京都家庭裁判所 昭和29年(家)2188号 審判 1954年10月27日
本籍 中華民国福建省
住所 京都市○○区○○町
申立人 監護人金芳欽(仮名)
本籍ならびに住所 申立人に同じ森美子(仮名)
主文
本件申立はこれを却下する
理由
申立人は未成年者森美子の後見人の選任を申立てているが、申立人本人審問の結果によると未成年者の父森吉郎は昭和二十七年○月○日死亡し、当時親族会議は未成年者の伯父である申立人を監護人に選任し、申立人は一旦辞任したが、昭和○○年○月○日再び親族会議により監護人に選任されたものであることを認めることができる。
而して法例によれば、後見は被後見人の本国法に依り、日本に住所又は居所を有する外国人の後見は、その本国法によれば後見開始の原因あるも後見の事務を行う者なき及び日本において禁治産の宣告あつたときに限り日本の法律に依るものであるところ、中華民国駐大阪総領事の証明書及び回答書によれば、上記監護人は正に民法の後見人に相当する。すなわち未成年者森美子にはその本国法上既に後見人があり後見の事務を行うことができるのである。そうするとさらに日本の法律により未成年者の後見人の選任を求める本申立はその適法要件をかくものといわなければならない。すなわちこれを却下すべきものとし主文のとおり審判する。
(家事審判官 小林謙助)
参照一
陳述の内容
1、私は未成年者森美子の父森吉郎と兄弟でありまして、吉郎は私の弟であります。ですから美子は私の姪になります。私は四〇年程前から日本に来まして○○商をやつていましたが現在は○○商をやつています。
2、美子の父森吉郎は三〇年前に日本に来て、私と一緒に○○商をやつていましたが、肝臓病を病い五年間程寝ていましたが、昭和二七年○月○日美子を残して遂に死亡したのであります。その間吉郎は生活に困り方々に借金をしました。美子の他に森徳則と云う兄が一人いますが、それは現在北京の学校に行つております。
そのような事情で亡吉郎の借金の整理や美子の面倒をみる為に監護者が必要になつたのであります。監護者とは日本では後見人のことを指します。そこで親族会を開き美子の伯父になる私が選定されたのであります。本国法によると監護者は親族会で選定することになつているのです。そして記録添付の証明書の如く、私は昭和二九年○月○日駐大阪中華民国総領事館に監護者決定の手続をしたのであります。
3、そこで私は美子の監護者(後見人)として、美子の面倒をみ、亡吉郎の借財を整理してきたのですが、同国人の債権者であれば、私が美子の監護者であると云うことが分つてくれるのでありますが、日本人の債権者は私が美子の日本で云う後見人であると云うことを、いくら説明しても分つてくれないのであります。そしてお前は美子の後見人でもないから、横から口をだすなと云つて全然相手にしてくれず遂には喧嘩になつてしまうのであります。
金でもたくさんあつて借財を全部返済出来るのでしたら問題はないのですが、支払期日の延期等につき話をするときに分つて貰えず困るのであります。そこで日本の家庭裁判所で美子の後見人に私を選任して貰えばそれらの人に話が分つて貰えると思つてこの申立をしたのであります。
参照二
中華民国駐大阪総領事館証明書
中華民国僑民金芳欽の申立によれば、森美子(十六才)の親族会議の結果、金芳欽を森美子の監護人となる事を申立書等を添えて本館へ申請された。
調査の結果本国民法第一千九十一条に照し、即ち「未成年者に父母が亡く或は父母がその未成年の男女の権利義務を負担し得ない場合、監護人を置き負担させる。但し未成年者にして既に結婚せし場合はその限りにあらず。」の法令にもとずいて金芳欽に監護人の資格を与え上述民法条項の規定により右証明します。
総領事 黄克綸
中華民国四十五年九月九日