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京都地方裁判所 昭和58年(ワ)315号 判決 1984年6月19日

原告

川勝平

ほか一名

被告

東京海上火災保険株式会社

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告各自に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年三月一〇日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

訴外北村紀男は、昭和五六年八月一三日午前零時五分頃、普通乗用自動車(京五六む四九四五号、以下本件自動車という。)の助手席に原告らの二男川勝豊(当時一八歳、以下亡豊という。)を同乗させ、これを運転して京都府亀岡市篠町王子西ノ山四番地先国道を京都方面から園部方面に向かつて進行中、折から対向してきた訴外吾郷益男運転の大型貨物自動車(島根一一き二六七二号、以下吾郷車という。)に衝突し(以下本件事故という。)、この事故によつて右豊は頭蓋底骨折等の傷害を受け、その結果事故の約一五分後に脳挫傷により死亡した。

2  責任原因

訴外北村紀男は、本件自動車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた。

3  保険契約

訴外山口豊吉は、被告との間に、本件自動車について、契約者を山口豊吉、保険者を被告、保険期間を昭和五五年五月二七日から同五七年五月二七日までとする自動車損害賠償責任保険(以下自賠責保険という。)の契約を締結していた。

4  損害

原告らは亡豊の実父母でその相続人であるところ、原告らの損害を自賠責保険の算定方法により算出すると次のようになる。

(一) 逸失利益

一八歳男子有職者の被扶養者なしの場合

一一万七二〇〇円×一二か月×〇・五×二四・四一六=一七一六万九三三一円

(二) 葬儀費用 四〇万円

(三) 亡豊本人の慰謝料 二五〇万円

(四) 原告ら固有の慰謝料 四五〇万円

以上合計 二四五六万九三三一円

よつて、原告らは被告に対し、それぞれ自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)一六条一項に基づき保険金額の限度金二〇〇〇万円の範囲内で各金一〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年三月一〇日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因のうち、本件自動車の運転者が訴外北村紀男であつたとの点は否認し、その余の事実はいずれも認める。

なお自賠法一六条に基づく請求権は、損害賠償請求権であつて保険金請求権でないから、年六分の遅延損害金は発生しない。

三  抗弁

本件事故当時、本件自動車を運転していたのは亡豊であつたから、亡豊は自賠法三条にいう「他人」に該当せず、従つて原告らは損害賠償請求権を有しない。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因については、本件事故当時本件自動車を運転していたのが訴外北村紀男であることを除いてすべて当事者間に争いがない。

二  ところで被告は、本件事故当時、訴外北村紀男が本件自動車を運転していたことを否認し、本件事故は亡豊が本件自動車を運転中発生したものであるから、亡豊は自賠法三条の「他人」に含まれず、従つて原告らは損害賠償請求権を有しない旨主張し、証人北村紀男は本件事故当時本件自動車を運転していたのは亡豊で、自ら助手席にいた旨これにそう証言をしているので以下右証言の信用性につき検討する。

1  原本の存在とその成立に争いのない甲第一号証、いずれも成立に争いのない同第二号証、同第七号証ないし同第一一号証並びに証人藤原征二及び同北村紀男の各証言によれば、次の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  本件事故現場は、京都市方面(東方)から船井郡八木町方面(西方)に通ずる国道九号線路上であるが、同所付近は片側一車線(京都市方面から八木町方面へ向かう車線の幅約三・三メートル、反対方向の車線の幅約三・三五メートル)で、右現場の北側には同所付近から東方にかけて幅約五・一五メートルの、右現場の南側には同所付近から西方にかけて幅約三・五メートルの各待避車線があつて、八木町方面に向かいやゝ下り勾配の直線アスフアルト舗装道路からなつていること、

(二)  本件自動車は、本件事故当時京都市方面から八木町方面に向かい進行していたが、高速運転のために操縦の自由を失い、事故現場手前約二三・一メートルの地点から対向車線に暴走をはじめ、折から対向してきた吾郷車の右前部に自車左前部を激突させたこと、一方吾郷車はその頃八木町方面から京都市方面に向かい時速約四〇ないし四五キロメートルの速度で進行していたが、暴走してくる本件自動車を認め、直ちに急ブレーキをかけるとともに左にハンドルを切つたが、右のように衝突し、衝突後約二・一メートル東北方向に進んで停止し、他方本件自動車は進行方向右側にほぼ一回転して衝突地点より約八メートル南西の地点に前部を西方に向けて停止したこと、

(三)  その際本件自動車に乗車していた北村紀男(以下紀男という。)及び亡豊の両名は、本件自動車より投げ出され、亡豊は衝突地点から約一・五五メートル西南の地点に頭部を西方に向けて倒れており、紀男は亡豊の位置から東南の衝突地点から約二・一メートルの地点に座り込んだ状態でいたこと、

(四)  本件自動車は、右衝突により左前フエンダーの車体内側に〇・七メートル、後方に〇・五メートル凹損、前輪(左右とも)の右に曲損、ラジエター、エンジン、前ウインドーガラスの破損、車体前部ボンネツト部全体の右へ〇・二メートル曲損、左側ドア、ボンネツト、右側フエンダーの車体より離脱ハンドル取付部の曲損(左方へ〇・一メートル)運転席背もたれの取付部から折損(助手席側に約四五度曲損)等の損傷を受けたこと、

(五)  本件事故により、紀男は頭部外傷、顔面挫傷、右手・右下腿・左下腿挫滅創、左肩打撲挫傷、右背部挫傷の傷害を受け、その結果本件事故当日から昭和五六年九月一三日まで入院し、同月一四日から同年一〇月二〇日まで通院して治療した一方、亡豊は頭蓋底骨折、脳挫傷、全身打撲及び擦過傷により本件事故当日の昭和五六年八月一三日午前零時二〇分に死亡したこと、

(六)  本件事故直後本件自動車運転席の床には亡豊所有の赤色布製スリツパ一組が、助手席床には紀男所有の黒色ビニール製サンダル(右足用のもの)が残留していたこと、なお本件自動車の運転席と助手席との間には高さ約二〇センチメートルのコンソールボツクス及びチエンジレバーがあつたこと

2  また証人中田孝已の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一並びに同証人及び証人藤原征二の各証言によれば、事故発生の若干前に、紀男らの友人である山口道明及び堤信行の両名は、京都河原町三条付近の路上で、本件自動車の運転席に亡豊が、助手席に紀男がいたのを目撃した旨警察の取調や被告から依頼を受けた調査員の調査において述べていること、事故直後、警察官である証人藤原が現場において紀男に運転者が誰かを尋ねた際、紀男は亡豊が運転者であつた旨を述べにいたのみならず、警察の取調において紀男は終始一貫して運転者は亡豊である旨述べていることが認められる。なお原告川勝平本人尋問の結果中には、右山口及び堤等とともに本件自動車を目撃している高向久夫が運転席には紀男がいたと述べている旨の供述部分が存するが、前記乙第一号証の一並びに証人中田孝已の証言と対比して直ちに採用し難い。

3  以上のような事実関係のもとに、本件自動車の運転者を検討するに、山口道明及び堤信行の両名は事故発生の当夜、本件自動車に出会つた際、運転席にいたのは亡豊であつたのを目撃した旨供述しているうえ、本件自動車の運転席と助手席との間には、高さ約二〇センチメートルのコンソールボツクス及びチエンジレバーがあつたことが認められ、運転席の床に存在していた物体と助手席の床に存在していた物体とが衝突の態様に照らしてもその衝撃によりその位置を交換的に移動するとは考え難いところ、事故直後運転席の床には亡豊所有のスリツパが、助手席の床には紀男所有のサンダルが残留していたのであるから、事故当時、本件自動車を運転していたのは亡豊であつたことを強く推認させる(なお原告らは、紀男と亡豊との間で事故前に履物が交換された可能性がある旨主張するが、これを肯認すべき証拠はない。)。加えて紀男は事故直後の衝撃間もない頃の警察官藤原の問に対して運転者は亡豊であつた旨を供述しているのみならず、その後も終始一貫して同趣旨の供述をしていることを総合して考察すると、証人北村紀男の前記証言は十分信用することができるものといえ、本件自動車の本件事故当時の運転者は亡豊であつたと認めることができる。

従つて亡豊は自賠法三条にいう「他人」には該当しないから、同法三条の保有者の賠償責任は発生しない。

4  ところで、原告らは、本件自動車が紀男の所有であり本件自動車を入手して間もなかつたこと、本件自動車の破損状況及び紀男と亡豊との負傷程度、紀男と亡豊との転落位置から、本件自動車の運転者が紀男であつた旨を主張するので、以下検討を加える。

(一)  本件自動車の所有者が紀男であることについては当事者間に争いがなく、証人北村紀男の証言によると紀男が本件自動車を入手して間もなかつたことを認めることができるが、同証人の証言によれば、紀男と亡豊は親友でいずれも車の好きな若者であつて、紀男は以前より亡豊が本件自動車の運転をしたがつていたため、本件事故の日の前日の夜その申し入れで亡豊に本件自動車を運転させたものであることが認められる。

(二)  前記1(二)及び(四)認定の事実よりすれば、本件自動車は衝突により左前部(助手席側)に強い衝突を受けた後右方へ回転したことが推認され、前記1(五)認定の紀男と亡豊との負傷程度を合わせ考慮すれば、亡豊は助手席にいたのではないかとの疑問が一応生じないではない。しかしながら、本件自動車が衝突によつて直接的な衝突を受けたのが左前部であるとしても、前記認定の本件事故の態様、本件自動車の破損状況から考えて、運転席においても相当の衝撃を受けたことが推認されるとともに、本件自動車は右カーブを描きつつ衝突地点へ進行していつたことを認めることができるところ、助手席にいた者は、助手席ドア側に押しつけられる形になることが考えられ、本件の場合のように左側ドアが外れた場合には、それが衝撃を緩和し助手席にいた者が重傷を受けないことも十分考えられるのであつて、原告主張のように本件自動車の破損状況と紀男、亡豊の負傷状況から負傷程度の重大な亡豊が助手席にいたとは直ちにはいゝ難い。

(三)  また、本件事故の態様及び衝突後における紀男と豊との転落位置は、前記1(二)、(三)認定のとおりであり、原告は両者の転落の位置関係から亡豊が助手席にあつた旨を主張する。

しかしながら、証人藤原征二の証言によれば亡豊は左側ドアの開口部かあるいはフロントガラス部分のいずれからか車外に転落したものと認められるが、前記認定の本件自動車の破損状況、亡豊の負傷状況に照らすと亡豊はフロントガラス部分から路上に転落したものとも考える余地があるから、右転落の位置関係をもつて亡豊が助手席にあつたとは直ちにはいゝ難い。

(四)  畢竟、原告ら主張の点をもつては亡豊が本件事故当時本件自動車を運転していたとの前記認定を左右するには足りないものというべきである。

三  結論

よつて、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小山邦和)

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