仙台地方裁判所 平成15年(行ウ)33号 判決 2007年3月20日
主文
1 被告厚生労働大臣が,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条1項に基づき原告P1に対し平成14年12月20日付けでした原爆症認定申請却下処分を取り消す。
2 被告厚生労働大臣が,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条1項に基づき原告P2に対し平成15年7月23日付けでした原爆症認定申請却下処分を取り消す。
3 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,原告らに生じた費用の2分の1と被告厚生労働大臣に生じた費用を被告厚生労働大臣の負担とし,原告らに生じたその余の費用と被告国に生じた費用を原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告厚生労働大臣が「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」第11条1項に基づき原告P1に対し平成14年12月20日付けでした原爆症認定申請却下処分(厚生労働省発健第120001号)を取り消す。
二 被告厚生労働大臣が「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」第11条1項に基づき原告P2に対し平成15年7月23日付けでした原爆症認定申請却下処分(厚生労働省発健第0723001号)を取り消す。
三 被告国は,原告らに対し,各300万円及びこれに対する平成16年1月14日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は,原子爆弾(以下「原爆」ということがある。)の被爆者である原告らが,被告厚生労働大臣に対して行った,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号。以下「被爆者援護法」という。)に基づく原爆症認定申請がいずれも却下されたことから,被告厚生労働大臣に対し,その各処分の取消を求めるとともに,被告国に対し,国家賠償法1条1項に基づき,上記各却下処分によって原告らが被った損害賠償として,慰謝料各300万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成16年1月14日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
一 前提事実等(証拠等を掲げたもののほかは,当事者間に争いがない。)
1 法令の定め等
(1) 被爆者に対する援護施策の経緯
ア 昭和32年,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年法律第41号。以下「原爆医療法」という。)が制定された。
原爆医療法における被爆者とは,① 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者,② 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に①に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者,③ ①,②に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者,④ ①ないし③に掲げる者が各事由に該当した当時その者の胎児であった者のいずれかであって,被爆者健康手帳の交付を受けた者をいうものとされた(同法2条)。
そして,被爆者に対しては,毎年健康診断が実施され(同法4条),被爆者のうちで,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷したか疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者,または,治癒能力が原子爆弾の放射能(放射線)の影響を受けているため現に医療を要する状態にある被爆者は,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(原爆症認定)を受けた上で,必要な医療の給付を受けることができた(同法7条,8条)。
昭和33年8月13日付け原子爆弾後障害症治療指針について(同日衛発第726号各都道府県知事・広島・長崎市長あて厚生省公衆衛生局長通知。甲A47・文献番号1。以下「治療指針」という。)は,原爆医療法11条1項に定める診療方針として特に留意すべき事項として,治療上の一般的注意に関し,概略以下の内容を定めている。
(ア) 原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障害症が直接,間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にガンマ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者の受けた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また,当初の被曝状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当たっては,特に次の点について考慮する必要がある。
a 被爆距離 被爆地が爆心地からおおむね2キロメートル以内のときは高度の,2キロメートルから4キロメートルまでのときは中等度の,4キロメートルを超えるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置して差し支えない。
b 被爆後における急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発熱,粘膜出血,その他の症状を把握することにより,その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。
(イ) 原子爆弾後障害症においては,その症状が一進一退することが多いので,治療を加えた結果一応軽快をみても,その後における健康状態には絶えず注意を払う必要がある。
また,同日付け原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について(同日衛発第727号各都道府県知事・広島・長崎市長あて厚生省公衆衛生局長通知。甲A71。以下「実施要領」という。)は,原爆医療法の規定に基づく被爆者の健康診断を行うに当たって考慮すべき事項として,概要以下のとおり定める。
(ア) 放射能による障害の有無を決定することは,はなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみならず,被爆距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ詳細に把握して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。
(イ) 被爆者の受けたと思われる放射線の量
おおむね次の事項は,当時受けた放射線の量の多寡を推定する上に極めて参考となりうる。
a 被爆距離
被爆した場所の爆心地からの距離が2キロメートル以内のときは高度の,2キロメートルから4キロメートルまでのときは中等度の,4キロメートル以上のときは軽度の放射能を受けたと考えて差し支えない。
b 被爆場所の状況
原子爆弾後障害症に関し,被爆当時における遮蔽物の関係は重大な問題である。特に,開放被爆と遮蔽被爆の別,後者の場合には遮蔽物の構造並びに遮蔽状況等を十分詳細に調査する必要がある。
c 被爆後の行動
原子爆弾後障害症に影響したと思われる放射能の作用は,主として体外放射であるが,これ以外に,じんあい,食料,飲料水等を通じて放射性物質が体内に入った場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。したがって,被爆後も比較的爆心地の近くにとどまっていたか,直ちに他に移動したか等,被爆後の行動及びその期間が照射量を推定する上に参考になる場合が多い。
(ウ) 被爆後における健康状況
被爆後数日ないし数週の期間における健康状態のうちで脱毛,発熱,口内出血,下痢等の諸症状は,原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多く,特にこのような症状の顕著であった例では,当時受けた放射能の量が比較的多く,したがって,原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。
(エ) 臨床医学的探索
原子爆弾後障害症として最も発現率の高い造血機能障害の検査に主体を置くほか,肝機能検査,内分泌機能検査等も会わせて行う必要のある場合がある。また,異常については,放射能以外の原因に基づくものであるか否かについては,詳細に検討を加えた上,一応考えられる他の原因を除去した後においてはじめて放射能に基づくものと認めるべきである。
(オ) 経過の観察
原子爆弾後障害症の一部,例えば,軽度の貧血や白血球減少症のようなものでは,所見が一進一退する場合が往々にしてみられるので,被爆者の健康について十分に経過を観察する必要がある。
イ 昭和35年に,原爆医療法の一部が改正され(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律。昭和35年法律第136号),原爆症認定を受けた被爆者を対象とする医療手当が支給されることとなった(同法14条の8)。
また,被爆者のうち,原子爆弾を多量に浴びた被爆者で政令で定める者を特別被爆者と定め,この者が医療を受けた時は,健康保険等の自己負担額を限度として,一般疾病医療費が支給されることとなった(同法14条の2)。
ウ 昭和43年,原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和43年法律第53号。以下「被爆者特措法」という。)が公布・施行された。
被爆者特措法は,原爆医療法の規定に基づき原爆症認定を受けた被爆者であって,同認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,特別手当を支給するものとした(同法2条)。
エ 昭和49年,被爆者特措法が定める特別手当の支給制度が改正され(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律。昭和49年法律第86号),原爆症認定に係る負傷又は疾病の状態でなくなった者に対しても,現に当該負傷又は疾病の状態にある者に対して支給される金額の半額の特別手当が支給されることとなった(同法86条)。
オ 昭和56年,原爆特措法の一部が改正され(原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律。昭和56年法律第70号),原爆症認定を受けた被爆者であって,同認定にかかる負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当が支給されることとなった(同法2条)
カ 平成6年,原爆医療法と被爆者特措法(これら併せてを「原爆二法」という。)を一元化した被爆者援護法が公布され,平成7年,同法が施行された。
(2) 被爆者援護法の内容
ア 被爆者援護法の前文は,同法の目的を次のように定めている。
昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また,我らは,再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下,世界唯一の原子爆弾の被爆国として,核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
ここに,被爆後50年のときを迎えるに当たり,我らは,核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。
イ 被爆者の意義
被爆者援護法における「被爆者」とは,次のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(1条)。
(ア) 原子爆弾が投下された際,当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(以下「被爆者援護法施行令」という。)1条1項,同施行令別表第一に掲げる区域。)内に在った者(被爆者援護法1条1号)。
(イ) 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内(広島市に投下された原子爆弾については昭和20年8月20日まで,長崎市に投下された原子爆弾については同月23日まで。被爆者援護法施行令1条2項。)に上記(ア)に規定する区域のうちで政令で定める区域(被爆者援護法施行令1条3項,同施行令別表第二に掲げる区域。)内に在った者(被爆者援護法1条2号)。
(ウ) 上記(ア),(イ)に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(同条3号)
(エ) 上記(ア)ないし(ウ)に掲げる者が当該各事由に該当した当時その者の胎児であった者(同条4号)
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地の都道府県知事に申請しなければならず,申請を受けた都道府県知事は当該申請に基づいて審査し,申請者が上記(ア)ないし(エ)のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとされている(同法2条)。
ウ 被爆者に対する援護施策の内容
(ア) 健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,厚生労働省令で定めるところにより,毎年健康診断を行い,健康診断の結果必要があると認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行うものとする(同法7条,9条)。
(イ) 一般疾病医療費の支給
厚生労働大臣は,被爆者が負傷又は疾病(被爆者援護法10条1項所定の医療を受けることができる負傷又は疾病等を除く。)につき,医療を受けたときは,当該被爆者に対し,健康保険等の自己負担額の限度で一般疾病医療費を支給する(同法18条)。
(ウ) 保険手当の支給
都道府県知事は,被爆者のうち,原子爆弾が投下された際,爆心地から2キロメートルの区域内に在った者又はその者の胎児であった者,(当該要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。)に対し,月額1万6700円又は3万3300円の保険手当を支給する(同法28条)。
(エ) 健康管理手当の支給
都道府県知事は,被爆者であって造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているもの(当該要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。)に対し,健康管理手当を支給する(同法27条)。
(オ) 医療の給付
厚生労働大臣は,原子爆弾の放射線に起因して負傷し又は疾病に罹患し,現に医療を要する状態にある被爆者,及び原子爆弾の放射線以外の傷害作用に起因して負傷し又は疾病に罹患し,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う(同法10条1項)。
上記医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(以下「原爆症認定」という。)を受けなければならない(同法11条1項)。
(カ) 医療特別手当又は特別手当の支給
a 都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるもの(当該要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。)に対し,月額13万5400円の医療特別手当を支給する。医療特別手当の支給は,上記都道府県知事の認定を受けた者が,その認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,同法11条1項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。(同法24条)
b 他方,原爆症認定を受けた者であるが,当該認定に係る負傷又は疾病が治癒しその状態にないために,医療特別手当の支給を受けていないもの(当該要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。)に対し,月額5万円の特別手当を支給する。特別手当の支給は,上記都道府県知事の認定を受けた者が,その認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,同法11条1項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。(同法25条)
(キ) その他
以上の他,都道府県知事は,被爆者等に対し,一定の要件に該当する場合には,原子爆弾小頭症手当(同法26条),介護手当(同法31条)等を支給するものとされている。
(3) 原爆症認定の要件
被爆者援護法11条1項,10条1項によれば,原爆症認定を受けるためには,被爆者であって,① 原子爆弾の放射線に起因して負傷し若しくは疾病に罹患しているか,又は,原子爆弾の放射線以外の傷害作用に起因して負傷し若しくは疾病に罹患し,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていること(以下「放射線起因性」という。),及び② 現に医療を要する状態にあること(以下「要医療性」という。)との各要件を満たすことが必要である。
(4) 原爆症認定の手続
ア 被爆者援護法10条1項が規定する医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,① 被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆者健康手帳の番号,② 負傷又は疾病の名称,③ 被爆時以降における健康状態の概要及び原子爆弾に起因すると思われる負傷若しくは疾病について医療を受け,又は原子爆弾に起因すると思われる自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要,④ 医療の給付を受けようとする指定医療機関の名称及び所在地等を記載した申請書に,医師の意見書及び当該負傷又は疾病に係る検査成績を記載した書類を添付して,これを居住地の都道府県知事を経由して厚生労働大臣に提出し,厚生労働大臣による原爆症認定を受けなければならない(同法11条1項,被爆者援護法施行令8条1項,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則12条)。
イ 厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,審議会等で政令で定めるもの(以下「審議会等」という。)の意見を聴かなければならない(被爆者援護法11条2項)。
上記審議会等は,疾病・障害認定審査会(以下「審査会」という。)とされている(同法23条の2,被爆者援護法施行令9条)。
ウ 審査会は,厚生労働省組織令(平成12年6月7日号外政令第252号)132条に基づいて設置されたものであり,被爆者援護法等の規定に基づきその権限に属させられた事項を処理するものとされている(同133条1項)。
審査会は,30人以内の委員により組織され(疾病・障害認定審査会令(平成12年6月7日号外政令第287号)1条1項),特別の事項を審査させるため必要があるときは臨時委員を置くことができる(同条2項)。委員及び臨時委員は,学識経験のある者のうちから厚生労働大臣が任命する(同2条1項)。
審査会には,分科会が置かれており,原子爆弾医療分科会(以下「医療分科会」という。)は,被爆者援護法の規定に基づき審査会の権限に属させられた事項を処理することを所掌事務としている(同5条1項)。
医療分科会に属すべき委員及び臨時委員は,厚生労働大臣が指名する(同条2項)。
2 原子爆弾の投下及び原告らの被爆
(1) 昭和20年8月6日午前8時15分,広島に原子爆弾が投下された。
また,同月9日午前11時2分,長崎に原子爆弾が投下された。
(2) 原告P1は,昭和▲年▲月▲日生まれ(被爆時の年齢は7歳)の女性であり,爆心地から約1.8キロメートル離れた広島市段原大畑町1の路上において直接被爆した(甲B7,乙B1ないし3,原告P1本人)。
(3) 原告P2は,大正▲年▲月▲日(被爆時の年齢は21歳)の男性であり,爆心地から約2キロメートル離れた広島市皆実町一丁目の木造兵舎内において被爆した(甲C6,乙C1ないし3,原告P2本人)。
3 本件却下処分の経緯等
(1) 原告P1は,平成14年9月6日,被告厚生労働大臣に対し,申請疾病を胃がん及び胃切除後障害とする原爆症認定申請(以下「本件P1認定申請」という。)を行ったが,被告厚生労働大臣は,医療分科会の意見を聴いた上で,同年12月20日付けで,申請疾病については原子爆弾の放射線に起因しているものと判断された(ただし,厚生労働大臣に対する医療分科会の答申(乙B6)には,申請疾病のうち胃切除後障害については放射線起因性が認められないとの記載がある。)ものの,現に医療を要する状態にはないものと判断されたとの理由により,上記申請を却下する処分(以下「本件P1却下処分」という。)を行った(乙B6)。
これに対し,原告P1は,平成15年2月25日,本件P1却下処分に対する異議を申し立てた(乙B5の1ないし4)。
なお,原告P1は,被爆者健康手帳の交付を受けている(弁論の全趣旨)。
(2) 原告P2は,平成14年12月6日,被告厚生労働大臣に対し,申請疾病を膀胱腫瘍とする原爆症認定申請(以下「本件P2認定申請」という。)を行ったが,被告厚生労働大臣は,医療分科会の意見を聴いた上で,平成15年7月23日付けで,申請疾病については原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けてはいないものと判断されたとの理由により,上記申請を却下する処分(以下「本件P2却下処分」といい,本件P1却下処分と併せて「本件却下処分」という。)を行った(乙C4)。
これに対し,原告P2は,同年9月19日,本件P2却下処分に対する異議を申し立てた(乙C5の1・2)。
なお,原告P2は,被爆者健康手帳の交付を受けている(弁論の全趣旨)。
(3) 原告らは,平成15年12月22日,本件訴訟を提起した(顕著な事実)。
二 争点
1 本件却下処分の適法性
(1) 放射線起因性の判断基準
(2) 各原告らの放射線起因性及び要医療性
2 国家賠償請求の成否
三 争点に関する当事者の主張
1 争点1(1)(放射線起因性の判断基準)について
(原告らの主張)
(1) 原爆被害の実態
ア 原爆投下による被害(人間と都市の破壊)
(ア) 概要
原爆投下により,甚大な被害がもたらされたが,その詳細は今日に至っても正確には把握されていない。1950年(昭和25年)末までの死者については,広島で20万人(被爆時の所在人口約35万人),長崎で10万人(被爆時の所在人口27万人)を超えると推定されている。また,爆風・熱線・火災により灰燼に帰した総面積は,広島で13平方キロメートル,長崎で6.7平方キロメートルとされ,広島では約68パーセント,長崎では約25パーセントの建物が全焼ないし全壊したとされている。このように,原爆による被害は筆舌に尽くしがたく,被爆後60年を経過した今日においても,死者数すら正確に把握されていないのである。さらに,かろうじて死を免れた者も,原爆による様々な急性症状や後障害に苦しめられることになった。
(イ) 熱線による被害
核爆発の瞬間,温度は数百万度に達し,やがて表面温度が7000度にも達する火球が作り出された(太陽の表面温度が約6000度である)。この火球からの熱線が,多くの焼死者を生み出し,火傷を負わせ,家屋の火災等甚大な被害を及ぼした。熱線による火傷は,広島で爆心から5キロメートル,長崎では4キロメートルの地点にまで及んだ。
(ウ) 衝撃波と爆風による被害
原爆が空中で爆発すると,桁違いの高圧により発生した衝撃波が,爆発点から球面状に,爆心地付近は音速より速く,遠距離になるにつれて音速で全ての方向に進行した。
また,衝撃波の通過直後を追うように強烈な爆風が発生し,その風速は,爆心地から500メートル地点で秒速280メートルという凄まじいものであった。その結果,人体の内臓破裂・外傷・建築物の破壊等,多くの被害が生じた。
(エ) 放射線による被害の存在
a 概要
原爆の核分裂の連鎖反応によって,莫大な数の中性子線,ガンマ線,その他の放射線が放射された。放出された中性子線とガンマ線は,大気中や地上の原子核に散乱され,吸収されて線量を減少させながら地上に到達した。大量のガンマ線を吸収して作られた火球からもガンマ線が放出された。そのガンマ線や中性子線を原子核が吸収したりして放射性原子核になると,そこからもガンマ線等が放出された。また,火球に含まれていたさまざまな放射性物質が,黒い雨,黒いすす,あるいは放射性微粒子となって,広範囲にわたり地上に降ってきた。
これらの放射線により,被爆者は様々な急性症状や後障害に苦しめられることとなった。
b 原爆放射線による被害の特徴
原爆放射線による人体への影響は,様々な経路をたどってもたらされた。大きくは,初期放射線の被曝と残留放射線の被曝に分けられる。そして,残留放射線による被曝は,誘導放射線による被曝と,未分裂の核物質・核分裂生成物・誘導放射化された放射性物質などの放射性降下物による被曝に分けられる。また,残留放射線による被曝は,人体外部からの被曝だけでなく,放射性物質を呼吸や飲食等により体内に摂取することによる内部被曝ももたらされた。
そのため,初期放射線のほとんど到達しなかった遠距離被爆者も,救助・看護活動等のために被爆地以外の都市から広島・長崎市内に入ってきた者も放射線に被曝するに至った。
イ 被爆者の放射線による症状
(ア) 急性症状
被爆者には,被爆直後から発熱,下痢,喀血,吐血,下血,血尿,吐き気,嘔吐,脱毛,脱力感,倦怠,鼻出血,歯齦出血,生殖器出血,皮下出血,発熱,咽頭痛,口内炎,白血球減少,赤血球減少,無精子症,月経異常などの様々な急性症状が現れた。
(イ) 慢性症状(長期にわたる後障害)
放射線被曝により,被爆者は,様々な後影響(後障害)に苦しめられることになった。当初は,がん疾患への影響が報告されていたが,現在はがん疾患以外の様々な疾患に対する影響が報告されている。
放射線被曝による後障害としては,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞症をはじめとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性の白血球減少症や重症貧血などの造血機能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動機能障害,ガラス片や異物の残存による障害を残している場合などが考えられるが,未解明の点が残されている現在,限定的に捉えられてはならない。
(ウ) 「原爆ぶらぶら病」(慢性原子爆弾症)
被爆者は,被爆後原因不明の全身性疲労,体調不良状態,労働持続困難などのいわゆる「原爆ぶらぶら病」に悩まされることになった。
P9は,医師として被爆者を診察し続けてきた経験をふまえて,被爆者のだるさは一般的に言われるだるさと全く異なり,働けないだるさであると表現し,男性は仕事との関係で,女性は家族の世話や性生活などで苦労を強いられたと証言している。日本原水爆被害者団体協議会の「1985年原爆被害調査」においても,「風邪をひきやすい」,「つかれ易い」,「無理ができない」,「とてもだるい」との回答が,遠距離被爆者及び入市被爆者を含めて,ほとんど50パーセントを超えている。都築正男医師は「原子爆弾の災害」(甲A47・文献番号3)の中で,被爆後何年か経過した後に,訴える特徴のない諸症状を「慢性原子爆弾症」と呼び,「現在では大体に於いて健康となり,夫々の業務を営んではいるが,常に疲れ易いことを訴え,業務に対する興味乃至意欲が少なく,感冒や胃腸障碍,特に下痢に悩んでいる人々のことをいう」としている。「慢性原子爆弾症」では,「他覚的には,特に異常な所見はみとめられ」ず,「血液や尿やその他に就て詳査をしてもらっても,得られる検査成績は常に正常値の範囲内である。だから,診察した医師は異常はないと判断する。しかし,彼等はそれに満足し得ない。何となく,身体的或いは精神的に違和を訴えて不満である」と言った状態にある。
この「ぶらぶら病」については,原因が解明されていなかったことから周囲からの理解は得られず,被爆者は「怠け者」,「仮病」などと非難されることとなり,「ぶらぶら病」の症状だけでなくこれらの非難によりいっそう苦しめられることになった。
戦争が終わり,全ての人が新たな社会へ希望を持って歩んでいる中で,被爆者は,原爆の影響を引きずりながら生きてきたのである。
ウ 放射線が人体に与えるメカニズム
(ア) 外部被曝
a 初期放射線
原爆が炸裂し,100万分の1秒以内に核分裂が繰り返され,ガンマ線や中性子線が放出された(初期放射線)。これらの放射線は,瞬時に地表に到達し,そこにいた人々の身体を貫き,細胞組織や遺伝子を破壊した。人々が最初の閃光を見たときには,この中性子線とガンマ線がすでに人々の身体を貫いていたのである。これが初期放射線による「外部被曝」である。そして,核分裂によって発生した中性子線やガンマ線は,様々な物質を通り抜けることから,建物の中にいてもこれらを避けることはできなかった。
また,中性子線は,空気,水,土,建造物など,あらゆる物質の原子核に衝突して,正常な原子核を放射性原子核へと変え,新たな放射線を生み出した。その最も危険なものがガンマ線である。建物の壁や屋根,地面などに中性子線が当たると,それらを構成する原子自体からガンマ線が発生した。
しかし,原爆の放射線の人体に対する影響は,この初期放射線による外部被曝に限られなかった。
b 放射性降下物
核分裂の連鎖反応と同時に,大量の放射性核分裂生成物(「死の灰」と呼ばれる。)が生成された。この放射性核分裂生成物は,主にベータ線やガンマ線を放出する。また,広島原爆のウラン235及び長崎原爆のプルトニウム239のうち実際に核分裂を起こしたのは一部であり,残った未分裂の核分裂物質も,自らアルファ線を放出し,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,ガンマ線やベータ線を放出する。さらに,原爆の装置と容器が核分裂で生成された中性子を吸収して誘導放射化され,これも放射線を放出する。これらが爆発直後の火球の中に含まれていた。
原爆の火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様々な放射性物質は,放射性微粒子あるいは「黒いすす」となる。さらに上昇して温度が下がると,この放射性微粒子や「黒いすす」が空気中の水蒸気を吸着して水滴となり,放射性物質を大量に含んだきのこ雲がつくられる。きのこ雲からも放射線の放出は続いた。きのこ雲はさらに上昇しながら成長し,遂には崩れて広範囲に広がっていく。大きくなった水滴は放射能を帯びた「黒い雨」となって地上に降りそそいだ。
また,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって巨大な火事嵐や竜巻が生じ,誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられて,再び黒い雨や黒いすすとともに地上に降り注いだ。特に,トタン板が爆心から10キロメートル近く離れたところまで飛ばされ,爆心から24キロメートルも離れたα3には,大きさが1平方メートルで,重さが約6キログラムのベニヤ板が降ったことが報告されている。また,広島原爆後には非常に広範囲に飛散降下物が広がっていることが示されている。このことからも,原爆の威力がすさまじく,想像を絶する上昇気流が発生していたことが理解できる。
そして,「黒いすす」や「黒い雨」や放射性微粒子などの放射性降下物は,初期放射線を浴びた直爆被爆者のみならず,原爆時には市内にいなかったが,救援や家族を探し求めるため市内に入った人々(入市被爆者)の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは大気中や地面から,アルファ線,ベータ線およびガンマ線を放出して身体の外から被曝させた(放射性降下物による外部被曝)。
被告は,放射性降下物が特に見られた地域は,広島においては,己斐・高須地区,長崎においては西山地区という限定された地域であると主張する。しかし,気象学者のP12氏が示した「黒い雨」の雨域(P12雨域)は,広範な地域に「黒い雨」が降ったことを示している。また,P12雨域の正確性は,広島大学のP13教授による土壌中の137Csの測定結果によっても裏付けられている。
そして,「黒い雨」の他に「黒いすす」や放射性微粒子の存在を併せ考えれば,放射性降下物の影響は,非常に広範な地域に広がったことは明らかである。
c 誘導放射能
爆心地に近いところでは,初期放射線の大量の中性子によって,地上及び地上付近の物質の原子核が放射性原子核となり(誘導放射化),それによって放射線を放出する誘導放射能はガンマ線とベータ線を放出し続けて,直爆被爆者及び入市被爆者の体外から,継続的に放射線を浴びせ続けた(誘導放射能による外部被曝)。誘導放射能は中性子線量の多い爆心地に近いところほど強いことから,原爆投下直後に爆心地近くに入市した被爆者はこの誘導放射能の影響を強く受けた。
(イ) 内部被曝について
a 内部被曝の態様
「黒い雨」や「黒いすす」,「放射線微粒子」は,呼吸により体内に取り込まれて肺胞に達し,さらに小さい「放射性微粒子」は,血管やリンパ管を通じて身体の中を移動し,組織や器官に沈着して,これらの組織の細胞に身体の中から放射線を浴びた。また,飲食物を通じて放射性降下物が体内に入った。さらに,皮膚や傷口から放射性物質が直接人体に取り込まれることもあった(放射性降下物による内部被曝)。
また,原爆の中性子線により誘導放射化された地表の物質も,呼吸あるいは飲食等を通じて体内に入り,体内から継続的に放射線を浴びせ続けた(誘導放射能による内部被曝)。
b 放射性物質が体内に取り込まれる経路
残留放射能(誘導放射能と放射性降下物を含む。)は,アルファ線,ベータ線,ガンマ線等を放出する。このような人体に影響を与える放射性物質は,衣服についていたり,皮膚の表面に付着したりして,そこから体内に取り込まれるものもあるが,アルファ線やベータ線は透過力が弱いので,外部被曝の場合には,衣類や皮膚の表面で止まって,身体の中には入らない。これに対して,呼吸を通じて鼻から気道を通って肺に到着しておきる内部被曝では,放射性微粒子が身体の臓器や器官の一定場所に沈着してエネルギーを細胞に集中して与えることになる。
さらに小さい微粒子だと,血液やリンパ液に吸収されて,体の中を回っていく。飲食物が放射性物質で汚染されていると,それが腸から吸収されて,体の中を回っていくという形で体の中全体が被曝をすることになる。さらに,物質によっては,体の表面,皮膚を通り抜けるものもあるが,怪我をしている場合には,その傷口から放射性物質を体内に取り込む場合もありうる。
c 内部被曝の影響
第1に,ガンマ線の場合には,その線量は線源からの距離の2乗に反比例する。したがって,ガンマ線を放出する核種の一定量が体外の一定点,例えば生殖腺から5m離れた点に存する場合と,等量の同一核種が体内の一定点,例えば生殖腺から5cmの部位に沈着した場合とを比較すると,後者の場合には距離が100分の1になるから,生殖腺が受ける線量は,前者の1万倍にもなる。このことから明らかなように,質量の同一核種であっても,体外に存在する場合に受ける体外被曝と比べて,体内に入った場合に受ける体内被曝(内部被曝)は,格段に大きくなる。
第2に,飛程距離の短いアルファ線,ベータ線の問題がある。ベータ線は,生物組織の中では,せいぜい1センチメートルしか透過しないし,アルファ線の飛程距離は,0.1ミリメートル以内である。したがって,べータ線やアルファ線を放出する核種が体内に入ってくると飛程距離の短いこれら放射線のエネルギーのほとんどすべてが吸収され,体内からの被爆が桁違いに大きくなる。つまり,ベータ線やアルファ線は,それを放出する核種が体内に入った場合にのみ,大きな影響を与えることになる。ことにアルファ線は短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多くの染色体や遺伝子の接近した箇所を切断する。のみならず,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断され,誤った修復をする可能性が増大する。
第3に濃縮の問題がある。人工性放射線核種には,生体内で著しく濃縮されるものが多い。例えば,ヨウ素131なら甲状腺,コバルトやストロンチウム90なら骨組織,放射性セシウムなら筋肉と生殖腺というように,核種によって濃縮される組織や器官が特異的に決まっている。また,その微粒子が水に溶けやすいかどうかによって,移動する形態も変わってくる。これらが特定の体内部位にとどまって集中的に放射線を浴びせると深刻な被害をもたらすことになる。
第4に,継時性の問題がある。例えば,ある放射性核種が壁に付着している部屋を想定し,仮にそこにいても体内にその放射性核種を取り込むことがないとすれば,その部屋にいるときには受ける体外被曝も,その部屋から遠く離れることによって止まる。しかし,体内への取り込みがあって,その核種が体内に沈着・濃縮されると,その部屋からどれだけ離れていても,その核種の寿命に応じて内部被曝が続くことになる。例えば,放射性半減期が28年のストロンチウム90(St90)が骨組織に沈着すると,ベータ崩壊を繰り返し(ボーンシーカ=向骨性核種),また,ストロンチウム90が崩壊して生じるイットリウム90(Y90)もベータ線を放出するため,長年にわたって,その周辺の細胞がベータ線の内部被曝が続く。このように,体の外から浴びるガンマ線が体のあちこちに傷を付けるというのとはかなり異なり,体内に取り込まれた放射性物質は,沈着部位の比較的近傍にエネルギーをたくさん与えて破壊する。
このように,人工放射線核種は内部被曝により,自然放射線核種の内部被曝よりも桁違いに大きく深刻な影響を及ぼすが,その最も大きな要因は,自然放射線核種とは異なり,人工放射線核種は生体内で濃縮される点にあるとされる。これは,自然放射線については,生物が進化の過程で獲得した適応力が働いて体内で代謝し,体内濃度を一定に保つのに対し,自然界には存在しない人工放射性核種の場合,体内に取り込んで濃縮し,深刻な内部被曝することになるからである。
そして,この場合には,体の中に取り込んで,長い期間をかけて放射線を浴びることになるので,急性症状が遅れて発症することが当然考えられる。P9証人も,入市被爆者のほうが急性症状が相対的に遅く起こるという印象を持っているとして,内部被曝の急性症状の特徴を証言している。
このように放射線による人体への影響は,時間をかけて放射線を浴びせ続けるために,被爆後長期間経過してからも後障害が発症するという特徴がある。
(ウ) 放射線の人体への影響
a 急性障害
放射線,とりわけ人体への破壊力が大きな中性子線を浴びた人体内では,腸などの消化器系の内臓,血液をつくる骨髄などで,細胞が自らの機能を停止させ死んでいく細胞自殺(アポトーシス)を起こす。そのため,内臓の機能が低下し,死に至る。被爆後,やけどなどの外傷が少ないのに,被爆から数日後に死んでいった人の多くは,このアポトーシスが起こり,腸内での出血が止まらない,骨髄が損傷し造血不良が起こったことなどが原因で死に至ったと考えられる。死に至らない場合でも,消化器系の粘膜は放射線に対する感受性が高いため,例えば,胃腸の粘膜の場合には剥離をしたり,びらんを起こしたりして,自覚症状として,悪心,嘔吐,下痢などの急性症状として現れる。
しかし,このような急性症状はあらわれないが,後に放射線の影響で晩発生障害が発生する被爆者もいる。とりわけ,内部被曝の場合には,しきい値を確定することは困難であり,直接被曝の場合と急性症状の現れ方も異なる。
b 晩発性障害
放射性物質は,原子の真ん中にある原子核の周りを回っている電子にエネルギーを与えて,電子が原子や分子から外にはじき出されてしまう(電離作用)。電子は分子を結合する役割を果たしているが,その電子がはじき飛ばされると,結合していた分子は壊れてしまう。具体的には,体内のDNAのらせんの間を鎖のように結ぶアミノ酸が放射線を浴びて切断され,集中的に破壊作用が起きると修復機能が正常に機能せず,様々な障害を引き起こす原因になる(放射線の直接作用。)。
また,ガンマ線が細胞の中の水分子に当たると,水がプラスイオンとマイナスイオンに電離し,そのマイナスイオンがDNAの二重らせんに到着すると,化学反応を起こして二重らせんを切断する(放射線の間接作用)。これが一箇所だけ切断された場合には,ほとんどが元の正常なかたちに修復する機能を保つが,これが集中的に生じると,修復を誤るなどの事態が生じて,深刻な症状を引き起こすことになる。ガンマ線が体内の原子の中に衝突すると,そのガンマ線のエネルギーを電子がもらって走り出す。その電子は電気を持っているので,次々と周辺の原子の中から電子にエネルギーを与えて,どんどん電子を跳ね飛ばす(密度の低い電離作用)。一方,中性子は,電子を持っていないので直接電離作用はしないが,中性子が体の中の陽子にぶつかると,電気を持った陽子が走り出し,この陽子が集中した電離作用を引き起こす(密度の高い電離作用)。何れも身体に深刻な影響を与える。
このように放射線はDNAを損傷し,遺伝的な影響,晩発性のがんを引き起こすなどの重大な影響を与えるが,それだけではなく,細胞膜などの破壊による深刻な被害なども引き起こす。つまり,放射性物質が細胞に取り込まれた結果,そこでベータ線等を出せば,細胞の膜が傷つけられることが当然起こる。ベータ線の場合は,ガンマ線に比べて一定の距離を進む間に起こす電離の数が多いので,ガンマ線の場合には素通りしたり,まばらにしか電離あるいは励起という作用を起こさないのに比して,ベータ線ではもっと電離あるいは励起という作用を濃密度で起こすので細胞膜が傷つくことが起こりうるのである。もちろん,これらが内部被曝単独で生じるのではなく,外部被曝の影響をも合わせて起こりうるものであり,両方の影響を考慮する必要がある。
また,酸素は細胞の中に取り込まれ,エネルギーを作る運動をする。この酸素が,放射線にぶつかると電気を帯び,人体に有害な活性酸素に変化する。電気を帯びた活性酸素は,人間の細胞を防護している細胞膜の電気に影響して穴をあける。その中に放射線が入った場合の影響については,科学的には解明されていないが,放射線による桁違いのエネルギーにより新陳代謝が大きな影響を受けて動揺し不安定になる。これが内部被曝の最初の影響であり,被害の本質である。影響を受ける細胞が体細胞,つまり胃や肺,肝臓という臓器である場合には,突然変異を受けてがん細胞に変わっていき,生殖細胞の場合には,遺伝子に傷がついて遺伝に障害が生じる。
さらに,初期の物理的過程により,原子や分子の化学的結合が切れて放射線分解が起こると,遊離基(1個又は複数個の不対電子を有する原子や分子で,フリーラジカルという。)が生成する。これを物理化学的過程といい10億分の1秒程度の時間内に起こる。人体内に放射線が入ったときに生成する遊離基は,人体の主成分である水分子の変化したものが多い。遊離基は極めて不安定で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分子と直ちに反応する。遊離基が生物学的に重要な分子である細胞内のタンパク質や核酸と反応して変化を起こし,結果として細胞に損傷を与える(放射線の間接作用)。
c 小括
このように放射線は,DNAや細胞といった人間の生命作用の根源を破壊するものである。それ故に,放射線の人体に及ぼす影響については,科学的に解明されているとは言い難い段階にある。
(2) 原爆症認定制度とは何か
ア 被爆者援護法の歴史
原爆被害が,戦争という国の行為によってもたらされたものである以上,その被害の補償が,戦争を遂行した国の責任で行われなければならないのは当然である。しかし,敗戦後の占領時代には,米軍によって原爆被害の実情を訴えることも,原爆医療の研究も抑圧されていた。そして,日本政府は,サンフランシスコ平和条約において,連合国に対するすべての損害賠償請求権を放棄し,原爆被害についての請求権をもこれに含めた。これは,原爆被害を無視しただけではなく,原爆投下責任の追及を事実上放棄したものである。このような状況の下において被爆者は,原爆被害の救済はもちろん,補償要求さえも許されなかった。日本政府は,アメリカに対する損害賠償請求権を放棄したのであるから,自らの責任に基づく,被爆者の援護をよりいっそう急ぐべきであったにもかかわらず,戦後米占領軍とともに,原爆被害を隠し続けた。被爆者は,最も援護の必要だった戦後の12年間,なんの援護政策も採られないまま放置されたのである。この時期に多くの被爆者が亡くなっていった。昭和29年のビキニ被災事件をきっかけとして,世界的に広がった原水爆禁止運動を契機として,日本政府は昭和32年,ようやく原爆医療法を制定し,被爆者は国の費用で医療が受けられるようになった。その後,被爆者の生活援助のため,昭和43年に被爆者特措法が制定された。そして,平成6年12月,これらのいわゆる原爆二法を統一して制定されたのが被爆者援護法である。
原爆投下が国際法に違反するものであることや,被爆者援護法の前文の趣旨を踏まえれば,このような違法かつ残虐な行為がもたらした被害に関して,核兵器の影響を過小評価するのではなく,救済すべき被爆者につき,落ちこぼさず原爆放射線の影響を認定することが,被爆国としてのありようであり,被爆者援護法の正しい法解釈のあり方である。
イ 被爆者援護法の目的
被爆者援護法の前文に示されているのは,核廃絶および平和への願いであり,被爆者の置かれた状況を理解し,国の責任において被爆者を援護するということである。そうであれば,同法を解釈するに当たっては,原爆被害を正しく受けとめ,認定制度が,国が原爆に基づく被害に対して「国家補償」する制度であることに見合った運用をしなければならない。
被爆者援護法は,原爆二法を統合して作られたものであるが,原爆二法について,最高裁判所は「原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで,かかる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり,しかも,被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見逃すことはできない。原爆医療法は,このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり,その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは,これを否定することができないのである。」と判示している(最高裁判所昭和53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号425頁)。
すなわち,被爆者援護法の根底には,国家による戦争開始・遂行,違法な核兵器使用をしたアメリカに対する請求権の放棄,原爆被害の実態の隠蔽という違法行為により,損害を受けた被爆者に対しては,本来,国の責任において賠償を行うべきであるという国家賠償の理念があるのである。しかし,国家賠償請求のためにはさまざまな要件が課せられるが,原爆被害の深刻さに鑑み,厳格な要件により被爆者を切り捨てることがあってはならないため,一定の条件と必要性のある被爆者に対して一律の給付を行う社会保障の要素も含めた立法とされているのである。
被爆者に対する給付は,その根源においては国家賠償としての国の義務なのであるから,被告厚生労働大臣の認定は,被爆者に新たな権利を発生させるものではなく,既に存在する権利を確認する行為にすぎない。そして,どのような場合に給付対象者の権利を確認するかは,被爆者援護法の趣旨目的に即して決定すべきである。
したがって,被爆者援護法の実施に際して,被告厚生労働大臣の裁量の幅は,きわめて限定されており,その給付対象者について,法律の趣旨目的に反するような基準を作り,それに当てはまらない者を除外することは絶対に許されない。なぜならこの制度は,被爆者援護のための制度であるから,その給付手続きは簡易にすべきであり,被爆者援護の目的からして援護の必要がある者を広く援護の対象とすることが求められているからである。また,制度の運用に当たっては,給付漏れを作ってはならないということは,法制定の趣旨・目的からする当然の要請である。
ウ 認定基準の解釈のあり方
原爆症認定基準の解釈のあり方は,厚生省公衆衛生局長通知である治療指針及び実施要領によって既に明らかにされている。
前述のように,被爆者援護法が国家賠償を基本とするものである以上,行政庁の裁量によって,援護の必要のある被爆者を切り捨てることは許されるものではない。援護の必要のある被爆者は,全て認定されなければならないのである。その被害が被曝によるものである可能性が否定できない以上,認定からもらすことがあってはならない。上記通知もこのような姿勢で発せられたものである。
「実施要領」において,厚生省は,「いうまでもなく放射線による障害の有無を決定することは,はなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみならず,被爆距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細に把握して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びその程度等から,間接的に当該疾病又は症状が原爆に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。」とし,「治療指針」においても「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾病又は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子線の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者のうけた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当っては,特に次の諸点を考慮する必要がある。」として,被爆距離,急性症状などを挙げている。そして,被爆距離については,おおむね2キロメートル以内のときは高度の,2ないし4キロメートルのときは中等度の,4キロメートルを超えるときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえないとしているのである。
これらの通知は,原爆投下直後の9月からマンハッタン計画調査団の指揮により開始された,日米合同調査団による諸調査や,敗戦直後,かつ占領下の制約にもかかわらず原爆被爆者の調査と救護のために,現地で活動した各大学医学部や医科大学をはじめとする国内の医学研究者による数々の調査報告を医学的根拠として作成されている。様々な調査結果から被爆者の急性症状が注目され,その程度により放射線の影響を推定できるとしていたのである。そして被爆距離については2キロメートルを超えている場合でも,当然放射線の影響を考慮しなければならないと指摘している。上記通知は,こうした,現在の知見をもってしても否定することのできないごく当然の見地から作成されている。
その後,T65D(1965年暫定線量(Tentative 65 Doses)。以下「T65D」という。)や,DS86(Dosimetry System 1986)が発表されているが,これらは現実に起こっていることを説明できない初期放射線に対する机上の計算式に過ぎない。このような現実を説明しえない計算に基づいた認定によって,現在は,救済されるべき被爆者が救済されない事態が生じているのである。上記通知は,T65DやDS86発表前のものであるため,かえって初期放射線のみならず,残留放射線や内部被曝の影響を含めた,被爆の現実を見つめ実態を反映した認定基準となっている。被爆者の受けた放射線量を正確に算出することがもとより困難であるということは,現在においても変わらない。そうであるならば,現在においても原子爆弾被爆者に関して放射線の影響によるか否かを判定する判断基準としては,現実を反映し,被爆者をもらすことなく救済できる上記通知の姿勢に基づいた基準を用いるべきなのである。
エ 認定制度の意味
被爆者援護法は,被曝当時,一定の区域内にあったもの,また,2週間以内に爆心地からほぼ2キロメートル以内の一定区域内に入ったもの等の要件を定め,これに該当するものを「被爆者」として,被爆者健康手帳を交付している(同法1条)。これが,この法律上の「被爆者」である。そして,被爆者援護法では,原爆症認定の前提条件として,上記法律上の「被爆者」に原爆症認定の対象を限定している。このため,原爆症の認定申請を行うことすらなしえていない本来の被爆者も多数いる。
そして,被爆者援護法においては,被爆者に対し必要な医療の給付や医療特別手当を支給することが定められているが,この医療や手当の給付を受ける為には,上記法律上の「被爆者」であって,更に,厚生労働大臣の認定を受けることが必要とされている。この医療(手当)の給付のため,負傷又は疾病が原子爆弾に起因するものであることを,厚生労働大臣が認定する制度が原爆症認定制度である。認定制度は,医療給付を受けるための要件としての意味を持つものであるが,認定制度の意味はそれだけにとどまるものではない。現在の被爆者援護施策においては,被爆者であることを証する被爆者健康手帳の交付および各種手当の支給は,都道府県知事の認定によっている。これに対し,原爆症の認定は国が行う。認定制度によって,被爆者は,被害が原爆に起因するものであることを公に認められるのである。「認定被爆者」になることは,被爆者にとって,自己の原爆被害を国が公式に認めたという証となるものであり,単なる受給による経済的利益をはるかに超える意味を有するのである。
(3) 被告の認定基準の誤り
ア はじめに
被告らは,現在,原爆症認定申請にかかる負傷又は疾病(以下「疾病等」という。)の原爆放射線起因性の判断において,「原因確率」という経験則を作り上げ,これに個々の被爆者をあてはめることを認定審査の基本としている。
しかし,「原因確率」は,これから詳述するように,被爆者に生じた現実を説明できるものではなく,恣意的かつ不合理な内容を持ち,とても科学的な「起因性」判断基準たりうる代物ではない。
そもそも,被爆者にはそれぞれの個体差があり,被爆状況もそれぞれに異なっており,被爆後の人生もまたそれぞれに違う道を歩んできている。このように,個々に全く違う事情を抱えている被爆者を,「原因確率」という基準を用いて,疾病と性別ごとに,爆心地からの距離と被爆時年齢で一律に起因性を判断することは誤りである。
以下では,被告厚生労働大臣が用いている「原因確率」なる基準が,原爆放射線起因性を判断するに際しての経験則としての合理性・妥当性を有しないことを明らかにしていく。
イ 被告の原爆症認定基準
まず,被告厚生労働大臣がいかなる基準により原爆症認定審査を行っているかを検討する。
(ア) 旧基準
原因確率が用いられるまでの認定行政は,次のように行われていた(原子爆弾被爆者医療審査会の平成6年9月19日付け「認定基準(内規)」。以下「認定基準(内規)」という。)。
① 申請者の被曝線量を推定する。
② 疾病ごとに認定するための一定の線量が決められており,①で推計した線量がこれを上回るか否かを検討する。
このような旧来の認定基準(内規)は,「ある一定の線量を超えれば放射線の影響を認める」点において,放射線の人体影響一般にしきい値の議論を持ち込んでいた。しかし,放射線の人体影響,特にがん等に関しては,しきい値のない確率的影響であることは常識となっており,このようなしきい値論は,放射線の人体影響についての理解を根本的に誤ったものであり,全く合理性を有しない基準であった。
(イ) 認定基準(内規)から「審査の方針」への転換
旧厚生省は,「DS86+しきい値理論」という全く合理性を有しない従前の基準を維持できず,確率的影響の考え方を取り入れる形で,新たに「DS86+原因確率理論」という基準を作り上げた。
具体的には,P8広島大学医学部保健学科教授を主任研究者とする厚生科学研究費補助金(特別研究事業)平成12年度総括研究報告書「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」(以下「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」という。)において,被爆者の性別・疾病ごとの寄与リスクを求め,その結果を「原爆症認定に関する審査の方針」(以下「審査の方針」という。)に転用した。
(ウ) 「審査の方針」による具体的審査
被告らが原爆症認定申請にかかる疾病等の放射線起因性について現在用いている「審査の方針」の具体的内容は以下のとおりである。
a 被曝線量を推定する。
b 疾病の種類及び性別によって作られた「審査の方針」別表に申請者の推定被曝線量と被爆時の年齢を当てはめて原因確率を算定する。
c 原因確率がおおむね50パーセント以上であれば申請疾患について放射線起因性の可能性があるものとし,おおむね10パーセント未満であればその可能性の低いものと推定する。
d 放射線白内障については1.75シーベルトをしきい値とする。
e 申請疾患の原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無によって判断している
このように,現在の原爆症認定の実態は,原因確率へのあてはめを基本とし,特定の疾病(放射線白内障)についてはしきい値を設定して申請者の被曝線量がそれを上回るかを判断している。
(エ) 審査の方針の根拠
a 被曝線量の推定
原因確率の第一段階である,「① 申請者の被曝線量を推定する。」という作業は,初期放射線による被曝線量,誘導放射能による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量を合計して計算される。
初期放射線による被曝線量については,審査の方針・別表9の表に申請者の被爆時の爆心地からの距離を当てはめることにより計算する。そして,審査の方針・別表9は,DS86を根拠としている。
残留放射線による被曝線量については,審査の方針・別表10の表に,爆心地からの距離と被爆後の経過時間を当てはめて外部被曝線量を計算する。
放射性降下物による被曝線量については,広島・長崎の特定の地域に居住していた者についてのみ外部被曝線量を加算する。
b 原因確率表の作成方法
上記aにおいて推定された被曝線量を当てはめる対象は,審査の方針・別表1-1から別表8までの表(以下「原因確率表」という。)である。
そして,この原因確率表は「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」における寄与リスクをそのまま転用しており,「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」における寄与リスクは,ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)・放射線影響研究所が行っている疫学調査をもとに作成されている。具体的には,1950年から1990年までの死亡率調査(白血病,胃,大腸,肺がん)及び1958年から1987年までの発生率調査(甲状腺がん,乳がん)を基に作成されている。
そして,放影研の死亡率調査及び発生率調査は,DS86により推定被曝線量を与えられた被爆者集団を追跡調査し,死亡原因や疾病の発生状況を調査するという疫学研究である。
(オ) 「審査の方針」の問題点
a 線量評価の誤り
(a) DS86を用いることの誤り
審査の方針では,原因確率へのあてはめの前提としてDS86により申請者の被曝線量を推定している。しかし,DS86による被曝線量推定方式には,現実と符合しない多くの問題点がある。
しかも,DS86は,放影研の疫学調査の基礎にもなっており,DS86の誤りは疫学調査の結果の誤りに直結し,そして原因確率の誤りにつながるのである。
(b) 残留放射線の軽視
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被曝と放射性降下物による被曝の一部を考慮しているが,これは全く不十分なものである。原告らが明らかにしたような遠距離被爆者や入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれば,審査の方針が用いるこれらの線量評価が,被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著しく軽視していることは明らかである。
(c) 内部被曝の無視
審査の方針では,線量評価において,外部被曝線量のみを考慮しており,内部被曝による被曝線量を特に算出していないが,内部被曝は,放射線被曝態様の重要な一つであり,これを無視することは許されない。
b 原因確率の誤り
(a) 放影研の疫学調査の誤り
原因確率の基礎となる放影研の疫学調査には,調査集団の線量評価にDS86を用いていること,残留放射線の影響を無視していること,内部被曝の影響を無視していること,比較対照群の設定に問題があること,死亡率調査を基礎にしていること,1950年までの被爆者の死亡を考慮に入れていないことといった問題点が存在する。
(b) 原因確率を個々の被爆者にあてはめることの誤り
疫学は,集団についての概念であり,その結果を個々の被爆者にあてはめることは妥当ではない。特に,放射線の人体への影響には大きな個体差があることからすれば,集団についての結論を個々の被爆者にあてはめることの不合理さは明らかである。
(カ) 小括
このように,審査の方針には,二重三重の問題点があり,被爆者の放射線起因性を判断する基準としての合理性を有していないことは明らかである。
ウ DS86の問題点
(ア) はじめに
被告らは,被爆者の被曝線量を,DS86という原爆放射線線量評価体系によって推定している。しかし,DS86には重大な欠陥があり,誤った線量評価となっている。にもかかわらず,被告は,DS86と原因確率表の機械的適用を主張し,さらにはDS02(Dosimetry System 2002)なるものを持ち出して,DS86の信用性が裏付けられたと強弁している。
以下では,DS86の問題点について,再度批判を加えるとともに,DS86の信用性を裏付けると被告らが主張するDS02に対しても批判を加える。
(イ) DS86の評価について
a DS86自身の認める限界
DS86自身において,既にその推定値が不確実であることが述べられている。例えば,「中性子の測定についてのこの章の結論は,中性子線量が更に研究が進展するまでは疑わしいということでなければならない。爆心地より1000mを超えたところで十分質の高い結果を出せる別の物理的効果による熱中性子フルエンスの再測定は特に価値があることである」,「現在,DS86に含まれている改訂線量推定モデルでの誤差の解析は,不完全である」などとされている。誤差の解析が不十分で,再測定された結果による見直しが予定されているのである。
このようなことから,DS86発表以後も精力的にガンマ線及び中性子線の物理学的測定が行われてきた。その結果,DS86と実測値との不一致は一層明確となり,広島でも長崎でも共通して,爆心から近距離ではDS86の推定値は過大評価であるが,遠距離では過小評価に転じ,爆心からの距離が増大するにつれて過小評価の度合いが拡大することが判明し,DS86の見直しが日米の科学者間で行われてきたのである。
b DS86の学術的な扱い
こうした状況を反映して,平成8年当時,P14京都大学名誉教授は,意見書において「DS86を使用した最近の論文でも,今後DS86が変更になれば,その研究結果は異なったものになると,わざわざ注釈をつけている。すなわち,放射線科学の研究者は今後起こるであろうDS86の変更を予測しなければ論文自体の評価が下がる状態になっている。現在DS86に信頼を置くことは,正当性を欠き,DS86体系を何らかの判断根拠とすることは,誤りである。これがDS86体系を取り巻く情勢である」と述べている。
このようなDS86の学問上の評価に照らせば,遠距離の放射線線量の有力な専門的知見,経験則として用いることが誤りであることは明らかである。
(ウ) 線量推定式の変遷
a T57D
1956年,アメリカ原子力委員会は,原爆放射線の人間に対する効果を研究するために,オークリッジ国立研究所(ORNL)を中心にした「ICHIBAN計画」と称する核実験をネバダ核実験場で行った。この核実験のデータをもとづいて広島・長崎原爆の放射線量の推定を行い,「1957年暫定線量(Tentative 57 Doses。以下「T57D」という。)」が作成された。
b T65D
次に,長崎型原爆と同じタイプのプルトニウム原爆を使用したり,ネバダ核実験場に500mの塔を建てて「裸の原子炉」やコバルト60の線源を設置して,中性子の伝播や遮蔽効果の研究が行われた。原爆傷害調査委員会(ABCC)はORNLと協力し,さらに放射線医学総合研究所などによる広島・長崎原爆の放射線の測定結果と照合してT65Dを作成した。
ところが,DS86という計算式の登場によって,T65Dの値は大きく修正されることになった。例えば,爆心から2キロメートルの地点では,DS86ではガンマ線は4倍に,中性子線は9分の1に修正された。この原因について被告らは,① 爆弾の出力,中性子スペクトルなど原子爆弾(特に広島型爆弾)に関する知識が,日米線量再評価により,より正確となったこと,② T65Dでは,ネバダの乾燥した空気での結果を使ったがDS86では広島,長崎の高湿度,すなわち空気中成分の考慮がなされたことなどであると主張しているが,爆弾の出力などの原子爆弾(とりわけ広島型原爆)に関する知識が1986年(昭和61年)の時点で変更されていることに象徴されているように,線量を推定する上で,最も基本的データですら不正確なのである。
c DS86
DS86は,T65Dと異なり,実験結果に基づかないコンピューターによるシミュレーションである。1963年(昭和38年)8月3日に調印され,同年10月10日に発効した「部分核停止条約(大気圏内,宇宙空間及び水中における核実験を禁止する条約)」のために,空気中での核爆発実験を禁止された米国が,中性子爆弾の威力をはかるために作成したコンピュータープログラムに基づくシミュレーションなのである。
しかも,軍事機密のため,日本側に示されたのは,原爆容器を通り抜けて外部へ放出された即発ガンマ線と中性子線の総量,エネルギー分布及び方向分布に関する計算結果だけであった。
このように,DS86は,実験にも基づくものではなく,しかも,他の科学者等による追検証不可能なものである。こうした基本的事項が明らかになっていない線量推定式はそもそも信用性に乏しい。そして,DS86について判明している内容についても実証されている多くの問題点があり,学問上信用性に問題があるものとして取り扱われている。
なお,広島に投下されたウラン235を用いた原爆は,後にも先にも一発だけであり,同じ型の原爆を用いた実験もなされていない。また,原子爆弾の構造などの詳細な情報も軍事機密となっている。したがって,広島型原爆については不明な点が多く,現に,それによって発生したエネルギーについても,12キロトンと推定する者から18キロトンと推定する者までいるような状態であり,その不確実さは明らかである。
(エ) DS86と実測値の乖離
原爆の初期放射線の線量を測定するために,多くの科学者により初期放射線の痕跡を測定して,原爆時の初期放射線量を逆算する研究が行われている。このような研究により測定された値を「実測値」ないし「測定値」と呼ぶ。
このように物理的手法により測定された実測値と比較して,DS86の推定値は近距離で過大評価,遠距離で過小評価となる顕著な傾向を示している。DS86は,実際に測定された現実を説明することができないのである。
a ガンマ線
現在では,熱ルミネッセンス(TL)法による測定技術が大きく進歩し,半世紀も前に原爆が放出したガンマ線の線量の測定が可能になっている。
DS86報告書が発表された後の,1992年にP16教授らによる熱ルミネッセンス法による測定によって,広島の爆心地から2050mでの高い精度の実測値が得られた。P16教授らの論文(甲A74の2)は,要旨は次のように述べている。
「広島の爆心地から2.05キロメートルにおけるガンマ線線量を瓦のサンプルから熱ルミネッセンス法で測定した。2.45キロメートルにおいて収集した瓦のサンプルも,バックグランド評価の信頼性をチェックするために解析した。2.05キロメートルの距離に対する結果は5枚の瓦についての測定値の平均で129±23ミリ・グレイであった。この値は,対応したDS86の推定より2.2倍大きい。これらの結果と文献における結果は,爆心地から2.05キロメートルにおける測定値に対し,DS86の計算値が50パーセントあるいはそれ以下であることを示している。」
さらに,P16教授らは1995年に,広島の爆心地から1591メートルと1635メートルとの間の測定も行い,すでにこの距離からガンマ線線量の実測値はDS86の計算値からずれ始めることを確かめている。論文(甲A75の2)の要旨は以下のとおりである。
「組織カーマの結果は,DS86の評価より平均して21パーセント多かった。現在のデータと,報告されているTLの結果は,測定されたガンマ線カーマはDS86の値を約1.3キロメートルで超過し始め,この不一致は距離とともに増加することを示唆している。この不一致は,DS86の中性子ソース・スペクトルに誤りがあることに原因があり,これまでの中性子放射化の測定によって支持されている。」
このように,DS86によるガンマ線の線量推定に誤りがあることが明らかとなってきている。特に,DS86報告書自身が「全ての研究所の結果で,1000mの距離において,計算値に対して測定値の方が大きいのは,全く明白である。すなわち28の測定中24が,計算値を超える。逆のことが1000m以下の距離では当てはまるように思われる。すなわち14の測定中10が,計算値よりも低い。」,「1000mを超える範囲は被爆者数の点で重要な対象地域であるので,上記の結果からパラメータの訂正を行った方がよいと判断する。」と実測値との間でズレがあることを認めている。
これらの実測値のカイ2乗フィットとDS86による推定値との関係を広島について図示したのが甲A20・図1aであり,実測値をDS86推定値で割った計算結果が甲A20・図1bである。
以上からすれば,爆心地から1000メートル以遠において,DS86のガンマ線推定線量は,実際の線量よりも過小評価されているといえる。ガンマ線は,直接原爆から放出されたものだけでなく,原爆から放出された中性子が空気中の原子核と衝突した際にも生成される。後述のように,DS86の中性子の推定線量が過少評価されているため,ガンマ線の推定線量も遠距離において過小評価になってくるのである。
b 中性子線
原爆の爆発の瞬間に放出された中性子は,空気中や地上の原子の原子核に散乱されたり,吸収されたりして,複雑な経路を経て地上に到達した。中性子線は複雑な振る舞いをするので,推定の困難さはガンマ線の比ではない。中性子についての推定線量が疑わしいということは,DS86自体指摘しているところである。
(a) 広島の熱中性子
中性子線のうち熱中性子線の実測値測定においては,熱中性子によって誘導放射化された,ユーロピウム152,塩素36及びコバルト60の測定が行われている。
ユーロピウム152と塩素36については測定値がバックグラウンドの影響を受けるため測定値との不一致を明確にすることは困難である。そこで,広島のコバルト60の実測値に基づいて,カイ2乗フィットという方法により熱中性子の近似式を求め,DS86等と比較すると,900メートルを超えるとDS86による推定線量が過小評価されていることがわかる。(甲A36・図7a)
また,P17の主尋問調書(乙A46の1)の92頁の図(資料36,乙A46の1の2)を見れば,ユーロピウム152及び塩素36についても,遠距離において系統的なズレを生じていることは明白である。さらに,同尋問証書98頁(資料42)においては,コバルト60の測定値と計算値との比較が示されているが,やはり系統的なズレは明白である。
(b) 広島の速中性子
速中性子に関しては,リン32とニッケル63の測定により実測値が導かれているが,これらの測定結果にしても1000メートルを越える辺りから,DS86が実測値よりも過小評価に至っている。速中性子はエネルギーを失いながら熱中性子へと変わっていくのであるから,速中性子の過小評価は熱中性子の過小評価へ直結する。
(c) 長崎の熱中性子
長崎についても,熱中性子に関してユーロピウム152及びコバルト60の測定が行われている。ユーロピウム152については測定値にばらつきが大きいため,コバルト60の測定値をカイ自乗フィットしてDS86の推定値と比較したところ,やはり900メートルを越える辺りからDS86が過小評価となっている。
実測値に関して900メートル当たりから減少割合が緩やかになっているが,DS86報告書におけるネバダ核実験場での長崎型原爆の実験においても同様に遠距離で緩やかに減少する成分が示されており,カイ2乗フィットのグラフと符合する内容である。したがって,1000メートルを超える遠距離になって現れてくると,緩やかに減少する中性子線が存在することが考えられる。
(d) 結論
以上からすると,広島及び長崎におけるDS86による中性子線の推定は実測値を説明することができないのであり,特に1000メートルを越える辺りから推定は到底採用できるものではない。
c 誤差の原因
DS86の中性子線量についての誤差の理由としては,① 原爆の爆発点から放出された中性子線のエネルギー分布,すなわちソース・タームの計算問題,② 中性子の伝播に重要な影響を与える湿度の高度変化,③ ボルツマン輸送方程式に基づくコンピューター計算における区分の設定などが考えられる。
(a) ①(ソース・タームの計算問題)について
原爆の核分裂の連鎖反応は100万分の1秒以下という短時間で終わるので,原爆容器が崩壊する以前の段階で,放射線が容器を突き抜けて容器の外に飛び出す。そして,中性子線の一部は原爆容器や火薬などに吸収されてしまうことから,外部に放出された中性子線の量を正確に推定するためには,原爆容器や火薬等の成分や厚さなどの詳細な情報が必要である。ところが,原爆容器の材質や火薬の量・成分などは軍事機密ゆえに公表されていない。したがって,原爆放射線のエネルギー分布は追検証することができず,誤りを含む可能性が否定できない。
しかも,原爆の場合は短時間で核分裂の連鎖反応を起こさなければならないため,連鎖反応における主要な役割を高速中性子に果たさせている。一方で,広島原爆のレプリカの模擬原子炉における実験では,原子炉という性格上,核分裂を制御する必要があることから,核分裂の連鎖反応における主要な役割を熱中性子に果たさせている。ところが,DS86報告書においては,ソース・タームの計算結果が原子炉レプリカによる測定値と一致したと述べられている。このことは,広島原爆のソース・タームが熱中性子を中心に計算されていることを裏付けている。したがって,広島原爆のソース・タームは,高速中性子を過小評価していることになる。そして,高速中性子の過小評価が熱中性子の過小評価に直結することは前述したとおりであり,このことが中性子線やガンマ線の誤差につながっていると考えられる。
実際,P16教授らは,DS86の計算値からのズレの原因を,「遠距離のガンマ線は,直接原爆から放出されたものよりも,主として,中性子が空気中の原子核と衝突して生成されたものであることから,原爆から放出された中性子線のエネルギー・スペクトルについてのDS86の推定が誤っている(遠距離に到達できる高いエネルギーの中性子の成分が過小評価されている)ことに起因すると考えられる。このことは,また,これまでの中性子による放射化の実測結果を支持するものである。」と述べている。また,同様の理由が,長崎原爆における中性子線のズレの原因として考えられる。
(b) ②(湿度の高度変化)について
DS86は,広島では,広島気象台の湿度80パーセントを用いて計算をしている。しかし,江波山にある広島気象台は海と大田川に近く,原爆投下時は満潮であったため,海や川の影響を受け気象台の測定値が周囲の湿度より高くなっていた可能性がある。また,長崎では,爆心より4500メートル南南西の海沿いにある長崎海洋気象台の測定値71パーセントを用いている。しかし,家屋が密集した都市の上空では海沿いとは異なり,もっと湿度は低かった可能性がある。また,上空1500メートル,半径2825メートルで計算領域が限定されていることから,上空の空気中の原子核で反射して地上に到達した中性子の寄与は遠距離でかなり増大する可能性がある。
さらに,気象台のある地表付近では湿度が高かったとしても,上空では湿度が低かったことも考えられる。当日と同じ気象条件の日を選んで行われたラジオゾンデによる気象観測では,地上500メートル前後に逆転層が生じていた可能性を示唆する研究報告がある。
(c) ③(ボルツマン輸送方程式に基づくコンピューター計算における区分の設定)について
DS86が採用するボルツマン輸送方程式においては,ある一つの要因で一旦計算値にずれが生じると,ずれは次々に累積・拡大してしまう。
d 小括
以上のとおり,実際に人体に降り注いだ放射線は,DS86による推定と,特に遠距離では大きく異なるものである。広島ではDS86による推定線量の数十ないし数百倍の放射線の影響があったことになる。
(オ) DS02の問題点
a はじめに
本件原告らの認定に用いられたのはDS86である。被告は,DS86が正しいことがDS02で裏付けられたと主張しているが,以下に述べるとおりDS86の欠陥はDS02で全く改善しておらず,DS86を起因性判断に使うことができないことが明確になった。
b 未完成であること
DS02は,2002年にできたことからDS02と呼ばれている。ところが,2005年(平成17年)5月現在,DS02報告書の総括すらできていない未完成の状態である。3年も経って完成すらしないものに基づいて議論せざるを得ないこと自体初期放射線推定式の曖昧さや欠陥を表すものである。
c 不正確であること
(a) 高速中性子について
① 1400メートル以遠には役に立たないこと
DS02では,高速中性子についての新たに測定結果を用いている。この測定結果などに基づいて,DS02が合意されるに至ったものであり,DS02策定において大きな役割を果たすものであった。
ところが,P17は,この高速中性子に関する測定について,遠距離,すなわち1400メートル以遠については線量評価として役に立たないと証言した。本件訴訟において提訴した原告らは,いずれも1400メートル以遠の被爆である。DS02は,これらの被爆者については,役に立たないものなのである。
② 近距離で過大評価,遠距離で過小評価であること
爆心地から380メートルの地点では,中性子線量の実測値はDS86の推定線量の0.64倍,1461メートルの地点では1.52倍となっている。DS02でも,391メートルの地点で実測値は0.85倍,1470メートルの地点で1.90倍となっている。このように高速中性子線のDS86の推定線量もDS02の推定線量も近距離で過大評価であり,遠距離で過小評価となっている。とりわけ遠距離におけるずれはDS86より,DS02で拡大しているのである。
液体シンチレーション法によるニッケルの測定も為され,加速器質量分析法とも比較され,その信頼性も確認されているが,それも1500メートルで実測値が計算値を上回っている。
③ バックグラウンドの評価のいい加減さ
まず,DS02の基となったP18らの論文では,1880メートルの地点の測定値をバックグラウンド(原爆放射線の影響のない値)としていた。ところが,それではあまりにおかしいということで,DS02ではバックグラウンドの数値を変えている。あまりにも恣意的操作が為されているのである。バックグラウンドの評価は高速中性子がまったく到達しない遠距離の測定結果を用いるべきところ,P18らはすでに1400メートル以遠の測定値はバックグラウンドと同程度になってしまうと決めつけて,バックグラウンドに採用すべき5000メートル地点における測定を杜撰にやっているのである。
(b) ガンマ線について
ガンマ線については,1500メートル以遠では,測定値が計算値より系統的に上にずれている。
まず,P16教授らの測定では,2.05キロメートルにおける測定結果はDS86の推定よりも2.2倍大きいとされている。また,DS86以降の測定でも1500メートル以遠では測定値は計算値よりずれている。DS02でも,「遠距離では測定値が計算値よりも高いことを示唆する若干の例がある」とされている。
(c) 熱中性子について
① 全体にずれていることを説明できない
熱中性子については,コバルト60もユーロピウム152も,遠距離では測定値が系統的に実測値を上回っている。P17は,測定値が実測値を上回っていることについて説得力をもって説明できなかった。
② コバルト60について
平成10年のP13教授らの測定結果は明らかに遠距離では計算値よりも測定値が上にずれており,平成13年のP19教授らの測定結果も遠距離では測定値が計算値を上回っている。
③ ユーロピウム152
ユーロピウム152については,P17の言い方によると「非常に残念ですけれども,測定値が上側に固まっているということである」。露骨に被告ら寄りの態度を示すP17も実測値が推定値を上回ることを認めざるをえないのである。計算値が実測値で裏付けられていないのである。
さらに,広島において,P20教授らは平成3年,P13教授らは平成5年に測定を行っているが,コバルト60のデータに見られたような系統的なずれの存在を明らかにした。
P19教授らの測定結果も遠距離に行けば行くほど系統的に実測値が計算値を上回って行っている。1400メートルでは,実測値の誤差範囲を示す誤差棒さえ計算値からはずれて上部に出ているのである。
(カ) 現実に起きた現象とDS86,DS02との乖離
a はじめに
原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査が行われている。後障害に関する調査として放影研の疫学調査が存在するが,急性症状に関しても多数の調査が行われている。
そして,これら急性症状に関する調査の結果は,① 2キロメートル以遠のいわゆる遠距離被爆者といわれる被爆者にも急性症状が発症していること,② 入市被爆者にも急性症状が発症していることを明らかにしている。
急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことの一つの目安となるものであり(放射線を浴びたからといって絶対に急性症状を発症するものでもないが。),遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,これらの被爆者が多量の原爆放射線を浴びたことを裏付けている。
ところが,DS86及びDS86報告書では,初期放射線及び一部の残留放射線が考慮されているだけであり,これらの線量評価では,遠距離・入市被爆者に急性症状が生じたという現実を説明することはできない。
そこで,遠距離被爆者及び入市被爆者に急性症状が発症している事例について検討を加え,DS86における初期放射線推定の誤り,及び,DS86報告書における残留放射線の評価の不当性について明らかにする。
b 遠距離被爆者の放射線影響
(a) 日米合同調査団
1998年(平成10年)6月7日に開催された原爆後障害研究会で報告したP21長崎大学医学部助教授は,日米合同調査団の記録を調査した結果を報告した。典型的な急性症状である脱毛は,2.1ないし2.5キロメートルで7.2パーセント,2.6ないし3キロメートルで2.1パーセント,3.1ないし4キロメートルで1.3パーセント,4.1ないし5キロメートルでも0.4パーセント,紫斑は2.1ないし2.5キロメートルで3.9パーセント,4.1ないし5キロメートルでも0.4パーセントの発症が見られる。
(b) 東京帝国大学医学部の調査
東京帝国大学医学部の調査は,広島における3キロメートル以内の被爆者4406名を(男2063名,女2343名)を対象にしたものであるが,2.1ないし2.5キロメートルで男性5.7パーセント,女性7.2パーセント,2.6ないし3キロメートルで男性0.9パーセント,女性2.4パーセントの発症が見られている。
(c) P6医師の論文
P6医師が広島で急性症状の発症率を調査した「原爆残留放射能障碍の統計的観察」は,距離毎の有症率だけでなく,被爆時に屋内にいたか屋外にいたかの別,被爆後に中心部に出入りしたかの有無により区分されており,非常に有益な情報を与えてくれる。
「原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合」は,熱線や爆風の影響が小さく,また,残留放射線の影響も小さいといえる。したがって,初期放射線の影響を比較的よく表しているといえる。この場合でも,2キロメートルで30パーセントの急性症状有症率があり,3キロメートル以遠においても多くの急性症状が発症している。
また,屋内・屋外の別,中心部に出入りの有無によって分類した,距離別有症率をグラフにしたものが甲A36・図15である。遠距離まで急性症状が発症していることが一目瞭然である。
中心地出入りなしの2キロメートル以遠で,屋外被爆者が屋内被爆者に比較して顕著に有症率が増加している。屋内被爆と屋外被爆とでは,遮蔽状況の違いがあり,遮蔽が無い屋外被爆者に有症率が高いということは,初期放射線が2キロメートル以遠の遠距離にまで到達していることを物語っている。
また,爆心地から1キロメートルの中心地に出入りした被爆者は,4キロメートル以遠においても20パーセント以上の有症率である。このことは,中心地への出入りにより強い放射線を浴びていることを裏付けており,中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きかったことを物語っている。
(d) 放射線影響研究所の調査
放射線影響研究所の調査でも,2キロメートルから3キロメートルでも3パーセントに,3キロメートル以遠でも1パーセントに脱毛が見られている。
(e) P22らによる2つの調査
P22らは,長崎の被爆者3000人を対象に急性症状の発症率の調査を行っている(甲A80)。これによると,2キロメートル以遠でも,嘔吐,発熱,脱毛などの急性症状があったものが,30パーセント以下ではあっても存在している。脱毛の発症頻度については,2.0から2.4キロメートルで6.1パーセントもある。
また,「被爆状況別の急性症状に関する研究」(甲A81)では,被爆距離が4キロメートル未満の1万2905人(男5316人,女7589人)を対象に,脱毛の発症頻度を調査を行い,この調査においても,2キロメートル以遠の遠距離において脱毛の発症が観察されている。しかも,遠距離においても遮蔽の有無により脱毛の発症率に差が出ており,やはり遠距離にも初期放射線が到達したことを物語っている。
(f) 「原子爆弾災害調査報告集」における剖検例
「原子爆弾災害調査報告書」には,2ないし3キロメートルで被爆して死亡した被爆者について報告されている。これらの被爆者には原爆症特有の所見がみられ,急性放射線障害による死亡したことが明らかである。これにより,2キロメートル以遠でも,死に値する程度の放射線が存在したことが裏付けられている。
(g) 低線量被曝による死亡率と発症率の増加
2.5キロメートル以遠における初期放射線量はT65Dでは9ラド未満と低線量であるが,この低線量被爆者群の各疾患について全国の死亡率と発症率を用いて標準化した相対リスクを求めると,以下のとおり明らかに過剰になっている(市内不在者グループの外部被曝線量はさらに低線量であるが,死亡率や発症率は増加している)。例えば,白血病の死亡率は約1.6倍となり,呼吸器がんの死亡率では1.4倍(市内不在者グループは1.3倍)乳がんの発症率でも1.5倍(市内不在者グループは1.6倍)となっている。
このようなことについてはDS86やDS02による外部線量評価だけでは説明できず,P17も合理的な説明をなしえなかった。
(h) 染色体異常
染色体異常について,屋外で被爆したグループと木造の家屋によって遮蔽されたグループ,コンクリートによって遮蔽されたグループ,2.4キロメートル以遠のグループを比較した研究がある。遮蔽の有無により染色体異常の発生頻度が変わり,被曝線量との関係が推認されるが,2.4キロメートル以遠のグループにおいてもコントロールの頻度よりかなり高いが,このようなこともDS86やDS02では説明ができない。
(i) P23訴訟最高裁判決の事例
最高裁判所平成▲▲年(行ツ)第▲▲号・同平成12年7月18日第三小法廷判決(集民198号529頁。以下「P23訴訟最高裁判決」という。)の原告は2.45キロメートルで被曝しているが脱毛や下痢といった急性症状を発症している。
また,P23訴訟最高裁判決では,長崎の遠距離被爆者の事例が指摘されている。「長崎市内の爆心地から約二・九キロメートルの,被上告人の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆したP23は,倒壊した工場の鉄骨製のはりの下敷きとなってせき椎を骨折したが,被爆直後から発熱が続き,しばらくして脱毛が起こり,被爆後一年間無月経であった。外傷部は,容易に治ゆせず,腐食して悪臭を発した。」,「長崎市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したP24は,被爆の約一箇月後に若干の脱毛があり,一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。」,「長崎市内の爆心地から約二・五キロメートルの地点で被爆したP25は,被爆直後から発熱し,約一箇月後に脱毛が認められ,約二箇月後に鼻血,おう吐,下痢があった。」
(j) まとめ
このように,DS86やDS02に基づけば初期放射線がほとんど到達していないとされる2キロメートル以遠においても様々な急性症状が出ていた。このことは動かし難い事実である。
そして,DS02の策定に関わったP17は,これらの急性症状の発症に対して合理的な説明をなしえなかった。この点に関し,P17はストレスの影響を指摘したが,例えば,日米合同調査団の調査によると2.1キロメートルから2.5キロメートルで遮蔽の有無により,脱毛の発症率は2.9パーセントと1.8パーセントというように異なっている。東京帝国大学の調査でも,2.1キロメートルから2.5キロメートルで脱毛は屋外で9.4パーセント,屋内で4.2パーセントと遮蔽の有無で異なっている。その他にも遮蔽の有無により発症が異なるという研究がある。遮蔽の有無によって,発症率が異なるのであるから,初期放射線被曝の影響がこのような遠距離まで及んでいたと考えざるを得ないにもかかわらず,P17はこれらの点について合理的説明をなしえなかったのである。なお,大規模空襲の被害者に脱毛等の急性症状様の症状が出たとの報告はない。したがって,遠距離被爆者の急性症状がストレスによる影響とは考え難い。
また,P17は熱の影響についても言及したが,熱線の影響が及ぶとは考えられない防空壕なりトンネルの中にいた人でも2.1キロメートルから2.5キロメートルで1.8パーセントに脱毛が見られており,P17はこの点に関し合理的な説明を行えていない。さらに,頭部脱毛の方向性に関する調査では700例のほとんどについて方向性がなく,このようなことは熱線の影響であるとはおよそ考えられない。
以上のとおり,2キロメートル以遠でも脱毛といった急性症状が発生していて,遮蔽の有無によって発症率も異なっているが,このような遠距離に放射線の影響が及ぶことについてDS86やDS02の初期放射線によって説明することはできない。
c 入市被爆者の放射線影響
(a) 暁部隊
被爆直後に入市した暁部隊の調査では,入市2日目頃から下痢患者が多数続出し,基地帰投直後に白血球3000以下になる者がほとんどに及び,復員後の倦怠感や白血球の減少過半数などの症状が出ている。
また,入市被爆者については白血病に罹患するものが非被爆者に比較して数倍に増加している。
(b) P6医師の論文
P6医師の調査でも屋内被爆者について爆心地から1キロメートル以内への出入りの有無の影響を比べたところ,脱毛や咽頭痛,皮粘膜出血などで,出入りした者の方が比率が増加している。
(c) 広島原爆戦災誌
広島原爆戦災誌編集室が昭和44年にとったアンケート調査(残留放射能による障害調査概要)では,入市被爆者の急性症状が明らかにされている(甲A87)。
アンケートの対象者は,原爆投下時に爆心地から12キロメートル及び約50キロメートルの地点にいた部隊の被爆者であり,いずれも初期放射線の影響は考えられず,純粋に残留放射線に被曝しているといえる。年齢は,主に当時18歳ないし21歳の健康な男子青年である。原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し,負傷者の収容,遺体の収容,火葬,道路,建物の清掃などの作業に従事した。回答者は233人である。
救援活動中の症状としては,8月8日ころから,下痢患者が多数続出し,食欲不振を訴えている。
また,救援終了後に基地に帰ってからは,軍医により,「ほとんど全員が白血球3000以下」と診断され,下痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状が少数ながらあったとされている。
そして,「復員後,経験した症状」は以下のようなものであった(233名回答)。
倦怠感 168人
白血球減少症 120人
脱毛 80人
嘔吐 55人
下痢 24人
これらの入市被爆者に生じた症状は,放射線の急性期障害と符合しており,入市被爆者がかなりの量の放射線を浴びたことが裏付けられている。
(d) まとめ
このような入市被爆者に生じた急性症状については残留放射線の影響を考慮せざるを得ず,P17も,DS02やDS86だけでやることは難しいと述べている。
DS86報告書は,残留放射線の推定も行っているが,残留放射線の影響を無視ないし極めて軽視している。DS86報告書では測定時期の制約から,長寿命のセシウム137しか検討されていない。
「黒い雨」や「黒いすす」や放射性微粒子がかなり広い地域に降下したことは明白な事実であり,これらの放射性降下物や爆心地付近の誘導放射能が,入市被爆者に放射線を浴びせたことは明らかである。特に残留放射線による内部被曝は重要で,爆発直後では短・中寿命放射性物質をも吸入・摂取した可能性は高い。そして,被爆者の当時の行動による個人差も大きい問題なので,DS86のように一律に無視できるといえるものではない。特に,空気中にただよったり,地表に付着して,その後風で拡散してしまった放射性物質は,DS86で考慮されたような測定では知ることができない。そして,これらの放射性物質は,体内に取り込まれ臓器の近くで長期間にわたって直接放射線をあびせるので,その与える影響は体外からの初期放射線よりも大であった可能性がある。
d 小括
以上のように,あらゆる調査において,遠距離・入市被爆者に放射線の影響による急性症状が発生しているのは疑いのない事実である。
しかし,上記のような遠距離被爆者や入市被爆者に生じた多数の急性症状につき,DS86・DS02による推定では説明がつかない。事実を説明できないDS02・DS86の初期放射線だけに基づく被曝線量評価は科学的に誤ったものと言わざるを得ない。
本来,原爆による放射線量を推定する基準であれば,現実に生じた結果から導かれるべきであり,少なくとも現実との乖離は許されない。然るに,DS86は,前記のように,既に生じた被爆者らの被爆実態を無視し,コンピューターによるシミュレーションから生み出されている。その結果,P23訴訟最高裁判決において,DS86やしきい値理論を形式的に適用することによっては遠距離被爆の実態を必ずしも十分に説明することができない旨指摘されたように,被爆実態を反映しない基準となっているのである。
(キ) 小結
以上検討したように,DS86の初期放射線線量評価には様々な問題点があり,原爆症認定制度における被曝線量評価体系として使用に耐えうるものではないことが明らかになった。最も大きな問題点は,初期放射線しか考慮していないこと(残留放射線を無視していること)である。P17も,放射線影響評価においては,線量評価と疫学データが二本立てで検討されなければならないとしている(乙A46の2)。この時点で,被告らの原爆症認定基準は否定されたといえる。
エ 原因確率の問題点
(ア) 原因確率の根拠
被爆者が,被爆者援護法上の特別手当を受けるためには,厚生労働大臣から,被爆者に生じた疾病が原爆の放射線に起因するとの認定を受けなければならず,厚生労働大臣がその判断をする際には,審議会(被爆者医療分科会)の意見を聴かなければならない(被爆者援護法11条2項)。厚生労働大臣において,個々の被爆者の起因性について判断する能力があるものとは考え難いことから,事実上,被爆者医療分科会における起因性判断が,厚生労働大臣による原爆症認定を左右しているといえる。
そして,被爆者医療分科会は,「審査の方針」を用いて起因性の判断を行っているが,この「審査の方針」の「原因確率」は,「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」に記載される寄与リスクの数値を転用している。そして,寄与リスクは,白血病,固形がんについては,放影研が公開している死亡率調査,発生率調査のデータを使っている。
(イ) 放影研の疫学調査の問題点
a 放影研の疫学調査の概要
放影研の行っているコホート研究である寿命調査(LSS)や成人健康調査(AHS)といった疫学調査は,死因調査であるLSSについては10万人以上,発症率調査であるAHSについても2万人に及ぶ調査集団を設定し,その後約50年にわたって継続して調査をしている。
b 線量評価の誤り
(a) DS86を用いていること
放影研の疫学調査は,DS86に基づいて被爆者の初期放射線量を推定している。すなわち,放影研の疫学調査はDS86により支えられているのである。
しかし,既に述べたとおり,DS86は現実との乖離が甚だしく,その正確性に問題があることから,初期放射線の推定線量として合理性を有するものではない。放影研の疫学調査は,まさに「砂上の楼閣」なのである。
(b) 残留放射線の無視
原爆の放射線には,DS86が推定している初期放射線の他に,残留放射線が存在する。このことは,既に述べた入市被爆者に多数の急性症状が現れていることからも裏付けられている。ところが,放影研の疫学調査に際しては,個々の被爆者の放射線被曝線量評価において初期放射線のみを考慮しており,残留放射線による被爆影響を全く無視している。
すなわち,残留放射線の影響を判定するためには,被爆者の被爆後の行動を把握することが絶対条件である。誘導放射線の影響の有無・程度を調べるには,被爆者が被爆後に市内中心部に出入りしたか否かを確認することが必要であるし,放射性降下物の影響の有無・程度を調べるには,最低限でも被爆後の行動を調査することが必要である(特定地域だけの影響を認めるべきでない)。
ところが,放影研が被爆者に記入を求めている調査表には,被爆時の爆心地からの距離を特定するために必要な情報を記入する欄はあるが,被爆後の行動を記入する欄が存在しない。したがって,放影研の疫学調査においては,被爆者への残留放射線の影響は完全に無視されている。この点については,P26弁護士らが放影研に対して行った照会に対する回答の中で,「LSS調査対象者について被爆後の行動で,被曝線量を考慮していますか。」との質問に対して,「考慮していません。」と記載されており,放影研自身が残留放射線を無視していることを自認している。
(c) 内部被曝の無視
① 被爆者の内部被曝の根拠(甲A37)
広島原爆ではウラン235,長崎原爆ではプルトニウム239が核分裂物質であったが,これらが中性子の作用で原子核分裂反応を起こした結果,放射能をもった多種多様な「核分裂生成物」ができた。これらの放射性核分裂生成物は俗に「死の灰」と呼ばれることもあるが,周辺に降下して地面に降り積もったり,呼吸や飲食等を通じて被爆者の体内に取り込まれたりした。これらの放射性核分裂生成物は,主としてベータ線やガンマ線等の電離放射線を放出し,直接の被爆者だけでなく,入市被爆者の被曝の原因になった。
さらに,広島原爆に仕込まれた約60キログラムと言われるウラン235のうち,実際に核分裂反応を起こしたものは700グラム程度で,59キログラム以上のウラン235は火球とともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられる。また,長崎原爆に仕込まれた約8キログラムのプルトニウム239のうち,実際に核分裂反応をおこしたものは1~1.1キログラムと評価されているので,残りの約7キログラムのプルトニウム239は,火球とともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられる。これらの未分裂の核分裂物質もまた呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれ,人々の内部被曝(体内被曝)の原因となったと考えられる。ウラン235やプルトニウム239は自らアルファ線を出すだけでなく,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,アルファ線,ガンマ線,ベータ線等を放出するので,体内に取り込まれて骨組織等に沈着すると,長期間にわたって被曝を与え続ける恐れがある。
② P27氏による残留放射線影響の推測
P27は,被爆者に現実に生じた急性症状から逆算する方法により,内部被曝を含む残留放射線全体の影響について推測している(甲A36・図17)。
すなわち,P6医師の急性症状に関する調査(甲A18)における,屋内で中心部に出入りをしていない被爆者についての急性症状の発症率と,「原爆放射線の人体影響1992」(乙A14)における急性症状の発症率から解析した被曝線量と急性症状の発症率から,被曝距離と放射線の影響の力との関係を解析している(甲A36・図17)。急性症状の発症率から,初期放射線に限定されない,残留放射線や内部被曝の影響を含めた放射線影響を評価したものである。
P27のように,事実に基づいた被曝線量の評価手法こそが,真に科学的なものであるといえる。
③ 小結
少なくとも,被爆者が内部被曝をしていないこと,ないし,被爆者がその影響を無視していいほどの内部被曝しかしていないことについては,何ら証明されていない。このような状況下において,被爆者に生じた現実の症状を見る限り,遠距離・入市被爆者が放射線の影響を受けていることは明らかである。この現実を合理的に説明するには内部被曝の影響を考えざるを得ない。したがって,被爆者が放射性物質を体内に取り込んで内部被曝していることは明らかであり,放影研がこれを無視していることは不当である。
c 疫学調査の手法の誤り
(a) 対照群設定の誤り
① コホート研究の手法
疫学調査のコホート研究においては,追跡を行う調査集団として,非曝露群を設定し,これを対照群(コントロール群)として,曝露集団(分析の目的とする要因に曝露された手段)との比較をする。この非曝露群の設定に際しては,性別,年齢層,住居,社会経済要因等の条件が曝露群と対応しており,分析の目的とする特定の要因に曝露されていない人たちを選別する必要がある。他の条件が対応するようにコントロール群を設定することをマッチングといい,マッチングさせる理由は,コホート研究において,ある要因の影響を特定するためには,他の条件が一致しており,当該要因に曝露されていない人たちを追跡していった結果,そこに現れる罹患・死亡を基礎として,当該要因に曝露されている程度に応じた用量-反応関係を分析する必要があるからである。
② 比較対照群設定の重要性
被爆者に対する疫学調査の設計を提案したフランシス委員会の勧告においては,「被曝線量の最も少ない群における放射線の影響は,非被爆者と比較せねば推定できない」として,非曝露群の設定及び非曝露群との比較が構想されていた。放影研(ABCC)自体も,非曝露集団を比較対照群(コントロール群)として比較を行わなければ,コホート研究とはいえないことを認識していたのである。
なお,遠距離被爆者である低線量被曝者を「非被爆者群」と強弁すれば,「比較対照群を設定していない」という批判は免れることができる。しかし同時に,わずかでも被曝している者を非曝露群として扱っていることで,リスクを過小評価しているという批判は免れなかった。
放影研の疫学調査において,最近まで0.01シーベルトを対照群として設定していた。ところが,LSS第12報では,突如,対照群が0.005シーベルトへと変更された。このこと自体,放影研において,対照群として被曝線量が0.01シーベルト以下の者を設定することの不合理性を認めていることの表れである。被曝線量が0.01シーベルト以下の低線量であっても,放射線の人体に与える影響が無視できないものであることを,放影研自身が認めているといえる。
ただし,既に述べたとおり,放影研が被曝線量の基礎としてDS86を用いていること自体が誤りである。初期放射線だけをみても,遠距離被爆者の被曝線量は過小評価されている上,残留放射線による外部被曝や内部被曝の影響を考えあわせれば,遠距離において放影研により0.01シーベルトないし0.005シーベルトという線量を浴びたと設定されている被爆者は,実際には遙かに高線量を被曝していることは明らかになる。
③ 放影研による調査手法
原因確率算出の基礎となったLSS第12報等によれば,放影研では,リスクの分析において,対照群を設定していない。放影研は,相対リスクや,これを基礎とする指標を算出する上で基準となる非曝露群の死亡率や罹患率について,実際に調査したデータを使う代わりに,ポアソン回帰分析によって,対象群をとらない内部比較法によるリスク推定を行っている。
回帰分析について概念的に説明すると,被曝線量ごとに調査した結果,それぞれのグループごとにがん発症率が導かれる。そこから,被曝線量とがん発生率との関係式を推定するというものである。適当な対照群が設定できない場合に,もし曝露群での線量-反応関係が正しく捉えられており,観察された線量の範囲外についても,観察範囲内の線量と反応の関係が適用できると考えられるならば,曝露群のデータにもとづいた線量-反応関係を,観察線量の範囲外に適用(外挿)して,回帰分析などによって非曝露群での罹患率等を推定することも,あり得る手法ではある。
しかし,かかる手法を用いるためには,線量-反応関係が正しく把握されていること,集団の線量が正確に把握されていること,という2つがそろっていることが絶対条件である。
④ 回帰分析の不正確さ
線量-反応関係が正しく把握されていなければならない点に関しては,放影研においては直線仮説が用いられている。しかし,低線量被曝において人体影響が大きいとの報告も存在することからすれば,直線仮説が科学的に完全に証明されたとはいえない状況にある。
また,集団の線量が正確に把握されていなければならない点に関しては,放影研はDS86を線量評価に用いており,これまで述べてきたとおりDS86は被爆者の線量評価としては誤っていると言わざるを得ないのであるから,回帰分析の手法を用いることは誤りである。
この点,線量評価の誤りがあると,回帰分析の手法を用いた際に,バックグラウンドリスクの誤りへとつながり,最終的には原因確率(寄与リスク)の誤りになるのである。非被爆者を比較対照群として設定すれば,バックグラウンドリスクが変わってしまう可能性は少なくなる。しかし,放影研は,非被爆者を比較対照群として設定することを放棄し,被爆者同士を比較する「内部比較法」を用いた。そして,DS86と内部比較法を組み合わせることにより,バックグラウンドリスクを推定した。しかし,被爆者の線量評価に誤りがあれば,直ちにバックグラウンドリスクが変わってしまうのである。そして,DS86による線量評価が誤っていることはこれまで述べたとおりである。
「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」の主任研究者であるP8氏は,本件集団訴訟のために意見書を作成しているが(乙A57),この意見書の中でも,「DS86が誤っていたらどうなるのか」という点については何ら反論がなされていない。
以上から,被告らが科学的に正当であると主張するポワソン回帰分析を用いた内部比較法が,誤った結論を導くものであることは明らかである。
⑤ 「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」における「非被爆者」の位置づけ
「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」においては,0.01シーベルト以上の原爆放射線を被曝したと推定される被爆者を「被曝」として扱い,それ未満の被爆者を「非被曝」として扱っている(乙A7・6頁表1参照)。
原因確率の直接の根拠となっている「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」が,DS86により0.01シーベルト未満の被曝線量と推定されている被爆者を,非被爆者として取り扱っているのではないかと推測される。少なくとも,0.01シーベルト未満の被爆者を「非被爆者」と呼んでいること自体から,「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」がこれらの被爆者を非被爆者と同視していることは明らかである。
(b) 死亡率調査を基本としていること
放射線起因性の判断においては,現に生きて苦しんでいる被爆者の疾病が,原爆放射線の影響によるものであるかが問題となる。
ところが,放影研の疫学調査及び「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」では,死亡調査を解析の基礎としている。
このため,死亡に直結しない疾病が見落とされることになる。放影研は,法務省の認容を得て3年毎に被爆者の戸籍又は除籍の謄・抄本を取得しており,これにより被爆者の死亡の事実を把握している。そして,被爆者の死亡が把握された場合には,保健所に対して,死亡小票から死亡調査票への記入を依頼して死因についての情報を入手している。このため,死亡の直接の原因となった疾病だけが抽出されることになる。例えば,がんに罹患した被爆者が交通事故でなくなれば,死因は単なる事故死となってしまうのである。
調査対象の観察期間についても,発症までの期間を用いず,死亡までの期間を用いている疑いがある。仮に,死亡までの期間を用いれば,発症までを用いるよりも,がん発生に関する放射線の影響が過小評価されることになることは明らかである。
(c) 調査開始までの被爆者の死亡が無視しされている
① 放射線感受性の低い被爆者が選択された
昭和20年12月までに死亡した被爆者数は約11.4万人とされている(調査によってかなりの幅がある。)。全被爆者の3分の1程度は死亡したことになる。すなわち,調査開始時点である昭和25年(ないし昭和33年)までの間に,放射線感受性の高い被爆者は死亡しているのである。当時生き残って調査対象となった被爆者は,もともと放射線の影響を受けにくい(放射線感受性が低い)被爆者に偏っていた可能性がある。
このように放射線感受性が高い被爆者を調査対象とした場合には,平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放射線の影響が表面化しにくいことは明らかである。
② 観察期間との関係
放影研の寿命調査集団については,昭和25年までの死亡者,また,成人健康調査集団については,昭和33年までに死亡した被爆者の調査は行われていない。すなわち,昭和20年8月から調査が開始されるまでの5年間(寿命調査),あるいは13年間(成人健康調査)の間に放射線障害をはじめとする被曝に起因するなにがしかの原因により死亡してしまった数十万人もの被爆者は,調査の対象になっていない。このように,ABCCによる調査は,いわゆる「生き残り集団」しか対照とされていないという,大きな欠陥を持っている。
放射線被曝から,がんの発症にいたるまでの期間を「潜伏期間」といい,数年から,十数年,場合によっては数十年に及ぶことになる。一般に疫学調査の観察開始時点が最短潜伏期間よりも後に設定されると,感受性に高い人たちをはじめ,早期に発症した人たちへの影響を見落とすことになる。疾病によっても,がんの部位によっても潜伏期間は異なるが,潜伏期の短いものの評価については,観察開始の遅れを考慮する必要がある。逆に,観察開始時点が早すぎても,影響が発現しない時期を観察期間に繰り入れてしまうことになる。このように,昭和25年あるいは昭和33年までに死亡した人を除くことによって,放射線の影響を過小評価している可能性が十分にある。
さらに,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存しているコホートが存在する間は,観察し続ける必要がある。現在得られている観察途中でのデータには,当然,今後発症するケースは把握されていない。被爆者全員が亡くなった時点で初めて,疫学調査として完成するのである。
d 小結
以上みたように,放影研の疫学調査には,個々の被爆者の被曝線量評価に誤りがあり,さらに疫学調査の手法自体にも多くの問題点を抱えている。
このような疫学調査をもとにして,被爆者の疾病に原爆放射線がどれだけ寄与しているかを示す原因確率という指標を正確に導くことは不可能である。
もとより,原告らとしても,放影研の疫学調査の全てを否定するわけではない。放影研の調査は,調査対象者が他に類をみないほど多く,また,調査自体も詳細なものではある。したがって,人類の貴重な財産として,放射線の人体影響を検討する上で十分に尊重されるべきものではある。しかし,上記のような調査としての限界があることは忘れてはならない。
被告らは,あたかも放影研の疫学調査が完全なものであるかのように主張しているが,放射線影響の全体の傾向を知るための一つの資料として用いることができる程度のものである。
(ウ) 疫学調査結果を原爆症認定基準に用いることの問題点
a 個人における疫学的要因の意味
疫学は,集団における疾病や死亡の発生状況など健康事象の観察を通して,その集団における健康事象の発生要因を究明する。ある共通要因をもつ集団で,その要因がある疾病発生の原因である(関連がある,因果関係がある)と分かった場合は,その集団に属する全ての個人がその疾病にかかる危険性にさらされ,またはすでにかかった経験を有することを表す。さらには,その集団内のその疾病にかかったすべての人はその要因が原因でかかった可能性があるということも表す。
したがって,その疾病に罹った者のうち,当該要因が原因でない(発生に関与していない)個人を特定することはできない。すなわち,疾病との因果関係が推定された要因を共通に有する集団に属する限り,特定の個人について,その要因が疾病の原因である可能性を肯定できても,その要因が発生に関与していないとして関連を否定することはできないのである。このことは,その集団の寄与リスクや相対リスクの大きさに関わりなくいえる。
b 寄与リスクの大きさを個人の起因性否定の基準にすることの誤り
被爆者(曝露群)は,全員が放射線の曝露を受けており,その影響を発現する危険(リスク)を付加されている。集団についてのリスクがいくら小さくても,罹患した者や死亡した者だけが付加されたリスクを負ったのではなく,その集団のすべての個人の罹患や死亡のリスクが高まったと考えるべきである。
寄与リスクとは,曝露群「全体」が受けたリスクの大きさを,曝露群の罹患率等のうち,当該要因の曝露がなかったら影響が発現(発症や死亡)しなかったであろう部分の大きさとして表現されたものである。しかし,曝露群に属するどの個人がどの部分(曝露を受けなければ発現しなかったか,あるいは,曝露を受けなくても発現したか)に属するかは特定できない。このことも,寄与リスクの大きさに関係なくいえることである。
したがって,原爆症認定にあたり,寄与リスクが小さいからといって,その要因はその群に属するある個人の発症原因を構成していない(あるいは無視できる)とし,寄与リスクの小さい群について全員の放射線起因性を否定するのは誤りである。
c 「原因確率」概念についての疑問
疾病の発症に関わる要因は多数あり,お互いに関連しながら,相乗あるいは相加,時には相殺効果を示しながら,多くの要因が総体として疾病の発症に作用している(疾病の多要因性)。ある個人が新たな要因に曝露されたとき,以前から持っていた要因(群)との間に新たな関係がつくられ,新たな要因群が形成され,疾病の発症に関与することになる。新たに負荷された要因が,以前からあった要因とは関係なく,独自にその個体の発症に関わって発症するかしないかを決めるというわけではない。
これに対し,審査の方針に用いられている「原因確率」とは,「個人に発生したがんについて,着目している個々の要因がその個人のがんの発生としてどの程度関係しているかについての寄与率を表すもの」,すなわち,ある要因が他の要因とは独立して,個々人の疾病(がん)の発症に作用し,当該疾病を発症させた確率とされている。しかし,疾病の多要因性に鑑みれば,このような「原因確率」という概念それ自体に疑問を持たざるを得ない。
d 統計学的有意性,信頼区間の扱いに関する疑問
審査の方針では,「統計上有意とはいえない」あるいは「信頼区間が広い」というだけで,疫学研究でその疾病について観察された寄与リスクよりも低い値が原因確率として割り当てられている。
しかし,有意性検定における危険率や区間推定する場合の信頼係数の大きさは,統計学によって論理的に決定されるものではない。要因と影響の関連性を厳密に追求しようとする疫学的研究では危険率を厳しく設定して「有意な差が認められなかった」との慎重な結論をしたとしても,それは,他の目的・分野での判断を拘束するものではなく,それぞれの判断基準はあっていいはずである。なお,「有意差が認められない」という意味は,差があることを否定したものではなく,差があることの判断を保留したものである(甲A88)。
この意味でも,「原因確率」を起因性判断の決め手とすることには大きな疑問がある。
e 疫学調査結果を個人にあてはめる問題点
被爆者には,放射線感受性の強い者もいれば弱い者もいる。疫学調査という集団のデータを解析した結果を,個々の被爆者にあてはめることは,このような個体差を無視することになる。
実際,原因確率を作成したP8氏は,次のように述べている。
「集団のデータを基にしているため,個人個人にあてはめるのはどうかという議論は当然ある。例えば,認定申請した被爆者個々の遺伝子を解析するという方法は考えられるだろう。しかし,病気の発生との関連は未解明の部分が多すぎ,残念ながら現段階では利用できない。」,「どこで(認定するかしないかの)線を引くか,疫学調査の私達は言える立場にない。われわれがつくった寄与リスク自体の妥当性も含め,判断するのは厚生労働省であり,認定の審査会(分科会)だ。当然,個人差もあり,DS86の推定線量自体も個人にあてはめれば誤差はあるだろう。寄与リスクは判断の目安。学問的には確立されているが,ある意味の不確かさも踏まえ,社会的な要素なども考慮しながら運用してほしい。」
f 認定審査の運用
ところが,被爆者医療分科会における起因性の判断の運用は,ほとんどを原因確率に依拠している。
この点被告らは,原因確率が50パーセントを超える場合は,放射線起因性があると推定し,原因確率がおおむね10パーセント未満である場合には,放射線起因性の可能性が低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,更に当該申請者にかかる既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものと繰り返し主張している。
しかし,実際の運用は異なり,原因確率が10パーセント未満の場合には原則的に却下され,10パーセント以上の場合は大体のところはまず認定されているのである。平成17年3月14日開催の「疾病・障害認定審査会第3回議事録」より,事務局P28の発言を以下に引用する(甲A91)。
「概ね10パーセント未満である場合には当該可能性が低いものと推定しまして,10パーセント未満の場合は原則的には却下という考え方で審議はされているところです。ただ,しかしながら先程申し上げました通り,一方で,50パーセント以上の場合に,いわゆる高度の蓋然性があるという考え方でございますので,原因確率が10パーセントから50パーセントの場合にどのような推定をしていくかというのが,この3)の「機械的に適用するものではなく」という考え方に当たるところでございまして,原則的には10パーセント以上である場合には,既往歴,あるいは環境因子などを総合的に勘案して,大体のところはまず認定という答申をいただいているところでございます。」
原因確率が10パーセントないし50パーセントの場合には,「機械的に適用するものではな」いが,10パーセント未満の場合は,原因確率を機械的に適用して原則的に却下との結論を導いているのである。あたかも,原因確率10パーセント未満でも総合的に判断するかのような被告らの主張は欺瞞である。
作成者であるP8氏自身が,判断の目安としかならないと指摘した原因確率を,厚生労働省は,被爆者を切り捨てる「基準」として用いているのである。
g 小結
ある集団の寄与リスクの大小それだけでは,その集団に属する特定個人の発症原因を特定できないのであるから,寄与リスク(原因確率)の大きさを個人の起因性を「否定」するための判断基準に用いることは誤っているというほかない。
そもそも,既に述べたように放影研の疫学調査結果には大きな問題があり,個人の起因性の判断にあたってこれを参考にすることは許されても,これを唯一の基準とするべきではない。臨床医学や放射線生物学などをはじめとする幅広い分野の学問研究の成果と視点を取り入れて,被爆者に生じた現実の症状を検討していくことが必要なのである。
(4) あるべき認定基準
ア 放射線起因性についての考え方
(ア) 基本となる考え方
これまでの裁判例が示しているように,原爆症認定制度において,「放射線起因性」の判断は,原因確率論やしきい値論に基づくものであってはならないことは明白である。
P23訴訟最高裁判決は,「放射線起因性」について,「被爆者の被爆状況,被爆後の状況,病歴,病態等を総合的に判断すべきである」と結論づけているが,その具体的内容は,東京高等裁判所平成▲▲年(行コ)第▲▲▲号同17年3月29日判決(以下「東訴訟控訴審判決」という。)の以下のような考え方が,基本的考え方として妥当であり,本件においても当然採用されるべきである。
a 放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明されているとはいい難い段階にあり,また,原子爆弾被爆者の被曝放射線量についても,その評価は推定により行うほかないのであって,放射線起因性の検討,判断の基礎となる科学的知見や経験則は,いまだ限られたものにとどまっている状況にあるといわざるを得ない。
b 原爆放射線による後障害の場合には,個々の症例を観察する限り,放射線に特異な症状を呈しているわけではなく,その症状自体をもって放射線起因性を見極めることは不可能である。
c 一定の被曝集団について観察した場合に,ある特定の疾病がその集団において発生する頻度が高いことがあり,そのような疾病については,放射線に起因している可能性が強いと判断されるところ,放射線後障害については,このような統計的解析によってその存在が初めて明らかされるという特徴が認められる。
d 原告の疾病が放射線起因性を有するか否かを判断するに当たっては,原告が原爆放射線を被曝したことによって上記疾病が発生するに至った医学的,病理学的機序の証明の有無を直接検討するのではなく,放射線被曝による人体への影響に関する統計的,疫学的な知見を踏まえつつ,原告の被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,原告の具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討することが相当である。
e 病理学,臨床医学,放射線学等の観点から個別的因果関係の有無を判断することには一定の限界があるというべきであり,その点に関する立証を厳密に要求することは不可能を強いることにもなりかねない。
また,放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明されているとはいい難い段階にあり,放射線起因性の検討,判断の起訴となる科学的知見や経験則は,いまだ限られたものにとどまっている状況にあること,さらに,人間の身体に疾病が生じた場合,その発症に至る過程には多くの要因が複合的に関連していることが通常であり,特定の要因から当該疾病の発症に至った機序を立証することにはおのずから困難が伴うものであることなどを総合的に考慮しなければならない。
f 大量の初期放射線の被曝,誘導放射線の被曝,残留放射線により放射化した塵や煤等や放射性降下物等が含まれた可能性のある水を摂取したことによる内部被曝の影響については,放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明されているとはいい難い段階にあり,放射線起因性の検討,判断の基礎となる科学的知見や経験則は,未だ限られたものにとどまっている状況にあることも十分考慮されなければならない。
(イ) 原爆投下の国際法違反性と核兵器廃絶の決意
アメリカによる広島・長崎両市に対する原爆投下が国際法違反であること及び被爆者援護法の前文の趣旨を踏まえれば,違法かつ残虐な行為による被害の把握に関して,核兵器の影響を過小評価するのではなく,可能な限り広い範囲で放射線起因性を認定することが,唯一の被爆国としてのありようであり,被爆者援護法の正しい解釈のあり方である。
(ウ) 国家補償的配慮の存在
原爆被害については,広い意味での国家補償的配慮が制度の根底にある。被告厚生労働大臣は,原爆被害を過小評価するような運用を行っているが,広い意味の国家補償であることからすれば,放射線による被害についても,できる限り戦争被害補償としての実を上げるような解釈をとるべきであり,その意味からも,原告らの立証責任は軽減されるべきである。
(エ) 公平の理念に基づく立証責任の軽減
原爆投下により,広島・長崎の地域社会は崩壊ないし消滅し,公務所も破壊され,被爆について証人となってくれるはずの家族や職場の同僚も失われ,被爆者にとっては,自己の被爆自体を証明すること自体困難である。
まして,爆心地近くに救援活動のために入った入市被爆者の場合,もともと広島・長崎地域に知り合いもなく,爆心地近くにはまともに生存している者もなく,単独で入市した者はもちろん,救援部隊として集団で入った者も,徐々に死に絶え,あるいは散り散りになってしまっている。
その上,GHQによる原爆被害の隠蔽があり,追い打ちをかけるように被爆者には被爆による体調不良がある中で,証拠収集の途は閉ざされていたに等しい。
さらに,今回の訴訟の中で,放射性の影響に関する科学的調査や疫学的調査等の重要証拠については,ABCCと放影研,ひいては厚生労働省が全てのデータを独占している状態と言ってよい。
このような一種の証明妨害としての原爆被害の隠蔽と放置,そして証拠の偏在という状況を見るとき,原告ら被爆者による放射線起因性の立証責任は当然軽減されるべきであるし,被爆者援護法もそれを予定しているというべきである。
(オ) 科学的知見がない場合の経験則
被告らは,原因確率論が放射線起因性判断における科学的知見とし,これに機械的に原告らをあてはめ起因性を判断しようとしている。しかし,原因確率論及びその基礎となるDS86,DS02は疾病の発生,死亡あるいは急性症状の発症と放射線量推計との関係を十分説明できないものであり,放射線起因性判断上の科学的知見とは考えられない。しかしながら,現在の科学水準では,どのような被曝をした者がどのような原爆症を発症するのかを推測しうる確固とした科学的知見は存在しないといわざるをえない。
放射線を被曝することにより,様々な人体の異変が起こり,様々な疾病に罹患することは,経験則上認められる。また,近距離での直爆だけでなく,遠距離,入市等による,間接被曝,内部被曝により急性症状等,身体に異変が起こることも経験則上認められる。このような経験則からして,被爆者原告らが広島・長崎において被爆したこと(原因)と,原告らが疾病に罹患したこと(結果)が存在すれば,その疾病が放射線被曝を原因としないという特段の事情がない限り,原因と結果との間の因果関係(起因性)が認められるべきである。
(カ) 医師団統一意見書の内容とその意味
a はじめに
原爆症認定のあり方については,2004年(平成16年)10月14日付「原爆症認定に関する医師団意見書」が,P5医師外10名の医師により作成され,当裁判所に証拠として提出されている(甲A47)。上記意見書は,被爆者と直接向き合いながら,被爆者が直面している健康上の問題や医療的な問題の解決を求めて日々診療を行っている医師集団が作成したもので,被爆者の実態から出発し,それを踏まえた内容となっている。
b 「治療指針」の有効性
同意見書は,放射線被爆による晩発性障害について触れたうえで,被爆後13年目の1958年(昭和33年)8月13日に出された「治療指針」の有効性を強調しているが,この「治療指針」には,以下のとおり記載されている点が注目される。
「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防については特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者のうけた放射線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当たっては,特に次の諸点について考慮する必要がある。
イ 被爆距離 この場合,被爆地は爆心地からおおむね2キロメートル以内のときは高度の,2キロメートルから4キロメートルまでのときは中等度の,4キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。
ロ 被爆後の急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発熱,粘膜出血,その他の症状を把握することにより,その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある」
c 被爆者の疾患の特徴
同意見書は,被爆者の疾患の特徴について,① 被爆者には単一がんのみならず多重がんが発生する可能性が高いこと,② 前立腺がんの発生率が被爆者に高い可能性があること,③ がん以外の疾患でも,死亡と罹患率が最近増加傾向にあること,④ 良性の甲状腺疾患についても,放射線起因性が強く示唆されていること,⑤ 慢性肝炎および肝硬変についても,放射線起因性が強く示唆されていること,⑥ 白内障についても,有意な線量反応関係が認められ,これまで確定的影響の下にあると考えられていた放射線白内障が,確率的影響の下にあることが示唆されていること,⑦ 熱傷・外傷後障害と原爆放射線の関係,さらに,⑧ 要医療性の判断にあたっては,主治医の意見が十分尊重されるべきであること,被爆者に異時多重がんが多く見られることからすれば,十分な追跡期間が必要であることなど,被爆者の診察に直接あたった臨床医師としての重要な指摘がなされている。
d 意見書の結論
同意見書は,原爆症認定のあり方について,次のように結論づけており,それは本件訴訟においても,十分の斟酌されるべきである。
すなわち,① 原爆放射線による被曝またはその身体への影響が推定できることとの要件が認められ,② 原爆被爆後に生じた白血病などの造血器腫瘍,多発性骨髄腫,骨髄異形成症候群,固形がんなどの悪性腫瘍,中枢神経腫瘍のいずれかに罹患していること,又は,③ 原爆放射線の後影響が否定できず,治療を要する健康障害が認められることとの要件に該当する場合において,現に医療を要する状態にある場合には,原爆症と認定されるべきである。
(キ) P4医師の意見書の要旨
a はじめに
P4医師の意見書(甲A92)は,以下のような原爆症認定に際して取られるべき医学的見解を示しており,そのまま本件に当てはめることができる。
b 原爆被爆における急性症状
急性症状の出現,その内容,急性症状の影響あるいは後遺としての病弱,全身的調節障害,労働の困難,現在の体調への影響,放射線被曝の後影響があること,急性症状が被爆当時に限定された一過性の事象ではないこと。
c 被爆者の発がんについて
被爆者の発がんが,当初から知られていた非固形がん(白血病)にとどまらず,1960年代に至りいっそうの時間経過につれて固形がんの増加が顕著となり,原爆被爆が人体全臓器に対する放射線被曝であったことをあらためて知らしめた。
(a) 被爆時年齢
被爆時年齢が低いほど発がんリスクが高くなる傾向が明らかとなっている。
(b) 多臓器における発がん
放射線は細胞分裂が旺盛な組織において,もっとも染色体異常を生じやすいとの放射線生物学の理解は,被爆者の医学的・疫学的調査はそれを人間のレベル,集団のレベルで立証してきた。放影研の調査によっても,ほぼすべてのがんにおいて,時期を経るに従って(正の)相関関係が確認されてきており,男性では肺ガン,胃がん,肝がん,大腸がん,女性では大腸がん,胃がん,肺がん,肝がんなど,非被爆者と比較して有意に高い発生率を持つことが示された。
(c) 被曝と白血病
白血病は被爆後障害の代表となっているが,白血病の内でも骨髄球性白血病が被爆者白血病の特性と見られた。現在では被爆者においてMDS(骨髄異形成症候群)のリスクが高いことが確認されている。被爆者MDSは被爆時年齢が若年であるほど,そして70歳台を発症のピークにしていることが明らかになっている。
(d) 多重がん
被爆者においては,原爆放射線誘発・発がんが多臓器にわたって高リスクであることが明確となってきており,また発がんには一般に加齢(高齢化)が影響していることから,高齢化する被爆者においても,多重がんの高リスク発生が予想されてきた。
d 非がん性疾患について
非がん性疾患についても,被曝との関連が指摘されてきている。
(a) 動脈硬化性心疾患(心筋梗塞)
「成人健康調査(AHS)第8報」(甲A47・文献31)は被爆時年齢40歳未満の群で,心筋梗塞と被曝との有意の関係を指摘した。
(b) 慢性肝疾患
放射線を負荷された被爆者肝組織は,C型肝炎ウィルスの関与のもとで,慢性肝炎の発症と進行を早めていると考えられている。つまり被曝とC型肝炎ウィルスとの共同成因である。しかし現時点ではそのことを一点の疑義もない自然科学的証明が可能になっているわけでもない。
一般的にがんおよび非がん性疾患において,同一病名の疾患については,病理学的にも臨床経過上も,被曝,非被曝の区別は一般にはできない。疾患の診断は被爆者も非被爆者ももともと共通の診断基準に基づいて行われるものであり,放射線起因性は,疫学の助けをかりつつ,原告の疾病発症の経過を踏まえて判断されるべきものなのである。ところが,被曝線量と疾患との線量反応関係を前提とする場合,厳密な定量化が困難な臨床的特性は,被曝との疫学的関連性が明確となりづらい。そのような事情をふまえれば,一般的に放射線起因性の判断は「全体的・総合的」考慮とならざるを得ず(東訴訟控訴審判決参照),疫学的検討もまた,それらをサポートする手段として援用されるべきものである。
e 残留放射線被曝について
残留放射線は,直接被爆者においても,入市被爆者においても重要な障害をもたらした。P6医師の論文に詳細な報告があるが,2004年に日本被団協の調査結果をP4医師自身が解析した「入市被爆者の脱毛について―日本原水爆被爆者団体協議会アンケート調査結果から―」(甲A77)の論文がある。
この論文は,2004年に日本被団協が実施した広島被爆者889名のアンケート調査結果をP4医師が解析したものである。
考察によると,次のようなことが明らかにされる。
(a) 入市被爆者における脱毛
被爆当日や翌日の入市者において脱毛の症状は珍しくないこと,それ以後の入市日で脱毛事例数が減少していることは,残留放射線の経時的減衰の反映である。次に爆心地付近の残留放射線被曝量が増大することにより,被爆後11日から15日であって一定減衰が進んだ時点でも市内移動が数日にわたり繰り返される場合,放射線被害が出現し得ることが示唆される。第3に爆心地から1.8キロメートル離れた地点でも脱毛者が認められ,これらのことから,被爆後一定期間過ぎた後も,広島市内(約2キロメートル)一円は脱毛をもたらすような放射線汚染が継続していたと考えられる。
(b) 低線量被曝と脱毛
従来考えられてきた脱毛発生の「しきい値」線量を絶対として。遠距離・入市被爆者の脱毛については被曝と関係がないと否定することは困難である。
(c) 残留放射線
① 誘導放射線
残留放射線には,原爆炸裂後降下した核分裂生成物(フォールアウト)等の放射性降下物と原爆初期放射線の中性子線によって二次的に誘導発生した放射線(誘導放射線)がある。
② 土壌中の誘導放射線
原爆初期放射線の中性子線によって,土壌中の金属は誘導放射化し,ガンマー線やベータ線やアルファ線が放出される。口や鼻や傷口から体内へ放射性物質が入った場合や皮膚に付着した場合は,ベータ線,アルファ線が周辺の組織に放射線被曝を生じさせることになる。
入市者にとっては,地上1メートルで計測されるガンマ線だけが放射線被曝として限定されているわけではない。加えて,瓦礫から落剥・飛散した微小な片々,浮遊した土壌からの塵埃等は放射性物質として入市者の身体につき,また塵埃がミクロンレベルのサイズであったならば,呼気とともに気道深くに取り込まれることも,通常の理解として想定することができる。
③ 人体の誘導放射線
原爆初期放射線中の中性子線によって,人体もまた誘導放射化される。被爆直後,重度障害で横たわる被爆者はまさに高線量被曝者であり,また被爆直後早期に死亡した被爆死遺体は,まさに高線量被曝の遺体である。看護に関わった入市者たちは,放射化した瀕死の被爆者の,血液,尿,またはそれの付着した衣類にごく自然に触れたであろうことも,通常の理解として想定することができる。また多数の被爆死遺体の火葬,埋葬に従事した入市者も同様の理由で被曝をうけたであろうことも,想定できるのである。
(d) 早期入市者の白血病
P6医師の論文(甲A18)は,広島原爆後,残留放射線が約1ヶ月,入市被爆者に影響を与えたことを明らかにしている。探索・救援・看護のために入市した人たちに放射線被爆が生じたのであり,晩発的影響についても留意せざるを得ないのである。早期入市者の白血病が原爆放射線関連白血病として,慢性骨髄性白血病の発生が高率に見られることは早くから報告されている。早期入市者に染色体異常が見られ,爆心地との距離,入市日時との相関関係があり,入市被爆による残留放射線被曝の積算線量が多いほど染色体異常をもたらし,その異常が今日まで持続していることを示す報告(P29・P30報告)があり,残留放射線の障害性を否定できない。
(e) 結論
結論として,脱毛を呈した入市被爆者29名についての検討は,8月半ば以降においても,広島市内一円は残留放射線の汚染環境であったと言える。
(ク) P5医師の証言の要旨
a はじめに
P5医師の証人尋問における証言(甲A62,甲A63,甲A68)は,以下のような項目について,原爆症認定に際して考慮されるべき医学的見解を示しており,これはそのまま本件にも妥当する。
b ビキニ等の調査
1954年3月,アメリカのビキニ環礁での水爆実験で死の灰を浴びて被曝したマグロ漁船第五福竜丸の乗組員には肝臓障害が目立つこと,マーシャル諸島でも島民は放射性降下物である死の灰を被り,そういう人には甲状腺機能障害が目立つこと,実験後も残留放射線のある島々で暮らした女性の健康高障害,出産異常,その他高血圧,糖尿病,がんなどを調査してきた。
セミパラチンスクでも同様に,放射性降下物,残留放射線の後障害を調査し,日本の被爆者に見られるぶらぶら病と同じ症状を訴える住民が多いこと,がん発生率の高さ,子どもの貧血などが注目された。
これらの事実を証人は,広島・長崎の被爆において,いわゆる遠距離被爆者と言われる人びとの健康状態と大変似かよっていると述べた。
c 原爆症の特徴
原爆症というものは,その疾病だけを見ても,放射線以外の原因によるものか否かが区別できない,非特異性がその特徴である。
被爆による人体影響を考えるにあたって,初期放射線による外部及び内部被曝,残留放射線による外部及び内部被曝をそれぞれ独立したものとして評価することはできず,全体が複合して被爆者の健康を蝕んでいる。
もともと疾病が起こってくるには,非常に複合的な要素が多々あり,単一の原因で起こることを明らかにできる疾病は非常に少ない。そのことを前提に考えると,原爆症の認定は,まず被爆時の状況,症状,直後の健康状態,被爆者の行動・経路,後障害発症の経過などを明らかにすることが重要で,「治療指針」(甲A47・文献1)が示す見解が妥当である。
d 「審査の方針」の問題点
現在厚生労働大臣が原爆症認定に用いている「審査の方針」には多くの疑問がある。
(a) ABCCないし放影研の疫学調査は統計処理に際してDS86の線量評価と関連させた点で大きな問題点がある。
(b) D86では残留放射線による内部被曝は考慮されていない。
(c) ABCCないし放影研の疫学調査の問題点として,① 1950年以前に死亡した被爆者のデータが含まれていない。これにより,1950年までに亡くなった人の病気,後障害,がんなどが全て抹消されてしまっている。また,1950年以降まで生存した被爆者は,それまでに死亡した被爆者と比較して放射線に強いグループだと言う事ができる。② ABCCの死亡調査には「原爆時に一時的に広島・長崎のいずれの都市にもいなかった住民26,580人」をNIC(not in the city)の住民)として統計から省き,そのかわりに2.5キロメートルないし10キロメートルの地点で被爆した住民を「ゼロ線量」の住民,すなわち「非曝露群」として疫学的結論を出している。しかし,いわゆる「ゼロ線量」の人たちの死亡率はNICの人たちの死亡率よりも高いという結果は,前者が被爆しているから疾病率が高いのであり,完全な非被爆者が対照群として設定されなかったことの誤りを示している。そのことは英国のP31や米国のP32が指摘している。③ しかしながらABCCや放影研の作成したLSS,AHSなどの調査データは死亡原因,疾患別に詳細な統計が取られており,被爆の健康影響を見るには貴重なデータである。但し使用するには,その誤りないしはバイアスを考慮しなければならない。
イ 要治療性についての考え方
「治療指針」及びこれを更に敷衍した広島地方裁判所昭和▲▲年(行ウ)第▲▲号同51年7月27日判決(判例時報823号17頁。石田原爆訴訟第一審判決),京都地方裁判所平成10年12月11日判決(判例時報1708号71頁。P102原爆訴訟一審判決)とその控訴審である大阪高等裁判所平成12年11月7日判決(判例時報1739頁)によれば,被爆者援護法第10条に言う,「現に医療を要する状態にある」とは,医学的に見て,何らかの治療効果を期待し得る可能性を否定できない場合には,これに該当すると言うべきであり,本件におけるいずれの原告に関してもその疾病につき「要医療性」が認められるのは明らかである。
(5) 時機に後れた攻撃防御方法
被告らが,平成18年10月10日の第18回口頭弁論期日において陳述した平成18年10月5日付け第13準備書面及び同日付け第14準備書面は,いずれも時機に後れた攻撃防御方法であるから,その却下を求める。
(被告らの主張)
(1) 原爆症認定制度
ア 原爆症認定の手続
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法11条1項に規定する認定を行うに当たり,申請疾患が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾病・障害認定審査会の意見を聞かなければならない(被爆者援護法11条2項)。これは,申請疾患が原爆放射線によるものかどうかの判断は極めて専門的なものであるため,医学・放射線防護学等の知見を踏まえて判断する必要があるとの趣旨によるものである。
医療分科会の委員及び臨時委員は,放射線科学者や,現に広島・長崎において被爆者医療に従事する医学関係者,更に内科や外科等の様々な分野の専門的医師等から指名された者であり,疾病の放射線起因性や要医療性の判断について高い識見を有する者である。
厚生労働大臣は,医療分科会の意見を慎重に検討した上で,当該認定申請について,被爆者援護法11条1項の認定処分又は却下処分を行う。
イ 審査の方針の概要
医療分科会は,放射線起因性及び要医療性の判断の方針として審査の方針(乙A1)を定めているが,これは,被爆者援護法11条1項の認定に当たって目安となる方針であって,医療分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のものである。
(ア) 審査の方針においては,原爆放射線起因性の判断に当たっては,申請疾病における原因確率及びしきい値を目安として,当該申請疾病の原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断することとしている。
(イ) 原因確率は,申請疾患,申請者の性別の区分に応じて適用される別表により,申請者の推定被曝線量と被爆時の年齢によって算定する。申請者の推定被曝線量は,初期放射線による被曝線量(申請者の被爆地及び爆心地からの距離の区分及び遮蔽物の有無に応じて定められる。)に,残留放射線による被曝線量(申請者の被爆地及び爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定められる。)及び放射性降下物による被曝線量(原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長時間にわたって当該特定の地域に居住していた場合について定められる。)を加えて算定する(なお,第3の3で後述するように実際の初期放射線による被曝線量は,審査の方針別表9ではなく,審査会線量推定表によって算定している。)。
(ウ) 求められた原因確率がおおむね50パーセントを超える場合は,当該申請疾患について,一応,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因確率がおおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,高度に専門的な見地から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとしている。
(エ) また,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,高度に専門的な見地から,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとしている。
ウ 審査の方針を目安として放射線起因性の有無を判断することの合理性
(ア) P23訴訟最高裁判決は,被爆者援護法の前身である原爆医療法所定の原爆症認定の要件である放射線起因性の意義及びその立証の程度について,「法7条1項は,放射線と負傷又は疾病ないしは治ゆ能力低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解すべきである」とし,「訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきであるから,法8条1項の認定の要件とされている放射線起因性についても,要証事実につき『相当程度の蓋然性』さえ立証すれば足りるとすることはできない。」と判示した。この判例は,被爆者援護法についても妥当するから,原爆症認定の要件である放射線起因性の判断は,最終的には,訴訟上の因果関係としての「高度の蓋然性」によって決まるということになる。
(イ) 放射線起因性の判断は,これまでに多くの確立した科学的・医学的知見が存在するから,当然こうした科学的・医学的知見に基づいて行わなければならず,これらの知見から離れて行い得るものではない。審査の方針において,放射線起因性の判断をするために用いられる,原因確率,原爆放射線の被曝線量(初期放射線による被曝線量の値に残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて得られる。)等は,いずれも原子物理学,放射線学,疫学,病理学,臨床医学等の高度に専門的な科学的・医学的知見に基づくものである。
(ウ) 審査の方針において,原因確率がおおむね10パーセント未満ということは,放射線被曝の有無に関係のない自然発生の疾病である可能性が90パーセント以上あるということであり,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとは認め難いというべきである。
そして,審査の方針においては,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査は当然のこととして,原因確率が設けられている疾病等に係る審査においても,例え原因確率が10パーセント未満であっても,それのみから機械的に放射線起因性を判断するのではなく,当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとしている。
そうである以上,原爆症認定の要件である放射線起因性の有無を判断するに当たって,このような審査の方針を目安とすることには十分な合理性があるというべきである。
エ 放射線起因性の判断についての原告らの主張に対する反論
(ア) 原告らは,放射線起因性の判断について,「被爆者が,放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病に罹り,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである」と主張し,その根拠として,① 原爆投下の国際法違反性と被爆者援護法の前文の趣旨,② 原爆被害については広い意味での国家補償的配慮が制度の根底にあること,③ 一種の証明妨害としての原爆被害の隠蔽と放置,そして,ABCC(原爆調査委員会)や放影研による科学的調査や疫学調査のデータは,これらの機関や厚生労働省が独占しているという証拠の偏在の問題,④ P23訴訟最高裁判決が起因性の立証の程度を実質的に軽減していると理解することができることなどを挙げる。
(イ) しかし,P23訴訟最高裁判決は,放射線起因性の証明責任及び立証の程度について,証明責任は,申請者たる原告の側にあること,その立証の程度については,通常の民事訴訟と同様,高度の蓋然性を証明することを要し,このことは,被爆者援護法の前身である原爆医療法や被爆者特措法の根底に国家補償法的配慮があるとしても異なるものではないと判示し,放射線起因性の証明の程度について「相当程度の蓋然性」の立証があれば足りるとした原審の判断を「法の解釈を誤るもの」と断じている。原告らの主張は,この判決に真っ向から反するものであって,失当である。
また,P23訴訟最高裁判決は,法律審として,原判決認定の事実関係から放射線起因性があるとの認定を導くことが「経験則上許されないものとまで断ずることはできない」とした上,放射線起因性の証明の程度につき「相当程度の蓋然性」で足りるとした原判決の法令違反が当該事例においては「結論に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない」としたにすぎない。したがって,P23訴訟最高裁判決は,申請人の立証の負担を軽減すべきとしているものではない。
さらに,ABCC及び放影研の科学的調査や疫学調査のデータはすべて一般に公開されており,厚生労働省等の行政機関のみが知り得る内部データとして保管されているデータは存在せず,証拠の偏在ということもない。
したがって,原告らの上記主張は,その根拠を含めおよそ採り得ない失当なものというべきである。
(2) 審査の方針における初期放射線の評価の正当性(DS86の正当性)
ア 放射線被曝線量の算定の必要性,重要性
一般的に疾病の要因には様々なものがあり,放射線被曝の有無におよそ関係なく発症し得るものであり,このことは,被爆者でなくとも,胃がんや膀胱腫瘍等,原告らと同じ症状の患者が全国に多数存在していることからしても明らかである。放射線被曝が発症等に関与した可能性があるとしても,放射線被曝特有の症状が現れるわけではないため,当該被爆者個人の症状を分析しても,被曝から発症まで長期間が経過し,その疾病の発症要因が合理的に特定できて,放射線起因性がないことが明らかな場合を除き,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを判別することは極めて困難である。
しかし,今日,放射線の影響について多くの知見が蓄積されており,個々の研究成果は,UNSCEAR(国連放射線影響科学委員会)等において,原子物理学,放射線学,疫学,病理学,臨床医学等の高度に専門的な科学的・医学的知見に基づき,科学的であるか否かの評価を受けた上で,UNSCEAR報告書等として公表され,人類全体の知見となっている。このような確立した知見を活用して当該疾病が放射線に起因するものか否かを推論することは十分に可能である。
すなわち,放射線の人体への影響を疾病等の出現の態様から見てみると,ある一定の線量以上の放射線に被曝すると影響が出る確定的影響(白内障,皮膚の紅斑,脱毛,不妊,血液失調症等)と,被曝した放射線量が多いほど影響の出現する確率が高まる確率的影響(発がんや遺伝的影響)があることが明らかになっている。
そして,確定的影響であれば,当該被曝線量以上の放射線に被曝していることが明らかになれば,放射線起因性を肯定する有力な事情になる。一方,確率的影響であれば,被曝線量が多ければ多いほど放射線に起因した疾病である可能性が高まるということになるから,被曝線量は,放射線起因性を判断する有力な情報となる。
このようなことから,当該疾病が放射線に起因するか否かの判断をするに当たっては,当該申請者が被曝した放射線量を具体的に把握する必要があり,かつ重要なのである。原爆に関する被曝としては,初期放射線による被曝,初期放射線等によって誘導放射化された物質による被曝,放射性降下物による被曝,放射性物質が体内に入って体内から被曝させる内部被曝があるが,線量ないし累積線量に引き直すことにより,その影響の度合いを知ることができる。
そこで,医療分科会が,放射線起因性及び要医療性の判断の方針としている審査の方針では,日米の放射線学の第一人者が開発した広島及び長崎における原爆放射線の線量評価システム(DS86)に基づく初期放射線による被曝線量を前提として,放射線起因性の判断をするとの考え方に立っている。
イ DS86の正当性
(ア) DS86の概要
原子爆弾(原爆)による初期放射線は,物理法則に従って発生し,容器の外部に射出(漏出)し,空中を伝播(輸送)し,地形,家屋,人体等により遮蔽されて人体各臓器に到達する。放射性物質が核種によりどの程度の放射線を出してどの程度の時間で変化するかも,物理法則に従うものである。
原爆の初期放射線の飛散状況は,このような放射線物理学等の近時の科学的知見によって十分解明されるに至っている。これらの科学的知見を集積して完成したのが,DS86による被曝線量推定システムであり,広島・長崎の被爆者データを放射線防護の基準の考察に用いることを目的として開発されたものであり,その概要は,以下のとおりである。
すなわち,DS86は,原爆の爆弾としての出力,ソースターム(爆弾から放出される粒子や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布),最新の計算方法による空気中カーマ(被爆者の周囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量),遮蔽カーマ(被爆者の周囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量),臓器線量(人体組織による遮蔽も考慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して臓器の吸収線量など各種の線量を計算するシステムである。当時としては,最高の大型コンピュータを駆使した膨大な計算結果に基づいて作成されたものであり,その信頼性には極めて高いものがある。そして,原子力発電所や医用放射線の線量推定にも応用されてきている。
(イ) 遠距離地点における計算値と測定値との齟齬の程度
a 原告らは,広島の爆心地から2.05キロメートルの距離で採取された試料から熱ルミネッセンス法を用いて得られた測定値がDS86によるガンマ線の計算評価値の約2.2倍であった旨のP16らの報告(甲A74の1及び2)を根拠に,DS86におけるガンマ線の計算評価値と測定値とが乖離している旨を主張する。
b しかしながら,広島の爆心地から2.05キロメートルの距離における測定値がDS86によるガンマ線の計算評価値の約2.2倍であったとしても,その測定値は,絶対値としてみれば,わずか0.129グレイ程度にすぎない。急性症状が生じる被曝線量は最低でも1グレイ以上とされており,さらに,脱毛は頭部に3グレイ以上,下痢は腹部に5グレイ以上であることは,今日における放射線医学の常識である。こうしたことからしても,爆心地からの遠距離地点における被曝線量の程度は,ごくわずかであることは明らかである。
遠距離地点においてDS86による計算値と測定値とに仮に何らかの齟齬がみられるとしても,上記急性症状の原因を検討する上では,このような齟齬は無視し得る程度のもので,いずれにせよ,上記急性症状が生じ得る被曝線量には到底達していない。このことは,爆心地から距離が離れるにつれて距離の2乗に反比例して放射線量が低下するという放射線の物理的な性質からも裏付けられる。
なお,P16らが指摘するDS86の計算評価値と実測値の不一致は,爆心地から1500メートルほど離れると,もはや自然放射線(バックグラウンド)の線量との区別が困難となるという測定方法の限界に起因するものであることが明らかとなっており,DS86の正確性については,DS02によって検証されている。
(ウ) 脱毛や下痢が被曝による急性症状とはいえないこと
a 広島の爆心地から2.05キロメートルの距離におけるガンマ線の測定値とDS86による計算値によれば,爆心地からの遠距離地点における被曝線量が,脱毛の原因となり得るようなものに到底達するものではないことが,的確に裏付けられている。原爆の初期放射線の飛散状況からしても,爆心地から約1500メートル以遠の地点において,被曝による急性症状としての脱毛等を生じさせるに必要な数グレイもの高レベルの被曝線量があったと考えることは不合理であり,およそ放射線物理学の常識に反するものである。全身にそのような高レベルの被曝があれば,脱毛程度の症状にとどまるはずはなく,感染症等の重大な合併症を発症させるものであることに留意しなければならない。
b 日米合同調査団報告書に係る調査(甲A17),東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告に係る調査(昭和20年10月実施)(甲A59の9,78,乙A78),P33教授らの「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察」に係る調査(昭和20年10月から同年12月にかけて実施。甲A47・添付文献4,甲A85)及びP6医師の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」に係る調査(昭和32年1月から同年7月にかけて実施。甲A18)は,戦後間もないころに実施されたものであり,脱毛といっても,どの程度の症状のものを念頭において調査したものかについては判然とせず,脱毛について,被爆者ではない非曝露群との比較をしたものでもない。その内容をみても,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではなく,爆心地から2キロメートル以遠において,急性症状(特に脱毛)を生じたとする者の割合が爆心地からの距離が遠ざかるにつれて減少する傾向が明らかに認められ,しかも,被爆時における遮蔽の有無や程度によって有意な差が確認できるなどと評価し得るものではない。
被調査者に対し,原爆被害の調査であることを明らかにして,先入観を与えた上で各自の被害状況を調査した場合には,自らの脱毛も被曝によるものではないかと疑い,これを回答することがあったとしても何ら不自然なことではないのである。疫学や統計学に精通しないまま,一部の調査結果で指摘された発症率のみをとりあげてこれを比較し,原爆放射線被曝による急性症状が認められるなどと決めるつけることは,許されるものではない。
例えば,日米合同調査団報告書(甲A17)によれば,ビルディング内の被爆者について,脱毛(epilation)の割合は,爆心地から2.1ないし2.5キロメートルでは2.9パーセントで,2.6ないし3キロメートルでは10パーセントであるが,人数にすれば前者が1名,後者が3名であって,この結果をもって距離との関係を論じるのは不適切である。また,紫斑(purpura)その他の症状をみても,必ずしも距離に反比例して減少しているわけではなく,しかも,統計学的に有意差を検証しているわけでもない。しかも,爆心地から1.6ないし2キロメートル,2.6ないし3キロメートルにおいて,屋外又は日本家屋内といった遮蔽状況での脱毛の頻度がそれぞれ12.7パーセント,2.1パーセントであるのに対し,ビルディング内といった遮蔽状況での脱毛の頻度が13.6パーセント,10.0パーセントであるといった,放射線の性質と明らかに矛盾する結果も認められるのである。
また,東京帝国大学医学部診療班の調査は,人類史上初めての体験であった原爆災害の真相をできる限り詳細に明らかにすることを目的としていたため,医学の従来の考え方によれば常識的でない事項についてもあえて排除することなく調査結果に含めたものであり,統計学的な有意性を検証したものではない。調査を行った東京帝国大学医学部放射線科のP34も報告書の中で,「脱毛の出現範囲,部位,方向性等に関して,従来の放射線生物学的な考え方と多少矛盾し,理解に苦しむ点がある(が,特に修正を加えないこととした。)」と述べており,この調査結果をもって,わずかな被曝線量でも脱毛などの急性症状が起こることを結論づけたものものではない。脱毛,下痢,倦怠感などについて,今では,精神的ストレスによる脱毛や下痢,原爆に限らず大規模災害等の被災者や救助者に生じる心的外傷後ストレス障害(PTSD),心身症などが広く知られるようになっているが,昭和20年当時には,そのような概念はなく,放射線以外の原因が明確にされなかったのは当然のことである。また,これらの調査は,統計学的な有意性を検証することを目的にしたものではなく,これらの調査結果をもとに判決のような判断を下すのは適切ではない。
c そもそも,脱毛には,いろいろな症状及び発生原因がある。実際に,当時の栄養状態について見てみると,終戦後の昭和21年,22年において,蛋白質,ビタミンB2,カルシウム等が著しく不足していたことが分かることから,昭和20年においては,これと同程度ないしそれ以上に不足していたものと推測される。蛋白質は毛髪の成長に重要な栄養素であるから,これが不足すれば,毛髪の成長を阻害することが考えられるし,ビタミンB2は,これが欠乏すれば脂漏性皮膚炎を引き起こすことが考えられ,当時入浴や洗髪もままならず,衛生状態が悪化していたことも加わり,脱毛を引き起こした可能性は,十分に考えられる。さらに,もともと,8月から9月にかけての時期は抜け毛の多い時期であり,また,原爆投下直後の入市者には,炎天下を長時間歩き回ったり,救護作業に従事していた者も多いから,平常時では考えられないくらいの蓄積疲労や持続するストレスがあいまって脱毛を引き起こした可能性も,十分に考えられる。
前掲の日米合同調査団報告書(甲A17)では,爆心地からの距離が2.1キロメートルないし2.5キロメートルで屋外又は日本家屋内の遮蔽状況において,515人中37人(7.2パーセント)が脱毛の症状を訴えたとしているが,当時の状況にかんがみると,10ないし20パーセント程度の国民が脱毛の症状を訴えていたからといって,何ら不自然なことではないのであり,非曝露群との対照もされていない以上,上記調査における脱毛が被曝によるものであると決めつけることなどできないことは明らかである。
d そうである以上,爆心地からの距離が2キロメートル以遠において被爆した者に生じたとされる脱毛等の症状は少なくともその相当部分については放射線による急性症状であるとみるのが素直であると決めつけ,これをもってDS86及びDS02の計算値が少なくとも約1500メートル以遠において過小評価となっているのではないかとの合理的疑いがあるとすることは,現代における放射線物理学,放射線医学の常識に反するものというほかない。
なお,原告は,DS02の策定に関わったP17氏が,これらの急性症状に対して合理的な説明をなし得なかったと主張する。しかし,P17氏は,原子物理学の専門家であり,医学の専門家ではないから,初めて見せられた論文を示されても,原告らが放射線被曝による急性症状だと主張するものについて,一般的な知識は有するとしても具体的に責任ある回答ができないとの対応をすることは,良心的な科学者であれば当然のことである。このことは,遠距離における発症を説明できないということでよろしいかといった問いに対して,「お医者さんの総合判断がいるんじゃないかなと思いますけれども。」と答えていることからも明らかである。一方で,P17氏は,原告らがその根拠とする論文等について,その調査方法等の問題を明確に指摘しているのである。すなわち,同氏は,「ただ,今の時代は,かなり個人に近いレベルのところまで線量が評価できますから,相関を見るとしたら,そういうきちっとしたものを比べるほうがいいと思います。」,「ただ,今の時代ですと,もうこういう荒っぽいやり方は多分取らない」,「現代風な目でもう一度きちんと整理されると,もう少し状況が分かるかなと思います」と述べているのである。
(エ) DS02によってDS86の正当性が検証されたこと
a DS02策定の経緯
日米の原爆放射線量評価実務研究班は,引き続き被曝線量システムについての研究を進めていたところ,平成15年(2003年)3月,その知見を集積・統合し,DS86を更新する線量推定方式としてDS02を策定した。
DS02は,DS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最新の大型コンピュータを駆使し,最新の核断面積データ等を使い,かつDS86よりも緻密な計算を用いることにより,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能としたものである。DS02策定に当たりされた研究は,DS86の評価方法の正当性を改めて検証する結果となった。
以下,DS02の概要について詳細に説明する。
b 放射線量の再計算
(a) 出力の推定
DS02においては,原爆の出力や爆発高度について,再検討がされた。
広島原爆については,爆弾の出力を計算するための最新の理論計算により再計算がされた結果,出力が15キロトンから16キロトンに修正された。また,放射化測定値に最適化するプログラムが開発され,その結果,爆発高度が580メートルから600メートルに修正された。他方,長崎型原爆は,DS02の再検討においてもDS86時とほぼ同様の結果が示され,出力・爆発高度ともに修正の必要性はなかった。
(b) ソースタームの評価
ソースターム(線源項,爆弾から放出される粒子や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布)は,現代の最新の放射線物理学に基づき,核分裂で放出された放射線が爆弾の外殻材料を透過した後のエネルギー分布や方向分布を算定したものであるが,放射性核種の反応の確率を表す核断面積データを最新の知見に基づくものに更新するなどしたり,エネルギー分布をより精緻にしたりして,高い精度の結果を得た。また,原爆放射線を,ウランやプルトニウムが核分裂した際に放出される即発放射線(即発ガンマ線と即発中性子線)と核分裂後の生成物から放出される遅発放射線(遅発ガンマ線と遅発中性子線)に分類して評価された。すなわち,DS02においては,長崎型原爆において43パーセント,広島型原爆において31パーセント即発ガンマ線の数量(モル数)が増えたが,即発ガンマ線のガンマ線全体に対する割合は約4パーセントにすぎず,合計ガンマ線の約1パーセントの増加にしかならないということが明らかとなった。
その結果,DS02の中性子,ガンマ線のソースタームは,全体的にDS86とよく一致しているとの結論に至った。
なお,広島原爆の出力の修正がされているが,これは,もともと12キロトンないし20キロトンというDS86時の広島型原爆の出力の不確実性,すなわち系統的な推定誤差の範囲内の変更にすぎないため,DS02による出力推定の修正は,ソースタームに影響しない。
(c) 空中輸送計算(空中伝播計算)
DS02における即発放射線(即発ガンマ線と即発中性子線)に関する空中伝播計算は,DS86よりもエネルギーや距離・角度の分布につき細かく計算され,原爆放射線のエネルギーについては,その高低によって中性子では199群(DS86では27群),ガンマ線では42群(DS86では群分けなし)に分類され,離散座標法という計算法で解析された。角度分布についてもDS86では20に細分化されていたものが,DS02では40に細分化された。さらに,離散座標法により求められた放射化量及び線量の分布については,モンテカルロ法という別の計算結果と比較する方法も採用された。また,DS02においては,遅発放射線(遅発ガンマ線と遅発中性子線)の計算についても,DS86開発時よりも優れた計算方法により求められた。
その結果,DS02により求められた中性子線・ガンマ線の大気中での放射線量である空気中カーマ線量は,DS86と比較して有意な差がないことが明らかになった。
c DS02における測定値の評価
(a) ガンマ線測定
DS02においては,広島・長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評価が行われ,各測定値の検証やバックグラウンド(測定に当たって,対象とする放射線源以外が計測される数量値で主に宇宙からのものや地表からのものによる。)や熱ルミネッセンス法(煉瓦やタイルのような建材中に含まれる石英等の物質が浴びた放射線のエネルギーを蓄積し,熱を加えた時に放射線量に応じて発光する現象を応用した放射線測定法。)による測定自体の誤差等が検討された。
その結果,現行の熱ルミネッセンス法による測定値のうち,爆心地から約1.5キロメートル以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同量となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に大きく影響を与えるため,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価することが不可能であることが判明した。
そして,DS02では,DS02,DS86の各計算値と熱ルミネッセンス法によるガンマ線量の測定値との比較がされ,DS02の計算値の方がDS86の計算値よりも一致度が若干高いものの,測定値と計算値の全体的な一致度は,上記バックグラウンド線量の問題を考慮することにより,DS02と同様,DS86も良好であるという結論に至り,ガンマ線量の推定においてDS86による計算値の正当性が検証された。
(b) 熱中性子測定
熱中性子(低エネルギーの中性子)については,以下のとおり,ユーロピウム152及び塩素36の放射化測定(中性子が照射されることで,放射性核種が発生することを,放射化といい,その核種の放射線量を測定することで照射された中性子線量を推定することができる。)がされるなどして,DS86の正当性が検証された。
① ユーロピウム152の放射化測定
DS86の公表後,ユーロピウム152の測定がされ,DS86における熱中性子の計算評価値と放射化測定値について爆心地近くでは計算評価値が高く,距離が離れるほど放射化測定値が計算評価値よりも高くなり,地上距離1000メートル以遠の遠距離においては,10倍以上異なるという結果が出て,DS86に系統的な問題があるのではないかという指摘がされた。
そこで,DS02では,DS86発表以降の広島・長崎におけるユーロピウム152の放射化測定のデータが収集され,再検討された。その結果,試料中に含まれるユーロピウム152の放射能を検出する測定は,極めて微量の放射線を検出するものであり,爆心地から一定距離以遠離れると微量の放射線が自然界のバックグラウンド放射線のレベルを下回るため,検出限界となることが明らかになった。また,「ガンマ線計測では,主にバックグラウンド計数率に基づく検出限界が存在する。バックグラウンドは,宇宙線,検出器周辺の物や検出器自体に含まれる天然放射性同位元素,化学分離においてEuと分離されずに試料中に残っている放射性同位元素などである。…P13らの測定では地上距離1,050-m(=爆央からの距離1,200-m)でほとんど検出限界となる。このことは約1,000-m以遠のデータでは系統的ずれの議論に用いるのは困難であることを意味している。」とされ,DS86公表後にされた地上距離1050メートル以遠のユーロピウム放射化測定値が測定限界を超えており,その測定値とDS86計算値との系統的ずれの議論に意味がないことが確認された(乙A86の2)。
また,DS02では,金沢大学において,上記広島大学で測定に使用されていた試料を用いて,より精度の高い測定法によって,ユーロピウム152の放射化測定がされた。同測定においては,多量の花崗岩試料を用い,溶解などにより化学的濃縮を行う方法により,高い回収率でユーロピウムを分離し,濃縮されたユーロピウムを高温で加工した後,試料から発せられるガンマ線をごく低バックグラウンド施設である尾小屋地下測定室において測定した。その際,検出効率を高めるため,2台の大型で高感度のゲルマニウム放射線検出器を用いた。このように極めて低いバックグラウンドにおいて,高い検出効率での測定がされたことにより,100分の1のレベルまでバックグラウンドによる影響を低くした精度の高い測定が可能となった。
同測定の結果得られたユーロピウム152の放射化測定値とDS02による計算評価値とを比較すると,よく一致していることが判明し,「本研究によって,152Euの実測値と計算値の不一致が解決され」た。すなわち,地上距離1000メートルを超える距離においてもDS02の計算評価値の正当性がユーロピウム152の放射化測定値によっても検証されたのである。このことは,同時にDS02とほぼ同じ数値を推定しているDS86の計算評価値の正当性を検証するものであり,従前の1000メートル以遠において10倍以上の差違が存在すると言われていたユーロピウム152の放射化測定値が測定方法を改善することによってDS86,DS02の計算評価値と合致することを明らかにした。
② 塩素36の放射化測定
DS02では,アメリカ,ドイツ及び日本の各国において,広島・長崎で採取された鉱物試料中の熱中性子線を測定するため,加速器質量分析法(AMS。特定の原子核の個数を直接数えることによって目的の同位体(放射性核種)を測定する方法で,考古学での年代測定等にも応用されている。)によって塩素36の放射化測定実験が行われ,同測定法のバックグラウンド等の影響による測定限界について検討がされた。
アメリカにおけるAMSによる測定は,国立Lawrence Livermore研究所,Pudue大学PRIME研究室,ロチェスター大学のAMS施設でされた。その結果,「花崗岩およびコンクリート(コンクリート表面を除く)中のを36Clの測定値は,爆心地付近から36Cl/Cl比がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02と一致する。」との結論に至った。また,同研究により,従前測定された1400メートル付近における塩素36の放射化測定値(P18ら1992)がDS86,DS02の計算評価値と一致しなかった原因は,同測定にバックグラウンドによる影響を受けた試料を利用していたことに起因するものであって,原爆の射出した中性子により放射化されたものではないことが明らかになった。
ドイツのミュンヘンのAMS施設においては,DS02の研究が開始される以前に,DS86の計算評価値と放射化測定値の不一致が指摘されていた地上距離約1300メートルの地点の試料に重点を置いた測定を行い,DS86の計算評価値と放射化測定値との間に明確な不一致が認められないことを確認していた(P35ら2000,NAS2001)。さらに,試料の表面付近の花崗岩及びコンクリート試料を用いた塩素36の放射化測定によって,爆央から1300メートル以遠の試料になると,宇宙線並びにウラニウム及びトリウムの崩壊が放射化測定値に大きな影響を与えることが確認され,同結果に基づき,爆央から1300メートル以遠の距離の放射化測定値が大きな測定誤差を内包している可能性があることが確認された。
さらに,日本の筑波大学においても,AMSによる花崗岩試料の塩素36の測定がされた。その結果,地上距離1100メートル以内においては,放射化測定値とDS02の計算評価値がよく一致していることが確認され,バックグラウンド測定値から地上距離1100メートル以遠の試料については,塩素36の測定が困難であることが確認された。
③ ユーロピウム152と塩素36の相互比較
一般に,微量な放射能の測定のように測定値の誤差要因が大きい場合,測定値の信頼性を高めるため,数種の試料を異なる研究機関で異なる方法を用いて測定し,それらを相互比較することにより,測定値の信頼性を検証する方法が用いられる。そこで,DS02報告書の研究では,再測定されたユーロピウム152と塩素36の各放射化測定値の相互比較によって,これら測定結果自体の検証を行うとともに,相互比較された放射化測定値とDS02の計算評価値とを比較することにより,DS02の計算評価値の正当性の検証を行った。
DS02においては,爆心からの地上距離135メートルから1177メートルまでの試料につき相互比較試験が実施された。同研究の結論として,相互比較研究を実施した。1,200メートル以内で被曝した9つの花崗岩サンプルとEuとClの標準液を“熱外中性子場”照射したサンプルを使用した。152Euのデータは金沢大学の尾小屋で測定して得られ,36Clのデータはアメリカのリバモアとドイツのミュンヘンで測定し得られた。今回の相互比較の結果152Euと36Clデータはお互いに合っているだけでなくDS02とも一致した。
④ まとめ
DS02においては,上記のとおり,DS86における広島の熱中性子線に関する測定値と計算値との不一致について検討した結果,測定値の方の精度に問題があることが判明し,バックグラウンドや測定限界を考慮して,改めて検証したところ,計算値と測定値が一致することが判明した。
(c) 速中性子測定
速中性子(高エネルギーの中性子)については,以下のとおり,リン32及びニッケル63の放射化測定がされるなどして,DS86の正当性が検証された。
① リン32の放射化測定
放射線により硫黄中に発生したリン32を測定することにより速中性子線を測定する方法は,DS86開発時の研究において実施され,「爆心地から数百メートル以内の距離では,計算と測定との間に大きな隔たりはみられない。それ以上の距離では,一致しているかどうかを言うには測定値の誤差が大きすぎる。」との結論が得られていた。
DS02では,測定されたリン32の放射能測定値の再評価がされ,試料の位置の修正等がされ,その結果,広島型原爆については,「爆心地近くではDS86とDS02は両方とも32P測定値と良く一致している。」との結論に至った。
② ニッケル63の放射化測定
放射線により放射化された銅試料中のニッケル63を測定することにより,原爆の放射線の中の速中性子を測定する方法が開発され,速中性子の再測定が可能となった。DS02報告書の研究では,ニッケル63を測定するに当たり加速器質量分析法(AMS)と液体シンチレーション計数法(放射性核種が混入されると蛍光を発する液体を用いた放射線測定法。)が使用された。
AMSによる測定は,DS02において「爆心地から700m以遠における爆弾に起因する速中性子について最初の信頼できる測定値が得られ」,「これらの63Ni測定結果の主な意義は,原爆被爆者の位置に最も関係のある距離(900-1500m)における速中性子の測定値が初めて得られたことにある。」と述べられるように,遠距離で採取された試料について,信頼性のある速中性子線の測定値の検出に成功し,その結果,広島型原爆について,「『バックグラウンド』を差し引いた後のデータを1945年に対して補正すると,広島の銅試料中の63Ni測定値はDS02に基づく試料別計算値と良く一致する。DS86に基づく計算値との比較でも,日本銀行の場合を除いて良く一致する。」とされ,DS86及びDS02の計算評価値の正当性が検証された。
また,DS02報告書の研究では,液体シンチレーション計数法によるニッケル63の測定がされた。同測定においては,上記AMSから得られたバックグラウンドデータを使用して測定がされ,その結果,AMSの結果とよく一致した。
(d) 測定値と計算値との比較
DS02で再評価されたガンマ線,熱中性子線,速中性子線の各測定値とDS02,DS86の計算評価値とを改めて比較したところ,「爆心地から地上距離が2,500メートルに至るまでのDS02自由場フルエンス計算値は,ガンマ線,熱中性子および速中性子の放射化の測定値によって,測定値と透過係数の不確実性の限度内で確証されている。」不確実性とDS02の自由場放射線フルエンス(DS02で,出力からソースタームの評価,空中輸送計算を経て総合的に得られた数値で空間中の単位容積中の放射線量に相当する。)の正当性を検証するものであった。このことは,同様の計算方法により評価されているDS86の遮蔽計算や臓器線量の計算方法の正当性が検証されたことを意味する。
d 小括
以上のとおり,DS02の研究によって,DS86の原爆線量評価システムの正当性が改めて検証されたということができる。
(オ) DS86に対する原告らの主張に対する反論
a DS86の内容の合理性
原告らは,DS86は,実験に基づくものではなく,しかも,他の科学者等による追検証不可能なものであって,基本的事項が明らかになっていない線量推定方式はそもそも信用性に乏しい旨主張する。
しかしながら,DS86が軍事目的で作成されたコンピュータプログラムに基づくシミュレーションではなく,医療用放射線防護や原子力発電所での放射線防護などの領域において広く用いられている様々な線量推定方式を応用したものであり,その内容,理論の概要等は報告書に記載され,検討に足りる内容が開示されており,その内容は日米の複数の研究機関において追検証しつつ策定され,公表されたものであり,DS02の策定過程においても,DS86の数値の正確性が追検証され,その科学的合理性が検証されている。
また,ソースタームの算定に用いられたコンピュータープログラムは,線量評価では頻繁に用いられるMCNP(モンテカルロ・コード)という計算コードであるところ,同計算式や,同計算に用いられる核断面積データは一般的に公開されており,これらの計算方法を検証することは可能である。そして,DS02及びDS86において,ソースタームや空中輸送計算に用いられている評価計算に用いられているコンピュータプログラムや核断面積データはDS02第3章表6のとおりであるところ,これらのコンピュータプログラムや核断面積データも,原子炉等の放射線の空中輸送計算等で使用されており,計算方法を検証することは可能である。
したがって,原告らの上記主張は失当である。
b 広島原爆の複製による実験結果を踏まえてされたDS86の線量評価の合理性
DS86では,広島に投下された原爆の出力推定を行うに当たり,広島に投下された爆弾の構成部品を使用して建造された広島原爆の複製(原子炉)による実験によって得られた結果を踏まえた線量評価がされている。
これに対し,原告らは,広島に投下されたウラン235を用いた原爆は,後にも先にも一発だけであり,同じ型の原爆を用いた実験もなされておらず,原子爆弾の構造などの詳細な情報も軍事機密となっており,広島型原爆については不明な点が多く不確実さは明らかであるなどと主張する。
しかし,そもそも,DS86の策定に際しては,3個製造された広島原爆の外殻のうち,使用されずに保管されていた残りのものを利用して製作された原子炉を用いて実験がされたのであり,爆弾自体の内部における状況を再現した原爆の複製(レプリカ)を用いているのである。実物の爆弾に対して唯一変更したことは,砲身を短くしたことと核分裂物質を減らして使用したことのみであり,基本的に広島原爆と構造上の違いはない。また,放射線学的な裏付けがあるために,この装置自身のテストはたびたび繰り返されてその確実性がたしかめられたので,ウランによる爆発実験を行う必要はなかったのであり,当該レプリカによる実験結果をソースタームの検証に十分に応用することが可能であったのである。
したがって,広島における線量推定が困難であるとする原告らの主張は失当である。
c DS86における中性子線の計算値と測定値との乖離は,測定値の測定方法に問題があったことから生じたものであること
DS86における熱中性子線誘導放射能(ユーロピウム152,コバルト60,塩素36)の計算値と測定値を比較すると,広島においては,系統的なずれがみられ,爆心地からの近距離では計算値の方が測定値より大きく,遠距離ではその逆になっているが,その後の再測定により両者の値が一致することが判明し,ずれの原因は,測定値の測定方法の問題であって,DS86の問題ではないことが判明した。
(a) コバルト60の放射化測定値をもってDS86の線量評価が不合理であるとすることはできないこと
これに対し,原告らは,P13教授ら,また,P19教授らの中性子線に関するコバルト60の測定結果は明らかに遠距離では計算値よりも測定値が上にずれており,DS86が遠距離において過小評価していることを示すものであると主張する。
しかしながら,コバルト60の半減期は短く,空中距離600メートル(ほぼ爆心地付近)以遠の測定値は,不確実性が大きいため,放射化測定値をもって放射線量システムの計算評価値と比較することはできない。
したがって,コバルト60の放射化測定値をもって,DS86の計算評価値を評価すること自体できない。
また,DS02においては,熱中性子線について,より半減期の長い核種であるユーロピウム152や塩素36につき精度の高い測定方法により再測定を行い,それらの測定値とDS86の計算評価値とが一致していることを確認しているのであって,DS02及びDS86の計算評価値は熱中性子線により放射化されたユーロピウム152や塩素36の測定によりその正当性が検証されている。
したがって,コバルト60の測定結果からDS86が遠距離において過小評価しているとする原告らの上記主張は,失当である。
(b) P13らの論文があるからといってDS86の線量評価が不合理であるとはいえないこと
原告らは,P13らの科学論文(甲A30の1及び2)は,精度の高い測定結果であると主張する。
しかしながら,P13らの論文目的の一つは,環境中性子線が原爆放射線の中性子測定時のバックグラウンドとして寄与し得るか否かを検討することであって,測定値とDS86による計算値の不一致の問題を指摘しているのではない。そのため,CONCLUSION(結論)の章において,計算値との不一致の可能性は明らかにされていない,又は,不一致の問題を解決するためには長崎での残留放射能のさらなる測定が必要であると記しているのである。
また,爆心地から比較的離れた地点では測定値そのものが微小な値になる。その場合,計算値(理論値)との比をとると見かけ上大きな比率になるものの,測定値と計算値との値の差をみると,例えば爆心地から780メートルの地点では0.004Bq/mg,935メートルの地点では0.01Bq/mgとあまり大きな相違はなく,実際にグラフに示すと,DS86計算値との乖離は余りないことが分かるのである。
更に言えば,この論文での測定は,スチール試料中の放射化されたコバルト60を測定したものだが,元のスチール試料はコンクリート中に存在するものや階段手すりのように露出したものが混在しており,各々の試料の存在する深さの補正をしなければ正確に測定できないにもかかわらず,そういう検討を怠っている点で,信頼性がないことに留意する必要がある。
なお,広島大学原爆放射線医学研究所教授P37氏(以下「P37教授」ということがある。)が,研究協力した2003年(平成15年)の「原子爆弾の放射線に関する研究」(乙A15)においては,従前の測定値の再評価を行った結果,「測定値の不確実性によるものと判断されている」とされており,また,P37教授は,2005年(平成17年)8月に掲載された論文(乙A77)において,「DS86にみられた実測値と計算値の系統的なずれは,何が問題であったのか理解できた.近距離で実測値が計算値より低いことは爆発点を20m引き上げることで計算値が低くなり解決し,遠距離でEu-152のデータが計算値より高いことは恐らく天然のガンマ線の混入により高く見えていたことで解決した.日米で議論が多々あったがすべて満足できる結果となった.」と述べ,結論として「実測値は計算値によって見積もることができ,これにより被曝線量は正しく見積もることができる.」と述べ,DS86,DS02の線量推定体系を全面的に是認している。
(c) 原告らが根拠とするP27氏の意見書の内容の不合理性
原告らは,広島のコバルト60の実測値に基づいて,カイ自乗フィットという方法により熱中性子の近似式を求め,DS86等と比較した場合,爆心地から900メートルを超えるとDS86による推定線量が過小評価されているなどと主張する。
しかし,P27氏がその意見書等で採用しているカイ自乗法によって中性子線量を推測する方法は,P27氏独自の方法である。
そもそも,ガンマ線,中性子線の減衰の動向は,そのような数式で表される単純なものではない。カイ自乗法は,方法論として非常に初歩的な方法であり,40から50年前にはこのような単純な減衰による評価もされていたが,現在では詳細な解析には用いられていない。
また,P37教授は,P38を代表して提出した意見書(乙A28)において,「DS86そのものがおかしいという見解は,原爆放射線に関する日米合同の研究に参加している研究者の共通の認識ではなく,P27証人独自のものである」こと,P27氏が熱中性子線の問題を「中性子線全般の不一致と言い換えている」こと,P27氏が計算値と実測値の不一致の理由として挙げる湿度の問題,スカイシャイン効果について,「過去に検討されてきたが問題は見つかっていない」こと,「カイ2乗解析に基づく中性子線の線量評価の報告は熱中性子線の単なる傾きを論じたもので意味がないものである」ことなどP27氏の見解の問題点を指摘している。
DS02報告書の研究における再測定により,測定値のデータ自体の見直しがされているにもかかわらず,P27氏は,見直し以前のデータを前提にカイ2乗フィットによる解析を行っているものを論拠としている。また,P27氏は,当該カイ自乗フィットのグラフの「減衰の割合」が放射線の伝播や相互作用といった物理的な挙動とどのように関連するのかという具体的な検討をしていない。結局のところ,P27氏の採用するカイ2乗フィットは,DS86の計算値と一致しない測定値について,何らの正確性の検証を行うことなく,科学的な論拠を欠く減衰という現象を仮定することによって測定誤差を考慮,あるいは補正していない実測値に強制的に近似(フィット)するグラフ(曲線)を作出し,そのグラフに基づいて測定値が得られていない遠距離の線量を推定するものであり,科学的な根拠を欠くものといわざるを得ないのである。
なお,P39が指摘するように(乙A87),中性子線量の全線量に対する割合は,広島1000メートルで5.8パーセント,1500メートルで1.7パーセント,2000メートルで0.5パーセントと非常に低い。したがって,仮に中性子線量にDS86の理論計算値と実測値の乖離があったとしても,被爆者である原告らの推定線量にはほとんど変化は発生しない。
(d) その他の主張について
① 原告らは,DS86について,上記各点のほか,残留放射能を考慮していないこと,遠距離及び入市被爆者に急性症状が生じたという現実を説明できないこと等を主張する。
しかしながら,DS86が直爆線量評価であり,残留放射能や入市被爆者について考慮していないのは当然であることは,既に主張したところであり,原告らの上記主張は失当である。
② また,原告らは,爆心地付近の湿度は低かった可能性があり中性子の伝播に重要な影響を与える可能性があるとか,ボルツマン輸送方程式に基づいてコンピューター計算を行っているが,ある一つの要因でいったん計算値にずれが生じると,ずれは次々に累積・拡大してしまうなどと主張する。
しかしながら,湿度分布や数値計算を行う上での問題については,いずれも裏付けのないものである。
(カ) 小括
以上のとおり,被告らの主張に対し原告らが反論するところは,いずれも失当というほかない。DS86は,広島・長崎における被爆者の初期放射線による被曝線量を,非常に高い精度で計算評価することが可能である。このことは,DS02によってDS86の正当性が検証されたことからも明らかである。DS86は,被爆者らの放射線量推定方式として,現時点でも国際放射線防護委員会の基準の根拠として用いられているように,最高の精度を有する放射線量評価システムであるといえる。
ウ 審査の方針の合理性
審査の方針では,以上のようなDS86に基づく初期放射線による被曝線量を前提として,放射線起因性の判断をしているところ,DS86の内容が正当であることは,前記のとおりである。
したがって,このようなDS86に基づいて初期放射線による被曝線量を定める審査の方針もまた正当性を有するものということができる。
なお,審査会の放射線起因性の判断においては,初期放射線による被曝線量の値について,審査の方針別表9ではなく,審査会線量推定表が用いられている。
この審査会線量推定表における値と審査の方針別表9における値とは若干の違いがみられる。
しかし,いずれもDS86を基に策定されたものであって,値の相違は,端数処理の方法による相違に基づくものであり,審査の方針別表9が正当ではないということを意味するものではなく,より適正な判断を行うために審査会線量推定表を用いているのである。すなわち,審査会線量推定表では,爆心地からの距離が1500メートルの場合,広島で49.6センチグレイ,長崎で90.4センチグレイと小数点以下までの正確な数値を示すことができる。しかしながら,基準値として一般に公開する際は,このような数値の羅列はわかりにくい。そこで,審査の方針別表9では広島で50センチグレイ,長崎で90センチグレイというように理解しやすい表記になっている。上記のように算出根拠はDS86で同一であり,別表9を実際の被爆者の線量推定に用いても,問題は生じない。しかしながら,より厳密な評価を行うために審査会線量推定表が存在するのである。
したがって,審査会線量推定表を用いて初期放射線による被曝線量の値を算定することは,DS86の合理性に何ら影響を及ぼすものではなく,むしろ正確性において正当というべきである。
(3) 審査の方針における残留放射線及び放射性降下物による被曝線量評価の正当性
ア 残留放射線及び放射性降下物の線量評価
(ア) 残留放射能の調査
残留放射能の測定は,1945年(昭和20年)8月10日から大阪帝国大学調査団による調査が行われ,引き続き,京都帝国大学,理化学研究所調査団による調査が行われた。その後,同年9月から10月にはマンハッタン技術部隊,同年10月から11月には日米合同調査団により広島及び長崎において放射能測定が行われ,また,広島文理大の2名による測定も行われた。
これらの初期調査の結果,爆心地付近のほか,広島においては己斐,高須地区,長崎においては西山地区で特に放射能が高いこと,これらの地区はいずれも爆心地から約3キロメートルの風下に当たり,かつ,爆発の30分から1時間後に激しい降雨があったことが判明した。
なお,放射性降下物については1975年(昭和50年)に,誘導放射能については1976年(昭和51年)以降被爆岩石中のユーロピウムの測定が行われているなど,残留放射能の調査はその後も引き続き行われた。
(イ) 誘導放射能(残留放射能)
誘導放射能は,被爆生存者や早期入市者に対する被曝線量を推定する上で重要であり,前記(ア)の調査結果を基に,1958年(昭和33年)以降,被爆者の誘導放射能による被曝線量の計算評価が行われるようになり,それによると,原爆投下直後から現在に至るまで爆心地にとどまり続けているという現実にはあり得ない仮定をした場合でも,地上1メートルでの誘導放射能による積算線量は,広島で約0.50グレイ,長崎で0.18ないし0.24グレイにすぎなかった。
DS86策定時における研究では,誘導放射能によって被爆者が最大でどの程度の線量を被曝したかを把握するため,P40及びP41により,被爆者が爆心地において爆発直後から無限時間まで滞在したと仮定した上で計算評価がされた(したがって,実際の被爆者の誘導放射能による被曝線量はこれより低いものになる。)。その結果,残留放射能による被曝線量は,爆心地からの距離と入市時間と滞在時間に依存し,爆心地からの距離が大きくなり,爆発後の経過時間が長くなれば被曝線量は急速に小さくなるということが示された(乙A14・350ないし352頁の図1ないし3)。
ただ,上記の図1ないし3は一般にはわかりにくいし,被爆者ごとに適用するのも困難である。そこで,これらのデータに基づき,爆心地からの距離を100メートル間隔とし,積算線量も8時間ごととして,広島・長崎それぞれに残留放射線量を算定して作成されたのが,審査の方針における別表10である。そして,残留放射線による被曝線量の算定については,「残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10に定めるとおりとする。」と定めている。
このように,審査の方針別表10における残留放射線による被曝線量の算定は,実際の調査結果を踏まえて作成されたものであり,これに勝る科学的知見は存在せず,これを用いることが最も科学的な推定方法というべきである。
(ウ) 放射性降下物
広島における原爆は,ウランの核分裂により連鎖反応を起こさせたものであったが,ウランの核分裂の結果,放射性の核分裂生成物が生じた。これらの多くは火球とともに上昇し,上層の気流によって広範囲に広がったものと考えられる。核分裂生成物の多くは,高度の放射能を有するが短寿命核種であって,放射能は急速に減衰するため,核分裂生成物が爆発から数時間後に降下するかどうかが人の被曝に関係してくる。
そこで,放射性降下物についても,被爆者に最大でどの程度の被曝線量を与えるかを把握するため,DS86の策定時に線量評価がされた。
広島及び長崎の原爆による降下物の量は,爆発後に両市で行われた線量測定により比較的正確に推定することができるところ,前記(ア)の研究において,放射性降下物は,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多くみられることが確認された。このことは,これらの地域がいずれも爆心地から約3キロメートル風下に位置し,かつ,これらの地域においては爆発の30分ないし1時間後に激しい降雨があったことに対応するものである。
そして,上記両地域において,被爆後数週間から数か月の期間にわたり,数回の線量率の測定が行われ,それらの測定値から爆発1時間後の線量率を推定し,任意の時間内における積算線量が求められた。
その結果,爆発1時間後から現在に至るまでとどまり続けているという現実にはあり得ない仮定をした場合でも,地上1メートルの位置での放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,広島の己斐,高須地区で0.006ないし0.02グレイ(1ないし3レントゲン),長崎の西山地区で0.12ないし0.24グレイ(20ないし40レントゲン)にすぎなかった。
なお,上記積算線量は,爆発1時間後から現在に至るまで当該地域に居続けた場合を仮定して得られた積算線量であるから,前記(イ)の誘導放射能による積算線量と同様,実際の被爆者の放射性降下物による被曝線量はこれより大幅に低下することになる。
これらの結果を踏まえ,審査の方針は,放射性降下物による被曝線量については,「原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間にわたって当該特定の地域に居住していた場合について定めることとし,その値は次のとおりとする。」と定め,当該特定の地域については,己斐又は高須(広島),西山3,4丁目又は木場(長崎)とし,被曝線量は,それぞれ,0.6ないし2センチグレイ,12ないし24センチグレイとしている(なお,自然放射線による被曝線量は,46年間の積算で約3ラド(3センチグレイ)とされており,広島での己斐,高須地区での上記放射性降下物による積算線量を上回るものである。)。
このように,審査の方針第1の4の3)の表における残留放射線による被曝線量の算定は,実際の調査結果を踏まえて作成されたものであり,これに勝る科学的知見は存在せず,これを用いることが最も科学的な推定方法というべきである。
ところで,原告らは,遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状がみられたとする調査結果や「黒い雨」に関する調査結果等を根拠に,以上の審査の方針における残留放射線及び放射性降下物による被曝線量の算定を批判するので,以下において,これに反論する。
イ P6「原爆残留放射能障碍の統計的観察」の急性症状の捉え方
(ア) P6は,広島市内の被爆生存者についてその被爆条件,急性原爆症の有無及び程度,被爆3か月の行動等を各人ごとに調査し,昭和32年,「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(甲A18)において,「(1) 広島原爆の直接被爆者又は非被爆者のうち原爆の直後爆心地から1.0キロ以内の地域に入り,10時間以上滞在した人々には容易く急性原爆症を起こしていた。これは原爆の残留放射能に因ると思う。又その発した症状はそう軽くはなかった。(2) 原爆1ヵ月後中心地付近に出入した非被爆者にはその後急性原爆症を発したものは殆んどなかった。(3) 残留放射能が人体に障碍を与えた期間は大凡1ヵ月以内であった。この事実は原爆で二次的に出来た各種の同位元素が極めて半減期の短いものであったことを物語っている。」と結論づける報告をした。
(イ) しかしながら,今日の放射線医学の進歩により,急性症状が生じる被曝線量は,最低でも1グレイ以上,脱毛が生じるのが頭部に3グレイ以上,さらに下痢が生じるのが腹部に5グレイ以上であることが明らかになっている。
ところが,原爆投下直後から残留放射能の測定が行われており,残留放射線の程度は,このような急性症状が生ずるほどのレベルのものではない。このことは,放射能の物理的な性質からも裏付けられるところである。
(ウ) 一口に脱毛といっても,いろいろな症状及び発生原因がある。当時の栄養状態や衛生環境を考えれば,10ないし20パーセント程度の国民が脱毛の症状を訴えていたからといって,何ら不自然なことではないのである。
発熱や下痢といった症状についても,炎天下に,原爆投下後の市内を長時間歩き回ったり,作業をしたことによって,一時的に脱水症や熱中症を引き起こした可能性や,当時蔓延していた赤痢等の感染症に罹患したために生じたことが考えられるのであり,P6自身もその所見が赤痢と同様であることを認めている。当時は,赤痢,腸チフス,パラチフスといった腸管感染症が蔓延しており,特に赤痢は前年の1.75倍の9万6462人もの患者が全国で発生し,8月,9月は特に患者が集中している時期であった。また,昭和21年の調査結果では,栄養障害から生じる慢性下痢が2パーセントを超す者に認められた月もある。
(エ) P6は,これらの症状をどの程度正確に把握し,調査したものかについては判然としない。調査自体,原爆投下から10年以上経過した昭和32年1月から7月に行われたものであり,広島市内の一定地域しか調査していない。飽くまでも本人からの聞き取り調査であり,客観的な診断を経たものではない。
被調査者に対し,原爆被害の調査であることを明らかにし,先入観を与えた上で,各自の被害状況を調査した場合には,自らの脱毛や下痢等の症状も被曝によるものではないかと疑い,これを回答することがあったと容易に推察されるし,逆に入市もしていない者は,急性原爆症の症状があるか問われてもそのようなものはない旨回答するはずである。さらに,被曝による急性症状としての脱毛や下痢等が起こり得るようなレベルの被曝があれば,感染症等の重大な合併症を発症させるものであることにも留意しなければならない。
また,甲A18の内容をみても,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではないことは明らかである。
そうである以上,前掲「原爆残留放射能障碍の統計的観察」が被曝による急性症状を的確に把握していたとは到底考え難いというほかない。
(オ) なお,P6自身,「原爆残留放射能障碍の統計的観察」の「緒言」において,原爆の残留放射能傷害については,「原爆直後爆心地附近に出入りした非被爆者の中に白血球減少や急性原爆症々状がみられた事実から,残留放射能障碍の存在を示したものと,反対に同様な非被爆者に血液異常や身体障碍はなかったとした両報告があ」り,「広島,長崎の原爆残留放射能に因る血液異常や身体障碍については各家の報告がそれぞれ違うので,今日なおこの問題には定説がない」と述べており,「原爆残留放射能障碍の統計的観察」もそのような「各家の報告」の1つにすぎない。
そして,P6が,上記「緒言」において,「後者」すなわち「(原爆直後爆心地附近に出入りした)非被爆者に血液異常や身体障碍はなかったとした」報告の例として挙げている「陸軍々醫學校」の報告とは,「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告 第8章 爆発後被爆地帯に入れる者に対する障害」(乙A70)を指し,「P42他」の報告とは,九州大学医学部P42内科教室教授P42ほか「原子爆弾症の臨床的研究(1)」(乙A71)を指し,「P43,P44」の報告とは,九学医学部放射線治療学教室教授P43,助教授P44ほか「長崎市における原子爆弾による人体被害の調査」(乙A72)を指すものと思料されるところ,これら3つの報告は,いずれも,本人の自己申告ではなく,医師による診断や客観的データに基づくものであり,その信ぴょう性は高いといい得る。P6の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」は,これら信ぴょう性の高い報告に反しているという点からも,信ぴょう性は低いというべきである。
ウ P4報告書の恣意的な内容
(ア) P4報告書の概要
P4報告書(甲A77)は,被団協2004年調査から,① 広島被爆者,② 被爆時在住地が爆心地から4キロメートル以遠,③ その後,広島市内(爆心地から2キロメートル以内)へ入市,④ 8月6日に見られた「黒い雨」の直接的曝露の経験なし,⑤ 昭和20年(1945年)末ころまでに脱毛を呈したこと,の5基準をすべて満たす29名を取り上げ,8月16日に入市したものがいること,爆心地から1.8キロメートル離れた地点にも「脱毛」を訴えた者がいることから,昭和20年8月半ば以降においても,広島市内(爆心地から約2キロメートル)一円が放射線被曝急性症状である脱毛をもたらすような残留放射線の汚染環境であったと断じたものである。
(イ) P4報告書は放射線被曝による脱毛の発症メカニズムをおよそ考慮しないものであること
a P4報告書は,「脱毛」を訴えた29名の入市被爆者の入市日や入市した地点から,前記(ア)のような結論を導き出したものであるが,放射線被曝による急性症状としての脱毛は,毛根が原爆放射線により損傷することによって生じるものであるところ,内部被曝により血液を通じて毛根を損傷するほどの放射線影響を生じさせるには,各毛根ごとに3グレイ以上の被曝を与え得る放射能の集積が必要である。全身にそのようなレベルの被曝があれば,被爆直後から発熱,嘔吐を生じ,脱毛,下痢とともに,著明な白血球減少を来たし,動けなかったはずと考えられ,加えて当時の衛生状態をかんがみれば,重篤な感染症の合併が見られたはずである。また,呼吸や飲食等を通じて放射性物質が体内に取り込まれたとしても殊更頭皮(毛根部)のみにこれが集積することもあり得ないのである。
b そもそも,脱毛にはいろいろな症状及び発生原因があり,原爆が投下された昭和20年当時の広島・長崎の悲惨な状況下では,極度の精神的ストレスや感染症,栄養障害等の理由から多少の脱毛がみられたとしても何ら不自然なことではない。
P4報告書では,前記(ア)の③の基準を満たさない者の集団,すなわち,入市をしていない者の集団との比較もされておらず,上記のような栄養状態等を原因とする場合とは異なる結果が得られることが明らかとなっているとはいえない。
c また,P4報告書が基礎としている被団協2004年調査は,平成15年5月の被団協新聞の折り込みで,「遠距離被爆者・入市被爆者実態調査」を依頼し,被爆者から寄せられた回答を集計したもののようであるが,およそ60年前の記憶を呼び起こすことを要するものであり,その正確性や信頼性にはかなりの疑問があるといわなければならない。また,自己申告のアンケート調査を医学的な検討に供するためには,少なくとも症状を訴えた者についてその内容をさらに詳細に調査するなどして,アンケート調査の限界を克服することが必要であるが,被団協2004年調査には,それがない。
d 以上によれば,P4報告書は,客観性に乏しいアンケート結果に基づき,その症状の程度や内容も明らかではない「脱毛」の訴えを,殊更,原爆放射能の急性症状と決め付け,「8月半ば以降においても,広島市内一円は残留放射線の汚染環境であった」と断じたものであるが,前記aのような脱毛の発症メカニズムをおよそ考慮しないものであり,失当である。
(ウ) P4報告書が検討対象集団とした29例の選択は不適切であること
P4報告書は,対象集団29例は,すべて上記(ア)の⑤の昭和20年(1945年)末ころまでに脱毛を呈したことという基準を満たしているとする。P4報告書がこのような基準を設定したのは,放射線被曝による急性症状とは昭和20年末ころまでに起こった症状であるとされていることを意識したものと思われる。
しかし,P4報告書の対象集団は,そのほとんどが脱毛の発症時期が明らかではない上,脱毛が発症していないものや昭和21年以降に発症しているものを含み,さらに,医学,放射線生物学の見地からは発症時期からして放射線被曝による急性症状には当たらないものも含まれており,その対象の選択が不適切であって,P4報告書の科学的客観性には疑問があるといわざるを得ない。
(エ) P4報告書は,脱毛群と非脱毛群の相違を考察していないこと
P4報告書は,約280名の入市被爆者のうち,脱毛を含む上記(ア)の①ないし⑤の基準を満たすとする29名の対象集団の入市行動等を検討しているが,非脱毛群の検討が行われていない。
P4報告書が,甲A77に記載してある脱毛を「放射線被曝を立証するもの」として論じようとするのであれば,脱毛群と非脱毛群との比較を行い,脱毛群と非脱毛群に差異がある要因(それは脱毛と関連する要因であると科学的に考察するのが妥当である。)の有無を調査し,検討することが必要である。しかし,P4報告書は,前述のように,脱毛も様々な要因で起こるのであるから,脱毛があれば必ず放射線被曝があることにはならないのに,脱毛群のみをるる論じた上で,それらが原爆放射線の急性症状であると決め付けているだけであり,具体的に非脱毛群との比較を行い,差異がある要因の有無の調査・検討をした結果として放射線被曝を対象集団の脱毛の原因であるとしているわけではない。この点から見ても,P4報告書は,調査,検討の過程に問題があり,同調査で述べられた脱毛症状が「放射線被曝を立証するもの」とはいえず,まして,脱毛発生が「推定被曝量から一定独立して,被曝の障害重度さを示唆するもの」などとは到底いえないものである。
(オ) P4報告書は入市日ごとの脱毛の出現率を比較していないこと
P4報告書は,対象集団29例の最初に入市した日の内訳が,昭和20年8月6日に入市した者は14名(48パーセント),同月7日に入市した者は8名(28パーセント)であるのに対し,同月8日以降は,8日が1名,9日が2名,11日,14日,15日,16日は各1名であることを根拠として,被爆当日(昭和20年8月6日)や翌日(同月7日)の入市者においては,脱毛症状は珍しくなく,一方,それ以降の入市日で,脱毛事例が減少しており,残留放射線の経時的減衰の反映であると解されるから,入市被爆者の脱毛症状は,これまでの国の主張であるストレス説や栄養失調説では,説明が困難であるとする。
しかし,昭和20年8月6日及び7日に入市した者に脱毛が多く生じ(脱毛の出現率が高い),同月8日以降に入市した者に脱毛は少ない(脱毛の出現率は低い)というためには,各入市日ごとの入市者の総数が何名であったのかを集計した上で,各入市日ごとの脱毛の出現率を算出し比較しなければならないはずであり,アンケートを募集しそれに応じてきた者の中での絶対数を比較することに意味はない。すなわち,当時の状況を考えれば,原爆投下当日の8月6日及び7日は,肉親捜しや救護のために多くの者が市内に入り,その後は徐々に減少していったと考えられ,このようにもともと両日に入市した者の数が多かったために,結果として,脱毛を呈した者の絶対数が増え,8月6日及び7日の両日の入市者に脱毛を呈した者が集中しているように見えるとも考えられるからである。例えば,8月6日に入市者の総数が140名に上り,同月14日の入市者の総数が2名のみであったならば,8月6日の脱毛の出現率は10パーセント,同月14日の脱毛の出現率は50パーセントとなり,1週間後に入市した者の方が脱毛が起こりやすかったという,原告らの主張とは矛盾した結果になる。しかるに,P4報告書は,各入市日ごとの入市者の総数を明らかにすることなく,昭和20年8月6日及び7日の入市者においては,脱毛症状(しかも自己申告のみである点に問題がある。)は珍しくなく,それ以降の入市日の入市者に脱毛事例が少ないのは,残留放射線の経時的減衰の反映であるとしているが,前提とする調査結果の比較方法が恣意的で極めて問題があり,このような結論を導くのは不当である。
(カ) その他P4報告書が指摘する点の誤り
a 脱毛と精神的ストレスとの関係について
P4報告書は,甲A第77号証資料5の調査研究(甲A第47号証の添付文献37)において,精神神経症状との関連で脱毛症状が多発したとの指摘はないことを根拠に,被告らが脱毛の原因として精神的ストレスを挙げるのは合理的でないと指摘する。
確かに,上記調査研究において被爆者に見られた神経精神医学症状をまとめた表9.22(158頁)には,脱毛に関する記載はない。しかし,これは脱毛について神経症様症状の調査項目としなかったにすぎず,精神的ストレスによる脱毛症状がなかったということを意味するものではない。また,これは,調査が行われた当時は,脱毛は典型的な放射線障害に他ならないとの誤った情報が広く世間一般に知られていたために,本調査を行ったP45医師らが,脱毛はすべて放射線の急性症状であると決めつけ,神経症様症状の調査項目から除外していたとも考えられる。調査を行ったP45医師は,「原子爆弾災害に遭遇してうけた精神的ショックやストレスはとうぜん強烈であり,心因性影響は絶大であったと推定され,神経症ないし心身症性障害を誘発したと考えられる」と述べており,それだけの精神的ショックがあったと考えていながら,被爆者に発生した脱毛と精神的ストレス・心身症との関連を全く無視するほうが不自然というべきである(円形脱毛症は,心身症の代表疾患の1つである。)。
b 脱毛と被曝線量について
P4報告書は,低線量域で脱毛症状が発現した事実が確認されたものとして,長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設のP22らの研究(甲A77資料7(甲A80)及び資料8(甲A47・添付文献15))を指摘する。
しかしながら,放射線の急性症状としての脱毛は,各毛根ごとに3グレイ以上の被曝がなければ生じないことは,異論のないところである。
同研究の内容をみても,甲A80の報告は,脱毛の程度も検討対象としているものの,調査票による自己申告であるから,その信頼性には限界がある。P4報告書は,「脱毛や皮下出血はこれまで放射線以外の要因では起こりにくい」という記述に注目しているようであるが,その科学的根拠は一切記載されておらず,むしろ,その前には「これらの急性症状には放射線以外の要因によるものが含まれているかもしれない。」と記載されており,「脱毛についてはこれまで放射線以外の要因では起こりにくいと考えられている」との上記記載を踏まえ,「今回の調査では脱毛についてさらに詳しく調べた。」「しかし,これが放射線の影響か否かは本調査の結果からは判断できない。」とされているものである。
c P23訴訟最高裁判決について
P4報告書は,「脱毛に対するストレス・栄養障害説は,実はP23訴訟において被告の国・厚生省から強く主張された見解であったが,司法判断(資料6,平成12年7月18日最高裁判決)では疑問視された」と指摘する。
しかしながら,P23訴訟最高裁判決は,審査の方針が前提としている原爆放射線量推定方式のDS86に対する疑問点を指摘したものであって,低線量域で脱毛が生ずることを認めたものでないことは明らかである。
d 早期入市者の白血病について
P4報告書は,「早期入市者の白血病発生にふれた報告がある」として,乙A94の論文(以下「P46論文」という。)を指摘するが,これは,早期入市者の白血病発生率について,原爆爆発後3日以内の入市者では10万人対9.69人,4日から7日までの入市者では10万人対4.04人で,共に非被爆者及び日本全国例の発生率より高く,殊に3日以内の入市者の発生率は,非被爆者の白血病発生率の10万人対2.33人の約4.2倍と高率であるとするものである。
しかし,このP46論文の調査結果は,早期入市者と非被爆者について,白血病発生数を単純に総数で除した発生率を比較しただけで,統計的解析も行われていない(症例数が総数で63と不十分で,統計的に有意といえるものではない。)。また,白血病と被爆距離の関係については,1950年の国勢調査を用いた検討では,被爆距離が2001から5000メートルでの被爆者では非被爆者よりも白血病発生率が低いという結果が得られているにもかかわらず,調査結果を述べる際には,1960年の国勢調査での検討結果(2001ないし5000メートルの被爆者においても,非被爆者よりも,白血病発生率が高いというもの。)のみを述べているなど,科学的な信頼性には疑問が残るといわざるを得ない。
e 早期入市者の染色体異常について
P4報告書は,「被爆者の末梢血リンパ球に染色体異常が認められる」として,甲77資料9及び18を指摘する(同資料9は乙A14であり,同資料18は甲A84の1及び2である。)。
しかしながら,被爆者の染色体異常を検討した甲A77資料18の論文は,結局は早期入市者に統計的に有意な染色体異常は指摘されなかったとしている。
また,甲A77資料9(乙A14)のP29・P30氏の報告は,確かに「滞在期間の差が染色体異常に反映された」としているものの,他方,「長期滞在者,短期滞在者のいずれの群でも医療被曝による染色体異常が考えられる結果が得られた」,「原爆による線量よりも医療被曝線量の寄与が大きい者も存在すると考えられる」としている。この報告は,原告らの主張のように,「残留放射線被曝の積算線量が多いほど染色体異常をもたらし,その異常が今日まで持続していること」よりも,早期入市者の原爆による被曝線量は,4.8ラド(センチグレイ)以下であること,原爆による被曝線量よりも,医療被曝線量の寄与の大きいものが存在すると考えられることを示したことが重要というべきである。
また,P4報告書は,早期入市者群を入市日で分けて検討する手法が残留放射線との線量反応関係を検討する場合の常道で,妥当な検討のように述べるが,誘導放射能は時間の関数であるばかりでなく,爆心距離の関数でもある。すなわち行動地点が爆心にどれだけ近いかによっても大きく変動するので,このような見解自体が放射線計測学の知識を欠いたものといわざるを得ない。
エ 「黒い雨」に関する原告らの主張は失当であること
(ア) 残留放射線の線量評価は適切に行われていること
a 原告らは,「黒いすす」や「黒い雨」や放射性微粒子などの放射性降下物は,初期放射線を浴びた直爆被爆者のみならず,入市被爆者の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは大気中や地面から,アルファ線,ベータ線及びガンマ線を放出して身体の外から被曝させた(放射性降下物による外部被曝)などと主張する。
b しかしながら,被爆直後から放射性降下物の影響については十分な調査が行われ,審査の方針にもそれが反映されているのである。放射性降下物は,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多くみられることが確認されたが,それでも爆発1時間後から無限時間までの放射性降下物による積算線量は,ごくわずかである。これらの残留放射線量が初期放射線量に比してかなり低いのは,時間とともに急速に低下するという放射能の性質によるものであり,自明の事柄というべきある。この程度の放射線量であれば,放射線医学の常識に照らしても,人体に影響を及ぼすほどのものでないことは明らかである。
c 原告らは,「黒い雨」及び「黒いすす」を放射性降下物と同視しているようであるが,原爆直後にいわゆる「黒い雨」が見られたのは,火災によるすすが捲き上げられ,雨と一緒に降下したことによるものであり,このすすと,原爆の核分裂によって生成された放射性物質(放射性降下物)とは必ずしも同じものではない。すなわち,己斐又は高須地区等に降った「黒い雨」及び「黒いすす」には放射性降下物が含まれていたことが調査結果により推定できるのであるが,それ以外の地区に降った「黒い雨」及び「黒いすす」に放射性降下物が含まれていたことは,調査結果によっても何ら裏付けられてはいないのである。平成3年5月に報告された「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙A20)は,残留放射能の再測定,気象シミュレーション法による降下放射線量の推定をし,「黒い雨」に曝された群と曝されていない群の体細胞突然変異及び染色体異常の頻度を調査したが,「黒い雨」降雨地域における残留放射能の残存と放射線によると思われる人体影響の存在は認められなかったと結論づけているのである。
d 審査の方針においては,誘導放射能による残留放射線による被曝線量及び己斐又は高須地区等についての放射性降下物による被曝線量を考慮している。己斐又は高須地区等審査の方針に規定された地区以外での放射性降下物による被曝線量及び内部被曝による被曝線量を考慮していないのは,それらが原因確率の判断に当たっては影響しないようなごく微量にすぎないからである。
(イ) 放射性降下物の影響を受けた地域を広げようとする原告らの主張には根拠がないこと
a 原告らは,気象学者のP12氏が示した「黒い雨」の雨域(P12雨域)は,広範な地域に「黒い雨」が降ったことを示しており,また,P12雨域の正確性は,広島大学のP13教授による土壌中のセシウム137の測定結果によっても裏付けられているとして,「黒い雨」の他に「黒いすす」や放射性微粒子の存在を併せ考えれば,放射性降下物の影響は,非常に広範な地域に広がったことは明らかであると主張する。
b しかしながら,気象シミュレーション法を用いて推定した長崎の降雨地域は,これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致することが確認されているのである。P12らが調査した降雨域は,原告らが主張するような経緯に照らしても,客観性のあるものかは相当疑わしいといわざるを得ない。すなわち,P12論文自体が記載しているように,同論文の基礎とした資料には,「原爆投下直後から,43年近く経った現在までのものが混在して」おり,P47雨域が健康診断特例地域に指定されてからは,地域指定を求める運動と関連して降雨を過大に報告する傾向が強くなったものというべきである。
c そもそも,「黒い雨」や「黒いすす」と放射性降下物とは必ずしも同じものではない。「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙A20)によっても,土壌中の残留放射線値はP47・P12両降雨地域のいずれとも相関がみられないことが判明しているのである。
d 原告らが挙げる,セシウム137の放射能の値と降雨域との比較から,降雨域についてP12雨域を証明しているとするP13らの論文(甲A32の1,2)をみても,その内容は,22のサンプルのうち,P12雨域には含まれているが,P47雨域に含まれていない18,22及び25の3点でセシウム137が検出されたというものにすぎず,同論文自体が,「全市にわたる降雨域を評価するにはサンプル数は十分ではない」,「サンプル2,3,13,14,および16は両方の地図の降雨域に位置しているが,しかし,セシウム137は検出限界より低い。」と認めているところであり,P12雨域が放射性降下物の分布と一致することが証明されたとすることはできない。
この点,黒い雨に関する専門家会議では,P13らの論文をはるかに上回る約200地点の土壌から採取したセシウム137について,P12小雨域A,P12大雨域B,P47小雨域C,P47大雨域Dの内外のいずれでも有意な差はなく,特に放射能の大きい3重丸の点10地点に限っても,いずれも有意差は認められなかったとしている。
e なお,P12氏は,核分裂により生成された元素や誘導放射化された爆弾の構造物や地上の建造物等を構成する物質が放射性降下物として,「黒い雨」に大量に含まれているなどと証言している。しかし,己斐・高須地区,西山地区以外の地域において,核分裂生成物や誘導放射能が有意に検出されたとの報告はなく,同証人の証言は単なる可能性を述べるにとどまるものであり,「黒い雨」のすべてが大量の放射性降下物を含むものであることを基礎づけることにはならない。
また,P12氏は,己斐・高須地区の残留放射能が最も強く検出されていることについて,計った地域が限定されている中で高須地区が一番高かったということで,ほかにそうでなかったという保証がないなどと証言する。しかし,己斐・高須地区以外の地区に,同地区以上の残留放射能があったということについては,何ら具体的な根拠がないのであって,失当というほかない。
(4) 審査の方針において内部被曝による被曝線量を算出していないことの正当性
ア 内部被曝による影響は無視し得るものであること
(ア) 内部被曝とは,呼吸,飲食,外傷・皮膚等を通じて体内に取り込まれた放射性物質による被曝のことを指す。
DS86開発時においては,放射性降下物が最も多く堆積したと考えられる長崎の西山地区の住民について,セシウム137による内部被曝線量の推定が行われ,これに勝る科学的知見は存在しない。同推定は,ホールボディーカウンターによる西山地区住民の男性20名,女性30名中のセシウム137の測定を基礎としてされ,その結果,1945年(昭和20年)から1985年(昭和60年)までのこの地区における内部被曝による積算線量,すなわち40年間分の内部被曝線量の総計は男性で0.0001グレイ(10ミリラド),女性で0.00008グレイ(8ミリラド)と評価された。
審査の方針においては,内部被曝による被曝線量を特に検討対象としていない。これは,上記のとおり,内部被曝による被曝線量を最大限に見積もったにしても0.0001グレイ以下とごく微量であり,自然放射線による年間の内部被曝線量(0.0016シーベルト=すべてガンマ線であった場合0.0016グレイ)と比較しても格段に小さく,審査時の線量推定に考慮を要しないと判断されたことによるものである(なお,乙A95「アイソトープ手帳」は,通常のバックグラウンドの地域における自然放射線源からの1人当たりの体内照射(これは内部被曝と同意である。)の年実効線量当量の推定値について,1600マイクロシーベルト(1.6ミリシーベルトであり,これはすべてガンマ線であった場合1.6ミリグレイ=0.0016グレイとなる。)としている。そして,P39は,誘導放射能による内部被曝線量について研究し,原爆当日に広島で約8時間焼け跡の片付け作業に従事したとしても約0.06マイクロシーベルト(上記換算で表すと約0.00000006グレイである。)と外部被曝に比べて無視できるレベルであったとしている。)。
したがって,審査の方針において内部被曝による被曝線量を放射線起因性の判断のための被曝線量として考慮していないことは正当である。
(イ) 内部被曝によって体内に取り込まれた放射性核種や化合物は,各臓器・組織に分布した後,人体に備わった代謝機能により,体外に排出されていき,放射性核種や化合物の種類によって,排泄される速度や割合が生物学的半減期として測定することができるのであり,これが現在における放射線医学の到達点である。
そもそも,内部被曝は原爆放射線だけでなく,一般人にも日常的に生じている事象であり,その線量は,原爆によるものより自然放射線によるものの方が多い。また,原爆投下時よりもその数年後から頻回に行われた大気圏内核実験により,世界的規模で放射性降下物が蔓延し,それにより世界的に人間の内部被曝が数年来にわたり増加したことがUNSCEARの調査で明らかになっているが,その期間での健康影響さえ認められていない。
また,医療の現場をみても,核医学の分野では放射性核種を投与して,診断に役立てているが,それによって一定量の内部被曝が起きているものの,それによる人体影響がないというのが医療の常識である。この核医学では体の特定の部位に集まる放射性核種を投与する。例えば99mTc(テクネシウム99m)を用いた場合は骨等に,125I(ヨード125)や131I(ヨード131)を用いれば甲状腺組織に集まることがわかっており(乙A99,100),それで診断に役立てるわけであるが,その場合の線量は,99mTc-MDPを用いた場合で0.0075グレイ(7.5ミリグレイ),131I-NaIを用いた場合で1.4054グレイ(1405.4ミリグレイ)となり,原爆による内部被曝の場合より圧倒的に高い。このような特定の組織に集まる放射性核種を用いて,その組織が選択的に内部被曝を起こすことになっても,それで健康影響が現れるという知見はないし,そもそもそういうことが想定されるならば,核医学診断そのものが成り立たないのである。
したがって,呼吸,飲食等を通じて体内に取り込まれた放射性核種が生体内における濃縮等を通じて身体の特定の部位に対し継続的な被曝を引き起こすということはない。
(ウ) さらに,総線量が同じであれば,長時間かけての被曝(慢性被曝)の影響は,1回ないし数回の被曝(急性被曝)の影響よりも少ないことが知られており,これが現在における放射線医学の到達点である。
イ 残留放射能による内部被曝が人体に影響を及ぼすとは考え難いこと
(ア) 被爆者の内部被曝線量は自然放射線による被曝線量と比較しても非常に少ないこと
内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,原爆の核分裂生成物(原爆粒)であるセシウム137とストロンチウム90である。
誘導放射化された土壌や可燃物から生成される放射性核種の半減期は,アルミニウム28が2.24分,マンガン56が2.58時間,ナトリウム24が15時間と短く,長期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
長崎原爆では,土壌中の放射性核種が他地域より高く検出された西山地区において,セシウム137の降下量は,最も高いP48とP49の推定値でも900ミリキュリー毎平方キロメートル(最も初期に集められたP50の推定値では130ミリキュリー毎平方キロメートル。),すなわち,1平方センチメートル当たり3.3ベクレルであったと推定されており,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられている。
一方,広島原爆では,放射性核種が高く検出された己斐,高須地区においても,セシウム137の降下量は3から10ミリキュリー毎平方キロメートルとされ,P50の推定値で比較すれば西山地区の10分の1以下,上記で使用したP48らの推定値と比較すると90分の1以下となり,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられている。
また,核分裂によるストロンチウム90の生成量はセシウム137より少ないので,ストロンチウム90の降下量がセシウム137のそれを超えることはない。
そうすると,放射性核種によって最も高濃度に汚染された西山地区の被爆者が水・食物・ほこりなどから摂取した放射性核種の量を一辺が10センチメートルの立方体の領域(1リットル)として,その放射能はいずれの放射性核種についても330ベクレル(3.3Bq/cm2×10cm×10cm)以下となる。
国際放射線防護委員会(ICRP)の線量換算係数によると,セシウム137を1ベクレル経口摂取したときに肝臓の受ける線量(等価線量)の50年間の合計は1.4×10-8シーベルト,ストロンチウム90では6.6×10-10シーベルトであるから,330ベクレル経口摂取した場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム137が4.6×10-6(0.0000046)シーベルト,ストロンチウム90が2.2×10-7(0.00000022)シーベルトとなる。同様に,セシウム137を1ベクレル経口摂取したときの実効線量(身体すべての組織・臓器の荷重された等価線量の和)の50年間の合計は成人で1.4×10-8シーベルト,ストロンチウム90では成人で2.8×10-8シーベルトであるから,330ベクレルを経口摂取した場合の実効線量の50年間の合計は,セシウム137が4.6×10-6(0.0000046)シーベルト,ストロンチウム90が9.2×10-6(0.0000092)シーベルトとなる。
広島の,己斐及び高須地区以外の被爆者の被曝線量については,これらをはるかに下回ることになる。
他方,人体が自然放射線によって受ける全身の被曝線量は年間およそ0.001シーベルトであり,50年間ではおよそ0.050シーベルトとなる。すなわち,内部被曝による被曝線量は,最大限に見積もったとしても自然放射線による被曝線量の10000分の1以下にすぎない。
このように,原爆被爆者らの内部被曝による推定線量は,自然放射線による被曝と比較しても,非常に少ないといえる。
(イ) 体内に取り込まれた放射性核種は物理的崩壊により減衰するとともに,代謝過程を経て排泄されること
さらに,セシウム137とストロンチウム90の半減期はそれぞれ約30年,29年であるが,体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけでなく,各元素に特有の代謝過程を経て徐々に排泄される。
この代謝により半減する期間を生物学的半減期といい,物理学的半減期と生物学的半減期との相乗によって体内の放射能が半減する期間を有効半減期という。
国際放射線防護委員会(ICRP)のモデルによれば,経口摂取されたセシウム137はそのすべてが胃腸管から血中に吸収され,10パーセントは生物学的半減期2日で,90パーセントは生物学的半減期110日で体外へ排泄されるとされている。これによると,10年後には7.3×10-11,すなわち100億分の1以下に減衰することになる。
一方,ストロンチウム90は,経口摂取されたうち30パーセントが消化器系を経由して血中に注入され,残りは便として排泄されるとされている。ICRPのモデルによれば,血液に1ベクレル注入された場合,10年後には軟組織全体に残留しているのは1.2×10-4ベクレルすなわち約8300分の1以下に減衰することになる。
なお,預託実効線量(体内摂取後50年間に受ける実効線量の積算)20ミリシーベルト(0.02シーベルト)に相当する体内摂取量を年摂取限度(ALI)という。セシウム137の年摂取限度は6メガベクレル(600万ベクレル)であり,ストロンチウム90の年摂取限度は107キロベクレル(10万7000ベクレル)である。
(ウ) ウラン235が内部被曝を引き起こしたとは考え難いこと
澤田昭二ほか著「共同研究 広島・長崎原爆被害の実相」(甲A7)には,広島原爆の原料であるウラン235の一部が未分裂のまま環境中に放出され,内部被曝を引き起こしたかのような記載がある。
しかし,ウラン235の物理学的半減期は7.1×108年(約7億年)であるところ,広島においてウラン235の残留が検出されたとの報告はない。
むしろ,原爆の核分裂直後に形成された火球の温度は,最高で摂氏数百万度に達したとされていることから,ウラン235の一部が未分裂のままであったにしても,それらは気化(蒸発)してしまったと考えるのが自然である。また,原爆の爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧がつくられ,周りの空気が大膨張して爆風となったとされていることから,気化したウラン235は,爆心地の近辺にとどまることなく,原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈されて流れ去ったものと考えられる。したがって,広島原爆における未分裂のウラン235が放射性降下物として爆心地やその周辺に降下し,内部被曝を引き起こしたかのような主張は根拠がない。
なお,ウラン235は物理的半減期が上記のように非常に長いものの,体内での代謝が早いため,その生物学的半減期は15日であり,この点からしても,長期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
長崎原爆では,約1キログラムのプルトニウム239が核分裂し,残りの約10キログラムが未分裂のままであったことについては,被告らとしても,その可能性を否定するものではない。しかしながら,広島原爆同様,未分裂のプルトニウム239は,摂氏数百万度の高熱の中で気化したと考えられること,爆発点では超高圧が作られ,周りの空気が大膨張して爆風となり,気化したプルトニウム239が,爆心地の近辺にとどまることなく,広範囲に拡散したと考えられることからすれば,未分裂のプルトニウム239の多くは爆心地やその周辺に降下・堆積したとは考え難い。なお,長崎では,広島でのウラン235とは事情が異なり,未分裂のプルトニウム239が西山地区において実測されている。ただ,P51らの研究でも明らかなように,プルトニウムの農作物への移行因子,すなわち農作物に取り込まれた割合は,セシウムの100分の1ないし200分の1と非常に微量である。すなわち,長崎においては,未分裂のプルトニウムの存在は科学的に証明されており,その事実に関しては被告としても否定しないが,同時にそれはごく微量のもので,健康影響を考えるには至らない程度であることも客観的に証明されているというべきである。
(エ) 小括
以上のような科学的知見からすれば,放射性降下物によって継続的な内部被曝が生じ,人体影響を生じるとは到底考えられない。
ウ 内部被曝に関する原告らの主張に対する反論
(ア) 外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同じであれば,人体影響に差異はないこと
a 原告らは,放射性降下物や誘導放射化されや物質は,対外からの持続的な被曝に加え,呼吸や飲食などを通じて体内に入り込んで沈着し,この沈着した放射性物質が周辺の細胞を継続して被曝させて深刻な影響を与えるのであって,この影響は,体全体が一様に被曝する外部被曝の影響とはことなり細胞レベルで半永続的に作用し続ける危険がある点で,決して軽視できないにもかかわらず,DS86ではこの内部被曝の問題を無視しているなどと批判する。
b しかしながら,外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同じであれば,人体影響に差異はない。したがって,問題は,内部被曝によって,どれだけの線量の放射線を被曝したのかである。
ここで注意を要するのは,上記のように「外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同じであれば,人体影響に差異はない」という場合の「線量」は,積算線量(線量率(単位時間当たりの線量)と時間の積)を指しているが,原告らが,「低線量であっても永続的な被曝をもたらすから無視できない」という場合の「線量」は,上記線量率のことを指していると考えられることである。原告らは,「低線量であっても永続的な被曝をもたらすから無視できない」というのであれば,積算線量がどのくらいと考えているのかを明らかにすべきであるが,これを明らかにしていない)。この点からしても,原告らの主張は失当である。なお,内部被曝による積算線量はごく微量と考えられる。
c また,放射線の生物に与える影響については,線量率が高い(すなわち,照射時間は短い)場合と線量率が低い(すなわち,照射時間は長い)場合とを比較すると,積算線量が等しくても,線量率が高いほうが,生物学的効果は大きい(これを「線量率効果」という。)というのが原則である。P52氏の意見書では,逆線量率効果の存在が指摘されているとするが,P52氏によっても,この逆線量率効果は,実験的に確認されているにすぎないというのであり,逆線量率効果の存在を前提に,低線量率かつ長時間照射の内部被曝のほうが,高線量率かつ短時間の外部被曝よりも人体に与える影響が大きいということは妥当ではない。
そもそも,低線量被曝での健康影響は疫学的に困難である。問題とする線量が低ければ低いほど,信頼できるデータを得るために必要な疫学調査の対象者数が飛躍的に増加するからである。すなわち,UNSCEARでは固形がんの場合,疫学的に有意な結果を得るための母集団の数は目的とする線量が0.1センチグレイでは10億人,1センチグレイでも1千万人と疫学の実践的限界を大きく超える母集団が必要であるとしている。低線量においては,このような規模の母集団をもつ調査でなければ,その調査結果は事実上大きな不確実性(誤差)を含み,信頼性が低いものである。しかしながら,原爆よりも多い自然放射線での内部被曝で健康影響が生じたとする知見はいまだ存在しない。
d さらに,原告らは,内部被曝の場合は,放射線の線源となる微粒子が体内に入ると,微粒子の周辺の細胞は,次々と放射線をあびるので,局所的にはきわめて高線量の被曝をすると主張し,一瞬の外部被曝と異なり,微粒子周辺の細胞は,細胞分裂の全過程中,放射線感受性の強い時期,弱い時期を通じて継続的に被曝することになるので,人体に与える影響が大きいと主張するもののようである。しかしながら,このような考え方(ホット・パーティクル理論)は,世界的に行われた調査研究により否定されている。それは,原告らの主張のように,線源となる微粒子が体内に入り,その周囲の細胞が集中的に被曝すると,細胞レベルで考えれば,高線量を受けることになるので,それらの細胞だけが細胞死を来すことになるが,1個の臓器や器官の組織を構成する細胞数は数百万から数千万個に上り,死んだ細胞の割合が少ないと,生存した細胞で代償されて臓器や器官の機能の低下が起こらないからである。
e 以上より,原告らが主張するような理論については科学的に実証されたものではなく,原告らの上記主張は失当というほかない。
なお,ECRR(欧州放射線リスク委員会)は,2003年(平成15年)の勧告において,内部被曝の危険性を指摘していたが,これに対しては,英国放射線防護庁(NRPB)が,手法が恣意的であること,適切な科学的根拠に基づいていないと回答しているところである。
(イ) 内部被曝で脱毛が生ずるとは考え難いこと
原告らは,入市被爆者に生じた急性症状については残留放射能の影響を考慮せざるを得ない旨主張するようである。
しかし,原爆放射線の人体影響としての脱毛は,毛根が原爆放射線により損傷することによって生じるものであるところ,血液を通じて毛根を損傷するほどの放射線影響を生じさせるには,各毛根ごとに3グレイ(=300センチグレイ)の被曝を与え得る放射性核種の集積が必要である。そもそも入市被爆者等の被曝線量が「急性症状」発現時に,内部被曝も含めて3グレイに達したことをうかがわせる証拠はなく,科学的な知見からもそのようなことはあり得ないのであり,まして,それが各毛根に集積したという根拠もないのであるから,およそ内部被曝によって脱毛が生じることはあり得ない。原告らの主張によれば,呼吸や飲食等を通じて体内に取り込まれた放射性物質が殊更に頭皮(毛根部)に集積することが前提となるが,そのような科学的知見は存しないのであって,原告らの上記主張は,何ら科学的根拠に基づくものではない。
(ウ) P12氏が行ったのは雨域の調査であって,健康被害の調査ではないこと
原告らは,P12氏の調査のなかでも放射能の影響と思われる疾病を訴える人が報告されている上,P13らの論文は,P12雨域に放射能の影響があったことを示していると主張するようである。
しかし,P12が行ったのは雨域の調査であって,健康被害の調査ではない。また,P12は,昭和62年6月13日及び同月14日,「P53」の協力を得て,会場に集まった約340人(何の目的で集まったのかは不明)の中の72人から聴き取り調査をし,その後,各地で独自に行われた聴き取り調査がテープレコーダーに記録されて送られてくるなど計111人の体験談が寄せられたとされているが(甲A7),その聴き取りの過程で現れた「放射線の影響と思われる疾病」については,医学的な検討を経たものではなく,そこで訴えられた症状が果たして真実「黒い雨」によるものであったのか,そして原爆放射線の影響によるものであったのか否かは全く明らかでない。
そもそも,甲A7・129頁に「放射能の影響と思われるような疾病」として引用されているのは,雨に遭った後に足が腫れだし,手術をしても治らないという原供述者の姉の話と,雨の後,吐き気を催して嘔吐し,その1年後に死亡したという原供述者の母の話であり,P12の現地調査において,直接本人が放射能の影響と思われる疾病を訴えた事例は記載されていない。なおかつ,上記の足が腫れたという原供述者の姉の話や,畑に嘔吐した原供述者の母の話などは,仮にその「黒い雨」に放射性降下物が含まれていたとしても,医学的にはそれらの症状が放射線被曝に起因すると考えることは到底不可能である。
(5) 審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法の合理性
ア 疫学調査及び原因確率による放射線起因性の判断
放影研は,線量推定方式等により得られた広島及び長崎の被爆者の線量推定値を基礎に,調査によって得られたデータの検討を行い,疾病を発症した被爆者のうち,放射線によって誘発された疾病の割合がどの程度と見られるのかを疫学的方法を用いて算出した(リスク推定値)。
そして,審査の方針においては,確率的影響による疾病につき,放影研の算出したリスク推定値を基に,被曝線量,申請に係る疾病等,性別,被爆時の年齢を要因として,申請に係る疾病の発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考える確率(原因確率)を算定し,これを目安として,当該申請に係る疾病等の(原爆)放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断することとしている。
そして,原因確率が,おおむね50パーセント以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があること(放射線起因性)を推定し,おおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定するが,放射線起因性の判断に当たっては,原因確率を機械的に適用して判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとしている。
このように,審査の方針が,原因確率によって放射線起因性を判断するとしていることは,放影研における疫学調査を基礎に最新の科学的知見を踏まえたものであって,科学的合理性がある。また,審査の方針が,上記のとおり,原因確率による推定をした上,既往歴等も総合的に勘案した上で,個別の申請疾患について放射線起因性を判断することとしていることは,被爆者援護法の趣旨から正当である。
イ 放影研における疫学調査
放影研による被爆者に対する疫学調査は,ABCC(原爆調査委員会)によって始められたものであり,放影研がこれを引き継いでいる。
ABCCの調査は,昭和25年当時に広島・長崎のいずれかに居住していた約20万人を「基本群」とし,この「基本群」から選ばれた副次集団について行われた。
(ア) 寿命調査集団
当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広島又は長崎にあり,昭和25(1950)年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆者の中から抽出され,爆心地から2000メートル以内で被爆した者全員から成る中心グループ(近距離被爆者),爆心地から2000ないし2500メートルの区域で被爆した者全員から成るグループ,近距離被爆者の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた爆心地から2500ないし1万メートルの区域で被爆した者のグループ(遠距離被爆者),近距離被爆者の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,1950年代前半に広島・長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなかったグループに分けられた。
その後,寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,爆心地から2500メートル以内において被爆した「基本群」全員を対象とし,1980年(昭和55年)には更に拡大され,「基本群」における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から1万メートル以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人の合計12万0321人となっている。
爆心地から1万メートル以内で被爆した9万3741人のうち,8万6632人は,DS86により被曝線量の推定値が得られているが,7109人については,建物や地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため被曝線量の推定値が得られていない。
なお,寿命調査集団には,1950年代後半までに転出した被爆者(昭和25(1950)年国勢調査の回答者の約30パーセント),国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時に両市に駐屯中の日本軍部隊及び外国人は含まれていない。
(イ) 成人健康調査集団
成人健康調査集団は,寿命調査集団の副次集団であり,2年に1度の健康診断を通じて疾病の罹患率(発生率)とその他の健康情報を収集することを目的として設定された。成人健康調査集団は,当初,寿命調査集団から抽出された1万9961人で構成され,昭和52年以降,新たに寿命調査集団のうちT65Dによる推定被曝線量が1グレイ以上である被爆者のグループや遠距離被爆者,胎内被爆者から成るグループを追加して拡大し,合計2万3418人の集団となった。
ウ 放射線による発がん影響の評価法
悪性腫瘍は,放射線による疾病のうち,確率的影響に分類される。したがって,被爆者が発症した悪性腫瘍に対する放射線の影響の評価は,疫学的な研究手法を用いて被爆者集団を調査し,被曝群における発生頻度と対照群における発生頻度を比較するという形や,低線量から高線量を被曝した被曝群において性,年齢等を考慮した回帰分析を用い,単位線量当たりのリスクを評価する方法等で行われる。
放影研では,リスク評価として絶対リスク,相対リスク及び寄与リスクという指標を用いている。
(ア) 絶対リスク
絶対リスク(AR:Absolute Risk)とは,観察期間中に,集団中に生じた疾病(死亡)の総例数又は率である。なお,リスクを示す場合,通常,1万人年(人年は,人数と観察年数の積を表す単位)当たり,あるいは1万人年グレイ当たりで表わされることが多い。
(イ) 過剰絶対リスク
過剰絶対リスク(EAR:Excess Absolute Risk,リスク差,寄与リスク,寄与危険,超過リスクなどともいう。)とは,被曝群と対照群の絶対リスクの差であり,放影研の疫学データでは放射線被曝集団における絶対リスクから,放射線に被曝しなかった集団における絶対リスク(自然リスク,つまり放射線以外の原因によるリスク)を引いたものを意味する。
(ウ) 相対リスク
相対リスク(RR:Relative Risk,相対危険度,リスク比ともいう。)とは,被曝群と対照群の死亡率(あるいは発病率)の比をいう。
(エ) 過剰相対リスク
過剰相対リスク(ERR:Excess Relative Risk)とは,相対リスクから1を引いたもので,調査対象となるリスク因子によって増加した割合を示す部分をいう。
(オ) 寄与リスク
被爆者は,当然放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,被爆者に発症したがんのうち,放射線によって誘発されたがんの割合を推定する必要があるが,この割合を寄与リスク(ATR:Attributable Risk,寄与リスク割合,寄与危険割合,寄与割合ともいう。)と呼んでいる。例えば,あるがんを発症した被爆者のうちの何パーセントが放射線被曝が原因で発症したか,といった意味で用いられる。審査の方針において用いられている原因確率の値はこの寄与リスクの値に由来している。
エ 寿命調査集団におけるリスクの算出方法
放影研における寿命調査集団を対象とする疫学調査報告では,放射線リスク評価は,被曝線量の程度に応じて幾つかの群に分けた被曝群と対照群とを比較するのではなく,「寿命調査第10報」(乙A12)以降,ポアソン回帰分析を用いて,対照群をとらない内部比較法によりリスク推定を行い,単位線量当たりのリスクを推定している。
回帰分析とは,予測したい変数である目的変数(この場合は特定疾病の死亡(罹患)率)と目的変数に影響を与える変数である独立変数(この場合は被曝線量)との関係式(回帰式)を求め,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大きさを評価することである。ポアソン回帰分析は,目的変数が,ポアソン分布に従うと仮定して行う回帰分析法である。
ABCCが研究を開始した初期には,回帰分析法による統計解析ができなかったが,統計解析法の進歩と,放影研における疫学調査が被曝線量0から高線量まで非常に広範囲にわたり線量推定がされた集団を対象にした調査であったことから,回帰分析法によるリスク推定ができるようになった。回帰分析法を用いた内部比較法によると,曝露群と非曝露群の2種類しかない集団を比較する外部比較法と異なり,放射線被曝以外の性,年齢等の要因が同様の曝露群同士を比較することができるほか,観察人数,疾病・死亡数や罹患数が十分であるため,曝露要因量における累積死亡率(罹患率)を算出し,直接比較することができるのである。
このように,ポアソン回帰分析法による解析によって,0(ゼロ)シーベルトの場合と任意のシーベルトの場合の発症率(死亡率)の推定値を求めることができ,単位線量当たりの過剰絶対リスク及び過剰相対リスクが求められるのである。
オ 原因確率の評価
(ア) 原因確率の意義
原因確率は,個人に発症した疾病とそれをもたらしたかもしれない原因との関係を定量的に評価するための尺度である。リスクが集団における将来的な発生確率を予測しているのに対して,原因確率は,個別の案件における特定の結果があって,遡及的にある要因がその結果を引き起こしたと考えられる割合を意味する概念である。原因確率は原爆症認定のために新たに考え出された概念ではなく,米国公衆衛生院国立がん研究所(NIH/NCI)においても,被曝補償を行うためのリスク評価法として使用されており,リスク評価法として,原爆症認定と同様にポアソン回帰分析が使用され,性別,年齢,到達年齢,経過年数がそれぞれ考慮され,退役軍人及びエネルギー省(DOE)職員の職業被曝の補償のための指標として使用されている。また,英国原子力産業労働者の補償計画でも原因確率が使用されている。
特定の被爆者に発症したがんについて考えると,当該被爆者は一般の非被爆者と同様に放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,がんが発生したとしても一般人のように放射線被曝以外の要因でがんが発生した可能性も考えられる。そして,当該被爆者に発症したがんのうち,放射線被曝によって誘発されたがん発生の割合が原因確率ということになる。審査の方針における原因確率は,前述した寄与リスクに由来している。
(イ) 寄与リスクの基礎となった資料
審査の方針における原因確率の基となったのは,「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(乙A7)において算出された寄与リスクの値である。当該論文において算出された寄与リスクは,白血病及び固形がんについては,放影研のホームページにおいて公開されている死亡率調査,発生率調査のデータを用いて算定した。
なお,放影研のホームページにおいて公開されている被曝線量に関する情報は,死亡率調査のデータファイルではカーマ線量が,発生率調査のデータでは臓器線量が被曝線量値として登録されている。
また,発生率調査は昭和33(1958)年から昭和62(1987)年までの結果を参照しているが,死亡率調査はそれより11年間長く実施され,昭和25(1950)年から平成2(1990)年までの結果を参照している。そして,公開されているカーマ線量と,死亡率調査の結果から白血病,胃,大腸,肺がんの寄与リスクを求めた。しかし,甲状腺がんと乳がんは予後の良好ながんで,死亡率調査より発生率調査のほうが実態を正確に把握していると考えられるため,発生率調査の結果を用いた。
がん以外の疾病として,副甲状腺機能亢進症について寄与リスクを求めた。
(ウ) 原因確率を設定した疾病
「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(乙A7)において寄与リスク算出の対象となった疾病は,寿命調査及び成人健康調査において,放射線被曝と疾病の死亡・発生(有病)率に関する論文が既に発表されている疾病である。
(エ) 寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線による過剰死亡及び過剰発生は,性,被爆時年齢の影響を受ける。このうち,白血病については,被爆後10年を発生のピークとして,その後年数の経過とともに過剰相対リスクは急激に低下しているため,昭和55(1980)年から平成2(1990)年までの間におけるデータに基づき算出した。固形がんについては,寄与リスクは観察期間の平均を使用した。性差,被爆時年齢によって過剰相対リスクに有意差があるがんについては,性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(オ) 原因確率を参考とした原爆症認定審査の合理性
a 以上のような調査,研究を経て算出された寄与リスクに基づき,疾病,被爆時の年齢,性,及び被爆時の爆心地からの距離や被爆当時の行動等から推定される被曝線量を考慮の上,被爆者に発症した疾病のうち,放射線被曝によって誘発された疾病発症の割合を算出したのが原因確率である。これを疾病及び性に応じて,被爆時年齢及び被曝線量ごとに表にしたものが審査の方針の別表1ないし8である。
原因確率は,放影研による疫学情報を基に,最新の科学的知見を踏まえて,個人に発症した疾病とそれをもたらし得た原因との関係を定量的に評価するために作成された尺度であって,その科学的合理性は明白であり,現在これ以上の科学的方法は存在しないといっても過言ではなく,原爆症認定以外でも応用される確立した手法である。そして,審査の方針は,この原因確率を基礎として,当該申請被爆者の疾病について,放射線起因性を検討することとしているのであるから,被爆者援護法の趣旨,規定,また,放射線起因性について,経験則に照らした上で高度の蓋然性の立証が必要であるとしているP23訴訟最高裁判決に照らしても,その合理性は明白である。
そして,放射線起因性の判断に当たっては,原因確率において示された数値を参考に,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等を総合考慮して個別的に起因性を判断している。これは,原因確率の算出に当たっては,申請疾患,性別,被爆時の年齢,及び被曝線量以外の要因を考慮しないため,原因確率は,厳密には,当該被爆者の疾病が放射線に起因する可能性についての割合を直接示すものとはなっていないことから,原因確率から機械的に放射線起因性を判断することになれば,原因確率の算出において考慮された上記要因以外の申請疾患に関する他の要因が除外されてしまうこととなり,個別の事案において,放射線起因性が客観的に存する場合を取りこぼしてしまうというおそれも否定できないことによるものである。そこで,そのようなおそれを可及的に減らし,個別の申請疾患についての放射線起因性の判断をより適切に行うため,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合考慮しているのである。
b 審査の方針においても,原因確率がおおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,高度に専門的な見地から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとしているところである。
しかし,原因確率がおおむね10パーセント未満ということは,放射線被曝の有無に関係のない自然発生の疾病である可能性が90パーセント以上あるということであり,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとは認め難いといわざるを得ない。
c また,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合考慮するといっても,それは,高度に専門的な科学的知見に基づく判断であり,およそ科学的とはいえない判断が受け入れられるべきということにはならない。例えば,遠距離被爆者等で被曝線量が低く,原因確率も10パーセント未満である場合に,いくら申請者が脱毛等の急性症状の既往歴を訴えたとしても,被曝線量からみて,それが放射線被曝に起因するものであるということがおよそできない以上,その既往歴を考慮して申請に係る疾病につき放射線起因性を認めることにならないのは当然である。この点は,内部被曝についても同様であり,いくら上記申請者が,被曝後の生活歴,環境因子として,内部被曝の可能性を示す事実を訴えたとしても,その被曝線量はごくわずかであるため,これを考慮して申請に係る疾病につき放射線起因性を認めることはできない。
(カ) 本件において問題となる疾患について
a 原因確率の適用のある申請疾病群
① 胃がん,大腸がん(大腸腫瘍),甲状腺濾胞がん(甲状腺がん),肺がん,肝臓がん(肝腫瘍,肝細胞がん,原発性肝がん),卵巣がん(卵巣腫瘍),尿路系のがん(腎がん),食道がんは,放射線の健康影響については,確率的影響の範ちゅうに属する疾患とされており(乙A1第1,2参照),被曝した線量の多いほど影響の出現する確率が高まる。
本件原告らの申請疾病である胃がん,膀胱腫瘍(尿路系がん)については審査の方針別表2-1,2-2,7-1,7-2を用いて審査することになる。
② なお,原告らは,多重がんについて,被爆者には多重がんが発生する可能性が高いと主張する。
そもそも,がんの発生率については,線量反応関係が認められ,個々のがんについて被爆者のリスクは非被爆者よりも高いのであるから,その発がんの被爆者における高リスク性は,2番目の発がんにおいても消失せず,被爆者が多重がんとなるリスクも高くなること自体はある意味当然である。
問題は,第1のがんを発症した後の第2のがんのリスク(原因確率)が,第2のがん単体でみたときのリスク(原因確率)よりも高くなるかどうかであるが,被爆者集団で有意にそのようなリスクが増加していることを示す科学的知見は全くなく,P4氏自身も,そのような証拠は存在しないことを認めているのであり,科学的に実証されていない事実を認定の基礎とすることはできない。また,仮に原告らの主張が,将来罹患するかも知れないので,現在の疾病の「罹患の重大性」により原爆症認定をすべきという主張であれば,被爆者援護法10条に規定する医療給付を受けるための要件を満たさないから給付を行うことはできない。多重がんも個々のがんには変わりなく,一般に,治療によって治癒・延命できるがんが増加していることや寿命の延長による高齢者増加のために多重がんの生じる機会は増加しつつあるので,最近多重がんが増えてきたことをもって,多重がんと線量の関係が認められたとはいえない。
b 胃切除後障害について
胃切除後障害については,確率的影響及び確定的影響のいずれにも当たらず,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見は立証されていない。審査の方針においては,このような疾患に対しても,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して判断するものとされている。
カ 原告らの主張に対する反論
(ア) 原告らは,原因確率が10パーセントから50パーセントの場合には,「機械的に適用するものではな」いが,10パーセント未満の場合は,原因確率を機械的に適用して原則的に却下との結論を導いており,あたかも,原因確率10パーセント未満でも総合的に判断するかのような被告らの主張は欺瞞であるなどと主張する。
審査の方針においては,原因確率がおおむね10パーセント未満の場合は,放射線起因性が低いものと推定する旨定められているが,その文言から明らかなように,直ちに放射線起因性がないとの判断を要求するものではない。審査の方針は,原因確率を機械的に適用して判断するのではなく,原因確率の算定において要因とされていない既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案するとして,個別具体の申請疾患に関する放射線起因性の判断を適切に行うこととしているのである。したがって,原告らの上記主張は,審査の方針について正解しない失当なものである。
被曝線量,申請疾患,性別,被爆時の年齢から算定される原因確率がおおむね10パーセント未満である場合に,放射線起因性が低いと推定することは,何ら不合理ではない。原因確率は,申請疾患についての放射線起因性を直接判断するものではなく,飽くまでも一般的傾向を示すものであって,その値が,おおむね10パーセント未満であるということは,仮に,被曝線量,申請疾患,性別,被爆時の年齢が同一の申請者が100人いた場合に,おおむね90人は客観的に放射線起因性がないということを意味するからである(100人すべてに10パーセントずつ放射線による影響があるということではない。)。むしろ,放射線起因性が低いと推定する値をおおむね10パーセント未満としていることは,申請者を切り捨てるどころか,むしろ,その段階においては,「高度の蓋然性」を緩和して,可及的に原爆症の認定をしようとするものである。
(イ) 原告らは,放影研の疫学調査について,比較対照群として非曝露群の設定をしていない等,調査集団の設定に誤りがあると主張する。
しかし,原告らがこの点について主張するところは,いずれも失当である。
a 原告らは,放影研では,低線量被爆者を非被爆者(非曝露群)として設定して,曝露群同士を比較し,曝露群のみのコホート追跡をしている,その結果リスクを過小評価することになる等と主張する。
しかし,放影研における調査研究では,ポアソン回帰分析を用いて,対照群をとらない内部比較法によりリスク推定を行っており,対照群の選定に誤りがあるとの主張は,前提において失当である。内部比較法は一般に有用性が認められており,確立した手法でもあって,放影研の疫学調査は,世界的にも有用性が認められている。非曝露群を設定して比較する方がかえってリスク評価を誤る可能性があり,放影研においても,過去には外部比較法を用いたこともあったが,非曝露群における曝露因子以外の要因の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されて内部比較法のみ用いるようになった。被告らも,ポアソン回帰分析によって,被曝線量ゼロのときの死亡(罹患)率と任意の曝露要因量での死亡(罹患)率の増加割合を推定しているのであって,低線量被爆者等の被曝総量をゼロとみなしているわけではない。
これに対して,原告らは,「被爆者」の疫学調査データについて,ポアソン回帰分析を用いた内部比較法は,本来の疫学調査の方法としては正しくないとする。
しかし,これは,ポアソン回帰分析におけるコホート研究を正解しないものである。曝露要因である被曝の影響は,その有無だけで判断できるものでなく,量的要因も加味して評価されるべきものであり,それ故に疾病と放射線の影響を示唆する線量-反応関係が導かれることから,被曝線量ごとにコホートを設定し,ポアソン回帰分析を行っているのであって,原告らの上記主張は,前提において失当である。
b また,原告らは,当初ABCC及び放影研が,非曝露群を対照群(コントロール群)として設定することを前提として疫学調査を設計し,社会経済的要因が広島市民と近似する呉の住民や,いわゆる市内不在者を対照群(コントロール群)として扱っていた時期もあったと指摘する。
確かに,放影研では,NIC(市内不在者群)との比較や日本人全体の死亡率を利用して外部比較法に基づく解析も行っていたが,これらの解析では偏りを生じていた可能性があることから,行われなくなったのであり,原告らの上記指摘は,原告らの主張を基礎づけるものとはならない。
(ウ) 原告らは,放影研の疫学調査において,疫学調査の対象や調査手法等の問題があると主張する。しかし,この点についての主張も,以下のとおり失当である。
a 原告らはABCC及び放影研の疫学調査では,死亡調査を解析の基礎としているため,死亡に直結しない疾病が見落とされることになると主張する。
しかし,放影研においては,「がん発生率・充実性腫瘍」という調査結果も使用しており,死亡調査だけを基礎としているのではなく,失当である。
なお,審査の方針が,甲状腺がんと乳がんについてのみ発生率調査のデータを用いており,白血病,胃,大腸,肺がんにつき,死亡率調査のデータのみ用いていることについてであるが,疫学調査の信頼性を向上させるためには母集団の総数が多いサンプルを選択する必要があるところ,寿命調査集団の総数が12万0321人であるのに対し,成人健康調査集団が2万3418人であることから,放影研における疫学調査は,予後が良く致死的ではない甲状腺がんと乳がんについては成人健康調査集団のデータで解析を行い,それ以外のがんについては母集団が多い寿命調査集団のデータで解析を行い,高い信頼性を持つ疫学調査の結果を期待したものであり,死亡率調査に基づくことの合理性がある。他方,すべてのがん疾病が致死的であるとは断定できないものの,放影研の疫学調査は,現在では予後が良いとされるがんであってもその治療法が確立していない時期における死亡率調査データを基礎としていることからすれば,現在予後が良いとされるがんに関するデータが全く反映されていないとはいえない。
したがって,放影研の疫学調査は,死亡率調査の結果に基づいていることを理由に被爆者のがんのリスクや被曝影響の推定に用いる合理性が否定されるものではなく,原告らの上記主張は失当である。
b 原告らは,疫学調査の方法として,被爆後の行動を調べていないと主張する。
しかし,残留放射線及び内部被曝による被曝線量がごく微量であることから,被爆後の行動により被爆者を区別する必要はない。
c 原告らは,調査開始時点で放射線の影響を受けにくい被爆者が選択された,病気がちの者や,被爆によると思われる疾病に罹患した経験を持つ者は被爆事実を申告しなかった可能性があり,見かけ上健康な被爆者のみが選択された,調査開始時期が原爆投下後5年経過した昭和25年であり,その以前の死亡は反映されないなどということから,ABCCと放影研の疫学調査には,調査の結果をゆがませることとなる重大な偏りや欠陥が存在すると主張する。
しかし,現時点において認定申請する被爆者は,原爆投下後5年経過時に生存していた以上,当時の生存者を対象とした疫学調査によるリスクは,認定申請者にも当然妥当する。ABCC及び放影研が調査対象とした寿命調査集団は10万人以上にも及び,また,成人健康調査集団も2万人程度であることからすると,健康な被爆者のみが選択されたおそれは存しないのである。
d 原告らは,DS86を用いることにより,初期放射線以外の持続的な外部被曝や内部被曝が軽視されたり,遠距離での初期放射線の過小評価という曝露要因の量的評価の誤りがあると主張し,また,初期放射線による一瞬の外部被曝と残留放射線による持続的な外部被曝,さらには体内に摂取した放射性物質による局所集中的な長期の内部被曝では,被曝や人体への作用の機序が大きく異なるから,曝露要因を別にすべきであったと主張する。
しかし,初期放射線以外の残留放射線等による持続的な外部被曝や内部被曝の被曝線量はごく微量であるから,量的評価に誤りがあるとすることはできない。また,上記態様の被曝については機序が違うということ自体,科学的根拠を欠くから,曝露要因を別にすることは不適当であるし,また,可能でもない。
(エ) 原告らは,内部比較法を用いるためには集団の線量が正確に把握されていることが必要だが,被爆者の線量評価として誤っているDS86を線量評価に用いていると主張する。
しかしながら,DS86の推定被曝線量が実測値とよく一致しており,以下のとおり,DS86は残留放射能を十分考慮している。
DS86は,原爆の出力,ソースタームを前提に,空気中カーマ,遮蔽カーマ及び臓器カーマの計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して線量を計算するシステムであるが,DS86の策定に当たっては残留放射線についても可能な限りの検討が行われたのである。
すなわち,DS86報告書では一つの章を割いて,残留放射線に関する詳細な検討を加え,広島と長崎のそれぞれの状況に応じて放射線降下物及び誘導放射能による被曝線量の上限値を推定している。ただし,残留放射能による被曝線量は,初期放射線に比べて非常に微量である上,残留放射能による被曝は,各被爆者の行動等によって大きく変動するなど不確定な要素が大きく,一定の定量値で線量を示すことが非常に困難であることから,DS86における残留放射線の検討は,最大限で見積もった累積線量での評価となり,初期放射線について行ったような,線量評価のための基準を構築することができなかったにすぎない。DS86は,被曝による健康影響を検討するために被爆者の疫学データベースを構築することを目的としており,そのために正確な被曝線量を算定することが要求されていることから,DS86では残留放射線について検討をした結果,結局,初期放射線とは別に取り扱うこととしたものである。
したがって,原告らの上記主張はDS86を正解しないものであり,失当である。
(オ) 原告らは,内部比較法及びポアソン回帰分析によって算出されるバックグラウンドリスクは,回帰直線すなわち低線量域においても線量-反応関係が直線的であると仮定すると,バックグラウンドリスクは当然小さくなると主張する。
しかしながら,線量反応関係を検討する際に線形の線量反応関係を仮定することについては広く認められており,回帰分析で得られた線量反応関係は統計学的解析によってその信頼性が確証されているのである。
したがって,裏付けのない原告らの上記主張は失当である。
(カ) 原告らは,バックグラウンドの推定に関し,DS86による線量の過小評価があり,残留放射線や内部被曝の影響が考慮されていないとし,被曝線量体系に一律の線量の過小評価があれば,それを是正することによって必然的に原因確率は上昇すると主張する。
原告らがDS86には線量の過小評価がある,すなわち,実際には被爆者の被曝線量はもっと高いはずであると主張する根拠は,放射性降下物,内部被曝や初期放射線における遠距離の推定線量にあると思われるが,これらの点に関する原告らの主張は,その前提自体に誤りがある。
仮に推定被曝線量の絶対値が,生物学的効果比を用いる(正確には,生物学的効果比を参照して設定された放射線荷重係数で補正する。)ことなどによって増加したとしても,一定線量のコホートである原爆被爆者群において観察される疾病発生や死亡といった事象には変更が生じないのであるから,調査対象である個々の被爆者の推定被曝線量が増加するということは,単位線量当たりの過剰相対リスクが減少するだけである。したがって,個々の被爆者の被曝線量の絶対値の増加は,単位線量当たりのリスクの減少と相殺され,結果として個々の被爆者の被曝線量における過剰相対リスクの値や,その線量での寄与リスクの値はほとんど変化しない。
また,等価線量を用いることによって増加した被曝線量値(単位シーベルト)を,吸収線量(単位グレイ)を用いて算出した寄与リスクに単純に当てはめて数値が増加しても,それは寄与リスクが増加したことを意味してはいない。それぞれの線量を用いたリスク評価は別々に行わねばならず,ある線量を用いて行われたリスク評価に他の線量を当てはめてはならない。原告らは,被曝線量が増加すると仮定した場合や,等価線量を用いた場合に必要となるこれらの補正をすることなく,単純に増加したと仮定する数値を当てはめて原因確率が上昇すると主張するものであり,失当である。
(キ) 原因確率を参考とした原爆症認定審査は,科学的合理性を有し,被爆者援護法の要請にも合致すること
原告らは,原因確率論及びその基礎となるDS86,DS02は,疾病の発生,死亡あるいは急性症状の発症と放射線量推計との関係を十分説明できないものであると主張する。
しかし,以下に述べるとおり,原因確率を参考とした原爆症認定審査は,放射線起因性の判断をする上で,科学的合理性を有し,被爆者援護法の要請にも合致するものであって,原告らの上記主張は失当である。
a 被爆者援護法は,原爆放射線による「特殊の被害」を被った被爆者をその援護の対象として制定されたものであり,一般戦災者との均衡を図る必要があることから,その放射線起因性の判断については,科学的・医学的知見によることが必要とされ,これらの知見が放射線起因性の判断に際し,専門的経験則として重要な地位を占めるのである。このことは被爆者援護法において,厚生労働大臣は原爆症認定を行うに当たり,申請疾患が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,審議会等の意見を聞かなければならない(同法11条2項)と規定されていることからも明らかである。
そして,P23訴訟最高裁判決は,放射線起因性について,経験則に照らした上で高度の蓋然性の立証が必要であるとしているのであり,法律判断としても,現時点において専門的知見として確立している科学的・医学的な知見を経験則として判断の基礎とすることは不可欠なのである。
b この点,原告らは,放射線を被曝することにより,様々な人体の異変が起こり,様々な疾病に罹患することは経験則上認められ,また,近距離での直爆だけでなく,遠距離,入市等による,間接被爆,内部被曝により急性症状等,身体に異変が起こることも経験則上認められるのであり,こうした経験則からして,被爆者原告が広島・長崎において被爆したこと(原因)と,原告らが疾病に罹患したこと(結果)が存在すれば,その疾病が放射線被曝を原因としないという特段の事情がない限り,原因と結果との間の因果関係(起因性)が認められるべきであると主張する。
しかし,このような解釈は,そもそも上記のような被爆者援護法の解釈を誤るものである上,何ら科学的な裏付けがなく現時点において確立していない学説,推測,意見等により放射線起因性を判断することを許容するばかりか,放射線と疾病との関係が不明である場合についてまで放射線起因性を肯定するに等しく,経験則に反する判断を許容するものであり正当ではなく,P23訴訟最高裁判決の趣旨にも整合しないことは明らかである。一般的に疾病の要因には様々なものがあり,放射線被曝特有の症状が現れるわけではないため,当該被爆者個人の症状を分析しても,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを判別することは極めて困難であるといったことからすれば,疫学的手法は,放射線起因性の判断の重要な要素であるといえる。
c さらに,原告らは,実施要領及び治療指針を自らの主張の根拠とするようであるが,以下に述べるとおり,これらの通知の性質や内容を正解しないものであって失当である。
これらの通知は,その記載内容をみると,被爆者の健康診断ないし治療を行うに当たって考慮すべき事項を定めたものである。すなわち,医療の現場では,個々の診療行為におけるささいなミスや見落としが受診者の生命・身体にかかわる重大な問題となることから,医師は,たとえ確率が低く容易に起こりそうもないことであっても,常に最悪のケースを念頭において診療に当たるものであって,上記通知もこのような考え方に基づき,被爆者であれば,どのような人も一律に放射線に起因する何らかの健康障害を受けるわけではないが,それでも可能性は念頭に置いて診療等に当たらなければならないという心構えのようなものを示したものである。したがって,上記通知は,被爆者援護法における放射線起因性の判断に関し,その証明の程度などについての解釈指針を示したものではなく,その根拠となり得る性質のものではない。
また,これらの通知が発せられたのは,被曝放射線量の評価等について,暫定線量であるT57Dが発表された直後であり,被爆者の健康調査についても,昭和20年の日米合同調査団や東京帝国大学による被爆者の実態調査の結果しか存在せず,被爆の距離関係や被曝線量と被爆者の健康影響との関係が全く明らかでなかった時代であった。このようなことから,これらの通知は,「…ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細には握して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基くか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。」(実施要領),「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければなら」ない(治療指針)と指摘しているのである。その後,長期にわたる広範な疫学研究が積み重なり,被曝線量の評価も,T65D,DS86と進化しているのであるから,上記のような段階で発出されたこれらの通知を,現段階における放射線起因性の判断に関する証明の程度などの解釈根拠とすることができないことは明らかである。
なお,治療指針の「治療上の一般的注意」における上記記載に現れた考え方は,現在,被爆者であって,原子爆弾の放射線の影響によるものでないことが明らかなもの以外の疾病にかかっている者に対して健康管理手当が支給される制度(昭和43年制度創設)に引き継がれていることからみて,上記治療指針の記載が,原爆放射線に起因している蓋然性が低い疾患まで原爆症として認定すべきことを示唆するものでないことは明らかである。
d 以上のとおり,原告らの主張は,被爆者援護法の立法趣旨,原爆症認定に関する判例の内容及び上記通知の性質や内容等を正解しないものであって,いずれも失当である。
(ク) 原告らは,放射線起因性の有無の判断は,法律上の判断であって,原因確率という数字がいくらかといった形式的判断に矮小化されてはならないと主張し,個別申請者の疾病が放射線に起因する具体的な可能性を疫学的方法によって判断することが誤っているかのような主張をする。しかしながら,このような主張は,医学的に機序が完全に判明していないが,放射線による被曝が影響を及ぼす可能性があると認められる疾病について,疫学研究による統計的解析を否定するに等しく,放射線起因性の判断を純粋に価値判断によって決すべきとするものとして失当というほかない。
2 争点1(2)(各原告らの放射線起因性及び要医療性)について
(原告の主張)
(1) 原告P1の原爆症認定要件該当性
ア 被爆状況
(ア) 被爆に至るまで
原告P1は,昭和▲年▲月▲日出生した。
被爆当時は,広島市段原末広町の住宅に鉄道管理局に勤務していた父,母,そして昭和▲年に生まれたばかりの妹と居住していた。原告P1は,当時満7歳になったばかりであった。
(イ) 被爆時の状況
昭和20年8月6日の朝,原告P1は,段原末広町の自宅から母親の友人宅に行くため,母親と妹と段原大畑町を歩いていた。その時,原子爆弾が爆発した。爆心地から約1.8キロメートルの場所であった。
原告P1は,被爆の瞬間,一瞬からだがぐるぐる回り,持っていた手提げ袋が吹き飛び,あたりが真っ暗になったことを記憶している。倒れるときに暗い中で光を見たような気がした後に気を失った。母親の呼ぶ声で気がついた際,周りには建物の板が剥がれて散乱しており,足の踏み場もない様相であった。この時,原告P1は左目の上にガラスの破片によると思われる傷を負った。その傷は今でも残っている。
(ウ) 被爆後の状況
当時,原告P1の父親は広島駅に勤務しており,原爆投下の日は出張中だった。そこで,原告P1とその家族は,段原末広町の自宅から広島駅までの約1.5キロメートルを歩いて父親の安否を確認しに行った。広島駅までの行く途中,焼け爛れた人が倒れていたり,体が炭になっている人,また,水を求めている多くの人がいた。原告P1らは,その人たちをまたいで歩いた。
被爆してから一週間くらいの間,段原末広町で町内の人たちと野宿して生活していた。自宅は焼けずに残っていたが,内部が爆風で破壊されており住める状態ではなかったためである。原告P1が野宿していた間に何を食べていたのかは記憶に残っていないが,おそらく付近の畑で栽培されたものを食べていたと思われる。
イ 急性症状等
(ア) 被爆直後の症状
原告P1は被爆するまで健康体であったが,被爆1週間後くらいから,下痢,発熱,嘔吐,脱毛,食欲不振の症状が続いた。母親が原告P1の髪の毛をといているときに,「髪がよく抜けるね。」と言っていたことを記憶している。また,下痢をした時に高熱が出ていた。原告P1の弟は肺炎で死亡したことから,母親は熱が出ると肺炎ではないかと気を遣っていた。嘔吐感については,何かを口に入れた後吐きそうになったが,結局胃の中から何も出てこなかった記憶がある。
以上は,典型的な放射線による急性症状であり,原告P1が相当量の放射線を浴びたことを裏付けている。
(イ) その後の症状
a 昭和21年,原告P1と母親,そして妹は父親の実家である鹿児島出水市に転居した。このころから母親は「だるい。だるい。」と言って寝てばかりいるようになった。出歩くこともなく雨が降っても同級生の親のように学校に傘を持って原告P1を迎えに来ることはなかった。原告P1の母親のこのような症状は原爆症の症状と考えられる。
高等学校を卒業した昭和32年に原告P1は広島に出た。その頃から身体が急にだるくなるという症状が出始めた。人形を作る工場に勤務していたが,立ち仕事をしていると極度に疲労感が出てきて,立っていられなくなりうずくまってしまう状況であった。また,日中,戸外を歩いていて気を失って倒れ病院に運ばれたことが何度かあった。医師にはこのような症状を何度も説明したが,病名は不明であった。
昭和33年に甲状腺が腫れて高熱を発し,広島市内の病院に6日間入院した。この際も,医師からは,何が原因でこのような症状が現れるのか説明がなく,原因が全くわらなかった。
b 昭和34年,岡山に旅行中に身体の異常を感じ,岡山駅近くのα11にあった病院で診察を受けた。診察をした医師から「白血球が異常に減少しているが,原爆にあっていないか。」と尋ねられ,原告P1が被爆者であることを話すと,「被爆の影響かもしれない。原爆手帳を交付してもらい,それをもって病院に行った方がよい。」と指示された。この時初めて,疲れやすい,体がだるいという症状が原爆症特有のものであることを自覚した。原告P1が29歳の時であった。
その後,福岡市に転居した。昭和39年には肝炎でP54病院に2か月間通院した。同じ頃,十二指腸潰瘍にも罹患した。
c 昭和57年6月,胃がん発症のため,福岡県筑紫野市のP55病院で,胃の3分の2の摘出手術を受けた。その後,胃切除後症候群に該当する症状が継続しており現在も治療中である。
胃を切除する前,原告P1の体重は39キログラムくらいだった。しかし,140センチメートルの身長と比較して痩せていると言うことはなく普通の体型であった。食事も毎日3回ご飯を茶碗で1杯以上食べていた。副食も普通に摂っていた。
ところが,手術後は,一回の食事で手術前の半分の量のご飯さえ食べることができなくなった。そればかりでなく,食事中や食後に胃のあたりが張ったように痛むようになった。P55病院の医師に相談したところ,胃の摘出手術をしたことが原因であるとの説明を受けた。そして,消化剤の処方を受けるとともに食事は数回に分けてとるように指導された。さらに,栄養士から食事に関する指示をうけていた。たとえば,若布は消化がいいが,バナナは半分だけ,ご飯は一回に150グラムだけというような内容だった。しかし,原告P1自身は指示された量の食事さえできない状態だった。
P55病院に通院していても胃の具合が良くならないため,近くにあったP56病院で診察を受けたこともあった。しかし,同病院でもP55病院と同じ説明を受けた。また,どの病院でも胃切除後の貧血の症状があると言うことで,増血剤の処方もうけていた。上記の病院の外,福岡市内のP57病院に通院したこともあった。原告P1としては,手術後の症状を軽減したい思いがあったものである。
d 原告P1の場合,食事の途中や食後に胃の付近が張ったようになって痛みが発生する。痛みを避けるために食事を減らす,あるいは,固形物をとらずに飲み物でごまかす等の対応を取ることもある。しかし,食事を摂らないわけにはいかないためいろいろな工夫をして栄養を摂るようにしている。
上記のような原告P1の体調のため,病院から処方してもらう薬がなければ胃の不快感や痛みで食事をとることができない。そこで,他の薬を飲むのを忘れても,病院で処方してもらった消化剤は必ず飲んでいる。
平成6年くらいまで,原告P1が摂れる食事の量は茶碗で3分の1位のご飯だけであった。それ以上食べると胃のあたりが激しく痛むため無理はできなかった。このような少量の食事でも1日に3回摂ることはできなかった。朝食はほとんど摂ることができず,仕事を開始した後,昼前くらいに持参した弁当や小さなおにぎりを食べていた。その様な食事でも満腹感はあった。満腹感と言うよりは胃のあたりが痛いという感覚が先であった。食べた物が胃の手前で詰まっている感覚が残るからである。このような極少量の食事でも,食後は胃のあたりが苦しいためすぐに体を動かすことはできなかった。食事の後は30分くらい経過するとようやく胃のあたりが楽になり仕事に戻ることができた。食事の後に休むことができない場合には,本当に少ない食事の量をさらに少なくしなければならなかった。
e 平成7年に福岡から仙台に転居してからはP58病院に通っている。原告P1が病院に通院するのは,胃切除後症候群の症状を和らげるための薬剤の処方をしてもらうほか,体のだるさや脱力感,頭痛の症状があり,これらの治療のためである。現在は4週に1回P58病院に通院し,診察のうえ薬の処方を受けている。
P58病院でも食事方法に関する注意を受けている。また,糖尿病と同様の食事制限や薬剤の処方を行う治療を受けたこともある。現在でも,糖分を補給するために氷砂糖等を常時携帯している。
現在,福岡の頃に比較して1回に摂取できる食事量が少し増加してきた。以前,茶碗で3分の1ほどであったのが,茶碗で半分ほどになった程度である。ただし,食事の回数は以前と変わりはない。医師からは,少しずつ小分けにして回数を多くして食べるようにと指導されおり,なるべく何回にも分けて食べるようにしている。しかし,食事の後の胃の痛みなどのために,何度も食事を取ることができない状況にある。食事を摂れないときには海苔をあぶって食べたり,ビスケットを紅茶に浸して食べるなどしている。
食堂等でうどんを注文しても半分しか食べられない状態である。日本そばは半分どころか3分の1から4分の1くらいしか食べることができない。日本そばのお汁を吸うと詰まる感覚がありそれ以上食べられなくなるのである。以前は,油分が入っている食事はほとんど摂れなかった。したがって,ラードが入っているラーメンを食べることができなかった。油分が入っている食材は胃が受け付けなかったからである。ところが,4年前くらいから食べられるようになった。また,生野菜は食べることができず,野菜は必ず火を通した物を食べている。ご飯も炊きたての際はそのまま食べることができるが,冷めた後は軟らかなお粥や雑炊にして食べている。
原告P1の体重は,胃がんの手術前は約39キログラムであった。平成7年にP58病院で診察をうけるようになった時は約34キログラムに減少し,現在は29キログラムくらいまで減少している。
(ウ) 原爆放射線による被曝
a 初期放射線
原告P1が被爆したのは爆心地から約1.8キロメートルの地点の路上であり,周囲に遮蔽物はなく,原子爆弾の初期放射線により被曝したことは明らかである。
b 残留放射線
原告P1は被爆直後,父親の安否を確認するために段原末広町から広島駅まで歩いて移動しており,この際,爆心地に近づいて残留放射線の影響を受けたことは否定できない。また,被爆後,段原末広町付近の畑の作物を摂取しており,このような行為により放射性降下物が付着したものを食料として体内に取り込んだものと考えるのが自然である。
以上から,原告P1は,残留放射線により慢性的な外部被曝及び内部被曝を受けたのである。
c 症状からの裏付け
原告P1に被爆後に生じた下痢,発熱,嘔吐,脱毛,食欲不振は,典型的な放射線の急性症状である。また,その後の全身性疲労,体調不良,健康障害,易疲労症候群は多くの被爆者に見られる晩発性健康障害に一致する。
ウ 認定申請と被告らの対応経過
(ア) 平成14年の認定申請と被告らの処分理由
原告P1は平成14年9月6日,被爆者援護法11条2項の規定により胃がん・胃切除後障害を理由として認定申請を行った。
これに対して被告らは,「貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しているものと判断されました。次に,意見書等により,貴殿の申請に係る疾病の医療の状況が検討されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,現に医療を要する状態にはないものと判断されました。」との理由でこれを却下した。
つまり,被告らは,この時点で,原告P1の現在の疾病について,放射線起因性を明確に認めていたのである。
しかるに,被告らは本件訴訟が提起された後,胃がんについては放射線起因性を認めたものの,胃切除後障害については放射線起因性を否定する旨主張し,同旨の記載のある医療分科会答申書を証拠として提出し,被告ら第7準備書面においては,前記却下処分理由と本件での被告ら主張との間には齟齬はない旨主張している。
(イ) 被告らの主張の問題点
a 被告らの「却下処分理由と本件被告ら主張との間には齟齬はない」との主張は,以下理由によって失当である。
本件で原告P1が求めているのは厚生大臣の行った処分の取消であり,処分通知書に示されている「処分理由」である。ところが被告らは,「処分通知書に記載はないが,医療分科会の答申に記載がある」ことを理由として,原告P1の却下理由には,齟齬も変更もない旨の主張を行っているのである。
この被告らの主張は,少なくとも処分通知記載の理由は,現在の被告らの主張から見ると誤りであることを自認していることになる。
医療分科会の答申は本件訴訟提起以前には原告P1に開示されている情報ではない。同原告P1が知り得たのは処分通知書だけである。異議申立ても本件訴訟も,この通知書に示されている理由の不合理性を問題としているのであって,知り得ない情報である答申を訴訟の対象とすることは不可能なことである。本件の審判の対象は,「答申書の記載」ではなく,「通知書記載の理由の正当性の有無」なのである。
「医療分科会答申」は被告ら内部の文書にすぎない。この答申内容が誤っていることは明確であると考えるが,この答申を以て通知書理由の誤りを訂正することは許されない。処分を受けた者が関知し得ない文書で処分通知の理由を補充ないし補足することは許されないからである。このことは行政手続法が行政処分に理由付記を命じている立法趣旨からも明白である。
b 原告P1は,前記却下処分に対し,本件訴訟を提起した。
原告P1の主張に対して,被告らは,答弁書において,「…認定申請を却下したことは認め,その余は不知ないし争う。原告P1の胃切除後障害は,審査会において放射線との因果関係が認められなかったものである」とし,「原告P1の胃がんは,審査会において原爆放射線との起因性があるものと判断されたことは認め,その余は不知。ただし,同原告の認定申請書及び同申請書添付の意見書に記載がある限度では特に争わない。」と認否した。
厚生労働大臣は平成14年12月20日においては「胃がん・胃切除後障害の放射線起因性については争わず,要医療性がない」として処分を行ったにもかかわらず,本件訴訟に至り,答弁書において,疾病の一部の放射線起因性を否定したのである。これは明らかな理由の変更である。このような行政処分理由の変更は認められるべきではない。
処分を争う国民は処分に記されている理由の不当性を主張する。処分取消訴訟の審判の対象は,処分通知書に明示されている処分理由そのものである。これを,訴訟の段階で変更することは許されない。これを許容するならば,国民はあらゆる場合を想定して訴訟を提起するかどうかの判断を迫られることになり,行政の専制を許すことになるからである。
したがって,被告らの本件訴訟における,胃切除後障害の放射線起因性を否定する主張は主張自体失当である。
エ 放射線起因性
(ア) 胃がんの放射線起因性
a 原告P1の胃がんについては,被告も放射線起因性を認めている。
b 疫学的知見
一般に,「放射線被爆の人体に及ぼす影響には,確率的影響と確定的影響とがあり,がんの誘発と遺伝的影響のみが前者に属」すると理解されている(P23訴訟最高裁判決)。
そして,放射線が低線量の場合の線量反応については,「原爆被爆者の死亡率調査第13報」(甲A64)によって,「固形がんについては,今回の調査によって放射線リスクの全般的レベルに関する以前の推定値が確認され,低線量における線量反応の特徴が明らかにされている」との報告もあり,低線量被曝のリスクに言及し,さらに,低線量域における線量反応曲線の傾きが全線量範囲の場合と有意に異なることを示唆する証拠はなく,しきい値を示す証拠も認められない。」との報告からも,がんの場合にはしきい値が認められないことを」疫学的にも明らかにしている。
さらに,原告P1の罹患した胃がんについては,「原爆被爆者の死亡率調査第13報」において,その過剰リスクが肯定されている。そして,死亡率について見ると,胃がんに関しては,男性よりも女性のリスクが高いとされている。「放射線リスクおよびバックグラウンド死亡率における性比」であるが,男性と女性との過剰リスクはそれぞれ,男性が0.196であり女性が0.636であり,女性が高い値を示しているのである。
以上から,原告P1の胃がんについては,疫学的知見からも,その放射線起因性が否定できないのである。
c 若年齢被爆
被爆時の年齢が,がん発生に及ぼす影響についても検討されており,白血病以外の全部位のがん死亡率は被爆時年齢が若いほど発症のリスクが大きくなると報告されている。
そして,固形がんに関して,子供の時に被爆した人において相対リスクは最も高い。という報告もある。原告P1は7歳で被曝していることからすれば,原告P1の胃がんに関しては,放射線被曝の影響は否定できないのである。
(イ) 胃切除後障害の放射線起因性
a 被告らの主張の問題点
被告らは,「胃切除後障害は,胃がん摘出手術に伴う二次的な症状である」として,胃がんと胃切除後症候群を全く別の疾病であるかのような主張を行っている。しかし,胃切除後障害は文字通り胃がん治療の経過において胃を切除した結果として発生するものであり,胃がん治療と密接な関係を有しているのであるから,両者を全く切り離してその取扱を異にすべきでない。
原告P1の,胃切除後障害を先行する胃がん治療と全く切り離して別の疾病として取り扱うことは,胃がん患者の胃がん治療とその後に生じる胃切除後障害との関係の実態を無視するものであり,極めて不相当である。被告らの論理では,胃切除後障害を胃がん治療と全く別個の二次的な症状であるとすることによって,放射線起因性のある胃がんの治療をした被爆者の胃切除後障害を救済の対象から外してしまうという結果を招き,ひいては,「原子爆弾の投下に結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊な被害であることにかんがみ,高齢化の進んでいる被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」るとして制定された被爆者援護法の立法趣旨に反することになるのである。
b 胃がんと胃切除後症候群の関係
(a) 胃がん
胃がんは,粘膜内の分泌細胞や,分泌液の導管にあたる部位の細胞から発生する悪性腫瘍で,増殖,浸潤,転移などを示し,宿主の正常な臓器の機能障害を引き起こしたり,全身の栄養障害を招き,最終的に宿主の生命を脅かす疾患である。
(b) 胃の機能と構造
胃は,食道からの入口部分である噴門部,胃の中心部分である体部,十二指腸側への出口部分の幽門部に大きく分けられる。
人間が食べた食物は,のどから食道を通って胃に入る。胃は胃袋ともいわれ,食物をしばらくの間とどめ,胃液と撹拌し,適量ずつ十二指腸へ送り出す。胃液の役割は,pH1ないし2といった強い酸による殺菌と,わずかなタンパク質の変性効果,そして主として食物をどろどろの粥状にすることである。食物によって胃内にとどまる時間は異なるようであるが,粥状になった胃内容は適量ずつ十二指腸に送り出され,効率のよい消化吸収が行われ,食後数時間から半日くらいは食事をする必要がないようにできている。
(c) 胃がんの治療
① 外科療法
大半の胃がんでは外科療法が最も有効で,唯一の根治療法となっている。そして,外科療法としては,姑息的手術と,根治的手術の二つがある。がんが進行して腹膜転移などが既にある場合,主病巣である胃袋の切除と再建だけを行ったり,狭窄部位にバイパスをつくる手術が行われるが,このような手術は姑息的手術と呼ばれている。これに対して,少なくとも肉眼的には完全にがんが切除できる場合に胃の切除,郭清,再建のすべてが行われるものを根治的手術と呼ばれている。
そして,肉眼的には完全にがんが切除できる場合には,根治的手術を施すことが医療水準となっていることは疑いない。
② 胃の切除方法,切除範囲
リンパ節へ転移している可能性がほとんど無いがんでは,内視鏡による切除,又は,胃のごく一部だけを切除する方法(局所切除)がとられるが,リンパ節郭清が必要な場合のうち,がんの部位が噴門に近い場合は,胃全摘,がんの位置が噴門と離れていれば幽門側胃切除が行われる。後者の場合,胃の3分の2から5分の4程度が切除されるが,胃の入口である噴門は温存され,ある程度の胃体部が残る。
原告P1は,幽門側胃切除が行われて,胃の3分の2が切除されたケースである。
③ 消化管の再建
幽門側胃切除後は残胃と十二指腸を吻合する方法(ビルロートⅠ法)があるが,原告P1は,このビルロートⅠ法によって手術されている。
④ 手術後の後遺症(小(無)胃症状とダンピング症候群)
胃全摘や幽門側胃切除で,「速やかに相当量の食物を受けつけ,それらを一定時間蓄えて効率よく徐々に腸に送り出す」という胃の本来の役割が損なわれるので,食物を早く食べることが難しくなり,同時に早く空腹感を覚えるようになる。
胃の出口が開放状態なので,食べ物が食後ただちにどんどん小腸へ流れ込み,消化吸収されるので,血液中の糖分の値(血糖値)は食後急激に上昇する。それに反応して,血糖値を下げるホルモンであるインシュリンが大量に分泌され,一定時間後には血糖値が下がりはじめるが,そのころには食べた食物の糖源はすでにほとんど吸収された後のため,血糖値はどんどん下がってしまうという現象が起こる。
食後2ないし3時間のころに突然脱力感,冷汗,倦怠感,集中力の途絶,めまい,手や指の震え,ひどい場合は意識が遠のく事態も招くこともある。これを後期あるいは晩期ダンピング症候群と呼ぶ。
これに比べて稀にしかみられないが,食事直後から30分以内に発現する動悸,発汗,めまい,眠気,腹鳴(お腹がごろごろはげしく鳴ること。),脱力感,顔面紅潮や蒼白,下痢などがおこることがあり,早期ダンピング症候群と呼ばれる。
原告P1の場合,幽門側の胃を切除するというビルロートⅠ法によって胃の3分の2を摘出し,上記手術後の後遺症が典型的に現れている事例である。
(d) 胃がんと胃切除後障害との関係
① 原告P1の場合は,胃がんの根治的治療として幽門部から3分の2の胃を切除する摘出手術を受けている。
消化器臓器としての胃の機能を全部又は一部放棄しているという意味では,原告P1の受けた根治的手術は,消化器の役割を有する胃の機能の多くを喪失する原因となっている。言うなれば,胃の機能を失うことと引き換えに,胃がんの治療を行ったということである。それは,胃がんの治療という側面を有するとともに,治療が新たな胃切除後症候群という症候群を引き起す原因となっているという特殊性が存在する。
したがって,胃がん手術がなければ胃切除後症候群も発生せず,胃の機能を一部なりとも喪失させる胃がん手術があれば,程度の差こそあれ胃切除後症候群が発生するという意味では,胃がん手術と胃切除後症候群とは密接不可分の関係にあると理解することができるのである。
がん患者からすると,胃がんであれ,胃がん摘出後の症候群であれ,全く同じ胃という臓器から発生する疾患という意味では,その苦痛は絶え間なく連続しているわけであり,胃がんと胃切除後症候群とは其々に名称が付されているとは言うものの,手術を境にした裏表の関係にあり,いわゆる表裏一体の関係にあるということができる。
胃がんの場合,完全にがんが切除できる場合には,生命維持という至上命題の為に,根治的手術を行うことが医療水準となっていることは前述のとおりである。がんを抱えたままの状態で保守的もしくは姑息的治療に委ねるのみでは,やがてその進行によって「がん死」に至ることは,現在の医学の段階では避け難いから,がん切除が可能である場合に姑息的治療に委ねることは医学的にも医療行為としても許されないのである。したがって,原告P1の胃がんの場合,生命を維持するという至上命題の下で,ほとんど選択の余地なくして,根治的手術が施されたのである。根治的手術を施行できる場合には,当然に根治的手術を施さなければならないのが医療水準なのであるから,医師及び原告P1は,根治的手術を回避する途はない。胃切除後障害は,消化器臓器としての胃の機能を一部もしくは全部放棄するという,それ自体避けられない根治的手術の本来的性質から当然に生じてくる障害なのであるから,原爆に起因する胃がんと密接不可分の関係にあると理解するべきである。
被告らは,胃切除後障害(胃切除後症候群)は,胃がん摘出手術という人為的な行為が加わった結果生じた二次的な症状であり,それ自体,放射線との因果関係が認められず,原爆起因性はないという趣旨の論理を展開しているが,それは,上記の様な胃がんと胃切除後症候群との密接不可分な関係,あるいは,表裏一体ともいうべき関係を無視するものであり明白な誤りである。
② 被告らは,「胃がんと胃切除後障害とは,その原因,機序,病的状態及び変化といった病態整理が全く異なるものであり,医学的観点からは,別個の疾病であると取り扱うべきものである。なお,胃がんと胃切除後障害とは,医学事典などでも,それぞれ個別の疾患として類型,整理されている。」と主張する。
しかし,胃がんと胃切除後症候群とは,別個の類型であることは認めるとしても,別個の類型であることが,胃がんと胃切除後症候群のそれぞれについて放射線起因性が必要であるとの論理にはならない。
そもそも,胃切除後症候群は症状に対する名称なのである。
病気の存在を前提として,患者に共通する特徴のことを病態といい(甲B14・2枚目),共通の病態又は症状を示す患者が多い場合に,そのような病態又は症状の集まりにとりあえず名称をつけたものを症候群という。症候群の原因が判明した場合にはその名前が変更されたり,時には他の病名と統合されたりすることがあるが,一方で,原因判明後も長い間そのまま慣用的に使われている「症候群」も多い(甲B14・2枚目)。
つまり,胃切除後症候群とは,その名称のとおり,胃切除後に生じる病態又は症状に焦点を合わせた名称なのである。そして,胃切除後症候群の原因となるものは,その名称のとおり,胃切除(胃がん摘出手術)にあるのである。
他方,胃がんは,病理学的な観点からの名称であって(乙B10・574頁「病理組織型」参照),医学的には,胃がんと胃切除後症候群とが別個に分類されているのは当然のことなのである。別個に分類されているからといって,胃切除後障害と胃がんとが密接不可分の関係にあることを否定することにはならないのである。
(e) 摘出手術の前後による差別
仮に,「胃がん・胃切除後障害」との記載に関して,被告らのように,「胃切除後障害の放射線起因性がないという理由で認定を却下する」ことは,認定申請手続きが「胃摘出手術の前になされたか,後になされたか」によって大きく結果がことなることになり,新たな差別を生じる事になる。
すなわち,胃がんの診断を受けた被爆者の場合,被告らは「胃がんの放射線起因性」を肯定しているのであるから,もし胃がん手術をしない段階で認定申請をしたのであれば認定を肯定することになり,胃がんによって生じる諸症状を治療するために,要医療性も肯定されることになる。その場合,認定後に胃がん摘出手術を施行し,胃切除後障害が発生したとしても,それは胃がん治療の一環なのであるから要医療性が存在しなくなったとして,認定が取り消されることはないであろう。
他方,被告らの論理によると,「一旦胃がん摘出手術を施行した後に認定申請した場合」には,手術後の症状(胃切除後障害)は,別の疾病であるとして,放射線起因性を否定し,新たに放射線起因性と要医療性の両方の要件を備えることが必要となり,結局,胃切除後障害には放射線起因性がないということで,認定が却下されることになる。
このように,被爆者としては,胃がんとなって胃がん摘出手術を施していることには変わりはないにもかかわらず,認定申請が胃がん摘出手術の,前であれば,認定申請が認められ,同手術の後であれば却下されるというのでは,不合理極まりない結果となるのである。
オ 要医療性
(ア) 原告P1の症状
現在,原告P1が医療を必要としている症状のうち,昭和57年の胃切除によって生じたと認められるものは,① 早期及び晩期ダンピング症候群,② 逆流性食道炎,③ 栄養障害,④ 胃切除後貧血,⑤ 骨粗鬆症の5症状である。これらの症状が,昭和57年の胃切除によって生じたものであることは,P59医師の証言およびその意見書,乙B8の記載から明らかである。
(イ) 早期及び晩期ダンピング症状の治療について
原告P1の場合,現在の医療としては,食事療法を基本としているが,食欲が不安定である。今後,予測される医療としては,やはり食事療法を基本とするしかないが,症状悪化の場合には,糖の消化吸収遅延剤の再投与が検討されなければならないと主治医は考えている。
(ウ) 逆流性食道炎
現在の医療としては,症状悪化時にアリクレイン液の投与を随時行っているが,今後の医療予測としては,積極的な制酸剤の積極的な投与が検討されることもある。
(エ) 栄養障害
現在の医療は,食事療法が基本となるが,今後は,補液などの強制的栄養が必要となる可能性が否定できない。
(オ) 胃切除後貧血
現在の医療は,食事療法を基本として,鉄剤内服を継続しているが,同時に今後も定期的検査が必要である。
(カ) その他
胃がん手術後20ないし30パーセントの頻度で胆石が発生し,またカルシウムや鉄分の吸収が悪くなるといわれ,特に閉経後の女性では,胃全摘後に骨の変化が出やすいとされ,骨粗しょう症対策の医療管理が必要となる。
カ 結論
以上のように,原告P1には,放射線起因性と要医療性の要件が具備されるので,被告らの却下処分は取り消されるべきである。
(2) 原告P2の原爆症認定要件該当性
ア 被爆状況
(ア) 被爆場所
原告P2は,被爆当時21歳(大正▲年▲月▲日生)。軍に所属し,広島市の比治山西側にあった暁部隊に配属され,船舶通信補充隊で通信関係の任務についていた。
原告P2は,昭和20年8月6日,同部隊の兵舎内で朝食後の仮眠中に被爆した。被爆時,同部隊が配置されていた場所は,爆心地より約2キロメートル離れた比治山本町付近にあった。
(イ) 被爆時の状況
原告P2は,原爆投下時は,ベッドで横になり仮眠中であったが,警戒警報解除のサイレンで,再びうとうとし始めた時,兵舎の外から当番兵の大きな声が聞こえてきた直後,原告P2の目に7色の眩しい,花火が爆発したような強烈な閃光が飛び込んできた。
その後,強烈な爆風によって,大音響とともに兵舎が崩れたし,原告P2も飛ばされた。原告P2は,ほこりと,強烈な閃光を浴びたせいで何も見ることができなかった。
原告P2は,幸いにして飛ばされた場所が崩れた兵舎の木材の隙間だったために一命を救われ,足に軽い怪我をしただけだった。光が差し込んでいるのが見えたので,その方向に移動し,兵舎の外に出て,防空壕に飛び込んだ。
防空壕に飛び込んだ2,3分後,爆弾の音も飛行機の音もしなかったので,防空壕の外に出た。見渡したところ,広島市の中心部の方向に巨大なきのこ雲が立ち上がっていた。また,市の中心部から煙がたち上っているのが見えた。原告P2は,初期放射線(主として中性子線)による「外部被曝」をした。
(ウ) 被爆直後の状況
ほとんどの兵舎は崩れており,下敷きになって怪我をした兵隊や死亡した兵隊が多数いた。崩れた兵舎のところどころから火が出ていたので,原告P2は,まず消火活動をし,その後,建物の下敷きになって負傷した兵隊や死亡した兵隊を兵舎の外に搬出する作業をした。原告P2は,一日中,無我夢中で作業に当たった。
作業が一段落して,顔や手を洗っているときに,作業服を見ると,真っ黒いしみみたいな,黒いすすが付着していた。作業服の一部には湿ったところもあったので,雨にも濡れたのかもしれない。
敗戦の8月15日までは,兵舎付近において,がれきの中を歩き回りながら,助けを呼んでいる人を,がれきの中から助け出す救助活動,大きな材木の下になっている死亡した人の遺体処理をした。さらに,火がついていた兵舎の消火活動もしながら兵舎の後片付けもしていた。
以上の事実からしても,作業中に,原爆の爆発によって発生した放射性微粒子などの放射性降下物が原告P2の皮膚や髪,衣服に付着した結果,放射性降下物による外部被曝を受け,また,残留放射線による被曝とともに,土ほこりやすす,被曝した死傷者や倒壊建物から発せられる誘導放射線を浴びたり,呼吸によって吸引したり,放射線に汚染された水を飲んだりして,外部被曝および内部被曝をしている。
8月16日以降は,街灯の一部も回復してきたが,原告P2は市内の切れた電線の修復や分散した通信機の回収などを,崩れないで残った兵舎を拠点にして,主に千田町方面比治山橋から専売局の東側,宇品の周辺で作業を行っていた。
電線の修復や通信機の回収の仕事がないときは,兵舎の周りの警備をしていた。原告P2は,復員する昭和20年10月2日頃まで,広島に残って作業を継続していた。
イ 急性症状について
(ア) 脱毛
被爆数日後から,原告P2に,脱毛の症状が現れてきた。当時,原告P2は丸刈りで頭髪は5ミリメートル程度であった。被爆前までは,枕に髪の毛が付着していることはなかったが,被爆して2,3日後から,朝起きるときに,枕にはっきりわかる程度に抜け毛があった。枕にぱらぱらと短い髪の毛が付着していたので,原告P2は,何でこんなに髪の毛が抜けるのかと疑問に思った。こうした状態は1週間位続いた。
(イ) 吐き気
被爆2,3日後から,吐き気が始まった。常時吐き気がして,胸の辺りがむかむかし,嘔吐しそうで嘔吐しないという症状で,とても気分が悪かったが,我慢をして救護活動や後片付けの作業に従事してきた。
(ウ) 下痢
被爆後,原告P2に,下痢の症状も出てきた。時々,軽い腹痛を感じ,トイレに行き,排便すると治まるものの,便は,かなり柔らかいもので,強い症状は被爆後1週間くらい続いた。復員後2,3年位までときどき下痢に襲われ何日か継続したりした。原告P2は,復員後,α16の実家のお寺に戻った。復員の途中でも,下痢の症状があり,広島から貨物船で三原まで行き一泊したが,その晩に下痢で苦しんだ。
(エ) 足の怪我
原爆投下により兵舎が崩れたときに,原告P2は足に負傷したが,傷は「復員後」1か月くらい治癒せず,なぜ,こんなに治りが遅いのかと不思議に思った。この傷も内部被曝の一因と考えられる。
ウ その後の健康状態
(ア) 極度の倦怠感・疲労感
原告P2は,復員して実家に帰ってからも体がだるい状態が続いた。強度の倦怠感で体がだるくて,起きていることが大変につらく,毎日,奥の部屋で一日中ごろごろしていた。体がだるく力仕事はできないので,実家の寺の手伝いや,時々,近所の人から依頼されて,ラジオの修理などをしていた。その後,原告P2は,昭和23年から,P61に就職し,昭和56年に退職するまでP61で働いた。
就職当初の仕事内容は,α17山の山頂にあるα18で機械の保守点検修理で,3日間連続して職場に泊まり込んで仕事をし,後の3日間連続しては自宅で休むという交替勤務であった。実家があるα16の自宅からα18までは3時間近くかかった。午後に自宅を出て,その日の夕方から勤務に入り,3日後の午後まで働いて自宅に戻り,自宅に戻った日から3日目の昼頃に再び勤務に向かうということを繰り返してきた。しかし,毎日体がだるく,気力で仕事をしていた状態であった。仕事が終わって自宅に帰ると何もやる気が起きず,座っていることさえつらくなるので,体を横たえてだるさをこらえていた。
原告P2は,昭和27年に結婚した。結婚当時もα17山の山頂にあるα18での仕事であったが,勤務が終わって,自宅に帰ると,体がだるく直ぐに横になり,休みの3日間はほとんど自宅で横になっている状態であった。原告P2の妻からは,結婚当初頃から,「いつもぐだぐだ寝てばかりいる」と嫌みを言われた。当時,妻の両親も同居していた。妻の両親は,原告P2がいつもごろごろして何もしない様子を見て,妻に対し,「何であんなに寝てばかりいるのか。」と聞いたことがあった程,第三者の目からみても原告P2の異常な状態は明らかだったのである。また,当時の原告P2の顔色は悪かった。原告P2は,徴兵検査でも甲種合格であったにも拘わらず,戦後はよく他人から顔色が悪いと言われることが多かった。
原告P2は,昭和34年9月15日,山形市に転勤したが,体のだるさは続き,自宅で,いつもごろごろしていた状況に変化は無かった。また,昭和42年8月25日,釜石市に転勤したが,毎日の勤務で体がきつく,釜石勤務の4年間で体重が大きく減った。体のだるさは続き,土曜の午後と日曜日はごろごろしていた。体があまりに痩せたため,それまでのスーツが合わなくなり,新調せざるを得なかった程である。
原告P2は,昭和46年8月26日,仙台市に引っ越した。仙台においても,仕事が終わると体がとてもだるくなり,自宅に帰ってくると原告P2は直ぐに横になってばかりいる状況に変化は無く,土曜の午後や,日曜日はごろごろして過ごしていた。
原告P2は,このような強度の倦怠感・疲労感のため,常日頃ごろごろしていたが,このような身体状況は,被爆者の多くに見られる症状であり,後に「原爆ぶらぶら病」とも呼ばれるようになっている。この症状については被爆者を多数診察してきたP9医師が詳しく証言しているとおりである。この名称は,個々の病名はつけにくいものの原爆放射線に被曝したこと以外には説明のしようがない諸症状を指している。
(イ) 右腎臓摘出手術
昭和55年頃,原告P2に最初の血尿が出現した。倦怠感には変化は無く,体重がどんどん減り体が痩せ細るので,P62病院(仙台)で受診した結果,右腎臓に腫瘍があるとの診断を受け,腎臓摘出手術を受けた。
原告P2の診察記録によれば,この右腎臓の摘出手術後,手術後の経過を診るためとして「膀胱鏡検査」を行っているが,この検査方法が採られているところから見て,担当医師は,同腫瘍を腎盂腫瘍と考え,それも転移を予測させるような腫瘍であると診断していたものと考えられる。この時の腫瘍は悪性腫瘍,即ち「腎盂がん」であると考えるのが自然である。
(ウ) 膀胱腫瘍(平成5年)
原告P2は,上記右腎臓の摘出手術の後,同年9月には,仕事に一旦は復帰したが,依然として強い倦怠感・疲労感は続いたため,翌56年,定年前ではあったが仕事を退職した。その後もだるさのため依然として,一日中,ごろごろする日が続いていた。
そして,平成5年原告P2に再び血尿が出現した。P63病院で診察を受けたところ,膀胱腫瘍と診断された。そして腫瘍が大きいため手術が出来ない状態との診断で,抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術をすることとなった。同年6月に膀胱の3分の1を切除した。
(エ) 膀胱腫瘍(平成6年)
前年の膀胱一部切除の手術後,経過観察を続けたが,平成6年に再度膀胱腫瘍が発見され,内視鏡手術をした。更に,同年4月には,BCGの注入の治療を行った。手術は成功した。しかし膀胱がんの再発のおそれがあるとの診断の下,医師の指示で今日まで,手術後も,2ないし3か月おきに定期的にエコー検査と膀胱の内視鏡検査を受けている。
内視鏡検査は,がんの再発のおそれがあることから経過観察をするために必要とされているのであるが,原告P2は,平成16年の暮れ頃にも内視鏡検査を受け,平成17年7月にはエコー検査を受けている。そして,再発のおそれがあることから,今後も,同検査は予定されている。
エ 放射線起因性
(ア) 原告P2の被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況
原告P2は,爆心地から約2キロメートルの地点において直接被曝をし,爆発後2,3分後には防空壕から出て,きのこ雲を目撃し,市の中心部の火災をも認識しているので,直接被曝による放射線被曝は明白である。
また,被曝後,爆心地から同じく約2キロメートルの地点において屋外での救出作業に追われ,爆発当日の1日を費やしているという事実に加え,継続して8月15日まで放射性降下物を浴びながら作業を続け,8月16日以降10月2日頃まで,広島以内の千田町方面比治山橋から主に専売局の東側,宇品の周辺で電線の修復や通信機の回収作業を行っていた。
したがって,初期放射線による外部被曝,放射性降下物による外部被曝,誘導放射線による被曝,内部被曝を受けていることは疑いない。
(イ) 原告P2の具体的症状
原告P2は,被爆直後から,脱毛,吐き気,下痢,足の怪我が治りにくい等の原爆症特有の急性症状を現し,復員する頃から,強度の倦怠感・疲労感に襲われるという所謂「原爆ぶらぶら病」の症状を呈するようになった。そして,原爆ぶらぶら病による倦怠感・疲労感は,実家に復員して後も継続して表れ,昭和34年9月15日山形市に転勤して後も,昭和42年8月25日釜石市に転勤して後も,昭和46年8月26日仙台市に引っ越した後も,要するに幾度かの生活環境の変化を通じても一貫して強度に継続しているし,現在に至っても尚,頑固に存在する。
(ウ) 発症に至る経緯,健康診断や検診の結果
原告P2は,上記のように強度の「原爆ぶらぶら病」の症状が継続している状況の中で,昭和55年腎盂がんを発病して右腎臓の摘出手術を受けた。それから10年以上を経て,平成5年膀胱腫瘍を発病して抗がん剤治療を受け膀胱3分の1の摘出手術を受け,翌平成6年膀胱腫瘍を再発したので内視鏡手術を施行し,更に,BCGの注入の治療を行った。そして,今後も再発に備えて,定期的にエコー検査と膀胱の内視鏡検査を受けている状況にある。
(エ) 放射線被曝による人体への影響に関する統計的疫学的知見
同知見に関しては,固形がんの放射線リスクに関する科学的所見を検討する必要がある。固形がんの放射線リスクに関しては,「原爆被爆者の死亡率調査第13報 固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」(甲A64号証,甲A62号証39頁以下)によって説明されている。
原爆被爆者の死亡率調査第13報の13頁の図4は,固形がん全体,13種類のがん,およびその他の固形がんによる死亡を一つのグループとしたもののそれぞれについて,ERR推定値と90パーセント信頼区間を示したものである。
同頁の欄外(下から2行目以下)には,同図の説明がなされているが,そこには「ゼロの箇所に引いた薄い垂直の点線は,過剰リスクがないことを示し,濃い垂直の実線は,男女で平均したすべての固形がんのリスクを示す」との記載がある。
そして,ERRというのは過剰相対リスクということであり,これが0.00であれば有意差がない,つまりゼロ線量と比較して0.00であればこれは全く同じということを意味する。
図4の横軸は,「0.0」から右に行くほど「0.5」,「1.0」,「1.5」と値が増加しているから,各固形がんの信頼区間を示す矢印が,右側に位置しているほど過剰リスクが高いということを意味する。
そこで,図4における,原告P2の疾患である膀胱がんの箇所を見ると,信頼区間を示す矢印は,だいたい「0.24」から始まって「1.5」を遥かに超える値になっており,信頼区間の中ほどに位置する黒い点(ERR推定値)は,ほとんど「1.25」に位置する。この値は,他の固形がんの黒点よりも最も右に位置するものである。要するに,図4における固形がんの中では,膀胱がんが最も放射線リスク(ERR)が高いということを意味するのである。
膀胱がんの過剰リスクについては,「原爆被爆者の死亡率調査」の第10報以降,常に過剰リスクが指摘されてきたのであり,膀胱がんの過剰リスクは統計的疫学的に相当の高さで認められてきた。したがって,統計的・疫学的知見からしても,原告P2の膀胱がんが,原爆放射線に起因するものであると推認することができると考えるべきである。
(オ) 多重がん又は重複がん
原告P2の膀胱腫瘍は,いわゆる膀胱がんであると考えられるが,原告P2の昭和55年の腎盂がんの発生後,10数年以上経過した後,平成5年に至って始めて膀胱がんが発生しているから,原告P2の膀胱がんは,腎盂がんから転移したがんとは考えられない。むしろ,分類からすると,両者は多重がんまたは重複がんということになる。多重がんまたは重複がんという関係については,一方が,他方の進展,再発,転移によるものではないと考えられているから,原告P2の膀胱がんは,腎盂がんの進展・再発・転移したものではない。
(カ) 腎盂がん
原告P2の昭和55年の腎盂がんについても放射線起因性の可能性は否定できないと考えられる。すなわち,国立がんセンターの資料によると,「腎盂と尿管を上部尿管と呼び,ひとつのグループとして扱われ」ており,「腎盂,尿管と膀胱,尿道の一部は移行上皮と呼ばれる粘膜で構成されて」いる。そして,尿路に発生するがんは,主に移行上皮がんと呼ばれて,腎盂,尿管がんも多くは移行上皮がんであると指摘されている。
したがって,原告P2の腎盂がんも,尿路に発生するがん,すなわち,泌尿器がんと位置づけられるが,この泌尿器がんの放射線起因性に関しては,「原爆放射線の人体影響1992」(乙A14)という研究報告がある。
同報告は原爆後障害研究に関するもので,後障害とは,昭和21年以降に発生した放射線に起因すると考えられる人体影響のことである。そして,同報告によると,泌尿器がんに関し,原爆放射線の後障害が増加示唆という結論が出ているのである。
このような増加示唆という研究結果からすると,泌尿器がんについても放射線起因性が存在する可能性が否定できず,したがって,原告P2の腎盂がんについても放射線起因性が存在する可能性が否定できないのである。
(キ) 結論
原告P2については,膀胱がんの過剰リスクが相当の高さで認められているという統計的・疫学的知見が存在することに加えて,被爆地点約2キロメートルでの初期放射線被曝,残留放射線被曝,内部被曝等の被爆状況に加えて,重篤な急性症状が存在するだけではなく,原爆症の大きな特徴の一つである強い倦怠感・疲労感の継続している状況の中で膀胱がんが発病していること,および原告P2の膀胱がんが,腎盂がんの進展・再発・転移によるものではないこと,昭和55年の腎盂がんについても放射線起因性の可能性は否定できないという意味で,認定申請に係る疾病(膀胱腫瘍)の外にも被曝との関係が疑われる疾病を発症している事実をも考慮すると,原告P2の放射線起因性が肯定されること当然であって,原告P2の認定申請を却下した被告らの処分が違法であることは疑いをいれない。
(ク) 起因性に関する被告らの主張の誤謬
a 疾病・障害認定審査会の判断
被告厚生労働大臣は,「疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被爆状況が検討され,その上で貴殿の申請に係る疾病の原因確率を求めました。そこで,この原因確率を目安としつつ,これまでに得られた通常の医学的所見に照らし,総合的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていないものと判断されました。」として,原告P2の認定申請を却下した。
その根拠として,「答申」(乙C6)では,原告P2の「線量目安」は0.5であり,「原因確率」は2.6であるとする。
「審査の方針」の原因確率が「おおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する。」という基本的な考え方にもとづいて,原告P2の場合,起因性が否定されたということになる。
b 固形がんに関する知見
固形がんの場合には,いわゆる確率的影響にある疾患であり,その場合には,少ない放射線量でも発症する可能性が否定できないのである。ただ1本の放射線が体内に入っただけでも,細胞レベルで傷がつき,その傷が発がんというメカニズムに結びついてがん発生のメカニズムをスタートさせることになるのである。
少ない放射線量でも,がん発生のメカニズムをスタートさせるという上記の考え方は,放射線影響研究所の研究によっても裏付けられている。すなわち,原爆被爆者の死亡率調査第13報は,「固形がんについては,今回の調査によって放射線リスクの全般的レベルに関する以前の推定値が確認され,低線量における線量反応の特徴が明らかになっている」と指摘し,さらに,「この低線量域における線量反応曲線の傾きが全線量範囲の場合と有意に異なることを示唆する証拠はなく,しきい値を示す証拠も認められない。」としているのである。このように,低線量でも発がんの一定のリスクというのが高い線量と同じような割合で存在しているということを放射線影響研究所が,疫学的統計的研究の見地から端的に認めているのである。
c 被告らの判断の科学的誤謬
このような研究者・研究機関の研究成果によって,低線量レベルのがん発生の可能性と危険性が明確に指摘されているにもかかわらず,原因確率の高低によって起因性を判断するという被告らの手法に対しては,科学的にみても重大な誤りを含んでいるという意味でも,強く非難されなければならない。
オ 要医療性
(ア) 継続的医療の必要性
原告P2は,平成6年に手術をして後も,継続的に「尿細胞診」と「エコー(超音波)検査」が行われており,平成14年の本件認定申請時以後も継続的になされている。
膀胱がんは,非常に再発する可能性が高く,長期にわたって再発していないかどうかを追跡検査する必要がある疾患であり,術後5年経過した後も当然に検査が必要であると考えられている。
また,膀胱がんは,膀胱が存在する限り,膀胱内に再発する可能性は常にある疾患であり,手術後は担当医の指示によって,定期的に外来に通院し,膀胱鏡や尿の細胞診でチェックする必要がある。
表在性の膀胱がんでは,致命的になることはまれであるが,膀胱がんは膀胱内に多発すること,何度も再発することが特徴であり,定期的に膀胱内を観察していく必要がある。そして,再発を繰り返すうちに,浸潤性のがんへと性質が変化することがあり,注意が必要である。浸潤性のがんの場合は,生存率も落ちるということで,表在性の段階で見付けて摘出するということが必要となる。それ故,膀胱が存在する限りは検査が必要であることが,膀胱がんの大きな特徴なのである。
さらに,甲A67によると,1981年に手術した事例で,その後「外来で3か月ごとに膀胱鏡で観察していたが,再発をみなかった。1997年3月,16年ぶりにほぼ同部位の左側壁に3センチメートルの膀胱がん再発を認めた。」という記述,そして,「本例の経験から,長期間の定期検査の必要性を確認した。」という記述があり,手術後5年経過したかどうかという基準ではなく,膀胱が存在する以上,検査が必要であることが文献上も明らかとなっている。
以上からしても,原告P2の膀胱がんについては,再発予防及び再発の早い段階での発見の必要の見地からも,当然に手術後の追跡検査体制が不可欠であり,したがって,現在も尚,継続的医療の必要性が認められることは明らかである。
以上から,原告P2の場合は,当然に要医療性が肯定されるのである。
(イ) 石田判決
a 原告P2に要医療性が肯定されることは,いわゆる石田判決(広島地方裁判所昭和▲▲年(行ウ)第▲▲号同51年7月27日判決・判例時報823号17頁)が,要医療性について,次のように指摘していることからも明らかである。
「要医療性についていえば,放射能障害を有する被爆者に対しては,症状の推移を見守る意味においても医師による長期の観察が必要であり,治療方法についても研究の余地が残されていることのほかに前期『原子爆弾後障害症治療指針』が治療上の一般的注意として指摘しているように,『原子爆弾被爆者の中には,自身の健康に関し絶えず不安を抱き神経症状を現すものも少なくないので,心理的側面を加味して治療を行う必要がある場合もある』ことを考慮すると,医学的にみて何らかの医療効果を期待し得る可能性を否定できないような医療が存する限り,要医療性を肯定すべきである。起因性の認められる被爆者に対しては,効果の期待し得る可能性を否定できない治療を施しながら研究を重ねる態度が望まれるのであって,その態度こそあらゆる可能性を求めて治療に努めるべき医の倫理にかなうものというべきである。」
b 本件の原告P2の場合,手術後5年経過したかどうかではなく,「膀胱が存在する限り,継続的な検査が必要であること」は上記のとおりである。そして,原告P2の場合,長期間に亘って再発の可能性に絶えず晒されていることから,不安の毎日を送っていることは容易に察することができ,したがって,心理的側面を加味して治療を行うべき場合であることも当然である。
また,手術後の定期的検診等の追跡検査体制を充実させることによって,がん再発を早期に発見することが可能となり,それ故,生存率も落ちる浸潤性のがんへの転移をも未然に防止することも可能となるのであり,追跡検査体制による医療効果は多大なものがあることは疑いない。
(被告らの主張)
(1) 原告P2について
ア 被爆状況
原告P2(大正▲年▲月▲日生,男性)の被爆地は,広島市比治山本町の木造兵舎内であり,爆心地からの距離は約2キロメートルである。
イ 推定被曝線量
(ア) 初期放射線による被曝線量
原爆による初期放射線による被曝線量は,DS02によってその正当性が検証されたDS86によって合理的に推定できるところ,その結果を踏まえて審査の方針の別表9が作成されている。これによれば,広島の爆心地から約2000メートルの地点における初期放射線による被曝線量は0.07グレイと推定され,さらに,原告P2は,遮蔽のある建物(兵舎)内において被爆したというのであるから,原告P2の初期放射線による被曝線量は,透過係数0.7を乗じ,0.049グレイと推定される。
(イ) 残留放射線による被曝線量
原告P2は,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700メートル以内の区域へ立ち入ったことはなく,放射性降下物の影響が認められた広島市己斐又は高須地区に滞在又は居住したこともない。したがって,原告P2について,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝を考慮する必要はない(審査の方針)。
この点につき,原告P2は,被爆後の「作業中に,原爆の爆発によって発生した放射性微粒子などの放射性降下物が原告P2の皮膚や髪,衣服に付着した結果,放射性降下物による外部被曝を受け,また,残留放射線による被曝とともに,土ほこりやすす,被曝した死傷者や倒壊建物から発せられる誘導放射線を浴びたり,呼吸によって吸引したり,放射線に汚染された水を飲んだりして,外部被曝および内部被曝をしている」と主張する。
しかし,これが事実であったとしても,今日の放射線学の常識からすれば,その程度のことで被曝による急性症状としての脱毛や下痢等が生ずることはあり得ない。被爆直後の調査結果より,原爆爆発直後から現在に至るまで爆心地にとどまり続けているという現実にはあり得ない仮定をした場合でも,その積算線量は,広島で約0.50グレイ程度にすぎないこと,放射性降下物が特に多く認められた広島市己斐又は高須地区にとどまり続けているという現実にはあり得ない仮定をした場合でも,その積算線量は,0.006ないし0.02グレイ程度にすぎない。
したがって,原告P2の主張する事実を前提にしたとしても,同人については,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝を考慮する必要はない。
(ウ) 小括
以上より,原告P2の被曝線量は,0.049グレイを超えることはない。
ウ 被爆後の身体状況
原告P2は,被爆後,脱毛,吐き気,下痢の症状が続き,被爆時に負った足のけがの治りが遅かったと述べており,これらの症状は放射線による急性症状であると主張する。また,原告P2が,復員後も極度の倦怠感・疲労感を感じ続けたのも被爆による放射線の影響である旨主張する。
しかし,原告P2に生じたとされるこれらの症状は,以下に述べるように,放射線被曝に起因するものとは考えられないものである。
(ア) 被爆直後の原告P2の症状
原告P2は,脱毛,吐き気,下痢等の症状につき,脱毛については,被爆2,3日後から,朝起きるときに枕にはっきりわかる程度に抜け毛があった,こうした状態は1週間位続いた旨,吐き気については,被爆2,3日後から吐き気が始まった旨,下痢については,被爆2,3日後から生じ,強い症状は被爆後1週間くらい続いた,復員後2,3年位までときどき下痢に襲われた旨主張・供述していることからすると,いずれの症状も被爆直後ではなく,被爆の2,3日後から生じてきたものと認められる。
(イ) 急性症状の所見とは相いれない症状
被曝による急性症状が生じる被曝線量は,最低でも約1グレイ(100センチグレイ)以上とされており,さらに,脱毛は頭部に3グレイ(300センチグレイ)以上,下痢は腹部に5グレイ(500センチグレイ)以上の被曝がなければ生じないものであることは,今日における放射線医学の常識である。それ以外の被曝に起因する脱毛や下痢はない。仮に,1ないし3グレイ以上の被曝をしていたとすれば,吐き気や嘔吐,発熱は被曝後1ないし2時間以内に生じ,下痢も被曝後数時間以内に生じるものであるところ,原告P2の吐き気,下痢の症状は被爆の2,3日後あたりから生じたというのであり,その症状の発現の仕方をみても,被曝による急性症状と考えることは到底できない。また,被曝による脱毛は,被曝から2週間程度経過した後に生じるものであるところ,原告P2は,被爆の2,3日後から脱毛が生じたというのであり,脱毛の出現時期をみても,被曝による急性症状としての所見と相いれないことは明らかである。
更に言えば,3グレイ以上の被曝とは,治療を受けなければ50パーセント以上の者が30日以内に骨髄抑制によって死に至るほどの被曝であるから,原告P2が述べるように,炎天下の中で救護活動や後片付け作業を続けることができたとは到底考え難い。
(ウ) 脱毛,吐き気,下痢は被曝による急性症状ではないこと
脱毛については,枕に抜け毛の付着がわかる程度のものであり,衛生状態や栄養状態の悪化により,自然脱毛より若干抜け毛が増えた程度のものと考えるのが自然である。また,吐き気についても,我慢をして救護活動や後片付けの作業に従事できたことからすると被曝による急性症状とは考えられない。被爆後から8月15日の終戦まで炎天下の中で消火活動,救助活動や遺体処理作業に従事していたことを考えると,原告P2の吐き気は,平常時では考えられないくらいの蓄積疲労,熱中症,持続するストレス等の症状であると考えるのが合理的である。下痢についても,被曝による急性症状としての下痢は一過性で,被爆後2,3年も続くことはあり得ないのであり,原告P2に生じた下痢は,慢性的な栄養不良や疲労による下痢,持続するストレスからくる心因性の下痢,衛生状態の悪化による感染性の下痢,当時流行していた寄生虫による下痢など放射線被曝以外の原因によるものと考えるのが合理的である。
(エ) 足のけが及び極度の倦怠感・疲労感
原告P2は,原爆投下時に負傷した足の傷が復員後1か月くらい治癒しなかったことを内部被曝の一因と考えられると主張するが,その根拠は放射線学の常識に照らしてみても全く不明である。そもそも,足の負傷の程度が不明であり,原告P2が「当時は治療の薬も何もございませんでしたので,そのまま包帯で巻いたきりでおりました」,「復員して治療して,1か月くらいで何とか治りました」,「治療は…主に家庭薬でした」,「お医者さんに診てもらったわけではないんですか」との質問に対し,「ではないんです。」などと供述していることからすると,当時の衛生状態を考えれば,負傷した部位に感染を起こし,適切な治療をしなかったことや,栄養状態が悪かったことなどが原因で若干治癒が遅くなっていたと考えるのが合理的であり,原告らの主張は失当である。
また,原告P2は,復員後も極度の倦怠感・疲労感を感じ続けたことも放射線被曝の影響であると主張するが,このような症状は,原爆投下による悲惨な状況を目撃・体験したという強度の心理的ストレスを原因とする心的外傷後ストレス症候群(PTSD)などに起因するものなど,放射線以外の要因によるものと考えるのが合理的であり,放射線被曝に起因するものではない。
エ 放射線起因性について判断すべき疾病
原告P2の認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,原告P2の申請疾病は,膀胱腫瘍と認められる。
オ 申請疾病に放射線起因性が認められないこと
(ア) 膀胱腫瘍は,放射線健康影響のうち確率的影響の範ちゅうに属する疾病とされており,同疾病の放射線起因性の判断は,推定された被曝線量に基づき原因確率を算定した上で行うことになる。膀胱腫瘍は尿路系がんであり,原告P2は男性であるから,原因確率は審査の方針別表7-1によって算定される(審査の方針第1の2参照)。
原告P2は,被爆時の年齢が21歳であり,被曝線量は0.049グレイを超えることはない。審査の方針別表7-1によれば,被爆時年齢21歳の男性被爆者に発症した尿路系がん(膀胱がんを含む)の原因確率は,被曝線量が0.05グレイの場合には2.6パーセントであることからすると,原告P2の膀胱腫瘍の原因確率も2.6パーセントを超えることはない。これは,放射線以外の原因で膀胱腫瘍となった可能性が97.4パーセントあるということを意味するのであり,同人の膀胱腫瘍は,加齢等を要因とするごく一般的なものとみるのが自然である。その他原告P2の既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案しても,同人の膀胱腫瘍に放射線起因性があるとは到底考え難い。
(イ) なお,原告P2は,右腎盂腫瘍を発症し,さらに膀胱腫瘍を発症しており,多重がんを発症しているから放射線起因性が認められる旨主張するようであるが,一般的にそもそも腎盂腫瘍自体が多発性であることが多く膀胱腫瘍を生じやすいとされており,腎盂腫瘍の後に膀胱腫瘍を発症したからといって,これを膀胱腫瘍の放射線起因性の根拠とすることはできない。また,原告らが根拠とする被爆者に多重がんが多いこと,多重がんの頻度と被曝距離又は線量に相関関係があること,被爆者に多重がんの増加傾向があることといった見解については,いずれもそれを裏付ける科学的な知見はなく,多重がんであることをもって放射線起因性を認めるべきとするのは不当である。
カ 申請疾病に要医療性も認められないこと
(ア) 原告P2は,平成5年1月に膀胱腫瘍(表在性のもの)と診断され,同年6月16日,経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-Bt)による手術を受けた。原告P2の膀胱腫瘍は,移行上皮がんで,悪性度は中程度,がんの進展度は粘膜内から粘膜下まで浸潤しているが膀胱筋層には及んでいないとの診断であった。
その後,平成6年3月に再発が認められたため,同月18日,再度TUR-Btによる手術を受けた。その後,BCG膀胱内注入療法が行われ,がんの再発はみられなかったため,抗がん剤(UFT)の投与も術後2年が経過した平成8年3月8日に中止され,その後再投与はされていない。本件P2却下処分がなされた平成15年7月23日時点においては,膀胱腫瘍に対する治療は行われておらず,診療録上も,平成12年9月28日付けで「recurrence(再発の意味。)については特に問題なし」との記載がなされている。
(イ) 原告らは,膀胱がんは膀胱内に多発すること,何度も再発することが特徴であるから,再発防止及び再発の早い段階での発見の必要の見地からも,当然に手術後の追跡検査体制が不可欠であり,したがって,現在も尚,継続的医療の必要性が認められると主張する。
この主張は,P64医師の意見書及び証言を根拠にしたものであるが,そもそも証人P64は泌尿器科の専門医ではなく,原告P2の主治医でもないのであるから,その証言及び意見は信用性に疑問があるといわなければならない。しかも,原告P2の膀胱腫瘍は,表在性のがん(T1)で,悪性度も中等度であり予後が良いものであった。このような症例では,手術後5年間再発がなければ,通常,それ以後は1年に1回の受診か,あるいは,患者の年齢等を考慮し特に定期的な検査は行わないことも考えられる。原告P2の場合は,前立腺肥大等の治療のために定期的に通院していることから,侵襲性のない超音波検査や尿細胞診検査などを半年ないし1年に1回程度行うことがあっても不思議ではなく,その検査の事実をもって,申請疾病である膀胱腫瘍の継続的な医療の必要性があると認めることは,完治した疾病について要医療性を認めることと等しく,不合理であることは明らかであり,原告らの主張は失当である。
(ウ) したがって,原告P2の申請疾病である膀胱腫瘍は,要医療性の要件も満たさないから,いずれにしても,同人の原爆症認定申請は却下されるべきである。
キ 結論
以上より,原告P2の申請疾病(膀胱腫瘍)には放射線起因性は認められずまた,要医療性も認められないものであり,被爆者援護法10条1項の要件を満たさないものであるから,本件P2却下処分は適法である。
(2) 原告P1について
ア 被爆状況
原告P1(昭和▲年▲月▲日生,女性)の被爆地は,広島市段原大原町の屋外であり,爆心地からの距離は約1.8キロメートルである。
イ 推定被曝線量
(ア) 初期放射線による被曝線量
初期放射線による被曝線量は,被爆地及び爆心地からの距離の区分に応じて審査の方針別表9によって定められるところ,広島の爆心地から約1800メートルの地点における初期放射線による被曝線量は0.15グレイとされており,原告P1は遮蔽のない状態で被爆したというのであるから,遮蔽係数を乗ずる必要はなく,原告P1の初期放射線による被曝線量は0.15グレイと推定される。
(イ) 残留放射線による被曝線量
原告P1は,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700メートル以内の区域へ立ち入ったことはなく,放射性降下物の影響が認められた広島市己斐又は高須地区に滞在又は居住したことも認められない。したがって,原告P1について,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝を考慮する必要はない(審査の方針第1の4,2)及び3))。
この点につき,原告P1は,原告P1は被爆直後,父親の安否を確認するために段原末広町から広島駅まで歩いて移動しており,この際,爆心地に近づいて残留放射線の影響を受けたことは否定できない。また,被爆後,段原末広町付近の畑の作物を摂取しており,このような行為により放射性降下物が付着したものを食料として体内に取り込んだものと考えるのが自然であると主張する。
しかし,段原末広町と広島駅(爆心地から約2キロメートルの地点)との位置関係からすると,爆心地から700メートル以内に入市したことを認めることはできない。原告P1の上記主張事実が真実であったとしても,今日における放射線学の常識からすれば,その程度のことで被曝による急性症状としての脱毛や下痢等が生ずることはあり得ない。したがって,脱毛や下痢等の症状があったとしても,被曝による急性症状とみることはできず,これによって,上記被曝線量の推定が左右されるというものではない。
したがって,原告らの主張は失当である。
(ウ) 小括
以上より,原告P1の被曝線量は,0.15グレイを超えることはない。
ウ 被爆後の身体状況
原告P1は,下痢,発熱,脱毛など被爆後の急性症状について,被爆して1週間後あたりから,下痢,発熱,嘔吐,脱毛,食欲不振の症状が出てきたと主張し,嘔吐及び下痢については「少し吐き気なんかがちょっと来たのとおなかを壊したという,そのくらいです」と供述していることからすると,嘔吐及び下痢の症状は被爆直後から生じたわけではなく,その程度も昼夜を問わず生じるほどの重篤なものではなかったと考えられる。
また,脱毛については,「自分ではそんなに分かりませんでしたけど,まだちっちゃかったから,お母さんが髪をといてくれるときに,よく抜けるねというのは聞いていました」と供述していることからすると,脱毛の程度は本人がよく覚えていない程度,周囲の者が見ても明らかに脱毛が生じたとは分からない程度のものだったと認めるのが相当である。
原告P1に生じた嘔吐,下痢,発熱,脱毛,食欲不振等の症状は,被曝線量からみても,その発症時期,重篤度からみても,被曝による急性症状とは考えられない。
エ 放射線起因性及び要医療性について判断すべき疾病
原告P1の認定申請書(乙B1)及び同申請書添付の意見書(乙B2)の記載によれば,原告P1の申請疾病は,胃がん及び胃切除後障害と認められる。
オ 原告P1の胃がんには要医療性は認められないこと
原告P1は,昭和57年に胃がんの切除手術を受けているところ,平成14年9月に申請疾病を胃がん及び胃切除後障害として原爆症認定申請をした。確率的影響である胃がんそのものの放射線起因性についてまで積極的に争うものではないが,胃切除後既に20年以上が経過し,再発もみられないことから胃がんそのものの要医療性が認められないことは明らかである。
すなわち,要医療性の審査に当たっては,申請者から提出されている認定申請書添付の意見書等の記載に基づき判断しているが,意見書には胃がんの要医療性については何ら記載がなく,胃がん発症のため昭和57年6月に胃の上部3分の2を切除してから既に20年以上が経過し,再発もみられない以上,手術は成功し医学的に胃がんは完治しており,胃がんの治療の必要性がないことは明らかである。したがって,原告P1の申請疾病である胃がんは,現に医療を要する状態にあるとはいえず,要医療性は認められない。
カ 原告P1に胃切除後障害が認められないこと
(ア) 胃切除後障害の意義
胃切除後障害とは,胃切除後に生じる様々な障害(症状や疾病)の総称であるため,いずれの症状も胃切除後に特異的に生じるものではなく,胃切除によって必ず生じるというものでもない。その発症頻度は,胃切除の原因となった原疾病によっても異なり,特にダンピング症候群の発症頻度は胃がんでは低く,胃炎,消化性潰瘍で多いとされている。この他にも,術式,切除の範囲,精神的要因等の複数の要因が関与しあって生じるものであるが,胃切除後障害の発生に放射線は何ら関与しない。
また,個々の症状は,胃切除後に特異的にみられるものではなく,他の原因・疾病においても同様の症状はみられるものである。よって,治療を行う際には,胃切除を行っていることは常に念頭に置きつつも,それぞれの症状の原因を診断し,その原因に応じた適切な治療を行わなければならない。原告P1についても,平成14年の本件却下処分当時に訴えていたそれぞれ障害(ダンピング症候群,逆流性食道炎,栄養障害(るいそう),貧血)について,その原因,障害の程度,医療の要否については,個別に検証し,判断しなければならない。
なお,原告P1が原爆症申請の際に治療を受けている症状として記載したものはダンピング症候群のみであり,P59医師が作成した意見書においても,貧血やるいそうに対する治療内容は一切記載されていないが,ここでは,原告P1が主張する胃切除後障害の四つの症状(ダンピング症候群,逆流性食道炎,栄養障害(るいそう),貧血)が,原告P1に認められるかを検討することとする。
(イ) ダンピング症候群について
a ダンピング症候群の臨床症状等
ダンピング症候群は,胃潰瘍や胃がんの治療のために胃切除を行った後に生じる二次的な症状である。このダンピング症候群は食後30分以内に起こる早期ダンピング症候群と食後2ないし3時間で起こる晩期(後期)ダンピング症候群に分けて論じられている。
早期ダンピング症候群の臨床症状としては,食後30分以内に突然発症する冷汗,動悸,めまい,しびれ,全身脱力感,頭痛等の全身症状と腹鳴,腹痛,下痢,嘔吐,腹部膨満等の腹部症状が認められ,診断においては食事摂取後30分以内に全身症状のいずれかが出現することが重視されている。また,晩期ダンピング症候群の臨床症状としては,食後2ないし3時間ほどでの全身倦怠感,脱力感,冷汗,めまい,手指のしびれ等の全身症状が認められるが,腹部症状は伴わない。
治療の基本は食事療法であり,基本的には医師による治療(投薬など)は不要であり,ほとんどの場合は1ないし2年経つと体が胃切除後の状態に慣れ自然に症状が軽減・消失することが多く,適切な食事療法を実施してもなお症状が軽快しない場合には,担当医と相談し外科的な処置も検討すべきとされている。我が国における発症頻度は広範囲胃切除術で10ないし20パーセント程度との報告が多いが,食事療法のみで治療できないほどのものは1パーセント程度と言われている。
食事療法の留意点としては,① 少量の食事を頻回によくかんでとること,② 食事内容は高蛋白,高脂肪,低炭水化物で水分の少ない乾燥した固形物を中心に摂取すること,③ 食事中の水分を控えることである。
b 原告P1にはダンピング症候群の臨床症状が認められないこと
(a) 原告らは,ダンピング症候群の症状として,急にもあっとなる発作があるなどと述べるが,この発作は食事とは関係がなく突然生ずるものであるから,医学的には,食後に生ずるダンピング症候群の症状と考えることはできない。
証人P59は,「食べようとすると吐気する」,「目の前のぼわっーとするかんじ」といった診療録に記載された症状もダンピング症候群の症状である旨証言するが,いずれも肺炎のため発熱が続いていたり風邪で微熱がある時期の記載であり,肺炎や風邪の症状であることも十分考えられ,ダンピング症候群の症状であるということはできない。
また,平成8年(1996年)当時には食後2時間後の発汗や動悸,フワーとなる症状が認められ,検査結果においても晩期ダンピング症候群であったことがうかがわれ,改善のための投薬治療も行われているが,その投薬も約半年後の平成8年6月には本人の申出により中止され,その後は現在に至るまで再投与はされておらず,症状は軽減したものと認められる。
(b) 原告P1は,体のだるさ・倦怠感があり,ひどいときには脂汗が出て顔が冷たくなると供述するが,この体のだるさ等の症状は,高校卒業後に体調を崩した当時から継続して訴えているものであるから,胃切除を原因とするダンピング症候群の症状と認めることはできない。
また,頭痛については原告P1本人はさほど気にしておらず,医学的な治療を要する症状・障害と認めることはできない。
(c) 本件P1却下処分後ではあるが,平成16年4月の入院の際,原告P1は,入院2日目の夕食から,食事は8割ないしは10割程度摂取できており,入院中,食後にダンピング症候群の発作を起こすこともなかった。
(d) なお,原告P1は,食後にみぞおち(胃)のあたりがきゅうっと張ってきて痛くなると供述する。
原告P1は胃を3分の2切除しているため,食事の量や内容によってはこのような症状があってもおかしくないことであるが,原告P1は,平成16年4月に入院した際には,食事をほぼ全量食べても胃のあたりの痛みは生じていないのである。これは,食事の量や内容が体調に合った入院食であり,また,食後に横になって休んだからということができ,食事の量や内容に気をつけ食後に適切な休憩をとれば胃の痛みは生じないのである。このことは,原告P1自身が,食後は横になって寝るのが一番いい,20分か30分すると落ち着いてくる,自分で食事の(量を)調整すると(痛みが)出ないときもある旨供述していることからも明らかである。
このように,原告P1が主張する食後の胃のあたりの痛みは,食事の量や内容に気をつけ(1回の食事量を少なめにして回数を増やす等),食後は横になって休むということを励行することにより容易に予防することができるものであるから,積極的な治療を要するほどの症状であるということはできない。
c 小括
以上のことからすると,原告P1には,積極的な治療を要するようなダンピング症候群の臨床症状を認めることはできず,ダンピング症候群であるという原告らの主張は失当である。
(ウ) 逆流性食道炎について
a 逆流性食道炎の臨床症状等
逆流性食道炎は,消化液(重要なものは,膵液,胆汁,胃液。)が食道内へ逆流することにより発生するものであり,自覚症状は,胸やけ,心窩部痛,嚥下障害などである。胃切除後の発生頻度は胃部分切除では5ないし6パーセント,胃全摘術では30パーセント程度との報告がある。診断は内視鏡検査により行う。
b 原告P1には逆流性食道炎の臨床症状が認められないこと
平成11(1999)年3月5日行われた内視鏡検査では食道に異常はなく,逆流性食道炎の所見は認められない。
証人P59は,食欲不振,吐き気,胸やけ,腹痛の臨床症状から原告P1は逆流性食道炎であると推定する旨証言・陳述するが,原告P1の胸やけは,油ものや甘いものを食べると少しする程度のものであって,病的な症状ということはできず,他に原告P1が逆流性食道炎であることを認めるに足りる証拠はない。
c 小括
以上のことからすると,原告P1には逆流性食道炎の臨床症状は認められず,逆流性食道炎であるという原告らの主張は失当である。
(エ) 栄養障害(るいそう)について
a 栄養障害(るいそう)の臨床症状等
胃切除後には栄養障害を生じやすく,約80パーセントの症例で体重減少が認められるといわれている。臨床症状としては,体重減少,下痢,脂肪便,浮腫,低蛋白血症などがみられ,症例によっては,経腸栄養剤の経口投与が行われることもある。
b 原告P1には栄養障害の臨床症状が認められないこと
原告P1は,平成14年当時,身長140cm,体重約30kgであり,低体重が認められる。
しかし,胃切除後において浮腫や下痢の症状を認めるに足りる証拠はない。また,原告P1が定期的に受けている被爆者健康診断(人間ドック)等の結果(甲B2の1,5の1及び2,10)によれば,栄養状態を判断する指標である血清総蛋白及び血清総コレステロールの数値は,すべて基準値(原告P1が受診している人間ドックにおける血清総蛋白の基準値は,6.5ないし8.0g/dlであり,血清総コレステロールの基準値は,130ないし220mg/dlである。)の範囲内にあり全く異常はなく,検査結果上,栄養障害の所見は認められない。
さらに,P59医師及びその他の診察医も,原告P1の「やせ」状態については要経過観察の判定をしており,積極的な治療を要する状態である「要医療」とは判断していないことが認められる。
c 小括
以上のことからすると,原告P1には低体重は認められるものの,医学的に積極的な治療を要するような栄養障害の臨床症状を認めることはできず,栄養障害であるという原告らの主張は失当である。
(オ) 胃切除後貧血について
a 貧血の臨床症状等
胃切除後に発生する貧血には鉄欠乏性による低色素性小球性貧血とビタミンB12欠乏による巨赤芽球性貧血(大球性貧血)があり,発生頻度は報告により一定していないが30パーセント前後との報告が多く,胃部分切除に比べて胃全摘では約2倍の頻度である。胃部分切除では低色素性小球性貧血が多く,部分切除においてビタミンB12欠乏による巨赤芽球性貧血を呈するのはまれである。また術後4年以内では低色素性小球性貧血であるが,5年以後では巨赤芽球性貧血が増加してくる。
貧血の臨床症状としては,易疲労感,立ちくらみ,集中力の低下,動悸,息切れ,微熱などが認められ,身体所見としては,皮膚・結膜・粘膜等の蒼白等を示す。このように,貧血の症候としてみられる易疲労感,動悸等の症状は貧血のみに特異的なものではないので,診断のためには,血液検査においてヘモグロビン濃度を測定することが不可欠である。60ないし69歳の女性のヘモグロビン濃度(Hb)の基準値は,11.6ないし15.4g/dlである。
b 原告P1には胃切除後貧血の臨床症状が認められないこと
(a) 原告P1には,昭和57年に胃切除術を受ける以前から,立ちくらみや体のだるさ等貧血を疑わせる症状が出現しており,十二指腸潰瘍も患っていたことからすると,胃切除術を受けた昭和57年以前からすでに貧血の症状があった可能性がある。実際にも,胃切除後貧血は胃切除後3年以上経ってから起こることが多いとされているにもかかわらず,胃切除の約1年後に作成された診断書(乙B13)によると,昭和58年8月18日のヘモグロビン濃度(血色素量)はすでに10.7g/dlと基準値より低いものであり,このことからも,原告P1が胃切除前から貧血気味であったことが推認される。
(b) 平成7年以降の原告P1の血液検査におけるヘモグロビン濃度は,10.3から12.6g/dlの間で推移しており,特に悪化している傾向はみられない。下記32回の検査値の平均値は,約11.21g/dlであり,原告P1が原爆症認定申請をした平成14年の平均値は,11.22g/dlであり,60歳から69歳の女性の基準値よりは若干低いものの,貧血の程度は極めて軽度であるといえる。
なお,原告P1は,一時期鉄剤の投与を受けていたが,少なくとも平成9年10月22日から平成15年4月28日までの間は,鉄剤の投与は受けていない。
(c) 原告P1が定期的に受けている被爆者健康診断における貧血についての結果判定によれば,平成8年ないし平成9年の結果判定では,貧血は治療中となっているが,その後,平成10年6月26日の検査では異常なし,平成10年11月27日,平成11年6月25日,同年11月26日及び平成13年6月25日の各検査における判定結果は経過観察,平成13年12月4日の検査における判定結果は治療継続,平成14年9月の原爆症認定申請の約3か月前である平成14年6月28日の検査結果によれば,ヘモグロビン値は11.6g/dlであり,貧血については異常なしとの判定がなされている。
また,平成14年12月5日の検査における判定結果は経過観察,平成15年6月26日,同年12月9日及び平成16年6月24日の各検査においては異常なし,平成17年12月1日の検査における判定結果は経過観察と判定されている。
このように,P59医師を含む担当医らは,原告P1の貧血に関し,ほとんど要経過観察と判定しており,平成14年以降は要医療と判定していないのであるから,積極的な治療は必要のない状態だと判断しているということができる。
c 小括
以上のことからすると,原告P1の血液のヘモグロビン濃度は基準値を若干下回っており検査結果上は貧血にあたるということもできるが,その程度は極めて軽微なものであり,積極的な治療を要するような貧血であるということはできず,また,体のだるさ等の臨床症状が胃切除前からあり胃切除以外に貧血の原因があることが強く推認されることからすると,原告P1には胃切除後貧血の症状は認められないというべきであり,胃切除後貧血であるという原告らの主張は失当である。
(カ) その他
原告らは,原告P1の胃切除後障害として骨粗鬆症を主張するようであるが,本件全証拠によっても,原告P1に骨粗鬆症の症状があることを認めるに足りる証拠はなく,原告らの主張は失当である。
(キ) 小括
以上のとおり,原告P1には,積極的な治療を要するような胃切除後障害は認められないというべきである。
キ 胃切除後障害に放射線起因性は認められないこと
前記のとおり,原告P1には,積極的な治療を要するような胃切除後障害であるダンピング症候群,逆流性食道炎,栄養障害(るいそう),貧血の症状は認められず,前提となる疾病が存在しないのであるから,そもそも,胃切除後障害に放射線起因性が認められないことは明らかである。
この点をおいても,同人の主張する胃切除後障害の発症経過からすれば,原子爆弾の放射線の傷害作用により直接的に生じた結果といえないことも明らかであり,そのような症状が認められるとしてもその原因は,胃切除手術やその他の原因による胃の幽門部喪失あるいは心理的要因という放射線以外の他の要素により生じる結果であって,原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものではない。また,原告P1が主張するような症状が認められるとしても,胃切除後20年以上が経過していることに鑑みれば,それらの症状は,原告P1が医師による食事指導を守らずに食事をしていることや喫煙等の生活習慣といった胃切除以外の原因によるものと考えるのが合理的であり,この点からも放射線起因性は認められないといえる。
胃がん自体に放射線起因性が認められるとしても,このような二次的症状についてまで原爆症認定の対象とすることは,被爆者援護法の予定するところではないから,原告P1の胃切除後障害に放射線起因性が認められることはない。
ク 胃切除後障害に要医療性は認められないこと
前記のように,原告P1には,積極的な治療を要するような胃切除後障害であるダンピング症候群,逆流性食道炎,栄養障害(るいそう),貧血の症状は認められず,また,仮に何らかの症状が認められるとしても,その程度は軽微なものでありおよそ積極的な治療が必要とされるものではないのであるから,要医療性の要件を満たさないことも明らかである。
なお,P59医師は,原告P1に対し,ダンピング症候群に対する治療として食事療法による治療を行っていると陳述・証言するが,その具体的な内容は,① 少量を頻回に分けて規則正しく食べること,② 消化のよい蛋白質等栄養のあるものを食べることを口頭指導することであり,これを平成7年当時から現在まで続けてきたというのである。原告P1の食事は,1日2回又は3回の不規則なもので,その内容も避けるべきとされているおかゆやうどんなどの水分の多いものであるにもかかわらず,P59医師は,栄養士等による具体的な食事指導を行うこともなく,水分の多いものの摂取や食事中の水分補給など一般に控えるべきとされることについての指導も行わずに10年以上にわたって上記の口頭指導を繰り返してきたにすぎない。このようなことからすると,主治医であるP59医師としても,原告P1に対して,生活指導的なもので十分であって,医学的な意味における食事療法が必要であるとは考えていなかったと認めることができ(P59医師は,平成14年8月26日を最後に,特段の理由もなく,特定疾患療養指導料の算定をしておらず,また,多忙だったなどとして指導内容の趣旨を必ずしもすべてカルテに記載していなかったなどとしている。),この点からも要医療性は認められないといえる。
また,原告P1は,軽度の貧血を示すことがあるかもしれないが,これは原告P1の生活習慣(偏食,喫煙,食事方法など)や同人が罹患している他の疾病によるものと考えるのが合理的であり,必要に応じて,一般医療の範囲で治療を行えば足りるものである。
ケ 結論
以上より,原告P1の申請疾病は,胃がんについては要医療性が認められず,また,胃切除後障害についてはそもそも積極的な治療を要するような症状が認められない以上,放射線起因性も要医療性も認められないものであり,被爆者援護法10条1項の要件を満たさないものであるから,本件P1却下処分は適法である。
3 争点2(国家賠償請求の成否)について
(原告らの主張)
(1) 国家賠償責任を根幹とする「国家補償責任」
ア 国家賠償責任の根拠
原告らに対し,被告国が負うべき国家賠償責任の根拠は,次の事実から導かれる。
第1に,日本国政府は戦争を開始・遂行した結果責任としての国家賠償責任を負っている。とりわけ,原爆が投下された時期には,日本の敗戦は必至であり,被告国はもっと早期に戦争を終結させるべきであったにもかかわらず,終結を引き延ばし,アメリカによる原爆投下を招いたのである。この点から,被告国の戦争遂行責任は明らかである。
第2には,被害の隠蔽と被爆者の放置により原爆被害を拡大させた被告国の不作為による違法が国家賠償責任を根拠づける。
そもそも,原爆投下から数か月後に,アメリカは臨床例の報告や被爆者の剖検資料までを本国に持ち帰り,その後も長らく原爆症の医学的研究の報告も禁止されて,その究明は決定的に立ち後れた。しかし,占領が終了し,主権が回復した後も,被告国は,被爆者を救済せず放置したのである。その後も,被告国は,入市被爆者や内部被曝に関する被害の実態などを直視せず,爆心地からの距離だけを基準とした実態とかけ離れた被爆行政を続けてきた。この背景には,残留放射線の影響とりわけ内部被曝の影響の深刻さを覆い隠そうとするアメリカの核政策と,これに基づいて設置されたABCC,これをそのまま引き継いだ放影研の調査研究の基本姿勢があった。その姿勢の下で被告国は,被爆者らの原爆による被害に対して,国を挙げての戦争による犠牲は国民がすべて等しく耐え忍ぶべきだと言い続けてきた。そして,わずかに原爆被害のうちの放射線被害だけを他の戦争被害とは違う特別な犠牲だとして,部分的な援護の制度を作り上げてきたのである。もっとも,その放射線被害についても,原爆放射線の影響を過小評価し,恣意的な基準にあうものだけを原爆症と認めるという対応をしてきたことは,これまでの原爆症認定訴訟の中でも明らかになってきた。その恣意的基準は,今まで何度となく裁判所において実態に合わないと厳しく指摘されてきたにもかかわらず,被告厚生労働大臣は原爆症認定申請を機械的に切り捨ててきたのである。
被告国の責任は,被告国の違法行為による国家賠償責任を根幹として考えるべきであり,裁量により,援護の必要性のある被爆者を切り捨てることは許されない。援護の必要のある被爆者は,すべて認定されなければならない。その被害が被爆によるものである可能性が否定できない以上,認定からもらすことがあってはならないのである。
イ 国家補償責任の根拠
このような国家賠償責任がなりたつことを考えると,本来救済されるべき被爆者が切り捨てられることのないよう,一定の条件と救済の必要性のある被爆者に対しては,一定の給付を行う社会保障の要素を含めた「国家補償」の制度として被爆者の援護を行うのは当然の帰結である。
国家の行為により発生した損害としての国家補償責任が認められるべき根拠として,次のことを挙げることができる。
一般的に原子爆弾投下行為は,国際法違反の戦争犯罪行為であることが明らかにされており,その趣旨からすれば,アメリカによる原爆投下行為も違法であることは明白である。
したがって,本来,被告国はアメリカ政府に対して原子爆弾投下による損害賠償を請求できた。しかしながら,被告国は,サンフランシスコ平和条約において米国に対し原爆攻撃による戦争被害の賠償請求権を放棄したのである。これは,国際法違反が明らかなアメリカによる原爆投下責任の追及を放棄したもので,被爆者は,現に被っている被害の救済だけでなく,補償要求さえも許されなかったのである。
このように被告国のアメリカに対する賠償請求の放棄は,事実上被爆者の権利を奪う結果になったのであり,被告国は自らの責任に基づいて,被爆者の援護をよりいっそう急ぐべきであったのに,被害を放置した。そのことが被告国の違法行為と評価されるべきは前述したとおりであるが,賠償請求の放棄自体を違法とまでは評価できないとしても,被爆者には何の責任もないのに,被告国の行為によって損害が発生したことは明らかあるから,被告国は国家補償責任を負う。
ウ 救済の必要性
このように,被告国は国家賠償を基調とする国家補償責任を負うが,国家補償の目的は国民の身体や財産に生じた被害を救済することにあるから,原爆被害の深刻さに正面から向き合った被害の救済がはからなければならない。
原爆の被害は,「この世の地獄を見た」という言葉に象徴されるとおり,その内容と程度において他の戦争責任とは桁違いに悲惨であり,残酷なものであった。しかも,この「地獄」は被爆者の生涯にわたってつきまとい,被爆者の心身を蝕み続けた。それは,単に放射線による被害が深刻であるというだけでなく,被爆後いつまでも続く精神的な打撃を受け,いつ発症するかわからない後障害の発生に脅えながら,実際にも健康を損なわれ続けるという深刻さである。このような原爆被害の深刻さにもかかわらず,被告国は被害の実態を過小評価し,原爆被害を隠し続けてきたのである。被害の深刻さに正面から向き合えば,被害の救済の必要性は明らかであり,被告国が負うべき責任は自ずと明らかである。
(2) 違法性
被告厚生労働大臣を含む内閣が法律を誠実に執行する義務を負うことは,憲法にも明記されていることである。こと原爆症認定に関して言えば,被告厚生労働大臣は,被爆者援護法10条1項(具体的には,放射線起因性及び要医療性)を,同法の趣旨・目的に沿って解釈・適用しなければならない義務を負う。
「原始爆弾の障害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者」(同法10条1項)が認定申請をしたにも係わらず,被告厚生労働大臣が認定をしない場合には,その認定をしない行為は,被爆者の補償請求権を侵害したものとなり,違法の責めを免れず,国家賠償法上の違法性を帯びることになる。
(3) 責任(故意・過失)
ア はじめに
二度にわたる原爆投下は,無辜の市民に対する無差別殺戮であって,当時において国際的に承認されていたさまざまな国際人道法に違反する行為であった。
ところが被告らは,今日に至るまでの間,核兵器の使用を国際法違反であると明言することを避け,原爆症認定においても,原爆被害の実態に目を逸らし,間違った基準のもと,杜撰な審査を行い,被爆者の声を次々に蔑ろにしてきた。
イ 裁判所により否定され続けてきたこと
被爆者援護法は,認定要件を定めていても,その基準を定めているものではない。これまでの判例は,原爆症であるか否かという判断について,推定線量としきい値の機械的なあてはめでは,被爆の実態や原爆症の適否を判断することは不可能であること,そして,被爆者の原爆症の認定に対しては,被爆状況や被爆後の行動等を詳細かつ慎重に調査したうえで判断を下さねばならないことを繰り返し述べてきた。
ウ 誤りを正さない被告厚生労働大臣
被告厚生労働大臣は,被爆者の被爆状況を個別具体的に検討して総合的に判断すべきとした判例の度重なる指摘を無視し,実際の運用を一切変えようとしなかった。その結果,被告厚生労働大臣は,杜撰極まりない運用のもと,原告らに対して本件各却下処分を行った。
なお,被告厚生労働大臣は,平成10年に,自ら敗訴した過去の訴訟の原告さえ原爆症と認定され得ない「原因確率論」を導入している。同理論は,あたかも従前の認定基準が改善されたかのように見えるが,実際には,DS86としきい値の機械的なあてはめと本質的に何ら変わらず,個別的な検討を行うものでは全くない。
「基準に即して却下した」という被告厚生労働大臣の抗弁は,何ら改善されていない基準を敢えて採用し続けた本件却下処分当時において通用するはずもなく,原爆症認定という職務を行う公務員が,故意又は過失によって原告らに損害を与えたのは明らかである。被告国は国家賠償法1条1項に基づく責任を負わなければならない。
エ 被告らの過失
原爆症認定の判断基準が誤っていればその基準を改めるのは当然のことであり,その「当然のこと」がなされないが為に,多くの被爆者が切り捨てられ,補償を受けることが出来ない現状にある。しかも,結果待ちで数年待たされるケースも多く,申請中ないしは異議申立中にこの世を去る被爆者も数知れない。
原告らは,それら多くの被爆者の思いを背負って本件訴訟を提起した。被爆者援護法が国家補償的側面を有していることなど微塵も感じられない対応に対し,裁判所はその国家責任を認めることにより,再度の警告を行う必要がある。
(4) 損害
原告らは,当然に原爆症と認定され,必要な給付を受けるべきであるにもかかわらず,被告厚生労働大臣の上記行為により,長年の間救済されずに見捨てられてきた者である。その結果,高齢であるにもかかわらず,自ら原告となって本件訴訟を提起することを余儀なくされた。
そこで,被告厚生労働大臣の上記行為によって,原告らが被った精神的苦痛を慰謝するには,各原告につきそれぞれ金300万円を下らないので,請求の趣旨記載の慰謝料請求をする。
(被告らの主張)
(1) 責任原因
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法11条1項に規定する認定を行うに当たり,申請疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾病・障害認定審査会の意見を聞かなければならない(被爆者援護法11条2項)。これは,申請疾病が原爆放射線によるものかどうかの判断は極めて専門的なものであるため,客観性,公平性を担保するためにも,医学・放射線防護学等の知見を踏まえた判断をする必要があるとの趣旨によるものである。申請疾病の放射線起因性について検討する医療分科会の委員及び臨時委員は,放射線科学者や,現に広島・長崎において被爆者医療に従事する医学関係者,さらに内科や外科等の様々な分野の専門的医師等から指名された者であり,疾病の放射線起因性や要医療性の判断について高い識見を有する者である。
本件においても,被告厚生労働大臣は,医療分科会に審査を行わせており,審査の方針を目安としつつ,高度に専門的な見地から原告らについては,いずれも放射線起因性又は要医療性は認められないと判断されたものである。
本件各処分は,医療分科会での専門的な意見を踏まえてされたものであり,放射線起因性又は要医療性を否定した被告厚生労働大臣の判断に誤りはなく,そうである以上,被告国が国賠法上の責任を負う余地もない。
(2) 損害
原告らの主張は争う。
第三当裁判所の判断
一 争点1(1)(放射線起因性の判断基準)について
1 放射線起因性の立証責任
前記第二の一1のとおり,被爆者援護法11条1項,10条1項によれば,原爆症認定を受けるためには,被爆者が,現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,原子爆弾の放射線に起因して負傷し若しくは疾病に罹患しているか,又は,原子爆弾の放射線以外の傷害作用に起因して負傷し若しくは疾病に罹患し,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていること(放射線起因性)の要件を満たすことが必要である。
行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではないと解される。そして,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得ることを必要とすると解すべきである(最高裁判所平成10年(行ツ)第43号・同平成12年7月18日第二小法廷判決・集民198号529頁参照)。
2 原子爆弾による被害
前記前提事実等に,証拠(甲A7,25,35,37,39,乙A10,14,15,23,29,58,59,75,92,95ないし97,110)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
(1) 原子爆弾の物理的影響(甲A7,35,乙A14,15,23,29)
ア 核爆発によるエネルギー
昭和20年8月6日に広島に投下された原子爆弾は,原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)の南東約160メートルの地点の上空高度580メートルないし600メートルで爆発した。この原子爆弾は,臨界質量未満の核分裂性物質(ウラニウム235)を2つの部分に分離させておき,これを爆薬によって急速に合体させ,臨界質量を超えさせることによって核分裂反応を起こさせるものであって,砲身式と呼ばれるものであった。約60キログラムのウラニウム235のうち約700グラムが核分裂して核爆発が起こり,その爆発によるエネルギーは,高性能火薬であるTNT火薬約15キロトンないし16キロトンに相当するものであった。
同月9日に長崎に投下された原子爆弾は,平和公園の原爆中心碑がある地点の上空高度503メートルで爆発した。この原子爆弾は,臨界質量未満の球殻状の核分裂性物質(プルトニウム239)の周りを化学爆薬で取り巻き,これを同時に爆発させて核分裂物質を内側に押し込み,圧縮して高密度にし,急速に臨界質量を超えさせることによって核分裂反応を起こさせるものであって,爆縮式と呼ばれるものであった。約8キログラムのプルトニウム239のうち約1キログラムの核分裂性物質が核分裂して核爆発が起こり,その爆発によるエネルギーは,TNT火薬約21キロトンに相当するものであった。
広島及び長崎に投下された原子爆弾の核分裂によって生じたエネルギー分布は,約50パーセントが爆風の,約35パーセントが熱線の,約15パーセントが放射線のエネルギーであった。
イ 爆風
広島に投下された原子爆弾の場合,爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧が作られ,周囲の空気が大膨張して爆風となった。広島の爆心地付近における風速は毎秒約280メートル,爆心から3.2キロメートルの地点においても毎秒約28メートルであった。爆風の先端は衝撃波として激しい破壊をもたらしながら進行し,爆発の約10秒後には爆発点から約3.7キロメートル,30秒後には約11キロメートルの距離に達した。衝撃波が外方に向かい,風が吹き止む瞬間があった後,今度は外方から内方へそれよりも弱い爆風が流れ込み,キノコ雲の形成に参加した。
ウ 熱線
爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に温度が数百万度に達した。その後,火球表面の温度は急激に低下するとともに,熱線が放射された。爆発から3秒以内に約99パーセントの熱線が放射された。熱線は,爆心地から約1.2キロメートル以内の無遮蔽の者に致命的な被害を与えたとされている。
エ 放射線
(ア) 初期放射線
初期放射線とは,爆発後1分以内に放出される放射線のことをいう。原子爆弾によって放出されるエネルギーの約5パーセントを占めており,その主要成分はガンマ線と中性子線である。
なお,1メガエレクトロンボルト(MeV)以上の高エネルギーの中性線を速中性子線,1メガエレクトロンボルト未満の中性子線を熱中性子線という。
初期放射線の種類は,被爆者の周囲の遮蔽を考えない場合の放射線量(以下「空気中カーマ」という。カーマとは,放射線により物質中に放射されたエネルギーのことをいう。),被爆者の周囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量(以下「遮蔽カーマ」という。),人体組織による遮蔽も考慮した臓器線量に区別される。空気中カーマと遮蔽カーマは人体表面での被曝線量と同様と考えられる。
(イ) 残留放射線
残留放射線とは,爆発後1分後以降に放出される放射線のことをいう。原子爆弾によって放出されるエネルギーの約10パーセントを占めており,主として核分裂生成物の原子核から放出されるガンマ線とベータ線である。また,核分裂しないで残った核分裂性物質も,放射能は弱いが長期間にわたって放射能を放出し続けた。これらの核分裂性物質及び核分裂生成物の大部分は火球に含まれていたが,火球がキノコ雲に変わって上昇するにつれて上空に運ばれ,上空でキノコ雲が広がると放射性降下物(フォールアウト)となって地上に広範囲に降下した。
また,初期放射線,特に中性子が,地面や構造物を構成している原子核に衝突すると,これらの原子核は,放射性の原子核に変わってガンマ線やベータ線を放出した。このように,放射線を吸収した原子核が放射性原子核に変わることを誘導放射化といい,これによって放出される放射線を誘導放射線という。
(2) 放射線の人体に対する影響(甲A7,25,37,39,乙A10,14,58,59,69,75,92,95ないし97,110)
ア 直接電離放射線と間接電離放射線
放射線には,電離放射線と非電離放射線の2種類がある。アルファ線,ベータ線,ガンマ線及び中性子線は電離放射線である。電離放射線が原子や分子に当たると電子を弾き出し(これを電離という。),弾き出された電子がさらに周囲の電子を電離していく。
電離放射線(以下,単に「放射線」ということがある。)の人体に対する作用は,人体を構成する細胞の原子や分子に放射線のエネルギーが吸収されることにより,原子や分子から電子が引き離される電離や,電子がエネルギーのより高い準位に遷移する励起が起こることによってもたらされる。
アルファ線やベータ線のような電荷を持った粒子線(荷電粒子線)は,原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こすことから直接電離放射線と呼ばれる。他方,電荷を持っていないガンマ線や中性子線は,次のような作用をする。すなわち,ガンマ線は,電子との相互作用により,原子や分子を直接的に電離し,これによって生じた二次電子がさらなる電離を引き起こす。また,中性子線は,電子との相互作用はほとんどなく,原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こすことはないが,容易に原子核に到達して核反応を起こす。その結果,二次的に荷電粒子線やガンマ線を発生させ,これらが原子や分子に電離や励起を引き起こす。このように主として二次的に発生した荷電粒子線を通じて間接的に電離や励起を引き起こす放射線を間接電離放射線という。
イ 放射線の直接作用と間接作用
人体内に入った放射線が,前記のような初期の物理的過程によって,細胞内にあるタンパク質や核酸(DNAやRNA)等の重要な高分子に電離や励起を引き起こして破壊し,細胞に損傷を与えることを放射線の直接作用という。
他方,放射線の初期の物理的過程によって原子や分子の化学結合が切れて放射線分解が起こると,1個又は複数個の不対電子を有する原子や分子である遊離基(フリーラジカル又はラジカルともいう。)を生成する。人体内に放射線が入ったときに生成する遊離基は,人体の主成分である水分子が変化したものであることが多い。遊離基は,極めて不安定で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分子と直ちに反応する。遊離基が細胞内のタンパク質や核酸と反応して変化を起こし,細胞に損傷を与えることを放射線の間接作用という。
ウ 放射線量の単位等
被照射物質の単位質量当たりに吸収される放射線のエネルギー量を吸収線量といい(人体の臓器に吸収された放射線のエネルギー量を特に「臓器線量」という。),単位はグレイ(Gy)で表される。1グレイは,被照射物質1キログラム当たりに吸収される放射線のエネルギーが1ジュールであることを意味する。従来は,吸収線量の単位としてラド(rad)が使用されていたが,1グレイ=100ラドという関係にある。
他方,吸収線量が等しい場合でも,放射線の種類やエネルギーの違いによって,放射線が人体内を通過する時に生ずる電離や励起の密度が異なり,その結果,人体に与える生物学的効果に違いが生じる。放射線が人体内を通過する際,飛跡1マイクロメートルあたりに失うエネルギー(LETともいう。)が異なることが,結果として電離や励起の密度の違いをもたらすのである。ベータ線やガンマ線はLETの低い放射線(低LET放射線)に,中性子線やアルファ線はLETの高い放射線(高LET放射線)に分類される。
しかしながら,放射線の生物体に対する作用は複雑な現象が重なった結果であって,LETの値と生物体に対する作用の程度が必ずしも一定の関係を持つとは限らないと考えられている。
そこで,ある反応を起こすのに必要な標準となる放射線(通常200キロボルトのエックス線や,コバルト60のガンマ線等を用いることが多い。)の吸収線量とある放射線でその反応を起こすのに必要な吸収線量との比で表される生物学的効果比(RBE)が用いられる。一般に,LETが高くなるに従って,RBEも大きくなる。RBEは,ガンマ線やベータ線が1,中性子線はエネルギーの大きさに応じて5ないし20(熱中性子線は5,速中性子線は5ないし20),陽子線は5,アルファ線は20である。
もっとも,人体に対するRBEのデータは乏しく,また実際の被曝の線質やその他の条件は様々であり,その都度複雑な計算をすることは不可能であるため,放射線防護の目的から,人体に与える影響の度合いを表す尺度として考案されたのが等価線量(線量当量)であり,その単位はシーベルト(Sv)で表される。なお,吸収線量として旧単位であるラドを用いた場合の線量当量の単位はレム(rem)で表され,1シーベルト=100レムという関係にある。
同じ線量を受けても,どれだけの時間の間に受けたかによって作用の程度が異なる。一般に線量率が低くなる(遷延照射)と効果が減少する。分割照射でも同じ効果が出る。
エ 自然放射線源からの被曝
地球上では大地からの放射線や宇宙線といった自然放射源からの体外被曝(外部被曝)及び体内被曝(内部被曝)を受けるが,通常のバックグラウンドの地域における自然放射線源からの1人あたりの年間実効線量当量は,体外照射が800マイクロシーベルト,体内照射が1600マイクロシーベルト,合計は2400マイクロシーベルトと推定されている。
なお,日本では,放射線を利用した医療診断によって,国民1人当たり平均で年間2.25ミリシーベルト(2250マイクロシーベルト)の線量を受けている。
オ 放射線障害
(ア) 身体的影響と遺伝的影響
放射線被曝によって起こる障害を総称して放射線障害という。放射線障害は,被曝した本人に障害が現れる身体的影響と被曝した者の子孫に障害がもたらされる遺伝的影響に分類される。
(イ) 確定的影響と確率的影響
放射線障害は,放射線防護の視点から,確定的影響と確率的影響に分かれる。確定的影響とは,しきい値(影響が現れる最小線量)が存在し,被曝線量がしきい値を超えると影響が現れ,被曝線量の増加とともに影響の重傷度が重くなるものをいう。他方,確率的影響とは,しきい値が存在せず,被曝線量の増加とともに影響の現れる確率が増加するものをいう。
確定的影響の例としては,皮膚紅斑,不妊,白内障が,確率的影響の例としては,発がん,遺伝的影響等が挙げられる。
(ウ) 被曝態様
放射線の被曝態様は,身体の外に存在する線源からの外部被曝と体内に取り込まれた線源による内部被曝とに分けられる。線源が体内に取り込まれる経路としては,吸入摂取,経口摂取,皮膚(特に傷口)からの侵入が考えられる。
(エ) 急性障害
a 分類
昭和20年8月の被曝時から昭和20年12月までの間に発生した放射線障害を急性障害という。急性障害は,放射線障害が生じた時期により,被曝直後から2週目の終わりまで(第1期)に生じた急性症状,3週目から8週目の終わりまで(第2期)に生じた症状のうちで,前半期に生じた亜急性症状と後半期に生じた合併症状,3か月目から4か月目まで(第3期)に生じた回復症状とに分類される。
(a) 急性症状
高度の放射線を受けた者の多くに,直ちに全身の不快な脱力感,吐き気,嘔吐等の症状が現れ,2,3日から数日の間に発熱,下痢,喀血,吐血,下血,血尿が起こり,全身が衰弱して,被曝から10日前後までの間に死亡した。
(b) 亜急性症状
亜急性症状(なお,以下では,急性症状及び亜急性症状を含めた概念として「急性症状」ということがある。)の主なものは,吐き気,嘔血,下痢,脱毛,脱力感,倦怠,吐血,下血,血尿,鼻出血,歯齦出血,生殖器出血,皮下出血,発熱,咽頭痛,口内炎,白血球減少,赤血球減少,無精子症,月経異常等であった。
病理学的に最も顕著な変化は,放射線による骨髄,リンパ節,脾臓等の組織の破壊であり,その結果,血球,特に顆粒球及び血小板の減少が生じた。
脱毛,紫斑を含む出血,口腔咽頭部病変の発生率は,被曝線量が増大する程顕著であった。
(c) 合併症状
比較的軽度な症状であったものは,回復に向かい始め,解熱,炎症症状等の消退,出血性素因の消失が見られ始めたが,一部には,肺炎,膿胸,重症大腸炎等の症状を発し,一度は好転しかけていたにもかかわらず再び容態が悪化する者がかなり見られた。これらの合併症状の発現は,放射線による抵抗力の減弱によるものと考えられる。
(d) 回復症状
外傷,熱傷,放射線による血液や内臓諸臓器の機能障害が回復傾向を示し,第3期の終わりまでにはほぼ治癒した。軽度脱毛では発毛が見られ,白血球数の正常化,骨髄での顆粒球系,赤芽球系の増殖所見等が見られた。他方で,生殖器への放射線の影響はなお続いており,男性の精子数減少,女性の月経異常も見られた。また,治癒後の障害として,瘢痕拘縮やケロイドの発生が起こり始めた。
b 発生機序等
急性症状のうち,下痢は腸の細胞に傷害が起こるために発生し,血液細胞数の減少は骨髄の造血幹細胞が失われるために生ずる。出血は造血幹細胞から産生される血小板の減少により生ずる。皮膚の急性障害(紅斑,脱毛等)は,主として表皮の基底層及び毛嚢球の増殖細胞の傷害とその結果起こる表皮の細胞再生の妨害によるもので,これらの型の傷害が現れるまでの時間は,表皮の対応する細胞コンパートメントにおける細胞の交代の動態と密接に関連している。
急性症状は,確定的影響に分類され,一般に,低LET放射線で約1グレイ以上の被曝で起きるが,個人差があるとされている。また,線量が高いほど症状が現れるまでの時間が短く,症状が重いとされている。
約0.5グレイを超える全身被曝ではリンパ球が減少し,1ないし2グレイを超えるとリンパ球以外の白血球(顆粒球),血小板,赤血球数も減少し,また,1ないし2グレイで嘔吐,疲労感,脱力感が生じるものとされている。下痢のしきい値は4ないし5グレイとされている。毛嚢の損傷に対するしきい値は,低LET放射線の1回短時間照射の場合,概ね3ないし5グレイの線量で一過性脱毛が起こりうる。永久脱毛のしきい値はそれより高く,1回照射で約7グレイ,数週間に渡る分割照射では50ないし60グレイであるとされている。
他方で,被爆者に見られた主要な症状である脱毛,出血,咽頭部病変の発生率は,被曝線量が増大するほど顕著となり,総線量50ラド(0.5グレイ)における5ないし10パーセントから約300ラド(3ラド)における50ないし80パーセントまでほとんど直線的に増加し,それ以上の線量においては次第に横ばいになったとの知見もある。
(オ) 後障害
昭和21年以降に発生した放射線障害を後障害(晩発障害)という。後障害の例としては,白血病,胃がん,肺がん,肝臓がん,結腸がん,膀胱がん,乳がん,卵巣がん,甲状腺がん,皮膚がん,多発性骨髄腫等の悪性腫瘍(以下,白血病以外のがんを「固形がん」ということがある。),白内障,染色体異常,体細胞突然変異,胎内被爆児の知能障害(小頭症),機能異常(副甲状腺機能亢進)等が挙げられる。
3 被告厚生労働大臣が用いた放射線起因性の判断基準
前記前提事実等に,証拠(乙A1)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
(1) 被告厚生労働大臣が用いた判断基準
被告厚生労働大臣による原告らの放射線起因性の有無の判断は,医療分科会の意見に依拠したものであり,医療分科会による放射線起因性の有無の判断は,別紙審査の方針に基づいてなされたことが認められる。
(2) 審査の方針の概要
ア 放射線起因性の判断
(ア) 基本的な考え方
放射線起因性の判断を行うに当たっては,① 原因確率及びしきい値を目安として,当該申請に係る疾病等の放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断する,② 当該申請疾病等に関する原因確率が,おおむね50パーセント以上である場合には,当該申請にかかる疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,おおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する,③ 判断に当たっては,上記を機械的に適用して判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとする,④ 原因確率が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病等には,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,個別に判断を行う。
(イ) 原因確率の算定
原因確率は,申請に係る疾病等(白血病,胃がん,大腸がん,甲状腺がん,乳がん,肺がん,肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系がん(膀胱がんを含む),食道がん,その他の悪性新生物及び副甲状腺機能亢進症)及び申請者の生物の区分に応じ,別表1-1ないし8に定める率とする。
(ウ) しきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75シーベルトとする。
(エ) 被曝線量の算定
申請者の被曝線量は,① 申請者の被爆地及び爆心からの距離の区分に応じられた初期放射線による被曝線量(別表9に定めるもの。)の値に,② 申請者の被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定めた残留放射線(誘導放射線)による被曝線量(別表10に定めるもの。)及び③ 原爆投下の直後に特定の地域(己斐又は高須(広島)又は西山三,四丁目又は木場(長崎))に滞在し,又はその後長期間にわたって当該特定の地域に居住していた場合には,放射線降下物による被曝線量(己斐又は高須(広島)においては,0.6ないし2センチグレイ,西山三,四丁目又は木場(長崎)においては,12ない24センチグレイとする。)の値を加えて得た値とする。
イ 要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとする。
ウ 方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて必要な見直しを行うものとする。
4 審査の方針における被曝線量の推定の合理性
前記前提事実等に,証拠(甲A7,16,17,19,20,24,29の1・2,30の1・2,31,32の1・2,36,41ないし45,47,52,53の1,54の1,55,56の1・2,57の1ないし4,58,59の2・5・8・9,74の1・2,75の1・2,78,79,80,81,84の1・2,85,86,90,乙A14ないし17,19,20,23,24,26ないし29,37,38,53,55,70ないし72,76ないし78,86の1ないし3,94,101,104の1・2,105,113ないし116)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
(1) 線量推定方式の策定経緯(甲A7,16,乙A15,23,24,28,29,77,86の1ないし3)
ア T57Dの策定
原爆放射線の被爆者に対する後障害を正しく評価するためには,被爆者個人が受けた放射線量をできる限り正確に推定することが不可欠である。
被曝線量の被爆者に対する原爆放射線の被曝線量の推定は,広島では昭和22年に,長崎では昭和23年に設立されたABCC(昭和53年,放影研に組織変更。)による組織的な線量推定の研究により始まった。
昭和31年(1956年),アメリカの原子力委員会は,原爆放射線の人間に対する効果を研究するために,オークリッジ国立研究所(ORNL)を中心にした「ICHIBAN計画」と称する核実験をネバダ核実験場で行い,この実験データに基づいてT57Dが作成された。
その後,日本家屋による放射線遮蔽効果が問題になり,部分的核実験禁止条約後には,ネバダ核実験場に500メートルの塔を建てて「裸の原子炉」やコバルト60の線源を設置し,中性子の伝播や遮蔽効果の研究が行われた。
イ T65Dの策定
昭和40年(1965年),ABCCは,ORNLと協力し,また,放射線医学総合研究所等による広島・長崎原爆の測定結果と照合して,T57Dの改訂を行った。これが,T65Dと呼ばれるものである。T65Dは,ネバダ核実験場での長崎型原爆による核実験等のデータに基づいて,空気中カーマを爆心からの距離別に計算する公式及び日本家屋等の遮蔽物の透過率(遮蔽カーマと空気カーマの比に相当する。)を計算する公式を作り,被爆者の遮蔽情報のデータベースに基づいて,広島と長崎別及びガンマ線と中性子別に被曝線量(遮蔽カーマ)を計算できるように設計された。臓器線量は計算されなかったが,後に,各種臓器に対して肉体組織の透過係数(臓器線量と遮蔽カーマの比に相当する。)が全被爆者に共通の常数として与えられた。しかし,被爆時の姿勢や向きのような個人の差は考えられていなかった。
ABCCは,このT65Dに基づいて,広島,長崎の被爆者の被曝線量の計算を行い,発がん等に関する疫学調査を行うとともに,放射線による影響のデータ収集を行ってきた。
ウ DS86の策定
1970年代後半に,T65Dに疑問が投げかけられたのをきっかけに,アメリカでは,昭和56年(1981年)に線量再評価実務委員会が設置され,また,その結果を評価するための上級委員会が米国学士院に設置された。日本側においても,厚生省によって線量実務委員会と上級委員会が組織され,アメリカと合同でこの問題に対処した。昭和58年(1983年)から日米合同のワークショップが4回開催されるとともに,日米の科学者による少人数の会合も数回開かれて検討がなされた。そして,昭和61年(1986年),日米合同の上級委員会においてDS86が承認された。
審査の方針における初期放射線量の推定値(別表9)は,DS86によって計算された初期放射線の推定値に基づいている。
エ DS02の策定
DS86の策定以降,中性子線量に関する理論値と測定値の不一致に関し,日米独の研究者が研究を続けた結果,DS02が策定された。DS86からDS02への大きな変更点は,広島爆弾の出力が15キロトンから16キロトンに変更されたことと,広島原爆の爆発高度が580メートルから600メートルに変更されたことである。
(2) DS86の概要(甲A16,31,乙A16,23,24,29)
ア 爆弾の出力
広島の原子爆弾の出力は15キロトン(誤差は±3キロトン),長崎の原子爆弾の出力は21キロトン(誤差は±2キロトン)と推定された。
イ ソースタームとその検証
爆弾の容器から放出される粒子や量子の個数及びエネルギー別及び角度(方向)別の分布をソースターム又は漏洩スペクトルという。爆弾が爆発すると,中性子(即発中性子)とガンマ線(即発ガンマ線)が放出されるが,その際,起爆剤の軽元素(特に水素原子を含む。)や容器の重金属と相互作用するため,ソースタームは爆弾の構造によって変わる。
広島及び長崎の原子爆弾から中性子(即発中性子)とガンマ線(即発ガンマ線)が放出される実際の状況は,コンピュータプログラムにより,爆発中の爆弾内部における輸送(輸送とは,放射線が伝播していくことをいう。)と爆発に伴う流体力学運動の計算によって決定された。
そして,計算の結果は,広島型原子爆弾のレプリカを用いて組み立てた臨界実験装置を用いた実験と比較して検証された。弾頭方向を除いた他の方向で計算との一致は良好であった。
ウ 放射線の空中輸送(空気中カーマ)
爆弾から放出される即発中性子と即発ガンマ線及び空気捕獲ガンマ線(空気中で中性子の捕獲により作られるガンマ線)の空中輸送(空気中カーマ)について,二次元コンピュータコードやモンテカルロコード(MCNP)を用いた大規模な計算がなされた。これらの即発輸送は,大気は爆風によって攪乱されないものとして計算された。
上記の放射線に加えて重要な役割をするのは,上昇する火球の中の核分裂片から出る遅発ガンマ線である。膨張し続ける火球の中の分裂片から出るガンマ線の取扱いは複雑であり,モデルを一次元に簡易化して計算された。
これらの計算は,実験データとの比較又は異なるコード計算を用いた結果と比較することによって検証された。
エ 残留放射線の放射線量
残留放射能の1つは,いわゆる放射性降下物(フォールアウト)があり,長崎では爆心地の東方約3キロメートルの西山地区,広島では西方約3キロメートルの己斐,高須地区の限定された地域が該当する。もう1つは,爆心地付近の土壌,建造物等が中性子の照射を受けてできる誘導放射能である。
放射性降下物による線量評価について,長崎の西山地区,広島の己斐,高須地区では,原爆後数週間から数か月の期間にわたって,それぞれ数回の線量率の測定が行われている。それらの値から爆発1時間後の線量率を計算し,任意の時間内における線量を容易に求めることができる。
爆発1時間後から無限時間まで,地上1メートルの位置でのガンマ線量を計算した結果は,長崎の西山地区の最も汚染の著しい数ヘクタールの地域で20ないし40ラド,広島の己斐,高須地区では1ないし3ラドと推定された。
西山地区の住民約600名の原爆直後の行動の実態調査結果を基にすると,汚染地区に居続けた人の最大照射線量は上記積算線量の約3分の2と推定される。
広島,長崎の爆心地付近において,原爆後数週間ないし数か月後の期間に,誘導放射能による地上でのガンマ線の線量率の測定が,それぞれ数回行われている。また,中性子フルエンス(フルエンスとは,単位断面積を通る放射線の粒子の数をいう。)と土壌分析結果から,重要核種の誘導放射能による照射線量を計算することもできる。
爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1メートルの積算線量は,広島で80ラド,長崎では30ないし40ラドと推定された。
地上での線量率は時間と共に急激に減少するし,爆心地から離れても急速に減少する。広島では爆心地から175メートル,長崎では350メートル離れると半減している。早期入市者の被曝線量は,その人の爆心地付近の行動の状況を正確に把握しなければ評価できない。
以上述べた線量は,地上1メートルでの空気中の照射線量であって,組織の吸収線量に換算するには適切な換算係数を乗ずる必要がある。その結果,放射性降下物による人体組織の無限時間までの積算線量は,最大で,長崎で12ないし24ラド,広島で0.6ないし2ラドとなり,誘導放射能によるものは,最大で,広島で約50ラド,長崎で18ないし24ラドとなる。
オ 家屋及び地形による遮蔽(遮蔽カーマ)
被爆時に日本家屋の中や側にいた場合,又は戸外にいて日本家屋や地形により遮蔽されていた場合に,その遮蔽効果を計算するための技法として,9-パラメータ法(日本家屋の中又は側で被曝した場合に,その状況を前方遮蔽建築物の有無,その大きさ,階層数,直線透過距離,爆心方向にある遮蔽されていない窓からの距離等の9つのパラメータにより記号化し,その関数として遮蔽効果を計算する方法)とグローブ技法(戸外にいて家屋又は地形により遮蔽されていた被爆者に対し,その地点に入射する全球面を角度別に細分して各部の遮蔽割合を記号化し,中性子とガンマ線の角度分布と組み合わせて遮蔽を計算する方法)が用いられた。
上記方法は,ネバダ核実験場でのBREN実験で用いた家屋に適用する等の方法によって有効性が検証された。
日本家屋内で被曝した場合,上記方法によって,その位置でのエネルギーと角度別フルエンスが計算される。そして,これにより遮蔽カーマが計算される。
カ 臓器線量の測定
放射線が被爆者の身体表面から特定の臓器に達する間での身体自身の遮蔽効果を計算するために,昭和20年当時の典型的日本人のファントム(人体模型)のコンピュータモデルを作成した。戦前,戦後の日本人の体格から,昭和20年当時の日本人の体重を55キログラムと推定した。これを成人用ファントムとして,ORNLが15歳未満の欧米人用に作成した57キログラムのファントムを修正し,性別に関係なく使用した。
また,骨,軟組織の違いを考慮し,頭,胴,手,足も模型化した。
臓器線量は,新生児ないし3歳までの乳幼児の被爆者に対しては9.7キログラムのファントムを,3歳ないし12歳の小児に対しては19.8キログラムのファントムを,12歳以上については55キログラムのファントムを用いて計算した。
さらに,被爆時の姿勢によって臓器の位置や身体の遮蔽が異なることを考慮して,日本式正座位のファントムを開発し,線量計算に用いた。
そして,家屋遮蔽計算の場合と同様に,超大型コンピュータを用いて,モンテカルロコードによる4万個の放射線粒子の追跡計算を行った。この計算は,姿勢別(直立,座位,臥位),年齢別(乳幼児,小児,成人)に行われ,赤色骨髄,膀胱,骨,脳,乳房,目,子宮(胎児線量の代用としても使用。),大腸,肝,卵巣,膵,胃,睾丸及び甲状腺の15臓器を対象にしている。その結果が,身体遮蔽データベースとして保存されている。遮蔽フルエンスと身体遮蔽データベースを連結することにより,被爆者の特定の臓器での中性子及びガンマ線のエネルギー及び角度別のフルエンスが得られる。これにより,臓器線量を計算することができる。
キ DS86による線量計算方法
DS86は,前記爆弾の出力,ソースターム,空気中カーマ,遮蔽カーマ,臓器線量の計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データ等を入力して臓器線量及び各種線量(カーマ)を計算するコンピュータシステムである。
DS86は,超大型コンピュータにより行われた膨大な放射線粒子の追跡計算の結果得られた自由空間データベース,家屋遮蔽データベース,臓器遮蔽データベースの3つのデータベースを持っており,特定の被爆者に関するデータを入力すると,上記データベースを組み合わせて,各種の線量を出力できるようになっている。すなわち,被爆者の被爆都市及び爆心地からの距離を入力して,被爆者の位置における空気中カーマが得られる。次に,9-パラメータデータ又はグローブデータの入力により,遮蔽カーマを出力することができる。また,年齢,姿勢,原爆に対する向きの入力によって,特定の臓器の吸収線量を出力することができるようになっている。
推定線量に対する不確実性(誤差)は,空気カーマについては,広島で16パーセント,長崎で13パーセントであり,臓器線量については,25ないし35パーセントと推定される。
(3) 初期放射線の計算値と測定値の比較に関する知見
ア 原爆線量再評価(甲A16,乙A24,29)
(ア) ガンマ線
DS86の報告書である原爆線量再評価において,ガンマ線及び中性子線に関するDS86の計算値と実際に行われた測定値との不一致が,次のとおり指摘されている。
熱ルミネッセンス(TL)線量測定法(被曝した瓦,レンガ,タイル等を粉砕し,その中に含まれる石英の微粒子を取り出し,加熱すると光を発する(これを熱ルミネッセンスという。)が,この光の量が被曝したガンマ線量に比例することを利用したガンマ線の測定方法。)によるガンマ線の測定結果とDS86による計算結果を比較すると,広島においては,1000メートル以遠の地点では測定値は計算値よりも大きく,これより近い地点では測定値は計算値より小さくなった。長崎においては,この関係は逆であった。
(イ) 速中性子
中性子線量の検証には,中性子により特定の物質中に誘導された特定の放射能を測定し(これを放射化の測定という。),この測定値に対応するDS86に基づく計算値と比較するという方法を取った。
3メガエレクトロンボルト以上の高エネルギー中性子フルエンスにより誘導された硫黄に含まれるリン32について,爆弾投下の数日後に測定したデータの再検討がなされた。爆心地から数百メートル以内の近距離ではDS86に基づく計算値と測定値との間の大きな隔たりは見られない。それ以上の距離では測定値の誤差が大きくなるため結論は出せない。
APRD原子炉で行われた3メガエレクトロンボルト以上の中性子フルエンスの測定値と計算値との比較の考察から,広島及び長崎における中性子カーマの計算値は,1500メートルまでは,約数十パーセントくらいまでの精度があると期待できる。
(ウ) 熱中性子
熱中性子によるユーロピウムの152の放射化については,測定値と計算値との重要な不一致を示さない。しかしながら,熱中性子により誘導されたコバルト60については,測定値は,爆心地から近距離では計算値より小さく,遠距離になるにしたがって計算値を上回り,爆心地から1000メートルの地点では計算値の5倍となる。中性子の測定についての結論は,中性子線量がさらに研究が進展するまでは疑わしい。爆心地より1000メートルを越えたところで十分質の高い結果を出せる別の物理的効果による熱中性子フルエンスの再測定は特に価値があることである。
イ DS02報告書(乙86の2)
(ア) ガンマ線の測定
ガンマ線の熱ルミネッセンス測定の結果によれば,広島においては,試料中の石英線量の計算方法の変更により,爆心地付近の一致度は極めて高いものになった。中遠距離の地点における一致度はDS86によりもDS02の方が若干優れているが,この点は,下記のバックグラウンドに関連した問題を慎重に考慮することにより検討すべきである。
長崎においては,爆心地から約800メートル以内では,測定値が計算値より幾分低く,この傾向はDS86よりもDS02で若干強い。ただし,全体的にはよく一致しており,低い測定値は,ほとんどその全てが透過係数についての十分な情報のない古い測定値である。
測定されたセラミック試料の大部分は,焼成から測定まで数十年が経過しており,測定者らは,自然バックグラウンドであるベータ線,地球ガンマ線及び宇宙線から試料が受けた合計蓄積線量を約100ないし400ミリグレイの範囲と推定した。新しい,より遠距離の測定値が,古い,より近距離の測定値よりも全体として低いバックグラウンド値を示すかもしれないことが示唆されており,この傾向は,遠距離における計算値と測定値との比較において考慮されるべきである。
広島及び長崎の爆心地から約1.5キロメートル以遠の地上距離における原爆ガンマ線量は,バックグラウンドとほぼ同じであり,したがって,測定正味線量は,推定バックグラウンド線量の誤差に大きく影響される。したがって,約1.5キロメートル以遠の遠距離においては,現行の熱ルミネッセンス測定法でガンマ線量を正確に決定することは不可能である。
(イ) 熱中性子の測定
a コバルト60(60Co)の測定
コバルト60について新たな測定がなされた結果,DS86に基づく中性子の計算には系統的な不確実性があり,直線距離(または地上距離)約1500メートルにおける中性子線量が,2分の1ないし5分の1に過小評価されていると考えられた。後に行われた熱中性子測定によって,広島における中性子線量計算値は距離に依存する割合で過小評価されており,地上距離1500メートルにおいては10分の1以下にまでなっていることが示唆された。
広島及び長崎のコバルト60測定値が検討され,両市のDS02に基づく新しい計算結果と比較された。放射線医学研究所が1965年(昭和40年)に行ったコバルト60の測定結果(DS86の最終報告書で報告された結果)のデータに若干の修正が加えられ,全てのコバルト60測定値の地上距離が検討されるとともに,新しい地上距離が決定され,また,コバルト60の測定に用いられたいくつかの試料について,透過係数が調べられた。環境中性子に起因するバックグラウンドからのコバルト60は,いずれの都市においても爆弾による誘導されたコバルト60の測定において重要な因子ではないことが分かった。
広島においては,地上距離1300メートル以内のコバルト60測定値とDS02に基づく計算値とは全体的によく一致していた。広島の鉄輪試料に関する放医研での測定において,測定値からの操作と較正のいずれかに問題があったようである。
広島の地上距離1300メートル以遠では,試料の線量カウントと検出器のバックグラウンド線量とを区別する際に問題があるようである。
長崎においては,コバルト60の測定値は,DS02に基づく計算値と概ね一致したが,近距離においてさえも大きな差異を示している。長崎におけるコバルト60の測定値を含めた全ての中性子放射化測定値及び全ての熱ルミネッセンス法(TLD)測定値は,DS02に基づく計算値と系統的に比較され,解析の結果,長崎の爆弾について以前使用された503メートルと21キロトンに非常に近い爆発高度及び出力を用いると,全体的に最も良好な結果が得られた。
b 日本におけるユーロピウム152(152Eu)の測定
DS86最終報告書以降,P13ら,P20らにより,広島,長崎において,ユーロピウム152のデータが収集され,また,低レベルガンマ線測定のためにユーロピウムの純度を向上させるための化学処理の改善が行われた。
広島におけるユーロピウム152の測定の結果は,測定結果は750ないし1000メートルではよく一致し,1000メートル以遠ではやや高い傾向にある。800ないし1000メートルで測定値がやや高い傾向にはあるが,誤差の範囲では一致して得るといえる。ガンマ線測定では,主にバックグラウンド(宇宙線,検出器周辺の物や検出器自体に含まれる天然放射性同位元素,化学分離の際にユーロピウムと分離されずに試料中に残っている放射性同位元素等)計算率による検出限界が存在し,P13らの測定では,地上距離1050メートル(爆央からの距離1200メートル)ではほとんど検出限界となる。このことは約1000メートル以遠のデータでは系統的ずれの議論に用いるのは困難であることを意味している。
長崎においては,P20らの1020メートルと1060メートルのデータとDS86に基づく計算はほぼ合っている。他方,P13らのデータは,爆央距離800メートルまでは計算とよく一致している。1000メートル以遠では計算よりやや高いが,P20らのデータと矛盾はしない。
c アメリカにおける塩素36(36Cl)の測定
アメリカのP18らは,広島,長崎における様々な地点で採取した花崗岩及びコンクリート試料中の塩素36について,加速器質量分析(AMS)を用いた測定を行った。その結果は以下のとおりである。
花崗岩及びコンクリート(コンクリート表面を除く。)中の塩素36の測定値は,爆心地付近から塩素36/塩素比(36Cl/Cl比)がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02と一致する。
塩素36のバックグラウンドは,爆心地から約1キロメートル以内の距離について得られた結果にわずかな影響を与えるに過ぎないので,バックグラウンドの不確実性がこの距離におけるDS02の計算値との一致度を変化させることはない。
広島の1400メートル以遠の塩素36について以前示唆された高いM/C比(測定値と計算値の比)は,表面セメント(深部のコンクリートよりも高いバックグラウンドを示す。)が使用されたことに由来する。現在,これらの高い表面測定値は,爆弾の中性子により生成されたものではないことが明らかになっている。広島及び長崎から採取された表面セメントにおいて,爆弾に起因する大量の中性子が届く範囲を遙かに超えた距離でさえも,同様に高レベルの塩素36が認められている。
長崎のコンクリートコア試料の測定値は,DS02及び1993年(平成5年)に遅発中性子と断面積データが更新されたDS86の測定値と良く一致する。
d ドイツにおける塩素36の測定
P35らは,ミュンヘンの施設において,広島で採取された花崗岩及びコンクリート被曝試料と原爆中性子に被曝していない花崗岩試料中の塩素36を加速器質量分析(AMS)を用いて測定し,原爆中性子に被曝した試料については,測定に基づく塩素36/塩素比をDS02に基づく計算比と比較した。実験の不確実性の範囲内において,花崗岩試料中の塩素36の自然濃度を考慮すれば,地上距離800メートル以遠における測定比とDS02に基づく計算比に顕著な不一致は認められなかった。近距離においては,塩素36から得られた実験に基づくフルエンスは,DS02計算値に基づくものよりも低い。
e 日本における塩素36の測定
P65らは,筑波大学加速器センターに設置されているタンデム加速器質量システム(AMS)を用いて,相互比較測定用に提供された花崗岩試料の塩素36の測定を行った。その結果,地上距離1100メートル辺りまではDS02計算とよい一致が見られ,DS02の有効性が確かめられた。地上距離1163メートルの測定値が,提供された非被曝花崗岩(バックグラウンド測定用)の測定値を下回ることから,1100メートル以遠の試料の塩素36測定は困難である。
f 鉱物試料中における塩素36の生成
広島,長崎の遠距離で採取された試料における熱中性子による放射化測定値を正確に解釈するためには,岩石圏内での塩素36の自然試料中生成(宇宙線の成分及びウラニウムやトリウムの崩壊に起因する中性子による自然試料中の放射性核種生成)について詳細な検討が必要である。広島で採取された鉱物試料について,原爆中性子に被曝していない花崗岩試料について加速器質量分析(AMS)測定により得られた塩素36/塩素比と非被曝試料について計算で得られた塩素36/塩素比との比較結果によれば,計算値は測定値と不確実性の範囲で一致することが分かった。計算値と測定値のいずれも,鉱物試料についての塩素36/塩素比が約10-3であることを示唆している。
広島に投下された爆弾に由来する中性子に被曝した鉱物試料については,地上距離1200メートルでの塩素36/塩素比が,約10-3であると考えられる。したがって,1000メートル以遠で爆弾中性子に被曝した鉱物試料の塩素36バックグラウンドレベルを決定するためには,試料中の塩素36生成についての計算が不可欠である。
g ユーロピウム152及び塩素36の放射化の相互比較
P13ら,P20ら,P18ら,P35ら,P65らによる塩素36及びユーロピウム152の測定データは,DS86に基づく計算との間にずれがあった。その特徴は,ユーロピウム152のデータが1キロメートル以遠で計算より大きいこと,塩素36のデータは爆心地近くで計算値やユーロピウム152のデータと比べて30パーセント程度小さいことであった。この違いの理由を解明するため,新たに近い距離から遠距離まで被曝試料を準備し,金沢大学のP19ら,筑波大学のP65ら,ミュンヘン大学のP35ら,ローレンスリバーモアアメリカ国立研究所のP18らが参加して,同一試料を用いた相互比較実験を行った。
その結果,ユーロピウム152の結果のうち,900メートル以遠ではDS02よりやや高い傾向があるが,全体としてDS02とよく合っているといえる。ユーロピウム152と塩素36の結果は,1100メートルの範囲ではDS02とよく合っていることが示されている。
h ユーロピウム152の極低バックグラウンド測定
P19らが,極低バックグランド井戸型ゲルマニウム検出器を用いて,広島の花崗岩試料中のユーロピウム152放射能の測定を行ったところ,測定値はDS02に基づく計算でよく再現された。これにより,ユーロピウム152の実測値と計算値との不一致が解決された。
(ウ) 速中性子の測定
a 硫黄の放射化
広島の硫黄試料中におけるリン32の測定値についての再評価がなされた。地上距離500メートル(直線距離800メートル未満)において収集された硫黄試料に関する測定結果は,データの許容範囲において確立している。
b ニッケル63の測定
P18らは,広島,長崎における速中性子に関するデータを検証するため,AMSを用いた方法により,広島の異なる距離から採取された銅試料中のニッケル63の測定を行った。
その結果,爆心地から700メートル以遠における,爆弾に起因する速中性子について,信頼のできる測定値が得られた。すなわち,ニッケル63の測定値とDS86及びDS02の計算値は,爆心地から900ないし1500メートルの範囲で一致度が高い。地上距離389メートルにおける測定値と計算値の不一致が大きいが,この結果はより高い爆発高度を支持する。DS02における測定値と計算値の比(M/C比)は1を超えることはない。
爆心地から1880メートルの距離から少なくとも5062メートルの距離までのニッケル63の測定値は平坦であり,ほぼこれがバックグラウンドの大きさと思われる。このバックグラウンドを差し引いた後のデータにより補正すると,広島の銅試料中のニッケル63の測定値は,DS86及びDS02に基づく試料別計算値とよく一致する。
現在のところ,宇宙線による銅試料中のニッケル63の計算値によって,観察された高いバックグラウンドを説明することはできない。銅試料について測定されたニッケル63のバックグラウンドは,主に試料の化学成分,試料ホルダー及びAMS装置等に起因するのかもしれないが,これについては更に検討すべきである。
また,リン32の測定値がバックグラウンドレベルに達するのは爆心地から約700メートルである。
ウ P17らの論文(甲A74の1・2,75の1・2)
P17らは,広島の爆心地から2.05キロメートルにおけるガンマ線量を瓦のサンプルから熱ルミネッセンス法によって測定した。また,爆心地から2.45キロメートルの地点で収集した瓦のサンプルも,バックグラウンド評価の信頼性をチェックするために解析した。2.05キロメートルの距離に対する結果は,5枚の瓦についての測定値の平均で129±23ミリグレイであった。この値は,対応したDS86の推定値より2.2倍大きい。これらの結果と文献における結果は,爆心地から2.05キロメートルにおける測定値に対し,DS86の推定値が50パーセント以下又はそれ以下であることを示している。
また,P17らは,広島の爆心地から1591ないし1635メートルのビルディングの屋根の5か所から収集した瓦の標本を用い,熱ルミネッセンス法によって,原子爆弾からのガンマ線カーマを測定した。組織カーマの結果は,DS86の評価より平均して21パーセント(標準誤差は4.3ないし7.3パーセント)多かった。測定されたガンマ線カーマは,DS86の値を約1.3キロメートルで超過し始め,この不一致は距離とともに増加することを示唆している。この不一致の原因は,DS86の中性子のソース・スペクトルに誤りがあることに原因があり,これまでの中性子放射化の測定によって支持されている。
エ P27の意見書等(甲A7,20,24,36,56の1・2)
(ア) ガンマ線
素粒子物理学,統計学の専門家であるP27は,広島及び長崎原爆から放出された初期放射線のガンマ線の実測値をカイ2乗フィットという測定データの解析方法を用いて表現した。カイ2乗フィットとは,理論式に基づいて計算した理論値と実測値との差の2乗を実験誤差の2乗で割ったものを求め,これを全ての実測値に加え合わせてカイ2乗と呼ばれる量を計算し,理論値のパラメータを変化させて,カイ2乗が最小になるようなパラメータの組を決めるというものであり,得られたカイ2乗の値が,統計学的に予想される値よりも小さければ,得られたパラメータの理論式は実測値を全体としてよく再現しているとみなされる。
実測値のカイ2乗フィットによる初期放射線のガンマ線量とDS86の計算値とを比較したところ,広島原子爆弾におけるDS86によるガンマ線の計算値は,近距離では実測値より系統的に過大評価であり,遠距離では系統的に過小評価に転じ,過小評価の度合いは距離とともに強くなっている。P17らによる測定結果によれば,500ないし800メートルの距離では,DS86の計算値は実測値を上回るが,1000メートルで逆転して,計算値が実測値を下回る。爆心地から1800メートルの地点におけるガンマ線の推定線量は,DS86の計算値の約1.5倍,2050メートルの地点におけるガンマ線量は,DS86の計算値の2.2倍となる。また,P37らが爆心地から1909メートルの地点で測定したガンマ線量の2つの実測値は,DS86の計算値の2.0ないし2.1倍であった。これらの実測値を重視すれば,爆心地から1800メートルの地点における実際のガンマ線の線量は,DS86の計算値である15ラドの2倍近い値,少なくとも20ないし30ラドを下回ることはないと考えられる。
DS02では爆発高度を580メートルから600メートルに引き上げ,爆発威力を15キロトンから16キロトンにしたため,ガンマ線の線量は近距離でDS86よりわずかに小さく,遠距離ではわずかに大きくなっているが,実測値との不一致の問題は残されたままである。
他方,長崎原子爆弾のガンマ線に関するDS86の線量評価は,実測値と比較的によく一致している。
ガンマ線の線量には,中性子線が空気中の窒素原子核に吸収されて放射化された窒素が放出するガンマ線が加わるので,ガンマ線の過大評価と過小評価の問題は,中性子線の過大評価と過小評価の問題と関連している。
(イ) 速中性子
遠距離に到達できた中性子は,近距離では高速中性子であったもので,途中で空気中の原子核と衝突を繰り返してエネルギーを失い中速中性子となり,さらに熱中性子となったものである。したがって,遠距離における中性子線の過小評価は,近距離又はソースタームにおける高エネルギー中性子線量の過小評価が原因であると推測される。
DS86の検討過程では,硫黄32が高速中性子によって誘導放射化されたリン32についてのDS86の計算値と実測値がほぼ一致しているとされた。しかし,実測データの誤差は大きいものもあるが,DS86の計算値は実測値に比べて近距離ではやや過大評価,遠距離では過小評価となる傾向が既に見られていた。
P18らは,日本の科学者が広島において収集した銅資料の提供を受け,銅63が高速中性子によって放射化されたニッケル63の測定を行い,測定結果がDS86の計算値とよく一致したので,DS86による広島原爆の中性子線線量の計算値と実測値との不一致の問題は解消したと主張する。しかし,P18らの測定値がDS86の計算値とよく一致していると主張できるのは爆心地から949メートル,1041メートルだけである。爆心地から1000メートル近傍は,熱中性子の測定値に対してDS86の計算値が過大評価から過小評価に移行するので元々一致していた領域である。この中間領域から離れた爆心地から380メートルの地点におけるDS86の計算値は,P18らの測定値の1.56倍と過大評価であり,1461メートルの地点におけるP18らの実測値はDS86の計算値の1.5倍になっており,P18らの言うように全ての領域でDS86の計算値が実測値とよく一致していると言うことはできない。
また,P18らは,爆心地から1880メートルの地点における実測値をバックグラウンドに採用し,この距離より近距離の実測値から差し引いて高速中性子線量を求めている。しかし,P18らの測定値を1880メートル以遠を含めて滑らかな曲線で結ぶと,1600メートル付近で急に折れ曲がってマイナス無限大に向かって急降下しており,物理的に極めて不自然である。
(ウ) 熱中性子
a 広島原爆の熱中性子線
広島原爆の熱中性子によって誘導放射化されたコバルト60の実測値をカイ2乗フィットさせたものとDS86に基づく計算値とを比較すると,計算値は,爆心から1000メートル付近までは実測値より1.5ないし2倍程度大きく,1000メートルを超えると実測値を下回り,距離とともに急速に過小評価になっていく。
ユーロピウム152と塩素36についても,DS86による計算値は,近距離では実測値に比べて大きな値を出し,逆に遠距離では小さな値を出す。このように異なる種類の異なる原子核について同じ不一致の傾向を示すことは,DS86の計算値に問題があることを示している。
P19教授らとP65教授らによって得られたユーロピウム152と塩素36についての実測値は,爆心地から1400メートル付近まではDS02による計算値とよく一致することが示されたが,ユーロピウム152については,1400メートル辺りから計算値が実測値に比べて過小評価に移行する傾向が見られる。しかし,これ以上の遠距離について計算値と実測値の不一致の有無を明確にすることは,ユーロピウム152と塩素36の測定値がバックグラウンドの影響を受けるために難しい。そこで,さらに遠距離の比較については,コバルト60の実測値との比較が重要である。
そこで,コバルト60の実測値に基づいて,カイ2乗フィットにより中性子線量の実測値を求め,これとDS86の計算値を比較すると,爆心地から700メートルまではDS86の計算値がやや過大評価であり,900メートルでは逆転して過小評価になり,急速に不一致は拡大していく。例えば,DS86の計算値は,爆心地から1500メートルでは実測値の14分の1に,2000メートルでは実測値の167分の1になる。
b 長崎原爆の熱中性子線
長崎原爆の熱中性子線によって誘導放射化されたコバルト60の実測値をカイ2乗フィットした結果と,DS86の計算値を比較すると,計算値は,爆心地から900メートルまでは過大評価で,900メートルを超えると過小評価に転ずる。
ネバダ核実験場で行われた長崎原爆と同型のプルトニウム原爆の実験で得られた実測値をカイ2乗フィットして得られた中性子線量は,爆心地から1300メートルの距離では,9.06センチグレイであってDS86の計算値の約4.2倍に,2500メートルの距離では0.35センチグレイであってDS86の計算値の約172倍になる。
(エ) DS86による計算値と実測値との不一致の原因
a 中性子線のソースターム
原爆では,100万分の1秒以内に核分裂の連鎖反応を数十段階以上繰り返させる必要から,1ミリオン(メガ)エレクトロンボルト以上の高速中性子に連鎖反応における主要な役割を持たせた。これに対し,原子炉では,制御された連鎖反応を持続させるため,中性子を減速し,核分裂の連鎖反応における主要な役割を低エネルギーの熱中性子線に持たせている。DS86の報告書には,ソースタームの計算結果が原子炉のレプリカによる測定値と一致したと述べられているが,このことはかえってソースタームの計算において,中性子エネルギー分布の高エネルギー部分が,実際の広島原爆と違って過小評価になっていることを示唆している。
長崎原爆のソースタームについては,ネバダ核実験場において長崎原爆と同じ爆縮型のプルトニウム原爆の実験が行われていることから,広島原爆のような不確実性は小さいと考えられるが,長崎原爆の容積がネバダ核実験場で使われたものより大きいこと,爆発威力にばらつきがあることといった不確定要因がある。DS86における長崎原爆の中性子線量の計算値が遠距離において実測値からずれ始める傾向から,DS86が採用した長崎原爆のソースタームにおける中性子の高エネルギー分布も過小評価であった可能性が示唆される。
b 湿度分布
中性子が遠距離に伝播する際には,中性子を減速させ,吸収する大気中の水分すなわち湿度が重要となる。DS86では,長崎原爆の爆発時の湿度として,海に近い海洋気象台の記録値である71パーセントとされているが,爆心地周辺は海から離れ,河川の影響も少ない。もし海面近くに比べて上空の湿度が低かったとすれば,大気中における中性子線の吸収線量は減少し,DS86による計算値よりも多くの中性子線が遠方に到達したことになる。
また,DS86は広島の湿度を海と河川に囲まれた広島気象台と同じ80パーセントとしているが,原爆が爆発した午前8時は,朝凪が丁度終わったばかりの時刻であり,気象台は海に近く,また,広島は太田川のデルタ地帯であるため,満潮になっていた河川の影響もあり,気象台の測定値が高い湿度になっていたことも考えられる。また,広島で原爆が投下された当日と同じ気象条件の日に行われたラジオゾンデによる気象観測では,午前8時ころ,地上500メートル付近に逆転層が存在していたことを示唆する研究報告がある。上空では湿度がかなり低かったとすれば,DS86の計算値よりもずっと多くの中性子線が遠方に到達したことになる。
c ボルツマン輸送方程式によるコンピュータ計算
DS86では,爆心地から2812.5メートルまでの距離を同心円で6つの区間に区切り,上下も地上1500メートルまでを7つの区間に区切った上で,ボルツマン輸送方程式に基づいてコンピュータ計算を行っているが,この計算方式では,ある1つの要因で一旦計算値がずれ始めると,これが次の区分領域への入力となるから,ずれは次第に累積・拡大する。
また,計算領域を限定し,外部領域からの放射線を無視したことが遠距離における過小評価に影響したかについての検討も必要である。
オ P14の意見書(甲A19)
(ア) 低いエネルギーの中性子
中性子のエネルギーが低くなると,高いエネルギーの中性子とは異なる別のメカニズム,弾性散乱による吸収線量が,カーマ線量を押し上げるが,DS86に計算結果にはこれが入っていなかった。その結果,エネルギーの極端に低い熱中性子(0.025エレクトロンボルト付近と考えられる。)により誘導放射化されたコバルト60の実測結果とは食い違いがあり,爆発点から近距離ではDS86の計算値が実測値の2倍弱,1400メートル付近の遠距離では逆に2倍である。
P37博士らが行った,エネルギーの低い中性子により誘導放射化されたユーロピウム152の測定結果によれば,実距離1000メートル以内では,DS86の計算値は実測値より大きく,1000メートル以上の距離では小さいという特徴があった。
ユーロピウム152,塩素36,コバルト60の3種類の残留放射能の実測値でDS86の計算値を割った数値を比較すると,近距離では,コバルト60のデータとユーロピウム152や塩素36のデータはほぼ一致しているが,遠距離では少し違いがあり,コバルト60のデータでは,1400メートル地点で0.2倍,ユーロピウム152や塩素36のデータは0.1倍強である。
これらの結果を図で示し,そこから推定すると,爆発地点直下から1500メートルの場所では,DS86の計算値は実際のほぼ5パーセントしかないことになる。
(イ) ガンマ線
DS86による広島のガンマ線の空気カーマの計算値と瓦の熱ルミネッセンス法により測定したガンマ線の測定値とを比較すると,比較的良い一致があるように見える。
しかし,P67博士は,最新の保健物理学会誌において,T65Dの主導者が,1977年(昭和52年)の時点で異常な高エネルギーのガンマ線の存在を知っていたにもかかわらず,DS86では1800メートルの距離でのガンマ線のエネルギーが0.75メガエレクトロンボルト以下と推定したとの理由により,高エネルギーのガンマ線を計算から除外していたことを発表した。しかし,この論文によれば,エネルギーの30パーセントは0.75ないし12メガエレクトロンボルトの範囲内にあり,P67博士自身の試算では,広島の爆心から1500メートルの地点で,平均ガンマ線エネルギーは1.0メガエレクトロンボルトであるという。したがって,DS86のガンマ線のエネルギーに関わる部分は変更せざるを得なくなる。高エネルギーが追加されると特に遠距離で少なくとも線量が多い方向に変更される可能性がある。高エネルギーのガンマ線の危険性は,低エネルギーのガンマ線より大きい。
カ P13ほか「長崎における原爆中性子によって誘導された残留コバルト60の測定と環境中性子によるバックグラウンドへの寄与」(甲A30の1・2)
DS86の線量評価の最終報告に,P68らによって測定されたコバルト60の残留放射線のデータと低エネルギーの中性子線量に基づいた放射化の計算との間に系統的な不一致が見られると述べられている。
長崎原爆の中性子によって誘導された5個の鉄鋼のサンプル中の残留コバルト60の放射性を爆心地から1000メートル以内において測定した。鉄鋼のサンプルからコバルトとニッケルの化学的分離を行って,全てのサンプルからコバルトを濃縮したサンプルを用意し,バックグラウンドの低い井戸型のゲルマニウム検出器によってガンマ線の測定を行った。
観測したコバルト60が本当に原爆中性子によって誘導されたかを確かめるために,5個のサンプルに対するガンマ線のスペクトルを比較対照サンプルと比較し,環境中性子によるコバルトの放射化の研究も行った。今回のコバルト60のデータは,以前のP68のデータと合致している。
キ P69ら「原子爆弾の放射線に関する研究」(乙A15)
(ア) P13らの測定
P13らによるユーロピウム152の測定値とDS86の計算値との間には明らかな相違があり,爆心地付近では測定値が計算値よりも低く,距離とともにこの関係が逆転し,測定値の方が計算値よりも高くなっている。このことは,計算における何らかの間違い,例えば広島爆弾の線源の間違いを示唆する。一方,遠距離における測定値が距離とともにあまり減少しない傾向は理論的に見てあり得ないことであり,測定又はその解釈に何らかの誤りがあるのではとの指摘もあった。P13らは,コバルト60の測定値にも同様の中性子の不一致問題があることを指摘し,問題がないとされていた長崎についても同様の傾向を示した。
P20らによる長崎でのユーロピウム152の測定値については,計算値と変わらないものであった。
(イ) P18ら及びP35らの測定
P18ら及びP35らによる塩素36の測定値も計算値と距離との関係について,概ねP13らの測定値と同様の傾向を示した。
P35らは,墓石等の被曝岩石を使用して塩素36を測定したが,測定値には宇宙線等の自然のバックグラウンドが加わっていること,墓石によりバックグラウンドが異なること等の細かな研究を続け,最終的に,彼らの測定値はバックグラウンドの補正をすれば計算値と一致するとした。
P18らの場合も,コンクリート試料の複雑さを徹底的に調べ上げ,最終的には彼らの測定値もこれらのことを考慮してバックグラウンド補正をすれば計算値と一致するとした。
(ウ) 同一資料の測定による相互比較
P19ら,P65ら,P18ら,P35らの4人は,9か所の異なる被爆距離における同一の被曝試料を用いた測定を行った。
P19によるユーロピウム152の測定は,低バックグラウンド施設において行われたが,それでもなお残っている原爆以外の放射線由来のユーロピウム152をコンピュータによる解析によって除去した。最終結果は,1キロメートルを超す遠距離に至るまで,DS86及びDS02の計算値と非常によく一致している。P65ら,P18ら及びP35らの測定値は若干ばらつきが見られたものの,DS86及びDS02による計算値との一致が見られた。後に,P65らは,補正方法を改善して測定値の評価に改善を加えたところ,全員の測定値がより一層一致度を増した。かくして,十余年に渡る広島の中性子の不一致問題は解消されることになった。DS86はやはり当時としては最良のものであったことが証明されたことになる。今回の再評価で新たに計算されたDS02の方が,線量には本質的な変動がないものの,より良いものとして今後使用されることになる。
(エ) ニッケル63の測定
P35ら及びP18らは,AMS(加速器質量分析法)の技法により,速中性子により誘導されたニッケル63の測定を行ったところ,測定値は計算値を支持するものであった。
(オ) DS02
中性子の不一致問題の1つとして,爆心地の近辺での測定値よりも計算値の方が高い値を示していたことから,DS02では,広島において,爆弾の出力を15キロトンから16キロトンに,爆発高度を580メートルから600メートルに変更することにした。出力の増加により,爆心からの距離に関係なく空気中線量が6.7パーセント増加することになる。一方,高度の変更は線量を減少させる方向ではあるが,爆心地近くでないとその影響は小さく,被爆者の線量計算にはあまり影響しないと予想される。
DS02による空気中線量はDS86と比べて5パーセントから10パーセントの増加と要約できる。被曝線量はガンマ線量と中性子線量の総和として求められるが,放射線の大半がガンマ線であることから,新しい線量体系ができたとしても,空気中線量はDS86と比してあまり変わらない。
また,中性子の測定値と計算値の不一致に関し,700メートルから1500メートルの範囲で測定値が計算値を説明できるかという問題があるが,測定値は爆心地からある距離以遠になると,原爆由来の放射線とバックグラウンドやその他のノイズとの区別が困難となり,測定可能な限界に達する。しかし,測定技術の向上によって,このような状況は打開された。
(カ) 結論
ガンマ線及び中性子に関する測定値は,少なくとも爆心から1.2キロメートルの地点までは,DS02の計算値と全般的に極めてよく一致している。爆心地から1.2ないし1.5メートル以遠での中性子の測定値と計算値の相違については,線量の絶対値が小さくバックグラウンドとの区別が困難なことなど測定値の不確実性によるものと判断されている。
ク P37ら「新しい原爆線量評価体系DS02」(乙A77)
広島・長崎原子爆弾の新しい線量評価体系DS02が構築された結果,DS86に見られた実測値と計算値の系統的なずれは何であったのか理解できた。近距離で実測値が計算値より低いことは爆発点を20メートル引き上げることで計算値が低くなり解決し,遠距離でユーロピウムのデータが計算値より高いことは,恐らく天然のガンマ線の混入により高く見えていたことで解決した。
ケ P39「DS02原爆線量計算システムの概要とその検証計算」(乙A87)
DS02計算システムによる6種類の初期放射線の計算結果によると,広島・長崎ともに,遅発ガンマ線と即発2次ガンマ線が主要な放射線成分であるが,長崎では,即発ガンマ線による線量がDS86に比べ約2倍になり,全線量の17パーセント程度になった。中性子線量の全線量に対する割合は,広島1000メートルで5.8パーセント,1500メートルで1.7パーセント,2000メートルで0.5パーセントである。生存者の臓器吸収線量では,家屋透過係数と人体透過係数はともにガンマ線の方が大きいので,中性子の割合はさらに小さくなり,空気中組織カーマの割合の約3分の1になる。長崎での中性子の割合は広島よりさらに少ない。
DS86とDS02の地上1メートル放射線量(空気中組織カーマ)の比較において,一番大きく変わったのは長崎の中性子線量で,2000メートル以遠では,DS02はDS86の70パーセント程度に減っている。この現象の主な理由は,ENDF/B6(中性子199群,ガンマ線42群とする断面積ライブラリー。)で窒素の断面積データが変わったためである。しかし,長崎の中性子線量はガンマ線に比べてもともと小さく,大勢には影響しない。広島のDS02/DS86比が爆心地近くで下がっているのは,爆発高度が580メートルから600メートルに変更されたことが反映している。総線量で言えば,DS02とDS86の違いはせいぜい10パーセントと言ってよいであろう。
コ P17の意見書等(乙A27,44,45,46の1の1・2,46の2)
DS86におけるガンマ線及び速中性子線の計算値と測定値は,ほぼ一致している。熱中性子線の測定については,1990年代の後半から,広島大学グループ等により,ユーロピウム152等の測定(熱中性子の測定)データが,約1000メートル以遠で計算値から10倍近く大きく,DS86に大きな問題があると指摘されていた。しかしながら,上記指摘については,DS02の策定過程において,ドイツのP35らによる測定,アメリカのP18らによる測定及び金沢大学のP19らが尾小屋地下測定室(極低バックグラウンド施設)において実施した測定のデータ等によって,バックグラウンドの差し引きに誤りがあり,DS86には根本的な問題がなかったことが確認されている。
以上のことから,DS86の2キロメートルくらいまでの計算値は保証できるが,それより遠距離においては,計算の誤差が積み重なるために正確性は保証できない。
(4) 残留放射線に関する知見
ア 原爆線量再評価
詳細は,前記4(2)エのとおりであるが,放射性降下物について,爆発1時間後から無限時間まで,地上1メートルの位置でのガンマ線量を計算した結果は,長崎の西山地区の最も汚染の著しい数ヘクタールの地域で20ないし40レントゲン,広島の己斐,高須地区では1ないし3レントゲンと推定された。また,誘導放射能による照射線量は,爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1メートルの積算線量は,広島で80レントゲン,長崎では30ないし40レントゲンと推定された。
以上の照射線量を吸収線量に換算すると,放射性降下物による人体組織の無限時間までの積算線量は,最大で,長崎で12ないし24ラド,広島で0.6ないし2ラドとなり,誘導放射能によるものは,最大で,広島で約50ラド,長崎で18ないし24ラドとなる。
イ ABCC業績報告集・広島及び長崎における残留放射能(乙A17)
広島及び長崎の原爆による降下核分裂生成物の量は,爆発直後に両市で行われた線量測定によれば,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区で,ともに爆心地から約3000メートル離れた地域に特に多く見られた。この距離では中性子束は無視して差し支えないから,他の放射能発生源はこの地域には存在しない。爆心地区の放射能は,主として中性子に誘発されたものから成り立っており,これに極めて微量の核分裂生成物が加わったものである。時間の関数として見た核分裂生成物の減衰は,爆発後の経過時間をtとすれば,ほぼt-1.2の減衰の法則に従うことが判明している。
昭和20年10月3日から7日には,両市において日米科学者合同調査班による詳細な調査が行われた。これによれば,広島の己斐,高須地区の降下物による放射線量は最高0.45mr/hrが記録されている。t-1.2の減衰の法則を適用して爆発の1時間後から無限時まで積算すれば,戸外被爆者の場合,約1.4rの線量となる。この線量はもちろん無視することはできないが,生物学的障害を起こすに足りる量とは言い得ない。また,上記調査によれば,長崎の西山地区における降下量は最高の場所では1.0mr/hrを記録した。このような場所に爆発1時間後から無限時間までいた場合の総線量30rの照射を受けることになる。これらの数値はその上限を示すものであって,家屋による遮蔽及び最大線量の存在する場所から他の場所へ移動することにより,事実上の照射線量としてはその4分の1程度を少数の人が受けたと思われるに過ぎない。
爆発後1時間から無限時間に至るまでに,広島の爆心地区における中性子誘導放射能によって受けたと考えられる最大照射線量は,計算方法によって異なるが,183rから24rの範囲に渡るものと推定される。長崎の爆心時より無限時間までの積算線量は4rとなる。
もっとも,空中における中性子の減衰により,爆心地から900メートルの距離における中性子束は爆心地の10分の1に減少したこと,発生した同位元素の半減期が短かったため,爆発後24時間で放射能はその70パーセントが消滅したこと,市は大火に包まれ,爆心地区に立ち入ることは長時間にわたり困難であったことという事情は,個人が最大線量を受ける可能性は極めて少なく,極めて少数の人が有意量の残留放射線による外部照射を受けたにとどまることを示唆する。
ウ 原子爆弾災害調査報告集(乙A72)
原子爆弾炸裂当日より約1か月を経た昭和20年9月9日に行われたP70教授らによる爆心地付近の土地の放射能についての調査によれば,9月11日現在,爆心地付近の土地といえどもエレクトロスコープの自然放電0.06Div/Minの約7倍である0.4Div/Minに過ぎなかった。そして,この放射線の強さは爆心部から遠ざかるにしたがって曲線的に減弱し,500メートルないし600メートルに至って強く減弱している。9月11日以後においては爆心地付近の土地の放射能は人体に障害を及ぼすことはないと言える。
エ 「広島・長崎原爆放射線量新評価システムDS02に関する専門研究会」報告書(乙A76,87)
本報告では,DS86報告書にあるP40らの計算結果をDS02に応用することにより,距離と時間の関数として誘導放射能による地上1メートルでの外部被曝(空気中カーマ)を求めた。
積算放射線量(爆発直後から無限時間まで同じ所に居続けた時の放射線量)は,爆心からの距離とともに速やかに減少する。爆心地での積算線量は,広島で120センチグレイ,長崎で57センチグレイであるが,爆心から1000メートルでは広島で0.39センチグレイ,長崎で0.14センチグレイとなり,爆心地のそれぞれ300分の1と400分の1である。1500メートルでは広島で0.01センチグレイ,長崎で0.005センチグレイとなり,これ以上の距離での誘導放射線量は無視して構わないだろう。
広島の爆心地に1日後に入り,それからずっと滞在した場合の線量は19センチグレイとなり,長崎の場合は5.5センチグレイとなる。1週間後に爆心地に入ってずっと滞在した場合は,それぞれ0.94センチグレイと1.4センチグレイとなる。途中から長崎の値が大きくなっているのは,スカンジウムの土壌中密度が広島に比べ約4倍もあるためである。
オ P47ら「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」(甲A42)
広島では,長径19キロメートル,短径11キロメートルの楕円形ないし長卵形の区域に,相当激しい,1時間ないしそれ以上も継続する驟雨を示し,少しでも雨が降った区域は長径29キロメートル,短径15キロメートルに及ぶ長卵形をなしている。その範囲は,広島市中心の爆心付近に始まり,広島市北西部を中心に降って,北西方向の山地に延び,遠く山県郡内に及ぶ(以下,この降雨域を「P47雨域」ということがある。)。降雨分布は,爆心位置から北西方向に引いた線に対し著しく北側に偏り,前線帯を中心とするがごとき特殊の分布を示している。このことは,爆弾及び火災による円心性上昇気流が,爆心付近を中心とする上空に生じ,これが上層の一般気流によって北西に流されつつ,降雨を生じたとともに前線性の持続的な上昇気流による降雨によって強化されたものと考える。
始雨時は爆弾の閃光があった後20分後ないし1時間後に降り始めたものが多く,前線域では1時間以上2時間も後に降っている。降雨域は,継続時20分以下数分程度に及ぶパラパラ雨の小雨域,30分以上1時間に及ぶザーザー雨の中雨域,1時間以上の大雨域,2時間以上の土砂降りの甚だしい豪雨域に分かれる。終雨時は,当日の9時ないし9時半から始まって15ないし16時までにわたり,夕方までに終わった。
始雨時から1時間ないし2時間は,黒色の泥雨を呈した黒雨が降り,その後は続いて白い普通の雨が降った。黒雨に含まれた泥の成分は,爆撃時に黒煙として昇った泥塵と火災による煤塵とを主とし,これを放射性物質体等爆弾に起因して空中に浮遊し,あるいは地上に一旦落ちた物質塵をも複合したものと見られる。
著しくかつ持続的な豪雨であったことから,降雨は,爆撃及び火災による旺盛なる上昇気流にのみ起因するものではなく,これらの因子に加えて,何らかの原子爆弾の炸裂による放射性物質の分裂壊変に伴う放射線の射出が働いて,あたかも巨大なウイルソン霧函内におけるように,大気中の塵を連続的に多数のイオンに化し,これらが凝固核となって大気中に浮遊するため,引き続いて激しい降雨を呼び起こすようになったのではあるまいかと考える。
爆発後の高須,己斐方面の放射能の著大な分布は,降雨による持続的な放射性物質の雨下,特に爆弾による高放射能物質の混在と南東気流による降灰中に放射能物質を含有し,それが最も強く高須,己斐方面に指向されたためであろう。
カ P12の調査(甲A41,43,58)
原爆の火球の温度が下がると,火球は急速に上昇し始める。その結果,火球の下の空気が少なくなり,それを埋め合わせるために周囲の放射能を含んだ粉じんが吹き寄せられ,火球とともに巨大なキノコ雲が形成される。キノコ雲の上層部を構成している火球は,圏界面を突き破って成層圏まで上昇するが,キノコ雲の大部分は,圏界面に沿って四方に広がり,広い範囲に「黒いすす」を降らせる。また,この過程で,日本のような湿度の高いところでは,強い放射能を含んだ水滴が形成され,放射能を帯びた「黒い雨」が局地的に降る。
「黒い雨」には,原爆のキノコ雲自体から降ったものと,爆発後の大火災に伴って生じた積乱雲から降ったものとの二種類の雨があったものと考えられる。
被爆直後に行われたP47らの調査の原資料のほかに,昭和48年に広島市が行ったアンケート調査やP12らが昭和62年に行った現地での聴取調査及びアンケート調査の資料,被爆体験記録集や新聞,テレビのインタビューの記事等を用いて,「黒い雨」の降雨開始時刻,降雨継続時間,推定降雨量の分布の調査を行った。
これによれば,少しでも雨が降った区域は,爆心より北西約45キロメートル,東西方向の最大幅約36キロメートルに及びその面積は約1250平方キロメートルに達する(以下,この雨域を「P12雨域」ということがある。)。これは,P47雨域の約4倍の広さである。
この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保,海田市,江田島向側部落,呉,さらに爆心から約30キロメートルも離れた倉橋島袋内等でも「黒い雨」が降っていたことが確認された。これはP47らの調査になかったものである。また,1時間以上雨が降ったいわゆる大雨域も,P47らの小雨域に匹敵する広さにまで広がっていた。降雨域内の雨の降り方はきわめて不規則で,特に大雨域は複雑な形をしている。
爆心の北西方3ないし10キロメートルの,己斐から旧伴村大塚にかけて,100ミリメートルを超す豪雨が降っていたことが推定された。また,20ミリメートルを越す大雨が降ったところが数か所あり,爆心から北西方約30キロメートルも離れた加計町穴阿では40ミリメートルに近い集中豪雨があったものと考えられる。爆心のすぐ東側の約1キロメートルの地域では,全く雨が降らなかったか,降ったとしてもわずかであったと考えられる。しかも,この地域を取り囲んで20ミリメートル又はそれ以上の強雨域が馬蹄形に存在していた。
キ P71・P72ら「黒い雨に関する専門家会議報告書」等(乙A20,53)
① 残留放射線の有無,② 気象シミュレーション計算法による放射性降下物の降下範囲及び降下放射線量の推定,③ 体細胞突然変異及び染色体異常頻度による人体影響の有無の3点に絞って具体的検討を行った。
残留放射線の推定には,屋根瓦を用いたガンマ線測定方法は不適当であり,土壌中ウラニウム235/ウラニウム238測定法は,客観的資料を提供できる十分な方法であるという確証は得られなかった。柿木によるストロンチウム90の測定は進行中であり,現在までの結果では黒い雨との関連は確定できなかった。
気象シミュレーションでは,原子爆弾からの放射性降下物となる線源として,火の玉によって生じた原爆雲,衝撃波によって巻き上げられた土壌等で形成された衝撃雲及び火災煙による火災雲の3種について検討した。原子爆弾投下当日の気象条件,原子爆弾の爆発形状,火災状況等,種々の条件を設定した拡散計算モデルを用いたシミュレーション法によって,広島原爆の放射性降下物の降下量とその降下範囲について検討を行った。その結果,原爆雲の乾燥大粒子の大部分は,北西9ないし22キロメートル付近にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5ないし9キロメートル付近に落下した可能性が大きいことが分かった。また,衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い雨)の大部分は北北西3ないし9キロメートル付近にわたって降下した可能性が大きいと判断された。気象シミュレーション計算法を用いた降雨地域の推定では,これまでの降雨地域(P47雨域)の範囲とほぼ同程度(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨落下しているとの計算結果になった。また,原爆雲の乾燥落下は北西の方向に従来の降雨地域を越えていることが推定されるが,その後の降雨などで,これらの残留線量は急速に放射能密度を減じている。
気象シミュレーション法によって得られた放射性降下物量,その地上での分布データ及びネバダ核実験値を用いて,最大被曝線量を推定した。広島原爆の残留放射能による照射線量は,炸裂12時間後で約5レントゲン/時(最大積算線量は,無限時間照射され続けたと仮定した場合は約25ラド)と推定される。
体細胞突然変異及び染色体異常頻度の検討では,黒い雨に含まれる低線量放射線の人体への影響を,赤血球のMN血液型決定抗原であるグリコフォリンA蛋白(GPA)遺伝子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘発された染色体異常頻度について検討を行った。GPAに関しては,己斐町,古田町,庚牛町,祇園町等の降雨地域に当時在住し黒い雨に曝された43名と宇品町,翠町,皆美町,東雲町,出汐町,旭町等の対照地域に当時在住し黒い雨に曝されていない53名について調査したが,降雨地域に統計的有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めなかった。染色体異常に関しては,体細胞突然変異の検討と同様に降雨地域60名,対照地域132名について検討したが,どの異常型においても統計的有意差は証明されず,人体への影響を明確に示唆する所見は得られなかった。
また,体細胞突然変異及び染色体異常頻度の解析にあたっては,医療被曝の影響を考慮する必要があることが示唆された。
黒い雨と放射性降下物は分けて理解をすることが必要である。いわゆる「黒い雨」等が黒く見えるのは,不完全燃焼した火災のすすが雨に取り込まれて落下するためであり,雨が黒いことと放射性降下物を含有していることとは必ずしも対応しない。原爆の爆風は約11キロメートルまで,熱線は約3キロメートルまで達し,原爆の中性子線が届く範囲よりも遠くまで到達したため,原爆の爆風によって舞い上げられた粉じん及び原爆の熱線によって燃焼した火災煙の中には必ずしも原爆の中性子線によって放射化されておらず,したがって,爆発時においては,爆心地から遠距離の地点では,放射性核種を含んでいないものが大部分であったと考えられる。
ク P13ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」(甲A32の1・2)
原爆爆発から3日後に爆心地から5キロメートル以内で収集され,核実験による全地球的な放射性降下物にさらされていない22の土壌サンプル中のセシウム137含有量の測定を行った。セシウム137の分布と降雨域との比較を行ったところ,セシウム137が検出された11のサンプルのうち,3か所のサンプル収集地点は,P12雨域に含まれているが,P47雨域には含まれていない。また,2か所のサンプル収集地点は,P12雨域に含まれているが,P47雨域の境界上にある。これらの結果は,降雨域がP47雨域より広かったことを示し,P12雨域を証明している。
放射性降下物は,地表から1センチメートル以内に分布したと仮定して,単位重さ当たりの放射能を面積当たりのセシウム沈着に換算した。得られた放射性降下物による累積被曝は,強い放射性降下物地域を除く爆心地から5キロメートル以内では,0.12±0.02レントゲンであり,己斐・高須地域の強い放射性降下物地域では4ラドである。
ケ 広島・長崎の原爆災害(乙A55)
長崎では,爆心地の東方2キロメートル弱の金比羅山や東方3キロメートル付近の西山地区にかなりの降雨があった。金比羅山付近では,原爆投下後約40分経ってから雨が降り出した。その後も時々夕立のように激しく,断続的に夜まで降った。これらの雨は,しばしば灰などが混ざったいわゆる「黒い雨」であった。金比羅山東側の真裏にある西山地区でも,原爆投下後20分程してから「黒い雨」がかなり降ったと伝えられており,このとき放射性物質がこの地域に集中的に降ったものと想像される。
(5) 内部被曝に関する知見
ア 原爆線量再評価(甲A31,乙A16)
核爆発後の内部放射線への被曝には,残留放射能中の放射性核種の吸入及び摂取を含めて若干の可能性がある。長崎の西山地区の住民に対するセシウム137の体内量の測定結果によれば,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部線量は,男性で10ミリレム,女性で8ミリレムと推定される(ミリレムはミリラドに等しい。)。
イ 原爆放射線の人体影響1992(乙A14)
広島のフォールアウト地域については長崎のような調査は行われていないが,内部被曝は長崎の場合の約10分の1以下と考えられる。
ウ 「広島・長崎原爆放射線量新評価システムDS02に関する専門研究会」報告書(乙A76)
原爆当日に広島で8時間の片づけ作業に従事した場合の塵埃吸入(ナトリウム24とスカンジウム46の吸入)を想定しての内部被曝の評価を試みた結果,0.06マイクロシーベルトという値になった。この値は考えられる外部被曝に比べ無視できるレベルである。
エ 新・放射線の人体への影響(乙A116)
外部被曝の場合と異なり,内部被曝の場合には,身体の中にある放射性物質を通常は人為的に取り除くことができないため,放射性物質が減衰してなくなるか体外に排出されるまで,身体は放射線を受け続けることになる。また,外部被曝の場合,透過力の小さいアルファ線(数センチメートル)やベータ線(数メートル)は,線源から少し離れるだけで身体まで届かなくなり,また,たとえ線源に近づいたとしても衣服や皮膚の表面で吸収され,身体の奥深くまでは到達しないことから,透過力の大きいエックス線,ガンマ線及び中性子線だけが問題となるが,内部被曝の場合,放射性物質が組織に沈着したり細胞の中に入ったりするため,全ての放射線が問題となる。特にアルファ線は,人間の体表面から0.1ミリメートル以上深いところには届かないが,体内に入った場合には狭い範囲の細胞や組織に大きな影響を与える。
結論として,外部被曝の場合であっても内部被曝の場合であっても,受けた線量(実効線量,等価線量)が同じであれば,影響には差がない。
オ P73の意見書等(甲A57の1ないし4)
内部被曝の場合,外部被曝とは異なり,次のような特徴があり,内部被曝を極めて危険なものとする原因となっている。
まず,放射性微粒子が極めて小さい場合,呼吸で気管支や肺に達し,飲食を通じて腸から吸収されたり,血液やリンパ球に取り込まれたりして身体の至る所に循環し,親和性のある組織に入り込んで停留したり沈着するという特徴がある。
また,内部被曝は,身体中の特定の場所に定住する(例えば,ストロンチウム90は骨に,ヨウ素125やヨウ素131は甲状腺に,コバルト60は肝臓や脾臓に親和性がある。)と,放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中的に電離作用を受ける領域が形成されるという特徴がある。国際放射線防護委員会(ICRP)による従来の評価方法は吸収線量の計算母体を臓器又は全身に置き,均一な被曝を仮定して平均値を求めている。しかし,ホットスポット周囲での被曝状況は,ホットスポット内ではアルファ線やベータ線等による高密度電離が行われているが,ホットスポットから離れると電離は存在しないという不均一なものであることから,臓器全体の平均を採る方法ではホットスポット被曝の特殊性を評価することができない。
さらに,内部被曝は,一過性の外部被曝と異なり,放射性物質が体外に排泄されるまでの間,継続的に被曝を与え続けるという特徴がある。
カ P77の意見書等(甲A37,38)
内部被曝は,体内に取り込まれた放射性物質の種類と量や体内での沈着部位を時系列的に正確に把握することが不可能であることから,その被曝線量を算出することは非常に困難である。
また,内部被曝については,外部被曝とは異なる機序で人体に作用する可能性が示唆されている。すなわち,外部被曝が総じて体外からの一時的な被曝であるのに対し,内部被曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線によって局所的な被曝が継続するという特徴を持つ。例えば,骨組織に沈着したプルトニウム239は,次々と種類の異なる放射性原子に姿を変えながら,その過程でアルファ線,ベータ線,ガンマ線等を放出し,周囲の組織に局所的な被曝を与える。特に,飛程が短いアルファ線とガンマ線は周囲の細胞に高い密度で電離作用を行い,大きなダメージを与える。細胞膜が溶液中の放射性イオンからの放射線に敏感であり,低線量で影響を受けるとの報告があり,長期間に及ぶ内部被曝の結果,外部被曝の場合とは異なる態様において,細胞組織のDNAの損傷等が生じる可能性がある。
さらに,内部被曝の影響は,微少な細胞レベルで生じるため,吸収線量や線量当量等のマクロな概念によった場合,局所的に生じた被曝の影響を組織全体に対する被曝として平均化してしまうことから,被曝の影響を正確に評価することができない可能性がある。
キ P52の意見書(甲A90)
人工放射性核種は,生体内で自然放射性核種とは異なる振る舞いをし,体外被曝よりも深刻で重大な影響をもたらす。
第1に,ガンマ線の場合には,その線量は線源からの距離に反比例する。したがって,質量が同一の核種であっても,体外に存在する場合に受ける被曝線量と比べ,体内に入った場合に受ける被曝線量は格段に大きくなる。
第2に,飛程距離が短いベータ線(約1センチメートル)とアルファ線(0.1ミリメートル以内)を放出する核種が体内に入ってくると,これら放射線のエネルギーのほとんど全てが吸収され,被曝の影響が桁違いに大きくなる。ことにアルファ線の生物効果は大きく,1グレイで10ないし20シーベルトにもなる。このように,アルファ線は短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多くの遺伝子を切断する。のみならず,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断され,誤った修復がされる可能性が増大する。
第3に,人工放射性核種は,自然放射性核種とは異なり,生体内で著しく濃縮されるものが多いが,例えば放射性ヨウ素なら甲状腺,放射性ストロンチウムなら骨組織,放射性セシウムなら筋肉と生殖腺というように,核種によって濃縮される組織や期間が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集中的な体内被曝を受けることになる。
第4に,継時性の問題がある。例えば放射能半減期が28年のストロンチウム90が骨組織に沈着すると,ベータ崩壊を繰り返し,また,ストロンチウム90が崩壊して生じるイットリウム90もベータ線を放出するため,長年にわたってその周囲の体内被曝が続く。
ク P75の意見書(乙A101)
原子爆弾の爆発に伴いおよそ200種類の放射性核種(核分裂生成物)が生成するが,これらの放射性核種を半減期(放射能が半分に減衰する期間をいう。)の長い方から5核種選ぶと,セシウム137(30.04年),ストロンチウム90(28.74年),ルテニウム106(373.6日),セリウム144(284.9日),ジルコニウム95(64.02日)となる。様々な核種を摂取した場合,20年後の昭和40年の時点でストロンチウム90とセシウム137以外のほとんどの核種は減衰していることから,長期間の内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種はこの2核種であると考えられる。なお,原子爆弾の爆発に伴い発生する中性子は,土壌中に放射化生成物(誘導放射能)を生じるが,主な誘導放射能の半減期はアルミニウム28が2.3分,マンガン56が2.6時間,ナトリウム24は15時間と短く,長期間の内部被曝では誘導放射能を考慮する必要はない。
被爆者が核分裂生成物の降下によって汚染された可能性がある浦上川の水を1リットル飲んだと仮定した場合,セシウム137及びストロンチウム90の降下量はともに,土壌が高濃度に汚染された西山地区におけるセシウム137の降下量である3.3ベクレル毎平方センチメートル以下と考えられるので,この1リットル中の水中の放射能は330ベクレル以下となる。セシウム137を1ベクレル経口摂取したときに肝臓が受ける線量の50年間の合計は,1.4×10-8(0.000000014)シーベルト,ストロンチウム90では6.6×10-10(0.00000000066)シーベルトであるから,この水を1リットル飲んだ場合に肝臓が受ける50年間の合計は,セシウム137では4.6×10-6(0.0000046)シーベルト,ストロンチウム90では2.2×10-7(0.00000022)シーベルトと算出される。一方,全身の自然放射線被曝線量は年間およそ0.001シーベルト程度であるから,50年間の自然放射線による肝臓線量の合計は0.05シーベルト程度となり,飲水による線量よりも1万倍以上高い。
また,体内に取り込まれた放射性核種は,各元素に特有の代謝過程を経て徐々に排泄されていく(この代謝により半減する時間を生物学的半減期という。)。飲み込まれたセシウム137は,その全てが胃腸管から血中に吸収され,そのうち10パーセントは生物学的半減期2日で,90パーセントは生物学的半減期10日で体外へ排出されるから,10年後(昭和30年)には百億分の1以下に減衰し,体内にはほとんど残っていないと考えられる。一方,ストロンチウム90は,飲み込まれたもののうち30パーセントが血中へ吸収され,残りは便として排泄される。10年後における肝臓の残留率は25万分の1以下に減少しており,ほとんど残っていないものと考えられる。
ケ P76ら「ホットパーティクル(粒子)被曝の発がんリスク」(乙A104の1・2)
放射性微粒子(ホットパーティクル)による空間的に不均一な被曝は,同量のエネルギーが組織全体に均一に沈着する場合より,ずっと発がん性が高いと示唆されてきたが,インビボ(生体内)とインビトロ(試験管内)の実験的知見及び人間の疫学的データによれば,約±3倍の範囲内で反対の見解を支持し,国際放射線防護委員会(ICRP)が提唱するような平均的な線量が発がんリスクの適切な評価になることが示唆された。
コ 日本原子力研究所・低線量放射線安全評価データベース(DRESA)(乙A105)
線量限度やそれから誘導された摂取限度等を決定するためには,摂取により発生する肺がん等の障害の発生率と線量との対比が必要であるが,この対比すべき線量として,ICRPは,1974年(昭和49年)当時,放射線の生物学的効果比(RBE)等で修正した吸収エネルギー(有効吸収エネルギー)を灰の質量1000グラムで除した平均線量(単位はレム)を考えていた。これに対し,P77らは,沈着するのはアルファ放射能の不溶性点状線源であるから,この平均線量の考えは灰内に均等に広がるイオン状粒子については成立するが,問題の強放射能の不溶性粒子には成立しないと主張した。そして,沈着した周辺の組織に年間1000レムの線量を与えるような比較的長い1年以上の有効半減区を持つ粒子をホットパーティクルと定義し,当時の職業人の最大許容肺負荷量は不溶性のプルトニウム239で592ベクレルと計算されていたが,これは不適当で,ホットパーティクルの放射能から最大許容肺負荷量を11万5000分の1に引き下げるべきだとした。これをホットパーティクル説というが,この説は,その後世界的に行われた調査研究により否定された。
(6) 低線量被曝の影響に関する知見
ア P52の意見書(甲A90)
イギリスのP31博士は,1956年(昭和31年),妊娠中に下腹部又は骨盤部に診断用のエックス線を受けた女性から生まれた乳幼児の幼児性白血病による死亡率が,そうした診断用放射線を受けなかった女性から生まれた乳幼児の場合と比べて,統計学的に有意に高いと報告した。1955年(昭和30年),アメリカのP81博士が同様の調査結果を発表し,P31報告を支持した。さらに,1962年(昭和37年)には,アメリカのP79博士が,アメリカ北東部の大きな病院での出産の記録に基づき,合計70万組もの母子について統計学的に解析し,放射線被曝と幼児性白血病発生率との間に明白な関係があるとの決定的な疫学的調査を発表した。
一方,低線量の放射線が遺伝的な影響を確かに与えるということが,1961年(昭和36年)にはアメリカのP80博士らのショウジョウバエを用いた突然変異率の実験,同年の京都大学のP81博士らによる同様の報告,その前年のアメリカのP82博士らによる大腸菌を用いた実験によって証明された。
がんの発生についても,低レベル放射線の影響が,広島,長崎の原爆被爆者における白血病の発生率の調査から次第に明らかになった。1965年(昭和40年)には,かなりまとまった報告が発表され,被爆者の白血病発生率が,非被爆者と比較して,明らかに高いことが示された。そして,1971年(昭和46年),P83博士らが,白血病発生率と推定被曝線量との関係が直線的であることを報告した。他の悪性がんや血液細胞に見られる染色体異常についても,原爆被爆者にかなり低い線量でも発生していることが,その後明らかとなった。
こうして,遺伝的障害についても,晩発性障害についても,「しきい値」というものが放射線被曝の場合に存在しないことが,次第に証明されていった。
また,25レム以下では現れないとされていた急性障害についても,1971年(昭和46年)に千葉で起こったイリジウム被曝事故によって,10レム程度でも発生することが明らかになった。
一般に,放射線の線量は,線源からの距離の2乗に反比例すると言われているが,生体に対する影響は,遠距離で大きくなることがある。ガンマ線は,原子の軌道電子に衝突すると,電子にエネルギーの一部を与えるとともに,初めと異なった方向に散乱する。これをコンプトン効果といい,これが起こるとき,ガンマ線は散乱放射線となる。P52は,散乱放射線の線量を引き下げても,ムラサキツユクサの雄蕊毛に現れる突然変異の頻度と線量との間に比例関係が成り立つことを発表した。
また,逆線量率効果の存在も指摘されている。つまり,生体が放射線の存在を認識したときは,アポトーシス(損傷を受けた細胞が自らを死滅させることをいう。)等細胞の防御機能が働くが,被曝線量が微少である場合には,生体が被曝を認識しないため,防御機能が働かないまま放射線の影響を受けてしまうというものである。現在,この逆線量率効果はP84によって実験的に確認されているに過ぎないが,このような効果が人体にはないという報告も今のところ存在しない。「しきい値」論を弄して低線量被曝の危険性を軽視してはならない。
イ P85ら「原爆被爆者の低線量放射線被曝に関連するがん発生リスク」(甲A29の1・2)
爆心地から3000メートル以内で,0.5シーベルト以下の放射線を浴びた5万人のうち7000件の発がん症例について,1958(昭和33年)から1994年(平成6年)までの充実性がん(固形がん)の発生率を対象に行った解析結果によれば,0.05シーベルトないし0.1シーベルトという低線量被曝についてのがん発生リスクの有用な推定値を提供している。この推定値は,0ないし2シーベルト又は0ないし4シーベルトというより幅広い線量範囲から算定された線形のリスク推定値によっても,過大評価されていない。0ないし0.1シーベルトの範囲でも,統計的に有意なリスクが存在し,ありうるどのしきい値についても,その信頼限界の上限は0.06シーベルトと算定された。
(7) 入市被爆者及び遠距離被爆者の急性症状等に関する調査結果
ア 日米合同調査団の報告書(甲A17)
(ア) 広島及び長崎において,爆心から2.1ないし2.5キロメートルの距離で被爆した者の遮蔽状況別の脱毛の発生頻度は以下のとおりであった。
a 広島
(a) 屋外又は日本家屋内
1415名中68名(4.8パーセント)
(b) 屋内(ビルディング)
12名中1名(8.3パーセント)
(c) 屋内(防空壕,トンネル)
1名中0名(0パーセント)
b 長崎
(a) 屋外又は日本家屋内
515名中37名(7.2パーセント)
(b) 屋内(ビルディング)
35名中1名(2.9パーセント)
(c) 屋内(防空壕,トンネル)
110名中2名(1.8パーセント)
(イ) 長崎において,爆心から2.1ないし2.5キロメートルの距離で被爆した者の遮蔽状況別の脱毛又は皮下出血の発生頻度は以下のとおりであった。
a 屋外(無遮蔽)
115名中20名(17.4パーセント)
b 屋外(遮蔽あり)
82名中6名(7.3パーセント)
c 日本家屋内
318名中22名(6.9パーセント)
イ P6「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(甲A18,47・文献番号6,甲A59の8)
(ア) 原爆直後(原爆直後から3か月以内。以下同じ。)に中心地(爆心地から1.0キロメートル以内。以下同じ。)に入らなかった屋内被爆者(被爆者とは,昭和20年8月6日午前8時15分現在広島市内にいた人を指す。以下同じ。)
該当者1878名中,原爆放射能障害及び同熱障害を受けた有症者は380名であって,その有症率は20.2パーセントを示した。被爆距離別の有症率は被爆距離と反比例し,被爆距離が短いほど高率であった。また,急性原爆症の各症候(熱火傷,外傷,発熱,下痢,皮粘膜出血,咽頭痛,脱毛)の発現率も被爆距離が短いほど高く,距離が長いほど低率になっており,その低下の具合はかなり整然としている。
(イ) 原爆直後に中心地に出入りした屋内被爆者
該当者1018名中,有症者は372名であり,その有症率は36.5パーセントであった。この場合,特異なことは,被爆距離別の有症率が被爆距離の延長に従って低率を示さないことである。また,急性原爆症の各症候の距離別発現率も被爆距離に反比例して整然と低下はしていない。
(ウ) 原爆直後に中心地に入らなかった屋外被爆者
該当者652名中有症者は287名であり,有症率は44.0パーセントを示した。被爆距離別有症率は,被爆距離に反比例して低下している。急性原爆症の各症状の発現率も被爆距離に反比例している。この場合は屋外被爆であるから,熱,火傷の頻度が屋内被爆よりずっと高いが,熱,火傷を除く他の症状だけで屋内被爆と比較してもなお有症率は高い。
(エ) 原爆直後に中心地に出入りした屋外被爆者
該当者398名中有症者は203名であり,その有症率は51パーセントであった。ここで特異なことは,被爆距離別有症率がその距離に反比例して低率を示さない点である。
(オ) 原爆直後に入市し中心地に入らなかった非被爆者の場合
該当者104名中,有症者は全く出なかった。したがって,有症率は0パーセントである。
(カ) 原爆直後に入市し中心地に出入りした非被爆者
該当者525名中有症者は230名であり,その有症者は43.8パーセントである。この該当者中には,一般人405名と広島県安佐群α32消防団員120名が含まれている。この消防団は,原爆の翌7日,8日の午前8時に入市し,市内横川町(爆心地より1.5キロメートル)から爆心地を経て山口町(爆心地から1.0キロメートル)に至る間の被爆者の救助と道路疎開作業を行った。この作業は2日間に渡ったが,団員の中にはその後続いて5日間以上中心地付近で人探しその他に従事した人があった。団員中,帰村して1ないし5日後に発熱,下痢,粘血便,皮膚粘膜の出血,全身衰弱等を来たし,臥床するに至った者が多数あった。
上記該当者中,原爆直後から20日以内に中心地に出入りした人達に有症率が高かった。1か月後に中心地に入った人々の有症率は極めて低かった。また該当者525名中その26.5パーセントに発熱を認め,10.3パーセントは3週間以内も続いた高熱患者であった。全該当者の30.8パーセントに急性下痢を認め,11.6パーセントには赤痢同様の高熱と粘血便を訴え,この治療は数日より3ないし4か月を要した。
(キ) 原爆直後に入市し中心地に出入りした非被爆者の中心地滞在時間と急性原爆症との関係
該当者525名の中で,中心地滞在時間が4時間以上の場合は有症率が低く,10時間以上の場合は有症率が高い。また,原爆直後から2週間以上滞在した人々では,その78.1パーセントに発熱,下痢その他を認めた。
(ク) 考案
被爆者に見られた発熱,下痢は,当時の不良な環境や不摂生等で赤痢が合併して起こったと説く人がある。しかし,著者が行った被爆生存者についての調査では,被爆距離が短いほど発熱,下痢の頻度が多く,被爆距離が長くなるほど規則的に頻度が少なくなっている。このようなことは赤痢の流行には見られない。また,原爆直後入市して中心地に入らなかった非被爆者に発熱,下痢はない。しかし,同じ非被爆者で原爆直後から中心地で活動した人々ではその3割が発熱,下痢を起こしている。このような点から顧みて,急性原爆症の急性下痢は,原爆放射能による腸粘膜破壊のためと考えるのが妥当だと思う。
次に,著者は,広島市内の遠隔地で被爆して直後中心地で活動した人々と,非被爆で原爆の直後中心地に入って種々活動した人々の中にその後急性原爆症を惹起した人が多い事実を認めた。この事実は原爆直後その中心地になお人体を障害する何物かが存在したことを暗示している。この何物かは中心地残留放射能以外には考えられない。また,原爆後1か月以後に中心地に出入りした非被爆者に有症率が甚だ少ない。これは原爆1か月後は中心地の残留放射能がもはや消失していたためであろう。
ウ 調来助ら「医師の証言 長崎原爆体験」(甲A47・文献番号4,甲A85)
(ア) 距離別脱毛の頻度の調査結果は以下のとおりであった。
a 生存者例
(a) 0ないし1キロメートル
443例中138例(31.1パーセント)
(b) 1ないし1.5キロメートル
1401例中362例(25.8パーセント)
(c) 1.5ないし2キロメートル
858例中76例(8.9パーセント)
(d) 2ないし3キロメートル
1739例中56例(3.2パーセント)
(e) 3ないし4キロメートル
1079例中19例(1.8パーセント)
(f) 4キロメートル以遠
228例中2例(0.9パーセント)
b 死亡者例
(a) 0ないし1キロメートル
192例中52例(27.1パーセント)
(b) 1ないし1.5キロメートル
105例中39例(37.1パーセント)
(c) 1.5ないし2キロメートル
26例中4例(15.4パーセント)
(d) 2ないし3キロメートル
10例中2例(20.0パーセント)
(イ) 環境別脱毛の頻度の調査結果は以下のとおりであった。
a 生存者例
(a) 屋外(開放)
545例中109例(20.0パーセント)
(b) 屋外(陰)
674例中58例(8.6パーセント)
(c) 屋内(木造)
3198例中355例(11.1パーセント)
(d) 屋内(コンクリート)
776例中120例(15.5パーセント)
(e) 壕内
327例中9例(2.7パーセント)
b 死亡者例
(a) 屋外(開放)
68例中13例(19.4パーセント)
(b) 屋外(陰)
33例中16例(48.5パーセント)
(c) 屋内(木造)
184例中54例(29.3パーセント)
(d) 屋内(コンクリート)
44例中12例(27.3パーセント)
(e) 壕内
4例中2例(50.0パーセント)
エ P9の証言等(甲A44,45,52,53の1,54の1,55,59の2)
爆心地から6キロメートル離れた戸坂村(現在,広島市東区)の負傷者の容態に得体の知れない急変が起こったのは4,5日経ってからのことだった。40度を超す高熱患者が何人も出始めた。扁桃腺が真っ黒に壊死を起こす。鼻から,目尻から,口内から出血が始まり,ついには吐血,下血の大出血になった。不気味な紫斑が見られたのもこのころからだった。脱毛は,およそ2週間後くらいから目立ち始め,かなり長期間続いたが,3日目ころから脱毛が生じた者もいた。
原爆投下から何日も経ってから広島市内に入った人達の中から貧血や下痢や嘔吐等,いわゆる急性放射線症状が出始めた。その典型的な例として,爆発の瞬間は爆心地から60キロメートルも離れていた地点におり,当日入市した者が,急性放射能症状を発症して死亡した例があった。また,原爆投下時には広島から200キロメートル離れた松江市におり,1週間後に主人の安否を尋ねて広島市に入り,比治山下から県庁までの焼け跡を何日も探し歩いた者に紫斑が現れ,市内で被爆した者と同様の症状経過をたどり,最後は吐血をし,脱毛が生じて死亡した例があった。
オ 広島原爆戦災誌第一編総説(甲A47・文献番号7,甲A59の5)
宇品に本部を置く陸軍船舶練習部(暁部隊)のうち安芸郡江田島幸の浦基地(爆心地から約12キロメートル)の陸軍船舶練習部第十教育隊は,原爆炸裂当日の8月6日,基地から舟艇による宇品に上陸し,正午前に市内に進出し,救護作業を開始した。同日夜から同月7日早朝にかけて,中央部へ進出し,主として大手町,紙屋町,相生橋付近,元安川において活動した。同月12日,13日まで活動し,幸の浦に帰還した。また,暁部隊のうち豊田郡忠海基地(爆心地から約50キロメートル)の陸軍船舶工兵補充隊は,8月7日朝から,市周辺(α49,大河,宇品,その他主要道路沿い等)の負傷者が多数集結していた場所において,救護作業を行った。幸の浦基地の救援隊233名及び忠海基地の救援隊32名を対象とする,残留放射能による障害に関するアンケート調査の回答結果は以下のとおりであった。
出勤中の症状としては,2日目(8月8日)ころから下痢患者が多数続出した。また,食欲不振が見られた。
基地帰投直後の症状としては,ほとんど全員の者の白血球が3000以下であった。また,重篤ではないが下痢患者が出た。さらに,発熱する者,点状出血,脱毛の症状の者が少数あった。
復員後に経験した症状としては,倦怠感が168名,白血球の減少が120名,脱毛が80名,嘔吐が55名,下痢が24名に見られた。
カ P88局・原爆プロジェクトチーム「ヒロシマ・残留放射能の42年」(甲A86,乙A26)
東広島市にあった賀茂郡北部防衛隊は,原爆が投下された翌日に広島に入市し,1週間ほど遺体処理等の活動を行った。対象者99名中32名が急性症状に似た諸症状を訴えており,うち10名が2症状,3名が3症状を同時に訴えていた。その内訳は,出血が14名,脱毛が18名,皮下出血が1名,口内炎が4名,白血球減少が11名であった。このうち,放影研が放射性による急性症状と認定したのは,歯茎や鼻などからの出血5名,脱毛6名,口内炎1名,白血球減少2名であった。
キ 東京帝国大学医学部診療班「原子爆弾災害調査報告(広島)」(甲A59の9,78,乙A78,115)
東京帝国大学医学部診療班は,原子爆弾の人体に及ぼす障害作用を調査すべく,米国原子爆弾調査団とともに昭和20年10月中旬に広島に向かい,10月,11月にわたり,爆心地より5キロメートル圏内における生存罹災者5120名に対する調査等を行った。
脱毛,皮膚隘血斑及び壊疽性又は出血性口内炎症のうち一定症状以上を示したものを放射能傷と定めた。中心から1キロメートル以内の地域では80パーセント以上の放射能傷発生頻度を示している。放射能傷例(909例)の発生頻度は,1キロメートルより2キロメートルの間において急激に減少し,2キロメートル以遠では比較的緩徐な曲線を画き3キロメートルで終わっている。すなわち1キロメートル以遠の地域では急激に減少し,2.1ないし2.5キロメートルでは9.3パーセント,2.6ないし3キロメートルは3.5パーセントと低値を示し,2.8キロメートル以遠では放射能傷の症状を示した者はいなかった。しかし,放射能傷距離別発生頻度又は脱毛距離別発生頻度と近似の状態を示す口内炎症及び悪心嘔吐の距離別発現頻度曲線は,低くはなるが3.1ないし4.0キロメートルの間においても明らかに存在しており,その距離内においてもわずかながら放射能障害の症状を呈する症例を確認することができると考えられる。
他方,発熱,下痢,食思不振及び倦怠感を調査すると,やや不規則ではあるが5キロメートルまでかなりの発生率を示している。これらの諸症状は各種の他疾患(殊に熱傷及び伝染性疾患等)によっても惹起されるものであり,もちろんこれをもって放射能の威力による災害範囲を定めることはできない。ただし,これらの症状の初発時期と距離との関係を検査すると,発熱,口内炎症及び下痢は被爆当日に4キロメートルまで,食思不振,悪心嘔吐及び倦怠感は被爆当日に5キロメートルまで,かなりの発生を見ており,各症状の発現が何らかの意味において原子爆弾爆発に関係あることを明示している。
脱毛の発現率は,屋外開放のものと屋外陰にあったものが最も高く,コンクリート建物内のものが最も低く,木造家屋内のものはその中間率を示す。
ク P90病院「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」(乙A70,114)
(ア) 原子爆弾症
爆心地直下付近(1キロメートル以内)において有効な遮蔽を有していなかった者は,8月10日から10日以内に重篤な症状を発し,1.5キロメートル以内において遮蔽が少なかった者においては8月16日,17日ころから特有の症状を発生するに至った。2キロメートル以遠においては特有の症状を発した者はまれであった。
なお,原子爆弾症の軽重にはさらに受傷後の生活環境,個人差が大きな影響を与えた。
(イ) 脱毛
P91病院α44分院入院患者194名,外来患者110名,広島市内外救護所等における患者29名,計243名につき主として9月下旬前後に調査を行ったところ,脱毛患者が発生した地域は,爆心から半径1.03キロメートル以内の地域であった。
(ウ) 爆発後被曝地帯に入った者に対する障害
原子爆弾爆発時,その放射線,輻射線等の直接影響圏外に在って,被爆直後より広島市に入り,爆心地付近において比較的長時間行動し,又は滞在した兵員及び一般住民に対する生物学的影響の調査が行われた。
a 兵員についての調査
(a) 船舶練習部第10教育隊
9月3日の検査成績では,白血球数が5000以下の異常値を示す者はいなかった。また,特に戦災に起因した脱毛,出血性素因,全身倦怠を示す者はいなかった。
(b) 宇品船舶練習部
爆心地で勤務した23名に対し9月9日に調査を行ったが,最小の白血球数4800の者の他は何れも6000以上であり,以上を認めなかった。
(c) 中国第104部隊下士官1名
原爆爆発当日,北方約10キロメートルにて休暇中であり,爆発後広島に入市し,爆心から0.9ないし1.6キロメートルで勤務した。8月11日から8日間下痢及び食思不振,9月6日に出血斑を認めた。脱毛は明確でなかった。9月24日,白血球数3200,赤血球444万を示した。
(d) 中国第111部隊
原爆爆発当日は岡山におり,8月9日から部隊跡(爆心から0.6ないし0.8キロメートル)の整理を行った10名について,8月26日に行った検査の結果,何れも白血球数5000以上,赤血球数390万以上を示し,特異症状の訴えはなかった。
b 一般住民についての調査
(a) 広島市内における調査
α44分院外来にて宇品で被爆後,中心地で行動した約20名について,9月15日ないし30日の間,血液検査を行ったが,減少者はいなかった。
8月10日に帰広し,爆心から0.5キロメートルで各種作業を行った者が,8月25日ころから倦怠感を訴えたことから白血球数を測定したところ,9月5日に2500,9月17日に3700,9月26日に4700であって,減少があったが逐次回復しつつあった。脱毛等の症状は認められなかった。
(b) 広島外縁地区で実施した集団調査
爆心から西方約8キロメートルにあり,広島市とは標高約300メートルの丘陵を隔てた山間の農村である佐伯郡石内村の住民のうち,爆撃時に村内におり,爆撃直後から概ね8月15日ころまでの間に広島市内で行動した36名について,9月25日,26日,30日,10月1日及び2日の5日間にわたり,問診による臨床症状の調査及び血液検査を実施した。
白血球数が概ね正常範囲内にあり,かつ臨床症状を呈しなかった者は10名であった。白血球数(5000以下)を示した者は8名であった。
赤血球沈降速度(1時間値)が促進した者は相当多く,30ミリメートル以上の者は11名いたが,このうち白血球数が減少した者は3名であり,赤血球沈降速度促進と白血球数の減少とは必ずしも並行していないようであった。
臨床症状を呈した者は26名であり,その症状別内訳は,下痢が19名,倦怠が18名,頭重頭痛が14名,めまいが11名,食思不振が9名,発熱が7名,嚥痛,月経異常及び扁桃腺炎が各3名であった。
以上の事実から考察すると,爆発後入広した者に対し,土地,物件の放射能が障害を与えた事は否定し得ないが,これらの症状の発現又はその軽重に対しては,個人の素因,体力,栄養,環境等が大なる影響を与えたようである。
ケ P34「広島市における原子爆弾被爆者の脱毛に関する統計」(甲A47・文献番号5,甲A59の9,78)
米国原子爆弾調査団及び東京帝国大学医学部診療班の調査において見られた脱毛症に関する統計的観察によれば,脱毛出現最大距離は,爆心からの水平距離2.8キロメートルで,全脱毛者の約90パーセントは2キロメートル以内にある。1キロメートル以内の出現率は70パーセントの高率を示しているが,1.1ないし1.5キロメートルにおいては27.1パーセント,1.6ないし2.5キロメートルにおいては約6ないし9パーセント,2.6ないし3キロメートルでは1.8パーセントと減少している。
脱毛時期は,早いものは被爆後数日より始まっているが,多くは2週間前後に多発している。
方向性に関しては,放射線がガンマ線を主とし,かつ散乱線が多いと考えられるので,一般に方向性が認められないのが当然であろうが,707例中7例(約1パーセント)には方向性が認められた。この原因については不詳である。
コ 日本原水爆被爆者団体協議会の調査等(甲A47・文献番号11,甲A60)
昭和60年に実施した原爆被爆者調査の結果によれば,被爆してから昭和20年末までに急性症状があったと回答した者は,直接被爆者8178名中4477名(54.7パーセント),入市被爆者2640名中922名(34.9パーセント)であった。
平成15年に実施した調査によれば,脱毛があったと回答した者は,遠距離被爆者で106人(25.9パーセント),入市被爆者で92人(23.9パーセント)であった。
サ P94ほか「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」(甲A79)
放影研の寿命調査集団において,脱毛と爆心地からの距離との関係について調べた結果,爆心地から2キロメートル以内での脱毛の頻度は爆心地からの距離と共に急速に減少し,2キロメートルから3キロメートルにかけて緩やかに減少し(3パーセント前後),3キロメートル以遠でも少しは症状が認められた(約1パーセント)が,ほとんど距離とは独立であることが見られた。また,脱毛の頻度についてみると,遠距離に見られる脱毛はほとんど全てが軽度であったが,2キロメートル以内では重度の脱毛の割合が多かった。このようなパターンを総合すると,3キロメートル以遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情等を反映しているのかもしれない。
シ P22ら「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」(甲A80)
被爆者手帳保持者のうち被爆距離が3.5キロメートル以内の3000人を無作為抽出し,急性症状について調べた。
対象者3000人のうち,嘔吐,下痢,発熱,脱毛等の症状があった人は全体の36.2パーセント(1086人)であった。被爆距離が1.5キロメートル未満では約60パーセントの人に症状があった。距離が離れるに伴い症状の頻度は減少し,1.5キロメートルないし1.9キロメートルでは40パーセント,2キロメートル以遠では30パーセント以下となっていた。脱毛の頻度は,被爆距離2.0ないし2.4キロメートルでは672人中41人(6.1パーセント),2.5ないし2.9キロメートルでは889人中32人(3.6パーセント)であった。脱毛の発生時期は,どの距離でも8月中に約60パーセントが発症し,9月中に約30パーセントが発症している。
これらの急性症状には放射線以外の要因,例えば感染症による下痢や発熱といったものが含まれているかもしれない。脱毛や皮下出血はこれまで放射線以外の要因では起こりにくいと考えられている。
ス P22ら「被爆状況別の急性症状に関する研究」(甲A81)
被爆距離が4キロメートル未満の1万2905人を対象として,遮蔽状況を考慮した急性症状,特に脱毛について,その発症頻度,発症時期及び症状の程度に関して調べた。
脱毛の頻度は,被爆距離が3キロメートル未満では,どの距離でも遮蔽なしの場合が遮蔽ありの場合より高かった。遮蔽ありの場合は1.0ないし1.4キロメートルで26.6パーセント,1.5ないし1.9キロメートルで8.9パーセント,2.0ないし2.4キロメートルで5.5パーセント,2.5ないし2.9キロメートルで2.8パーセントであった。一方,遮蔽なしの場合は1.0ないし1.4キロメートルで41.8パーセント,1.5ないし1.9キロメートルで18.4パーセント,2.0ないし2.4キロメートルで12.5パーセント,2.5ないし2.9キロメートルで8.6パーセントであった。遮蔽の有無によるこれらの差は統計的にも有意であったが,放射線を要因とする者か否かを判断するためには染色体分析調査等が必要である。また,脱毛の発生時期については,どの距離でも約60パーセントが8月中に,約30パーセントが9月中にそれぞれ発症しており,被爆距離による傾向の違いは見られなかった。
セ P22ら「長崎原爆の急性症状発現における地形遮蔽の影響」(甲A47・文献番号15)
昭和45年現在1月1日現在,長崎市に在住し急性症状の情報が得られた9910人のうち,地形的な遮蔽地域で被爆した1601人と無遮蔽地域で被爆した1715人を対象とした調査(対象とした遮蔽地域及び無遮蔽地域の中心は,爆心から約2.5キロメートルである。)によれば,遮蔽地域と無遮蔽地域における各急性症状の発現頻度は,嘔吐がそれぞれ1.5パーセントと5.1パーセント,下痢がそれぞれ9.5パーセントと22.3パーセント,発熱がそれぞれ3.9パーセントと12.0パーセント,脱毛がそれぞれ1.9パーセントと5.1パーセント,皮下出血がそれぞれ1.2パーセントと1.8パーセント,鼻出血がそれぞれ0.9パーセントと3.8パーセント,歯肉出血がそれぞれ2.5パーセントと4.3パーセント,口内炎がそれぞれ2.6パーセントと4.0パーセントであった。急性症状の発現頻度は,全ての症状について,遮蔽地域の方が無遮蔽地域よりも有意に低かった。遮蔽地域と無遮蔽地域における脱毛の発生頻度の違いは被爆放射線量の違いを示していると考えられる。
ソ 原子爆弾災害報告集・原子爆弾症の臨床的研究(乙A71)
8月31日現在,長崎医科大学玄関において,付近の壕内又は小屋に居住する者のうち,爆発当日爆心地に居合わせず,直後から爆心地に居住していた17名につき,白血球数を測定した。このうち,爆発当日に遠隔地におり,数時間後ないし翌日から爆心地に居住する10名中,成人8名の白血球数は最低4400,最高8200で,1名を除いては5400以上を呈し,平均は6350で全く正常であった。また,爆発当日に長崎市又はその近郊におり,数時間後から爆心地に居住する7名中,成人6名の白血球数は最低3200,最高7300,平均4600であり,6名中3名は3200以下で明らかに減少していた。
また,爆発3日後から九大救護班として爆心地に赴き負傷者の救護に当たり,14日間現地長崎医科大学に滞在していた13名についても検血したところ,最低5200,最高8200,平均6440で全く正常値を示した。
長崎市及び近郊におり白血球数が減少していた者については,爆発瞬間の放射能を多少とも蒙ったことが影響するのか,又は爆心地の残存放射能が十分減弱するに先立ってこれを蒙ったためであるかはにわかに決定できない。また,それ以外の遠隔地から来た人達も,残存放射能によって一応は障害を受けたものが軽微であって,検査当時既に回復していたのではないかということも考えられる。しかし,本成績からして,原子爆弾を直接蒙るのでなければ,現地に居住しても,残存放射能によって大した障害を来すものではないとの見通しを得た。
しかしながら,救護班員として現地に滞在した後に,疲労感又は下痢等を訴えた者があり,これを残存放射能の作用に帰し,また,白血球が減少したと危惧した人もいたが,再検査した成績は正常であった。当時長崎市において体験した食糧,宿舎及び仕事の量等を想起すると,これらの訴えは疲労,不摂生等や神経性に起こったものもあったと考えられる。
タ 原子爆弾災害調査報告集・長崎市における原子爆弾による人体被害の調査(乙A72)
(ア) 爆心地の北1000ないし1500メートルの距離にあって,被曝による相当甚だしい被害を受けたP95α46工場の生存者110名につき,9月10日,11日に白血球数の集団検診を行った。検査成績によれば,白血球数減少を示した者はことごとく木造建瓦葺又はスレート葺建物内にいた者であって,鉄筋コンクリート建築物内にいた者は1人も白血球減少症にかかっていなかった。
(イ) 上記110名中17名は被爆当日に遠隔地にいて爆弾の直撃を受けず,その直後又は数日中に現地に駆けつけ,9月10日まで約1か月間救護等を行ったものであるが,これらの人々は1人として白血球減少を示している者はいなかった。
(ウ) 爆心地から約3キロメートルの西山地区の中でも西山町四丁目は,放射性塵埃落下地区の中心地と目されているが,この地区の住民に対する爆弾炸裂後約50日ないし80日後の検査において,ほとんど全ての者が白血球減少症を来していた。
チ P96ほか「原子爆弾下痢の細菌学的および血清学的研究」(乙A113)
長崎市P97国民学校に収容した原子爆弾症患者144名のうち現在下痢症がある者及び被爆後下痢症を経過した者32名並びにP98に昭和20年9月7日より入院した小児原子爆弾症患者のうち現在及び既往に下痢症がある者5名につき,細菌学的及び血清学的検査を行った。
原子爆弾症に下痢を伴う症例はかなり多く,このうち重篤な早期傷害症状である出血性下痢便は消化管の出血による症状であって,死体解剖によれば小腸上部,胃粘膜からの出血に由来するものと思われる。しかし,しばしば患者から既往に膿性下痢便があったとの訴えを聴く。また,晩期傷害患者に膿性下痢便を来した症例を私達は度々経験した。その下痢便の症状は全く赤痢を思わせるものである。すなわち,原子爆弾症に症状とみなされている下痢症の中には,赤痢その他の急性伝染性大腸炎を合併したものが含まれているのではないかと考えられる。病理解剖学的所見から見ても,原子爆弾症の腸管の変化は,軽度のカタル性炎症にして膿性下痢便をもたらすような著名な変化は認められない。私達の症例37例中,現在及び既往に膿性下痢便があったものは15例である。そのうち細菌学的及び血清学的に赤痢と認められるものは7例あり,膿性下痢の半数例は赤痢である。すなわち,原子爆弾症の1症例とみなされている下痢は,赤痢の合併によるものが相当数存するといえる。
ツ 原爆被爆者の生物学的線量評価(甲A84の1・2)
循環リンパ球における染色体異常の頻度は,原爆の被爆者が吸収した線量のよい評価を与える。
広島における原爆の爆発によって放出されたガンマ線と中性子線が混合した放射線に被曝した51人の被爆者を選び,原爆爆発時の位置,遮蔽の経過,被爆後の行動を決めるために被爆者と面接した。血液の標本は,被爆後およそ22年後に得られた。コントロールグループとして,11人の被曝していない健康な人から血液標本を得た。
染色体異常の頻度は,大きく爆心地からの距離と遮蔽効果に影響されており,爆心地からより近い距離の被爆者に異常を持つ細胞が比例して多く現れた。特に興味があるのは,2.4キロメートル又はそれより遠くにいて,1ラドより少ない被曝をしたと推定される被爆者のグループにおいても異常を持つ細胞のレベルのかなりの増加があることである。このグループの19人の被爆者の中で11人は爆心地に近い領域(1キロメートル以内)に爆撃後3日以内に入り,8人は爆心地周辺に入らなかったか4日又はそれ以後に入っている。このグループの被爆者の染色体異常が予想を超える高いレベルとなったことの全てを,爆心地に近い中心部に入ったことによって説明することにはならない。
テ P46「原爆被爆者における白血病」(乙A94)
広島で爆心地から5000メートル以内で被爆した人々に発生した白血病症例及び原爆爆発後早期に広島市に入市した人々に発生した白血病症例についての疫学的観察結果によれば,2000メートル以内の近距離被爆者には白血病発生率が著しく高かったが,3001メートルないし5000メートルの被爆者においても,昭和35年の国勢調査による被爆者人口の数値を用いた場合には,その発生率は高く,したがって,これらの人々に白血病発生に及ぼす原爆被爆の影響がなかったとは言い切れない。また,原爆爆発後早期に入市した者に昭和25年以来多数の白血病症例が見い出されている。白血病総数は63例で,その発生率は原爆爆発後3日以内の入市者では9.96,4日から7日までの入市者では4.04で,共に非被爆者及び日本全国例の発生率よりも高く,殊に3日以内の入市者の発生率は,非被爆者の白血病発生率2.33の約4.2倍と高率である。
(8) 審査の方針における被曝線量推定方法の合理性の判断
ア DS86に基づく初期放射線による被曝線量推定の合理性
(ア) 前記2ないし4のとおり,原爆放射線による被曝線量の研究は,ABCC・放影研によって原爆投下直後から組織的に始められ,初期放射線量の推定方式(T57D,T65D)が策定されたが,T65Dに対する疑問が投げかけられたことを契機に,日米合同による線量推定方式の再評価がなされ,その結果,DS86が策定された。DS86は,超大型コンピュータによる膨大な放射線粒子の追跡計算によって得られた空気中カーマ,遮蔽カーマ及び臓器線量のデータベースに基づき,爆心からの距離,遮蔽の有無及び態様,年齢,姿勢並びに原爆に対する向き等をコンピュータに入力することによって,初期放射線量を算出するものであり,その計算値は,実際の核実験や資料の測定によって得られた放射線量の実測値による検証を経たものである。その後,DS02が策定されたものの,DS86からの主な変更点としては出力及び爆発高度等の若干の変更がなされただけであること,現在までにDS86及びDS02以外に原爆放射線の線量推定計算方式が他に策定され,使用されているとの事実は認められないことからすれば,審査の方針において採用されたDS86は,原爆から放出された初期放射線量を推定する計算方式としては,現在において,相当の科学的合理性を有するというべきである。
(イ) DS86に基づく初期放射線量の計算値は,それ自体が空気中カーマについては13ないし16パーセント,臓器線量については25ないし35パーセント程度の不確実性(誤差)を有しているものとされている上,以下に述べるように遠距離における線量が過小に評価されている疑いがあるという指摘がある。
すなわち,DS86の報告書である原爆線量再評価において,DS86の計算値と実際に行われた測定値とを比較すると,ガンマ線については,熱ルミネッセンス線量測定法による広島の測定値が,近距離では計算値よりも小さく,1000メートル以遠では逆に測定値が計算値を上回ること,熱中性子については,誘導放射化されたコバルト60の測定値は,爆心地からの近距離では計算値よりも小さいが,遠距離になると計算値を上回り,爆心地から1000の地点では計算値の5倍となることが指摘されていた。速中性子については,数百メートル以内の近距離においては計算値と測定値との大きな隔たりはないとされたが,誤差の問題から,それ以遠についての結論は出せないとされた。もっとも,P27氏は,DS86による速中性子の計算値についても,誤差は大きいものの,実測値に比べて近距離では過大評価,遠距離では過小評価となる傾向が見られると指摘している。このような初期放射線量の計算値と測定値との不一致の原因につき,P27は,ソースタームの計算において中性子エネルギー分布の高エネルギー部分が過小評価となっている可能性,原爆が爆発した当時の上空の湿度がDS86の設定よりも低かった可能性(湿度が低ければ大気中の水分子による吸収線量は減少し,より多くの中性子が遠方に到達することになる。)及び空中輸送の計算に用いられた方程式自体に内在する誤差の可能性を指摘している。
他方,このような遠距離における計算値と測定値の不一致の問題に関しては,P18らが速中性子に関するデータを検証するために行ったニッケル63の測定の結果,爆心地から1880メートルの地点における測定値をバックグラウンド線量として,これを測定値から差し引くと,DS86の計算値と一致することが指摘されているほか,熱中性子に関しても,塩素36及びユーロピウム152について行われたP35らによる測定,P18らによる測定及びP19らによる極低バックグラウンド施設における測定の結果,計算値からバックグラウンド線量を差し引くことにより,計算値と実測値が一致するものとされ,ガンマ線に関しても,DS02報告書において,1500メートル以遠における線量はバックグラウンドとほぼ同じであるとする知見がある(ただし,この知見には,これに反するP13らの測定結果が存在するほか,P27が,上記のようにP18らが速中性子線量の測定値を求める際に,1880メートルの地点における測定値には原爆からの放射線量が含まれているにもかかわらず,これをバックグラウンドに採用しているとの問題点を指摘する知見もある。)。
このように,1000メートルないし1500メートル以上の遠距離におけるDS86の計算値が測定値に比べて過小に評価されているとの指摘は,バックグラウンド線量をも併せて評価していることがその原因である可能性が考えられる一方,バックグラウンド線量の評価方法については疑問を差し挟む知見もあり,なお未解明な側面を有しているというべきである。しかし,遠距離地点における計算値と測定値との齟齬があったとしても,絶対値として見ればわずかな差異であって,初期放射線量を推定する計算方式としての科学的合理性を左右するほどの問題ではないと見るのが相当である。
イ 残留放射線の評価の合理性
(ア) 前記2ないし4のとおり,DS86の報告書である原爆線量再評価では,残留放射線のうち,放射性降下物による吸収線量は,長崎の場合,西山地区のうち最も汚染が著しい地域における照射線量の推定値を基に計算すると,最大で12ないし24ラド(0.12グレイないし0.24グレイ),広島の場合,己斐及び高須地区における照射線量の推定値を基に計算すると,最大で0.6ないし2ラド(0.006グレイないし0.02グレイ)であると推定された。審査の方針における放射性降下物による(外部)被曝線量の推定値(第1の4の3)の表参照)は,上記推定値を採用し,広島では己斐又は高須,長崎では西山3,4丁目又は木場に長期間滞在した場合に限り評価をすることとしたものである。また,原爆線量再評価では,残留放射線のうち誘導放射能による吸収線量は,広島で最大約50ラド(0.5グレイ),長崎で最大18ないし24ラド(0.18ないし0.24グレイ)と推定された。審査の方針における誘導放射能による(外部)被曝線量の推定値(別表10参照)は,上記結果を基にして,広島では最大26センチグレイ,長崎では最大12センチグレイと推定している。
他方,残留放射能による内部被曝線量について,原爆線量評価では,長崎における昭和20年から昭和60年までの40年間における内部被曝線量は,男性で10ミリラド(0.0001グレイ),女性で8ミリラド(0.00008グレイ)と評価されている。そして,審査の方針では,このような内部被曝線量は自然放射線による内部被曝線量に比べても格段に小さいことから考慮を要しないとの判断から,放射線起因性のための被曝線量としては考慮していない。
(イ) 上記の残留放射線による被曝線量の算定は,放射線量の実地調査の結果等を踏まえた知見に従って作成されたものであり,現在のところ,その知見を覆すに足りる放射線量に関する実証的知見は見あたらないことから,これに従った審査の方針における残留放射線による被曝線量の推定には一定の合理性を認めるのが相当である。
しかし,以下のとおり,審査の方針における残留放射線による被曝線量の推定には,少なくとも,上記実証的知見によってはカバーできない誘導放射能による被曝線量を考慮していない点において,誘導放射能による被曝の影響を過小評価しているとの疑いを否定することができないというべきである。
a 被告らは,審査の方針別表10における残留放射線による被曝線量の算定は,P40及びP41による被爆者の誘導放射能による被曝線量の計算評価に従ったものであり,これに勝る科学的知見は存在せず,これを用いることが最も科学的な推定方法であるとした上で,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700メートル以内の区域へ立ち入ったことはない場合には,誘導放射能による残留放射線被曝を考慮する必要はないと主張する。しかし,被告らの上記主張は,以下に述べるように不合理であって採用することができない。
b 前記一2で述べたとおり,誘導放射能とは,原爆の爆発後1分以内に放出される中性子が地面や構造物を構成している原子核に衝突し,これらの原子核をガンマ線やベータ線を放出する放射性原子核に変えること(誘導放射化)によって放出される放射線のことをいう。広島型原爆は,ウランの核分裂により連鎖反応を起こさせたものであり,ウランが臨界状態に達してから爆弾容器が高温で蒸発し連鎖反応が止まるまでの約1マイクロ秒(100万分の1秒)の間に核分裂により中性子及びガンマ線が放出された。これらは即発放射線と呼ばれるもので,爆風や熱線が放出されるよりも先に地上に降り注いだ。このうちの中性子が空気や地上の物質と核反応を起こすことにより,約10マイクロ秒(100万分の10秒)の間に反応ガンマ線が放出され,また,長短さまざまの半減期を持つ放射性同位元素が生成され,これらの放射性同位元素の崩壊に伴い放射線が放出された。このように,原爆の爆発によって放出された中性子による誘導放射化は極めて短時間で終了したのであって,その後,爆発点に作られた超高圧点が周囲の空気を大膨張させて爆風となり,爆風の先端に生じた衝撃波が爆心地付近の土壌や建物を破壊して塵埃化し,その爆風が爆心地から球面上に広がったのである(爆心地付近における風速は毎秒約280メートル,爆心から3.2キロメートルの地点においても毎秒約28メートルであったとされ,衝撃波は爆発の約10秒後には爆発点から約3.7キロメートル,30秒後には約11キロメートルの距離に達したとされる。甲A7,乙A14)。したがって,上記のような原爆による物理的破壊のメカニズムに従えば,上記の爆風の広がりとともに,塵埃の中に含まれた誘導放射化されたさまざまな放射性同位元素の原子核が,爆心地から700メートルの範囲を超えて相当遠距離にまで飛散したと考えるのが合理的である(甲A7)。
c ところで,土壌やコンクリートの中に含まれるナトリウム,アルミニウム,スカンジウム,マンガン,コバルト,セシウムなどの原子核は原爆から放出された中性子と反応して誘導放射化されることが知られているところ,土壌やコンクリート中の組成濃度が高いアルミニウム,マンガン,ナトリウムなどは半減期が短い(24時間以内)のに対し,土壌中の組成濃度が低いスカンジウム,コバルトなどは半減期が比較的長いことが知られている(甲A7,乙A14)。そして,半減期が短いとされるアルミニウム,マンガン,ナトリウムについても,爆発直後に爆心地から700メートルの範囲を超えて相当遠距離にまで飛散したとすれば,その飛散した地点において,相当な量の放射線を放出し続けたものと推認できる(特に,半減期が2.24分と極めて短いアルミニウム28は,その短い半減期の間に極めて強い放射線を放出すること,中性子によって土壌やコンクリート中で多数生成されることが知られているから,飛散が広範囲に及び,その飛散した地点の周辺に存在した被爆者の身体に放射線被曝による大きな影響を与えたことが推認される。甲A7,乙A14)。したがって,残留放射線による被曝線量の算定において,これらの半減期が短い放射性同位元素の原子核による被曝の影響を無視することは不合理である。
d 残留放射能の測定は,1945年(昭和20年)8月10日から大阪帝国大学調査団による調査が行われ,引き続き,京都帝国大学,理化学研究所調査団による調査が行われ,その後,同年9月から10月にはマンハッタン技術部隊,同年10月から11月には日米合同調査団により広島及び長崎において放射能測定が行われ,また,広島文理大の2名による測定も行われた(前記一4,弁論の全趣旨)が,その最も初期に行われた調査についても,その調査時期は原子爆弾投下後3日以上経過した時期であり,半減期が短い反面強い放射線を放出するとされるアルミニウム28,マンガン56,ナトリウム24などの放射性同位元素(甲A7)の放出した放射能の影響をどれだけ正確に把握できたのかは疑問である。また,爆弾投下から数か月経過すれば,塵埃に含まれていた放射性同位元素の大半は雨等により洗い流されて地上にはほとんど残っていないと考えるのが合理的であるから,その時点で行われた調査によって把握できる残留放射能は,土壌中の組成濃度が低いスカンジウム,コバルトなどの半減期が比較的長い放射性同位元素であって,土壌等に固定されたものに限られると考えられる。したがって,その調査結果のみから,原爆投下直後の誘導放射能による被曝の実態を推定することは正確性を欠くというべきである(甲A7)。
e P40及びP41による誘導放射能による被曝線量の計算評価には,上記において指摘した誘導放射能の影響が考慮されていない(乙A14)から,その計算評価のみに従って,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700メートル以内の区域へ立ち入ったことはない者については誘導放射能による影響を考慮しないとすることは,合理性を欠くといわなければならない。
f 上記bのような原爆による物理的破壊のメカニズムに従えば,爆風の広がりと同時に,塵埃の中に含まれた誘導放射化されたさまざまな放射性同位元素(半減期が短い反面強い放射線を放出するとされるアルミニウム28,マンガン56,ナトリウム24などの放射性同位元素を含む。)の原子核が,爆心地から700メートル以上離れた地点にいた被爆者の鼻や口からその体内に入り込み,半減期を迎えるまでの間,内部被曝による大きな影響を及ぼした可能性も否定できない。この点において,内部被曝を評価する上で着目すべき放射性同位元素はセシウム137とストロンチウム90であるとした上で,これらによる内部被曝の影響は無視し得るとする被告らの主張は不合理であって採用することができない。
g 前記一4(7)の調査結果によれば,爆心地から遠距離になるに従って脱毛の症状発症率が低下していること,被爆時に遮蔽があった者よりも遮蔽がなかった者の方が脱毛の発症率が高いこと,下痢の症状についても,爆心地からの距離が長くなるに従って発生頻度が低下していることを示す調査結果が存在することが認められるのであって,これらの調査結果は,上記誘導放射能による被曝が広範囲に広がっていた事実を裏付けるとともに,上記調査結果において認められた脱毛や下痢の症状に放射線被曝が相当大きな影響を及ぼしていること(これらの症状が認められたかどうかが,被爆者がどの程度の放射線を浴びたかについての重要な指標になること)を示唆するものである。
ウ まとめ
したがって,個々の被爆者に対する被曝線量を推定するに際しては,初期放射線量の推定方式として相当の科学的合理性を有し,残留放射線による被曝線量の推定においても一定の合理性を有する審査の方針による評価を一要素として考慮すべきではあるが,これのみを機械的に適用して判断すべきではなく,上記評価を踏まえつつ,塵埃の中に含まれていた放射性同位元素が体表に付着したり体内に摂取されたりする可能性のある行動をとったかどうか等の当該被爆者の具体的な被爆状況及び被爆直後の行動,被爆直後に当該被爆者に現れた身体症状の有無とその態様等をも総合的に検討すべきものと解するのが相当である。
5 原因確率の合理性
前記前提事実に証拠(甲A88,乙A7ないし10,12,37,38,57)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
(1) 原因確率の算定根拠(乙A7ないし10,12,37,38,57)
ア 原因確率の意義等
原因確率とは,申請に係る疾病が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率をいう。
放射線の人体への健康影響に関するリスクの評価の指標としては,大別すると,相対リスク,絶対リスク,寄与リスクとがある。
相対リスクとは,非曝露群に対する曝露群の疾患発生又は死亡の比のことをいい,相対リスクから1を引いたものを過剰相対リスクという。
絶対リスクとは,曝露群と非曝露群における疾患発生又は死亡の差のことをいう。
寄与リスクとは,曝露群中におけるその曝露に起因する疾病等の帰結の割合をいい,過剰相対リスク/(1+過剰相対リスク)の式によって求められる。原因確率は,原爆放射線の申請に係る疾病に対する寄与リスクを示したものである。
イ ABCC・放影研による集団調査
1955年(昭和30年)に,ABCCは,フランシス委員会の勧告を受けて,1950年(昭和25年)の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られた資料を用いて,固定集団の対象者になりうる人々の包括的な名簿を作成した。この国勢調査により28万4000人の日本人被爆者が確認され,この中で1950年(昭和25年)当時,広島・長崎のいずれかに居住していた約20万人を調査集団の基本群とした。そして,ABCC・放影研による寿命調査(LSS)は,原子爆弾による放射線に被曝した広島,長崎の住民について,非常に特異な大規模コホート集団を追跡調査したものであり,その結果は,国際的な放射線防護基準の基礎資料としても広く認められている。成人健康調査(AHS)は,寿命調査のサブグループで,健康診断を通じて疾病の発生率と健康上の情報を収集することを目的として設定されたものである。
(ア) 寿命調査集団
当初の寿命調査集団は,基本群に含まれる被爆者の中で,本籍が広島か長崎にあり,1950年(昭和25年)に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調査を可能にするために設けられた基準を満たす人の中から選ばれており,① 爆心地から2000メートル以内で被爆した基本群被爆者全員からなる中心グループ(近距離被爆者),② 爆心地から2000メートルないし2500メートルで被爆した基本群全員,③ 中心グループと年齢・性が一致するように選ばれた爆心地から2500メートルないし1万メートルで被爆した人(遠距離被爆者)及び④ 中心グループと年齢・性が一致するように選ばれた,1950年代前半に広島・長崎に在住していたが原爆時は市内にいなかった人の4群からなる9万9393人で構成されていた。④の群は原爆時市内不在者と呼ばれ,原爆後60日以内の入市者とそれ以降の入市者も含まれていた。
当初の寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,本籍地に関係なく2500メートル以内で被爆した基本群全員を含めた。1980年(昭和55年)にはさらに拡大されて,基本群に含まれる長崎の全被爆者が含められ,今日では,集団の人数は合計12万0321人となっている。この集団には,爆心地から1万メートル以内で被爆した9万3741人と原爆時市内不在者2万6580人が含まれている。これらの人々のうち8万6632人については被曝線量推定値が得られているが,7109人(このうち95パーセントは2500メートル以内で被爆している。)については建物や地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。
現在,寿命調査集団には,基本群に入っている2500メートル以内の被爆者がほぼ全員含まれているが,1950年代後半までに転出した被爆者,国勢調査に無回答の被爆者,原爆時に両市に駐屯中の日本軍部隊及び外国人は含まれていない。
(イ) 成人健康調査集団
成人健康調査集団は,1958年(昭和33年)から2年に1度の健康診断を通じて疾病の発生率と健康上の情報を収集することを目的として設定された。成人健康調査によって,ヒトの全ての疾患と生理的疾病を診断し,かんやその他の疾患の発生と被曝線量との関係を研究し,寿命調査集団の死亡率やがんの発生率についての追跡調査では得られない臨床上又は疫学上の情報を入手できる。1958年(昭和33年)の設立当時,成人健康調査集団は当初の寿命調査集団から選ばれた1万9961人から成り,中心グループは,1950年(昭和25年)当時生存していた爆心地から2000メートル以内で被爆し,急性放射線症状を示した4993人全員から成る。この他に,この中心グループと都市,年齢,性を一致させた3つのグループ,すなわち,① 爆心地から2000メートル以内で被爆し,急性症状を示さなかった人,② 広島では爆心地から3000メートルないし3500メートル,長崎では3000メートルないし4000メートルの距離で被爆した人,及び③ 原爆時にいずれの都市にもいなかった人である。
1977年に,高線量被爆者の減少を懸念して,新たに,① 寿命調査集団のうち,T65Dによる推定放射線量が1グレイ以上である2436人の被爆者全員,② これらの人と年齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者,及び③ 胎内被爆者1021人の3つのグループを加えて成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人とした。
成人健康調査集団設定後40年を経た1999年(平成11年)現在,5000人以上が生存しており,その70パーセント以上の人々が成人健康調査プログラムに参加している。
ウ 疫学的研究方法
疫学的研究方法としてのコホート(ある共通の性格を持つ集団の意味)研究とは,観察によって得られた情報から,曝露群と非曝露群とを設定し,それぞれの群から発生する疾病の頻度を比較して,要因と結果の関連を明らかにする研究方法をいう。
コホート調査の解析方法としては,調査集団を外部集団と比較する外部比較法と,調査集団内部で,曝露要因の程度によって分けられたグループ内で比較する内部比較法とがある。調査集団の分母人口は,個々人の観察年数がそれぞれ異なる場合が多いので,人-年法が用いられる。
上記解析方法のうち,外部比較法で注意しなければならない点は,標準集団として用いた集団が,調査しようとする要因以外に質的に異なっていないかという点である。すなわち,2つの集団の比較性が保たれているかどうかについて,十分な検討が必要である。
内部比較法は,調査集団内部において,曝露の程度に応じてグループ分けを行い,曝露が高い群から発生した死亡罹患が,非曝露群や低濃度曝露群から発生した死亡に比べてどのように違うかを見るものである。観察人年,疾病・死亡の発生数が十分であれば,それぞれの群から起こった累積死亡率(罹患率)を算出し,直接比較することができる。その比が相対危険として算出される。また,内部比較法の一手法として,対照群を設定せずに,予想したい変数である目的変数(例えば,特定の疾病の死亡率又は罹患率)と目的変数に影響を与える独立変数(例えば,被曝線量)との関係式(回帰式)を求め,目的変数の予測を行って,独立変数の影響の大きさを評価する回帰分析という方法が用いられることがある。
放影研における寿命調査集団を対象とする疫学調査報告では,寄与リスクの評価方法について,「寿命調査第10報」(乙A12)以降,従前用いていた外部比較法を採用せず,対照群を採らない内部比較法であるポワソン回帰分析を採用している。ここで,ポワソン回帰分析とは,目的変数がポワソン分布(ある事象が,万が一起こるとしたら,突発的に(互いに独立して)起こる,しかし普段は滅多に起こらないという場合の,一定時間当たりの事象発生回数を表す分布をいう。)に従うと仮定して行う回帰分析法をいう。
エ P8論文
審査の方針(別表1-1ないし8)において用いられている原因確率のデータは,P8ら「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(以下「P8論文」という。)の研究結果に依拠したものである。P8論文では,放影研が公開しているデータを基に,寄与リスクが算出された。P8論文の概要は以下のとおりである。
(ア) 寄与リスクを求めた疾患
寄与リスクの算出の対象となった疾患は,寿命調査及び成人健康調査において,放射線被曝と疾病の死亡・発生率(有病率)についての関係が既に発表されている疾患について求めた。
固形がんについては,寄与リスクを求めるにあたって,① 部位別に寄与リスクを求めたがんとして,寿命調査集団を使った過去の死亡率,発生率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認められ,かつ部位別に寄与リスクを求めても比較的信頼に足りると考えられる部位(胃がん,大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺がん)及び白血病,② 原爆放射線に起因性があると思われるが,個別に寄与リスクを求めると信頼区間が大きくなると考えられるがん(肝臓がん,悪性黒色腫を除く皮膚がん,卵巣がん,尿路系(膀胱を含む。)がん,食道がん),③ 現在までの報告では,部位別に過剰相対リスクを求めると統計的には有意ではないが,原爆放射線被曝との関連が否定できないものとして,①,②以外のがんすべて,の3群に分けた。
寄与リスクを求めなかった疾患は,骨髄性形成症候群,放射線白内障,甲状腺機能低下症及び過去に論文発表がない疾患(造血機能障害等)である。
なお,放射線白内障における安全領域のしきい値は,眼の臓器線量で1.755シーベルト(95パーセント信頼区間1.31ないし2.21シーベルト)である。
(イ) 寄与リスクを求める基となった資料
寄与リスクは,白血病,固形がんについては,放影研が公開している「放影研報告書 原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部 癌:1950-1990」(以下「寿命調査第12報」という。)及び「放影研業績報告書シリーズ 原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(以下「発生率調査」という。)のデータを使った。
なお,放影研が公開しているのは,死亡率調査(寿命調査第12報)のデータファイルでは,カーマ線量,臓器線量の情報であり,発生率調査では,臓器線量である。多くの場合,個人の臓器線量を算出するのは難しく,カーマ線量の方が適応しやすい。また,発生率調査は,1958年から1987年までの結果であるが,死亡率調査は,それより3年間期間が延長された1950年から1990年までの調査結果である。そこで,カーマ線量が公開され,最近までの結果である死亡率調査から,白血病,胃,大腸,肺がんの寄与リスクを求めた。しかし,甲状腺がんと乳がんは,予後のよいがんで,死亡率調査より発生率調査の方が実態を正確に把握していると考えられるため,発生率調査を使った。発生率調査のデータファイルには臓器線量しかないため,甲状腺がん,乳がんについては,臓器線量からカーマ線量に変換して寄与リスクを求めた。
がん以外の疾患として,副甲状腺機能亢進症は有病率調査結果から,肝硬変はがん以外の疾患の死亡率調査から,子宮筋腫は成人健康調査集団を対象にした発生率調査から寄与リスクを求めた。
(ウ) 被爆時年齢,被爆からの経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線に対する過剰死亡及び過剰発生は,性,被爆時年齢,被爆後の経過年数の影響を受ける。特に白血病については,被爆後10年を発生のピークにして,その後被曝後年数の経過とともに急激に過剰相対リスクは低下していることから,1981年(昭和56年)から1990年(平成2年)のデータに基づき算出した。固形がんについては,寄与リスクは観察期間の平均を使用した。性差,被爆時年齢による過剰相対リスクに有意差あるがんについては,性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(エ) 研究結果
白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの発生について,性別,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた。女性乳がんについても,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた。肺がんの死亡については,被爆時年齢の影響を受けなかったので,性別,被曝線量別の寄与リスクを求めた。
肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く。),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む。)がん,食道がんについては,この5疾患をまとめて寄与リスクを計算した。
副甲状腺機能亢進症の有病率調査では,被曝の影響に性差は認められなかったので,被爆時年齢と甲状腺臓器線量別に寄与リスクを求めた。
肝硬変による死亡は,被曝の影響に性差,被爆時年齢による差は認められなかったので,被曝線量と寄与リスクの関係を示した。子宮筋腫の有病率については,放射線の影響に被爆時年齢による性差は認められなかった。
上記結果について,P8論文に掲載された表は,審査の方針の別表1-1ないし8と同様のものである。
オ 寿命調査第12報の概要
(ア) 調査集団及び追跡調査
使用した寿命調査集団には,現在線量推定値が分かっている被爆者8万6572人が含まれている。また,この集団には推定線量が0.005シーベルト未満の3万6459人も含まれている。推定線量が0.005シーベルトを超える対象者5万0113人の平均線量は0.20シーベルトである。
(イ) 線量測定法
DS86により,個人のガンマ線及び中性子線量推定値が得られた。2キロメートル以内の被爆者における個々の線量推定値は,1950年代後半から1960年代前半にかけて行われた面接によって得られた詳細な遮蔽歴に基づいている。他の被爆者の推定値は,質問票に対する回答から得られた情報に基づいている。
解析は全て推定臓器線量を用いて行った。白血病の解析では骨髄線量を用い,固形がんの解析では臓器の代表として結腸線量を用いている。まだがんで死亡していない人については臓器は決まっていないので,1つのグループにまとめた固形がんに対して特定した臓器線量を用いることは不可能である。
広島での放射線には,ガンマ線よりも単位線量当たりの生物学的効果が大きいとされる中性子がかなり含まれていることを考慮して,ガンマ線量に中性子線量を10倍したものを加え,線量に重みをつけた。
外部放射線被曝を表す単位としてグレイを,臓器線量当量を表す単位としてシーベルトを用いている。
(イ) 統計手法
データの解析には,ポアソン回帰法を用いた。本報で用いたがんリスクのモデルは,〔バックグラウンド率×(1+過剰相対リスク)〕又は(バックグラウンド率+過剰絶対リスク)のいずれかの形によって表せる。バックグラウンド率は,都市,性,観察年齢及び年に依存しており,過剰相対リスク及び過剰絶対リスクは線量,被爆時年齢,性及び被爆後経過時間に依存している。
(ウ) 解析結果の概要
1950年(昭和25年)から1990年(平成2年)の間のがん死亡は,0.005シーベルト未満で3086人,0.005シーベルト以上で4741人であった。これらのうち,過剰がん死亡は約420人と推定され,そのうち約85人は白血病によるものと推定された。白血病以外のがん(固形がん)については,1950年から1990年の間の過剰死亡の約25パーセントが最近の5年間で起こっていた。また,被爆時子供であった人については,過剰死亡の約50パーセントが最近の5年間で起こっていた。白血病の過剰死亡については,1950年から1990年の間の過剰死亡のうち,わずか3パーセント程度が最近の5年間で起こっていた。過剰白血病死亡の大部分は,被爆後最初の15年間に発生したが,固形がんについては,過剰リスクのパターンは自然年齢別がんリスクの生涯に渡る上昇パターンに類似している。
過剰リスクの主な推定値を性及び被爆時年齢別に示すと,被爆時年齢30歳の場合,1シーベルト当たりの固形がん過剰生涯リスクは,男性が0.10,女性が0.14と推定される。被爆時年齢50歳の人のリスクはこの約3分の1である。被爆時年齢10歳の人の生涯リスク推定値はこれらよりも不明確である。妥当な仮定の範囲では,この年齢群の推定値は,被爆時年齢30歳の人の推定値の約1.0から1.8倍の範囲になる。白血病の場合には,被爆時年齢10歳又は30歳の人の1シーベルト当たりの過剰生涯リスクは,男性が0.015,女性が0.008と推定される。被爆時年齢50歳の人のリスクは,10歳又は30歳の人の約3分の2である。固形がんの過剰リスクは,約3シーベルトまで線形を示すが,白血病の場合,線量反応が非線形を示し,0.1シーベルトにおけるリスクは,1.0シーベルトのリスクの約20分の1と推定される。部位別リスク推定値を示したが,部位別リスクの違いの大部分は推定値の不正確さにより簡単に説明できるので,解釈に当たっては慎重を期する必要がある。
カ 発生率調査の概要
(ア) 調査集団
拡大寿命調査集団12万0321人のうち,被爆時の居住地が広島又は長崎の者,生死が判明している者,DS86線量が4グレイカーマ未満の者であり,かつ,1958年1月1日以前にがんに罹患したことが分かっている者を除外したサブ集団7万9972人を対象とした。このうち,DS86総カーマ推定値が0.01シーベルト未満の3万9213人(49パーセント)を対象集団とする。本報では非被爆者とも呼ぶ。被爆群は,DS86総カーマ推定値が0.01シーベルト以上の4万0759人(51パーセント)である。
(イ) 線量測定法
本調査では,DS86を用いて対象者個々のガンマ線と中性子遮蔽カーマ及び臓器線量の推定値を計算した。コホート集団の被爆者9万3741人のうち8万6632人の推定値が得られ,このうちDS86カーマ推定値が0.1グレイ未満の者は80パーセント以上で,1グレイを超えていた者は4パーセント未満であった。4グレイを超える線量の者の推定計算値には疑問があるので,本調査には含めなかった。
本報の解析では,生物学的効果比(RBE)を考慮し,ガンマ線量に中性子線量の10倍を加えたDS加重臓器線量に基づいており,加重線量はシーベルトで表される。部位別の解析は,DS86にある15臓器のうち最も適切なものを選んで行った。口腔,咽頭-鼻部,皮膚は体表面に近いので,加重皮膚線量をこれらの臓器線量を代表するものとして用いた。もっとも,DS86には推定皮膚線量が含まれていないので,皮膚線量は遮蔽カーマと等しいと仮定された。
(ウ) 統計学的解析
解析は,一般過剰相対リスクモデル〔バックグラウンド率×(1+過剰相対リスク)〕に基づいて行った。部位別の解析では,線量効果を含まないバックグラウンドモデル,影響修飾因子を含まない線形線量反応モデル,影響修飾因子を含まない線形二次線量反応モデル及び影響修飾因子として,性,被爆時年齢,被曝後経過時間,到達年齢及び都市の各共変量を含む一連の線形線量モデルを当てはめた。
標準化過剰相対リスクは,1985年の日本人人口の年齢と性の分布に従うウエイトを用いて,ポワソン回帰推定値として算出した。
(エ) 解析結果の概要
死亡に関するこれまでの寿命調査(LSS)所見と同様に,全充実性腫瘍(固形がん)について統計学的に有意な過剰リスクが立証された。すなわち,1シーベルト当たりの過剰相対リスクは,胃がん0.32,結腸がん0.72,肺がん0.95,乳がん1.59,卵巣がん0.99,膀胱がん1.02及び甲状腺がん1.15において放射線との有意な関連性が認められた。また,20歳以下で被爆した群において,神経組織(脳を除く。)腫瘍の増加傾向があった。
今回初めて寿命調査集団において,放射線と肝臓がん(1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.49)及び黒色腫を除く皮膚がん(1シーベルト当たりの過剰相対リスクは1.0)のがん罹患との関連性が見られた。また,今回の解析は,以前の少数例に基づく調査で見られた唾液腺腫瘍への原爆放射線の影響に関するこれまでの所見を一層裏付けた。
口腔及び咽頭,食道,直腸,胆嚢,膵臓,喉頭,子宮頚,子宮体,前立腺,腎臓及び腎盂のがんには放射線の有意な影響は見られなかった。
充実性腫瘍の部位別解析においても,また,全腫瘍をまとめた解析においても,広島・長崎間に顕著な差異は認められなかった。全充実性腫瘍の解析では,女性の相対リスクが男性の2倍であること,また,被爆時年齢の増加と共に相対リスクが減少することが示された。肺,全呼吸器系,泌尿器系のがんの相対リスクは,男性よりも女性の方が高かった。全消化器系,胃,黒色腫以外の皮膚,乳房及び甲状腺のがんでは,過剰相対リスクは被爆時年齢の増加と共に減少した。
全充実性腫瘍の過剰発生率は,到達年齢の増加に伴い,バックグラウンド罹患率に比例して増加した。被爆時年齢を調整しない場合,ほとんどの部位について過剰相対リスクは到達年齢の増加と共に減少する傾向が見られた。
絶対過剰リスクモデルに基づく全充実性腫瘍の過剰発生率は,被爆後経過時間と共に増加したが,全被爆時年齢について平均した相対リスクは,被爆後経過時間と共に減少した。被爆時年齢別に経時的動向を解析したところ,過剰相対リスクは,被爆時若年群で時間の経過と共に減少し,高齢群では実質的に一定であることが示唆された。
従来の調査では,がんの死亡と放射線被曝との関係に重点が置かれてきた。このような死亡調査は極めて重要であるが,がん診断の精度に限界があり,生存率が比較的高いがんについては,死亡診断書から十分な情報は得られない。罹患データにも限界があるが,生存率の良いがんや,組織型及び被爆からがん罹患までの期間に関する完全なデータを提供できることから,原爆被爆者の今後の解析においては,がんの死亡と罹患の両方に焦点を当てるべきである。
(2) 原因確率の合理性に関する知見(乙A57,甲A88)
ア P99の意見書(甲A88)
(ア) 対照群の設定上の問題点
原因確率算定の基礎となった寿命調査第12報等では,放影研は,リスクの分析において,対照群を設定せずに,曝露群について回帰分析を行って,得られた回帰式から想定上のゼロ線量における罹患率等を推定し,バックグラウンドリスクとしている。適当な対照群が設定できなかった場合,もし曝露群での線量-反応関係が正しく捉えられており,観察された線量の範囲外についても観察範囲内の線量と反応の関係が正しく適用できると考えられるならば,曝露群のデータに基づいた線量-反応関係を観察線量の範囲外に適用(外挿)して,回帰分析等によって非曝露群での罹患率等を推定することは,ひとつの方法だと考えられるが,放影研の疫学調査では,残留放射線の影響を無視しており,線量-反応関係が正しく捉えられているという前提条件を欠くことから,正しい推定ができるとは考えられない。また,比較的高いレベルの(放射線量)曝露から得られた健康障害に関する用量(線量)-反応関係が,より低いレベルの(放射線量)曝露においても適用できるのかという問題がある。
被爆者の健康状態の影響は,様々な状況(要因)が複合して起こしたものと考えられるが,原爆がもたらした放射線以外の要因が複合して疾病が生じた場合に,他の要因が複合しているからといって,これらを放射線の影響ではないとしたり,放射線の影響のみを他と切り離してしまうことは,被爆者の受けた放射線の影響を正当に評価しているとはいえない。
このように考えると,被爆者への放射線の影響を見る場合に,原爆被害を受けていない対照群が置かれていないと,真の意味での放射線の影響を測定することはできない。
(イ) 1950年または1958年までのデータの欠落に起因する問題点
寿命調査については1945年(昭和20年)8月から調査開始までの1950年(昭和25年)までの5年間,成人健康調査については1958年(昭和33年)までの13年間の間に被曝に起因する何らかの原因により死亡してしまった数十万人もの被爆者は,調査の対象になり得ず,「生残り集団」しか対象とされていない。放射線被曝からがんの発症に至るまでの潜伏期間は数年から十数年,場合によっては数十年に及ぶ。疫学調査の観察開始時点が最短潜伏期間よりも後に設定されると,感受性が高い人達をはじめ,早期に発症した人達への影響を見落とすことになる。このようなことから,上記調査では,放射線の影響を過小評価している可能性が十分にある。
(ウ) 放影研の調査結果を放射線起因性の判断基準に用いることの問題点
疫学は,集団における疾病や死亡の発生状況など健康事象の観察を通じて,その集団における健康事象の発生要因を究明(推定)するものであり,ある共通要因を持つ集団で,その要因がある疾病発生の原因があると分かった場合には,その集団内のその疾病にかかった全ての個人がその要因が原因であった可能性があることを表すが,疾病にかかったもののうち,当該要因が原因でない個人を特定することはできない。
寄与リスクは,曝露群全体が受けたリスクの大きさを表現したものであるが,曝露群に属するどの個人に属するかは特定できない。したがって,寄与リスクが小さいからといって,その要因はその群に属する個人の発症原因を構成していないとし,寄与リスクの小さい群について全員の起因性を否定するのは誤りである。
原因確率は,ある要因が他の要因とは独立して,個々の人の疾病の発症に作用し,当該疾病を発症させた確率とされているが,疾病の発症に関わる要因は多数あり,お互いに関連しながら相乗,相加又は相殺効果を示しながら,多くの要因が総体として疾病の発症に作用していることに鑑みれば,原因確率という概念自体に疑問を持たざるを得ない。
審査の方針では,統計学上有意とはいえない,又は信頼区間が広いというだけで,疫学研究でその疾病について観察された寄与リスクよりも低い値が原因確率として割り当てられているが,有意性検定における危険率や区間推定する場合の信頼係数の大きさは統計学によって論理的に決定されるものではなく,要因と影響の関連性を厳格に追求する疫学的研究では有意差を認めないとの結論を出したとしても,他の目的,分野での判断を拘束するものではない。
イ P8の意見書(乙A57)
(ア) 放影研の疫学調査では非曝露群を設定していないとの批判があるが,放影研の疫学調査においては,ポワソン回帰分析によって,相対リスクを算出している。ABCC研究の初期には,回帰分析といった進んだ統計解析方法は存在しなかったが,解析方法が進歩したことと,被曝線量ゼロから高線量まで非常に広範囲にわたる線量推定がなされている集団を扱っていることにより,回帰分析でのリスク推定ができるようになったものである。全くの非曝露群を設定して,これと曝露群の比較を行う方法は,実施が可能であれば望ましい方法ではあるが,このような方法による場合,曝露群との間において,曝露因子以外の要因の分布が異なることが少なくなく,この場合には結果の解釈に多大の困難さを生じさせることになる。放影研も,過去の疫学調査において,内部比較法と併せて外部比較法を用いたことがあったが,非曝露群における曝露因子以外の要因の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されたため,内部比較法を用いることとしたいきさつがある。
(イ) また,遠距離被爆者を非曝露群として扱っているとの批判があるが,低線量域でのリスクを推定するためには,高線量域での疫学調査データから線量-反応関係の形を推定し,それをモデルとして低線量域のリスクを推定するのが一般的であり,放影研の疫学調査においても,ポアソン回帰分析によって曝露要因ゼロ(被曝線量ゼロ)のときの死亡(罹患)率の値と任意の曝露要因量(任意の被曝線量)での死亡率の増加割合を推定することによって,より正確な相対リスクを算出している。
(ウ) さらに,ABCC・放影研の調査研究が原爆投下から5年を経過した1950年(昭和25年)の国勢調査に基づいて設定されたため,1945年(昭和20年)から1950年までの最初の5年間に放射線に感受性の高い人達が選択的に死亡し,結果的に放射線に抵抗性の高い集団を追跡していることにより,ABCC・放影研の調査結果に偏りを来している可能性があるとの批判が存在するが,ABCC・放影研ではこれまでいくつかの検討がなされ,それらでは選択による大きな偏りが存在する可能性は低いと報告されている。例えば,寿命調査第9報第2部(乙A38)では,原爆投下1年後に広島市が行った原爆被爆者調査で確認された10万4000人の被爆者及びその家族の集団,同様の4200人についての長崎の集団,胎内被爆者の母親の集団について,新生物以外の全疾患による死亡率,結核及びその他の感染性疾患による死亡率を推定被曝線量や被爆距離で比較検討し,その結果,ABCC調査集団設定以前(1950年以前)の感染性及びその他の疾患による死亡率が,1950年以降の集団内の放射線と悪性新生物との関係を大きく偏らせている可能性は少ないと結論づけている。
(エ) 原因確率の算出に当たっては,ガンマ線と中性子線の吸収線量を単純に合算しており,生物学的効果比を無視しているとの批判があるが,推定被曝線量の絶対値が,生物学的効果比を用いることによって増加したとしても,コホート集団である原爆被爆者において観察される疾病発生や死亡といった事象には変更が生じないのであるから,推定被曝線量が増加することは,単位線量当たりの過剰相対リスクが減少することを意味するに過ぎず,結果として,被爆者の被曝線量における過剰相対リスクの値や寄与リスクの値はほとんど変化しない。
ウ P100「日米共同による原子爆弾被曝線量再評価に関する研究」(乙A29)
原爆被爆者への健康影響を考えた場合の被曝線量という点では,熱中性子よりも1メガエレクトロンボルト前後のエネルギーの速中性子の寄与の方が大きい。したがって,熱中性子線量の測定値とDS86に基づく計算値とのずれは,直ちに健康影響評価の変更につながるものではない。
中性子のうち健康への影響が大きい速中性子については,たとえ計算値に多少の問題があったとしても,遠距離における中性子線量の寄与は少ないため,熱中性子線量の測定値と計算値とのずれに基づいて,全ての中性子線量を修正したとしても,被爆者の被曝総線量の変更は小幅であり,したがって,健康リスクの再評価による変更も小幅なものであると考えられる。
エ P94「DS86線量推定値変更の可能性に関する考察」(乙A29)
DS86の推定線量が変化すると,放射線がリスクに及ぼす影響の推定値は変化するが,被爆者が受けた実際の線量に依存する実際の(観察可能な)事象は線量推定値の変更によって変化することは少ない。線量推定方式の変更によって個人線量推定値が増加するならば,放影研データに基づく特定線量に関係するリスク推定値(すなわち単位線量当たりのリスク)は減少することに留意すべきである。
(3) 原因確率の合理性の判断
(ア) 前記3及び5(1),(2)によれば,審査の方針においては,放射線起因性の判断を行うに当たって原因確率と呼ばれる寄与リスクの評価方法が用いられており,基本的に,申請に係る疾病等に関する原因確率が,おおむね50パーセント以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることが推定され,他方,原因確率がおおむね10パーセント未満である場合には,その可能性が低いものと推定している。
原爆放射線による人体の健康影響の研究は,ABCCによって,原爆投下から5年後の昭和25年(1950年)から始められ,その後放影研に引き継がれた。このABCC・放影研の調査,研究は,広島及び長崎の被爆者を中心とした寿命調査集団及び成人健康調査集団と呼ばれる大規模なコホート集団を設定して,がんを中心とする疾病による死亡率及びこれらの疾病の発生率に関する長期間の追跡調査を行い,その調査結果を疫学的比較方法によって解析し,原爆の初期放射線の個々の疾患に対する寄与リスクを算出したものである。そして,原因確率は,上記のような放影研による死亡率調査及び発生率調査等に基にして行われた寄与リスク評価の研究結果に基づいたものである。
このように,原因確率は,大規模な疫学的調査,研究によって得られた資料に基づいて,原爆放射線の特定の疾患に対する寄与リスクを求めたものであり,国際的な放射線防護基準の基礎資料等としても用いられている信頼性の高い基準である。
また,後記のとおり,高線量域における線量-反応関係が低線量域に当てはめることは不合理ということはできず,これを前提とする限り,DS86の推定線量が増加した場合には単位線量当たりのリスクは減少することになるため,結局,実際のリスク推定値の変化は少ないものと考えられる。
したがって,審査の方針が,放射線起因性の判断に際し,原因確率を用いていることには一定の合理性が認められるというべきである。
(イ) 原告らは,放影研の疫学調査では,DS86に基づいて被爆者の初期線量を推定しているが,DS86は初期線量推定基準としての合理性を欠くことから,これに基づいて行われた疫学調査の結果は合理性を欠くものと主張する。
しかしながら,前記のとおり,DS86は初期放射線による被曝線量推定基準としては相当の合理性を有するものであるというべきであるから,放影研の疫学調査において初期線量による被曝線量を評価するに当たり,DS86が用いられていることをもって,その調査結果が合理性を欠くものということはできない。
(ウ) 原告らは,放影研による疫学調査においては,残留放射線による被曝や内部被曝の影響を考慮していない問題があると主張する。
たしかに,放影研による疫学調査は,初期放射線による被曝によるリスク評価を行ったものであり,残留放射線による被曝や内部被曝については直接考慮していないが,上記調査におけるコホート集団が大規模であり,残留放射線による外部被曝や内部被曝の被曝の影響を受けた者が一部の線量区間において寄与リスクを変更するほど極端に偏っているとは考えられないことからすれば,上記事情は疫学調査結果の合理性を否定するものとまでは評価できない。
(エ) 原告らは,放影研による疫学調査では,非曝露群を対照群として設定しておらず,また,低線量被爆者を非曝露群として扱っているという疫学的手法の誤りを犯していると主張する。
しかしながら,原因確率算定の資料である寿命調査第12報及び発生率調査では,コホート調査の解析方法としての内部比較法うち,対照群を設定しないポワソン回帰分析という方法を用いているところ,このような解析方法は疫学的に認められた手法であること,放影研による疫学調査報告においては,寿命調査第10報以降,従前用いていた外部比較法を採用しなくなったが,一般に,比較の対象となる集団が調査しようとする要因以外に質的に異なっていないことにつき,十分な検討が必要とされており,放影研における外部比較調査においては,非曝露群における曝露因子以外の要因の分布が曝露群と異なる可能性が指摘されたために内部比較法を用いることとしたという経緯があることからすれば,放影研が対照群を設定していない解析方法を用いていることが誤りということはできない。また,上記回帰分析においては,曝露要因(被曝線量)がゼロのときの死亡率ないし疾患発生率の値と任意の曝露要因量(被曝線量)における死亡率ないし疾患発生率の増加割合を推定し,リスクを算定しているであって,低線量被爆者を被曝線量ゼロの非被爆者とみなしているものではないから,原告の上記主張は採用できない。
(オ) 原告らは,低線量被曝において人体影響が大きいとの報告が存在することから,高線量域における直線的な線量-反応関係を低線量域に当てはめてリスク推定を行うことは誤りである旨主張する。
しかしながら,低線量被曝において人体影響が大きくなるとの見解は未だ確立した知見とまではいえないというべきであるから,かかる見解が合理性を有することを前提として,高線量域における線量-反応関係を低線量域に当てはめることが不合理ということはできない。
(カ) 原告らは,原因確率は放影研の死亡率調査を基本としていることから,死亡に直結しない疾病が見落とされ,リスクが過小評価されることになると主張する。
しかしながら,原因確率が依拠しているP8論文においては,がんを予後の良いがんと悪いがんに区別して,予後の良い甲状腺がんと乳がんについては死亡率調査よりも発生率調査の方が実態を正確に把握していることからすれば,原因確率が予後の悪いがんについて死亡率調査を用いていることをもって,不合理とまではいうことができない。
(キ) 原告らは,放影研の疫学調査は原爆投下から5年後(1950年)以降に開始されたことから,それ以前に死亡した約11万4000人が調査の対象から外れており,調査の対象となったのは放射線感受性の低い集団であるから,リスクが過小評価されている可能性があると主張する。
しかしながら,被爆後5年以内に死亡した者の多くは,爆心地から近距離で被爆し,熱線の影響を大きく受けている者と考えられるから,放射線による被爆の影響を調査するのに適した者の人数は上記死亡者よりも相当少ないものと考えられるし,また,放射線感受性が低い者であることを是認しうるに足りる知見は見当たらない。さらに,放影研の疫学調査における寿命調査集団は,最終的には12万0321人にも及ぶ大規模なコホート集団であり,被爆後5年以内に死亡した者に対する調査結果を欠くからといって,リスク評価に与える影響はさほど大きくはないと考えられるところ,ABCC・放影研がこの問題について行った検討結果によれば,1950年以前の死亡者が対象者から外れていることにより,選択に大きな偏りが存在する可能性は低いと報告されている。そうすると,原告らの上記主張を採用することはできない。
(ク) 以上のとおり,放射線起因性の判定にあたって,疫学的解析に基づく原因確率をその判断資料として用いることは,一定の合理性を有しているというべきである。
しかしながら,放影研の疫学調査及びこれに基づく原因確率は直接的には初期放射線によるリスクの評価を行っているところ,前記4(8)のとおり,原爆放射線による被曝の態様としては,初期放射線による被曝のみならず,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響を無視することはできないというべきであるから,原因確率の適用によって放射線起因性の判断を行うに際しては,かかる被曝の影響を考慮する必要がある。
また,原因確率は,あくまで初期放射線による被曝線量のみに着目した特定の疾病に対する寄与リスクの推定方法に過ぎない。人体において疾病が生じる機序は,現在においてもなお未解明な点を多く含むものであり,また,特定の疾病が発症する場合,その原因としては多種多様なものが考えられる。そして,疾病が発症する原因は単一とは限らず,複数の原因が相互に影響しあっている可能性も否定できない。原因確率によって推定される寄与リスクの数値は,当該疾病の発生原因が放射線による被曝である可能性の程度を表したものであるが,リスク推定値が低いからといって,放射線被曝による影響がないということはできない。低値であっても有意なリスクが認められる限り,当該疾病が放射線による被曝によって生じた可能性を否定することはできないのであるから,放射線起因性の判断に際しては,原因確率を機械的に適用することによって,真実原爆放射線の被曝によって申請にかかる疾病が生じた者について,放射線起因性を否定する結果を生じさせることは可能な限り避けなければならない。
6 審査の方針における放射線起因性の判断基準の合理性の判断(まとめ)
以上説示したところによれば,放射線起因性の判定にあたって,審査の方針に従って被曝線量を推定し,原因確率によるリスク評価をその判断資料とすることは一定の合理性を有しているものということができる。
しかしながら,審査の方針には,被曝線量の推定については,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響を過小評価している疑いを否定できないこと,原因確率については,あくまで初期放射線による被曝が特定の疾病の原因となった可能性の程度を表したものであって,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響は別途考慮する必要があること等の誤差を生じさせる要因を内包しているから,審査の方針に基づいて放射線起因性の判断を行うに際しては,これによる被曝線量の推定値及び原因確率を一つの要素として考慮しつつも,これを機械的に適用することなく,個々の被爆者の具体的な被爆状況,被爆後の行動,被爆直後に現れた身体症状の有無とその態様,被爆後の生活状況,病歴,申請にかかる疾病の症状や発症に至る経緯,治療の内容及び治療後の状況等を総合的に考慮した上で,原爆放射線による被曝の事実が当該疾病の発生を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討すべきものと解するのが相当である。
なお,原告らは,被告らが平成18年10月10日の第18回口頭弁論期日(最終弁論期日)において陳述した平成18年10月5日付け第13準備書面及び同日付け第14準備書面は,いずれも時機に後れた攻撃防御方法であるとして,その却下を求める旨の申立てを行っている。本件は,進行協議期日等において,双方当事者の主張及び証拠の提出時期等の審理計画が定められており,被告らの主張はかかる計画において定められた時期に遅れてなされたものであるという事情があるものの,上記各準備書面における主張は,いずれも原告らが既に提出した証拠(甲94ないし甲96)の評価に関する事実を陳述したものに過ぎないことに鑑みれば,時機に後れた攻撃防御方法にあたるとまでは評価できず,したがって,原告の上記申立てを認めることはできない。
二 争点1(2)(各原告らの放射線起因性及び要医療性)について
1 原告P2
(1) 事実経過等
前記前提事実等に,証拠(甲A65,C1ないし6,乙C1ないし3,11,12,証人P64,原告P2本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 被爆状況
原告P2(大正▲年▲月▲日生まれ)は,暁部隊の船舶通信補充隊に所属して通信関係の任務についており,被爆の際(当時21歳),爆心地から約2キロメートル離れた広島市皆美町一丁目にあった暁部隊の木造兵舎内にいた。仮眠休憩をしていたが,兵舎の外から当番兵の大きな声が聞こえたためにベッドから飛び起きた瞬間,まるで目の前で花火が爆発したような七色の強烈な閃光が目に飛び込んできた。その後,爆風がやってきて,大音響と共に兵舎が崩れ落ちた。
イ 被爆後の行動
原告P2は,崩れた兵舎の隙間にいたために大事には至らず,足に軽い怪我を負っただけで済んだ。被爆後,兵舎の外に出て,防空壕に飛び込み,2,3分入っていた後に,再び防空壕の外に出た。そして,兵舎の消火活動を行い,建物の下敷きになって負傷した兵隊や死亡した兵隊を兵舎の外に搬出する作業を1日中行った。作業が一段落して,作業服を見ると,黒いすすが付着しており,また,作業服の一部が湿っていた。その後,昭和20年8月15日までの間は,兵舎の後片付けを行い,同月16日以降,復員する同年10月2日ころまでの間は,崩壊を免れた兵舎を拠点にして,主に千田町方面の比治山橋から宇品の間において,切れた電線の修復,分散した通信機の回収,電灯線の仮復旧等を行ったり,兵舎の回りの警備を行った。
ウ 被爆直後に現れた症状
原告P2は,被爆後間もなくしてから以下のような症状を自覚した(以下「原告P2の本件症状」という。)。
(ア) 朝起きたとき,枕の上に,被爆前の状況とは異なるとはっきりと分かる程度の量の髪の毛が抜けていた。
(イ) 常時,吐き気がして胸の辺りがむかむかした。
(ウ) 身体がだるく,異常に疲れやすくなった。この症状はなかなか治らず,後記のとおり,復員後も継続した。
(エ) 時々軽い腹痛を感じ,下痢(かなり柔らかい便)をするようになった。下痢は約1週間続き,その後,復員の途中でも1度強い下痢があった。下痢の症状は復員後も2年くらいの間継続したがその後は治まった。
(オ) 救援活動をしている際に,がれきにすねをぶつけて負傷したが,この傷が治癒するまで,復員後約1か月くらいかかった。
エ 被爆後の生活状況,病歴等
原告P2は,昭和20年10月2日ころに復員し,実家のある岩手県α16に戻ったが,その後も体がだるい状況が続いた。起きていることがつらいために,家の中で一日中横になっていた。
原告P2は,昭和23年,P61に就職し,昭和56年に退職するまでP61で働いた。仕事の内容は,α17山の山頂にあるα18で機械の保守点検修理を連続して3日間行い,その後3日は休むというものであった。毎日体がだるく,気力で仕事をしていた。仕事が終わって自宅に帰ると,何もやる気が起きず,座っていることさえつらくなるために体を横たえていた。
原告P2は,昭和27年に結婚し,岩手県一関市で生活するようになった。勤務が終わって自宅に帰ると,体がだるいためにすぐに横になり,休日はほとんど横になっていた。このころ,原告P2は,被爆以前には健康に自信があったにもかかわらず,他人からよく顔色が悪いと言われるようになった。
原告P2は,昭和34年9月15日,山形県山形市に転勤し,市内の電話やテレビのα18での保守点検等を行うようになった。体のだるさは続き,横になって寝ていてもだるさが取れなかった。
原告P2は,昭和42年8月25日,岩手県釜石市に転勤した。体のだるさは続き,土曜日の午後や日曜日には横になっていた。体がやせてスーツが合わなくなったため,新調した。
原告P2は,昭和46年8月26日,仙台市に転勤した。事務の仕事だけだったので比較的楽であったが,仕事が終わると体がとてもだるくなり,土曜日の午後や日曜日は横になっていた。
原告P2は,昭和55年ころ,血尿が出て,次第に尿の赤さが増していった。体がとても疲れやすくなり,横になってもだるさはほとんど取れず,体重が減っていった。P62病院で診察を受けたところ,直ちに入院するように言われ,同年7月,右腎臓摘出手術を受けた。医師からは告知がなかったが,原告P2の妻は,右腎臓に腫瘍があり,肝臓や膵臓に転移している可能性があるとの説明を受けた。術後の経過を診る上で必要な膀胱鏡検査が行われていることからすれば,原告P2の上記腫瘍は,膀胱への転移の可能性のある腎盂がんであったものと考えられる。
原告P2は,昭和55年9月ころから仕事に復帰したが,体がきつく思うように仕事ができなかったため,昭和56年5月に退職した。退職してからは,体がだるいために一日中横になっていたが,妻からの勧めで,体力維持のために,毎日2時間犬の散歩をした。
オ 原爆症認定申請にかかる疾病に関する事実
原告P2は,平成5年1月,再び血尿が出たため,P63病院で診察を受けたところ,膀胱腫瘍であることが分かった。この腫瘍は移行上皮がん(TCC)であり,細胞分化度は中等度(グレード2),浸潤度は,腫瘍浸潤が粘膜に達しているものの茎内にとどまっている表在性のもの(T1a)であった。もっとも,腫瘍が粘膜まで浸潤しており,直ちに手術をしても根治性が低いものと考えられたために,抗がん剤による化学療法によって腫瘍を小さくした後,同年6月16日に,経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-Bt)によって膀胱の3分の1を摘出した。
上記手術後,経過観察が行われたが,平成6年3月に膀胱がんが発見されたため,同月18日,経尿道的膀胱腫瘍切除術が行われた。そして,同年4月には,BCGの膀胱注入療法が行われた。その後,抗がん剤の投与が続けられていたが,平成8年3月8日に中止された。
その後,原告P2は,膀胱がんの再発のおそれがあることから経過観察が必要であるとの説明を受け,2,3か月おきに膀胱鏡検査,膀胱部エコー(超音波)検査及び尿細胞診を受けるようになった。そして,平成11年ころから本件P2却下処分当時ないし現在に至るまでの間,半年に1度程度の割合で,主に膀胱部エコー(超音波)検査及び尿細胞診の検査を受け,経過観察がなされている。
(2) 放射線起因性
ア 前記一5のとおり,膀胱がんは,放射線の被曝を受けた者について,統計学的に有意な寄与リスクが認められる疾病である。そして,原告P2の申請疾病である膀胱がんの寄与リスクについて,審査の方針の基準を形式的にあてはめた場合,原告P2は,爆心地から約2キロメートルの地点において,木造家屋内で被爆していることから,原告P2が受けた被曝線量は被曝距離2キロメートルにおける初期放射線量である7センチグレイ(空気中カーマ)に透過係数0.7(透過係数として0.7を用いることについて,原告らは積極的に争っていない。)を乗じた数値である4.9センチグレイとなり(別表9参照),この場合の膀胱がんの原因確率は,被爆当時21歳,被曝線量5センチグレイの数値である2.6パーセントとなる(別表7-1参照)。
イ 被告らは,上記アの事実を前提としつつ,原告P2の膀胱がんには放射線起因性は認められないと主張する。しかし,当裁判所は,原告P2の膀胱がんに放射線起因性を肯定するのが相当であり,被告らの上記主張は失当であると判断する。その理由は以下のとおりである。
(ア) 前記一4で述べたとおり,膀胱がんは,放射線が人体に対してしきい値が存在しない確率的影響を及ぼす疾病に分類される。すなわち,放射線が膀胱を構成する細胞のDNAにたった一つの損傷をつくった場合でも膀胱がんが起こる可能性があるので,どんなに低い線量でも膀胱がんが起こり得ることを否定することはできない(乙A75)。したがって,上記アのとおり,原告P2は,広島型原爆の被爆者として,少なくとも被告らの主張する被曝線量5センチグレイの放射線被曝を受けた者であることは明らかであるから,この放射線被曝によって原告P2の膀胱がんが起こり得ることを否定することはできない。
(イ) 被告らは,審査の方針別表10における残留放射線による被曝線量の算定は,P40及びP41による被爆者の誘導放射能による被曝線量の計算評価に従ったものであり,これに勝る科学的知見は存在せず,これを用いることが最も科学的な推定方法であるとした上で,原告P2は,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700メートル以内の区域へ立ち入ったことはないから,誘導放射能による残留放射線被曝を考慮する必要はないと主張する。しかし,被告らの上記主張は,以下に述べるように不合理であって採用することができない。
前記一4(8)で述べたとおり,原爆による物理的破壊のメカニズムに従えば,爆風の広がりとともに,塵埃の中に含まれた誘導放射化されたさまざまな放射性同位元素の原子核が,爆心地から700メートルの範囲を超えて相当遠距離にまで飛散したと考えるのが合理的であって,上記(1)アのとおり,その爆風は,爆発直後に,爆心地から約2キロメートル離れた木造兵舎内にいた原告P2の所にも到来し,上記兵舎を瞬時に崩壊させたのであるから,爆心地付近で誘導放射化された放射性同位元素の原子核の一部は,原告P2の身体周辺にまで飛散してきたことは十分考えられる。そして,半減期が短いとされるアルミニウム,マンガン,ナトリウムについても,爆発直後に原告P2の身体の周辺に飛散したのである(身体に直接接触した可能性もあり,着の身着のままで入浴もままならなかった原告P2の身体に付着し,相当長時間とどまった可能性も否定できない。原告P2本人)から,その半減期が24時間以内の放射性同位元素であっても,原告P2の身体に対し相当な量の放射線を放出し続けたものと推認するのが合理的である(特に,半減期が2.24分と極めて短いアルミニウム28は,その短い半減期の間に極めて強い放射線を放出すること,中性子によって土壌やコンクリート中で多数生成されることが知られており,その原告P2の身体に対する影響を無視することは不合理である。甲A7,乙A14)。
P40及びP41による誘導放射能による被曝線量の計算評価には,上記において指摘した誘導放射能の影響が考慮されていない(乙A14)から,その計算評価のみに従って,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700メートル以内の区域へ立ち入ったことはない原告P2については誘導放射能による影響を考慮しないとすることは,合理性を欠くといわなければならない。
(ウ) 被告らは,原告P2の本件症状は,いずれも放射線被曝に起因するものとは考えられないと主張する。しかし,被告らの上記主張は採用できない。
被告らの上記主張の最も大きな根拠は,原告P2の被曝線量が4.9センチグレイを超えないという前提である。しかし,上記(イ)のとおり,原告P2の被曝線量が4.9センチグレイを超えないという前提には疑問があり,初期放射線の被曝線量に誘導放射能の被曝線量を合わせ考慮した場合,原告P2は,上記数値を相当程度超える被曝をしたと推認するのが合理的である。
また,被告らは,原告P2が放射線被曝による急性症状を発症するしきい値を超える線量の被曝をしたとは考えられないとも主張する。確かに,前記一2のとおり,放射線被曝による急性症状のうち,嘔吐,疲労感,脱力感が生じるしきい値は1ないし2グレイ,下痢のしきい値は4ないし5グレイ,毛嚢の損傷に対するしきい値は,低LET放射線の1回短時間照射の場合は概ね3ないし5グレイの線量で一過性脱毛が起こり得るとの知見が存在することは事実である。しかし,放射線被曝による急性症状が放射線による確定的影響とされ,しきい値が存在すると理解されているのは,以下のような理由による。ある臓器(組織)が被曝した場合,その臓器(組織)を構成する多数の細胞のうちある割合が死ぬ。被曝線量がある線量以下の場合には死ぬ細胞の割合も小さく,その後の細胞増殖によりもとの細胞数に戻り,その臓器(組織)の機能も完全に回復する。しかし,その線量があるレベルを超え,細胞がある割合以下になるまで死んでしまうとその臓器(組織)の機能が完全に停止し,障害が起こる。ある線量以下の被曝では,臓器(組織)の細胞数の減少が,その機能を停止するまでに至らないので,しきい値が存在することになる(乙A75)。すなわち,放射線被曝による急性症状にしきい値が存在する理由は,個々の生物体に細胞増殖による回復機能があるからであって,そうである以上,個々の生物体が持つ細胞増殖による回復機能に差があれば,しきい値も変化すると考えるのが合理的であり,急性症状のしきい値に個人差があるといわれるのもそこに原因があると考えられる。ところで,広島原爆が投下された時期は,終戦末期で食料不足による栄養障害等の事情があった上,原爆投下後は,その事情が極端に悪化したのみならず,衛生状態の悪化による感染症罹患,原子爆弾災害に遭遇したことによる精神的ショックやストレス等,人間の身体の回復機能を低下させるさまざまな悪条件が重なった時期であるといえる。したがって,相当量の放射線被曝を受けた被爆者と健康な一般人について細胞増殖による回復機能を比較した場合,前者のレベルが後者のレベルを相当程度下回っていたことは十分考えられるというべきである。しきい値に関する上記の知見がどのような人間のグループを対象にした結果得られたものかは必ずしも明らかではない。しかし,上記知見が,放射線業務従事者に発生した健康障害の業務起因性の判断基準として論ぜられていること(乙A69)に照らすと,人間の身体の回復機能を低下させるさまざまな悪条件が重なった極限状況の下における放射線被曝の急性症状のしきい値を述べた知見と理解することは困難である。
また,前記一4(7)の調査結果によれば,遠距離になるに従って脱毛の症状発症率が低下していること,被爆時に遮蔽があった者よりも遮蔽がなかった者の方が脱毛の発症率が高いことが認められるのであって,被告らが主張する精神的ストレス等のみによってその調査結果を合理的に説明することは困難である。また,下痢の症状についても,爆心地からの距離が長くなるにしたがって発生頻度が低下していることが認められることに照らし,上記調査結果において認められた脱毛や下痢の症状には,放射線被曝が相当大きな影響を及ぼしていると見るのが自然である。
したがって,上記知見に示されたしきい値を超える被曝線量がなかったことを理由として,原告P2の本件症状が放射線被曝に起因するものとは考えられないと断定することは,合理性に欠けるというべきである。
(エ) 上記(ウ)のとおり,身体の回復機能を低下させるさまざまな悪条件が重なった極限状況の下にいた原告P2の細胞増殖による回復機能は,一般の健康な人に比べて相当程度低下した状態にあったことが推認されること,原告P2の本件症状のうち,脱毛,吐き気,だるさ及び下痢の症状は,被爆以前にはなく,被爆後間もなくして自覚されたものであること(その発症時期に関する原告P2本人の供述は,被爆の経験が50年以上前の出来事である上,被爆直後の混乱状態おける記憶であることに照らすと,それほど正確なものではないと見るべきであって,被爆前になかったことが被爆後間もなく起きたのかどうかという限度で信用性を有すると見るのが相当である。),上記各症状の態様が放射線被曝の急性症状と共通することに照らすと,上記各症状は,原爆による放射線の被曝を受けたことによって生じた急性症状と認めるのが相当である。
(オ) 上記(ア)ないし(エ)の事情に加え,P4の意見書(甲A92)によれば,英国のP31が,原爆被爆者のデータから,急性症状を有した群と有しなかった群で,がんや心疾患のリスクに差が生じることを報告していること,また,P101らが,急性症状中,脱毛を生じた者と生じなかった者とで,その後の白血病発症に違いがあるかどうかを調査し,同一被曝線量でも脱毛の有無で,白血病死亡率が2.5倍も脱毛者に高くなることを示したとし,このことから,脱毛の有無はがん死亡率にも影響していることを示唆しているといえることが指摘されていることに照らせば,原告P2に放射線被曝による急性症状が見られたことは,放射線後障害が生じる可能性を示唆するものと考えられ,原告P2との関係で言えば,膀胱がんが放射線被曝の影響によるものであることを推認させる一つの事情たり得ることを意味するものというべきである。
(カ) なお,原告らは,原告P2が過去に腎盂がんに罹患しており,多重がんが発症していることが放射線起因性を肯定する事情になる旨主張する。しかしながら,個々の固形がんについて放射線被曝による寄与リスクが独立して認められることは前記一5のとおりであるが,これに加えて,原告P2に多重がんが生じた事実が同原告が罹患した個々のがんの放射線起因性を裏付ける事情となり得ることを認めるに足りる的確な証拠はない(証人P64)ことに照らし,原告の上記主張は採用できない。
(キ) 上記のとおり,原告P2の申請疾病である膀胱がんについては,放射線被曝による寄与リスクが認められ,放射線被曝によって原告P2の膀胱がんが起こり得る可能性を否定することはできないこと,原告P2の被曝線量は4.9センチグレイを相当程度超えることが推認できること,原告P2が被爆後間もなく脱毛,吐き気,だるさ,下痢等の急性症状を発症しており,このことは,膀胱がんの発症が放射線被曝によるものであること示唆していることを総合すると,原告P2の申請疾病である膀胱がんについては,放射線起因性を認めるのが相当である。
(3) 要医療性
ア 原爆症認定を受けた場合,必要な医療の給付が支給される(被爆者援護法10条1項)上に,認定に係る負傷又は疾病の状態にある者に対しては医療特別手当(同法24条)が,同手当を受けていない者に対しては特別手当(同法25条)が支給される。このように,医療特別手当が支給される趣旨は,原爆症患者の疾病に関し,その治療効果の向上を図るとともに,原爆症に罹患していることにより,栄養補給,通院,入退院,日用品等について,一般人と異なる特別の出費を余儀なくされていることから,これらの被爆者の福祉を図るため,医療の給付を行うとともに生活面の安定を期して給付するというものであり,また,特別手当が支給される趣旨は,認定疾病被爆者は,認定に係る負傷又は疾病の状態になくても,再発の予防等のための保健上の配慮その他生活の安定を図る措置を執る必要があることから一定の金銭を給付するというものである(弁論の全趣旨)。このような趣旨からすれば,被爆者援護法11条1項,10条1項が規定する要医療性が認められる場合とは,認定に係る負傷又は疾病の状態にあるために適切な治療を受けることが必要であるか,または,認定に係る負傷又は疾病の状態にはないものの,再発の予防等のために適切な医療措置を受ける必要がある場合をいうものと解すべきである。
イ 前記(1)によれば,原告P2の申請疾病である膀胱がんについては,まず,平成5年6月に根治的手術が行われたものの,平成6年に再発し,同年3月に根治的手術が行われたこと,その後,平成8年3月8日には,それまで続けられてきた抗がん剤の投与が中止され,以後は,膀胱部エコー(超音波)検査及び尿細胞診等による経過観察がなされているのみであって,積極的な治療は行われていないこと,現在に至るまで,膀胱がんの再発又は他の部位のがんの発症はなかったことが認められる。そして,P63病院の診療録における平成12年9月28日の欄には,再発は問題なしとの記載があること(乙C4),本件P2認定申請に際して添付された医師の意見書には腫瘍再発の可能性は現在のところみられないとの記載があることからすれば,再発の予防等のために適切な医療措置を受ける必要性があるといえるかどうか疑問の余地がないではない。
しかしながら,表在性の膀胱がんは再発率が高く,約60パーセントないし70パーセントの症例で再発を生じるとされており,そのため,他のがんとは異なり,膀胱が存在する限りは再発の可能性を念頭に置いて,定期的に膀胱鏡や尿の細胞診による検査を行うことが必要であるとする専門家の意見も存在すること(甲C2,乙C7,証人P64)に照らすと,原告P2の主治医が,術後8年以上が経過した本件却下処分申請当時においても定期的に膀胱部エコー検査及び尿細胞診等を行っていたことは適切な判断というべきである。加えて,前記(2)のとおり,原告P2の膀胱がんについては放射線起因性が認められることからすれば,膀胱がんの再発率についても非被爆者の再発率に対する過剰リスクが認められると考えるのが合理的であり,したがって,再発の予防のための検査の必要性については,非被爆者の場合と同列に論じるべきではなく,より長期間にわたって検査を必要とすると認めるのが相当である。このことは,原爆医療法に関する治療指針が,原子爆弾後障害症の症状は一進一退することが多いので,治療を加えた結果一応軽快をみても,その後における健康状態には絶えず注意を払う必要があるとした趣旨にも合致するものということができる。
そうすると,原告P2の申請疾病である膀胱がんについては,本件P2却下処分当時,なお再発の予防等のために適切な医療措置を受ける必要があったものとして,要医療性を認めるのが相当である。
(4) まとめ
以上のとおり,原告P2の申請疾病である膀胱がんついては,本件P2却下処分当時,放射線起因性及び要医療性が認められるから,本件P2却下処分は違法というべきである。
2 原告P1
(1) 事実経過等
前記前提事実等に,証拠(甲B7,8,12,13,乙B1,2,5の4,8,15,18,19,26の1ないし4,証人P59,原告P1本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 被爆状況
原告P1(昭和▲年▲月▲日生まれ)は,母と妹と一緒に,広島市段原末広町(以下「段原末広町」という。)の自宅を出て,広島市α48にある友人宅に向かう途中,爆心地から約1.8キロメートルの広島市段原大畑町(以下「段原大畑町」という。)の路上で被爆した(当時7歳)。原告P1は,一瞬からだがぐるぐる回り,持っていた手提げ袋が吹き飛び,倒れて気を失った。辺りが真っ暗になり,倒れる際に稲光のようなものを見たことを覚えている。その後,どのくらいの時間が経過したかは分からないが,母の呼ぶ声で気がついた。回りを見渡すと,建物の板がはがれて散乱しており,足の踏み場もない状況だった。原告P1は,ガラスの破片によって左目の上に傷を負った。
イ 被爆後の行動
原告P1らは,鉄道管理局に勤務する父親の安否を確認するため,広島駅まで歩いた。
被爆後約10日間,段原末広町で町内の人々と野宿をした。自宅は焼けずに残っていたが,内部が破壊されており,住める状態ではなかった。
野宿をしていた間に何を食べていたのかについては覚えていない。
ウ 被爆直後に現れた症状
原告P1は,被爆後に野宿をしている間,吐き気があり,下痢をした。下痢をしたときには高熱が出ていた。また,被爆後に母親が原告P1の髪をといている時,「髪がよく抜けるね。」と言っていた。さらに,被爆後,食欲不振の状況が続いた。
エ 被爆後の生活状況,病歴等
原告P1は,昭和21年,鹿児島県に転居した。当初は祖母の家にいたが,その後,出水市に建てた家に移った。原告P1の母親は,その頃から,「だるい。だるい。」と言って,寝てばかりいるようになった。また,原告P1は,広島にいたころから鹿児島に移った後も小学校3年生になるころまでの間,熱を出して肺炎になることが多く,吸入器が離せなかった。
原告P1は,昭和32年に高校を卒業して,広島に転居し,人形を製造する工場で働いた。そのころから身体が急にだるくなるという症状が出始めた。体がだるいという症状は現在まで続いている。また,日中,戸外を歩いてる時に気を失って倒れ,病院に運ばれたことが何度かあった。
原告P1は,当時,上記症状を医師に何度も訴えたが,病名は分からなかった。
原告P1は,昭和33年に甲状腺が腫れて高熱を出し,広島市内の病院に6日間入院した。この際,医師からは,このような症状の原因についての説明はなかったと記憶している。
原告P1は,昭和34年(当時21歳)に岡山を旅行中,身体に異常を感じ,岡山駅近くの病院に行ったところ,診察をした医師から,白血球が異常に減少していること,それが原爆の影響かもしれないことを言われた。そして,医師の指示に従い,原爆健康手帳の交付を受けた。
原告P1は,昭和36年に結婚して京都に転居し,その後,福岡県に転居した。
原告P1は,昭和39年,肺炎のため,福岡県久留米市のP54病院へ2か月間通院した。また,同年,盲腸を切除した。さらに,十二指腸潰瘍になった。
原告P1は,昭和46年には男の子を出産したが,事情があり,自分で育てることができなかった。また,昭和50年には女の子を出産した。生まれた娘は,度々発熱したが,病院で検査を受けても原因は分からなかった。
オ 原爆症認定申請にかかる疾病に関する事実
a 胃がんの発症及び手術
原告P1は,昭和56年7月,体調不良のために福岡県築紫野市にあるP55病院で診察を受けた。病名は胃がんであり,昭和57年7月1日に,胃の3分の2の摘出手術(ビルロートⅠ法。再建法を含めた幽門側胃部分切除術のうち,十二指腸断端と残胃を方法する手術法をいう。)を受けた。なお,手術に際して,医師から胃がんであるとの告知は受けなかったが,手術後に看護師から聞いた話により,自分が胃がんであったことを知った。
b 胃がんの手術以降の症状等
原告P1は,食事については,手術以前は,毎日3回,茶碗で1杯以上のご飯とおかずを食べていた。しかし,手術後は,1回の食事につき,手術以前の半分の量のご飯さえ食べることができなくなった。また,手術後,食事中や食後に急に胃の辺り(みぞおちの辺り)が張って痛むようになった。P55病院の医師からは,上記症状は胃の摘出手術を受けたことが原因であるとの説明を受け,食事を数回に分けて摂取するように指導された。また,消化剤の処方を受けた。栄養士からは,食事に関し,バナナは半分だけ,ご飯は1回に150グラムだけといった内容の指導を受けた。しかし,原告P1は,茶碗で3分の1くらいのご飯しか食べることができず,それ以上食べると胃の辺りが激しく痛んだ。1日に3回の食事を摂ることも困難であったため毎日2回の食事だった。朝食はほとんど摂らずに昼前くらいに弁当や小さなおにぎりを食べ,また,午後7時30分ころに食事を摂っていた。食べた物が胃の手前で詰まったような感じがして,満腹感よりも痛みが先に来た。食事の後は,胃の辺りが苦しいために体を動かすことはできず,30分くらいじっとしていると楽になった。痛みなどを避けるために食事を減らしたり,固形物を摂らずに飲み物を飲んでごまかすこともあった。病院から処方を受けた消化剤を服用しなければ,胃の不快感や痛みで食事を摂ることができなかった。
原告P1は,胃の調子が良くならないため,福岡県P56病院やP54病院を受診したが,P55病院と同じ説明を受けた。また,福岡市内のP57病院に通院して漢方薬を処方してもらった。この薬を飲むと調子が良くなった感じがした。
また,原告P1は,どの病院でも胃切除後の貧血があるという説明を受け,増血剤を処方された。
原告P1は,平成7年に仙台に転居したが,胃の症状のほか,体のだるさや脱力感及び軽度の頭痛の症状があるために,当初は2週間に一度,その後は4週間に1回,P58病院に通院している。上記症状は,ひどくなったり良くなったりすることを繰り返している。
現在は,福岡にいたころよりは食事の量が少し増え,1回の食事につき,茶碗で半分くらいのご飯を食べられるようになった。ただし,ご飯は,炊きたてのもの以外はお粥や雑炊にして柔らかいものを食べている。うどんは半分食べられれば良い方である。そばは,3分の1から4分の1くらいしか食べることができない。以前は油分が含まれている食事は胃が受け付けなかったが,平成14年ころからは,ラーメンを食べられるようになった。生野菜は少量しか食べることができないため,野菜は火を通したものを食べている。食事は,医師からの指導に従い,なるべく何回にも分けて摂るように努力はしているが,食事の後に胃の痛みを感じたり,体調が悪いときには,コーヒーやお茶などの液体を飲んだり,また,海苔をあぶったものやビスケットを紅茶につけて柔らかくしたものを食べたりしている。
倦怠感や頭痛の症状は,現在も相変わらず続いている。そのために運転ができなくなったり,膝に力が入らず,立ち上がれないこともある。
また,急に胃の辺りの具合が悪くなって吐き気がし,ひどいときには脂汗が一杯出て,顔が冷たくなることがある。医師からは,このような時には糖分を補給するための飴をなめるようにと言われており,実際に,飴をなめると気分的に幾分良くなるようにも感じる。さらに,油分の多いものや甘い物を食べると胸焼けがすることがある。
なお,原告P1の体重は,胃の切除手術を受ける以前は,39キログラムくらいであり,140センチメートルの身長からして普通の体型であったが,平成7年には34キログラムに減少した。本件P1認定申請当時は29.5キログラムであった。
カ 胃切除後障害
(ア) 胃切除後障害とは,胃の手術後に起こる,胃の欠落や貯留能の低下・食物の消化経路の変更等により発生する種々の障害の総称をいう。主として,機能障害によるものとしては,ダンピング症候群,輸入脚症候群,代謝障害によるものとしては,栄養障害,貧血,骨障害等があり,器質的な障害を来すものとしては,逆流性食道炎等がある。
(イ) ダンピング症候群
ダンピング症候群には,食後30分以内に起こる早期ダンピング症候群と食後2ないし3時間で起こる後期(晩期)ダンピング症候群とがある。
a 早期ダンピング症候群
早期ダンピング症候群の病態の詳細は不明であるが,高張な食物が急速に腸内に入ることによって,循環血漿量の減少,末梢血量の増加という不均衡,種々の体液因子(セロトニン,ヒスタミン,ブラジキニン等)の増加し,その結果,腸蠕動亢進,血管運動症状が起こり,自律神経のアンバランスも加わって発症すると言われている。
臨床症状としては,食後30分以内に突然発症する全身症状と腹部症状とが認められる。全身症状としては,冷汗,動悸,めまい,しびれ・失神,顔面紅潮,顔面蒼白,全身熱感,脱力感,眠気,頭痛・頭重,胸苦しさ等の血管運動失調性の症状が,腹部症状としては,腹鳴,腹痛,下痢,悪心,嘔吐,腹部膨満,腹部不快感等の消化管運動異常による症状が認められる。食事内容としては,蛋白質より炭水化物が,固形物より液体のものが,高浸透圧を来しやすいので,ダンピング症状を起こしやすい。早期ダンピング症候群は,術後食事開始から1ないし3週間ころより出現し,術後の経過年数とともに軽減又は消失することが多い。
発生頻度は,欧米では30ないし50パーセントと高頻度であるが,食事療法のみで治療できないほどのものは1パーセント程度と言われている。我が国では広範囲切除術では10ないし20パーセント程度との報告が多い。性別頻度では男女差はなく,加齢とともに頻度は低下する。また,残胃が小さいほど発生頻度が高く,程度も強いと言われている。さらに,神経症的傾向の強い症例で出現しやすく,心因性の因子も関与しているものとされている。
診断には,食事摂取後30分以内に全身症状のいずれかが出現することが重視されている。ほとんどの場合,詳細な問診のみで診断が可能であるが,確定診断がつかない場合には,50パーセントブドウ糖液経口摂取による誘発試験が行われることもある。症状の再現性を調べるとともに,各種血管作動性因子の血中濃度の上昇や血糖,インスリン,血清電解質を確認する。また,上部消化管造影検査でバリウムやマーカーの排出時間を観察することも診断の助けとなる。
治療には,まず食事療法が大切である。少量の食事を頻回にとり,食事内容は,高蛋白,高脂肪,低炭水化物で水分の少ない乾燥した固形物を中心に摂取する。薬物療法の効果は十分とはいえないが,体液性因子に対する拮抗薬である抗セロトニン薬,抗ヒスタミン薬,抗ブラジキニン薬や消化管運動を抑制する抗コリン薬,小腸粘膜に対する感受性を抑制するための表面麻酔薬を使用することがある。精神的素因が強いと考えられる症例に対しては,抗不安薬が有効なこともある。食事療法や薬物療法で軽快しない場合には外科治療を考える。
b 後期ダンピング症候群
摂取した食事内容が急速に小腸内へ排出され,短時間で高血糖を来たし,これに反応してインスリンの過剰分泌が起こる結果,一過性の低血糖を来すことが原因であり,臨床症状としては,食後2ないし3時間くらいで全身倦怠感,脱力感,無欲状態,冷汗,めまい,手指のふるえなどを生じ,腹部症状は伴わない。血糖値が50ミリグラム/デシリットル以下であることも参考になる。
発生頻度は早期ダンピング症候群より低く,5パーセント以下とされている。
症状が発生したときは,軽症例では安静のみで,中等症以上でも経口又は経静脈的な糖分補給で軽快する。予防は食事療法が重要であり,その内容は早期ダンピング症候群のものと同様である。
(ウ) 栄養障害
臨床症状としては,体重減少,下痢,脂肪便,浮腫,低蛋白血症等が見られる。胃切除後には栄養障害が生じやすく,約80パーセントの症例で体重減少が認められる。なお,極端な低体重の場合をるいそうという。
体重減少の原因には種々のものがあるが,主として小胃症状,すなわち胃切除によって1回の摂取量が減少し,何回にも分けて摂取しないとカロリーがとれなくなることから,食事摂取量の不足をきたす結果,体重が減少することが挙げられる。また,脂肪の消化吸収不良も栄養障害の原因の一つである。
治療は,良質の高蛋白,高カロリー食を少しずつ量を増やして摂取させることによる。症例によっては,成分栄養,低残渣食等の経腸栄養剤を経口投与する。
(エ) 貧血
貧血とは,一般に,血液単位容積当たりのヘモグロビン量の減少を意味し,WHOの基準によれば,成人女性では12グラム/デシリットル,成人男性では13グラム/デシリットルが貧血の指標とされている。そして,貧血の鑑別診断のための検査においては,まず,ヘマトクリット及び赤血球数から平均赤血球容積(MCV)を算出し,赤血球の性状が,小球性(MCVが80fl未満)か正球性(MCVが80ないし100fl)か大球性(MCVが101fl以上)かを区別することにより,およその疾患群が大別できる。
貧血の症状としては,易疲労感,立ちくらみ,動悸,息切れ等がある。
胃切除後に発生する貧血には,鉄欠乏性による低色素性小球性貧血とビタミンB12の欠乏による巨赤芽球性貧血(大球性貧血の一種)とがある。
食物中に含まれる鉄の化合物は,胃酸によってイオン化され,十二指腸から上部空腸で吸収されるが,胃切除によって胃酸分泌の消失又は著名な減少が起こると,胃貯留機能の低下と相まって十分な食物と胃酸の混和がなされなくなり,鉄の吸収が障害される。また,食事中のビタミンB12は蛋白と結合しており,胃酸により分解されて遊離型ビタミン12となり,これが胃の壁細胞から分泌されるCastle内因子と結合して回腸末端から吸収されるが,胃部分切除では胃底腺が減少して胃酸と内因子の分泌が減少し,胃全摘ではこれが欠如するため,ビタミンB12の吸収が障害される。
胃切除後の貧血の頻度は30パーセント前後との報告が多く,胃部分切除に比べて胃全摘では約2倍の頻度である。胃部分切除では,低色素性小球性貧血が多く,巨赤芽球性貧血は胃全摘例に多い。また,術後4年以内では小球性低色素性貧血であるが,5年以後では巨赤芽球性貧血が増加してくる。
血算に加えて,血清ビタミンB12の低下や血清LDHの上昇も診断の助けとなる。
治療は,鉄欠乏性貧血の場合は経口的に鉄剤を投与し,経口投与で十分改善されない場合には静注投与する。ビタミンB12の欠乏症は,ほとんどの場合胃全摘例であり,経口投与しても吸収されないので筋注投与がよいとされている。
(オ) 骨障害
胃切除後には,摂取量の減少,カルシウムやビタミンDの吸収の低下を生じ,低カルシウム血症となるが,血中のカルシウム値を維持するため二次性副甲状腺機能亢進症となり,カルシウムが骨から血中に動員されて骨障害が発症する。胃切除後の骨障害は,病態からみるとカルシウム,ビタミンD不足のために骨形成能力は残されているものの骨の灰分が減少する骨軟化症であり,実際に多いが,骨芽細胞の活力が低下して骨吸収の速度が速くなるために骨梁が粗になる骨粗鬆症の例や混在型も存在する。
胃切除後の骨障害の頻度は,症状を有さない軽症例まで含めると,胃部分切除では,術後5,6年後より発生し,頻度は20ないし30パーセント,胃全摘では,術後1年で発生し,頻度は50パーセント以上と報告されている。骨障害の発生頻度は男性より女性に,若年者より高齢者に高い。
診断はMD法,DEXA法等により骨塩量の測定を測定を行うことである。また,血液生化学的には典型的な骨軟化症であれば低カルシウム血症,低リン血症,高アルカリホスファターゼ血症が見られる。
治療は,骨軟化症の治療に準じ,適当な運動と日光浴,カルシウムやビタミンDの多い食事の摂取をし,薬物療法としてカルシウム剤と活性型ビタミンD剤を投与する。
(カ) 逆流性食道炎
胃切除後の逆流性食道炎は,手術操作によって,膵液,胆汁,胃液といった消化液の逆流防止機構が破綻し,消化液が食道内へ逆流することにより発症する。食道炎の病態には,膵液,胆汁を主因とするアルカリ型,胃酸を主因とする酸型,両者に起因する混合型がある。胃全摘後はアルカリ型であるが,幽門側胃切除後は残胃の大きさや迷走神経切離の程度により種々の病態を呈する。
発生頻度は,胃部分切除では5ないし6パーセント,胃全摘術では30パーセント程度との報告がある。ビルロートⅡ法では約75パーセントと高率であるとの報告がある。
自覚症状は,胸やけ,心窩部痛,嚥下障害等である。診断は,内視鏡検査により行うが,最近は,Los Angeles分類が用いられることが多い。
治療は,保存的に行い,食後すぐに横にならない,腹圧を上げないため腹を締めない,就寝時に頭や胸を高くする等の生活習慣の改善をすることである。薬物療法としては,胃酸分泌が残っている場合にはヒスタミン受容体拮抗薬,プロトンポンプ阻害薬を投与する。アルカリ型の食道炎には,メシル酸カモスタットによる膵液中のトリプシン活性防止と消化管運動改善薬により食道からの排出を促進させることを行う。粘膜保護被覆薬のスクラルフェートやアルギン酸ナトリウム等は傷害された食道粘膜に直接付着し,傷害粘膜の治癒を促進するとともに自覚症状の改善に有効である。
(2) 放射線起因性
当裁判所は,原告P1の申請疾病である,胃がん及び胃切除後障害は,いずれについても放射線起因性が認められるものと判断する。理由は以下のとおりである。
ア 胃がんの放射線起因性
原告P1の胃がんに放射線起因性が認められることについては,当事者間に争いがなく認められる。
なお,付言するに,審査の方針に基づく原告P1の被曝線量の推定値(ただし,被曝線量については疑問がある。)及び胃がんの原因確率,被爆状況,被爆後の行動,被爆直後に下痢や脱毛といった急性症状があったと認められること,被爆後の生活状況,病歴,胃がんの症状や発症に至る経緯,治療の内容並びに治療後の状況等を総合的に考慮すると,原告P1の胃がんについては,放射線起因性が認められる。
イ 胃切除後障害の放射線起因性
(ア) まず,原告らは,本件P1却下処分の処分理由について,被告厚生労働大臣による平成14年12月20日付け本件P1却下処分の通知(乙B4)においては,申請疾病につき放射線起因性を認めていたにもかかわらず,被告らは,本件訴訟において,胃切除後障害の放射線起因性を否認しているが,このような処分理由の変更は許されないと主張していることから,この点について判断する。
本件P1却下処分に際して行われた同月18日付け医療分科会の被告厚生労働大臣に対する答申(乙B4)においては,原告P1の申請疾病のうち,胃がんについては放射線起因性が認められるものの,要医療性が認められないものと判断され,他方,胃切除後障害については,放射線起因性が認められないものと判断されたとの意見が付されていたことが認められる。そして,被告厚生労働大臣による本件P1却下処分は,上記医療分科会の答申を受けてなされたものと認められることからすれば,本件P1却下処分における申請疾病の放射線起因性が認められたとの理由は,胃がんのみについて言及したものにとどまり,胃切除後障害の放射線起因性の判断については何ら言及しなかったものと見るのが相当である。そうすると,本件訴訟において被告らが主張した処分理由は,医療分科会の判断と同内容であって,本件P1却下処分の通知における処分理由との関係では,これを補充,具体化したものに過ぎないというべきである。したがって,かかる主張を行うことが違法であるとは認められず,原告らの主張には理由がない。
(イ) 原告P1に胃切除後障害が認められること,すなわち原告P1に胃切除術を原因とする症状が認められることは,後記(3)のとおりである。
胃切除後障害は,胃の切除術後に起こる種々の障害をいうものであり,胃切除の原因となった疾病と胃切除後に生じた障害との間には,胃切除術という人為的作為が介在している。しかしながら,胃切除術が,特定の疾病の治療のために必要かつ適切なものである場合には,社会通念上,当該疾病に罹患した結果として胃切除後障害が発症したものということができるから,当該疾病と胃切除後障害との間には相当因果関係が認められるというべきである。そうすると,当該疾病につき放射線起因性が認められ,かつ,当該疾病と胃切除後障害との間に相当因果関係が認められる場合には,胃切除後障害の放射線起因性も肯定できると解するのが相当である。
本件では,原告P1は,昭和57年7月1日に,胃がんの治療のために,胃の3分の2の摘出手術(ビルロートⅠ法)を受けたことが認められるところ,一般に,胃がんの根治のために,再建のための幽門側胃部分切除を目的としてビルロートⅠ法による手術が行われることは,有効な外科的治療法として認められている(甲B12,乙B14)ところ,本件において,上記のとおり原告P1の胃がんに対して上記手術を行ったことについて,特段合理性に疑問を差し挟むべき事情は認められないことからすれば,上記手術は必要かつ適切なものであって,胃がんと胃切除後障害との間には相当因果関係が認められるというべきである。そうすると,前記(ア)のとおり,原告P1の申請疾病の1つである胃がんについては放射線起因性が認められるのであるから,別個の申請疾病である胃切除後障害についても放射線起因性を肯定するのが相当である。
なお,被告らは,原告P1の胃切除後障害が心理的原因によるものである旨主張するが,かかる主張を認めるに足りる的確な証拠はない。
(3) 要医療性
原告P1の申請疾病のうち,胃がんの要医療性が認められないことについては,当事者間に争いはない。そこで,胃切除後障害の要医療性が認められるかにつき検討するに,当裁判所は,原告らが主張する胃切除後障害の症状のうち,逆流性食道炎及び骨粗鬆症については要医療性は認め難いが,早期及び後期ダンピング症候群,栄養障害及び貧血については,要医療性を認めるのが相当と判断する。その理由は以下のとおりである。
ア 早期及び後期ダンピング症候群
(ア) 前記(1)のとおり,原告P1には,倦怠感や頭痛の症状や急に胃の辺りの具合が悪くなって吐き気がし,ひどいときには脂汗が一杯出て,顔が冷たくなるとの症状があることが認められる。また,P58病院における診療録(甲B2の1,3)を見ると,平成8年1月19日の欄には,動悸,発汗,ふわーっとなるとの記載が,平成10年11月27日の欄には,急にもーっとなる発作が1月に2回くらいあるとの記載が,平成11年10月22日の欄には,時々冷汗などの低血糖症状があるとの記載があることから,かかる症状が,本件P1申請時においても認められたものと推認できる。
そして,上記症状は,早期ダンピング症候群の臨床症状としての,冷汗,動悸,めまい,顔面蒼白,脱力感等の全身症状及び悪心,嘔吐,腹部不快感等の腹部症状と共通するとともに,後期ダンピング症候群としての全身倦怠感,脱力感,無欲状態,冷汗,めまいと共通するものである。
もっとも,早期ダンピング症候群は,胃が切除されることによって食物の貯留機能が低下又は欠如する結果,摂取された食物が急速に小腸に流入する結果,食後30分以内に極端な高血糖になること等が原因で起こるものであり,後期ダンピング症候群は,上記のように高血糖になったためにインスリンが大量に分泌されるため,食後2ないし3時間後にはかえって低血糖になる結果として起こるものとされていることから,ダンピング症候群と認められるためには,症状が現れる時期が重要である。これに関し,原告P1は,倦怠感,冷汗,脱力感といった症状は高校を卒業したころから経験していること,急に胃の辺りの具合が悪くなること,吐き気,冷汗,顔が冷たくなるといった症状が起こるのは食事の時間とは関係がないとの供述をしているものの,他方で,平成8年1月19日の診療録の欄には,食後2時間で,動悸,発汗,ふわーっとなるとの記載があること,また,原告P1が平成8年1月8日に受けた糖負荷試験(甲B2の1・2)によれば,血糖値は,糖負荷以前には85,30分後には220,1時間後には151,1時間30分後には71,2時間後には48であり,食後の高血糖及び2時間後の低血糖が認められたとともに,1時間後の尿糖がツープラス(++)であったところ,一般に,糖負荷試験を行った場合の正常値は,70以上ないし160以下とされている(証人P59)ことからすれば,原告P1は,少なくとも検査当時には糖摂取から約30分後に極端な高血糖となり,1時間半ないし2時間後には極端な低血糖になる傾向があったことが認められる。加えて,原告P1は,平成8年に糖の消化吸収遅延剤であるベイスンの投与を受けたところ,食後に現れる動悸,発汗等の症状は一時改善したことが認められる(甲B2の1,8)ことからすれば,原告P1の上記症状のうち,少なくとも動悸,冷汗等の症状には,早期ダンピング症候群及び後期ダンピング症候群によるものが含まれているものと認めるのが相当である。
(イ) そして,証拠(甲B2の1,3,4,5の1,7,8,証人P59,原告P1本人)によれば,原告P1の主治医であるP59医師は,原告P1の主治医となった平成7年から,原告P1に対し,食事をできるだけ少量に分割して頻回に摂取すること,消化のいい物や蛋白質,鉄分等が含まれた栄養があるものを摂取すること等を度々口頭で指導しており,本件P1申請直前の平成14年8月26日においても,食事指導を行っていたことが認められることに照らすと,原告P1の早期及び後期ダンピング症候群には要医療性を認めるのが相当である。
イ 逆流性食道炎
P58病院の診療録(甲B1の1,2の1,3,5の1)によれば,原告P1には,本件P1却下処分当時,吐き気,食欲不振,腹部(胃の辺り)の痛みがあったことが認められるところ,かかる症状は,食道炎ないし胃炎が原因である可能性が考えられる。しかしながら,平成11年3月5日に行われた胃内視鏡検査の結果,食道の炎症所見はなく,問題が認められなかった(甲B2の2)こと,原告P1の上記症状に対し,P59医師は,積極的な治療としての薬物療法を行わずに(食道炎の治療目的ではなく,上記症状悪化時に,いわば対症療法として一般的な制酸,粘膜保護剤を投与していたに過ぎない。),経過観察を行っていたにとどまる(甲B8)ことに照らすと,本件P1却下処分当時における逆流性食道炎の要医療性は認め難いというべきである。
ウ 栄養障害
前記(1)のとおり,原告P1は,胃の切除手術を受ける以前は,39キログラムくらいであり普通の体型であったにもかかわらず,平成7年には34キログラムに,本件申請当時には29.5キログラムに減少しており,明らかな低体重すなわちるいそう(標準体重43キログラムとの比はマイナス約30パーセント。甲B8)であったことが認められる。胃切除後には栄養障害が生じやすく,約80パーセントの症例で体重減少が認められるものとされていること,栄養障害を原因として起こる手足のしびれ(末梢神経炎)が認められること(甲B1),胃切除の他に原告P1の体重減少をもたらす原因は認められないことからすれば,本件P1却下処分当時,原告P1には,胃切除後障害としての栄養障害があったと認められる。
そして,栄養障害に対する治療方法としては,良質の高蛋白,高カロリー食を少しずつ量を増やして摂取させる食事療法があるところ,前記ア(イ)のとおり,本件P1却下処分当時,P59医師による食事療法が行われていたことに照らすと,上記栄養障害について要医療性を認めるのが相当である。
エ 貧血
前記(1)によれば,原告P1は急にP58病院の診療録(甲B1の1・4,2の1,5の1・2,10)によれば,平成7年4月28日から本件P1却下処分時までの間における血液検査の結果,血色素(ヘモグロビン)の数値は10.4ないし11.6グラム/デシリットルの間で推移しており,軽度の貧血であったことが認められる。そして,平成8年1月8日の検査結果によれば,血清鉄の数値が30マイクログラム/デシリットルであったことから,鉄欠乏性の貧血であると考えられるが,鉄欠乏性貧血は,通常,小球性貧血であるところ,原告P1の場合,正球性貧血であり,その原因の1つとして,ビタミンB12の不足のために造血機能が抑制されていることも貧血の原因になっていると考えられる(甲B9,証人P59)。そして,原告P1は前記(1)のとおり,脱力感,倦怠感,動悸といった症状が生じることがあり,これらは貧血の症状と共通するものである。
被告らは,原告P1には,胃切除後以前から貧血と思われる症状があったこと,胃切除後貧血は,胃切除後3年以上経過してから起こることが多いところ,胃切除から約1年後の血液検査では既に血色素の数値が基準値を下回っていたことから,原告P1の貧血は,胃切除以前から存在していたものであり,胃切除によって生じたものではない旨主張する。しかしながら,鉄欠乏及びビタミンB12の不足を原因とする貧血は,胃切除後に起こる貧血の症状と共通するものであること,胃切除後貧血の生じる時期には個人差があると考えられることから,胃切除から約1年後に貧血が生じることもあり得ること,胃切除以前において貧血が既に生じていたことを示す血液検査結果は証拠上存在しないことからすれば,原告P1の貧血は,胃切除によって生じたと見るのが相当である。
P59医師は,このような原告P1の貧血に対し,平成8年1月ころに一時,鉄剤の投与を試みたが,その後,本件P1却下処分時までの間は,鉄分の多い食事の摂取をするようにとの食事指導を行ってきた(甲B2の1,8,証人P59)ものであるが,本件P1却下処分がなされる以前における人間ドックの検査結果(甲B10)には,貧血は治療を要する状態になく,経過観察で足りるとの判定結果が記載されている。しかしながら,上記人間ドックの検査結果は,数値による機械的な判定がなされるもの(証人P59)であって,実際に積極的な治療を必要とするか,それとも経過観察で足りるかについては,患者の実際の症状,治療歴等を踏まえて実質的に判断すべきものである。そして,上記のように,原告P1の貧血の原因としては,鉄欠乏のほか,ビタミンB12の不足も考えられるところ,P59医師は,原告P1に対し,平成10年6月からビタミンB12の投与を行っていること(甲B2,8),また,本件P1却下処分後の平成15年3月24日の血液検査の結果,血清鉄は27マイクログラム/デシリットルと低値であったため,以後鉄剤が投与されていることが認められ(甲B5の1,8),このことから,本件P1申請当時においても,鉄剤の投与による治療が必要であった可能性が高いと推認できること,加えて,原告P1の場合,栄養障害を伴っているために,軽度の貧血であっても通常のように食事による貧血症状の改善が必ずしも期待できず,薬物投与による症状の改善に頼る必要がある(証人P59)ことに照らすと,原告P1の貧血については,積極的な治療を要する状態にあるものとして,要医療性を認めるのが相当である。
なお,原告P1の貧血の症状が仮に積極的な治療を要する状態ではなく経過観察で足りる状態であったとしても,上記症状の態様及び原爆医療法に関する実施要領が,軽度の貧血につき,所見が一進一退する場合が往々にして見られるので,被爆者の健康について十分に経過を観察する必要があるとしている趣旨に照らせば,要医療性を否定することは相当ではないというべきである。
オ その他
原告らは,以上の症状のほかに,胃切除後障害としての骨粗鬆症を主張する。しかしながら,本件P1却下処分当時,原告P1は腰痛を訴えていたことが認められる(甲B5の1)ものの,これが骨粗鬆症によるものであるかは必ずしも明確でない上,胃切除後の骨障害は,一般に,骨形成能力は残されているが骨の灰分が減少する骨軟化症が基本であり,胃切除によって生じたと分類されている骨粗鬆症の中には胃切除と関係のない老人性の骨粗鬆症も含まれているものと考えられること(乙B8)に照らすと,原告P1に,胃切除後障害としての骨粗鬆症が発症していることは認め難く,したがって,胃切除後障害としての要医療性を認めることは困難というべきである。
カ 以上に対し,被告らは,原告P1に早期及び後期ダンピング障害,栄養障害,貧血等の症状が認められるとしても,胃切除後20年以上経過していることからすると,上記症状は原告P1が食事指導を守らないこと,喫煙をしていること等の生活習慣が原因で生じているものであると主張する。
しかしながら,原告P1の上記症状はそもそも胃切除によって生じたものと認められることは前記のとおりであるから,胃切除後障害と上記症状との因果関係が切断されるためには,原告P1の故意又は過失により上記症状が増悪されるか治癒が遅延される結果,通常であれば上記症状が完治すべき期間を経過しているにもかかわらず,依然として症状が継続しているというべき特段の事情が必要と解すべきである。
そして,ダンピング症候群に関し,前記(1),(2)及び証拠(甲8,原告P1本人,乙26の1)によれば,ダンピング症候群の症状は胃切除術後2年以上経過しても治癒しない例もあり,術後20年が経過した時点では治癒していることが通常とまでは証拠上評価できないこと,原告P1は,食事の回数が1日に2ないし3回と頻回ではないことが認められるものの,1日の食事回数が少ないのは食欲が不良であったり,食事の際に胃が痛むことが原因と考えられ,やむを得ない事情によること,また,ダンピング症候群に対する食事療法としては,水分の多い食事が勧められているものの,水分の多い食事を摂取することが将来にわたって症状を増悪させたり治癒を遅延させたりすることを認めるに足りる証拠はないことからすれば,原告P1の故意又は過失によってダンピング症候群の症状が増悪又は治癒が遅延される等して,本来であれば上記症状が完治すべき期間を経過しているにもかかわらず症状が続いているとまでは認められない。また,胃切除後障害のうち,栄養障害及び貧血については,上記食事の内容,方法や喫煙をしていることが,症状を増悪させたり治癒を遅延させることを認めるに足りる証拠はないことから,胃切除後障害と上記症状との因果関係を否定することはできない。したがって,被告らの上記主張は採用できない。
(4) まとめ
以上のとおり,本件P1却下処分当時において,原告P1の申請疾病のうち,胃がんについては放射線起因性が認められるものの,要医療性は認められず,また,胃切除後障害(早期及び後期ダンピング障害,栄養障害,貧血)については,放射線起因性及び要医療性が認められることから,本件P1却下処分は違法というべきである。
三 争点2(国家賠償請求の成否)について
1 違法性
(1) 前記二のとおり,被告厚生労働大臣が行った本件P1却下処分及び本件P2却下処分は,いずれも違法であるから取り消されるべきである。しかしながら,このように被告厚生労働大臣による原爆症認定却下処分が違法性を有する場合であったとしても,そのことから直ちに当該処分が国家賠償法上も違法であるとの評価を受けるものではなく,被告厚生労働大臣が判断の基礎とすべき資料等の情報を収集し,これに基づき原爆症の認定要件である放射線起因性及び要医療性の有無を判断する上において,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と却下処分を行ったと認められるような事情がある場合に限り,国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるものと解すべきである(最高裁判所平成元年(オ)第930号,第1093号・同平成5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁参照)。
(2) 前記認定事実のとおり,原告P2認定申請及び原告P1認定申請に対し,医療分科会は,原告P1及び原告P2が提出した原爆症認定申請書及びこれに添付された医師の意見書,検査成績を記載した資料等を基に,審査の方針に従って,原告P2及び原告P1の放射線起因性の有無及び要医療性の有無を判断したこと,被告厚生労働大臣は,かかる医療分科会の審査結果に基づいて,原告P1に関し,申請疾病のうち,胃がんについては放射線起因性が認められものの要医療性はなく,胃切除後障害については放射線起因性が認められないとの理由で本件P1却下処分を行ったこと,原告P2に関し,膀胱がんの放射線起因性が認められないとの理由で本件P2却下処分を行ったことが認められる。
前記一4のとおり,医療分科会が上記判断に際して従った審査の方針は,個々の被爆者に対する被曝線量の推定については,初期放射線量の推定方式として相当の科学的合理性を有し,残留放射線による被曝線量の推定においても一定の合理性を有すること,前記一5のとおり,原因確率については,大規模な疫学的研究結果に基づくリスク評価の方法として一定の合理性を有することから,本件却下処分を行うに際し,医療分科会が審査の方針を放射線起因性の有無を判断する上で一要素として斟酌したこと自体をもって違法と評価することは困難であって,被告厚生労働大臣が,この医療分科会の審査結果に基づいて本件P2却下処分を行ったことが,その職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったとか,漫然と処分をしたということはできない。
もっとも,前記一6のとおり,審査の方針は,その推定値を導き出す過程においてさまざまな誤差を生じさせる要因を内包しているから,審査の方針に基づいて放射線起因性の判断を行うに際しては,これによる被曝線量の推定値及び原因確率を一つの要素として考慮しつつも,これを機械的に適用することなく,個々の被爆者の被爆状況,被爆後の行動,被爆直後に現れた症状の有無とその態様,被爆後の生活状況,病歴,申請にかかる疾病の症状や発症に至る経緯,治療の内容及び治療後の状況等といった事情を総合的に考慮して判断する必要があるというべきところ,審査の方針は,その基本的考え方として,原因確率を機械的に適用することなく,申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合勘案した上で判断するものとされているのであるから,この点においても合理性を欠くということはできない。
原告らは,1件あたりの審議時間を平均すると数分程度になることを理由に形式的な審査しか行っていないと主張するが,証拠(乙A22,甲A15)によれば,審議会等における審議に先立ち,担当事務局による必要な資料の収集,整理を行い,その上で審議がなされていること,審議会等における審議の過程においても,必要な資料の追加提出を求めている例が20ないし30パーセント存在することに照らせば,医療分科会が,審査の方針を機械的に適用することによって,原因確率が10パーセント未満の場合一律に放射線起因性を否定するという判断方法をとっていたと認めることは困難であり,少なくとも原告P2及び原告P1の申請疾病に関する放射線起因性の判断に際し,上記のような機械的な判断がなされていたことを認めるに足りる証拠はない。
なお,被告厚生労働大臣は,原告P1の申請疾病のうち,胃切除後障害については,放射線起因性が肯定されるために要求される因果関係は,放射線の傷害作用により直接的に生じた結果との関係のみをいい,放射線以外の他の事情によって生じた間接的,二次的な結果との関係はこれに含まれないとの解釈に基づき放射線起因性を否定したものと認められる(弁論の全趣旨)が(前記二2(2)イ(イ)のとおり,上記解釈は当裁判所の採用するところではない。),被爆者援護法10条1項が規定する放射線起因性の解釈として,上記解釈が文理上不合理とまではいえないから,上記解釈に基づいて胃切除後障害の放射線起因性を否定したことをもって,被告厚生労働大臣に職務上通常尽くすべき注意義務違反があったとまではいい難い。
したがって,本件において,被告厚生労働大臣が,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と本件却下処分を行ったと認めるに足りる事情は見あたらず,本件却下処分を行ったことにつき,国家賠償法1条1項にいう違法があったといえない。
2 まとめ
以上のとおり,被告厚生労働大臣による本件P1却下処分及び本件P2却下処分については,いずれも国家賠償法上の違法性を認めることは困難であるから,原告らの被告国に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求については,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないというべきである。
四 結論
以上によれば,原告らの被告厚生労働大臣に対する請求についてはいずれも理由があるからこれを認容し,被告国に対する請求についてはいずれも理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 潮見直之 裁判官 岡田伸太 裁判官 千葉直人)