大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都家庭裁判所 昭和59年(家)1030号 審判 1984年10月11日

申立人 中井清 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

第一申立の趣旨

申立人らの氏を「中井」より「金」に変更することを許可する。

第二当裁判所の判断

本件記録によると以下の事実が認められる。

1  申立人清は父金東宇、母呉栄順の四男として生れた。父は大正一五年に、母は昭和四年にそれぞれ来日し、以後日本に居住した。父は昭和二五年に死亡した。申立人清には三名の兄、三名の姉があるが、兄一名を除いて他は全部日本に帰化している。母は帰化していない兄と同居している。申立人清は昭和三一年○○小学校、昭和三四年○○中学校をそれぞれ卒業し、同年四月○○高等学校定時制に進学し、○○○○株式会社に入社した。高等学校卒業後、転職したりしたが、昭和三八年○○短期大学(現在の○○○○○○大学)作曲科に入学し、専攻科で更に二年学び、昭和四二年同校を卒業した。その後京都○○中、高等学校、○○高等学校、○○○の中、高等部の音楽講師などの職を経たが、昭和四二年頃より引続き、京都市南区の母親宅で「○○音楽教室」を開設して、小、中学生を対象にピアノの個人教授をしている。また作曲活動もしている。

2  申立人礼子は父尾花功、母尾花菊子の長女として山口県小野田市に生れた。兄一人がある。昭和四〇年、○○○高等学校を卒業後、○○○○専門学校に入学、二年後同校を卒業、二年間同校の教務課職員を務め、次いで○○○保育園に保母として、申立人清と婚姻に至るまで勤務した。

3  申立人清は○○小学校に通学していた当時は「金」姓を使用していた。クラスの四分の一位が朝鮮人であつた関係で、「金」姓を使用することにつき、申立人清には特別の意識はなかつた。○○中学校に通学するようになつてから申立人清は「中井」氏を名乗るようになつた。「中井」氏は戦時中の所謂創氏改名により、申立人一家が名乗るようになつた氏であるが、○○中学校では朝鮮人であるクラスの友人も日本氏を使用していたし、申立人清の兄らも「中井」氏を名乗つていたので、申立人清もこれに追随した形であつた。しかし背景には朝鮮人差別の社会的現実があつた。○○高等学校、○○○○株式会社、○○短期大学、同専攻科に在学ないし在職していた期間申立人清は専ら「中井」氏を使用し、意識的に自己が朝鮮人であることを秘していた。したがつてこの間は申立人清が朝鮮人であることを知つていた者は少なかつた。音楽講師をしていた○○中、高等学校では「金」姓を使用し、朝鮮人であることを公にしていたが、○○高等学校では「中井」氏を使用していた。それは当時同校では朝鮮人であれば採用しなかつたからであるが、後徐々に差別はなくなつて行つたので、友人には朝鮮人であることを打明けることもした。○○音楽教室では場所柄生徒の半分位が韓国人であつたので、韓国人生徒には自分も韓国人であることを名乗る一方、日本人生徒に対しては「中井」氏を名乗つていた。この期間中、申立人清は、姓(氏)の二重性になやんでいたが、それは個人的な問題として意識していたに止まつていた。

4  申立人清も同礼子もキリスト教信者であり、教会活動等に積極的に参加していた。その関係で両者は相知り、交際するようになり、恋愛関係に入つた。両名は婚姻しようとしたが、申立人礼子の両親が申立人清が韓国人であることの故を以て反対した。しかしその後両親は申立人清が日本に帰化することを条件にこれを認めた。申立人礼子は申立人清を帰化させたくない気持であつたが、しかし病後の父があくまでこれを主張するのを見て、止むなく承諾した。一方申立人清は同胞中に中井氏を名乗つて帰化した者が多数いた関係上、帰化自体にさして抵抗を感ぜず、帰化後の氏は中井とすることを希望し、中井氏以外での帰化を考えていなかつたし、審査の経過の中で金氏に固守することなどなく、法務局側からこの点で特に申立人清に指導などはなかつた。

5  婚姻後は申立人らは中井氏を使用し、この時点では姓(氏)の二重性は法的に払拭された。しかしその後申立人清は日本人になり切つた態度をとることに疑問を感じ、夜学に通つて母国語を勉強し、母国の歴史に関する書物を読み、学習会に参加した。その結果、朝鮮民族の一人として自覚し、誇りを持つようになつた。昭和五六年四月、申立人ら夫婦は子どもを含め話合つた結果、今後家庭でも学校でも社会でもすべて金氏を使用することに決定した。以後子供達も金氏で通学しており、申立人清も日本人社会の中で金氏を名乗り活動している。しかし預貯金、保険、健康保険証など公的なものは中井氏を使用せざるを得ないので、これを使用している。標札は金(中井)として掲げている。

6  申立人清の本件申立の理由は、かくして生じた姓(氏)の二重性の煩わしさを解消したいということ、朝鮮民族の一人であつたという事実を正しく子孫に伝えたいということ、朝鮮民族であるという事実を隠さず、日本国民として生きたい、という点にある。

以上の事実が認められる。

戸籍法第一〇七条によれば氏は「止むを得ない事由」がある場合に限つて変更が許される。ここにいう「止むを得ない事由」とは現在の氏がその人の社会生活上重大なる支障を与え、これが継続を強制することが社会観念上不当であると見られる事由の存在を指称するものと解せられる。前記認定事実によれば、「中井」なる氏は申立人清が帰化に際し、他から干渉を受けることなく、自らの意思で選択したものであり、現在の「中井」「金」の氏の二重性の存在も、申立人らが自ら作為したものであり、したがつて申立人らの意思により、容易に解消し得るものである。ただこの作為の原因が、申立人清の民族意識及び申立人礼子の同調意識によるものであることは明らかである。しかしかかる民族意識、民族感情の存在は、前記法条にいう「止むを得ない事由」に該当する、とは到底解せられない。そうだとすると本件申立は不相当であるから、これを却下すべきである。よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 野田榮一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例