仙台地方裁判所 平成11年(わ)463号 判決 2001年4月24日
主文
被告人は無罪。
理由
第一各公訴事実の要旨
本件各公訴事実の要旨は、第一に「被告人は、平成一一年四月下旬ころの午後七時三〇分ころ、宮城県登米郡迫町佐沼字梅ノ木地内迫町町営テニスコート南側駐車場内(以下「本件駐車場」という。)において、同所に駐車中のB(当時二二歳)所有の普通乗用自動車の前輪右タイヤ一本(時価約一万円相当。平成一二年押第六号の一)に、持参したライターで火を付けて燃え上がらせて表面を凹損させ、もって、他人の器物を損壊した。」(平成一一年一〇月二一日付け追起訴状記載の公訴事実。以下「本件器物損壊の事実」という。)というもの、第二に、「被告人は、収入が少ないなどとして実母に責められたこと等によるうっぷんを晴らすために、同年八月一三日午前一時四〇分ころ、同郡《番地省略》のCらが現に住居として使用し、かつ同人らが現在する木造瓦葺二階建居宅(床面積合計約二一一・一七平方メートル。以下「C方」という。)に放火しようと企て、同人方に人が現在することを知りながら、同人方西側壁面から約〇・三三メートルの位置に縦約〇・五五メートル、横約五・九五メートル、高さ約一・一メートルに積み上げられた燃料用廃材の隙間に新聞紙を押し込んだ上、同新聞紙に持参したライターで点火して火を放ち、もって、放火して現に人が住居に使用しかつ人が現在している建造物を焼損しようとしたが、上記Cらに発見されて消火されたため、上記廃材の一部を焼損したにとどまり、その目的を遂げなかった。」(同年九月二〇日付け起訴状記載の公訴事実。以下「本件放火の事実」という。)というものである。
第二本件各公訴事実と被告人とを結び付ける証拠構造の概要
一 被告人は、上記の各公訴事実につき、捜査段階において、要旨次のとおり、これらに沿う供述をしていた(なお、暦年について特に断らない限りは、いずれも平成一一年中の月日を指称するものとし、以下暦年の表記を省略する。)。
すなわち、「家計のやりくりに苦労している母から、収入が少ないことについて愚痴を言われてストレスがたまっていた。八月一二日の夜、いつものように一人で酒を飲んでいると、仕事が見つからず収入のあてがないという不安が頭をよぎり、また母から金がないと愚痴をこぼされるかと思うと、何となくむしゃくしゃしてきた。散歩しようと思い、ライターと煙草を持って玄関に行くと、灯油の入ったポリタンクとそのポリタンクを載せるキャスターとが目に入った。ポリタンクなどを見たときに、この日も、仕事がなくていらいらした気持ちを発散させるために、どこかに火を付けてやろうという気持ちになった。そして、ポリタンクを載せるキャスターの下に敷いてある新聞紙を使って火を付けてやろうと思い、これを持って外に出た。家の外に出ると、自宅西側の遊歩道を歩いて北側に向かい、C方の脇に来たときに、軒下にたくさんの材木が積んであるのが目に入り、この材木に火を付けることに決めた。重ねた材木の間に隙間があったので、持っていた新聞紙を差し込んで、ライターで火を付けた。新聞紙に火を付けると、新聞紙の炎はすぐに五、六センチの高さにまで上がった。それを見ると、目的を達したような気持ちになり、家に戻った。」(乙二ないし四、一二)、「私が、器物損壊の事実を犯したことに間違いない。四月下旬ころ、元仕事仲間のD(以下「D」という。)とA野堂でビールなどを飲み、その後、本件駐車場近くに住んでいる、私が当時付き合っていたE子(当時。現姓「F子」。以下「E子」という。)のアパートにDの車で行って、さらに、E子のアパートで、私、E子、Dの三人でビールを飲んだことがある。その帰る途中の『B山』の裏手に本件駐車場があるので、このときに車のタイヤに火を付けたことに間違いないと思う。車の色や車種についてはよく覚えていない。私はその車のタイヤの所に近づいて、持っていた百円ライターを点火して、その炎をしばらくタイヤに当てていた。私は、ライターの炎をタイヤに当てていたが、何度か火が消えてしまい、ライターの火を付けなおして、またタイヤに火を当てていた。三分くらい火を当てていたら、ライターが熱くなってしまい、これ以上火を付けるのをやめた。帰るときには、タイヤに付いていた火は消えていたと思う。」(乙一三、一九)というのである。
二 しかし、被告人は、当公判廷においては、各公訴事実につきいずれも身に覚えがないと述べ、犯行を否認している。
また、弁護人も、上記自白は、被告人が各公訴事実の当時、いずれも酒に酔っていて自己の行動を全く覚えていないということを前提にした捜査官の誘導や目撃者の存在をほのめかした捜査官の偽計によりされたものであって、任意性及び信用性をいずれも欠くと主張している。
三 そして、いずれの公訴事実についても犯人が被告人であることを直接間接に示すような物的な証拠は存しない。
本件放火の事実については、被告人が放火を実行するのを直接目撃した者もなく、被告人と犯人とを結び付ける証拠は、被告人自身の捜査段階における前記の自白に限られる。
また、本件器物損壊の事実については、被告人の犯行を目撃したとする証人W(以下「W」という。)の当公判廷における供述と被告人の捜査段階における上記自白が存するのみである。
四 したがって、上記各公訴事実が認定できるか否かは、各事実に関する被告人の自白が証拠として許容され、また信用し得るものであるか否か、さらに、器物損壊の事実については、これに加えてW証言が信用し得るものであるか否かにかかるものである。
第三被告人の自白の任意性及び信用性について
一 前提事実
被告人の公判供述及び関係証拠によれば、次の各事実が認められる。
(一) 本件放火の事実に係る火災の発生
① 八月一三日午前一時四〇分ころ、被告人の肩書住居地にほど近いC方木造瓦葺二階建居宅(床面積合計約二一一・一七平方メートル)西側壁面から約〇・三三メートルの位置に縦約〇・五五メートル、横約五・九五メートル、高さ約一・一メートルに積み上げられた燃料用廃材の隙間から出火したのを、同家屋一階寝室で就寝中のG子がパチパチという物音から気付き、C、G子らが外に出てみると、炎が西側壁の窓の上端近くまで上がっていた。しかし、同人らが水道ホースからの放火等により消火したため、廃材の一部を焼損したにとどまった(以下「本件火災」という。)。
② Cは、本件火災を消火した後、同日午前一時五〇分ころ、火の気のないところから出火した不審火であるので、見に来てほしい旨、宮城県佐沼警察署に電話で通報した。
これを受けて、同日午前二時過ぎころ、同警察署所属の司法警察員警部補佐藤哲(以下「佐藤警部補」という。)ほか一名が現場であるC方に赴き、家人から出火場所や発見状況等の説明を受けた後、一時間程度で同警察署に帰った。
③ その後、佐藤警部補は他の警察官らと共に改めて同日午前九時から同日午前一〇時三〇分まで、G子の立会と指示説明を得て出火場所を中心とする実況見分を行い、写真撮影等をし、同月二三日付け実況見分調書をまとめた。
その結果、燃え上がった部分は、上記廃材置き場の北端部分であり、積み上げられた廃材の高さの中程から逆三角形状に焼燬が存し、その最下部付近の廃材の隙間の炭化が最も著しく、同箇所が出火場所と思料された。また、立会人は出火に先立って屋外で火気の使用はしていない旨の指示説明をしていた。
これと前後して、同月一三日、佐藤警部補は、G子から、同人宅で事情聴取し、前記①、②の本件火災発見と消火の経緯、出火場所に火気が全くなかったことなどについて、同日付け供述調書(甲三)を作成した。
④ 他方、廃材以外の残焼物の有無及び状況、油分の有無、点火に供された火源や媒介物を推知させる資料の有無等については、上記実況見分調書中には全く触れるところがなく、貼付の写真からこれをうかがい知ることも困難であり、また、この機会に残焼物等を採取し、分析した旨の資料も、本件審理の経過では一切証拠請求されておらず、このような採証活動が当時存在しなかったことが推認される。
⑤ なお、上記廃材は、写真撮影等が終わった後の同日午前一〇時過ぎころ、その全部をC方家人により取り片付けられ、上記実況見分調書以外に火災直後の状況を客観的に記録している資料は存しない(登米地域広域行政事務組合登米消防本部は、同日午後零時四一分、佐藤警部補から通報を受け、同日午後零時五三分に消防官が本件現場に臨場したが、その時点では廃材等はすべて片付けられており、Cから説明を徴したにとどまっている。)。
(二) 器物損壊事件の発覚と端緒とタイヤの凹損部の状況等
① 上記本件火災発生に先立ち、一月三一日ころシンナーを吸入していたなどとする毒物及び劇物取締法違反被疑事件の被疑者として、佐沼警察署で任意の取調べを受けていたWは、五月七日及び七月一九日、同警察署生活安全課所属司法警察員石山慶(以下「石山警察官」という。)の取調べを受け、それぞれ供述調書が作成されているものである(なお、同被疑事件は、同月二一日仙台地方検察庁登米支部に書類送致され、一一月一〇日登米簡易裁判所において罰金六万円に処する略式命令を受け、同命令は確定している。)が、Wは、その捜査の過程で、石山警察官に対し、顔見知りである被告人が四月二七日ころの午後七時三〇分ころ、本件器物損壊の事実の犯行に及んだのを妻と共に目撃した旨及び被害にあった自動車は、本件駐車場近くの惣菜屋「B山」の従業員の車である旨を告げていた。
佐藤警部補は、Wから同年七月一九日付けで被告人の犯行を目撃した状況を聴取し、供述調書を作成した(弁四七がその調書)。また、これと前後して、佐藤警部補は、同月一五日には被告人の身上調査照会をしている。
② 佐藤警部補は、Wの供述から上記器物損壊の被害を受けた疑いのある普通乗用自動車(日産ラシーン、青色、登録番号宮城《省略》)及びその所有者Bを割り出し、同人に対し、被害にあった可能性がある旨を告げて、同車両を佐沼警察署まで持参するように依頼した。これを受けて、Bは同警察署に上記車両を運転して赴き、佐藤警部補が同警察署駐車場でその右前輪タイヤを調べてみたところ、タイヤ表面の一部に焼損によるものとうかがわれる凹損を認め、Bもこれを確認した。そこで、同月二一日、佐藤警部補は、Bから上記凹損のあるタイヤ(ホイールとも)の任意提出を受けて領置する一方、車両の写真撮影等を行い、さらに、Bから犯人を被告人とする同日付け被害届及び器物損壊の告訴状の提出を受け(ただし、同警察署における受理印は、いずれも九月二〇日付けであり、被害届には刑第四五〇号の、告訴状には刑第四号の番号が付されている。)、またBの供述調書を作成した。
③ 上記領置されたタイヤは、当公判廷にも提出されたが(平成一二年押第六号の一)、タイヤ表面のトレッド部とショルダー部に二か所の局部的に凹状になった箇所(幅二・二センチメートル長さ五・五センチメートルのもの及び幅一・〇センチメートル長さ三・五センチメートルのもの)を認めることができる。
④ これらの箇所のゴム層には、ゴムがスポンジ状に多孔質になった状態の変質が確認され、これらの変質箇所について、トレッド部のゴム硬度は七五度から七八度、ショルダー部のゴム硬度は六四度から六五度であり、他の箇所のゴム硬度(トレッド部については八四度から八六度、ショルダー部については六九度から七〇度)と比べて五度ないし一〇度のゴム硬度の低下が認められる。そして、こうした凹状及び変質の原因としては、熱、薬品、油脂等、外的要因の影響を受けたためと考えられるが、凹状部の周辺に薬品、油脂等の臭い等付着の痕跡が見当たらないこと、走行中の急制動によるものであれば、トレッド部横方向に広範囲に同様の変質が生じるはずであるなどに照らし、凹状部に局部的に熱が加えられたものと考えても矛盾はない。
(三) 各公訴事実に関するその余の捜査経過等
① 佐沼警察署では、平成九年六月から平成一一年七月までの間に、宮城県登米郡B野町C山字D原地内やその近隣において散発的に発生した別表「警察が放火の疑いを抱いた火災」欄番号一ないし七及び九記載の各火災につき、放火の疑いが強いものとして認知していた。被告人は、うち同欄番号一ないし三の事件について、参考人として取調べを受け、指紋を採取されたことがあった。
② 佐藤警部補は、前記(二)①②を受けて、七月二三日付けで同警察署長あてに、被告人を被疑者とする器物損壊被疑事件認知報告書(甲六八)、並びに、本件器物損壊の事実を含む前記番号五ないし九の火災がいずれも被告人宅を含む約一キロメートル四方の範囲内に集中していること、本件器物損壊の事実と同番号六とは手口の類似性があり、これと同番号七とは時間的場所的に近接していることを指摘する捜査報告書(甲八一)をそれぞれ作成して、その捜査経過を報告した。
③ 同年八月二六日、佐沼警察署は、本件器物損壊の事実を被疑事実として(ただし、犯行日時については、四月二七日ころの午後七時三〇分ころから同日午後八時ころまでの間と、また被害物件の前輪右タイヤ一本の時価について三万円相当と記載されている。)、被告人に対する逮捕状及び被告人宅に対する捜索差押許可状の発付を得た。
④ 同月三一日午前七時ころ、佐藤警部補ら佐沼警察署所属の複数の警察官は、本件器物損壊の事実の容疑で被告人宅に赴き、同警察署に被告人を任意同行する一方、何人かの警察官が被告人宅に残って器物損壊被疑事件に関する捜索差押手続に従事した。
途中、灯油のポリタンク等の任意提出を受けるように同警察署から指示を受けて、被告人方玄関先にあったポリタンク受け一個(平成一二年押第六号の三)及び軒下にあった赤色ポリタンク一個(同押号の四)等の任意提出を受け、領置した(甲四五、四六)。
⑤ 任意同行された被告人は、佐藤警部補の取調べを受け、本件放火の事実を認める供述をしたため、佐藤警部補はその供述を同日付け供述調書(乙一〇)として録取した。
佐沼警察署では、被告人を前記器物損壊容疑の逮捕状で逮捕することを見送り、現住建造物等放火未遂の被疑事実で再度逮捕状を請求し直してその発付を受け、同日午後五時ころ、同事実で被告人を逮捕した。被告人は、弁解録取においても、同警察署司法警察員針生圭一に対し、被疑事実は間違いがなく、仕事もなく気分的にむしゃくしゃしていたので火を付けた旨述べていた(乙七)。
⑥ ところで、佐藤警部補は、別表「警察が放火の疑いを抱いた火災」欄記載の各火災について、被告人との結び付きを疑い、あらかじめ一覧表を作成しており(第二回佐藤証言、甲一七)、これら一〇件の事実について被告人の犯行であるかどうかを順次問いただしたところ、被告人はこの中から、同欄記載の番号一ないし三、七ないし一〇(うち八は本件器物損壊、一〇は本件放火の各事実)の計七件の犯行につき、同表「上申書(乙六)の記載」欄のとおりの記載のある上申書(乙六)を作成した。しかし、その際、佐藤警部補は、白紙に自ら鉛筆で下書きをした上、被告人にボールペンでなぞらせて清書させた。
⑦ 被告人は、その後、同年九月一日の検察庁送致時の検察官に対する弁解録取の際(乙八)、古川簡易裁判所における勾留質問の際(乙九)に、いずれも現住建造物等放火の事実はそのとおり間違いない旨認め、各調書に署名押印した。
⑧ 被告人は、同年九月二〇日、本件放火の事実(罪名・現住建造物等放火未遂)で公訴提起され、さらに、同年一〇月二一日、本件器物損壊の事実でも公訴提起されたが、この間に録取された被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書は、いずれも一貫して各公訴事実を認める内容となっており、被告人の署名及び指印が存する。
⑨ なお、この間の同月七日、被告人は、みずからCあてに放火を謝罪する旨の自筆の手紙をしたため、収監されていた佐沼警察署留置場から発信している。
二 任意性の検討
(一) 被告人の弁解
被告人は、前記のような自白調書が作成された経緯について、当公判廷において、要旨、「八月三一日、私が、警察署に任意同行され、取調室に入ると、警察官から『最近、家の近所で何かなかったか。』と質問され、次に『Cさんという人を知っているか。』と聞かれ、知らないと答えると、『お前の家の裏の方で、犬を飼っている家の人だ。』と説明された。Cさんかどうか知らないが犬を飼っている家は知っていると答えると、『その家でボヤ騒ぎがあった話は聞いたことあるか。』と聞かれたので、『知らない。』と答えた。すると、警察官は『お前は、酔っていて、覚えていないのだろうけども。』と酒に酔っていたことを前提に話をされ、名前は教えられなかったが、『お互いに良く知っている知り合いが見てたんだぞ。』という話をされ、本当にやってしまったのかなと思った。それで、その後は何も覚えていないけれども、警察官の話に合わせて認める内容の調書に署名をした。また、上申書についても、一つ一つ事実を聞かれたが、全部やってないと答えたけれども、取調べの警察官が鉛筆で下書きした上を、そのとおりボールペンでなぞらされた。その後、上に複数のファイルのようなものを乗せられた状態で何か分からない書面三通くらいに署名した。最初一番上の用紙にだけ、書く場所に鉛筆で薄く線が引いてあった。あとその下のものには何も書いてなくて、ただ、『そこに名前を書きなさい。』と言われて、黒のポールペンで署名し、指印した。その紙は、B4くらいの大きさで広げてあった。その後の取調べでは、事件当時のことは全く覚えていないが、刑事が想像して言ったことがそのまま書いてあるだけの調書に署名してきた。」旨述べている。
(二) 佐藤警部補の証言
これに対し、被告人の取調べに当たった佐藤警部補は、当公判廷において、「同年八月三一日、被告人を佐沼警察署に任意同行して、供述拒否権を告知した上で取調べを開始したが、私は、本件放火の事実に関する嫌疑については何ら触れることなく、『自分が犯した罪について正直に話すように。』とだけ言って供述を求めた。被告人は、約一時間弱を経過したころになって、『新聞に載るんでしょうか。』と切り出してきた。新聞に載る載らないは警察署長の判断で決まるため、何も言えないと説明した。それから、一〇分か一五分位して、被告人は、『後ろの家の火付けのことですか。』と言ってきた。火付けとはどういう火付けのことなのだと聞いたら、『自宅から百円ライターと新聞紙を持ち出し、後ろの家の軒下に積み上げられていた木材のすき間に新聞紙を突っ込み、百円ライターで火を付けて逃げて帰った。』と言って、本件放火の事実に関する自供を開始した。そこで、これを供述調書に録取して、読み聞かせて、間違いないかを尋ねたら、間違いないということで署名指印した。これが乙一〇号証の調書である。作成を終えたのは同日の昼近くになっていた。」
「逮捕後、私があらかじめまとめていた一〇件の不審火について、一件ずつ、被告人に確認していった。そうしたところ、被告人は内七件について自分の犯行だと認めたが、時期や時間帯については、はっきりしないものが多かった。被告人から聞き取った内容をまとめて、紙に鉛筆書きで一覧表の形に下書きをし、被告人に、ボールペンで上からなぞらせて清書させた。」旨、証言している。
(三) そして、被告人は、同年九月五日付け警察官調書(乙一一)及び同月八日付け検察官調書(乙三)において、自白した経緯について、上記佐藤警部補の証言に沿う内容の調書にそれぞれ署名指印している。
(四) 検討
① 弁護人は、そもそも被告人は何ら事件について供述をしていないのに、捜査官が自己らの見込みに基づいて調書要旨に作文し、被告人に署名指印させた旨、また、当時被告人が酒に酔っていたため、自己の記憶に自信がなく、それ故に警察官の筋書きに従わざるを得なかった旨主張する。
しかし、被告人の供述調書には、捜査官の抱いている心証とは異なる内容の供述と思料される事項(例えば、犯行後、C方がどうなったかについて関心を持たず、寝てしまったとする部分。乙一一、一二)、他の証拠と齟齬する事項(火を付けたタイヤは、取調べ途中に示されたタイヤよりも幅が広がったと記憶しているとする部分。乙一四)、さらには、被告人が記憶がないとか、あいまいにしている部分も、そのとおり録取されているし、いわゆる調書読み聞け後の被告人からの訂正申立てに応じている調書もある(乙一七)。これらは、捜査官が、被告人に一定の見込みを押し付けたり、被告人の記憶の不確かさを利用して記載し、被告人が無条件にこれに従ったこととは相容れない記載態様というべきであり、その体裁自体から、弁護人が主張するような疑いは、相当程度排斥することができる。
② また、被告人は、任意同行の直後こそ、供述を拒んでいたことがうかがわれるが、佐藤警部補の証言及び前記一(三)④⑤の経過に照らせば、当日の昼前ころには、本件放火の事実及び一部の余罪についての概括的な自白を内容とする警察官調書(乙一〇)の録取に至り、これを資料として逮捕状の請求、発付の手続が踏まれ、同日午後五時ころには被告人を逮捕する手続がとられている。これによれば、被告人は、比較的短時間のうちに自白に至ったものであり、捜査官がしつように供述を無理強いしたという可能性も、相対的に少ないものと見ることができる。
③ なお、被告人は、本件放火の事実の容疑か本件器物損壊の事実の容疑か特定されないまま、目撃者がいるとほのめかされ、記憶になかったものの、本件放火の事実等について自白せざるを得なくなった旨述べてもいる。
そこでこの点について検討すると、逮捕当日の警察官調書(乙一〇)には、被告人の「現在も鮮明に記憶に残っているもの(放火)は三、四回だが、火付けをしたときは、ほとんど酒を飲んで酔っぱらっていたので、記憶に残っていないものもあり、回数的には三、四回以上あると思う。火付けの具体的状況については、自宅のすぐそばにある町営住宅の壁際に置かれていたものに自宅から持ち出した灯油を壁際にまき散らしてライターで火を付けて燃え上がらせたり、一般民家の近くにあった稲杭小屋に放火したり、『B山』というお総菜屋の裏側にある駐車場に駐車されていた乗用車のタイヤに火を付けたり、現住所に引っ越してきたばかりの平成九年に、自宅のすぐ東隣に建築中の一般住宅の土台あたりに灯油をまき散らして火を付けた。一番最近では、二、三週間くらい前の深夜午前零時すぎころ、自宅玄関の灯油ポリタンクの下に敷いてあってこぼれた灯油の染み込んでいる新聞紙と百円ライターを持ち出し、自宅北側の通りの北向かいにある民家の壁際に積み上げられていた材木の隙間に、灯油の染み込んだ新聞紙を突っ込んで百円ライターで火を付け、材木が燃え上がったところで自宅に逃げ帰った。」旨の供述が録取されている。
そして、このうち上記調書では「『B山』というお総菜屋の裏側にある駐車場に駐車されていた乗用車のタイヤに火を付けた」事件として言及されている本件器物損壊の事実については、後日録取された被告人の警察官調書(九月一三日付け・乙一三)において、「逮捕当日の取調べの時は、建物などへの火付けについてはほとんど記憶に残っていたから説明できたが、車のタイヤへの放火の件についてはすっかり忘れていて、刑事から、車のタイヤにも火を付けていないかと質問され、思い出した(中略)。刑事からは、私が火を付けたのは四月二七日ころの午後七時三〇分ころであると教えられた。」との供述が記載されている。
これによれば、逮捕当日に佐藤警部補が被告人に対し、本件器物損壊の事実については、後記Wらの目撃供述に基づき、その記憶を喚起して自供を引き出したことが認められる一方、本件放火の事実を含む「建物などへの火付け」については、タイヤへの火付けとは違い、被告人に明確な記憶があったというのであって、現に、本件放火の事実については、前記警察官調書(乙一〇)においても、一番最近の犯行と特定した上で、『自宅玄関の灯油ポリタンクの下に敷いてあってこぼれた灯油の染み込んでいる新聞紙と百円ライター』という、具体的な犯行態様の説明にまで踏み込み、媒介物と点火物を特定した供述がされているのである。
これは、捜査官が架空の目撃者の存在をほのめかすという偽計により導き出し得ない供述というべきであるし、仮に、弁護人が主張するように、任意同行時に、捜査官が放火の自白を得ようとして、放火なのか器物損壊なのか明らかにしないまま、親しい知人の目撃者がいるとほのめかしたのだとした場合、これを糊塗するために上記九月一三日付け警察官調書(乙一三)で、殊更目撃供述による記憶喚起は本件器物損壊の事実に限って行われ、本件放火の事実については行われていない旨、体裁を繕ったというのは、余りにうがった見方というべきであろう。してみると、この点に関する被告人の弁解は採用することができない。
④ その他、取調べ状況に関する被告人の公判供述は、現に取調べの対象となった当事者の供述としては、時間の経過に伴う忘却等の影響を考慮しても、なお総体として甚だあいまいかつ不明瞭であるとの印象をぬぐえない。取調べにおいてどのような点の追及を受けたのか、自分は最初それにどのように答えたのか、それに対してさらにどのような追及があったのか、どうして自己の記憶に反する供述が調書に記載されることになったのか、どうしてそのような調書に署名指印したのかなど、被告人に対する取調べの問題性が明らかになるような事情が、必ずしも真に迫るものとして述べられていない(例えば、被告人は、第六回公判期日において、任意性に関する証拠調べの前提として被告人質問を受けたが、多くの質問についてその段階では具体的な供述をしていない。また、「上にファイルのようなものを乗せられた状態で、何か分からない書面三通くらいに署名させられた。」と述べるが、隠されていない部分の書面の状況、上に載せられたファイルの状況、署名部分以外の隠され方など、その時の具体的な状況についての質問については、あいまいな答えしかできていない。)。このような供述態度ないし供述内容が、自己に不都合な供述を回避しようとするためなのか、被告人の記憶力や表現能力の問題なのか定かではないものの、その弁解をたやすく信用することはできないというべきである。
⑤ もっとも、佐藤警部補も自認するとおり、本来、自白の任意性及び信用性を担保するために自筆で作成されるべき上申書(乙六)が、取調官である同警部補の下書きをなぞらせたものである点は、捜査官の誘導に基づいて自白を引し出したとの疑いをいれる一事情となり得る。また、前記一認定の捜査経過のとおり、佐藤警部補はじめ、捜査関係者は、被告人の任意同行に先立ち、本件器物損壊の被疑事実で逮捕状を得ている上、これを含む別表「警察が放火の疑いを抱いた火災」記載の発生日時、態様等による一〇件の不審火のすべてについて被告人が関与しているとの嫌疑を有していたのであり、そのような見込みから被告人を追及しようとする意識が働いたであろうことも、考慮されるべきである。
しかしながら、被告人が自認したものとして同上申書に記載されているのは、上記一〇件のうち七件にとどまる上、同表「上申書(乙六)の記載」欄のとおり、同上申書においては、時期・時刻等は大幅に概括的な記載となっている(ただし、放火の態様について、番号一ないし三の「灯油をまいてライターで火を付けた」との記載については、後に九月一九日付検察官調書(乙一七)では、「灯油をまいたかについては余り覚えていない」、「詳しいことは思い出せない」などと更に後退した内容に実質的に供述を改めているところ、一〇月八日付け警察官調書(乙一五)では、酒に酔って覚えていない部分もあるとしながら、再び同上申書どおりの供述を繰り返す内容が録取されている。)。これによれば、同上申書の記載は、佐藤警部補の質問に対し、被告人が否認したものは除外され、また、被告人の記憶の定かでない部分については、被告人の記憶する限りで記載されているというべきであるから、この作成経過に関する佐藤警部補の証言は信用できる。これによれば、同上申書の内容は、被告人の申立てに基づくものであって、格別、佐藤警部補が押し付けたと疑うべき事情は認められず、佐藤警部補が下書きをしたのは、早く作成を了するための便宜の意図を出なかったというべきである。してみると、同上申書の任意性も優に認められる。
(五) 以上によれば、被告人の各供述調書及び上申書中の被告人の供述については、いずれも、その任意性を疑わしめる事情は存しないというべきである。
三 被告人の自白の信用性について
(一) 次いで、被告人の自白の信用性について検討するが、被告人は、任意同行の直後から、本件放火の事実を一貫して認めており、また、本件器物損壊の事実についても、記憶がはっきりしない部分が多いとしながらも、なお、自己の犯行であること自体は一貫して認めていた。
また、本件放火の事実については、公訴提起後、留置係などの警察官からの促しがあったかも知れないにせよ、火災の被害者であるCあてに自筆の謝罪の書簡を留置場から差し出している(もっとも、公訴提起という状況を受けて、自己の情状の好転や近隣住民としての自己の家族の立場を慮ってこのような手紙を差し出すこともあり得ないではなく、また、余罪の捜査が続行中であり、捜査の影響から完全に解放されてもいない状況が存したのであるから、被告人に対する捜査着手以前に、被告人が知人等に犯行をほのめかす言動をしていた場合などと異なり、かかる書簡の発信をもって、自白調書等の信用性を決定的に増強する事情と評価することはできない。)。さらに、自白調書において述べられている犯行状況等は、前記一(一)、(二)の本件放火、器物損壊の各事実に関する客観的証拠状況によって積極的に裏付けられる関係に立つわけではないが、これらと矛盾抵触するところもない。
のみならず、犯行を否認する被告人の公判供述は、前記二(四)④のとおり、基本的に信を措き難いものであり、これと対比すれば、捜査段階の自白は、整然と、かつ、具体的に自己の犯行状況等が述べられているのであり、その信用性は基本的に高いものと評することもできないではない。
(二) しかしながら、前記のとおり、本件放火の事実については、被告人の自白が被告人と犯行とを結び付ける唯一の証拠であり、その信用性については特に慎重な検討が必要である。そして、そのような観点から被告人の自白を吟味すると、次の①ないし⑩の点について疑義をいれる余地があるというべきである。
① 犯行態様に関する自白を裏付ける客観的証拠の欠如
被告人は、本件放火の事実の犯行態様について、媒介物として自宅から持ち出した新聞紙を用いた旨、任意同行の段階から一貫して供述している(乙四、一〇、一二など)。一方、本件火災は、前記一(一)①③④のとおり、出火からさほど時間が経たないうちに発見され(同年九月七日に実施された燃焼実験の結果(甲八の同意部分)によれば、火災発生箇所にあった廃材の焼燬の程度に照らし、本件火災発見は、新聞紙に点火してからおおむね八分三〇秒経過後程度の焼燃状態に当たると推定できるという。)、家人らが水道ホースによる放水等によって消火している。そうであれば、C方西側軒下の火災現場の出火場所と目される付近から媒介物であるはずの新聞紙の残焼物等が部分的にであれ、発見されるのが当然の事理と解される。しかし、前記一(一)④⑤のとおり、この点についての採証活動は行われないまま、現場が取り片付けられてしまっており、これを裏付ける客観的な証拠は存しない。
② 媒介物の性質についての供述の変遷等
上記に加えて、本件放火の媒介物として用いられた新聞紙の性状について、被告人の供述は、当初「自宅玄関の灯油ポリタンクの下に敷いてあってこぼれた灯油の染み込んでいる新聞紙」(乙一〇)、「ずっと前から敷かれていたことから、給油の際などに、何度もあふれた灯油が染み込んだ新聞紙」(九月七日付け警察官調書・乙一二)としていたものが、同月一五日付け検察官調書(乙四)では、「私が取った新聞紙には、灯油が染み込んでいたかも知れません。」と供述内容を後退させている。そして、そのように供述が変更された理由については、何ら触れるところがない。
③ 媒介物としての十分性
もとより、本件火災当日に実施された実況見分の結果に表れている焼燬状況等は、積み重ねられた廃材のすき間に新聞紙を差し込み、これに点火したという犯行態様と矛盾するものではないと考えられるが、他面、残焼物等により、媒介物が特定されていないことから、被告人が供述する二、三枚の新聞紙にライターで点火するという方法で、実際に廃材に火を燃え移らせることができるかどうかについては、発生した結果に依拠して検証することができない。
なお、上記九月七日に実施された燃焼実験は、本件放火の事実につき、C方への延焼可能性を検証するため、自動車学校の旧教習コースに模造建造物を建て、本件C方の火災直前の状況と同じく、その壁際に廃材を平らに積み上げ、これに点火してその燃焼経過を観察する方法により行われているが、媒介物としては、灯油を染み込ませた新聞紙を用いている。この実験の時点では、捜査機関は、被告人のその時点における自白に基づいて、灯油が染みた新聞紙が媒介物として使われたという心証を抱いていたものと解されるが、①と同様に出火場所から油分が検出されたという証拠も存せず、この点についても物的裏付けは皆無である。そして、②の検察官調書における供述のとおり、新聞紙に灯油が染みていなかった可能性もあるとすると、そのような新聞紙が媒介物として十分であるかについては、やはり検証されていないことに帰する。
④ 動機と媒介物選択についての説明の不自然さ
加えて、被告人が説明する犯意形成過程に照らし、媒介物として新聞紙を選択することについては、違和感を禁じ得ない。
すなわち、被告人は、本件放火の犯行に及んだ背景事情として、家計のやりくりをする母親から、収入が少ないことについてしばしば愚痴を言われていた上、自らの型枠大工としての仕事も安定してあるわけでなく、ストレスがたまっていたこと、そのストレスを毎日のように酒を飲んで紛らわせていたこと、酒を飲んで酔っぱらうと、火を付けてみたいという衝動に駆られることを繰り返し供述している(乙二、四、一〇、一二)。そして、本件放火の直接的な動機形成の過程については、前記第二の一のとおり「八月一二日の夜、いつものように一人で酒を飲んでいると、仕事が見つからず収入のあてがないという不安が頭をよぎり、また母から金がないと愚痴をこぼされるかと思うと、何となくむしゃくしゃしてきた。散歩しようと思い、ライターと煙草を持って玄関に行くと、灯油の入ったポリタンクとそのポリタンクを載せるキャスターとが目に入った。ポリタンクなどを見たときに、この日も、仕事がなくていらいらした気持ちを発散させるために、どこかに火を付けてやろうという気持ちになった。そして、ポリタンクを載せるキャスターの下に敷いてある新聞紙を使って火を付けてやろうと思い、これ持って外に出た。」(乙四)と説明している。
しかしながら、深夜わざわざ放火を目的として出かけること、しかも、その犯意形成のきっかけは、灯油を入れるポリタンクなどを見たことであったこと、かつ、家を出る時点では具体的にどこに火を付けるかについては決めておらず、火を付けやすそうな所に放火するという程度の意識であったことに照らすと、放火の媒介物として、在中の灯油を容器に入れるなどして持ち出すというのではなく、容器の下に敷いてある新聞紙を選択するということには、それが媒介物として適格を欠くというわけではないにしても、やや唐突な印象を受け、違和感を禁じ得ない。媒介物の選択は、即、被告人が当時思い描いていた放火の犯行像と一致するはずのものであるところ、被告人の供述では、当該新聞紙が、いかに当時の被告人の抱いていた放火の目的を達するのに適していたのかについては全く触れられておらず(この点は、後記の迫真性の欠如と共通する。)、前述したとおり物証が存しないことと相まって、氷解しない疑義を残すというべきである。
⑤ 動機自体の迫真性の欠如
また、そのような動機に基づく放火であれば、その動機形成過程の本体をなすはずの、放火によるストレスの解放や軽減への期待(放火のどのような点がストレスの発散になるのか、人が騒ぐからか、炎を見たいということなのか、他人を攻撃してみたいということなのか、それ以外にあるのか)、特に、既に自供しているそれ以前の余罪で得られた快感や達成感との関係で、これを再び得ようとしたのか否かなどが、当然捜査の過程で問いかけられ、これについてどのような供述が得られたのかが、生々しく記録されるはずである。しかるに、被告人の捜査段階の供述調書には、被告人の生活状況や平素のストレス等については、大部かつ詳細な供述が録取されている一方、肝心の本件放火を決意するに至る動機形成過程については、唯一、前記④に引用した検察官調書(乙四)の記載があるのみであり、その余の調書は、平素のストレスと飲酒酩酊から、直ちに放火を決意したかのような、紋切り型の迫真性を欠く記載にとどまっている。
もとより、犯行動機については、供述者の表現力や自己分析の能力に左右される余地が大きく、前記のとおり、被告人は、その当公判廷における供述態度を見ても、これらの能力に欠ける点があるのではないかとも察せられるのであるが、そのような事情を考慮に入れても、被告人の動機に関する供述内容は、平版な印象をぬぐうことができない。
⑥ 放火行為自体についての供述の迫真性欠如
のみならず、被告人の各供述調書における本件放火行為自体についての供述は、いずれも比較的簡単な記載にとどまっており、真に犯行を体験した者の供述としての迫力に乏しいとの印象をぬぐい難い。放火行為自体について、最も詳細に録取されている検察官調書(乙四)においても、被告人は「私は、火を付けたいと思う余りか、特に周りを見ることもしなかった。重ねた材木の間に隙間があったので、持っていた新聞紙を差し込んだ。無理矢理ねじ込んだという記憶があるので、それほど大きな隙間ではなかったと思う。新聞紙を隙間にねじ込んだ後、ライターで火を付けた。材木に火を付ければC方にも燃え移ると分かっていたが、材木に火を付けるのに夢中になっていて、その後のことまでは深く考えなかった。新聞紙に火を付けると、新聞紙の炎はすぐに五、六センチの高さにまで上がった。それを見ると、目的を達したような気持ちになり、家に戻った。」と述べられているのみである。
本来、より詳細な供述が記載されているはずの警察官調書においてすら、放火行為自体については、「軒下に積み上げられている木材の隙間に、自宅から持ち出してくしゃくしゃに丸めて持参していた新聞紙を突っ込み、その突っ込んだ新聞紙に自宅から持ち出してきた百円ライターで火を付け、新聞紙が燃え上がったところで、一目散に来たときと同じ道順を逆戻りして自宅に逃げ帰った。」(乙一二)という供述が記載されているのみである(他面、同調書では、「火を付けた西側軒下の様子は、道路面から四〇センチメートルくらいの高さのコンクリート土留めの上に、一メートルくらいの高さに角材と板の中間くらいの厚さの木材が積み上げられており、家の外壁と木材との間には一〇センチメートルから二〇センチメートルくらいの隙間が空いていたように記憶している。」と詳細に供述されているが、上記検察官調書(乙四)の記述では、被告人は、むしろそのような観察はしていないように読みとれるし、後の検察官調書(乙一六)では、被告人の直接的認識としては、「材木はC方の壁にぴったりくっついて置かれている」と思い、ただ、普通は材木を壁に付けておくことはないので、多少は離して置いてあるという推論をしている旨の記載となっている。)。
なるほど、上記乙四の検察官調書で述べられている材木のすき間等の存在は、現場の客観的状況と符合しているが、実況見分調書等、捜査によって得られた資料から構成できる事実であるともいい得る。そのようなものでなく、被告人の生々しい体験として、ライターで点火したら、火はどのように燃え上がったのか(灯油が染み込んでいるかも知れないことと、燃え方に差異があったか、風はどの程度あったかなど)、どのくらいの時間炎を見守っていたのか、その時、炎によってどのような光景が浮かび上がっていたか、それを見て何を考えたかなど、真に被告人が放火をしたのであれば、目の前に展開したであろう情景や印象について、何ら触れるところがない。また、前記動機との関係においても、周囲に目が行かないほど「火を付けるのに夢中」な気持ちとか、材木への延焼を確認しないまま家に帰ることにした「目的を達成したような気持ち」というのが、具体的にどのような気持ちなのかについても、触れられておらず、うがった見方をすれば、単に上記のとおり犯行状況について具体的な供述を得られないことを糊塗するための方便ではないかとの疑いすら抱かせる。
本件放火の事実についての捜査は、事件からおおむね一か月程度の時間が経過しているとはいえ、通常であればまだ比較的記憶が保持されていると解される時点で行われているのであり、これらの供述内容の欠落は、記憶の減衰で説明できる程度を超えているといわざるを得ない。
⑦ 明暗に関する供述の欠落
さらに、夜間に敢行された犯罪において、犯人の犯行時及びその前後の行動、さらに、その前提となる周囲の状況の認識との関係で、当該場所ないしその付近の明暗状況がどうであったかは、普遍的に重要な事柄である。したがって、当然、被疑者の自白調書においては、犯行時及びその前後の行動等との関連で、そのような明暗状況に触れる供述(どのくらいの明るさ、暗さであったか、明るかったとすれば、何の照明によるのか、暗かったとすれば、どの程度の状況認識ができたのか、暗かったのに相当の状況認識ができたとすれば、それはなぜか等)が存在すべきはずである。
ところが、本件放火事件に係る被告人の自白調書等(乙二ないし四、六ないし一二、一五ないし一八)の中には、このような明暗状況に触れる供述が一切存在しない(ちなみに、他の証拠を見ても、犯行現場付近の明暗状況を積極的に意識して収集、作成されたとうかがわれる証拠は見当たらない。)。
そのこと自体、自白調書の内容として奇異というべきであり、また、これに関連して、例えば、C宅西側に廃材が積まれているのを被告人が初めて認識した地点についての供述の変遷(乙一二の警察官調書と乙四の検察官調書)がなぜ生じたかといった点も、全く不明というほかはない。なお、強いて言えば、被告人が犯行後自宅に戻る途中、段差等でつまずいたとの供述部分は、その場所が暗かったことを前提とするものと考えられる(乙一二中には、「懐中電灯を持参していなかったのでつまずいた」旨の供述がある。)が、これが客観的な裏付けを欠き、むしろ、事実に反すると推測されることは、後記(四)のとおりである。
⑧ 犯行後の行動についての不自然さ
犯行後の行動について、被告人は、「その場から直ぐに家に帰り、その後また酒を飲んでから寝たが、その間放火現場を一切見なかった。」旨、いずれも極めて簡単な供述をしているにすぎない。しかし、被告人が、真の放火犯人であれば、この間の被告人の行動、心理状況の変化について、詳細な供述をし得るはずである。また、放火した後の現場の様子について全く関心を示さなかったという点も、その動機解明の不十分さと相まって、不自然ないし不消化の印象をぬぐえない。
⑨ 器物損壊についての供述について
さらに、被告人は、本件放火の事実との関係では余罪に当たる本件器物損壊の事実についても、これを認める供述をしているが、前記二(四)③で論及したとおり、この点の自白は、そもそも被告人の記憶に残っていなかったという事実を、目撃者であるWの供述を投げかけることにより、想起させたというものであり、その自白を内容とする警察官調書(乙一三)、検察官調書(乙一九)も、被告人自身記憶が定かでない部分が多いとして甚だあいまいな内容となっている。そして、被告人が記憶に残っていると述べる部分の供述も、W供述、証拠物であるタイヤ自体ないしはその燃焼実験の結果から、捜査官において誘導することが可能な事柄であり、唯一、「ライターの炎を当てている間はタイヤも燃えているが、炎が消えるとタイヤの炎もすぐに消えてしまったことを記憶している。だから、私がその場を離れるときは、炎は消えていたと記憶している。」という部分について、他の証拠にはない、被告人固有の記憶に由来する供述と解することができるにすぎない。
そうすると、この点についての被告人の自白は独立の証拠価値に乏しく、結局、せいぜいWの目撃証言に準ずるものにとどまるというべきであり、その信用性についても、それだけで高く評価することはできない。したがって、余罪である器物損壊についても自白していることをもって、放火についての自白の信用性を高める事情と見ることもできない。
⑩ その他
その他、被告人の警察官調書と検察官調書との間における供述の相違、変遷(新聞紙に灯油が染みていたかどうかに関する前記②、C方西側の廃材の積まれていた状況に関する前記⑥括弧内、本件放火及び器物損壊の事実以外の余罪において、灯油を用いたかどうかに関する前記二(四)⑤括弧内)を見ると、被告人は、警察官の取調べにおいては、記憶のあいまいな部分についても、取調官が提示する客観的証拠等の内容に合わせて踏み込んだ供述をし、検察官から、その認識の程度を質されて、これを後退させるということが一再ならず見受けられる。
また、器物損壊の犯行動機について、「その時の私の気持ちについては、よく覚えていないが、ストレスがたまっていた状況は他の放火の時と同じなので、それらの時と同じような気持ちで火を付けたのかも知れない。」(乙一九)と述べているが、後記W証言では、被告人は「携帯電話をかけながら」犯行に及んだというのであり、また、その様子は、面白半分に悪戯をしているように見えたというのであって、動機としてさほど深刻なものがあったとはうかがわれない状況描写がされており、仮にこれによるとしても、せいぜい電話中の暇潰しとしていたずらをした程度と見るのが至当であろう(警察官調書(乙一三)では「タイヤに火を付けた理由は、たまたま歩いている途中に立ち止まった時、目の前にあった車に何気なしに火を付けたもので、どんな車でも良かった。」としている。)。
これらに照らすと、被告人の供述傾向として、被暗示的側面ないしは迎合的側面があるのではないかとの疑いをいれる余地もあるというべきである。
(三) 評価
以上の事情に照らすと、被告人の自白の信用性については、合理的な疑義をいれる余地が多分に残されているというべきところ、前記(一)の事情、さらに、前記二において任意性自体は肯定できると判断した事情を併せ考慮しても、被告人と犯行との結び付きにつき、自白の真実性を担保するに足りる秘密の暴露的な供述内容や自白の信用性を高めるような客観的証拠が見当たらないことなどを総合勘案すれば、合理的な疑いを差し挟み得ないほどの十分な信用性を肯定するに足りないといわざるを得ない。
(四) なお、検察官は、被告人の自白には、本件放火当時、C方の二階に明かりがついていたこと、本件放火当時にC方の飼い犬が吠えなかったこと、放火した後、自宅へ戻る途中段差等でつまずいたことなど、犯人でなければ語り得ない事項について供述した部分があり、信用性が高いと主張する。しかし、本件放火当時、C方の二階に明かりがついていたこと及びC方の犬が夜間屋内に入れられていたため仮に不審者がいても吠えなかったであろうことについては、捜査機関が、本件火災当日若しくはその後のC方への事情聴取によって容易に知り得る事項というべきである。他方、被告人ならば、被告人宅とC方が近隣であることから、C方の照明の色や飼い犬の存在について、事件とはかかわりなく、以前から知っていたとしても不思議ではない。また、C方の飼い犬が吠えなかったことについて、被告人から、「C方には犬がいることを知っていたので、犯行に当たり吠えられないか心配であったが、どういうわけかその晩に限って吠えられなかった」という供述でもあったのであれば格別、被告人の警察官調書(乙一二)中で、わざわざ捜査官の方から「犬が吠えなかったか」と問いかけ、「犬がいることは知っていたが、その時は格別犬がいることを意識していなかったし、犬は全く吠えなかったと記憶している。」という答えを引き出しており、むしろ、捜査官の方が、あらかじめ本件放火当時のC方の犬の状況について予備知識を持った上で、取調べに当たったことがうかがわれるのである。さらに、被告人が放火後自宅へ戻る途中につまずいた旨の供述については、そもそも直接放火行為とかかわる事情ではなく、その意味で、有力な秘密の暴露といえるかどうか疑問がある上、つまずいたとする位置(乙一二)は、近くに街燈があってかなり明るいと推測されるし、同所には、被告人の進行方向に対し、進行をさえぎる植え込みの列があることが明白で、むしろ、予想外の段差や木の根でつまずく所とは常識的に考えられず(甲五、六九中の各写真)、被告人の供述の客観的な裏付け自体に欠けるというべきである。
また、検察官は、前記二(二)(三)に表れている被告人の本件放火の事実に関する自供経過から、その自白が信用できるものであることは明らかであるとする。
なるほど、そこにおいては、誠に犯罪を犯した者がちゅうちょしながら意を決して自供に至る心情が生々しく記録されていると評し得る。しかしながら、そうであれば、何故に犯行の核心部分についての迫真性が前述のとおり欠如しているのか理解に苦しむところであり、かえって、被告人が佐藤警部補に「火付けのことですか」と語り始めた事実が、果たして本件放火の事実であったのかどうかについて、新たな疑義を生ぜしめるともいい得る。
よって、この点に関する検察官の主張は採用することができない。
第四器物損壊に関するW証言の信用性について
最後に、本件器物損壊事件につき、証人Wの当公判廷における供述(W証言)の信用性について吟味する。
一 W証言の要旨
(一) 四月下旬ころ、仕事を終えた妻を車で迎えに行き、加賀野生協でウーロン茶と缶コーヒーなどを購入した後、午後六時四五分ころに、迫町の「B山」という弁当屋に立ち寄り、弁当を買った。弁当が冷めないうちに食べようと考えて、弁当屋の裏の駐車場に駐車中の車内で、自分は右側(以下、本段落中、前後左右は特に断りがない限り、Wを基準とする。)の運転席に座り、妻が左側の助手席に座って弁当を食べた。自分の車は、エンジンを切り、前照灯や室内灯を消した状態で、テニスコートの方を正面にして、左から五台目くらいに駐車していた。左側には、一台分の駐車枠を開けて三台が駐車していた。右側にも車があったが、離れていた。左側に駐車している中で、一番手前の車は、ニッサンのラシーンの紫が入ったブルー系統であり、「B山」の従業員の車であることを知っていた。甲二四に写っている人と車が、この従業員であり、このとき見た車で間違いない。なお、このときは、野球の巨人戦のナイターをラジオでそれほど大きくない音で聞いており、また、たばこを吸うために運転席側のドアを二、三センチメートル程度開けていたと思う。周辺には、街灯、水銀灯が二、三灯あり、駐車場の端から端まで見えるほど明るかった。この日は、五月の連休前で、連休を取ることについて妻と相談していたことから、四月下旬ころであったと覚えている。
(二) このように、弁当を食べていたとき、被告人が自車の右前方から、車の前の一段高くなっている歩道上を歩いてきた。自分は、平成一〇年八月初めころ、病院に入院中、一〇日間ほど被告人と同室となり、いろいろ話をしたりしていたので、すぐに被告人だと分かった。妻も被告人のことは知っていたので、妻とも「Aさんだなあ。俺たちいたのに気付かねえかな。」などと話し合った。そのころ、既に弁当は食べ終わり、ジュースやコーヒーを飲んでいたので、被告人が自分らのことを気付けば、話でもしようと思って被告人を注視していた。被告人は、携帯電話をかけながら歩いて、目の前を通過し、ラシーンの右端前方で急にしゃがみこんだ。そして、被告人は、左手で携帯電話を持ったまま、右手でライターを持ち、ライターに火を付けて右前タイヤの一番端のブロックと溝の間辺りに近づけた。被告人は、ライターの火が消えると何度か付けなおしていた。そこで、自分は、妻と「何だ。いたずらしてんのかな。火を付けんのかな。人の車さそんなことやってや。」などという会話をした。詳しい時間は分からないが、被告人は、タイヤにライターの火を近づけていた。そのうち、タイヤから若干黒煙が上がり始め、ライターなしでもタイヤが独自に火を保つようになった。
(三) 被告人は、三〇秒から一分くらいライターの火をタイヤに近づけた後、立ち上がって、もと来た方向に、自分の前方を左から右に戻っていった。被告人が立ち去ったとき、火の高さは五センチメートルくらいになっていた。火の色は、オレンジ色であった。被告人は、知り合いなので声をかけにくかった。炎が大きくなっていく感じがしたので、三分の一くらい飲み残していた三五〇ミリリットル缶入りのウーロン茶を火にかけて消した。被告人がその場を立ち去った時刻は、車のデジタル時計を見ると午後七時四八分であった。時計の時間のずれは、せいぜい一分くらい進ませているくらいであると思う。妻と二人で話をして、時刻を記録した。
(四) 被告人を見ていた時間は、三分間くらいだと思う。見ていたときの距離は、遠くてもせいぜい四、五メートルである。そのとき、被告人は、濃い色の半袖のTシャツと、ジャスを着ていた。被告人が火を付けていたとき、自分は、被告人の体の横を見ていた。
(五) 目撃した翌日かその次の日に、B山の女性従業員に、ラシーンのタイヤが焦げているので持ち主の男性従業員にタイヤを確認させるように注意した。また、連休後である五月中に、佐沼警察署の二階で、自分自身の犯罪の取調べを受けているときに、たまたまサイレンが鳴ったので、生活安全課の石山さんと火事の話になり、石山さんがB野やD原で放火が多いという話をしていたので、(二)の目撃状況を話した。しかし、自分は、被告人に病院でお世話になっていること、タイヤに火を付けるのと民家に火を付けることでは全く違うことから、被告人の名前を明かしたくなかったので、被告人が住んでいる場所の近くの建物名や上記の入院歴に関する大まかな情報だけを石山さんに告げた。その後、七月ころに妻のところに、安藤巡査がきたようだ。自分自身は、佐藤警部補に呼び出されて、七月一九日に調書を作成された。
二 供述自体の信用性
Wの上記(一)ないし(五)の目撃供述は、具体的かつ詳細で、分からないことは分からないと答えるなど率直で、迫真性に富み、臨場感にあふれ、かつ、厳しい反対尋問にも崩れることがなかった。
加えて、上記目撃の正確性に関する諸事情を見ても、被告人と面識がある者が、せいぜい五メートル内外の至近距離から、継続的に注視した内容の目撃状況を基本とするものであり、当時、現場には水銀灯などがあって夜間でも顔の識別が可能な明るさがあったこと、Wの視力に特に問題がなかったこと、Wは、被告人と特に利害関係を有していないことなどを併せ考慮すれば、同人の目撃供述は、基本的に信用性が高いというべきである。
三 他の証拠に照らしての信用性の検討
(一) 客観的裏付け証拠の欠如
しかしながら、前記被告人の放火に関する自白と同様、W証言もその真実性を裏付ける客観的な証拠に乏しいことは否定できない。
すなわち、Wの警察官調書における供述に基づき、前記第三の一(二)のとおり、被害を受けたとされる車両及びその所有者が特定され、タイヤを確認したところ、凹損部が確認され、これが当裁判所に証拠として提出されていること、上記凹損が火炎などによる熱を加えられて生じたものであることと矛盾しないものであることが認められる。しかしながら、次の事情に照らせば、この凹損部の存在がそれ自体として、直ちに、W証言に係る被告人の犯行の結果であることを物語っているとは断じられない。
まず、上記タイヤの凹損部が確認された時点と、Wが本件器物損壊の犯行を目撃したとする時点との間には、三か月弱もの時間の経過が存する。そして、所有者であるBは、当公判廷において、この間被害を全く認識しないまま、上記車両を勤務先である「B山」への通勤に使用し、勤務中は裏手の町営テニスコート前の駐車場に駐車していたというのであり、この間に、被告人以外の者からの攻撃を受けた可能性も否定できない。
さらに、Bは、上記車両は同年二月ころ中古車として購入したこと、購入時にはスノータイヤが装着されていたこと、これを上記被害タイヤに履き替えたこと、その時期はおそらく四月の中旬ころであり、五月に入っていたということはないこと、被害タイヤも中古であり、履き替える時に実父から譲り受けたものであること、その時傷があるかどうかについては良くは確認していないが、一応の確認をしてみた限りでは、傷は見当たらなかったこと、このタイヤを装着して五月にはいわゆる車検整備も受けているが、タイヤについて何ら問題は発見されていないことを証言している。このうち、上記車検の結果については、弁護士法二三条の二に基づく照会回答により裏付けられているところ、本件タイヤに認められる凹損の程度に照らせば、車検の基準とされる「タイヤの溝の深さが一・六ミリメートル以上あるか、異常な亀裂や摩耗がないか」(甲五一)という観点から検査して、発見できなかったことを直ちに異とすることはできないが、他面、少なくとも自動車整備の専門家が上記のような異常がないかどうかという観点から観察したのであるから、凹損が現存していたのであれば発見されたであろう可能性も否定できないのであり、この点は、車検時に凹損が現存しなかった合理的疑いをいれる事情とも評し得る。また、Bが現に証拠物とされているタイヤを犯行があったとされる当時自車に装着していたのか否か、その当時タイヤには全く傷がなかったのか否か等についても、Bの証言からは確証が得られない。
(二) 警察官調書との供述の齟齬について
さらに、弁護人が指摘するとおり、Wの目撃供述には、捜査段階における供述(警察官調書・弁四七)と相反する部分が存する。
すなわち、上記警察官調書においては、火をタイヤに近づけた時間を五、六分と述べていること、被告人が、右手で携帯電話を持ち、左手で火を付けているとしていること、目撃した時期について、四月二七日か二八日ころの午後七時三〇分ころであったと比較的限定して述べられていることが、公判供述と異なっている。
このうち、被告人が携帯電話とライターをそれぞれいずれの手に持っていたのかについては、目撃時から約三か月が経過した平成一一年七月一九日に作成された警察官調書と、さらにそれから約七か月を経た平成一二年二月二二日にされた当公判廷における供述との間の時間の経過に伴う通常の記憶の減退ということで説明がつく程度の相違ということもできる。
しかしながら、ライターの火をタイヤに近づけていた時間につき、三〇秒から一分くらいという公判供述と、五、六分という捜査段階の供述との差異は、同一人の時間の感覚を前提とする限り、その観察に係る被告人の行為自体の実存性を大きく左右するものということができる。
さらに、目撃時期については、Wの警察官調書には「目撃した日時をなぜ四月二七日か二八日ころの午後七時三〇分ころから午後八時ころだと分かるかというと、もう捨ててしまったが、放火を目撃した時に、車内ですぐに何かの領収書の裏側に目撃した日時をメモしたから、そのような記憶が残っている」と明確に記載されており、これを録取した佐藤警部補自身、当公判廷において、Wから同旨の供述を得た旨証言している。これに対し、Wは、公判廷では、「推理小説を良く読んでおり、人に聞かれるときには、時間とか場所を聞かれるから、それで車の時計で七時四八分という時間を確認し、メモをした。しかし、日にちについては書いていないと話している。刑事に対しても四月下旬と話しているはずだ。」と説明しているが、推理小説に触発されて、時刻まで気にしてメモをしながら、日付については記録していないというのは、不自然な印象を受ける上、そもそも、W証言によれば、Wは、前記一(五)のとおり、目撃した時期からさほど経過していないその年の五月中旬ころ(前記第三の一(二)によれば連休が明けたばかりの五月七日と認められる)に、自らの毒物及び劇物取締法違反被疑事件の捜査官である石山警察官に、目撃状況を話しているのであるから、日時等についての記憶が鮮明なうちにその保存が図られているはずである。さらに、前記第三の一(三)③のとおり、被告人に対する逮捕状請求時には、その被疑事実が「四月二七日ころ」と特定されていたこと、その時期に作成された器物損壊被疑事件に関する佐藤警部補作成に係る捜査報告書においても、いずれも日時について同様の特定があること、被告人の九月一三日付け警察官調書(乙一三)においても、被告人は佐藤警部補から犯行日時について「四月二七日ころ」との教示を得ていることからも明らかなとおり、同事件の捜査の初期段階においては、犯行日時は、主として四月二七日又は二八日ころと相当に絞り込まれていたことは明らかであり、その特定の要となっていたのがWの佐藤警部補に対する供述であったというべきである。してみると、四月下旬ころと一貫して供述していた旨のWの説明は、措信し難い。
そして、Wがこの点について公判廷で供述を変遷させた理由について検討すると、被告人から、「B山」裏の駐車場に行ったことがあるとすれば、交際相手のE子のアパートに遊びに行った帰りであるはずだという供述(乙一三)を得て、九月一三日E子に事情聴取を行ったところ、その手帳の記載に基づき、被告人がE子のアパートに来たのは同年四月二八日であるとの供述を得たこと(甲一五)、ところが、同月一六日になって、E子から、被告人がアパートに来た日は勤務先の日誌を見たところ、四月二八日ではあり得ず、同月二五日、二九日、三〇日のいずれかと思う旨の供述の訂正がされたこと(甲一六)などから、これと整合させるために、目撃日について幅のある供述となったものと推認され、事後的に他の証拠との衝突を来したことを捜査官から明示的ないしは黙示的に示唆され、供述を改めたものとの疑いをいれる余地がある。
(三) 捜査経緯の不自然性
また、捜査機関が本件器物損壊を認知した端緒は、Wの情報提供であったところ、その経緯についても、不自然さが残る。すなわち、佐藤警部補の当公判廷における証言及び同人作成の七月二三日付け認知報告書(甲六八)によれば、その認知の経過は次のとおりである。
① Wが同年七月九日に佐沼警察署A田駐在所を訪れ、同所勤務の安藤正勝巡査長に、被告人の名を明かさず、「C川町から引っ越してきてD原地区に住んでいる年齢二十六、七歳の男」として犯行目撃情報を提供した。
② 次いで同巡査長が上記人着に該当する者を捜査したところ、被告人が浮上し、同巡査長は佐沼警察署にその旨申報した。
③ そこで、七月一九日に佐藤警部補がWの来署を求め、前記(二)の相反部分を除き、ほぼ前記一(一)ないし(三)と同旨の前記警察官調書を録取した。
ところが、Wは、前記一(五)のとおり既に五月に石山警察官に情報提供したと述べている一方、自分が安藤巡査長に情報提供したことはないと的確に否定し、ただ、妻が同巡査長から事情聴取を受けたことはあるようだと述べるにとどまる。そして、同人の毒物及び劇物取締法違反被疑事件における警察官調書等(甲七七、弁五二ないし五四)に照らしても、前記第三の一(二)①のとおりの経過が認定されるというべく、Wの説明がより真実に合していると解され、上記認知報告書及び佐藤警部補の証言は、その限りで措信し難い。
他面、そうであるとすれば、石山警察官が五月の前半ころには既に情報提供を受けながら、しかも、それが別表「警察が放火の疑いを抱いた火災」欄番号五ないし七のとおり、同年四月中旬から下旬にかけて、不審火が頻発していた状況下での情報提供でありながら、上記①ないし③のような具体的捜査に直ちに移行しなかったのはどうしてなのか、(仮に、同警察官が生活安全課所属の警察官であり、刑事課所属の警察官ではなかったことを前提としても、)何ら首肯するに足りる説明はなく、なお疑念が募るというべきである。
さらに、このような疑念は、単にW証言の信用性を左右するにとどまらず、本件器物損壊事件の捜査全体についての疑念にもつながるというべきである。すなわち、B作成の被害届(弁三)及び告訴状(弁四)の作成日付は、七月二一日付けとなっており、八月二六日に逮捕状請求の資料として裁判所に提出されていることが明らかであるにもかかわらず、その佐沼警察署における受付日付印の日付が九月二〇日となっていること、同被害届、Bの司法警察員に対する供述調書(弁二)、任意提出書(甲二五)、領置調書(甲二六)及び捜査報告書(甲二七)において、提出された被害タイヤのサイズ(幅)が一八〇ミリメートルから一八五ミリメートルに書き換えられていること、また、上記被害届では被害品の時価が一万円と記載されているのに、前記第三の一(三)③のとおり、逮捕状請求書においては時価額三万円相当とされていたことなど、捜査書類の形式的不整合の類についても、器物損壊という比較的軽微な事件であり、本格的な捜査の着手が遅れたことに起因する過誤に過ぎないと善解することもできようが、他面、弁護人の指摘する事件ねつ造の疑念、少なくとも、後に証拠を改変したのではないかとの疑念をいれる余地を完全には排斥できないものとしているというべきである。
(四) 被告人の供述と整合性
さらに、本件器物損壊の現場は、被告人の居宅から一キロメートル以上も離れている場所であるところ(乙一三、甲八一)、既に(二)で触れたとおり、被告人は、九月一三日付け警察官調書において「何で『B山』付近まで行って火を付けたのかも分からない。ただ、その付近には交際中の女性であったE子がおり、家族が寝静まってから、自宅を抜け出して遊びに行くなどしていた。刑事からは、私が火を付けたのは四月二七日ころの午後七時三〇分ころであると教えられたが、なぜこの日に、何時もの火付けの時間帯と違って午後七時三〇分ころの早い時間帯に火付けをしたのかも分からない。推測としては、日中からE子の家に遊びに行き、夕方自宅に帰る途中に火を付けた可能性が高く、そのころ大工仲間のDとA野堂公園に行って酒を飲んだ帰りにE子のアパートに遊びに行ったことがあり、そのときは自宅に帰るとき歩いて帰った。何時ごろであったかは思い出せないが、その時の可能性がある。」(乙一三)と供述し、一〇月五日付け検察官調書(乙一九)でも、「四月下旬ころ、E子、Dの三人でE子のアパートでビールを飲んだ。その後、Dが一人で帰ってしまったので、私も一人で歩いて帰ろうとした。帰る途中にB山があるが、その時以外に私が歩いてB山に行くことはないので、このときに車のタイヤに火を付けたことに間違いないと思う。」と述べており、一貫して、E子のアパートから帰宅する途中以外に「B山」に立ち寄ることは考え難い旨、しかも、E子のアパートに遊びに行くのはいつも深夜であるから、(犯行が目撃された)午後七時三〇分ころにその駐車場に立ち寄ったのは、四月下旬ころ、E子、Dの三人でE子のアパートでビールを飲んだ時以外に考えられないというのである。
そこで、この日がいつであるかが問題となるが、E子は、勤務状況に照らして、その日は自分の休暇の日か日祭日であったはずであるとして、四月一八日、二一日、二五日、二九日、三〇日のいずれかがこれに当たると供述している(甲一六、七八)。そして、同人は、証人として出廷した当公判廷において、同月下旬ころの鹿ケ城の桜祭りが開催されていたころ(同桜祭りの開催時期は同月一三日から同月二三日まで。甲七九)に、被告人から花見に誘われ、その後一緒に犯行現場にほど近いE子のアパートで酒を飲んだ後、被告人が一人で歩いて帰る途中、E子が被告人の携帯電話に電話をかけ、犯行現場のすぐ近くのパチンコ店E田付近で被告人を車に乗せた旨、Wの証言内容を間接的に補強するような証言に及んでおり、それだけに、その信用性はたやすく否定し難い。
他方、Bの証言によれば、Bは、「B山」に勤務する際、町営テニスコート南側駐車場内に自車を駐車しているが、Bの四月中旬以降、五月の連休前の勤務時間は、四月一七日ないし二〇日、二七日ないし三〇日が午後二時から午後一一時ないし一二時までの遅出の勤務、同月二二日ないし二四日が午前五時三〇分から午後三時ないし四時までの早出の勤務であって、午後七時三〇分ころにBが「B山」に勤務していた日、すなわちBの勤務が遅出である同月一七日ないし二〇日又は二七日ないし三〇日が、同駐車場に本件被害車両が駐車されていた日ということになる。
さらに、E子のアパートで一緒に酒を飲んだとされるDも、その日は自分の仕事が休みの日であり、同月下旬における休みの日は、同月一七日、一八日、二五日である旨、勤務先の作業日報に基づいて証言している。
以上によれば、被告人がE子のアパートでDと共に三人で酒を飲んだ可能性のある日で、かつ、Bが遅番勤務の日との条件を満たすのは、同月一八日のみということになるが、これは、同月下旬という枠を超えるとともに、四月下旬の意味合いについて「四月末ころ」とも述べているW証言とも、整合しない。
なお、検察官は、そもそも被告人は、E子のアパートでDと共に三人で酒を飲んだ日に犯行に及んだとは断定しておらず、可能性として述べているにとどまるとするが、徒歩であれ自動車によるのであれ、被告人が犯行現場との関係で自認しているのは、あくまで深夜にE子のアパートを訪れていたということに尽き、これ以外の機会に、現場周辺を行動範囲としていたことの具体的な立証は全くないのであり、いずれにしても、被告人の現場付近における行動について、時期及び時間帯の点を含め、W証言の信用性を支え得る証拠はない。
(五) 被告人の服装について
加えて、W証言によれば、目撃時の被告人の服装は、濃い色の半袖のTシャツと、ジャスのようなズボンであったというのである(この点は前記同人の警察官調書の供述も同旨であり、これに基づいて被告人方から類似の着衣が押収されている。)が、四月下旬ころの午後七時ないし八時ころの気温は、現場最寄りの気象観測所の観測(弁四二)によれば、高い時は一六・四℃(四月二七日午後七時、栗原郡築館町)であるが、低い時は六・五℃(四月二九日午後八時、同所)であり、いずれにしても半袖Tシャツを着用する時節ともいい難く、この点も犯行を目撃した時期が四月下旬ころであるとする供述の信用性に疑義をいれる事情というべきである(なお、弁四二からは対応する日の日中の気温が不明ではあるが、E子は、警察官調書(甲一六)において、被告人から花見の誘いがあったが、外が寒かったため、自分のアパートで酒を飲むことになった旨も供述している。)。
四 評価
以上の事情を総合すると、W証言については、前記の信用性を肯定すべき事情を考慮しても、なお、これに疑義をいれるべき事情も多く、かつ、これらの疑義を解消し、あるいは、これを上回ってその信用性を増強すべき証拠は存しない。してみると、W証言には、これにより本件器物損壊の事実を認定し得ると断言できるほどの信用性は認められない。
第五結論
以上を総合すれば、被告人の自白調書等は信用できず、本件放火の公訴事実について他に被告人の犯人性を裏付ける証拠はないから、結局本件現住建造物等放火未遂の公訴事実については犯罪の証明がないことになる。
また、本件器物損壊の公訴事実についても、被告人の自白調書等は信用できず、Wの犯行目撃供述も、その信用性を肯定することができないところ、同様に他の被告人の犯人性を裏付ける証拠はないから、これについても犯罪の証明がないことに帰する。
したがって、いずれの公訴事実についても犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 畑中英明 裁判官 前田巌 櫛橋直幸)
<以下省略>