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仙台地方裁判所 平成12年(ワ)476号 判決 2002年2月14日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1原告の請求

1  被告らは,各原告に対し,連帯して金3393万9579円及びこれに対する平成7年11月28日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

第2事案の概要

本件は,Aの両親である原告らが,被告B及び被告Cに対し,喘息発作をこじらせたAが肺炎を起こして死亡したのは,被告Bが設置管理する本件病院及びその担当医である被告Cが,Aに対する初期の対応を遅らせ,適切な呼吸管理を怠ったこと,さらに投薬上の過失があったこと並びに他の病院へ転送する義務を怠ったことにより,Aの呼吸困難を増強させて低酸素血症に陥らせ,その結果不可逆的な状態に至らせたことが原因であるとして,診療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を請求している事案である。

1  当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(以下「争いのない事実等」という。)

(1)  当事者

ア 原告らは,平成7年11月28日(以下,特に明示のないときは「平成7年」を指す。)に亡くなったA(平成2年4月6日生まれの女児で,死亡当時は5歳であった。)の両親である。

イ 被告Bは,仙台市青葉区a町b丁目c番d号において本件病院を設置管理している社団法人であり,被告Cを雇用している。被告Cは,本件病院に小児科医師として勤務している者である。

(2)  診療契約の締結

Aは,10月30日,被告Bとの間で同児の診療及び入院に際し,小児科医においてAの喘息治療を行うことを中心とした診療契約を締結した。

(3)  Aの入院から死亡に至る経過

Aは,気管支喘息発作のため,10月30日午前3時30分ころ,本件病院を受診し,同日午前4時ころに入院した。

Aは,同児の喘息発作に対し,被告Cらによる治療を受けたが,脳障害や十二指腸潰瘍を併発し,11月28日,D病院へ搬送されたが,肺炎により死亡した(甲A2)。

なお,Aの本件病院での診察時(10月30日午前3時30分)から11月1日午後11時までの間の診療経過等は別紙「診療経過一覧表」(添付省略)のとおりである(但し,同一覧表のうち,「原告の主張・指摘」欄の記載により当事者間に争いのある部分を除く。)。

2  争点

(1)  本件病院及び被告Cには,Aの喘息発作に対する初期対応に過失があったか。

(2)  本件病院及び被告Cには,Aの喘息発作に対する呼吸管理に過失があったか。

(3)  本件病院及び被告Cには,Aに対する投薬について過失があったか。

(4)  被告Cは,Aを他の病院に転送する義務を怠ったか。

(5)  本件病院及び被告Cの治療行為とAの死亡との因果関係の有無

(6)  原告らの被った損害

3  争点に関する当事者の主張

(1)  争点(1)(本件病院及び被告Cには,Aの喘息発作に対する初期対応に過失があったか。)について

ア 原告らの主張

喘息患者が喘息発作を起こした場合の初期対応の一般的な方法としては,直接医師が患者の状態を診察して発作の重症度を評価し,重症度にあった適切な治療を行い,SpO2(酸素飽和度),肺機能を経時的に測定しながら患者の状態と治療効果を注意深く観察し,さらに必要な治療を繰り返すことである。そして,基本的治療としては,(a)最初の1時間は短時間作動性β2刺激薬を20分ごとに3回連続して吸入する,(b)酸素吸入を行い,SpO2を測定して95パーセント以上を維持する,(c)速やかに改善が見られない場合や,発作が重症である患者の場合は全身にステロイド剤を投与することであり,喘息患者を診察した病院は,これに沿った対応をする注意義務があるというべきである。

本件において,Aは本件病院への受診時(10月30日午前3時半ころ)及び入院時(同日午前4時ころ)には,すでに陥没呼吸,鼻翼呼吸,チアノーゼ等が認められ,重症の喘息発作の状態にあったのであるから,本件病院は,上記の基本的治療に沿った対応をすべきであったにもかかわらず,Aに対し,気管支拡張剤(ベネトリン)を2回吸入させたにとどまり,同日午前7時過ぎまでSpO2を測定せず,また酸素吸入を行わなかったのみならず,本件病院の医師であるE医師がAを診察したのは同日午前8時30分になってからであった。

このように,本件病院がAの重症の喘息発作に対する初期対応を怠ったことにより,同児の呼吸困難の増強を招いたものであり,本件病院及び被告Cには,Aに対する初期対応を怠ったことについて過失があることは明らかである。

イ 被告らの主張

原告らは,Aに対する基本的治療として上記の(a)ないし(c)に沿った対応が必要であると主張するが,いずれも否認ないし争う。むしろ,小児喘息に関する一般的な文献によれば,吸入に対する患者の反応や効果の持続時間によって,次の段階の治療を考え,吸入の間隔や回数を決めるように記載されている。また,SpO2は95パーセント以上が望ましいが,臨床的には93ないし94パーセント以上あれば問題はない。

本件病院では,E医師がAの入院後間もなくして同児を診察し,その喘息発作を中発作と診断し,ベネトリンの吸入(本件病院では,10月30日午前6時に3回目の吸入を行っている。)にもかかわらず症状が改善しないことから血管を確保し,ステロイド剤であるソル・コーテフと気管支拡張剤であるネオフィリンの点滴静注(静脈注射,以下「静注」という。)を行った後,引き続いてネオフィリンの持続点滴を行っている。その後,Aは入眠したものである。10月30日午前6時ころには,Aの口唇は良好で,チアノーゼもなく,酸素投与前の同日午前7時ころのSpO2は90ないし91パーセントであった。

平成7年当時,一般臨床の場では,小児喘息の状態を診る上で,SpO2の測定が必要であるとはされておらず,またAは入院後しばらくして入眠し,10月30日午前6時ころにはチアノーゼもなく,呼吸数も1分当たり48回(以下「48回/分」と略記する。)であったことなどからすれば,SpO2を同日午前7時ころまで測定しなかったことが本件病院の過失であるとはいえないはずである。また,上記のSpO2を測定しなかったことが,Aの死亡との間で因果関係を有するとの証拠は何もない。

(2)  争点(2)(本件病院及び被告Cには,Aの喘息発作に対する呼吸管理に過失があったか。)について

ア 原告らの主張

小児の気管支喘息で,高度の換気障害や呼吸停止が見られる場合,最大限の酸素投与を行っても動脈血ガス分析でPaO2(動脈血酸素分圧)が50torr(=mmHg)未満などの場合には,気管内挿管若しくは機械換気の適応基準となる。

しかるところ,Aは,本件病院へ入院した当日である10月30日午前7時ころから呼吸困難が増強し,同日午前8時から午前9時ころには,ぐったりした状態で,酸素投与量を増加してもSpO2が90ないし80パーセント台後半に低下し,PO2(呼気(吸入気)酸素分圧)が60.3torr,呼吸回数が50回/分と頻呼吸状態にあったものである。したがって,本件病院は,同日午前9時の時点で,このような状態にあるAに対し,気管内挿管,機械換気の措置を施すことを考慮すべきであった。しかるに,本件病院は,上記措置を直ちに行わず,そのためAの呼吸困難をさらに増強させたものである(現実に気管内挿管を実施したのは,11月1日午後0時15分であり,人工呼吸器(ゼクリスト)を装着したのは同日午後6時10分であった。)。

また,本件病院は,Aが入院した3日目の11月1日午後10時30分に,同児に対し人工呼吸器(レスピレーター)の取付けを行ったものであるが,同呼吸器が完全に装着されるまで何度も外れたり,肺や腹部に空気が溜まるなどのトラブルが発生するなどAの身体及び精神にストレスを与え,これによってもAの体調を悪化させた(その間のAのSpO2は60から70パーセント台に低迷し,低酸素状態が継続された。)。

このように,気管内挿管の遅れと人工呼吸器装着の失敗という呼吸管理上の過失により,重症喘息発作の状態にあるAの低酸素状態が改善されるどころか悪化したものであり,本件病院及び被告Cに,Aに対する呼吸管理に過失があったことは明らかである。

イ 被告らの主張

そもそも,小児喘息の患者に対し,呼吸状態を改善するために気管内挿管を実施すればよいというものではない。気管内挿管の基準が存在するのは,気管内挿管がそれ自体危険を伴うものであり,患者にとっても好ましいものではないからである。そして,上記基準に照らせば,できるだけ気管内挿管は避けるべきであり,やむを得ない場合に初めて行うべきであるとされていることが明らかである。また,気管内挿管の基準は一応の目安であり,患者の治療への反応や意識状態なども判断材料となるのであって,この基準に達すれば,直ちに気管内挿管を含めた人工換気の適応があるということはできない。

しかるところ,Aは,11月1日の気管内挿管の実施時まで意識障害が認められず,呼吸自体も十分にできており(明らかな呼吸筋の疲弊も存在しない。),PaCO2(動脈血炭酸ガス分圧)も同日午前11時16分の静脈血で43.7torrという状態である。またSpO2が低下しても,一時的なものであり,すぐに改善している(このようなSpO2の低下は,小児喘息において普通にみられることである。)。

そうすると,本件病院が,11月1日の午後0時15分ころまで気管内挿管を行わなかったことが時期に遅れたとはいえないはずである。そもそも,その時期までに気管内挿管が行われなかったこととAの死亡との間に因果関係を有するとの証拠は何もない。

なお,原告らは,Aに取り付ける人工呼吸器が何度も外れたと主張するが,そのような事実はない。本件病院では,Aに対し人工呼吸器による管理が非常に困難なところを何とか人工呼吸器装置で人工換気を行うことができるようになったものである(これは,Aの喘息発作時の気管支狭窄による気道内圧の上昇に急性呼吸窮迫症候群(ARDS)による肺コンプライアンスの著明な低下(肺の膨らみが悪くなる。)が加わり,人工呼吸器管理が非常に困難で,吸入圧を高くせざるを得なかったことによる。)。

(3)  争点(3)(本件病院及び被告Cには,Aに対する投薬について過失があったか。)について

ア 原告らの主張

(ア) ステロイドパルス療法の不適切さ

ステロイドパルス療法は,一般的に即効性がなく,緊急を要する重症喘息に即応したものでないばかりか,大量のステロイド剤を使用するため,肺炎等の感染がある場合には感染症を悪化させるので不適切であるところ,本件病院は,Aに対し同児の入院当日からステロイドパルス療法を行っており(10月30日午前9時,同日午後2時20分),これによりAの肺炎が重篤になったものである(現に,Aの10月30日のCRP(C反応タンパク)値は1.66であったのに対し,同月31日は9.42,11月1日には6.47,同月2日には13.06,11.44,同月3日には10.72に上昇しており,これはステロイド剤の大量投与により感染症が誘発され,あるいは気管支炎等の感染症の悪化を招いたことを容易に推測させるものである。)。

(イ) 鎮静剤,睡眠剤の使用の不適切さ

鎮静剤,睡眠剤は喘息重積発作の状態にある者には,禁忌とされている(薬の作用によって呼吸が抑制され,より低酸素血症を招くことがあり,また排痰を困難にする。)ところ,被告Cは,激しい体動やイライラ感など,低酸素と換気不全による全身症状と認められる状況にあったAに対して,10月31日午後10時50分及び11月1日午前11時,睡眠剤であるトリクロリールを投与したものであり,これにより,Aは呼吸が抑制され排痰ができず,さらに低酸素血症状態に至り,感染症,肺炎のますますの悪化につながったものである。

(ウ) スルピリン使用の不適切さ

スルピリンは,急性上気道炎の解熱の適応はあるものの,鎮痛の適応はないばかりか,副作用としてショック,脈拍異常や呼吸困難があらわれることもあり,また感染症を不顕在化するおそれがあるとされているところ,Aは肺炎という感染症を抱えていたのであるから,同児の肺炎菌の同定がなされるまでは使用すべきではなかった。

しかるに被告Cは,10月30日午後3時,同日午後11時20分,外3回(10月31日午前6時20分,同日午後10時50分,11月1日午前4時)の合計5回,Aに対しスルピリンを静注した。

(エ) 以上のとおり,本件病院及び被告Cは,Aに対し禁忌,不適切とされる薬剤を投与しており,結果としてAが呼吸抑制を起こし,また感染症を悪化させている事実に照らせば,本件病院及び被告Cに,Aに対する投薬について過失があることは明らかである。

イ 被告らの主張

(ア) ステロイドパルス療法について

本件病院は,Aに対するソル・コーテフの投与によってもその効果が不十分であったことから,それまでの臨床経験を踏まえてステロイドパルス療法を行ったものである。現に,一般臨床の場においても,小児喘息の治療としてステロイドの大量投与が行われている(ステロイドの投与量と呼吸不全の発症との間に有意差は認められていない。)。但し,本件病院は,ステロイドの投与による感染症の合併の危険性も考慮し,抗生剤ガンマグロブリンの投与も行っている。そして,そもそもステロイドの大量投与によって感染症が合併し,Aが死亡したという因果関係を裏付ける証拠は何もない。

(イ) トリクロリール,スルピリンの投与について

原告らは,小児喘息に対し,トリクロリール,スルピリン(解熱鎮痛剤である。)は禁忌,適応外であると主張するが,上記薬剤を投与したのは,Aが興奮状態にあり,かつ痛みを訴えていたからであり,Aをこのままの状態に放置しておくことができなかったからである(実際,上記薬剤の投与により,Aの呼吸状態が落ち着いたことが明らかである。)。またAはトリクロリールの投与前から既にその呼吸状態が悪化しており,さらに臨床上,トリクロリールを10ミリリットル(以下「mL」と略記する。)投与した程度では呼吸抑制を来さないものであるから,本件病院のトリクロリールの投与によってAの呼吸を抑制したとは到底考えられない。

(ウ) 以上から,本件病院が,Aに対しステロイドを大量投与したことやトリクロリール,スルピリンを使用したことに過失が存在しないことは明らかである。

(4)  争点(4)(被告Cは,Aを他の病院に転送する義務を怠ったか。)について

ア 原告らの主張

Aは,本件病院を受診した時には,すでに重症の喘息発作を起こしている状況にあり,集中治療室における治療や気管内挿管などの必要性が予想され,これに対する対処として,喘息専門医や喘息治療経験の豊かな救急治療専門医等のスタッフの存在,気管内挿管に熟練した麻酔医の待機や5歳児であるAに適した医療器具が設置されていることなどが求められ,そのような設備を有しない病院においては,かかる患者の状態に対応できるスタッフと医療設備の整った病院へ転送すべき義務がある。

しかるところ,本件病院の小児科では,被告Cが1人で入院及び外来患者を診察しており,到底重症喘息患者であるAに対し臨機応変に対応できる体制にはなく,また本件病院にはAに適した医療器具の設置はなされていなかったものであるから,被告Cは,Aの呼吸困難が増強されてきた10月30日の夜間,遅くとも気管内挿管を決定した時点(被告主張によれば11月1日午前11時40分)で,Aの状態に対応できるスタッフと医療設備の整った病院へ転送すべきであった。にもかかわらず,被告Cは,徒にAを抱え込み,結局転送時期を逸してAの死という結果をもたらしたものである。

イ 被告らの主張

原告らの主張は争う。

(5)  争点(5)(本件病院及び被告Cの治療行為とAの死亡との因果関係の有無)について

ア 原告らの主張

上記(1)ないし(4)の本件病院及び被告Cの不適切な治療及び管理,さらには転送義務違反により,Aの喘息が改善されるどころか悪化し,さらに併発していた肺炎の増悪を招いたものである。その後も本件病院及び被告Cは,重症の喘息患者であるAに対し薬物療法に終始したものであり,これにより結局Aは全身状態の悪化の一途をたどり,肺炎によって死亡したものである。したがって,本件病院及び被告Cの各過失とAの死亡との間には因果関係が存在するというべきである。

イ 被告らの主張

原告らは,本件病院及び被告Cの上記(1)ないし(4)の過失により,Aの喘息発作が改善されるどころか悪化し,さらに併発していた肺炎の増悪を招いて不可逆的な死に至ったと主張するが,原告らが主張する上記の各過失とAの喘息発作の悪化,肺炎の増悪との因果関係を認めるに足りる証拠は存在しない(原告らは,Aの病状を明らかにした上で,いかなる治療を行えばAの死亡を回避できたかを具体的に主張しておらず,単に本件病院の治療行為を不適切であると主張しているに過ぎない。)。現に,原告らは10月30日から11月1日の時点での本件病院及び被告Cの過失によってAが死亡したと主張しているが,同児が死亡したのはその約1か月後の11月28日であり,この時間的関係からしても原告らの主張が認められないことは明らかである。

(6)  争点(6)(原告らの被った損害)について

原告らの主張

Aの死亡により原告らが被った損害は以下のとおりである(合計6937万9158円)。

ア Aの損害

Aが被った損害は下記のとおりであり,原告らは,Aの死亡により下記の損害賠償請求権をそれぞれ2分の1ずつ相続した。

(ア) 逸失利益 2187万9158円

Aは死亡時5歳であるところ,平成7年全年齢平均給与額(女子324万4000円)を基礎として,生活費控除割合を30パーセント,中間利息の控除についてライプニッツ係数(9.635)を用いて逸失利益を計算すると次のとおりとなる。

324万4000円×(1-0.3)×9.635=2187万9158円

(イ) 死亡慰謝料 2000万円

被告らの不適切な治療行為によって死に至ったAの苦痛と無念さを考慮すれば,同児の慰謝料は2000万円が相当である。

合計4187万9158円(原告各自2093万9579円)

イ 原告ら固有の損害

(ア) 葬儀費用 合計150万円

原告らは,Aの死亡により葬儀を余儀なくされたところ,その費用は合計150万円を下らない。

(イ) 原告ら固有の慰謝料 合計2000万円

本件病院の適切な治療を求めて受診させたにもかかわらず,不適切な治療行為によってAを失った親としての原告らの精神的苦痛は筆舌に尽くしがたく,その精神的苦痛を慰謝するには,各々1000万円が相当である。

(ウ) 弁護士費用 600万円

原告らは,被告らがその責任を認めないことから原告訴訟代理人に委任して本訴を提起するに至ったものであり,被告らが負担すべき弁護士費用は各々300万円が相当である。

合計2750万円(原告各自1375万円)

原告らは,原告ら各自の損害である3468万9579円のうち,それぞれ3393万9579円の支払いを求める。

第3当裁判所の判断

1  Aの診療にかかる事実経過

(1)  争いのない事実等に加え,証拠(甲A2ないし5,7,8の4,9,B1,乙A1,2の1ないし6,3ないし11,B23,証人E医師及び同Fの各証言,原告G及び被告Cの各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア 本件当時における本件病院の診療体制

平成7年10月30日当時,本件病院の小児科の医師は,E医師及び被告Cの2名であったが,E医師は10月31日をもって本件病院を退職し,以後被告Cが1人で小児患者を診察し治療することとなっていた。本件病院の夜間の診療においては,小児科の患者が来院した場合には,当直婦長が,当直医または救急当番の小児科医師に連絡を取り,当該医師の指示を受けながら患者の治療を行う体制となっていた。但し,喘息患者に対する吸入などの処置については,当直婦長の判断で行うようあらかじめ指示されていた。

イ Aの本件病院への受診に至る経緯

Aは,平成2年4月6日に生まれた女児であり,平成5年11月12日に気管支喘息の発作を起こし,以後同喘息を患うようになった。

Aは,平成7年10月29日(この当時,同児は5歳であった。なお,体重は18kgであった。),家族と共に遊園地に遊びに行ったが,同日午後6時30分ころから喘息発作が出たことから帰宅し,定量噴霧式の吸入剤(メプチン)の吸入と気管支拡張剤(テオドール)を服用したところ,落ち着いてその後入眠した。その後,同日午後11時ころになって,Aは咳で目を覚まし,発熱もあったが,解熱剤を服用し吸入をしたところ,熱も下がり再び入眠した。しかし,翌同月30日午前1時ころ,Aが再度咳き込み始めたことから,原告らは本件病院に連絡して来院の許可を得た上で,Aを連れて同病院を外来受診した。なお,Aは,平成5年11月12日から同月16日,平成7年1月12日から同月16日の2回,気管支喘息発作,肺炎のため本件病院に入院したことがあった。その際,Aは,ステロイド療法と抗生物質の投与を受け,その後退院した。

ウ Aの本件病院での治療経過

(ア) 入院直後の状態及び治療について

本件病院に来院したAに応対したのは,当直婦長であったF看護婦であったが,来院直後の平成7年10月30日午前3時30分ころ,同看護婦は,Aが気管支喘息発作の症状を呈していた(体温37度2分,以下「37.2℃」と略記する。)ことから,まず看護婦の判断で行うことが許可されているβ2刺激気管支拡張剤(ビソルボン1.5mL,ベネトリン0.4mL,生理食塩水(以下「生食」という。)10mL。)の吸入(以下,同内容の吸入を「吸入H」という。)を行った。

しかし,その後もAの症状が改善しなかったことから,F看護婦は,本件病院の小児科の救急当番であったE医師に電話連絡した。E医師は,F看護婦からの報告を受け,同看護婦に対し,Aに対し吸入Hを行うことを指示するとともに,同児を入院させるよう指示した。Aは,同日午前4時ころ,本件病院の小児科病棟に入院し,E医師が病棟の看護婦と連絡を取り,Aに対し,ステロイド剤(副腎皮質ステロイドホルモン剤,ステロイドは主要作用として抗炎症作用と免疫抑制作用をもつ。)であるソル・コーテフ200ミリグラム(以下「mg」と略記する。)と気管支拡張剤であるネオフィリン2.5mL/1h(1時間当たり2.5mL)の点滴静注を行った後,引き続いてネオフィリンの持続点滴(1mg/kg/1h)を行うことを指示し,そのとおりの処置がなされた。入院時のAの状態は,多呼吸,心窩部の陥没呼吸,肩呼吸,鼻翼呼吸があったが,会話はしっかりしており,チアノーゼははっきりせず(口唇色やや不良),肺聴診において呼気延長,呼吸音の左右差が認められ,喘鳴,ラ音(肺の聴診で聴取される複雑音のうち,胸膜摩擦音などを除いた肺に由来すると考えられる音)が聴取された。

その後,Aが点滴の最中に入眠したことから,原告らは,入院の準備のため一旦帰宅した。そのために,Aは目を覚まして大泣きしたが,その後再び入眠した。

同日午前6時ころ,Aの呼吸数は48回/分,体温35.7℃であり,チアノーゼはなかったが,肩呼吸と息苦しさが認められたため,本件病院は,Aに対し吸入Hを行った。

同日午前7時ころ,Aの呼吸困難が増強してきたことから,本件病院は同児に対しパルスオキシメーターを装着し,SpO2を測定したところ,90から91パーセントであった。本件病院の病棟看護婦は,これをE医師に連絡し,この報告を受けたE医師は,Aの症状が呼吸困難の状態にあると判断し(このころには,AのSpO2は87から88パーセント程度であった。),同児に対し酸素を毎分3リットル(以下「L/分」と省略する。)投与(経鼻カニューレを使用)することを指示した。上記の酸素投与により,午前7時30分ころ,AのSpO2は93から94パーセントまでは上昇したが,それ以上に上昇しなかったことから,本件病院は,酸素投与量を5L/分(マスクを使用)に増加するとともにソル・コーテフ200mgを静注した。これにより,AのSpO2は95ないし97パーセントまで上昇し,呼吸状態も落ち着いた(但し,Aはマスクの装着を嫌がり,いらいらして少し興奮気味であった。)。

その後,Aは,同日午前7時40分にトイレに歩いて行った後,再び息苦しさが増し,呼吸回数が50回/分,SpO2が91から92パーセントに低下した。そこで,本件病院は,さらに酸素投与量を7ないし10L/分に増加するとともに吸入Hを行い,Aの状態を観察することにした。

同日午前8時ころのAの状態は,SpO2が88から89パーセントで喘鳴が持続しており,タッピング(胸部の軽打,排痰法の一つ),ベネトリンの吸入を行ったところ,SpO2が93ないし94パーセントに上昇したが,Aはぐったりした状態であった。

(イ) 10月30日午前8時30分のE医師の診察及びその後の治療経過について

10月30日午前8時30分,E医師がAを診察し,同児のSpO2が91から92パーセントであったことから,酸素投与量をさらに8L/分に増加したところ,SpO2が93から94パーセントに上昇した。なお,Aは,この頃,時々テレビを見たり,おしゃべりをしたりする余裕が出ていた。

本件病院では,継続指示という形で,あらかじめ患者の病状にあった検査項目と治療システムを定めておき,看護婦が適宜上記指示に基づいて薬剤等を処方することを可能としていたが,E医師は,上記診察の結果,Aに対する継続指示として,38.2℃以上で疼痛時にはポンタール3.5mL,Lineあるときは25パーセントメチロン(スルピリン,以下,単に「スルピリン」という。)1.5mL,不眠時にトリクロリール10mLなど,吸入としてベネトリン0.4mL,ビソルボン1.5mLを1日6回(プラスα)などと定めた。

しかしながら,同日午前9時ころになって再びAのSpO2が90から80パーセント台後半に低下し,呼吸回数が40から50回/分,陥没呼吸,肩呼吸,チアノーゼがあり,呼吸音ではラ音を聴取,呼吸音の左右差を認め,さらに動脈血液ガス分析でSaO2(酸素飽和度)が89.8パーセント,PO2が60.3torr,PaCO2が41.0torrの値を示した。E医師は,段階を踏んでAに対する治療を行っているにもかかわらず,同児の多呼吸,呼吸困難の状態が改善しないことから,被告Cに相談の上,ステロイドパルス療法(医学大辞典(南山堂)によれば,メチルプレドニゾロンを用いて,小児では15から30mg/kgを5パーセント糖液または生食水200mLに溶解して1時間から2時間かけて静注し,これを3日間連続して1クールとする,パルス療法によってステロイドの血中濃度は通常の治療投与量の250倍にも達しうるので,急速に強力な抗炎症・免疫抑制作用が得られることになると記載されている。)を施行することを決め,ソル・メドロール250mg,生食100mL/2hを投与した。

同日午前10時以降,上記パルス療法を施行中も,Aは酸素の投与を嫌がり,酸素投与量を10L/分に増加してもSpO2が85ないし88パーセントと効果的な酸素吸入が得られず,同児の呼吸状態は落ち着かなかった。そのため,本件病院は,同日午前10時30分ころから,プロタノールの持続吸入(インスピロンにて酸素100パーセントでプロタノール0.8パーセントの濃度)を行うこととし,同吸入開始後約10分でAの呼吸状態が落ち着き始め,SpO2は94から96パーセントに上昇した。

なお,同日午前10時から10時30分ころの間に撮った胸部レントゲン写真の所見からは,Aは主に右肺の過膨張と両側肺炎及び左肺の一部に無気肺を合併していることが窺われた。上記所見から,E医師は,Aが,気管支喘息発作に加え,粘液塞栓などにより無気肺,さらには肺炎を来しつつあると判断し(但し,被告Cは肺炎が発症していると判断した。),抗生物質を2剤(パンスポリン,ミノマイシン)併用するとともに,重症感染症による喘息発作の重篤化を想定し,抗生剤であるガンマグロブリンを投与した。またAのCRPの値は1.66mg/dL(デシリットル)であったことから本件病院は,抗生物質であるセフォチアムを処方した。

その後,AのSpO2は91から95パーセントで推移し,呼吸状態も安定するようになった。

(ウ) 10月30日午後の診療経過について

Aは,マスクや経鼻カニューレが合わないこともあり,酸素,プロタノール吸入を嫌がり,10月30日午後1時ころから,SpO2が再び低下し90パーセント台に上昇しなくなった。そこで,本件病院は,同日午後2時ころ,動脈血液ガス分析を再度施行したところ,AのSaO2が75.3パーセントと低値を示した(PaO2は40.1torr,PaCO2は36.4torrであった。)。

E医師は,Aへの吸入が十分できていないと判断し,被告Cと相談の上,同児を重症患者用の病室(個室)に移した上,再度,ステロイドパルス療法を施行し,さらにプロタノールを持続点滴することを決定した。E医師は,まずソル・コーテフ300mgを静注し,その後同日午後2時20分,ステロイドパルス療法を施行し,ソル・メドロール250mg,5パーセント糖100mL,ネオフィリン0.9mL/2hを投与し,さらに午後2時45分からプロタノールの持続点滴を開始した。

同日午後3時ころのAの状態は,入眠するとSpO2は92パーセントまで上昇するが,覚醒するとSpO2は85から89パーセント,呼吸数は65回/分,体温38.6℃,喘鳴,努力呼吸がみられた。そこで,本件病院は,クーリングとスルピリンの静注を施行した。

同日午後4時ころ,Aは入眠し,SpO2は95パーセントに上昇したが,そのころ撮った胸部レントゲン写真の所見からは,索状影(微少な気管支等が痰などにより詰まり小さな無気肺がみられること)の亢進が増強し,無気肺と肺炎の両方の所見がみられ,午後4時30分ころには,心拍数が180から190/分になっていた。

同日午後4時40分,Aは目を覚まし,再びSpO2が86から91パーセントに変動したが,マスクをボトルマスクに変更したところ,有効な吸入を得られるようになり,SpO2は93パーセント以上に上昇し安定するようになった。

なお,被告Cは,同日夕方ころ,原告Gに対し,「万が一の時は人工呼吸をすることも考えられるが,今のところその必要はない,このまま様子をみます。」と言った。

その後,本件病院はAに対し,同日午後7時ころ,ステロイド剤であるプレドニンを20mg,同日午後11時25分,同児の胸の痛みを取るためスルピリンを静注した。

なお,マスクをボトルマスクに変更してからのAの状態は,呼吸数,心拍数ともに高い数値を示した(概ね呼吸数60回/分前後,心拍数170から190程度/分)が,SpO2は95パーセント前後を維持するようになった。

(エ) 10月31日以降の診療経過について

本件病院は,Aに対し,10月31日午前6時ころ,同児の胸,背部の痛みが持続していたことからスルピリンを静注し,同日午前7時ころには,プレドニン20mgを静注した。

Aは,覚醒しているときは,呼吸数,脈拍数ともに多い(呼吸数60回/分前後,脈拍数180から190程度/分)が,酸素を投与されていたこともあり,SpO2は95パーセント前後を維持していた。

同日午前8時30分から,被告Cが主治医としてAを診察することとなった。その頃のAの状態は,呼吸困難,多呼吸,陥没呼吸が続いていたが,酸素の投与により改善し,SpO2も96パーセント以上に安定した。但し,同日午前9時ころに撮影した胸部レントゲン写真(乙A5)によれば,前日の午後4時の所見よりも無気肺が進行していることが窺われた。

被告Cは,同日午前9時30分,ステロイドパルス療法を施行し,ソル・メドロール250mg,生食100mL,ネオフィリン1mL/1hを投与し,さらに抗生剤としてガンマグロブリン5g/2h,ソル・コーテフ200mgを静注した。

その後,同日午前10時から午後2時ころまでの間のAの状態は,SpO2は95パーセント前後を維持した(但し,痰が溜まるなどSpO2が80パーセントまで低下したこともあった。)が,呼吸数は60回/分前後,脈拍も頻拍(1分当たり172から198回の間)の状態にあった。

同日午後2時35分ころ,再びAのSpO2が88パーセントに低下し,さらに同児が頻呼吸,頻拍の状態にあったことから,本件病院は酸素投与量を増加した。なお,この頃のAのCRP値は9.42mg/dLであった。その後もなかなかAのSpO2は上昇しなかったが,同日午後5時45分には,SpO2が96から97パーセントまで上昇した(但し,呼吸数は72回/分,心拍数は185回/分であり,その状態は回復していない。)。

本件病院は,同日午後7時ころ,Aがなおも肩呼吸,鎖骨下陥没呼吸の状態を持続していたことから,プレドニン20mgを静注した。

その後も一旦はAのSpO2は95パーセントに回復したが,しばらくするとSpO2は90パーセント前後に低下し,酸素を投与するとSpO2が95パーセント前後に回復するなど,同児のSpO2は激しく変動していた。

本件病院は,Aが咳嗽時に痛みを訴え,また体動が激しく,手足をばたつかせていたことから,同日午後10時50分,同児に対しスルピリンを静注し,さらに睡眠剤であるトリクロリール10mLを投与した。

(オ) 11月1日の診療経過について

11月1日午前4時ころには,酸素マスクとナザール(経鼻カニューレ)を併用してもAのSpO2は89から92パーセントという状態であり,さらにマスクを密着させてもSpO2は92から93パーセントであった。また同児が激しく苦痛を訴えたことから,本件病院はAに対しスルピリンを静注した。

同日午前5時にも,Aは腹痛,胸痛を訴え,大きな声を出すようになったことから,本件病院はAに対し,ソル・コーテフ200mgを静注し,さらに同日午前6時にはプレドニン20mgを静注した。なお,午前6時のAの状態は,SpO2が97から98パーセント,呼吸数が70回/分,心拍数が170から190回/分であり,顔面浮腫が見られるようになった。

その後も,Aは体の痛みを訴え,被告Cが同日午前8時30分,Aを診察したところ,呼吸困難が続き,多呼吸,陥没呼吸がみられ,同日午前9時には,同児のSpO2は70パーセント台にまで下がった。そこで,本件病院は,Aに対しプロタノール持続点滴15mL/hを行い,同日午前10時ころには同児のSpO2が90パーセント台になった。

被告Cは,同日午前11時ころ,同日午前9時ころに撮影した胸部レントゲン写真(乙A6)の所見から,Aの肺炎が増悪していると判断し,同児の症状を急性呼吸不全と診断した。被告Cは,興奮状態が続き体動の激しいAに対しトリクロリール10mLを投与し,その後ステロイドパルス療法(ソル・メドロール250mg,生食100mL/1h)を施行した。

同日午後11時40分,マスクによる酸素投与ではAのSpO2を90パーセント以上に維持できない状況に至り,さらに動脈血液ガス分析でPaO2が46.0torr,PaCO2が43.7torrとなったことから,被告Cは,Aに対し気管内挿管を実施することを決定し,同日午後0時15分,気管内挿管を行った。なお,このころのAは,呼吸状態が改善せず,ぐったりして顔色不良となり,気管内挿管と同時に多量の痰が噴出した。

被告Cは,同日午後1時30分ころに撮影した胸部レントゲン写真上,Aの全肺野がほぼ白くなっており,さらに重症化した肺炎を患っている患者が急性呼吸不全に陥った場合はARDSが一番考えられるとして,同児がARDSに罹患した疑いがあると判断した。本件病院は,感染症(特に肺炎)の改善のために抗生物質を同日午後2時,同午後3時,同午後5時などに投与するとともに,ARDSの治療のために同日午後8時45分ころ,サーファクタント(サーファクティン)を気管内注入した。またAのSpO2は,一時60パーセント台にまで低下し,同日午後6時10分,口唇色が不良で,チアノーゼも現れたことから,人工呼吸器(ゼクリスト)を装着したが,SpO2の値は上昇せず,同日午後8時30分にニューポートによる人工呼吸器を使用しても,SpO2は上昇せず,人工呼吸器を外すと直ちにSpO2が40パーセント台に低下する傾向を示した。

本件病院は,その後もAに対し人工呼吸器(ニューポート)の装着を試みたが,同児のSpO2は上昇せず,用手人工呼吸を適宜行いながら,ようやく同日午後10時30分ころから,人工呼吸器(ニューポート)による人工呼吸管理ができるようになった。これにより,AのSpO2は91から94パーセントを維持するようになった。

(カ) 11月2日以降の治療経過について

11月2日以降は,人工呼吸管理によりAのSpO2は90パーセント台後半を維持するようになったが,各種肺炎に対する薬剤(カルベニン,ミノマイシン,ダラシン,ジフルカン,バンコマイシン,パンスポリン,ハベカシン,デノシンなど)を使用したものの効果は上がらず,Aは肺炎に伴いDIC(播種性血管内凝固症候群)に陥った。その後,本件病院は,11月15日ころからAに対し人工呼吸器の酸素量を減らし,同月19日には人工呼吸器を外す直前まで至ったが,その後同児の容態が悪化し,さらには十二指腸潰瘍を併発し(11月19日の診療録に十二指腸潰瘍との記載がある。),末には心不全も加わるようになった。本件病院は,それぞれ肺炎に対し薬剤投与,ARDSに対しサーファクタント,DICに対しFOY(メシル酸ガベキサート,タンパク分解酵素阻害剤)を投与するなどAに対する治療を行ったが,有意な効果は見られなかった。

(キ) 11月28日の診療経過について

11月28日午前9時58分,Aは心停止となり,ボスミン心腔内注射で心拍動が再開した。原告らは,被告Cに対し他の病院への転送を強く求め,被告Cはこれを容れてD病院へ転送することを決定した。同日午後3時15分,Aは,D病院に到着したが,自発呼吸がなく,同児に対し心肺蘇生術を続行するが反応せず,同日午後4時50分,死亡した(甲A3)。なお,直接の死因は肺炎であった(甲A2)。

以上の事実が認められ,他にこれを覆すに足りる証拠は存在しない。

(2)  これに対し,被告らは,E医師はAの入院直後に直接診察していると主張するが,E医師自身,投薬状況等の内容から実際に診察していると思うと証言するのみで,直接診察したことについて明確さを欠く証言をしていること,他面,医師の指示と診察とを分けた看護記録の記載(乙A2の4)や入院カルテの記載(乙A2の1)内容(10月30日午前9時以降には治療内容,検査結果などが記載されているのに対し,それ以前は処置内容しか記載されていない。)からすれば,実際にE医師が診察を行ったのは看護記録上,「ドクターE診察」と記載された10月30日午前8時30分と認めるのが相当である。したがって,この点の被告らの主張は採用できない。

原告らは,Aが受診した10月30日午前3時30分の時点で,チアノーゼがあったと主張し,原告GもF看護婦がE医師への電話連絡でチアノーゼがあると話していたとこれに沿う供述をするが,乙2号証の1(10頁)によれば,チアノーゼがある場合にはプラス(+)という記載がなされていると認められること(現に,診療録のその他の記載において,プラス,マイナスの記載が散見される。),口唇色がやや不良という程度であり,チアノーゼがはっきりしないという所見とも符合することに鑑みると,上記時点のチアノーゼについては,はっきりとした症状は出ていなかったと認めるのが相当である(診療録にはプラス,マイナスと記載されていないこととも符合する。)。

原告らは,被告Cが下したARDSの疑いとの診断について,Aは肺炎の重篤化の症状を呈していたが,ARDSには罹患していないと主張するが,証拠(甲A5,7,8の4,被告C本人尋問の結果)によれば,被告CはARDSが疑われると判断した後にサーファクタントの投与(11月1日午後8時45分ほか)を行い,これに対する治療を行っていることに鑑みると,Aが現実にARDSに罹患していたかはともかく,被告CはAがARDSに罹患した疑いがあるとした上で,これに対する治療を行ったことが認められる。

2  喘息治療に対する一般的知見及び治療方法

証拠(甲B4の2,乙A8,9,乙B1,2,14,16,17,22,証人E医師,同I及び同Jの各証言,被告C本人尋問の結果)によれば,次の事実が認められる。

(1)  本件当時の喘息治療の一般的知見について

本件当時の臨床医学においては,小児喘息に関する治療のガイドラインとして日本アレルギー学会が作成した「アレルギー疾患治療ガイドライン95年改訂版」(以下「ガイドライン95」という。乙B1)などの各種ガイドラインが存在したところ(ガイドライン95のほかに,「気管支喘息発作状況と治療計画ガイドライン」(乙B16)なども存在する。),ガイドライン95は,発作の程度を,小発作,中発作,大発作の3つに分類し,さらに発作の程度と発作の頻度を集約して,軽症,中等症,重症の3つに分類し,それぞれの発作の程度及び発作の頻度によって最初の治療方針を決定することとしている。そして,当該治療に対する効果の有無,程度を判別した上で,治療効果が十分得られない場合には,次の段階の治療に移行することがその内容として定められている。本件当時においても,喘息治療の臨床においては,このような段階を踏まえた治療がなされるのが一般的であった(日本小児アレルギー学会作成の「小児気管支喘息の治療・管理ガイドライン(2000)」(以下「ガイドライン2000」という。乙B2)及び厚生省免疫・アレルギー研究班作成の「喘息予防・管理ガイドライン(1998)」(以下「厚生省ガイドライン1998」という。甲B4の2)においても同様の治療方針が示されている。)。

(2)  中発作以上の喘息発作に対する一般的治療方法

ア 発作の程度の区分基準

ガイドライン95は,明らかな喘鳴と陥没呼吸,呼吸困難を認めるが,生活の状態として遊び,睡眠,機嫌,食事がやや困難ないし不良の程度を中発作,著明な喘鳴,呼吸困難,起坐呼吸を呈し,ときにチアノーゼを認め,上記生活の状態が不能,不良またはそれに近い状態を大発作と定義し,その症状として,中発作の場合には,「喘鳴,胸骨上窩の陥没呼吸,明らかな呼吸困難がある。不機嫌で会話も途切れがちとなる。学童以上の小児での作業がやや困難となり,睡眠,食事などがやや障害される。」などと記載され,大発作の場合には,「肩呼吸,鼻翼呼吸があり,呼吸困難は強度で,会話は途切れがちとなる。背中をぴんと伸ばして歩けない。唇が蒼白で,苦悶様顔貌を示す。乳幼児では唸り声を上げる。呼吸困難が強く,暴れるときには発作は極めて重度。」などと記載されている。

イ 各発作の程度に応じた一般的治療方法

そして,ガイドライン95では,中発作の治療について,β2刺激薬を吸入させ,反応が不十分な場合には1時間後に再度同薬の吸入を行い,反応が不良の場合にはアミノフィリン(ネオフィリン)の静注ないし点滴静注を行い,それでも反応が不良の場合には,大発作の治療に移行すべきであると指示している。

次に,ガイドライン95は,大発作の治療については,中発作の治療と同じものから始め(但し,β2刺激薬については酸素吸入下で行うこととし,さらに適宜中途の段階を省略することもある。),アミノフィリン(ネオフィリン)の点滴静注によっても十分な反応がみられない場合,ないし呻吟,意識混濁等,呼吸困難の症状が極めて強く,全身状態の不全がみられる場合には,高単位ステロイド(ヒドロコルチゾン(ソル・コーテフ)を5から7mg/kgを5ないし8時間ごと)の静注を行い,それでも患者の呼吸状態が改善しないときは,気管内挿管,人工呼吸管理が必要となると指摘するとともに,なお最近においては大発作を中心とした重症喘息発作に適応をもつ治療法としてプロタノール(イソプロテレノール)持続吸入及び持続点滴療法が行われ,相当の効果を上げていることを紹介している(但し,持続点滴療法については,副作用の点から否定的見解も多いことを指摘しているが,「気管支喘息重症発作の治療法の選択(小児科Vol.36 No.8 1995)」と題する文献(乙B21,907頁ないし909頁)では,小児の場合には,気管内挿管を行う前にプロタノール持続点滴療法を行うことによって呼吸不全の改善がみられることがあると記載され,副作用の点には特に触れられていない。)。

ウ 気管内挿管の適応基準

気管内挿管の適応基準については,ガイドライン95では明記されていないが,ガイドライン2000では,(a)意識状態が改善しないにもかかわらず,呼吸努力が低下する(呼吸音の低下,喘鳴の減少),(b)意識状態が悪化し,傾眠状態になる,(c)十分な酸素を吸入させてもPaO2が60torr未満,(d)PaCO2が65torr以上,または1時間に5torr以上上昇する,などの基準を定立し,厚生省ガイドライン1998では,(a)高度の換気障害もしくは心臓停止,呼吸停止がみられる場合,(b)明らかな呼吸筋疲弊がみられる場合,(c)酸素を最大に投与してもPaO2が50torr未満の場合,(d)急激なPaCO2の上昇と意識障害を伴う場合などの基準を定立している。但し,いずれのガイドラインにおいても,人工呼吸の適応の絶対的基準は存在せず,個々の患者の病態や治療に対する反応を考慮し,上記の基準を参考にしながら気管内挿管の実施時期を決定する旨を明記している。

エ なお,上記の各ガイドラインは,気管支喘息の治療の一般的基準を示したものであり,喘息発作の病態や進行度は個々人によって異なることから,個々の病態に合わせた的確な判断と治療が必要であるが,ガイドラインとは異なる治療方法の必要があるなどの個別事情のない限り,概ね上記の各ガイドラインに沿った形で治療が行われることが望ましいと解される。

なお,原告らは,気管支喘息の治療の一般的基準として米国,英国,オーストラリアのガイドラインないしマニュアルを提出する(甲B3の2,4の6,8)が,本件当時における喘息発作の臨床治療の一般的基準としては,原則として,その当時における日本のガイドラインを基準とすべきである。

3  争点(1)ないし(4)(実際にAに実施された治療の適否等)について

上記2の喘息発作に対する治療方法に照らし,前記1に認定したAの診療にかかる事実経過を前提として,Aに行われた現実の治療の適否について検討する。

(1)  初期の治療について(争点(1)に対応)

ア Aの入院時における喘息発作の重症度

Aは,前記1認定のとおり,本件病院の入院時において,多呼吸,心窩部の陥没呼吸,肩呼吸,鼻翼呼吸,呼気延長,呼吸音の左右差があり,喘鳴,ラ音が聴取されてはいるが,一方でチアノーゼがあるかどうかははっきりせず(口唇色やや不良),会話もはっきりしていたものであり,会話が途切れがちとなったり,生活の状態(遊び,睡眠,機嫌,食事)が不能,不良ないしそれに近い状態にあったとは認められないから,ガイドライン95の基準などに照らせば,同児の受診時の喘息発作の程度は中発作の程度と考えるのが相当である。

この点について,原告らは,Aの症状は重症であると主張し,証人IもAの症状を前提とすると重症であると証言する(但し,甲B1号証では,中等症から重症と評価している。)。しかしながら,チアノーゼの存在がはっきりしないことは前記1(1)ウ(ア)に認定したとおりであり,さらに入院当時,Aの会話はしっかりしていたこと,同児は入院後間もなくして入眠していること,以上に照らせば,Aの入院時の症状を重症ないし大発作と位置づけることはできない。

イ Aに対する初期の治療について

(ア) 本件病院は,Aの上記の症状に対し,前記1(1)ウ(ア)に認定したとおり,Aの受診時から入院直後において,同児に対しβ2刺激気管支拡張剤の吸入から気管支拡張剤(ネオフィリン)の静注,さらにはステロイド剤の投与を行うなど段階を踏みながら大発作の治療に準じた治療を行っている。これにより,Aは入眠し,10月30日午前6時の時点での呼吸数が48回/分であったことやチアノーゼが認められなかったことからして,同児の症状は一旦改善傾向を示したといえる。そして午前7時ころに同児の呼吸困難が増強したことからパルスオキシメーターを装着し,その後に酸素投与を開始したものである。

このような本件病院の一連の対応は,ガイドライン95が示す治療法よりも重度な症状に対応した治療ということができ,その治療行為に関して特に不適切な点があったと解することはできない。

この点に関し,原告らは,喘息発作を起こした患者の基本的治療としては,(a)最初の1時間は短時間作動性β2刺激薬を20分ごとに3回連続して吸入する,(b)酸素吸入を行い,SpO2を測定して95パーセント以上を維持する,(c)速やかに改善が見られない場合や,発作が重症である患者の場合は全身にステロイド剤を投与することであり,病院はこれに沿った対応をする注意義務があると主張し,本件病院は,気管支拡張剤を2回吸入させたにとどまり,午前7時過ぎまでSpO2を測定せず,また酸素吸入を行わなかったのみならず,小児科医師であるE医師がAを診察したのが10月30日午前8時30分であったとして,Aに対する初期対応を怠ったと主張する。

しかしながら,ガイドライン95は必ずしも原告ら主張のような基本的治療を指示しているものではなく,また本件病院は,ガイドライン95に沿った形の措置を早期に講じているものである。またパルスオキシメーターの装着については,ガイドライン95では明示されておらず,一旦落ち着いていたAの呼吸困難が増強した10月30日午前7時の時点でこれを装着したことが時期に遅れたものと解することはできない。酸素投与についてもAの呼吸困難が増強した時期になされており,これが時期に遅れたものと解することはできない(現に,ガイドライン95は,中発作の喘息患者に対し治療初期の段階で酸素を投与するように指示しておらず,「パルスオキシメーター(小児内科Vol.31増刊号1999」(257頁)と題する文献(乙B4)では,急性の呼吸障害や低酸素症ではSpO2が90パーセント以下になった時を目安に酸素投与がなされていると記載されている。)。したがって,原告らの上記主張は直ちに採用することができない。

(イ) その後も,本件病院は,酸素を増量し,さらにソル・コーテフを静注し,午前7時30分ころにはAのSpO2は95ないし97パーセントまで上昇したものであり,さらにE医師が直接診察した午前8時30分の時点では,Aは時々テレビを見たり,会話をしたりする余裕があったというのであるから,同児の症状は一時的に改善の兆しを見せていたものということができ,この点の本件病院の対応を不適切ということはできない。

(ウ) なお,E医師は,Aの入院直後ないしそれに近接した時間に直接同児を診察したことは認められないが,前記1(1)ウ(ア)認定のとおり,当直婦長,病棟看護婦からの報告に基づき,入院やネオフィリンの点滴静注,ステロイド剤の投与などAに対する治療の指示を行っているものである。患者の治療にあたっては医師が直接診察して治療方針を決定した上で,現実の治療に着手することが望ましいものの,Aの入院の時刻が深夜帯であったということなどを考慮すると,電話により上記の指示を行ったことが不適切であったとまではいえず,午前8時30分に至って診察したことについても不適切であったと認めることはできないというべきである。

(エ) この点,証人Iは,本件病院がAに対し原告らが主張する上記の基本的治療((a)から(c))を行い,酸素飽和度を95パーセント以上に保っていれば,以後の無気肺の状態,さらに不必要なステロイドパルス療法を防止でき,その影響からくる肺炎の重症化も防げたはずであると証言するが,原告らが主張する基本的治療によって,Aの酸素飽和度を95パーセント以上に保つことができたであろうとの蓋然性を認めることはできず(Aの現実の症状の推移からすれば,Aに対する初期の治療段階で,(a)のβ2刺激薬を頻回に吸入させ,(b)酸素投与を行い,SpO2を測定していれば,酸素飽和度を95パーセント以上に保つことができたであろうことを推認することはできない。),本件病院に原告ら主張の基本的治療を行うべき義務を認めることはできず,また証拠(甲B1,証人Jの証言)によれば,ステロイド剤は即効性がないことが認められることに鑑みれば,Aの喘息の症状から早期にステロイド剤を投与したことをもって不適切ということはできない。

(オ) 以上によれば,本件病院には,Aに対する初期対応について過失を認めることはできない(被告Cは,この時点で診察行為を行っていないことから,この点において原告らの主張は採用できない。)。

(2)  Aに対する呼吸管理について(争点(2)に対応)

ア 気管内挿管の実施時期の基準について

気管内挿管ないしは機械換気の適応基準について,ガイドライン2000及び厚生省ガイドライン1998の基準は前記2(2)ウのとおりであり,これらのガイドラインでは,その適応の絶対的基準は存在しないが,個々の患者の病態や治療に対する反応を考慮し,上記の基準を参考にしながら気管内挿管の実施時期を決定する旨が明記されている。そして,気管内挿管は,技術的にも困難な点がある(厚生省ガイドライン1998(91頁),ガイドライン2000(36頁))ほか,人工換気による気圧外傷(皮下縦隔気腫,気胸など)を発生させる可能性がある(乙B14)ことから,その実施は慎重であるべきであり,原則として他の治療方法が存在しない場合の最終的な手段と考えるのが相当である(「重症発作の治療(気管支喘息とその周辺Ⅳ小児気管支喘息の治療)」と題する文献(乙B17,26頁)では,人工呼吸管理はリスクの高い治療法であり安易な導入は危険であり,呼吸不全を来さないように他の治療を早期に積極的に行うことが肝要であると指摘している。)。

イ Aに対する気管内挿管の時期について

(ア) 原告らは,Aは10月30日午前8時から午前9時の時点で,ぐったりした状態で,酸素投与量を増加してもSpO2が90ないし80パーセント台に低下し,PO2が60.3torrの状態にあったことからすれば,同日午前9時の時点で気管内挿管,機械換気を実施すべきであったと主張する。

(イ) 確かに,上記時刻ころにはAのSpO2が90ないし80パーセント台後半となり,さらに午前10時30分ころには同値が85ないし88パーセントとなっており,ガイドライン上,酸素を最大限投与してもPaO2が50torr未満の場合(厚生省ガイドライン1998)や十分な酸素を吸入させてもPaO2が60torr未満の場合(ガイドライン2000)に該当するかに思われる。

しかしながら,上記のとおり,ガイドラインの基準は絶対的なものではなく,気管内挿管の施行は患者の病態や治療に対する反応を全体的に考慮して実施すべきものであり,実際にAのSpO2はプロタノール持続吸入により同児の呼吸状態が落ち着き始め,SpO2が94から96パーセントに上昇したこと,またこの時点でのAには,意識障害や呼吸自体が困難になり呼吸音が減弱したことを窺わせる症状はみられなかったことなどのAの全体的な症状を考慮すると,上記の時点では,技術的に困難かつ危険を伴う気管内挿管を実施するよりは,大発作を中心とした重症喘息発作に適応をもつ治療法とされるプロタノール持続吸入を行うことの方がより良い選択肢であったと考えられる。したがって,10月30日午前9時の時点で気管内挿管を実施すべきであったとする原告らの主張は採用できない。

また,10月30日午後1時ころから再びAのSpO2が90パーセント台に上がらなくなり,午後2時ころの動脈血液ガス分析ではPaO2が40.1torrと低値を示したが,PaCO2は36.4torrであり,PaCO2の値からはいまだ気管内挿管の適応基準に満たないこと,Aの意識状態や呼吸自体が困難となり呼吸音が減弱したことを窺わせる症状はみられなかったことを考慮すれば,プロタノール持続点滴を実施することがより妥当であったと考えられる(ガイドライン95は,プロタノール持続点滴について副作用の点から否定的な見解も多いとする一方,プロタノール持続吸入及び持続点滴が重症の喘息発作に適応を持つ治療法として相当の効果を上げている旨の紹介をしており,また前記2(2)イのとおり,「気管支喘息重症発作の治療法の選択(小児科Vol.36 No.8 1995)」と題する文献(乙B21,907頁ないし909頁)でも,プロタノール持続点滴療法を喘息治療の一つとして紹介していることに照らせば,本件病院のE医師らが同薬剤を使用することは医師の裁量の範囲内のものというべきであり,不適切であったとまではいえない。)から,この時点で,気管内挿管を実施すべきであったということもできない。

その後も,本件病院は,AのSpO2の変動に対応する形で,酸素投与量を変動させ,またプロタノール持続点滴,ステロイドパルス療法を適宜実施しており,またその処置に呼応してAのSpO2も上昇していたものである。さらに10月30日夕方ころには,被告Cは原告Gに対し,万が一の時には人工呼吸管理を行うことを告知しているなど人工呼吸管理をも視野に入れた治療を行っていたものである。そして,本件病院は,11月1日午前11時40分になって,AのSpO2を90パーセント以上に維持できない状況に至り,かつPaO2が46.0torrの値を示すなどしたことから気管内挿管を実施したものであり,以上の経過に鑑みれば,気管内挿管の実施時期が不適切であったとまではいえないというべきである。

ウ なお,Aの呼吸数,心拍数は気管内挿管の前日からかなりの頻呼吸,頻拍の状態にあったものであるが,証人Jの証言によれば,呼吸数や心拍数は,種々の要因が絡み,呼吸数だけで判断するのは困難なことが認められ,喘息患者の年齢や状態に左右される要素が強いものであると推認されること,また各種ガイドラインでも呼吸数や心拍数は気管内挿管の適応基準の要素とはされていない(むしろガイドライン2000や厚生省ガイドライン1998によれば,喘息患者の意識状態が悪化し,呼吸数が低下したときを気管内挿管の適応基準時としているものと解される。)ことに照らせば,これらを気管内挿管の実施時期の主要な判定要素とすることはできない。

エ 人工呼吸器装着の失敗について

原告らは,本件病院がAに対する人工呼吸器を完全に装着するまで何度も外れたり,肺や腹部に空気が溜まるなどのトラブルが発生し,これによりAの身体及び精神にストレスを与え,これによってもAの体調を悪化させた過失があると主張する。

確かに,喘息患者の負担などを考慮すれば,人工呼吸器の装着が短時間で問題なく行われることが望ましいものであるが,前記アのとおり,気管内挿管は技術的に困難を伴うものであり,かつ証拠(証人Jの証言,被告C本人尋問の結果)によれば,Aのように自発呼吸がある場合の気管内挿管はその実施に特に困難を伴うものであり,場合によっては半日ないし1日程度を要することもあることが認められること,Aの重度の喘息発作からして同児の気管支狭窄による気道内圧が相当程度上昇し,気道分泌物(痰)も多量に存在したと考えられることに鑑みれば,本件のように人工呼吸器の取付けに時間を要したこともやむを得ないものというべきである。

オ 以上からすれば,本件病院及び被告Cに,Aの喘息発作に対する呼吸管理に過失は認められない。

(3)  Aに対する投薬について(争点(3)に対応)

ア ステロイドパルス療法の実施について

(ア) 原告らは,ステロイドパルス療法と通常のステロイド療法とでは,その治療効果に差異はなく,かえってステロイドを大量使用することによる副作用としてAの肺炎を重篤化させたとして,同児に対しステロイドパルス療法を実施すべきではなかったと主張し,証人Iも同旨の証言をする。

(イ) そこで検討するに,甲B11号証によれば,ステロイド剤の投与により,誘発感染症,続発性副腎皮質機能不全,消化性潰瘍等の重篤な副作用が現われることがあるから,同剤の投与に際しては特に適応,症状を考慮し,他の方法によって十分に治療効果が期待できる場合には投与しないこと,同剤の投与中は副作用の出現に対し,常に十分な配慮と観察を行うようにする必要があることが認められる。

しかるところ,10月30日午前7時以降,β2刺激剤の吸入,ネオフィリンの静注にもかかわらず,Aの呼吸困難が増強してきた経過に照らすと,同児に対しステロイド剤を投与することは必要であったものであり,さらに証拠(証人Jの証言,被告C本人尋問の結果)によれば,当時の臨床治療においては,ステロイド剤の大量投与がなされていることが認められ(「重積発作」と題する文献(小児科診療・第55巻・4号・838(274)頁)(乙B14)では,気管支喘息重積発作の治療において,ステロイド療法に関して,発作が急激に悪化する場合で救命を考えるためには,ためらわずに大量使用する必要があると指摘している。証人Iは,ステロイド剤は,100mgを1日4回投与することが確立した治療法であると証言するが,ガイドライン95や厚生省ガイドライン1998の記載内容(ヒドロコルチゾン(ソル・コーテフ)5から7mg/kgを5から8時間ごとに静注する。)に照らせば,同証人のいう治療法を本件当時の確立した治療法として捉えることには躊躇を覚えざるを得ない。),本件病院においてもAの喘息発作に対する治療としてステロイドパルス療法を実施し,併せて感染症の悪化に対する対抗措置として抗生物質を投与するなど副作用に対する配慮を行っていたものである。さらにそもそもステロイド剤の投与量の差によって肺炎などの感染症の悪化の程度に有意差を認めるに足りる証拠はない(証人Iは,ステロイド剤の大量投与により呼吸抑制などの発症率が増加すると証言するが,これを証するものとして原告らが提出した資料(甲B7,14)によっても,その発症率に有意差を認めることは直ちにはできないといわざるを得ない。また,証人Jも,ステロイド剤の投与量の差による副作用の出現の有意差については未だ結論が出ていないと証言している。なお,「気管支喘息重症発作の治療法の選択」と題する文献(平成7年に刊行,乙B21)では,内科領域において一部,ステロイドパルス療法が試みられているが,小児に対する有効性並びに安全性はまだ確認されていないと指摘されているが,これを行うことに消極的な見解(ないし禁忌とする見解)を示した文献は全証拠を検討しても見当たらない。)。

このように本件においては,ステロイド剤の投与がAの喘息発作に対する治療に際して必要であったこと,また本件病院はAに対し,副作用とされる感染症の悪化に対する対抗措置として抗生物質を投与していること,ステロイドパルス療法のようなステロイド剤の大量投与と感染症の悪化の程度との因果関係が未だ解明されていないことに鑑みれば,ステロイドパルス療法の実施はなお被告Cらの裁量の範囲内にあるものというべきであり,ステロイドパルス療法を実施すべきではなかったとする原告らの主張は直ちに採用しがたいものである。

(ウ) なお,ステロイド剤の大量投与による感染症の悪化については,Aは死に至る過程でDIC(播種性血管内凝固症候群)に陥り,また十二指腸潰瘍などを併発しているところ,ステロイドは免疫抑制作用をその主要作用の一つとし,かつステロイドパルス療法は,急速に強力な抗炎症・免疫抑制作用が得られる療法であることから,これらの病態発症にステロイド剤の大量投与が関与している可能性も存在するが,Aの肺炎等感染の検査所見においても,CRPの値とステロイド剤の大量投与との間に因果関係を認めるまでには至らず(証人Iは,ステロイド剤の投与量を減少するとCRPは低下し,その後ステロイド剤の投与量を増加させるとCRPが高値となっているとして,ステロイド剤の大量投与によりAの感染症を制御不能の状態に陥らせたと陳述する(甲B7)が,乙A2号証の6によれば,ステロイド剤であるリンデロンを連日投与した11月9日から同月11日までのCRP値は,それぞれ0.32mg/dL,1.24mg/dL,0.32mg/dLであり,同月12日は0.05mg/dL,同月13日は0.99mg/dLといずれも低値を示しており,同月14日になって12.1mg/dLに上昇しているが,その後再び同値は低下し,同月22日になって12.38mg/dL,25日に16.41mg/dLと上昇したことが認められ,ステロイド剤の投与とCRP値の変動が必ずしも連動しているとはいえず,AがDICや十二指腸潰瘍などを併発し,これらに対する薬剤の投与も頻繁に行われていたことに鑑みると,なおかかる感染症の悪化に対する他の要素の介在を否定することはできない。),証人Jの証言にあるように,ステロイド剤の大量投与の弊害については,本件当時はもちろんのこと,現段階においても確たる結論が出ているものではないこと,その他の証拠に照らしてもこの点を認めるに足りるものではないことに鑑みると,なおステロイド剤の大量投与の弊害を指摘する原告らの主張は採用しがたいといわざるを得ない。

イ トリクロリールの使用について

証拠(甲B1,7,乙B22,証人I及び同Jの証言)によれば,トリクロリールは睡眠剤であり,同薬剤の服用により呼吸抑制を招来するおそれがあることが認められる。

原告らは,Aのような喘息患者に対しトリクロリールを投与することは,呼吸抑制を来し不適切であると主張し,これを裏付ける証拠として文献(甲B3の1・2,甲B12,「喘息増悪の治療に鎮静薬は禁忌である。」と記載されている。)を提出するが,ガイドライン95,その他証拠として提出された文献等を検討しても喘息患者に対するトリクロリールなどの薬剤の投与が禁忌であると明示したものは見受けられない。そうすると,原告ら提出の文献により,直ちにトリクロリールの投与自体を禁忌とすることまでは認められないというべきである。むしろ,証人Jが証言するように,トリクロリールの投与は,その必要性を勘案しつつ,投与量の多寡を含め慎重に投与することが要求されるものと解される。

しかるところ,本件における10月31日午後10時50分の時点での同薬剤の投与は,Aの鎮静のために必要であり,その投与量も10mLと標準以下(一般には0.7ないし0.8mL/kgであり,Aのその当時の体重は18kgであった。)であるから,直ちに不適切なものとはいえない。また,11月1日午前11時の同薬剤の使用については,呼吸抑制との関係でできるだけ慎重な投与が望まれる(乙B22号証によれば,トリクロリールの半減期は約8時間必要であることが認められる。)が,Aの興奮状態が続き体動も激しかったことに照らせば,その使用はやむを得なかったものといえ,また被告C本人尋問の結果によれば,副作用としての呼吸抑制に備えて人工呼吸器を準備していたことが認められ,実際に午前11時40分には気管内挿管を実施し,そのときに多量の痰が噴出し,ある程度気道の閉塞も緩和されたものと考えられる。

以上からすれば,本件病院の医師がAに対しトリクロリールを使用したことが医師の裁量を逸脱した不適切なものであったとまではいえない。

ウ スルピリンの使用について

証拠(甲B5,証人Jの証言,被告C本人尋問の結果)によれば,スルピリンは,薬理作用として鎮痛解熱作用を持つ(甲B5においても,スルピリンを「ピラゾロン系解熱鎮痛剤」と分類している。但し,保険適応としては,主に急性気管支炎に伴う急性上気道炎の発熱に対応している。)が,その副作用として感染症を不顕在化させるおそれがあることから,感染による炎症に対して用いる場合には適切な抗菌剤を併用し,観察を十分行い慎重に投与するように注意されていることが認められる。

しかるところ,本件病院はAの解熱や胸部痛等に対応してスルピリンの投与を行っており,Aが肺炎を抱えていたことに照らせば,感染症の不顕在化には十分な注意を要するが,Aの胸部痛等が激しいものであったことに鑑みれば,同薬剤の投与が必要であったというべきであり,また副作用としての感染症の不顕在化については,本件病院は,胸部エックス線撮影やCRP値の測定をし,併せて抗生物質の投与(ミノマイシン,パンスポリンほか)も行っていることから,副作用に対する対策を講じているものといえる。

以上からすれば,スルピリンの使用は本件病院の裁量の範囲内にあるものということができ,同薬剤の使用を不適切であるとする原告らの主張は採用できない。

(4)  他の病院への転送義務の有無について(争点(4)に対応)

ア 原告らは,本件病院には,Aに適した医療器具・設備や同児の状態に柔軟に対応できる人的スタッフが整っていなかったとして,被告Cには,Aの呼吸困難が増強してきた10月30日の夜間,遅くとも気管内挿管を実施した11月1日午前11時40分の時点で,同児を他の病院に転送すべき義務が存在したと主張する。

イ そこで検討するに,被告C本人尋問の結果によれば,本件病院にはICU(集中治療室)の設備はないが,これに準じた形で人工呼吸器が配管され呼吸管理ができる個室が存在し,重症の患者はそこで治療を行っていることが認められるところ,前記1(1)ウ(ウ)認定のとおり,Aは10月30日午後同室に移され,以後そこで治療を受けている。また,原告らが主張する酸素マスクについても,ボトルマスクの使用によってAのSpO2は上昇するようになっていることに照らせば,酸素マスクについても適切なものが備置されていなかったとまではいえない。ほかに,本件病院の医療器具・設備が不備なことにより,Aの状態に悪影響を与えたことを認めるに足りる証拠は存在しない(甲A7,乙A2の4からすれば,酸素吸入の器具については,Aになかなか合わず,同児がこれを嫌がったことなどから,本件病院の看護婦などがしばしば同器具を変更したものと推測される。)。そうすると,本件病院にAに対応できる医療器具・設備が整っていなかったとまで認めることはできない。

また,人的な体制についても,確かに本件病院の小児科医師は11月1日以降,被告C1人であり,小児科医師が十分に存在したとはいえないが,証拠(甲A4,8の3,被告C本人尋問の結果)によれば,被告Cは気管内挿管の前後をはじめ,Aを可能な範囲で診察していたこと,さらに現実の医療においては,医師の存在のみならず看護婦の存在も重要な位置を占めるところ,本件病院ではAに対応できるだけの看護婦が存在し,Aに可能な限りの看護を行っていたこと,さらに気管内挿管に備えて麻酔科医師が存在していたことが認められること,以上からすれば,人的な面でAの状態に対応できない体制にあったとまでは認められない。他にAを原告ら主張の時点で転送すべき義務を認めるに足りる証拠はない。

ウ また,気管内挿管を実施した後の時点においても,もはや本件病院がAの症状に対応した治療を行い得ない体制にあったことを認めるに足りる証拠はなく,さらに転送する際のAに対する負担やAの症状を考慮すれば,被告Cに他の病院に転送すべき義務を認めることはできない。

したがって,被告Cには,Aを他の病院へ転送すべき義務を認めることはできない(原告らは,11月1日の時点でAを転送していれば救命できたかもしれないと主張するが,上記の説示に照らすと,そもそも被告Cに対し他の病院に転送すべき義務を認めることはできない。)。

(5)  以上からすれば,本件病院及び被告Cには,原告らが主張する過失はいずれも認められないというべきである。

4  争点(5)について

(1)  訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。また,上記の理は,医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく,経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し,医師の同不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと,換言すると,医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば,医師の同不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである(最高裁判所平成8年(オ)第2043号同11年2月25日第一小法廷判決・民集53巻2号235頁参照)。

(2)  しかるところ,原告らが主張する本件病院及び被告Cの過失がいずれも認められないことは上記2に説示したとおりであるが,これをさておいても,原告らが主張する過失(争点(3)は作為による過失である。)によってAの死亡という結果が招来されたこと,ないし本件病院及び被告Cが注意義務を尽くして診療行為を行っていたならばAが現実の死亡の時点においてなお生存していたであろうことを(争点(1),(2)及び(4)は主に不作為による過失である。)是認し得る高度の蓋然性は全証拠を検討しても証明されていないといわざるを得ず,この点からも原告らの主張は採用できない(他の病院への転送義務違反の点についても,仮に原告ら主張の時点でAを他の病院に転送していたとしても,本件病院での治療が不適切なものであったとは認められず,また他の病院での本件当時における医療水準に照らした標準的な治療をもって救命できたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が立証されていない以上,転送義務違反とAの死亡との間の因果関係を認めることはできない。)。

第4結論

以上検討したところからすれば,原告らの請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担については民事訴訟法61条,65条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤紘基 裁判官 遠藤真澄 裁判官 日置朋弘)

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