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京都地方裁判所 昭和59年(ワ)1450号 判決 1992年7月17日

主文

一  被告小屋美津彦及び被告ユニチカ株式会社は各自、原告福田信子に対し、金五三六六万八二三〇円及びこれに対する昭和五九年三月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告小屋美津彦及び被告ユニチカ株式会社は各自、原告福田彩子及び原告窪田浩子に対し、各金二三八三万四一一五円及びこれに対する昭和五九年三月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告小屋美津彦及び被告ユニチカ株式会社に対するその余の請求並びに被告藤森克彦に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告らと被告小屋美津彦及び被告ユニチカ株式会社との間で生じた分を九分し、その三を原告らの負担とし、その余を同被告らの負担とし、原告らと被告藤森克彦との間で生じた分は原告らの負担とする。

五  この判決は、第一、第二項に限り、仮に執行することができる。

理由

一  請求原因1(当事者)及び2(死亡に至る経緯)の事実は、当事者間に争いがない。

二1  徹の死亡に至る経緯

前示一の当事者間に争いのない事実に加えて、《証拠略》によると以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  徹(身長一六八センチメートル、体重五三キログラム)は、昭和五九年九月ころから、胸やけ等を感じ、時々胃液様物を吐出するようになり、同年一一月ころから背中・胸部に詰つた感じや刺すような痛みを覚えるようになつた。昭和五九年一月ころから、右症状が強度となり、食欲不振、嘔吐(二、三日に一回の割合)が現れ、タール便を排出した。そして、徹は、同年二月ころから全身脱力感を覚え、同年三月始めころから、悪心、嘔吐に加え、胸部圧迫感を感じるようになり、タール便を少量排泄した。ところで、徹は、昭和四三年ころ、京都第一赤十字病院に胃潰瘍の治療のため入院し、また、本件より七、八年前に京都大学附属病院の泌尿器科で嚢胞腎と診断されて診療を受け、いずれも軽快したものの、諸検査に伴う苦痛のため病院を避けるような態度をとつており、また、大学の仕事の多忙も加わつて、病院での診察を受けることなく過ごしていたが、仕事が一段落したことと家族の説得もあり、昭和五九年三月七日、徹は、全身脱力感、食欲不振、頭重感、口渇、動悸、腹痛等を訴えて、訴外故倉毅医師(以下「故倉医師」という。)に往診を頼んだ。故倉医師は同日から同月一二日までの間、徹の診療にあたつたところ、三月七日には皮膚貧血気味、脈拍やや頻数、胸郭型多呼吸、心音やや亢進、眼結膜貧血、タール軟便等、同月九日には悪心嘔吐及び下肢脱力感の増大、同月一〇日には強い口渇感、タール軟便の多量排泄、全身並びに下肢の脱力感の増大等との所見を得、胃十二指腸潰瘍の増悪あるいは胃癌の疑いによる消化管出血、貧血等の診断を下し、点滴を施行しつつ経過観察を行うことにして、生理食塩水五〇〇ミリリットル、ビタミン剤(ビタノイリン)五〇ミリグラム等の点滴を三月七日から同月一一日までの間に行い、同月一二日には、ソリタT3号五〇〇ミリリットル、ブドウ糖加混合アミノ酸製剤(プラスアミノ)五〇〇ミリグラム等の点滴を行つた。しかし、故倉医師は、徹の全身脱力感及び局所の症状が幾分落ち着いてきたものの、好転するには至らなかつたので、徹に対し、高度の精密検査及び治療のために被告病院へ入院することを勧め、被告病院を紹介した。徹は、家人の勧めもあつて被告病院での精査入院を受けることを決意した。

徹は故倉医師の往診治療を受けている期間中、家で連日原稿を書いたり見直したりする仕事をしており、三月一二日には午後九時半過ぎころまで翌日からの入院を知らせるため電話連絡を行い、午後一〇時ころから同一二時近くまで原稿の見直しを行つていた。そして、徹は、被告病院入院当日である同月一三日午前六時に起床し、原稿の見直しをした後、午前九時三〇分ころ、被告病院へ赴いた。被告病院へ赴くに際し、徹は、自ら車を運転して行くことを家人に申出たが、家人は車の駐車の件で病院に迷惑を掛けてはいけないとの思いから、タクシーを利用した。

(二)  昭和五九年三月一三日午前一〇時ころ、徹は、故倉医師の紹介のもとに被告病院を訪れ、三〇分間程待たされた後、名前を呼ばれ、胸部レントゲン撮影、身体測定、採血、心電図等の一般的検査を受けるようにとの指示を受けた。徹の顔色が随分青ざめていたので、看護婦は「貧血がひどいから車椅子を持つてこよう。」といい、徹は車椅子で検査室に移動し、右一般的検査を受けた。

右一般検査的の結果、体温は三七・五度、脈拍五八回/分、血圧九四/六〇mmHg(R)、九六/六八mmHg(L)、顔色不良、爪床・眼結膜蒼白、ふらつき、全身脱力感著明、血液検査によると、赤血球数(RBC)一九三万個/立法ミリメートル(正常値四一〇万ないし五三〇万個/立法ミリメートル)、血色素量(Hgb)四・五g/dl(正常値一三・〇ないし一六・八g/dl)、ヘマトクリット(血球容積)値一五・〇パーセント(正常値三九ないし五二パーセント)、血漿蛋白分画検査によると、アルブミン三・一八g/dl(正常値三・六四ないし五・五八g/dl)、血漿総蛋白五・四〇g/dl(正常値六・五ないし八・五g/dl)、血液生化学検査によると、血中尿酸窒素(BUN)三〇mg/dl(正常値八ないし二〇mg/dl)、CRP(+++)等の所見が得られた。したがつて、徹は、被告病院入院時において高度の貧血、脱水及び全身衰弱であることが明らかであつた。

(三)  同日午前一一時四五分ころ、被告藤森は徹を診察し、問診、身体所見、血液検査結果等から、徹の貧血、脱水、全身衰弱の原因について、上部消化管(胃・十二指腸)からの出血を疑い、その日のうちに輸血を行う必要があるとして赤血球濃厚液六パック(一パック当たり二〇〇cc)を京都府赤十字血液センターから手配するよう婦長に対して指示し、また、訴外平松通徳医師(以下「平松医師」という。)に対しても直ちに胃及び十二指腸の内視鏡検査を行うよう指示した。平松医師は、徹のバイタル・サイン(呼吸・脈拍・血圧)をチェックした上、内視鏡検査を実施したところ、胃角部口側小彎に白苔(潰瘍底を覆つている壊死物質《粘膜、死んだ表皮細胞等》が溜まつたもの)に凝血が付着している深く大きい潰瘍、十二指腸球部前壁に白苔に凝血が少量付着している深く大きい潰瘍、胃角部口側前壁に深く小さい潰瘍を認めたものの、毛細血管から滲み出した少量の出血があり、胃カメラを抜去する時点までに止血したので、動静脈性の重篤な出血ではないことを確認したことから、徹に対し十二指腸潰瘍及び多発性胃潰瘍と診断した。加えて、平松医師は、現在徹に出血所見が認められなかつたこと、潰瘍底を覆う白苔上に静脈・動脈の血管が露出している部位が認められなかつたこと、動脈性出血の場合にみられる噴出性出血が認められなかつたことから、徹において直ちに急激な動静脈性の出血の可能性は低いと判断した。内視鏡検査が終わつた時点での徹の血圧は九八/四〇mmHg、脈拍は七六回/分(但し、不整脈がみられた。)であつた。

被告藤森は、平松医師からの内視鏡検査所見を受けた上で、徹の胃及び十二指腸潰瘍の治療として、まず、徹の全身状態の回復を優先し、保存的療法(内服薬、点滴、食事療法等)で経過観察をすべきであると診断した。なお、被告藤森は、現実に徹に出血所見がなかつたこと、高度の貧血が認められたが循環器系による代謝機能が働いていると見受けられたことから、輸血の必要はあるものの、その後の診療に先立つまでの緊急性はないと判断した。被告藤森は午後〇時過ぎころ、被告小屋を徹の主治医に指名し、徹には消化管出血による高度の貧血があること、全身衰弱・嘔吐・嘔気がひどく食事が喉を通らないこと、徹の全身状態が悪いので輸血で改善するべく輸血用の血液を既に注文したこと、保存的療法にて経過観察を行うことが妥当であること等を伝えて外出した。

(四)  同日午後〇時三〇分ころ、被告小屋は、徹及び原告信子に対し既往歴、現病歴を聞いた上、血液検査結果等を踏まえて、徹の胃・十二指腸潰瘍の治療につき、現在出血所見がなく緊急手術を施行しなければならない状況ではないこと、全身状態が悪く手術に耐えられる状態ではないことから、保存的療法が適当であると判断し、まず、慢性的な低栄養状態を改善するために中心静脈栄養法を実施する方針をたてた。また、被告小屋は、同時に徹及び原告信子に対して、消化管出血からと思われる高度の貧血が認められること、一月にタール便(下血)があつた段階で医者の診療を受けるべきであつたこと、今後再出血があると命の保証はできないこと、全身衰弱が激しく嘔吐・嘔気があることから、また、保存的療法として絶食治療を行うためにも非経口的栄養補給をする必要があること等を説明した。

午後〇時五〇分ころ、被告小屋は、中心静脈栄養法を実施する前提として徹の脱水状態を改善し血管を確保するために、左前腕の静脈からエラスタを挿入し、輸液(ソリタT1五〇〇ミリグラム)等を点滴投与した。

午後一時二〇分ころ、被告小屋は、右側鎖骨付近に局所麻酔(キシロカイン七cc)を施した後、同鎖骨下方付近から穿刺針で鎖骨下静脈穿刺を三、四回程試みたが鎖骨下静脈を穿刺することはできなかつた。被告小屋は、続いて同鎖骨上方から穿刺針による穿刺を二、三回程試み、最後は鎖骨下静脈を穿刺したが、カテーテルを挿入することはできず、結局、鎖骨下静脈穿刺法はいずれも失敗に終わり、高カロリー輸液を中心静脈に注入するには至らなかつた。この間、徹には不整脈等の著変は認められなかつたが、看護婦巽喜美子の手を握り締め、「こわい。」「いやだ。」と絶えず言葉を発していた。最後に被告小屋が注射針を刺入しようとしたところ、徹は、「痛いから止めてくれ。」といい、刺入部である右肩を動かしたので、午後一時三五分ころ、被告小屋は鎖骨下静脈穿刺法を中止し、徹の病室から退出し、外来の診察に赴いた。なお、鎖骨下静脈穿刺法を行う直前の徹の血圧は九二/六八mmHgであつた。

被告小屋が徹の病室を退出してから三ないし五分経過して、徹は、顔を歪めて急に大きな声で「痛い。痛い。」「腰から足が痛い。」と言い、身体をのけ反らして苦しみ出した。午後一時四五分ころ、徹は顔から両腕にかけて冷や汗を急に発散させ、「もう駄目な気がする。おしまいだ。」といい、血圧は四六/三〇mmHgと下がり、ショック状態に陥つた。

同五〇分ころ看護婦から連絡を受けた被告小屋ら被告病院医師が徹の病室に赴いて、ショック状態への救急治療として、副腎皮質ホルモン剤(ハイドロコートン五〇ミリグラム)及び昇圧剤(アラミノン三アンプル)を静脈側管に注入した。午後二時ころ、徹は「腰から足痛い。痛い。苦しい。」といい、口から淡赤性様物三〇ミリリットル程がちびりちびりと自然に流れ出るように出た上、脈拍は七二回/分、血圧は七二mgHgと上昇し、午後二時五分、血圧は九〇mgHgとなり、不安が強くみられ興奮が増してきた。被告小屋らは、徹の右足からエラスタを挿入して血漿増量剤(サビオゾール三六滴/分)、抗不安剤(ホリゾン五ミリグラム)を点滴投与する等してショックの治療に努めたが、午後二時一〇分、徹は「故倉先生に騙された。」との言葉を最後に残して意識を喪失し、同一一分、自力呼吸が停止した。呼吸停止に至るまでの間、徹は息苦しそうにゆつくり深く肩で喘ぐように呼吸を行つていた。また、午後二時以降、次第に徹の腹部に膨満がみられるようになつた。

その後、被告小屋らは次のような処置をした。

午後二時一一分に徹の呼吸(自力呼吸)が停止したので、気管内チューブを挿入し人工呼吸を実施した。同一五分には血圧の測定が不能となり、院内にあつた外科病棟の他の患者に使う予定の血液を急遽流用して輸血し(その後、午後二時二〇分、同三時一〇分、同四時五分にも輸血を行つた。)、心マッサージを開始した。午後二時二〇分、気管挿管を行つた。心マッサージを停止すると血圧は低下する状態が続き、午後二時三四分には瞳孔が散大し、手の爪が蒼白になつた。午後二時二七分、メイロン二アンプル及びノルアド一アンプルを静脈側管注射し、同四五分ころから強心剤(ボスミン)を連続投与した。

午後四時一五分、心臓が停止して徹は死亡した。

2  中心静脈栄養法及び鎖骨下静脈穿刺法について

(一)  鑑定の結果によれば、徹の入院時に栄養障害がみられ、また、胃潰瘍創面の治療転機も促進させることが期待され、輸液法の好適応であつたことが認められ、被告小屋が鎖骨下静脈穿刺法による輸液療法を治療の一手段として考えたこと自体は相当である。

(二)  《証拠略》によると以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 中心静脈栄養法(高カロリー栄養法)とは、外傷、消化管出血その他の原因でカロリー喪失が顕著で栄養の経口摂取が不可能あるいは不都合な患者に対し、上大静脈内に留置したカテーテルを通じて高濃度栄養液(高張グルコース、アミノ酸等)を持続点滴することで患者の栄養状態の改善を図る方法をいう。

右栄養法を実施するにあたつては患者の病歴を十分に聴取し、また、全身状態を確実に把握しておくことが必要であり、貧血、脱水症などがある場合はこれを改善してから実施することが望ましい。

上大静脈へのカテーテル挿入の経路として大腿静脈、肘静脈、頭静脈、内頚静脈、鎖骨下静脈等が使われるが、血管結紮のないこと、中心静脈までの距離が短いことが望ましいことから鎖骨下静脈及び内頚静脈からカテーテルを挿入する法が広く行われている。カテーテルの留置施行を行う手技としては経皮的直接穿刺法(鎖骨下静脈あるいは内頚静脈に直接穿刺針を刺入し、これを通じてカテーテルを挿入留置するもの。)と皮膚切開法があり、このうち、鎖骨下静脈に直接穿刺針を刺入してカテーテルを挿入留置する手技を鎖骨下静脈穿刺法という。

(2) 鎖骨下静脈穿刺法は、患者を軽い骨盤高位仰臥位(Trendeleburg体位)に保ち、局所麻酔を施した後、注射筒を接続した針で鎖骨の中間点辺りを刺入し、穿刺針を進めながら鎖骨下静脈の位置を確認する。血液の逆流を認めたところが鎖骨下静脈であるから、血液が抵抗なく逆流する位置を見出したら、穿刺針を固定し、注射筒を外し素速くカテーテルを挿入する。穿刺針を抜去し、カテーテルの先端を上大静脈の中間点まで挿入した後に皮膚に固定する。

(3) 鎖骨下静脈穿刺法の合併症としては、気胸(穿刺針で肺を損傷することによつて胸膜腔に空気が貯留し、肺を圧迫して呼吸困難等の症状を発症させる疾患)、血胸(鎖骨下静脈を穿刺することで胸膜腔内に血液が溜留し、出血に伴う症状《ショック》、肺心臓の圧迫に伴う心肺機能不全の症状《呼吸困難、チアノーゼ、O2欠乏、CO2蓄積の症状、心拍出量の減少》を発症させる疾患)等がある。

(4) 鎖骨下静脈は、一・五ないし二・五センチメートル口径の大静脈であり、解剖学的な位置異常はほとんどなく、鎖骨と第一肋骨の間に固定されていることから、胸骨の中点より二、三センチメートル下から胸骨の中央に向けて、鎖骨と第一肋骨の間を目掛けて穿刺すると九五パーセントの確率で鎖骨下静脈に到達し、合併症である気胸の発生率は二、三パーセント、血胸の発生率は〇・五ないし二パーセント程度である。しかし、患者が死亡する例は稀であり、殊に適切な救命措置がなされておれば死亡することはない。患者によつては鎖骨下静脈の位置がずれている場合があること、患者に脱水症状がある場合は静脈が細くなつていることがあること、鎖骨下静脈穿刺法は見えない鎖骨下静脈を穿刺針で探りながら穿刺するものであるから施術者の解剖学的知識、熟練度等よりその成功率が左右されることはもちろん、熟練者が充分に注意しても必ず防止できるものではない。鎖骨下静脈穿刺の手技に当たつては、鎖骨下静脈の血管の走行の変化及び閉塞の有無の確認をすることの他、高度の脱水がある場合は末梢静脈からの点滴等により脱水補正に努め、二、三回目の穿刺で静脈を確認できない、あるいはカテーテル留置に成功しない場合は、術者を代わる、反対側で試みる、皮膚切開法に変更することを考慮すべきである。殊に、最初の操作で血管は収縮し、極めて小さな目標になり、二回以上繰り返すと穿刺に伴う合併症の発症率は高くなるから、鎖骨下静脈穿刺手技を何度も繰り返すことは避けるべきである。

三  徹の死亡の機序

1  前示二のとおり、徹は被告病院入院後、午後一時三五分から同四〇分の間に苦痛を訴え始め、同四五分には重篤なショック状態に陥り、午後二時一一分に自力呼吸が停止し、午後四時一五分に心臓が停止して死亡したものであるが、まず、右ショックの発生原因につき検討する。

(一)  被告らはショックの発生原因について、胃あるいは十二指腸潰瘍からの再出血であるといい、その根拠として、<1>徹は被告病院入院前である昭和五九年三月一一日に大量のタール便(下血)を排泄していた上、バッファリンを服用していたことから、徹の胃及び十二指腸潰瘍は大量かつ急激な出血を来しやすいものであつたこと、<2>午後二時過ぎころから徹の上腹部に膨満がみられたが、これは胃あるいは十二指腸からの出血が胃に貯溜したことの徴表であること、<3>ショック状態に陥つた後である午後二時ころ淡赤性様物を吐出しており、これは、胃・十二指腸からの出血に伴う吐血とみられること等と主張する。

しかし、《証拠略》によつても、胃あるいは十二指腸潰瘍による出血はなかつたことが認められる。

<1>の点であるが、《証拠略》によると、一般的に胃あるいは十二指腸潰瘍による急激かつ大量の出血が生じ、それが動脈性による出血の場合は、内視鏡検査において噴出性の出血がみられるものであり、また、静脈性の出血であれば静脈血管の露出が潰瘍底に確認できるものであることが認められるところ、前示二1(三)のとおり内視鏡検査において徹の胃及び十二指腸に右のような状態を認めることできず、三月一一日の大量タール便の排出を根拠に胃及び十二指腸潰瘍からの動脈性あるいは静脈性の再出血であると推認し難いといわざるを得ない。ところで、《証拠略》によると胃及び十二指腸からの大量出血が生じている場合に心マッサージを行うと一般に大量の吐血あるいは下血がみられることが認められるが、本件の場合、徹には心マッサージ後においてそのような大量新鮮血の吐血がみられなかつたこと、徹の出血が下血傾向を示すものであるにしても、ショック後死亡に至るまで下血を窺わせる事情がないことからすると、胃及び十二指腸潰瘍からの大量かつ急激な再出血をもつて徹のショックの発生原因であると考えることは困難である。

更に、被告らの主張する<2>については、《証拠略》によると、胃及び十二指腸潰瘍の患者の腹部に膨満が生じることは、胃内に血液が貯溜する場合に限らず、急性胃拡張(高度の胃の麻痺性拡張のことをいい、胃内に大量の胃液等の貯溜が急激に起こることによる疾患で、全身衰弱のみられる症例において発症する疾患)等の場合にも見られること、また、<3>について、《証拠略》によれば、吐血の場合は、一般に胃内で胃酸により血液が褐色に変化し、コーヒー残渣様を呈しているおり、胃内の残消化物等の混入物が見られるところ(但し、大量かつ出血直後の吐血であれば血液の色調に変化は起こらず新鮮血が吐出されるが、消化管内の大量出血が認められないことは既に述べたとおりである。)、前示二1(四)のとおり徹の排出した淡赤性様物に胃酸による色調変化や混入物が認められず、また、他に吐血であると疑わせる事情もないことからすると、被告らの右主張は採用するに至らないものといわざるを得ない。

(二)  ところで、前示二2(二)(4)のとおり鎖骨下静脈穿刺手技の合併症として血胸があり、その血胸の発症率は〇・五ないし二パーセントであるが熟練者が充分に注意して行つても必ず防止できるものではないものであるところ、前示二1(四)のとおり被告小屋は右手技として午後一時二〇分ころから同三五分までの十数分間に鎖骨下付近から三、四回、鎖骨上付近から二、三回程穿刺針にて徹の鎖骨下静脈付近を穿刺し、右穿刺において最後の一回を除いて全て鎖骨下静脈を穿刺するに至らなかつたものであり、更に、前示二2(二)(3)のとおり血胸は、出血に伴う症状(ショック)、肺心臓の圧迫に伴う心肺機能不全の症状(呼吸困難、チアノーゼ、O2欠乏、CO2蓄積の症状、心拍出量の減少)を発症させるものであるところ、前示二1(四)のとおり徹は、被告小屋の鎖骨下静脈穿刺手技終了後一〇分間の後にショック状態に陥つていることからすると、胸部の理学的所見並びにレントゲン撮影結果は存しない(鑑定の結果)けれども、被告小屋の数回にわたる鎖骨下静脈穿刺手技によつて徹に血胸が生じたものと認めるのが自然である。殊に、前示二2(二)(4)のように、右手技による最初の操作で血管が収縮し、それ以上繰返すと、合併症発症率が高くなるのであるから、本件のように数回にわたる穿刺を行つている場合には合併症発症の可能性が極めて高いのである。

2  前示二1(二)のとおり、被告病院入院時において徹には高度の貧血、脱水状態(赤血球数一九三万個/立方ミリメートル、ヘマトクリット一五パーセント、ヘモグロビン濃度四・五g/dl、血中尿酸窒素三〇mg/dl、顔色不良、爪床・眼結膜蒼白、ふらつき、全身脱力感著明)が認められたのであり、この点、《証拠略》によると、五三キログラムの体重であつた徹において、右貧血状態のもとでは、五〇〇cc程の出血があれば直ちに重篤なショック状態に陥ることが認められること、加えて、《証拠略》によると、徹の右貧血状態では、一般に不安・緊張・痛み等の精神的ストレスによる抹消血管の収縮及び拡大作用並びに酸素消費によつてもショックを誘発しかねないこと、右ショック状態を予防するためには患者に対して輸血をし、かつ、酸素を与えることが必要であり、続いて末梢血管収縮剤を大量投与し、血管のPh値補正の目的でメイロン等を大量投与することによつてショック状態に陥つた以後でも救命の可能性があつたことが認められる。

3  これらの事実によれば、徹の死亡の機序としては、高度の貧血、脱水状態のもとでの被告小屋の鎖骨下静脈穿刺手技による血胸及び精神的ストレスによつて重篤なショック状態がもたらされ、その後の救命治療が効を奏することのないまま死亡するに至つたものと認めるのが相当である。

四  被告らの責任

1  被告小屋の責任

被告小屋は、医師として患者に対し、その身体状況を的確に把握して安定した段階で適切な治療を施すべき注意義務を負つていることは当然であるところ、前示二1(二)のとおり、徹は被告病院入院当時高度の貧血、脱水状態で、被告小屋は徹の高度の貧血、脱水状態を知つていたのであるから、医師として、徹に鎖骨下静脈穿刺手技に伴う血胸及び精神的ストレスを生じさせれば直ちに重篤なショック状態が発症することを容易に予見することができたものというべきである。したがつて、このような場合、被告小屋としては徹に対して鎖骨下静脈穿刺法を実施するにあたり、血胸を生じさせないよう注意して同手技を行うことはもちろん、徹の全身状態などから判断して過度の精神的ストレスを与えないよう穿刺回数及び時間に配慮すべき注意義務が課されていたものというべきである。更に、患者がショック状態に陥つたとき、またはこれを防止するためには輸血をし、酸素を与え、かつ、末梢血管収縮剤及びメイロンを大量に投与し延命をはかるべき注意義務がある。しかるに、被告小屋は、漫然右注意義務を怠り、徹が来院した当日、徹の右状態の改善をはかることなく、右穿刺による輸液方法を実施しようとし、午後一時二〇分ころから同三五分までの十数分間にわたり、鎖骨下付近から三、四回、鎖骨上から二、三回程度穿刺針の刺入を行い、徹に痛み等の精神的ストレスを与えた上、血胸を生じさせ、ショック状態に陥らせ、なお、血管収縮剤及びメイロンの大量投与など適切な処置を怠り、死亡させた過失がある。したがつて、被告小屋の右行為は不法行為たるを免れず、原告らの損害を賠償すべき責任がある。

2  被告藤森の責任

被告藤森の初診時において徹が直ちに緊急輸血を実施すべき状態であつたかどうかについて判断する。

この点、《証拠略》によると、患者の貧血が高度であつて自覚症状が出現した場合は対症療法として輸血による血液の改善が必要になり、一般的にヘマトクリット一五パーセント以下、ヘモグロビン濃度五・〇g/dl以下の場合は輸血治療の適応であるとされていることが認められる。他方、《証拠略》によると、高度の貧血状態であつても、慢性化していて、心肺による代謝機能が認められ、出血傾向や呼吸困難、心気亢進等の自覚症状がない場合は、ヘマトクリット値やヘモグロビン濃度のみから直ちに緊急輸血を他の諸検査に先立つて行うまでの必然性はないことが認められる。ところで、前示二1(二)のとおり徹の被告病院入院時における貧血所見(赤血球数一九三万個/立法ミリメートル、ヘマトクリット一五パーセント、ヘモグロビン濃度四・五g/dl、顔色不良、爪床・眼結膜蒼白、ふらつき、全身脱力感著明)からすれば、徹の貧血は輸血治療の適応であつたことが認められるが、他方、前示二1(一)及び(三)のとおり徹は被告病院入院前日及び当日朝まで絶対安静を要するまでの重篤な貧血の自覚症状が現れていなかつたこと、内視鏡検査においても出血所見が得られなかつたこと等からすると、徹は被告藤森の初診時において直ちに緊急輸血を実施すべき容体であつたとは認められず、また、前示二1(三)のとおり被告藤森は徹の身体状況及び血液検査結果等から輸血治療の適応であることを診断し、輸血用血液を注文したこと等からすると、被告藤森の診断上及び処置上において過失を認めることはできないものというべきである。

すでに認定したように、被告藤森が被告小屋に対して徹に輸液をするように指示した形跡はなく、主治医として指名を受けた被告小屋がその判断において鎖骨下静脈穿刺による輸液を実施したものであり、被告藤森が被告小屋の右1と同様の責任を負うべきいわれはない。

したがつて、被告藤森の行為は不法行為に該当せず、原告らの損害を賠償すべき責任を負わないものというべきである。

3  被告会社の責任

被告小屋が被告会社の経営する被告病院に医師として勤務し、患者の診療に従事していたものであることは当事者間に争いがなく、被告会社は、被告小屋がその業務の執行に当たつて徹及び原告らに負わせた損害につき民法七一五条により賠償すべき責任を負うものである。

五  進んで原告らの損害を検討する。

1  損害

(一)  徹の逸失利益 八二三三万六四六〇円

前示一のとおり、徹が昭和一三年六月二日生(死亡当時四五歳)で、死亡当時竜谷大学の助教授として人文地理学の講義などに従事していたことは当事者間に争いがなく、《証拠略》によると、徹は昭和五八年に八九三万五九二〇円の収入を得ていたことが認められる。徹の就労可能年数は死亡した四五歳から六七歳までの二二年間、徹の生活費控除割合は三〇パーセントとみるのが相当であり、ライプニッツ式計算方式で年五分の中間利息を控除すると、徹の死亡当時における逸失利益の現在価格は次のとおり式の八二三三万六四六〇円(一円未満切捨て)となる。

8、935、920×(1-0.3)×13.1630=82、336、460

ライプニッツ係数(二二年)一三・一六三〇

(二)  徹の慰謝料 一三〇〇万円

徹の社会的地位、年齢、被告病院での診療の態様等その他本件審理に顕れた一切の事情に鑑みると、徹の慰謝料は一三〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(三)  原告信子固有の慰謝料 二〇〇万円

原告信子の社会的地位、年齢、徹との親愛の度合い等その他本件審理に顕れた一切の事情に鑑みると、原告信子固有の慰謝料は二〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

2  相続

前示一のとおり、原告信子は徹の配偶者(妻)、原告彩子及び同浩子は徹の子であり、《証拠略》によれば、原告らだけが徹の相続人であり、そのほかに徹の相続人は存しないことが認められる。そうすると、いずれも相続人として徹の死亡により同人の有する権利を、原告信子は二分の一、原告彩子及び同浩子は各四分の一の割合で相続したことが明らかであるので、徹の損害である右(一)及び(二)の合計額九五三三万六四六〇円の内、原告信子は四七六六万八二三〇円の、原告彩子及び同浩子は各二三八三万四一一五円の損害賠償請求権を有するものである。

3  以上により原告信子の損害額は四九六六万八二三〇円、原告彩子及び同浩子の損害額は各二三八三万四一一五円となる。

六  弁護士費用 四〇〇万円

弁論の全趣旨によると、原告信子は、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に依頼し、一〇〇〇万円の報酬の支払を約したことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照すと、本件治療行為と相当因果関係に立つ損害として被告小屋及び被告会社において負担を命ずべき弁護士費用の額は四〇〇万円と認めるのが相当である。

七  結論

以上の次第で、被告小屋及び被告会社は各自、不法行為による損害として、原告信子に対し、金五三六六万八二三〇円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和五九年三月一四日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告彩子及び同浩子に対し、各金二三八三万四一一五円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和五九年三月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。よつて原告の請求は右の限度で理由があるから、これを認容し、被告小尾及び被告会社に対するその余の請求並びに被告藤森に対する請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九二条九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小北陽三 裁判官 大野康裕)

裁判官鍬田則仁は転補のため署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 小北陽三)

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