仙台地方裁判所 平成11年(ワ)150号 判決 2001年2月20日
原告(反訴被告) A野太郎
訴訟代理人弁護士 小野寺信一
同 十河弘
被告(反訴原告) B山松夫
訴訟代理人弁護士 水谷英夫
同 松井恵
同 内藤千香子
同 井野場晴子
主文
一 原告(反訴被告)の請求を棄却する。
二 被告(反訴原告)の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを二分し、それぞれを各自の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 本訴請求
被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成一一年二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴請求
原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成一一年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本訴事件は、B野大学(以下「本件大学」という。)の教授である原告(反訴被告、以下「原告」という。)が、同大学の教授である被告(反訴原告、以下「被告」という。)に対し、被告が学内の会議の席上でした発言によって原告の名誉が毀損されたとして、不法行為に基づく損害賠償請求として慰謝料三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日からの遅延損害金の支払を求めた事案であり、反訴事件は、被告が、原告に対し、本訴の提起は事実的、法律的根拠を欠く不当な訴訟であるとして、不法行為に基づく損害賠償請求として慰謝料三〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日からの遅延損害金の支払を求めた事案である。
一 前提となる事実(争いのない事実並びに《証拠省略》によって容易に認定できる事実)
(1) 当事者
ア 原告は、本件大学教養学部教養学科言語科学専攻(以下「言語科学専攻」という。)の教授で、英語の講義等を担当していた者である。
イ 被告は、言語科学専攻の教授で、倫理学の講義等を担当していた者であり、平成九年及び平成一〇年当時、言語科学専攻主任の地位にあった者である。
(2) 言語科学専攻系専門教育科目の講義等の担当者の決定
ア 言語科学専攻の教授らは、平成一〇年九月ころ、平成一一年度の言語科学専攻系専門教育科目の講義等の各担当者(以下「科目担当」という。)を決定する作業を行っており、被告は、言語科学専攻主任として、その調整に当たっていた。
イ 被告は、同月一六日、言語科学専攻の教授らで構成する言語科学専攻会議(以下「専攻会議」という。)に、被告作成の科目担当案(以下、「第一案」という。)を付議した。第一案には具体的な担当者名が空欄となっている部分があり、同会議の出席者は、第一案を基に各部局(各系列科目の教員間)で担当者を決めること、これが困難である場合には、言語科学専攻主任である被告と関係者との協議によって決定することを申し合わせた。
ウ 前記の申合せを踏まえ、英語系科目担当の教員らは、協議の上、第一案において科目担当者候補が記載されず空欄になっていた「英作文Ⅰ」を、原告に担当させることとし、同月一八日、被告に対し、その旨が記載された科目担当案(以下「英語科案」という。)を提出した。
エ しかし、被告は、英語科案とは異なり、「英作文Ⅰ」は他の教員に担当させ、原告には専門教育科目を担当させないこととする科目担当案(第二案)を作成し、同月二四日、これを本件大学構内の掲示板に貼り出し、また、前記専攻会議の議事録の裏面に印刷して、原告を含む各教員らに配付して、その内容を告知した。
オ その後、被告は、第二案に対する質問、異議等への対応を経て、科目担当につき最終的な調整をした上で、同月三〇日、専攻会議としての最終的な科目担当案(以下「第三案」という。)を学事課学務係を通じて教養学部長に提出した。同学部長は、同年一〇月初旬ころ、第三案に沿った形で、科目担当を正式に決定した。
(3) 専攻会議における被告の発言
ア 同年一一月一八日、専攻会議が開催され(以下、同日の専攻会議を「本件会議」という。)、原告及び被告を含む言語科学専攻所属の教員ら三一名が出席した。
イ 原告は、本件会議において、被告が英語科案と異なる科目担当案を作成した理由を問いただした。これに対し、被告は、そのような対応をとったのは、原告にいわゆるセクシャル・ハラスメント(以下「セクハラ」と略す。)の問題があるからであるという趣旨の発言を行った。
二 本訴請求についての当事者の主張
(原告の主張)
(1) 名誉毀損行為
被告は、英語科案と異なる科目担当案を作成したのは、原告にセクハラの問題があるからである旨述べ、あわせて、「あなたはやったんだろう。そのことを考えてもらいたい。」「あなたには反省してもらわなければ困る。」「恥を知れ。」「今度は許せない。」「私は罷免されても、あんたには授業を持たせない。」などと述べた(以下、以上のような本件会議における被告の発言をあわせて「本件発言」という。)。
一般に、セクハラとは、「歓迎されない性的な言動又は行為により、(女性に)屈辱や精神的苦痛を感じさせたり、不快な思いをさせたりすること」とか「性的な言動又は行為によって、相手方の望まない行為を要求し、これを拒んだ者に対し、職業、教育の場で人事上の不利益を与えるなどの嫌がらせに及ぶこと」と定義されているところ、本件発言は、本件会議に出席し、これを聞いた教員らに対し、原告が担当科目を取り上げられてもやむを得ないほどの重大なセクハラをしたのではないかとの印象を与えるものであって、セクハラが前記のような意味で一般的に定義されていることからすれば、本件発言がされたことによって、原告に対する社会的評価は著しく低下したというべきである。
(2) 損害の発生及び慰謝料額
原告は、被告が何らの根拠もなく本件発言をしたことによって、多大な精神的苦痛を受けた。本件発言の内容及びそれがなされた状況、被告がいまだに名誉回復措置をとることを拒否していることなどの事情に照らせば、本件発言によって原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は、三〇〇万円が相当である。
(3) 結論
よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、三〇〇万円及びこれに対する平成一一年二月一七日(訴状送達の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
(1) 名誉毀損行為の不存在
本件発言は、「あなたにはセクハラの問題がある。」「あなたはやったんだろう。そのことを考えてもらいたい。」「あなたには反省してもらわなければ困る。」「恥を知れ。」などというものであるが、これは、原告にセクハラの問題があるという極めて抽象的な事実ないしこれに対する被告の主観を述べたものであって、具体的な事実を摘示したものではない。したがって、本件発言は、原告に対する社会的評価を低下させるような内容ではないというべきである。
また、本件会議に出席していた者は、本件会議が開催された当時、原告にセクハラに関する問題があるということは認識していた。したがって、本件発言は本件会議の出席者の認識に新たな事実を付加するものではなく、本件発言がされたことによって、原告に対する社会的評価が低下したということはない。
以上によれば、被告が本件発言をしたことは名誉毀損行為には当たらないというべきである。
(2) 被告が本件発言を行ったことは違法ではないこと
仮に、被告が本件発言をしたことが名誉毀損行為に当たるとしても、以下のとおり、本件発言の内容は真実であり、あるいは、被告が真実であると信じるにつき相当な理由があり、かつ、被告が本件発言をしたことは社会的に相当な行為である。したがって被告が本件発言をしたことは、不法行為を構成するような違法な行為ではないというべきである。
ア 本件発言の内容の真実性
本件発言は、原告にセクハラの問題があるという極めて抽象的な事実を述べたものにすぎないところ、以下のとおり、原告には、学生四名に対するセクハラの問題があったのであるから、本件発言の内容である「原告にセクハラの問題がある」という事実は、真実である。
(ア) C川花子(以下「C川」という。)、D原竹子(以下「D原」という。)及びE田梅子(以下「E田」といい、以上の三名をあわせて、「C川ら」という。)に関して
① 原告は、平成九年五月二一日ころ、C川に対し、発音の指導と称して口の中に指を入れたり、腹や胸を触るなどし、また、その指導終了後、駐車場に歩いて行く際に、「この辺は蛇がよく出る。」などと言って、手を握るなどのセクハラをした。
② 原告は、同年の前期の英文法の追試験の際、D原に対し、手や背中をさすったり、帰り際に抱きかかえるなどのセクハラをした。
③ 原告は、同年六月ころ、指導を受けに原告の研究室を訪れていたE田に対し、背中をなでて体を寄せたり、パソコンのマウスを使用しているときに手を重ねるなどし、また、その指導終了後、駐車場に歩いて行く際に、肩や背中に手を回したり、蛇がよく出るなどと言って、背中の方に手を入れ、更には、エレベーターから降りる際に、背中に手を回したり、胸を触るなどのセクハラをした。
(イ) A田春子(以下「A田」という。)に関して
原告は、平成一〇年一月末ころ、A田が「原典講読」のレポートを提出しに原告の研究室を訪れた際、A田に対し、写真を見せながら、肩に手を掛けたり、腰を押すようにしてパソコンの方へ移動させるなどし、また、パソコンのマウスを使用しているときに、手を重ねるなどし、さらに、その後、A田を車で泉中央駅まで送る際に、シートベルトを掛けてやると言ってのし掛かったり、頬をつつくなどのセクハラをした。
イ 真実と信じたことの相当性
(ア) C川らは、平成九年七月ころ、被告に対し、原告からセクハラを受けた旨の被害申告をした。そして、被告は、同年八月八日、当時の本件大学の学長であったC山夏夫(以下「C山学長」という。)の指示を受け、カウンセリングセンター所員でもある心理学の教授のD川秋子(以下「D川」という。)とともに、C川らから事情を聴取した。C川らは、その事情聴取の際、それぞれ、原告から前記ア(ア)記載のセクハラを受けた旨述べた。
また、A田は、平成一〇年八月一一日、被告及び被告の担当する演習の学生一〇名余が出席した宴会の席で、原告から前記ア(イ)記載のセクハラを受けた旨の話をした。
(イ) 以上のように、被告は、直接、C川ら及びA田から、原告にセクハラを受けた旨の被害申告を受けたのであるが、被告は、その供述態度が真摯なものであったこと、被害申告が複数であったこと、その被害態様に類似性があったこと、C川ら及びA田が特に虚偽の申告をする理由のないことなどから、その申告が真実であると信じたのであって、被告が、原告がC川ら及びA田に対しセクハラをした事実があると信じたことについては、相当な理由がある。
ウ 本件発言をしたことの相当性
大学教員がその指導する学生に対しセクハラをしたということは、学生の学習、研究環境に関する重大な問題であり、言語科学専攻主任の立場にあった被告が、これを言語科学専攻に所属する教員の会議の場である専攻会議において問題にし、発言をすることは、当然の行為である。
また、原告は、本件会議の以前である平成一〇年九月中旬ころ、被告から、「最近また去年と同じような話が入ってきている。」と注意を受け、また、「英作文Ⅰ」の科目担当を外れた理由が自己のセクハラ問題にあることを他の教員から聞き、その理由を知っていたにもかかわらず、被告に対し、執拗に科目担当から外れたことについて説明を求めたため、被告は、やむを得ず本件発言をしたのであって、被告が原告にセクハラの問題があることに言及したことは、原告の意に反するものではなかった。なお、被告は、本件発言をする際に、原告及びセクハラの被害を受けた学生の名誉等に最大限配慮し、極めて抽象的に、原告が科目担当を外れた理由を述べた。
以上に述べた事情を考慮すれば、被告が本件発言をしたことは、社会的に相当な行為であることは明らかである。
(被告の主張(2)に対する原告の反論)
(1) 本件発言の内容の真実性について
原告がC川らに対してセクハラをしたということに関する問題は、決着済みの問題であり、また、被告は、A田から、原告からセクハラをされた旨の申立てがあったことを受けて、本件発言をしたものというべきであるから、本件発言の内容が真実であるというためには、原告がA田に対して、セクハラをしたということが証明されなければならないというべきである。
しかるに、A田は、「原典講読」のレポートを提出しておらず、原告が、A田に対して、同レポートを提出した際に、セクハラをした事実はない。
なお、A田の証言は、その証言内容自体には不自然な点はないかのようにみえるが、その供述内容(レポート提出日、原告の研究室にソファーがあったか否か、レポートの書式等について)が変遷していること、その供述内容に客観的事実に反する部分があること(原告の研究室には、平成一〇年一月末当時、トーイックの問題の入ったCDロムを稼働できるパソコンはなかったこと)などからすれば、その信用性は低く、同証言によって、原告がA田に対し、セクハラをしたということはできないというべきである。
(2) 真実と信じたことの相当性について
被告の主張によっても、原告がA田に対してセクハラをしたという客観的な証拠はないのであるから、被告は、本件発言をする前提ないし原告を科目担当から外す措置をとる前提として、一方当事者である原告から事情を聴取するなど、原告に反論する機会を与えるべきであった。
しかるに、被告は、本件発言をしたときまでに、原告に対し、A田が述べた内容を伝え、これに対して反論する機会を与えたり、あるいは、A田に対して、本件大学に設置されていたセクハラ問題に関する調査委員会に被害申告をさせ、原告が反論する機会を設けるなどの対応を全くとっていない。
以上のように、被告が、原告に対し、反論する機会を与えずに、A田の供述のみを判断材料として、原告がA田に対してセクハラをした事実があると信じたとしても、そのように信じたことについて、相当な理由があったということはできないというべきである。
(3) 本件発言をしたことの相当性について
被告は、本件会議前に、原告に対しセクハラの話があると注意したところ、原告がこれを否定したので、これに腹を立て、腹立ちまぎれに、原告の科目担当を外し、その理由を公表することによって、私的制裁をしようとしたものであり、不当な目的をもって、本件発言をしたものというべきである。被告が、原告に反論する機会を与えずに、本件発言をし、また、その後も、数回、原告あるいは原告の代理人(本件訴訟代理人弁護士)から、原告がいつだれに何をしたのかを明らかにするように求められたにもかかわらず、本訴が提起されるまで、これを明らかにしなかったこと、及び、被告が、本件会議後、言語科学専攻の教員らに対し、C川らに対するセクハラの件を知らせたことは、前記のように、被告が、腹立ちまぎれに、私的制裁をしようとしていたことを示すものである。
したがって、被告が本件発言をしたことが相当であるということはできない。
なお、本件発言は、原告の質問に答える形でされているが、被告が本件会議のときまでに、原告に反論する機会を与えていなかったこと、及び、被告は原告の質問に対して、別室で二人で話をするなどの対応をとることも可能であったことからすれば、前記のような状況で本件発言がされたことをもって、被告が本件発言をしたことが相当であるということはできないというべきである。
三 反訴請求について
(被告の主張)
(1) 本訴提起の違法性
ア 訴えの提起は、当該訴訟において、提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に、相手方に対する違法な行為となるものと解すべきである。
イ 前記二被告の主張(1)及び(2)記載のとおり、被告が本件発言をしたことは、いかなる意味でも、不法行為を構成することはない。そして、原告は、四名の学生に対し、度重なるセクハラをしていたのであるから、本件発言に該当する事実があったことを知っていたことは明らかであって、原告は、本訴請求が、事実的、法律的根拠のないものであることを知っていたということができる。
そして、原告は、上記のように、本訴請求が、事実的、法律的根拠のないものであることを知りながら、被告が少人数の科目である「英作文Ⅰ」を原告に担当させないという配慮をしたことを逆恨みし、名誉毀損であらかじめ被告を訴えることを企図して、専攻会議の様子を用意したテープレコーダーで隠れて録音しながら、被告を挑発して執拗に英作文の担当を外した理由を問いただし、原告のセクハラがその原因であるとの本件発言を被告から引き出した上で、本訴を提起した。
また、原告は、訴訟の過程においても、A田が「原典講読」のレポートを提出していないなどと主張し、その証拠として、レポートを提出した者につきチェックをした「原典講読」の受講者名簿(甲六)、レポートの割当てを記載した「原典講読」のテキスト(甲七)を提出するが、これらの証拠は、原告がねつ造したものである。
ウ 以上に述べたところからすると、原告は、本件発言が何ら不法行為を構成するものではないことを知りながら、不当な目的のため、あえて本訴を提起したものであるということができ、原告が本訴を提起したことは、前記の「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合」に当たり、被告に対する違法な行為となるというべきである。
(2) 損害の発生及び慰謝料額
被告は、原告が不当に本訴を提起したことにより、著しい精神的苦痛を被った。原告が、本件訴訟の過程において、証拠をねつ造し、陣述書に工作をするなどして、被告及び裁判所に対する著しい背信行為を行ったことも考慮すれば、前記の被告の被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は、三〇〇万円が相当である。
(原告の主張)
仮に、本訴請求に理由がないとしても、原告は、被告及び本件大学から、A田に対するセクハラの問題について、具体的な事実を告知されず、また、反論する機会も与えられなかったために、身を守るための最後の手段として、本訴を提起したのであるから、原告が本訴を提起したことが、被告に対する不法行為を構成するということはできないというべきである。
第三当裁判所の判断
一 本訴請求について
(1) 名誉毀損行為の有無
ア 前記前提となる事実及び《証拠省略》を総合すると、本件会議の状況等につき、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(ア) 原告は、本件会議の際、被告に対し、英語科案とは異なり、原告が専門教育科目を担当しないこととなった理由を尋ねたところ、被告は、具体的な回答を避け、「あなたが一番よく知っているだろう。」などと述べたが、原告は「担当を外した理由をここで明確に答えてもらいたい。」などと繰り返し述べた。
そこで、被告は、「あなたにはセクハラの問題があるからだ。」と述べたところ、原告は、「何のことか全然わからない。」などと述べたため、被告は「あなたはまたやっただろう。」と述べた。原告は、「自分はそのことについてはどこからも、どの委員会も何も聞かれていない。そのような事実があるなら、加害者と被害者を呼んできて事情聴取するのが当たり前ではないか。」などと述べたところ、被告は、「男なら恥を知れ。」などと述べた。
(イ) セクハラとは、「歓迎されない性的な言動又は行為により、異性に屈辱や精神的苦痛を感じさせたり、不快な思いをさせたりすること」、あるいは、「性的な言動又は行為によって、相手方の望まない行為を要求し、これを拒んだ者に対し、職業、教育の場で人事上の不利益を与えるなどの嫌がらせに及ぶこと」などと定義されており、一般通常人の間においても、上記定義と同様の意味、あるいは、「性的いやがらせ」という程度の意味を持つ言葉として用いられている。
イ 以上に認定した事実及び前記前提となる事実を総合すると、本件発言は、原告が被告に対して、被告が英語科案と異なる第二案及び第三案を作成したことにより、結果として、原告が科目担当を外れることとなった理由について問いただしたことを契機としてされたものであって、本件発言を聞いた本件会議の出席者に対し、原告がセクハラをしたために、そのような措置がとられたとの印象を与えるものであったということができる。
そして、セクハラという言葉が、先に述べたような意味を持つ言葉として用いられていることからすると、本件発言は、原告に対する社会的評価を低下させるものであったというべきである。
なお、被告は、本件発言は、本件会議の出席者の認識に新たな事実を付加するものではないから、原告に対する社会的評価を低下させるものではない旨主張するところ、本件会議の出席者全員が、その当時、原告についてセクハラの問題があるとの認識を有していたことを認めるに足りる証拠はないから、この点に関する被告の主張は採用できない。
(2) 違法性の有無
以上のように、本件発言は、原告に対する社会的評価を低下させるものであったというべきところ、被告は、被告が本件発言をしたことは違法ではない旨主張するのでこの点について検討する。
ア 前記前提となる事実及び《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(ア) 被告は、平成九年七月ころ、D原から、前期試験の追試の際に、原告からセクハラを受けたとして、その相談を受けた。
また、被告は、同月中旬ころ、当時の文学部英文学科の学科長であったE原冬夫から、C川が原告からセクハラを受けた旨訴えているので、そのようなことのないように、原告に厳重注意をするようにとの申入れを受けた。
さらに、被告は、同月二九日、D原の友人であるE田からも、原告からセクハラを受けたとして、電話でその相談を受けた。
(イ) そこで、被告は、同月下旬ころ、D原及びE田から事情を聴取した上で、同年八月八日、カウンセラーのD川とともに、被害を受けたとするC川らから事情を聴取した。
C川らは、上記各事情聴取の際、おおむね、以下のようなことを述べていた。
① C川
平成九年五月二一日ころ、発音の指導と称して口の中に指を入れられたり、腹や胸を触られた。また、その指導終了後、駐車場に歩いて行く際に、「この辺は蛇がよく出る。」などと言って、手を握られた。
② D原
同年の前期の英文法の追試験の際、バランスを崩していすから落ちそうになったところ、「大丈夫か。」などと言って、手や背中をさすられ、また、その際に、胸や尻を触られた。さらに、追試験の成績が悪いと言われ、泣いていたときに、後ろから抱きかかえるようにして、ハンカチで、顔をふかれた。
③ E田
同年六月ころ、指導を受けに原告の研究室を訪れた際に、背中をなでられ、体を寄せられた。また、パソコンのマウスを使用しているときに手を重ねられた。さらに、その指導終了後、駐車場に歩いて行く際に、肩や背中に手を回されたり、蛇がよく出るなどと言って、背中に浅く手を入れられた。また、エレベーターから降りる際に、脇の下から手を入れる形で、後ろから胸を触られた。
岩手大学で行われた学会に参加した際には、会場の廊下で掲示板を見ていたところ、身体を寄せられ、背中から手を回されて、脇腹をさすられた。
(ウ) 被告は、前記の事情聴取の結果を報告書にまとめて、当時の教養学部の学部長であったA川三郎(以下「A川学部長」という。)に提出した。また、被告は、同年八月一三日、A川学部長とともに、C川らから聴取した内容に関して、原告から事情を聴取した。原告は、その際、C川らの身体に触れた事実はおおむね認めたが、それは、指導のためであったり、通常の身体的接触であって、セクハラをしようなどとは考えてみたこともないし、したこともない旨述べた。
A川学部長及び被告は、上記の事情聴取の結果を報告書にまとめて、C山学長に提出した。
なお、原告は、事情聴取を受けた後、被告宛の「お詫び状」を作成し、被告に交付した。
上記「お詫び状」には、「私としましては全力を尽くして学生指導に当たってきたつもりですが、こと志しとは違い、学生の受けとめ方は全く違って気も狂わんばかりの衝撃を受けました。」「できるだけはやく冷静さを取り戻して、この度指摘された非を心から改め教育・研究に励みたいと思います。」などと記載されていた。
(エ) そして、上記の件に関しては、A川学部長が、同年九月上旬、原告に対して説諭をし、また、同月二四日に開催された専攻会議において、原告の件であることは明らかにせずに、「キャンパスセクハラ問題には女子学生の多い言語科学専攻教員として各自十分留意すること」を申し合わせて、一応落着した。
(オ) 被告は、以上のような一件があった後の平成一〇年八月一一日、被告の担当する演習の学生であったA田から、被告及び同演習の学生らが参加して開催された宴会の席で、原告からセクハラを受けたとの話を聞いた。A田が話した内容は、A田がレポート提出のため原告の研究室を訪れた際、原告がA田に写真を見せながらその肩に手をかけたり、電子メールを教えてやると言ってその腰を押すようにしてパソコンの方に促したり、マウスを動かす際に手を重ねてきたりし、また、帰りに原告の乗用車で送ってもらう際に、シートベルトを掛けてやるといって原告がA田の方にのし掛かってきたりしたというものであった。
なお、A田は、以上の話を、酒席の話題として話したので、時系列に沿って、理路整然と述べていたわけではないが、その話を聞いた学生らの中には、シートベルトを掛けてやると言って原告がA田の方にのし掛かってきたということを特に印象深く記憶している者もいる。
(カ) 被告は、上記のA田の話を聞き、C川らに対するセクハラの件と態様が似通っていたこと、A田の話しぶりが具体的かつ真摯なものであったことから、原告がA田に対しセクハラをしたものと考えた。
被告は、平成一〇年九月初旬ころ、科目担当を決定する際の参考にしようと思い、A田からもう一度事情を聴取したが、A田は、おおむね、前記の宴会の席のときと同様のことを述べた。
(キ) 被告は、同月中旬ころ、原告に電話をかけ、「最近また去年と同じような話が入ってきている。」などと述べ、原告に関してセクハラの話があると注意した。
これに対し、原告は「何もしていない。」などと述べ、セクハラをしたことを否定した。
(ク) 被告は、同月一八日、英語系科目担当の職員らから、原告に「英作文Ⅰ」を担当させることとする英語科案を受け取ったが、C川らに対するセクハラの件とA田に対するセクハラの件があったことから、原告には一〇ないし一五名の少人数単位で行われる専門教育科目を担当させるべきではないと考え、原告を専門教育科目の担当から外した第二案を作成し、これを掲示するなどした(なお、原告は、ほかに教養教育科目や大学院の講義を担当していた。)。
(ケ) しかし、原告は、被告に対して、第二案に関して、異議を述べたり、質問をするなどはしなかったため、被告は、原告もこれに異議はないものと思い、原告以外の部分について、最終的な調整をした上で、同月三〇日、第三案を作成し、A川学部長に提出した。
(コ) 被告は、同年一一月四日、英語系科目担当の教員であるB原一枝及びC田二枝から、原告に「英作文Ⅰ」を担当させなかった理由について問われたので、「原告にはセクハラ疑惑等いろいろ問題があるので、受講者が少数の専攻の専門科目に関してはもう一年様子を見たい。」などと答えた。C田二枝は、そのころ、原告に対し、被告の述べた内容を伝えた。
(サ) 以上のような経過を経て、被告は、同年一一月一八日に開催された本件会議において、本件発言をした。
(シ) 被告は、本件会議後、A田に対し、原告がセクハラをしたことを否定している旨を伝えるとともに、何か困ったことがあったら、学生部か被告に相談するようにと言ったところ、A田は、学生部に対し、被害申告をした。これを受け、学生部が、同月二六日、A田から事情を聴取したところ、A田は、前記の被告に対して述べた内容と同様の話をした。
(ス) 原告は、本訴を提起するまでの間に、当時の学部長であったD野五郎に対し、被告が本件発言を行ったことに関して善処を求める旨を申し入れ、また、C山学長に対し、原告からも事情を聴取するなどして、大学として、セクハラの事実の有無について調査することを、度々求めたが、そのような調査は、結局行われなかった。
また、原告は、同年一二月一〇日、被告に対し、代理人(本件訴訟代理人弁護士)を通じて、①原告が行ったとするセクハラはいつだれに対するセクハラであるのか、②その情報をいつ、だれから、どのような形で入手し、それをどのような方法で確認したのかの二点について明らかにするように求める内容証明郵便を送付したが、被告は、同月二〇日、これに回答できない旨を返答した(なお、原告は、同月二四日、同じく代理人を通じて、被告に対し、その返答内容に関する質問をしたが、上記①及び②に関する回答はされなかった。)。
なお、C山学長は、同月一四日、原告に対し、A田という名前は明らかにせずに、前記の学生部のA田に対する事情聴取の結果をまとめた報告書に基づいて、同年二月五日にレポートを提出に来た学生が原告からセクハラを受け、不快な思いをしている旨を伝えた。
イ 以上に認定した事実及び前記前提となる事実を総合すると、被告は、原告にはC川らに対するセクハラの問題があったこと、また、A田が、宴会の席上及び被告の事情聴取の際、被告に対し、原告からセクハラを受けた旨述べていたことから、英語科案とは異なり、原告に専門科目を担当させないこととする第二案及び第三案を作成し、その後、第三案に沿った科目担当が決定されたという事実経過の下で、原告が、本件会議の席上、被告に対し、以上のような経緯について説明を求めたことから、被告が、本件発言をするに至ったものということができる。
ところで、証人A田は、当裁判所の証拠調べにおいて、平額九年度後期のレポートを提出した際に前記ア(オ)記載のようなセクハラを受けた旨証言するところ、同証言は、具体的かつ詳細なもので、特に不合理な点はなく、また、A田があえて虚偽の証言をして、原告にセクハラをされた旨を訴える動機があることをうかがわせる事情は特に見当たらない。そして、《証拠省略》によれば、A田は、前記宴会の席上及び被告からの事情聴取の際に、断片的にではあるが、印象に残った部分を強調して、前記の証言と同様に、本件のセクハラについて述べていたことが認められる。そうすると、少なくとも、被告が、本件会議のときに、原告がA田に対してセクハラをした事実があったと考えたとしても、それには相当な理由があったというべきである。
そして、前記(1)ア(ア)に認定したとおり、被告は、原告が執拗に科目担当変更の理由を問いただしたために、本件発言をするに至ったものであって、その発言内容は、抽象的な表現にとどまっており、そこに、原告に対する社会的評価を低下させる意図があったとは考え難く、結局、本件発言は、原告の質問に返答するために必要最小限なものであったということができる。
また、先に認定した事実からすれば、原告は、本件会議が開催された当時、被告が英語科案とは異なる第二案及び第三案を作成した理由が、原告のセクハラ疑惑にあることを知っていたものということができ、被告に対し、その理由を問いただせば、本件発言のような内容の返答があることは理解していたと考えられる。
以上に述べたような、被告が本件発言をするに至った経緯及び動機、本件発言の内容及びその発言がなされた際の状況、その当時の原告の認識内容等の事情を考慮すると、被告が本件発言をしたことが、不法行為を構成するほどの違法性を有するということはできないというべきである。
なお、原告は、被告は原告の科目担当を外し、その理由を公表することによって、私的制裁をしようとしたものである旨主張するところ、先に認定した事実からすれば、被告がそのような目的をもって本件発言をしたとは認められず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
ウ 以上によれば、その余の点について検討するまでもなく、本訴請求は理由がない。
二 反訴請求について
(1) 訴えの提起は、当該訴訟において、提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となるものと解するのが相当である。
(2) そこで、原告が本訴を提起したことが、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たるか否かを検討する。
ア この点、原告が、被告が英語科案と異なる第二案及び第三案を作成した理由が原告のセクハラ問題にあることを知っていたことは前示のとおりであるところ、《証拠省略》によれば、原告が本件会議にテープレコーダーを持ち込んでその様子を録音していたこと、及び、原告が本件会議において、被告を「名誉毀損で訴える」旨の発言をしていたことが認められ、以上の各事実からすれば、原告は、本訴のような訴えを提起する目的で、被告から本件発言を引き出したと見る余地もないではない。
イ しかしながら、原告が、本件会議後、C山学長に対し、大学として、セクハラの事実の有無について調査することを求め、また、平成一〇年一二月ころ、内容証明郵便にて、被告に対し、原告が行ったとするセクハラの内容を具体的に明らかにするように求めていたことは前示のとおりであり、仮に、上記のような調査が行われ、あるいは、被告が原告の求めに応じてA田の件を明らかにしていた場合には、原告は、本訴を提起しなかったものと考えられる。そうすると、原告が、確定的に、本訴のような訴えを提起する目的をもって、被告から本件発言を引き出したとまでは認めることができないというべきである。
そして、被告の本件発言がだれに対するセクハラのことを問題としているのか、被告がどのような根拠をもってそのようなことを言っているのかといった事項は、本件の名誉毀損を理由とする損害賠償請求が認められるか否かにとって重要な事情であると考えられるところ、原告は、本訴を提起した時点まで、被告及びその他の者から、そのことについて明確に伝えられたことがなかったことは前示のとおりであり、また、原告の主張に照らすと、原告は、科目担当を外されてもやむを得ないほどの重大なセクハラをしたとの認識がなかったことがうかがわれる。そうすると、原告は、本訴を提起した当時、名誉毀損を理由とする損害賠償請求が法律的根拠を欠くとまでは認識していなかったということができ、また、これを容易に認識し得たということもできないというべきである。
また原告は、訴状において、英語科案では原告が相当することとされていた科目を、被告が原告に担当させないように変更したことも、不法行為の原因として主張していたものであり、原告の主張の力点は、当初、この点にも置かれていたというべきところ、被告がこのような担当の変更がなされた第二案を提示するに当たり、原告から具体的な事情を聴取していなかったこと、原告としては、具体的なセクハラ疑惑の内容を知らされておらず、科目担当を外されてもやむを得ないほどの重大なセクハラをしたとの認識がなかったことも踏まえると、担当変更が不法行為に当たるか否かについて司法的判断を求めることは、その請求が認められるか否かは別として、裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠くとまではいうことができないというべきである。
以上に述べた事情を考慮すると、原告において、本訴請求が事実的、法律的根拠に欠くものであることを知り、又は、容易にそのことを知り得たのに、あえて不当な目的で本訴を提起したとまではいうことはできないというべきである。
なお、《証拠省略》によれば、A田は、原告に対し、「原典講読」のレポートを提出したことが認められ、原告の提出する甲六(A田の欄にレポートが提出されたとの印が付いていない受講者名簿)及び甲七の一一・一二(A田の述べる割当て箇所と若干異なる割当ての記入された「原典講読」のテキスト)は、以上の認定に沿わない部分を含むものということができる。しかしながら、甲六については、原告がA田からレポートの提出を受けているにもかかわらず、これを記入し忘れた可能性もないわけではなく、また、甲七の一一・一二については「原典講読」を受講していた学生である丹野裕が受講者のレポートの割当てについて記載したメモに照らし、正確に記載されている可能性も否定できない。そうすると、原告がこれらの書証を事後的にねつ造して、提出したとまでは断定することはできないというべきである。したがって、甲六及び甲七の一一・一二に、先に認定した事実に沿わない部分があることによって、前記の判断が左右されるものではない。
ウ 以上によれば、原告が本訴を提起したことが、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たるとまではいうことはできず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
(3) したがって、その余の点について検討するまでもなく、反訴請求は理由がない。
三 結論
以上によれば、本訴請求及び反訴請求は理由がないから、いずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡崎克彦 裁判官 宮尾徹 裁判長裁判官山野井勇作は、退官のため署名捺印できない。裁判官 岡崎克彦)