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仙台地方裁判所 平成14年(わ)257号 判決 2002年9月12日

主文

被告人を懲役3年に処する。

未決勾留日数中60日をその刑に算入する。

押収してある洋包丁1丁(平成14年押第32号の1)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,昭和31年に妻のAと婚姻し,妻との間に,死亡した長男のほか,次男B,三男Cをもうけ,主として家業の農業に従事していたが,頑固な性格である上,平素から酒癖が悪く,飲酒すると,ささいなことで腹を立てて,妻を怒鳴りつけたり,妻に暴力を振るったり,物に当たるなどしていたため,家族の者は,酒癖の悪い被告人を嫌い,被告人を恐れて避けていたことから,被告人は,家族の者からのけ者扱いされていると感じて疎外感を強め,加えて,Bに対しては,同人が高校生のころから暴行事件を起こしたり,事業に失敗して借金を抱えたり,平成2年ころには,被告人に相談もなく,被告人も可愛がっていた3人の子供を妻に渡して離婚して家を出るなどしたことから,散々迷惑をかけられたと考えて同人に対する不満を募らせ,また,離婚原因は同人にあり,自分勝手な行動をする同人などどうなってもかまわないと考えた。

他方,Bは,離婚後,千葉県内に居住して,被告人方にやってくることもなく生活していたが,電話をかけて母のAとは話をしていたものの,被告人が電話に出ると,「母に代わって欲しい。」などと言って被告人を避けていたところ,平成12年の夏ころから,同棲していた女性とその子供を連れて被告人方にやってくるようになった。

ところで,被告人は平成8年ころから飲食店を経営する女性と浮気をしていたところ,これに気付いた妻のAは,Bに電話をかけ,被告人の浮気について不満を述べていたが,平成14年1月ころには,被告人が浮気相手と別れたようだなどと告げると,Bは,この際,被告人に二度と浮気をしないように注意しようと考え,同年5月2日,再婚した妻と子供たちを連れて被告人方に帰省した。そして,Bは,被告人方の田植えの手伝いも終えて,同月5日,父である被告人と母のAらと一緒に近くの日帰り温泉施設に出掛け,被告人と共にビールを飲むなどして過ごし,夕方被告人方に戻ってからも,被告人と共に焼酎の水割りを飲んでいたが,どうしても確認したくなり,翌6日午前零時ころ,被告人に浮気のことを尋ねたところ,被告人は,これまで散々迷惑をかけ続け,離婚して家出までした同人に浮気のことを言われる筋合いはないなどと考えて腹を立て,口論し,同人に殴りかかるなどしたが,逆に,同人からコップで左まぶた付近を殴りつけられたため,激高し,猟銃を用いて同人を脅しつけようと考え,猟銃が入っているロッカーの鍵を持ち出したものの,Bと妻のAから鍵を取り上げられてしまい,そこで,やむなく諦めて就寝した。

翌7日朝,被告人は,目が覚めると,左まぶた上付近から出血していることに気付き,前記のとおりBから殴られたことを思い出し,迷惑をかけ続けてきた同人に殴られる理由はなく,妻のAと一緒になって被告人をのけ者にしているなどと考えると再び激高し,同人を脅して謝罪させるため,前記猟銃の入っているロッカーの鍵を探したが,手に入れることができなかったため,狩猟の際に使っている包丁があることを思い出し,玄関先に停めておいた自動車内から,この包丁を持ち出し,1階8畳居間で寝ていたBを起こし,「馬鹿にしやがって。何しに帰って来た。」などと怒鳴りつけた。すると,目を覚ましたBは,被告人が包丁を持っていることに気付き,被告人を落ち着かせようなどと考えて,「話せば分かるべ。」などとあれこれと言ったものの,その効果もなく,被告人は,包丁を手に持ち,後ずさりするBを追って1階の6畳の座敷内に入り,さらに,その場に駆けつけたCから,包丁を渡すようにと説得されてもこれに従わなかったところ,Bは,このような被告人の態度に興奮して,「包丁よこせ。刺せるもんなら刺してみろ。」などと怒鳴りながら近付いた。被告人は後退したが,なおもBが「刺せるもんなら,刺してみろ。」などと大声で怒鳴るや,被告人は,Bは挑発して謝罪するつもりがないなどと考えると逆上し,ついに同人を殺害しようと決意した。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成14年5月6日午前10時50分ころ,宮城県桃生郡a町b字c所在の被告人方の1階6畳座敷内において,次男のB(当時42歳)を殺害しようと企て,対じした同人に対し,殺意をもって,同人の腹部を所携の洋包丁(刃体の長さ約10.8センチメートル,平成14年押第32号の1)で1回突き刺し,さらに,同人の左胸部を1回突き刺して同人を殺害しようとしたが,同人に入院加療約2週間を要する腹部刺創及びこれに伴う小腸穿通性腹膜炎,左胸部刺創等の傷害を負わせたにとどまり,その目的を遂げなかった。

(事実認定の補足説明)

弁護人は,被告人が被害者を刺突した際には,未必的殺意しかなく,確定的殺意は有していなかった旨主張するが,前掲各証拠によれば,(1)本件洋包丁は,前記のとおり,刃体の長さ約10.8センチメートルで先端が尖った鋭利な刃物であって,人を殺傷するに十分なものであること,(2)被告人は,本件洋包丁を右手にしっかりと握りしめ,1メートルから2メートルも離れていない至近距離で被告人と対じする被害者に対し,両名の間付近にいるCから本件洋包丁を渡すように説得されているにもかかわらず,被害者の腹部目掛けて本件洋包丁を突き出し,腕を真っ直ぐに伸ばして腹部を刺し,今度は,被害者の左胸付近目掛けて足を踏み出して勢いよく本件洋包丁を突き出し,左胸部を刺していること,(3)被害者の腹部の創傷は,深さ5から6センチメートルで腹膜を貫通し,小腸に3箇所穴が開いていたが,左胸部の創傷は,深さ1センチメートル未満で,胸壁を傷つけて皮下脂肪に達する程度のものであったこと,(4)被害者の傷害が前記のようなものに止まったのは,被害者が腰を引いたり,被害者やCが被告人を突き飛ばすなどしたためであること,(5)被告人は,通報により駆け付けた警察官に対し,「女のことで息子とけんかになった。俺は息子を殺そうとして刃物で腹を刺してやった。」と申し立てたこと,が認められ,加えて,被告人は,捜査,公判を通じ,一貫して,本件犯行当時,確定的殺意があったことを認める供述をしており,その供述の信用性に疑問はないことなどに照らせば,被告人は,被害者を刺突した際に確定的殺意を有していたことは優に認められるのであって,弁護人の主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法203条,199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中60日をその刑に算入することとし,押収してある洋包丁1丁(平成14年押第32号の1)は判示殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収することにする。

(弁護人の主張に対する判断)

1  中止未遂の主張について

弁護人は,本件犯行が未遂に終わったのは,被告人が自ら止めたであって,中止未遂が成立する旨主張するが,前掲各証拠によれば,(1)被告人が刺突行為によって被害者に負わせた腹部の刺創については,そのまま処置を講じずに放置すると,出血量の増加に伴い出血性ショック状態に陥り,腹膜炎により全身状態が悪化して死に至る可能性があったこと,(2)被告人は,被害者を2回刺した後に取り返しのつかないことをしてしまったと思い,「一人にしてくれ。」と言って台所の方へ逃げていったことなど,が認められ,以上の事実関係からすれば,被告人は刺突行為によって被害者殺害の実行行為を既に終了しているのであるから,被告人が被害者に対し救護措置をとるなど結果発生を防止する行為に出ていない以上,中止犯が成立しないことは明らかであり,弁護人の主張には理由がない。

2  心神耗弱の主張について

弁護人は,被告人が,本件犯行当時酒に酔って酩酊状態にあり,心神耗弱の状態にあった旨主張する。

なるほど,被告人は,犯行当日未明までに相当飲酒し,本件犯行の約2時間後に行われた飲酒検知の結果でも,呼気1リットル中に相当高濃度のアルコールが検出されたことや,犯行当時,若干小声で口ごもったことがあったことは,証拠上明らかである。

しかしながら,前掲各証拠によれば,(1)被告人は,犯行前,猟銃を入れたロッカーの鍵を手に入れることができないと,狩猟の際に使っている洋包丁を思い出し,玄関先に停めておいた自動車のところまで行ってこれを持ち出していること,(2)犯行当時,被害者らと種々のやりとりをしているが,特に不自然なところは見られないこと,(3)被告人は,2回にわたり被害者を刺した後に,取り返しのつかないことをしてしまったと思い,Cに対し,一人にさせて欲しい旨申し向けるなど本件犯行の重大性を認識していたこと,(4)前記のとおり,駆け付けた警察官に対し,「女のことで息子とけんかになった。俺は息子を殺そうとして刃物で腹を刺してやった。」などと,本件犯行の原因や動機等を申し立てていること,(5)被告人には一部記憶の欠落部分が存するものの,犯行の中核部分などについては記憶が保持されていることが認められる。加えて,前記犯行に至る経緯で判示した被告人の本件犯行の動機は十分に了解可能であることに鑑みれば,弁護人が指摘する点を考慮しても,被告人は,犯行当時,是非善悪を弁別し,その弁別に従って行動を制御する能力があったことは明らかであり,弁護人の主張は理由がない。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,次男である被害者に対し,確定的殺意をもって被害者の腹部及び左胸部を洋包丁で突き刺し,同人に入院加療約2週間を要する傷害を負わせたという殺人未遂の事案である。

本件犯行の経緯及び動機等について見るに,判示犯行に至る経緯のとおり,被告人は,本件犯行前夜に,一緒に飲酒していた被害者から過去の浮気の事実を問いただされて腹を立て被害者とけんかになった末に,被害者からコップで殴打されて激高し,猟銃を用いて脅しつけようとしたが,果たせないまま寝込み,その翌朝,左まぶた上付近から出血していることに気付き,再び激高し,被害者を脅して謝罪させるため,猟銃を持ち出そうとしたが,ロッカーの鍵を手に入れることができなかったことから,洋包丁を持ち出したものの,被害者が思うように謝らないため,逆上して殺意を抱き,被害者を突き刺したというのであるが,自己の非を省みず,最後には逆上して本件犯行に及んだその動機は,自己中心的かつ身勝手なものであって,酌量の余地はない。

たしかに,被害者は,本件犯行前夜,被告人を殴打したり,本件犯行直前に,被告人からすれば挑発的に受けとれる言葉を述べているが,これらは,被告人が先に殴りかかったり,また,被告人が説得されても,持ち出した洋包丁を離さなかったことなどに原因があるのであって,特に酌むべきものではない。

そして,犯行態様について見ても,被告人は,確定的殺意をもって,刃体の長さ約10.8センチメートルの鋭利な洋包丁で,至近距離から,素手で防御が困難な被害者に対し,三男らの必死の制止を振り切って腹部や左胸部という身体の枢要部を2回も突き刺しているのであって,その犯行の態様は,執ようかつ悪質なものである。

さらに,被害結果について見ても,被害者は,実の父親から腹部等に入院加療約2週間の傷害を負わされたのであるが,その傷害は,前記のとおり,そのまま処置を講じなければ,死に至る可能性があったものである上,そもそもこのような傷害の程度にとどまったのは,前記のとおり,被害者が腰を引いたことなどによるのであって,傷害の結果を軽く見るのは相当ではなく,被害者の受けた肉体的苦痛,精神的衝撃はともに大きいというべきであり,以上からすれば,被告人の刑事責任は重い。

そうすると,本件犯行に計画性はなく,未遂に終わっていること,被告人は本件犯行を記憶のある限度で素直に認め,今後は酒を断つ旨誓約していること,被告人の妻が被害者に対し,金86万円を送金していること,被害者は被告人及び被告人の妻宛の手紙で被告人に対する宥恕の意思を表明していること,被告人の前科は,業務上過失傷害等による罰金前科のみであること,被告人の年齢など被告人にとって酌むべき事情を最大限に考慮しても,被告人を主文の実刑に処するのが相当であると判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑―懲役5年,押収してある洋包丁1丁を没収)

(裁判長裁判官 本間榮一 裁判官 齊藤啓昭 裁判官 目黒大輔)

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