京都地方裁判所 昭和58年(ワ)1235号 判決 1986年7月24日
原告
重田俊子
被告
有限会社山城自動車教習所
ほか一名
主文
一 被告両名は各自原告に対し、金九四万九四六八円及びこれに対する昭和五八年七月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の各請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告両名の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
1 被告両名は各自原告に対し、金四五四万八五五〇円及びこれに対する昭和五八年七月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告両名の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告両名
1 原告の各請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
(一) 日時
昭和五六年一二月二日午前一一時一〇分頃
(二) 場所
被告会社経営の教習所幹線コース
(三) 態様
原告が教習生として自動車(以下「原告車」という。)を運転し、コース交差点手前で赤信号に従い停車していたところ、同じく教習生として自動車(以下「被告車」という。)を運転し原告車に追随していた被告中尾テル子(以下「被告中尾」という。)が、原告車の後方に停車するに当り、過つてアクセルを踏み、被告車前部を原告車後部に追突させた。
2 被告らの責任
(一) 被告中尾は、ブレーキペタルを踏むべきところ、過つてアクセルペタルを踏み、本件事故を惹起したのであるから、民法七〇九条の規定に基づき、原告が被つた損害を賠償する責任がある。
(二) 被告会社は、被告車を所有し、これを教習の用に供していたのであるから、運行供用者として自賠法三条の規定に基づき、原告が被つた人的損害を賠償する責任がある。
それに、被告会社は、昭和五六年一二月七日付覚書をもつて原告に対し、責に任ずる旨を約した。
3 原告の受傷と治療の経過
原告は、頸椎捻挫の傷害を負い、爾来病院に通院して治療を続けているが、肩の緊張感、背骨の痛みのほか、昭和五七年九月頃から視力減弱、二重視、眼の疲れ及び耳鳴などの症状も続いているところ、これらも頸椎捻挫によるものである。なお、原告は、国立京都病院に通院の途中で治療を中断しているが、その経緯は以下のとおりである。原告が当時の国立京都病院の主治医にはり治療を受けてみたい旨申し出たところ、主治医がそれも悪くないとアドバイスしたので、近くの河本鍼灸院に通院するようになつた。ところが、同鍼灸院の河本鍼灸師が鍼灸治療の効果が判らないので、病院との二重治療を受けないで欲しいというので、原告は、国立京都病院への通院を中止した。その後、被告の紹介による若井鍼灸院や毛利鍼灸院などで治療を受けて約半年間を経過したものの、症状が軽快しないため、昭和五七年一〇月から再び国立京都病院への通院を再開した次第である。
4 損害
(一) 通院慰藉料 一一二万円
昭和五八年六月末日までの通院による慰藉料
(二) 休業損害 三四二万八五五〇円
原告は、主婦であるが、就職するための技術習得として自動車の運転免許取得を目的とし、教習を受けていたのであるが、本件事故に遭つてそれが実現できなくなつた。そこで、原告は、事故当時、三三歳であつたから、賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、年齢階層別平均給与額の該当年齢による平均年間給与額二一六万五四〇〇円を基礎数値として、事故当日から一九か月分の休業損害を算出すると、右の額となる。
5 結論
よつて、原告は、被告両名に対し、各四五四万八五五〇円及び同金員につき履行期到来後である昭和五八年七月二七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 答弁
1 請求原因1のうち、被告中尾が過つてアクセルを踏んだとの点を否認し、その余の事実は認める。
2 同2の(一)のうち、被告中尾が過つてアクセルを踏んだとの点は否認する。
同(二)の事実は認める。
3 同3の受傷の点は、初期の一定期間、頸・背部痛、胸部痛、不眠及び耳鳴などの症状が生じ、昭和五七年一月末日まで家政婦を要する状況であつたことは認めるが、右の症状も同年一〇月二六日までの間に治癒したものである。
4 同4の損害は争う。殊に、慰藉料は一・五か月分として二〇万円、逸失利益も二か月分として三六万〇九〇〇円相当である。
三 抗弁
被告会社は、原告に対し、次のとおり合計一三一万一三九九円を弁済した。
1 治療費 四六万五二五八円(このうち、浜耳鼻咽喉科
昭和五七年二月一六日から同五八年三月分までの治療費五万〇六九〇円、同五七年二月一日から同年一〇月分までの鍼灸院治療費三四万六〇〇〇円)
2 家政婦代 六六万五三八〇円(そのうち昭和五七年二、三月分家政婦代三三万六〇〇〇円〔一日六〇〇〇円、月二八日分〕
3 見舞金等 一〇万三〇〇〇円
4 交通費 三万四四六〇円
5 仮払金 四万三三〇一円
四 抗弁の認否
原告が被告会社から受領したのは、治療費四七万五〇四〇円(治療費のうち浜耳鼻咽喉科分は四万八一九〇円、鍼灸治療費は三四万一〇〇〇円)、家政婦代六三万円、見舞金一〇万円の合計一二〇万五〇四〇円であり、その余は否認する。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 事故の発生
昭和五六年一二月二日午前一一時一〇分頃、被告会社経営の教習所幹線コースにおいて、教習生の原告が原告車を運転し、コース交差点手前で赤信号に従い停車していたところ、同じく教習生の被告中尾が、原告車に追随して被告車を運転していて原告車に追突したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
そして、成立に争いのない甲第二号証(同乙第九号証)、同第二〇号証、証人中田隆司の証言により真正に成立したと認める乙第一〇号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第四五号証、同乙第一二号証、同第一五号証、証人中田隆司の証言及び原告本人尋問の結果によると、原告(昭和二三年一一月二二日生)及び被告中尾は、教習第三段階の無線教習として、それぞれ一人で無線車に乗り、運転技術を習得していたこと、右の事故は、被告中尾がブレーキペタルを右足で踏んで停車する筈のところ、アクセルペタルを踏んだために発生したものであること、もつとも、同被告は、その際、左足でクラツチペタルを踏んでいたから、加速するという事態だけは免れたこと、同被告が加速できる距離は一〇メートルにも満たない状況であつたから、この点だけからも追突の衝撃はそれ程強いものでなかつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
二 被告らの責任
右認定事実によれば、被告中尾は、民法七〇九条の規定に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償する責任がある。
そして、被告会社が被告車を所有し、これを教習の用に供していたことは、当事者間に争いがないから、運行供用者として自賠法三条の規定に基づき、本件事故により原告が被つた人的損害を賠償する責任がある。
三 原告の受傷と治療経過等
1 前掲甲第四五号証(後記措信しない部分を除く)、いずれも成立に争のない乙第一ないし第五号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第二一号証、同第四四号証の一、二、乙第一六号証(後記措信しない部分を除く)、証人中田隆司の証言により真正に成立したと認める乙第一〇号証、証人中田隆司の証言及び原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)並びに鑑定人平澤泰介の鑑定結果を総合すると、原告は、本件事故当日、小田医院において診察を受けたところ、レントゲン線上の所見として頸椎やや硬直、第三、第四頸椎が少し後方にずれているとし、頸椎捻挫の病名により約四週間の安静加療を要すると診断されたこと、ところが、原告は翌一二月三日、大きい病院での診察を経ないと不安であると被告会社に申入れ、同日被告会社差し廻しの乗用車で徳洲会病院に赴き、その整形外科において診察を受け、首筋の痛みを訴えたこと、同外科では、六方向から頸椎のレントゲン撮影をしたうえ、頸椎は正常で第三、第四頸椎のいずれも生理的範囲であると診断したこと、更に、原告は同月九日、国立京都病院での受診を希望し、翌一〇日、被告会社差し廻しの乗用車で右病院に赴き、その整形外科において診察を受け、左右肩及び右上肢がだるい、背部に疼痛があるも運動は可能、嘔気があるが現在は少ないと訴えたのであるが、診察の結果では格別の他覚的所見は認められなかつたこと、しかし、原告は、その後、頸・背部痛、胸部痛、不眠及び耳鳴などを訴え、翌五七年一月一六日までの間に七日間通院して治療を受けたこと、他方、原告は、国立京都病院整形外科で初めて受診した翌日の同五六年一二月一一日に、浜耳鼻咽喉科で診察を受け、耳鳴、難聴を訴え、傷病名混合性難聴、両耳鳴と診断されたこと、また、原告は、同月一二日、安静を確保する必要があるものの、子供が居るため困難であるとし、被告会社に対して家政婦雇入れの承諾を求めたこと、被告会社は、一日八時間で五五〇〇円の家政婦代を負担することにして承諾したこと、そこで、原告は、同月一四日から家政婦を雇つたものの、同月二一日同家政婦に対する不満から断つたのであるが、翌五七年一月一一日になつて、これまでも世話になつている原告の母及び姉に家政婦代りとして世話をして貰いたいので承諾して欲しいし、これまでに世話になつた分の費用も負担して貰いたいと申入れ、一日六〇〇〇円として被告会社の承諾を得、翌一二日被告会社から遡及の二〇日分一二万円を受領したこと、そして、原告は、昭和五七年一月一九日、被告会社差し廻しの乗用車で国立京都病院に赴き、整形外科で治療を受けたのであるが、その前日被告会社に鍼灸治療を受けたい旨の申入れをし、同月二〇日には右病院への通院をやめて当分鍼灸治療を続けると言い、被告会社から紹介を受けた河本接骨院、続いて若井鍼灸院、更に毛利鍼灸院などで治療を受けたのであり、その間の同年三月三〇日頃、原告側から家政婦を必要としない状態になつたから、同月二八日をもつて打ち切つて貰つて良いとの連絡もあつたが、なお症状が軽快しないとして同五七年一〇月二六日から、再び国立京都病院整形外科で診察を受け、二重視や舌のしびれ、頸部を右に廻すと痛むなどと訴えたが、検査結果では格別異常がなかつたものの、引き続き原告が本訴で主張している昭和五八年六月末日までの間に、平均一か月に二回前後通院して診察を受けていること、なお、原告は、国立京都病院への通院を再開した機会に同病院眼科の紹介を受け、同五七年一一月八日受診しているが、視力は良好で格別はつきりした変化がなく、主訴は鞭打ち症の症状と思われると診断されたこと、また、原告は、前叙のとおり、昭和五六年一二月一一日、浜耳鼻咽喉科で受診以来、同五八年六月末時点まで、長期に亘り中断なく通院治療を受けていること、以上の事実を認めることができ、この認定に反する甲第四五号証、乙第一六号証の各記載部分及び原告本人の供述部分は採用できず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。
2 ところで、いずれも成立に争いのない甲第三〇号証の一、二、同第三一号証の一ないし三、同第三四号証の一、二、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第三三号証によると、昭和六〇年八月三〇日付で国立京都病院整形外科医師石田勝正は、原告の自覚症状として肩こり、項部痛、頭痛、左上肢脱力感、左手指異常知覚及び不眠症、他覚症状としてジヤクソンテスト陽性、スパーリングテスト陽性(両側)、腕神経叢圧痛陽性(両側)及び両手掌発赤(右の方が強い)をそれぞれ挙げ、それらは頸椎捻挫によると思われるとし、現状では車を運転する労務に服することが困難であると思われると判断していること、ほぼ同じ頃同病院眼科医師浅山邦夫は、原告の遠視が両眼ともプラス〇・二五ジオプトリーで、交通事故の一症状と判断していること、また、昭和六〇年九月一四日原告を診察した上京病院医師姫野純也は、原告が車の運転やかなりの重量の物品取扱に若干の支障が生ずる身体的状況であると判断していること、更に昭和五八年一一月一日国立京都病院で原告を診察した医師三好豊は、同六〇年一二月六日付で、内耳機能や眼運動機能に異常を認めないが、軽度の立直り障害を認めるとし、脳幹機能障害を示唆する検査所見として、開眼・閉眼ともに身体的動揺が大であり、追突事故後にしばしば見られるのと同タイプの病状であると判断していること、以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
3 しかし、鑑定人平澤泰介の鑑定結果によると、同鑑定人は、原告の検査結果、原告の本件事故後のカルテ、レントゲン写真などの資料を検討したうえ、原告の症状は主観的な症状が中心となつており、鑑定時点でこれを他覚的に証明することは困難であること、しかし、症状自体は否定できず、その遷延の理由は、痛みに伴う神経的加重、自律神経失調、心因性反応ないし神経症、心身症的要因などが複雑に絡み合つて生じたものと推定し、整形外科の治療を中止した昭和五七年一月一九日より再診を開始した同年一〇月二六日の間に、本件事故による症状は治癒していることが認められる。
以上の認定事実に、さきに認定した本件事故の状況に鑑みると、平澤鑑定人が原告の症状につき心因的傾向を指摘する点は正鵠を射ているものというべく、右(2)で認定した諸見解はこの心因的傾向に災されたものとして左袒し難い。そこで、以上の説示を総合し、原告が家政婦を必要としなくなつたと申出た昭和五七年三月三〇日から三か月余を考慮した同年六月末日をもつて、原告の本件事故による症状は治癒したと解するのが相当である。
四 損害
1 通院慰藉料
以上の説示によれば、通院慰藉料は六〇万円をもつて相当と認める。
2 休業損害
原告本人尋問の結果によると、原告は、本件事故以前、パートとして稼働していたこと、有利な稼働先を得るため自動車の運転資格取得の教習を受けていて、本件事故に遭遇し、就職の機会を逸したことが認められる。
そこで、原告が本件事故当時三三歳であつたこと、本件事故による受傷の治療経過をも考慮し、昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、年令階層別平均給与額の該当年齢による平均年間給与額二一六万五四〇〇円を基礎数値とし、事故当日から七か月を要休業期間として損害額を算定すると、一二六万三一五〇円となる。
五 弁済の抗弁
被告会社が原告に対し、治療費四六万五二五八円(そのうち浜耳鼻咽喉科分四万八一九〇円、鍼灸治療費分三四万一〇〇〇円)、家政婦代六三万円及び見舞金一〇万円を弁済したことは、当事者間に争いがなく、前掲乙第一六号証によると、被告会社が昭和五七年一月一一日に、交通費の仮払として原告に三万円を交付した事実が認められるけれども、被告会社が主張するその余の弁済については、確たる立証がないから排斥を免れない。
ところで、前叙のように原告の受傷は昭和五七年六月末日をもつて治癒したものと認められるのであるから、その後の治療費分は不要に帰したものとして他の損害に填補されるべきであるし、家政婦が原告の前記にいう休業を補充する機能を有することは明らかであるから、その費用分が休業損害の填補となることは否定できない。そして、その費目に当てられたとみられる交通費の仮払分を除き見舞金もその額に鑑みると損害填補の性質を有するというべきである。
そこで、不要に帰した治療費分を確定しなければならないところ、月日別の支払細目が明らかでないから、昭和五七年七月分以降の治療費を月割計算することにより算出することとし、これによると、浜耳鼻咽喉科治療費分三万二一二六円(円未満切捨)、鍼灸院治療費分一五万一五五六円、合計一八万三六八二円となる。
したがつて、弁済充当されるべき合計額は九一万三六八二円となり、これを控除すると、原告の残損害は九四万九四六八円となる。
六 結論
以上の次第であるから、被告両名は各自原告に対し、損害金九四万九四六八円及び同金員につき履行期到来後である昭和五八年七月二七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負担しているというべく、この限度で原告の本訴各請求は理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却する。
よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石田眞)