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京都地方裁判所舞鶴支部 昭和61年(ヨ)7号 1986年5月19日

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別紙のとおり

右当事者間の昭和六一年(ヨ)第七号仮処分事件につき当裁判所は申請人らの申請を相当と認め申請人らに保証を立てさせないで権利実行保全のため本案事件の判決が確定するまで左の仮処分を命ずる。

主文

被申請人は申請人らに対し、申請外電気化学工業株式会社青海工場に出向を命じる業務命令を発してはならない。

(裁判官 平井和通)

当事者目録

申請人 内海進

同 堀江守

同 嶋津正

同 小林政一

同 福西順治

同 八木一男

同 川崎一

同 布田博之

同 有本正司

同 井口秀夫

同 秋山宗男

同 梅垣實

同 高本淳史

同 福井作夫

右申請人ら一四名代理人弁護士 小林義和

村山晃

被申請人 日之出化学工業株式会社

右代表者代表取締役 青山羊治

出向命令禁止仮処分申請書(昭61・5・17)

申請の趣旨

被申請人は申請人らに対し、申請外電気化学工業株式会社青海工場に出向を命じる業務命令を発してはならない。

との仮処分決定をもとめる。

申請の理由

一、当事者

(一) 被申請人(会社)

被申請人は昭和二四年一一月一七日資本金一〇〇〇万円で設立された株式会社で以降順次増資し現在資本金は三億円であり、肩書地に本社と舞鶴工場を、北海道苫小牧市に苫小牧工場を有し、従業員は舞鶴一〇三人・苫小牧五二人で、主に熔成燐肥・弗化物等化学肥料の製造販売をなしている。

(二) 申請人

申請人らは被申請人に雇傭されている労働者であり、舞鶴工場において舞鶴工場で働くこととして採用され、舞鶴工場で三四年ないし一一年間勤務している者で、いずれも化学一般日之出化学工業労働組合に加入している。

二、日之出化学工業労働組合(以下単に組合という)

昭和二五年九月に被申請人に雇傭されている労働者により結成され、昭和四六年三月から上部組織である化学一般(加入時は化学同盟といった)に加入している。被申請人に雇傭されている労働者のうち課長以上の管理職と労務課・計理課の主任を除く全従業員である舞鶴本社および舞鶴工場の労働者九四名・苫小牧工場の労働者四九名によって組織されている。

三、被申請人から申請人らに対する指名出向の業務命令予告の存在

被申請人は昭和六一年五月三日ころから申請人らを順次一回ないし三回呼びつけて、指名による出向には応じられないと反対している申請人らに対して同意がないまま電気化学工業株式会社青海工場への出向を強制的に命ずる業務命令を同年五月二〇日に発する旨申請人らに予告して、組合に対しても申請人らが出向対象者である旨通告してきた。(疏甲第一号証)

四、本件出向命令予告に至る経過

(一) 被申請人は昭和六〇年九月一四日、昭和五九年度の繰越損失が三億七〇〇〇万円に及んだので徹底した合理化を行うとして、一般合理化対策により三億八〇〇〇万円、六〇余名の人員削減を含む人員合理化対策により三億五〇〇〇万円の経費削減を昭和六二年度末までに強行達成すると発表した。(疏甲第七号証)

次いで同年一二月二八日人員合理化計画の具体案を発表したが、これによると定年退職者不補充や下請削減の外に舞鶴工場から二四名・苫小牧工場から八名を電気化学工業株式会社青海工場等へ二年間出向させるというものであった。出向者の人選基準は単に健康で、五四歳未満で、技術・技能の研鑽に適する者というだけの具体性のないものであった。(疏甲第九号証)

(二) 申請人らは右人員合理化計画案のうち出向による人員削減案は、舞鶴工場で舞鶴で就労するとして採用され長年舞鶴で働き舞鶴に生活基盤を築いている労働者をその者の意思を無視して新潟県青海町に移動させるばかりか、労働契約の相手方たる雇い主を一方的に変更させるもので、労働者の同意なくしては到底許されるものではない等と考え、組合で協議し、同年一二月二八日組合から「合理化対策は労資合意の上実施することとし、本人の同意の上実施すること」等の五項目を被申請人に要求した。(疏甲第一〇号証)

申請人らは組合で被申請人の人員合理化案を慎重に検討し、昭和六一年二月二四日、労務費削減の必要性があることは認める、配員については会社提案を大筋了解する、出向についても強直的に反対はしないが労働者の不利益を少しでも緩和するため期間は原則として一年とし電気化学工業株式会社青海工場へ希望する者は出向させるが舞鶴の近隣地にも出向先を確保することや一時帰休をも実施して出向者数を減らすこと等を考えるとともに出向する労働者には出向中基本給の一〇パーセントの他に一ケ月三万円の手当を支給すること、そして人選は本人の同意によってなすこと等を被申請人に求めた。(疏甲第一一号証)

(三) 組合は被申請人と団交を重ねる中で、出向先を舞鶴近隣地および週末には帰宅できる近畿圏にさがすよう強く求めた。そうすると被申請人はそのような地域でさがしたがいまはない、どこかよいところがあったらさがしてほしいと申出た。そこで組合は京都府内に出向者を受け入れる企業がないかどうか調査し一定のメドも立ったので、近隣地域への出向の実施をもとめ「メドもあるので労使が一緒になって受け入れ企業をさがそう」とまで提案した。しかるに被申請人は前言をひるがえして電気化学工業株式会社青海工場以外への出向は考えないと組合の提案を一蹴した。また組合は労資合意のうえで実施しかつ期間を一年とする出向をくりかえし実施すれば雇用調整給付金も活用できより労務費削減の実があがり労働者も出向の痛みを全労働者でわかちあえると提案したが、被申請人はこの提案も何ら慎重に検討せず無視する態度をとった。そして被申請人はかえって組合を中傷したり、労働者の家族へ出向に応じるよう働きかけたりするばかりであった。そこで、組合は同年三月七日京都地方労働委員会に斡旋申請をなし、地労委は斡旋を開始したが、被申請人が全く組合に譲歩しなかったため労使の意向にへだたりがあるとして斡旋は打ち切られた。組合はその後もなんとか労使合意を達成するため、地労委へ調停を申請しようとしたが被申請人がこれに応じなかったため受理されなかった。組合は更にぎりぎりの譲歩をこころみ、同年四月一四日・同月二八日と譲歩案を示し近隣への出向を主とする内容を撤回して被申請人のいう電気化学工業株式会社青海工場を主とする出向に同意し、出向手当の減額や出向期間を二年以内とすることを認める提案をし、人選方法についても全員への個々面接による要請も認め、ただ本人の同意がない限り出向命令を強行しないよう求め、「出向に関する協定書案」まで提示した。(疏甲第一四・一五・四号証)

(四) しかるに被申請人は同月二八日の団交において組合が最大限譲歩し提案した協定書案を拒否し、「タイムリミットだから、もうまてない」と見切り発車を宣言し、二九日には労働者全員を対象に各課長・職場長らが出向についての説明会を行い「出向を希望する者は五月二日午後四時までに申し出ること、但し希望者を全員出向させるわけでなくそれを参考に人選する」と発表し、形式的な出向希望者の公募を行い、五月三日からは労働者を勤務時間中に指名で呼び出し「電気化学工業株式会社青海工場へ出向するよう指名する、断わったら企業に居れないということだ」と直属上司や労務課長から一五分から九〇分にわたり一回から三回の説得と通告をくりかえしている。申請人ら一四名を含む一八名が右指名をうけ右説得と通告をうけているが、うち四名は出向することを了承しているが申請人ら一四名は右出向には応じうる条件もなく応じる意思もない旨被申請人に明確に意思表示している。

(五) にもかかわらず被申請人はなにがなんでも、申請人ら労働者の同意のないまま出向を強行しようと考えており、「五月二〇日付で出向の辞令を出す。」「最終的には業務命令を出す」「業務命令に応じなければ会社におれないということだ」と事実上指名出向に応じなければ懲戒解雇するとしかとれない発言を申請人らに対する説得や組合との団交の中でしている。そして四月一四日には被申請人は組合に対して申請人一四名を含む一八名が出向対象者であることを正式に通告してきた。(疏甲第一号証)

五、本件指名出向の業務命令を下すことは許されない。

(一) 本件は、被申請人会社もそう呼称しているように、いわゆる出向と呼ばれているところのものである。ところで会社が労働者を出向させるについては、労働契約の一身専属的性格から当該労働者の同意を必要とするというのが確立された判例・学説である。

従って本件において労働者の同意が得られないまま、業務命令という形でこれを強制し得ないこと論を俟たないところである。

この理は、会社において業務上の必要性があるかどうかを全く問わないものであって、本件においても、そのことは全く問題とされる余地がない。

申請人らは、いずれも被申請人会社がおこなおうとしている一方的な「指名出向」には応じられないとしているもので、同意をしていないこと明白である。従って、会社が申請人らに一方的に業務命令を発すれば、それが違法・無効なものとなることは、極めて明白なところである。

(二) ところで、出向については、被申請人会社の就業規則にも何の定めもされていない。(もっとも定めがあったからといって労働者の個別の同意なしに命令しうるものではないが。)

就業規則で規程されているのは、「転任と職場の変更」(第四八条)についてだけである。本件出向命令は、就業規則上も何の根拠もないものである。

(三) 又、申請人らは、いずれも被申請人会社の舞鶴工場に採用され(ちなみに昭和四三年までは、ここにしか工場は無かった)、そこで仕事をすることを前提に被申請人会社に入社したものである。昭和四三年に、北海道苫小牧市に新工場が出来て以降に採用された者も、ひきつづき、舞鶴工場での採用という形がとられてきたもので、右新工場への移動や出張については、必ず事前に組合と協議を尽くし、かつ本人の同意を得て行われてきたものである。

例えば、昭和五六年九月には、北海道の苫小牧工場への転勤について、転勤者の条件を先ず合意したうえ、転勤者の決め方について、<1>公募からはじめること<2>公募が満たなかった時にはじめて個別説得をすること<3>個別説得にあたっては強要的内容にならないよう説得方法に規制を加えること、を合意し、あくまでも任意の意思に基づいてのみ転勤を行うこととされたものである。(疏甲第一八号証)

同一社内の転勤ですらこのような方法がとられてきたもので、別会社への出向の場合にはなおさらのことといわなければならない。ちなみに、舞鶴工場から社員が他へ出向するという前例は皆無に近い。本社を東京から舞鶴に移すさい、そこでの社員を親会社に出向させるというケースがあったが、そのさい会社は、「本人の同意を得るのは当然のこと」と表明している。(疏甲第六号証)

(四) ところで、本件出向については、組合とすら合意をみないままに、一方的に強行しようとしているのである。

組合と合意をみなかった事情は、先にも述べたが、雇用調整としての出向であるにもかかわらず、会社が、出向先を電気化学工業(株)青海工場に執着し、かつ指名出向に固執したことである。結局会社が見切り発車した出向の内容は、当初の提案と何ら変わっておらず、そのことが、最も端的に当初より会社案を押しつけるつもりであったことを示している。交渉のなかでは一人組合だけが譲歩に譲歩を重ねていき、最後は、青海工場へ行くことも組合として同意しようという提案までしているのに、会社は事実上の整理解雇につながる「指名すること」にあくまで固執し、交渉を打ち切ってきたのである。その点に会社が最後まで固執したのはどうしてなのか。それは、指名された人達をみれば一目瞭然のように、本件出向を利用して、組合活動に熱心な人達を会社から排除し、その間に、会社の意のままになる組合につくり変えたいが故なのである。

このような一方的な指名出向は、どこからみても違法・不当なものである。

(五) 本件出向が、単に会社が変わるというだけではなく、個々の労働者に大変な犠牲を強いることも疑いを容れないところである。

何よりも決定的な打撃は、大変な遠方のため単身赴任を余儀なくされ、社会生活・家庭生活上深刻な影響を受ける他、二重生活からくる経済的影響の大きいことである。

又、会社が変わることにより、その労働時間や労働内容・労働密度が変化することとなり、例えば、労働時間は出向先の方が長いため、恒常的に残業を余儀なくされる形となる。労働内容や密度にしても、これまでと異なることは疑いを容れず(厳しいものとなることが十分予想される)、そのようなことが労働者の同意なしに為しうるはずがないのである。

組合は、本来、本件出向が雇用調整の一環として提案されたことから、家庭生活・社会生活・経済生活に極力影響を与えないような方法を提案したが(その経過は、疏甲第三一号証の橋本委員長の陳述書に詳しく述べられているとおりである)、会社は、これを全く無視し、あくまで青海工場への指名出向に固執したもので、そのこと自体不当という他はない。

六、本件指名出向の不当労働行為性

(一) 会社が指名出向に固執した理由に、不当労働行為意思のあることすでに指摘したとおりである。

組合は昭和四六年三月に現在の総評化学一般京滋地方本部の前身である化学同盟に加入して以降、ねばり強い交渉を展開し、その当時極めて低かった労働条件を世間並みにしたことをはじめ、一部には親会社である電気化学工業(株)を上回る条件を確立するようになっていた。そのなかで、会社は、組合の活動を嫌忌し、昭和五〇年の春闘時に苫小牧支部で集団脱退事件が発生、翌昭和五一年には、舞鶴本部で化学一般脱退、組合御用化の策動がひきおこされた。これらは、いずれも会社職制らの手によって進められたものである。

しかし、これらの動きは結局失敗し、かえって組合は団結を強めていった。

昭和六〇年五月、親会社電気化学工業より労務対策のため濱小路総務部長が派遣されて以向、会社は、再び組合との対決色をつよめ、「ストをやるような会社に新規事業はこない」「組合のやり方を一八〇度変えなければダメだ」「今の組合は信用できない」というキャンペーンを開始し、組合活動への支配介入を強めた。

そのことは、今回の合理化提案の仕方と交渉の進め方にも端的に表れてきている。すなわち、一方では組合と交渉をするかのようなポーズはとりながらも、一貫して組合を無視した提案方法と交渉態度に終始し、組合がはじまって以来、これまで全くなかった交渉の一方的打ち切りと指名出向という強権発動をするに至ったものである。

本年三月には明らかに労務屋的発想による出所先不明の謀略文書が組合員宅に配布され、組合員に動揺を与えようとする動きが顕在化してきている。

又、今回の出向に関し、その条件のなかに「出向者の日之出化学労組としての組合活動は、青海工場会社施設内においてはこれを認めない」とか、出向者と電化との間では交渉をさせない、という条項が折り込まれており、いみじくも申請人らの組合活動を嫌忌していることを示している。

これら一連の経過をみるとき、その不当労働行為意思は明らかである。

(二) その意思が最も露骨に示されているのが、「指名」にあくまで固執したことと、指名の内容である。

指名された人の組合役職は、疏甲三二号証のとおりであるが、

第一に、書記長・書記次長(副委員長代理)という組合のもっとも要に位置している人が含まれている。組合三役のうち二人までもが対象になっているのである。

第二に、組合の活動のなかでも最も活発なニュース活動をになっている「あしなみ編集委員」五名が全員その対象となっている。

第三に、その他の役員をとってみても工場安全衛生委員三名、職場委員長三名、選管委員二名、闘争委員一名などが含まれ、その特徴としては単なる役員というにとどまらず、組合活動に熱心な人達が多数含まれているということである。

この一八名をみれば、労働者の誰もが本件指名出向の不当労働行為性を単純に指摘することのできる内容になっているのである。

もちろん組合は、この重要な時期に、その要を失うこととなり、交渉能力は著しく低下をし、ひいては機能麻痺を起こすことともなりかねない。未だ、年末一時金も春の賃上げも妥結をみていないなかで、そのような状況になれば、喜ぶのは一人会社のみであり、この期を狙って会社に忠実な労働組合に作り変えようとする動きが一層強まることは火をみるより明らかである。

会社が、あくまで「指名」に固執した理由は、ここにある。

七、保全の必要性

会社は、かねがね五月がタイムリミットと強調してきたが、今回の「説得」のなかで、対象者はすでに確定し、五月二〇日にも出向命令を出す旨の話しが職制の口から出されている。五月一四日に行われた団体交渉では、出向の対象を、会社が一方的に指名した一八名に限定していること、五月二〇日には辞令を出すつもりであることが、会社側より表明されるに至っている。もし出向命令が出されると、それを拒否したことを理由に、業務命令違反で解雇を強行してくることも十分に考えられるところであり、労働者は、事実上行くことを強要されることとなりかねない。いずれにしても回復し難い損害を蒙ることは明らかであり、命令を下すべき緊急性は極めて高い。

もってすみやかに命令を下されるように求めて、申請に及ぶ次第である。

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