仙台地方裁判所 平成11年(ワ)528号 判決 2001年3月26日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
水谷英夫
右同
松井恵
右同
小島妙子
右同
内藤千香子
右同
井野場晴子
被告
株式会社△△アンフィニ仙台
右代表者代表取締役
大喜多寛
右訴訟代理人弁護士
齋藤正勝
右同
浦井義光
右同
那須野徳次郎
右齋藤正勝訴訟復代理人弁護士
伊藤恒幸
主文
一 被告は、原告に対し、金三五〇万円及び内金三二〇万円に対する平成一〇年五月三一日から、内金三〇万円に対する平成一一年六月四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は六分し、その五を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 原告の請求
一 原告は、被告との間に雇用契約上の地位を有することを確認する。
二 被告は、原告に対し、金一五八四万四二一八円及び内金一〇〇〇万円に対する平成一〇年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、内金五八四万四二一八円に対する平成一一年六月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、平成一一年五月以降毎月二五日限り月額三一万五八三八円の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告に勤務していた原告が、被告に対し、平成一〇年五月三一日被告を解雇されたとし、解雇されるに至ったのは、原告が被告の従業員がのぞき見を目的として被告営業所内の女子トイレ内の掃除道具置場内に潜んでいたのを発見したことについて、被告において、爾跡、事実関係を迅速かつ正確に把握し、事案に適切に対処すべきであるのに、迅速な事実関係を怠ったばかりでなく、原告に対し種々の嫌がらせをするなど不適切な対応を重ねたことにより、原告に勤務の継続を断念することを余儀なくさせたことによるものであると主張して、被告の任意退職あるいは懲戒解雇の主張を争い、雇用契約上の地位の確認及び平成一〇年六月分から平成一一年四月分までの一一か月分の合計三四七万四二一八円(及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成一一年六月四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金)と同年五月から毎月三一万五八三八円の賃金の支払いを求めるとともに、構造上欠陥のある女子トイレを放置するなどした職場環境整備義務違反、不適切な対応(職場環境配慮義務違反)や不当解雇による不法行為に基づく損害賠償として慰謝料一〇〇〇万円(及びこれに対する平成一〇年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金)と弁護士費用二三七万円(及びこれに対する平成一一年六月四日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金)の支払いを求める事案である。
一 当事者間に争いのない事実及び証拠によって容易に認定できる事実(以下「争いのない事実等」という。)
1 当事者
(一) 原告は、昭和三九年一月生まれの女性であり、地元の高等学校を卒業後、仙台市内の和裁専門学校で和裁等の資格を取得した後、宮城県経済連の有期職員、朝日精麦株式会社での事務職員、宮城県登米保健所での有期職員等を経て、平成二年三月二〇日、営業職社員として被告に採用(入社当時は試用社員であり、正社員になったのは同年一二月一〇日であった。)され、研修を受けた後、被告佐沼店に配属となり販売係(営業担当)の業務に従事し、平成一〇年五月当時も右業務に従事していた。
(二) 被告は、自動車、原動機付自転車、自転車及びこれらの部品の販売並びに修理加工等を目的とする株式会社であり、平成一〇年五月当時、一三拠点の営業所を有し、二五〇名余の従業員を擁していた。
被告佐沼店(営業所)の構成は、平成一〇年五月当時、店長一名(男性)、営業係長二名(男性)、販売係一名(原告、女性)、整備担当マネージャー一名(男性)、整備員三名(男性)、整備サービス事務一名(女性)、洗車パート一名(女性)の合計一〇名であった。
2 男子従業員による女子トイレへののぞき見目的での侵入と女子トイレの構造
(一) 男子従業員による女子トイレへののぞき見目的での侵入
平成一〇年一月四日(以下、明示のないものは平成一〇年を指す。)、原告は、初売りのため午前八時四〇分ころ、被告佐沼店に出勤した。
同日午後三時過ぎころ、原告が掃除用のモップを出そうとして、店舗内の女子トイレ(以下「本件女子トイレ」という。)内にある掃除道具置場の扉を開けたところ、整備担当の男子従業員である訴外A'(以下「A」という。)が同所内にしゃがみ込んでいるのを発見した(なお、Aはその日は非番で、午後一時過ぎころ、土産をもって佐沼店に遊びに来ていた。以下、Aが掃除道具置場内に潜んでいたことを「本件侵入事件」という。)。
原告は、驚きのあまり、悲鳴を上げて通路に飛び出し、Aは、その間に本件女子トイレから出て、車で逃走した。
(二) 本件女子トイレの構造
被告佐沼店のトイレは、男性用、女性用に分かれ、社員及び顧客が兼用で使用していた。本件女子トイレの扉(無施錠)の中には、洗面台、個室トイレ(有施錠)一つと掃除道具置場(無施錠)があり、個室トイレと掃除道具置場は仕切り板で区切られていた。この仕切りは、床からの高さが最大で約6.5センチメートルの空間があり、また床からの高さ八二センチメートルの場所に位置する水道管の穴の周りにも隙間(高さ最大約1.5センチメートル、幅最大約4.5センチメートル)があった(甲一一、乙一〇の1ないし8)。右掃除道具置場からは、この水道管周りの隙間及び仕切り板と床面との間の空間を通じて個室トイレ内を見通すことが可能であった。
なお、右掃除道具置場は、本件女子トイレ内にしかなく、女子従業員がいないときには男子従業員が本件女子トイレ内に入って掃除道具を出し入れすることがあった。
3 本件侵入事件発覚後の経緯と被告の対応
(一) 本件侵入事件発覚直後の被告の対応
原告は、被告佐沼店店長であるB'(以下「B店長」という。)に対し、Aの本件侵入事件について報告したところ、B店長は、「社内のことなので外には漏らさないように。六日、本人が出勤したら事情を聞くから。」等と返答し、当日のうちにAに対し事実の確認を含めた対応を取ることはなかった。
(二) 原告は、翌一月五日から同月七日まで休暇であったところ、その間に、被告のC部長が、自宅にいた原告に電話をかけた。
(三) B店長は、同月六日、出勤したAに対し、本件侵入事件について事情を聴取した。
(四) 一月八日、原告は、有給休暇をとって自宅にいたところ、被告のD'常務(以下「D常務」という。)、E'総務部長(以下「E部長」という。)から事情を聞きたいという要請を受けたことから、被告佐沼店に出向いて事情を説明した。
(五) 警察への被害届とAの処分
一月九日、D常務は原告に対し、娘が原告と同じ目にあったことを考えれば警察に届け出るかどうかは原告の意思で決めるように指示した。これを受け、原告は、その三日後の一月一二日、佐沼警察署に赴いて被害届をなした。
一月一四日、佐沼警察署の警察官が、被告佐沼店を訪れ、現場検証及びB店長らから参考人として事情聴取を行った。また、本件侵入事件の約一か月後、警察はAの自宅を捜索したが、カメラ、フィルム等の物的証拠は発見されなかった。
Aは、一月六日から、被告を自宅待機扱いとなっていたが、その後二月末限りで諭旨免職処分を受け、刑事処分については、事実を認め改悛の情があること、諭旨免職処分を受けていること、前科前歴がないことなどから起訴猶予処分となった(甲一の2)。
(六) 勤務の継続
二月一三日、原告は、B店長に対し、「二月一杯で会社を辞めようかとも考えている。」と伝えたことがあったが、これに対し、B店長は、原告の右申出を承諾した。
しかしながら、原告は、被告への勤務を続ける決意をし、三月に入っても出勤を続けた。三月はじめ、原告は、B店長から、「二月一杯で辞めると思ったが続けるのか。」と問われ、続ける意思である旨回答した。
4 原告が六月一日以降出勤しなくなった経緯
(一) 原告は、四月二七日、黒川郡所在の宮城中販オークション会場において、E部長から、原告のB店長に対する応対について「挨拶をしない、お茶を出す態度が悪い。」と指摘され、また「五月一杯で辞めて欲しい。」旨を言われた。
(二) 原告は、五月、川内印刷株式会社に対し、退職礼状の印刷を依頼し、これを受けて同会社から、同月二八日、被告に対し、原告の退職礼状の納入と右印刷にかかる代金の請求があった。
(三) 原告は、最後の出勤日である五月三一日、会社にお別れの挨拶に来た複数の顧客から花束を受領し、右顧客らに対し退職の挨拶をした。そして、原告は、六月一日から被告に勤務していない。
(四) 六月に入り、B店長は、自宅にいた原告に対し、「辞表を書いてもらわないと、離職票や退職金は出せない。」と退職願の提出を要求した。
これを受けて、原告は、六月五日、退職願を被告に提出した(乙一)。
(五) 被告は、原告に対し、退職金として次のとおり、合計金九二万一八八二円の支払いをし、原告は、右金を受領した(なお、右金額は、任意退職に対する退職金額であり、会社都合退職の場合の六六パーセントである。)。
①△△販売厚生年金基金 七月三日一八万五五〇〇円
②適格年金 七月八日 七三万六三八二円
(六) 被告は、原告に対し、六月分以降の賃金を支払っていない。
なお、原告の平成九年度の年収は、三七九万〇〇五五円である。
(七) 原告は、平成一一年二月一二日、Aから、本件侵入事件についての慰謝料として七〇万円を受領した。
(八) 原告は、被告から、退職理由を「依願退職による」とする離職票の交付を受け、これを六月一二日公共職業安定所に提出し、雇用保険の給付の申請を行い、失業手当ての支給を受けた。
(九) 原告は、地位保全・賃金仮払いの仮処分の申立てを行っていない。
(一〇) 原告は、一一月一〇日、代理人を通じて精神的損害に対する損害賠償を打診したことはあったが、本訴提起まで原告が被告の従業員たる地位を有することを主張したことはなかった。
二 争点
1 本件侵入事件に関し被告に職場環境整備義務違反があったか。
2 本件侵入事件後、被告に不適切な対応(職場環境配慮義務の違反)があったか。
3 原告は、現在においても被告に対し雇用契約上の地位を有するか。
4 被告は、原告を不当解雇したものであるか。
5 原告が、被告に対し雇用契約上の地位を有する場合、賃金請求権も有するか。
6 原告の被った損害額。
三 争点に関する当事者の主張
1 争点1(本件侵入事件に関し被告に職場環境整備義務違反があったか。)について
(一) 原告の主張
事業主は、雇用契約上従業員に対して、良好な職場環境を整備すべき義務を負っているところ、右義務の一内容として、使用者には従業員が安心して労務の提供をできるように施設を整備すべき義務を負っており、右義務の内容として、プライバシーに配慮し、従業員が安全に使用できる施設があること、具体的には例えば外部からの侵入や窃視(のぞき穴、ビデオカメラ)防止等が図られた施設を設置することが要請される。
しかるに、被告は、①掃除道具置場を本件女子トイレ内に設置し、男子従業員が本件女子トイレに出入りしても不自然ではない状況を作り出し、のぞきのために本件女子トイレに潜入することを容易にした上、②個室トイレと掃除用具置場との間の仕切り板に床面から最大6.5センチメートルもの空間と、のぞき見可能な水道管周りの隙間を放置し、掃除用具置場から個室トイレ内をのぞき見することが容易な状況を放置していたものである(現在では、一ミリの穴からも撮影可能なカメラが市販されており、なかにはリモートコントロールが可能なものもある。)。
労働安全衛生法二三条を受けた同規則六二八条が、使用者に対し男女別のトイレの設置を義務づけていることに鑑みれば、①のように男性が本件女子トイレに自由に出入りすることができる状態にあったことは、女子労働者のプライバシー等の就業環境に配慮すべきであるという同法の趣旨を全く没却するものであり、被告には右法令違反行為があったというべきである。
また、②のようにのぞき見が可能な状態となっていることに照らせば、被告において、トイレ自体の設置保存に瑕疵があったことは明白であり、民法七一七条に違反していることは明らかである。
このように被告の施設には、法令に違反し、かつ設置保存上の瑕疵があるばかりか、これを放置したことにより、Aによる本件侵入事件を招来したものであるから、被告が職場環境整備義務の基本とされるべき施設整備を怠ったことは明らかである。
(二) 被告の主張
(1) 本件女子トイレの構造は、被告の地方においては特に珍しいものではなく、ごく一般的なものである。
(2) また、被告は、以下のとおり、掃除道具置場から本件女子トイレをのぞき見する者がいるなどということは到底予見できなかったものである。
すなわち、本件女子トイレと掃除道具置場はわずか板一枚で仕切られ、隣室の人の気配を感じ取れるほどの構造になっており、また掃除道具置場は内部から施錠することができないので内部に潜んでいればいつ発見されるか分からない状況にある。また、のぞけるとはいえ、女性が用便しているところは見ることができず、個室トイレ内のほんの一部が見えるだけである。
さらに、本件女子トイレは、被告社員と顧客の双方によって使用されていたものであるが、本件侵入事件以前に掃除道具置場との隙間からのぞかれるのではないかという不安を感じたり、そのことを指摘した者は、原告を含め一人もいなかったのである。
2 争点2(本件侵入事件後、被告に不適切な対応(職場環境配慮義務の違反)があったか。)について
(一) 原告の主張
(1) 事業主は、雇用契約上、従業員に対し、労務の提供に関して良好な職場環境の維持確保に配慮すべき義務(職場環境配慮義務)を負っているところ、かかる義務の内容として、職場においてセクシャルハラスメント等従業員の職場環境を侵害する事件が発生した場合、事業主には誠実かつ適切な事後措置が要請され、その事案にかかる事実関係を迅速かつ正確に調査すること(適正迅速な事実調査義務)及び事案に誠実かつ適正に対処することが要請される。
(2) 本件において、Aは、本件侵入事件発覚直後、原告に対し、「本件女子トイレで用便中の女性を盗撮していた、雑誌に送るといい金になる、でも今日は撮っていない。」などと告白していたのであり、右告白が真実であるならば、Aは、原告はもとより、被告の他の従業員や顧客等の用便中の写真を継続反復して撮影し、所持していたことになるのであって、原告からこのような報告を受けた場合、被告としては直ちにAを呼び出し、事情を聴取し、さらにはAを伴って同人の自宅に赴いて写真の有無を確認する等の、本件侵入事件について適正迅速に、そして誠実に対処すべき義務があった。
しかるに、被告は、本件侵入事件のあった一月四日が初売りであったなどの理由で、Aを呼んで事実確認をはじめとする対処を何らとらず、当日遅くに本件侵入事件の報告を受けた被告代表者も事態を深刻とは受け止めず、特に急を要する事件とは考えず、休み明けの一月六日まで本件侵入事件を放置したばかりか、原告には警察に届けないように口止めし、同月六日、Aから人に頼まれて写真を撮ろうとしたとの報告を受けた後も十分な事実の聴取をせず、またAがその後盗撮目的での侵入であったことを翻し、単なるのぞき見目的であった旨発言を変遷させるに至っても、その変遷の理由も聞かず、安易にAの言い分を事実と認めるなど事件を処理するに当たり不誠実な態度をとったものである。
以上の経緯に鑑みれば、被告が、適正迅速な事実調査を怠り、事案に誠実かつ適正に対処する義務を怠ったことは明らかである。
(二) 被告の主張
(1) 被告が本件侵入事件に関し即座に対応すべき義務の有無について
原告は、本件侵入事件当日の夕刻に、B店長に対し、本件侵入事件の報告をするにあたり、Aから即座に事情聴取して欲しいとか、カメラを所持していたとか、Aの所へ行って写真を回収して下さいとか、警察に連絡して下さいなどと緊急に対処するよう求めたことはなかったし、他の従業員もそのような求めをしたことがなかったものであり、B店長としても原告の主張するような即座に対応することまでは思い及ばなかったことであったから、右対応を被告に期待することはそもそも無理があるというべきである。また、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律二一条二項のいわゆるセクシャルハラスメント配慮義務や使用者の民事上の責任に照らしても、被告において右のような即座に対応すべき義務を負担していたということは到底できない。
(2) 被告の対応が適切であったことについて
被告佐沼店にとっては、一月四日は初売りの日であり、被告従業員は普段とは違う意気込みであった。
原告は、B店長に対し、同日夕方午後六時過ぎ頃のミーティングの時になって初めて、「Aを呼んで欲しい。はっきりしたことを聞いて欲しい。」と申し出たが、B店長は、当時、Aが、眼鏡からコンタクトレンズに変えたばかりで調子が悪く眼が見えにくいこと、以前に大きな交通事故を起こした前歴があること、事件発覚直後は興奮して注意力が散漫になりやすく、夜間の自動車の運転は特に危険ではないかと考えたこと、さらに事柄の性質上、休暇中の者を呼び出してまで特に急いで事情を聞かなければならないような緊急性のある事柄ではないと思われた(Aの侵入行為は、原告の申告時現在において継続して行われているものでもなく、放置すると事情聴取までの間に反復して繰り返されるおそれのあるものでもないので、休暇中のAを即座に呼び出す必要性はない。また、事件直後、当事者は興奮しており、とっさに嘘をつくということもありうる。)ことから、原告に対し、Aの休暇が開けた六日に事情を聞くと答えた。
原告は、これに対し不満を漏らしたものの、Aに対する事情聴取をその日のうちにしておかないと取り返しがつかなくなるとまで述べたことはなかった。
一月六日、B店長は、Aに対し具体的な事情聴取を行って、同人がのぞき見目的で掃除道具置場に潜んでいたことを確認し、同人を右同日から自宅待機にした上、二月二八日には、就業規則に基づく諭旨免職処分とした。また、被告は、掃除道具置場の扉を取り外すなど不審者の掃除道具置場への侵入を防止して、のぞき行為の発生防止対策を講じた。
このように、B店長をはじめとする被告の対応は、その時期、方法、内容からみて本件について適時に適切な措置を行ったものというべきである。
3 争点3(原告は、現在においても被告に対し雇用契約上の地位を有するか。)について
(一) 被告の主張
(1) 任意退職
原告は、以下のとおり、五月三一日、B店長に退職の申し出をし、B店長がこれを承諾し、もって被告を任意退職したものである。
① 原告の営業担当者としての成績は優れており、原告は、被告にとって貴重な戦力であったことから、原告が勤務態度を改めて普通に勤務できるのであれば、被告にとっては、大きな利益につながるものである。ところが、原告は、三月に入ってから出社してきて、B店長に対し、「二月一杯でやめると言っていたのに、出てきたのでびっくりしたでしょ。店長をいづらくするため辞めないことにした。」などと言った。
原告は、Aの自宅からカメラ、フィルム、写真等の物的証拠が警察の捜索によっても発見できなかったのは、B店長など被告の対応が悪かったからなどと勝手に思い込み、B店長に対し、出退勤時の挨拶もせず、仕事上やむを得ない場合を除いて口を聞かず、他の人にはお茶を出してもB店長には出さず、またB店長から指示を受けたとき、同人を睨み付けたり、嫌な顔をするといった状況が三月以降顕著となった。
B店長は、このような原告の態度により、被告佐沼店の職場(店舗)の雰囲気が悪くなり、展示会においても顧客に迷惑をかけることや、店長が軽くあしらわれていることからくる職場の秩序の弛緩がすすむなど、被告佐沼店の経営に重大な支障を生ずることを懸念し、上司であるD常務及び代表取締役であるF'(以下「F社長」という。)にその旨を報告し、対処を求めた。
D常務及びF社長から対処の指示を受けたE部長は、事態をこのまま放置すれば、被告の経営にも重大な悪影響を与えることになるので、四月二七日、原告に対し、「普通の勤務ができるのであればいいが、できないのであれば、五月一杯で代わってもらえないか。」と強く勤務態度を改めるように求め、勤務態度として「店長にあいさつをせず、他の人にはお茶を出しても店長には出さないというのはよくない。」と指摘し、さらにAがカメラで撮影したとか、用便中の原告をのぞき見したという事実は出てこなかったとか、にもかかわらずこの件でAは辞めることになったと発言した。右発言の主眼は、原告に勤務態度の正常化を求めるところにあり、E部長の右発言が解雇の通告をしたものでないことは明らか(したがって、E部長の右発言は、原告が勤務態度を改めないのであれば、他の会社に変わってもらいたい旨の退職勧奨にとどまる。)である。
そして、原告は、五月三一日に至り、E部長の退職勧奨を受け入れ、同日をもって退職する旨、B店長に任意退職の申し出を行い、B店長は原告の在職中の功を労ってこれを承諾した。
なお、右日には、原告から退職することを知らされていたと思われる数名の顧客らが、原告のところへ花束をもって退職の挨拶に来ていた。
② このほか、原告は、川内印刷株式会社に対し、被告の指示なくして自ら退職礼状の印刷を依頼していること、原告は、被告の求めに応じて六月五日、被告に退職届を提出したこと(右退職願は、原告が自宅において少なくとも四、五日熟慮した上で作成されたものである。)、原告は、六月一日以降、被告に出勤した事実も出勤しようとした事実もないこと、原告は、退職後、B店長に対し退職金が支払われる時期について強い調子で尋ねていたところ、被告は原告に対し、退職金として合計金九二万一八八二円の支払いをし、原告は異議なく右金を受領していること、原告は、被告から退職理由を「依願退職による」とする離職票の交付を受け、これを六月一二日公共職業安定所に提出し、雇用保険の給付の申請を行っていること、原告は、収入を失って自動車ローンの支払いにも困惑するような状況にあったにもかかわらず地位保全・賃金仮払いの仮処分の申立てを行っていないこと(その意に反して突然解雇され、生活にも困窮する状況にあれば、解雇された者は、直ちに解雇無効を原因とする地位保全・賃金仮払の仮処分の申立てをするはずである。)、原告は、一一月一〇日、代理人を通じて精神的損害に対する損害賠償を打診してきたことはあったが、原告がなお被告の従業員たる地位を有することを主張したのは、退職から一年近くを経過した平成一一年四月二六日に提起された本訴において初めてであることなどからすれば、原告は被告から解雇されたのではなく、自らの意思に従って退職(任意退職)したものであることは明白である(したがって、当然のことながら、少なくとも本訴提起以前に、被告が原告の就労を拒否したり、出勤しないように申入れたりした事実はない。)。
(2) 解雇であるとしても有効な解雇であること(予備的主張)
前記(1)①のとおり、原告の勤務状況ではかえって被告の業務を阻害しており、かかる原告の勤務態度は、就業規則に定める懲戒事由にも該当する(第八九条九号等)というべきである。したがって、E部長の右退職の勧奨が解雇の意思表示であるとしても、権利の濫用は一切ないというべきである。
(二) 原告の主張
(1) 事業主は前記2(一)の職場環境配慮義務の一内容として、職場におけるセクシャルハラスメント等従業員の職場環境を侵害する事件が発生した場合、事業主には誠実かつ適切な事後措置が要請され、その具体的内容として、前記2(一)の適切かつ迅速な事実調査に加えて、被害拡大を回避すべき義務を負っており、とりわけその典型である解雇や退職がなされることのないように配慮すべき義務(解雇・退職回避義務)を負っている。
しかるに、被告は、本件侵入事件について、迅速な事実確認を怠ったばかりか、むしろ事実を隠蔽しようとはかり、原告に対しては警察に届け出ないよう要求し、原告がこれに従わず警察に届け出たところ、原告を退職するように仕向け、さらには不当な解雇通告(被告が揚げた①店長にあいさつをしない、②店長にお茶を出す態度が悪い、③本件侵入事件で勝手に騒いで会社のイメージを悪くしたという事項はいずれも事実と異なり、あるいは、解雇の理由としては不当である。)を行った上、原告を解雇したものであって、原告は被告を任意退職したものではなく、被告の右解雇は不当であるから、原告は現在も被告の従業員たる地位を有している。
(2) また、被告は懲戒解雇も主張するが、原告は、本件侵入事件後、激しい精神的苦痛を覚えてはいたが、努めて通常どおり業務を行うように努力し、出退勤時の挨拶、業務上の連絡、B店長を含む他の社員に対するお茶くみ等の配慮にも努めていたのであり、仮に被告主張のような事実があっても、そもそもは被告の職場環境整備義務違反に起因するものであるから、右事実が懲戒事由に該当するということはおよそあり得ず、右の理由で解雇することは不当である。
4 争点4(被告は、原告を不当解雇したものであるか。)
(一) 原告の主張
前記3(二)のとおり、被告は原告を不当に解雇したものである。
(二) 被告の主張
前記3(一)のとおり、原告は被告を任意退職したものであるし、仮に解雇であるとしても、懲戒解雇事由が存在し、有効な解雇であるというべきである。
5 争点5(原告が、被告に対し雇用契約上の地位を有する場合、賃金請求権も有するか。)について
(一) 原告の主張
原告は、六月一日以降、被告に勤務していないが、右は事件後のB店長をはじめとする被告の不適切な対応、B店長の嫌がらせ、さらにE部長による不当な解雇通告等により出勤を不能とされたためであり、右労務提供の履行不能は、被告の責に帰すべき事由によるというべきである。原告は、被告が、六月一日以降原告の労務提供の受領を拒絶する意思を有していることが明らかであったため、出勤することができなかったものであり、原告の労務の不提供は被告の受領拒絶に基づくものであって、原告は、民法五三六条二項により賃金請求権を有する。
(二) 被告の主張
原告は五月三一日をもって被告を任意退職し、被告との間の雇用関係が終了したものと認識していたのであるから、以後原告に労務提供の意思はなく、被告にその受領拒絶の意思がなかったことも明らかである。原告は、退職後何度か自動車の修理などで被告佐沼店に来店したことがあるが、その時はもちろんのこと、その他の機会においても、被告に対し、就労の意思を示したり、雇用関係の存在を主張したりしたことは一切ない。また、原告は、原告代理人を通じて本訴前に被告に対し金銭的な請求を行ったことはあったが、雇用関係の存在を主張したことはなかった。
6 争点6(原告の被った損害額)について
(一) 原告の主張
(1) 慰謝料
原告は、被告の職場環境整備義務違反に起因する盗視行為の被害をはじめ、これに対する被告の不適切な対応及び不当解雇により、ストレスによる不眠や食欲不振が長期にわたり続くなど著しい精神的苦痛を受けた。原告の右精神的損害を金銭に見積もれば一〇〇〇万円を下らない。
(2) 賃金
原告は現在も被告の従業員たる地位を有するところ、被告は原告に対し、六月分以降の賃金を支払わない。
原告が解雇通告を受けた平成一〇年度の前年度である平成九年度の原告の年収は三七九万〇〇五五円であるところ、これを月収に見積もれば月額三一万五八三八円である。このうち、平成一〇年六月分から平成一一年四月分まで一一ケ月分は合計三四七万四二一八円となる。
(3) 弁護士費用
原告は、本件について、被告の謝罪及び損害の回復を求めて交渉したが、被告は原告の要求に応じなかったため、原告は本件訴訟代理人らに依頼して本件訴訟を提起せざるを得なかったものであり、原告は右訴訟代理人に対して、着手金及び報酬金として二三七万円を支払うことを約した。
(二) 被告の主張
損害の填補(慰謝料の受領)
原告は、平成一一年二月一二日、Aから、本件侵入事件についての慰謝料として七〇万円を受領しており、すでに原告の精神的苦痛は慰謝されている。
第三 争点に対する判断
一 本件の事実経過
争いのない事実等に加えて、証拠(甲二一、乙一二、一三、証人のB'の証言、証人E'の証言、原告本人尋問の結果)によれば、次の事実が認められる。
1 本件侵入事件前の原告の勤務状況
原告は、被告に入社以来、被告の営業担当として主に自動車の販売を手がけ、持ち前の元気さと明るさで、平成四年三月には優秀新人営業マン賞(新人銀バッヂ)を授与されたほか(甲六の1)、平成七年二月にも優秀営業マン賞(三ナンバー賞)を授与されるなど(甲六の2)、営業実績において優秀な成績をおさめ(甲一〇)、株式会社マツダ全体の営業利益に貢献していた。
但し、原告は、被告に試用社員として入社後、通常より約二ケ月余り遅れて正社員となったが、元気で明るい反面、好き嫌いがはっきりしてやや気性が激しいところもあり、折り合いの悪い従業員なども存在した。また、原告は、平成九年頃、自動車の販売が思うように行かなかった時期に、退職したいなどと周囲に漏らしたこともあった。
2 本件侵入事件の状況
一月四日、被告佐沼店は、初売り(一月三日から一〇日頃までの期間)の店頭営業の二日目にあたり、B店長をはじめとする営業担当者は各々販売目標を立てた上、普段より多く車両の売り上げに励むように努力し、本社からG課長が販売の応援に来ていた。営業担当である原告は、初売り期間中に三台の販売目標が定められ、午前八時四〇分ころから被告佐沼店に出勤していた。
同日午後三時過ぎころ、原告がカウンター付近の掃除をしようと、掃除用モップを取りに本件女子トイレ内にある掃除道具置場の扉を開けたところ、従業員であるAが掃除道具置場内でしゃがみ込んでいるのを発見した。原告は、驚きのあまり、悲鳴を上げて本件女子トイレから通路に飛び出し、Aは、その間に本件女子トイレから出て、自分の車で逃げていった。原告が、同人の悲鳴を聞いて集ってきた他の従業員に対し、Aが掃除道具置場内でしゃがみ込んでいたことを説明していたところ、間もなくして、Aから、原告の携帯電話に電話がかかり、Aは原告に対し、「他の従業員には黙っていて欲しい。」と頼んだが、原告がすでに他の従業員に話したことを告げると、電話を切ってしまった。そこで、原告がAの携帯電話に電話をしたところ、Aは原告に対して、「自分はのぞきをしたくていたのではなく、頼まれて女性がトイレで用を足している写真を撮っていた。関西の方の雑誌に送るといい金になる。でも、今日は撮っていないから安心して。」と打ち明けた。
なお、本件侵入事件以前において、本件女子トイレが、掃除道具置場から個室トイレをのぞき見できる構造になっていたことについて、被告従業員及び女性客を含め、そのことに気づいて被告に注意を喚起した者はいなかった。
3 本件侵入事件発覚後の状況とその後の経緯
(一) 本件侵入事件発覚直後の状況とこれに対する被告の対応
原告は、Aとの電話の後、Aが電話で話した内容について他の従業員に詳しく説明したところ、他の従業員も何回か女子トイレ内でAを目撃したこと、掃除道具置場内に不審な足跡が存在したこと、Aが何回か用事もないのに休日に遊びに来ていたことなどを指摘した。
原告から説明を聞いた被告従業員のH'営業係長から、B店長に対し、Aがのぞき目的で女子トイレ内に侵入していたことが報告され、これを受けて、B店長は、被告本社にいるD常務に対し本件侵入事件の報告を行ったが、商談の最中でもあったことから、直ちに本件侵入事件を発見した原告から事情を聴取したり、Aを呼び出すという措置を取らなかった。
B店長が商談を終えて事務室に戻り、しばらく経った午後六時過ぎころから、出勤者全員で当日の初売りの中間報告を本社に行うためのミーティングを行い、右ミーティングが一段落ついたところで、原告がB店長に対し、Aが頼まれて写真を撮ろうと掃除道具置場に侵入していたこと、関西の方の雑誌に送るといい金になると言っていたことなどを報告し、併せてAを呼んで、はっきりしたことを聞いて欲しい旨申し出た。
しかしながら、B店長は、既に午後六時を過ぎており、外は暗くなっていたこと、Aが以前大きな交通事故を起こしたことがあったこと、Aは眼鏡からコンタクトに変えたばかりで調子が悪く眼が見えにくいと言っていたこと、またのぞき目的での侵入行為という事案の性質上、直ちにAを呼びだして事情を聞かなければならない程の緊急性のある事件とは思えなかったこと、さらに一番大きな理由として、本件侵入事件の当日は初売り期間中でまだ会社の業務は残っていた(日中の業務の延長として顧客へのお礼の電話や、初売りの仕上げの仕事としての電話で顧客を獲得することなど。)ことから、原告に対し、「社内のことなので外には漏らさないように。女性のお客さんも使うトイレなので。六日、Aが出勤したら事情を聞くので、そのことは今は忘れて。」と、本件侵入事件のことを口外しないように指示するとともに、原告に対しては、「皆の夕食のそばを注文するように、初売りの二台足りない分をどうするか考えながら顧客に電話するように。」などと言って本件侵入事件の話を切り上げて、初売り当日の残りの仕事を優先させようとした。これに対して、原告は泣きながらB店長に対して、「店長の妻や娘が同じような目にあってもいいのですか。」と抗議したものの、B店長は、結果として初売りの残りの仕事を優先し、Aに対する事実の確認を含め、何らの措置を取ることもしなかった。
なお、本店から初売りの応援に来ていたG課長は、原告に対し、「仮に雑誌に載ったとしても、下だけでしょう。顔も一緒に載るわけでなし。甲野さん、知らない間に関西の方でスターになっていたりして。」などと冗談にもならないことを言った。原告は、Aが写真を撮ろうとしていた、関西の雑誌に送ればいい金になると言っていたことが念頭にあり、G課長の右発言によっても精神的苦痛を被った。
(二) 本件侵入事件の翌日(一月五日)の経緯
原告は、初売りの関係で一月三日と同月四日出勤した代わりに、翌五日から同月七日まで休みであった。同月五日、原告は、本件侵入事件への対応を求めてB店長の自宅に電話したが、同人が留守であったことから、佐沼警察署に電話をして本件侵入事件の被害を訴えたが、応対に出た警察官から名前を言わないと捜査できないと言われ、B店長から口外しないように指示されていたこともあって、自分の名前も会社名も言うことはできなかった。なお、B店長は、同月五日にもAから事情を聴取するということはしなかった。
C部長は、同日、自宅にいた原告に電話をかけ、本件事件があったことに驚いている旨話し、原告に対し遺憾の意を表明したものの、「警察には言ったのか、警察には言わないでくれ。休日で役員に連絡が取れないので、八日の始業まで待ってくれ。」などと要請してきた。原告は、警察に届け出て一刻も早く写真やネガを回収したいという気持ちと、警察に届け出たら被告にいられなくなるのではという思いの間で葛藤し、悩み苦しんでいた。
(三) B店長の事実確認とAからの電話(一月六日)
(1) B店長は、一月六日、出勤したAから事情を聴取し、同人がのぞき見目的で掃除道具置場に潜んでいたこと、また人に頼まれて写真を撮ろうとカメラを持って入っていたということを確認したが、Aに対し、本社の部長などが同人から事情を聴取する旨話しただけで、それ以上同人から詳しい事情を聴取しなかった(なお、B店長は、Aからの事情聴取の中で、Aが頼まれて写真を撮っていたと言ったかと思うと、実はやっておらずとっさにした話であるなどと話す内容を変遷させたと供述するが、一度の事情聴取のなかで、話す内容を変遷させることは経験則上あまり想定できない上、上司であるB店長に対し、話を変遷させる合理的理由がないことからすれば、B店長の右供述は直ちに採用できない。)。
B店長は、Aからの事情聴取後、本社に電話して、Aからの事情聴取の結果を報告した。
また、B店長は、Aの母親から電話を受けた際、「甲野さんには電話したり自宅へ行って謝ったりしない方がいい。私も未遂だと願っているんです。」などとAをかばう発言をした。
(2) Aは、B店長からの事情聴取の後、すぐに原告に電話し、写真のことなどを聞く原告に対し、「写真のネガは何本かまとめて送ってしまったので手元にはもうない。誰に頼まれたのかは、それだけは言えない、言うとやばいんです、許して下さい。」と涙声で訴えた。
その後、まもなくして、Aが再び原告に電話をし、「人に頼まれたと言ってしまったが、自分で思いついたことだ。」などと述べ、自分の意思で撮っていたとこれまでの説明を翻した。
午後になって、Aは、さらに原告に電話し、「人に頼まれていたと言ったが、自分一人で見たくてのぞいていただけで、全部作り話だから。」と写真を撮っていたことも否定するに至り、写真を撮っていないと説明してきた。
その夜、Aの母親から原告に対し、息子がとんでもないことをしたとして、ご両親に会ってお詫びをしたい旨の電話が入ったが、原告は同人と顔も合わせたくないと思い、その申し出を断った。
(四) D常務及びE部長の事情聴取(一月八日)
原告は、一月八日から出勤することになっていたが、本件侵入事件のショックから出勤できる状態になく、入社以来ほとんど使ったことのない有給休暇をとって自宅にいたところ、被告のD常務、E部長から原告に対し、本件侵入事件についての事情を聞きたいという要請があり、原告は、被告佐沼店に行って事情を説明することにした。
原告は、D常務、E部長に対し、事件直後は、Aが人に頼まれて写真を撮っていた、関西の方の雑誌に送るといい金になると言っていたこと、しかるに、被告にすぐに対応してもらえなかっためにAが写真の件は作り話であると発言を翻したことなどを泣きながら話したところ、D常務、E部長は、原告に対し、「警察にはもちろんのこと社外にも漏らさないでくれ。女性のお客さんも使用するトイレだから。悪いようにしないから会社に全部任せてくれ。」と言った。これに対し、原告は、Aが当初の説明を翻して保身を図るようになっていたこと、B店長が本件侵入事件の対応よりも仕事を優先したことへの不満を訴えるとともに、警察でなければ真実を突き止められないと思うようになり、D常務及びE部長に対し、一刻も早く警察に届け出たい旨訴えた。
D常務及びE部長は、Aからも事情を聴取したところ、Aはのぞき見目的で掃除道具置場に入っていたことは認めたものの、写真は撮っていないと写真撮影の事実を否定した。事情聴取の後、D常務は、Aに対し、引き続き自宅待機を命じた。
(五) 警察への被害届けと捜査の結果
一月九日、原告は、被告から連絡がこなかったため、その後の被告の対応についてD常務に電話で質したところ、D常務は原告に対し、「会社としては警察に言わないで欲しいが、自分の娘が原告と同じ目にあったことを考えれば、警察に届け出るかどうかは原告の意思で決めるように。」と言った。これを受けて、原告は思い悩んだ末、その三日後の一二日、佐沼警察署に赴いて被害届をなした。
一四日、佐沼警察署の警察官が、被告佐沼店を訪れて現場検証を行うとともにB店長らを参考人として事情聴取を行った。
二月一三日、原告は、佐沼警察署から「Aの家の家宅捜査をしたが、何も見つからなかった。Aは、以前に三回トイレに入ったと認めている。」旨の連絡を受けた。
なお、被告は、本件侵入事件後、本件掃除道具置場への侵入を防ぐ措置として、掃除道具置場の入口の扉を取り外し、外部から右置場内が見える措置をとった。
(六) 二月の原告の勤務状況
原告は、Aにトイレで用を足していたところをのぞき見されたのではないかという不安や、事件後の店長はじめ被告に思うように対応してもらえなかったことに対する不満が募り、心身共に不調が続いていたものの、何とか勤務を継続していたところ、前記(五)のとおり警察の捜査でも何も発見されなかったこともあって、B店長に対し、抗議の気持ちを込めて「二月一杯で会社を辞めようかとも考えている。」と述べたこともあった。これに対し、B店長は、「そうですか、二月末ですね。」と、むしろ原告が退職することに賛意を示す態度であった。
その後、B店長は、退職を通知するはがきを手配したのかと原告に催促したり、その前の一月下旬に、原告の担当している顧客の車が事故に遭い、代車の手配と車の買い換えの手続を被告に頼んだところ、B店長は、担当である原告ではなく、他の従業員に右の手続を担当させようとしたり、顧客からの伝言を原告に伝えないこともあった。
(七) 勤務の継続と原告の被告での勤務状況
原告は、本件侵入事件以来、泣きながら早退したり欠勤することがしばしばあり、被告への勤務を継続するか否か悩んだものの、被告の他の社員や顧客、家族の人などに励まされて勤務を続ける決意をし、三月に入っても被告への出勤を続けた。三月一日、原告は、B店長から、「三月になっても出勤したということは、辞めないで続けるということですか。」と問われたのに対し、「自分が辞めるのはおかしい、店長がおかしいと周りの人も言ってくれている。自分がいると店長も目障りでいづらいでしょう。このままでは意地でも辞めません。」と勤務を続けるつもりであると答えた。
他方で、二月下旬以降、原告は、B店長に対し、出退勤時の挨拶を行わなかったり、B店長に対してお茶を出さなかったり、B店長と仕事の時以外は口を聞かないようにしたり、B店長が事務所に入ると原告は事務所から出たりとできるだけB店長との接触を避けるようになり、さらにB店長から仕事上の指示をされたときに嫌な顔をしたり睨み付けたりするなどの反抗的な態度をとるようになっていった。
このような原告の勤務態度から、他の従業員にもB店長を軽視する傾向が生まれ、B店長を佐沼店の最高責任者とする職場の秩序が乱れ、ひいては被告佐沼店の雰囲気が悪くなってきたほか、さらに営業担当者の原告とB店長との間で商談の際などのコミュニケーションがうまく行かなくなり、営業面においても支障も来すようになっていた。
そこで、B店長は、このままでは被告佐沼店全体の経営に支障をきたすことになると判断して、上司であるD常務及びF社長にその旨の報告を行うとともに、原告を他の営業所(古川店)に転勤させることも含めた対応を求めた。
(八) F社長及びE部長の対応
F社長は、B店長の右報告を受けて、三月の営業マン会議において、原告と、同人の右のような勤務態度に関して話をしようと考え、同人に声をかけた上、会場内の食堂で待っていたが、原告が他の従業員の励ましが嬉しくて泣き崩れてしまい、F社長のもとへ行くのが遅れ、さらに、その後原告はF社長へ挨拶をすることなく被告佐沼店に戻ったことから、原告はF社長と直接話をする機会を失ってしまった。
D常務及びF社長は、総務部長であるE部長に対し、原告のB店長に対する態度が被告佐沼店の経営に支障を来しているので、人事担当者として適正に対処するように指示した。E部長は、原告のB店長に対する態度が、職場の秩序を乱す社内規律違反行為にあたると判断し、場合によっては原告を懲戒解雇することも検討せざるを得ないと考えるに至った。
但し、E部長は、原告が営業面において優れた実績を有し、有能な従業員であったことから、原告を辞めさせることは被告にとっても必ずしも望ましいことではないと考え、原告が反抗的な態度を改め、普通の勤務態度に戻るのであれば勤務を継続してもらおうとも考え、原告と話し合いの機会を持とうとしたり、原告の義理の兄に電話して原告の勤務態度を改めるよう原告に注意してもらいたい旨依頼したりもしたが、直ちに原告の勤務態度を改めさせることもできず、原告には退職してもらうしか方法はないと考えるに至った。
4 原告が被告を退職した経緯とその後
(一) 原告は、四月二七日、名取市内の顧客に納車をする予定であったことから、B店長に宮城中販オークション会場での営業マン会議に出席できないことの了解を取っていたが、同日になって、B店長から、納車の途中に右会場に必ず寄るようにとの指示を受けた。
原告が、納車に行く途中、同所に赴いたところ、E部長が、原告に対し、強い口調で「あなたは来月一杯で会社を辞めていただきたい。その理由は、店長に挨拶をしない、お茶を出す態度が悪い、それと勝手に一人で騒いで会社のイメージを悪くされた。男性なら転勤という方法もあるが、女性なので辞めていただくということにする。あなたがこれまで自分のとった行動を反省するならいてもいい。しかし、いても社長の印象もよくないし、当然ボーナスの査定も下がるからな。辞めるかどうか連絡をよこしなさい。」と言った。原告は、E部長の突然の言葉にショックを受け、泣きながらE部長に対し、お客様から苦情でも来たのかと尋ねたところ、E部長は、「お茶を出す態度が悪いのは店長に対してだ。先日の会議でもせっかく社長があなたのために時間を作ってあげたのに、すっぽかしたらしいな。」「結局他に女性社員がいるのにあなただけが騒いだからな。調べればそういう事実はなかったじゃないか。これで青年が一人会社を辞めているんだぞ。」と原告を怒鳴りつけた。原告は、E部長に対し、自分なりの事情を話したものの、E部長は聞く耳をもたなかった。
(二) その数日後、原告は、D常務に対し、E部長から退職しろなどと言われたことを電話で話したところ、D常務は、原告に対し、「クビではない、花子の場合は自主退職だ。この先、どこかに就職する場合に、解雇では花子が不利になるから自主退職とした方がいいんだ。」と言った。原告は、入社以来何かと面倒を見てくれ、会社の中で一番信頼していたD常務からも、退職するのだと言われたことから、被告を辞めざるを得ないのだと自覚するに至った。
五月に入ると、原告は、新規来店の顧客の担当を他の従業員に任せ、五月半ばには、川内印刷株式会社に退職礼状の印刷を依頼した(なお、原告は、退職礼状の文例にはすべて「円満退職」と記載されているところを、あえて「円満」を外して印刷することにした。)(乙三)。
五月二九日、原告は、自分が辞めざるを得ないことに最後まで納得が行かず、労働基準監督署に事情を話しに行ったところ、担当署員から勤務を続けてみればとの助言を受けるとともに労働省女性相談室のパンフレットをもらった。
(三) 最後の出勤日である五月三一日、原告が担当した顧客一〇名ほどが、花束を持って被告佐沼店に来て原告の退職を惜しんだ。その後、原告が勤務を終えて帰ろうとしたところ、B店長が原告に対し、右日で退職することを改めて確認し、原告がこれに対し、E部長にそのように言われたからと告げると、B店長は、原告に対し、「私こと一身上の都合により」という理由で退職願を書くように要求した。原告は、依願退職ではなく、被告から通告されて辞めるのであるからそのような辞表は書けないと右の要求を拒絶した。
(四) 原告は、六月一日以降被告に勤務していないところ、六月一日、B店長は、自宅にいた原告に対し、「辞表を書いてもらわないと、離職票や退職金は出せない、理由は何でもいいから早急に提出するように。」と要求した。
右電話を受けて、原告は、被告労働組合の委員長であるI課長に電話して、「退職願を書いては、依願退職扱いになり、退職金を一〇〇パーセントもらえないのでは。」と尋ねたところ、I課長はE部長に問い合わせた上で、原告に対し、「本部は退職金は依願退職である六六パーセント以上払う気はない。早く退職願を出さないと六六パーセントも保証できない。」などと言っていることを伝え、早急に退職願を提出した方がよい旨助言した。
原告は、六月五日、退職の理由を「A社員の女子トイレのぞき事件で店長のAへの対応、被害にあった私への対応に不満があった。来月末で退職して欲しいとのことで、続けていきたい気持ちでしたが、在籍していてもこの先良い事はないとまで言われましたので無念ですが意向に沿い退職を決めました。」とする退職願(乙一の1)を被告に提出した。
原告は、六月一日以後、B店長に対し、退職金が支払われる時期について強い調子で尋ねた上、前記第二の一4(五)のとおり退職金を受領した。
原告は、六月一日以後、自動車の洗車やオイル交換などで被告佐沼店を訪れたことがあったが、被告に出勤したいとか、被告を辞めておらず自宅待機中であるなどと言ったことはなかった。
(五) 原告は、宮城女性少年室に電話の上、六月一一日、同所に赴いて、被告の対応に対する原告の不満などを話した。これを受けて、同所職員は、E部長に連絡をとり、八月三一日に、同人に宮城女性少年室に来てもらった上、企業におけるセクハラ対策について、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律の指針に基づき助言するとともに、関係資料を提供した(甲九の2)。
原告は、代理人を通じて、一一月一〇日、精神的損害に対する損害賠償を打診したが、被告がこれに応じなかったため(甲七)、原告は本訴を提起するに至った。
5 以上の認定に対し、被告は、本件侵入事件当日のG課長の発言は、原告の不安な気持ちを和らげ慰めるためのものであり、嘲笑するものではないと主張するが、自分の用足し中の写真も撮られたかもしれないと強い不安を覚えている原告に対する発言として、かえって精神的不安を助長するものであることは容易に想像できるのであり、被告の右主張は採用できない。
また、被告は、E部長の四月二七日の発言は、勤務態度を是正することが主眼にあり、発言も強い口調ではなかったと主張するが、勤務態度を是正することに主眼があるのであれば、五月末という期限を付けることと整合しないほか、解雇とも受け取られる発言をする者の口調が強くなることは経験則上よくあることと考えられることからすれば、この点の被告の主張は採用できない。
他方、原告は、B店長に対し、出退勤時の挨拶をしなかったことやお茶をいれなかったことはないし、営業上の仕事も責任をもって遂行していた旨主張し、原告もこれに副う供述をするが、警察の捜査が効を奏さなかったことが判明するに至り、B店長を初めとする被告の対応に強い不満をもった原告が、B店長に対し、出退勤時の挨拶をしないことをはじめ、お茶を入れなかったり、仕事上においてもB店長の指示に対し、睨み付けたり嫌な顔をすることがあったりしたことは、やや好き嫌いのはっきりしている原告の性分に照らせば、推認に難くなく(仕事以外にできるだけ口を聞かないようにしていたこと、B店長を困らせてやろうと思っていたことは原告自身も認めるところである。)、原告のこの点の主張は採用できない。
以上のとおり、本件侵入事件とその後の経過について前記認定の事実が認められ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
そこで、以上に認定した事実を前提に、以下争点について検討する。
二 争点1について
事業主は、従業員に対し、雇用契約上の附随義務として、良好な職場環境の下で労務に従事できるよう施設を整備すべき義務を負っていると解すべきである。
争いのない事実等及び前記一で認定した事実からすれば、本件女子トイレの構造は、男女別に設置されたトイレではあるが、本件女子トイレ内に掃除道具置場があり、女性のみならず、場合によっては男性も本件女子トイレの中に入っていく機会を作り出していたことが認められる上、本件女子トイレ内の掃除道具置場と個室トイレとの間には、板一枚の仕切しか設けられておらず、しかも、床面から最大6.5センチメートルの空間があり、また床からの高さ八二センチメートルに位置する水道管の穴の周りにも隙間があって、掃除道具置場から個室トイレ内を見通すことができる構造になっていた(どの程度見えるかは別として)のであるから、本件女子トイレの構造に欠陥があり、その設置保存に瑕疵が存在したことは否定できないものである。
しかしながら、他方で、右のような構造を持つトイレに対し、女子従業員や女性客を含め、本件女子トイレの構造に気づき、注意を喚起した者がいなかったというのであり、してみれば、被告が本件女子トイレの設置保存に瑕疵が存在したことについて認識できる機会はなかったというべきであり、したがって右瑕疵の存在を予見することもできなかったというべきである。その意味で、本件では、まさに本件侵入事件が発覚して初めて被告の本件女子トイレの構造上の問題点が明らかになったというべきであり、これをもって、被告に職場環境整備義務違反があったということはできない。したがって、この点の原告の主張は採用できない。
三 争点2について
1 事業主は、雇用契約上、従業員に対し、労務の提供に関して良好な職場環境の維持確保に配慮すべき義務を負い、職場においてセクシャルハラスメントなど従業員の職場環境を侵害する事件が発生した場合、誠実かつ適切な事後措置をとり、その事案にかかる事実関係を迅速かつ正確に調査すること及び事案に誠実かつ適正に対処する義務を負っているというべきである。本件侵入事件は、事件当日に原告がのぞき見目的で潜んでいたAを発見したもので、のぞき見されたわけではないから直接的なセクシャルハラスメントの被害が顕在化した事案とまではいえないとしても、原告がのぞき見目的で潜んでいたAを発見しなければ、その後原告をはじめとする女子従業員のプライバシーが侵害されることになったばかりでなく、同人が過去に同種の行為を反復継続していた可能性もあったのであるから、職場環境を侵害する事案として、被告には誠実かつ適正に対処する義務があったというべきである。
2 被告佐沼店長であり従業員の監督責任者であるB店長は、本件侵入事件が発覚した後、事件当日のうちに千葉営業係長から本件侵入事件の報告を受け、さらに午後六時のミーティング時に、原告からAに事情を聞いて欲しい旨の申告を受けていたのであり、しかも、原告は、B店長に対し、Aが人に頼まれて写真を撮ろうとして掃除道具置場内に侵入していたこと、雑誌社に送るといい金になると電話で話していたことを指摘しており、このことが真実であれば、単なる一時的な出来心の場合よりも事態は相当に深刻であり、原告を初めとする女性従業員並びに顧客が被害に遭っている可能性が高いものである。また、写真などは隠滅が容易であって、のぞき行為が発覚したAが右証拠の隠滅に及ぶことは容易に想像できたというべきである。
このような場合、被告としては、当日のうちにAに対し、電話などで、Aが原告に対し電話で話した内容、すなわちのぞき見目的で侵入していたか、人に頼まれて写真を撮ろうとしていたか、雑誌社に送っているのかどうか等について事情を聴取し、その上で、被害回復、再発防止のための適切な対処をする義務が存在したというべきである(Aは、以前に交通事故を起こしたことがあり、しかも眼鏡からコンタクトに変えたばかりで、原告の右申告時点においてすでに外は暗くなっていたという事情を考慮しても、事実の確認として最低でも電話でAから右のような事情を聴取すべき義務があったというべきである。被告は、被告には警察のような強制力を有しないことを根拠に、右のような権限は存在しないと主張するが、会社の従業員が会社内で起こした事件について、会社内部で強制力を用いない範囲で事実関係を調査する権限を有するのは当然である。)。
3 しかるに、B店長は、本件侵入事件当日が初売り期間中で仕事が残っていたこと、性質上直ちに事情を聞かなければならない程の緊急性のある事件ではないと判断したことなどから、Aが出勤する六日に事情を聞くことにし、原告に対しては警察に届けないように口止めして、初売りの仕事を優先して続けたのであり、被告は本件侵入事件に対する初期の適正迅速な事実調査義務を怠ったというべきである。
また、一月八日、原告はD常務及びE部長の事情聴取の際に、Aが写真を撮っていた旨の発言を翻し、見たいから見ていた旨発言するに至ったことを訴えたのであるから、被告としては、Aに対し、写真を撮っていたかどうか、ネガを所持しているかどうか、原告は依頼した人物がいると述べているが依頼した人物がいるのか、いるとすれば誰か、発言を変遷させるに至った理由は何か、などの点を、原告の言い分に照らして具体的に事情を聴取すべきであったというべきである。
しかるに、被告のD常務及びE部長は、一月八日、Aから事情を聴取したものの、右のような具体的な事情を聴取することもなく、また原告の言い分とAの言い分が異なっているにもかかわらず、漫然とAの言い分を聞くだけで、右言い分が真実かどうかの確認をする努力もしなかったというのであるから、この点においても被告に誠実かつ適正な事実調査義務を怠った過失が存在するというべきである。
さらに、被告は原告に対し、警察や社外に口外しないように指示ないし要請したというのであるから、原告が警察への届け出をしないかわりに、被告自らが事実調査を行う義務を負ったことを自認していることは明らかというべき(被告は、関係者のプライバシーや写真等の証拠の不存在から軽々しく口外するのは控えるのが妥当であると思い、原告に対し警察や社外に口外しないように指示したと主張するが、本件侵入事件が明るみになれば被告の信用にも関わる問題であり、社内で内々に対応し処分しようとしたことは容易に想像できるところであり、被告の右主張は採用できない。)であって、警察や社外に口外しないように指示ないし要請しながら、自らはAの言い分だけを聞いて、Aの言うことと原告の言うことのどちらが正しいのかの事実を確認することもなく、漫然とAの言い分を真実と受け止めるような態度をとったことは事案に適正に対処する義務を怠ったものと言わざるを得ない。
被告が、本件女子トイレ内の掃除道具置場の扉を取り外すなどの再発防止措置をとったことは事後的ではあるが適切な措置であるし、また、Aに対し、自宅待機の上、諭旨免職処分にするなどの対応をとったことは、Aに対する措置として適正な対応と評価すべきものと言えるが、これだけではAの本件侵入事件を発見し、あまつさえ同人から写真を撮っていた旨を聞かされ、もしかしたら自分の用足し中の写真も撮られて他に送られているのではないかと強い不安を感じている原告に対する対応としては、甚だ不十分であるというべきである。
4 被告は、原告の求めるところは、被告が直ちにAから事情聴取をし、写真撮影の事実の有無の確認やAの自宅へ行って写真ネガ等の有無を確認することであり、これに応えなかったところに原告の不満があると主張し、本件においては、原告が即座に具体的な対応を求めることがなかったこと、B店長が右のように即座に対応することまでは思い及ばなかったことを理由に、右の義務違反はなかったと主張する。
しかしながら、前述のとおり、B店長は被告佐沼店の長であり監督責任者として即座に事案に対応する義務を負っていたというべきであるから、被告の右主張は採用できない(B店長は、被告佐沼店の責任者として自ら積極的に対応すべき責任があるというべきである、原告が具体的な措置を要求していないからといって、右責任を免れるものではない。被告は、本件侵入事件の最も適切な対応は、のぞき行為を発見した原告自身が、発見したときに直ちにAに事情を聞けば良かった旨主張し、B店長もこれに副った証言をするが、女子トイレにいるはずのないAの姿を発見し、激しく動揺している原告にそのような対応までを求めるのは酷というべきである。)。
さらに、被告は、本件侵入事件は、事柄の性質上、休暇中の者を呼び出してまで特に急いで事情を聞かなければならないような緊急性のある事柄ではないと思われ、原告に対し、Aが出勤した六日に事情を聞くと答えた対応は適切であり、その後の対応も適切であった旨主張する。
しかしながら、前述のとおり、原告はB店長に対し、Aが頼まれて写真を撮ろうとしていた、関西の雑誌社に送ればいい金になるなどと発言したことを申告しており、本件侵入事件にかかる行為がその後において継続していないとはいえ、Aが、本件侵入事件発覚後、写真を処分するなどして証拠を隠滅するおそれがあることは容易に想像されることであるから、早急にAから事情を聴取する必要性のあった事態であるというべきであって、被告の右主張は採用できない。
四 争点3及び4について
1 前記一に認定した事実のとおり、原告は、三月以降勤務を継続したものの、B店長に対し、出退勤時の挨拶をしなかったり、お茶を出さなかったりするばかりでなく、B店長の仕事上の指示に対し睨み付けたり嫌な顔をするようになるなどし、このため被告佐沼店の職場秩序が保たれなくなっていることに加え、商談においても営業担当者である原告とB店長のコミュニケーションがうまくいかなくなっていたことから営業上も支障を来すに至るなど、被告佐沼店における経営全体に支障を来すようになっており、しかもその状態が二月以降継続していたのであるから、被告としては原告の勤務態度に対し何らかの対応が必要となっていたというべきである。
この点、B店長が、原告に対し、原告が担当する顧客からの連絡を取り次がなかったり、同じく原告が担当する顧客から代車の手配と車の買い換えの手続を依頼されたときに他の従業員に担当させようとしたり、二月末、退職を通知するはがきを手配したのかという催促をしたりなど、本件侵入事件の精神的苦痛から立ち直っていない原告にとって、嫌がらせとも感じられる態度を取っていたのであり、B店長の右のような原告に対する態度が、原告のB店長への態度となって現われた面が少なからずあると思われるものの、警察の捜査が一応終了し、Aの会社での処分がなされた後に至っても、原告が前述のような勤務態度を取り続けるのでは、被告佐沼店の経営全体に支障を来し、ひいては会社全体の機能不全を招くことになるというべきである。
そして、B店長が、F社長やD常務に原告に対する対応を求め、F社長が三月の営業マン会議で原告と話をする機会を持とうとしたり、同人らから指示を受けた人事担当者であるE部長が、原告の義兄を通じて原告の勤務態度を改めるように求めたりしたのも、営業成績などで優秀な実績と能力を持っていた原告に勤務態度を改めてもらうことを期待してのものであったということができ、それにもかかわらず、結局原告の勤務態度が改まらなかったことから、E部長が、四月二七日に前記一4(一)のとおりの発言をするに至ったものと認められるのであり、右発言が解雇通告とも受け取られるような強い発言であったことは認められるものの、「これまでの自分のとった行動を反省するならいてもいい。」などと原告の勤務態度いかんによっては勤務できる余地を残した発言であったのであるから、右発言を解雇通告と捉えることはできないというべきである。そして、右の一連の経過に鑑みれば、E部長の右の発言は、原告に対し、強く被告を退職することを求める労働契約の合意解約の申込み(退職の申込み)にあたるというべきである(但し、E部長の発言の内容及びその強さからすれば、これを合意解約の申込みの誘因であると解することはできない。)。
これを受けて、原告は、D常務に電話するなどして、退職しなければならないのか確認し、D常務からの原告が退職することになると言われたことをもって退職を覚悟し(このとき、D常務は、解雇では原告が不利になるから自主退職とする旨述べているが、右の発言は、原告の再就職のことを考えて自主退職とする旨原告を説得するためになされたものであって、右発言をもって、被告が原告について形式上自主退職扱いとするが、実質は解雇であることまでを自認していたとは認めることはできない。)、自ら退職礼状の印刷を依頼した上、五月三一日をもって勤務を終了したのであり、右勤務の終了をもって被告の労働契約の合意解約の申入れに対する原告の承諾がなされたものと捉えるのが相当である(なお、原告の退職願は六月五日に提出されているが、原告の退職の承諾の意思表示は、最後の出勤日である五月三一日と解すべきである。)。
そして、原告は、六月五日、被告の求めに応じて退職願を提出し、退職後、B店長に対し、退職金が支払われる時期について強い調子で尋ねた上、異議なく退職金を受領していること、原告は、被告から、退職理由を「依願退職による」とする離職票の交付を受け、これを公共職業安定所に提出して雇用保険の給付の申請を行っていること、原告は自動車の洗車やオイル交換などで何度か被告佐沼店を訪れているが、出勤して働きたいと申し出たことや未だ労働契約上の地位を有すると発言したことはなかったこと、原告は被告に対し、代理人を通じて精神的損害に対する損害賠償を打診したことはあったが、原告がなおも被告の従業員たる地位を有することを主張したのは、退職から一年近くを経過して提起された本訴においてが初めてであり、地位保全・賃金仮払いの仮処分の申立てなどの手段もとっていないことなどの諸般の事情を考慮すれば、原告は被告を任意退職したとの認識を有していたものというべきであり、これらの事実も、原告が任意退職したことを裏付けるものである(原告は、五月二九日、被告を辞めなければならないことに納得がいかず、労働基準監督署に赴いて事情を話し、担当署員から勤務を続けてみればと助言を受けたものの、結局五月三一日をもって勤務を終了しており、右の経緯に鑑みれば、原告が労働基準監督署に行ったことをもって被告を任意退職したことの認定が左右されるものではない。)。以上によれば、原告が被告に対し不当解雇を理由に慰謝料を求めることもできない。
2 原告は、職場環境配慮義務の一内容として、従業員が解雇や退職がなされることのないように配慮すべき義務が存在することを前提に、被告は、本件侵入事件について、被告の対応に不満を持っていた原告を退職するように仕向け、なおも勤務の継続を望む原告を解雇するに至ったものであり、右解雇は不当であり無効であるから現在も雇用契約上の地位を有すると主張する。
確かに、本件侵入事件に対する被告の対応に問題があったことは前記三のとおりであり、Aに用を足している姿を見られたかもしれないことに強い不安感を抱き、精神的苦痛を覚える原告が、結局警察の捜査をもってしても写真等が発見されなかったことに不満を覚え、初期の対応を怠ったB店長に対しその不満を向ける気持ちを持ったことはやむを得ない面があるとはいえ、それをもってすれば、本件侵入事件の解決が図られるわけではないのは当然であるところ、いつまでも原告がB店長に対し、不満をぶつける形として、反抗的な勤務態度を取り続けたことは相当でないと言わざるを得ず、三月以降、原告とB店長との折り合いの悪さが顕在化し、被告佐沼店の経営にも支障を来しつつあったことを考慮すれば、E部長の発言が不当であるとまではいうことはできないというべきである。
また、一般的に事業主に右のような解雇・退職回避義務が存することは首肯できる(「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」二一条一項参照)が、右はセクシャルハラスメント等があった場合に事業主に要求される配慮であるところ、これが会社の対応に不満をもった者がいつまでもその不満を顕在化させるのを放置することまでを許容したものではないのは明らかであって、被告の対応に解雇・退職回避義務の違反はないというべきであるから、原告の右主張は採用できない。
五 争点5について
前記四のとおり、原告は被告を任意退職したものと認められ、原告は被告に対する雇用契約上の地位を有しないことから、右雇用契約上の地位に基づく賃金請求は認められない。
六 争点6について
以上検討したところからすれば、原告の被告に対する請求のうち認容できるのは、本件侵入事件に対する被告の不適切な対応(職場環境配慮義務)による精神的苦痛に対する損害賠償請求であるところ、原告が被告に対し、本件侵入事件に対する適正かつ迅速な対応を求めたにもかかわらず、B店長ら被告は、事件当日にAから事情を聞くのを怠った上、その後のAの言い分を安易に事実と受け止め、それ以上の対応を怠ったものであり、これら被告の不適切な対応が重なって原告が精神的苦痛を覚え、ひいては被告を退職するに至ったものというべきであり、前記四のとおり、原告の右退職が任意退職であるとしても、被告に八年余り勤務し安定した給与を得ていた原告の無念さは察して余りあるというべきである。したがって、このような事情を斟酌すると、原告の慰謝料としては、三二〇万円が相当であり、これと相当因果関係を有する弁護士費用相当の損害額は三〇万円と認めるのが相当である。
被告は、原告がAから本件侵入事件の慰謝料として七〇万円を受領していることをもって原告の精神的苦痛は慰謝されていると主張するが、本件における原告の精神的苦痛は被告の不適切な対応によるものであるから、Aからの金員の受領は本件の原告の精神的苦痛の慰藉には影響しないというべきである。
第四 結論
以上のとおり、原告の本訴請求は、慰謝料として三二〇万円と弁護士費用として三〇万円の合計三五〇万円及び内三二〇万円に対する平成一〇年五月三一日から、内三〇万円に対する本訴状送達の日の翌日である平成一一年六月四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これをこの範囲で認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、仮執行宣言につき同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・伊藤紘基、裁判官・遠藤真澄、裁判官・日置朋弘)