午後二時頃、原告両名に付添われ、正規の診療時間外の患者として小児科外来を訪れた。
2 そして、大介は、同外来で被告桑形医師の診察を受けたところ、顔面蒼白、脳圧の上昇が考えられる大泉門膨隆、心臓に収縮期雑音(機能障害の有無は不明)、腹部膨満、肝臓一・五横指、体温三六度四分ないし八分程度の臨床所見を呈していたこと、そこで同被告は、これらの症状から、まず緊急の対応を必要とする肺炎や髓膜炎を疑い、それらをチェックするため、脊髓液の採取、胸部レントゲン撮影のほか、左大腿部静脈より採血などしたうえ、入院させた。
3 胸部レントゲン検査の所見によれば、胸腺の肥大と左上腹部の大量のガス像がみられたものの、心拡大や肺野のうつ血性所見など肺炎を窺わせる異常所見は認められず、また、髓液検査の結果も、細胞数が三分の三三とやや増加し(三分の二七までが正常範囲)、パンディー反応(+)の所見がみられたものの、髓膜炎を窺わせるような異常所見は認められなかつた。しかしながら、午後五時頃に判明した血液検査の結果は、赤血球数二二五万(正常値四〇〇万から五七〇万)、血色素量一デシリットル当リ七・四グラム(正常値一二・八から一七・〇)、ヘマトクリット二二・一パーセント(正常値三六から五一)、MCV九八μ3(正常値八五から一〇五)、MCH三三γγ(正常値二八から三五)、MCHC三三パーセント(正常値三二から三六)と強度の正球性貧血の所見を呈していた。なお、白血球数は九〇〇〇(正常値四〇〇〇から八〇〇〇)で、炎症所見を想定するほどではなかつた。かくして、被告桑形医師は、午後五時頃、これらの所見から強度の貧血に注目して原因を血液側の問題と捉え、その解明を急務と判断し、原告らから検査の承諾を得るべく、居合せた原告光代に説明したのであるが、同原告において大介が検査で痛い目に遭うことに難色を示し、承諾の気配がなかつた。
4 大介は、入院後、保育器に収容されて酸素投与を受け、午後三時三〇分頃からは顔色がやや良好気味となり、午後六時三〇分頃には母乳一〇〇ccを摂取した。被告桑形医師は、この間の午後五時三〇分頃、大介が持ち直す様子であつたから、経過を観察することにし、一旦外出した。ところが、同日午後七時に至り、大介の採血部位より少量ずつ出血し、おむつに浸透していることが認められ、同七時一〇分、内科当直医の松村医師の診察を受けたところ、採血部より量は別として出血があり、且つ左下肢に強度の腫脹が認められたため、同医師の指示により大介の左大腿部に圧迫包帯が施行された。その時、大介には外出血以外に、体温三六度八分、呼吸数五〇、顔色不良、皮下出血による左大腿部に強度の腫脹、左足底に軽度の冷感ありとの所見がみられた。
被告桑形医師は、午後七時五〇分頃、電話連絡により被告病院に帰り、大介の採血部位からの出血を確認した。その際に、同被告は、原告均から血液でおむつがグショグショに濡れていた旨の説明を受けたものの、現物を自宅に持ち帰つたということで確認が出来ないまま、現物を見たという看護婦に尋ね、現認した出血傾向と合せて、看護婦が説明するように、大介のおむつは尿で殆ど濡れており、血液は濡れたおむつに直径一〇センチメートルくらい薄く広がり、その中心の直径二センチメートルくらいに鮮血が見られる程度と判断した。そこで、被告桑形医師は、午後八時三〇分頃、大介の強度の貧血と出血傾向から貧血の基礎疾患解明のため、渋る原告均を説得し、翌日大介を京大病院に転医させることにした。
5 ところが、大介は、同九時に下肢の冷感がなくなり、同一〇時二〇分にはミルク九〇ccを摂取したのであるが、その摂取状態は良好で、一般状態も安定していた。被告桑形医師は、これを見届けて帰宅したのであるが、翌二六日午前〇時四〇分に至つて、再び採血部位からガーゼ二枚に浸透して出血していることが発見され、圧迫包帯が再施行された。そして、同一時頃には、四肢の運動が弱々しくなり、ミルクを与えても吸入せず、呼吸も浅く、弱々しく啼泣するようになつた。連絡を受けて同一時三〇分頃診察に訪れた被告桑形医師は、大介の様子を一見するや、輸血の必要性を認め、原告らと大介の血液の適合を確認したうえ、原告らから採血して輸血の準備にとりかかる一方、自発呼吸が停滞しだしたためアンビューバッグ(呼吸補助器)によつて呼吸機能の回復・誘導を試みたが、三〇分ないし一時間を要する輸血の準備が完了する前の同二時に呼吸が停止し、なおもアンビューバツグの操作を続けたにもかかわらず、その後呼吸が回復することなく、同三時に心臓が完全停止して死亡した。
以上の事実が認められる。
もつとも、原告らは、採血部位からの外出血につき、おむつがグショグショになるほどの外出血であつた旨主張し、原告迫田光代本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分が存するが、被告桑形真佐臣本人尋問の結果及び後記認定の出血状況に照らして容易く採用できず、他に同主張を認めるに足る証拠はない。
また、原告らは、下肢の腫脹は大腿部の半径が少なくとも一センチメートル腫れ上がるほどであつた旨主張し、原告迫田光代本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分が存するところであるが、右供述部分は証人菱俊雄及び同山野恒一の各証言に照らして、にわかに信用しがたい。
更に、原告らは、同月二五日午後一〇時三〇分頃から大介の一般状態が悪化した旨主張し、原告迫田光代本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分が存するが、右供述部分は前掲乙第一号証の二及び被告桑形真佐臣本人尋問の結果に照らせば、にわかに信用しがたい。
他方、被告らは、大介の下肢にみられた腫脹は皮下出血によるものではなく、圧迫包帯を施行したために動脈血流が減少し、静脈うつ血が生じたことによるものである旨主張し、証人山野恒一はこれに副う証言をするが、先に認定したところによれば、量の点はそれほど多くないとしても、出血が続いていたことは否定し難く、しかも腫脹は圧迫包帯施行前から既に発生したものであるから、右主張は採用しがたい。
三大介の死因
1 大介の死因について、原告らは、重度の貧血を基礎とし、その後に採血部位からの出血が加わつたことによる失血死、即ち循環血液量減少性ショック(出血性ショック)であると主張するので、以下その当否について判断する。
(一) 証人菱俊雄の証言、鑑定人瀬尾明の鑑定の結果(以下「鑑定の結果」という。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、出血性ショックとは、全循環血液量(乳幼児の場合、全循環血液量は体重一キログラム当り七〇ないし八〇cc、あるいは全体重の一三分の一程度といわれている。)の四分の一又は一キログラム当り二〇ミリリットル以上の血液の急速な喪失により循環血液量の不足が生じ、酸素の必要度の低い器官から徐々に(末梢、消化器系臓器、脳、心臓の順)血液の流れが途絶えていくことをいい、臨床上、バイタルサイン(生命維持に必要な徴候)の異常(血圧の低下、体温の低下、脈拍が微弱かつ頻脈、呼吸が浅くかつ頻呼吸)、そして、血流の途絶に応じて順次皮膚の蒼白、冷感、交感神経の緊張に伴う冷汗の発生、乏尿ないし無尿、意識障害、活動力の低下、呼吸中枢の抑制、呼吸停止、最後に心臓停止という経過を辿ることが認められる。
(二) そこで、右見地に照らして、大介の外来受診から死亡に至るまでの推移について検討するに、先の認定と鑑定の結果によれば、大介は、既に外来受診時に強度の貧血による循環血液量の減少状態にあつたうえに、採血後、量はそれほど多くないが採血部位からの出血がずつと続き、そのために循環血液量の減少が一層進行していたものと推認されるものの、同月二五日午後三時三〇分頃からは顔色が良好となり、採尿バッグに排尿がみられたほか、午後六時三〇分には母乳一〇〇ccを摂取しており、その後、午後七時一〇分に呼吸数五〇と軽度の多呼吸状態及び左足底軽度冷感という末梢循環不全を疑わせるかの如き所見が一時みられたものの、午後九時には冷感も消え、午後一〇時二〇分にはミルク九〇ccを状態良く摂取していることが認められ、末梢循環は午後一〇時二〇分の時点で、なお比較的良好に保たれていたものと推認されるのであり、これらの症状経過に照らせば、出血性ショックの進行に伴う筈の末梢循環不全が否定されるのであるから、大介が出血性ショックによつて死亡したものとは断じがたい。もつとも、証人菱俊雄の証言中には、午後一〇時二〇分のミルクの摂取は、血管床中の血液の減少によつて口渇中枢が刺激されたことによる水分欲求現象であり、出血性ショックへの一つの過程を示すものである旨の供述部分が存するが、同供述部分は、証人山野恒一の証言及び鑑定の結果に照らし、にわかに信用しがたい。
(三) もつとも、前掲甲第三号証の四及び証人菱俊雄の証言によれば、大介の本件当時の体重は四五〇〇グラム程度と推認されるから、その全循環血液量は三一五ないし三六〇cc(体重一〇〇〇グラム当り七〇ないし八〇cc)であり、且つ重度の貧血症状にあつたから、八〇ないし九〇ccの血液の急速な喪失により出血性ショックに陥るものと考えられるところ、原告らは、大介の採血部位から少なくとも一八二cc以上の出血(外出血量は少なくとも五〇cc以上、皮下出血量は少なくとも一三二cc以上)があつた旨主張し、証人菱俊雄の証言中には原告らの右主張に副う供述部分が存するところであるが、同証人の右判断は、先に認定した事実と抵触する事実を判断の基礎としているものであるからにわかに信用しがたく、原告らの右主張は採用できない。しかしながら、先に認定したところによれば、入院後、採血部位からの外出血及び皮下出血が続いていたことは動かし難いところである(これに反する証人山野恒一の証言部分は首肯するに足る根拠がなく、採用できない。)から、その出血量について検討するに、鑑定の結果によれば、病院等で用いている普通の大きさの折りたたみガーゼ(約二〇×三〇センチメートル、重さ約三グラム)の一枚に指先で持ち上げて血液がボタポタと滴下する程に多量に浸透した状態の出血量は約二〇ミリリットルであり、全体に薄く赤く浸透した程度ならば一〇ミリリットル以下の出血量と認められるところ、先に認定したところによれば、大介の採血部位からの外出血は、尿で殆ど濡れたおむつに直径一〇センチメートルくらい薄く広がり、その中心の直径二センチメートルくらいに鮮血が見られる程度の出血及びガーゼ二枚に浸透する程度の出血に止まると解するのが相当であり、また採血部位からの皮下出血量は明らかでないが、先に認定した症状経過(皮下出血が発見されるまでの間に顕著な症状の変化はみられない。)からみれば、多量であつたものとは認めがたいものであるから、外来受診時より既に重度の貧血状態にあつたことを考慮に入れたとしても、なお出血性ショックを惹起するほどの出血があつたものとは断じがたい。
以上の次第であるから、大介の死因を出血性ショックによるものとする主張は採用できない。
2 他方、被告らは大介の死因につきウイルス性心筋炎によるものである旨主張し、証人山野恒一の証言中には右主張に副う供述部分が存するので、以下検討する。
(一) <証拠>を総合すれば、ウイルス性心筋炎につき以下の事実が認められる。
(1) ウイルス性心筋炎は、ウイルスが心臓の筋肉に感染して心筋の活動を阻害する疾患であつて、その重症度及び臨床経過は、軽症のものから電撃性経過をとつて突然心不全死または急死するものまで多種多様であるところ、その臨床経過から、大国真彦教授らは、A激症型、B急性致死型、C急性良性型、D再発型、E慢性型、F肥大進行型、G無症状突然死型の七型に分類しているが、死亡時には、いずれの型であつても呼吸停止より先に心停止を来すか、呼吸停止と同時に心停止を来すものである。
(2) また、ウイルス性心筋炎の診断については、厚生省研究班により、a前駆症状として感冒症状(発熱、咽頭痛、咳、関節痛、易疲労性など)や消化器症状(食欲不振、腹痛、嘔吐、下痢など)があり、徐々にあるいは急激に発症する。b心音は微弱であり、有意の心雑音は聴取しないのが一般的であるが、時に収縮期心雑音をみとめることがある。c臨床症状としては発病後数日ないし数か月の内に心不全症状(著明な呼吸困難、チアノーゼ、蒼白、頻脈、ラ音、肝腫、浮腫など)が認められる。d検査所見として胸部レ線像で心陰影の拡大所見、心電図上で心筋障害や伝導障害所見、心エコー図上の心機能低下の所見、血液生化学検査上で心筋逸脱酵素(GOT、CPK、LDHなど)の上昇所見等の異常検査所見が認められ、もし特定のウイルスについての血清抗体価の変動がみられるならば、当該ウイルスによる心筋炎と診断できる旨の診断基準が明らかにされている。
(二) そこで、右診断基準に照らして、大介の臨床経過等を検討する。
(1) 先の認定と鑑定の結果によれば、大介には、感冒様症状として外来受診三日前に三七度三分の体温があり、それ以後臥床させると啼泣する不機嫌な状態が続いたほか、消化器症状として受診当日に二回にわたる嘔吐があつたものであるが、三七度三分という体温は、生後五〇日目の乳児においては生理的な体温(三七度五分までは生理的体温とみてよい。)であり、たとえ発熱としても軽熱といいうるものであるうえ、受診当日には三六度台の平熱になつており、また、下痢もなく食欲にも異常がみられないことからすれば、右発熱、不機嫌及び嘔吐をもつて、ウイルス性心筋炎の前駆症状としての感冒様症状及び消化器症状とは解しがたい。
(2) また、先の認定と鑑定の結果及び証人瀬尾明の証言によれば、外来受診時に、顔面蒼白、肝臓一・五横指、心臓に収縮期雑音との所見が認められたほか、入院後酸素吸入をしていることからみて、呼吸障害があつたことが推認されるところであるが、顔面の蒼白は血液検査の結果に照らせば貧血によるものと考えられ、肝臓も生理的範囲内の腫大に止まるものであり、心臓の収縮期雑音も機能性雑音か否か不明であるうえ、チアノーゼ、頻脈及び浮腫がみられないことからすれば、臨床症状として心不全症状があるとはいいがたい。
(3) 更に、胸部レ線像上でも心陰影の拡大は認められず、その他本症診断のために必要な心電図・心エコー図・血液生化学検査・ウイルス血清学的検査等は施行されていない。
(三) 以上のとおり、大介の臨床症状はウイルス性心筋炎の前駆症状及び心不全症状というに乏しく、心筋の異常を支持する検査結果も存しないうえ、かえつて、外来受診時より既にみられた著明な貧血及び大泉門膨隆、入院後に生じた出血並びに心停止に先行した呼吸停止など「ウイルス性心筋炎」では説明しがたい諸症状がみられたことからすれば、大介の死因を被告ら主張のようなウイルス性心筋炎とは解しがたく、この点の証人山野恒一の証言部分にも十分な根拠があるとはいえず、採用できない。
3 そこで、大介の死因について更に進んで検討する。
(一)(1) <証拠>並びに鑑定の結果を総合すれば、ビタミンKの欠乏のために頭蓋内出血などの重篤な出血症状を呈するビタミンK欠乏症と呼ばれる乳幼児の疾患が存し、同疾患は、①生後二週から二か月までの間の乳幼児で、②特に牛乳や調整粉乳に比べてビタミンK含有量の少ない母乳栄養児に発症しやすく、その多くは頭蓋内出血を伴うものであり、頭蓋内出血を伴う場合の③初発症状は不機嫌・嘔吐(脳圧亢進症状)ではじまることが多く、④少し時間が経過した時点(多くは二日以内)では高度の貧血(特に血色素量一デシリットル当り九・〇グラム以下の強い貧血が殆ど)、大泉門膨隆(脳圧亢進症状)及び出血傾向の症状が必発であり、⑤時間の経過とともに痙攣、麻痺、瞳孔不同等の症状が高頻度で出現してくることが認められるところ、先に認定した大介の臨床検査所見及び臨床症状からみれば、大介は日齢五〇日目の母乳栄養児であつたところ、受診当日、朝から二回にわたつて嘔吐し、外来受診時には既に大泉門の膨隆がみられたほか、重症貧血(赤血球数二二五万、血色素量一デシリットル当り七・四グラム、ヘマトクリット二二・一パーセント)があり、入院後には採血部位からの出血及び止血困難との強い出血傾向がみられるから(もつとも、<証拠>を総合すれば、髓液検査のための腰椎穿刺が採血針よりも太いルンバール針で行われたにもかかわらず、その部位からの出血はみられなかつたことが認められるが、採血により傷つけられてた股静脈が太い血管であるのと異なり、腰椎穿刺により傷つけられた血管は毛細血管にすぎないものであるから、腰椎穿刺の部位から出血がなかつたことをもつて、強い出血傾向があるとの判断を覆すことはできない。)、大介は頭蓋内出血を伴うビタミンK欠乏症に罹患していたものと認められる。
もつとも、証人菱俊雄及び同山野恒一の各証言中にはビタミンK欠乏症を否定する旨の供述部分が存するところ、右供述はいずれも、腰椎穿刺によつて得られた大介の髓液が血性であつたのは、腰椎穿刺時の血管損傷による人為的な出血によるものであり、頭蓋内出血を窺わせる出血はないとの事実また証人山野恒一は、神経症状が発現していないことをも前提に、ビタミンK欠乏症を否定しようとするものであるが、腰椎穿刺時の血管損傷によつて人為的に出血させたと思つていたとしても、実は既に髓液中に出血が生じていた可能性も考えられるところであるから、右供述部分はいずれも前提事実に疑問があるうえ、仮に髓液中にみられた赤血球が総て人為的な出血によるものであつたとしても、鑑定の結果によれば、頭蓋内出血のうち、クモ膜下腔ないしは脳室内出血の場合には髓液中に赤血球をみるが、硬膜外・硬膜下あるいは脳実質内出血の場合にはその部位に出血が限局しているかぎり、髓液中に出血の所見はみられないものであり、髓液中に赤血球の出現が認められない場合においても、頭蓋内出血は否定できないことが認められるから、右供述部分はいずれもにわかに採用しがたい。
(2) また、大介が頭蓋内出血を伴うビタミンK欠乏症に罹患していたものと解することによつて初めて大介にみられた重症貧血の原因を説明できる。即ち、証人菱俊雄及び証人山野恒一の各証言並びに鑑定の結果によれば、生後五〇日目頃の乳幼児においては、赤血球数三五〇万前後、血色素量一デシリットル当り一一グラム前後、ヘマトクリット三三パーセント前後の生理的貧血を来す場合があることが認められるものの、先に認定した大介に認められた貧血は右に比しても著しく強い貧血であるから、病的貧血であるというほかないところ、証人菱俊雄及び証人山野恒一の各証言並びに鑑定の結果を総合すると、乳幼児にみられる病的貧血の原因として、一般的に、造血物質の欠乏及び代謝障害に基づく赤血球生成障害による貧血(鉄欠乏、ビタミンB12欠乏、葉酸欠乏など)、骨髓造血組織及びその機能障害に基づく赤血球生成障害による貧血(感染による再生不良性貧血、白血病など)、赤血球破壊の亢進による貧血(溶血性貧血)及び失血性貧血(急性貧血、慢性貧血)が認められる。
そこで先に認定した大介の臨床検査所見及び臨床症状から貧血の原因について検討するに、鉄欠乏性貧血で代表される造血物質の欠乏及び代謝障害に基づく赤血球生成障害による貧血であれば、赤血球は小さくなり小球性貧血を来すことになるものであるところ、先に認定したとおり大介の貧血は正球性貧血であるから、この原因は否定される。次に、骨髓造血組織及びその機能障害に基づく赤血球生成障害による貧血の可能性についてみるに、まず白血病であれば白血球数が通常著しく増加(数万単位)するほか、ミエロサイトとかメタミエロサイトと呼ばれる細胞が血中に出現するようになるところ(特にミエロサイト細胞は高値を示す。)、前認定のとおり大介の血中の白血球数は九〇〇〇(正常値四〇〇〇ないし八〇〇〇)とほぼ正常であるほか、前掲乙第一号証によればミエロサイトも(+)と出現がみられるものの一〇〇分率にさえ乗らないほどの少量に過ぎず、メタミエロサイトは全く出現していないことが認められ、また、感染によつて骨髓が抑制されて起こる再生不良性貧血であれば、赤血球数と同時に白血球数も抑制されるものと考えられるところ、先に認定したところによれば白血球数には抑制が生じていないことが認められるのであり、以上のような大介の白血球数及び血液像に照らせば、骨髓造血組織及びその機能障害に基づく赤血球生成障害による貧血とは言いがたい。更に赤血球破壊の亢進による貧血(溶血性貧血)について検討するに、先に認定したとおり入院後わずか半日で死亡するに至つたという急激な病状の進展及び出血異常が見られることをはじめ、その他の状況からすれば、この原因も肯認しがたい。そこで最後に失血性貧血について検討するに、<証拠>を総合すれば、大介には受診当日まで皮膚・鼻粘膜・消化管(大便)等からの外出血の既往はなく、また、これほどの強い貧血であるから、慢性の出血があつたとすれば、大介の両親において気がついた筈であるところ、これに気がついていないことや、前述の臨床症状をも併せ考えれば、急性の頭蓋内出血による貧血が最も疑わしいというべきである。
(3) そして以上検討したところに、先に認定した大介の死に至るまでの臨床経過と鑑定の結果を総合すれば、外来受診の時点には既に頭蓋内出血が生じていたことは確実であり、同月二六日午前一時頃から容態が急変したのは、その頃、頭蓋内に出血した血液(外来受診時までに既に生じていた頭蓋内出血のほか、その後も出血が持続したか、容態急変の直前に新たな出血が生じたかのいずれかであろう。)による直接的・間接的な呼吸中枢の圧迫、あるいは出血の影響により生じた脳ヘルニアによる呼吸中枢の圧迫などによつて呼吸中枢が機能不全に陥つたことが推定され、そのまま心停止を来し、死亡するに至つたものと推認するのが相当である。
四被告らの責任
1 被告桑形医師の過失
(一) 右説示のとおり大介の死因は、ビタミンK欠乏症による頭蓋内出血であり、<証拠>並びに鑑定の結果を総合すれば、ビタミンK欠乏症の場合には、ビタミンK・第Ⅸ因子製剤投与、輸血等などで血液凝固系因子を補給することにより出血傾向が急激に改善されることが認められるところ、先に認定したところによれば、被告桑形医師が右疾患を看過し、そのために適切な措置をとりえなかつたことは明らかである。しかしながら、一般に医師の診療行為における注意義務を判断する場合には、診療行為時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準を基準とすべきところ、<証拠>によれば、我が国におけるビタミンK欠乏症の病像や治療については、昭和五〇年一二月に飯塚敦夫らが八例の症例報告をしたのが最初であり、その後本件当時までに内藤春子らによる四例の症例報告(昭和五二年一二月)及び東京女子医科大学小児科学教室による二例の症例報告(昭和五三年七月)がなされていたものであるが、その内容は、症例報告をなすことによつて、それまで注目されていなかつたビタミンK欠乏症について注意を喚起し、その研究の端緒を提供するに止まるものであり、これらの報告によつて、ビタミンK欠乏症の臨床経過、ひいてはその診断基準が確立したとは到底いいがたいものであるから、本件当時、被告桑形医師において、右疾患がビタミンK欠乏症であることを看過したとしても、それをもつて過失というのは相当でない。
(二) しかしながら、被告桑形医師は、約六時間前に採血した部位から出血が持続していたことを同月二五日午後七時五〇分には確認していたのであるから、大介の血小板あるいはプロトロンビン、フィブリノーゲンその他の凝固系因子のいずれかに異常があることを認識しえた筈であり、大介が外来受診時に既に重症貧血であつたことをも併せ考えれば、このような血小板あるいは凝固系因子のいずれかに存する異常を放置することにより、詳細な経過・機序までは予測しえないにしても、以後、出血性疾患の発生・増悪を来し、重篤な状態に陥る危険性があることは十分に予測しうるところであつた。しかも、被告桑形医師は、初診時に脳圧の亢進を示す大泉門の膨隆及び嘔吐の症状を承知していたうえ、重症貧血を裏付ける明確な失血部位を把握していたのではないから、当然に頭蓋内出血という重大な疾患を疑い、切羽詰つた危険に備えて、出血傾向を確認した右時点で可及的速かに全身的な止血措置をとるべきであつたところ、その当時の医療水準でも凝血作用が認知されていたビタミンKを投与するか、少なくとも一般的な止血措置として輸血をなすべき注意義務があつたものというべきであり、これを怠つた被告桑形医師には過失がある。もつとも、被告らは、輸血にはいろいろな副作用を伴うものであるから、急性大出血の場合は格別、それ以外の場合には検査等によつて貧血の原因を究明し、その原因の改善のために輸血療法が適切であることが明らかになつて初めて輸血を行うべきであるところ、本件においては、原告らの検査拒絶により貧血の原因を究明することができなかつたものであるから、輸血を行わなかつたことに過失はない旨主張し、輸血に関する各文献によれば、被告ら主張の如く輸血をなすには慎重であるよう要請されていることが認められるが、右文献の内容を仔細にみれば、右要請は、あくまでも症状が安定し、貧血の原因を究明する時間的余裕がある場合を前提にした一般論に止まるものであり、右に説示した本件の如き場合には妥当しないというべきである(なお、原告らは、重症貧血であることが明らかとなつた同月二五日午後五時の時点で、即時の輸血ないしは輸血の準備を行うべきであつた旨主張するが、<証拠>によれば、慢性貧血の場合には血色素量が一デシリットル当り七ないし八グラムであつても安定した生活を送りうるものであり、直ちに輸血をすべき必要はないことが認められるところ、先に認定した右時点までの経過からすれば、被告桑形医師がその時点で大介の貧血を慢性と判断したとしても止むをえないところと考えられるから、原告らの右主張は採用できない。)。
2 被告桑形医師の前記過失と損害との因果関係
(一) 先に認定したところによれば、ビタミンK欠乏症の場合には、ビタミンKの投与や輸血によつて血液凝固系因子の補給を行うことにより出血傾向が急激に改善されることが認められるところであるが、<証拠>によれば、ビタミンK欠乏症は発症した時点で九割近くの例が頭蓋内出血を起こしているため、止血管理が適切になされたとしても予後は不良であり、特に頭蓋内出血の部位及び出血量によつて予後が左右されること、それにしても死亡率は二〇パーセントないし三〇パーセント前後であること、が認められる。
そこで右見地から、仮に、本件において、被告桑形医師が医師の尽くすべき輸血義務を懈怠することなく大介に輸血を行つていたとすれば、大介を救命することができたか否かについて検討するに、同月二五日午後七時五〇分の時点では大介に頭蓋内出血による呼吸中枢の機能不全をうかがわせる症状は一切出現していなかつたのであるから、右時点において輸血等の適切な治療がなされていれば、特段の事情なき限り大介の死という結果は十分回避できたと推認するのが相当であり、この推認を妨げるに足る特段の事情は認められない。
3 以上のとおりであるから、被告桑形医師は民法七〇九条により、被告愛生会は前認定のとおり被告桑形医師の使用者として同法七一五条により、連帯して大介死亡に伴う原告らの損害を賠償する責任がある。
五原告らの損害
慰謝料について検討するに、前記説示したような被告桑形医師の義務違反の態様及び医療水準からの逸脱の程度、救命の可能性の程度等本件における諸般の事情を総合考慮すれば、大介死亡による原告らの慰謝料額は、各金五〇〇万円が相当であると認められる。また弁護士費用については、原告らが、本件の提起・追行方を原告ら訴訟代理人らに委任したことは、本件記録に編綴されている原告ら名義の訴訟委任状によつて明らかであるところ、本件の事案の性質、右認容額などを考慮すると、原告らの本件不法行為と相当因果関係がある損害は、各原告につき金五〇万円と認めるのが相当である。
六以上のとおりであるから、原告らの本訴各請求は、被告らに対し、各原告ごとに、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する本件不法行為による損害の生じた日の後である昭和五三年九月二七日から支払ずみまで、内金五〇万円に対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで、いずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払方を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言及び同免脱宣言につき同法一九六条一項、三項を(なお、訴訟費用についての仮執行の申立ては、その必要がないものと認め、これを却下する。)、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官石田 眞 裁判官河合健司 裁判官大西忠重は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官石田 眞)